2019年1月

こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話1/5109シネマズ木場シアター5監督/前田哲脚本/橋本裕志
allcinemaのあらすじは「北海道札幌市。34歳の鹿野靖明は幼い頃から難病の筋ジストロフィーを患い、今では体で動かせるのは首と手だけ。24時間体制の介助が必要な体にもかかわらず医師の反対を押し切り、病院ではなく市内のケア付き住宅で、大勢のボラ(ボランティア)に囲まれながらの自立生活を送っていた。ボラたちはワガママ放題の鹿野に振り回されることもしばしばだったが、誰もが彼の人間的な魅力の虜になっていた。医大生の田中もそんなボラの一人。そんな中、田中の恋人・美咲がたまたま鹿野宅を訪れたところ、いきなりボラとして手伝いをさせられるハメに。しかし、鹿野のわがまま過ぎる振る舞いに、たちまち衝突してしまう美咲だったが…。」
Twitterへは「障がい者だからってワガママ言い放題はないだろ、と見せておいて、少しずつひっくり返していく。ベタな展開ではあるけど、明るく描いてるのでお涙ちょうだいになってない。役者がみな立ってるのもいい感じ。」
ボランティアに世話してもらう立場なのに、あれしろこれしろそれは違う・・・といいたい放題な冒頭からの流れ。たまたま田中についてやってきて、ボランティアの仲間になった美咲が切れて「あんた何様!?」というのは、よく分かる。とはいえ、1人では何もできないし、付き添いが誰もいなくなると、死の危険さえある、ということが次第に見えてきて。それはそうだよなと。とはいっても、つききりで介護するボランティアもたくさんいたりして、それはそれで何なんだろう、と思ったりもする。素直に言って、自分にはできない。
ではどうするか。実際に介護しない人は応分に金銭で負担して、専門家を雇う、というのがいちばん合理的かな、などと思ったりもする。もちろんボランティアは拒まずだけど。昔のように寝たきりで放置するようなことは、できない。不幸に生まれた人も同じ人間で、喜怒哀楽がある存在なのだから。
とはいっても、この映画で言ってるように、ボランティアに頼りながら「自立している」というのはどんなものかな、という気もしないではない。もちろん、介護されている、と卑屈になる必要はないけれど、介護されているのが当たり前、のようなのはどうなのかな、とも思ったりもする。
もちろんこの映画の主人公鹿野も、傲慢な態度の裏には感謝の気持ちがあるとは思う。たとえば、母親を近づけない、なんていうのは、そういうことなのかも知れない。両親が自分の世話でかかりっきりというのはつらい。だから、両親には自分の人生を生きて欲しい、というのは分かる、でも、いずれボランティアにも頼る訳なのだから、肉親にも介護させてもいいのにな、と思ったり。まあ、そこらへのところはいろいろ考えるところが多い。
駅のエレベーター設置は、障がい者や支援者が声を上げたから実現した。ベビーカーは、その恩恵に与っている。という話がでてきて、なるほどな、と思った。声を上げなければ、行政は何もしない、というのも事実なんだろうな。
というわけで、基本はコメディになっているから、死と隣り合わせの悲壮感はほとんどない。そういう意味で、お涙ちょうだいになっていないのは、こちらの負担も軽くていい。この手の映画ではこうした潔さが少ない中、笑わせつつメッセージが到達できていると思う。人物も、それぞれの立場を象徴するような配置になっていて、キャラが立っていて、とても分かりやすい。かといってただの記号になっているわけでもない。よくできていると思う。
北大の医学生・田中。恋人の美咲が「教育大生」といっていたので信じていたら、実はウソ、と分かって距離を置く、というエピソードが興味深い。田中の父親が大病院の院長という立場もあるんだろうけど、親に対する説明責任だけじゃなくて、自身も高卒を軽く見ている、あるいは、嘘をついてまで医学生との合コンに参加した美咲に疑義を抱いている感じがあって、とても興味深い。
この出来事を受け、鹿野が「じゃあ、もう一度受験すれば」というのが、なかなかいい。そうだよ。思いは、勝ち取るものだ。
あと、鹿野の退院パーティで、みんなの前で美咲にプロポーズする場面も、なかなかだった。どうするんだ? って、思わせる場面だよな。安易に同情に走らず、ちやんと説明する美咲もご立派。その話から察して、美咲と田中の仲を復活させる鹿野もなかなかだ。
ところで、古手のボランティアが3人いるんだけど、彼らの立場が良く分からない。もともとは友だち? たんに古手のボランティア? 勤めながらの高村(萩原聖人)とか、子供もいる前木(渡辺真起子)とか、あと塚田(宇野祥平)とか、ボランティアが生きがいみたいな人もいるのね。
高畑充希の、気どらないというか、演技してるような感じてもなく、ごく自然なセリフ廻しが、なかなかよかった。大泉洋の明るさにも救われてる。
大病院の跡継ぎを求められていた田中は、のちに往診までする医師になっていたけど、父親はどう説得したのかな。美咲とも結婚するみたいだけど、田中の親は、喜んで迎えるのか、気になるところ。
フジコ・ヘミングの時間1/6ギンレイホール監督/小松莊一良脚本/---
allcinemaの解説は「60代後半でブレイクした遅咲きのピアニスト、フジコ・ヘミング初のドキュメンタリー映画。80代になった今でも世界中で精力的に演奏活動を続ける彼女の魅力と数奇な人生を、世界各地にある美しい自宅での愛する猫たちとの暮らしぶりとともに解き明かしていく。」
Twitterへは「気難しいバアサンかと思ったら、そうでもなかった。絵が上手くて、煙草が好きで、家や犬・猫へのこだわりも・・・。しかし、80過ぎて年に60回も公演とは。マネージャーなしで、世界の移動も自分ひとり? 凄いね。」
小学生か中学生の頃の、日本語で書かれた絵日記を狂言回しにしつつ、話が展開。音楽、街、両親、弟、とか各チャプターの切り口も分かりやすくて、すんなり頭に入ってくる。でその絵日記の絵がなかなか上手くて、驚いた。いまでも描いているのかな。額に入った絵がたくさんあったけど、自作?
2016年の様子らしく、当時は84歳。なのに世界中を移動し、年に60回の公演というのも凄い。で、最初はパリの家で、次が東京の家、さらにベルリンにも一室、アメリカにも家、で終わりかと思ったら京都の町屋も住み家の1つだったりして。この家への執着はなんなんだ? 外にも、ドイツ留学時代の下宿屋や、生まれたアパートにも訪れる。売れるまでの貧乏生活の反動、というだけじゃないような思った。
しかも、パリ家には猫がいて、ドイツだかアメリカには犬がいて、日本の家にも猫がいたような・・・。パリの家は、フジコが不在の時はゲイカップルが管理しているらしいけど・・・。これら全部をまかなうだけの資産あってのことだよな。
耳が聞こえなくなって演奏家としての夢が断たれ、それがテレビ番組で人気沸騰・・・。という60過ぎのサクセスストーリーは知られてるけど、それ以外の、フジコ個人に密着しての今が見られたのは、とても興味深かった。煙草は手放さない。乞食を見ると、必ず施しをする。動物が好き。家族を棄てた父親への思い。仲のいい弟。そしてなにより、母親への畏敬の念。フジコ・ヘミングという、名前だけ知ってる人だったのが、とても身近に感じられるようになった。
日日是好日1/7シネ・リーブル池袋シアター1監督/大森立嗣脚本/大森立嗣
allcinemaのあらすじは「真面目で、理屈っぽくて、おっちょこちょいの二十歳の大学生・典子は、母から勧められて同い年の従姉妹・美智子と一緒にお茶を習うことに。稽古初日、茶道教室にやって来た2人は、“タダモノじゃない”と噂の武田先生に迎えられ、さっそく稽古を始める。しかし、意味も理由も分からない所作の数々に、ただ戸惑うばかり。大学卒業後、就職した美智子がお茶から離れてしまう一方、就職につまずいた典子は出版社でアルバイトをしながらお茶に通い続けるのだったが…。」
Twitterへは「茶の世界を知らないので所作や家元のところに集まるオバサンたちのくだりは興味深かった。けど、娘2人が社会人になるあたりから、なんとなく押しつけがましい雰囲気も漂ってきて・・・。多部未華子のケバイ化粧は好感度低下。」
東博や五島で、茶道具の展示がある。ブツは分かった。でも、どう使うのかは知らなかったし気にもしていなかった。それが、この映画の最初の30分ぐらいにあれこれ説明があって、なるほど。とても興味深かった。知ってる人には、つまらんかも知らんけど。ほかにお茶関連だと、年始だったか分からんが、家元のところにオバサン方が列を成して詰めかけ、よく分からんけど、仕切りの人を選ぶ・謙遜すしつつ引き受ける、のところは笑えた。ああいうの、もっと描けばよかったのに。
この映画、人間ドラマは希薄で、季節を24節季(かな?)の文字で見せ、掛け軸の変化で知らせる。のだけれど、掛け軸の文字が読めない事もあったりして、あれはすべて説明してほしいものだと思った。あとの、水の音とか雨とか新緑とか、ああいうのはあんまり効果がない感じ。そもそも美しく撮れてないし。
娘2人の成長も、淡々とし過ぎてる。典子の家族の変化も、スケッチ風過ぎて、いまいち入り込めない。ドラマが中途半端すぎるからかも。大胆に、お茶の世界のPR動画にしちゃってもよかったんじゃないのかな。その方が、興味をもって見れたかもよ。
茶道を通して、あるがままに受け止めるとかいうような、その手のメッセージが底流しはじめると、やっぱりつまらない。押しつけがましさは、こういうところに感じた。映画は、見せる、だけでいい。それをどう判断するかは、観客が決めればいいのだから。
娘2人以外の、習いに来ている女性たちが、さらりとしか描かれないのはつまらない。「その後、引っ越していった」とかセリフで言われてもなあ。天才的な女子校生の、その後はどうなったんだ? 気になっちゃうよ。で、現在の典子は、結婚はしてないのか? 
典子の従姉妹、美智子が途中でいなくなるのは、おいおい、な感じ。商社(だっけ?)に勤めたけど、「自分のしたいことにも限界が見えた」とかいって田舎に帰って見合いするんだと。次に登場するのは、子供と一緒の写真かよ。なんだよこの扱い。っていうか、いまどきそんな女、いないだろ。っていうか、相手は医者かよ。
この美智子役の多部未華子。目玉のメイクが濃くて、これは本人の最近のメイクなのか、この映画のためなのか。いずれにしても、彼女の純朴な雰囲気がなくなってしまってる。まあ、調べたら29歳だっていうから、いつまでも娘のメイクというわけにもいかんのかも知れんが。ちとがっかり。
・典子が出版社受けるとき、師範の武田先生は床の間に達磨のを絵を掛ける。典子が試験に合格できますように、だったらしいけど、達磨じゃ「手も足も出ない」ってことだろが。
・後輩生徒に濱田マリ? と思ったのにエンドロールに出てこない。調べたら、原田麻由という女優だった。似てるよな。
アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニング1/9ヒューマントラストシネマ渋谷有楽町シアター1監督/アビー・コーン脚本/アビー・コーン、マーク・シルヴァースタイン
原題は“I Feel Pretty”。allcinemaのあらすじは「サエない容姿のせいで自分に自信が持てないレネー・ベネット。高級コスメ会社リリー・ルクレアのオンライン部門に勤めている彼女だったが、華やかな本社で働く美女たちに刺激を受け、自分もスリムになろうとジム通いを始める。ところがトレーニング中に転倒して頭を強打し失神してしまう。その後、ようやく意識を取り戻したレネーの目には、なんと自分の姿が絶世の美女に見えるようになっていた。実際には何ひとつ変わってないにもかかわらず、その言動はすっかり自信に満ち溢れ、意外にも仕事も恋も絶好調になるレネーだったが…。」
Twitterへは「要は、自信だ! ということか。話(設定)は面白いんだけど、演出にメリハリがなさすぎ。もうちょいリズミカルで歯切れ良く展開して欲しいところ。」
アメリカのデブとしては、フライ級だろ。それはさておき、失神して本人は美人と思い込む。その美人が、鏡に映る、ような演出をするかと思ったら、そんなこともなく。ずっと本人の容姿で描き通す。へー、な感じ。で、化粧品会社ルクレアの受付嬢に応募すると合格。まあこれは、オーナーの孫でキンキン声に劣等感をもち、いまいちプロモーションも評価されない幹部のエイヴリーに目をつけられたから、なんだけど。ベネットは自分が美人だから、と思い込んでいる、という体ですべて話が進んでいく。
のだけれど、流れにメリハリがないから、だらーんとして、いまいち乗れない状態がつづくのだった。演出なのか、編集なのか。もっとリズミカルにしたら、もっと面白くなったと思うんだけどね。要は、自分は美人になった、という根拠を元にした自信があっての受付嬢チャレンジだし、エイヴリーやイーサン(彼氏)との関係で、つまりは本人の勘違いが笑いどころなんだから。衣装だって、もっとイケてるのを着させりゃいいのに、ずっと地味なんだよなあ。
商品企画でもアイディアをだしたりして、大事なプレゼンにも同行することに・・・でも、浴槽のガラスドアで頭を打って、妄想の世界から現実へ。一気に自信喪失してしまうベネット。
まだ、人は見かけ、を信じているということだ。ところが、ジムで知り合った美人から、ルクレアが新企画で美人もデルのオーディションをしてると知ると、なぜか自信が復活する、というところがご都合主義的な展開で。ここんところが、どうにかならなかったのかな、と思う。
で、エイヴリーから司会を奪ってしまい(こんな勇気が、ブスデブを自覚してるベネットからでてくる理由が分からんので、いささか説得力に欠けるのだ)、以前のデブだった頃の私と、受付嬢になった美人の私の写真をパワポ資料としてスクリーンに映す。だけど、すべてはベネットの妄想だから、同じ写真が並び、それに気づいたベネットはうろたえる。のだけれど、その場でプレゼンのシナリオを修正し、でも、使うのはあらかじめつくった、世の中のブスにも化粧を的なビジュアル、というプレゼンをやってのけて大うけ、というハッピーエンドだった。
↑で、パワポ資料つくった相棒のデブ男は、なにも気づかなかったのか?
ま、要するに、容姿は関係ない。自信さえあれば、なんでもできる! 世の中の女性たちよ的な話だ。
化粧品会社でのアドバイスも、庶民感覚がいい、というのも、よくあるパターンだしなあ。やせて可愛いモデルじゃなくて、庶民に近い人たちをモデルに、という考えも、近ごろはよくある話だし。おお! という驚きや夢物語になっていない。むしろ、現実を後追いしている感じさえしてしまう。
とはいえ、手垢の付いた話であっても、この手の下克上的な話は、そこそこ面白い。やっぱあとは、演出と編集のテクだな。
ところで、ベネットの最後のプレゼン乗っ取りは、ジムで会った美人の仕事を奪うことになるわけで。美人の彼女は、それで怒ってないのかなあと思ったりして。
・『ブレイブハート』の顔塗りとか『ビバリーヒルズ高校白書』のアンドレアを知ってないと、笑えないところもでてきたよ。
判決、ふたつの希望1/15ギンレイホール監督/ジアド・ドゥエイリ脚本/ジアド・ドゥエイリ、ジョエル・トゥーマ
原題は“L'insulte”。「侮辱」という意味らしい。日本タイトルのなんて軟弱なことよ。allcinemaのあらすじは「レバノンの首都ベイルート。パレスチナ難民でイスラム教徒のヤーセルは現場監督として住宅の補修作業にあたっていた。するとアパートの住人でキリスト教徒のトニーとトラブルになってしまう。翌日、ヤーセルは上司に伴われ、トニーのもとへと謝罪に赴く。神妙なヤーセルだったが、トニーの放ったある一言に感情を抑えられず、思わず手を上げてしまう。ついに2人の対立は法廷へと持ち込まれるが、弁護士同士の激論は火に油を注ぐ結果に。そこにメディアが飛びつき、事態はトニーとヤーセルの思惑を超えてレバノン全土を巻き込んだ巨大な政治問題へと発展してしまうだったが…。」
Twitterへは「落語の「天狗裁き」みたい。なんとなく流れは分かったけどレバノン情勢知らんとよく理解できず難しい。どこまで事実なんだ? はさておきフツーに見てレバノンおやじが意地悪偏屈だろ。裁判も、途中で割り込んで話したり、ムチャクチャ。」「原題の“L'insulte”=「侮蔑」が、邦題『判決、ふたつの希望』になっちまうのはどーなんだ。希望なんて、あるんだろうか。」
冒頭で「この映画の結末はレバノン政府の考えとは異なる」とかいうようなメッセージが出ていたので、レバノンが舞台の映画とすぐ分かったけど、でないと、しばらく戸惑ったかも。まあ、次にはレバノンの政治家の集会みたいのと、TV放映が映ってたけど、それにしても、中東情勢だから、どっちがどっちで何が何やら、ほとんど知らないけどね。
なところで、道路工事作業の現場監督と、道路に面するアパートの2階の住人が対立する。始まりは、ベランダから50センチぐらい飛び出てるパイプからの排水が、作業員にかかったこと。住人のトニーに注意したけど聞き入れないので、現場監督ヤーセルは飛び出ていたパイプをカットし、別のパイプを樋につないだんだけど、それにトニーが怒り、パイプをたたき割ってしまう。で、ヤーセルが「糞野郎」みたいなことを言った。それに対してトニーが「謝罪しろ」と攻勢にかかる、という流れ。
映画の惹句は「ふたりの男のささいな口論」といっているけど、どうみてもトニーがクズだろ。途中で分かるけど、ベランダの水を道路に落ちるようにしているのも、意図的な意地悪らしい。
そのうちトニー夫婦はレバノン人でキリスト教徒と分かる(部屋にマリアの絵が飾ってあったので、そうかなとは思ってたけど)。いっぽうのヤーセルはパレスチナ難民で、でも技術を買われて現場監督をやっている、と。でまあ、なんでパレスチナ難民がレバノンに? という感じで、頭はぐるぐる。ガザ地区あたりから逃げ出したパレスチナ人が流れてきてるのか、レバノンにも? てな程度の知識しかないから、バックに流れる現状がはっきりとは把握できず、見ているのも手探りな感じ。勉強不足は分かるけど、そんなこと細かく知ってる観客はほとんどおらんと思うけどな。
※ちと調べたら、イスラエル建国時からパレスチナ難民が発生し、レバノンにも流れ込んだらしい。1975年からのレバノン内戦にも巻き込まれ、1982年にはイスラエルがレバノンに侵攻し、難民キャンプが襲われたんだとか。さらに、2007年にはイスラム武装グループが難民キャンプに住みつき、レバノン軍と戦闘。キャンプは破壊され、もともといた難民も流浪することになったらしい。・・・てなことを知っているいないで、この映画の理解は変わってくるよね。
でまあ、ヤーセルの上司は「誤ってこい」というんだけど、今度はトニーが「シャロンに抹殺されていればよかったんだ」と言ってヤーセルを怒らせ、逆にボコられ肋骨骨折。でヤーセルは告訴され、尋問されるんだけど、トニーに何と言われたのかについては無言を突き通す。のだけれど、シャロンって誰よ? イスラエルの首相にそんな人いたっけ? と、またまた頭がぐるぐる。
※イスラエルの首相だった。レバノン侵攻は、シャロンが行ったんだと。なるほど。
てなわけで、ヤーセルには敏腕女性弁護士(弁護代理人といってたけど)がつき、トニーにも弁護士だか検事だかよく分からんのがついて、応酬。なんだけど、欧米や日本の裁判所との違いがありすぎて、違和感が・・・。女性弁護士が話してる途中でトニー側の代理人が割って入って反論したり、傍聴人が騒いだり、もうムチャクチャな感じ。で、笑っちゃうのが、トニー側の代理人が、女性弁護士の父親だ、という設定。なんだ。マンガかよ。
だんだん話は大きくなっていくんだけど、トニーもヤーセルも、しだいに弱気というか、態度が控えめになっていくのがおかしい。憤っていたトニーなんか「俺も悪かったし・・・」とかもらしたり。
で、突然、トニー側の代理人が、何かトニーの出自に関する事実を発見したらしく。もしかして、トニーは、もとはパレスチナ人だった、とかいうビックリ展開があるのかなと思ったら、さにあらず。代理人は、トニーが、かつて発生したダムールの虐殺とかいう事件(実際にあった事件なのかどうかは分からない)の犠牲者=生き残りだった、ということを発見し、関連映像を法廷で流すんだけど、あんな死体がゴロゴロ出てくるものをながしてどうすんの、な感じだな。トニーも、途中でプロジェクターの電源を切って退席してしまうのだけれど、彼のパレスチナ人嫌いには、過去があった、ということか。でも、虐殺の主体が誰なのか、はっきりしていない、とも言っていたよなあ。
というわけで、年季の入ったパレスチナ人嫌いのトニーが、彼ら難民に日々嫌がらせをしていて、うっぷんを晴らしていた。のだけれど、相手に罵られて激高し、訴えてやる! となったという話だった。
判決は2対1で、ヤーセルの無実。当たり前だろ、な気がする。むしろ、ヤーセルが有罪とした1人が変。
つまりは、元をたどればイスラエルの建国にたどりつき、パレスチナ難民迫害の話になっている。これは、ユダヤ人には受け入れられない話だろうし、レバノンで迷惑を蒙っている人たちも同じようなものかなと。
ラスト近く、エンストしたヤーセルのクルマを、修理工場を経営しているトニーがちょいちょいと直してやる、というところとか。判決が出てのち、トニーとヤーセルが目配せして、互いを認め合っているかのような場面も出てきて、それが邦題の「希望」につながってるのか知らんが、現実的なことになれば対立は避けられないはず。それは、いまだにつづく中東問題と同じだ。
中東もコソボなんかも、やられたらやり返すの応酬で、罵り合うだけ。でもって、相手に謝罪を要求する。相手より優位に立とうという思いがあるから、エンドレスになって終わらない。こういうのは、謝罪の要求というよりは、許しなんではないかと思うんだが。韓国の、日本に対するエンドレスな謝罪要求にも、同じようなことが言えるかなと思ってしまう。
迫り来る嵐1/17ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ドン・ユエ脚本/ドン・ユエ
原題は“暴雪将至”。英文は“The Looming Storm”。allcinemaのあらすじは「1997年、中国。小さな町の国営工場で保安部の警備員として働くユィ・グオウェイ。工場内で起きる小さな犯罪を取り締まって実績を挙げてきた彼だったが、いつしか近所で発生した若い女性の連続殺人事件に首を突っ込み始める。顔見知りの警部から捜査情報を聞き出すと、すっかり刑事気取りで独自に本格的な捜査を開始するユィだったが…。」
Twitterへは「雨と曇天と音楽と思わせぶりな演出を引いたら、からっぽな感じ。サスペンス感ゼロ。なにがあって、どうなったの? たんに冴えないおっさんの話? 時代背景も、なんか中途半端。嵐って、なんなの? 体制の変化? よく分からんしつまらない。」
冒頭は、出所する小男。刑務所の壁沿いに歩いていて、振り向くとサイドカーが追ってくる・・・。と思ったら、そのサイドカーに乗っているのが、1997年の小男=ユィだった。で、過去に遡り、河川敷(?)の殺人現場。辿り着いたユィが、警官と話しているんだが、「人が入らないように見張ってろ」といわれ、でも、すぐにユィの部下がやって来たので見張りは彼に任せ、自分も現場に行く。
このあたり、いろいろ考える。ユィは誰なんだ? 現場の写真を撮ったり、帰りは警官に送ってもらったり。彼も警官? 現場にいた部長らは、後に公安、と呼ばれていた。なので、日本と同じように、大事件は公安が指揮し、所轄は排除されるような感じで、ユィは所轄の平警官? と思っていたら、なんと、近くにある工場の警備員(保安課というらしい)だった。えー? ただの会社員が、いくら「名探偵」と呼ばれるくらい犯人を見つけるといっても、正規の警官とツーカーで、犯罪現場にも立入できるのか? 事情が分からん中国とはいえ、不自然すぎるだろ。
でまあ、ユィなりに推理して犯人捜しをするという話なんだが。現場近くにいた男を捕まえていたぶったり、現場近くに、なんだかしらんけど鍵を置いて写真を撮り、その写真を工場正門前の掲示板に貼り、その写真を見ていた男を追いかけて逃げられたり。さらに、内縁の妻(?)の イェンズが開いた床屋にやって来た男をなぜか追跡し、最後は半殺しにして自分が逮捕されるという、なんだかな、な話なのだ。ちっとも知的な推理ではなく、理論的・合理的な判断・ツメではない。ミステリーあるいはサスペンスとして、ちっともドキドキしない。
時代背景は、あるんだろうと思う。イェンズは「香港に行きたい」といっていた。返還の時期なのかなと思ったら、あとで調べたらまさに1997年は香港返還の年だった。さらに、ある日工場で、従業員の大半が解雇されるのだけれど、ユィもまた解雇されてしまう。数年前に模範社員として表彰されたというのに・・・。でも、その時の講堂は、まさに人民集会みたいな感じで、まだ経済的な解放がされていない感じだった。中国が開放政策に舵を切ったあたりなのか? と思って調べたら、それは鄧小平のいた1978年だったらしいので、もっとずっと前らしい。じゃあ、香港返還で、大きく経済大国化しつつある中国、ということなのかね。よく分からん。
でまあ、そういう流れに乗れなかったユィが、少し焦りつつ、犯人逮捕に入れ込んだ、ということなのかね。しかし、時代の流れの変化と、ユィが犯人捜しに執着したことと、なんの因果もないと思うけどな。むりくり過ぎだろ。
しかし、いろんなことがアバウトにしか描かれず、もやもやなまま終わってしまう。ミステリーじゃないだろ、これ。
・夜のダンス広場だ会った女は誰なんだ? 売春婦? 彼女がイェンズかと思ったら違ってて、では、イェンズの商売はなんだったんだ? ファッションヘルスみたいなもの? そういう商売は、公式にあったのか? で、ユィが見つけてきた空き店で、床屋を始めるんだけど、開店資金はどうしたんだ? というか、技術はどこで? さらに、ユィが、イェンズのところに通ってくる男を追跡し始めたら、ある日、鉄道に身投げしてしまう。なんなんだ?
・ユィの部下だった青年は、工場で犯人らしい男を追跡中に落下し、脳出血で亡くなっている。医師は「もう少し早ければ」といっていたので、ユィが追跡をあきらめ、部下を病院に連れていっていたら、生きていたかも知れない、ということなのか。でも、そんなの、ユィの執念とは関係ないだろ。だって、逃げた男が犯人だと決まったわけでもないだろうし。
・その部下は、「窃盗のことはみな知っていて、賄賂ももらっていた」と死ぬ前にいうんだけど、そんなことをそんなときに言うか? ユィは堅物で賄賂で左右されないタイプなので、仲間はずれ、だったらしい。そういうところも、時代に乗りきれなかった、ということを描いてるのかね。しかし、そんなの関係ないだろうと思うんだが。
・ところで、工場内の窃盗って、なんなんだ? 工場の品をいただくこと? 工員同士の窃盗? よく分からん。
・連続殺人犯の目的はなんだったんだ? 女子社員ばかり狙って、刺し殺してるのは、なんなんだ? 結局分からずじまい。
・あと、女房殺し事件というのもエピソードで登場するけど、ありゃあ本筋には無関係なんだよな。意味あるのか? あれ。
・2008年。出所したユィは、下半身がマヒして警察病院かなんかにいる公安部長を訪ね、看護婦から部長が以前にユィにあてて書いた手紙を渡される。小さな記事を頼りに訪ねたのはトラック運転手で。その運転手が居眠り運転で人を跳ねた。その男を追う男がいたけれど、消えた(だっけか?)。跳ねられた男は、逃げようとしたが、別のトラックにはねられて死んだ。・・・ということらしいが、つまりこれは、跳ねられたのは連続殺人犯だってことか? よく分からん。しかし、あんな小さな記事で、よく運転手にたどり着けたものだ。さらに思うのは、部長はあんな記事でユィを運転手へと導かなくてもいいんじゃないのか、ということ。まあ、公にはその男は連続殺人犯とは認定できず、かもしれないレベルだったから、ということかも知れないけど。
・ユィに半殺しにあった男は、どうなったのか知りたいところ。
というわけで、分からないことが多すぎて、見ていて退屈。イライラする。
未来を乗り換えた男1/21ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/クリスティアン・ペッツォルト脚本/クリスティアン・ペッツォルト
ドイツ/フランス映画。原題は“Transit”。allcinemaのあらすじは「フランス南部の港町マルセイユ。祖国ドイツを追われた青年ゲオルクは、ドイツ軍が迫るパリからも脱出し、ようやくここに辿り着く。ひょんなことから、パリのホテルで自殺した亡命作家ヴァイデルのトランクを預かったゲオルクは、遺品の書類を利用して彼に成りすまし、船でメキシコへ亡命する計画を立てていた。そんな時、必死で夫を捜す美しい女性と出会い、心奪われる。しかし彼女の夫こそ、亡くなったヴァイデルだったのだが…。」
Twitterへは「隣のおっさんがずっとエヘン虫駆除みたいな音を立て続けてて。冒頭からのカフェ、ホテル、仲間の家の3シーンに集中できず。なので、以後の展開が読みづらく、「?」も多かったけど、妙に不思議で引っかかるのだった。邦題は思わせぶりすぎだ。」
で。最初の方。カフェでは、仲間から手紙を2通渡されたんだっけか。マルセイユがどうとか。次にホテルにいくと(なぜ行ったのか良く分からない)、元オーナーの娘が嫌々部屋に案内。ゲオルクが浴室を覗くと血だらけ。娘がいうには、やって来た男が自殺した、と。なぜなのかはよく分からず。自殺した男の書いた小説と、妻からの達筆な手紙があった。で、仲間の家な行くと、子供がどうたらとか言ってて、でも奥に瀕死の男がいて。ゲオルクと仲間の一人が、瀕死の男を列車に乗せる。到着したところで、瀕死の男は死んでいて、ゲオルクは尋問を振り切って逃げ、高値をふっかけるホテルに宿泊する。と、このあたりで、黒いドレスの女に「あなた」と言われ、振り向くと人違い。
あたりから、エヘン虫が聞こえなくなって、そのうちおっさんは眠ってしまい、起きてからもエヘン虫はいなくなった模様。精神的なものではないかな。で、この手のおっさんに多いが、エンドロールが始まると速効で出ていった。やれやれ。
で。ゲオルクが少年と出会い、彼が喘息になって医師を探し、訪ねていくと女が出てきて(このとき出てきたのはマリーだったっけ? どーも違うような記憶があるんだけど、なので確かめたい)。一緒にいた医師が往診。で、その後、医師とゲオルクは懇意になるんだけど、医師は国外に行きたい。でも、女がいるので置いていけない。彼女のビザがないから…。とかいう話だったかな。で、メキシコ領事館とかアメリカ領事館に行って、自分用のビザをなんとか手に入れた、んだっけか。てなことしてると、マリーと医師がこの地で同棲している。なれどマリーは誰かを探している。そういえば、ホテルで入手したんだったか、手紙の差出人がマリーだったか・・・。
てな具合に、最初に前提となる情報をしっかり頭に入れてないせいで、なんだかよく分からん状態。うーむ。なまま見終えたんだけど、やっぱり分からんことは多いよな。
映画の状況背景は現在のようだ。フランスにドイツ軍が侵攻し、多くの人々が国外脱出を図ろうとしている。ゲオルクもものひとり、らしい。目的地は、なぜかメキシコ?
で、予告編を見て思いだしたんだけど、ホテルで手に入れた原稿や書類をメキシコ領事館に届ける、つもりで行ったら、領事がゲオルクを作家本人と思い込んでビザをくれた、から目的地をメキシコにしたのかな。では、あの作家は、なんでホテルで自死したんだっけ?
その作家と落ち合う予定の、マリー。彼女はなぜ医師とねんごろになってるの?
そのマリーは、なんで、今度はゲオルクと懇ろになるの?
領事館で会って、以来、度々会う、犬を連れた女は、ありゃなんだ? 最後はゲオルクと贅沢な食事をしたあと、飛び降り自殺をしてしまう。国外脱出の道が閉ざされたから? うーん、よく分からん。
で、マリーと国外脱出を図ろうとしていたゲオルクは、最後になってビザ一式を医師に譲り、医師とマリーが船に乗る。なんでそうするの? なれど船は機雷に接触して全員死亡。というわけで、相変わらず地元のバーのカウンターにいるゲオルク、で映画は終わるんだけど。バーテンとか、その他多くは国外に逃げようとしていない。ということは、ドイツ軍に占領されてもいいよ、ということなのか? とか。
しかし、なんで主人公がドイツ人なんだ? これは、冒頭で説明されてるのかな。いろいろよく分からんままで、残念。でも、もう一度見るには、時間と金がかかるしな。
マイル221/23シネ・リーブル池袋シアター2監督/ピーター・バーグ脚本/リー・カーペンター
原題は“Mile 22”。allcinemaのあらすじは「政情不安定な東南アジアのとある国。CIAのトップエージェント、ジェームズ・シルバ率いる精鋭特殊部隊が米国大使館に集まっていた。任務は、盗まれた危険な核物質の行方を知る唯一の重要参考人を亡命させること。しかし空港までの22マイルには亡命阻止を狙う敵が所狭しと待ち構えていた。こうして周りを刺客に囲まれた極限状況の中で、ついに究極の護送作戦が始動するのだったが…。」
Twitterへは「ドンパチ、ガンガン、よくあるアクションもの。allcinemaのあらすじ見て、へー、そういう話だったのか、と思ったりして。背景とか設定とか、よく分からんかったよ。ツッコミどころも多い感じ。しかし、このタイトルは良くないな。」
冒頭に活動の一例のドンパチがあり、その1年余り後、東南アジア。例のCIAメンバーが再度集結。新たなミッションでドンパチやって(ここが本編の大半)、最後はドンデン・・・という定番の構成で目新しさがない。しかも、新たなミッションの全貌がよく分からない。メンバーのアリスのところに地元警官から情報があって、セシウムがどうたら。そこに行ったけどセシウムがなくてムンクの絵。アリスが責められる。ところに件の警官がHDDもって投降してきて、あの絵は・・・。で削ったらそこにセシウム。で、この警官を引き渡せ、と地元の機関が訪ねて来るが、メンバーは警官を別の処に移送する。
ここで分からんのが、HDDのデータがどんどん進んでいき、暗証番号がないとどうにかなるとかいう話。見返せば説明があるんだろうけど、ラストでデータが停止し、何ヵ所かの場所でどうたら、といっているのは、時限設定されたセシウム爆弾が爆発し、生のセシウムを拡散するから、なのか?
っていうか、そもそもセシウムは誰のもので、誰が何のためにセシウム爆弾を設置したんだ? 警官はどういう立場でHDDを入手あるいは設定し、なんで投降したの? すべては地元の機関なのか? でも、ラストのドンデンでは、この映画の冒頭のミッションでなくなった一般人がロシア高官女性の息子で、その高官女性が復讐のために警官を仕込み、CIAグループを一網打尽にする計画だったことがわかって、えええええ! となるんだよな(これは拍子抜けした)。これ、冒頭のドンパチの時の犠牲者らしいんだが。このエピソードの背景も、実はよく分からん。一軒家で何人かがコンピュータいじってデータ? をHDDに記録してたのかな。それを奪う、というものだったけど。東南アジアのセシウムとは関係、あるのか? あと、この一件で亡くなった高官の息子は、一味の仲間、じゃなかったのか? どこが一般人なんだ? いやその、彼が亡くなったシーンが、よく分からんのよ。ここでは、アリスが壁越しに撃たれた場面(防弾チョッキで無事だったのかな)と、仲間の男性が殉死、というセリフだけ覚えてる程度なんだよね。
というわけで、すべてがロシア高官女性の復讐劇だったとしたら、なおさら地元機関の連中が警官奪還のために何10人も命を賭けてCIAグループを襲撃した意味が分からん。
まあ、最初の方からロシア人男女の場面がときどきインサートされながら、一向に本筋にからまない不自然さとか、ただの警官にしては格闘技に長けすぎている不思議はあったんだけどね。この警官がロシアの諜報部員なら、整形してるとか、素性を隠してないと変だと思うんだけど。
で、最後はロシア部隊がCIAの司令部を襲って皆殺し。その間に警官はヒコーキに乗り込んで亡命は成功? でも、アリスも同乗してるんだよね。黒幕はロシアと知って、シルバ(マーク・ウォールバーグ)が「してやられた・・・」な顔をして終わるんだけど、アリスは警官に殺られちゃったのか? でも、警官はヒコーキの操縦できるのか? できないなら、着陸地から逃げなくちゃいかんわけで。どうするんだ?
というわけで、そういうツッコミを除いてドンパチアクションだけを見ていれば、まあまあなんだけど、やっぱ、成る程感が欲しいよなあ。
それと、CIAメンバーが次々と死んでいくんだけど、とくにフィーチャーされてなかった端役なので、感情移入できないのも残念。アリスの離婚した亭主と娘のお涙ちょうだい話はいいから、外のメンバーもちゃんとフィーチャーした方が良かったと思う。まあ、アリス役のローレン・コーハンは魅力的ではあるけどね。
CIAグループリーダーのシルバの生い立ちがフラッシュ的に紹介されるけど、どうやら激高型で、心を落ち着けるために輪ゴムパチパチしてるらしいけど、その設定はまるで活かされておらん。あと、少年時に事故で瀕死、というのも、どこがどう関係あるんだか。
配給会社か製作会社か、いきなり漢字で中国資本? でも、アメリカ映画のようだが・・・。
タイあたりが舞台かと思ったら、エンドロールにコロンビアユニットとでてきて。中南米? と思ったら、あらすじでは東南アジアだな。
LOVEHOTELに於ける情事とPLANの涯て1/28テアトル新宿監督/宅間孝行脚本/宅間孝行
allcinemaのあらすじは「歌舞伎町のラブホテル828号室。刑事の間宮が勤務中にもかかわらず、デリヘル嬢の麗華と情事に勤しんでいた。するとそこへ、間宮の妻で婦警の詩織が踏み込んでくる。たちまち壮絶な夫婦喧嘩が勃発、混乱の中で麗華が銃で撃たれ死んでしまう。間宮は事件の隠ぺいを図るべく、ヤクの売人ウォンを呼び出し死体の処理を任せるのだったが…。」
Twitterへは「一幕物を1シーン1ショットで105分は『カメ止め』の影響? でもいろいろムリがありすぎな感じ。しかもあれ、行き当たりばったり、成り行きだよな。終わってもちっとも腑に落ちない。舞台ならまだしも、映画はムリだろ。」
カバンにビデオを仕込み、隠し撮り・・・? ん? えらい長回しだな。そういえば、新聞にそんなこと書いていたかな。デリヘル娘の40分が1カットで、あとは違うのかな、と思ったら最後まで1カットだった。とはいえ、手持ちのカメラからカバンの中の視点に移行して、最初はFIXだったけど、警官の妻がやって来たところあたりからカバンの移動がしょっちゅうで。しかも、置いてあるはずのカメラが動いたり、ツッコミどころは山盛り。で、あんなにカバンをもってうろうろしたら変に思われるだろ、と思ったんだけど、ラストでその理由が判明した。間宮と妻役が合意の上で芝居を打っていて、だから室内で起こることをすべて撮る、という前提で動いていたのだな、と。とはいえ、不自然なところは結構あって。刑事・間宮と、妻役の女性の関係はなんなんだ? まったくの素人? ということはないよな。中国マフィアといい仲で覚醒剤もやってる、いけない奥様なのか。間宮はどうやって彼女と知り合い、この一件に引き込んだんだ? 彼女への報酬は? エンドロールの映像では、間宮の実際の妻(デブ)との平和な家庭生活が写り、一方の妻役女の平穏な生活も描写されるんだけど、この妻役女は誰なんだ? という疑問には応えない。だけではなく、ラストで偶然街ですれ違い、知らんふりして行きすぎようとしたところにトラックがやって来て2人を跳ねた? という終わり方は、どういう意味なのかまったく分からない。意味あるのか?
で、全体の流れだが、間宮がラブホにデリヘル娘を呼ぶ→そこに間宮の妻で警官がやってきてデリヘル娘を恫喝→誤って間宮がデリヘル娘を誤射→間宮妻が工作開始〜間宮が中国マフィアを呼ぶ→デリヘル男来訪(間宮妻と中国マフィア隠れる)→間宮はデリヘル男に連行される→間宮妻と中国マフィアは馴染みの仲。間宮妻は覚醒剤の常習者? 2人は乳繰り合う仲→実はデリヘル娘生きていて2人を威嚇し、証拠写真も撮る→中国マフィアとデリヘル娘もみ合い、デリヘル娘死亡→間宮とデリヘル男&部下戻る→撃ったのは中国マフィアと知り、中国マフィアを連れ帰るデリヘル男&部下→これで上手くいったとほくそ笑む間宮と間宮妻。実は実の妻でなく、芝居と知れる。奪われた(不審な?)拳銃で殺人事件、と間宮が上司に報告。・・・ということで大団円らしいけど、すべて首をひねるような話だらけだ。
ほとんどすべて行き当たりばったりだろ、これ。間宮が最初、どういうシナリオを書いていたか知らんけど、作戦通りになった、はほとんどない、と思う。そもそも間宮の当初の目論見は、なんだったんだ? 拳銃の始末? そのために人を殺すか? まあ、悪徳刑事ならやりかねないけど・・・。
そもそも、芝居を打つには仕込みが必要。ということは、このためにデリヘル娘と逢瀬を重ねていたのか? デリヘル娘の死んだフリは、ありゃ何のため? 死んだフリのことは、妻役は知ってたんだよな。デリヘル男は、あれは仕込み? 本物? 間宮と中国マフィアとは旧知の仲なんだろう。でも、中国マフィアと妻役女との関係を、間宮は知ってたのか? 中国マフィアは「(間宮の)奥さんはふくよかなはずだけど・・・」といってたけど、愛人が間宮の妻だと知って疑問をもたなかったのか? 中国マフィアとデリヘル娘のもみ合いは偶然だろ? デリヘル娘の死まで織り込み済みとは思えない・・・。
なので、最後にドンデンな種明かしされても、ぜんぜん腑に落ちない。個々の事柄について、これは実はこうこうで・・・的な伏線の回収がないと、『運命じゃない人』『カメラを止めるな!』みたいな、おー、そうだったのか、なるほど、にならんでしょ。もっと話を練らないとダメだな。
・やってきた警官の妻が、上司に電話。「被害者は刑事・・・」って話すんだけど、そんなことを上司に軽く言うのは変だろ。でももしかして、この電話も狂言?
・すべてをビデオに撮っておく、は何のため? 捜査の証拠? それを妻役の女性に渡してよいのか?
・最初の方。子供から間宮に電話で、つづいて母親(警官妻)が出る。その後、すぐに、その母親=妻の警官がラブホにやってくるって、じゃその子供はどこにいたんだ? っていうか、もしかして子供は狂言?
・三上博史が1962年生まれって、今年で57歳かよ。見えない。
・酒井若菜は、巨乳なのね。裸はなかったけど。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|