2019年3月

サムライマラソン3/1MOVIX亀有シアター2監督/バーナード・ローズ脚本/斉藤ひろし、バーナード・ローズ
allcinemaのあらすじは「ペリーが来航し、いよいよ開国の圧力が抗しがたくなっていた1855年。安中藩主・板倉勝明は、外国の侵略から藩を守るためには藩士たちが強くあらねばならないとの信念から、心と体を鍛練するために遠足を行うと宣言する。勝者はどんな願いも叶えてもらえると知り、さっそく藩士たちが色めき立つ。そんな中、絵を勉強するため江戸に行きたい勝明の娘・雪姫が、父の反対を無視して城を抜け出してしまい城内は大騒動に。一方、江戸城ではかねてから勝明を警戒していた幕府大老・五百鬼祐虎が、遠足を謀叛の動きとみなして刺客を送り込む。安中藩に絶体絶命の窮地が迫る中、ただ一人、勘定方の唐沢甚内だけがその動きを察知するのだったが…。」
Twitterへは「外人監督による時代劇。鎧とか外人好みの日本趣味、そして黒澤オマージュ。妙な衣装はワダ・エミ。は、いいんだけど、後半ああなる背景が描かれてないのでスッキリしない。セリフとか演技がだらけてるとこも結構あって、シャキッとしない。」
外国人監督ということなので、撮り方とか興味をもって見に行ったんだが。多少、カメラが動きながらの撮影があるぐらいで、とくに驚くようなところはなかった。とはいえ冒頭、ペリー来航での交渉が浜辺で行われ、日本側には鎧武者がいたり、藩主板倉勝明の寝所に甲冑が鎮座していたり、はたまた大老が派遣する隠密の衣装が派手だとか、西洋人好みの日本がいくらかあったのには、やれやれ、な感じ。ただし、隠密の派手な衣装はクレジットにワダ・エミの名前を見つけて、なるほどね、な感じ。
人物は多く登場するけど、基本的に人間が描けていないので、物語としての深みが足りない。話のつじつまも、なるほど、と言えるようなものでないから、見終えてもなお、もやもやが残るし。いくら設定がユニークでも、話を作り込まないとダメだよな、と。
唐沢は先祖代々家康直属の隠密で、いうならばスパイ。江戸の薬種問屋に薬を注文という体で情報を送っていて、今回も、突然の呼び出しに「謀反?」と予想して密書を送った。ところが藩主の話を聞くと、ただの遠足。あの密書は間違い、と取り返そうとするも間に合わず、密書は幕府大老のもとへ・・・。で、呼ばれたのがハヤブサ(?)という安中出身の隠密で、彼ら一党が送られる・・・というところから話が転がって行くんだけど。このハヤブサの到着を待ち受けていたのが唐沢の上司の植木。なんで? と思ったら、なんと植木も隠密。さらに、側用人辻村の仲間の1人も隠密で、辻村を殺そうとしたんだが・・・。
という展開が、なんだあ? な感じ。藩主は「明日、遠足」と宣言。その日に密書。安中だから当日着だろうけど、その返事が別ルートで植木に来てたの? それと、植木や別のひとりが同じ隠密、って、唐沢は知ってたのか? 植木は唐沢が隠密、は知ってたような感じだけど・・・。で、植木はハヤブサ一党を迎え入れるんだが。そもそも大老とハヤブサ、植木は何を目論んでるんだ?  
予告編では、開国を推進する大老が、邪魔者の安中藩主を・・・というような感じになっている。↑のあらすじも同じだ。でも、幕府がかねて安中藩を警戒していた、というところが描かれていないので、唐突な感じ。さらに、唐沢は「ただの遠足」と判断したわけで、根拠はなくなった。植木らも、謀反ではないことは分かっていたはず。それを、なぜ取り潰そうとしたのか、意味不明。ここがちゃんと見えてこないと、この映画はつらいと思う。
藩主と娘の対立という別物語があるんだけど、これまた中途半端。絵描きになりたい雪姫、が唐突。側用人を婿に、という父親の意向に抵抗して出奔はいいけど、関所を抜けられずに藩内をうろうろし、男装して遠足に参加するのはなぜなのよ。まったく必然性ないよね。しかも、途中で関所の配下に見破られてしまうし・・・。だいたい、テキトーな名前で参加登録できるのがおかしい。そして、ほとんどが女と見破れなかったのが、関所では簡単に分かってしまうのは、なんでなの?
遠足では、審判とかコース案内とか、いないんだな。そこはフィクションなんだから、抜け道されないよう監視員がいる、ということにした方が面白かったと思うんだがね。
なので、誰が優勝するか、という興味は早々になくなった。
しかし、側用人辻村の、駕籠を使ったインチキはバカバカしいだろ。仲間というか配下に駕籠をかつがせ、自分は楽をする考えらしいけど、かえって遅くなるだけだと思うぞ。
で、後半、大老が放った隠密一党がマラソン最中に暴れ出し、でも、親玉のハヤブサ以外、全部、藩士にやられてしまうのは、おいおい、だよな。隠密はそんなに弱いのか?
で、ハヤブサは、藩士のいない城中にやすやすと潜入し、藩主を人質にしたような感じなんだが。ところで、藩主とハヤブサが顔見知りというのは、どういう接点があったんだ?  で、その藩主とハヤブサがいるところに続々と藩士が遠足を終えて到着。でも、唐沢だったかが手裏剣でハヤブサを倒しちゃうんだったかな。よく覚えてないけど。なんか、簡単に隠密連中がやられちゃうのには拍子抜け。
で、主君を裏切ったからと唐沢は自害しようとするが(外人好みのハラキリだ)、雪姫に助命される。藩主は、唐沢が死んだことにして、助命するんだが。あれじゃ、自分はスパイだったと告白したも同然で。同僚からは疎外されるだろうし、江戸から刺客が来て抹殺されるに決まってる。
側用人の辻村。藩主の婿になれるかも知れない、という設定なんだけど。フツー家来が藩主になるって、あり得ないだろ。それは脚色としていいとして、辻村の位置づけがよく分からない。立場あるいは家柄を利用して遠足でズルをしたかと思うと、藩の取り潰しを画策する隠密をカッコよく叩き切る。感情移入していいのか、悪役なのか、いまいち中途半端だよな。
というようなわけで、いまいちハマれずであった。ところで、一位になったのは誰だったんだ? よく見てなかったよ。とくに強調もしてなかったし・・・。
・女郎屋で見つめ合う男女がいたけど、女は女郎? と思ったら、遠足前にキスする男女は、あの2人だよな。で、あとは、ゴールしたとき寄り添ってたけど、それ以外にあの侍に、どういう役回りがあったんだ?
・ハヤブサ一党と、藩士らの戦いは、まるで『七人の侍』。唐沢と植木の斬り合いは、最後、植木の腹から血がドバ。『用心棒』か。外人はクロサワが好きだね。
・首チョンパが2度、か。いずれも辻村によるもので、雪姫の着物を持った男と、辻村を谷底に蹴落とした、それまで仲間のように振る舞っていた隠密が斬られてる。これも外人好みかね。
・雪姫の小松菜奈を始めとして、セリフをキチンと言ってないところが散見される。あと、登城の場面の藩士の様子にテキトーな感じのところ(スタートかかってないみたいな感じのところ)があったり、ピリッとしないところが結構あって。あれは言葉を理解してないせいなのかなとか思ったりした。
翔んで埼玉3/5109シネマズ木場シアター1監督/武内英樹脚本/徳永友一
allcinemaのあらすじは「埼玉県民は東京都民からひどい差別を受けており、東京へ入るのにも通行手形が必要で、手形がなければ即強制送還という屈辱の日々を送っていた。東京の超名門校・白鵬堂学院でも、都知事の息子で生徒会長の壇ノ浦百美によって埼玉県人は容赦ない迫害にあっていた。そんなある日、アメリカからの帰国子女・麻実麗が転校してくる。容姿端麗で洗練された立ち居振る舞いの彼だったが、実は隠れ埼玉県人で、埼玉解放戦線のメンバーだった。しかし、そんな麗にいつしか心惹かれてしまった百美は、正体がバレて追われる身となった麗と行動を共にしていくのだったが…。」
Twitterへは「予告以上を期待したけど、こんなもんかな。埼玉自虐パロディネタはそこそこ笑えて、この手のネタ満載だったらよかったのに。主役は埼玉、相手役が千葉、でもなんで脇役が群馬なんだ。茨城・栃木はエキストラ扱い。麻生久美子が花嫁の母親役か・・・。」「武蔵国から廃藩置県で東京が独立した時の地図がでてきてたけど、あれは間違い。三多摩+αは、後に水道問題があって、神奈川から東京に編入したのだよ。まあ、細かいところを端折ったんだろうけど。」「埼玉県民は西武池袋線と東武東上線で池袋、な感じの描き方。京浜東北で上野・有楽町・横浜も行けるのに。伊勢崎線とか浅草も無視されてたし・・・。」
原作はまったく知らなかった。映画館で予告編をチラッと見て「埼玉県人にはそこら辺の草でも食わせておけ」「埼玉から東京に這入るには通行手形が必要」というあたりで、これは面白そう、と期待して行ったんだけど、期待値が高かったせいか満足度は半分ぐらい。まあ、こんなもんかな、と。
狂言回しでブラザートムと麻生久美子の夫婦&娘(島崎遥香)がNACK5で『翔んで埼玉』のラジオドラマを聞きながら娘の結納にクルマで東京へ・・・というのがあるんだけど、いるのかな、これ、という感じ。とはいえ夫婦のキャラが濃く、島崎遥香も可愛いから、役者としては欲しい感じ。
予告編で見た部分は設定で、概ね冒頭で終わってしまう。あとは、麻実麗が実は埼玉県人で、でも壇ノ浦百美が麻実麗に惚れる。埼玉県人に通行手形を要求しているのは都知事である父親の謀略であることを突き止め、2人で東京脱出。麻実麗は、壇ノ浦家の執事で、でも実は千葉解放戦線のリーダー阿久津翔と対立してとらえられ・・・。でも埼玉デューダ(実は麻実麗の実父)に助けられる、んだったかな? 忘れたけど。一方の壇ノ浦百美は秘境・群馬に迷い込み、でも父親が隠した金塊を発見。その間に千葉と埼玉が争う(というのがよく分からない)かと思いきや最終的には合同して都庁を襲う。というわけで、壇ノ浦百美と麻実麗がニッポン埼玉化計画→世界埼玉化計画を進行中、ということで終わる。
であるが、この話がとくに面白くないというか、割りとフツーな感じ。
埼玉県人が差別されている、度々見せられても飽きる、というか驚きがなくなる。埼玉名物の自虐ネタは、これは面白いけど、案外と数が少なかったかな。もっとたくさん、畳みかけてくれるとよかったのに。他にも、都内でも住んでいる地域で格差があるとか、群馬・茨城は秘境といいつつ、群馬はわりとフィーチャーされてるのに茨城は取手が言葉で登場するだけ。栃木なんてまるで無視されていて、なんだよ、な感じ。小ネタ好きななので、もっと地名とか地域をだしてdisってくれたら楽しいのに・・・。でもまあ、映画だから物語がないと、というのは分からんでもない。がしかし、ネタの連続でもよかったんじゃないのか? な気もしないでもない。
麻実麗の育ての親とか実父とか、それがどうした、な感じだしなあ。あと、都知事がどうの、という話ももっと短くていいよ。
とはいえ埼玉がdisられるのも、実は埼玉が大物で、内容がある県だからなんだよね。千葉をフィーチャーして『翔んで千葉』とやってもパワーはまるでない。まして群馬・千葉・茨城は主役になれっこない。それは分かる。東京にコンプレックスをもつ埼玉だからこそ、disるには最適なんだよな。神奈川も都会と田舎が混在していて構造的に埼玉と似てるけど、横浜とさいたま市じゃ格が違う。鎌倉、湘南もあって、とくに東京に対抗心を燃やす必要もないし。・・・というあたりがもっと描けたらよかったのにな、ということだ。
・壇ノ浦百美を二階堂ふみが演じてるんだけど、女じゃなくて男なのか。ひぇ。かなり無理筋だな。
・GACKT(麻実麗)と伊勢谷友介(阿久津翔)のキスシーンは、やっぱ気持ち悪い。
・埼玉県人を見破るのに、草加煎餅が踏み絵になったり。でも、「しらこばと」は知らなかったので、はあ? だった。
・埼玉vs千葉の戦いで、「yoshiki」に「高見沢」とか出身者で張り合い、「小島よしお」に「小倉優子」がでると「弱い・・・」と溜息が出たり。最後は「市原悦子 」の写真がが出て、「おお!」となるとか、アホらしくて楽しい。
ねことじいちゃん3/10シネ・リーブル池袋シアター2監督/岩合光昭脚本/坪田文
allcinemaのあらすじは「過疎化が進み、高齢者と猫ばかりとなった小さな島。70歳の元小学校校長・大吉は2年前に妻に先立たれ、今は飼い猫のタマと2人暮らし。毎朝、タマと一緒に散歩するのが日課で、目下の趣味は亡き妻が残したレシピノートづくり。一方のタマは近所の三毛猫ミーちゃんに夢中。大吉は幼なじみの巌やサチら気心の知れた友人たちに囲まれ、タマと一緒に変わることのないのんびりとした毎日を過ごしていた。そんなある日、若い女性・美智子が島にやってきておしゃれなカフェをオープンさせ、思いがけず島に新風が吹き込むのだったが…。」
Twitterへは「概ね退屈なのは串になる物語がなくて、手垢の付いたつまらんエピソードの羅列だから。中途半端で意味不明なネコ映像もジャマなだけ。もっと主人公の飼い猫の“タマ”に迫ればいいのに。あんな自由になるネコは、そうおらんだろうに。」
貫くストーリーがないのは見ていてつらい。たとえば大吉が長年あたためていた企画を成し遂げるためにあれこれするとか。それにからめて美智子が来島した理由、彼女の過去を少し掘り起こしてサブストーリーにするとか。そういう芯がないから、ただの散漫な103分。散漫で、どこかで見たことのあるようなエピソード、ギャグの羅列で、しかも話の回収をせずにほったらかし。だから、もやもやばかりがつのっていく。
そもそも、過疎化が進む小島といいながら高校があるという設定はどうなんだ? かりに1クラスの分校だとしても、人口が万はないとあり得ないだろ。しかも主人公は元高校教師? では大吉は島に生まれ都会の大学に行き地元の学校に赴任した? という設定はリアルと言えるのか?
クレジットに佐久島と見えたので調べたら愛知県で、知多半島の先にある。2013年の人口は271人。高齢者比率は2010年に49.8%だと。 もちろん高校はない。けど、郵便局員が企画したダンスホールに、若い女性(といっても30〜40歳)もたくさんいたぞ。そんなダンスに、フィーチャーされてるカップルの高校生しか登場しない。他の高校生、教師はどうしたの?
ついでにいうと、島の人がみんなで参加できることをしたい、と発案したのは郵便局員だろ? なのに、準備や当日に、彼が活躍していないのも不自然。さらについでに、看板の文字とか、会場入口の人形とか立派すぎるけど、誰がやったんだ? あと、ミラーボールも、美智子が借りたらしいけど、どこの誰から借りたんだ? と、ツッコミを入れたくなる。
大吉は、3年前に妻に先立たれ、猫のタマとくらしてる。70歳なのか。年金で十分暮らせるだろうけど、散歩しか趣味はないのかよ。息子は東京に家庭を持ち、でも妻の3回忌に嫁も孫もやって来ない。ひどい連中だな。その大吉が突然倒れた。心筋梗塞みたいに倒れて、病院で検査したら、なんでもないという。じゃあなんで倒れたんだよ。テキトー過ぎ。
父親が倒れて、息子が来てたけど、またまた嫁や娘は来ていない。というか、このときも息子は泊まらずに帰ったのか? 大吉が倒れ、タマはどうしてたのか? 誰も面倒みなかったの? ふだんは面倒見がいいような雰囲気だったのに。で、行方不明になったタマは3日後に戻ってきた、と。では、いなくなった理由は何なんだ? ちゃんとフォローしろよ。
・タマは、ずっと同じ猫がやってるみたい。CGでいじってる可能性は、あるのかな? とはいえ、役者になついて一緒に歩いたり、人になれている猫なんだろう。そのあたりは凄いなと思う。役者の演技の最中にも、人なつっこい猫どもがうろうろちょろちょろ小芝居をしてくれたりして、そのあたりもお見事だと思う。まあ、犬みたいに演技させることはできないだろうから。それを運まかせでなくできるのは素晴らしい。でも、その他の猫どもの、物語にからまない点描は要らんと思う。集中を欠くだけ。
・小林薫は漁師なのか? なのにまともに料理もできないのか?
・小さな漁港がある設定? そこに猫がうろついてるって、やだな。
・その小林が昔から思っていた婆さんが亡くなって、でも葬儀に島の仲間しかこないなんなんて変だろ。家族親戚はどうした。
・タマはメスのようだけど、子供は生まないのか?
・出不精だという婆さん。これが結構、うろうろ出歩いてるから変。その出不精婆さんといがみ合う小太り婆さんは、小林トシエなのか。
ウトヤ島、7月22日3/11ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/エリック・ポッペ脚本/シヴ・ラジェンドラム・エリアセン、アンナ・バヘ=ウィーグ
ノルウェー映画。原題は“Utoya 22.juli”。allcinemaのあらすじは「2011年7月22日、ウトヤ島でノルウェー労働党青年部のサマーキャンプが行われていた。そこでは政治に関心のある数百人の若者たちが思い思いに国の未来について語り合っていた。そんな中、首都オスロの政府庁舎前で爆破テロ事件が発生したとのニュースが飛び込んでくる。妹と一緒に参加していた少女カヤも、不安を感じながらもオスロから40キロ離れたウトヤ島とは関係ない出来事と考えていた。ところが突然、銃声が鳴り響き、人々がパニックに陥る。カヤも何が起こったのかわからないまま、仲間たちと森へ逃げ込む。やがて鳴り止まない銃声に恐怖を覚えながらも、離ればなれとなった妹を必死で捜し始めるカヤだったが…。」
Twitterへは「超〜長回しのせいでたひたびのカメラぶん回し。目がクラクラ。で、どこから弾が飛んでくるか分からん状況下で逃げ回る怖さ、がいまいちつたわってこず。とはいえ、自分がそこにいたら、と思うと卒倒しそうだけど。しかし警察は何してたんだ?」
冒頭の、政府庁舎爆破テロの映像など数カットを経て、主人公のカヤが母親に電話しているところから72分間ワンカット長回しでラストまで。最初の方はカメラぶん回しが多いし、対話してると首振りパンで目がまわる。一転、6人ぐらいで伏せて隠れてる場面は動きがほとんどなし。なんか、あんまり考えて撮ってないのではないのか? と思ってしまった。
基本的に、ほとんど犯人が映らない。後半、かな? というのを含めて数ヵ所で、遠景に姿が見えるだけ。犯人の存在は銃声でしか分からない。なので、緊張感とか怖さは、あまりつたわってこなくて、少しじれったい。犯人が何人で、どこにいるのか、も分からない。だから、逃げるといっても、どっちに逃げるべきなのか、も分からないので、青少年は右往左往しているだけ。だから、途中でカヤが木の陰で母に電話したり、周囲に注意を向けずに放心している様子を見ると、おい、危ないだろ! と気になって仕方がなかった。
あとから事件についてWikipediaで見たら、島では「ノルウェー労働党青年部の集会が行われ、10代の青年約700人が参加」していて、犯人は1人。なら、なんとか逃げられそうな気もするんだが、犠牲者は69人と1割に上る。事件通報後、警察が現地に到着するまでに約1時間かかったのも影響しただろう。
まあ、映画みたいにヒーローがいて、逃げてきたやつらから情報を仕入れ、相手を観察して冷静に対応、なんてことはムリなんだろうな。まあ、現場にいるわけじゃないから軽々しく言えるわけだが。それにしても・・・と、思ってしまう。
最初の方で、知り合いたちと6人ぐらいで伏せているとき、背の高い奴が「訓練かも知れない」とかあれこれ能書き言う割りに具体的に何もせず、女の子が警察に電話したら、そのスマホを奪い取ってあれこれ質問したり、やな性格。みなが「移動しよう」というと「それは危険だ」と言ったり協調性もないし。フィクションではあるけど聞き取りなんかもしてるんだろうから、こんなやつもいたんだろう。
カヤは妹を探すため仲間と別れるんだけど、妹は心配だろうけど、心配してる場合か、という気もしてしまう。自分に置きかえたら、ここは妹の無事を祈って自分が生きる、を選ぶだろう。だってテントの中に隠れている可能性は、多くないだろうし。この考えは、人非人かな?
カヤが、肩を撃たれた少女を見つけ、付き添ってやる場面も、考えてしまう。少女の、見捨てられる、という怖さは十分に分かる。でも、一緒にいたら、自分が撃たれるかも知れない。そう思ったら、自分にできるだろうか? と。まあ、少女は、出血多量でか、眠るように亡くなってしまうのだけれど。しかし、凄い体験だ。撃たれるかも知れない恐怖。被害者の銃創。見守る死。たまらん。
海岸にやって来て、でも切り立った崖で、裂け目にはすでに先客がいる。近寄ると「来るな。余地はない。見つかる」と邪魔者扱いされる。先客にしたらそうだろうけど、瀬戸際では博愛も親切心もなくなってしまうのだな。たまたま知り合いの男の子がいて、ムリに入り込めたけど、その知り合いがカヤを笑わせようと冗談を言うと、別の先客が「こんなときに冗談なんて言うな」と掃き捨てるように言う。そういうもんかな。もう、死の恐怖で、訳が分からなくなってるのかも知れない。
そのとき、10数人が追われるように水の中を駆けて逃げていく。別の先客はそれについていくが、カヤと知り合いは、そこに残る。うーむ。自分だったら、多数についていくかな。だって、犯人が迫ってる可能性が高い、と思えるから。と、しばらくして、ボートがやってくる。助けか。と思ったら、10数人が逃げてきた方向の彼方に男の影。銃声。カヤが背後から撃たれ、倒れる。男の子は、倒れたカヤに見向きもせずボートに向かう。乗り込む何人か。そのボートの中に、カヤが探していた妹の姿が・・・。
最後に主人公が死んで(多分)しまうという、思いもかけない終わり方で、意外な感じ。でも、この非情さがリアルに近いのかも知れない。
・どういう団体のキャンプなのか「?」だったけど、あらすじや公式HPに「労働党青年部」とあって、でも見てるこちらには分からんよな。だから最初の方で、政府庁舎爆破事件についてアルカイダがどうとか議論してたりしたのは、そのせいだったのか。イスラムテロ疑惑に苦い顔の青年は、アラブ顔だったから、移民かな。キャンプには小学生ぐらいの子もいたりして、党員とその家族、な感じなのかね。あるいは、子供のときから政治運動に関心がある国なのか。移民政策がどうのとも話していて、関心が高いのね、と。
・最後に「これはフィクションでドキュメンタリーではない」旨の字幕が出るけど、ドキュメントと思う人もなかにはいるのかね。
運び屋3/16109シネマズ木場シアター6監督/クリント・イーストウッド脚本/ニック・シェンク
原題は“The Mule”。ラバ、だそうだけど、調べたら「麻薬を密輸するために, 外国からの運び屋として雇われるしろうと旅行者」の意味があるらしい。allcinemaのあらすじは「退役軍人のアール・ストーンはデイリリーというユリの栽培に情熱を燃やし、園芸の世界では一目置かれる存在だったが、その代償として家族をないがしろにしてしまい、90歳になろうとする今は家族との間に埋めがたい溝を抱え、孤独な日々を送っていた。やがて農園の経営も行き詰まり途方暮れるアール。そんな時、“車の運転をするだけで大金がもらえる”という仕事を紹介される。最初は荷物の中身を知らずに運んでいたアールだったが、ほどなくそれが大量のドラッグであることに気づく。それでも90歳の老人が疑われることはほとんどなく、順調に仕事をこなしていくアールだったが…。」
Twitterへは「最高傑作、って広告してるけど、イーストウッドとしては並かな。まあ、エロじじいの話としてはなかなか楽しい。麻取の動きがもうちょいしっかり見えたらキレがでたかも。」
力の余り入ってない、フツーの娯楽映画で、ジジイの運び屋の話。メキシコ野郎に話を持ちかけられた時点で麻薬だろ、と思ったらその通りで。では、どういう終わり方をするのだろう? まあ、そのうちブツは見るよな。警察に止められたりしてバレそうになって、とか。組織に脅されて、とか。ラストはどうなるのかな? という想像は、だいたい当たっていて。とんでもない展開はなかった。とはいえ、それなりに引っぱってくれて、最後まで飽きずに見られた。とはいっても、おお! という驚きがあるわけでもなく、せいぜいが、家族を大切に、というメッセージなのかな、と。でも、何度も結婚離婚を繰り返して、子供もたくさんいるお前(イーストウッド)が言うな、という気もしないでもない。
小ネタがなかなか。黒人夫婦のパンクを直してやろうとして「ニグロのパンクを直してやろうとは・・・」に、夫婦が苦々しい顔で、「ブラックって言ってくれよ」と言ったりする。後半、組織の見張りがつくようになって、彼らと入ったダイナーが白人客ばかりのところにメキシカンだからジロジロ見られて、出ようとしたら白人警官に尋問されてあわてたり。まあ、このときアールは落ち着いて対処して、事なきを得るんだが。黒人差別がここかしこに残る南部の雰囲気が垣間見えて興味深い。
しかし、よく考えて見るとアールって男もひどい男で。家庭を放り出して花の栽培。でもネット時代までは予測できず事業は失敗。なので娘の家に行って借金を・・・な魂胆なんだよな(なぜに孫娘には慕われているのか、が疑問)。よくもまあ、な感じではある。なもんだから、ヒスパニック男に運び屋の仕事を打診され、ついつい深みに・・・。なんだけど、きっかけは無事故自慢だったっけか。だからって90歳の男に、そんなことを頼むか? な気もしないでもない。
で、一回やったら結構な札束が手に入り、やるたびに札束が厚くなる。運び賃はいくらなんだかとても気になってしまう。とはいえ、金が入るとすぐ使ってしまうのは性格なのかね。退役軍人ハウスが火事で焼けたからって、ポンって寄付しちゃったり。いいとこ見せたがりなんだな。
でも、運んでるのがヤクだと分かっても、やめない度胸はなんなんだ。やっぱ歳かね。
くそ度胸があるのは認めるけど。いろいろ、そういうシーンもあるし。
一方で、運び屋を探し出そうとする麻取の動きが並行して描かれるんだが。これがいまいち、見えない。むしろ、トンマに見えなくもない。なにトロトロやってんだ? な感じ。途中、組織に踏み込む場面もあったけど、あのガレージに、と思ったら別のガレージだったみたいね。
・何回目だったか、仲介屋を介さず直接取り引き場所に行ってしまって、戸惑わせるところがあった。あのくだりがよく分からなかった。で、以後は、仲介屋は要らなくなったのか? その辺りも、よく分からず。
・アールが、孫から元妻の危篤の電話を受ける。仕事中で、組織から、勝手に止まったりするな、といわれるようになっていて、ためらいつつも結局、見舞に行く。そして、死、葬儀。1週間以上、行方不明ということなんだが。あれ、スマホの位置情報をオンにしとけば一発なんじゃないのか?
・最後に妻や娘に許されるのは、「許されたい」というイーストウッドの願望なのかしら。
・ラスト。組織の見張り役が新ボスに相談すると、そのままアールに運ばせろ、ということだった。で、その会話が麻取に盗聴されていて。その後、アールのクルマが麻取に停められ、逮捕されてしまう。で、ここで思ったのは、以下の様な展開もあるかな、と。つまり、トランクを開けてみると、麻薬がない。麻薬は見張り役が取りだしていて、アールは逮捕されず、になる可能性もあるなと思ったのだ。けれど素直にアールは逮捕され、裁判では自ら有罪を主張し、収監。刑務所では園芸作業で花とふれ合う、という終わり方だった。意外性のない、当たり前のエンディングだな。
まあ、モデルがあるらしく。それはレオ・シャープという男で、80代後半まで運び屋をしていたらしい。旧軍人でデイリリーの栽培で知られていたけどネットに押されて低迷するようになったのは事実らしい。へー、な感じだけど、あえて変えずにやったのかもね。
まく子3/18テアトル新宿監督/鶴岡慧子脚本/鶴岡慧子
allcinemaのあらすじは「小さな温泉街で旅館“あかつき館”を営む両親と暮らす小学5年生のサトシ。自分の体の変化に戸惑い、女好きを隠そうともしない父を不潔と感じていた。そんなある日、サトシの前に美少女の転入生コズエが現われる。仲居として働き始めた母親と一緒にあかつき館に住み込むことになったコズエ。何でも撒き散らすなど、彼女の奇妙な言動に困惑しつつも、そんなコズエにどうしようもなく心惹かれてしまうサトシ。すると突然コズエは、“自分はある星から来た”と思いも寄らぬ秘密を打ち明けるのだったが…。」
Twitterへは「できそこないの童話みたいなSFで、ひたすら退屈。あんな大人びた小学生が近づいてきたら、フツーの男の子なら逃げるだろ。田舎の情景だけはよかったかな。」
温泉街の旅館に妙な親子。母親は住み込みの仲居で、娘がひとり。旅館には、同学年のサトシがいる。のだけれど、娘のコズエがとても小5には見えず。でかいし、顔も大人びて、違和感ありすぎ。動作もぎこちなく、宇宙人か、通ったらそうだった。でまあ、コズエに影響を受けながらの生活で、最後、母娘が帰っていくのを村の人々が見送る、というだけの話でとても退屈。
要はドラマがなさすぎ。あっても小さくて届いてこない。
宇宙人の星では人は死なない。そこに、なんだったか忘れたけど人口増殖が起こり、死が必要になった。そこで、死のある地球に観察に来た、とかいう話で。なにそれ? な感じ。
そもそもじゃあ、宇宙人の繁殖はどうするの? まったく死がないのか? 母娘の年は? 知識は? と思うと、コズエが子供ではないのはなんとなく分かるけど、ではすべては演技なのか? とか、あれこれ考えてしまう。
宇宙人娘の名前はコズエ。なのに、題名は『まく子』 。あれは、コズエが落ち葉を撒くから? でも、落ち葉をまくことの意味について、話してたっけ? 覚えてない。
最後の方で、コズエは、帰ったら「小さな永遠を、大きな永遠に」とか言ってたけど、どういう意味? 分からん。
母娘が帰るとき、クラスメートや村の一部がやってきたけど、彼らはコズエやその母から、どういう影響を受けたのだ? 何を得たのだ? 意味不明。
この話に、父親の浮気話と、放火娘の話がからむのだが。これまた中途半端でつまらない。夜中やってきた娘にサトシが詰問すると、奥さんと子供に謝りたい、というのだけれど。父親の浮気相手が夜中に家までやってくるか? で、サトシ、浮気相手、なぜかコズエと3人で、昼間に壊せなかった神輿を壊して焼くのだけれど、深夜から早朝の河原でそんなことして、怪しいだろ。しかもサトシは、夢精で汚れたパンツを洗ってた最中なので、上はパジャマ、下は新しいパンツという恰好。変だろ、これ。恥ずかしがれよ。女2人のどっちか、突っ込めよ。
実際の放火犯は、コズエが帰ったあとに分かる。亭主に愛想つかした母親が娘を連れて温泉宿へ。ここで働こうと決めるが、娘は反対。それでテキトーなところに放火? アホかな感じ。とってつけた感じすぎる。
あとは、迷い犬の話か。サトシが持ち主の同級生を思い出し、コズエと連れていくんだが、その同級生はコズエのことを知らない。なんで? 同級生は不登校かなんかなのか? さらに、その同級生は山にかかるハシゴや、光る宇宙船の絵を描いている。なのに、同級生とコズエとの間に、なにも起きない。あと、もうひとつ。この同級生の家に、学校の出口でマンガを読み聞かせる、ダメな大人が来ている。このダメ大人は、どういう存在なんだ? 引きこもり? 知恵遅れ? 自閉症? でも、同級生に学校の勉強を教えてると言ってたが・・・。少しは回収しろよ。
もちろん思春期の少年少女の話とみる見方もあるだろうけど、その手の映画はゴマンとあるし、そういうのと比べたらほとんど成功してない。だいたい、あんなエロい同級生がぴったりくっついて座ってきたり、年がら年中ついてきたり、話しかけてきたり。現実にあり得ないから、どこにも共感できない。サトシの夢精では、夢にコズエが登場してたけど、サトシが彼女に好意を抱いた様子も描けてない。だいたい宇宙人は死んだor死にかけた人間の身体に寄生してるわけで、じゃあサトシはカラダに勃起したのか、宇宙人にイカされたのか。どっちかもよく分からない。
・コズエ役の新音17、8の娘に見える。調べたら14歳らしいけど、それでも11歳には見えんよやっぱ。気味が悪い。
・コズエの母親役の つみきみほ をもっと映して欲しかったかも。
・舞台は四方温泉。山の道や城跡など、田舎の風景は絶妙で、なかなかいい。まあ、あまり活かされてないけど。
・サトシの服にNOTRE DAMEとかFACT & Lies CLEVER PERSONとか書いてあって。これは提供するブランドと関係あるんだろうけど、言葉の意味を考えて着せているのか? たんなる雰囲気で選んでるとしたら、ダメだろ、と思うんだが。
岬の兄妹3/18ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/片山慎三脚本/片山慎三
allcinemaのあらすじは「とある地方の港町。足に障碍を抱え、リストラされたばかりの兄・良夫は、自閉症の妹・真理子と2人暮らし。妹の失踪癖に手を焼いていた良夫だったが、ある日、夜になっても帰ってこなかった妹が、町の男に体を許し1万円をもらっていたことを知る。すると良夫は、罪の意識を持ちながらも生活のためにと、妹に売春をさせ、自ら客の斡旋を始めるのだったが…。」
Twitterへは「ウンコとマンコの聖なる物語。これでもか、これでもか、に徹底してる。ラストも意味深で、なかなかな感じ。とはいえ、障害者年金もらえないの? という疑問も。」
後からあらすじをみて、自閉症だったりの? という感じ。知恵遅れかと思ってた。『いろとりどりの親子』にも自閉症の少年がでてきてたけど、実は頭がよくて、でも意志を伝えることが困難だった、というような感じだった。それでイライラして、カラダで反抗してた感じ。でも、この映画はそんな感じでもないのだよな。
で、そんな妹真理子をひもで結わえてドアには鍵をかけて仕事に行く兄良男。でも逃げられて、探しても見つからず、夜になって電話があって行ってみると男のクルマに乗っていて。家に戻ると、妹のパンツに精子。1万円もらった、とヘラヘラして答える妹。これが最初かどうか分からないけど、性行為におおらかというのは自閉症にもあることなのか?
で、会社(漁船の修理?)をリストラされ収入の道が絶え、妹に売春させることを思いつく。という時点で、妹に障害者年金がでないのか? 良男の友だちに警官がいるんだから、そのぐらいの情報は教えてくれるのでは? さらに、あとから気づいたけど、生活保護申請だってあるし・・・。とか思うと、この話の全てが胡散臭く思えてくる。
北海道姉妹凍死のニュースを引き合いにして反論するTwitter投稿があった。この事例では妹が障害年金80万円を受け取っていて、別途、生活保護を申請したが区役所の担当員がのらくら断ったようだ。つまり、一定の収入はあって、生活保護にも頼ろうとしていた。この事例と『岬の兄妹』の場合は、決定的に違う。映画では障害年金をもらっていた様子はないし、生活保護にも頼ろうとしていなかった。これを、兄妹が知らなかった、周囲が知らせなかった、というなら、責められるべきは友人で警察官の肇であり、良夫を雇っていた社長であり、妹を診断した女医もいる。みな意図的に知らせなかったのか? このあたりをクリアにする話が盛り込まれていないと、やはり、映画のための過剰な演出ではないかと勘ぐってしまう。年金や生活保護についても登場させればいいのだ。そんなことをすると映画が弱くなる、とでもいうのだろうか。いやまて。『私は、ダニエル・ブレイク』は、役所を登場させ、窓口の冷淡さを告発し、なお感動的だったではないか。それをせず、これでもか、これでもかと、意図的に悲惨さを強調している手法は、この程度では障害者年金や生活保護はもらえない、とミスリードすることになると思うけどね。
・お客をとるのに、まずはトラック運転手に直接アタック。真理子が、ネックレスを外すのはやだ、と客に噛みつきトラブル。じゃあと繁華街に行って客を取ろうとしてヤクザにみつかりボコボコに。良夫が見ているところで真理子がヤクザ2人の相手をして2万円也。じゃあとカードをまいてデリバリー。これはそこそこ上手くいって。でも、ひのカードを警察官の肇がみつけて注意するも、良夫は無視。ってのは、おかしいよな。下っ端警官が手に入れてるぐらいなら、別の警官が問題化するんじゃないのか?
・高校生の一団が、カードを見て学校に呼び出し、道具入れの小屋で少年とお仕事。の間に、数人に良夫が襲われ、でも、自分のウンコを相手になすりつけて追い払う、の場面は笑った。けど、セックスした少年と他の連中との関係とか、よく分からず。それと、羽交い締めにされながらウンコが出せるか問題は、気になるところ。
・真理子が妊娠。良夫は、客のひとりの小人男のところへ行き、「結婚してくれ」と頼むのだが、「僕なら結婚すると思ったの?」と断られる。差別の構造は、障害者の中にも存在するんだよな。というか、すべての人間はそういう目で他人を見ているのだと思う。
・けっきょく堕胎。金は、肇からの借金だけじゃなくて、どうしたんだっけ? 忘れた。浜辺に、元の会社の社長がやってきて、良夫に、人が辞めたから復帰を」と頼むと、「全部お前のせいだ!」と捨て台詞。まあ、気持ちは分かるけど、中小企業の気持ちも分からないでもない。
・ラスト。またまた行方不明の真理子を探しに行く良夫は作業服なので職場復帰したのか。浜辺の、突き出た岩場の上にたたずむ真理子。これ以上行くところがない岬の先端で、聖女のように微笑む。少したじろぐ良夫。あれは、ともに自死するしかないという暗示か。
孤狼の血3/19ギンレイホール監督/白石和彌脚本/池上純哉
allcinemaのあらすじは「暴力団対策法成立直前の昭和63年。広島の地方都市、呉原。そこでは地場の暴力団“尾谷組”と、広島の巨大組織“五十子会”をバックに進出してきた新興組織“加古村組”が一触即発の状態で睨み合っていた。そんな中、呉原東署に赴任してきたエリート新人刑事の日岡秀一は、凄腕ながら暴力団との癒着など黒い噂が絶えないマル暴のベテラン刑事・大上章吾の下に配属される。すると赴任早々、加古村組系列のフロント企業の経理担当が失踪する事件が発生、暴力団絡みの殺人事件と睨んだ大上は、さっそく日岡を引き連れ捜査を開始するのだったが…。」
Twitterへは「臭いは『仁義なき戦い』だけど群像劇でなく暴力刑事vs暴力団。暴力刑事と若手刑事がペアなところは『トレーニング デイ』。最後にいろいろ分かるけど、それまでは案外一本調子。この手の映画で困るのは組織や人物関係なんだけど、これもやっぱり・・・。」
見終えてから公式HPの相関図を見て、ふーん、なるほどね。でも、見てるときに理解できないと意味ないよな。“いらこ”って、五十子会って書くのか。で、加古村組の上部組織ね。じゃ、五十子会には、他にいくつも組があるのか? あと、よく分からんのが祖国救済同名と五十子、加古村の関係というか、力関係だな。で、対する尾谷組って、上部組織はないのか? であと、物語の発端となる呉原金融は、五十子会のフロント企業? その呉原の社員を脅して金を巻き上げてたのは・・・たしか加古村の連中? いや、尾谷組? 尾谷組の連中が呉原の社員にたかり、社員は金が足りず、五十子会からくすねてきた? それに五十子会の会長が怒り、首をとってこいと命じ、加古村の連中がボコボコにしてついに殺した、でいいのか?
組同意の争いは『仁義なき戦い』っぽいけど、この映画、ヤクザの人物描写は薄いので、どれも駒にしか見えない。なので、前半の抗争部分は極めてフツー。意外性もなく、面白くない。やはり主人公は暴力刑事大上と新米刑事の日岡の方なんだろう。でも、ただの新米じゃなくて、県警からの命令で、大上の日記を探せ、と特命を帯びている、というのが途中で分かるんだけど。いっこうに探さないんだよな、日岡。大上の暴力性ばかり見せられて、日岡の存在もいまいちはっきりせず、せいぜい薬局のバツイチ女との関係ぐらいしか面白みがないの? と思ったら、彼女、途中からあまり登場しなくなっちゃうし。
でまあ、ちょっと面白くなるのは、大上がやりすぎて謹慎となって、画面から消えてから、なんだよね。祖国救済同盟の瀧井から、大上は実は大上は堅気のことをいちばんに考えていて、ヤクザは単なる駒、と言われたり。クラブのママ里佳子から大上の日記を渡され、大上が警察幹部の秘密をいろいろ握っていることを知らされたり、さらに大上が疑われていた殺人事件(里佳子の亭主を殺した相手に復讐したらしい)も実はやったのは里佳子で、もみ消したのは大上と知らされたりしてから(でも、じゃあ大上と里佳子の関係はなんだったの? という疑問が湧くし、その事実を新米刑事に告白するか? とは思うが)。やっと話が転がってきた。
それまで、なぜ大上が暴力団同士の抗争を阻止しようとしているのか、首をひねっていたのよね。組を壊滅させたきゃ、やらせりゃいいじゃん、って。それが実は、堅気のことを一番に思い、そのために抗争を阻止しようとしてた、と。分からんでもないけど、そのために暴力刑事になってヤクザに深く関わり、とかって、話としてムリくりな気もしないでもない。
で、謹慎中の大上の遺体が海から引き上げられたりして、ええっ? な感じ。謹慎中の大上は何してたんだ? というか、五十子会や加古村組が大上を殺す必要性はあったのか? 被害といえば、加古村組の、逃亡中の男がどっかの温泉でつかまったぐらいじゃなかったっけ? それと、大上を拷問したのが、呉原金融の社員を拷問したのと同じ養豚場って、おかしくないか?
そもそも、呉原金融の社員を殺す、という発端からして、いまいち話が腑に落ちない。五十子会の会頭は、なんでそんな命令を出したのかね。へんなの。
で、最後は日岡の復讐劇なんだが。五十子会の祝いの式典に、裏から尾谷組の一党を招き入れ、若頭の一之瀬に五十子を殺させる。一之瀬は若い者に自首させるが、それを無視して日岡は一之瀬を逮捕、ということにする。これで丸く収まるの?
・そもそも大上はなんで尾谷組に肩入れしてるの? 組長が服役中で立場が弱いから?
・クラブのママ里佳子の彼氏が尾谷組の若衆というのも、なんか変な感じ。
・日岡と薬局の女を結びつけたのは大上らしくて、日岡は女に「美人局?」と言っていたけど、ありゃどういうことだ。新米刑事に性の発散場所をあてがったということか?
サンセット3/22新宿武蔵野館3監督/ネメシュ・ラースロー脚本/ネメシュ・ラースロー、クララ・ロワイエ、マチュー・タボニエ
ハンガリー/フランス映画。原題は“Napszállta”。夕暮れ、のような意味なのか。英文タイトルは“Sunset”。allcinemaのあらすじは「1913年、オーストリア=ハンガリー帝国。ブダペストにある高級帽子店にやってきた若い女性イリスは、ここで働くのが夢だったと語る。しかしオーナーは迷惑顔。そこは、彼女が2歳の時に亡くなった両親が遺した店だったのだ。やがて、失踪している兄の消息を追い始めるイリス。一方、華やかな帽子店に隠された大きな闇も次第に浮かび上がってくるのだったが…。」
Twitterへは「謎で始まって、でも糸口はなかなか見えず。主人公のバストショットによる主観映像が延々とつづき、あれやこれや登場人物は多いけど、誰がなにやら・・・。入り込めず、ふっ、と寝てしまったよ。結局、謎は解明したのか? よく分かんない。」
バストショットの主観がつづく撮り方は『サウルの息子』に似てるなと思ったら、その監督だった。サウルみたいにカメラを目のように使うのではなく、こちらは主人公を正面からも撮っていて、でも、引きの絵はほとんどないので、場所がどこなのか、どう移動しているのか、時間はいつぐらいか、とかいう映像から得るような情報がほとんどない。
かつて両親の店だった帽子店に雇ってくれとやってきた娘。しかし現店主はやんわりと断る。「泊まっていきなさい」の誘いを断ると、近くのホテルまで店の者に送ってもらったはずが、いつのまにか店に戻ってきて、お針子の宿舎をあてがわれるが、夜中、暴漢に襲われる。翌日、かつて在籍してた学校(?)に行って、過去の情報を要求するが断られて、でも、校長のような女がそっと教えてくれる。兄がいたが伯爵を殺していまは行方不明、と。以降の流れは、もうよく覚えていない。
冒頭の、なぜ彼女の両親は? という謎の答が出るかと思ったら、それはほったらかしで、次はなりゆきで兄捜し。帽子店のお針子や、なんかよく分からん男が入れ替わり立ち替わり現れて接触してくる。帽子店への就職は断られたはずなのに、毎日のように帽子店に行き、30周年記念式典だの、国王(?)夫妻の相手をしたり、伯爵夫人と接触したり、兄らしき男と交錯したり、お針子仲間からウィーン行きのヒロインが決まったり、かつてウィーンに行ったお針子は死んだとかなんだとか、男しか入れない建物があったり、伯爵夫人の屋敷で暴漢が暴れたり(の後辺りで、少しうとうとした)、最後は帽子店を巻き込んで暴動になったり・・・。最後は、塹壕の中をゆっくりと進むと、奥にイリスがいて、こっちをじっと見ている。おしまい。
ああ、じれったい。なんだか分からん。謎をバラまいてているだけでほとんど回収しない。次々と登場する人物も、イリスとどういう関わりがあるのか、ちらっと言われたり言われなかったり。そもそも、両親が焼死した事件とはなんだったのか? 2歳のとき、養子か何かに出された先は、どこだったんだ? 兄は、随分年が離れているのか? 今のオーナーは、どうやって店を手に入れたんだ? とか、もう、なんだか分からん状態で、これでは瞼が落ちてくるのも仕方がない。
オーストリア・ハンガリー帝国に関する知識があれば理解できるのか? 第一次大戦前夜の、1900年代初頭のブタペストは、現在の東欧のイメージより華やかだったんだな、とかいう雰囲気はつたわってくるけど、ハンガリーが大戦でどちら側について、戦後どうなったのか、とか知らんので、まったくピンとこないのであった。
ポスターの写真、主人公がエマ・ワトソンみたいだったけど、違ったよ。ははは。
しかし、カメラが主人公の上半身と顔のアップを追う画像なので、周囲の様子があまりよく分からない。いまどこにいるのか、誰の屋敷か、時間の流れなんかも把握しにくい。この映画は、何日間のことを描いているのだ? 主人公は、前半と後半、2着しか衣装を変えてないけど…。
グリーンブック3/23109シネマズ木場シアター8監督/ピーター・ファレリー脚本/ニック・ヴァレロンガ、ブライアン・カリー、ピーター・ファレリー
原題は“Green Book”。allcinemaのあらすじは「1962年、アメリカ。ニューヨークの一流ナイトクラブで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無教養だが家族思いのイタリア系男。店の改修で仕事がなくなり、バイトを探していた彼のもとに運転手の仕事が舞い込む。雇い主はカーネギーホールに住む天才黒人ピアニスト、ドクター・シャーリー。黒人差別が色濃く残る南部での演奏ツアーを計画していて、腕っぷしの強い運転手兼ボディガードを求めていた。こうして2人は、黒人が利用できる施設を記した旅行ガイドブック“グリーンブック”を手に、どんな厄介事が待ち受けているか分からない南部へ向けて旅立つのだったが…。」
Twitterへは「相容れない同士の凸凹旅行は手垢がつきすぎてるけど、エピソードやセリフにムダがなくさすが脚本賞。ケンタッキーフライドチキン! 成長物語としても、お見事。カティサーク!」「舞台は1962年のアメリカ南部。マルコム・Xが1965年、キング牧師が1968年に暗殺される以前であることを考えると、いろいろ複雑な感じ。」
時代背景をみると、マルコム・X暗殺が1965年。キング牧師暗殺が1968年。それ以前の話だから、黒人差別は当然の時代だったわけで、その頃の話と考えるとしみじみと味わい深い。さらに、黒人シャーリーと対する白人はイタリア移民である。シャーリーのトリオの2人は白人だけど、たしか1人はドイツ系だった。差別される側にもヒエラルキーがあったということだ。
トリオのツアーが始まる前に、わりと長い時間をかけてトニーの人となり、家族、親戚一同を描いているのが効いている。家に来た黒人作業員の飲んだガラスコップをゴミ箱に捨てるトニー、それに気づいて拾う妻。大物の帽子をなくしたことにして、でもあとで見つけたことにして恩を売るような悪知恵の働くトニー。こういうエピソードで、トニーの輪郭がつたわってくる。
その後も、無人店舗で、落ちていた翡翠をくすねるトニー。それを指摘するトリオのメンバー。報告を受けて、戻させるシャーリー。あるいは、トニーが「ケンタッキー州に這入ったらフライドチキン」と奨めるが断り続けるシャーリーにムリやり食べさせ、でもその味にちょっと虜になったみたいなシャーリー。さりげなく面白く、人物を描いていく。お見事。
黒人は自分たちよりも下。ツアーの運転手は仕事として受けた。だから荷物をクルマに載せるのも拒否。というトニーが変わったのが、ツアーでの演奏を聴いてからかも。シャーリーは天才だ。なので、ある場所ではピアノがスタインウェイでないことに気づき、劇場のスタッフを殴ってまでスタインウェイをもってこさせたり。演奏家としてのシャーリーに、敬意が生まれてくる。
とはいえ演奏場所はほとんど南部。トリオを歓迎しつつ、でも白人用トイレは使わせないところもあったり、最後の公演場所では、そこのレストランでシャーリーだけ入店を断られる。トリオのメンバーやトニーはOKなのに! ここでやっとシャーリーの堪忍袋の緒が切れて、演奏拒否。2人でニューヨークへと帰路につくんだけど、雪の中、パトカーが近づいてくる。これには前振りがあって、土砂降りの中パトカーに停められ、「黒人の夜間外出は禁じられている」と因縁を付けられ・・・ この結果はどうなったんだっけ。あともう一件、白人男を買ったシャーリーが留置所に裸で留め置かれ、トニーが抵抗すると、警官に「お前も半分ニグロか」といわれ、殴ってしまうんだっけか。でも「権利だから」とシャーリーが電話すると、その相手はロバート・ケネディで、警官がおたおたし始めるという話もあった。なので、またしても警官か、となるわけだが。たんにパンクを指摘され、意地の悪い差別警官ばかりではないよ、と見せたりするところも憎い演出。
それと、バーで酔っ払って、白人客にからまれ、それを助けに行く場面があって。トニーは銃を隠し持ってる、というそぶりで上手く救出するんだが、これまた伏線になってるのだ。演奏を拒否し、たまたま入ったバー。ジャズが演奏されてて、じゃ俺もちょっと、って、幕間にピアノを弾くと大喝采。ジャムみたいになって、ノリノリで店を出、クルマに近づくと、トニーがいきなりぶっ放す。するとクルマの影からチンピラ白人2人があわてて逃げていくんだが、これは店の中で札束を見せたからで。でも、ここの肝は「なんだ、やっぱり銃は持ってたのか」という次第。
それともうひとつ、トニーが妻に宛てて書く手紙があった。それをシャーリーが代筆し、それがあまりに文学的なので留守宅では大評判。何のときか忘れたけど、一緒の部屋に泊まるようなことになったとき、「直してやる」「いや、コツが分かった」「どれどれ」という場面があって、妻のことを「お前は家のようだ」というような喩えで書いていて、シャーリーが、よく書けてる、って戻す場面など、じわりときた。
トニーが、おまえは上流階級の黒人じゃないか、と持ち上げると、シャーリーが、でも白人には受け入れられない、黒人からは離れている、俺はどっちなんだ! とクルマを降りて歩きはじめる場面があったりする。その葛藤に、トニーが理解を示すあたりもいい。その前だったか、綿花畑で働く黒人たちをさりげなく見せたりするのも効いている。いつのまにかトニーはシャーリーを「彼は俺のボス」と誰にでも言うようになったり、心から敬意を払うようになるのも自然に見せていく。
でまあ、ニューヨークへの運転中、トニーが眠くなってしまうと、シャーリーが変わって運転し、イブの夜にトニーの家に到着。トニーの誘いを断って自宅に戻ると、なんか淋しい。
トニーの家では、やっと帰ってきたと大騒ぎ。ここで、前半で質に入れた時計の話とか、その質屋の老夫婦がやってきたり(冗談で誘ったらほんとにやってきやがった、とだれかが言ってたけど)、のあとに、シャーリーがやってくる。いきなり黒人の訪問で、凍りつく一同。でねトニーが歓迎。親戚が「ニグロ?」というと、「ニグロって言うな」と言うまでに成長してるのも微笑ましい感じ。そして、妻がシャーリーにハグして「手紙ありがとう」というところで、目頭が熱くなってしまったよ。
・演奏を拒否してパブに入ったときの音楽が『ブルース・ブラザース』のに似てたのは、2人の恰好がそういう衣装だったからなのかな。
美人が婚活してみたら3/25ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/大九明子脚本/じろう
allcinemaのあらすじは「図らずも不倫が3回も続いてしまった美人のWEBデザイナー、タカコ。32歳になり、すっかり恋愛に疲れ果てた彼女は、恋愛ではなく結婚がしたいと思うようになる。そのまま勢いで婚活サイトに登録したタカコ。そして出会ったのは、お人好しのオクテ男子・園木。彼とデートを重ねる一方、シングルズバーで知り合った結婚に興味のないバツイチのイケメン歯科医・矢田部にも心惹かれていく。そんなタカコに、優しく見守ってきた親友のケイコも不安と苛立ちを募らせていくのだったが…。」
Twitterへは「バカ女の話だった。知的でイケメンのアイコンとして田中圭はありなのか? ホストにしか見えないんだが。」
「死にたい死にたい」と冒頭からタカコは鬱になっている。その理由がよく分からない。好きになった相手がいつも女房もちだから? だからって死ぬことはないし、だからってそれが結婚によって解消されるわけでもない。というように、この話はテキトーにできているので、真面目に関わるのはアホらしい気もしないでもない。
親友のケイコは既婚者で、でも子供はなく、どうも倦怠期らしい。あれこれ話し相手になっているんだけど、ケイコは34歳、タカコは32歳だったかな。どういう友だちなのだろう。タカコがデザイナーでケイコは元漫画家志望だったらしいから、もしかして美大? でも年が違うのはなんだろう?
で。結婚を前提にというので婚活サイトに登録すると、フォローと呼ぶのか知らんけどたくさん男からのアクセスがあって。何人か会うんだけど、みないまいち君というかオッサンばかりだったりするのはなんでなの? ただの設定?
監督の大九明子は『勝手にふるえてろ』の人で、あっちでは脚本も手がけてるのに、こっちは違う、というのはやっぱ、手抜きなのかね。知らんけど。
でまあ、ちょっとマシな顔だけどワイシャツがいつも出てる園木と何度か会ったりしつつ、ケイコに教えてもらった婚活バーに参加し、遊び人風の歯科医矢田部とも付き合い始めるんだが。真面目すぎて奥手だけど積極的な園木より、LINEも既読にしない矢田部にそそられて。どういう時だったか忘れたけど、矢田部からお誘いがあって、そそくさとバーへ。夜中まで飲んで別れたんだけど、でも、自宅住所をLINEで送り、その夜にベッドイン。わたしって、セックスがしたかったんだ・・・って、なんだよおい。

そもそも自分が美人であると自覚しているようで、ケイコに「だから美人は・・・」と話を振られても否定しないところを、「ちょっとは謙遜しろよ」と言われる始末なバカ女なんだよな。
そののち、ケイコから「矢田部の過去をネットで拾ったけど・・・」と情報提供されると逆上し、それがあってだったか、園木にも誘いをかけてホテルに呼び出すんだが、いざ、というとき「ごめんなさい」なのは、なんなんだ。この女。園木とはセックスしないのかよ。セックスしたくても、相手を選ぶという訳か。ふん。
で、あとはなんだかよく覚えてないんだが。あれこれ蘊蓄をたかったりしてたようなタカコだったかな。で、矢田部の診療所に別れの挨拶をしに行ったりして、最後に「私って、恋をしたかったんだ」って、じゃあまた不倫でもしたらいいさ、な感じだな。
冒頭、ハトに餌をやったのは、復興記念館のある横網町公園。矢田部に教えた自宅住所は西向島3-9-1 だったかな。地番の最後は間違ってるかも知れない。東向島の西なら鳩の町あたりのはずだけど、タカコの自宅マンションだか会社だかの下にある八百屋は、京島だろ、あれ。京島の原公園らしいのや下町人情キラキラ橘商店街も出てきてたし。しかし、いまどきの娘があんなところに住むか? まあいいけど。
あと、園木と会うのは上野のパンダ橋あたり。一緒に行く寿司屋も近くなのか。それにしても高そうな寿司屋で、ラスト近くではひとりでその寿司屋に行ってる。30そこそこで、あんなとこ行けるって・・・。そもそもケイコは上京組だけど、タカコもそうなのか、東京生まれなのか、どっちかね。
違和感を感じたのは寿司屋だけじゃなくて、矢田部と行くバーもそうかな。ああいうところ、とてもひとりで入れんだろ。いまどきの若い娘は行けるって? はあ、そーですか。
むしろ個人的には、真冬に白菜を漬けるケイコの方が惹かれるな。亭主と上手く行ってない理由は、きっと亭主の方にあるに違いない。と、思う。
ところで、冒頭、Webのデザインで悩んでいたのが、矢田部と出会ってからだったか、別のときだったか、浮かれて上司に見せたら褒められて。でも、デスクトップに映ってるTOP画面のデザインは、最初のときとほとんど同じだったぞ。
新宿タイガー3/25テアトル新宿監督/佐藤慶紀撮影・編集/佐藤慶紀
allcinemaの解説は「新宿で40年以上も虎のお面を被り、カラフルな衣装にいくつものぬいぐるみをぶら下げて新聞配達をしている男、新宿タイガー。1972年に、一生虎のお面を被り、新宿で生きていくと決意したという謎に満ちた新宿タイガーの映画と酒と女とロマンにあふれた日常と、知られざる人生を、新宿とタイガーを愛する様々な人々へのインタビューとともに見つめた感動の人物ドキュメンタリー。」
Twitterへは「シネマと美女とロマンと夢。LOVE&PEACE。いつもビール。心からのヨイショ。タイガーに神秘を求める向きは見ない方がいいかも。」「タイガーは何度か見かけてる。一度は武蔵野館のエレベーターの中で、2人きりになったことがあるよ。なにもしゃべらなかったけど、」
タイガーに密着して、普段の様子を描いていく。彼が新聞配達をしているのは知っていた。でも、いつも面を付けているのも知っている。何度か見かけたこともあるし。なので、そこは神秘的なイメージがあったんだけど、ある女優とどこかの店で飲み始めると、さっさと早々と面を取ってしまう。当たり前だけど、そこにはフツーのジイさんの顔があった。昭和23年生まれだったかな。とすると70歳前後か。そうか。そういう歳なのか。
最初の女優に、ぞっこん、な風な話し方をしてたタイガー。でも、以降、何人もの女優と飲んでいることが分かる。しかも、いつみ「君はサイコー!」って持ち上げるのが上手い。お世辞ではなく、心からそう言ってるようで、だから女はいい気分になるんだろうか。真似できないよ、そんなの。しかし、タイガーはいつも、ずっとビールばかり飲んでるね。
タイガーが映画好きなのも、最前列で見るのも知っている。残念ながら、映画館では遭遇したことがない。それにしても、見た後の感想が、それまた「最高傑作!」と持ち上げ方がハンパじゃない。あれも心から言ってる感じで、そういう人なのだな、と。いい観客だ。
で、少しだけ過去が暴かれる。23年生まれ(だったかな)、大東文化の学生時代、73年頃に神社でタイガーマスクの面と出会ってパフォーマンス、長野の大尽の出、タイガーマスクとは関係なし・・・。浅草で会った役者やってる友人だったかが、わりとよく知ってて話してくれていた。その程度で、住まいや家族(いるのかどうか知らんけど)については言及なし。まあ、そういうのも、触れなくてよかったかな、という気もしないではない。
とはいえ不思議なのは、どうやって女優や友だちをつくれているのか、ということ。毎日のようにゴールデン街にあの恰好で行ってると、できるの? いや、面を外したタイガーとしても、親しまれているような気がするよ。人徳なのかな。
だって、タイガーの話はよく聞き取れなかったりするし、しゃべってる内容もよく分からん。けど、それでも一目置かれてる。不思議なオッチャンだ。そう。仮面を外せば、人のいい、おしゃべりなオッチャンだったのだ。今度出くわしたら、「映画見ましたよ」と言ってみよう。
ヴィクトリア女王 最期の秘密3/26キネカ大森2監督/スティーヴン・フリアーズ脚本/リー・ホール
イギリス/アメリカ映画。原題は“Victoria & Abdul”。allcinemaのあらすじは「1887年、英領インド。アグラに住む若者アブドゥルは、ヴィクトリア女王の即位50周年記念式典で記念金貨“モハール”を献上する役目を仰せつかり、英国へと向かう。一方、18歳で即位してから、長年女王の座に君臨してきたヴィクトリアだったが、最愛の夫も信頼のおける側近ももはやおらず、孤独な日々を送っていた。そんな時、物怖じすることなく本音で語りかけてくるアブドゥルと出会い、興味を抱いたヴィクトリアは、祝典期間のあいだ彼を自らの従僕に起用するのだったが…。」
Twitterへは「ほぼ実話らしい。前半は意外な展開で興味がもてたけど、家族を呼び寄せてからテンション下がり気味。いまいち女王の孤独感とか逸脱がつたわってこず。周囲のあたふたぶりも、最後まで同じような感じで、工夫もないし…。」
イギリスとインドの関係を考えると、興味深い話だった。調べると、インドがイギリス領になったのは1858年だから、29年後が舞台。それ以前からセイロンやネパールを支配下に置いていたようだから、そういう流れだったんだろう。映画でも言及されていたけど、イギリスに対する反乱もあって、鎮圧されている様子。ふりかえって日本の韓国併合は1910年。1919年に三・一運動が起こっている。しかし、現在のインド・イギリス関係と、日本・韓国関係は随分違うような気もして、いささか複雑な感じ。なぜって、主人公のアブドゥルはムスリムで、反乱を起こした側なのに、女王にとても献身的なのだよね。この気持ちは、どっからくるんだろう?
さてと。あらすじの「孤独な日々を送っていた」というのが、あまりつたわってこなかったので、すり寄ってくるアブドゥルに女王が親しみを感じる、という流れがいまいち分からなかった。というか、なんで? という気持ちの方が高かった。このあたりが上手くいってたら、もう少し女王にシンパシー感じたも。
とはいえ、話し相手として女王に重用され、トントン拍子で出世(?)していく様子は、見ていて楽しい。というか、取り巻きの困惑が面白い。とはいえ、この取り巻きが、誰が誰やら分からないので、ちょっと物足りないかも。
この高揚感が収まるのは、アブドゥルが嫁と子供を呼び寄せてからかな。以降はアブドゥルの転落話になってしまって、うーむ、な感じ。女王もいささかの落胆で、でも、このあたりのツッコミもいまいちかも。ただの話し相手ではなく、ほのかな恋心が? と、もう少し匂わせてくれた方が楽しかったかな。
というわけで、最後は女王が亡くなり、それまでないがしろにされていた息子が突然威張りだし、アブドゥル一家は追い出されてしまう。しかし、アブドゥルを支援したのは女王以外いなかった、ということなのか? それにしても、この掌返しの扱いは、ひどいよな。と思うけど、そのリカバリーもなく、アブドゥルが1901年にアグラへ戻り、8年後(?)に亡くなった、と知らされるだけ。ちと、後半にドラマが少なすぎたかな。
女王とアブドゥルの交流は、そこそこ描かれてはいるんだけど、面白く仕立てられていない感じなのだ。もったいない。
ところで、アブドゥルなんだが、女王にタージマハールを褒めはじめたとき妙だな、と思った。 ウルドゥー語がイスラの言葉とは知らなかったけど、書いた文字は明らかにイスラム文字。で、やっぱりムスリムなのかよ。ちょっと驚き。
一緒にやって来た相棒もムスリムなの? あるいは、ムスリムとヒンドゥーとも仲よくできていた時代なのか。そもそも選ばれた理由は何なんだ? 背が高いから? 別に信仰は問わなかったのか?
その、背の低い同僚は気の毒。早くインドに帰りたかったのに、アブドゥルが女王に気に入られたせいで帰れず、イギリスで客死してしまった。帰してやればよかったのに。
最後の方。ムスリムは反乱を起こした連中、ということを知らされて「えっ」となる女王。あと、アブドゥルが淋病、という話もあったけど、あれはどうなったんだ?
マスカレード・ホテル3/26キネカ大森3監督/鈴木雅之脚本/岡田道尚
allcinemaのあらすじは「都内で不可解な3つの連続殺人事件が発生し、現場に残された暗号から次の犯行場所としてホテル・コルテシア東京が浮かび上がってくる。しかし犯人への手がかりは一切なく、警察はコルテシア東京での潜入捜査を決断、エリート刑事の新田浩介がホテルのフロントクラークを務めることに。そこで優秀な女性フロントクラークの山岸尚美が新田の教育係として就くが、そんな2人の前には“仮面”で素性を隠した怪しげな宿泊客が次から次へとやって来る。犯人逮捕のことしか頭にない新田と、あくまで“お客様第一”の尚美は、ことあるごとに衝突を繰り返してしまうのだったが…。」
Twitterへは「『有頂天ホテル』に単純なミステリーを重ねた話で目新しさいまいち。事件の方の説明描写が下手なので、経緯や解決の糸口も分かりにくい。そもそも木村拓哉ってセリフ廻しがアレなので、なにやってもキムタク本人だからなあ・・・。」
利用客に関するエピソードを積み重ねつつ、背後では刑事たちの潜入捜査も少しだけ追っていく、という展開。で、いくつかのエピソードが伏線になってはいるんだけど、なんとなく怪しい人物は分かってしまったりする。たとえば盲目の老婆は、下顎の輪郭で松たか子と分かってしまったので、後半で明かされてもあまり驚きがなかった。むしろ、カモフラージュとしてエピソードだけで終わってしまう客の大半が、二度と現れないのがもったいない感じ。みなさん有名どころを使っているというのに・・・。
客のエピソードがわかりやすいのに比べ、事件の方が頭の中に入らない。3つの事件の関係者名が黒板に書かれていても、ちっとも頭に入らない。ましてセリフで誰それ、と加害者や被害者に言及されても、なかなかピンとこない。まして、ホテルマン山岸の過去のエピソードや所轄刑事の能勢の話からのひらめきをあてはめ、現在進行中の事件にあてはめて少しずつ解明していく過程も、追いつくのにあたふた。もうちょっと図解なり過去映像をしつこく見せるなり、工夫すりゃいいのに。見てる方はボーッとしながらおいてきぼりだったりする。まあ、画面やセリフの全てをちゃんと記憶・理解できる人には関係ない不満だろうけど。
あと、人間関係でよく分からないことも結構あって。潜入捜査が始まる前までコンビを組んでいた本庁の新田と所轄の能勢との間には何があったんだ? なぜ新田は能勢を煙たがるんだ? 能勢が新田にしつこくからんでくる理由もよく分からない。それに、新田が「これは連続殺人じゃない」という判断を下し、それを能勢に話し、ところがその話がいつのまにか新田の上司の稲垣につたわっていて。つまりは能勢の裏切りらしいんだが、では能勢は稲垣とつながっているということだろ? じゃなんで正式に能勢を潜入捜査に参加させないんだ? とか。そもそも、煙たがっている能勢に、あれこれぺらぺらしゃべってしまう新田も、おかしいだろ。
そもそも、犯人が連続殺人に見せかけるために予告カードを置いている、というのも変な話で。予告じゃなくて、それらしいサインでも十分なはずだ。それに、殺しの手口も連絡して合わせろよ、と思う。でその予告は次の現場の座標軸のようだけど、あれに4を足すとかいってたけど、なんで4なの? 事件は全部で4つだから? だいたい、予告現場で事件を起こすなんて、バカげてるだろ。しかも犯人があんなんじゃ・・・。
いや、ホテルで部屋番号を教えてもらえず、宿泊も断られ、冷たい雨にうたれて病院行き(流産だったっけ?)になったから、とホテルの山岸を恨んで、だから殺すか? あ、ところで第1の殺人の被害者は、犯人の元彼なのか? よく覚えてないんだが。
刑事たちが、わりと有名どころを配しているのに、ほとんど“いるだけ”になっているのももったいない。もっと人間を描けばいいのに。これはホテルの方も同様で、おおむね記号になってしまっている。それと、ロビーでウロウロしている中に、同じ顔の男が頻繁に写るんだが。刑事としてはっきり紹介されないので、なんかもやもや。あれは刑事なんだろうけど、とても妙な感じ。
あとは、生瀬勝久のエピソードで、新田にしつこく絡んで嫌がらせするんだけど。あれ、前途を悲観して最後の宿泊にやってきたら、教育実習のときの生意気な生徒が立派なホテルマンになっていたので逆上したらしい。でも、30年近く前の、ちょっとしか関わっていない新田のことを、覚えていたりするものかね。ムリだろ。
あとは、ホテルが現実離れしてること。いくらなんでも、あんな具合に「お客様の言うことには逆らわない」ところはないだろ。部屋のグレードアップも、いきなりスイートへ、なんてないだろ。それに、どの部屋も豪華すぎ。あんなん一泊5〜10万ぐらいするんじゃないのか? あんなところを所轄刑事が自費で泊まったり、浮気に使ったり、思いつきでちょっと泊まったり、ないだろ。
最後に。クレジットに明石家さんま、とあったけど、どこにでてたの?
マダムのおかしな晩餐会3/28ギンレイホール監督/アマンダ・ステール脚本/アマンダ・ステール、マシュー・ロビンス
フランス映画。原題は“Madame”。allcinemaのあらすじは「アメリカからパリに移り住んだアンとボブは、セレブな友人たちを招いて豪華なパーティを開くことに。ところが手違いで出席者の数が13人となってしまう。不吉な数字に慌てたアンは、スペイン人メイドのマリアを“ミステリアスなレディ”に仕立て上げて席に座らせる。大人しくしているようにときつく言い聞かせたアンだったが、緊張したマリアはワインを飲み過ぎて下品なジョークを連発。ところが、それが大ウケですっかりマリアはパーティの主役に。あろうことか英国紳士のハートを掴んでしまう。相手は大事な取引相手で、今更正体を明かすわけにもいかず、忠告を無視して恋に突き進むマリアに苛立ちを募らせるアンだったが…。」
Twitterへは「原題は“Madame”。晩餐会の会話劇かと思ったらさにあらず。いつのまにかコメディリリーフだったメイドが主人公になっていく。人物の交通整理があまり上手くないので、個々のエピソードもちょっと中途半端な気もしないでもないかな。」
晩餐会のシーンは1/4にも満たないかな。さっさと終わってしまう。91分の映画なので、さてどうなるのと思っていたら、その後はメンバーの不倫話とかそんなの。な、なかで、メイドのマリアと画商?男との恋物語がどんどん横道に逸れていって。マダムの話より、メイドの話の方がメインなんじゃないの? ラストだってメイドのアップで終わるんだし。なので、題名が『Madam』ってのは変なの。
冒頭はマダムのアンと亭主ボブのサイクリングの様子。何かの象徴か? でも、たいして意味がないような気がするんだが。で、料理の準備をするメイドたちと、それを見守るアン・・・。やってくるお客。そこにやってくるのが招かれざる客の先妻の息子。「13人だ」といって、メイドのひとりを客に扮してまぎれ込ませる、という流れ。でも、不吉だから、とは言ってなくて、ちょっと分かりにくい。
さらに、13人の参加者がちゃんと紹介されているとは言えなくて、アン、ボブ、先妻の息子はいいとして、画商、水泳してた夫婦、ロンドン市長とオカマの彼氏、ピアノ少年と師匠、フランス語教師・・・あと誰がいたっけ? な感じで、晩餐会もいまいち混沌。しかも、この後の話にからんでくるのは、アン、ボブ、先妻の息子、画商、水泳してた夫婦、フランス語教師、そしてマリアだけなので、他はほとんど意味がない。なんか、もうちょい人物の描き方があったんじゃないのかね。
というわけで、晩餐会の会話もいまいちピンとこず、面白かったのは、「あんまり話すな」と言われているのにぺらぺらしゃべりまくるマリアなんだよね。
以降は、マリアを王家の血筋と思い込んだ画商がマリアにぞっこんで、それを知りつつ知らせないアンとボブ。アンは水泳夫婦の旦那と不倫? ボブはフランス語教師と不倫? そして、小説家で、なかなか自作が書けない先妻の息子の話、という流れ。しかも、マリアと画商の話は念入りだけど、他は表面的にあっさりと、なのでいまいちどーでもいい感じ。だからどうしてもマリアと画商の恋物語を見てしまうわけだ。だったら、題名も「メイド」にすりゃいいのにね。
それはさておき、欧州における人種格差が濃厚で、そこが面白かった。メイドは3人いて、マリアはスペイン人、他にフィリピン人と、あとは分からないけど白人。アンとボブはアメリカ人か。ロンドン市長だからイギリス人。そして、何人かのフランス人。米、英、仏はイコールで、マリアは移民なのでメイドをやっている。フランスの隣国なのに・・・。じつはマリアも晩餐会に参加するのは嫌で、別のメイドを、というのだが、アンは「フィリピン人を出席させるわけにいかないでしょ! と一蹴される。フランスでは、スペイン人やフィリピン人のメイドが多いのかね。そういえば、市ヶ谷あたりで乳母車押してるの、フィリピン人らしいのが多いけど、旧日仏会館があるからからか。
財政が火の車のボブ。自慢のカラバッジョを売ってなんとかしのごう、とするのだけれど、真贋が判明しないとまともに売れない。なので、画商に「実はマリアはメイド」と話せない。でも新作と分かって、アンは画商に事実を告げるのだけど、画商のためというより、調子に乗ってるマリアを凹まそう、の方が大きいかも。
そしたらなんと、画商はきっぱりマリアと縁を絶つ、というのももの凄い。その後、アンの家に画商がやってきて、マリアがお茶をもってくる場面があるんだけど、一瞥もしない。あんだけマリアにご執心だったのに・・・。やっぱ、家柄に惚れていたのか?
あと、よく分からんのが、先妻の息子で。彼が何でうろちょろするのかね。実母は元気でいるというのに。ところで彼が書くのは、家族のあれこれを描く私小説らしい。その彼に、画商が、「いま連載してるのは、どうなるんだ?」と聞くのだが、内容はおそらく画商とマリアの恋物語のはず。「さあ」という彼に、画商が「かつてつき合った相手が、物語はハッピーエンドじゃなきゃダメ、っていってたぞ」と言うのだけれど、あれは自己反省なのか、なんなのかね。
ところで、トニ・コレットが素っ裸で泳ぐ場面があるんだが、あれ、意味ないよな。

 
 

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