2019年11月

不実な女と官能詩人11/5ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/ルー・ジュネ脚本/ルー・ジュネ
フランス映画。原題は“Curiosa”。allcinemaのあらすじは「著名な詩人ジョゼ・マリア・ド・エレディアの次女マリーは、新進気鋭の詩人ピエール・ルイスと恋に落ちるが、両親は別の男性との結婚を決めてしまう。相手はピエールの親友で貴族出身の詩人アンリ・ド・レニエ。失意のピエールはアルジェリアに旅立つと、そこで多くの女性と関係を持ち、彼女たちのみだらな姿態を写真に収めることに没頭していく。しかし、このまま終わるかに思われた2人の関係は、ほどなくして再び燃え上がってしまい…。」
Twitterへは「前半は中途半端なポルノだったけど、後半から少しドラマになってきた。場内はジジイでいっぱい。そっち系の情報ルートからなのか。隣はヤニ臭いジサマだったよ。」
3姉妹がいて、男どもにちやほやされてる。次女のマリーに、ピエールとアンリがぞっこん。ピエールはアンリに「抜け駆けは禁止」の手紙を送るけど、アンリのアプローチがあったのか、両親が決めたのか知らんけど、マリーはアンリと結婚することに。がっくりきたのは長女で、彼女はアンリに惚れてたらしい。冒頭で、アンリの詩を鑑賞したのは長女だったかな。
ピエールはアルジェリアからゾラという女を連れて戻ってくる。ピエールやジャンは、エロい遊びをしまくってる。いい身分だね。でもマリーはピエールに気があったので単身ピエールのアパートを訪れ、写真のモデルとなりつつ関係を結ぶ・・・。ピエール曰く「まだ処女だったのか・・・」って、アンリはインポなの?
でもそのうちアンリもマリーの行動に気付き(といっても尾行したりしてないので、話としてはスリルに欠ける)、マリーの引き出しから裸体写真とか、マリーがピエールに宛てて書いたエロ手紙を見つけるんだけど、怒らないのはインポだから? そのあたり説明がない。
ピエールはマリーだけじゃなく、女とみれば手当たり次第に声をかけてモデルにして裸写真を撮りまくってるみたい。このあたりで、官能詩人は誰なんだ? という疑問。だって冒頭でアンリの詩が朗読されてるし、ピエールは詩を書いてる様子もなく、趣味は写真なのだから。「不貞女と官能写真家」じゃないのか?
というわけで、前半はドラマもなく退屈。
自慢気に、ジャンにセックス日記を見せつけるピエール。そのピエールは、なぜかゾラを追い返しつつ、自分もアルジェリアに行ってしまう。残されたマリーは当てつけのように、ピエールの部屋でジャンと逢瀬を重ね、エロ写真を撮り、部屋に残しておく。帰国し、それを見つけ、マリーを罵るピエール。このあと、ジャンは自死したのか? なんで? な感じ。
あー。ゾラとマリーのレズシーンはこの頃だっけか。再度アルジェリアからやってきて、そうなるんだったっけ。忘れたけど、ゾラが誘ってそうなったんだったよな。
とか言ってたらマリーの妊娠が分かり、当然ながらピエールの種だということは周囲の誰もがしっていて。アンリもとくに怒りはしない。そうだ。アンリを隣室に招き、マリーとの情事の様子を聞かせるのは、このあたりだったっけ? かと思ってたら、ピエールと三女の結婚話がもちあがり、でもマリーの家には持参金がないからと、三女がピエールの部屋を訪れ、「秘書にして」といいつつもたれかかるとか、なんなんだ。関係を結んだからなのか、結婚話は進み、ピエールがマリーの父親のところに金(持参金にするため?)を持っていった ? のか、よく分からん描写もあった。
てな訳で、ピエールは三女と結婚したんだっけか。となると大っぴらにマリーと三女にエロい仕草をさせて官能写真を撮りまくり。なんなんだ。まったく。
と思ってたら、最後は男名義で小説出版。編集者(?)と歩いている。そういえばマリーはアンリに「小説を書いている」といっていたっけ。じゃあ、アンリの手も入っているのかな、あのベストセラーらしい小説は。内容ははっきりしないけど、暴露的なロマンスらしい。どこまで自伝的か分からないけど、特定の人物を想定させるなら、筆者も分かっちゃうから、かなり脚色されてるのか。知らんけど。
後半の倒錯の畳みかけは面白かったけど、どれも突っ込みが弱い感じ。もうちょい前半から、思わせぶりを振りまきながら、怪しい感じを出してくれたらよかったのに。もったいない。
・冒頭。3姉妹のおしゃべりをマジックミラー越しに見てるピエールだったかアンリだったか、の様子が映る。3姉妹の家では、父親がああして娘たちを監視してたのか? そして、あの時代からマジックミラーはあったのか。
・音楽が、舞台が19世紀末(1987年前後?)なのに、クラブミュージックっぽいのは、なかなかイケてた。
人生、ただいま修行中11/7新宿武蔵野館1監督/ニコラ・フィリベール脚本/---
フランス映画。原題は“De chaque instant”。Google翻訳では「あらゆる瞬間から」。allcinemaの解説は「パリ郊外の看護学校で学ぶ生徒たちの奮闘の日々を記録した感動のドキュメンタリー。年齢も性別も多様な40人の生徒たちが、不安や葛藤を抱え様々な失敗を重ねながらも、“誰かの役に立ちたい”という目標を胸に奮闘し成長していく150日間を丁寧に見つめていく。」
Twitterへは「看護学校のドキュメンタリー。最初の講義・実習が興味深く、現場体験、進級前のカウンセリングになるにつれてテンションが下がり気味。面白いテーマなんだけど全体に淡々としてて、いまいち緊張感も足りない感じ。」
『ぼくの好きな先生』の監督らしい。実は勘違いしていて、『パリ20区、僕たちのクラス』の監督だったかな、と。この映画は対立や悩みがあふれ出ていて、そんなものを想像していたんだけど、なんか違う。『ぼくの好きな先生』も見てるんだけど、あれは地味だったかな。なので、タッチとしては淡々と、でおかしくはないかも。
最初の方で、指導者が脈の取り方を実地指導する場面があって。ここ、フツーならカットつないで効率よく、かと思ったら、切らずに、少し間延びしながらも見せていく。こういう見せ方は誠実で、作為もなく、好感が持てる。他にも、看護師の心構えや、患者を差別してはならないとか、臭気漂う患者には口で息をして嫌な態度を見せない、とか、なーるほどな講義があったりして、興味深かった。
とのドキュメンタリー。フツーなら数人の生徒をフィーチャーして、それを複数の軸にして進むはずなのに、ほとんどそれをせず、数度登場する生徒がほとんどいない。これも面白いところかも。指導者の中で、最後のカウンセリングで黒人の小柄な女性が数度登場するんだが、そういうケースはたぶん彼女だけ。個人の成長とか、そういう様子を追えないところはあるけれど、素材を放り投げて、観客に選択させるという姿勢は、それはそれでありなのかなと。多少、感情移入しづらくなるけれど。
パート2の実習は、病院で実際の患者さんに対する様子。だけど、上司がつきっきりで指導するようなところがなく、かなりほったらかし。採血も、上手く刺さらずもたもたしてる。抜糸も、勝手にさせている。患者としては怖いだろうなと思った。もし間違いでも起こったらどうするんだ、と。日本でもああなんだろうか。患者の心理負担は、相当ではないのかな。というような印象しか残らない。なので、実をいうと、少し退屈だった。
最後は、実習を終えた生徒が、カウンセラーと1対1で話をする様子。4、5人だったか、もう少し多かったか。「あなたは不器用」と指摘されて落ち込む女の子もいれば、「産婦人科でもっと経験したい」と主張する娘もいるし、「上司がよくなかった」と不満を述べる青年もいた。まあ、日本人と違って責任を回避するような気配もありそうな国だから、言い訳もあれこれするだろうけど、概ね自分を知り、次につなげたいような感じがつたわってくる。とはいえ、このパートはいちばん地味。なぜって、あの娘が、あの青年が、というオチになっていないから。そして、最後もブツリと切れて映画は終わってしまう。ちょっと盛り上がりが欲しかったかな。
生徒が、日本の看護学校みたいに18、9の女の子ばかり、というのではないのが興味深い。みな20歳以上、30代かそれ以上の人もいるみたい。このあたりは、職業選択の柔軟性を感じてしまう。というか、個人にフィーチャーしていないから、どういう経歴で、なぜ看護師になろうとしたのか、私生活はどんな具合なのか、というのがまったく見えないので、いまいち感情移入しにくいつくりになっている。もちろん、意図的なんだろうけど。
生徒に、レゲエ頭の青年がいたけど、ああいうの、実務でもあのままなんだろうか? 先輩看護師の女性で、イヤリングしてる人もいたけど、ああいうのはフツーなのか? 刺青青年は、いたっけか? よく覚えてないけど。まあ、日本より自由度は高いのかもね。
どすこい!すけひら11/12シネ・リーブル池袋シアター2監督/宮脇亮脚本/鹿目けい子
allcinemaのあらすじは「100kgを越すぽっちゃり体型で“どすこい”と呼ばれていた助平綾音。突然の事故に巻き込まれ昏睡状態に陥った彼女がようやく目覚めると、なんと体重が激減していてスリムな美女に大変身していた。それでも、どすこい時代から恋愛には無関心だった綾音は、今でも大好きなチョコレートと、趣味のゲームに没頭する日々を送っていた。ところがある日、ひょんなことから人気アイドルの湊拓巳から食事に誘われてしまう綾音だったが…。」
Twitterへは「メリハリもリズム感もない。面白くなるはずの勘所を巧みに外してつくられた感じ。平板で退屈。痩せれば美人なら、食うな! だ。ヒロインもあまり魅力がないし。『アイ・フィール・プリティ!』には教訓があったと思うぞ。」
テンポをズラして故意につまらなくしているのか。演出や編集のセンスがなくて、ああいうツボの外れたような映画しかつくれないのか。わからないけど、もっと面白くできるだろうに、とイラつきながら見てた。
学校のファット4と揶揄されていた4人組の一人、助平綾音。転がってくる仏頭に押しつぶされかけたとき、救ってくれたのが同級生か先輩かの隼人。その隼人に告白すると「ああ、あのときの どすこいか」といわれ、失恋その傷心を癒すためフランスかイタリアに行ったのか? しばらくスチルのパラパラ漫画。ケーキ屋で働いて、同級生だったフレッドと海遊びしてたら事故って胃を半分にした、とかいう経緯がうつる。この場面、彼女の夢かと思ってたんだけど、事実だったらしい。で、帰国した綾音を迎える3デブがびっくり! というヤセの原因なんだけど、胃が小さくなって痩せた、というだけのことじゃないか。なら、食わずに痩せれば? といいたい。
で、4デブの一人が代官山のエステで働いていて、綾音もそこで働くことに・・・という、流れ。いつのまに高校を卒業し、何年経過しているのだ? それに、そのエステは高校時代に4デブの一人に連れていってもらったところ。では、その4デブの一人は、いかにしてそこに就職したのだ!? という疑問が湧いてしまう。
乳牛絞りで鍛えていたせいか、綾音のボディマッサージは評判上々。ある日、店長(?)の代わりにアイドルの湊拓巳の担当を仰せつかると、拓巳の方が綾音にご執心に。というご都合主義的展開。以後、拓巳に執着するタレントの藤代あいの工作で、別れさせられそうになるけど、すべて拓巳が身を以て防いでいく、というお話。
最後、身をひいて田舎に戻る綾音。そこに、ふたたび仏頭が転がってきて、拓巳に救われる、というオチだけど、つまらない。
痩せた、と勘違いして、デブのまま自信をつけていった映画が、『アイファールプリティ』。この映画は、実際に痩せているのに、依然としておどおどしてる。なんで? しかも、過去を知られないように(?)、代官山でエステに就職って、変だろ。だいたい、胸に本名のプレートつけてるし。
・拓巳に誘われ、さっさとつきあい始める綾音。一緒に働く元4デブのひとりも、拓巳、との関係も気付いてていいんじゃないの? と思うが、彼女は途中から画面に登場しなくなる。変だろ。
・胃を切って激痩せは本当かどうか知らんけど、腹に傷は残ってるんだよね。胃が半分なのに、結構、食欲は残ってて、食えてるな。食えなくなるはずなのに。 ・仏頭、あれ軽トラには乗らんだろ。どんな状況なんだ? 修繕? それに、大仏である意味もないし。そして、過去と同じ過ちを繰り返す運搬トラック。もちろんマンガ的演出だけど、つまらんよ。それに、逃げる綾音も、転がる方に逃げず、横に逃げろ。あほ。
・卒業から何年か知らんが、田舎に戻るとかつての乳牛はまだ健在。しかし、乳牛は、そんな長く父を出し続けられるのか? 知らんけど。(※Wikipediaには「乳牛として畜産利用される場合は5-6年」となっていたが。
・2人の出会いをマスコミに撮られた翌朝、同じシャツとオーバーオールで出社する綾音。おいおい、マジか?
・隼人も卒業後、芸能界に入って、拓巳の手下扱いされているのは、これまたマンガ的ご都合主義だな。
・クレジットに桜庭ななみの名前があったけど、どこにいた?
ひとよ11/13109シネマズ木場シアター7監督/白石和彌脚本/高橋泉
allcinemaのあらすじは「タクシー会社を営む稲村家の母・こはるは、3人の子どもたちの幸せのためと信じて、家庭内で激しい暴力を繰り返す夫を殺害する。15年後、長男の大樹は地元の電気店の婿養子となり3兄妹でただ一人自身の家族を持ち、小説家を夢見ていた次男・雄二は東京でうだつの上がらないフリーライターとして働き、長女・園子は美容師の夢を諦め、地元の寂れたスナックで働いていた。それぞれに事件によって運命を狂わされ、心に深い傷を抱えたまま今の人生を送っていた。そんな3人の前に、出所したこはるが突然姿を現わすのだったが…。」
Twitterへは「感謝の気持ちのない兄弟だ。それが見えて以降、違和感しか湧かず。そもそも世間はあんな反応せんだろ。ムリやり対立や憎しみをつくり上げてる。とくに次男の行動はこの手の話によくある類型さ。原作のせいか? 事業を継いだ義兄(?)が素晴らしすぎ。」
ひと言でいうと、犯罪加害者の、残された家族の話である。加害者は母親で、被害者は父親。15年後、長じた子供3人のところに、刑期を終え、しばらく各地で働いていた母親が戻ってくる。さて、という流れ。
母親が夫を殺害したのは、家庭内暴力。そうせざるを得ないところまで追いつめられていた、ということらしい。助けられた子供たちは、母親をどう迎えるか? 当然ながら、抱きつくと思った。ところが、長男は引いてしまって、むしろ拒否。長女は、よそよそしい。なにこれ? この時点で、この映画に対する信頼感は失せた。
東京に出ていた次男も後に戻ってくるが。彼がもっとも母親反逆的で。その原因は、殺人者である母親に対する、地元周囲の冷たい眼、攻撃あった、らしいのだが、ひあんなこと起こるか? という疑問が大きすぎる。そもそも、赤の他人の犯罪者に対して週刊誌の記事をバラまいたり、クルマをパンクさせるとか、はフツーしないだろ。遠目で冷ややかに見る程度だろ。それに、この事件は父親のDVに耐えかねて、のものだ。だったら周囲で母親を支援するグループが誕生してもおかしくない。裁判だって情状酌量で、かなり刑期は短くなっているはず。そういうことを考えると、母親が家に戻ってくるのが15年後というのは違和感ありすぎ。娘が美容師になれなかったとか、次男が母親の記事を書いたり非難したりするというのも、不自然すぎる。むしろ子供たちは、母親に感謝すべきであって、恨みなど湧くはずがないと思う。根底から、この映画/原作はおかしい。
こうしたなかで、母親の甥でタクシー会社を引き継いだ音尾(タクシー会社の社長)とか、母親の同級生?でタクシー会社の事務員柴田弓(筒井真理子)、事務員の牛久真貴は、みんないい人ぞろい。母親の帰還をみな歓迎し、労っている。なんか、設定が先にあって、無理やり母子の対立や憎しみを作ってる感じで、子供たちの気持ちに共感するところはまったくなし。
な、なかで、次女は母親の出所の日、柴田弓と迎えに行ったらしい。え? な感じ。というのも、ずっと母親への嫌悪ばかりで、子供たちは一度も面会に行ってないのか? という感じだったから。この、面会に行っていたか、文通はあったか、出所後の受け入れを考えていたか、なんかは、重要だ。子ども3人は、誰に育てられたのか? (現社長である音尾の父親?) その保護者や、役所のアドバイスなんかもあったはずだけど、そういうのをざっくり省いているのがずるい。
ところで、事件の日、母親は誰かの小型バンに乗って去って行った。あれは、義兄(音尾の父親?)のクルマで自首しに行ったのか? さらに、それを追って、子ども3人がタクシーで追うんだが(長男が運転?)、あれはどこに向かっていたのか? 意味不明である。
・佐々木蔵之介の、元ヤクザで新米運転手というエピソードが同時に進むんだけど、いまいち話にからんでこない。せいぜい、父親と息子、という親子関係でしかない。しかも、息子はかつての部下の手下になって麻薬の運び屋になったりしている。その息子が、佐々木のタクシーに乗って東京に行く、という設定は、アホか、な感じ。子どもは、親が思ったようには育たないということなのか? アホか。で、この佐々木が、やけになって酒瓶片手にタクシー運転し、あまつさえ母親を同乗させて、海に飛び込もうと言いだす。アホか。そのタクシーを、次男が運転し、長男長女も乗ったタクシーで体当たり。(なんだけど、クルマは左から右に回り込んでクルマにぶつかって止めたと思うが、クルマの右前がクラッシュしてるんだよな)。よろけてでてきた佐々木に、次男が飛び膝蹴りは、ホントに蹴ってるのか?
・母親は60歳手前だと思うけど、田中裕子では老け過ぎな感じ。
・柴田弓には認知症で放浪癖のある親がいて、ある日、彼女が同僚運転手の歌川とクルマの中でシコシコしてる最中に行方不明になり、事故死してしまう。これは、肉親を殺す、のアナロジーなのかも知れないけど、うーむ、な感じ。はいいけど、柴田に連れ合いはいないんだっけか? というか、10歳以上も下の歌川も、相応のパートナーはおらんのか?
・タクシー会社は、音尾の父親が受け継いだのか? 引きついだの義理の兄とか言ってたように思うんだが、とすると、母親の姉の旦那が引きつぎ、その息子が現在社長をしているのかね。見ながら考えちゃったよ。
・「ひとよ」は「一夜」のことらしいが、いつの夜のことなんだ?
・松岡茉優は、まあ、可愛く撮れていた。
マイ・フーリッシュ・ハート11/15ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ロルフ・ヴァン・アイク脚本/ロルフ・ヴァン・アイク、ルロフ・ジャン・ミンボー
原題は“My Foolish Heart”。allcinemaのあらすじは「1988年5月13日、アムステルダム。伝説的なトランペット奏者チェット・ベイカーが、宿泊先のホテルの2階から転落死した。事故か自殺か、はたまた事件か。捜査に当たるルーカス刑事は、前夜に出演予定だったライブ会場に姿を見せなかったチェットの身に何が起きたのか、その真相を調べ始めるのだったが…。」
Twitterへは「伝記かと思ったら刑事が登場。ノワールミステリー風? と思ったらどんどん内面・観念に沈んでく・・・。思わせぶりたっぷり、中味は空っぽ、あれもこれも見事に中途半端で、退屈すぎる。」「チェット・ベイカーったらヤク中でオランダのホテルの窓から落ちて死んだ、と、My Funny Valentineぐらいの知識なんだけど。それ以上の何もないのは、つらい。とはいえ、めずらしや、オランダ映画だと。」
チェット・ベイカーの過去パートと、刑事ルーカスのパートはほぼイコール。ではあるが、話の構造として主役はルーカスで、チェット・ベイカーは刑事の闇の部分をあぶり出すアナロジーとして登場しているだけ。しかも、チェット・ベイカーとルーカスには、ともにパートナーの女性に対するDVがあった、というネタだけで最後までひっぱっていく。オチ(ルーカスがチェット・ベイカーの遺体の横で見上げたホテルの窓に、人影が・・・という疑惑)も、エンド間近、ルーカスがチェット・ベイカーが借りていた部屋に入ったことで呆気なくバレてしまう。ミステリーとしては三流。
映画は、ホテルの窓の人影は誰なのか? という疑惑をルーカスが追う、という流れで、親しい音楽ディレクターっぽい男や、チェットの古い知り合いの医者とかを訪ね歩いて行く、という筋立てがハードボイルドにありがちなスタイルで新鮮味がない。で、次第に同居人のサラという女性が、チェットの暴力に耐えきれず家を出ていった、ということが次第に明らかになる。と同時に、ルーカスも妻(?)にたびたび暴力を振るい、ついには首を絞めたらしく、妻が警察に被害届を出したことがわかってくるという次第。
2人の共通点は、パートナーのことが好きで好きでたまらないのに、暴力を振るってしまうこと。このアンビバレントは、チェットに関してはドラッグと酒で話は解決する。けれど、ルーカスの方は何なんだ? なぜ暴力を? は、最後まで明かされない。
要は、すべてが漠然として、チェット・ベイカーに頼り切って情緒的に過ぎていき、核心を避けていることにある。だから、もどかしくつまらなくなるのだ。ルーカスも実はヤク中刑事だったとか、そういうこともないし。なので、全体としてはひたすら退屈な映画だった。
チェットのパートは、とくに目新しいこともなく、ステージの様子や、ステージで倒れながら歌ったり、伝説的なことが再現されているから、そこそこなんだけど。私生活のいい加減な部分については突っ込みが足りなくて、闇もたいして深く見えない。
音楽ディレクターは、とくにフツー。医者は、実は同性愛者でチェットに好意を抱いているけど、拒絶された経緯がある、程度。興味深いのが、大家の男だ。サラと生活する部屋を、自宅で提供しているようなんだけど、彼はチェットに心酔している様子。なので、チェットのペットを黙って吹いて嫌がられたりするけれど、チェットが吹いているところに自分もペットを吹き始めたりと、大胆なことをする。また嫌がられるんじゃないかと思ったら、そうでもなくて。あのあたり、チェットの気持ちがよくつかめなかった。まあ、部屋代もたいして払ってないんだろうから、許してるのかも知れないけど。
ところで、チェットは当日、なぜホテルに宿泊していたんだろう? サラと一緒に住んでいた部屋(大家の家?)から出ていって、ホテル暮らしだったのか?
さらば愛しきアウトロー11/19新文芸坐監督/デヴィッド・ロウリー脚本/デヴィッド・ロウリー
原題は“The Old Man & the Gun”。allcinemaのあらすじは「1980年代初頭のアメリカ。74歳のフォレスト・タッカーは、そのダンディな佇まいとは裏腹に、なんと現役の銀行強盗。しかしその手口はどこまでも紳士的で、誰一人傷つけることはなかった。そして、お金以上に銀行強盗そのものを楽しんでいたのだった。事件を担当するジョン・ハント刑事も、そんなフォレストの生き様に魅了されていく。一方フォレストは銀行強盗の傍ら、偶然出会った未亡人ジュエルとのロマンスも満喫していくのだったが…。」
Twitterへは「事実に基づいた強盗の物語で、イーストウッドが映画化しそうな話だった。しかも、白鳥由栄ばりのエピソードも。しかし、80年代は強盗も警察も牧歌的だったのね、というのが正直な感想。」
74歳で仲間と銀行強盗を繰り返していたタッカーと、彼を追う地元の刑事ハントの物語で、実話を元にしているらしい。なかなかテンポよく、スマート。なんだけど、輪郭がカリッとしない画調とか、ちょっとスローな音楽とか、80年代を意識してか、あえて当時つくられたかのような仕上がりになってる。
たまたま出会った婆さんジュエルと交際を始めるというのが唐突すぎるし、意味不明。まあ、ここは映画的な演出なんだろうけど、もうちょい若くて美人にして欲しかった感じ。なにしろレッドフォード83歳、婆さんのシシー・スペイセクは70歳なので、色気も何もない。期待もしないけど。
しかし、田舎の銀行を次々と、老人3人、黄昏強盗団が襲って成功しつづけるとは、1981年アメリカはどういうセキュリティなんだ? 成り行きから大銀行を襲ったときは防犯カメラの映像が登場したけど、地方銀行にはそういう設備はなかったのかね、まだ。しかも、覆面をするでもなく、素顔で。事前に何度も下見しているというのに・・・。
それと、たまたまハントが居合わせた銀行で事件があったことからハントが乗り出すことになったけど、それ以前に連続強盗事件が重要な捜査対象になってなかったらしいのが不思議。映画的演出か。
あと、少し不満なのが、仲間2人の素性がほとんど描かれないこと。彼らにも事情があるだろうに、そこの掘り下げが欲しかった。とくに大銀行を襲い、紙幣は奪わず金塊を大量に奪ったはいいけど、黒人ジジイが撃たれて。これを機に解散、という流れになったんだが、後にタッカー逮捕につながるきっかけはこの黒人ジジイにありそうな感じだったし。彼らのことが描かれたら、話はもっと面白くなったように思う。
ハント刑事が犯人の目星を付けるきっかけは、タッカーの娘から送られてきた昔の家族写真なんだが、これは、どういう経緯なのだ? 娘は、一連の犯人を父親、と判断したわけだよな。とはいえ、突然すぎる。あれは、娘がテレビを見て、とかいうきっかけの場面を映すべきだと思う。
さらに、調査中の事件の経緯を、捜査担当者ハント刑事が顔出しでテレビにの取材に答えるんだが、なんなのあるのか? よくアメリカ映画にはこの手の場面が描かれてるけど。操作の邪魔だろ。タッカーの娘からの情報提供はあったにしても、だ。それにそのせいで、レストランで食事中のタッカーはハント刑事に気付き、逃げるのかと思ったらトイレまで出向いて、わほとんど自己紹介みたいなことをする。自己顕示欲からなのかね。挑戦、という訳でもなさそうだし。スリル依存症なのか。
で、翌日、家に戻ると(っていうか、自宅があるのかよ、な驚き!)、そこにかつての相棒の黒人。と思ったら、警官がうじゃうじゃ。という経緯だけど、あれはハント刑事の情報じゃないよな、別のルートでFBIが黒人を挙げて、その情報でタッカーの家で待ち伏せしてた、んだよな。だろ?
幼い時から16回の脱獄歴を誇るタッカーも、またまた御用。今回は満期出獄し、ジュエルの元へ。しばらく一緒に過ごすんだが、彼女と見た映画は『デリンジャー』で、帰り道に、かつて大銀行を襲った時に登場したのと同じ現金輸送車とすれ違う。これはもう、再び犯罪への道をたどるぞ、という伏線そのものだ。それにデリンジャーについては、最初の方で誰かのセリフにも登場してたし。てなわけで、以後3回だったか4回、銀行強盗を繰り返したらしい。ご立派。
・接見にきたジュエルに脱出歴を書いた紙を渡すんだが、17番目がブランクに。この刑務所から逃げるのか、と思わせて、実は彼女の元からの脱出ということになった訳だな。
・ジュエルは大農場に一人で住んでいる。馬も何頭か飼っている。富豪なんだな。それはさておき、タッカーは自分が馬に乗れることを、なぜジュエルに言わなかったんだろう。
・ジュエルには子供もいる様子。子供たちが、あんなジイさんとつき合ってる子を知ったら、遺産の行方が心配になるだろうになあ、と。
・ハントの奥さんは黒人で、なかなかの美人。という設定にした理由は何なんだろう?
ゴールデン・リバー11/19新文芸坐監督/ジャック・オーディアール脚本/ジャック・オーディアール、トマ・ビデガン
フランス / スペイン / ルーマニア / ベルギー / アメリカ映画。英文タイトルは“The Sisters Brothers”。allcinemaのあらすじは「1851年、オレゴン。兄のイーライと弟のチャーリーは誰もが恐れる最強の殺し屋、シスターズ兄弟。“提督”と呼ばれる雇い主から与えられた新たな仕事は、連絡係のモリスとともにウォームという男を探し出し、始末せよというもの。さっそく兄弟は、ゴールドラッシュに沸く西海岸のサンフランシスコを目指して南下していく。一方モリスは、一足先にウォームを見つけると、正体を隠して彼に近づくのだったが…。」
Twitterへは「ハードボイルドなまま突っ走るのかと思ったらそうでもなく、オッサンたちも成長する西部劇だった。歯みがき、床屋ごっこ、すすり泣き、女教師のショール、馬、熊、化学、会社、家族・・・。背景やセットに凝りまくってる面白さも。」
A地点→B地点へ、という構成は『駅馬車』と同じながら、あまり具体性が必要でないところは曖昧なままに捨て置いて、どんどん話が進んでいく。だから始めは背景や状況が分からないけど、会話に断片的に含まれる情報で次第に輪郭が見えていく。このつくりが上手い。
話は簡単で、提督に命じられたターゲットを殺すため。先行の探索屋モリスとの連携で、ターゲットが見つかったら、イーライとチャーリーのシスターズ兄弟が手を下す。その冷酷振りは、冒頭の、真っ暗闇のターゲット襲撃でまざまざて見せてくれる。のだが、この兄弟、淡々と殺すわりには人間味あふれる行動の連続で、しかも会話は凸凹コンビのごとく饒舌で楽しくおかしい。ずっとチャーリー(ホアキン・フェニックス)が兄かと思っていたら、イーライ(ジョン・C・ライリー)が兄だった。
どうでもいいような会話、出来事、街の様子、あれやこれや、画面に写るすべてが面白い。
・得体の知れないボス提督、その下で働く殺し屋。
・銃の音が、ボン! という大きな爆裂音のリアル。
・納屋の火事、たてがみが燃える馬。
・家のファサードを運搬する様子。
・喧嘩して殴った翌朝だったか、2人の背後に氷屋。
・歯ブラシと歯みがき粉に興味をもつイーライ。のちに、歯みがきするイーライとモリスが目が合うシーンは、笑える。
・イーライは毒蜘蛛に刺され、寝てる間に熊が馬を襲撃し、雨の中を行動する。馬は後、襲われた傷が元で死んでしまう。並の馬だったが、ペットのように慈しんでいた馬が・・・。イーライのやさしさがにじみ出る。
  ・ぬかるみに、一本棒の渡し道で歩く人。できたての街。家屋が壁ごと建てられる様子。
・女教師(具体的には分からん人)のショールを持ち歩き、寝る前に臭いを嗅ぎ、ときにそれでマスかく兄。
・呪術を使う(?)女ボスが牛耳る異様な街。アヘンも使っていたのか?
・娼館でも女は買わず、女教師がショールをくれるごっこで満足。そのおかげで、娼婦に好意を持たれ、女ボスに気を付けろのアドバイス。
・呆気なくボスを殺して財宝を奪い、手下(ヒルビリーっぽい?)もやっつけるけど、残りの手下に追われる兄弟という定番の展開も面白い!
・ほどほど稼いで、もうやめよう、な兄。あくまでも提督に従う姿勢を見せつつ後釜を狙う野心もみせる。でも計画性はなしの弟。その性格の違い。
・サンフランシスコの海岸に打ち捨てられた家具や馬車は、ここまで流れてきた人たちの残滓か。
・シスコのホテルの水洗トイレに驚く兄!
・インド人っぽいウォームの、科学的知識。
・ウォームの先見性に感化されたモリス。2人で始めようとする共同体? 会社か。そのロゴタイプはW&M?
・シスターズ兄弟も、モリスも、家族を捨てている。チャーリーは父親を殺した?
・新たな仕事始め。出発前に、弟が兄の髪を切る。モリス&ウォームと和解後、兄が弟の髪を切る。
・野宿。泣き真似で兄をからかう弟。その後、腕を失って本当に夜泣きの弟
・意気投合の4人が、薬品を使って金を探す。ゴールドラッシュ!
・女ボスの追手をすべて返り討ち。
・目先の金に目が絡む兄は、金を光らせる劇薬を川にすべて投入しようとし、おかげでモリスとウォームの2人は死亡というアホな展開。
・兄は馬を失うたが、弟は劇薬をかぶり右腕を失う。そこにやってくる追っ手も片づける(でも具体的には見せない粋な演出)手際よさ。
・これ以上追っ手に追われるのは面倒。でも、最近、追っ手が来ないな? とつぶやきつつ、提督の屋敷へ。すると葬儀の最中! 死体を殴る兄。ホントに死んでるかどうか確かめたらしい。でも、提督が死ぬと、部下が跡目を引き継ぐとかないのかなと、少し思ったけど。
・そしてシスターズ兄弟は、母の住む家に戻る。家族がふたたび再生される。「あんたたち、なんか無くしたようね」と母親。カメラがパンすると、子ども時代のベッド。食事。風呂・・・。ベッドにのんびり横たわる兄。END。
スリリングで奔放で、時におかしく楽しい2時間だった。イーライに、ジョン・C・ライリーで、ほぼ主役。相手役のチャーリーは、大物ホアキン・フェニックス、モリスはジェイク・ギレンホールという布陣がなかなか。とくにジョン・C・ライリーは、いつも概ね個性派の脇役クラスだからなおさら。その他にも洒落てるところはいくつもあって。
・タイトルなどの文字が、昔の西部劇でよく使われていた感じの書体で、黄色い。うーん。なかなか。でも、音楽は現代音楽が多く使われている。
・経過を省略したりするときは、は、周囲が黒い丸で表現。こういうのも、面白い。
・ところで、ウォームにインド人(実はパキスタン系らしいが)のリズ・アーメドはなぜに? 
影踏み11/21テアトル新宿監督/篠原哲雄脚本/菅野友恵
allcinemaのあらすじは「忍び込みの窃盗、通称“ノビ師”を専門とし、その鮮やかな手口から“ノビカベ”の異名を持つ真壁修一。ある夜、侵入した稲村家で、就寝中の夫に火を放とうとする妻・葉子の姿を目撃し、思わず止めに入る。すると、すぐに現場に現われた刑事の吉川に捕まり刑務所送りとなってしまう。2年後、出所した修一は、彼を慕う若者・啓二とともに、不可解な点が多い事件当夜のことを調べ始め、消息の分からない葉子の行方を追うのだったが…。」
Twitterへは「冒頭から説明ゼリフの連続。名前だけ登場の重要人物もぞろぞろ。そもそもの事件の概要もよく分からず、もやもやのまま中盤へ。今度は家族の話に突入し、そりゃいくらなんでも強引すぎる展開がつづき、結局、真相も分かったような分からないような。いらいら。」
冒頭は、猫に餌をやる場面だっけか? それから誰かの声が、なんとかかんとか話してる。しばらくして、刑事らしい男の声と分かるけど、もう話の内容がこちらの頭から抜けている。状況が見えないとセリフの意味が取れないよ。ひどい脚本、演出だ。
時間が戻って、窃盗に入った家で放火しようとする女=葉子を発見し、止める。家を出ようとしたら、昔なじみの友人で刑事の吉川が玄関にいる。どうやら逮捕され、刑期を終えて出所した修一。迎えるのは、チンピラの弟分みたいな啓二。なんたけど、この「けいじ」という読みが、刑事と思えてしまうところもあったりして、とても分かりづらい。
修一たちは吉川に会いに警察に行き、次いで競売で稼いでいる大室(チンピラにしか見えないぞ)に会う。大室は、葉子の家が破産した(これは吉川からの情報だったか)とか、大阪のヤクザがどうとか話すんだけど、ほとんど話が追えない。葉子の夫の名(忘れた)、執行官および裁判官という呼び方で登場する2人、さらに吉川の名前が会話にしきりに登場。彼らがなんか悪だくみをしてるらしく、関係図も書いて見せてくれてはいるのだけれど、どういう悪行なのかまったくピンとこない。そこに吉川がどう絡んでるのかもよく分からない。
そんなことをしているうち吉川が殺されるんだけど、当然ながらこれもよく分からない。説明ゼリフで懸命に説明しようとしてるけど、あれじゃつたわらんよ。映画は見せてなんぼだ。葉子の夫なんか一切登場せず、執行官は寝姿程度。裁判官も、夜のベンチで修一と少し話すだけ。いったい、何が何だか・・・!
修一は同級生の久子の元に身を寄せた、らしい。これまた疑問の続出。いったい修一は今回、何年収監していたのか? それ以前に、2人はつき合っていたのか? 久子は待っていたのか? とかが見えないので、修一と久子の関係が、ピンとこない。
久子は保母さんで、園長を通じて出入り業者の久能と見合いするんだけど、あれは久能から園長に頼んだのか? 簡単に説明があったけど、セリフが聞き取れず。久子は結婚の申し出を断り、「あなたを利用した」と久能にいうんだけど、その意味も最後までよく分からず。
その後、久子に無言電話、突然の久能の訪問、突然の襲撃があって、久子は宿で生活していた修一の元に。修一は、宿から久子のアパートに行くため自転車に乗ろうとして、取っ手に仕組まれた何かを発見する。懐中電灯? と思い見ていたんだが。アパートに到着した時、それを折ったんだっけかな。というところに訪問者。開けると大室で、スタンガンを修一に向ける。押さえつけると、大室は、「自分の話を聞いてくれたのは葉子だけだった」とかいうんだけど、そこにタイミングよく刑事・馬淵がやってくる。で、修一は馬淵に、執行官のところで盗んだ預金通称と手帳を渡す。・・・で、どうも事件は解決したらしいのだが、見てるこちらの心はまったく晴れないぞ。
・そもそも執行官や裁判官、葉子の夫らの間で何が行われていたのか? これについては、やはり再現ビデオ的に、彼らの悪行を見せるべきだと思う。
・馬淵は、なぜ久子のアパートにいいタイミングで駆け付けてこられたのか? 
・取っ手に仕込まれていたのは発信器? 現在も電池が生きてるのか? さらに、現在も監視していたのか? 折ったことで発信できなくなり、それに気づいた警察が、折れた=消えた場所に駆け付けた? しかし、いまだに監視していて、しかも、発信が消えたことが馬淵につたわり、駆け付けた、というのは都合よすぎる解釈だな。だいたい、仕込んだのは吉川なんだろ? 
・そもそも修一が逮捕された時も、監視されていて、それで吉川が葉子の家にいたのか? 吉川が悪の3人組と懇ろになったのは、この事件の後?
・執行官に振り込まれた金と手帳は、どういう証拠になるのだ?
てなあたりがよく分からないので、事件が解決した爽快感がない。流れでは、吉川を殺したのも大室のような話だったけど、殺す理由はなんなんだ? とまあ、分からないことだらけ。
さらに。この映画には双子という別の切り口があって。実は、当初から登場していた啓二は実在の人間ではなく、すでに死んでいる修一の双子の弟だった、とは。これは気づかなかった。しかも、恥ずかしながら、過去の、高校生時代の映像で、修一と啓二が登場しても、気づかなくて、気づくには結構時間を要した。高校生時代を演じているのが北村匠海で、顔がよく頭に入っていなかったせいもあるかも。まあ、こちらの注意力散漫もあるだろうが。
デキがよくて東大に入り、司法試験をめざしていた修一。デキが悪くて受験に失敗し、窃盗を繰り返した啓二。教師の母親は苦しみ、啓二と無理心中を図った、という過去があるらしい。これを見て、またステレオタイプなバカ話が登場した、と思った。母親が帰ると、自宅玄関周囲に「でていけ」゛泥棒一家」みたいな貼り紙が数十枚あるんだが、そんなこと、近所の人はフツーしないぞ。『ひとよ』にも同様の描写があったけど、こちらは未成年の窃盗事件。だいたい、誰が貼るんだよ、そんなもの。せいぜい、冷ややかな視線を送るだけだろ。それに、母親が修一を残して無理心中というのも、あり得ない。それで何が解決するというのだ? そんな家庭は、この世にゴマンとあるだろ。そして、その事件によって、修一は司法試験はやめて泥棒になり。窃盗を繰り返してきたって、なんなんだよ、このバカ話。
その修一の窃盗歴と、それでもなお修一が好きだった久子の物語を知りたいもんだ。
で、なんと、もうひと組の双子話(久能にも双子で、ダメな方が久子を襲っていた、という・・・。)が重なるというシンクロニシティには、あんぐり。性格と能力の違う双子は、不幸になるとでもいいたいのか?
というわけで、イライラと不快感を感じる2時間であったよ。
・刑事馬淵が、啓二の火葬に立ち会ってなかったか? なんで?
・中村ゆりは、なかなかカワイイ。でも結構な歳なのね。いままで、あまり見かけなかったのは、出演作の系統がこちらの見るものと系統が違っていたからか。なんだが、久子が葉子のバーで話す場面、中村ゆりの胸がでかいのが気になって、気になって・・・。あの衣装はまずいだろ。
長いお別れ11/23ギンレイホール監督/中野量太脚本/中野量太、大野敏哉
allcinemaのあらすじは「かつて中学校の校長をしていた厳格な東昇平が認知症と診断される。父の70歳の誕生日に、久々に顔を揃えた娘たちは、母・曜子からその事実を告げられ、動揺を隠せない。近所に住む次女の芙美は、カフェを開く夢を抱いて奮闘しながらも、上手くいかない恋愛に思い悩む日々。一方、夫の転勤でアメリカ暮らしの長女・麻里は、いつまでたっても現地の生活に馴染めず、思春期の息子のことも気がかり。そんな中、徐々に記憶を失っていく昇平が引き起こす、いくつもの予測不能のアクシデントに振り回されていく妻と娘たちだったが…。」
Twitterへは「認知症の主を7年も介護して疲弊しない家族の話なので、いまいち刺さらず。山崎努の演技はなかかなだけど、とりまく家族があんぽんたんすぎ。」
『チチを撮りに』、『湯を沸かすほどの熱い愛』の監督らしいが、デキはひどい。
認知症の発症以降、2年ごとに場面が進んでいくんだったかな。2年後、4年後、6年後・・・。なので、最初に33歳だった次女(蒼井優)は39歳になっている訳なのだが、長女(竹内結子)ともども、ほとんど変化がない。というか、妻も含めて学習しないし成長しない。これが気になって、父(山崎努)の認知症は着々と進行しているのに、いまいち話に入り込めないのだった。
自分が誰だか分からなくなり、家に帰ると言っては行方不明になる父親。ということが分かっているのに、妻はしょっちゅう目を離す。妻と長女が買い物に行き、長女の小学生の息子が留守番してて行方不明、という場面もあった。妻と2人でスーパーにいき、父親が万引きするという場面など、なんて目を離すかな、としか思えない。あるいは、行動を監視してろよ、バカ者、とイライラした。自分が眼病で一時入院、というとき、目がつぶれるよりお父さんの傍にいたい、という妻が、それかよ。
夫の海外出張でアメリカ暮らしの長女。最初は30半ばか。以来、海外生活6年で英語がまったく話せないというのは何なんだ? そもそも、外に出ないのか? 夫はそういう妻=長女に意見しないのか? バカじゃないのか。
スーパーの調理部門で働いていた次女。料理の創意工夫が好きなようで、弁当屋を始めるも失敗。スーパーにで出戻ってバイト生活をつづけ、はてさて、次は何をしでかすのだ? 何やっても長続きしないのは、考えがゆるすぎやしないか。それと、たしか実家は新百合ヶ丘あたりで、次女は都内在住? なのに、1年近くも実家に顔を見せないというのは、なんなんだ? さらに、同棲中の彼氏が作家の夢をあきらめて帰郷する、というのに、そっけなく送り出すというのも、人情味のない女だ、という感想しかない。その後、中学時代の同級生と邂逅してつき合うようになるというのも、なんだかなあ。
そもそも、親は教師なんだろ? だったら娘二人も大卒だろうし、英語がまったくできないはずもなく、次女にだってアドバイスはしただろうに。親の言うことを聞かないようでもないし。リアリティのない娘たちだ。
長女の息子も、幼い頃は素直っぽかったけど、高校生になると不良っぽくなる。アメリカ人の彼女に振られたことが原因? ということもないだろうけど、その理由が描かれないから、突然すぎて意味分からん。親である長女もなにもしないし、夫もうろたえている様子もない。なんかなあ。
というような、父親の認知症の部分はさておいて、周囲の人間模様が違和感ありすぎで、まったく話に入れず。
冒頭と、ラスト近くは遊園地で。かつて、母娘で遊園地に行ったとき雨が降り出して、そんなことをするはずがない父親が傘をもってやってきた、というエピソードでつながっているんだけど、これまたとってつけたような具合で、ちっとも感動に結びつかない。
どうやら父親は亡くなったようで。ラストは不登校になった孫が、校長に呼ばれる場面。最近あったことを問われ、祖父のことを話す。退席する孫に、校長が「take care」っていったんだっけかな。孫は「さよなら、マスタ−」と応える。その孫の背後に「EXIT」の文字看板。背中を見せて歩いて行く。これは、孫が学校を退学したということか? でもそれじゃ、孫の笑顔は何なんだ? なんの解決にもなってない。じゃあ、ダメな状態から脱出できた、ということか? 分からない。
というか、なんでこの映画のラストが孫の不登校の顛末なんだよ。まったくもって、ぎくしゃくしっぱなしではないか。
洗骨11/23ギンレイホール監督/照屋年之脚本/照屋年之
照屋年之は、ガレッジセールのゴリだったのね。。allcinemaのあらすじは「東京に暮らす新城剛は家族を残したまま、ひとりで4年ぶりに実家のある沖縄の離島、粟国島に帰郷する。目的は4年前に亡くなった母の“洗骨”のため。それは風葬という古い風習にまつわるもので、棺で一定期間安置した後、白骨化した骨を親族がきれいに洗い、最後の別れを告げる儀式のこと。実家には父の信綱がひとりで住んでいたが、妻を失った悲しみから立ち直れず、酒に溺れてすっかり腑抜けになっていた。そこへ、名古屋で美容師をしている長女の優子が帰ってくる。しかし大きなお腹を抱えたその姿に、家族一同戸惑いを隠せない。洗骨の儀式が数日後に迫る中、それぞれに問題を抱えた家族の重苦しい時間が過ぎていくが…。」
Twitterへは「隣人、子供、親戚、医者、バイク婆、店長・・・。周辺キャラのひと言がクスリと笑える。ヤギはクストリッツァ? 堤防の2人は小津? でも父親・母親に共感できないのが困りどころ。監督の照屋年之はガレッジセールのゴリ。」
監督がゴリとは、知らずにみた。「照屋エミに捧ぐ」は、監督の母親だそうである。
じつをいうとタイトルの「洗骨」と、その行為やイメージから、因習的な気がしたのと、奥田瑛二があんまり好きではないので、見たいとは思っていなかった。ギンレイの併映だから、『長いお別れ』のついでに見よう、という感じだった。けれども、こちらの方が『長いお別れ』よりはるかに面白かった。
冒頭。葬式の場面。その葬儀の場面より、隣人らしい男が握り飯をもらい、帰るかと思ったらテーブルの上に刺身がも、果物が・・・と逆に要求してきて、伯母が切れて「帰れ!」という場面が異様すぎておかしい。沖縄の島民の常識について、感じるところあり。東京暮らしの長男は、めげずに手土産を増やしていくのだけれど、伯母が最後に切れるので、沖縄人にとってもちとおかしな隣人と言うことか。
以降、本筋の話はよくある感じ。女房に死なれて腑抜けになった父親と、少しダメな子供たち、なんくるないさ、な親戚の伯母やその連れ合い、そして、最後に儀式としての洗骨があって、少し安心する、というような感じ。ではあるが、いろいろと味つけが面白い。ときどき見せるフォトジェニックな映像。緊張を外す間を大切にした演出。登場人物のつぶやきのようなひと言。これが、ゆるく笑わせてくれる。話が深刻に流れず、適度な距離が保てるという意味で、効果を発揮してる。見終わった後、監督がゴリと知って、なるほど、芸人の間の取り方だなと納得した。なかなか鋭い。
とはいうものの、父親のダメさ加減については、いまいち理解しがたいところがある。60を過ぎて、女房に先立たれ、それであんなになるものか。よほどの恋愛? でも、そういう話はでてこない。もともと奥手で自分を表現するのが下手な感じで、ならば女房になる人も変人だと思うんだが、そのあたりのことが描かれないので、どーも納得がしにくい。
父親は、妻の死後、周囲に禁酒したと信じられているらしい。が、実は夜な夜な飲んでへべれけで、家の中はゴミ屋敷。ということらしいが、狭い島であんな酒をしこたま買っていたら、店から親戚に情報が行くだろ。それ以前に、あの父親は、何やって暮らしてるんだ? 年金と息子の仕送り? そもそもは、漁師だったのか? とか、そのあたりもよく分からない。友人のせいで多額の借金を背負い、長男に頼って返済したらしいが、そのあたりも、曖昧にしか描かれないので手がかりがない。もうちょい、父親について掘り下げて欲しかったところではある。
笑いどころは娘周辺に多い。のちに来島する美容室の店長が、コメディリリーフとして威力を発揮しすぎて楽しい。とはいえ、名古屋あたりで働いてて、孤独を感じてたときにやさしい声をかけられて、店長に恋してしまうなんて、なんて純なのだ。とはいえ、誰にでも優しい店長を独り占めするためセックスに誘い、「子どもをつくれば自分のモノになる」と行動に及ぶというのは、いかにも安直すぎ。堕ろせないまで待って、それで告げると言うんだから、オソロシイ。こういう島出身の女性もいるということだろう。うーむ、な気もする。父親とは正反対だな。
あと、伯母夫婦が楽しい。尻に敷かれてる亭主、中年になる息子。最初は素性が分からなかったけど、いつもいるから親戚とは思ってたけどね。伯母以外はセリフもほとんどなく、ちょこまかするだけだけど、それだけでも十分な存在感。
それと、販売店のババアと、よく登場するバイクのピンクのババア。彼女たちも、一家の存在を引き立てたりするのに機能している。ババアのバイクは、最後の方で、娘が出産しそうになるところで活躍するし。伏線にもなっている。上手い。
笑えるセリフで記憶に残っているもの。
・「店長とセックスして・・・」と告白する長女。聞いていた男の子が「セックスって何?」としつこく質す。このあどけなさは『東京物語』の医者の家の子どもを思わせる。
・酔ってケガして病院に連れていき、治療が終わってもヘラヘラしてる父親に喧嘩腰の長男。それに対する長女。の最後に、医者がカーテンを閉めながら「よそでやってくれ」とひと言。こういうのも、昔の日本映画によくあった。
・魚の網取りに駆り出され、海に浸かった後に店長がつぶやく、「ケータイ完全に死んでる」
・その帰りの車内で、店長が長男の肩に触れると、長男が「さわらないで下さい!」
長男は、東京の大会社に就職しているらしく、自慢の息子の様子。でも、帰島に際して妻子を伴っていない。実は、離婚したけど、言い出せなかったらしい。そんな彼が、店長を罵倒するのは、古い考えなのかも知れない。でも、娘が狡猾に仕掛けた罠にはまり、それでも責任を感じて島までやってきた店長。結婚する、と言っているのだから、むしろ、「こちらこそよろしくお願いします」と返事してもいいと思うんだけどな。店長は人がよすぎ。まあ、そこがツボなんだろうけど。
その長男の離婚の理由が、よく分からない。厳格で横柄な態度が嫌われたのか? まさか浮気という線はないだろうけど。ここも、気になるところではある。
他の映画の影響も、ちらほらと。長男が伯母に離婚したことを告げる場面は、テトラポットの見える海岸の防波堤のようなところ。座った背中が並んで見える。『東京物語』だろ、これ。場面転換でよく大写しになるヤギはクストリッツァの『黒猫・白猫』だったかの、牛を連想させる。
あと、気になったのは、海岸にあるブランコのある公園なんだけど。父親もあそこにむかしよくいた、てなことが言われていたっけか。娘も好きでよく遊んでいたらしいが、海の彼方は本土だろうか。父親も、本土に行きたかったのか? 東京に行った息子や、名古屋で働く娘を思っていたのか。幼かった頃の娘は、そんな父親を見て、なにを思ったのか?
そういえば、釣り船で、長男が妹のしでかしたことを叔父に「台風のときも・・・」と、つぶやいていた。2人の間では了解事項かも知れないけど、観客には分からない。と思っていたら、後半で台風のとき、長女が浜辺のブランコに来ていた、という種明かし。なるほど。すべて説明してしまわない手法なのね。
に使われていたブランコは、あれは、映画のために設置したんだろうか。背後には木造の小屋のようなモノも見えたけど、あんなところに公園があるように思えないし。
というわけで、最後は洗骨。どうも島には、死人が住む「あの世」のエリアがあり、そこに行くときは儀式的なことをするのも興味深い。遺体は、冒頭で見えたけれど、茶箱のような棺桶に、仰向けで、膝を折り畳んで納棺。それを2年だったか、風葬し、その後、棺桶から取りだして一族で洗って骨壺にいれるらしい。その過程を逐一見せるのには驚いた。どんな姿で現れるのか。骨に肉片が多く付いていたら、たいへんだよな、と思っていたんだけど、ほぼ白骨化している姿だった。そこまでになるのか? という疑問はあるけれど、そういうものなのかと。
その洗骨の最中、娘が産気づき、一緒にいた伯母はぎっくり腰に。コメディだな、こりゃ。しかも、産道が狭いらしく、ハサミで切る、ことになる。女性(彼女は伯母の息子の嫁なのかな?)は、「できない」と拒否。そこで指名されるのが店長で、おそるおそるハサミを・・・。「上じゃない! 下!」。そうだよな。とか、ドキドキと笑いが一緒になった瞬間を経て、無事誕生。なかなか盛り上がる。
てなわけで、ラストシーンはなんだっけ? ブランコだったかな。よく思い出せないが。店長と娘はうまく行き、父親はまだちょっと心配。長男は、うーむ、な感じ。
・父親と叔父が廃墟のようなところへ行く場面があって。あそこに風葬しているのかなと思ったら、海岸縁の洞窟に石を積んで封をしたところだったのね。適度な湿度もあるのか、あるいは、満潮時には海に浸かるのだろうか。
テルアビブ・オン・ファイア11/27ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/サメフ・ゾアビ脚本/ダン・クラインマン、サメフ・ゾアビ
ルクセンブルク / フランス / イスラエル / ベルギー映画。原題は“Tel Aviv on Fire”。allcinemaのあらすじは「エルサレムに住むパレスチナ人青年のサラームは、叔父がプロデューサーを務めるパレスチナの人気ドラマ「テルアビブ・オン・ファイア」の撮影現場で、雑用やヘブライ語の言語指導として働いていた。撮影所に通うために、毎回面倒な検問所を通らなければならないサラームだったが、ある日、イスラエル軍司令官のアッシに「テルアビブ・オン・ファイア」の脚本家だと思われ、興味を持たれてしまう。妻がドラマの熱心なファンだというアッシは、サラームを呼び止めては自分のアイデアを強引に押しつけてくる。適当に受け流すサラームだったが、その案が実際に採用され、ひょんな成り行きからサラームは脚本家に昇格することに。ところがまるでアイデアが浮かばず、アッシに協力を求めるサラームだったが…。」
Twitterへは「60席すべて埋まってた。評判なのか? イスラエルとパレスチナの関係を知らんとよく理解できなくて、十分に楽しめたといえないのが残念。淡々と間延びした演出は意図的なのかな。」
概要について知らずに見たのだが。いきなり「1967年、第三次中東戦争の直前」とかいうような字幕と、なんか違和感のあるドラマが始まって。すぐにドラマの撮影現場というのは分かったんだが、では1967年はいつなのだ? 撮影している時間なのか、ドラマなのか? 少し戸惑った。字幕を「1967年の設定」としたら、ドラマということがバレバレ。では、現在の場面では「2018年」とかしてくれないと、分からんよな。それとも、ドラマを撮影している時間軸も1967年なのか?
しばらく、誰がイスラエル人で誰かアラブ人なのか、場所がどこなのか、分からずに見ていた。ドラマの設定は、中東戦争直前、ある女性がラヘルという名前でイスラエルにスパイとして潜入し、イェフダ将軍に接近。でも、イェフダに恋してしまうという話のようだ。で、サラームは家からスタジオまでクルマで通っているんだけど、途中で検問を通過しなくてはならない。なので、家はイスラエルにあって、ガザあるいはヨルダン川西岸にあるスタジオに行き、アラブ系の放送局でドラマをつくっているのかな、と思った。それで正しいのかどうか、いまだに分からない。
検問所で、「女に対して爆発という表現を使うか? 」とイスラエル人兵士に質問したせいでボスのところまで引っぱられ、「脚本を書いている」と嘘をついしまう。そのせいでボスに台本を取り上げられてしまうんだが、このボスは↑のあらすじに司令官とあるけど、見た感じ軍曹か少尉ぐらいにしか見えない。司令官の名はアッシ。家に帰ると妻をはじめ家族の女たちは、件の連ドラに一喜一憂。パレスチナ製のドラマで反ユダヤなのに、なんで? な感じなんだが、ホントに、なんでなの。
次からアッシはサラームを呼び止め、イスラエル将軍の軍服が違う、軍隊ではこんなことはいわない、果てはラヘルとイェフダ将軍をラストで結婚させろ、自分の写真を画面に登場させろ、などなど、あれやこれや要求する。やれやれな話だ。
そもそもサラームは放送局のプロデューサーの甥で、そのつてで言語指導としてスタジオに出入りしているだけ。なんだけど、ストーリーが毎日のように変わったりするので、それまで演出していた女性ディレクター(脚本化?)が「やめた!」といって出いってしまう。そのおかげでラヘルのスクリプトも担当することになり、まずは「困った」。そこでアッシに相談したり、街のカフェで男女の会話に耳を傾けたりしつつ、アイディアを出して叔父に提案。そこそこ採用され、次第に話に入り込んでいくんだけど、なにせアッシは「ラヘルとイェフダ将軍を結婚させろ」の一点張り。それを叔父や同僚の脚本家に話しても、「あり得ない!」と却下されつづける。
というあたりのリアリティも、実はピンときていない。それと、会話にホロコーストの話題を入れ込むとか、どう「良くて」どう「悪い」のかも、よく分からない。そんなもんかなあ、な程度しか理解できていないのだよね。
でまあ、サラームには好きな幼なじみがいて、かつて彼女のことを「死海の魚みたい」と言ったとかで、ずっと嫌われていたらしいのが、なんとなくヨリが戻ったりする話も平行して進むんだけど、この彼女、もしかして医者なのか?
連ドラは、大まかな流れしか決まってなくて、どんどん話が変わっていく。セリフも、翌日のを考えているような感じで、そんなものなのかいな。
てなことをしているうち、だんだん自分なりの考えも定まってきて、ドラマづくりをリードしていくようになる、というのがなんとも。フツーは、素人が数日で脚本家に、なんてあり得ないけどね。そこは映画だから。
ドラマの流れは二転三転。ラヘルが癌になって死ぬことになって、このせいでサラームはアッシが激怒。身分証明書を取り上げられてしまう。なので、それは誤診だったことになったり。2人を結婚させるのはいいが、結婚式でラヘルは花束に仕込んでいた爆弾を爆発させることにしよう、という流れになったり。さらに、アッシの写真がスタジオで捨てられていたり。なんとかしなくちゃ(と思う必要がサラームにあるとも思えないけど、御機嫌をとらないと、生きづらいのか?)、というわけで、最後にサラームの奇策が炸裂。
なんと、結婚式の場面で、登場してきた司祭に化けていたのはイスラエルの上官で、演じていたのはアッシ。彼が、ラヘルとイェフダ将軍を逮捕してしまう(でいいのか?)というトンデモ展開。これにアッシの妻や家族が大感激!
そうくるとは思わなかったので、最後は観客もびっくりしていたよ。しかし、そういう脚本を、どうやって叔父に提案し、説得したのか。そこは描かれていない。
サラームは、続編をつくろう的なことを言っていて、でも、叔父はスポンサーの関係から「ムリ」と突っぱねていた。この経緯も、実は良く理解できていないんだが、大きな流れはこんなもんだろ。でも、何がどうしたのか続編がつくられて、なんとアッシが将軍役(?)で登場し、相手役の女性(彼女もスパイ役なのか?)は、売れない女優で裏方をしていた女性が抜擢されているという、伏線の回収もお見事。
というわけで、連ドラも大成功、サラームも彼女といい関係になって、大団円、というお話。
きっと、彼の地の人や、中東情勢に詳しい人が見たら、ククク、と笑うところがもっともっと多いんだろうけど、こちとらハンパな知識しかないので、笑いどころがそんなに多くなかったのが残念。この手の一般客には、分かりやすい解説も加味した字幕が必要だと思うけどな。
ところで、アッシが好きだという、なんとかいう食いものは、何なんだ?  (調べたらフムスは、ひよこ豆を茹で、潰したものらしい。
決算!忠臣蔵11/30109シネマズ木場シアター8監督/中村義洋脚本/中村義洋
allcinemaのあらすじは「18世紀初頭、江戸・元禄年間。赤穂藩藩主の浅野内匠頭は、江戸城内で幕府の重臣・吉良上野介に斬りかかるという刃傷沙汰を起こし、幕府より即日切腹と藩のお取り潰しという厳しい裁定が下る。筆頭家老の大石内蔵助は、幼なじみで勘定方の矢頭長助の力を借りて残務整理に追われる日々。そんな中、一部の藩士が仇討ちを口にして勝手な行動に出たり、討ち入りを期待する世間のプレッシャーも日増しに高まっていく。ところが、いざ討ち入りするにも相当のお金が必要なことが判明する一方、どうにか工面した予算800両(約9500万円)はみるみる減ってしまい、いよいよ追い詰められていく大石だったが…。」
Twitterへは「討ち入りを必要経費の面から描いていて、とても面白い。でも人物の交通整理がいまひとつな感じ。役職名称が字幕で最初に出るけど、あんなの覚えられない。ヅラをつけると顔も同じように見えるし。人物を絞るとか、もうちょい工夫が欲しかったかな。」
概ね面白かった。のだけれど、いかんせん登場人物が多すぎて交通整理が追いつかないところが随所に。しかも、ヅラをかぶっているせいで、演じている役者が分からない、区別がつきにくい、というところもあったりする。もちろん最初に登場したとき名前と役職が字幕で出るんだけど、そんなものは覚えられない。途中からは、人物の説明は端折り気味で、勢いで見ていく感じになってしまう。もちろんそれで、アバウト分かるし面白いんだけど、「なるほど」「おお」という部分が薄れてしまう。
たとえば、江戸の知り合いの坊主に行かない地元の坊主を遊郭で見つけ、責めると、なんとか大学が閉門、とかいう。その大学とは誰なのか? 忠臣蔵オタクなら言わずもがななんだろうけど、知らん人の方が多いと思うぞ(えー、調べたら、内匠頭の弟らしい)。で、坊主を薦めた連中のところに行くんだが、あの連中は、後にどうなったのか? もちろん討ち入りには参加しなかったんだろうけど。
「何とか様は?」「いなくなった」みたいな会話があって、その何とか様は、西川きよしがやってた重役だろうと想像はつくのだけれど、やはりそこは1カット挿入して欲しい感じ。
赤穂藩でも、討ち入り派と、そうでない連中がいるのは分かるんだけど、その線引き(人物で、ね)もしにくい。なにせ、すぐ忘れちゃうから。色んなものごとを費用として字幕で見せるぐらいの映画なんだから、思い切って「討ち入り派」「お家再興派」「どっちつかず派」なんかのマークでも使って、人物の頭の上にふわふわさせて欲しいぐらいだ。どっちつかずの代表の大石内蔵助なんか、メーターでも添えて、なにかのたびに心が揺れる心を数字化しちゃうとかしても、よかったんじゃないのか。
その大石。最初はお家再興を考えていたのか? でも、京都・山科で女遊びしていた頃も、まだ討ち入り派ではなかったような描き方。えー。そうだったの? 討ち入りの意志を隠すための遊興三昧かと思ってたんだけどな。その大石がはっきり討ち入り派になったのは、矢頭長助の死に関係するような描き方をしている。矢頭右衛門七の名前は知ってたけど、その父親なのか。知らなかった。で、映画ではお家再興を願う親戚の放った刺客に殺された、ということになっている(史実では病死らしいが)。その親戚というのが、よく分からないのだよね。
といった案配で、もともとの資産がどんどん減っていく様子は面白く、そもそも内蔵助はちゃらい感じで妾が4人もいて、もともと女好きの遊び好き。討ち入りは、最初からではなく、途中から勢いで、な感じも、ふーん、な感じ。最初から討ち入りを主張していた一団からしたら、こういうリーダーに従うことについて、どういう気持ちなのかなあ、と思ったぐらい。
いちばん金がかかると思っていた討ち入りの武器や装束のところで、数字が行ったり来たりするのも面白い。そして、討ち入り装束は、もともと藩主内匠頭の火消しオタクから来ていて、ひとそろいすでに作ってあった、というのもおかしい。もちろん、どこまで真実か分からないけどね。
あと、気になったのは、内匠頭の奥方の瑤泉院で、お家取り潰しになって以降、どういう暮らし向きだったのか知らないけど、結構な屋敷に住んでいるようなのが不思議だった。もっと質素かと思ったのに。
まあ。細かなところまでちゃんと説明しろというのは無理難題だろうけど、あともう少しで傑作になったのになあ、という気分だったりするのだよね。もったいない。
ムダにカメラが揺れる場面があって、手持ちの意図的なのかも知れないけど、目がまわるだけ。やめた方が良かった。

 
 

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