2019年4月

ザ・プレイス 運命の交差点4/10ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/パオロ・ジェノヴェーゼ脚本/パオロ・ジェノヴェーゼ、イザベル・アギラル
イタリア映画。原題は“The Place”。allcinemaのあらすじは「ローマにあるカフェ“ザ・プレイス”。そこに分厚い手帳を手にした謎の男が居座り続けていた。男のもとには、入れ代わり立ち代わり訪問者がやって来る。男はどんな願いでも叶えることができるという。ただし、そのためには男が与える課題を遂行しなければならなかった。ところがその課題は、息子を癌の病気から救いたいと願う父親には見ず知らずの少女を殺せ、アルツハイマーの夫を助けたいという老婦人には人が集まる場所に爆弾を仕掛けろ、視力を取り戻したいという盲目の男には女を犯せ、といったあまりにも支離滅裂で非情な無理難題ばかりだったのだが…。」
Twitterへは「町内のお稲荷さんに、人々が入れ替わり立ち替わり願掛けにやってくる話だった。」
アメリカのTV映画のリメイクなんだと。ふーん。監督は『おとなの事情』の人らしい。皮肉が込められてるのは似てるかな。
荒唐無稽なところが多く、リアリティはない。自分の願望を達成させるため、人を殺すとか、そんな課題を実行するやつはおらんだろ。フツーは自己犠牲を引き替えにするはずだ。なので、なにかの喩えではないか、と思いつつ見ていた。つまり、謎の男は実際には存在せず、彼は依頼人の心のなかの何か、ではないか。神社に願掛けするのと似てる、と思った次第。願掛けに課題は出ないけど、おみくじなんかは、なになにすれば叶う、なんて出てくるときもあるし。あんな感じ?
そういえば、冒頭でおみくじとか願い事とか依頼とか、そんなような言葉が語られていたかな。すっかり忘れている。冒頭の10分間だけ見直したくても、それができないからな、いまの映画館は。
自己犠牲の代償としての利益はよくある。でも、それを悪事と引き替えるのは、すべての人の心の片隅にある欲望、悪魔の囁きなのかね。達成したとしても後悔ばかりが残るはず。エピソードの多くは後悔しないようになっているけど、そうでもない話もあるし、依頼人が死んでしまうものもある。だから、単純に教訓話とも言い切れない。見終えてもすっきりしないのは、そのあたりの曖昧さが原因かも、
爆弾でどこかを爆破させれば老夫のアルツが直る、なんて言われても、フツーしないよな。この話は、すぐに萎えた。息子のガンを治すため、無関係の少女を殺せ?  そんなことするフツー?  これも共感しにくい。
とはいえ、依頼人同士が父と息子だったり、神を信じたいという修道女には「妊娠しろ」、視力を得たいという盲目の男に女を「犯せ」といったり、依頼人同士のつながりもあるけど、その顛末もなんだか、ストンと落ちなかったりする。まあ、あえてそうしてるのかも知れないけど。そんな話が多い。
最後、疲れ果てた謎の女に、カフェの女給がアプローチ。女給が男のノートを奪い、男の悩み相談? てな感じになって。では、これから二人は一夜を? 次のシーンでは、依頼人についてのメモが灰皿で燃えているんだけど、あの依頼は謎の男のものか? じゃあ、女給も、神の国から派遣された八百万の神のうちの一人? まあ、これはイタリア映画だけどね。
・修道女はセックスしたようだ。で、相手は盲人男? 盲人男は男に「次の別の女と」とか言ってたような気がするんだけど。セックスしたけど妊娠してないのに、なぜ修道女は「神を感じることができるようになった」のか。よく分からない。盲人男は「した」と荒れて話してたけど・・・。うーむ。よく分からない。
・ババアが完成した爆弾をもってきて、謎の男に「あんたの居るこのカフェに仕掛けるわ」と脅しつつ、結局もち帰ってしまう。まあ、よくあるアイロニーな感じ。
隣家の亭主にちょっかい出す女の依頼がよく分からなかったんだけど、「夫の関心を引きたい」だったのか。ふーん。そんなことのために? 最後は亭主のDVで殺されるって、どういう話なんだ。しかも、彼女の出した被害届をもみ消せ、という課題を警官に出している。その警官は、息子に嫌われていて、息子の力になりたくてもみ消し、それを悔いて自首・・・。
息子を救いたいヒゲ男に、少女を殺せと課題を出す。一方でモデルの女と一夜を過ごしたいという老人に、少女を守れ、と命じる。老人は、守るを超えて少女を誘拐し、それに気づいたヒゲ男は老人を刺してしまう。
どれも、何の解決にもなってないよなあ。やっぱり、すっきりしない話だ。
蜘蛛の巣を払う女4/11キネカ大森1監督/フェデ・アルバレス脚本/ジェイ・バス、フェデ・アルバレス、スティーヴン・ナイト
原題は“The Girl in the Spider's Web”。allcinemaのあらすじは「冬のストックホルム。背中に大きなドラゴン・タトゥーの天才ハッカー、リスベット・サランデルのもとに、人工知能(AI)研究の世界的権威であるフランス・バルデル博士から、ある依頼が舞い込む。それは、彼が開発した核攻撃プログラムを、アメリカのNSA(国家安全保障局)から取り戻してほしいというものだった。リスベットにとっては、決して難しいミッションとは思えなかった。ところがそんなリスベットの前に、彼女の過去が思いもよらぬ形で大きく立ちはだかってくるのだったが…。」
Twitterへは「面白い。けど、つながりがご都合主義すぎ。展開は分かりやすい。なので、考えるところが少ない。ヒロインの魅力がいまいちで、ミカエルは脇役過ぎ。それにしても、位置情報システムが活躍しすぎ。」「本日のキネカ大森。もぎりさん(片桐はいり)に、もぎってもらった。何度目かな。」
翌日、『ブレス しあわせの呼吸』を見終えてから、そういえば・・・。と、この映画のリスベット役クレア・フォイを思い出して、えらい印象が違うな、と思った。けど、『ブレス』の方で超絶美人役とされてるけど、さほどでもないんじゃないの? と思ったのは、当たりなのかな。ちょっとへちゃむくれだと思うな。ルーニー・マーラのリスベットは美しさが消せてなかったし。
で、話は分かりやすくて戸惑うこともなくどんどん進むんだけど、すべてのつながりがご都合主義過ぎて、なんだかな、というところがつづく。だけど、ま、映画だからな、と思えば、まあいいか、な感じ。とはいえ、あれはどうやったんだ? というところは数知れず。
・どんなルートでリスベットに仕事を依頼するんだ?
・身分証明とか資金の管理、引き出し、免許の更新とか、どうやってるんだ?
・敵に捕まるというトンマを3度もするリスベット・・・。
・位置情報システムで現在地がバレバレな敵味方。まあ、それを利用してる場面もあったけど。その、リスベットのレズ相手の娼婦が、NSAの黒人だったか誰だったかに連絡用の携帯を渡し、男が連絡すると場所が確定。でも行ってみたら、まったく違う場所、という場面。あれ、よく分からなかった。どうやったんだ?
・住まいを爆破されてホテル住まい? ののち、博士の家の近くに部屋を借りたのか? あれ、ホテル? 随分立派だったけど。かと思うと、後半では、廃墟みたいなアジトが登場したり。不動産関係はどうなってるんだ?
とか、ツッコミどころが多い。
住まいを爆破され、バイクで逃げるリスベット。パトカーに追われ、そのまま海に・・・と思ったら海面が凍っててそのまま突っ走るというのは、笑っちゃった。
蜘蛛のタトゥーの話は、スウェーデン版で見たような気がするんだけど、どこかのパートのリメイクか? あるいは記憶違いかも知れんが。
ブレス しあわせの呼吸4/12ギンレイホール監督/アンディ・サーキス脚本/ウィリアム・ニコルソン
原題は“Breathe”。allcinemaのあらすじは「1958年、28歳のロビン・カヴェンディッシュは、出張先のナイロビでポリオに感染し、首から下が全身マヒとなり、人工呼吸器なしでは息もできくなってしまう。それは、美しい妻ダイアナと結婚してまだ間もないときだった。医師からは余命数ヵ月と宣告され、絶望に打ちひしがれるロビンは、生まれてきた息子ジョナサンを見ることさえ拒んでしまった。それでもダイアナは献身的に夫を支え、彼の望みを叶えるべく、医師の強い反対にもかかわらずロビンを自宅で看病しようと決意する。それはあまりにも危険で無謀なことに思われたが、その決断がやがてロビンの運命を大きく変えていく。」
Twitterへは「尊敬に値する人々の実話。よくもまあ、な人たちがいたものだ。鉄の肺からの解放は、ここからだったのかな。昨日見た『蜘蛛の巣を払う女』のクレア・フォイが、美人妻を演じてるのも不思議な感じ。」
どういう内容かまったく知らずにみた。もしかして音楽映画? とか。冒頭からしばらくはドラマもなく人物紹介で、それが長いので退屈してたら突然ロビンが病気に。なるほど。呼吸補助装置の話だから「ブレス」なのか。もうちょっと気の利いたタイトルにすればいいのに。
で、要は、人工呼吸器は手放せないけれど、病院に拘束されるのではない生活を目指した夫妻の話で、なかなか感動的だった。まずは、病院の反対を振り切り、自宅に呼吸器をもちこむ。ベッドから車椅子に。車椅子に呼吸器をつなぎ、外へ。車椅子と呼吸器を一体化し、さらに自由に! 既成の考えを軽々と乗り越えていく。この経緯が、ひとつの成長物語になっていて、爽快そのもの。もちろん犬がコンセントを抜いてしまったり、呼吸器の故障で手動に頼らざるを得なかったり(しかも、海外旅行中に! なので、修理担当者をアメリカから呼び寄せた)、トラブルつづきだけど、それもクリアし、さらにいいモノを造っていく。
驚いたのはドイツの学会みたいなところに行った時のことで、当地の医師たちが自慢する病室は、カプセルホテルのように何段にも鉄の肺が並び、顔はガラスの反射でしか確認できない。そこに、呼吸器を仕込んだ車椅子で乗り込み、医師たちを驚かせる。さらに学会発表の場にも参加し、壇上でスピーチ。「そんなバカな」とタカをくくっていた参加者も、最後は立ち上がって拍手、というのも、やったね、な感じだ。しかし、医療関係の情報は、1970年代ぐらいでも、あんまりつたわっていかなかったのかね。呼吸器内臓の車椅子開発・販売にも、いろいろ手続き上の壁があったようだし・・・。
しかし、それにしても、奥さんの献身的な行動あってだな。よくもまあ。素晴らしすぎる。というか、少し気の毒な気もしないでもない。けど、本人が満足ならそれでいいんだけど。ところで気になるのは、性機能なんだけど、どうなのかな。
他にも、奥さんの双子の兄たち、あれこれ発明してくれるテディ、というところが協力者か。双子の兄も、あれこれ面倒みてくれて、素晴らしい。テディについては、もう少しどういう存在なのか描いてくれてもよかったかな、な感じ。その他にも、要所でサポートしているらしい人物が登場するんだけど、まともに紹介されないので、これがもったいない。ちゃんと描けばもっと面白くなったと思うんだけど。
奥さん関係の協力者がたくさんいるようないっぽうで、よく分からないのがロビンの家族。映画に登場してたのかどうか、よく分からないけど、事情があったのかね。
最後は、肺からの出血がつづき、既知の医師に頼んで生命を絶つ。あれは尊厳死なのだろう。当時は許されていたのか、どうなのか、よく分からないけど。
・その時の年齢が分からないので、何歳で亡くなったのかな? とか、考えながらだった。HPには「28歳で余命数ヶ月と宣告されて36年」とあったので、64歳ぐらいまで生きたのか。亡くなったのは50歳ぐらいかと思ってたよ。
・お別れパーディ(?)のときだったか、ロビンの横にいたデブがコケる場面があるんだけど、あれ、意味ないよな。
パッドマン 5億人の女性を救った男4/15ギンレイホール監督/R・バールキ脚本/R・バールキ
インド映画だけどソニー・コロンビア製作のようだ。原題は“Padman”。allcinemaのあらすじは「インドの小さな村で新婚生活を送るラクシュミは、妻が高価な生理用ナプキンを買えずに苦労していることを知り、自ら清潔で安価なナプキン作りに乗り出す。しかし、男性が生理について語ること自体がはばかられるインドで、ナプキンの研究に勤しむラクシュミは、村人から奇異な目で見られ、ついには村を追い出されてしまう。それでも情熱を失わず、ナプキン作りに邁進するラクシュミだったが…。」
Twitterへは「面白くて楽しくて感動的で考えさせられるところもたくさん。しかし、有名になると、すり寄ってくるのね。」
事実に基づいているけど、人物のキャラ設定は変えている、と冒頭に出てくる。では、開発の流れは、どこまで脚色されているのか知りたいところ。
考えさせられるのは、非科学的な慣習、信仰上のタブーのようなものを打ち破るのは大変だ、ということ。生理の話を家庭でするだけで変態扱い。母親や女房までもが非協力的というのは、絶望的。女房、近所の娘、女子医大の学生・・・。ついに、自分でパンティを穿き、ヤギの血を注いで自ら試す、も失敗して家族に見放され、ついには女房と別居。新天地で一人住まいから再出発、というところまでが前半でインターミッション。このパートは、主人公ラクシュミの孤軍奮闘だけど、つまりは無知の状態でぐるぐるしていて、映画的にはお笑い部分かも。
これ、話のはじまりは2001年前後のはず。その時点で、インドでは生理用品がぼろ布で、それで命を落とす人もいたという。行政にも責任あるよな。まあ、行政の指導も、慣習には勝てなかったのかも知れんが。で、前半は市販の高いナプキンを見て、綿と布で見まねで作って失敗の連続。後半になってやっと市販品の素材に気づき、調べてもらったらセルロース。その知識を得ようと大学に行くも守衛に阻まれ、じゃあと教授の家のメイド役になり、でも教授と話す時間もなくて、そしたら息子がネットで調べてくれて、セルロースをサンプル注文。送られてきたのはただの板っ切れで失望してたら犬がひっかいて繊維化して・・・。教授は「この機械を買え」と調べてくれるけどとても高価。じゃあ、と、その連続加工機械の作業を廉価でできる機械をつくる・・・。という知識の習得と創意工夫。さらに、たまたま出会ったタブラ奏者(?)のパリーとの出会い。そのパリーが薦めてくれたコンテストへの参加、さらに、手販売、販売員をふやし、その販売員が地域の事業者となり、ラクシュミは機械を販売する、というサクセスストーリーは、努力に知恵がプラスされた感じで見ていて高揚感。まあ要は、生理用品を扱うのは女性でないとダメだった、ということでもあるんだけど。
「パッドマン」という題名から、いったい何をした人物なのか? という疑問はあったけど、新発明ではなく、製造機械の低価格化を実現し、その機械によるフランチャイズ化を推進した、ということなのだな。とはいえそれで国連に呼ばれて話すことになるんだけど、いつのまにか片言の英語が話せるようになっていて、通訳を介さず勢いの英語で観衆の心までつかんでしまう。ここは、なかなかの感動シーン。
でもって、一緒に行動している内に、なんとなくロマンス話になっていく様子もいい感じ。2人は、どうなっていくんだろ。ラクシュミは別居中の身だけど、パリーは彼に気があるみたい・・・。気を揉ますけど、最後は妻にもとに行くというのも、まあ、インド的な行動なんだろうか。個人的には、パリーと一緒になってくれた方がよかったような気がするんだが。とはいえ、まあ、パリーは映画的演出の人物なんだろうな、とか。
全編通して、ラクシュミの純朴、だけど、一徹な思いがあふれでていて、がんばれ! と言ってしまいそう。
大学のコンテストで1位になって、新聞に掲載されると知人が大騒ぎ。でも、それが生理用品と分かると手のひら返し。でも、国連に呼ばれ、テレビで放映されると地元でも騒ぎになり、今度はそれが生理用品と分かっても、賞賛は変わらず。というところが、なんだかな、な気もしないでもない。なんで最初から理解してやらないんだ! とね。でもまあ、困難なプロセスだったけど、貫徹する意志の強さには脱帽だよ。素晴らしい。
・同じ鉄工所の、ダメな若い作業員が、いい存在感。
・友人で、肉屋の店員がいいキャラしてる。
・シャツの裾をズボンの中に入れるのは妻の役割なのか? 妻ガヤトリが、テレビに映るラクシュミのシャツを見て、女がいる! と直感するくだりは伏線がよく効いている。
・インド映画の男優は、いつも結構なおっさん。
・パリー役のソーナム・カプールはなかなかの美人。妻役のラーディカー・アープテーは、どこか赤江珠緒似。
・エンディングソングで、スーパーヒーローがスッパリヒーローに聞こえる楽しさ。
こどもしょくどう4/16ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/日向寺太郎脚本/足立紳、山口智之
allcinemaのあらすじは「小学5年生のユウトとタカシは幼なじみの親友同士。しかし母子家庭のタカシは母親の育児放棄に遭っていて、食堂を営むユウトの両親は、そんなタカシを心配して頻繁に夕食をふるまっていた。ある日、ユウトとタカシは河原で父親と車中生活をしている姉妹に出会う。やがて姉妹を不憫に思ったユウトは、2人にも食事を出してほしいと両親に願い出る。姉のミチルは遠慮がちだったが、幼い妹は素直に喜んでいた。その数日後、姉妹の父親は行方をくらまし、行き場をなくしてしまう姉妹だったが…。」
Twitterへは「素材がよくても料理が下手だとこうなる見本。同じような場面が何度もぐるぐる繰り返され話が進まず、じれったい。無言の子どもはブキミ。しかも子ども食堂の話は最後の2分ぐらい。もっとやりようはあるだろうに。鈴木梨央の存在感はなかなか。」「この映画にもいじめる側がたくさんでてくるんだけど、彼らを主人公にした映画ってほとんど見ない。そういう映画はできないのかね。仲間の一人が自分のしてることに気づいて抜けようとするが的なんじゃなく、徹底的にいじめる側、それを正当化する親たちを描くような話。」「エンドロールに亜湖と宮下順子がいたけど、気づかず。店の客かな。」
子ども食堂にがんばる人々の話かと思ったら、93分の大半が親に捨てられた姉妹の悲惨な様子をだらだら映すだけだった。最後に、ぶら下がりのように数分だけ「小学生以下無料」と貼り紙のある様子が描かれる。その費用は食堂の店主が自腹で? それとも、お客のボランティア? まあ、哀しき姉妹を知り、子どもに無料でご飯を食べされるきっかけが、ここにあった、と言いたいんだろうけど、ドラマがなさ過ぎる。
タカシの不幸に手を差し伸べている食堂夫婦。なのに、姉妹の悲惨を見てなかなか動かないのがイラつく。息子ユウトに「クルマに住んでる」と聞かされたら、さっさとそこへ行って状況確認したらいいだろう。その後も、ご飯を食べにきたり、泊まったりもしている。なのに、夫婦は「おせっかいはするな」「なにかしてあげなくちゃ」と言い合っている。そういう場面が何度もつづいて、ぜんぜん前に進まない。結局、中学生らにクルマが壊され、そこにパトカーが来て、警官に事情を聞かれ、児童相談所の人が連れていく、というまで、ほったらかし。そのほったらかしを何度もくどく見せて同情を集めようという脚本がダメすぎる。
父親までもいなくなり、耳をふさぐミチル。雨中さまようミチル、心の不安定を表現しようとしてるんだろうけど、これもいまいちつたわらん。さっさと警察に行け。もちろん小学生にはムリ、という見方もあるだろうけど。いや、そんなことはない、という見方もあるだろう。いまどきの小学生は、結構かしこいぞ。
食堂夫婦にも、なにも話さないミチル。これもじれったい。なのに、妹の妄想を信じてなのか、かつて両親と行った伊豆のホテルまで行ってしまうとか、突然のファンタジー。そこに、両親が泊まっているはずがないことぐらい、姉のミチルなら分かるだろ。伊豆行きに、ユウトとタカシもついていくアホさ加減。
ユウトの、自分じゃなにもしない態度は、ありゃなんなんだ。まあ、タカシをいじめる4人組は怖いかも知れない。問題は、姉妹に食事を渡すとき、自分でせずにタカシにさせるのは、なんでなんだ? お前もタカシを顎で使って、いじめっ子と同じじゃないか。で、自分ではなにもしないことについて、父親に向かい、父さんが何もしないから」的な言い訳してたけど、説得力ゼロ。
タカシという存在も、類型的。母子家庭の子はみなあんな暗く、無口なのか? そのタカシが姉妹について「あいつら臭かった」と言うんだが、その後も姉妹は同じ服装。何日か知らんが、パンツも同じかと考えると、とても家には上げられんだろ。ユウトの妹両親とも、そこへの気づかいなし。その後、姉妹が泊まる場面で、風呂に入るは分かるが、翌日、同じ服を着てるのは、うわ、と思った。常盤貴子バカかよ。
とか、突っ込み入れるところが多すぎて、やになってくる。
魂のゆくえ4/18ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/ポール・シュレイダー脚本/ポール・シュレイダー
原題は“First Reformed”。allcinemaのあらすじは「ニューヨーク州北部の小さな教会“ファースト・リフォームド”で牧師を務めるトラー。かつて従軍牧師をしていた彼は、自ら軍に送り出した息子が戦死したことで、深い自責の念を抱えていた。ある日、妊娠中の信徒メアリーから、堕胎を迫る夫マイケルと話してほしいと相談される。深刻な環境破壊に絶望しているマイケルは、悪化する一方の世界に我が子にはいてほしくないと考えていた。そんな地球の未来を悲観するマイケルの主張に耳を傾けつつ、真摯に説得を試みるトラーだったが…。」
Twitterへは「暗く分かりにくい話で、寝るかと思った。環境オタクもそのうちとんでもないことをしでかすぞ、ということか。かくれ教祖的なA・セイフライドに惑わされる牧師に、いつも情けなさそうなE・ホークが丁度いい。ラストのその後はどうなるのかね。」「ある意味、オカルト。」
いまどき珍しいスタンダードサイズ。
緊張感のある展開を予想してたら、冒頭から陰気に、地味に、だらだら。設定は、息子がイランで戦死後、離婚して教会の牧師になったトラー。協会設立250周年行事が目前だけど、自らは病気に冒されていて、でも保険の関係でまだ検査もしていない。そこに、熱心な信者のメアリーが相談で、亭主マイケルが子どもの堕胎を望んでいるので、話をしてくれ、と。いっぽうで、親教会にいるエスターという女性とむかし関係があったようで、彼女が親身に迫ってくる、といった案配。
なかなか話が転がらず眠くなってきたところで、マイケルがトラーにメールで「会いたい」と言うので行って見たら、頭を撃ち抜いて自死していた、というところで少し目が覚めた。けれど、その後もだらだら250周年行事のことや、教会を支援するのが大企業のオーナーで・・・というような、回りくどい話がつづく。ただひとつ、メアリーがトラーに、マイケルがつくっていたという自爆チョッキを見せ、それをトラーが預かる、ということがちょっと変な感じだったけど。
ぎょっとしたのは、後半、メアリーがトラーを訪れ、なんて言ったのかはっきり覚えてないんだけど、トラーが仰向けになり、その上にメアリーが重なるようになって。それがふわりと浮くとまわりが宇宙っぽくなり、さらに公害のたれ流されているようなところを浮遊するのだ。げ。オカルトかよ。
このせいなのか、トラーは公害反対を主張し、親教会のボスに激怒され、では、ということなのか、マイケルがつくった自爆チョッキをまとって250周年行事に・・・。すでにこの地を離れ、でも「行事には来るな」と言っていたメアリーの姿を認め、突然、チョッキを脱ぐと、裸体に鉄条網を巻きつけ始める。行事の場に現れないトラー。焦った親教会のボスは、エスターに進行を促す。鉄条網をまとった上から白い服をまとい、鮮血が沁みているトラー。部屋にメアリーが入ってきて、抱擁し、キス。・・・というところで、暗転してエンドロール。
なななななな、なんなんだ、この映画は。
で、つらつら思うに。被害者のような存在のメアリーだけど、実は彼女がすべて仕組んだのではないのか? と思って考えると、いろいろ辻褄が合ってくる。
「亭主が環境破壊に関心を寄せている」とメアリーは言うけど、それはメアリーによる刷り込みではないか。トラーにしたような交感儀式で、マイケルも・・・。自爆チョッキも、「亭主が」といっていたけど、メアリーがつくったかも知れないし、つくらせた可能性も・・・。マイケルの自死は、メアリーの誘導? マイケルが自爆に疑念をもったとか、拒んだとか? あるいは、すでにターゲットをトラーに変更し、トラーを自爆に導くために・・・。
で、あのオカルト的な交感儀式で、トラーに環境破壊への抵抗運動をするべく刷り込む。トラーは操られるように、250周年式典で自爆しようとする。それをメアリーは確認しにきたのか、あるいは、ともに命を捧げるつもりだったのか。けれど、メアリーを見たトラーは躊躇する。躊躇した自分を後悔し、自ら磔にする。これはもしかして、あの交感儀式が性的つながりを通したもので、現世に未練を感じたからなのか? あるいは、怖じ気づいたトラーに「やれ」と活を入れに来たということか。分からんけど。
映画はつまらなかったけど、こうやって読んでいくと興味深くなってくる。
トラーが牧師を務める教会は、オランダ人の入植者が建てた教会。でも、教会の説教には、信者はパラパラしか来ていない。トラーの愛読書は「トマス・マートン書簡集」。メアリーがトラーに相談を持ちかけたとき、トラーは親教会での相談を奨めたが、メアリーは「あそこは会社になってる」と嫌った。・・・というようなことが、キーワードとして気になるところ。トマス・マートンは、神秘主義的な牧師で、調べるといろいろありそうな怪しい人物のようだ。
トラーの教会は歴史が長く博物館的な側面もあり、彼はその館長的な存在でもあるようだ。親教会としては、ある意味、看板として見ているのかな。
原題の“First Reformed”は町の名前らしいが、「最初の改革」というのは意味深。ここから始まった、的な意味と解釈すると、環境オタクは今後、信念のためにテロリスト化していくだろう、ということか。そのきっかけが、まさにメアリーにある、と?
ポール・シュレーダーは、環境破壊を訴えているのか? それとも逆に、環境オタクのテロ化を心配しているのか。どっちなのか、よくわからんのだよなあ。
芳華-Youth-4/19ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/フォン・シャオガン脚本/ゲリン・ヤン
中国映画。allcinemaのあらすじは「文化大革命末期、17歳のシャオピンはダンスの才能を認められ文工団に入団する。周囲になじめなかったシャオピンだったが、唯一優しくしてくれる模範兵リウ・フォンに秘めた恋心が芽生えていくのだったが…。」
Twitterへは「大河ドラマのダイジェストみたいで、人物の掘り下げが甘い。個人をちゃんと描かないから、最初のうちは誰が誰やら。人物関係も、ほとんど上っ面。いきなり環境が変わったり、なんで? な感じ。時代背景も、部外者には分かりづらい。」
群像劇だけど、個が立っていないので、ぐちゃぐちゃ。感情移入できるキャラがいないのも、難点。次第に分かってくるとはいえ、判別できるのは田舎娘・小萍、模範兵・劉峰、位置づけがよく分からない穂子、男好きする娘・丁丁、あとアコーディオン娘の淑雯、トランペット男の陳燦の2人はよく出てくるけど、印象が薄い。その外には、オバサン教官ぐらいか。他はもう、区別がつかない。とくに男は似たような顔立ちで、やっかい。
ダンスで慰問の舞台らしいけど、肝心のダンスの場面がほとんどなくて、誰が主演格で、次が誰で、誰が上を狙ってるとか、そういうのはまるでない。撮り方も、個々をフィーチャーしてしっかり見せる、もなくて、全体をミドルショットなので、いまいち盛り上がらず。ナレーションは、この話の主人公は小萍と劉峰といい、劉峰が小萍を舞台まで連れてくるところから始まるんだけど、2人が主役扱いされているかというとそうでもなく、映っている時間は長くても、人間があまり見えない。
その代わり、ムダに長い戦闘シーンや慰問場面が中途半端に派手で、でもチープなCGというのが、なんだかな、な感じ。冒頭から、もっと個を取り上げた見せ方、エピソードにすればいいのに。もったいない。
小萍と劉峰が主役といいつつ、それは後半で、前半では2人はとくにからまない。そもそも劉峰は丁丁が好きで、告白後に抱きついて問題化し、前線に送られてしまうとかしょぼすぎ。小萍も、勝手に同僚の軍服を拝借して写真館に行き、それがバレても謝りもしないという根性悪。かわいい顔して、な感じ。中途半端によく登場するけど、あまり機能していない穂子と丁丁は、なんなんだ? な感じ。
ずっと「?」だったのは、ナレーションは誰? ってこと。後半で穂子だと分かるけど、ラストに近い90年代だったかの場面で、穂子が作家になっている? のが分かって、『スタンド・バイ・ミー』みたいな手法だなとは思うけど、意味がよく分からない。ら、それなりの伏線を張っておけよ。もともと文学好きだった、とか。傷病兵となって、すでにからっぽの官舎を訪れた劉峰が穂子に会い、「大学に行く」と言われたぐらいかな、思い返しても。
高地での慰問で、小萍は衣装係になってたけど、いつの時点でダンサーを外されたのか分からず。しかも、主演のケガで代役を頼まれても仮病で逃げ、でもなんとか努めたようだけど、次の場面では文工団をやめるとか。さらに、戦場でのがんばりの描写後、なんと精神を病んで病院に? なんだよそれ。しかも、看護婦として英雄になってるとか。なんだなんだ?
その小萍は、いつから劉峰を想ってたんだ? そんな場面あったか? たとえば劉峰が丁丁にご執心のところで、忸怩たる思いでいたとか、そういう場面でもあれば、なんだよな。劉峰も、他の女性たちといつもにこやかに接していて、なのに突然、丁丁にアタックするとは・・・。そのあたりの機微がぜんぜん描けてない。
だから、ラストシーンで、久しぶりに再会した2人がベンチで寄り添う場面を見ても、なんかな、な感じしかない。小萍は、精神病が寛解したのか?
時代背景についていうと、その当時の空気はよく分からない。文化大革命は知ってるけど、文工団がどんな役割だったのか。下放運動はとくに出てこなかったな。小萍の父親は、知識分子として放擲されたのか? だから名字を変えて文工団に? 毛沢東の逝去は、なるほど。で、四人組も同時期の終焉? これで青年たちは大学進学への未来が拓けたのか? それで教官に口答えするものも出てきた? でも、指導部の息子とか娘とか、ひけらかしてるのもいたし・・・。名誉回復した人もいるようだけど、小萍の父親はその前に獄死、なのか。名誉の負傷の劉峰も、権力と賄賂に汚染された警官に嫌がらせされている? 丁丁も、さっさと華僑と結婚して海外へ。とか、あの変容なんかは、時代をちゃんと知らないとピンとこないかも。実際、ピンとこなかったし。
あと、ベトナムとの戦争は、よく分からなかったけど、調べたら中越戦争か。聞いたことはあるけど、経緯は知らない。でも、Wikipediaには中国の侵略戦争で、ベトナム軍に大敗したらしい。なんだ。そんな戦争か。悲惨に描くのは、なんだかな、な気もする。まあ、中国映画だから、時代背景への解釈もはっきり言えないんだろうとは思うけど、じれったい感じ。
そうそう。どこかの街で穂子と淑雯が再開し、警察にいじめられてる劉峰を見かけ、淑雯が劉峰に違反金をめぐんでやる場面があるけど、なんか浮き沈みを感じて、なんかな、な感じ。劉峰だったかが丁丁の今の写真を穂子に見せ、その太った様子に「いまの丁丁なら、抱きついたかしら」というのも気の毒な会話。
・字幕がこなれてない感じ。ムダにくどかったり、漢字の名前にルビがあったり、見づらい。さっ、ってひと目で分かるようになってないので、そのせいで分かりにくいというのもあるかも。
ヒトラーVS.ピカソ 奪われた名画のゆくえ4/22新宿武蔵野館1監督/クラウディオ・ポリ脚本/サビーナ・フェデーリ、アリアンナ・マレリ
イタリア/フランス/ドイツ映画。原題は“Hitler contro Picasso e gli altri”。「ヒトラー対ピカソ、そのほか」というような意味がな。allcinemaの解説は「ナチス・ドイツはヨーロッパ各地から芸術品を略奪し、その数は約60万点にものぼり、今もなお10万点が行方不明と言われている。本作はピカソやゴッホ、フェルメールをはじめ奪われた名画たちの数奇な運命を、その奪還活動の歴史とともに辿るアート・ドキュメンタリー。」
Twitterへは「名前や地名やその他、情報量が多くてついていけずだけど、いろいろ闇が深いのは分かった。関連する内容の『ミケランジェロ・プロジェクト』『黄金のアデーレ 名画の帰還』をもう一度見返したくなった。」「『大列車作戦』てのもあったな。」
ナチの美術品強奪は有名で、昨今もいろいろ映画になっている。こちらはドキュメンタリーで、ヒトラーとゲーリングの美術品争奪戦とか、美術評論家や絵画を取り戻した子孫なんかの証言がつづくんだけど、肩書きとセリフが同時に画面に出て、しかも展開が早いから追いつくのも精一杯。登場する画商の名前とか地名とか、その他、固有名詞なんてすぐ忘れてしまう。ある人物やテーマに関する話題も途切れ途切れに分散編集されていたりするから、たいへんだ。いろんな話題がてんこ盛り。それぞれとても興味深いけれど、テレビなら90分版を2〜3回に分け、司会が説明しながらやるような内容だよな。まあ、入門編としてはちょうど良くて、これをきっかけに書籍を手に取って詳細はそちらで、ということなんだろうか。
ナチは、アーリア人&古典主義のアートを高く評価し、当時台頭していたキュビズムや表現主義を退廃芸術と位置づけた、のはなんとなく知ってはいたけど、それぞれの作品を集めて「大ドイツ芸術展」と「退廃芸術展」と銘打って展覧会をしてたとはね。退廃の方は、見せないで破壊してしまう、わけでもないのも面白い。というか、ナチの高官が退廃の方を秘かにコレクションしてたとかいう話もあったような。
気の毒なのはもともとの所有者たちで、ビザ発行と引き替えに二束三文でナチ御用達の画商が買い叩き、でもビザは発行されず・・・とか、ひどすぎる。で、戦後、所有者がみつからない、あるいは曖昧なものは国家財産となって美術館へ。それを取り戻そうと子孫が訴える、というのが『黄金のアデーレ 名画の帰還』だったけど、もどってくるのはほんのひと握り。いまだ行方不明の絵画は山のようにあるらしく、2010年には、そういう絵画が元画商の息子の個人宅で見つかってるとか、なんだかな、な感じ。
で、タイトルにも登場するピカソだけど、本人はほとんど登場せず、ひとつは、ある画商と同じ通りに住んでいたということで。あと映画の最後に、ゲーリング(だっけか?)と会ったときゲルニカの絵はがきを示され「これは君の作品か?」と問われ「違う。君らの作品だ」と応ええた、というエピソードが紹介される。そして、ピカソの言葉として「絵画は政治」「壁を飾るために描くのではない。絵は楯にも矛にもなる、戦うための手段だ」(映画のキャッチになっている)という姿勢が紹介される程度。これでタイトルに名前が載るの? な気もしないでもない。
ハイ・ライフ4/23ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/クレール・ドゥニ脚本/クレール・ドゥニ、ジャン=ポル・ファルジョー
ドイツ/フランス/イギリス/ポーランド/アメリカ映画。原題は“High Life”。allcinemaのあらすじは「漆黒の宇宙を漂う一隻の宇宙船。その中には一人の男モンテと、なぜか生まれて間もない赤ん坊の2人だけがいた――。かつて宇宙船にはモンテをはじめ9人の乗組員がいた。彼らはいずれも死刑や終身刑を言い渡された重犯罪人たちだった。彼らは科学者のディブス医師が行うある実験に参加するためこの宇宙船に乗っていたのだったが…。」
Twitterへは「面白くて分かりやすいかなと思ったら、つまらなくて分かりにくい話だった。こんな映画になんでジュリエット・ビノシュが変態女医で出てるんだ?」「J・ビノシュが身もだえしてる最中、通路を挟んだ臨席の前後の2人が静かなる口論を始め、気が散ること甚だし。見ないようにしてたんだけど、パチッ、って音がしたのはパンチか。片方が消え、しばらくしてスタッフがもう1人を呼びに来て、2人ともいなくなったんだけど、最低だわ。」
HPの簡単な概要チラ見して、囚人か宇宙に・・・。なら面白い話になるのかと思ったら大ハズレ。接続詞のない断片をテキトーにつなぎ、難解を装った糞映画だった。それでも寝なかったのは、隣で発生した諍いのせいかも知れない。あとは、ジュリエット・ビノシュの変態ぶり?
始まりは、モンテという男と赤ん坊。モンテは、何体かの死骸を宇宙に捨てる。以後、地球の様子が数シーン。意味不明の自然と、インド人学者がでてきて、囚人を宇宙に、というプロジェクトの説明のための1場面。ともに、だからなに? で、時間が遡って、宇宙船内の、まだ生きていた頃の人々。これが脈絡なく、イラつくばかり。な、なかで、女医がいるんだが、健康管理なのかと思ったら彼女も囚人で子供と亭主を殺したんだと。で、彼女の使命は乗組員の精子を集めて女囚の膣に入れること、なのか? このあたり、近くで諍い発生で集中できず。いらいら。
女医は金属の張り形みたいのにコンドームをかぶせ、マスターベーション? もだえてる。で、その後に、黒人男性がモンテに「俺はボックスを使うけど、お前は使わないのか?」と聞く場面があって。もしかして、ボックスっていうのは女医とのセックスのことなのか? という疑問。あの張り形は象徴で、実はコンドームしてセックスして精子を集めてたのか? でも、男性は自主的に精子を提供、という場面もあったような。よく分からん。
金髪丸顔女囚が何かベッドに拘束されているところに若い男囚がやってきてレイプしようとし、みんなにボコボコにされたり。(彼はその後どうなったんだ? 死んではいなかったよな)。黒人男囚が畑でいつのまにか死んで土になっていたり。女医が寝ているモンテのペニスに挿入し、騎乗位で成功して股ぐらから流れた精子を集め、それを金髪丸顔女囚の膣に入れて妊娠させたり。金髪痩せ女囚が何の目的かヴィークルで脱出したと思ったら彼女は殴り倒されてて、乗っていったのは金髪丸顔女性で、彼女はなぜか血みどろになって死んでいったり。なぜか知らんが女医が自ら宇宙船外に出て自死したり。いずれも、なんだかさっぱり分からない。
と思っていたら、黒髪の娘がモンテの横にいて。こんな乗組員いたっけ? と首をひねって、ああ、そうか、冒頭の赤ん坊がここまで育ったのか! と気づいたんだが、説明がないからとても分かりにくい。と思っていたら、同型宇宙船が接近してきてモンテが乗りうつってみると犬しかいなかったり。で、最後は、モンテと娘がブラックホールに向かっていく? だっけか?
そもそも囚人を使ってどういうプロジェクトなんだ? 記録は音声で送信してたようだけど、「届くかどうか分からない」ってモンテか誰か言ってなかったっけ? でも、地球からは、よく分からない映像が定期的に流れてくる? あー、もうどうでもいいや。こんな映画に出るなんて、ジュリエット・ビノシュは金に困っているのか? それにしても、独りよがりのくだらん映画だったよ。
★Webにインタビュー記事があった。
・(聞き手)宇宙船に乗る囚人たちは、与えられた刑期を務める代わりにブラックホールからエネルギーを取り出すという自殺的ミッションを与えられてそこにいます。
・(聞き手)断片的にインサートされる、子供時代のモンテが友人を殺した後、血の付いた石を井戸に落とす映像
・(監督)ディブスは宇宙で子供を生み出すというミッション、妄執を抱いて生きてきました。そしてそのミッションに成功したわけですが、一方で自分の犯した罪の意識があまりにも重すぎるため、もうこれ以上生き続けていたくないと彼女は思ったのでしょう。
・(聞き手)彼女(女医)は家族を殺した後で自分の腹にナイフを突き刺した。そのため、性器やおそらく子宮も人工のプラスチックになっている。
・(監督)ボイジー(金髪丸顔女囚)もある意味で自殺と考えることができます。彼女は自ら小さな宇宙船に乗り込んで死にますが、あれも自殺に近い行動だったと言えるでしょう。 ・(監督)宇宙船の乗組員たちはセックスを禁じられていましたが、彼らのオーガズムはコントロールされていなかったと思います。なぜなら、生殖行為は見張られていましたが、快楽のボックス(訳者注:撮影中にはファック・ボックスと名付けられていたとのこと)の中に入ってしまえば、そこでは見張られることなしにオーガズムを得られたわけですから。
・(監督)子供を作る場合には、精子提供者となる男性と受胎する女性を所有者が選ぶことで完全な管理下に置かれました。
ふーん。↑これってすべて、ちゃんと描かれてたのかな。もう一回見れば分かるのか?
「性器が金属」はそういえば言及されてたかな、な感じ。とはいえ、こういうミッションに参加することになった経緯は「?」。刑期の短縮というのがあるらしいとWebにあったけど、決死隊じゃ意味ないだろ。ブラックホールからエネルギーを取りだしてどうするの? どうやってエネルギーを運ぶの? なぜセックスは禁止なの? 屈強なガードマンがいるわけじゃないんだから、勝手にすればいいじゃないか。というか、男の本能はあっても女性には欲望がないみたいに描かれるのはなぜ? 女医は、性器や子宮がないのになぜ淫乱に? というか、精子収集は個人的なものだったのか・・・。目的は? なぜ自死を選ぶ? とか、多少理解が深まってもツッコミどころは相変わらず。それを納得させるのが映画だろ。舌足らずはたんなる独りよがり。
ハンターキラー 潜航せよ4/24109シネマズ木場シアター6監督/ドノヴァン・マーシュ脚本/アーン・L・シュミット、ジェイミー・モス
原題は“Hunter Killer”。allcinemaのあらすじは「ロシア近海で米海軍原子力潜水艦が姿を消す。すぐさま“ハンターキラー”と呼ばれる攻撃型原子力潜水艦アーカンソーが捜索に向かう。艦を率いるのは現場たたき上げの異色艦長ジョー・グラス。やがてロシア国内でクーデターによりロシア大統領が監禁されたことが判明。米国大統領は、未曽有の危機を回避するため、ネイビーシールズの地上偵察部隊とアーカンソーの連携によるロシア大統領の救出を決断。しかしそれはアーカンソーにとっては、機雷原とソナー網が張り巡らされた絶対不可侵のロシア海域に潜航しなければならないというあまりにも過酷なミッションを意味していたのだが…。」
Twitterへは「マンガみたいな話だけど、最新の魚雷はこうなってる、も含めて楽しめた。テンポが早く、潜水艦モノとして定番のハラハラドキドキも、もちろんたっぷり。」
フツーの娯楽映画。潜水艦モノなので、基本的には水中で音を出さないとか、その最中にスパナを落としかけるとか、事故の叫び声で敵に察知されるとか、なところは踏襲。ただし、冒頭からの流れでは、敵は誰だ? という状態がつづいて、もしかして宇宙人なんかだったら面白いなと思っていたら(SF的要素はないからそうならないのは分かっていたけど)、なんとロシアの国防相がクーデターという、わりと陳腐であり得ない展開。弱腰の大統領に代わってアメリカに戦争を仕掛けるため、だったらしい。うーん。いまどきバカか。とは思うものの、マンガを見てると思えばとくに腹も立たず、場面転換の大胆な省略も相まってテンポが早く、結構、見せる。
よく分からなかったのは冒頭からのしばらくの流れ。米潜水艦がロシア潜水艦を追尾。ロシア側は気づいていない・・・。と思っていたら、上部からの攻撃で米潜水艦は連絡を絶つ・・・。米国側はグラスを艦長にアーカンソーを派遣。破壊された米潜水艦と、ロシア潜水艦を発見。後者には、内部で爆発した痕跡が・・・。というときアーカンソーも攻撃を受けるのだけれど、逆襲して敵潜水艦をやっつける・・・なんだけど、沈んでいるロシア潜水艦は、ありゃなんだったんだ?
てな次第でクーデターと分かると、すでに潜入していた地上部隊(といっても4人だけど)が母港の様子を映像配信(そんなことできるのかいな?)。ロシア大統領がとらえられている映像を米側が見て、ななななんと、ロシア大統領奪回作戦を実行するのだよ。地上部隊が大統領を確保し、港近くまで接近したアーカンソーに乗せて逃げ去る寸法だけど、荒唐無稽すぎ!
あれこれ、針の穴をくぐるようなご都合主義の連続。まあ、マンガだからいいか。
その都合よすぎる部分は、ロシア人に追うところが多い、というのは興味深い。1つは、沈没したロシア潜水艦の艦長による作戦への協力。これがあってアーカンソーは機雷を避けて港に入り込めたし、最後にも、ロシア駆逐艦の乗組員が艦長の元部下だったこともあって、とってもラッキー! あとは、地上部隊が、大統領のSP生き残りを見つけ、これまた味方にして、押し込められてる大統領を救い出すのだけど、とってもラッキー! なんだ、偶然じゃん、なんだけど、マンガだからいいの。
すたこら逃げようとするアーカンソーを、ロシア駆逐艦が攻撃。これはロシア潜水艦艦長のおかげで回避。だけど、ロシア国防相が地上から打ち込んだミサイルがアーカンソーを襲う! アーカンソーはトマホークで迎撃? かと思ったら撃たず。でも、ミサイルは直前に破壊されるんだけど、これはロシア駆逐艦からの攻撃ですべて破壊された、という筋書き。ええええっ? だけどな。ロシア駆逐艦の艦長が、よく許したな。というか、そんな命中率いいのか? いや、グラス艦長はそんな可能性に、賭けたのか? アホだな。まあ、いい。マンガだから。
潜水艦ものは久しぶり。いまどきの魚雷は、目的を感知して自由にうろうろ方向を変えたりするんだな。狙われた方はダミーを放って魚雷の方向を変えたり。そういう部分は、面白かった。
地上部隊を派遣するとか、いろいろ知恵を授ける女性に、近ごろ、リンダ・カーデリーニ。大活躍だな。

 
 

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