2019年8月

ポラロイド8/1ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ラース・クレヴバーグ脚本/ブレア・バトラー
2017年製作。原題は“Polaroid”。allcinemaのあらすじは「アナログのカメラが好きな女子高生バードは、バイト先のアンティークショップで、同僚のタイラーから掘り出し物のポラロイドカメラをプレゼントされる。さっそくタイラーで試し撮りをし、すっかり気に入るバード。その晩、渋々参加したクラスメイトたちの仮装パーティにもポラロイドカメラを持参し、みなで記念写真を撮ったりして、思いがけず楽しいひと時を過ごす。ところがそこへ保安官が現われ、タイラーが不審な死を遂げたと告げる。激しいショックを受けるバードだったが、タイラーの写真に奇妙な“影”が写っていたことを思い出す。しかし改めて確認すると、その影はすっかり消えていた。妙な不安がよぎり、慌ててパーティで撮った写真も見返すバードだったが…。」
Twitterへは「ホラーで涼んできた。後半はなかなか笑えるけど。『リング』あたりにヒントを得てのポラロイドカメラかな。このデジタル時代に、ヒロインはPENTAX使ってる!」
冒頭に、母の形見のポラロイドカメラを見つけた娘のエピソード。友人が彼女の写真を撮ると、その日の家に彼女は死んでしまう。まだ、相手は登場しない。で、骨董屋のバイト仲間がガレージセールで見つけてきたポラロイドカメラをバードに与える。バードはバイト仲間を撮るんだが、その夜、彼は亡くなってしまう。そんなことが起こっている最中、バードは友人たちとパーティへ。そこで、主催者の女の子と一緒に行った3人の写真を撮る。すると、その夜に主催者の娘が死亡。翌日、学校でポラロイド写真の話をするが、友人たちは信じない。どころか、昨夜の写真の中に、ガラスに映るバードも写っていることを指摘される。さらに、片思い彼氏の写真も撮ってしまう。さて・・・。
バード役のキャスリン・プレスコットは分かるとして、あと、友人の黒人の子は区別がつく。あと、片思いの子も。パーティに同行したカップルの印象が薄くて、誰が誰やら、な感じで見てたところがある。
最初の方の、影がじわじわ・・・なあたりは、こちらもゾクゾクするところがあったんだけど、途中から次第にミイラ男みたいな実態が見えはじめて。こうなると、怖さはなくなり、むしろお笑い的になってしまう。あちらは、日本風の得体の分からないものへの恐怖、がないからな。仕方がない。
ボラに写ると呪われる。さらにボラが傷つくとヤバイ、というのは学食での火傷騒ぎかな。男の子がボラを燃やすと、写ってた女の子の腕が燃え出すのだ。ただし、その理屈は分からんのだけれど。
で、バードはカメラケースに鍵がある、と骨董店に潜入するんだが、その実体が登場。間一髪で逃げ出す。で、ここで、実体は熱湯に弱い、というヒントを得るのだが、この理屈も良く分からない。
という間に、病院で、火傷した娘が亡くなる。さらに、病室(だったかな)に逃げ込んでいた、その彼氏も亡くなる。これで、残るはバード、片思いの彼、黒人の友人の3人。
カメラケースにあった、証拠品のタグから新聞記事を検索し、1974年の殺人事件にたどりつく。さらにイニシャルから、持ち主を特定。変態教師が4人の生徒を監禁・虐待して逮捕された事件に辿り着く。その妻が、名前を変えていまも同じ家に住んでいる、という設定は「?」なんだけど、実は・・・と妻が話し始めたのは違う話。娘は多少の知恵遅れで、でもポラロイドカメラがお気に入り。そこに悪ガキ4人がからんで、娘の恥ずかしいボラを撮って学校でバラまき、それを苦に娘は自死。それで父親教師が4人に復讐したのだ、という。
変態教師の話が事実なのか、娘の復讐が事実なのか、そこは最後まではっきりとは分からないんだけど、妻の話が正しいのかなあ、分からんけど。でも、そんな大事件なら、みんな根掘り葉掘り聞き出すだろうし、町の住人はホントのところを知ってるんじゃないかねえ。
で、その事件で生徒1人が助かっていて、教師の彼への怨念がカメラに乗りうつった、らしい。でその生徒を調べたら、バードたちの主張を無視しつづけた警官、と分かり、おお、な感じ。3人と(だったかな)警官がいる頃に霊の実態が襲いかかり、警官が撃つ。すると、霊の実態に対して効果を発揮するというのが、笑える。オバケも銃に弱いのか。対する霊は、警官の写ったボラを引き裂く。すると、警官が頭から真っ二つ! これ、完全にお笑いだろ。とはいえ、警官の写真がどうやって撮られたのだったかは、忘れた。霊がカメラを構えて、ではなかったと思うけど。
途中から思っていたのは、ボラで霊を撮れば、霊は自分を呪い殺さなくてはならなくなる。だからそうすればいいのに。なんだけど、バードもカメラを拾ってきて、ついに霊を撮る。さあ、と思ったら、なんとバードはボラを手で握りつぶすのだ。おお。そうか。ボラの被写体は実体と同じだから、そうすれば速攻で効果が出るわけだ。なるほど。だけど、自分の指も写り込んでいたので痛たたたたたたた、なんだけど。あと、漏らしたんだっけた。指にかからんように。
てなわけで事件は終息したんだが。もともとの事件が、恨み・呪いにつながるほどのものなのか、なのでいまいち教師・霊の実体に共感できない感じ。それとやっぱり、実体が登場しちゃうと、お笑いになってしまう。ここらへんは東西の感覚の違いなんだろうが。
・冒頭のエピソードは、こういうことか? まず、証拠品のカメラが流出し、冒頭の娘の母親の手に。自分の写真を撮ったせいで亡くなってしまう。その遺品のカメラで、娘も死亡。その後、カメラはガレージセールに。それをタイラーが見つけ、バードに与える。・・・ということかな。
・バードは、警官だった父を亡くしていて、それが自分のせい、といまも思っている。それでまた、今回も友人たちを撮ったことで被害に遭わせてしまった。それは事実。偶然とはいえ、心理的負担が大きすぎて気の毒。
・バードはカメラマニアなのか。もってるカメラがPENTAXだったので、冒頭のエピソードから過去に時間を遡ったのかと一瞬思ってしまったよ。かといって学校の写真部に入ってるようでもなかったし。で、バイト仲間からボラを見せられて「SX-70じゃないの。アンセル・アダムスやウォーカー・エヴァンスも使ってたカメラよ」なんて感動してる。あの手の、自然や人間を正面から見据えたモノクロ写真が好きなのか。なかなかいいセンス。
・バードが首に巻いてるマフラーは何なんだ? もしかして、かつての事故の時のケガがあるのか? でも、映像では映ってなかったと思うけど。
・バードのバイト仲間は、彼女に気がある様子。そっとキスしようとして嫌がられてた。の直後に呪われ死にするなんて気の毒。で、バードは片思いの青年にファインダーを向ける。どうも奥手のようだけど、自分の好みだけは動かせないのね。
よこがお8/9テアトル新宿監督/深田晃司脚本/深田晃司
allcinemaのあらすじは「訪問看護師としてその仕事ぶりが高く評価されていた白川市子。周囲の信頼も厚く、訪問先の大石家では、介護福祉士を目指し始めた長女・基子の勉強も見てあげるほどだった。しかし、いつしか基子は、市子に対して憧れ以上の感情を抱いてしまう。そんな中、基子の妹・サキが行方不明になる事件が発生する。サキは1週間後に無事保護されたものの、事件は意外な展開を見せ、加熱するメディア報道によって次第に追い詰められてしまう市子だったが…。」
Twitterへは「ざわざわする話。同じモチーフの映画は過去にもあったけど、のような告発的ではない感じ。むしろ同性愛からの恨み? 車のナンバーが「9164」というのは、悔いなんて知ったことか、ということかな。」
犯罪加害者の家族が追いつめられ堕ちていく話。同じテーマを扱った映画に『誰も守ってくれない』があるので、目新しさはない。マスコミが押しかける様子も、犯人の実家ならあり得るかなと思うけど、伯母だろ? あそこまでするか? 加害者である甥と、被害中学生とを出会わせる、という接点を意図せずつくってしまった、というのはあるだろう。けれど、そのことを“手引きした”と週刊誌が書き立てたりするか? 発生した事件も幼児的で、週刊誌が書くとしても本人の歪んだ性癖ではないのかなと。
被害者の姉・基子がマスコミに話した市子の過去(幼い甥が寝入ったとき勃起していたので、パンツを下ろしてみてみようとしたが甥が目覚めてしまった、というエピソード)も、だからどうした、な話で。それをもってマスコミが追求し、何を引き出そうとしたのか、目的が良く分からない。市子がちんちんを見ようとしたせいで、甥の性癖が歪んだ、とでも言いたいのか? ムリがありすぎだろ。
というわけで、加害者家族の悲劇、という側面はありきたり、誇張しすぎでいまいち迫ってこない。むしろ、周辺環境の細々の方が興味深いか。
大石家のお婆さんの訪問看護をしている市子。お婆さんには信頼されている様子。そのお婆さんは画家で、いまは痴呆症。絵は、山とか風景画。とくに、どうということはない。でも、地元の画家として、のちに市子と米田が行く美術館でポストカードになっている。そんなこと、あり得るか? 美術館で、市子は暗いひまわりの絵に見入る。その意味は? 市子のかつてのマンション(事件直後の場面で)で、壁に掛かっていたのは、コンポジションみたいな抽象画。ああいうのが好きなのに、どうしてひまわりの絵に? というか、絵画に時間を割いている意味がよく分からない。なんの因果関係があるんだ?
市子は、大石家の姉妹に勉強を教えている。始めは「?」だったけど、妹は中3で、勉強を見てやっているらしい。訪看が、そこまでできるか? よほど市子は頭がいいのか。姉・基子には、介護士かなんかの資格試験を見てやってた、らしい。喫茶店で勉強していると、市子の甥が教科書をもってくる。あれはどういうこと? 市子は姉に教科書を貸していたのか? また、甥が「北海道に行く」と言っていたのは、なんか意味があるのか?
基子は、何歳? 市川実日子の実年齢は41らしいけど、役の上では30歳ぐらい? いままで何してたんだ? ふらふらしてたのか? よく分からず。HPによると引きこもりとあったけど、そんな説明はなかったぞ。
で、基子の妹が誘拐され、犯人が発覚し、市子の甥と分かる。それを隠しつづける市子(といっても、被害者の姉が、言うな、といったことが大きい)。次第にバレていき、大石家の母親から決別され、マスコミが押し寄せ、婚約者からうとまれ、仕事先からも白い目で、という経緯は見ていて不愉快そのもの。そうなるだろうな、と思いつつ見ているのは苦痛。
こういう堕ちていく経緯は『誰も守ってくれない』にも似ているので、ステレオタイプになるのか。
マスコミが押し寄せるアパート。裏から抜けると、市子の軽自動車に赤いペンキ。なんだけど、誰がそんなことをするんだ? 加害者の伯母にまで、あんなことをフツーするか?
で、そっと軽ででかけるんだけど、あれは婚約者の戸塚に会いに行ったんだったか。帰り、洗車して、でもペンキなんて簡単に取れるのか? な帰路、クルマが路肩に堕ちて止まってしまって。犯罪被害者救済の会を訪れたら力になれないと言われ。どこかのマンションで吐いてたら、そこに米田が通りかかって「大丈夫ですか?」と声をかけられて・・・。だったかな。なんか、順番があやしいな。まあいいや。でも、米田がでてきたマンションは、ありゃどこなんだ?
市子の裏切りは愛情の裏返し。多分、祖母の介護や勉強のサポートで、好意以上のものを感じてたんだろう。だから、テレビが誘拐犯を市子の甥、と報じたとき、それを母親に告げようとした市子に「やめておけ」のメッセージを送った。これで、市子を心理的に支配しようとしたのだろう。2人で動物園に行き、子供の頃、友人と押し入れで裸になって見せっこ、のエピソードは、婉曲的な同性愛の告白かも。ところが、市子が住まいにマスコミに押しかけて、と話したとき同居を提案したんだろう。ところが、もうすぐ結婚する、と話したことを市子の裏切りととった。それで、マスコミに、市子が昔、甥のちんちんをいじった、というような話をした、と読める展開だ。はたして、市子は基子の気持ちを理解していたか? どーもして居ないような気がする。
介護施設をやめ、子供相手のお遊び教室(公園だったけど)みたいなところで仕事中、市子は基子の幻覚を見る。近寄って殴ろうとしたら、逆に殴られる。うずくまる市子。気づいたら地面に倒れ、過呼吸に苦しんでいた。という場面は、何を意味するのか。まあ、そんな深くはないはず。市子は基子のトラウマに怯えていた、という程度だろう。
市子が基子への復讐を思いついたのはいつか。よく分からないけど、このあたりかな。映画の冒頭につながって、市子は米田の美容室に行く。ご近所を装い、連絡先を聞き出す。米田の部屋が見えるアパートで、米田を監視する。すると、基子がやってくる、のだが、まだつきあってたの? な違和感。なぜなら、市子が米田とセックスし、その場面を米田の携帯で基子に送った、と正直に言うと、米田が「もうつきあってない。好きな人ができたって」という“好きな人”は、基子ではなくべつの男? そんな風には感じられないのだが。
窓に裸の市子の場面は、ラブホか? 市子と米田のセックス。ふと場面が、押し入れに入ってまぐわってるイメージに変わるが、これは、基子が友人と押し入れの中で身体の見せっこをしてたら、妹に見られて母親に告げ口された、という昔話と重なる。これは、秘密を(妹に)見られる >> 秘密を(基子の恋人に)見せる、というアナロジー? 意味ありげだけど、よく分からない。
しかし、50過ぎてる市子が米田を寝取って復讐、なんてフツー思いつくか? そうとうな自信だな。というか、市子の誘いにほいほいついてくる30凸凹男ってなんだよ。まあ、このときすでに基子と別れてたのかもしれんが。にしても、オバサン好きなのか? そういえば、ラブホでまぐわい、写真を基子に送った、と言われても動じず、「また会いたい」っていうんだから、へんなやつ。
そもそも市子はどういう女なんだ? 過去が一切描かれない。ずっと独身? 子供は、いないのだろうけど、どうして今になって、同僚の医師と結婚することに? あたりが、もやもや。訪看してたときは賃貸らしいけどマンション住まいで、50迄ひとりで働いてたら2〜3000万の貯金があっても不思議ではないだろうけど。
甥が出所し、市子が刑務所に引き取りに行く。甥の実母は薬の過剰摂取で死んだらしい。甥は「自殺?」と、感情もなくいう。市子は、東京で立ち食い蕎麦屋のおばちゃんになっていた。甥と同居するんだが、ここで甥の性癖とか周辺に時間を割いてもよいのではないのかな。伯母の寝姿にちらりと目をやる甥、とか。まあいい。甥は、謝りたい、という。なので、市子のクルマ(軽じゃなくて、高そうなクルマなので驚いた。貯金があったのか、稼ぎがいいのか。でも不自然な感じ)で流山の大石家を訪れるんだが「売り家」の看板。不動産屋からは移転先を聞き出せず、戻ろうとすると、横断歩道で車椅子の老人たちと介護者たち・・・。まあ、介護者に基子がいるんだろうと思ったら、最後に登場し、老人が荷物をぶちまけたのでそれを拾っている。その姿を見て市子は車を進めるが・・・それは市子の心理イメージで、実際には見つめつづけているだけ。まあ、ひき殺してやりたいぐらい、ということなんだろう。基子は気づいていないようす。渡りきった基子に、なのか、市子はクラクションをいっぱいに鳴り響かせる、のは思いの発露? よく分からず。それと、その前後から聞こえてきた子供たちの声がよく分からない。エンドロールにも同じ子供の声が流れていたけれど、あれは婚約者戸塚の息子? 過呼吸になった時の子供たち? 意味不明。
て゜、そのとき乗っていたクルマのナンバーが「9164」で。べつに意図していなかった? のかな。意図的なのか。「悔い、無視」に読める。「9174=悔い無し」でなく、「無視」というのは、どういうことかな。とか。
・タイトルの「よこがお」は、どういう意味なのだ? しかも、ひらがな。
・主演の筒井真理子は見たことない女優だなと思って検索したら、結構、出演作を見ていて。いまいち個人的に残らない顔立ちなのかしら。
風をつかまえた少年8/13ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/キウェテル・イジョフォー脚本/キウェテル・イジョフォー
イギリス/マラウイ映画。原題は“The Boy Who Harnessed the Wind”。allcinemaのあらすじは「2001年、アフリカの最貧国のひとつであるマラウイを大干ばつが襲う。中学校に通う14歳のウィリアムは、飢饉のせいで両親が学費を払えず、退学を余儀なくされる。それでも何とか学校の図書館は利用できることになり、ウィリアムはそこで『エネルギーの利用』という本と出会う。風車で発電できれば地下水をくみ上げ、畑に水を送ることができると考えたウィリアムは、懸命に本を読み、発電する風車をつくるための研究に没頭していくのだったが…。」
Twitterへは「干魃を克服するのかと思ったら、汲み上げの手間を省くという話だった。あの程度のことを、なぜ大人は気づかなかったのか。民主主義が腐ってたからかね。よく分からん。とはいえ、学習環境を取り上げられてしまうのはひどい話。」
少年が風車で何かする、のは分かっていた。で、洪水、干魃、ときて、なかなか少年が威力を発揮し出さない。とはいえ、干魃で作物ができず、金もなく、わずかな収穫も奪われ、なにをするのかなと思っていたら、教師の自転車の発電機で「発電か」となったんだけど。最終的につくったのが井戸からの汲み上げポンプだったので、肩すかしな感じ。
もちろん、ラジオの修理が得意で、ゴミ捨て場で拾ったクルマのバッテリー、壊れたポンプの一部、なんてものから風力発電のモデルをつくってしまうウィリアムは、凄いと思うけど。 最初の方で井戸は写った。でも、以降、水不足、というイメージや言葉がない。もちろん、父親のトライウェルがカサカサな土地を耕作する姿で、水不足は分かる。というか、そんな土地を耕しても意味ないだろ、まずまず水やりだろ、と思うのだが、井戸から組み上げる様子がない。では井戸の水位も下がって、枯れる寸前? と思っていたわけだ。なのに、ウィリアムが大風車を完成させ、どうするのかなと思ったら、ホースを井戸に垂らしてる。なに!? じゃあ井戸水はあるのか。でも、人力で水くみして畑にまく様子がまったくなかったぞ。人力では追いつかない? なら、そういう場面を描くべきだろ。でないと、たかがポンプの話じゃないか、と思ってしまう。というか、見終わっても、そう思う。
それに、水不足がポンプで解決なら、多少知識のある大人が実行しててもいいんじゃないの? マラウイの科学レベルは、あの程度なの? 要は、電力をどう得るのか。そのヒントは、ウィリアムスが初めて見たらしい、教師の自転車の発電機。大人はそんなもの当たり前なレベルなんだろうけど、田舎の子供には驚きだったということか。それはいい。むしろ、風力に着目する場面がないので、いまいちドラマチックじゃないのだよね。むしろ、風の力を強調すべきだったのではないかと思う。
・族長と村民が集まってるところで、木を売る云々の話がよく分からず。タバコはいくら、とか言ってたので、畑の話かと思ったら、土地の木を売るという話か。あの場面に、タバコ組合の人がいたようだけど、話の展開が早くてよく分からなかった。
トライウェルは伐採には反対で、木を切ったら洪水が起きる、という。でも、甥は木を売ってしまう。でも、そのせいで洪水は来てなかったよね。雨季がつづいたのはその前だったか、後かな。でも、洪水はなかったと思うんだが・・・。
・そもそもあの家族のことがよく分からなかった。最初に死んだ兄とトライウェルは、土地を半分ずつにしたんじゃないのか。なんで兄の息子=甥が全部相続するのか。もともと兄のもので、トライウェルは使ってもらってただけ? トライウェルは「自分はダメな人間だから、兄は相続させてくれなかったんだろう。それでよかった」と言ってたけど、自分のモノになったのはわずかな畑だけ? で、甥は木を売り、農業はやめたのか? いやその前に、森だったところは何に利用してたんだ? とか、彼の国の相続について、「?」なところが多い。
で、干魃で飢餓、なんだけど。むしろ、当時の大統領の政策がアホだった、みたいな感じ。Wikipediaによると当時の大統領はバキリ・ムルジで、「ムルジの大統領としての日々は、論争とスキャンダルに費やされた日々でもあった。特に、国中に飢饉をもたらした旱魃が始まる直前に、他国へトウモロコシの備蓄を売却していたことが問題となった。国際的な圧力にも関わらず、マラウイの備蓄食料の販売による数百万ドルの利益は、戻されなかった。これが結果として外貨となり、ムルジとその支持者の元に入ったと広く疑われることとなった。 それでもなお、ムルジは南部を中心に広く人望を集めた大統領であった。」で、トライウェルは「民主主義と輸入した野菜は、すぐ腐る」とか言っていた。ムルジも選挙で選ばれても、大統領になってしまうと独裁になる、ということか。映画では、ムルジは悪人、ということだけど、それも現政権あるいは映画製作者の視点ではないのかな、と思ったりして。
あと、大きなウェイトを占めるのが、学校だ。ウィリアムは14歳らしいから中学生か。でも、義務教育じゃないのか。学費をもってこなけりゃ帰れ、退学だ! というのは、教育を無視しすぎ。教師たちも、覇気もやる気もなくて、困ったもんである。それと、学費を納めてない生徒は図書館に入れない、というのもひどい話。その図書館も、蔵書はひどいものだったけど、そんなものなのか。というあたりは、大変な国がまだまだあるのだな、と。
・あの国では、教師と若い娘が付き合うことはタブーなのか? どうやって知り合ったんだ? 娘の方が教師に、大学には入れるよう云々、って依頼してたような感じだったけど。あの教師もバカじゃないんだから、ウィリアムの風力発電のアイディアに目を留め、手助けする、でもいいと思うんだけど。そういう展開にはならなかったのね。
・トライウェルがトタンを剥がしたのは、売ろうとしたのか?
・穀物不足になり、甥も一緒に、貧しく食事してたけど、甥は金を使い果たしたのか。
・トライウェルが不在のとき、男がやってきて、族長のところに行ったら死にかけてた・・・、とかいいつつ、トライウェルの妻から穀物のバケツを奪っていく。倉庫からも、わずかなトウモロコシが盗まれていた。あれ、盗んだ連中は近所の輩なのか? 見ず知らずの他人?
・政府の配給があって、ウィリアムも行くんだけど。裏口から入り、まんまと支給を受け、横から壁を壊して逃げ帰るんだけど、してやったり、なんだろうか。まあ、しょうがないんだろうけど。
・風車が完成した後に、新政府が風車を見に来る、とウィリアムが言ってたけど、あの大統領の政府? その後の別の政府?
・ウィリアムは進学し、ダートマス大学を卒業したとなっていたけど、どういう手づるでそこまで行けたのだ?
・葬儀踊り人たちが登場し、なかなか存在感があるんだけど、あれは実際にもいるのかな。それとも、幻想の霊なのか。中途半端な扱いだけど、少し気にかかる。
荒野にて8/20ギンレイホール監督/アンドリュー・ヘイ脚本/アンドリュー・ヘイ
イギリス映画。原題は“Lean on Pete”。allcinemaのあらすじは「幼くして母親に捨てられ、経済力のない父と2人暮らしの15歳の少年チャーリー。家計の助けになればと、厩舎のオーナー、デルのもとで老競走馬リー・オン・ピートの世話を始める。そしていつしか、ピートと過ごす時間がチャーリーにとってかけがえのないものとなっていく。そんなある日、父が急死する。追い打ちをかけるように、デルが勝てなくなったピートの殺処分を決める。どうしてもピートを救いたいチャーリーは、唯一の親戚である伯母を頼るべく無断で連れ出したピートともに旅に出るのだったが…。」
Twitterへは「家族に恵まれない少年の放浪話だけど、することがアホすぎ。多くのエピソードは伏線にもなってなくて、呆気!な展開で、えええ、そうなるの? なあんぐり映画。」
母親が夫と子供を捨てて出ていって。その亭主は女を取っ替え引っ替え。それに怒って伯母が出ていき、父子暮らしのチャーリー。またまた引っ越しで、ランニングしてたら近所に競馬場があって、ちょっと興味をもつ。戻ってみれば知らない女(同僚らしいが、フィジー人の亭主がいるとか)が朝食の仕度をしていて、でも、へっちゃらな感じのチャーリー。競馬場で知り合ったデルから仕事をもらい、老馬ピートを世話するようになるが、いよいよ勝てなくなってメキシコに売られることに。てなときに女房を寝取られたフィジー人に父親が撃ち殺され、チャーリーはデルのクルマを運転してピートともに逃げ出す・・・。どこを目指すのかと思ったら、伯母のところ、なんだと。
てな流れで、波瀾万丈な感じなんだけど、そもそも伯母は父方なのか母方なのかよく分からんし、実母がいなくなった後、どういう関係だったのかもよく分からない。なのに、あんなことまでして遠くを目指す、というのがよく分からない。最後は幸せにも伯母と巡り会い、ハッピーエンド、なんだけど。でも、おい、待てよ、なんだよ。そもそも父親が撃たれたときは警官が、死んだときは医師が、親戚は? と聞いているのだ。それに従えば、馬連れで旅をしなくてもスッキリ話は解決したじゃないか。
いろいろありすぎて、冷静に状況が見えなかった、とかいう向きもあろうが、そんなことはないと思うぞ。父親のセックスフレンドにも抵抗なく(に見えた)相手できて、女の話やあれこれ、父親とも会話できていた。15歳だろ。馬の仕事もちゃんとできて、世間のことも分かってきてたはず。それが、なぜにあんなバカをするか。と思うと、話自体がアホらしく見えてくる。
さらに、タイトルの馬の名前だけど、ピートに寄り添って、みたいな感じで。チャーリーが唯一頼った相手、みたいになっているけど。チャーリーとピートの交流がそんなに描かれてないので、チャーリーがあそこまでピートに入れ込む感覚が伝わらんのよね。もちろん、デルや女性ジョッキーのボニーが言うように「馬はペットじゃない」という割り切った見方ができないのは、分かるけどね。
で、馬運搬車を盗んで逃げる、が理解できない。お前、15歳にもなって計算ができないか、と。馬や自分の食費、ガソリン代、その他、ムリだろ、どう考えても。それでもやっしまう衝動が、表現されていないので、うーむ、なんだよね。
てな逃避行でチャーリーが犯した罪は、まず、病院で亡くなった父親の遺体放棄。これは日本人には理解不能。車と馬の窃盗。無銭飲食。他のクルマからのガソリン窃盗。あげくに馬死亡。家宅不法侵入で洗濯機使用、ジュース勝手に飲む、Tシャツ泥棒(赤のTシャツから緑のに替わっていた)、廃車からのバール泥棒、シルバーへの暴行傷害。立派な前科者だろ。そこまでして、自分の意志(伯母に会いたい、という思い)を貫くか。うーむ。
なかでもびっくりしたのが、ピートがクルマに跳ねられちゃうとこ。題名にもしてる馬が、呆気なさ過ぎだろ。これでめげるかと思ったら、さにあらずで。どっかの街で家宅不法侵入後、炊き出しで飯、知り合ったシルバーとあれこれ、いざこざ・・・になるんだけど、頼りにしてた馬が死んでも、結構タフじゃん。馬なんて、関係なかったのかよ。な感じ。
それにしても、逃避行で知り合った面々は、みなイカレポンチ。原野の真ん中の一軒家でゲームしてる2人の青年はなんなんだ? そこにやってくるジイさんと太った孫娘は、どういう関係なんだ? ほとんど話に関係ないよねもむあのエピソード。せいぜい、太った娘が「この状況から出て行けない」という一言程度?
街で会ったアル中のシルバーも、よく分からん。働かず、でも、バスで暮らしていて、同居する女性もいる。そこに転がり込み、ペンキ屋の仕事を始めてもらった給料を、シルバーに取られてしまう。その腹いせに、シルバーをバールで殴るって。一つ間違えれば殺人だろ。ヤバイ血が流れてるじゃないのか?
な中で、伯母が元勤めていた店(なんだっけ。レストランだっけか?)に電話して、伯母の行方を知っている人を見つけ出す。そして、結婚し、ララミーの図書館づとめをしている、という情報を得るんだけど、うまく行きすぎだろ。そんなんで発見できるなら、最初からそうしろ! と思ってしまうよね。
で、図書館に行くと伯母はひと目見るなりチャーリーと判別する。いくつのとき別れたのか知らんけど、分かるものなのか? しかも、一戸建てに住んでいて、都合よく離婚していて、一緒に暮らせることになるというハッピーエンド。なんかなあ。
HOT SUMMER NIGHTS/ホット・サマー・ナイツ8/22シネ・リーブル池袋シアター1監督/イライジャ・バイナム脚本/イライジャ・バイナム
原題は“Hot Summer Nights”。allcinemaのあらすじは「1991年、アメリカ。高校を卒業したばかりのダニエル・ミドルトンは、少し前に父を亡くし、その大きな喪失感から抜け出せずにいた。そんなダニエルを心配した母親は、気分転換になればと、夏のあいだ彼を海辺の小さなリゾート地ケープコッドに住む叔母のもとに預ける。しかし結局誰とも馴染めず、自分の居場所を見つけられずにいたダニエル。そんな時、地元で札付きのワルとして知られていたハンター・ストロベリーと出会い、意外にも意気投合する。やがて大麻の売人をしていたハンターの仕事を手伝い才覚を発揮するダニエル。その一方で、彼から絶対手を出すなと警告されていた妹マッケイラとも秘かに付き合い始めるが…。」
Twitterへは「甘く、切ない、ひと夏のロマンスのつもりで行ったら。苦く、危険な、青春の蹉跌だった。アメグラのB面みたいで、昔からよくある設定とはいえ、簡単に堕ちすぎだろ、主人公。」
テアトルのHPには「甘く、切なく、美しく、スリリングなひと夏の青春」「愛する父親を亡くし、立ち直れない少年の人生を大きく変えた、ひと夏の経験。美しい海辺の町での初めての恋、クールで危険な仲間との友情、裏切り。きらめくような一瞬の夏は、最大級のハリケーンの到来とともに、劇的な結末を迎えることになる。」と書いているんだが、嘘だらけ。立ち直れない少年を、さらに打ちのめしたひと夏の結末、だろ。しかも、することがバカすぎて、なんともはや、な感じ。
ダニエルは、ベトナム帰りの父親にぞっこんだったらしい。それが、なぜか亡くなって、落ち込んで引きこもり。母親は、金持ち旅行客と、貧乏地元民しかいないリゾート地に、ダニエルを送り出す。でも、地元民じゃないダニエルは、身の置き所がない。で、雑貨屋(バイトなのか? 叔母の家業なのか)に逃げ込んできたハンターの危機を救い、ハンターとつるむようになる。のだけれど、町一番のワルが、なぜダニエルに心を開いたのか、よく分からない。
そんなダニエルがドライブインシアターにいたら、恋人とケンカしたマッケイラが隣席に潜り込んできて知り合いに。マッケイラは町一番のエロ娘で、少年たちはみな彼女でマスをかいていた、らしい。
てな具合にご都合主義的偶然で2人と知り合うんだけど、ハンターとマッケイラは兄妹っていうんだから、やれやれだよね。
ハンターは観光客に大麻を売ってちまちま儲ける程度だったんだが。ダニエルは、もっと大規模にやろうぜ、ってヤクザの売人に接触する、んだけど、そういう度胸はどこにあったんだか。でも、逆に脅され、と、そこにハンターが助けに来て、相手を半殺し、っていうバイオレンスに陶酔しちゃった感じ。
というところに、ギャングの集金人が接触してきて、本気なら大量に卸すぞ、っていう話にハンターは腰がひけるんだけど、ダニエルが乗ってしまう。ここで登場するのがダニエルの従兄弟で、ちょっとイカレてる感じなんだけど顔が広いのか拡販に大成功。ダニエルはクルマを買ってしまえるほど大儲け、って、甥がそんなになってるのに、叔母は気づかんのか?
最初は借りてきた猫状態のダニエルも、こうなるとすれっからし状態で、再会したマッケイラにアプローチ。マッケイラの方も、まんざらじゃない感じ。なんだけど、つき合った相手をメロメロにしちまう色気のマッケイラが、なぜにダニエルに? は永遠の謎だな。理解できない。映画のご都合主義だろ。
てなわけで、儲かって笑いが止まらんハンターとダニエル。ここでダニエルが、別ルートでコカインを仕入れよう、とハンターに提案。ハンターは真顔で、それはまずい。後になって泣きつくなよ、と距離を置くんだけど、ダニエルはギャングと会って仕入れようとする、んだけど金は取られてブツは受け取れず、しかも、情報がギャングの集金人に行ってしまう。
やれやれな展開で、集金人はハンターに「ガキはどこだ?」、でも答えないハンターを撃ち殺してしまう。げ。いや、実際に売ったのは耳ぐらいで命は助けたんではないの、と思ってたらホントに殺されてて、あらららら。そんな厳しいの? なら、ハンターはダニエルをマジで止めるべきだったよな。というか、「逃げた」と行方を告げれば良かったのに、と思ったり。もしかしたらハンターは死にたかったのかもしれないけど、なんだかな、な展開。
逃げるダニエルは途中事故って、でも足を引きずってマッケイラに会いに行くんだけど、すでに町を出た後でもぬけの殻。その、マッケイラがバスに乗るところを見ていた少年が、この映画の冒頭からのナレーションを務めていたのだった。というような終わり方で。まったくスッキリしない。どこが「スリリングなひと夏の青春」だよ。トンズラこいたダニエルは、いまなおどこかの町に潜伏してるのかも、なんてナレーションは言ってたぞ。
・ハンターは、ジェームス・ディーンぽいというか、アメグラのハリソン・フォードっていうか、ビッグウェンズディのジャン・マイケル・ビンセントっていうか、その系譜な感じ。
・その妹で、町中の少年が思い浮かべてマスかくほどの少女は、これがあ? なレベルだけど、あんなもんなのか。頭いいわけでもなく、ちゃらちゃらしてるし、どこがいいのか。
・しかし、せまい田舎町であんな大胆なことしてて、互いに分からないのはおかしいだろ。ダニエルとマッケイラがべたべたしてたら、すぐにハンターの耳に入ってしかるべき。あんな2人が売人してたら、さっさと警察に捕まってもおかしくない。だよなあ。
・話の骨格は、60〜70年代反抗期映画風なんだが、そこまで過去に遡れず、1991年が舞台。「ターミネーター2」が公開され、フレディ・マーキュリーが死んだ年。ついこないだ、だよなあ。アメリカの田舎は、こんなだったのか? まあ、現在では成立しない話だろうなあ。
・縁の下にバッグを入れてたのは、何なんだ? 兄が儲けた金? 嵐の日、その金を持って行こうとしたおっさんは、誰? 父親じゃないよな。てか、兄妹は、母親のことで対立してるようだけど、何があったんだか。母親は死んでるのか? 父親は? 両親はいないの? 最初の方で慌ただしく紹介されてたけど、覚えてないよ。
・で、ダニエルはその金をもって、コカインを仕入れに行ったのか? よく分からない。このときかぶっていたキャップに、ジェシー・ジャクソンと書いていた。聞いたことはあるけど、あとから調べたら、そういう人だったっけ。
・ハンターはカーショップみたいなところで働いてるのか?
・ダニエル従兄弟は、一家の中でひとりだけ生き残った、とか言っていたけど、そうなのか? まあ、本人もその後、死んだようだけど。
・ハンターを追っている警官は、ハンターの父親と交流があったようなことを言っていたけど。あれまた良く分からない。
・マッケイラが「なめくじにエプソム塩をかける」とかいうエピソードがあって。エプソム塩が分からなかったので、調べたら、そういう塩があるのね、な感じ。
永遠に僕のもの8/26ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ルイス・オルテガ脚本/ルイス・オルテガ、ロドルフォ・パラシオス、セルヒオ・オルギン
アルゼンチン/スペイン映画。原題は“El Ángel ”。実在の犯人Carlos Robledo Puchが"死の天使"or"黒の天使"と呼ばれていることかららしい。allcinemaのあらすじは「1971年、ブエノスアイレス。何不自由ない生活を送る17歳の美少年カルリートスだったが、遊びを楽しむように犯罪に手を染め、ほとんど罪の意識を感じることもなかった。やがて彼は、転校先で野性的な魅力に溢れたラモンと出会い意気投合し、2人でコンビを組んでさらなる罪を重ねていくのだったが…。」
Twitterへは「音楽でムリやりメリハリ付けてるけど、映像は淡々と、とくにヤマ場もなく単調で少しダレる。キーワードはキンタマかな。しかし、原題「El Ángel」が『永遠に僕のもの』になるのはいかがなものかと。」
実際のCarlos Robledo PuchをWebで見たらなかなかの美少年で、ロレンソ・フェロの演じるカルリートスと割りと似てる。髪の毛は、ほとんど同じにしたんだな。とはいえ、あんな大胆な犯行がなかなかバレないというのも不思議な感じ。お国柄もあるのか。
「他人のモノは無い」と思っているだけあって、カルリートスはズカズカと他人の家に入って罪悪感なくものを拝借する。ラモンの父親に銃の撃ち方を習うと、つねに携行するようになり、ラモンと盗みに入った家で、簡単に老人に発砲する。のちにラモンの父親に「お前は人を殺した」と言われてもキョトンとしていて「僕らだよ」という。「僕ら?」「ラモンと、あなたも」と返す。自ら手を下したことに意識がない。そういう精神状態なんだろう。
というわけで、ラモンの父親をボスに、ラモンと銃砲店、宝石店などに押し入り、奪う。万一の場合に備えるとか、計画性はゼロ。その場でどんどん深入りしたりする。
宝石店で、イアリングをつけたカルリートスを見てラモンが「マリリン・モンローみたい」という(女装願望かな)。さらに、自分たちを「ゲバラとカストロだ」「エビータとペロンだ」となぞらえて悦に入る(自分をエビータに見立てたのかな)。
あるとき、警察に身分証明と免許提示を求められ、でもラモンが身分証明をもっていなかった。で、警察署に連行されるんだけど、カルリートスはクルマから出るとき、もっていた銃を無造作に足元の草むらに捨てるのには驚いた。しかも、警察は気がつかない。なんて大胆。
で、カルリートス「僕がラモンの身分証明をもってくる」って署長みたいな男に言って、家に戻って金の入ったカバン(?)をもって警察の前までくるんだけど、結局、逃げてしまう。なんて身勝手。しばらくして、カルリートスは、ムショで出会ったという男と一緒のラモンと再会する。ってことは、ラモンは身分証明不携行で刑務所入りしたのか。ひぇー。でも、今度は3人でつるんで強盗を始めるんだが、牛乳配達のトラックを襲ったとき、いとも簡単にトラック運転手を射殺したせいでなのか、ラモンとそりがあわなくなった、のかな。2人で乗っていたクルマを木にぶつけ、ラモンは死んだみたい。本人も大けがしたけど、命拾い。とかいう行動は、なんなんだこいつ? な感じ。さらに、ムショ男とかつて襲った宝石店に入り、バーナーで金庫破りしたら中味が空っぽ。それをあざ笑ったムショ男を射殺し、バーナーで焼くという・・・。
何がきっかけなのかしらんが警察の手がカルリートスの実家に及び、逮捕されるんだけど、これがなんと取調室かの窓から逃げてしまう! このシーン、特撮使ってないみたいに見えるんだけど、どうなんだろ。で、向かった先がラモンの旧宅で、もう、両親はいない。そこにひと晩寝て、なんと実家に電話する。もちろん実家には警察が。警官が突入しようとするラモン旧宅の中で、ひとり、粋がってラジオの音楽にあわせてダンスするカルリートス。というところで終わる。
てなわけで、なにか大きなイベントがあるわけでなく、着々淡々と強盗し殺していく様子が描かれる。なので、中盤で少し飽きた。ドラマがないんだもの。
もうひとつの軸として、カルリートスの同性愛があるとは思うんだけど、とってつけた感じで、話にあんまり関係ない。とはいえ、キンタマ描写は結構あって。ラモンの父親の、パンツの横からはみ出たタマが大写しになるのが、おお、な感じ。ハミ金はボカシの対象ではないのか。
他に、疲れて寝てしまったラモンのズボンを下げ、キンタマの上に宝石を盛るシーンがあった。他には、警察に、キンタマに電流を通すぞ、って脅されてたな。あともう一ヵ所ぐらいあったような気がするんだが・・・。
カルリートスの女性性では、イアリングを付ける場面で、ラモンがマリリン・モンローになぞらえていた。あと、ぽっちゃりふてぶてしい唇・・・。生っ白い上半身。そんなところか。
そもそもカルリートスが工業学校でラモンに目をつけたのは、たぶん、同性愛を見抜いたからだろう。そして、同じ盗人の匂いを嗅ぎつけたにちがいない。そうやって近づき、友だちになったら、ラモン本人も、ラモンの父親までが盗人だったという、なんとまあ、な感じ。
ラモンが、どういうツテか知らんが知り合ったゲイの金持ちが出てくる。絵を売りさばくため、だったのかも知れないが、ゲイ金持ちにいちもつをしゃぶらせるラモン、の場面もあつた。いろいろ思うに、カルリートスはラモンに魅力を感じていたけど、相手にしてもらえず、なこともあって殺してしまったのかな、と思ったりもする。とはいえ、そういう話はほとんど直接的には描かれない。示唆しているだけだ。なので、話がふくらまなかった、のかも知れない。
殺してしまえば、相手は「永遠に僕のもの」かも知れないけど、そんな風には見えなかったな。なので、題名については「?」だな。
・11件の殺人と40数件の窃盗らしいけど、描かれてるのは、7件前後かな。
ダンスウィズミー8/28MOVIX亀有シアター2監督/矢口史靖脚本/矢口史靖
allcinemaのあらすじは「子どもの頃からミュージカルが苦手だったOLの静香は、訪れた遊園地で怪しげな催眠術師のマーチン上田から、音楽を聞くとミュージカルスターのように歌って踊らずにはいられない催眠術をかけられてしまう。以来、所かまわず歌い踊ってしまうせいで恋も仕事も失ってしまう静香。既に遊園地にマーチン上田の姿はなく、途方に暮れた彼女は、マーチン上田のサクラをしていた千絵とともにマーチン上田の行方を追って全国を旅するハメになるのだったが…。」
Twitterへは「設定は面白いけど、あとは勢いでもっていく印象だった矢口史靖監督。今回はいろいろ緻密に構築されていて、おお、そうきたか、な展開もあってとても楽しい。」
冒頭の、マーチン上田の催眠術場面で思い出した。「ミュージカルなんてバカらしい!」って言ってた主人公が、催眠術で踊らずにはいられなくなる、という設定を、FMで話していたことを。ほんと、こういうのもネタばらしだよなと。
話は単純で、意図せず催眠術にかかってしまった静香が、それを解いてもらうため旅に出て苦労するもの。とはいえ、背景とか、出会う人々、出くわすトラブルがバラエティに富んでいて面白い。しかも伏線になっているものも少なくなくて、おお、ここでつながった! と思うものが結構あって、広げた話もちゃんと収拾していく。最後、催眠術が解かれる経緯もうまくできていて、おお、なるほど。もちろん、この一件を通じて静香は成長し、新たな人生のスタートを切ることになる。なかなかスマートに、スカッとするラストも用意されている。
静香は一流企業のOL。家族は、なんで? らしいけど、本人はとくに苦労しているようには見えない。なので話の骨格としては弱いしイケメン目当てのOLというのも古い。むしろ男性のアシスタントはゴメンだ! 的な場面が欲しかった。そのなかで、自分が大企業で背伸びしてるかな、な悩みが見えるとよかったかも。やり手のイケメン村上涼介に資料づくりを金曜退社時に頼まれ、日曜(?)の午前中には仕上げてメール送信しちゃっては、デキル印象しか残らない。
で、姪を連れて遊園地に行くんだけど、会社に落ちていた無料券で、というのは少しご都合主義か。姪が催眠術に挑み、ついでに見ていた静香がすっかりかかってしまう。その背景は過去にあって、現在の姪のシチュエーションと同じ、というアナロジーが効いている。つまり、みんなの人気者だけど本番に弱く、学芸会の主演に選ばれても緊張で唄えない、という上がり症。静香も過去にこれで大恥をかいた記憶があり、それが理由で、「学芸会で上手く唄いたい」という願いをマーチン上田に話した時、自分も! という過去が目覚め、簡単にかかってしまったのかもね。でも、現在の静香に上がり症は皆無に見えるのが、残念。本番に弱い性格が、催眠術にかからせた、の方が納得いきそうだ。
で、翌日。まずは出社時にひと踊り。出社して村上と会議に同席したところで、プレゼンの音楽を聞いた途端に大踊り。唖然! な同僚たち。なかなか楽しい。
静香が踊り出すときは、ミュージカルスタイル。でもそれは静香の幻想で、実は悲惨な状況、というのをちゃんと見せている。のちに村上と行ったレストランでの大騒動も同様で、悲惨はちらっと、というバランスがなかなかいい。
レストランに行く前の、村上とのいい感じ、が現実なのか静香の幻想か、曖昧なところもあるけど、それまた想像を刺激してくれるかな。ラスト近くの、札幌でのマーチン上田のステージでも、取り立て屋3人は、実際に催眠術にかかったのかな? 的な描き方も曖昧な感じで、あれはあれでよかったんじゃなかろうか。
静香にからむのが、マーチン上田のアシスタントをしていた千絵と、探偵・渡辺、大道シンガーの洋子。それぞれにキャラが立っている。とくに、静香の未来のパートナーとなる千絵の、いい加減でおおらかな存在が、閉塞的な雰囲気のある現在には救いかも。渡辺は、静香からも調査料を受け取りつつ、取り立て屋からもいただいているという、したたかなワルだけど、ムロツヨシが演じてるので悪人に見えない。
千絵はマーチン上田を追い、洋子は自分を裏切って別の女と結婚した元パートナーを追う。探偵渡辺も、取り立て屋たちもマーチン上田を追う。みんな、マーチン上田を目指して一直線、というシンプル構造が、この映画の疾駆感につながっている。
追いついた、と思ったら手をすり抜けて行くマーチン上田、という設定も、映画の定番だけど、なかなかいい感じ。やっと追いついた札幌。借金しまくりで逃げ回っているマーチンが、こんな立派な会場でステージを? という疑問は湧くけどね。だれがマネジメントしてるんだ! とか。まあいい。
で、この会場で、静香は、催眠術にかかってしまった観客、にさせられ。これ、千絵のアイディア。これまで、インチキ催眠術師、という評価だったマーチン上田も自信を取りもどし、取り立て屋たちも一緒にステージで踊り出す。で、いま催眠術をかけた観客の術を解くのと同時に、静香の催眠術も解ける。というなかなかスマートな解決法もいい。
連絡船で知り合った男に奪われた千絵のクルマとお金も、洋子の親切心で取り戻せて、ハッパーエンディング。楽しかった。まさか、洋子がずっとトランクに潜んでいたとは。すっかり騙された。
・洋子が、盗まれた千絵のクルマに乗って札幌の会場まで運んできたんだけど、彼女は弘前の前に秋田で別れているんだから、次の会場が札幌と知らないんじゃないのか? って、最初は思ってた。でも、別れた後ずっと狭いトランクにいて、静香と千絵の話を聞いていた、とすれば問題ないのか、と。
・村上涼介に「5日休みをください」というのは、変だよな。直接の上司じゃないだろうに。 ・大道シンガー洋子が、かつての相棒の結婚式で大暴れする狂気もなかなかいい。波瀾万丈だよ。
・あと、少し気になったのは、経過時間かな。ヤンキーたちと踊り明かして(?)、翌朝、修理屋へ。車の修理は終わったものの金がなく、ふとストリートミュージシャンがいたのを思いついて、3人で一緒に歌う。の、のち、洋子を乗せて、彼女の目的地である秋田経由で弘前を目指すんだが、途中、何ヵ所かで大道歌唱して稼ぐ。でも、4時に秋田、弘前でのマーチン上田の出番は7時。間に合うのか? 新潟から弘前は5時間とか6時間って言ってたけど・・・。
・静香は高級タワマン住まい。いくら大企業勤めでも、あんなところにゃ住めないだろ。まあ、観客が信じ込みやすい嘘だろうけど。
記者たち 衝撃と畏怖の真実8/30ギンレイホール監督/ロブ・ライナー脚本/ジョーイ・ハートストーン
原題は“Shock and Awe”。allcinemaのあらすじは「2002年、新聞社ナイト・リッダーのワシントン支局長ジョン・ウォルコットは、9.11同時多発テロの首謀者ビンラディンを追っているはずのブッシュ政権が、イラクへの攻撃を計画しているとのにわかには信じがたい情報に当惑する。イラクとテロ組織に繋がりなどあるはずもなく、疑念を抱いたウォルコットはジョナサン・ランデーら部下の記者たちに徹底した取材を命じる。やがて政府が掲げた“イラクによる大量破壊兵器の保持”というイラク侵攻の根拠がねつ造されたものであることを突き止める。しかし大手新聞社が軒並み政府発表をそのまま報じ、愛国心がかつてない高まりを見せていく中、次第に孤立していくナイト・リッダーだったが…。」
Twitterへは「『大統領の陰謀』みたいにスパッとしてなくて、全編淡々とし過ぎな感じ。なぜイラクに? の部分が曖昧でもやもやするし。むしろ、政府の意のままの記事を載せた他社について、知りたい気がするかも。」
アメリカの政治的内情についてはよく知らない。チェイニーの名前は知ってるけど、顔は思いつかない。悪い奴、というのは知っていた。映画は9.11から始まり、イラク派兵へ向かう経緯にあって、ナイト・リッダーの2記者が、ペンタゴンやホワイトハウスの職員から話を聞き出していく様子を描いていく。どうやらイラクに戦争を仕掛けるらしい、と。で、職員たちは「許せない」とか「根拠がない」などと怒りを露わにするものもいて、どうやらイラン攻撃は一方的なものらしい、と分かってくる。
という流れは、実をいうと刺さってこなかった。というのも、9.11の報復という名目で始めた戦争だけど、根拠とする大量破壊兵器の存在が嘘だったことぐらいは知っていたからだ。ところがこの映画、記者2人と奥さん、社主の他に出てくる人物はたくさんいるんだけど、どれも断片的。継続的に登場するのはギャロウェイつていうジャーナリストぐらいなんだよ。このギャロウェイにしても、登場時間は多いけど、どう機能しているのかよく分からない。
それに、2記者が誰かを追いつめる、な話にもなっていない。たとえば『大統領の陰謀』とか、昨今のウォーターゲート関連の映画なら、追いつめられる側も描かれていて、やりとりなんかもあったりした、ような気がする。でも、この映画は、2記者と、社主がおおむね社にいて電話でやりとりしたり、と淡々とし過ぎでちっともスリリングじゃない。
せいぜい2記者に怪しいメールが送られてきた件と、ジョナサンの妻が「盗聴されてるかも! 殺されるわよ」って反応をして、それに対してジョナサンが「え?」的な戸惑いをみせた、程度なのだ。実際に、その程度だったのか? CIAから狙われた、なんてことはなかったのかね。
ナイト・リッダーは通信社みたいな新聞なのか、配下にいくつかの地方紙があり、でも、イラク戦争疑惑がらみの記事を載せようとしない。それで社主が怒って配下の新聞社に乗り込んで行ったりする場面がある。ほかに、ニューヨークタイムスも、政府の言いなりの記事しか載せていない、なんていうことも紹介される。
いや、そこで観客が知りたいのは、なぜ? なのだ。まず、なぜホワイトハウスは、ありもしない大量破壊兵器の存在を主張し、あえてイラクに攻め込んだのか? そして、こうした政府発表に疑問を抱かず、大手新聞までもが御用記事しか載せなかったのか? そこへのアプローチがないから、退屈で退屈で、少し寝てしまったよ。
ウォーレンが、ホームパーティで恋人の父親から「お前の新聞はなんだ。戦争反対なのか」的な突っ込みをしてくる場面があった。9.11のせいで愛国心が行きすぎ、見えなくなっていた大衆は多かったに違いない。こういう人たちの反応をもっと描いてもよかったんじゃなかろうか。
全体が単調で淡白、ドキュメンタリー風なのもあるんだろうけど、切れ味はよくない。それを補うためか、2記者、ジョナサンと妻、ウォーレンと隣人女生徒の恋物語、社主と奥方、という私生活を交えているけど、はっきりいって、要らんと思う。とくにジョナサンの妻役にミラ・ジョヴォヴィッチって、ぜんぜん雰囲気じゃねーだろ。
・反フセインで亡命中の、次期イラン大統領候補を自認する男にインタビュー、という場面もあった。では、この男と政府関係者の利害の一致はどこにあるのか? ということが分からないので、いまいち説得力がない。
バイス8/30ギンレイホール監督/アダム・マッケイ脚本/アダム・マッケイ
原題は“Vice”。allcinemaのあらすじは「1960年代半ば。酒癖が悪くしがない電気工に甘んじていた若きチェイニーは、婚約者のリンに叱咤されて政界を目指し、やがて下院議員ドナルド・ラムズフェルドのもとで政治のイロハを学び、次第に頭角を現わしていく。その後、政界の要職を歴任し、ついにジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領の地位に就く。するとチェイニーは、それまでは形だけの役職に過ぎなかった副大統領というポストを逆用し、ブッシュを巧みに操り、権力を自らの元に集中させることで、アメリカと世界を思い通りに動かし始めるのだったが…。」
Twitterへは「副大統領になる以前はいいオッチャン風なのが、なぜ? な印象。なぜイラク? の答がちらっとでてたけど、「アルカイダより国の方が反撃しやすい。イラクをやりたいって言ってたじゃないか」ってブッシュに言う場面があったけど、それだけの理由なの?」
こちらは、ブッシュ政権の副大統領チェイニーの一代記。悪人のイメージだったけど、副大統領になるまではそんなでもなく、自分を応援してくれた妻を尊敬し、同性愛者である次女にやさしい、いい父ちゃんでもあった。なので、9.11以後のイラク攻撃に至る行動が「?」としか思えない感じ。
これについては、「9.11の報復対象としてアルカイダは国じゃないのでやりにくい。イラクならいいんじゃないか? やっつけたいって言ってたじゃないか」的なことを大統領ブッシュに進言し、「やろう」ということになった的なシーンがあったけど、それだけ。たとえば産業界からの戦争待望論があったとか、チェイニーの会社が儲かったとか、そういう話は、たしかでてきてなかったような。ただの思いつき? その程度の話を、ニューヨークタイムス他の新聞が追及できず、政府発表を鵜呑みにしたというのが、アホか、な感じ。責める対象は、チェイニーもだけど、多くのマスコミだろ。もちろん、政府とFOX、ディズニーなんかの関係もあるんだろうけど(ニューヨークタイムス、ディズニーも加担したようなことを言っていたような・・・)、だったとしたら、そこを描きなさいよ、と思う。
映画は冒頭、酔っぱらい運転でつかまるところから始まったんだっけかな。イェールを退学になり、肉体労働者。妻はいて、イェール入学の後押しもしたけど、この体たらく。重ねて、酒場でケンカの後、酔っぱらい運転。妻に諭され、頭が上がらないチェイニー。と思ったら、次の場面で、新米議員秘書のガイダンス会場みたいな所になる。話しているのはスティーヴ・カレルのラムズフェルド。チェイニーは、ラムズフェルドに一から教育され、次第に頭角を現していく・・・。な流れなんだけど、この部分に「?」がたくさん。
奥さんといかに知り合い、どう後押ししたらイェールに入れるんだ? で、妻に叱られ、どうやったらホワイトハウスのスタッフになれるんだ? これが最大の疑問だな。その後の出世階段も、どこがどう評価されて、一介のパネルめくりが小さいながらも窓のない部屋を与えられ、トントン拍子に? いや、その後のステップは、アメリカの政治制度に疎いので、どのポストが偉いのかよく分からず、ぼーっと見てただけなんだが。
で、Wikipedia見たらワイオミング大学だのウィスコンシン大学で学び、ウィスコンシン時代に州知事と知り合って政界とつながった、と書いていた。それから、首席補佐官? 名前は聞くけど、どういう地位なんだか。よく分かんねえよ。
この頃か、パーティで酔っ払いぶりを見せていた子ブッシュがチラと登場。ののちは、とくに印象がなく、政界からどっかの会社のCEOだっけか。次期大統領候補の8番目ぐらいに名前が挙がったけど、次女の同性愛告白であきらめる。どうやら、同性婚反対の多い地域だったらしい。それで、悩んだ結果の引退、なのかな。娘思いのいい父ちゃんじゃないか。
が、ブッシュから副大統領を懇願され、悩んだ結果、自分にいろいろ権限を与えてくれるなら、という条件をブッシュが飲んで、就任する。「君は感覚的に行動する方だ。だから、判断は僕がする。どうだ?」「そりゃあいい」(ブッシュ)と、ブッシュの能なしぶりが描かれてるけど、このブッシュだってイェールなんだぜ。
なるほど。チェイニーはブッシュを操る影の大統領だったのか。ふーん。そんなことも知らなかった私。
でもやっぱり、どこが悪人なのか、よく分からないというのが正直なところ。なんのためのイラク侵攻だったんだ?
・記者の女房はCIAとか言ってなかったか? この記者って『記者たち』のジョナサン・ランデー? それともまったくの勘違いか?
・長女が下院だったかに立候補。ところが、同性婚は反対、と手のひら返し。このあたり、父チェイニーより悪人だろ。
・奥さんもホワイトハウスにいて、あれこれ指揮してたのね。なんか、影の大統領を操るラスボスみたいな感じ。でも、学舎でもあったり、なかなかのやり手。というか、いちばん頭がいいのが彼女ではないのかね。

 
 

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