2019年5月

愛がなんだ5/7テアトル新宿監督/今泉力哉脚本/今泉力哉
allcinemaのあらすじは「28歳のOLテルコは一目惚れした男マモルを愛しすぎるあまり、全てがマモル最優先の日常を送っていた。そのせいで仕事にも支障をきたし、会社もクビ寸前。それほど尽くしているのに、実はマモルにとってテルコは恋人ではなかった。そこのことを十分自覚しているテルコだったが、それでもマモルが大好きで、幸せだと思っていた。親友の葉子は、そんな都合のいい女で良しとするテルコの恋愛観に呆れるばかりだったが…。」
Twitterへは「うっとうしい娘。身勝手野郎。その上を行く身勝手女。マイペース女。奴隷男。あれこれ気をつかって、めんどくせえ連中だな、とか。あきらめが早いだろ、とか。いまどきあれは“つきあってる”とは言わないのか、とか。」「若い娘+青年も少し。でほぼ満員。でるとき「刺さった。刺さった刺さった」「分かるーって感じ」なんて話ながらの女子もおった。ああいう話、というか、関係に共感するのか。原作は角田光代。ふーん。」
これ見て思ったのは、つきあってる関係、っていうのが昔とだいぶ違うんだな、ってことかな。ちょくちょく会ったりして、そのうちセックスまでして、泊まっていったりしつつ、同棲もして・・・。で、つき合ってない? とか言われたら、なにそれ、な感じなんだよね。昔も同じような関係はあったけど、それはもう、立派につき合ってる関係で、恋人同士だよなあ、と。
愛されてないと、ダメなのか? 大切にされること? でも、テルコとマモルが同棲し始め、あれこれマモルのモノを整理したりなんだかんだし始めたときは、なんだ女房気取りで、って思ったけどね。まあ、テルコはそういうことがしたくてしょうがないんだろうし、そういうことをしあう関係が、恋人同士、って思ってるんだろう。うっとうしいったらありゃしない。だいたい、そんなままごとみたいな時代は、せいぜい数年で飽きてしまうのに・・・。
テルコに比べて身勝手なのが、マモル。そのマモルは、自分がビビルぐらいの女性みすれ(江口のりこ)にぞっこん。でも、そういう、自分が惚れてるすみれを、あえてテルコに会わせる、というのがよく分からない。しかも、そのテルコのところに江口のりこから誘いが来て、でもひとりで行けないのでマモルに電話して、戸惑いつつバーにやってきたマモルに、すみれは「なんできたの?」と言う。バーにいたすみれの知人たちにも相手にされず小さくなっているマモル。このあたりの関係もよくわからない。
マモル、すみれ、テルコ、中原と4人で行った(テルコが呼ばれて行った店で出会った何人かも行く行くといっていながらこなかった)別荘で、中原に対する葉子の態度や2人の関係を聞いて、すみれは「それはおかしい」と常識的なことを言うんだね。これが違和感。なんで中原にあんな失礼なことを言うのかよく分からない。
その中原は、葉子の家来みたいな立場で、呼ばれたらセックスのためにやってきて、用が終わればさっさと帰っていく。中原は、それで満足、という。これまたよく分からない関係。
葉子の母親はお妾さんで、実父は有名な人物だったかな。それでなのか、世田谷に古びた、でも、立派な一戸建があり、母親と葉子は二人で住んでいる。そこで、中原やテルコも呼んで、あれは大晦日だったか忘れたけど、食事会をしたりする。母親は中原に「葉子をよろしくお願いしますね」なんていったりする。妾だから? いや、それは変だろ。妙な倫理観が、葉子と母親にはある。
その中原がテルコを安食堂に誘い「葉子と別れることにした」と告げた帰り、公演でテルコが中原に、洋子に対してちゃんとしろ的なことを言ったら、それでもうじうじしつつ、別れ際に中原がツバを吐くんだけど、あれは誰に対してなのだろう。
テルコは葉子のところに行って、中原に対する態度はひどい、あなたの父親があなたの母親(お妾さん)に対してしてるのと同じ、なことを言ったら、葉子は怒ってしまう。でも、最後の方で中原が開いた写真展にひょいと顔を見せて。しっとりと自分も写っている写真を見る。ここは、なんとなくいい感じだけど、葉子が中原に心を開くことはないのではないのかな。というか、妾の子、というステレオタイプが見えてしまった、いまいち共感できない葉子の人物設定でもある。
その葉子は、テルコに黙ってマモルに電話して、あんなにあなたのことが好きなテルコに対する態度がどーのこーの、と言ったらしい。それでマモルはテルコのところにやってきて、「やっぱり、すみれが好き。だからこれでお別れ」っていう。葉子の電話は逆効果じゃないか。で、テルコは逆上するわけでもなく、「何とも思ったないよ。つき合ってたわけでもないし」とかいうんだけど、強がりにも見えない感じがあって、うーむ、な感じ。よく分からない。さらに、この直後に「どうしてだろう。私はいまだに田中守ではない」というナレーションが入る(これが最後のセリフ)んだが、意味がよく分からない(冒頭の「全部が好き。でもなんでだろう、私は彼の恋人じゃない」というテルコのセリフと対になっているのね)。次のシーンで飼育員になってるんだよな。将来について、30過ぎたら(だったかな)宮大工になる。野球選手になる。動物園の飼育係になる・・・とくるくる変わることを言っていたマモル。だからテルコは飼育係になった? いや、現実的に言って、なるのはムリだろ。
・そもそもテルコと葉子が親友というのが不思議。考え方や生き方がまるで違うのに、どうやって知り合って、いまだにつながっているのだ?
・細かな描写で、洋子の母親が、ちゃぶ台についた醤油瓶の跡をしきりにこすって取ろうとする。あれがなかなかいい。
ドント・ウォーリー5/7ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ガス・ヴァン・サント脚本/ガス・ヴァン・サント
原題は“Don't Worry, He Won't Get Far on Foot”。allcinemaのあらすじは「若くして酒に溺れ、それが原因の自動車事故で車いす生活を余儀なくされたジョン・キャラハン。絶望で自暴自棄となり、ますます酒に溺れる日々を送る。しかし断酒のグループ・セラピーで自分を見つめ直すと同時に、その会を主催するドニーや後に恋人となるアヌーとの出会いがジョンの心を前向きにしていく。そして持ち前の辛辣なユーモアを発揮して風刺漫画を描き始め、ジョンは自らの人生を取り戻していく。」
Twitterへは「時制がバラバラで経緯がとても分かりにくい。人間関係も、彼女は妄想? 現実? なぜ彼女は他の仲間と接触しない? とか疑問。あと禁酒会のリーダーが怪しすぎるし、まっとうな教訓話になっちゃってるしなあ。」
アル中のキャラハンが友人と飲みまくり、揚げ句に交通事故で下半身不随。友人は軽症・・・。以後、禁酒会に参加しつつ、皮肉の効いた一コマ漫画を描き、まず大学新聞に、さらに大新聞から声がかかり・・・な内容なんだけど。これが、現在過去がバラバラにつながれていて、分かりにくいので素直にストンと収まらない。なんでこんな編集にしたのか。フツーにつないで、どこがまずいのかと思う。しかも、文章でいえば接続詞がないから、なおさらなのだ。「この場面は、いつの話?」というシーンがいくつもある。いらいら。
それと、キャラハンの挿絵は、なるほど、と膝を打つものばかりではない。“盲目で黒人だけど歌はうたえない”とか“立入禁止。警備員はレズビアン”ってキャプションの風刺漫画は、どうなんだ? 画面の中でも前者には「差別だ」という婆さんが、後者ではカフェのお姉さんが渋い顔してた。新聞社に「最低のマンガ。新聞を取るのをやめる」っていう手紙が来てたり。かなり際どい。マニアックな雑誌に掲載ではなく大学新聞や「ペントハウス」だっけか、なんかに載せるのに、あれでいいのかね。まあ、いまと時代は違うのかも知れないけど。
で、次第に有名になり、いまの暮らしはどうなのか? というのも、よく見えない。主に断酒会のリーダーとの会話で話が進むんだけど、キャラハンの行動に対して「次のステップへ」とか説明するけど、各ステップでキャラハンがどうなったのか、がよく分からない。どうやら、他人を許し、自分を許すというところまでいって、それでオシマイだったかな。リーダーは「老子」に心酔していてキャラハンにも奨めるのはいいとして、ゲイっぽくて気持ち悪いなと思っていたら実際そうで、後にAIDSで死んだとか語られていた。このあたり、うさん臭い宗教な感じがつたわってきて、素直に感動できないのも、うーむ、な感じなんだよ。
というわけで、ごくごくフツーに編集し、分かりやすい映画に仕立てた方が、いいたいことはつたわったんじゃなかろうか、な気がしてしまうのだった。
・キャラハンが、自分は養子で母親に捨てられとかなんだかんだ言い訳がましいことを言ったら太ってる女性に反論されて「私なんて心臓のガンなのよ」って言われる場面があるんだが、心臓にガンはできないんじゃなかったっけ。
・浮浪者に酒をたかられる場面で、ズームしていくと背景のベンチのホモっぽい2人をフレームに収めるのはなんなんだ? 関係あるホモだったのか?
・禁酒会で「ラクエル・ウェルチのあそこ」とかいって顰蹙を買うのはなんでなの?
早春5/8ブルースタジオ監督/小津安二郎脚本/野田高梧、小津安二郎
allcinemaのあらすじは「蒲田に妻と住む杉山正二は、丸ノ内への通勤途中で知り合ったサラリーマンたちと仲良くなり、退社後に遊びに行くのが日課となっていた。妻は退屈な毎日から逃れるように、おでん屋を営む母の実家へ帰ったりしている。通勤仲間と出かけた江ノ島で、杉山は金子千代と接近。千代の誘惑に耐えきれず、関係を持ってしまう。二人の関係に気づいた杉山の妻は家出して、旧友のアパートに転がり込んだ。同僚の死をきっかけに、杉山は自分の生き方を振り返り、千代と別れようと考え始める。ちょうどその頃、会社で地方工場への転勤話が持ち上がった。」
Twitterへは「1956年の小津映画。内容はすっかり忘れてる。なので、なるほど、ふーん、ハラハラ、うははは、おおおお、やれやれ、てな具合に没入の144分。やっぱ、練られたホンはスキがないし、画面の隅まで楽しく見られるのだった。」
フィルム上映とかで、でもそれは、デジタル修復してないから画質は悪い、ということだ。音楽のピッチがゆらゆらで気持ち悪い。むかし見てるはずだけどすっかり忘れているので、初めて見るような案配。『東京物語』に比べてどう、という印象はなかったけど、匹敵するようなあれやこれや。多少のツッコミどころはあるけど、それも現在から見た過去、からくるものかも知れない。なことを除けば、きっちり練られた脚本でお見事。こちらが歳を取ったから、うんうん、とうなずくところも多いのかも。とはいえ、これを撮った小津は52、3歳なのだから驚く。
幼子に死なれた夫婦がいて、亭主が浮気をする。けれど、元の鞘におさまるという話だ。これが、まったく深刻ぶってなく、ほのぼの楽しい。たとえば同僚の葬式の場面に流れるのが、明るく軽やかなメロディで、これが、不思議に違和感ない。フツーなら100%暗い音楽か音楽なしだろう。驚いてしまった。
さらに、人の死があふれていることにも驚く。息子の死、同僚の死、夫に死なれた妻の友人、戦友の死・・・。死が身近にありふれていた時代なのだ。それでも、あんなに映画は明るく前向きだ。
浮気は主人公・杉山だけじゃない。妻の父親も、向かいの家の亭主(宮口精二)も、妻の友人(中北千枝子)の亭主も・・・。男はフツーに浮気をする時代だった。そして、女はそれを仕方のないものと受け取っていた。おかしいのは向かいの奥さん(杉村春子)のエピソードで、亭主が囲ってる家に乗り込んだら、亭主が浮気相手の派手な着物を羽織ってかつお節をかいていて、その後の修羅場で豆腐が部屋に散乱した、というもの。その話をしたあと自分の家に戻ると、亭主に「かつお節お願い」っていうんだが、素直に従う宮口精二がたまらなくおかしい。
それと、近所の友人の奥さんが妊娠し、亭主は困惑顔というのがあって。そういうものだったのかなあ。昭和30年頃って、そうなのか? それに、サラリーマンは生活が苦しい、だから子供は歓迎されない、という感じもあったけど 当時のサラリーマンは大卒で、エリートのような気がするけどなあ。サラリーマンはつらいよ、は、小津の創り上げたイメージ化? 本当のことなのか?
そして、もっとも大きな「?」は、通勤電車友だち、というのは実際にあったのかどうか、だ。蒲田周辺に住んでいて、勤め先はみな丸ビル、というような仲間。それが昼休みや休日も一緒になって、ピクニックにまで行ってしまう。そういう関係というのは、ほんとうにあったのかなあ。もしかしたらそういう例があって、それを根拠にしてるのかも知れないけど。現在のように他人に無関心、な時代から見ると、なんておおらか、って思えてしまう。
あとは、当時の役者が、見かけは年寄りだけど、実年齢がそんなにいってないこと。 杉山の妻・淡島千景が32、杉山の池部良38、岸恵子24、笠智衆52、山村聰46、杉村春子50、浦辺粂子はまだ54だよ! 東野英治郎49、加東大介45、中村伸郎48、宮口精二43 みんな若い、というか、いまどきの役者なら、まだまだ中堅だ。
杉山が勤めているのは耐火煉瓦の会社で、丸ノ内に本社がある大企業らしい。いま、その企業はどうなっているのか、興味がある。存在してるのかな。業態が変わっているかも。
クロノス・ジョウンターの伝説5/9シネ・リーブル池袋シアター2監督/蜂須賀健太郎脚本/太田龍馬、蜂須賀健太郎
allcinemaのあらすじは「住島重工の開発部門で働く吹原和彦は、物質を過去にとばせる機械“クロノス・ジョウンター”の開発に成功する。そんな中、彼が思いを寄せていた女性・蕗来美子が突然の事故で命を落としてしまう。和彦は来美子を救うため、クロノス・ジョウンターに乗り込み、過去へと遡る。しかしクロノス・ジョウンターには、ある重大な欠点があったのだが…。」
Twitterへは「話は昔のジュブナイル。つくりは映研に毛が生えたレベル。だらだら道路を歩くようなムダな場面なんかをカットすれば30分で収まる内容。見どころはロケに使われた科博の講堂と恐竜骨格ぐらいかな。」
通勤途上にある花屋の娘・蕗来に一目惚れした吹原。たまたま一度買い物をし、知り合いになったんだが、会社でその花屋の近所での爆破事故を知る。では、と会社で開発していたタイムマシンで過去に遡り、蕗来を助けようとする。でも、機械が不安定で、すぐ別の未来と飛ばされる。何度かトライするも、そのたびにさらなる未来に飛ばされて…。で、その未来が2050年ぐらいだったかな、の博物館の中。しかし、いきなり吹原は頭を殴られる。これ、なんと、館長が不審人物を殴り倒した、ということらしい。そんなことするか、アホな。で、タイムマシンはこの博物館にあるらしく、これまでの経緯を館長に聞かせる・・・というのが、中盤なんだけど。いろいろバカバカしい設定がありすぎ。
・タイムマシンを開発して、報道発表もしない。というか、社内だけの話題になってる。
・その実験は、社内の講堂で、壇上で行われる。なことあるかよ。フツー。
・最初の人体実験となったのが、たしか吹原。その彼は、1回目は数年後に飛ばされる。で、それを知った同僚は、上司に報告するでもなく、ひそひそと吹原を隠したりする。なこと、フツーないだろ。で、吹原の後、社員が数人過去に行ったが、戻ってきた者はいない、という。それ、大事故だろ。
・社内にあったタイムマシンで、また過去へ。でも、今度も蕗来を救う前に未来に飛ばされる。マシンは会社の倉庫にあるんだったかな。で、行くとすんなり警備員が通してくれて、マシンのところに連れていってくれる。そんなセキュリティの甘い会社、ないぞ。
で、またまた時間が足りなくて蕗来を救えず、やってきたのが博物館。まだ動く、といってマシンに乗り込むんだけど、何10年もバッテリーはもつのかよ。というか、機械は劣化しないのか。というか、その間にタイムマシン開発の進化はなかったのか?
でもって、今度は蕗来を救えたようで、たしか蕗来は吹原の会社に入社し、タイムマシンの開発に携わっている、んだっけかな。ってことは、吹原が最初に消えた後、数人がトライしたなかに、蕗来が入っているのか? そういうことではない、のか。蕗来が死ななかったことで、過去は全面的に変わった、のか? よく分からん、ツッコミどころだらけのヘボ映画。
そうそう。たしか、120何人か死亡した爆破事故で、なぜか蕗来の写真だけが掲載されている新聞というのも、妙なもんだ。
ヘレディタリー/継承5/9新文芸座監督/アリ・アスター脚本/アリ・アスター
原題は“Hereditary”。「遺伝的な」という意味らしい。allcinemaのあらすじは「グラハム家の祖母エレンが亡くなり、娘のアニーは夫のスティーブに支えられ無事に葬儀を終える。夫婦には高校生の息子ピーターと13歳の娘チャーリーがいたが、チャーリーは次第に異常な行動をとり始める。そんなある日、ピーターがパーティに行くことになり、アニーはチャーリーも連れていくことを条件にこれを許可するのだったが…。」
Twitterへは「少しはヒリヒリしたからホラーとしては合格だけど、幽霊なのか妄想なのかオカルトなのか、結局は曖昧な感じ。メンタルな病は遺伝するという刷り込みは、どうなのかね。」
書いているのは6月1日。もう、細かなところはすっかり忘れてる。やれやれ。なので公式HPとトレーラーをちらり。ああそうか。祖母が死んで、孫娘は交通事故で首がもげ、運転していた兄はそれを隠し、母親が大騒ぎをする、とかいう話だっけ。で、祖母は実は新興宗教みたいなのの教祖で、信者たちがその後継者を選んでたとかいうオチだったか。
信者たちが祖母の遺体を掘り起こし、屋根裏部屋に置いておくとかいう話があったけど、どうやって上げたんだ? とか追求していくと、なんだかな、な気もしないではない。とはいえ、画面に登場する幽霊みたいなのはいったい何なのか。祖母を崇める一団は、ただのオカルト? でも、この世の者ならざる存在も登場しているので、妄想とも決めつけられない。というわけで、オチがなければそこそこ怖いホラーで済んだんだけど、オチがある故に意味が出て来て、じゃああれは何なの? と遡って追求したくなるような話だった。
しかし、一番霊感がありそうな孫娘が早々と死んでしまい、母親は信者たちに、あれは首を斬られて死んだのか? で、息子が最終的に祀りあげられるんだったかな。なんか、思い出そうとしたら、消えていた記憶も蘇ってきて、ブキミだよ。とにかく、こういう間尺に合わない誤魔化し的なところのある映画は、うーむ、な感じ。やっぱり、最後は、なるほど、と思わせてもらいたいものだ。
アンダー・ザ・シルバーレイク5/9新文芸座監督/デヴィッド・ロバート・ミッチェル脚本/デヴィッド・ロバート・ミッチェル
原題は“Under the Silver Lake”。allcinemaのあらすじは「夢を抱いてシルバーレイクへとやって来たはずのオタク青年サム。仕事もなく、ついには家賃の滞納でアパートを追い出されようとしていた。そんな時、隣に越してきた美女サラに一目惚れするサム。どうにかデートの約束を取り付けるが、翌日訪ねてみるとサラの姿はなく、部屋はもぬけの殻。壁に奇妙な記号が書かれていることに気づいたサムは、彼女の失踪と関係あるに違いないと確信し、自らサラを探し出すべく謎の解明に乗り出すのだったが…。」
Twitterへは「消えた美女を追ってダークな世界へ。陰謀論、ビスケット、暗号、墓地、チェス、王様、犬、コミック・・・謎を追っていく様子はアリスのよう。固有名詞とかエピソードとか、ちゃんと分かれば、もっと迷宮で楽しめるかも。」
近所の部屋にいた、ちょっと話しただけの美女が消えた。というわけで、彼女の部屋に忍び込み、忘れものを発見。そこに、別の女性が現れて、その忘れものを持ち去る・・・。彼女の行方を追っていくと、あれやこれや色んな人物が現れて、美女の痕跡を匂わせる。サムは、その足取りを追いつづける・・・。というだけの話。流れはポランスキーの『チャイナタウン』みたいだけど、残された痕跡やヒントは、たとえば帽子だのパーティは『アリス』の世界のようでもあったりする。パーティの様子は『マルホランドドライブ』にも。モーテルのベランダから双眼鏡で覗く様子は、ヒチコックの『裏窓』か。途中、ヒチコックの墓石(ホンモノじゃないようだけど)が登場してたけど、ヒチコックの映画を引用してますよ、のメッセージか。構成が『めまい』だ、という説もあって、見てはいるんだけどストーリーを忘れているので、そうだっけ、な感じ。
美女の残す痕跡をたどる、といってもたいした推理もなくて、ほとんどはご都合主義。ではあるんだけど、全編に散りばめられているあれやこれや、人物が豊かで、どれも何かありそう、というか、何かあるようなモノを配していて、それを見ているだけで楽しい。もう一回、いや、何度も見て確かめたい気持ちになる。カワイイ女の子もたくさんでてくるし。あれ、あの娘は、あそこに登場していた彼女か? とか、ついていけないところもたくさんあった。
陰謀論を主張する漫画家と接触して情報を得る、といのうのもあったけど、その漫画家は殺されてしまう。陰謀があったということなのか? 曖昧なまま放り出す。
で、最後はその漫画家から得たゲームの地図と住んでいる街を重ね合わせ、目的地を発見するんだっけか。もう3週間前の記憶なので(これ書いてるのは6月1日)、薄れちゃってるよ。ははは。
あの音楽も、これも、どれも、すべて自分がつくって送り出した、と自称する老人にも会った。で、サムは彼を殺してしまうんだけど、あれは事実なのか妄想なのか?
最後は、終末論的な宗教団体のキャンプみたいな所に行き着いて。美女は地下にいて、教えに従って自ら死を望んでいる? とかいう話だったかな。そっから彼女を救うんだったか、よく覚えてないよ。ラストシーンは、ずっとベランダから覗いていた、いつも半裸でおっぱい丸出しのオバサンの所に行って、彼女とセックスする、というものだったかな。
・ホーボーの記号を使っているということは、その末裔? 宗教団体。
・パーティで会った女性は、あれは、最初の方でサムとバコバコやってた娘?
・無声映画の女優は、どういう意味があるんだ? 
・スカンクの匂いがついて消えないという設定・・・。
とにかく、あれこれ要素をばらまいて目眩まし、みたいな不思議な世界が楽しい。あんまり理屈を追求してもしょうがないのかも知れないけどね。
ザ・フォーリナー/復讐者5/16MOVIX亀有シアター7監督/マーティン・キャンベル脚本/デヴィッド・マルコーニ
原題は“The Foreigner”。「based on the novel "The Chinaman" 」だそーだ。allcinemaのあらすじは「ロンドンで中華レストランを経営し、高校生の娘と2人だけの穏やかな日々を送るクァン。だがある日、その大切な愛娘が無差別テロの犠牲となってしまう。犯人への復讐を誓うクァンは、やがてテロを実行した北アイルランドの過激派組織と繋がりのある大物政治家リーアム・ヘネシーにたどり着く。犯人の名を明かすよう迫るが、リーアムは平然としらを切りとおす。失うもののないクァンは、そんなリーアムに対し、彼のオフィスに小型爆弾を仕掛け、自らの固い意志を過激な行動で示す。クァンはかつてアメリカの特殊部隊に所属していた一流の工作員だったのだ。クァンはこれまで封印してきた戦闘スキルを駆使し、実行犯を突き止めるべくリーアムを追い詰めるとともに、テロ組織へと迫っていくのだったが…。」
Twitterへは「暦過ぎのジャッキー・チェン。さすがにアクションはカット割りしてる。話はIRAがらみで、いまいち分かりづらい。二転三転、背景・設定が分かっていれば面白いんだろうなあ。でも、どこで驚けばいいのかよく分からんのだった。」
IRAは、分かるんだが。元活動家で副首相というリーアムの立ち位置がよく分からない。最初のうち、元副首相なのか? とも思った。なぜなら、彼が妙な集まりに参加していて、それはUDIとかいうグループで、武器がどうとか爆弾がどーとか言っているので、現在はそっちのグループの幹部なのかな、と思ったのだ。しかも、けっこうヤバイ話もしている。UDIってなんなんだ? と思っていたら、やっぱりリーアムは副首相らしい。にしては、ずっと北アイルランドにいる。英国の副首相がなんで? というようなまま見ていたので、どこが公でどこが地下的部分なのかよく分からない。なので、次第にUDIのメンバーが冒頭の爆破事件に関与しているようなことが分かってきても、そのどこがどう意外なのか、ピンとこないのよね。最後は、リーアムが糸を引いて事件を起こしていたらしいとか、リーアムの愛人が実行犯だったとか、その愛人がリーアムの動向をスパイしていて、それを命じたのはリーアムの奥さんだったとか、いろいろでてきて、関係がちゃんと分かっていたらドンデンに次ぐドンデンでさぞかし面白い話なんだろうな、とは思ったけど、背景が分かっていないので「おお」と驚くタイミングがまったく分からない。なんだかおいてきぼりを食らったみたいな気分。ちゃんと説明してくれないとなあ。
人物も、たくさんでてきて、困惑。たとえばショーンという工作員。最初、彼はリーアムの息子? と思っていたら違うようで、他人? と思っていたら、甥だった。しかし、なんでこんな工作員がいて、アメリカで何やらやっている、というのも、「?」だよね。他にもリーアムの警護担当とか、UDIのメンバーとか、土台が分からないままにいろんな人がでてくるから、さらに困惑・・・。
ところで、Wikipediaなどを見るとリーアムは北アイルランドの副首相となっていて、英国の副首相ではないのか? ってことは、副知事ぐらいのものなのか?
で、クァンは元アメリカ特殊部隊出身と言うことなんだけど、元は中国からタイ経由でどうたらで、タイの海賊に妻と娘1人(?)を殺されたという設定だったかな。では、いつ特殊部隊にいたのかね。いつやめて中華屋のおやじになったの? されに、このたび娘を爆殺されてのちのヨロヨロ具合は、とても元特殊部隊に見えんぞ。
で、クァンはしつこくリーアムに「実行犯は誰だ」とからんでいくんだけど、犯行声明でUDIと名乗って、リーアムがUDIのメンバーである、というだけで、なぜあんなにしつこく、しかも、脅しの爆破まで出来るんだ? 根拠が薄弱すぎるのではないか?
一方のリーアムも、トイレを爆破され、その後、別荘だったかも爆破されても、警察を呼ばないのはなんでなの? な疑問もつきまとうのだよ。むしろ、簡単に副首相の執務室に入れたりするのが布志場。セキュリティ変だろ。
UDIというグループは、警察や国家から監視されてないのか? そういえば、リーアムと電話が話してた、んだったか、年輩女性。閣僚クラスのようだけど、あのオバサンはどういう力関係でとうじょうするのだ? 恩赦がどうのといっていたけど、意味がよく分からず。
ショーンだったか、警察のボスみたいな黒人とどっかで会って交渉したりする。あれもまた、よく分からない。
クァンはリーアムの別荘みたいなところにも行って爆弾破裂させたり、最後は副首相の私邸(?)みたいなとこにも忍び込んだりする。どうやって情報を得たんだ? これも元特殊部隊の情報網? ムリだろ。
首相は、後半チラリとでてくる。あれは北アイランドの首相なのか。イギリスって、スコットランドとかウェールズとか、あの単位ごとに首相がいるのか?
あと、リーアムがSPも付けずに町をふらついてカフェで愛人とキスするとか、おいおい。顔の知られてない副首相なのか?
最後、クァンはリーアムを殺さない。その実像をバラすだけに留める。政治生命を絶って、あるいは犯罪者として警察の手に渡す、ということなのか。なんで殺さないの? と思ってしまう。あと、ひとり実行犯のいる部屋に侵入し、1人でみんなやっつけちゃうんだけど。女性=リーアムの愛人だけはトドメを刺さなかった。あれは、生かしておいて、彼らが最後に仕掛けた爆弾のありかを教えさせるため? なことないよな。クァンはそんなこと知るよしもないだろう。変なの。
で、あの愛人女は、別の男とも色仕掛けで、男のPCに爆弾を仕掛けた、ということか。よくやるね、な感じ。警察は、必要なことを聞き出すと、情け容赦なく女を射殺してしまったけど。
中華屋に戻ったクァン。従業員の女と、キスする場面は泣かせどころ。はいいんだが、その様子を警察が監視していて、銃口が向けられている。警官は、殺すか否かを上司に確認するんだが、上司は「あの男には借りがある」って、射殺しない。あの「借り」は、クァンがテロ一味を一網打尽にしたことか? それはいいとして、自分に照準が向けられていることを、クァンは知らないはずはないよな。でも、知らないのかな。よく分からない。
東への道5/19ブルースタジオ監督/D.W.グリフィス脚本/アンソニー・ポール・ケリー
原題は“Way Down East”。allcinemaのあらすじは「ニュー・イングランドの片田舎に母と住むアンナは、生活に困って頼った富裕な縁者トレモントの屋敷で知りあった遊び人のレックス・サンダースに結婚をダシに騙され、体を求められた挙句、捨てられる。やがて彼の子を宿したアンナは人知れず僻村で出産するが、すぐにその子を病死させてしまう(洗礼を受けなければ地獄に落ちると陰険な家主に言われ、自ら赤児に洗礼を施す場面は泣かせる)。そして、虚脱状態でそこを後にし、近くの村に職を求める。グリフィスが理想化して描いた、そのバートレット村は、慎み深い郷主をはじめ、気立てのよい連中ばかり住んでおり、レックスの非道とは対称的である。前にも伏線的挿話が語られ、郷主の息子デヴィッド(バーセルメス)は、いわゆるグリフィス的霊感というヤツで、アンナの予知夢もみていた。彼はアンナを“運命の人”ということで慕うが、彼女は“過去”ゆえにそれを受けつけない。やがて、同地に別荘を持つレックスが再び彼女の前に姿を現わし、陰険な女大家も編物の集会で訪れて、アンナの古傷は白日の下に晒されるのだが……。」
Twitterへは「1920年。グリフィス+リリアン・ギッシュ。活弁上映。ツッコミどころは多いけど、なかなかドラマチック。字幕直訳棒読みなところもあって、いま少し工夫が欲しい感じ。あと上映前にあらすじ話すのやめて欲しい >> 弁士」
弁士はハルキという名前の女性。下手のテーブルで、照明ライトが少し気になったけど、まあいいか。
彼女、挨拶後に設定(清教徒的な、という言葉やアンナという名前が聞こえて、どうやらあらすじをしゃべってる様子。設定を伝えた方が理解しやすいと思ってるのかも知れないけど大きなお世話。そんなに説明したかったら上映後に話せばいいのだ。なので、耳をふさいでなんとかしのぐ。
観客席は7割方埋まっていて、けっこう入っている。右翼に座ったんだけど、2列前の男が弁士登場後、スマホで撮りだした。城内撮影禁止なんだけどね。あろうことかこいつ、上映開始後、スクリーンにスマホを向け始めた。なので、右側は空席だったので立ち上がり、リュックをふって後頭部に当ててやった。それでまあ、収まったけど、なんでも記録したいバカはいるのだよな。というわけで、その前後、集中力を欠いた。アンナが上京(?)し、母親の従妹なのか、の家に行ってパーティに参加するあたりのところで、あいまいなところが・・・。くやしい。
で、話は、スケコマシのレックスに騙され子をなし、捨てられたアンナが田舎に落ちて苦労の末に幸せになる話。Webの解説は一様に、清教徒的な厳格さで、未婚の母となったこと、父親のいない子を死なせたことなどが非難される時代だった、というような説明。しかし、当時の勢力とか、他の宗派との違いとか、この清教徒はいま何派になっているのか、とかいうような説明はなく、いささかもやもや。
アンナも承知のようで、素性を隠して別の街で子を生み死なせ、アパートを追い出されてバートレット村に流れ着き、運よく地主家族に職を得る。けれど、隣家の地主がレックスで、鉢合わせ。おしゃべり女のせいで過去がバレ、地主の主人に追い出されたが吹雪の中。地主息子のデヴィッドが追いかけ、滝壺に落ちんとするところを救出し、地主主人もアンナに謝罪。教授と、デヴィッドの許嫁だった娘、アンナとデヴィッド、おしゃべり女とびっこのストーカーの3組の結婚式で、The End。
クライマックス、流氷にながされるアンナ。八艘飛びでアンナを救うデヴィッド。あの流氷は板でつくってるのかな。なかなかスリリング。
とはいえ、「?」も少なからず。
アンナは、資金援助を求めて母の従妹のところに行った、のか? 本人が遊びたい、もあったのか? しかし、アンナの母と従妹は、仲が悪いの? ずっと連絡は無かったのか? 従妹のオバサンは、もアンナを煙たがってるようにも見えたけど。でも、色っぽいドレスを着せてもくれたんだよな。あのあたり、よく分からず。
あのパーティでは、従妹の娘と、その友人ぽっいのが何人か? 彼女らのほうがアンナに意地悪?
レックスがアンナに目をつけ、何度かデートして、男が「従妹のオバサンがいるから」という口実で家に呼びつけ・・・という流れだけど、アンナはずっとどこに暮らしてたんだ? 従妹のオバサンのところではなかったの? 一緒に住んでるなら、レックスのところで会う必要はないよなあ。じゃあ、どっかに部屋を借りていた? そんな金は、ないだろ?
で、レックスはアンナとするために、偽装結婚? 手が込みすぎてやしないか? 結婚してないとアンナとセックスできないからなのかな。宗教的な縛り? じゃあ、レックスは他の女性との時も擬装結婚してたのか?
結婚も妊娠も叔母に言わないというのが、変だよな。で、アンナは別の街に越して出産したらしいが、アパートを借りたり、資金はどうしたの?
そういえば、アンナと男の結婚式で、リングが落ちて。それで、別の男(デヴィッドだった)がうなされて起きるというのは、なんなんだ。解説を読むと予知夢らしいけど、オカルトだな。
コメディリリーフのおしゃべり女、教授とか、周辺のキャラがなかなか良い。それ以外にも、おしゃべり女を追いかけるびっこの男とか、その他、その他、いろいろ登場する。随時、お笑いシーンが挿入されていて、サービス精神もたっぷり。
でも、冒頭の、従妹のオバサンとか、その娘とか、あとから関係があるのかと思ったら、そんなことはなかった。それと、バートレット村で発生した郵便局の強盗は、なんの伏線にもなってなかったなあ。
最初の、パーティで、女性たちがトランプしている場面があって。弁士が「ポン!」というんだけど、トランプで「ポン」はあるのか?
初恋〜お父さん、チビがいなくなりました5/21シネ・リーブル池袋シアター2監督/小林聖太郎脚本/本調有香
allcinemaのあらすじは「連れ添って50年になる勝と有喜子。3人の子どもたちも巣立ち、夫婦ふたりで穏やかな日々を送っていた。しかし無口な勝は家では何もせず、身の回りのこともすべて有喜子まかせ。そんな頑固でぶっきらぼうな勝の世話を黙々と焼く有喜子にとって、もはや話し相手と呼べるのは飼い猫のチビだけ。ある日有喜子は、娘に“お父さんと別れようと思っている”とつぶやく。母の真意がわからず、子どもたちは右往左往するがかりだったが…。」
Twitterへは「ほのぼのスローな内容だなと思って見てたら、断ち切るように終わってしまって。つらく哀しい未来が待っている感じ。倍賞千恵子がフツーの冴えない婆さんになってて、なかなかいい。」
妻と話さないジジイ。飯はつくらん家事もしない。威張ってるけど、すべて妻に頼ってる。妻の日々は、猫が話し相手。あんまりなので、離婚したい、と次女37歳にぼやく。それを本気にした長男、長女が突然里帰りするけど、真相はつかめずさっさと帰る。↑のあらすじみたいに、右往左往はしてない。
会社の相談役をしている、といって週に数日外出するけど、女がいた。といっても話をするだけ、みたい。その女性は、妻の元同僚・志津子で、かつて渋谷辺りのミルクスタンドの店員だった。勝は、毎朝7時20分に立ち寄ってミルクとあんパン。それをいつも志津子から買う。なので新人店員の有喜子は、勝に一目惚れしつつも見ているだけ・・・。なところに叔母(だったか)から見合いの話があって、写真を見たら勝ではないか。見合いの場で勝は「一回目の見合いで結婚するつもり」といわれ、そのままゴールイン。有喜子は恋愛の結果の結婚と思っているが、勝は子供たちに「見合いだ」といっている。という過去があって、これは白黒で再現される。のたが、いまになって有喜子と勝が定期的に会って話している理由は、最後まで分からない。
あるとき勝は、有喜子に会いに行って、駅でうろたえる。どう行けばいいのか分からなくなってしまった感じ。認知症の初期症状を示唆している、のか。そのことを後日、有喜子にいうと、「奥さんに話した方がいい」と忠告するぐらいだから、勝とどうにかなろうとは思っていないはず。
というのが大きな事件で、それ以外の話はどうでもいいエピソード。猫がいなくなって、最後には戻ってくる。そんなことは、見ている方も分かっているし、事件にも発展しないし。有喜子が離婚したい、と思うのも、日々の不満からだ。有喜子に生活力があれば、さっさと別れているはず。いまどきの夫婦なら、そうしているだろう。でも、結局のところは、決断はしない。そう読める。昭和の夫婦の話である。妻の不満も、贅沢、と言われてオシマイな感じ。だって、最初は娘1人? と思っていたら子供3人育てて、なんの不満があるか、な感じ。むしろ、有喜子が亭主に頼っているとしか見えないから。昔風の婆さんでも、多くは婆さん仲間とかたくさんいて、亭主さておいて温泉にでも行ってるよ。亭主の脱ぎ散らかしたもの集めたり、炊事洗濯すべて妻で、弁当までつくる。それは、もう、亭主が好きだからだろ。そこに仕合わせがあるのだよ。不満なら、さっさと別れてる。
でも、有喜子が勝に「離婚したい」いうと、勝が動揺するのは、ありきたりな反応な気がする。何も出来ない亭主という設定は、ちと旧いよ。まあ、まさか、という気持ちからかも知れないけど。でも、認知症の自覚があったから、世話してくれる人がいなくなる、と思って、突然、妻に優しくなった可能性もある。猫なんて「もう死んでるよ」と言っていたのに、突然「生きてるよ」と言ったり、明らかに変。でもって、有喜子に、「私はあなたが好きで結婚したのに」といわれて、ボソボソと告白するんだけど、ミルクスタンドで勝が見初めたのは有喜子の方で、見合いの場に行ったら、その好きな人が目の前にいたから結婚した、といまさらいうのは、なんかな、という気もしないではない。
まあ、いろいろ不器用な昔風の男が痴呆になる前に妻に告白した、という話である。
そこに猫の家出話をからめただけ。子供たちや、たまたま知り合った小説家志望の青年(か?)との将棋とか、あるけど、どうでもいいかんじで。最後に残るのは、男の打算だったりするのが、ちと残念。
あの、ラストシーンでみつけた小猫。勝は「ほっとけ。俺たちの歳では最後まで面倒見切れない」というのは、自分が認知症になることを見越してのこと、なのか。でも、有喜子は拾い上げようとしている。そこでいきなり映画は終わってしまう。余韻と言うより、放り出した感じだな。小説家志望と次女のゆくえとか、志津子との関係もほったらかし。うーむ。ちとじれったい。
※Webで、志津子との密会の理由の場面がカットされているという指摘があった。原作漫画には、勝が旅行の計画をしたり、チビを探す場面もあるという。なので、「話がある」というのは、志津子の件かも知れない。とはいえ、映画のような終わり方をしたら、認知症の告白、としか読めんよな。
アメリカン・アニマルズ5/22ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/バート・レイトン脚本/バート・レイトン
原題は“American Animals”。allcinemaのあらすじは「大学生のウォーレンとスペンサーは、中流階級の家庭に生まれたごく普通の大学生。何不自由ない生活を送りながらも、平凡な日常に苛立ちと焦りを募らせていた。そんな時2人が目を付けたのが、大学図書館に所蔵されているジェームズ・オーデュボンの画集『アメリカの鳥類』という、10億円以上の価値がある貴重な本。それを盗み出せれば、人生が特別なものになるに違いないと思い立った彼らは、協力者として秀才のエリックと青年実業家のチャズをリクルートすると、さっそく綿密な計画を練り始めるのだったが…。」
Twitterへは「当の本人出すのがウリなのかも知れないけど、中途半端な再現ドラマみたいな感じで、うーむ、な感じ。計画も実行もトンマで、アホかと思う。」
大学生が頭脳プレーでカッコよく強盗を決め、スカッと逃亡的な話かと思っていたらさにあらず。トンマな4人が場当たり的に盗人計画を立て、映画に手口を学んで勢いで侵入。けれど根性が座ってないからドタバタアタフタ。目当ての豪華書籍は盗めず、小品をいくつか持ち出したけど、自前の携帯番号を使いまくっていたので呆気なく素性がバレ、とっ捕まってしまう、というどーしようもない話だった。犯行後の4人がボロボロと壊れていくのも、見ていて重苦しく息苦しい。
コメディかというような笑えるところも少しあるし、これじゃあ・・・というような気の毒に思えるところも。そして、アホか、と呆れてしまうところもある。
で、冒頭は決行日(といってもその日は中止して翌日に繰り延べするんだが)に、変装した4人が図書館に乗り込むところで、そこから1年数カ月前に遡るんだが、なんと、実際の実行犯が登場してあれこれインタビューに応えて話していくという趣向。いわば短いドキュメンタリーに長い再現ドラマをくっつけたような構成で。顔が2倍(4人×2=8人)になるので、覚えるのが大変。主役クラスの2人はまだしも、あとからメンバーに加わった2人など、変装したら区別つかないし、翌日の実行日にも、どれが誰だっけ? と特定するのに難儀したりもした。
なので、本人はよくあるようにぶら下がりにして。ずっと再現風にして見せてくれた方が素直に見られたかも。最初に変装して行く直前で、たぶん5分ぐらい寝落ちしたし。話に没入できなかった、のだ。
トランシルヴァニア大学のスペンサーは、分かる。近ごろよく見かける役者だ。でこの悪友のウォーレンも、なんとなく分かる。3番目に加入のエリックが、ヒゲを剃ってしまうとよく分からなくなる。4番目のチャールズは、ウォーレンとときどき見誤った。
で、性格的にお調子者のウォーレンは、分かる。引っぱられてしまうスペンサーも、まあ、過ちかな、という感じ。分からないのがエリックとチャールズで。2人はこんなバカげた計画に参加するような人物ではないんじゃないの? まあ、そういう人物でも、数億という現金によろめいちゃうのかね。
そもそも目当ての貴重本は12億だったか。でも、故買屋を経由すれば3、4割。ということは、成功しても1億円程度だ。それに人生を賭けるか? と言う話だよな。やっぱ、頭悪すぎ。これがまあ、酔った勢いでついついやっちゃった、というような悪事なら“あり得る”と思うけど、何度も計画を練り、段取りも決め手の計画的犯行となると、やっぱ浅はかとしかいいようがない。
7年の実刑で、ウォーレンは別の大学に入り直して、なにしてるんだっけ? 忘れた。スペンサーは、鳥専門の画家。エリックは、この原作を書いた、んだったか。ライター業のようだ。で、チャールズはスポーツトレーナーをしてる、と最後に紹介されていた。
居眠り磐音5/24109シネマズ木場シアター6監督/本木克英脚本/ 藤本有紀
allcinemaのあらすじは「故郷・豊後関前藩で将来を嘱望される藩士だった坂崎磐音は、ある悲劇的事件によって2人の幼なじみを失い、祝言を間近に控えた許嫁の奈緒とも別れざるをえなくなる。脱藩し、心に深い傷を抱えたまま、江戸で長屋暮らしを始めた磐音。長屋の大家・金兵衛の紹介で、両替屋・今津屋の用心棒として働くことに。その穏やかで誠実な人柄と、確かな剣の腕前で、次第に長屋の人々から信頼され、いつしか金兵衛の娘おこんからも好意を持たれるようになる。そんな中、田沼意次が発行した新貨幣を巡る陰謀に巻き込まれてしまう磐音だったが…。」
Twitterへは「前半も、所を変えた後半も、あれこれあって面白い。でも、そもそもを考えると軽挙妄動だし、許嫁を追わないのも解せない。なので素直に拍手できないのよね。入館時に文庫サイズの脚本くれたのは嬉しい。」
前半、といっても1/3ぐらいまでかな、は地元藩での話で、痴話話と誤解の悲劇。なんだけど、ちゃんと調べもせんで妻を手討ちにするのはただのバカだろ。
具体的には、山尻某が奈緒を見初め猛烈アタック。それを舞が仲裁するべく山尻と面会。それが山尻と舞の不貞という噂になり・・・。らしいが、叔父の蔵持に説明され信じ込む慎之輔がただのアホ。磐音の妹が真相を磐音に話すんだけど、妹が知ってるぐらいだから奈緒も知ってるだろうし、家族も知ってるだろうに。ちょいと調べれば分かるはず。
舞の遺骸を引き取りに行った琴平も、そこで慎之輔を斬ることはないだろ。蔵持が証拠の品といって慎之輔に見せた簪も、たんに舞がなくしただけのこと。いや、蔵持がくすねたのか? そもそも、蔵持の狙いはなんだったんだ? 甥の嫁が不貞を働いた、という話をてっちあげ、どうしようとしていたのか? さっぱり分からない。
あとから、 関前藩藩主なのか、が、お家断絶となって貧乏暮らしの奈緒を呼びつけ妾になれ、と迫る場面があるのだが。もしかして、藩主→蔵持という流れで、山尻はダシにされただけとか? よく分からないままだ。
後半になって、誰かが関前藩での出来事には裏がある、ようなことを言っていた気がするんだけど、結局最後までそれは解き明かされず。なんだよ、な感じ。
で、後半なんだが、田沼意次の改革は正しい、という話の流れが、なんか違和感。田沼政治は汚職まみれで、いつも悪人で登場するんだけど。で、少しWikipediaでみたら、製剤改革については、よくやった方なのかな。それと、南鐐二朱銀というのは知らなかったけど、通貨安定に寄与したようなことは書いてあった。でも、両替商は一様に反対したとか。というなかで、今津屋の吉右衛門は1両=南鐐二朱銀8枚を頑なに守ったとなっている。これは、なんでなの? 小説の設定上のことなのか。具体的にモデルがいるのか。知りたいところ。
さらに、南鐐二朱銀がの価値が下がって1両=南鐐二朱銀12〜13枚だから、それを利用して利ざやを稼ぐとかいう話がでてきて。ん? どういうことだ? と数字に弱いこちらは一瞬考えてしまう。阿波屋の有楽斎が南鐐二朱銀を買い集めているとか、そういうことになるとピンとこなくて、少し戸惑った。ああいうの、頭の悪い人向けに、もうちょっと図解とかして説明してくれないかな。簡単な絵が一瞬でたけど、あれじゃ分からんよ。
で、反田沼派の幕閣・酒井が糸を引いて有楽斎を動かし、田沼の政策に忠実な吉右衛門に脅しをかける、というのが話の流れ。で、それを説明してくれたのは奉行だったのかな。でも、見ているこちらには、どっちの味方なのか分からないので、かなり戸惑うところ。それと、多数派の反田沼派に、どうやって吉右衛門が対抗できたのか、そのあたりも曖昧なままなんだよね。規模でまさる風には見えなかったんだが。
有楽斎の手下の浪人たちと磐音の斬り合いも見どころではあるが、居眠り剣法といいつつ、なるほど感がないのはちょっとな。それより、斬り合いをすると磐音がいつもどこか多少斬られる、というのがリアリティある感じ。
でまあ、有楽斎のやり口も、吉右衛門を支援する花魁や魚河岸、役者なんかの応援ではねのけ、手下も磐音が片付けて一件落着。とはいえ、お家取り潰しで、病気の父親を抱えた奈緒をどうするのかと思ったら、なんと奈緒は遊女になっていて。いまは吉原の超売れっ子に。身請けするのに1200両かかるからと、いまもバイトに精をだす磐音だった、で終わっていいのか? いくら奈緒の兄を切ったからといっても、今後の奈緒の生活を考えたら、真っ先に駆け付けるのが筋だろ。それと、花魁の身請けは、そんなかかるのか? 遊郭を点々とするうち、値が上がったのかね。とはいえ、吉右衛門は1200両ぐらいだしてくれないのか? 用心棒の口もまだあるだろうに。な気がして、腑に落ちないエンディング。大家の娘で今津屋の女中・おこんは磐音に気があるとか、その外、要素がたくさんありすぎで、お腹一杯だけど、うまく整頓できてない感じもして、なんかスカッとしないんだよなあ、いろいろと。
ジュリアン5/27ギンレイホール監督/グザヴィエ・ルグラン脚本/グザヴィエ・ルグラン
フランス映画。原題は“Jurian”。allcinemaのあらすじは「両親が離婚し、母と姉と3人で暮らすことになった少年ジュリアン。しかし父アントワーヌにも共同親権が認められ、隔週で週末を父と過ごさなければならなくなる。するとアントワーヌは、ジュリアンから母の連絡先を聞き出そうとする。母がアントワーヌに会いたくないと知るジュリアンは、アントワーヌに母の居場所を突き止められないよう必死で抵抗するのだったが…。」
Twitterへは「離婚調停と親権問題の真面目な話かと思ったら、気分の重くなるホラーだった。」
最初の10分くらいは、判事(?)を交えた調停の様子で、互いの弁護士(判事も弁護士もすべて女性)が主張を述べ合う。これであらましを分からせようとしてるんだが、印象的には暴力亭主が悪そうな感じ。顔つきも含めて。で、結果は後ほど、になって。母側の引っ越し作業中に電話で、どうやら父側の要求が通り、ジュリアンは週末を代わりばんこで過ごすことになる。以後、ジュリアンの父親に対する態度は不満顔で、母親が吹き込んでる様子はなし。で、ちょっとしたことで父親は激高。父親の両親宅で食事中も、ジュリアンに根掘り葉掘り質問し、答えないとテーブルを叩いて怒鳴り散らす。これには祖父母も「お前は・・・」とあきれ顔。だったら祖父母も孫のためになる陳述をすりゃあいいのに。
分からないのは、父親は母親側の近くに越した、とか言ってたけど、その家は登場せず、父親の両親の家がよく登場する。母親側は、一戸建てから引っ越す様子。という経緯が分かりにくい。なんで越すの? 父親に知られないように? でも、すぐに父親の妹か誰かにジュリアンと姉が目撃され、居場所がバレてしまう。狭い町なら当然だろ、な感じ。それと、接近禁止とか、母側の居宅の場所や母親の電話番号を知らせなくてもいい、あるいはムリに聞き出してはいけない、というような制約は、ないの? そのあたりが分からないので、どーもスッキリしない。
父親は、ジュリアンを脅して転居先のアパートに入り込むし、このあたり、圧力がだんだんホラーになってきて、調停の話ではなくなっていく。
これと並行して進むのが、ジュリアンの姉の話で。高校生らしいけど、好きな彼氏がいて、学校サボって会ってる様子。しかも、妊娠してる様子。その姉たちのパーティがあって、これが何のパーティかよく分からんのだけれど、歌詞会館みたいなのなのか、そこで姉も歌ったり踊ったり。どうも、母親側の親戚友人を招いてのドンチャン騒ぎ? 
ここで、母親の彼氏みたいのが登場したり、娘の友人のバンドメンバーみたいなのもでてきたりするんだけど、最終的に娘関連のあれやこれやは一切話に関係ないというテキトーさ。娘の妊娠話はどこいった? 
で、パーティから戻って母とジュリアンと寝てるとピンポンが押され・・・以後の暗闇がムダに長くてムカムカする演出。の後、ドアを蹴る音。隣人のババアが驚いて警察に電話。と、なーんと、父親はかんしゃく起こしてドアに発砲というムチャクチャな展開。これが数回発砲するから、こりゃもう異常だろ。たまげた母も警察に電話して、浴槽に逃げ込む・・・と、そこに警官がやってきて、救い出される母とジュリアン。で、おしまい。下手な『シャイニング』だろ、これ。
これで、調停した父側の弁護士や判事にたいする非難になってるかというと、そんなこともなく。ただのホラーでしかない。やれやれ。胸くそが悪くなった。
マチルド、翼を広げ5/27ギンレイホール監督/ノエミ・ルボフスキー脚本/ノエミ・ルボフスキー、フロランス・セイヴォス
フランス映画。原題は“Demain et tous les autres jours”。「明日とその次の日々」とかいう意味らしい。allcinemaのあらすじは「パリのアパルトマンに暮らすマチルドは9歳の女の子。一緒に暮らす母親は情緒不安定で、彼女の奇行に振り回されっぱなしのマチルドだったが、それでも母のことが大好きだった。そんなある日、母からマチルドに突然のプレゼントが。中身はなんと、かわいい小さなフクロウだった。しかもマチルドをもっと驚かせたのは、そのフクロウがしゃべりだしたことだった。しかしフクロウと会話できるのはマチルドだけだった。フクロウは孤独なマチルドの良き相談相手となり、友情を育んでいくのだったが…。」
Twitterへは「エキセントリックな家族のファンタジーかと思ったら、メンタルの話だった。あの世界を美化したい人は、まだ多いんだな。」
小学校での、母親とマチルドの、校長との面接から始まるんだけど、母親は、なぜ来たのか忘れた、とかいって帰っていく。エキセントリックなオバサンだな、とか思っていたら、娘も相当変で。授業で見た骨格見本を黙って持ち出し、家に持ってくる。それを、家に飛び込んできたのを母親が捕まえた、というフクロウの助言(鎮魂のためとかだったかな)で、山に埋めに行くのだ。では学校でガイコツがなくなったと騒ぎになるかと言うこともなく、話は母親の妙な行動が描かれる。
突然「引っ越しだ」と荷物をまとめて某所に行ったら、母親の思い過ごし。学校の発表会でマチルドが独唱すると、客席からやってきてマチルドを抱きしめたり。クリスマスだったか、マチルドがテーブルをセットし、あれこれ用意してたら、母親がいなくなってる。やれやれ。と思ったら七面鳥は焦げてしまう。イラッとして、マチルドは皿を割ったり、あれこれ窓からモノを放り投げたり。揚げ句、カーテンに火をつけてしまい、フクロウの指示で消火したりする。とんでもない子供だ。そういえば、ガイコツを入れてた袋も、埋葬後に駅について走り出したら、簡単に捨ててしまってた。どーも乱暴な感じ。と、どこかの駅から電話で、「お姉さんがこの駅に来ている。そちらの駅行きに乗せるから」とのこと。で、夜中に戻ってくるんだけど、どうやらこれは、ただのエキセントリックではなく、精神病のようだ。
そういえば、父親とはPCのビデオ電話で会話したりしてるんだけど、その父親が翌日だかにやってきて、父親がマチルドを預かるとか、病院に、とかいっている。登校したマチルドのもとにフクロウの声がして、「母さんが病院に連れていかれる。学校を抜け出せ!」とかいう指示で、すたこらさ。でも、間に合うはずもない。
というわけで、以後、ずっと入院生活?
成長したマチルドが病院を訪れ、バラの花を摘んでいる母親の手伝いをしてると雨が降ってきて、ともに妙な歓喜の踊りを始めたりして、そこでオシマイ。
不思議ちゃんの母親は精神病で変なだけで、不思議ちゃんのマチルドは、母親の影響なのか? というか、両親の離婚は病気の前なのか後なのか? 父親は、すでに発病してから結婚したようなことをいっていたような・・・。あやふや。とはいえ、病気の母親と娘を一緒に住まわせる父親って、ひどいのではないの? 生活費とか、もろもろ、どうしてたんだ? 
それと、フクロウの声がマチルドにだけ聞こえる、という設定は、なんなの? 子供の夢想のようなものなのか。さらに、ミレーのオフィーリアのように、水没したマチルド(だよな)の映像がたびたび登場する。でも、ラスト近く、彼女(成長しているように見えたけど)は、水から立ち上がる。あれは、母親から解き離されることで、生き返るということでよいのかい? でも、マチルドは、思うほど母親に面倒をかけられてはいないような気もするんだけどね。ときどき翻弄されはしているけど、日常的に世話しているようなところも描かれてないし。
そして、ラストの母とマチルドの官能的な踊りは、精神病的状態をムダに美化するようなところもあって、嫌悪感だけ。この手の美化は、よくあるんだよな、いろんな映画で。本来の精神病患者は、あんなファンタジックでもロマンチックでもないだろ。
名探偵ピカチュウ5/28109シネマズ木場シアター5監督/ロブ・レターマン脚本/ダン・ヘルナンデス、ベンジー・サミット、ロブ・レターマン 、デレク・コノリー
原題は“Pokémon Detective Pikachu”。allcinemaのあらすじは「ある日、青年ティムは敏腕刑事だった父ハリーが事故で亡くなったとの知らせを受け、荷物を整理するためライムシティにあるハリーの部屋へと向かう。するとそこでハリーの元相棒だったという名探偵ピカチュウと出会う。彼は事故の衝撃で以前の記憶を失っていたが、ハリーはまだ生きていると確信していた。そこで2人は協力してハリーの行方を追うのだったが…。」
Twitterへは「話がよく分からなかった。ポケモンをほとんど知らずに見たのが悪かったのか。子供はスッキリ分かるのかね。ヒロインもいまいち田舎くさいんだよね。」
ポケモンがたくさんいるのは知ってるけど、ピカチューしか知らない状態で見た。なので、モンスターを見ても何も感じないのだよ。しかも、人間とポケモンが一緒にいる世界、というのも違和感ありすぎで、やっぱり実写版は、素直に受け止めにくい。
で、ティムが父の事務所に行くと旅行券があって、あやしいガラス管があって、そこから謎の煙が・・・。から始まって、あれこれ調べていく、というより、ご都合主義的にたどっていく話で。いまいち探偵ものとしては見るべき所はない。
父親が死んだ、という話に「?」を感じていたら、渡辺謙刑事にVR画像の証拠を突きつけられるのだけれど、あとから、ライムシティのボスにもっと詳しいVRを見せられて。父親が生きていることを知るんだけど、そもそもあのボスは何がしたかったんだ? ライムシティはポケモンと人間が共存する街。そこで、ボスは、ポケモンに人間の知性を合体させようとしていた、んだっけか? 
それと、冒頭の場面。ミュウが、水槽みたいな所から逃げだす? みたいな場面、あれは何なんだ? ボスがミュウをつくっていた? 逃げたミュウはどこにいき、何をしていた? ハリーの事故の時、ミュウが現れ、同乗していたピカチューの記憶を消して、でも、ハリーの体は預かる、とかいう話だったか。なんでそんなことをするんだ?
で、もうひとつ。始めのうち、黒幕はボスの息子、と思わせていて、実はボスが悪、ということなんだが。では、最初の方でテレビに出演していたボスと息子は、あれはホンモノの息子なのか? いや、ラスト近くで、ボスの息子がボスの部屋の鎧戸の中に軟禁されてて、出てくるという場面があって。となると、ボスの息子はずっとずっと昔からあの鎧戸のなかにいた、のか? でなけれど、いつ、息子はボス=父親の正体を知ったのだ? とか、考えてしまうのだ。
とまあ、いろんなところがよく分からないこの映画。少年少女たちは、すんなり理解できているのかしら。少し心配。
ガルヴェストン5/30ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/メラニー・ロラン脚本/ジム・ハメット
原題は“Galveston”。allcinemaのあらすじは「長年、裏社会で生きてきた男ロイ。ある日、ガンを宣告され、自らの死が近いことを覚悟する。運命を受け入れつつも、苛立ちは募るばかり。そんな時、組織に裏切られ、ボスが送り込んだ殺し屋の待ち伏せに遭う。なんとか相手を殺したロイは、その場に囚われていた若い女に気づき、彼女と一緒に逃亡を図る。ロッキーと名乗るその女は、生活のために体を売っていた家出娘で、他に頼るあてもないという。組織に追われる身となってしまったロイだったが、そんなロッキーを見捨てることができない。こうしてひょんな成り行きから、ロッキーを連れて、危険な逃避行へと繰り出すハメになるロイだったが…。」
Twitterへは「いい歳こいてチンピラやってるオッサンが小娘にプラトニックラブ。昔からよくある感じの話。冒頭からの経緯はちと分かりづらい。それにしてもエル・ファニングは変な映画にしか出ないのはなんでなの。監督がメラニー・ロランなのはびっくり。」「しかし。ガルベストンといったら、まずこれなんだけど。“Glen Campbell - Galveston”」
洗濯工場で働くロイが、社長からどこそこへ行け、といわれる。「銃は持っていくな。この間みたいな面倒なことにならないように」といわれ、同僚(?)とでかけると、いきなり3人の男に襲われて。同僚はやられたけど、ナイフ(?)で逆襲。椅子にしばられてた娘も助けて逃げ出す・・・という冒頭がよく分からない。ロイは何しに行ったんだ? そもそも社長の裏家業は何なの? ロイは、襲われた家で書類をかっさらってきていて、そこに社長のやりとりが書かれていて、後に社長を脅す材料にするんだけど、ありゃ何だったんだ? さらに、娘ロッキーは、なんであの家でしばられてたんだ? がよく分からない。おいおい、ロイは社長にハメられたのであって、殺される運命だった(だから銃は持たずに行けといわれていた)と分かるんだけど、なんでそうなったの?
というモヤモヤのまま話が進むので、いまいち感情移入できず。
40男で、肺がんかも知れない、というロイが無鉄砲になってるのは分かる。がしかし、19歳の娼婦を守ってやりたい、と思うようになる背景がいまいちつたわってこない。過去の贖罪も感じられないし・・・。一緒に逃亡中だったか、ロッキーが義父を殺していることを知った時だったか、どこかの街で娼婦を買っている場面があるので、性的欲望はある、のか? フェラされても勃起してなかったな、そういえば。とはいえ、ロイはロッキーを性的対象とみていない、というか、聖なるものとして見ている、のだろう。けれど、それが何に起因しているのか、が分からんののよね。
ロッキーの母親が再婚し、母親が死んだか逃げたかして、義父と生活を始めて狙われたので逃げてきた、といっていたから、襲われはしなかった、ということなんだろう。でも、16歳のその時、すでに子供を産んでいたということは、別につき合っていた男がいた、ということなのか。でも、幼い娘をおいて逃げ出せるものなのか? で、3年後、ロイとさの実家に行き、3歳になった娘を取り戻し、洋服も袋に1つ持ち出し、義父を撃ち殺す・・・という経緯が、うーむ、な感じ。だって義父は義理の娘の赤ん坊を育ててきたんだろ? 義父は、ロッキーと関係したのか? セリフでは、襲おうとしたから逃げてきた、といってたよな。なのに、その場で撃ち殺すか。それと、3年振りに会った娘がロッキーに懐いているのが、よく分からない。もしかして、3年振りではなく、その間に、実家に行き来していたとか? その過程で義父に?
新聞には、男の死体が見つかり、19歳と3歳の娘が行方不明、とあったんだよなあ。3年振りなら、19歳の娘が行方不明はおかしいよなあ、とか。
モーテルで、ロッキーの殺しを察したチンピラに誘われ、医者の家から麻薬を盗む、ということになって。でも、夜道であっさりとそのチンピラを絞め殺してしまう。おやおや。殺しは慣れてるんかい。
そんなロイが、主治医に電話して「俺の余命は!」と激しく聞いたせいで、居所が社長にバレてしまう。ってことは、電話会社も社長の息がかかってるのか? それと、主治医もひとこと「ガンじゃない」といえばよかったのに、と思ってしまうよな。
ロイとロッキー、妹(実はロッキーの娘)とビーチに遊んだり、のんびり、な3人。ロッキーには「高卒の資格を取って、大学も行け。そうすれば可能性が広がる」とかいったりして。これは、自分の人生がダメだったから、若いロッキーの身の上を心配しているのか。しらんけど。それだけ?
な訳で、例の書類をネタに7万5千ドルを社長に要求。でも、医者への電話で居所がバレていたので、いきなりロッキーとロイは社長の手下に捕まってしまう。ロイはひどい拷問を受けるんだけど、なんでさっさと殺さないのかね。
洗濯屋で、ロイに気のあるようなそぶりのおばちゃんが縄をほどいて逃がしてくれるんだけど。あのおばちゃんは、あとからどうなったのか、心配。
逃げる途中の部屋で、ロッキーが裸体で死んでいるのを発見。こちらの予想としては、ロイは社長一味に立ち向かって死亡、ロッキーと娘は逃げ出して・・・。というラストシーンかと思っていたので、意外な感じ。
なんとか洗濯工場から逃げ出し、入口にいた見張りのヤクザを刺し、クルマで撥ね、逃げ出した途端に暗転。で、病室。ガンじゃなくて、なんとかいう病気で、治療費も公的に補助される、といわれて本人も拍子抜け。まあ、こういうオチを活かすため、ロッキーは死ぬ運命にさせられたのかしら。
んでもって、20年後にロイは出所、なんだけど。いったいロイはどういう罪状で指名手配され、収監されたのだ? これがまた、分からないのだよ。で、1人生活しているところに、ロッキーの娘が訪ねてきて。ここでエル・ファニングの二役かと思ったらさにあらず。娘の「真実を」という問いに、「あれはお姉さんじゃなくて、お母さんだよ」とだけいうんだけど、まあ、それ以外のどれだけを知っているのか、娘は。それにしても、ビーチにいったことぐらいしか記憶がない、という娘が、ロイを執念で探し出す理由もよく分からんな。そこまでせんだろ。ほかに何か、強く印象に残る何かがなくちゃ。というか、娘のことをロイに頼まれた黒人おばちゃん2人が、ロイを育て上げ、大学までやってるのが驚き。お金持ちだったのね。あのときはモーテル住まいだったけど。

 
 

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