十二人の死にたい子どもたち | 2/2 | 109シネマズ木場シアター4 | 監督/堤幸彦 | 脚本/倉持裕 |
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allcinemaのあらすじは「それぞれに事情を抱え、廃病院の一室に集まった12人の未成年たち。彼らの目的は集団安楽死をすること。ところが12人だけのはずのその部屋には、すでに死体となった13人目がいた。彼は何者で、なぜここにいるのか。そして一体誰が殺したのか。互いに議論を重ねる中で、次第にそれぞれの死にたい理由が明らかになっていくとともに、疑心暗鬼を募らせていく12人だったが・・・。」 Twitterへは「前半の小理屈こねてる部分はほとんど伝わったこず寝る。後半になって個々の事情が少しずつ・・・な展開はイライラ。シナリオが駄目。演出は机をドン椅子をガチャのワンパターン。芝居もテキトーなところでOK出してる感じ。なんだこれ。」 12人が識別できるか、が不安だったけど、まあなんとか。で。12人のはずなのに、すでに死体が1つ横たわっていることに、ほとんど誰も動揺しないという不自然さが、まず、うーむ。 さらに、いますぐ実行(練炭による自殺行為)に、軟弱っぽい青年が反対するんだけど、その理由がよく分からん。以後、全員の意見が一致しないまま、だらだら話が進むんだけど、「は?」というような理由をつけて反対したり、反対意見が上がったり、なんか、堂々めぐりしてるみたいで、俄然つまらない。というか、話が頭に入って来ない。なので、しばらくして、屋上の場面で寝てしまったよ。このあたり、構成とセリフ=つまりシナリオが駄目だろ。観客に、ああ、なるほどね、と思わせるような展開にしないと。さらに、この意見のやりとりでは、発言者が机をドン! と叩くか、椅子をガチャっといわせて立ち上がるという演出ばかりのワンパターン。そして、数人を除いてみなさん演技が下手すぎ。セリフもよくしゃべれてない。ぶっきらぼうに怒鳴ってるだけ。監督はこれで納得しているのかね。ひどいもんだと思うが。 最初の意見の食い違いみたいなところとから、『十二人の怒れる男』みたいな会話劇になるのか? と思ったらそうでもなく。9番ノブオが階段落ちして行方不明になるという事態になり。その辺りから話がやっと動き出すんだけど、そもそもの謎が徹底してないから、話に入れない。つまり、13人目の死体がないがしろにされすぎなんだよ。 あれやこれやあって、今度は5番のシンジロウが立ち上がっていきなり推理を述べ始める。というか、この時点で、ミステリー要素があるとは認識してなかったので、突然すぎ。それに、シンジロウは、いつ、どういうヒントを集めて推理したか、が明示されていないから、「はあ?」な気分になってしまう。やはりここは、前半で怪しい雰囲気を埋め込み、さらには、シンジロウの視点で描く、という切り口が必要だったのではないのかね。 だいたい、主宰者である1番サトシが、途中からまったく機能しなくなってしまう。出番の多い9番ノブオはケガをする、7番アンリはべらべらしゃべる、ということ以外、印象に残らない。 そう。それぞれの、自殺したい原因が開陳されるのも中盤以降なので、キャラに感情移入できないのだ。いや、それぞれの理由が述べられても、なるほど気の毒、と思えるようなものでもないので、なんだよ、という気になってしまう。そもそも、そんなことで人は簡単に死なないぞ。それに、みんな鬱状態でもなく、淡々と元気なので、なおさらそう思う。 で、シンジロウの推理はほとんど検証されることもなく、そうだった、ということになって。いくつかは、各人がフォローする程度。 要は、9番ノブオと7番アンリが先に来て、車椅子でやってくる2人を目撃。その遺体をなぜか屋上に持っていったり降ろしたり、なんでそんなことするんだ? とか見ていたんだけど、なんかいまいちつたわってこない。だから何!? だよな。 で、最後は、誰の何がきっかけだったか、もう忘れたけど。5番シンジロウだったかな、の「中止したいので決を採りたい」に7番アンリと1番サトシ以外すべて挙手し(たんだっけか? アンリも挙手したんだっけか?)、サトシが「12人全員が中止に賛成」といったことに、みんながいないところでアンリが「あなたは挙手しなかった」と最後に詰めより、サトシがこの手の集まりを何度か開いていて、それは自殺を阻止するため、と認めさせるというラストなんだが、この展開は想像していたのでまったく驚きはなし。『十二人の怒れる男』が下敷きなんだから、そりゃ分かるでしょ。 最後、みなが陽気に廃病院を出て行くんだけど、あれでみなさんスッキリしたとは到底思えないな。 ・13人目の死体は実は脳死状態で、12番ユキの兄らしいんだが。だったら脈も呼吸もあるわけで、あたふた彼を移動させた9番ノブオは、彼が生きているってことを知ってるはずだよな。 ・廃病院は1番サトシの父親が元院長をしていたところ、らしい。その父親は自殺したんだっけか? 息子が医学部受験に失敗して母親と無理心中だっけか? なんか忘れたけど。あんな規模の病院なら雇われなんじゃないの? もし所有だったとしたら、税金とかどうしてるんだ? てな疑問がふつふつと。 | ||||
search/サーチ | 2/5 | ギンレイホール | 監督/アニーシュ・チャガンティ | 脚本/アニーシュ・チャガンティ、セヴ・オハニアン |
原題は“Searching”。allcinemaのあらすじは「妻に先立たれ、女子高生の娘マーゴットと2人暮らしのデビッド。ある日、勉強会に行ったはずのマーゴットが行方不明なことに気づく。警察に失踪届を出したデビッドは、担当刑事のヴィックとともに、マーゴットのパソコンにログインし、彼女の手がかりを求めてSNSを探り始める。するとそこには、デビッドの知らないもう一人のマーゴットの姿があった。動揺しつつも、さらにマーゴットのSNSを探っていくデビッドだったが…。」 Twitterへは「パソコン画面上のファイルやSNSだけで話が始まり、終わる。そこまで見えるのか、分かるのか、はさておいて。そういう時代なのかもね、な感じ。物語自体は、とくに新鮮味がないかも。ラストは都合よく端折っちゃってるしなあ・・・。」 見始めて、あ、パソコン画面だけで話が進むというやつだな、と気づいた。さてどんなもんかと思ったら、最初は妻がリンパ腫かなんかで亡くなって、娘はどんどん大きくなるという話でいまいち。しかも、Windows画面。どうなるんだ、と見ていたら、娘が失踪し、そこから実質的な幕開け。 娘のMacのあれこれパスワードを、いとも簡単に再設定しちゃうところは、そんな簡単にできるのか? な感じ。で、 Facebook、Instagram、tumblerなんかで娘の交友関係を調べていくんだが、父親は娘の友だちをほとんど知らず、実は娘はリアルな友人が少なく、学校でもぼっち飯だったことが分かったりして・・・。さらに、娘が誘拐された可能性大、ということで報道されると、父親がコンタクトした時は「友だちじゃなかったしぃ」なんていってた子が、「ベストフレンドだった」とか泣き顔を見せたり。まあ、こんなもんかな、と現実的だ。 というところで、女性警官が担当になるんだけど、なかなかのやり手っぽい。けれど、やっぱり映画。父親が証拠品やヒントを見つけることが多い。とはいえ、警察の現場写真が公開されるとか、テレビニュースであんなことまで見せるか、というような所もあったりして、これまた映画ならではのご都合主義かな。 会話は主にiMessage。映像はFaceTimeやYouCastで映される。そんな簡単に見られるもんかいなとは思いながら、映画だしな。そうそう。現在はWindowsじゃなくてMac使いなんだよ。このあたりも興味深い。 でまあ、父親が、娘の撮った画像から行き先を突き止めるとか、車内の遺留物から実の弟を疑ったり、警察は何してるんだ? な感じのところも多いかな。 で、娘の車は湖に沈んでいて、でも本人はいない。でも、娘の血痕やDNAは見つかった、ということで、お別れ会が開かれるという。じゃ、遺体がないまま、なのか? それってあきらめが早すぎないのかな。失踪して4日目ぐらいだろ? まあいい。で、お別れ会が始まろうとするとするとき、父親は、葬儀屋のHPを見て、大きな疑問を抱く。そこに写っている女性は、娘の、あれはなんなんだ? YouCastかなんかの友だちじゃないか!? で、その相手に連絡すると、相手は単なるモデル。そのモデルの顔を、アバターとして使っていたやつがいた! そいつが湖におびき出した? ということが分かった時点で、どうやら父親は警察に連絡したようだ。直後、画面には、お別れ会で、女性警官に近づく父親と、何人かの警官、というカタチで真犯人が分かる。という流れなんだけど、でもさ、モデルの一件から真相までは、まだまだ遠いよなあ。よくも警官が納得してお別れ会に来たもんだ。 でもその前に、女性警官から「犯人が分かった」と連絡があって、その犯人は自殺した、ということなんだけど。その後に、お別れ会になったんだったか。 で、ネタばらし。実質的な犯人は、女性警官の息子で。彼が女性を装い、母親が病気、だったかなんだか、ウソを言って金を送らせたりして。そのあとなんだったか覚えてないけど、湖で落ち合ったんだっけか? で、娘に迫って、謝って娘を渓谷に突き落としてしまった、ということらしい。息子は、娘とどういう関係だったんだ? ただのネット上の関係? 知り合い? 忘れた。女性警官は「息子はフツーとは違う」とかいってたけど、障がい者かなんか、という設定なのかな? これもよく分からない。 で、息子をかばって、女性警官はこの事件の指揮を執ることを志願した、ということらしい。けど、志願したから担当になるとは限らないと思うんだけどなあ。で、自殺した犯人は女性警官が仕立てたらしいけど、どうやって告白させたんだ? どーも、彼女が彼を射殺したらしいけど・・・。このあたり、曖昧。とはいえ、「息子は刑務所が耐えられない」からって、あそこまでするのかい、なところは、映画だからしょうがないか。 悲惨なラストになるのか? やだな、と思っていたら、渓谷に落ちた後にあのあたりで雨が降り、水もあったから、生きている可能性も・・・で、警察と父親は現場に急行。なんと、生存していた娘を救出して。女性警官の息子も殺人罪には問われないんだろうし。でも、女性警官は殺人犯になっちゃった、わけで・・・。というような、ネットの相手とつきあうのは危険だよ、という話だった。 | ||||
あみこ | 2/7 | キネカ大森1 | 監督/山中瑶子 | 脚本/山中瑶子 |
cinefilのストーリーは「「人生頑張ったって仕方がない。どこへ行こうが意味はない、どうせ全員死ぬんだから。」 そんなあみこが恋に落ちたのは、同じく超ニヒリストながらサッカー部の人気者でもあるアオミくん。一生忘れられない魂の時間を共有したふたりは、愛だの恋だのつまらない概念を超越した完全運命共同体、現代日本のボニー&クライド、シド&ナンシーになるはずだったが…。」 Twitterへは「PFFの観客賞らしいが映研レベル。山に登るあたりまでは期待させたけど、あとはフツーのバカ女子校生の恋物語。少しホラー・・・?」 長野はみなダサイ。でも自分はイケてると思ってる女子校生 あみこ が、サッカーは好きじゃないけどやってるアオミに恋をして。でも、アオミは卒業生の女子大生といい仲になり、家出して上京し、同棲中。それをインスタ(?)画面で知った あみこ が、友人から借金し(?)て上京。学校で張って、尾行してアパートを突き止め、翌朝、彼女が出かけたところで部屋に侵入し、アオミにパンチを食らわす、というだけの話。『LOVE SONG』の仲間由紀恵をコミカルでエキセントリックにした感じで、話に新鮮味は皆無。 女の子のいる教室で着替えるアオミって、なんなんだ? はとにかく、「サッカーは好きじゃないけどやってる」とか、あみこ の聞いてる音楽を「Lotus Flowerか」と軽く言ってのけるアオミに、あみこ は田舎もんらしくない一面をみたんだろう。さらに、「(練習終わるまで)待ってて」と言い残して立ち去り、その後、2人で山(といっても観光地の、クルマで行ける山)の方までたらたら歩きつつ、人生や何やら語り合う2人、なんだが。なぜアオミが あみこ を誘ったのか、その気まぐれ度合いが理解できない。 あみこ「いい大学に行っても、人間は結局、死んでしまう」 あみこ「朝起きたら、トム・ヨークは、トム・ヨークだって思うのかしら」 あみこ(?)「女は、どーでも良くなる日が年に1日ある。そういう日ならAV女優にもなれる。私なんか月に1回はある」 アオミ「君は賢いから」 とか、Lotus Flowerもトム・ヨークも知らんのだが、田舎者とは無縁の音楽なんだろう。知らんけど。・・・なあたりは、不思議な雰囲気で、少し期待させる。のだけれど、その後、半年か1年か、2人は話すこともなく。というか、アオミは あみこ を完無視してるのは明らか。なんだけど、あみこ の恋慕の情は冷めることなし。というあたりから、ただのストーカーになっていく、あみこ。 アオミが家出した。先輩女子大生のインスタ画面に、アオミの寝姿が・・・。とか、フツー、そんなもの、アップせんだろ。というか、高校生が、元上級生の女性といい仲になり、家出して彼女と同棲とか、あり得ないだろ。マンガの世界か。 で、東京まで出て来て、大学(立教のようだ)で見張って追跡してアパートに乗り込むって、ただのストーカー。アオミに迫るところあたりは、ちょっとしたホラーだよ。低次元の修羅場というか、ま、要はメンヘラ女子校生の話である。どこがいいんだか、この映画。あみこ役の春原愛良が魅力的なのは認めるけど。それだけかな。 ・友だちに2万借り(たのか? 何を渡されたんだ? 紙幣?)て、あみこ は1万3千円を500円玉で渡すところの意味がよく分からない。 ・池袋の繁華街で、叫んでいる男。突然、あみこ がダンスに引き込むカップルとか、唐突すぎてなんだかな。 ・「Radiohead」「サンボマスター」とか、出てきてもおっさんにはよく分からんよ。 ・女子大生が出かけた(スタバへ?)あと、部屋に入れてしまうのは不自然。彼女はカギ閉めずにでかけたのか? ・ベッドで寝てるアオミに馬乗りになり、起こす あみこ。「あんなのの、どこがいいの?」にアオミが「可愛いじゃん」というと、あみこが「あんなの大衆文化じゃん」っていうのが田舎のインテリもどき(井の中の蛙)でアホっぽい。 ・あみこ「スタバとガールズバーかけもちで、立派なヒモじゃん」って、修羅場だな。 ・「私は自分を長野で8番ぐらいかと思ってたけど、アオミ君は長野で一番」とかも言ってたな。なにが、だっけ? ・結局、最後はアオミにパンチ。その拳に「PURE」の文字。どこが純粋なんだか。 ・スパゲティ、レモン、ガム。食べるシーン(汚らしい口の動き)にこだわるのも、新人っぽい。 ・「悪の権化は裁判所と学校と株式会社♪」って歌いながら教室に入る あみこ。どっかからの引用か? この3つの由来をしりたいところ。 ・あみこ だけ、セーラー服が違う。背中の衿に、花模様? 意味あるのか。あと、教室の真ん中の席の椅子が、ひとつだけ違う。意味あるのか? | ||||
赤い雪 | 2/8 | テアトル新宿 | 監督/甲斐さやか | 脚本/甲斐さやか |
allcinemaのあらすじは「ある雪の日、一人の少年が忽然と姿を消す。最後に目撃した兄の一希は、その時の記憶がなぜかあいまいで、自分を責めて心に深い傷を負う。近所に住む女が容疑者に浮上するが、何も語ることなく無罪となる。しかし女の周りでは次々と不可解な事件が起きていく。失踪事件から30年後、謎の解明に執念を燃やす新聞記者・木立が、容疑者の娘・早百合の居場所を突き止めると、過去を封印して生きてきた一希にもその事実を告げるのだったが…。」 Twitterへは「ムダに陰気な画面&音楽がだらだらつづき、情報は断片的に小出し状態。結局、最後まで全貌は分からず。分かりやすさは格調が低いとでも思ってるんだろ。大きな勘違い。珍しく悪女を演じる夏川結衣もお気の毒な感じ。もっと記憶にこだわればよかったのに。」 ↑のあらすじのように順序よく話は進まない。過去と現在が行きつ戻りつ、繰り返されたり端折られたり。断片的に提示されるので、とても歯がゆい。「ああ、そうなのか」という納得が得られないまま、延々と引きずり回される感じ。しかも、陰鬱な北陸(漆だから七尾あたりなのか?)の雪空のした、おどろおどろしい音楽と、過去のザラッとした荒れた画調で見てる方も暗くなる。 過去の事件を追うルポライターが登場するけど、事件ものではないので、解決が目的ではない。この映画は、最後の方で分かるけど、「記憶」の映画だ。でも、自分に都合のわるい記憶を無意識にしまい込んでしまう、という話はよくあるテーマで、とくに珍しくもない。だから、最後の方で、少しだけ事実に近づきはするけれど、とても「なるほど」とは思えず、むしろ「だから?」と聞き返したくなってしまう。しかも、事件を見ていたはずの早百合と、記憶を消してしまっていた一希が、一緒の船でこぎ出す場面は、ありゃ三途の川なのか? もしかして、早百合が生きていたのは幻想で、やっぱり一希が早百合を殺してしまっていて、でもその後に自分が記憶を消してしまっていたことを知って、なんだ同じ穴の狢か、と悟った一希の同行者が早百合だったとか? でもあれ、川じゃなくて海のはずだよな。 で。早奈江(夏川結衣)が悪女で、男をたらし込んでは何人も殺していた? 生命保険もらったりしてたわりに、アパート住まい? 実娘・早百合(菜葉菜)は、なぜに疎まれた? さらに、早奈江は小児性愛者なのか? 少年のチンコ舐めていた? しかし、なぜに一希の弟を誘拐・殺害した? いやもう、時制が描かれてないから、男を殺したのが先なのか後なのか、よく分からんのよ。 で、早奈江の男になった宅間(佐藤浩市)は、いつからの相手? なぜに早奈江に殺されなかったのか? いや、当の早奈江は現在編にでてこないけど、どうしたの? すでに死んでるのか? 早奈江は、最初に一希を手なずけて、アパートに引っぱり込んだ? そのうち、一希の弟の方がお気に入りになり、弟だけを呼ぶようになった? あの電話は早奈江からのもので、弟は舐めてもらいにいってたとか? それを一希は嫉妬して、ほっといた? 弟の誘拐騒ぎになって、弟の行方を誰にも言わなかったのは、舐めてもらってた罪悪感? そんなことって、あるか? 実の娘を押し入れに押し込み男とセックスは、分かる。娘を押し入れにして、少年のチンポを舐めるとか、ありか? そういう小児性愛ではないとして、では、何が目的で一希と弟を手なずけたんだ? ルポライターの木立(井浦新)が、「娘が見つかった」と一希に接触する。のだけれど、その娘が住んでいるのは、すぐ近くというのは、いくらなんでも、な感じ。それと、地理的な関係がよく分からんのだけれど、一希が住んでいるのは、島? その対岸の街に、早百合と男・宅間が住んでるの? うわー。なんじゃそれ。 あと、分からんのが、火事の場所で。早百合が住んでいたアパートは今も残ってるんだよな。で、一希の弟と、別の男の死骸は、焼け跡から見つかった。それって、どこよ。 「俺はいつも後始末」と愚痴る宅間は、いつから早奈江とつきあっているのだ? 元は大学病院の医師というのは、ホントなのか? それが、なぜ? 過去の、早奈江の男たちを殺したのも、宅間? なんでー? 最後はルポライターの木立も、宅間に殺されちゃってたけど、いつのまにか登場しなくなっていて、次に出てきたときは、宅間に引きずられていた。しかも、放り込まれる穴には、別の男の骨が・・・。って、彼らは消えた被害者? しかし、過去に埋めたところと同じ場所を掘り返して埋めるものか? あと、かなりの違和感は、一希が買い物帰りの早百合を追い、雪山でレジ袋をかぶせて殺そうとする場面かな。なんで殺す必要があるんだ? 一希は、早百合から、彼女が見たことを聞き出したかったんだろ? なのに、なんで殺そうとする? ひとつには、ラストで、一希も早奈江のアパートに出入りしていたから、自分のことをしゃべられると困るから、というのがある。けれど、いままでしゃべってないんだから、これからもしゃべらないだろ。弟を見殺しにしたことをしゃべられると都合が良くないから、早百合を殺そうとした? リアリティないだろ、それ。 というように、いろいろ「?」の山盛りで、それをほったらかしにするような映画は、いい映画のはずがない。匂わせる、想像させる、と、中途半場に知らせない、と違うのだよ。 | ||||
ちいさな独裁者 | 2/14 | 新宿武蔵野館1 | 監督/ロベルト・シュヴェンケ | 脚本/ロベルト・シュヴェンケ |
ドイツ/フランス/ポーランド映画。原題は“Der Hauptmann”。大尉、のことだ。allcinemaのあらすじは「第二次世界大戦末期の1945年4月。敗色濃厚なドイツ軍では軍規違反が相次ぐなど混乱が広がっていた。若い兵士ヘロルトも部隊を命からがら脱走し、無人の荒野をさまよっていた。その時、偶然にも打ち捨てられた車両の中に軍服を発見、それを身につけたヘロルトは、“部隊からはぐれた”という兵士に大尉と勘違いされ、彼を部下として受け入れる。その後も道中で出会った兵士たちを次々と配下に従え、いつしか総統直々の命を受けたとする“特殊部隊H”のリーダーへと成り上がっていく。そんなヘロルトが、脱走兵の収容所を訪れ、ついには自らの偽りの権力を思う存分振りかざしていくのだったが…。」 Twitterへは「寓話的な話だなと思ってたら最後に事実に基づくと字幕が出た。脚色してるだろとwikiをみたら結構忠実。うへ。でも、話が面白くない(ので、少し寝たよ)のは、人間は何でもするぐらいの警句しかないからかも。」 冒頭の、追われて逃げている場面が「?」で。まあ、彼=ヘロルトも脱走兵なのかな、とは思ったけど。どっから逃げたか、追っていたのは誰(後から出てきた収容所の大尉なのかな)とか、曖昧なままな感じ。で、仲間を見つけ、農家を襲い、仲間は殺され、うろうろしてたらクルマを見つけ、中にあった将校服を着てしまう。ところにおっさん兵が寄ってきて、一緒に行動を・・・。さらに、農家を襲っていた脱走兵なのかな、4人ぐらいも引き連れ、ついでに高射砲を引きずっていた兵隊も一緒になって行軍してると、脱走兵狩りの大尉らしいのに遭遇。それもなんとか丸め込んで、脱走兵の収容所に潜り込んでしまう・・・。という流れ。 たかが将校の軍服を着用しただけで、人はそれ程買われるものなのか。いや、軍服は象徴であって、話自体がおとぎ話的なものなのだろう、と思って見ていたら、なんとラストに「事実に基づく」とあって、ぎょっ。で、帰ってからWikipediaで経緯を見たら、ほとんどそのまんまではないか。ぜんぜん寓意的な話ではないのか。という驚きはあった。 でも、以後のヘロルトの理解不能な傍若無人な行動と容赦ない殺人鬼ぶりにはいささかも納得できず、つまらなくなっていく。同国人である逃亡兵を射殺するし、収容所では他人にも人を殺させる。大量死刑も臆さない。その根拠は何なんだろう? と思っても、背景がまったく見えない。 たとえば生い立ちにおけるトラウマとか軍隊内のいじめとか、そういった引っかかりがあれば、さもありなんと思えるような気がするが、そういう訳でもない。無防備な同国人を簡単に殺せるものなのだろうか? と思うと、どーにもついていけない。 事実に即しているからといって、そのまま描いても映画にはならない、と思う。それなりにアナロジーやバックグラウンドを埋め込んで、示唆したり話をつくりこんでいく手筈が必要なんじゃないのかね、ああまで感情もなく、淡々と、人を殺せる理由は何なんだろう。 あとから分かるんだけど、たかが21歳の上等兵。それまで敵を殺したことがあったのかなかったのか。要は敗軍の軍隊から逃げたかったんだろ? だったら逃げる算段をすりゃあいいのに、大尉の軍服を見つけたからって軍隊に舞い戻り、収容所に行き、将官クラスの相手と話をしたりする。あんなの、バレたらどうするんだ、な話だ。何が目的なのか。どこまで度胸があるんだ。と首をひねってしまう。家に逃げ帰るより、ハッタリ将校でいることの方が、自己満足につながったのか? 理解できない。 なわけで、収容所に行って、まとめて殺し始めるとろあたりで少し寝てしまい、気がついたら横に女性を侍らせて飲んでいる場面だった。あの女性はなんだったんだろう。 その後、収容されていた囚人を4人つないで逃げさせ、背後から撃つ、ということをするんだけど、部下にも撃たせるのはまだしも、その女性が自分の拳銃を取りだして撃ち始めたのには、おおおお、と思ってしまった。そういう雰囲気になると、人間、善悪の区別も無くなってしまうのだよな、とは思った。このあたりかな、メッセージとして使えるのは。でも、それはフツーの人であって、この映画の主人公ではない。やはり、主人公であるヘロルトがどういう象徴なのか、が見えないと、たんなるおかしな奴、だけになってしまう。 むしろ興味があるのは、21歳のチンピラのウソを見抜けなかった軍隊、将官クラスの連中かな。そりゃあ敗戦間近で混乱していたんだろうけど、そしきとしては機能しているように見えた。だって、逃亡兵をつかまえ収容所に入れ、法律に則って処罰するということが行われていたのだから。あれが、逃亡兵は野放し的な状態なら、さもありなん、と思うだろうけど。むしろ、ドイツ軍って最後までちゃんとしてたんだな、という印象を受けてしまったよ。 | ||||
バジュランギおじさんと、小さな迷子 | 2/16 | 109シネマズ木場 | 監督/カビール・カーン | 脚本/カビール・カーン、パルヴェーズ・シーク、V・ヴィジャエーンドラ・プラサード |
インド映画。原題は“Bajrangi Bhaijaan”。「バジュランギおじさん」のようた。allcinemaのあらすじは「パキスタンの小さな村に暮らす女の子シャヒーダー。口がきけない彼女は、母親と一緒にインド国境付近のイスラム寺院にやって来るが、ふとしたことから母親とはぐれてしまい、インド側に迷い込んでしまう。一人で迷子になっているシャヒーダーに気づいたのは、インドの青年でヒンドゥー教の敬虔な信者パワンだった。てっきりインドの少女と思い込み、ひとまず保護して居候先に連れ帰るパワン。ところがその後、シャヒーダーがパキスタン人だと判明、好意的だった周囲の態度も一変し、居候先にいられなくなってしまう。それでもシャヒーダーを一人で放り出すわけにもいかず、紆余曲折の末、ついにパワンはパスポートもビザもないままに、シャヒーダーと一緒にパキスタンへ入り、彼女の家まで送り届ける決意をするのだったが…。」 Twitterへは「最高! 終わった瞬間、場内で拍手が起こった。こういう映画、インドでつくれるんだな。併映は『英国総督 最後の家』との2本立てでキマリ!ヒロイン可愛い。パキのバスもかわいい。」 巻き込まれ型の展開だけど次第に使命感が芽生え、インドのおやじがパキの迷子娘をつれて国境へ・・・という導入部はちと長いし、踊りもありの典型的なインド映画。パキスタンに越境、というあたりはパワンの愚直なまでの信仰心と正直さで自ら危機をつくりだすので、少しイラッとしたけど、そのバカ正直さも少しずつ変化していくのは成長なのか。パキの警察との追いつ追われつ、敵が味方になったり、味方がジャマしたり。波瀾万丈の末にパキの娘を無事に送り届ける159分。尿意も忘れる展開で、笑ったり泣いたり感動したり。はたまたインドとパキスタンの緊張関係をまざまざと見せつけられた。 インドはヒンドゥー教、パキスタンはイスラム教。戦争もしてたこともあるけど、いまでも映画みたいにピリピリしてるのか? 国境はあんな感じで壁や金網になってて、警備兵が監視してるの? それはよく分からないけど、互いに行き来するのも大変、みたいな描写になっていた。 クリケット? かな、の戦いでは、互いに国中が応援してるみたい。代理戦争と言うところか。これもまた宗教なんだよなあ・・・。 入国しようとして、インド側の逃がし屋に地下に掘った穴を紹介され、越境したはいいけど、パキの警備兵に正直に「穴を通ってきた」「穴はまだある」とか、正直に何度も話すバカさ加減には、ちょっと呆れた。でも、それがパワンの持ち味なんだろう。でも、穴の存在をバラされた逃がし屋は気の毒だよなあ。 パキに入ってからも、フリーの記者が、最初は特ダネだ、とバスに乗って2人を追ってきたけど。話を聞いてほだされて、最後までパワンと娘を逃がしてやるのに全力をつくすあたり、なかなか感動的。最後も、願いが叶う聖地みたいなところにパワンと娘が辿り着き、たまたまその聖地に娘の母親も来ていて。記者が撮影したビデオに母親が映っていて、そこから母親が乗ってきたバスを見つけ、運転手からバス停の名前を聞きだして、娘の村が分かる、というのもベタだけどいい。娘は幼くて字が書けず、でも耳は聞こえるから、停留所をひとつひとつ運転手に言わせるという、じれったいけど、これがなかなかいい。 自分が犠牲になって警察の追っ手を引きつけ、逮捕・拷問されるパワン。その間に、村に帰る娘。その様子をビデオに撮る記者。これもYouTubeにアップされ、警察署内ではパワンの「スパイ」疑惑も払拭されたにもかかわらず、警察の上の方のおっさんは、なんとしてもパワンがスパイだ、と言わせようとする。それに異を唱え、パワンを釈放する部下が、最後にカッコよさを見せる。疑惑があれば追求するが、疑惑が晴れれば釈放する。潔い。 最後は、国境に集結するよう記者がネットで呼びかけ、ボロボロのパワンが国境にやってくるんだけど、ここの警備兵も、建て前と本音を使い分け、パワンをインド側に通してくれる(潜入するときのパキの警備兵も同じだったな。でもあの、入国させた隊長は、上官に叱られなかったのかな。心配)。もちろん、そこに娘も駆けつける。ここでたぶん声が出るんだろう、と思っていたら、ほんとうに声が出た! 奇跡が起こった! ベタだけど、感動的。 娘は 「ラーマ、万歳」というんだけど、調べたらそれはヒンドゥーの王子の名前らしい。それに気づいたパワンが(多分)インド式ではなくムスリムの儀礼で応え、川の中央まで戻って娘を抱き上げる、という場面で終わっているのも象徴的だ。なぜって、国境の川を挟んで両岸に金網が張り巡らされていて、南北朝鮮の緩衝地帯みたいになってるところなんだもの。 政治的・宗教的には反目するインドとパキスタン。でも、人の心は、そんなことはない、とはっきりと声高に主張しているところが感動的だった。 政治的な状況はよく知らんのでアレなんだが、パキスタンが舞台で、パキスタンにもいい人間はいる、インド人にもパキスタンに偏見をもってる人もいる、というような話をよくつくれたよね。いい人・悪い人のバランスも、考えてるんだろうけど。両国の諍いが鎮静化し、自由に行き来できるようになればいいよね、と観客すべてが思ったに違いない。 ・パスポートを取りに行ったとき、パキスタン大使館に押し寄せていた抗議の連中は、ありゃなんだったんだ? ・娘が行方不明になったのは、インドからの帰りの列車だったのね。一瞬、行きかと思っちゃったよ。で、あれ、なんでわざわざインドへお参りに行ったんだっけ? ムスリムにも効果のあるお祭りor霊場だったのか? ・娘がなぜか手錠好き。食堂で相席した警官の手錠を盗み、つかまってしまう。警察署でカレンダーの写真を指さし、あれが自分の村! と。まあ、あとからスイスの写真とキャプションがあると分かるっていうのがおかしい。 ・警察ではパスポートがないので逮捕されようとして、大立ち回りで逃げるんだったか。パワンは父親に格闘技を習ったけど、くすぐったいのが苦手、というから強くないのかと思ったら、ホントは強いのね。練習がダメなのか。 ・バスに乗って逃げた2人をTVレポーターが追う。けれと話を聞いたレポーター、バスの運転手や乗客も味方になって、追ってきた警察をうまく撒くって、パキの人はみないい人ばかりではないか。 ・モスクに逃げ込んで、そこの司祭の世話にもなる。ヒンドゥー教もめんどくさいな。モスクに入ることすらが背信的、と思い込んでたり。イスラムの方が開放的だ。 ・記者はパワンと娘の話をパキのテレビ局に売り込むが、「スパイの話なら・・・」とすべて断られる。記者の「マスコミは愛よりも憎しみにとびつく」という言葉は、日本のマスコミにも通じるね。 ・パキの警察の、何が何でも自白させろ、といってた上官は、どうなったのかな? 部下の警官は一存でパワンを釈放してたけど、大丈夫かな。心配。 | ||||
500ページの夢の束 | 2/17 | ギンレイホール | 監督/ベン・リューイン | 脚本/マイケル・ゴラムコ |
原題は“Please Stand By”。allcinemaのあらすじは「自閉症のウェンディは家族と離れて施設で暮らし、ソーシャルワーカーのスコッティの支援を受けて自立に向けて日々奮闘していた。そんな彼女は、自分の時間を使って大好きな「スター・トレック」の脚本執筆に勤しんでいた。パラマウント・ピクチャーズが「スター・トレック」の脚本コンテストを開催することになり、それに応募しようと考えていた。しかしようやく書き上げたものの、郵送では締切りに間に合わないと気づいたウェンディは、脚本を直接届けることを決意する。こうして翌朝早くに施設を飛び出したウェンディは、後をついてきた愛犬ピートをお供に、遥か遠くのロサンジェルスを目指して旅立つのだったが…。」 Twitterへは「メリハリのない話でいまいち盛り上がらず。背景も中途半端で、なんかつたわってこなかった。ダコタ・ファニングはフツーの姉ちゃんになっちゃってるし・・・。『ER』のいじわるウィーバーがバスの券売員でちょっとでてた。」 話に奥行きがないので、いまいちな感じ。ただのエピソードの羅列では、感動にほど遠い。 ↑のあらすじには「自閉症」と書かれてるけど、映画でははっきり明示されていない。ウェンディが住んでいる施設のようなところとか、見守っている医師のような女性とか、説明がないので、隔靴掻痒。 他にも背景がよく分からないところが多く、姉と2人きり? という疑問は後半で母子家庭、母親が死に、姉が面倒を見てきた、と分かるけど、もっと早く知らせるべきだろ。それと、姉夫婦との関係も、芒洋としてる。姉夫婦の転居、思い出の詰まったピアノ、母親の家? とかの関係がはっきりしない。姉夫婦は、母親が購入した家に住んでいた、のか? でもウェンディは施設に入っている。では、その施設の費用は誰が払ってるのだ? 公的支援はあるのかないのか? とか。 医師はウェンディに、あと何日、とか言ってて。そのうち姉が面接に来たので、その日のことを言っていたのかな、と。でも、その面接で姉が「一緒に暮らせない」というとウェンディはパニクる。ウェンディは新居に一緒に住める、と思っていた、のか? 姉は、自分の赤ん坊が妹に何かされるのをおそれて同居を拒んだ? これについて、医師はどういう判断をしていたのか? というような背景が、よく見えないので、もやもやしか感じない。 で、かねてから宣言し、書き上がったコンテスト用の脚本を医師に「読んで」と渡しているのに医師は「スター・トレック」に関心がないからよく読まずにいる。一方のウェンディは、脚本を郵送しなければならないと理解している。というところで、基本的な疑問。医師はウェンディが脚本コンテストに応募したがってたのは分かってたんだから、間に合うように郵送の手配をしてやれば良かったのだ。それをしない医師はバカだろ。さらに、郵送の期限前に、ウェンディは医師に相談できなかったのか? 自閉症とはいっても、結構外出できたり、衛生管理できたり、店で働けたりできてる。これは、かなり軽い方なのではないのか? だったら・・・。 このあたりの、せっぱ詰まった感じがないので、ひとりでロスへ、という決断も、傍から見ると「おいおい」としか感じられないのだよね。 ・・・という流れの中でウェンディの脚本届ける家出があって。医師や姉はもちろん心配してウェンディを探す。これが、わりと簡単に足取りが分かってしまって、孤独な家出でなくなってしまうのが、いまいちつまらんかな。つまり、ウェンディは家出=逃亡の過程で心を許せる相手と出会うこともないので、成長しないのだよ。出来事と言えば泥棒とかおせっかいババアとか、困らせる奴らばかり。これじゃなあ・・・。 まあ、なんとかパラマウント映画社まで辿り着くんだが。とはいえ、ゲートをよく突破できたよな。でまあ、郵便室に原稿を持ち込むと「受付は郵送のみ」といわれる。当然だろ。でもそこで、自分がいかに心を配って脚本を仕上げたか、をスタッフに怒鳴りつけ(なんで突然、言葉がすらすらと出てくるのか、理由がまったく分からんよ)、原稿を郵便室のポストに投函してしまう。まあ、予想された展開で、驚きもなし。それでも受け付けてくれたのか、最後に「残念でした」の手紙を朗読するナレーションがあるんだが、声と映像がごちゃごちゃして分かりにくいな。 まあ、よそうされる結末で。原稿をもって旅したことが、ウェンディにとってとどういう意味があったのか。それもはっきりとは明示されない。 要は、自分の領域を超える、可能性を広げる、がひとつのテーマになってるんだけど、それが見えにくいのだよね。普段から、街のなんとか通りは、横断しない、といってるけど、あれは医師が安全を考慮してそう命じているのかも知れないけど、そのあたりも見えにくい。そもそも、なぜ横断してはいけないのか? で。ラスト。売りに出したはず(だよな)の旧家の前で、「ご自由にどうぞ」と貼り紙したはずのピアノをウェンディが弾き始め、旧家のドアから姉と赤ん坊が出てきて椅子に座り。その横にウェンディも座る、んだったかな。あれもまた分からない。なんで旧家が登場するのだ? 新居はやめたのか? ウェンディは姉夫婦と同居できるのか? 相変わらず施設住まいなのか? なあたりが、まったく分からない。あれじゃ、どういう結末なのか、よく理解できないよな。もやもやが止まらない。 ・医師の息子は勉強嫌いで「スター・トレック」好き。ウェンディとのアナロジーもないわけではないのに、ほとんど活かされていないのも残念な感じ。 ・ウェンディは、叔母になった、ということを自慢気に他人に言う。このあたりは、家族、を意識しているのだろう。でも、姉の妹への思いやりが見えないのだよな。むしろ、子供に危害を加えられたら・・・と警戒しているようにしか見えない。 ・犬なんか連れてくからバスを降ろされるんだろ。まあ、自閉症だからしょうがない? いや、最初は追い返そうとしてたじゃないか。 ・バスから降ろされ、妙なところで赤ちゃん連れの若い女に会い、亭主のクルマに乗せてやる、といわれたと思ったら女は財布から札を抜き取り亭主はiPodをむしり取る。こういう連中がアメリカのデフォルトなのか? 日本じゃあり得ない展開だよ。 ・さらに、店で何か買おうして、店員に価格を誤魔化されそうになる。相手が知恵遅れっぽいとみるや、つけ込むのがアメリカのデフォなのか? ・その店で助けてくれた婆さんのバスは、どっかの施設のものか? 運転手が居眠り運転で事故って。ウェンディは病院に担ぎ込まれるんだけど、運転手とか婆さんとか、他の人たちは無事だったのか? 心配になる。 ・病院からトンズラするとき脚本をバラまいて半分ぐらい無くすんだけど。いや、ハナから思ってた。出かけるとき、脚本を綴じず、袋にも入れずにそのままリュックに入れるのはないだろ。いずれ・・・と思っていたから、その通りになった、というわけだ。 ・そもそもスタート地点が分からない。途中でオークランド、と分かるけど、もっと早めに知らせてくれ。 ・ロスでは、速攻でパチロール中の警官に発見される。おいおい。で、いきなりクリンゴン語を話す警官が出てきてウェンディの警戒を解き、警察に連行する。『スター・トレック』を下敷きにするなら、もっと上手いやり方がありそうなものだが。ときどき映るウェンディの脚本世界(宇宙のイメージ)も、いまいちピンとこず。 ・バイト先の黒人だったかアジア人同僚だったか。音楽やってるようだけど、最初にくれたDVDの音楽は、ありゃ、どういう意味だ? 聞いてくれ、ということか? で、ラスト近く、ウェンディが彼に渡したDVDは、ありゃなんだ? もらったものを返したのか? 別の、ウェンディがつくったDVD? よく分からない。 | ||||
名前が浮かばない | 2/24 | 科学博物館・講堂 | 監督/和田昌宏 | 脚本/和田昌宏 |
『UENOYES バルーン DAYS 2019』のプログラムのひとつ。HPの説明は“上野をよく知る方々と協力して制作されたドキュメンタリーとフィクションを交えたSF映画。ただ歩いているだけでは見えにくい上野という固有の土地の歴史と人々の営み、それらを学ぶ過程からインスピレーションを受けることで本作は完成しました。上野の持つ多様な歴史を新たな視点から紐解き、その先でまだ交わされてこなかった対話を本作品を観る人々にもたらします。” Twitterへは「」 ↑のHPの解説は大半ウソ。SFではなくオカルト。「上野をよく知る方々」とは、霊が見えると主張するおっさん1人。「土地の歴史」は、大半、上野の戦争。ちと頭のおかしなおっさんの「霊が見える」話がドキュメンタリーで、そのおっさんが指摘するスポットで何かの物体(木とか灯篭とか石とか)に「お帰りなさい」だったかな、と話しかけるだけで、あとはウンコみたいなものをひり出す(途中から妊娠していたから、何かを生み出す、ということなのかも知れないけど、ウンコにしか見えず、気色悪い)だけのオバサンの話がフィクションかな。最初は霊視おっさんもフィクションかと思ったんだけど、どーもあれは、そういう人らしい。 30分過ぎの、霊視おっさんが彰義隊の墓の前で話してるところから見て、インターバルを挟んで始めから。尺は50分ぐらい。でも、前半の10分過ぎぐらいから眠くなり、気がついたらオバサンが吊られてウンコひり出す直前。なんじゃこれは。退屈もいいところ。科博もこんなんに協力してていいのか。 霊感おっさんと話してるのは監督なのか。いつもマスクして顔を隠してるのも、印象が悪い。さらに、霊感おっさんを、実は利用してるのでは=こころの中ではバカにしてるのでは、という印象がぬぐえないのだよね。 | ||||
THE GUILTY/ギルティ | 2/26 | 新宿武蔵野館1 | 監督/グスタフ・モーラー | 脚本/グスタフ・モーラー、エミール・ニゴー・アルバートセン |
デンマーク映画。原題は“Den skyldige”。「犯人」の意味らしい。“The Guilty”は、英文タイトル。allcinemaのあらすじは「捜査中のトラブルにより現場を外された警察官のアスガー。今は緊急通報指令室のオペレーター勤務で、元の職場への復帰を目前にしていた。そんな彼がある夜受けた通報は、今まさに誘拐されているという女性からのものだった。彼女の名はイーベン。走行中の車の中から、携帯電話で掛けていた。その電話から聞こえる声と音だけを手掛かりに、犯人の特定とイーベンの救出に全力を尽くすアスガーだったが…。」 Twitterへは「一幕物で評価は高いようだけど、緊張感やサスペンスの盛り上がりは今ひとつな感じ。協調性なくてトンマな割りには突っ走るやつ、と見た。で、終わってみれば、またアレだし・・・。うーむ。」「それにしても。110番したら電話番号は当然として、住所、所有車のナンバー、おおよその現在地まで分かっちゃうのか。電話番号から自宅住所を知られるのって、ホンマかいなデンマーク。」 ほぼ全編、指令室のアスガーが出ずっぱり。他には指令室の同僚が何人か画面に映る、あるいは話に少しからむ。でも、本筋ではからまない。で、ドラマを構成する人物は電話相手の声としてしか登場しない。という一幕物のひとり芝居で、設定・構成は面白い。だけど、途中のドラマチックやサスペンスには、少し弱いところもあって、緊張がつづく、という訳でもない。この手のヌキの部分に変化がないので(たとえば空とか町とか回想なんかもない)、気がゆるんでしまうところもあるね。 最初に酔っぱらいのケンカ、記者の質問とか3つぐらいコールがあって、クルマで閉じ込められてる、という女性(イーベン)の震える声。これが実質的な話の始まりなんだけど、これが誘拐ならなぜ電話できるんだ? という疑問がずっとつづくのだ。誘拐犯には、子供と電話している、という名目なんだけど、それで騙せる相手なのか? とね。もやもや。 でまあ、アスガーはイーベンから車種を聞き出してパトカーを差し向けるんだけど上手くとらえられず。さらに、どうやって知ったのか忘れたけどイーベンの自宅に電話して、娘と会話。元亭主の存在と、その自宅を把握し、元亭主の携帯番号まで娘から仕入れる。 デンマークの110番は凄いな。携帯と通話してるとおおよその位置が分かり、携帯番号から自宅も分かってしまう。個人情報の壁は低いんだな。怖っ。 で、元亭主は、過去に刑務所歴あり、という情報でミスリードさせつつ、話は進行。でも、イーベンの自宅に娘と、別室に弟がいて、そこには入るな、と言われたというあたりから「?」が生じ、自宅に差し向けた警官が弟の遺体を発見(腹が割かれていた)あたりから「?」が増え出す。いくらなんでも息子を殺すか? 殺して平気で元女房を誘拐? 娘を置き去りにして・・・。 それでもアスガーはイーベンに、レンガで元亭主を殴って逃げ出せ、という指示をだす。おいおい。そんなことさせて、行きすぎだろ。もし元亭主が正しいとしたら、どうなるんだ? てな気持ちになってくる。 で、アスガーは同僚を元亭主の家にこっそり差し向け、不法侵入させて手紙類をチェックさせるんだけど、その結果分かったのは、イーベンがかつて精神病院に入院経験があり、クルマはそこに向かっている、ということ。なんだよ、また犯人は精神病患者かよ。精神病=異常=殺人者というイメージを定着させるだけだよな。 弟を苦しめているヘビを、イーベンが取りだし、その結果、弟は死亡。なので元亭主はイーベンを精神病院に連れていくところだった、と。イーベンがクルマから自由に電話できたのは分かった。しかし、警察に通報する前に、娘を自宅に置いて精神病院に駆け付ける、というのはフツーしないだろ。はたまた、元亭主はいつイーベンの所業を把握したのか? これがよく分からない。イーベンが知らせたのか、娘が元亭主に連絡したのか? という話なんだけど、アスガーは重大なミスを犯している。1つは、娘を弟の傍に行くように言ったこと。これで娘は弟が殺されていることを知ったわけで。娘にとってはトラウマだろ。2つ目は、元亭主をレンガで殴れ、と命じたこと。これが成功して元亭主が死んでいたら大変なことだろ。 起こっていることを上司や仲間にちゃんと知れせず、自分の勝手な判断で犯人(と思っていた元亭主)や被害者(と信じていたイーベン)と電話で会話し、すっかり勘違いしていた。映画を見ている観客も勘違いさせられているわけだけれど、すべて間違っていた、ってことだろ。先走りすぎのトンマな警官だ、ということだ。しかも、現在、自分の不始末で裁判中という身の上。なのに、なんでヒーロー気取りになるかな。理解不能。 元亭主を殴って逃げ出したイーベンから電話があって、「私は息子を殺したの?」とアスガーに問うのは、少し理性が戻った、ということか。どうやら高速をまたぐ陸橋の上から飛び降りるつもりらしいけど、心の変化も、いまいち不自然。 そのイーベンに、アスガーは「19歳の若者を殺した。彼は罪を犯していたが、正当防衛を装って撃った」「人生にウンザリして、何かを取り除きたかった」と電話で話しかける。なるほど。そういう事件があり、同僚にウソの証言をさせて乗り切ろうとしていたらしいことが分かる。だけど、そんなことをイーベンに話す必要があったのか? それが時間稼ぎになって、その間に警察がイーベンを確保できてはいるけど、アスガーの告白は、イーベンには関係ない話。むしろ、画面でも映っていたけど、指令室にいた仲間に聞こえていたわけで、その方が大きいかも。 とはいえ、この事件で、どうしてイーベンに良心が戻ったのかは不明。さらに、アスガーの「人生にウンザリ」が何を意味しているのか、分からない。女房が出ていった、ということを何度か言っていたけど、それが射殺事件の前なのか後なのかも分からんし。ここも、やっぱり、もやもやだ。 | ||||
1987、ある闘いの真実 | 2/28 | ギンレイホール | 監督/チャン・ジュナン | 脚本/キム・ギョンチャン |
韓国映画。原題は“1987”。allcinemaのあらすじは「1987年1月14日。軍事政権の圧政に反発する学生の民主化デモが激化する中、ソウル大学の学生が、警察の取り調べ中に死亡する。報せを受けたパク所長は、すぐさま部下に遺体の火葬を命じる。一方、警察からの申請書の内容を不審に思ったチェ検事は、上司の忠告を無視して司法解剖を強行し、やがて拷問致死が裏付けられる。それでも警察上層部は拷問を否定するも、チェ検事に接触した東亜日報のユン記者によって死因が暴露されると、今度はパク所長の部下2人の逮捕で事件の幕引きを図ろうとするのだったが…。」 Twitterへは「背景が分かりにくく中心人物も一貫していない。役人の権力関係もよく分からん。ジョンナムって誰? とか思いつつアバウト分かるけど。30年前の韓国はこうだったの? ま、いまもあまり変わらんような気がする、大統領失脚をくり返す韓国。」「小林多喜二や大杉栄の時代の拷問と60年代の学生運動が共存し、学生に催涙弾を水平撃ちする警官。北を憎む脱北者。民主化運動を赤化と弾圧し、戒厳令下のような都会。なんだけど、学生ひとり死んだだけであたふたする権力側の様子も、なんだかな。ラストの収拾も、なんで? な感じがしてしまった。」 全斗煥政権下の韓国のお話。全斗煥が軍人上がりなのは知ってたけど、あれほどの軍事独裁とは思っていなかった。李承晩(失脚・米国亡命)>>朴正熙(暗殺死)>>全斗煥(死刑判決のち無期懲役)>>盧泰愚(逮捕)>>金泳三>>金大中>>盧武鉉(収賄疑惑で自殺)>>李明博(逮捕)>>朴槿恵(逮捕)>>文在寅、という流れか。軍事政権の最後だったんだな。 それにしてもわずか30年ぐらい前に、こんな時代があったんだよなあ、韓国。 で、背景には反共というか反政府運動の弾圧があった、と。なかでも北のスパイの摘発や学生運動の鎮圧に力を入れていた、と。とまあ、こういう経緯がとくに紹介されるわけでもなく、「ソウル大学の学生が尋問中に死んだ」という話から始まって、それをもみ消そうとする警察、パク所長(所属がよく分からないので調べたら治安本部対共捜査所長だと)、そのた大統領を忖度する勢力がドタバタし、さっさと火葬しようとするんだけど、それを阻止する検事がフィーチャーされ、なかなかスリリング(どこまで真実なのだろう?)。とはいっても、大学生が1人死んだだけであたふた、がそんな重要度があるのか? な感じだった。 もちろん拷問死は事件だけど、それを始末できるほどの力が大統領府、警察、治安本部にもなかったのか、という感じ。日本の、かつての特高の時代なら、大きな問題にもならなかっただろう。この時代の韓国ではマスコミに報道の自由(のようなもの)があり、かといって学生のデモや市民の反発も無視できないような状況下での軍事独裁だったのかね。かつての、チリやスペイン、日本なんかの軍事政権と比べると、脆弱だったのかも知れない。 さて。火葬許可を出さなかった検事が主人公かと思っていたら、いつのまにかクビになったのか、事務所をでていってしまう。以降、ラスト近くまで登場しないのには、おいおい、な感じ。とはいえ、たったひとりで権力に刃向かった検事はさすがだと思うんだけど、彼ひとりに翻弄される権力というのも、弱腰過ぎないか、という気がしてしまう。(これは事実なんだろうか? フィクションなんだろうか?) で、前半の途中からは、中心人物が看守と姪、その知り合いの男子学生になっていく。 拷問殺人の罪をかぶった公安2人が投獄されるんだが。看守仲間は、こころの中は反権力。その警官に面接した面々の名や会話内容をメモし、それを投獄中の東亜日報記者に渡し、彼がまとめたものを看守が持ち帰り、よく分からないおっさんに渡す、という流れがあるようだ。 このあたりからジョンナムという名前が頻出するようになるんだが、それが誰なのかよく分からないというのが困りもの。だんだん、看守とコンタクトするおっさんらしいと分かるんだけど、あれはいったい誰なのよ? 最初に拷問しした大学生と関係あるんだっけ? というようなところが、もやもや。 で、看守→娘→ジョンナム→神父という情報流出はどこまで真実なのか? デモ学生は実際にいたようだけど、娘とのロマンスはフィクションだろうな。話も軟弱だし。とはいえ、反権力の人々の動きは、どこまでリアルなのか、知りたいところ。 で、危機一髪で情報が神父からマスコミに渡り、新聞報道。スケープゴートにされた公安2人は実行犯ではなく、他の3人が関わった、ということが記事になり、事態は急展開。パク所長は逮捕され、Wikipediaによると「1987年以降には改憲・反政府運動も活発化し、7月には政権移譲を表明」したらしいけど、実行犯が3人分かったからって、なぜそうなるの? な感じ。もやもやだ。 ・パク所長は脱北者らしいんだけど。そういう人がも、よくぞ公安部長まで上りつめたよね。 ・大学生の遺体を確認した医師の名前を、警察の幹部がポロリと口をすべらせるのは、アホか、と。 ・公安の2人は、実行犯じゃないのに、なぜスケープゴートにされたのかしら。で、それを知っただけで、「すべてバラしてやる」的な自暴自棄になっちゃうのかしら。反共とパク所長のためには死んでも口を割りません、とならない不思議。 ・新聞社の様子はちょっとだけ『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を思わせるけど、記者の描写も通り一遍で。ツッコミはいまいち。 |