2020年1月

THE UPSIDE/最強のふたり1/7シネ・リーブル池袋シアター1監督/ニール・バーガー脚本/ジョン・ハートメア
原題は“The Upside”。allcinemaのあらすじは「スラム街出身で求職中の男デル。深い考えもなしに、全身麻痺の大富豪フィリップの介護人の採用面接にやって来る。フィリップはハンディキャップのある自分に対しても遠慮のない態度で接するお調子者のデルを気に入り、秘書イヴォンヌの反対を押し切って採用してしまう。案の定、介護の経験もなく、生活習慣もまるで違うデルは、次から次へと失敗やトラブルを重ねていくのだったが…。」
Twitterへは「仏版オリジナル見てるけど、こちらもなかなか。シャワー、ペニス、オペラ、アートコレクション、素人画家・・・と、見どころ多くて楽しい。でも、文通相手以降の展開が「?」で、いまいち消化不良なところも。」
仏版は、ほとんど覚えてない。リメイクには魅力を感じなかったんだけど、見たら、そこそこ面白かった。デルのキャラが、いかにも刹那的で脳天気、マイペースなアホで、こんなやつとはつきあいたくないタイプ。いかにもアメリカ的だ。仏版もこんなだったか? むしろ、黒人=アホというステレオタイプは、いまどき許されるのかとも思った。
そんなデルが、少しずつフィリップの介護に取り組み始める経緯は、とても自然。フィリップが呼吸困難になったとき真剣に対応しているのが、たとえ「死なれたら仕事がなくなる」からだとしても。
とはいえ、別居して息子と会えないことをフィリップに嘆き、「身から出た錆」といわれて激高するのは、やっぱアホだよね。いろんなもの壊しちゃうし。でも、フィリップもその威勢につられ、自分のストレスをデルに解消させるためか、部屋にあるモロモロを壊させるのが不思議だけど面白い。とくに、気に入ってなかったという牛の置物と、絵を一枚、壊させる。好みではなく、誰かにもらったものなのかな?
テンポ良く進むんだけど、文通相手の件から、いまいちスッキリしなくなる。文通は1年ほど前かららしいけど、最初の頃は手紙を読まずに捨てていた、よね。それが、のちに読むようになった、のか? で、それを見てデルが、「顔を見たいだろ? フツーは検索する。手紙に電話番号がある」と、フィリップが嫌がってるのに勝手に電話して、デートの運びとなるのだけれど、デルのこういう強引さは嫌いだよ。他人の指示は嫌がるくせに、万事、マイペース。やだねー。
フィリップと文通相手の女性と2人だけになって進む会話が、いまいちよく分からない。彼女は、フィリップがこぼして胸についたのに、「何かついてる?」「いいえ」とはぐらかす。自分のことを知っていたか? については、知っていた、と応える。他に、セラピストが何とかかんとか言ってた、とかいう話もしていた。もやもや、歯切れの悪い会話がつづき、フィリップが「帰る」と突然言い、車椅子を動かして、周囲のテーブルにぶつかりまくる、という展開。あれは、なんなんだ? 自分の資産を狙って接触した、と気づいたのか? でも、彼女のどのセリフでそう感じたのか? もろもろ、分からない。ところで、文通相手役はジュリアナ・マルグリーズで、『ER』のキャロル・ハサウェイもこうなっちゃったか、な感じ。眼が、変だ。
君がムリやり電話するからだ、とデルに言うのは分かる。けれど、いきなりデルを首にして、その後、イヴォンヌも出て行ってしまい・・・という流れがスッキリしない。理学療法士の女性が、車椅子製造会社で職を得たらしい(どうやって?!)デルのところにきて、なんとかしてくれと言うので出向くと、ヒゲが伸び放題。そのフィリップをクルマに乗せてパトカーとチェイスすると、フィリップの機嫌が直り、次は、フィリップが、パラグライダーに挑むシーン。デルも、いやだ、といいつつ飛ぶのだけれど、これですべてが解決、仲直り、みたいな流れが、理解できない。なので、いいペースで進んでいたのが、ここで尻すぼみな感じかな。
以上の、文通相手との会食以降のもやもやは、日本人には分からない何かがあるのか。字幕が悪いのか。※Webの感想を見ると、失礼な態度を取った、とか書かれているけど、いまいちピンとこないなあ。
ところで、秘書のイヴォンヌとフィリップは、最後まで思わせぶりなのは、まあ、映画だからだろうけど、いい感じのもやもやだ。・フィリップがパラグライダーの事故で首から下が不随になったのは分かった。しかし、妻が亡くなった原因が、明言されていない。一緒に飛んだ、らしいとは分かるけど。同じ事故で、妻は亡くなったと言うことか?
・デルの息子が宿題で漢字の書き取り? なんだ?
・タッチパネルと音声認識のシャワーに、デルが苦労するところが笑える。
・理学療法士の女性がおらず、デルが尿管を外し、取り付けるハメになって。なぜかデルはペニスという言葉を聞きたくない、というのはなんでなの? しかも、いじってたらフィリップが勃起したらしく、ここも笑えた。耳が性感帯、らしい。しかし、あんな太い管を尿道に通すのか? フツーなら、痛くてたまらんだろ。
・フィリップはオペラ好きで。2人で劇場行くんだけどデルが大騒ぎで周囲から顰蹙。どうなるかと思ったら、最後は女性テノールに大拍手! オペラ好きになってしまった理由が、良く分からんけど、いいか。
・フィリップはアートコレクターで、部屋は美術館のような感じ。画廊で作品を買う場面も会ったり。興味深い。
・こんな絵なら自分でも描ける、と絵を描き始めるデル。完成披露は、トゥオンブリーを外して自分の絵を掛けてみせる! ドーベルマンの絵はなかなかで、屋敷で働く面々が感心したような雰囲気。しかも、フィリップの誕生パーティでこの絵を見た階下の住人が「バスキア?」とか妙に感心し、後に5万ドルで売れてしまうという! しかし、この5万ドルを元手に、あんな家が買えるのか? 頭金? ローンが残るじゃないか。大丈夫か?
・文通相手とはどこで知り合ったんだ?
この世界の(さらにいくつもの)片隅に1/10テアトル新宿監督/片渕須直脚本/片渕須直
allcinemaのあらすじは「1944年(昭和19年)2月。広島市から海軍の街・呉に嫁いできた18歳のすず。夫・周作とその家族に囲まれ、戸惑いながらも嫁としての仕事を一つひとつ覚えていく。戦況が悪化し、配給物資が次第に減っていく中でも、すずは様々な工夫を凝らして北條家の暮らしを懸命に守っていく。そんなある日、道に迷っていたところを助けられたのがきっかけで、遊女のリンと仲良くなっていくすずだったが…。」
Twitterへは「遊郭の場面、花見の場面、あとどこだら知らんが、30分ほど長尺になってるらしい。けど、空襲が激しくなるまでが、ムダに間延びしてるようにしか思えず少し退屈。その意味で、前作の方がまだマシかも。」
すずが広島に帰るという直前。義姉がすずに、娘が死んだのはあんたのせいだせめて悪かった、と謝る。それに応えて、すずが、いつまでもここに居させてください、という場面が少しグッと来た。あとは、ラストの、孤児を引き取る場面に、少し熱くなった。程度で、涙が・・・という場面はなし。
遊郭のリンと夫の関係は、ちゃんと説明がされているので、なるほど、であるが。これ、北川景子主演の実写版で描かれていたので、とくに驚きはない。というか、オリジナル版では故意に外したんだろうな、という思いしか感じられない。
ところで、夫がかつて女郎に入れあげ、理由は知らないが反対でもされたんだろう、それで女をあてがえば熱が冷めるだろうとでもいうところか、その女が自分であることを悟りながら、すずが、別に不満も憤りも見せていないところに、違和感と歯がゆさが感じられるのだがな。
周作がリンに入れ込み、嫁にしようとしたという経緯は、べつになくてもいいよね。周作がリンにやろうとした茶碗をいつまでも隠し持っていて、それを発見したすずが遊郭までもっていく(直接は渡せず)という話も、なんか腑に落ちない。むしろ、嫉妬して割るぐらいの方がいいような気がする。
すずの抵抗は、夜、周作の要求を消極的に避ける程度。その、交合場面の、すずの髪がたこ足のように広がった寝姿は、見たくなかった場面かな。義父が工場の空襲で被災して・・・。が、オリジナル版では呆気なく病院に見舞いの場面になっていて、なんなんだ? と思った記憶がある。今回版では、被災後の経緯が描かれているので、すんなり理解できた。でも、あそこまで丁寧にする必要があるのかな、とも思ったり。
総じて、追加部分はムダに丁寧に説明しているだけのような感じ。あるいは、前半から中盤にかけて、日常生活のエピソードをたくさん盛り込んだせいで、空襲までののんびり日常が長くなり、間延びしたように思えてしまう。緊張感が薄れた感じ。
義姉がどういう状況下にいるのか、が、最初良く分からず。娘を連れて家に戻り、しばらくして嫁ぎ先に戻り、また帰ってきて、「離縁した」という。なので、夫と別れたのかと思ったら、後半になって、経緯が説明される。どうも嫁ぎ先の夫が死に、夫の実家に移ったけど婚家に居づらくて戻ってきていたのか? なら、そういう話がハナからでていてもいいと思うんだが。で、「離縁」とは、嫁ぎ先との関係を解消した、ということなのか。それと、子供は2人いたような・・・。嫁ぎ先に1人置いてきたのか? さらに、すずの家の防空壕に使ったのは、義姉と夫が住んでいた家で、解体することになって、その材木を使った、というような話だったけど、どうやって運んだんだ? とかいう疑問も湧いたり。
兵隊と心中未遂で川に飛び込み風邪ひいて死んでしまった女郎も、とくにインパクトないし。
不思議なエピソードについては、解き明かしはない。橋の上の大男は、いったい何だったのか? 周作とすずの運命的な出会いは、すでにあった、と知らせたいのか? 実家の座敷童子 のエピソードは、オリジナルにあったっけか? でその座敷童子と広島で拾った孤児と、ともに縁はないけど世話をするというアナロジーは、だから何? な感じでもある。
エンドロール最後の、クラウドファンディングしてくれた人の名前がずらずらの下部に、口紅で描いたようなドローイングの絵が写るんだけど、結構、説明的で。あそこまで説明してしまう(解釈はあるだろうけど)必要は、なかったように思う。
EXIT1/10新宿武蔵野館3監督/イ・サングン脚本/イ・サングン
韓国映画。原題は“Exit”。allcinemaのあらすじは「ロッククライミングが趣味の冴えない無職の青年ヨンナム。70歳になる母の誕生日を祝うパーティ会場で、学生時代に想いを寄せていた山岳部の後輩ウィジュと数年ぶりの再会を果たし、一人で心躍らせていた。ところがその時、街では原因不明の有毒ガスが発生し、道行く人たちが次々と倒れる大事件が起こっていた。そして次第に上昇してくる有毒ガスがついに彼らにも迫ってきた。やがて取り残されてしまったヨンナムとウィジュは、ガスから逃れるべく、ロッククライミングの技術を駆使して、高層ビル群を上へ上へと登り始めるのだったが…。」
Twitterへは「韓国映画で、パニック、逃避もの。ツッコミどころ満載で、いまいち緊迫感なさすぎ。それ以上に、家族や親戚のムダな大騒ぎがうっとうしい。国民性もあるのかしら。」
冒頭から、一家のトンマな出来事がつづき、気の抜けたコメディの様相。有毒ガスを積んだトラックがくるのはだいぶたってからで、運転手が栓を開いてガスが・・・という流れ。この手の話の場合、最初に男が毒ガスの手配をしている場面があり、つづいて家族の様子、変わって都会に向けて走るトラック…てな感じに並行して描き、ザワザワ感をかもしだすのが定席だと思う。けど、この映画は犯人についてはあまり描写しない。そのせいか、緊迫感に欠ける展開になっていると思う。
主人公は就活に失敗つづきの肉体派。どうも、かつての想い人が式場に勤めているのを知り、遠いけれどそこに予約し、上手いこと再会したはいいけど事件が、な流れな感じ。しかも、彼女はかつてボルタリングの試合でヨンナムを負かしたことがことがあるようだ。なのに、この映画では、登ったり飛んだりはヨンナムばかりで、後輩の彼女はさっぱり。これって変だろ。イザというとき、またしてもヨンナムがヘマし、それを彼女が助けるぐらいの場面があってもいいと思うけどね。
最初、ヨンナムは式場ビルの屋上に向かう。タテ移動だ。そこで親戚などの大半がヘリに救助され、ヨンナムとウィジュの2人が残される。救助隊は2人が残っているのを知ってるんだから、助けに来るはず。なのに2人はビルを移動する。それは、するべきではないのではないのかね。救助が遅ければ、携帯で連絡すればいい。自分の携帯を落としたような場面もあったけど、屋上時点では家族親戚も一緒だったんだから、誰かから借りればいいのだから。なんか、ムリやり逃避劇をつくってるだけに見える。
それと、最初の式場ビル。もしフロアに防火扉があるなら、それを閉めるのが先ではないのか?
移動したことにより、今度はヨコ移動になる。でも、式場ビルよりはるかに低いビルを移動しているように見える。それに、いまどきのビルは、屋上から屋上への移動なんて、そんな簡単にできないと思うぞ。
でまあ、ラスト。クレーンのあるところに移動しようとロープをかけるんだけど、ぶら下がった2人は途中で宙づりになったんじゃないの? なのに、次の場面ではクレーンにの上の方にいて、そこから手を振っている。おい。どうやってクレーンに移れたんだよ。
途中から、2人の移動をドローンで中継されるんだけど。もしかしてドローンがたくさんやってきて、ドローンに吊られて脱出、かと思ったら、そうじゃなかった。残念。とはいえ、ドローンなら位置も把握できるんだから、さっさとヘリで救出に行けよ、と思ったり。
で、苦労を共にした2人は、これからうまく行くのかしら? というか、ヨンナムのところに、誰か仕事をくれたりしないのかしら。そのあたりも、ほのめかしてくれたらいいのにね。
パラサイト 半地下の家族1/16TOHOシネマズ上野シアター3監督/ポン・ジュノ脚本/ポン・ジュノ、ハン・チンウォン
韓国映画。allcinemaのあらすじは「失業中の父親キム・ギテクとその妻チュンスク、そして大学受験に失敗続きの息子ギウと美大を目指す娘のギジョンの4人が暮らしているのは半地下の薄暗い貧乏アパート。しがない内職で糊口を凌ぐ日々だったが、ある日ギウのもとに家庭教師の話が舞い込む。エリート大学生の友人から留学中の代役を頼まれたのだ。さっそくギウは経歴を偽り、IT企業の社長パク・ドンイクとその家族が暮らす高台の大豪邸へとやって来る。すぐに家族の信頼を得たギウは、今度は言葉巧みに妹のギジョンを美術の家庭教師として家族に紹介し、パク家に招き入れることに成功する。こうして少しずつパク家の中に自分たちの居場所を確保していくキム一家だったが…。」
Twitterへは「おお。そういうことか。じわじわ。・・・。え、そうなるの!? うーむ。・・・。な感じ。」
話題の映画。最初はテンポがノロく、なんだこれ? だったけど、家族の面々が豪邸の家庭教師、家政婦、運転手・・・という具合に入り込むにつれて、「パラサイト」の意味が分かってきて、おおなるほど。なんだけど、後半、豪邸家族が息子のキャンプに行ったあたりから話が別の方に転がり始め、最後のパーティの場面では殺人に発展するという荒っぽさで、うーむ、な感じ。静かにブキミに、じわじわ終わって欲しい気がしたのだよね。でもまあ、分かりやすさと面白さは、現状の方かも知れないけど。
キャンプの夜、キム家の面々が居間で飲んだり食ったり。なことしてたら痕跡が残るだろうに、と思ってしまうのだが。別の方向から事件に発展。何と、追い出したはずの元家政婦がやってきて、実は地下で亭主を養っていた、という。地下室のまた下にシェルターがあり、元家政婦夫婦がすでに寄生したいたというゾクゾク感。とうぜんいざこざに発展し、母親が元家政婦を蹴り落とし、脳しんとう(後に死亡)。元家政婦亭主は、そのままシェルターに拘束軟禁。このあたりは『黒い家』が連想される。
というところに、キャンプを中止して豪邸家族が帰宅すると電話で、あたふた。息子は庭でテント。夫婦は居間でいちゃいちゃ。テーブルの下に、夫と妻と、娘? だったかな。息子も? 夫婦が寝た後、なんとか脱出するけど、外は豪雨。このあたりは、『台風クラブ』の異常さを連想した。
で、翌日は豪邸で客を呼んでパーティ。キム家の4人も参加するんだけど、地下の元家政婦亭主が脱出し、
・元家政婦の亭主が、キム息子を石で殴る。
・元家政婦の亭主が、キム娘をナイフで刺殺。
・それを見てキム妻が、元家政婦の亭主をバーベキューの串で刺殺。
・次にキム父親が、豪邸主人を刺殺。 主人が、元家政婦の亭主の臭いに顔をしかめたのを見て、自分に対してした行為と同じ、と感じたから、なのかな。
・キム息子は、頭を手術したが、後に、元に戻った、ようだ。
キム息子のナレーションがあり、嫌疑は不法侵入その他モロモロ、の最後に、傷害致死でも執行猶予になった、と言ってたのは母親のことか。
この間にキム父親はシェルターに逃げ込み、逮捕はされず。ずっと、誰が面倒をみていたのか?
ラスト直前の、キム息子があの屋敷を買い、父親がシェルターから出てくる、は息子の妄想だろう。つまり実際は、キム父親はシェルターで餓死しているのかな?
巷間いわれているように、監督自身も言っているようだけど、韓国内の格差社会が背景にあるんだろう。とはいえ、黒沢の『天国と地獄』がすでにあるので、別に珍しくもない。そうしたことを意識させつつ、コメディホラーサスペンスに仕上げているところが面白い。
キム一家が住んでいるのは、半地下の家。便器が地面と同じ高さにあって、家の中では腰ぐらいの高さになる。後半、大雨で家が水浸しになったとき、便器から汚水があふれ、その上でキム娘がケータイを打ってたんだっけか。なかなかシュール。豪邸のシェルターは地下三階ぐらいだけど、高台にあるので、そこですらキム一家の家より上にあるはず。夜は酔っぱらいが近所で立ち小便をするほどで、場末の汚物のたまりそうな場所だ。そこに、這い上がりたくても上がれない4人が暮らしている。彼らはスキルが無いわけではない。一般教養や特殊技能、詐欺的才覚は長けている。にもかかわらず仕事がない。これは、韓国の現状を表しているのかな。
臭いが重要な要素になっている。最初に気づくのは豪邸の少年で、キム息子のあとから寄生したチム父親、母親、娘ともに、同じ臭いがする、と簡単に嗅ぎ当てる。といっても、その裏の事実までは感づかないのだけれど。もっと強烈なのは、キム父親に対する豪邸夫婦の反応で、ともに「臭い」と顔をしかめる。ゴミだめに住むオヤジにしみ込んだ貧乏人の臭いは、どうやっても抜けないのか。
同じ反応を、ラスト近くのパーティに乱入した元家政婦の亭主に対してもして、それを見たキム父親はとっさに豪邸主人を刺殺する。それで主人を刺殺? なんかなあとは思うけど、虐げられ、蔑まれたオッサンの、反射的な対応なのだろうか。
そして、水。日頃から立ち小便をかけられる。その小便野郎にかけるのは水。キム息子が友人からもらうのは水石。キャンプの夜の雨。瀧のような階段。洪水。あふれる水。半地下の家は水浸し。トイレから汚水が吹き上がる。そういえば、パーティの日、息子は水石を持って地下に向かったんだけど、あれはなんで?  でも石を落として元家政婦の亭主に気づかれ、逆にその水石で殴られるのはアホすぎ。
モールス信号も登場する。シェルターに軟禁された元家政婦の亭主が、頭をスイッチに打ち付け、室内の灯りを点滅させるのだけれど、気づいたのは豪邸少年だけだったかな。彼はボーイスカウトやってて知ってた、はず。その豪邸少年は、キャンプが中止になったからなのか、庭にテントを張ってしばらく遊ぶ。そのテントはインディアンのテント。彼はインディアン大好き少年で、家の中でも弓矢で遊んだりする。インディアンは、白人に土地を奪われ命を奪われ、居留地に隔離された存在。そんなインディアンが好きなのは、昔の西部劇のせいなのか? 豪邸少年が騎兵隊側なら分かるんだけど、なんでインディアン側なの?
元家政婦が結核を理由に解雇される件は少し無理があるかな。奥様が「あなたは結核だから」と言ったなら、元家政婦は事実ではないし、桃のアレルギーを証明することで反論できる。もし理由をあきらかにしていないのだったら、それに対しても反論できるはず。
キム妻が、北の放送の物真似するのが、笑える。日常的なんだろう。でも、あんな場面を映画で観たのは初めて。北を怒らせないように、気を使っているのかね、日頃は。
豪雨で、キム一家は体育館に避難した模様。翌日、古着が支給されてはいたけど、3人は風呂に入ったのか? そうとう臭かったんじゃないのかな。
冒頭で、近所のWi-Fiが入らず、ネットが使えない、とかぼやいていて。カカオトークがどうのといっていたけど、何なの? 調べたら韓国のSNSらしい。分からんよ、そんなの。
※追記(2020.02.11)。米国アカデミーで作品賞、監督賞、脚本賞、外国語映画賞をかっさらった。改めていろいろ考えての読みを。まず、シェルターのある豪邸を青瓦台に喩えると、主人は文在寅大統領で、そこにはすでに北の工作員が潜入し、あやつられているよ、という政府批判になっている。さらに、パーティで主人が殺害され、家は家主を失う。主が次々と変わる青瓦台にも似ている。
家政婦が前の主人のときから同じというのは、大統領官邸も同じだろう。運転手も同じだったかは定かではないけれど。で、使用人あるいは部下どうしで抗争し合い、利権に預かろうとしているのは、大統領官邸と似ているように思う。
日本関係では、水石。これは中国から日本に伝来の文化で、日本で花開いて韓国にも普及しているらしい。日本文化の象徴である水石を息子は友人からもらう。そのおかげで一家が豪邸に寄生できるのだけれど、豪雨によって半地下の家は水没。翌日、息子は水石を手に豪邸に行き、元家政婦の夫を殺害しようとし、失敗。逆に、元家政婦夫に水石でボコボコにされる。元家政婦やその夫は、韓国歴代の大統領に寄生する関係者にも見える。水石は、たとえばロッテのような、日本で地位を成した企業の、韓国へのリターンにも見て取れそう。
元家政婦は、桃アレルギーだという。韓国の桃は、日本原産という話もある。日本のものは何でも嫌い、という風潮が、あてはまらないか? そういう考えをもつスタッフが、官邸にいる、と。
息子の西部劇かぶれ、とくにインディアンへの興味は、アメリカ人による先住民族の虐殺をどうしても連想してしまう。アメリカに支配されている韓国の現状・・・。
事件が終わって、主を失った豪邸=大統領官邸。長い期間を経て、息子が買った? 買えるほどの収入は得られないと思うんだけど、もしかしたら口八丁で資金を稼いだのかも知れない。で、手に入れて、地下のシェルターで隠れていた父親が出てくる。というのは、潜り込んでいた工作員出のスタッフが、ついに韓国のトップに登りつめる、とも読める。
などと、メタファーがいろいろ埋め込まれているような気もしないでもない。
※追記(2020.03.16)。その後、どこかで、半地下の家が水没したとき水石が浮いていて、あれはニセモノである、と書いているのを読んだ。そうだったっけ。見返してないので分からないけど、そうであるとすると、どうなるか。本来は日本由来の文化を有り難がっていたけれど、その文化自体がニセモノだった、ということになる。では、日本文化がニセモノか、というと、そうではないだろう。水石を有り難がり、自分の国でも同じようなモノをつくりあげてきたけれど、それがニセモノだった、と読む方が理に叶っているように思う。自国の文化を大切にせず、日本文化もどきを有り難がってきた人(息子の友人)=韓国民に対する皮肉と読めるように思う。
フィッシャーマンズ・ソング コーンウォールから愛をこめて1/16ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/クリス・フォギン脚本/Piers Ashworth 、Meg Leonard 、Nick Moorcroft
イギリス映画。原題は“Fisherman's Friends”。allcinemaのあらすじは「イギリス南西部コーンウォール地方の小さな港町、ポート・アイザック。仲間たちとここを訪れていた音楽マネージャーのダニーは、人前で舟歌を披露する漁師の合唱グループ“フィッシャーマンズ・フレンズ”を偶然見かける。すると上司から、彼らと契約するよう命じられ、一人で町に残るハメに。気乗りしないながらも、さっそくグループに契約を持ち掛けるダニー。しかしリーダーのジムをはじめ10名のメンバーたちは、よそ者であるダニーの話をまともに取り合ってはくれなかった。そこでダニーは、ジムの娘でシングルマザーのオーウェンが経営する民宿に泊まり込み、本腰を入れて彼らの説得に乗り出すのだったが…。」
Twitterへは「テンポよく、話も爽快。ヒロインのタペンス・ミドルトンがチャーミングで、その娘役の子もかわいい。しかし、上司やエライ人がみな黒人なんだな、イギリス。」
実話らしいけど、あり得ない連中が凄いことをやらかす、という、よくある設定で、結末もそこそこ想像できるから意外性はない。のだけれど、主人公のダニーを演ずるダニエル・メイズがコメディ顔のぶ男で、ヒロインのオーウェンを演ずるタペンス・ミドルトンが素朴な美女なところが意外性?
しかし、ダニーの会社は、製作会社ではないのか? プロデューサーが集まっているような会社? その上司が黒人で、上司部下4人で港町に行き、上司がダニーをからかって、漁師達と契約しろ、と。で、そのままダニーを置いて帰ってしまう。なんてサイテーな上司・同僚なことよ。でもダニーは本気で漁師たちの歌に惚れ、契約まで交わしてしまう。のだけれど、港町の屋外で録音したとき使っていたミキサーは、ありゃどっから持ってきたんだ? いったんロンドンに帰ったようには見えないが。という突っ込みを入れたい。
でまあ、契約したよ、プロモーション用の録音もしたよ、と連絡すると、黒人上司が「ありゃ、ホラだ」と。ひどいもんだ。でも、漁師たちに入れ込み、はたまた宿の未亡人に惚れたこともあってか、「売れる!」との信念から会社を辞め、れこれ手筈を整えるダニエルがぶ男だけどカッコイイ。そんなダニエルに、オーウェンも惚れてしまうところが、映画だよ。ははは。
・とはいえ、地元の人たちの血縁関係とか家族関係がよく分からいままつづくので、ちょっとなあ、という気もした。始めのうちにちゃんと説明しておくと、もっとすんなり理解できたんじゃないのかな。
・地元の連中と敵対する連中がいて、それがどういう理由かは分からないけど、オーウェンはそのうちの1人と結婚し、別れた様子。娘との約束も守れないような元亭主なので、どんなやつかと思っていたんだけど、最後までとうとう登場せず。残念。
・経営に苦慮していた地元のパブ。ダニエルはその売却の仲介をしたんだけど、売った相手が悪名高い買収屋?だったのかな。そのことでも、ダニエルは漁師たち、オーウェンにも非難されてしまう。そこでなんと、ダニエルが、その買収屋と話して買い戻した、ということなんだけど。じゃあ、売った代金より高いはずだよな。そんな資金を、ダニエルはもってたの? なら、最初から彼が資金援助すりゃよかったのに、とか思ってしまう。
・漁師たちの、アルバム発売に際して契約金が100万ポンド=1億4千万円だったかな。それを10人以上で分けるんだから、そこそこかね。いまでも、現実のフィッシャーマンズ・フレンズはアルバムを出して利益を得ているのかな。気になる。
・会話の中に、「スティーブジョブズの罪」「レザボア・フィッシャーマン・ドックスかよ」とか、現代的エピソードが散りばめられているのも、楽しいかも。
嵐電1/20キネカ大森2監督/鈴木卓爾脚本/浅利宏、鈴木卓爾
公式HPのあらすじは「太秦撮影所の近くのカフェで働く小倉嘉子は、撮影所にランチを届けた折、俳優の京都弁の指導をする事になり、東京から来たそれほど有名ではない俳優・吉田譜雨と台詞の読み合わせを行う。初めて演技を経験する嘉子は、譜雨と擬似的な男女関係を演じる過程で、自分でも気づかないうちに譜雨に魅かれていく。嘉子は譜雨からの、一緒に嵐電に乗って嵐山の河原で台詞の指導をして欲しいという名目のデートを受け入れる。嵐電の街に紛れ込んで、まるで出られなくなったような三組の男女の恋と愛の運命が、互いに共振を起すように進んで行く。京都の嵐電の街。鎌倉からやって来たノンフィクション作家の平岡衛星は、嵐電の走る線路のそばに部屋を借り、嵐電にまつわる不思議な話を集める取材を開始する。そこには、衛星と衛星の妻・斗麻子が、且つて嵐電の街で経験した出来事を呼び覚ます目的があった。京都に修学旅行で、青森からやって来た女子学生・北門南天は、嵐電の駅で、電車を8ミリカメラで撮影する地元の少年・子午線を見かける。「夕子さん電車」という京菓子のマスコットキャラクターをラッピングした電車を見たカップルは幸せになれるという都市伝説に導かれるように、南天は子午線に恋をするが、子午線は「俺は電車だけやねん」と南天に目もくれない。だが、南天は自身の運命を信じるように、修学旅行の仲間も振り切って、子午線に突き進む。 」
Twitterへは「始めのうち洒落た感じでミステリアスで面白そう、だったのが。次第に狐狸妖怪都市伝説的お笑いファンタジー色が濃くなってきて。現実の体験が映画の時間に入り込み、最後は訳分からん感じ。不思議要素で攪乱するのは80年代まででしまいにしてくれ。」
最初のうちは話もフツーで、少しミステリアスで、なかなかいい感じだったんだけど、井浦新が1人で京都の部屋にいる場面で、カメラが移動すると横に妻が寝ていて過去に引き戻される、という場面転換がされたり、嵐電が狸と狐の乗務員(漫才?)が乗る不思議電車になったり(都市伝説ファンタジー的な要素?)、修学旅行で来ていてでもそこにはいないはずの友人たちが影のように現れたり、修学旅行できていた少女からもう1人の自分が離脱して倒れ込み、影の友人たちが般若心経の書かれた帷子をかけたりとか、妙に幻想的になりだして、中途半端に異様な雰囲気になっていく。むかしからこの手の目眩ましはあって、でもいまどき流行らないからやめてくれよな、な感じになってしまった。フツーに撮ってくれて、それでよかったのに。
カフェの店員と役者の話が、一番興味を持って見られた。とはいえ、娘の性格態度がイマイチ謎で、思うようには進んでくれない。「自分は人が苦手」といいつつ、出口を間違えた男(後から役者と分かるんだが)に自ら声をかけたりする。なのに、方言指導を頼まれると、私なんて、と言いつつも役者と迫真の演技を繰り広げたり。さらに、エキストラとして出演までしてしまう。で最後は、役者の次作に出演し、役者とキスまでしてしまう。どこが奥手なんだか。
最初のデートで、役者のシナリオをバッグに入れたままにしてしまい。役者は慌てて、娘の話していた駅へと向かう。なぜなら、携帯の連絡先を、娘は伝えなかったから。で、やっと出会えて、娘は「あなたは勝手に自分のしたいようにして、話のことなど考えていない。私は人が苦手で云々」言うんだけど、突然すぎ。というか、自分を主張できないようなことを言いつつ、娘だって、結構、わがままなことばかり言っている。な、挙句、役者が娘にキスするんだけど、素直に受け止める娘は何なのでしょう? しかも、役者はシナリオを取り戻すのを忘れるって、アホか。
シナリオを忘れるぐらいだから役者もいい加減で。2度目の方言指導といいつつ実質はデートの約束をししながら、でも、その日(多分翌日)娘が映画のスタッフに尋ねると、出番が終わったので帰京したという。なにそれ。
ラスト直前、次回作の現場で。ほぼ、あの時の駅前のやりとりがシナリオになっていて、場所は違えど同じような会話がつづく。違うのは、ここでは娘の方から役者にキスをする。あと、いくつか違いがあったけど忘れた。この映画を監督しているのは、役者が京都で出演していた映画の女助監督。あんな歳で監督できるとは思えないんだが、それは映画だから。さてでは、この映画のシナリオは誰が書いたのだ? 娘? 娘が監督に話した内容? ここまで来ると、話もどこまで現実なのか分からなくなって、どうでもいい気分になってくる。
それはさておき、娘の、世話をしなくてはならないという、おそらく病気の母親は、どうなったんだろうと、それが心配。
鉄オタと東北の女子高生のエピソードは、つまらない。ただし、電車と一緒に写真を撮ると結ばれる。狐狸の車掌に会うと、別れる。というような都市伝説は、高校生たちが流布している。ところで、京都に修学旅行の高校生が、ふらふら何日も京都の嵐電周辺をうろつくというのは、あり得ないだろうから嘘くさい。しかも、東北方面の高校生で、それが京都の撮り鉄?の生徒に恋をしたのか、まとわりついて、最後は京都に転校してしまうというのは、なんなんだ。
鉄道作家の話も、いまいちよく分からない。嵐電の取材といって嵐電の沿線にアパートを借り、駅にある喫茶店(映画用なんだろうけど)あたりをうろうろ。どうも過去に妻と訪れ、でもそのときは妻がぎっくり腰になってしまい・・・という過去があるらしい。その鉄道作家が、ある夜、嵐電に狐と狸の車掌を見る。ということは、夫婦は別れた? 妻は死んだ? と思っていたら、最後の最後で作家は東京に戻ったらしく、でも、そこにはちゃんと妻がいたりする。なんだかよく分からない。
という、なんだかよく分からない映画だった。
こはく1/20キネカ大森2監督/横尾初喜脚本/守口悠介
allcinemaのあらすじは「長崎で小さなガラス細工会社を切り盛りする35歳の広永亮太。会社は亮太が幼い頃に離婚した父が、借金とともに残していったものだった。父の記憶はおぼろげながら、亮太自身も離婚を経験し、2人の息子とはずっと会っていなかった。ある日、現在の妻・友里恵から妊娠を告げられ、父親になることへの不安がよぎる亮太。そんな中、仕事もせずにぶらぶらしている兄・章一が、街で父を見かけたと言い出し、2人で父を捜し始めるのだったが…。」
Twitterへは「40近い男があんなことをするか? とか、兄貴はかなり変じゃね? とか、他にもよく分からん場面が盛りだくさん。ムダが多く説明的でくどい脚本もイライラする。そもそも題名の“こはく”って、どういう意味だ? 遠藤久美子を正面からちゃんと写せよ! とか。」
ムダが多く説明的でくどい脚本で、見ていてウンザリ。そして気持ち悪い。とくに兄の存在が不気味すぎ。最後まで見て、なぜ題名が「こはく」なのか、分からず。なんなんだ、この映画。
兄は実家で仕事探しと言いつつぶらぶら。弟は家業を継いでいる。弟が5歳のとき父親が出奔。多額の借金で家業が傾いたはずなのに、現在もつづいている、その理由がよくわからない。古参の社員(石倉三郎)が取り仕切った? オーナーには母親が座ったのか? そんな気配はまるでなかったけど。
兄は父親の記憶があり、「捨てられた」意識が強い。弟は父の記憶もなく、「父親などいなくても子は育つ」考え方だったのに、いつのまにか兄弟で父親探しの旅というのはなぜなんだ? 弟は、どう考えが変わったのか?
父親にこだわる兄の影響なのか、実家に行き、「子供の写真はあるか?」と弟が母親(木内みどり)にたずねる。子供とは前妻との間にできた子供だが、ということは、自分では子供の写真を処分したということなのか? その弟が帰宅し、幼児の写真を何枚も見ている。その写真を現妻がにこやかに見るのだが、あの幼児は誰? 自分と前妻の子供?  なぜ実家でわざわざ子供の写真を見たんだ? 意味不明。
母親は病気? でも、しばらく後の検診では異常なし。それが突然倒れ、医師が「脳幹に腫瘍。覚悟してくれ」という。なんだそれ。だいたい、どういう倒れ方をしたのか? 誰が病院に連絡し、入院したのか? 酸素呼吸してたけど、フツーの病室、しかも、個室だったが、フツーないだろ、そういうの。しかも、兄弟が駆けつけると、フツーに話したりして。変じゃない?
結局母親は亡くなる。で、父親の秘密は、母親の葬儀で、元従業員の女が登場し、やっと少し分かる。女の実家が借金で、色仕掛けで社長である父親に迫り、金を出させ、一緒に逐電? その後、分かれた? なのに最近まで年賀状のやり取り? あり得ないだろ。その女が、母親の葬儀にやってくるなど、ありえない。「お母様にはお世話になったから」とは、よくいったものだ。
その元従業員の女が教えてくれた年賀状の住所を尋ねると、なんと、父親がいて、抱き合って再会なんだけど。これまた、アホか、な感じ。
人のどうも兄は、両親が別れる時、父親が「会いに行くor連れに行く」と言った父の言葉を信じて待っていた、らしい。でも離婚のとき、兄弟共に母親を選んだんだろ? そして兄は、自分がこうなった(仕事もせずにぶらぶら)のは、迎えに来なかった父親のせいだと思っている様子。アホか。
兄の奇行。場末のスナックに父を探しに入ったのにママを口説く。ヤクザ事務所みたいなところに入ると、探偵といって脅し、逆に威嚇されたじたじ。
兄の虚言癖。東京で芸能界で、と弟の会社の従業員に話しても、弟も、古株の石倉三郎も注意しない。病院では、自分は俳優だと看護婦に話している。明らかに頭がおかしい。それを、弟は注意もしない。
まあ、ツッコミどころだらけすぎて、変な映画である。もうやめよう。
ところで、弟には父親の記憶がない。だから、父親を思うとき、自分の顔しか思い浮かばない。それは、いい。思い浮かべる母親の顔まで、現妻にする必要はないだろ。変だ。
それと、35の弟と、その兄が、幼い時にほとんど背丈も同じというのは変。兄は最近、場末の路地で父を見たという。でも7、8歳の記憶で、現在の父親を確定するのは不可能だろ。
現妻役は遠藤久美子。なぜにあれほど、元妻や、元妻との間の子供に寛容なんだ? 変すぎる。
リチャード・ジュエル1/23ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/クリント・イーストウッド脚本/ビリー・レイ
原題は“Richard Jewell”。allcinemaのあらすじは「1996年、オリンピックが開催中のアトランタ。高齢の母と2人暮らしの不器用で実直な男リチャード・ジュエル。警備員をしていた彼は、多くの人でにぎわうイベント会場で不審なリュックを発見し、中身の爆発物に気づいたことで大惨事を未然に防いだ。マスコミはこぞって彼を英雄として報道するも、捜査に当たるFBIは次第に第一発見者のリチャードに疑いの目を向け始める。その動きを地元メディアが実名で報道したのをきっかけにマスコミ報道は過熱し、リチャードは全国民から激しいバッシングを受けるようになっていく。そんな窮地に陥ったリチャードを、息子の無実を信じる母親と弁護士のワトソンだけが懸命に支えていくのだったが…。」
Twitterへは「変人vsずさんなFBI&アホなマスコミ。白を黒とねじ伏せようとするFBIは、日本の検察の悪行に重なって、あの国でもこうなのね。弁護士秘書役のニナ・アリアンダがいい。」
冒頭、どこかの事務所でサプライのカートを押しているリチャード。そこに、激しく電話で怒鳴っているワトソン。相手は上院議員だったか、結構偉そうな人。なので、ワトソンは何者? だった。その後、地味な事務所にいる様子が映って、どうしたの? な感じ。身分が分かったのは、リチャードが警察から電した時で、ああ弁護士だったのか、と。その後の会話で、出会った時は中小企業庁にいた、ということがやっと分かった。もうちょっと早く身分とか、分かるといいと思うんだが。手抜きか。
最初のうち、リチャードの教条主義や権力への信奉、自らが裁きを下すことへの快感の過剰さに、とても嫌な感じが。内容はアバウト分かっていたので、こういう人種が疑われるのもむべなるかな、な感じで見ていた。とはいえ、彼の言うことが、たまたまイベント会場で的中し、マスコミに紹介されたり執筆依頼がきたり、ちょっとした有頂天。とはいえ、彼の目標は法執行官になることで、そんなに警官が好きなのか。やなやつ、な感じが。とはいえ威厳を保ちたい、というのではなく、すべての人にルールを思い知らせたい、というもので。世の中にはムダに厳格な人がいるものだ。
それが、FBIの、第一発見者が怪しい、これまでの同様の犯人とプロフィールが似ている、で容疑者になってしまう。のだけれど、根拠が薄弱なんだよな。なんの証拠もない。依頼された弁護士ワトソンが、犯人が予告電話をかけてきた公衆電話と現場の距離を測ると、移動はムリ、ということがすぐに分かってしまう。FBIは、この点について、覆す何の根拠も持っていない。それで、リチャードの友人を共犯者だろう、ということでひっぱって話を聞いたり、ムチャクチャだ。
最初、任意同行でリチャードを尋問したときも、供述調書? か何かにサインさせようと嘘を言ったり、その後にも、予告電話と同じ内容をリチャードに話させて録音したり、本来してはいけない手順で証拠集めをしたりする。こういう手口は、日本の警察や検察とまったく同じで、やれやれな感じ。日本だけが遅れている訳ではないのだな。
リチャードはFBIに対する協力も積極的で、何でも話そうとする。ワトソンが、何もしゃべるな、といっても、「言いたいことがある」とか、余計なことをペラペラしゃべる。FBIも、話せば分かる連中、と思っているんだろう。でも、先に話した書類へのサインは、引っかけにかからず、サインしなかった。おお、分かってるじゃん、と驚いた。軽々しくサインすると思ったのに。
という具合に、FBIの捜査とリチャード&ワトソンの対応が具体的に、じっくり描く様子は、なかなか。心がざわざわするぐらい迫ってくる。
マスコミの、スクープのためなら被疑者やその家族の人権なんて知ったことか的な態度も、とくに強調するわけでなく、淡々と描いて、でも迫ってくる。
ところで、地元新聞の女性記者がFBIの捜査担当に色仕掛けで迫り、リチャードを容疑者として捜査中、ということを聞き出したという話は、どこまで真実なのかね。これが創作だったら、新聞社と記者への誹謗中傷になってしまうんではないの。
全体に、ひしひしと迫ってはくる。とはいえ、リチャードは捜査対象者であって、任意で話を聞いている段階。まだ逮捕されていない。FBIは、いつ令状を取ろうと思っていたのか。あるいは、他にも容疑者はいたのか、なんてことが知りたいな。しかし、容疑者段階なのに、徹底的な家宅捜査がされるのだな。家の中から、すべてのモノを持ち去ったような雰囲気だったぞ。
「国家が有罪というときは、無罪」と断言する弁護士事務所の秘書がいい。なんとなく感じてはいたけど、ワトソンといい仲だったのね。ハッピー!
ラスト近く。6年後だったか。警官になってるリチャードをワトソンが訪ねてきて、彼に「ナディアは?」と聞き、その後エリック・エドルフがどうのというのが、よく分からなかった。ナディアは秘書か。調べたら、エリック・エドルフは真犯人で、2003年に逮捕されたらしい。パパッと交わされた会話で、字幕も分かりづらいと思う。
最後に字幕で、リチャードは44歳で死去。ワトソンは2児に恵まれ、とあるからナディアと結婚したんだろう。リチャードの母ボビは、育児に追われている、とか書かれていなかったか? 記憶違いか。
リチャードは、保安官のような仕事に就けて、若死にしたけど幸せだったのかもね。でも、彼のような法執行官にあれこれ指図されるのは、御免だな。
ラストレター1/27109シネマズ木場シアター1監督/岩井俊二脚本/岩井俊二
allcinemaのあらすじは「岸辺野裕里は姉・未咲の葬儀の場で、彼女の娘・鮎美から未咲宛てに届いた同窓会の案内と、未咲が鮎美に残した手紙の存在を告げられる。その後、姉の死を知らせるために向かった同窓会で、その姉と勘違いされてしまう裕里。戸惑う彼女は、そこで初恋の相手で今は小説家をしている乙坂鏡史郎と再会する。ひょんな成り行きから、姉のフリをしたまま鏡史郎と手紙のやり取りをするようになる裕里だったが…。」
Twitterへは「突っ込みどころが多く、しかもよく考えると悲惨な話を、爽やかに見せてしまう力量。郵便局がよろこぴそうな話でもあった。」
過去の姉妹と、現在の従弟同士を、広瀬すずと森七菜が演じて、爽やかな印象なんだけど。この映画に登場しないもう1人の主人公・遠野未咲のことを思うと、どうしたことかと思ってしまう。大学卒業後(?)、風来坊的な男・阿藤と駆け落ち同然に出奔し、子・鮎美をもうけるが阿藤のDVで母子ともに疲弊。鮎美が逃げ出し、その後、未咲も実家に逃げ帰ったのかな。その後、未咲は病気がちで入退院を繰り返し、最後は山中で自死、らしい。40代半ば? 映画は、その葬儀の日から始まるのだが、不幸のどん底の人生じゃん。駆け落ち相手の阿藤も途中登場するのだけれど、そういうドロドロしたところもありながら、全体を通すと人の不幸は感じられず、爽やかで生き生きした話に見えてしまう。はたして、それでいいのか? というか、未咲を不幸にしなければ、この話はつくれなかったのかな。ただ、なんとなく早死にした、という設定ではダメなのか?
あとは、いろいろ辻褄が合わないところが多くて、いちいち突っ込みを入れつつ見てしまう。間尺に合わない部分は、やっぱり気になるのだよ。
・まず、裕里が姉・未咲の代わりに同窓会にでかける、という話が、うーむ。そんなことする人はおらんだろ。しかも、姉と間違われるって、卒業後30年程度で、同級生の顔を忘れたりしないだろ。という時点で、ついていきにくい話になった。
・裕里がせっせと鏡史郎に手紙を書くのは不自然と思っていたら、高校時代、裕里は史郎が好きで、告白していた、と。それはうすうす感づいていた。けれど、未咲への手紙の配達を妹の裕里に託すというのは、男として無神経すぎる。こんな男のどこがいい、と思ってしまう。
・そもそも、鏡史郎が未咲を好きになったのは、顔かたちだよな。会話したりはしていないのだから。それが純愛? なんかなあ。
・裕里は鏡史郎の手紙を未咲に渡してない、というのはなんとなく感じたけど。それを史郎が知るのは、生徒会役員で史郎の同級生が風邪になり、代役で生徒会に出席することになったとき。「手紙、読んだ?」「え?」と未咲が応え、感づく。以前に、校内ですれ違ったりすれば、不自然さは感じられると思うがな。さて、その後、鏡史郎は裕里に直接「手紙を渡してなかったよね」と責める。と、裕里は「渡した」と返事し、史郎に封筒を渡す。でも中味は未咲の返事ではなく、裕里の史郎に対する告白と、つき合ってくれ、という願いの文面。そのなことを言える裕里の図太さも、うわあ、な感じ。ところで裕里は史郎の手紙を渡したのか、渡さなかったのか? 現在の鏡史郎が未咲の娘・鮎美に誘われ、彼女の家に行き、線香をあげたのちに、自著とともに手紙を見せられる。でも、その封筒には切手が貼ってあったぞ。裕里に託した手紙は、未咲の手に渡ったのか? さらに、見せられた手紙は、鮎美によれば、出版された小説と同じ内容という。小説は、大学時代の未咲のことだったはずなので、では、それはいつ書かれ送られたのか? 史郎は未咲とつき合っていた、と言っていたけど、それは大学時代? 卒業後も? そして、未咲が突然、先輩である阿藤と駆け落ち同然に行方をくらましたのは、いつなんだ? そのとき、鏡史郎からの手紙は、持っていかなかったよな。たぶん、実家で保管されていた? 後に、阿藤と別れて実家に戻ってから、なつかしそうに読んでいた、なのかな? というようなことが、もやもや。
・現在。裕里が一方的に史郎に手紙を書く。史郎は、実家に返事を書く。それを読んだ鮎美と裕里の娘・颯香は、鏡史郎に返事を書く。この時点で、鏡史郎のところには、書体の違う手紙が届くことになるはず。鮎美と颯香は、住所を書いているだろう。でも、裕里は、ある時期まで書かなかった。それが、義母の一件で義母の恩師と仲良くなり、その恩師の住所を差出人として鏡史郎への手紙に書く。この時点で、差出人の住所は2箇所になる。これを鏡史郎は不思議に思わなかったのか。また、手紙の内容が噛みあってないだろうことに疑問は抱かなかったのか。さらに、鏡史郎は恩師の住所に突然訪ねて来るのだが、未咲の実家に送った手紙には返事があったのだから、会いたければ実家を訪ねればいいのに、なぜに、恩師の家を訪ねたのか?
・それよりもっと根本的な疑問。鏡史郎は、同窓会の帰り、たしか未咲の死を知らされたんだよな。で、高校時代、裕里のことは眼中になかったのに、なぜいま、裕里に興味を抱いたのか? 未咲の、死にいたる経緯を知りたかったのか? でも、裕里からの情報がなくても阿藤の現住所にはたどり着けたはず。いまいちしっくりこない。観客に、「この2人が?」とミスリードさせるためか?
・鏡史郎が阿藤を責めると、「未咲の不幸は自分のせいかだろう。でも俺は未咲の人生に記憶として残った。お前は、何が残せた。しかも、そのせいでお前は一冊本が書けた」みたいなことを言う。ケンカになるのかと思ったら、そうはならず。ちょっと拍子抜け。まあ、ドロドロになるのを回避したのかも知れないが。
・地元をうろうろする鏡史郎。廃校になった元高校で、鮎美と颯香に出会い、未咲の実家へ。そこで、未咲が、自分の書いた小説の元原稿の手紙を大切に保存していたことを知って安堵なのか。でも、鏡史郎と未咲の付き合いがどの程度のものだったか分からないのが、これまたモヤモヤだ。阿藤は、自分の女を奪った仇、とみていいのか?
・てな訳で、昔の女=未咲にとらわれていた鏡史郎が、やっと次の小説を書けそうだ、というところで映画は終わるということは、この映画は鏡史郎の心の整理のつけ方だということになるのかね。
・で、思うに。未咲がアホだった、としかいいようがない。それが女の性なのかも知れないが。
・裕里の亭主は漫画家かよ。いまは地方在住でもやっていけるということか。
・家の中に犬を上げて飼うのは、生理的にダメだ。
・名刺に「小説家」と書くか? 笑っちゃったよ。
・裕里の母(水越けいこ! 面影がないよ!)が、なぜか裕里の家にやってきて、かつての恩師を訪ねる。英文の添削してもらってたというけど、恩師の家に口紅を忘れるというのは・・・。実際は、何か合ったのか。気になるねえ。
・鏡史郎は、やたら本にサインをせがまれる。阿藤の現在の女、鮎美、裕里。もう10年以上前に出版された本。まあ、まだ自分は小説家である、という気持ちを支えてくれたともいえるかも知れないけど・・・。・鏡史郎が、帰郷前に図書館勤めの裕里を訪ねるのだが、裕里がハイヒール履いていたのが不自然すぎ。
・バス停が、八乙女東。八乙女という地名は、仙台市にあるようだ。
・城が写ったけど、白石城というのが実際にあるみたい。
・思い出の高校は、仲多賀井(なかたがい)高校? なんだその名前。
9人の翻訳家 囚われたベストセラー1/30ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/レジス・ロワンサル脚本/レジス・ロワンサル、ダニエル・プレスリー、ロマン・コンパン
原題は“Les traducteurs”。翻訳者、のこと。allcinemaのあらすじは「世界的ベストセラー『デダリュス』3部作の完結編『死にたくなかった男』の出版権を獲得した出版社社長エリック・アングストロームは、世界同時出版することを大々的に発表する。さっそく各言語の翻訳者9人がフランスの豪邸に集められ、一斉に翻訳作業を始めることに。しかしそれは、情報流出を防止するため、携帯やPCなどの通信機器を没収された上、広大な地下室に監禁され、完全監視の中で行わなければならなかった。ところが、そんな厳重な漏洩対策が施されていたにもかかわらず、ある日ネットに作品の冒頭10ページが流出する。そしてアングストロームのもとには“24時間以内に500万ユーロを払わなければ、次の100ページも公開する”との脅迫メールが届く。ごく限られた者しか原稿にアクセスできないことから、翻訳者の中に犯人がいると確信し調査に乗り出すアングストロームだったが…。」
Twitterへは「大人向けかと思いきや、何人かが密室に軟禁され事件が・・・なコミック原作風で、意味不明のエピソードも多い。意外性も言うほどなかった。書籍の表紙かジム・ホーム&ビル・エバンスの「アンダーカレント」だったのは何なのかね。」
原作があるのか知らないけど、日本の漫画にありそうな設定で、いまいちハマらず。超ベストセラーというのも、いまどき誰も本なんか読まないよ、と思うし。わざわざ一箇所に集められ、そこで翻訳というのも説得力がない。さらに、集められた9人の紹介が簡単過ぎて、スケボー男、白いドレスの女、ギリシアの老人、丸坊主の女、中国人ぐらいしか最初は見分けがつかず。あと、男女2人ずつだけど、印象が薄い。それぞれの、思わせぶりな思惑もあまりなく、せいぜいが白いドレスの女が原稿を盗もうとしたとかプールに沈んでみたとか、その程度。あと、デンマーク人女性だったか、小説を書いている人がいて、エリックに罵倒され、のちに縊死するんだけど、意味分からん。それそれ、もっと丁寧に描けば印象も違ったかも。
プルーストの「失われた時を求めて」とか、その他、名作からの引用が各人のセリフにあるのも、たぶん意味があってのことかとは思うけど、知らんのでほとんどつたわらず。
で、正体の分からない小説家オスカル・ブラックが、簡単に登場し、エリックと打ち合わせしているのも、拍子抜け。そんな簡単に顔出ししていいのか? という気持ちがあったので、ラストのドンデンにも、やっぱりな、としか思えなかった。しかも、本来のオスカルがスケボー青年アレックスだ、というのも、意外性がなさ過ぎ。だって、半ばで彼がメインとなり、獄中のエリックと面会して2人きりで話す場面が多くなるからだ。
で、話は順に追っていくと。天才子供作家アレックスが小説を書く。近くの書店の主に原稿を渡す。書店主が自作ということにしてエリックに渡す。ベストセラーに、ということだ。アレックスは、なんで名前を出さなかったんだっけ。説明してたと思うけど、忘れた。
で、儲け主義に堕し、翻訳者を軟禁して、というのに反発。自らを翻訳者としてエリックに売り込み、9人のうちの1人になる。新作原稿は、自宅のMacから自動的にネット公開されるように仕組んでいて、エリックへの恐喝メール(公開を止めて欲しいなら8000万ユーロ(だっけか?)振り込めと。)とリンク。さらに、軟禁前に他の翻訳者何人かと共謀し、エリックから原稿を奪うというミッションを遂行。でも、自著なので奪う必要はなく、このミッションは狂言で、では、なんのためにこんなことをしたのかよく分からない。原稿強奪に参加しなかったのは、えーと、白いドレスの女とギリシア老人、あと、イタリア人だっけ? 覚えてないのだが、誰を選んで誰を外したのか、これまたよく分からず。強奪に参加したのが全員ならクリスティの「オリエント急行」なんだけど、そうはなってなかったよね。
恐喝メールのたびに支払いを拒否し、どんどんページが公開され、最後の最後で「支払う」といったエリックだけど、時はすでに遅し。原稿は公開され、8000万ユーロも送金。それ以前に、デーンマークのオバサンが縊死し、エリックが白うドレスの女を銃で撃ち、さらにエリックをも撃つけど、胸に入っていた「失われた時を求めて」に救われる、だっけ。これで女秘書や警備員にも愛想を尽かされ、逮捕されたのかな。このあたりの経緯は省略されてる感じ。
しかし、いくら出版社の経営がかかっているからといって、銃で撃つかな。それより、あんな場所に翻訳者を集める経費をつかって、ペイするのか? と思うと、アホくさくなってしまう。
刑務所の面会室で、アレックスはエリックに「自分がオスカル・ブラック」と正体を明かすのがラストのドンデンになるのかも知れないけど、やはりそうだったか的な感じしか受けない。早いうちからエリックとアレックスの面会シーンをもってきてしまうのもネタバレにつながっていて、構成がまずいと思う。
・ロシアの白いドレスの女にしても、なぜ原稿を早く見たがったのか、これまた意味不明。
・書店の火災は、スケボー青年の仕業? なんで?
・エリックの秘書役のサラ・ジロドーという女優が、美人じゃないけど存在感が気になる。・「オリエント急行」みたいな最初のオチ(みんなが犯人)と、作者はあの男、という次のオチとが重なっているのだけれど、いまいちスッキリ感がないかもね。
・ジム・ホール&ビル・エヴァンス「アンダーカレント」のジャケ写が本の表紙になっていたけど、なんか意味あるのか? 白いドレスの女がプールに沈み、小説の登場人物の気持ちになってみたとか言ってたけど、意味あるのか?
・音楽に、日本人の名前。三宅純らしい。

 
 

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