2019年10月

パリ、嘘つきな恋10/3ギンレイホール監督/フランク・デュボスク脚本/フランク・デュボスク
フランス映画。原題は“Tout le monde debout”。Google翻訳では「みんな立って」だそうな。allcinemaのあらすじは「女好きで軽薄な50歳のイケメン・プレイボーイのジョスラン。ある日、亡くなった母の車椅子に座っているところに、隣に越してきた美女ジュリーがあいさつにやって来る。彼女が誤解しているのを面白がり、そのまま車椅子生活者のフリをするジョスラン。ところが、その後ジュリーに姉のフロランスを紹介されるが、現われたのは本当に車椅子生活を送る女性だった。フロランスは車椅子生活でありながら、ヴァイオリニストとして世界中を飛び回り、車椅子テニスの選手としても活躍していた。そんなフロランスの明るく前向きな姿に次第に心惹かれていく一方、ますます本当のことが言えなくなっていくジョスランだったが…。」
Twitterへは「絶滅危惧種なロマコメだけど、中年&障害という切り口で攻めてきた。とはいえ、大人の女にダメ男という設定は、相変わらず。下品なところもあるけど、なかなかじわりときた。」
内容知らずにみたんだが。知ってる役者がほとんど出てこない。で、話の展開は↑あらすじの通りで、いつも嘘ばっかりついてるジョスランが身障者のフリをして、でも言いだすきっかけを失ってしまって・・・という、見る人をじれったくさせつつ引っぱっていく。さて、どうやって真相を伝えるのか? が肝なんだが、フロランスがトラックにひかれそうになり、そこを助けるために立ち上がる、というドラマチックを用意していた。ありがちではあるけれど、まあ、こんなものか。しかもフロランスはジョスランが歩けるのを途中で見抜いていて(あれこれ不自然なところが多いから、気づくだろうよ)、意を決してルルド(奇跡が起きるので知られる教会らしい)に行くんだけれど、そこでも言えず、その帰路にこのドラマチックを用意しているので、フロランスにしてみれば「期待外れ」ということになっるので、意外とか劇的、というのがなく、安心して見ていられる感じ。だって、正直に告白したら、フロランスは怒り狂うだろうなあ、どうやって収拾させるのかなあ、と気になっていたし。
フロランスは、ジョスランを腰抜け、と思ったはず。なのに、その後に音楽巡業バスをスポーツカーで追いかけて「ごめん」といったのにほだされた? フロランスはジョスランを見放してはいなかった、というハッピーエンディングを用意していて、めでたしめでたし。なんだけど、あんな嘘つき男を許せるのか、という問題は残る。いくら、嘘だと見抜いていたとしても、だ。
最後の、マラソン完走場面は、歩けなくなったジョスランを、フロランスが膝の上に乗せ、車椅子でゴールイン、という、ジョスラン形無しな状態。まあ、歩ける男より、歩けない女の方が強い、を示したかったのかも知れないけど。これで、将来的に、ジョスランは頭が上がらない、ということになるのか。
・嘘つきなくせに、自分が会社のオーナーであることは自慢気に言うのな。
・友達の医師は、ゲイだよね。途中の電話で分かるんだけど。
・ウソがバレて傷心のジョスラン。社長室にやってきた秘書が、あれこれ訴える。あれは、今日が誕生日なのにジョスランからプレゼントがもらえないことへの不満? ジョスランのことをひそかに思っていたのに、振り向いてもくれない、という訴えかと思ったんだが、違うのか。それに、「初めての色」といっていたから、これまでは毎年、プレゼントしていた、ということなのか。よく分からず。とはいえ、この秘書役のキャラがなかなかよかった。
・ジョスランは最初、母の部屋の隣室の女性(フロランスの妹)にアタックしようとしてたんだよね。でも、彼女は、自分の姉の方がお似合いだろう、と紹介するわけだ。お互い障害者同士だから、と。でも、それが本当にいいことなのか? 疑問。でその彼女は、後にジョスランの兄か弟に出会うんだが。彼女の話を聞きつつ、彼女の噛んだガムを、食べてしまうんだよ。あんなのありか? あんなことされたら、フツー引くだろ。で、あの2人は、できちゃってるんだよな。にしては、最後に、幸せな2人、のシーンがない。歳の差なんて、関係ない、を見せて欲しかった感じ。
・ジョスラン役のフランク・デュボス(監督・脚本も)は、どう見ても49歳には見えない。10歳は上に見える主人公。と思ったら1963年生まれで、50代半ば。だよな。
・フロランスが轢かれそうになって、あわてて降りてきたトラック運転手。まず「事故証明書は?」 と聞いてくる。そういうルールなのかな。フランスは。
・中華料理屋で、秘書が「ありがと」と店員に言う。日本料理じゃないだろ! しかも「コメの酒」と言いつつ、ワインのんでる。
・ホテルで、車椅子を用意してもらおうと、車輪を漕ぐ手振りをしたら、女とするジェスチャーかた勘違いされたり。おばかなギャグがけっこうある。
・2人。沈むプールでいたしたあと、あのバスタオルは誰がどうやってかけたんだ?
・ジョスランの父親は、妻(母親)に捨てられたのか? 葬儀の時の牧師が、なんとも色っぽくてケバい恰好だったというようなことを言っていたが。父親は、施設にいて。半ばに登場した時はフツーだったけど(「ルルドへ行け」といっていたし)、最後のぶら下がりででたときは「母さんは元気か?」といっていて、どうやらボケているらしい。「ルルドへ行くか?」というのは、どっちが言ったんだっけ?
ある船頭の話10/4新宿武蔵野館1監督/オダギリジョー脚本/オダギリジョー
allcinemaのあらすじは「山あいの村で川辺の小屋に一人で住み、村と町をつなぐ渡し船の船頭をするトイチ。しかし近くには大きな橋が建設中で、船を利用する人々は、町へ行きやすくなると橋の完成を心待ちにしていた。そんなある日、トイチは川を流れてきた少女を拾い上げると、小屋に連れ帰り看病する。回復しても何も語ろうとしない少女をそのまま面倒見るトイチ。折しも川上の村で一家皆殺し事件があったという噂が彼の耳にも入ってくるのだったが…。」
Twitterへは「ムダに軽いセリフが多く、尺も長い。カメラも動き過ぎ。妄想シーンも余計な感じ。あれこれギクシャクしてる。もっとどっしり構えてもよかったんではないの。阿賀が舞台らしいけど、あの先に新潟水俣病があるということなのかね。」
エンドロールみてたらロケ地が『阿賀に生きる』の阿賀らしい。ということは、この先に新潟水俣病があった、ということも示唆していたのか? そこまでのメッセージ性は感じなかったが。
冒頭は、水のある場面を美しく撮る、に陶酔しちまって、だらだらと環境ビデオみたいになってるむきも、なきにしもあらず。
話は単純で、渡し守が、新たに建設される橋に仕事を取られる、というもの。そこに、水の精とか、猟師のしきたり、なんかを交えてドラマを作ろうとしてるけど、いずれもたわいがなく、たどたどしい。映像も、水周辺を静謐かつ美しく描こうとしている場面と、人が登場する場面とのテイストの違いがありすぎて、トーンの統一性がない感じ。
全体に、セリフがムダに多い。といっても情報量が多いのではなく、間をとらずにしゃべらせてるから、みな軽薄に見える。とくに源三。トイチですら、多すぎて、どっしり感が感じられない。しかも語尾に「〜さ」とつけて言わせたり、「〜しちゃう」といういいまわしも軽薄にしか思えない。トイチにはしゃべらせなきゃいいのに、と思ったぐらい。
トイチの日常を紹介するのに、渡しの客がいろいろ登場するが、話に絡むのは医師と猟師の息子ぐらい。建設会社のボスと労働者などは近代化=傍若無人を記号化したみたいに描かれている。他にも、芸者連なんて、ほとんど意味がない。なのに芸者のお姉さんに蒼井優を使ったりしてる。ムダに目立ってジャマなだけ。牛を渡す笹野高史とか、草笛光子とか細野晴臣とか、目立ちすぎてトーンを壊してるだけ。
他にもいく人か有名どころもでてるようだけど、顔の区別がつかず。次長課長の河本もいたようだけど気づかず。オダギリジョーと同級生だからの起用なのか? あんなのただの背景でしかないんだから、無名役者セリフなしでも十分だろう。
トイチの家族などの過去は一切描かれない。粗末なボロ小屋で、ほぼ毎日、魚を食べているのか? 大正〜昭和の話としても、いまいちピンとこない。それ程の山奥ではなく、上と下が川で隔てられているだけで、町場からも遠からず、徒歩圏内にあるようだ。
淡々としているようで、でも橋の建設には恨みがあるらしく、労働者たちを源三とともに殺しまくる白黒シーン(妄想?)がある。そんな自分をダメなやつと反省したりするけど、それがどうしたな感じ。そもそも、もう老人だ。それに、渡し料金は村人は無料で、よそ者は五厘ということは、村の人から恵んでもらって暮らしていると言うことか。もしかして、そういう身分なのか。とはいえ、掘立小屋にひとり暮らしの老人を、近代化の犠牲者として強調するのは、いまいちピンとこず。
だいたい、あの程度の川なら木造の橋ぐらいあってもおかしくない。 浅瀬づたいに牛も渡せるんだろ?
源三がもともと何をしていたか知らんが、トイチになついていたものが、後半、冬の場面になると、フロックコートに革靴で、毛皮商人として登場。皮なめしをトイチに依頼する、いささか傲慢な男として変身している。果たして、どのくらい時間が経過したのか知らんが、橋ができたからって、人間はあんなに変わらんだろ。
しかも、、トイチが助け、かつては仲がよかったであろう、少女・ふうに「世話してやる」と迫り、小屋に連れ込む。これ、全然別人じゃないか。描き方が単純すぎ。
少女が小屋に連れ込まれてる間に、トイチは医者に行くんだが。この医者は、たしか、最初に出会ったのは夏頃で、他人行儀だった。それが、病院では馴れ馴れしく話してる。これには、違和感。
少女ふう、は何者なのか? 白いボロ少年は「私は水の精」「お前を見てきた」「少女は私の身代わり」「死ぬべきはずが生き延びた」とか言っていた。では少女は水の精の化身なのか? 水=自然を破壊する相手に刃向かう? 橋の建設に対して刃向かうのは分かるけど、一家惨殺事件は、ではなんなんだ? 源三は少女に「お前の村に行ってきた」といい、事件とは関係ないようなことをいっていた。ではなんなんだ? なぜ彼女は死ぬべきだったのか? それに、後に源三に襲われたとき、見事に喉笛をかっ切っていたではないか。
なわけで、源三の遺骸の残った小屋を焼き、トイチと少女はどこかへ去って行くんだけど。現実的に考えれば、すぐつかまるだろう。あるいは、2人も死に向かっていて、三途の川を渡っていると考えるのがよいのか。トイチは橋に殺された。少女は、死ぬべき時が来た、とでも?
・トイチが流されてきた少女を救い、源三のよもぎで手当てし、少女が気づいた。フツーそのとき、最初に聞くのは名前だろ? なのに、トイチも源三も、何日も名前を聞く様子がない。聞いたのはずいぶん経ってからのことだ。それに、あの赤い中国服のような服にだれも言及しない。あれはなぜなのだ? 白いぼろ少年、赤い少女。色は、関係あるのか? 知らんけど。
・草笛光子の場面は、とても妙。キツネの話をトイチにするのだが、とってつけた感じ。のちに、狐の面をかぶった子供たち、だったかな、がでてくる場面もあったけど、黒澤明の『夢』を連想してしまう。トイチの見る夢の惨殺場面とともに、ケレン味がありすぎで、気を衒ってるだけな感じ。それと、草笛を撮るカメラが、少し斜め上からトイチをなめて草笛光子を見下ろすアングルで、なんか不自然。しかもトイチは漕いでいるのに、船が進んでいないのだもの。他にも、画面の平衡がとれてない画面がいくつかあったような・・・。
・トイチが橋を渡って医者の所から戻ってくる。でも、すごく遠回りになると思うんだけどね。なに、川が凍ってるんだろう? じゃあ、冬の間は、川を挟んだ上と下は、断絶してるのか?
・トイチが少女に「漕いで見ろ」と櫓を変わるところがある。トイチは「棹は三年、櫓は三月」というのだが、あれは櫓なのだから、あてはまらないんじゃないのか?
・少女は川に飛び込む。トイチも、追いかけて飛び込む。すいすいと泳ぐのは、水の精の化身だから? しかし、水深が深すぎるだろ。牛も渡れる浅瀬と、あんな深いところがつながっているのか?
ヒキタさん! ご懐妊ですよ10/7109シネマズ木場シアター3監督/細川徹脚本/細川徹
allcinemaのあらすじは「49歳の人気作家ヒキタクニオは、ひと回り以上も年の離れた妻サチと幸せな毎日を送っていた。子どもは作らず、夫婦ふたりで気ままな人生を送るつもりでいたヒキタだったが、ある日サチから“ヒキタさんの子どもに会いたい”と言われ、子どもを作る決意をする。まだまだ健康体だと自負し、子作りにも特別な不安を感じていなかったヒキタ。ところがそんな彼の前には、思いも寄らぬ幾多の困難が待ち受けていた。」
Twitterへは「地味すぎるけど、よかったかな。しかし、いまどきあんな義父はいるのかいな。クラゲ飼いたい。ダメ金玉。おぐぎんざ。」
友人から、子どもはいいわよ、と言われたサチが、突然、子どもが欲しくなり、2人で妊活に励む話。最初は自然にやってて、次いで検査したらヒキタさんの精子が活動率20%と言われてしまう。49歳でそうなのか? でも、ビールやめてサウナやめて運動したら活動率が40%〜70%まで上がるんだけど、ありゃ本当のことなのか?
体外受精も10数回やって、1度は成功するが、胎児の心臓が動いてない、ということで、次のステップへ。卵子に活動的な精子を注入するやつで、女性の負担が大きいらしい。何度か失敗し、ついに成功! でも、エコーで脳に空洞・・・。でも、その後の検査で心配なし、になったようで、そこでハッピーエンディング。
とまあ、話はシンプル。サチが言いだした「子どもが欲しい」に、なぜヒキタさんまでもが熱心になるのか、そこはよく分からんが。やっぱり子どもが欲しかった、でいいのかな。
気になるのは、胎児の脳が空洞、というくだり。最後の検査で大丈夫と言われたのか、サチは両手で丸をつくっていたけど、後遺症などは残らないのか。はたまた、こういうことは、ありがちなのか? 原作での実際はどうだったのか、とても気になるところかな。
ヒキタさんは作家らしい。擔当編集社が面白くて、女房にすぐ子供ができる。一方、できないヒキタさん。その対比が面白いけど、浮気相手も孕んだ、という話がでてくる。その後、どうしたのか、とても気になるところ。
サチの父親は大学教授で、もともと2人の結婚は賛成じゃなかったのか、ヒキタさんに冷徹だ。とはいえ、「人工授精なんか」と、恥ずかしいとまでいうあの態度はなんなのかね。原作者の義父が実際そんなだったのか、知らんけど、孫の顔が見たくない人なんて、いるかね。いまどき。なので、とても違和感。
人工授精がダメで、卵子に直接精子を注入・・・というのは、女性の負担が大きいのね。それに、費用もかかる。とはいえ、そんな経済的に困ってるように見えずだったけど。義父が、あんたは嫌いだし本意ではないが、と言い訳しつつ預金通帳を渡すくだりも、なんか違和感。素直になれよ、ジイさん、という感じ。
尾久銀座が登場してた。あんなところ、わざわざフツー、住まないと思うが。ロケしやすかったのかな。
蜜蜂と遠雷10/7109シネマズ木場シアター1監督/石川慶脚本/石川慶
allcinemaのあらすじは「3年に一度開催され、若手ピアニストの登竜門として世界から注目を集める芳ヶ江国際ピアノコンクール。母親の死をきっかけに表舞台から消えていたかつての天才少女・栄伝亜夜は、復活を期してコンクールに挑もうとしていた。そんな彼女の前に立ちはだかるのは、楽器店勤めで年齢制限ギリギリのサラリーマン奏者・高島明石、亜夜の幼なじみで名門ジュリアード音楽院に在籍する優勝候補最右翼のマサル・カルロス・レヴィ・アナトール、そして今は亡き“ピアノの神様”ホフマンに見出され、コンクールに波乱を巻き起こす謎に包まれた無名の少年・風間塵という、バックボーンもピアノとの向き合い方も三者三様のコンテスタントたち。そんなライバルたちとコンクールを通して刺激しあい、悩みながらももう一度自分の音を取り戻そうともがく亜夜だったが…。」
Twitterへは「松岡茉優も森崎ウィンも天才に見えない・・・。音楽の良し悪しも分からんし。最終結果も、うーむ。手持ちカメラのブレブレは意図的かも知れないけど、酔った。」
クラシックは分からない。なので、凄さがまったくつたわってこないし、感動にもほど遠い。ふーん、な感じ。
取り上げられるのは4人のピアニストで、7年振りに復帰の栄伝亜夜、その幼なじみマサル、子持ちの28歳高島、謎の風間。それと、マサルの知人のジェニファぐらい。でも、ジェニファは演奏場面なしで2次敗退・最終選考に進めず。演奏場面が多いのは風間、亜夜が多くて、マサルはずっとなくて、2次選考の時でやっと。高島は、どうだっけ? と、初めから絞ってしまっているので、いまいち、選ばれる感じが薄い。最終選考は6人で、映画の主要4人以外に3人いるし、もっと、短くてもいいから、多くのピアニストを登場させ、落ちていく様子を見せていってもよかったんじゃないのかね。
で、2次選考の演奏が、それぞれの持ち味というか、ヤマ場になるんだけど、課題曲の背景がよく分からんのよね。国際的なコンテストで、なんで宮沢賢治の『春の修羅』? そういう、有名な曲があるのか? 後から調べたら、原作小説にある架空の曲らしい。分からんよ。途中からカデンツァ、ってどういうこと? カデンツァって曲があるのかと思ったら、調べたら即興演奏のことかよ。素人には分からん。
最後はオケをバックに、らしいが、なんでマサルは指揮者の小野寺にいじめまくられるんだ? 逆に、風間は演奏者の場所を移動させたり、わかままし放題。それを、オケに合わせろ主義の小野寺は許すのか? 不思議。
最後、1位が風間、2位が亜夜、3位がマサルかなと思ったら、1位マサル、2位亜夜、3位風間と、あらら、な結果。
そもそもマサルは凄さを感じない。演じる森崎ウィンが、存在からして気持ち悪い。へらへらしてて、お笑いのノッチみたい。ロビーでインタビュー受けてる時、モニタに風間の演奏が映し出され、記者がインタビュー中断してモニタを見ようとしたのに、マサルは素っ頓狂な表情なだけ。マサルには、風間の凄さが感じられない、という設定かと思ったよ。
なので、終わってもちっともスッキリしない。マサルに天才性は、ちっとも感じなかったし。
天才は、風間だろ。とはいえ、ホフマン先生って、誰よ? が最初からつきまとう。審査員の会議にも、自筆の手紙が持ち出され、風間の存在を認めるか否か、審査員が問われている、みたいなことが書かれていて、でも結局3位。どういうこっちゃ。
というような案配で、ボーッと、内容に深入りできないままだったけど、素人はそんな程度の理解でいい、というスタンスでつくられているんだろう。だから、誰にも感情移入できず、ふーん、な感想しかないのだった。
・役者の位置づけがよく分からん。まず、ホフマンって、誰だよ。少年の師匠? でも、審査員にも影響がある。でも、実像が分からない。審査委員長が斎藤由貴の嵯峨なのは分かるけど、いつも横にいる外人は何者? マサルの師匠のようだけど、そういう審査員もOKなのか。アドバイスもしていいのか。あと、2人の後ろの席にいる光石研は、何者? あとから公式HP見たら「春と修羅」の作曲者とあったけど、分からんよ。そんなの。あと、よく登場する顎髭男、あれは? たしかマサルにアドバイスしてたりしてたけど、どういう存在なのだ? とか、説明がたりなすぎる。
・亜夜が、誰かの演奏を聴いて、頭にメロディが浮かぶ。いま、ピアノを弾きたい。でも、練習室のピアノはすべて埋まっている。というところに高島が助け船。たどり着いたら風間が後を付けていて、自分がまず弾き始め、そこに亜夜も加わって「月光」「ペーパームーン」なんかを連打するんだが、おいおい、頭の中のメロディはいいのかよ。フツー、ジャマしないでよ! って、怒るんじゃないのか? とても亜夜が天才には見えない。
・風間は、ホフマン先生の無音鍵盤で練習? じゃ、普段はピアノに触らずなのか? それでコンクール? それは凄い、と思うけど、現実的なのかいな。
・7年前のトラウマがわからない。母が7年前に亡くなったのは、マサルとエレベータで再会したとき話してたのですぐ分かる。でも、演奏前に会場をあとにしたこと。オケとの練習である音が弾けなくなる理由とか、思わせぶりなので、他に何か特別なことがあったのかと思ったらそんなこともないらしく。母親の死の直後なので、そうなった、というだけの様子。ところで、母親はなんで亡くなったんだ? 父親は?  マサルは、いくら海外にいたからって、亜夜の母親=かつてのピアノの先生の死を知らんのか? さらに、彼女の記憶のところで、雨だれ、走る馬、廃墟のイメージが写るんだが、ありゃなんなんだ?
・最終選考前だったか、4人で浜辺へ。なかに高島がいるのが、少し違和感。そもそも高橋が一方的に亜夜を知っている関係。直近でピアノの練習場所を紹介した、は分かるけど、他の2人とはつながりが薄いよな。すでに落ちてるから、気楽についていったのか。その後も、最終選考をあれこれ聞きに行ったり、あきらめきれないのか、天才たちへの羨望なのか、よく分からない。
・その高島は、女房子持ち。かみさんに食わしてもらってるのか?
・最終選考の直前。亜夜はマサルの調整を手助けし、練習室を離れようとすると、マサルが「帰ってくるよね」はどういう意味か。7年間のブランクから、なのか? 最終選考に残っただけで、復帰してるのではないのか? それとも、その後の、最終選考をキャンセルしようとした心情を察した?
その亜夜が、最終選考をキャンセルしようとしたのはなぜなんだ? そして、なぜ引き返したのか? 遠雷? 自然の音? 母親が教えてくれて、砂浜で風間が感じ取った、はるか彼方の遠雷? このあたり、まったく分からない。で、結局、審査会場に戻ると、風間が「おかえり」という。これまた、亜夜の心情をわかってなのか、どうか、よく分からない。
・で、遠雷はビジュアルでも登場するから分かるけど、蜜蜂って、なんだよ。
・ラストの、帽子を手に取るのは誰? そしてその意味は?
・ピアニスト4人の私的な場面で、いつも手持ちカメラのブレブレ揺れている。あれは、酔うよ。意図的なんだろうけど、なにもつたわってこないぞ。
記憶にございません!10/9キネカ大森2監督/三谷幸喜脚本/三谷幸喜
allcinemaのあらすじは「内閣総理大臣の黒田啓介は、史上最悪のダメ総理と揶揄されるほど国民から徹底的に嫌われていた。ある日、演説中に聴衆から飛んできた石が頭に当たって昏倒し、そのまま病院送りに。ベッドの上で目覚めた黒田は一切の記憶を失っていた。彼の秘書官3人は、このままだと国政が大混乱になると、記憶喪失の事実を国民はもちろん、大臣や家族にも秘密にすることを決める。そんな記憶をなくした総理には、当然のように次から次へとトラブルが襲いかかる。その一方で、まるで憑き物が落ちたかのように、これまでの悪行がウソのような普通のおじさん然とした言動を繰り返し、周囲を困惑させる黒田だったが…。」
Twitterへは「記憶喪失や浮気話は古くさいけど、やっぱり王道。監督の初期の作品レベルに近い仕上がりになってる。ムリして新しいことしなくてもこれでいいんだよ。小ネタも笑えるし、脇役キャラもうまく活かされてる。」「ローリーはすぐ分かったけど、有働由美子、山口崇は気がつかず。」
昨今の三谷映画はイマイチなので、あまり期待はしてなかったんだけど、なかなか面白かった。気を衒って変わったことをせず、設定はむかしからよくある記憶喪失にし、その間に善人にもどるという、100年前からあるような話にしたからだろう。で、登場させるキャラと、軽いギャグに力を注いだからなのか、ビリー・ワイルダー的古典の王道ができあがった感じ。ある意味で、寅さん映画を見ている感じなのかも。
ラストで、実は途中で記憶が戻っていた、というオチになる。では、いつからなのか? それを考えるのも楽しいかも。とはいえ、もともと小学生の時は、いい総理大臣になりたい、と思いつつ、自分の性格からできない、ようなことを思っていたのかな。でてきた作文によると。それで、頭にボールが当たったら、性格を変えられるからどーの、というようなことを言っていたけど、あのくだりがすんなり入って来なかった。ちょっとムリがあるかな、あれは。
そもそも、いくら悪人官房長官にすり寄ってのこととは言え、口も汚く差別的で傲慢、浮気もし放題、という生活を送っていながら、本心では「こんなんじゃダメだ」と思っていた、と思わせる何かが必要な気がする。そう。悪人のフリをしていた、と思わせる何か。それがないから、「記憶は戻っていた」といわれても、素直に受け取れない何かがあると思う。
キャラで面白かったのは、料理人の斎藤由貴。こないだの『蜂蜜と遠雷』より、こっちの方がピッタリとハマってる。あと、アメリカ大統領の通訳役の宮沢エマ。無表情だけど、なかなか。しかし、黒田総理は彼女にまで手を付けていたのか! というおかしみ。一瞬分からなかったけど、声で分かったローリーも、なかなかな感じ。
他の映画なら主役級の役者がどんどん登場するけど、吉田羊とか田中圭とか、こういう役回りがぴったりだよな、と思わせてくれる感じ。
まあ、総理一人がまっとうな政治を志しても、いろんなしがらみがからんでるから、そうそう事はうまく進まないとは思う。だから、これは楽天的なドラマではあるけれど、それを忘れてはいけないよ、という教訓は活かされている。だから、映画らしい映画であると思う。
・首相官邸は、東博の表慶館で、バルコニーから一般市民に手を振るという設定。そんなのあるか、だけど。東博もこういうところで稼いでいるのかしら。
パリに見出されたピアニスト10/10ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ルドヴィク・バーナード脚本/ルドヴィク・バーナード、ジョアン・ベルナール
原題は“Au bout des doigts”。「あなたの指先で」という意味らしい。allcinemaのあらすじは「パリ郊外の団地で貧しい家庭に育ったマチュー。不良仲間には秘密にしているが、実はピアノが好きで、パリ北駅に置かれた誰でも自由に弾けるピアノで練習するのが何より好きだった。そんな彼の才能に目を付けたのが、パリの名門音楽学校コンセルヴァトワールでディレクターを務めるピエール。マチューが盗みの罪で警察に捕まると、実刑回避に一役買い、マチューはコンセルヴァトワールでの清掃の公益奉仕を条件に釈放される。そんなマチューにピエールは、女伯爵の異名を持つピアノ教師エリザベスのレッスンを受けさせるのだったが…。」
Twitterへは「地味で感動的なサクセスストーリーかと思ったら、老若ダメ男2人の人生やり直し物語だった。後半は、中高生向けな青春ドラマ。クリスティン・スコット・トーマスは好き。」
高尚なテーマをもった話かと思ったんだけど、最後はヤング向け青春ドラマになってしまった。
貧乏な母子家庭。母親は病院勤務。妹と弟。でも、日頃はチンピラ仲間とつるんで窃盗・・・。侵入した家のピアノに見とれてて、ひとり逮捕され、公益奉仕の身に。ここで手を貸したのが、マチューのピアノを駅で聴いて以来、彼に感心を抱いていたピエール。自身が教職をつとめる音楽学校の掃除をさせながら、厳しいことで知られるエリザベスのレッスンを受けることになる・・・。という設定は、よくある感じ。掃除夫と、天才たちが集う学校、というのは『グッド・ウィル・ハンティング』を思わせるけど、あちらはハナから天才。こちらは原石。なので練習が必要なのに、そこを理解せず、すぐに反抗的になって「やめる!」と言ってしまう。というパターンの繰り返しの堂々めぐり。なかなか成長しないところがちょっとイライラさせる。
近所のピアノ教師に手ほどきを受け、好きになったのはいいけど、途中で教師は死んでしまう。その後、どこで習ったのか、習わなかったのか、とかいうところや、いくらでもピアノに触れる環境を世話してやろうというピエールの申し出を袖にしたり。マチュー自身が何を考えているのか、よく分からない。だから感情移入しにくいし、応援もしにくい。黒人娘のチェロ奏者と恋仲になる、という定番のロマンスもあるけど、お供え的な感じ。
ピエールによるマチューの発見、という側面も、あまり説得力がない。エリザベスも、素質はあるけどやる気が無い、と即断してしまう。エリザベスもまた才能に惚れる、ぐらいの設定にしてもらわないと、マチューの凄さがつたわってこないよね。音楽学校の校長が招聘した、有名作曲家の存在も、ほとんど機能していない。彼もまた、衝撃を受けるマチューの可能性、ぐらいにしてくれないと、ピエールの入れ込み方がつたわってこない。
そもそもピエールの行動自身が、失った息子への愛の代償行為としてマチューを支援した、てなことも分かってきて、じゃあ本当にマチューに才能はあるのか的な疑惑も湧いてくる。
というわけで、話がいまいち中途半端なところがある。マチューを遮る壁は、自分自身だし、それを克服するような場面もとくにない。むしろ、自分で自分の足を引っぱってるだけ。
ピエールは、息子の部屋だった屋根裏部屋にマチューを住まわせるんだけど、妻に内緒で行っている。のちに、いつまで死んだ息子にこだわってるんだ的なことをいって、離婚に進みそうなんだけど。これまた納得いかないところがある。
で、文句を言いつつも、ピエール妻はマチューにやさしく接して。やってきた晩に黒人娘を連れ込んで、その翌朝に出会った時も、嫌みを言うわけでもない。とはいえ、実は亡くなった息子への思いがあなたの支援になったのよ的なことを告げるんだけど、とくに衝撃的なことでもないと思うんだが、これに衝撃を受けたマチューは、コンテスト前日に屋根裏部屋をでて自宅に戻ってしまう。やれやれだよね。コンテスト出場者の選定にしても、ピエールは身体を張って「マチューにする」と、校長や同僚に首をかけているのだから、偉いと思う。ただ、校長は内緒で万一のための保険と、生徒一人に課題曲をレッスンさせ、備えるんだけど、このぐらい当然だろ。なのに、これを知ったピエールは憤り、マチューも「ならやめる!」と失踪した前例あり。というような、堂々めぐりだよ。
というとき、弟がバイクでミスって頭を打って病院で手術。なんとか成功して、母親に「コンテストに行きなさい」と言われて心変わり。チンピラ仲間も途中までクルマで送ってくれて、なんとか間に合って、パーカーの上にピエールのジャケットを羽織って演奏。万雷の拍手。というくだりは、ご都合主義の強引な展開で、なんだかな。本当にピアノが好きなら、逃げるんじゃなえよ、とイライラしてくる。
コンテストの結果は分からない。ただし、ピエールは音楽監督としてニューヨークの学校に招聘されていて、いままさにコンサートが始まろうとしている。入ってくるのはマチュー。チェロの席には黒人娘。めでたしめでたし、という安直な話になってしまっておった。
最後に、「この指で未来をひらく」というような言葉が出て来たのは、原題からのものか。
ジョン・ウィック:パラベラム10/11109シネマズ木場シアター7監督/チャド・スタエルスキ脚本/デレク・コルスタッド、シェイ・ハッテン、クリス・コリンズ、マーク・エイブラムス
原題は“John Wick: Chapter 3 - Parabellum”。Parabellumはラテン語由来で、「戦争の用意をせよ」という意味らしい。allcinemaのあらすじは「伝説の殺し屋ジョン・ウィックは、裏社会の聖域“コンチネンタルホテル”での不殺の掟を破ったため、裏社会の元締め“主席連合”の粛清の対象となり、1400万ドルの賞金首となってしまう。行く先々で刺客との死闘を余儀なくされ満身創痍のジョンは、かつて“血の誓印”を交わした元殺し屋ソフィアに協力を求めるべく、モロッコへと向かうが…。」
Twitterへは「1作目は見たけど次は見てなくての3作目。CG使いまくりのアクションは迫力に欠けるけど笑えるくらい楽しい。チャンバラの殺陣みたい。話は中味がないのでちと退屈。随所に出てくる日本趣味が笑える。こはだ四百円、猫のいる寿司屋。」
2作目は見てないが、単純な復讐劇から、組織内部の話になってた。『マッドマックス』1作目から2作、3作の変貌と、似てるかも。
ストーリーがほとんど空っぽなので、アクションが途切れると、眠くなった。アクションはCG使いまくりでちっとも迫力がないけど、連続的にサービスしてくれてて、飽きないし、笑えるところもたくさん。なんだけど、ラスボス前のアジア人2人と、ラスボスのハゲ日本人とのアクションは、工夫がなくてつまらない。眠くなった。
日本趣味がたくさん。ホテル支配人室にはオタク好みの日本の鎧。バイクで襲う連中は、日本刀。裁定人がまず訪ねたのは寿司屋で、大将がハゲ日本人。カウンターには猫が寝てて、食わせるのはフグ。壁に、コハダ四百円、イカ三百三十円とか、紙に書いてある。背景は、雨に濡れた路上で、まるで『ブレードランナー』。まるでマンガ。そして、指詰め。どれも笑える。
掟を破って、聖域であるホテルで人を殺した、そのせいでジョンは組織から追われる身になる、というスタート。人々は主席の下にいて、忠誠を尽くしている。それに違反したので、賞金首になって追われることになったらしい。という経緯は、前作にあるのだろう。本編前に1、2作の杜撰な紹介があったけど、ほとんど役に立たず。あれ、日本版だけなのか?
ジョンが殺人を行った、聖域に指定されてるホテルの支配人は、ジョンに何十分だかの猶予を与えた。逃げるジョンは、図書館で十字架とかメダルを取り出すんだが、そこでノッポの男をやっつけ、この時負った傷を手当てしに中国人の医師のところへ行くが、縫っている途中で時間切れ。
まずはバレエ教師のところへ行き、十字架を見せ、モロッコへの船旅を要求する。これ、意味がわかんなかったんだが、次のハル・べりーにはメダルを見せて助けてくれるよう懇願していて、そうか、と気がついた。かつて彼らの依頼を聞いたか助けたかして、もしなんかあったらお返しをしてくれる、という証拠なんだろう。
(HPでは「血の誓印」となってた。意味は説明してない。)
で、モロッコに到着。だけど着てるスーツ、血だらけのワイシャツがそのままだぞ!
ここで、ハル・ベリーに会い、主席よりも偉い人に会いたい、だったかな、ということで。砂漠の果てまで行ったら、相手が見つけてくれる、とかいうことで、砂漠。ハル・ベリーは、口をすすいだわずかな水を与え、さようなら。砂漠の住人がジョンを救い、偉そうな男のテントに連れて行く。そこで何があったんだっけ。忘れた。その後、ハル・ベリーと犬とで、ちゃらい男のところへ行く。ジョンは、助けてくれたら主席に忠誠を尽くすと約束する。ちゃら男は、犬をくれ、とハル・ベリーにいい、断られると犬を撃ち殺してしまう。これに逆上のハル・ベリー。ジョンと犬とで、ちゃら男の部下を皆殺し。この場面は楽しかった。犬が、相手の金玉ばかり噛みつく。で、ちゃらおは殺さず、退散。その後、どうなったんだっけ。
やはりこのあたり、背景となる組織のことが分からないと、なるほど、にならない。主席? その上の人物? たとえばローレンス・フィッシュバーンのキングは、兵隊でいえばどの位なのだ? てなところが分からない。それと、この組織のことを、一般人は知っているのか? 一般人も知っていて暮らしているのか? 警察とか政治家も、主席の下にいるのか? とか分からないと、話にすんなり入り込めないよね。
まあいい。裁定人の放った刺客がキングを斬り殺し、さらにホテルの支配人にも迫るんだっけか。だけど、支配人はジョンと、あと受付の黒人と立てこもり、裁定人が放った連中を皆殺し。相手の装甲が進化し、並の銃弾なら跳ね返す、って設定がユニーク。ここもマンガ的で笑いつつ安心して見ていられる。
残るアジア人2人と寿司屋のハゲ日本人。まあ、どちらもやっつけはするんだけど、アジア人2名には、完全に負けてる場面があったな。それにしても、みながみなジョンに「ファンだった」って言ってくるのがおかしい。
て、ジョン、支配人、受付の3人のところに、裁定人がやってきて、支配人はホテルに居つづける権利と引換に主席への忠誠を誓い、その証にジョン撃ち、ジョンは屋上から転落。これで任務は終わった、と帰ろうとした裁定人は、路上からジョンの遺体が消えているのに気づく。むむむ。
乞食かジョンを拾い、実は生きていたキングのところへ連れていっていた、というところで終わる。まだ続くのかよ。
・なぜジョンが死にたくなく逃げる、あるいは主席に屈しても生きる、のか。これに対しては、生きていれば妻を思い出せるから、とかいうようなことを言ってたような・・・。なんか、理由がアホらしくないか?
・ハル・ベリーがカッコいい。きれい。もう50過ぎなのに、30代にも見える。
・組織の情報管理は紙で、交換手みたいな女性が黒板に文字を書いたりしてアナログなのが面白い。
ブルーアワーにぶっ飛ばす10/15テアトル新宿監督/箱田優子脚本/箱田優子
allcinemaのあらすじは「東京に暮らす30歳のCMディレクター、砂田。忙しいながらも仕事は順調で、優しい夫にも恵まれ、何不自由ない生活を送っているかと思いきや、心は完全に荒みきっていた。そんなある日、病気の祖母を見舞うため、大嫌いな故郷の茨城に帰ることに。自由奔放で天真爛漫な親友・清浦を旅のお供に、見たくない自分と否応なく向き合わされてしまう家族の待つ実家へと車を走らせる砂田だったが…。」
Twitterへは「で? な内容。セリフがほとんど聞き取れない。」
最初は浮気相手との後朝で、帰ると同居男性がいるという・・・。次は階段で絵コンテ見ながら罵声を浴びせている相手は誰なのか分からず。そこに「監督」と呼ばれていくと、役者の嶋田久作が「聞いてないよ」と臍曲げてる。それをなだめる砂田夕佳。・・・「監督」だから映画かと思ってたら広告らしい。にしては現場がCMっぽくないな。クライアントもいなかったみたいだし。にしても、広告界で30で女で演出家って、よっぽどじゃないといないと思うが。
夕佳の浮気相手(ユースケサンタマリア)は同僚らしく、でも、2番目の子供ができた、ということを知って夕佳が乱れまくる。で、知り合いのあさ実と喫茶店でなにやら話してる。あさ実が何者かは分からない。ビデオを渡したりしていたけど、何を撮っていたものなのかも分からない。で、あさ実がクルマを買ったことを知って驚く夕佳。助手席に乗る夕佳に、どこいく? で、実家は? 茨城。じゃあ行こう。って、ぶっとばして実家に行くということに。なんでも祖母が病床でそのうち見舞に行くつもりではあったらしい。
田舎では、とくに事件もない。牛を飼っているのか、両親は毎日ちゃんと仕事をしている。の割りに、母親(南果歩)はまともに食事もつくらずテレビばかり見ている。父親(でんでん)は、とくに目立ちもせずフツーだけど、骨董に500万も注ぎ込んで、真剣を振りまわして悦に入っている。異様なのが兄で、教師らしいが、生徒と問題行為があった、のかなんなのか、よく分からんが、変態的。
田舎のスナックに2人で行って、オカマっぽいのと話したり、巨大な獅子舞(調べたら石岡市だった。エンドロールには牛久の名前は見えたけど。実家はあのあたりということか)の観光地に行ったり。たいしたことはしていない。夕佳は懲りずに浮気相手にメールすると、かえっておいで、ワインを飲もう、なんて返信が来るけど、結局、まだ田舎に。祖母を見舞い、1晩か2番泊まって、帰っていく、というだけの話。ブルーアワーは、その帰りの道路でのことなのか。運転はあさ実のはずが、いつのまにか夕佳が運転してるのは、なんなんだ? 清浦は寝てるのか? 見えなかったけど。で、オシマイ。
何が言いたいのか、よく分からん映画だった。
茨城弁は、大衆フランス料理店みたいな場面でヤンママがしゃべっているのが、近いかな。母親(南果歩)の「〜さあ」っていうのは、らしくない。
夏帆ってまだ28歳なのか。もっといってるかと思ってた。
あさ実役は『新聞記者』のシム・ウンギョンなんだけど、まだ日本語が不自由な状態、なのに、清浦あさ実という名なのは日本人という設定なんだろうけど、ムリがありすぎ。外人でいいじゃないか。
冒頭と、途中に出てくる。少女が走っている夕暮れ。あれは夕佳なんだろうけど、オバケかなんかに追われてるんだっけか? 覚えてない。そんなに田舎が嫌いでも、東京から1時間半もあれば帰れるところなんだから、そんな気にするようなことはなかろうに。というか、代理店でCM演出家ってことは有名私大でも卒業してないとなれないはずで、もちろん兄も教師なんだから大学は出てるはずで、その意味では裕福な家だろ。とくに厳格でもなく、田舎に戻れと言うわけでもなく、放置してくれているんだから、子どもに理解もあると言うことになるんじゃないのかね。
夕佳は、あれは結婚してるんじゃなくて、同居してるんだと思うけど、こちらの彼氏も夕佳の好き放題にさせてくれているわけで、理解のある彼氏だと思うけどね。でも、気の毒な彼氏でもあると思うけど。
ジョーカー10/14109シネマズ木場シアター3監督/トッド・フィリップス脚本/トッド・フィリップス、スコット・シルヴァー
原題は“Joker”。allcinemaのあらすじは「大都会の片隅で、体の弱い母と2人でつつましく暮らしている心優しいアーサー・フレック。コメディアンとしての成功を夢みながら、ピエロのメイクで大道芸人をして日銭を稼ぐ彼だったが、行政の支援を打ち切られたり、メンタルの病が原因でたびたびトラブルを招いてしまうなど、どん底の生活から抜け出せずに辛い日々を送っていた。そんな中、同じアパートに住むシングルマザーのソフィーに心惹かれていくアーサーだったが…。」
Twitterへは「あの程度の貧困はいくらでもある。特別じゃないだろ。だいたい大衆が騒動起こすほど貧富の差も描かれてない。市長候補も悪党といえるほどじゃないし。そして、またかよ、な感じであの病気が出てくる。偏見を助長するだけだ。」
アーサーがいかにジョーカーになったか、という話だが。最初は貧困。次に持病の笑い病。失業。市の福祉事業の縮小。母親の妄想性精神病および母親による幼児虐待の過去判明。本人もまた妄想性精神病の疑い、人殺しの快感に開眼・・・とうような流れで、いまいち説得力がない。「こんな住まい」と自虐的に母子は言うが、じゃあ、同階に住んでる黒人の母子家庭はどうなんだ? 他の、デモに参加する連中は、殺人まで犯すのか? なので、最終的には個人の資質に舞い戻り。母親のDVと本人の精神病が主因になってくる。しかも、母親のDVは、息子アーサーの笑い病に、「なんで笑ってるんだ!」と怒ったことが原因らしく、そうしてしまうのも母親の精神病も無関係ではないだろう。とどのつまりは、本人の資質と、サポートする福祉行政の縮小? でもだからって軽々に人殺しをしてもいいとは言えない。拳銃をくれた同僚への殺人行為などは、行きすぎ以外の何物でもない。だって、拳銃なんて要らない、と断ればいいだけの話だし、そんな拳銃を持ち歩かなければ、仕事をクビにならずに済んだはずだから。
それにしても、なにかというと精神病をもちだすアメリカ映画は相変わらず。これでは精神病患者への偏見が増すだけだろう。そういうことに異を唱えないアメリカの医療業界も、どうかしていると思う。
・トーマス・ウェインという市長候補が登場する。企業のオーナーでもあるらしい。で、福祉政策を縮小したのは、誰なんだ? TWが市長に当選した場面ってあったっけ? あるいは市長選のライバルがどういう主張をしてたか、なんて描かれてたか? このあたり掘り下げたら、もう少しリアルになったのではないのかな。
・最後に、たしかアーサーはTWと妻を射殺したんだったよな。しかし、反対デモも盛んな中、護衛も付けず、のほほんと親子三人で夜の街を歩くか、フツー。
・エド・サリバンみたいなテレビショーの司会者を番組中に射殺し、パトカーで連行される途中で交通事故。群衆に助けられ、口中の血で口角を塗る。ここでジョーカー誕生! ここで終わりかと思ったら、さにあらず。精神病院で黒人カウンセラーと対峙していたが・・・。部屋から出てくるアーサーの足跡が真っ赤。ということは、カウンセラーのオバサンも殺っちゃったのかよ。しかし、福祉の窓口のオバサンも、このカウンセラーも黒人。同階のシングルマザーも黒人。なんか、配慮が妙な感じだ。
・TWの会社に勤める3人が電車で女性をからかい、車両に居合わせたアーサーが突然笑い出す。ボコボコにされ、ついには拳銃で3人を撃ち殺すんだが。まず、他に誰もいない車両、誰もいない駅舎が異様すぎ。さらに、大企業の3人が、普段から危険な電車なんかに乗るか? と思ってしまう。
・時代設定が、いろいろと妙。ラグタイムやスウィングジャズ、かと思うと街中は60年代っぽかったり、でも2000年代の雰囲気もあったり。テレビショーは70年代風? まあ、それがゴッサムシティなのかも知れないが。
ブラック・クランズマン10/17ギンレイホール監督/スパイク・リー脚本/ チャーリー・ワクテル、 デヴィッド・ラビノウィッツ、ケヴィン・ウィルモット、スパイク・リー
原題は“BlacKkKlansman”。そうか。黒人のKKK団員、という意味だったのか。はは。allcinemaのあらすじは「1970年代前半のアメリカ。コロラド州のコロラドスプリングス警察署初の黒人刑事となったロン・ストールワースは、過激な白人至上主義の秘密結社KKKのメンバー募集の新聞広告を見つけるや自ら電話を掛け、支部代表相手にまんまと黒人差別主義者の白人男性と思い込ませることに成功する。そしていざ面接の段になると、ロンは同僚の白人刑事フリップ・ジマーマンに白羽の矢を立てる。こうして黒人のロンと白人のフリップがコンビを組み、前代未聞の潜入捜査が開始されるのだったが…。」
Twitterへは「メッセージ性が強いのがジャマだけどスパイク・リーだからしゃあないか。フツーにドラマ部分だけにしても面白いと思うんだが。トランジスタのショックレーが優生学者だったとは知らなんだ。」
自ら警察官になりたくて応募し、署長と、説得役の黒人おやじの面接を経て採用。なんだけど、あの黒人おやじは誰なんだ? 地元黒人組織の顔役かなんか? あと、疑問なのが、なぜ警察官になりたかったか、なんだけど説明はなし。
最初は資料係。なので潜入捜査に使ってくれと署長に訴え、過激派組織の講演会に潜入。ののち、新聞に載ってたKKK勧誘広告に応募し、加入することになる、のだが。KKKを調べろと上司から指示が合ったのか? ロンの勝手な判断? というか、KKKは当時捜査対象になっていたのか? とか、疑問。でまあ、自分じゃ潜入できないから同僚のフリップを代役として潜入させ、でも、KKKからの電話にはロンが対応するという、不思議なねじれ。でも、声や話し方、情報の共有具合でバレやすいだろうに、なんでこんな複雑なことをしたのか。すべてフリップにすればOKだろうに。あんまり意味がない。
というような、ロン、フリップ、もう1人の白人警官の凸凹トリオでKKKを調査する様子はいくぶんコメディタッチ。でも、いつかバレるだろう、バレたらリンチでもされて・・・という不安が湧いてきて、落ち着いて見てられない。
KKKはみな頭が悪い連中ばかりで、黒人集会の爆破計画を実行しようとするんだけど、それをするのか会員のデブ女房。これまた黒人差別主義者。そういう連中が集まって家族を形成するのか・・・。爆弾はたしか、軍関係者からの横流し?
KKKが、黒人だけでなくユダヤ人も同じぐらい排斥しているのは知らなかった。実はフリップはユダヤ人で、ダビデの星を身に付けているとかいってて。胸にも盗聴マイク付けてるし。あんなの、バレたらどうすんだ、というハラハラもあったりする。
一方のロンは自身が潜入するわけじゃないから呑気なもので。講演会で知り合った大学の黒人組織のリーダー、パトリスといい関係になっていく。このパトリス役のローラ・ハリアーがなかなかカワイイ。
ロンは地元のKKKだけじゃなく、デビッド・デュークという(実在の人物らしい)KKKの幹部に直接電話し、信頼を勝ち得ていく。で、デビッドがコロラドスプリングスにやってきて儀式を行う当日と、黒人学生組織がかつての差別を体験した長老(ハリー・ベラフォンテ)を招いて話を聞く日が同じ日となり、ここでデブ女は爆弾を仕掛けようとするところがクライマックス。まあ、屋外の演説会場にはパトカーが集結し、ではとパトリスの家に爆弾を仕掛けようとするけど郵便受けに入らず。というところにロンがやってきてデブ女を取り押さえるんだけど、警官はロンに銃をむけ、ボコボコに。というところにフリップがやってきて解放されて・・・。という間に。爆弾はパトリスの赤いワーゲンを吹っ飛ばす。
というわけで大殊勲のロン。いつも差別的なことばっかり言ってる警官仲間を盗聴マイクでハメて逮捕しちまったり、デュークからかかってきた電話で身元をバラしスカッとさせたり、のあとに、予算削減で潜入操作は以後しないことに・・・的なエンディングがちょっと寂しいけど、これは上層部からの圧力のせいなのかしら。
とまあ、フツーにドタバタ刑事物としてみても、面白いんだけど。スパイク・リーは、あちこちに生のメッセージを埋め込む。冒頭は、『風と共に去りぬ』 の南軍敗残兵のロングショット(後から、登場人物のピンキーがどうとかいう場面があったけど理解できず)、次はアレック・ボールドウィンが差別主義者という設定でその啓蒙映画を撮っているという場面がある。ロンが最初に潜入した演説会の場面では、聞き入る黒人聴衆の顔を能面のように映し出す。デュークは、集まりであのショックレーも優性学をと語る。KKKの集会では『国民の創生』の場面を流し、長老が語るリンチについては、その当時の写真を軽くインサート、映画終了後には、相変わらず現在もつづくKKK暴力行為やトランプ大統領の映像・・・。気持ちは分かるけど、ドラマとしての映画だけでも十分にメッセージはつたわってると思うんだけどなあ。
・実話らしいけど、まあ脚色されてるんだろ。まだまだ黒人差別が強かった時代、とはいいつつ、署長を含めて警察官の大半はロンに同調してるし、表だった差別もない。70年代はすでにそういう時代になっていた、とも言えるのだよね。たぶん。
・ロン役のジョン・デヴィッド・ワシントンは、デンゼル・ワシントンの息子なんだと。
・ロンは、爆弾が仕掛けられる、とまでは知らなかったんじゃないのか? どうやって知ったんだ?
・コロラドスプリングスは現在人口41万人らしい。米国の警察官は千人当たり2.3人らしいから、市全体で950人ぐらいか。この程度の規模で潜入捜査官になっても、街を歩いていれば知人に出会う確率は高いわけで、現実的でないと思う。実際、フリップはKKKの集会で参加者に身元を明かされてしまっているし。一度、潜入捜査したら、別の仕事なんかできなくなると思うけどな。
ボーダー 二つの世界10/21ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/アリ・アッバシ脚本/アリ・アッバシ、イサベラ・エクルーフ、ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト
allcinemaのあらすじは「スウェーデンの税関で働くティーナには、違法な物を持ち込む人間を嗅ぎ分ける特殊な才能があり、入国審査で欠かせない貴重な人材として活躍していた。しかし、あまりにも醜い容貌をしていたため、同棲相手はいるものの、誰とも心通わせず、孤独な人生を送っていた。そんなある日、ティーナは自分と同じような容貌の旅行者ヴォーレと出会う。本能的な何かを感じ、やがて彼に自宅の離れを宿泊先として提供するティーナだったが…。」
Twitterへは「ファンタジーをリアルにやると、こうなる、みたいな感じ。彼らは異常ではない、普通なのだ。醜いけど美しい。とはいえ、後半の展開が少しマンガっぽくなってしまってるのがなあ・・・。」
冒頭は虫をいじるティーナで、その意味は後に分かってくる仕掛け。彼女は鼻の利く税関の監査官で、悪事や感情まで分かるという。ある日、スマホに隠した幼児ポルノのメモリを発見し、警察に協力することになる。というミステリーがサブストーリーとして、気を揉ませながら進行する。怪しさが提示されて、興味をそそるね。
自宅は森の中で、帰ると裸足で散歩する。同居人はチャラい男で、闘犬が趣味らしい。どうして知り合ったのか知らんが、不思議なカップル。でも、性交渉は、痛いからという理由でティーナが拒んでいる。とまあ、短い間に多くの情報が込められていて、さてこれからどうなるのか、という重低音が伝わってくる。なかでも異様なのがティーナの容貌で、醜女なのだ。鼻をクンクンさせる動作も動物的。
あるとき仕事で、違和感を感じて巨漢の男を呼び止めた。ところが持ち物に異常がなく、相棒男性に身体検査を任せたら「女性器があった。背中に手術痕も」という。名はヴォーレ。これまた醜女? ティーナは興味を覚えるが、ヴォーレの方からティーナに親しげに話しかけてくる。
ティーナの父親は、フツーの白人。老人ホームに入っていて、少しボケが入ってる感じ。たまにティーナが訪れている。なぜこんな醜女が、と思わせる仕掛けか。
ティーナは、ヴォーレが虫を採取しているところに遭遇。「美味いぞ」と言われ最初は拒否するけれど、口に入れられると、まんざらでもない様子。これには伏線があって、其の前に同居人のつくった料理に食指が伸びない、というシーンを見せている。なかなか上手い。
とまあこんな流れでティーナとヴォーレの交流か始まり、離れに住まわせることに。同居人は肩身が狭い。分からないままヴォーレに惹かれていくティーナ。キスは許すが「私は」と股間を指し、両性具有? ヴォーレは、「それは異常ではなく正常」という。そのまま2人は裸で森を疾駆し、川に入り、抱き合う。解放されたようなティーナ。すると、ティーナの股間からスーッと細いペニスが伸びてくる。おお。動物的にまぐわう2人。醜い2人の性交なのに、なぜか美しい。
途中で、そういえば監督は『僕のエリ』の人だっけと思い出して(実際は監督ではなく原作者にして脚本が共通でヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト)、ヴァンパイアものなのか・・・と思ったのだ。とくに、ヴォーレが夜、ひとり苦痛にもだえているのは変身かと思ったのだが、そうではなかった。というのも、ティーナが同居人を追い出した後だったか、ヴォーレの住む小屋を訪れると冷蔵庫にテープが貼ってあり、本人は大切なもの、といって見せてくれないが、後で不在の時に見ると、中に赤ん坊が。そういえば、ヴォーレのいる場面で赤子の鳴き声が聞こえていたような。
この間、幼児ポルノの話もゆるゆると進行していて、ティーナはアジトを見つけ出し、警官と中に入り(違法捜査だろ)、カメラを押収。住人夫婦を逮捕して尋問するが、赤ん坊を供給する男がいる、というような話になる。とはいえ別の話だろうと思っていたのだが、これがまたそうではなく、深く関係しているという念の入れようなのだが後述、
さて、赤ん坊のことを問い詰めると、ヴォーレは無精卵の赤ん坊、とかいったたかな。たから粘土のようにグニャグニャしてる。定期的な排卵=成長はしないような赤ん坊をひりだすというわけで、夜中の苦痛はこれだったのか、と。おお。
で、ヴォーレ曰く、自分たちはトロルで、人間ではない。尻尾があったが、幼い頃に切り取られた。お前もそうだろう。自分にも両親がいた。人間の実験材料となり、自分は精神病施設で生まれ、両親は建物の裏に眠っている。自分たちは繁殖していかなければならない。チェンジリングで、と答える。
※トロルはたしか『ハリーポッター』に登場してなかったか。妖精の類だよな。で、調べたらノルウェーの伝承的な妖精で、巨漢の毛むくじゃら、鼻や耳が大きく醜い、なんて書いてある。
無精卵の赤ん坊がつくりものめいているのは、なんか安っぽい感じ。話も、ファンタジーをリアルにやってる、な感じだったんだけど、マンガっぽくなってきて、ちょっと見ているこちらはテンションが下がり気味。
その後、隣人の赤ん坊に異変があり、ティーナが行ってみると、別の赤ん坊にすり替えられている。これはあの無精卵の赤ん坊か? チェンジリングはこのことで、人間赤ん坊とすり替えてしまう、ということのようだ。
一方の幼児ポルノの方は、主犯の一人の女性が尋問され、赤ん坊を供給している男がいる、ということが分かってくる。でもう一人の男性犯人を護送中、何者かが急襲。犯人を叩き殺してしまう。
ヴォーレは消えた。手紙を残して消えてしまう。フェリーで会おうということだったかな。ティーナが行ってみると、赤ん坊を供給していたのは彼で、人間の子どもを減らすための手段、とかいうんだけど、これはムダに手が込みすぎてアホらしい感じ。人間を減らすなら、もっと別の手段があるだろうに。
ティーナは警官同行だったけれど、ヴォーレは海中に飛び込み、消えてしまう。その後、ティーナに小包が届き、開けるとなかに赤ん坊。しかも、毛がもじゃもじゃ生えている。ということは、ティーナとの性交でできた有精卵の子どもか。フィンランド(だったかな)からの絵はがきが添えられていたっけ。
というような話で、神秘的ではあるけれど、ヴォーレの復讐劇が陳腐なので、最後はちとチープに落ちた感じもあるなあ。
とはいえ、いろいろ深いところはある。正常と異常の境は何か? 異常として排除されているフリークスたちは、むしろそれが正常な妖精=別次元の生物たちだった。かつては人間と共存していたけれど、次第に減少していった、と。身勝手な人間による絶滅危惧種を思わせるところもある。
そこまで行かずとも、少数民族のことも考えてしまう。北欧なら、ラップ人=サーミ。その伝承の妖精としてトロルが引き合いに出されたのかも。『サーミの血』でも、サーミは知能が劣るとか、研究対象にされていたりとか、重なるところが少なからずある。日本でも、アイヌがいて、コロポッルの伝承話がある。アイヌ人も研究対象で、その遺骨が大学の研究室に持ち去られ、最近になって返還するとかいうニュースもあった。トロルという妖精たちの存在を、現在の社会の中にもちこんで、いろいろ訴えているところもあって、なかなか興味深いのだった。
誰もがそれを知っている10/23ギンレイホール監督/アスガー・ファルハディ脚本/アスガー・ファルハディ
スペイン/フランス/イタリア映画。原題は“Todos lo saben”。英文タイトルは“Everybody Knows”。allcinemaのあらすじは「アルゼンチンに暮らすラウラは、妹の結婚式に出席するため、子どもたちを連れて故郷のスペインに帰省する。そこで実家の家族や幼なじみのパコと久々の再会を喜び合う。パコはワイナリーを営み成功していた。しかし結婚式の夜、宴の喧騒の中、娘のイレーネが姿を消し、やがて巨額の身代金を要求するメッセージが届く。娘の命を心配するラウラは警察には通報せず、パコに協力を仰ぎ、自分たちで解決する道を選ぶ。そして次第に家族の事情を良く知る者の犯行の可能性が高まる中、ラウラの夫アレハンドロもアルゼンチンから駆けつけるのだったが…。」
Twitterへは「ミステリー要素はあるけど解き明かしがいまいちザクッとこず。経緯も背景もだらだらな感じで、しかも、似たような顔の男女がたくさん登場するので、えーと、誰だっけ? と戸惑いつつだった。」
↑のあらすじの通りの展開で、誘拐犯に翻弄される一家と、アルゼンチンに嫁に行ったラウラの元恋人パコ、という話がだらだらと展開する。あまり緊張感はなく、一家の台所事情とかラウラの夫の失業状態とか、賭けで土地を巻き取られたけれどいまだに自分の土地だと言い張って鼻つまみ状態のラウラの父親とか、あれこれあぶり出されてくる。
そういえば監督は『彼女が消えた浜辺』『別離』『セールスマン』の人で、同じようなザワザワ感をかもしだしていたな。ところで、冒頭近くでザワザワしたのは、ラウラが姪の娘を街の広場で自由にさせっぱなしのシーン。この映画が誘拐話とは知らなかったんだけど、もしかして姪の娘が誘拐される? とふと思ったのだった。それと、誘拐される娘が、パコの甥とバイクで突っ走るところは、事故るんじゃないか、と気を揉ませる。こういう手口で、事前にザワザワ感をつくりだしてるのかも。
題名から、誘拐は狂言で、ラウラと亭主だけが知らず、すべては一家とパコが仕組んだのか? と思ったけれど、そうでもないらしい。パコは真剣に探しまくってるし、元警察官に捜査を依頼したりしてる。ラウラの姉や妹も、不審な感じがない。というなかで、実はラウラの姪には注目していたのだよね、実は。というのも、登場する中では一番若く、妙にすれっからしの可愛さがあって、でも、ほとんどヌキで写されることがないので、追っていたのだ。どんな顔なのかな、と。そしたらなんと、彼女と、もうあいつとは別れる、といっていた、ドイツに行っていたはずの亭主が犯人だったとは。やれやれ。
とはいえ動機がよく分からない。解き明かしの部分も、スッキリしない。ラウラの姉で姪の母親は、彼女の泥に汚れた靴に不審感を抱いていたようなので、共犯ではないだろう。というのも、一家は、実はパコに「土地を安く買い取られた」という恨みをもっていて、この誘拐では最終的にパコが土地を共同経営者に売って金をつくって、犯人に渡しているからだ。一家がパコをはめた、という考え方は、あると思うけど、ラウラの姉で姪の母親の行動を見ると、疑問。というか、あの一家に、それほど頭が切れる人間がいない、のは確かだ。だから、この線はない。
となると、姪の亭主と、あともう1人男がいたようだけど(ラウラの父親とケンカしてた酒場の若者っぽく見えたけど)、彼らが計画・実行したのが本筋か。では、たんに金が目的? でも、元警官が話してたけど、誘拐するなら幼い方がよくて、だったらラウラの息子の方が都合がよかったはず。なのに、なぜ娘を? という疑問が残る。15、6歳だと思うけど。
もうひとつ不思議なのが、パコの存在。ラウラの元恋人で、同じ家に住んでいた、ということらしい。「使用人の息子」という言葉も出ていたから、パコ父親は一家の農場で働いていた、と。で、ラウラの姉だか妹の友人が金に困り、土地をパコに売った。パコは独立して農場主となった。だからって、親戚みたいに一家の家に出入りし、食卓にも気軽に座ったりする。あの関係はなんなんだ? という感じ。
でまあ、後半になって、ラウラの娘は、パコとラウラの子である、と分かるんだけど、この展開はよくある感じで陳腐かな。そもそも、ラウラがアルゼンチンに嫁に行った理由が分からない。その後、帰省したときヨリを戻し、そのときの子どもらしい。なんかなあ。それまで、土地を売るのはどうしよう、となっていたのが、自分の娘だと分かると、さっさと売って金をつくる。そんなもんか?
だいたい、元警官の推理でも、犯人は身近にいる、と分かっている。まさか殺したりはすまい。というか、いつかバレるだろ、そんなの。なのに、ラウラは警察には届けない。あくまで娘を助けようとする。これはお国柄なのか。
最後、犯人は自分の娘(ラウラの姪)、と考えるラウラの姉は、亭主となにか話をするような気配だったけど。では、その後、どうしたんだろう? 娘を追求したのだろうか? というか、犯人である姪は、ダメ夫と、これからどういう生活をしようというのだろう。そこのところがまったく見えないまま、ラウラは、アルゼンチンからやってきた夫や娘、息子とさっさと帰国してしまう。パコは、土地を失ってどうなってしまうのか。奥さんにも愛想つかされたようだし・・・。
あ、まだ疑問があった。犯人からのメール。最初はラウラとパコの奥さんのところに送られてきた。ラウラは分かるけど、なんでパコの奥さんのところに? そして、金の受け渡しについては、なんと、パコのところに送られてきたようなんだけど、これまた不思議。なんなんだ?
で、誰もが「何を」知っているのだ? ラウラの娘の父親は、パコだ、ってことか? それがどーした、な話だよな。
希望の灯り10/23ギンレイホール監督/トーマス・ステューバー脚本/メンス・マイヤー、トーマス・ステューバー
ドイツ映画。allcinemaのあらすじは「深夜の巨大スーパーマーケット。内気な青年クリスティアンは、ここで在庫管理担当として働き始める。未知の世界に戸惑うクリスティアンに、上司の中年男ブルーノは父親のような包容力で接し、仕事のイロハを教えていく。そんな頼りがいのあるブルーノだったが、東ドイツ時代への郷愁に囚われている。ある時クリスティアンは、菓子部門で働く年上の女性マリオンと出会い、心惹かれていくのだったが…。」
Twitterへは「これまた背景が大幅に省略されてて、なんで? それで? なところがたくさん。なんだけど、巨大スーパーのバックヤードを舞台にしてるのは、ちょっと興味深かった。旧東独民のいじけうらぶれ状態を見せてるのかな。」
前半は、倉庫の中で商品を入れたり出したり、なんか単調。ずっと倉庫の中ばかりで、いまいち弾けない。もちろん、全身刺青で、なかなかフォークリフトの操作を覚えられない、でも真面目そうなクリスティアンには興味が湧くけど、手がかりを見せてくれない。クリスティアンが興味を示すマリオンも、美人かというとそんなこともなく、ケイト・ブランシェットの出来損ないみたいな容貌で、結構、歳がいってる感じ。演じるサンドラ・ヒュラーは1978年生まれらしいから、40歳。クリスティアン役のフランツ・ロゴフスキが1986年生まれだから、ずっと年下。どこに魅力を感じたのか、よく分からん。
なわけで、単調で同じような場面がつづく前半から、後半へ。ここら辺から、話が動き出す。
マリオンが急に休む。ダメ亭主のせいらしいけど、具体的にはよく分からない。そこでクリスティアンは彼女の自宅を訪れるんだけど、誰も出ない。ので、開いていたドアから侵入し、浴室にいるマリオンを眺めたりする。これって単なるストーカーじゃねえか。ところで、侵入したマリオンの家は広く、清潔で、整然としている。とてもダメ亭主が一緒に住んでるとは思えない。
クリスティアンとマリオンが仲がよいのは、社員のほとんどが周知。ブルーノは、「マリオンが戻ってきたとき、お前がいてやれ」とかいうけど、でも、マリオンにとっては不倫状態じゃねえか。というか、マリオンとダメ亭主がどういう関係で、なぜ休んだかは、最後まで分からず。暴力?
子供はなく、女房と二人暮らしというブルーノは、ある日突然、自死してしまう。東独時代のトラック運転手時代を懐かしみつつ酒を飲んだりしてたけど、いまの仕事が嫌なのか? もしかして、あのショッピングセンターの仕事は、生きがいの見いだせない、つまらない仕事、ということで設定されているのか?
クリスティアン自身も、昔はワルで少年院にも入り、ついこの間まで悪いやつらとつき合っていたけど、心を入れかえてなのか、ここに就職した。それ以前は建築現場で、でも上司を殴ってクビになった模様。という人生を、旧東独の経済格差かなんかに喩えているのか? なんかいまいち、よく分からない話なのだ。
最後は、戻ってきたマリオンと、なんとなくいい感じになって、フォークリフトも上手く操作できるようになり、ワル仲間とも手が切れて、少し明るいクリスティアン。マリオンが、フォークリフトを天井まで上げて、下げろ、という。そのとき、波の音が聞こえる、とかいって終わるんだが。だから何、な感じ。
それでも、なんとなく明るいラストなので、だから、『希望の灯り』なのか? でも、どういう希望だよ。マリオンは、亭主持ちなんだろ? 離婚できたのか? あの家を追い出されるのか? いまいち説得力がないのは、細部がテキトーなまま終わってしまうからだと思うんだけどね。
ディリリとパリの時間旅行10/24ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ミッシェル・オスロ脚本/ミッシェル・オスロ
フランス/ベルギー/ドイツ映画。allcinemaのあらすじは「芸術や科学が花開き、世界中から様々な分野の才能がきらほしのごとく集まったベル・エポックのパリ。ニューカレドニアから密かに船に乗り、たったひとりでやって来た好奇心旺盛な少女ディリリは、パリは自分の庭だと語る配達人の青年オレルと出会い、友だちになる。折しも巷では、少女たちばかりを狙った連続誘拐事件の話題で持ちきりで、ディリリは少女たちを救うべく、顔の広いオレルの力を借りて事件の解決に乗り出すのだったが…。」
Twitterへは「導入から中盤は期待させたけど、その後は盛り上がりも意外性もなく、淡々と呆気なく終わってしまった。20世紀初頭のパリ。著名人総ざらえ的に登場させてるけど余り機能してない。絵はきれいだけど。それに、どこが時間旅行なんだ?」「ちゃんと理解するには教養が必要なのかもね。モネとルノワールが並んで絵を描いていて、モネは色にしか興味がない、なんて説明されたり。ロートレックがドガに褒められて喜んでたり。サラ・ベルナールがボス的存在だったり。そういうのが面白がれればいいんだろうけど。」
南洋の土人の女の子と家族・・・。おやおや。パリの話にどうつながるのかなと思っていたらカメラが引くと、そこは見世物だった、という転換が新鮮。1900年のパリ万博かな。で、タイトルの時間旅行から、タイムトラベル物かと思っていたらそういうこともなく。女の子の連続誘拐事件になっていく。一緒に行動するのはオレルという配達屋の青年で、彼の方からディリリに近づいてきたんだよね。オレルも誘拐犯、と、思えなくもないよなあ。
オレルはなぜかパリの有名人、知識人と知り合いで、そうした人を介して2人は真相に迫っていく、という流れなんだけど。パスツールなんか、オレルが噛まれた犬が狂犬病で、ワクチンを打つ、というだけの登場。他にも画家はたくさん登場するけど、とくに話に関係が深いこともなく、有名人総ざらえで登場する感じ。なので、楽しいけどさほど面白くはない。だって、謎解きになってないんだもの。
次第に分かってくるのは、男性支配団とかいう連中で、どうも女性の社会進出を面白く思っていないらしい。警視総監もその一味で、だから警察は役に立たない。白鳥のボートに乗ってたのは、ありゃ誰だ? そのボートで地下水道をつたい、ワクチンをある牧場に配達すると、そこにはモネとルノワールが並んで絵を描いていて、これまた話には関係ない。
で、最後はサラ・ベルナールとキュリー夫人と、あと誰だっけか、が文殊の知恵で、飛行船で子供たちを脱出させようということに。ここで名前がでてきたツェッペリンの飛行船かと思ったら、そうじゃなくて、もっと小さな飛行船だったな。もう、最後の方は飽きてきて眠くなりかけだったので、よく覚えてない。
冒頭の洒落た導入、自転車での階段落ちとか、前半はそこそこスリリングなところもあったけど、後半になるにつれてテンションは下がり気味。脱出劇も盛り上がりなく、最後も淡白すぎるほどあっさり終わってしまう。エンドクレジットでは、少し賑やかさが戻ったけど。
というわけで、後半は退屈だった。
このアニメ、メッセージ性がつよく出すぎてる気がする。男尊女卑の世界、それを解放するのはサラ・ベルナールやキュリー夫人、その他の女性たちとディリリ。そのディリリはフランス人とのハーフで、地元では色白とのけ者扱いで、パリでは黒ん坊扱い。という人種の問題。対する男どもは絵描きとか音楽家とか、ゲージツにうつつを抜かしていて、役立たず。というような構図かな。現代らしいテーマだけど、それが露骨に出過ぎな感じ。
とはいえ、実写のように緻密なCGの背景に、フラットに原色で塗られる人物、という表現はカラフルできれいだけどね。きれいだけど、それだけ、な感じ。
伯爵夫人に見出されてパリに、とか言ってたような。でも、船には乗れないから秘かに隠れて、発見された時は海の上、とも。伯爵夫人との接触はその後だっけか? ニューカレドニアはフランス領だったな、たしか。当時、日本からの移民や、ニッケル鉱山の労働者として、日本人も移住してたはずだが。
そもそも伯爵夫人って、どういう人物なんだ? というか、フランスの植民地政策についての追及というのは、どこにもないんだよな、この映画。フランス人として同化すりゃあそれでいい、みたいなところもあるんではないのかな。
・ロダンの家にある「地獄門」が白いのは、石膏だからなのか?
・「ベルグソンはいまいち」とか、ディリリが言ってなかったか。凄いね。
108〜海馬五郎の復讐と冒険10/28シネ・リーブル池袋シアター2監督/松尾スズキ脚本/松尾スズキ
allcinemaのあらすじは「締切りに追われる忙しい毎日を送る脚本家の海馬五郎。ある日、愛する妻・綾子のFacebookで若いコンテンポラリーダンサーとの浮気を知ってしまう。ショックのあまり離婚を決意した彼だったが、財産分与で資産の半分をもっていかれることに納得できず、綾子に取られるくらいなら、いっそのこと使い切ってしまおうと考える。そこで1000万円を使って、綾子の投稿に押されていた“いいね!”の数と同じ108人の女を抱くというあまりにも無謀な復讐計画に乗り出す海馬だったが…。」
Twitterへは「話がつまらない。役者も、え? これが? な中山美穂と坂井真紀・・・。おっぱい触りたいだけのために作ったんじゃないのか? >> 監督・主演の松尾スズキ。ところで『黒木太郎の愛と冒険』と何か関係あるのかね。」
話は↑のあらすじの通り。それ以上のことがない。前半は嫉妬に狂う五郎。後半は、裸がたくさん登場してセックスシーンの連続。しかも、数10人の乱交にローションどろどろのシーンもあって、しかも局部のボカシが入る。ってことは、みな隠してないの? 五郎が女性の上を滑っていく場面もあるんだけど、ちんちんが女性の顔の上を通過してたぞ。なんだこれ。日活ロマンポルノ並の、裸見せます映画でしかない。
そもそも、齢50過ぎにして愛妻家で、妻が舞踏家に夢中なのを妻のFacebookを見て嫉妬、というのがリアリティない。そもそもいまどきFacebookじゃなくてInstagramだろ。というか、妻のFacebookに日頃から興味がない時点で、嫉妬する資格はない。
で、離婚したら1000万とられるから、だったら女を抱こう、という発想の飛躍に合理性も共感もない。それを妻にアピールするのか? 意味ないだろ。で、1ヵ月の間、という期間を設ける意味もよく分からない。1人でその数はムリだから3Pしたりはいい。知り合い交えて乱交したりして、それをカウントに入れていいのかよ。
1回15万円の高級娼婦を買っても、勃起せず。なのでその娼婦が入れあげてるホストに薬をもらったり、あるいは綾子が浮気してる場面を思い浮かべ、嫉妬心で勃起させるとかマスターベーションするとか、よく分からん。そんなに綾子が好きなのか? なら、もっと大事にしてりゃよかったではないか。女優も辞めさせたのは、彼女の心が離れることを心配して? なら、日頃から大切にしておけばいい話。綾子も、女優をやめさせられて、欲求不満だったんじゃないの?
で、五郎は乱交場面をスマホで綾子に見せたんだが、綾子は、自分のせいで夫が・・・的に反省してたような。なんで? ここでキッパリ夫を捨てないの?
で、あと50人のノルマを達成するため、ホスト男と女島へ向かうところで終わるんだっけか。でも、その時点で、綾子は浮気してなくて、Facebookには舞踏家との顔ハメ写真をアップしてただけ、というのを知ってたはず。それでも行く必要があるのか?
・意味のないセリフをくどくど話させで、映画が芝居風になってしまってる。もっとシナリオを整理するべきだな。
・関係ないエピソードも多い。父親の死とか、妹の存在とか、本筋にはなんの関係もない。ただの賑やかし。・オーディションには書類で落ちた女優志願の娘の存在も、意味がない。綾子のFacebookを五郎に知らせ、その後はちょこちょこと五郎に接近。ついには「役をくれって意味じゃなくて・・・」といいつつ五郎のベッドに潜り込み、いたしたあとは「やっぱり役を・・・」といって、ミュージカルの役をもらってたりという節操のなさは、何を示唆してるのだ? よくある話なだけじゃん。
・その娘も含め、なんで五郎はこんなに女性にもてるの? 昔なじみの女優ともセックス友だちだったり。金で買った女にも評判がいい。ここまでやりまくってて、なんで妻の不貞疑惑にうろたえるのだ?
・この女島、『西鶴一代男』にもでてくる女護島を意識してるんだろうけど。もしかして、三重県の売春島も入ってるのかね。
・妹のレストランで急にミュージカルになったので、そうなのか、と思ったらミュージカル風はここだけ。これも、ただの思いつきなのか。
・綾子役は、中山美穂に似てるけど、なんか崩れた感じなので似て非なる他人かと思ったら、エンドクレジットに本人と出てびっくり。あと、坂井真紀の名前も出で、え? あの妹役が? ぜんぜん違うじゃん!
ガリーボーイ10/29MOVIX亀有シアター4監督/ゾーヤー・アクタル脚本/ゾーヤー・アクタル、リーマー・カーグティ
インド映画。原題は“Gully Boy”。allcinemaのあらすじは「インドのスラム街に暮らすイスラム教徒の青年ムラド。両親は懸命に働き息子を大学に行かせたにもかかわらず、ムラドは悪友とつるんで悪事に手を染めたり、身分の違う恋人と内緒で付き合ったりしていた。そんなある日、大学のキャンパスでMCシェールと名乗る学生のラップと出会い、心奪われる。やがて自ら詞を書くと、MCシェールの後押しで“ガリーボーイ(路地裏の少年)”を名乗ってラップに挑戦していくムラドだったが…。」
Twitterへは「インド映画。でも定番の踊りはなく、リメイクすればどの国でも使えそうな内容。目新しさはなく、予定調和な展開だけど、がっしり骨太正攻法で、しかも清々しい。そこにインド風味とムスリムの家庭がからんでくるからなかなか面白い。」「『シークレット・スーパースター』もインドのムスリム娘がスターを目指す話で、家庭環境が厳しかった。『バジュランギおじさんと、小さな迷子』は、インドにまぎれ込んだムスリムの少女をパキスタンに連れ帰る話だった。現実ではいがみ合ってるインドとパキだけど、違う流れが国民にはあるのかね。」「昨日の『ガリーボーイ』でいちばん驚いたのが、スラムに住む運転手(富豪の使用人)でも子どもを大学に進学させられること。そして、そのレベルでも第2夫人がもてること。だけど格差社会では貧困層と言われていること。このぐらい、いまどきのインドで常識なのか?」
話は単純で、インドのムスリムの下層階級で、ヒップホップにハマってるムラドの成長・成功物語。『8Mile』と似たような設定で、話としては目新しさはない。でも、インドでムスリム、というのが興味深くて見てしまう。というのもムラドは基本真面目で(といいつつ、悪仲間に誘われてクルマ窃盗もしてしまうんだが・・・)、そんなに反抗心はない。制約のほとんどはイスラム教からくるもので、両親への尊敬、階層からくる身の丈にあった職業選択、結婚の不自由など、自由世界の人間から見るとお気の毒、と思えるようなことばかり。なので、ある意味、他人事として見られる。Twitterでも書いたけど、このところ遭遇するインド映画にはムスリムが多く登場してきて、その不自由さ故に冒険やチャレンジができない、という話になっている。はたしてこれは、意図的なのだろうか? インド映画として、イスラム教はこんなひどい宗教なのですよ、というPRなのではないだろうか、と思えてくる。だいたい、ヒンドゥー教徒が大半のインドで、ムスリムを登場させる映画に、需要はあるのか? という問題にも突き当たる。
インドにおけるムスリムは少数派だと思うんだが、彼らはどういう生活をしているのだろう? ヒンドゥー教徒と争うことは、なくもないだろうけど、うまく共存してるのかね。ムラドの父親は富豪の運転手をしていて、父親がケガをしたからとムラドが代役をさせられる場面がある。「使用人の子は、使用人」ということらしい。これは、ヒンドゥーのカーストにも似ているのだろうか? そのあたりのことを、知りたい気がした。
Wikipediaによると「インドでのイスラム教徒人口は、2014年の時点で1億8000万人を超えているとされる。イスラム教徒の人口規模はインドネシアの約2億人、パキスタンの1億7000万人についで世界第3位であり、イスラム教はインド国内でヒンドゥー教に次ぐ勢力を持っている」「約13億人を数えるインドにおいては、人口比でいえばインドのムスリムは基本的にヒンドゥー教徒よりも少数派である。ヒンドゥー教徒がインド人の約80%を占めるのに対し、イスラム教徒は約13%ほどである」「インドにおいて、ムスリムは少数派であるため、迫害を受けることがある」「イスラム教徒とヒンドゥー教徒の大規模な争いも起こっており、2002年には、グジャラート州でヒンドゥー教徒によりイスラム教徒が1000人(あるいは2000人)以上も殺害された事件が発生した」とのことらしい。
ということなので、最初にムラドが頼ったMCシェールやそこに集まって来ていた連中、あるいは、後半で参加する大会に参加しているラッパーたちの宗教が何なのか、分からないので、つたわってこないところもあるのではないのかな。他にも、父親が運転手をしている富豪は、ムスリムなのかヒンドゥーなのか、それも分からない。いや、見る人が見れば区別はつくのかも知れないけどね。
予定調和的とはいえ、次第に成功していくのは見ていて楽しい。けど、自由に音楽ができず、障害になるのが宗教や、父親の存在とかいうのがお気の毒。やっぱり、イスラム教はひどい宗教、のプロパガンダなのかね、この映画。
ムラドには幼なじみの恋人がいて、これが可愛いけど焼きもちが凄い。別の女性がムラドに付け文したことを知ると、その女性の職場に押しかけて暴力沙汰! さらに、ムラドを売り出そうと接近してきたプロデューサーの女性と懇ろになったときも、険悪に・・・。(ところで、彼女はインド人だけどバークレーを卒業してインドに戻ってきた、という設定なのか?) あんな嫉妬深くて、将来が思いやられるね。
そんな彼女の父親は医者で、彼女も医大生。なんだけど、両親が結婚話を進めて、結婚しないなら大学はやめろ、というのには首をひねるばかり。そういう考えを刷り込まれるイスラム教は、やっば変、って観客の誰もが思うだろう。
父親が第二夫人を連れ込んで、第一夫人につらく当たる。その第一夫人は、ムラドの父親。第一夫人は我慢に我慢を重ねていたけど、ついにムラドが切れて、父親には向かう。けれど、周囲から「それ以上はやめとけ」の声がかかり、第一夫人、ムラド、弟は家を出るんだけど、身を寄せた先は、あれは第一夫人の弟の家? はいいけど、学費に苦慮し、悪友だちに頼って車の窃盗に・・・。という、堕ちかけるんだけど、なんとか卒業できたみたいね。このあたりの展開は、ちょっと足早。で、叔父の経営する会社に勤めた、のだけれど、ラッパーコンテストに行ったせいで会社は首。でもま、最終的にコンテストで優勝し、なんとかいう本場のラッパーの前座として出場できたから、結果オーライなのかもね。とはいえ、それは人生の賭けなわけで、それに成功する人は、ほとんどいないはず。という意味では、例外中の例外だよな。まあ、それが映画ではあるけれど。
で。この映画では、ラップの歌詞をすべて見せてくれるんだけど、ラッパー2人の対決の時も、その他の時も、ムラドの歌詞が圧倒的にいいか、というと、そんなこともないような気がしたりして、いまいち「そうそう」と共感できないところもある。こちらの理解力が足りないところもあるだろうけど、でも、映画ならではのやらせでもいいから、もっと魅力的な、説得力のある歌詞にして欲しかったかも。
女性監督らしい。しかし骨太な映画を撮るね。
ホームステイ ボクと僕の100日間10/31新宿武蔵野館3監督/パークプム・ウォンプム脚本/パークプム・ウォンプム
タイ映画。原題は“Homestay”。allcinemaのあらすじは「死んだはずの“ボク”は“抽選”に当たったため、自殺したばかりの高校生ミンの肉体に“ホームステイ”して、ミンとして再び人生をスタートさせる。しかしそれには条件があって、ミンの自殺の原因を100日以内に見つけなければならなかった。もし見つけられないと、ボクの魂は永遠に消えてしまうという。こうして見知らぬ家族や同級生たちに囲まれ、不慣れな高校生活を送りながら、ミンの自殺の原因を探り始めるボクだったが…。」
Twitterへは「森絵都『カラフル』が原作で、概要を知ってるせいかミステリアスは皆無。ダメ男かと思ったら結構なモテ男で、死んだ理由もいまいちピンとこず、科学オリンピックに夢中な少女も理解不能。お国柄の味つけなのか。」
内容よく確認せず見始めたら冒頭からモロに『カラフル』で、あとから確認したら“inspired by the novel by Eto Mori”になってた。原作も読んだし日本版の映画も見てるが、詳細は覚えてない。けど概要は分かってるから、さっさと話を進めてくれと思うんだけど、ムダに天使が姿を変えて登場したり、パイや兄、話にあまり関係ない父親とかのどうでもいい描写がじれったくて、ちょっとイラつく。ヒロインのパイがアイドル・グループBNK48のキャプテンらしく、彼女を見せる必要もあったのかも知れないけど、もっとパッパとムダを省いて骨子を見せるようにして欲しい。
で、数日の離脱から学校へ戻ると無骨なリーという女の子が接近してくるわ、上級生で美人のパイが寄ってくるわ、モテモテじゃん。なんで自殺の必要があったんだ? でも、ずっと見ててもよく分からず、直接の要因は母親の浮気と離婚? あとは、パイが科学オリンピック優先で教師にセクハラされても文句も言わないでいることに腹を立てるから? もうひとつ、兄の留学問題があったけど、たいしたことないだろ、こんなの。というわけで、追いつめられてた感が薄いので、とくに共感も同情もできず。
なんでパイがミンとつき合ってるか不思議だったんだけど、ミンが1年の時にチューターになったから、らしい。でもそれはきっかけであって、つき合う必然性ではない。互いにどこがよかったんだ? 問題は残る。とくにパイが頭脳明晰で美人なのに、なんでフツーな感じの下級生に恋をするのか意味不明。
むしろ、同じ美術クラフ(?)で、明らかにミンに好意を抱いてるリーの方がつき合って楽しいと思うけどな。
疑問なのは、なんでパイは科学オリンピックのためなら教師のセクハラを受け入れるのか、だ。タイでは、頭がいいという絶対評価が、人生に野大きく影響するのかい?
父親も、存在感がいまいち。教師(大学の?)をやめてサプリの販売をしてるらしいけど、なんかいまいち冴えない。母親は、別居してどっか地方で教育者してるのか? よく分からんけど。しかも浮気? そんなことできるような年齢でも美貌でもないと思うんだが。
でまあ、死んだのは自分で、自分に乗りうつったことが最後に分かるのは、以前にも描いた絵と同じ絵を再び描いた、ということで分かる仕組み、なんだけど。それが衝撃的に見えないところも弱い。というか、この演出では、原作を知らなくても、ミンは本人に乗りうつった、って分かるだろ、どうやったって。
いったんケンカ別れしたパイだけど、最終的にセクハラ教師のことは理事長に告げ口した様子。それでもオリンピックには参加し、銅メダルを手に微笑んでる写真をミンに送ってきてた。なーんだ。最後は、リーとくっつくのかと思ったら、違うのか。リーの気持ちを思うと、なんか残念な気分だよ。

 
 

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