2020年2月

his2/3新宿武蔵野館2監督/今泉力哉脚本/アサダアツシ
allcinemaのあらすじは「ゲイだと知られることを恐れて東京の会社を辞め、静かな田舎町でひっそりと暮らしていた井川迅。そこへ突然、8年前に迅のもとから去っていった日比野渚が、6歳の娘・空を連れて現われる。居候させてほしいという渚に戸惑いつつも、一緒に暮らし始める3人。そんななか渚は、離婚協議中の妻と空の親権を巡って争っていることを打ち明けるのだったが…。」
Twitterへは「ほぼ満席。エモーショナルな話かと思ったら、ゲイの悩み相談室広報課のPR映画みたいな感じで、あれこれ説明的。後半は、そういう話になるのかよ的な違和感ありつつの、最後はなんとなく各方面に配慮しつつの着地で、なんかなあ。」
かつて同棲していたゲイカップルが、迅の就職を機に渚が身をひき、別離。渚はバイで女性と結婚し、娘もできるが、男と浮気。妻に告白したら離婚を切り出され、娘を連れて迅のもとに身を寄せる。迅は戸惑うが、心と身体が渚を欲し、ともに生活することを選択。渚の離婚調停はもつれ、妻が原告で裁判となるが、渚が折れて和解。妻が娘を育て、たまに渚が会うということになった模様。役場の娘が迅に恋したり、迅と渚の関係が噂になるが、迅は人々の前で堂々と告白。受け入れられる。というような流れで、悪人は出てこないし、争いも裁判を除いてでてこない。ゲイに降りかかる様々な問題をパターン化・類型化し、組み合わせ、物語が一丁上がりな感じ。ドラマが希薄なので眠くなった。
もっとロマンチックなラブストーリーにするとか、結ばれない関係に悩んで破綻するとか、やりようはあると思うんだが、あれこれ配慮した結果、無難すぎるところに落ち着いてしまったのかね。
・なぜ別れたのか。後半、迅が会社の同僚と飲んでいる場面で、上司らしいのが「おまえゲイなんだろ。やめた誰それが言ってたぞ」とか、みなの前でいうんだけど、おいおい。別れた理由を、辞めた同僚には話してるって、その辞めた同僚と迅はどういう関係なんだよ。
・離婚の調停といっていたのが、なんといきなり法廷場面。え? 民事の法廷は行ったことなくて、検事の横に原告が座ってるのに違和感あったんだけど、あれでいいみたいね。しかし、原告=渚の妻は、何を訴えたんだ? 親権? そういうのいきなり法廷での争いになるのか? 調停の経緯がないので、とても変な感じ。
・それと、検事と弁護士が、証言台の近くまででてきて責め立てるように話すんだけど、実際の裁判であんなのは、ないぞ。たぶん。
・で、裁判官が「ゲイが普通じゃない」と言い放つんだけど、そんな裁判官、いまどきいるのか? おらんだろ。
・猟師の源さんが亡くなり、通夜の席で渚に、「ゲイなんだろ」と話しかける地元民がいて。それを見てだったか、迅が「自分はゲイ。渚を愛してる」と告白するんだけど、通夜の席でそれはどうなんだ?
・迅は、河原で岩波の『審判』を読んでいたりする。カフカか。読んだことはない。だから、どういう話か知らない。
AI崩壊2/4109シネマズ木場シアター3監督/入江悠脚本/入江悠
allcinemaのあらすじは「2030年。日本では医療AI“のぞみ”が国民の個人情報と健康を完全に管理し、国民生活に欠かせないシステムとなっていた。開発者の桐生浩介はその功績が称えられることとなり、移住先の海外から娘とともに久々に日本に帰国する。ところがその直後、突如のぞみが暴走を開始し、国民の価値を選別して不要と判断された人々の殺戮を始めた。警察庁のサイバー犯罪対策課を指揮する桜庭誠は、暴走を桐生によるテロと断定し、逃亡を図った桐生を全国に張り巡らされたAI監視網で追い詰めていく。日本中がパニックとなる中、警察の執拗な追跡をかわしつつ、のぞみの暴走を食い止めるべく真相解明に奔走する桐生だったが…。」
Twitterへは「弱者切捨て、超監視社会、AI暴走・・・。現実にあり得そうなエピソード満載のサスペンスで面白かった。とはいえツッコミどころは豊富。日本映画特有の情緒的な部分はジャマだし、記者も機能していない。なにより、大沢たかおの超人ぶりに呆気!」
AIはいいものだ。ただし、いったんトラブルと危険だし、悪用されるととんでもないことになる、というような話で、表面的でチープなところもある。最後は国民を仕分けする国家保安法と、それを目論む次期総理、その意思を実行する警視庁理事官が行ったこと、で終わりにしてしまうのは安すぎる感じもする。とはいえ、AIにさせようとしているあれこれは現実にもあることだし、1企業がすべての情報を統括するのはヤバい。その1企業が国家だったら、どうする? というようなことも見えるので、絵空事とは思えないリアルも含まれている。
監視カメラの映像はもとより、個人のスマホのカメラも操れてしまい、顔認識で居所が即座に分かる、というのは、電子メールの内容ぐらい簡単に読める現実を思えば、できないことではない。で、その監視映像から逃れて東京からフェリーに乗って仙台まで逃走できた桐生は、超人的すぎるだろ。
国民の仕分けというのは、収入や年齢、健康状態を数値化し、これまでなら税金を投入しなければならない対象を見殺しにし、国家の支出を削減するというもの。日本は人口も減り、税収も伸びないので、こうしないと生き抜いていけないというのが理由で、理事官の岩田も信じ切っているのだが、それを支持する人間が存在するのか? 個人的にはいたとしても、組織としてあり得るか? というのも、最後、その意図を岩田が桐生に言うと、岩田の部下がまったく動揺しないことに「?」な感じ。人間らしい感情を持つ警官は、登場しないのか? ちょっと判で押した感じがいまいちだな。
ところでこの部下の中に女性が混じっていて、演じているのは芦名星らしい。でも、彼女、ほとんどセリフもなく、ただの人形として存在する。もったいない使い方だ。他に、HOPE社の秘書役で玉城ティナも登場するけど、彼女も人形的でつまらない。桐生の死んだ妻(松嶋菜々子)はやたら登場し、病床や海岸でお涙ちょうだい演技をするのだけれど、これなど日本映画の玉にきず。むしろ、HOPE社の代表になった妻の弟をもっと描くべきではないの? 彼は、実は、国民の仕分けに加担していた、のではと思っていたけど、そんなこともなく、最後はあっさりと死んでしまう。もったいない。
もったいない役者の使い方といえば、高嶋政宏もただいるだけ、余貴美子はさっさと死んでしまう、三浦友和はそこそこ機能するけど、助手役の広瀬アリス(とは気づかず・・・)は、合いの手を入れるだけ。HOPE社に疑惑の目を向ける記者など、最初と最後しか登場しないのに、最後では影のヒーロー的存在のように描かれる。まあ、原作をそのままというのはムリだろうけど、捨てるところは捨ててもよかったのではないのかね。
・フェリーから落ちた桐生を助けた漁師が、陽水の『夢の中へ』を歌っているのがおかしい。そうか。60前後なら、親しんだ曲なんだよなと。
・賀来賢人、岩田剛典とか、よく知らん役者がメインなので顔の区別がつかん。広瀬アリスも、気づかず、エンドクレジットで分かった。玉城ティナは、名前は見かけるけど、顔と一致してない。はは。芦名星は、まったく知らない。
・セリフが聞きづらいのは困ったもの。
・テーマ曲は、AIが歌ってた。エーアイの映画だから、アイが? 似たような別の曲があるような気がするんだけど、名前は分からない。
・AIのぞみが、ビジュアル優先で造形されているのは、アホか、な感じ。
前田建設ファンタジー営業部2/6シネ・リーブル池袋シアター1監督/英勉脚本/上田誠
allcinemaのあらすじは「2003年。大手ゼネコン前田建設工業の広報グループ。ある日、グループリーダーのアサガワは、マジンガーZの地下格納庫の建設工事を受注したという体裁で、具体的な見積もりを作成するプロジェクトを始動させる。最初は渋々参加していた若手社員のドイだったが、立ちはだかる数々の技術的問題を、各分野の専門家の協力を得て一つひとつ乗り越えていく中で、次第にプロジェクトにのめり込んでいく。やがてプロジェクトは会社の枠を超えて大きな広がりを見せていくのだったが…。」
Twitterへは「前田建設が現実に行っている、架空の受注に応える“たられば”広報活動を映画にしたものなんだが、これが面白いし、感動的なところもあってなかなか。」
まったくの創作でなく、現実の話らしい。前田建設の当該プロジェクトやWebサイトが話題になってるのは知らなかった。調べたらすでにいくつもの架空プロジェクトを手がけているらしく、書籍化もされているとか。ほー。すごいね。
で、ドラマの方は大幅にフィクションが盛り込まれているんだろうけど、大きなドラマもなく、淡々と社内事情が描かれていくだけなのに、とても面白い。プロジェクトメンバーのキャラが立ってるのがいいのかも。な、なかで、女性社員エモトと、取材先の土質担当ヤマダのエピソードと、若手ドイと機械担当のフワのエピソードが熱心に語られ、これまたオタク度が高くて楽しい。メンバーも、実はアニメオタクが混じっていて、のちのち分かっていくんだけど、そうだよなあ、この年代は、と思わせてくれる。少年時代の夢が、ここで結実してる面白さも大きいのかも。真面目な、他の部署の面々も、表面の反対意見とは別に相当熱心に考えてくれたり。もっとも熱いのは、リフトの横移動について社内では解決策が見つからず、取引先に相談してしまうという暴挙にでて、でも、それに応えてくれた企業があったというところ。ここは、じわりときたね。
おかしいのは、アニメ描写のいい加減さに、真面目に一喜一憂するところ。まあ、漫画とかアニメなんて、そんなものだろうけど、回によってはとんでもないことになっているのか、おかしい。
エモト役の岸井ゆきのは『愛がなんだ』の、とくに美人でもない娘というのもいい。オタクのチカダは、あ、『サマータイムマシンブルース』で最後に登場する子孫だ! 本多力ね。リーダーのアサガワが一本調子すぎるのはあるけど、まあ、いいだろ。
ところで、最後に登場した顔の青い男はだれ? 調べたら、『宇宙戦艦ヤマト』のデスラー総統らしい。知らんよ、読んでなかったから、そんなの。という向きは、観客として想定されておらんのか。 
しっかし、東映が、アニメの使用料を取らなかった、というのも、これまた驚きというか、すごいね。
セリフが聞きづらいのが残念。派手な音楽にかぶっているときは、なおさら聞きづらい。
幸福なラザロ2/18ギンレイホール監督/アリーチェ・ロルヴァケル脚本/アリーチェ・ロルヴァケル
イタリア映画。原題は“Lazzaro felice”。allcinemaのあらすじは「渓谷で外の世界と隔絶されたイタリアの小さな村。小作制度が廃止されていることを知らない村人たちは、領主の侯爵夫人によって小作人として搾取され続けながらも、それを疑問に思うことさえなく貧しい生活を送っていた。そんな村人の中に、ラザロという若い男がいた。何も欲しがらず、疑うことも怒ることもないお人好しのラザロは、村人たちから都合良く扱われ、様々な仕事を押しつけられていた。そんなある日、侯爵夫人の息子タンクレディが町からやって来る。やがてタンクレディが狂言誘拐を思いつき、ラザロはその計画を手伝わされるのだったが…。」
Twitterへは「シャマランの『ヴィレッジ』みたいな話かと見てたら時間の流れが異様にズレ始め、ファンタジックになっていく。宗教的なことは知らんが、キリスト教、狼、復活、許し、な感じの話なのか。尻上がりに面白くなっていった。」
最初は時代も分からず。でも公爵夫人の農園に小作人なので遡るのかと思いきや、夫人の家僕みたいな男や娘が携帯を使っている。「?」な感じで見てたら、息子のタンクレディの狂言誘拐がきっかけになり、家僕娘が警察に電話して、ヘリコプターがやってくる。これで、村が世間と隔絶したまま存在してることが発覚。おお。シャマランの『ヴィレッジ』かよ。までは淡々と不思議な感じ。ラザロは小作人たちからもこき使われているけど、働き者で不満もいとわず。知恵遅れか? というわけでもなさそう。ハンサムなのに、村の娘もちやほやしない。不思議な感じ・・・。で、ヘリの音に驚いて崖下に転落し、他の村人のように救出されることがなかった。のだけれど、しばらく後(に見える)、狼がやってきてラザロは気がつく。あんな高いところから転落して無傷?
そのラザロが公爵夫人邸に行くと泥棒が侵入中で、でも、素直すぎるラザロは泥棒の手助けまでする始末で、トラックに乗せてくれと頼むが無視される。ひとり、徒歩で街場へ・・・。で、強盗中の泥棒と再会し、彼らのねぐらに行くと、女性が「ラザロ!」と呼びかけてくる。村で、幼子(妹?)を連れていたアントニアだった。けど、役者が違うので、こちらの思考がずれる。ラザロの時間では数日。なのに、アントニアの時間では、数年以上。このズレは、のちにタンクレディと再会したときにもあって、公爵の息子はたっぷり肉のついた中年になっている。そうそう、街に来る途中に家僕男が労働者の手配師をしているのにも出くわしていた。こちらは、役者が変わっているのか、よく分からず。とにかく、ラザロの時間の流れよりも、現実の時間の流れの方が早い。いったい何なんだろう?
出会ったタンクレデイに昼食を招待され、一同が行くと妻(彼女は家僕娘?)が出てきて、タンクレディは顔を見せず、「招待なんかしていない」と追い出されてしまう。いまは没落し、安アパートに暮らしているらしいタンクレディ。いまは自分のものではないかつての領地を偽ってサギまがいのことをしたり、怪しい。けれど、当時からの愛犬が、当時のまま歳を取っていないのは、これはファンタジーなのか、同種の別犬か、わからんけど不思議。
ラザロはタンクレデイの「すべて銀行が悪い」という言葉をそのまま信じ、どこかの銀行に行って「土地をタンクレディに返してくれ」と頼むが、強盗と間違われ、客や警備に蹴り殺されてしまう。と、一匹の狼が、街から村を目指してなのか、静かに去って行く、というエンディングで、これはつまり、ファンタジーなのか。
ラザロの存在は、神的に見える。Wikipediaで調べるとラザロはイエスの友人で、「イエスによっていったん死より甦らされた。」「ラザロ蘇生の奇跡は、人類全体の罪をキリストが贖罪し、生に立ち返らせること(復活)の予兆として解釈されて来た。」とある。なるほど。そういえば、ラザロは山の上で羊を飼っていた。狼は、元は神の使いとされていたという話もある。こうした宗教的解釈をしていくと、少しは読み込めるのかも知れない。
アントニアや仲間たちは乞食同然の暮らしをしていて、現代社会についていけない様子。あの村に帰って暮らしたい、とも漏らす。このあたりは、文明の進化と、それについていけない人たちとの格差を表そうとしているのかも。
かつての農園では小作人たちを救い、現代社会でも元小作人だけでなく、タンクレディにまで無心で奉仕し、慈悲を与えようとする、無垢なラザロ。これは、キリスト教的な寓話と言うべきか。
ところでこの話、allcinemaによると「イタリアで1980年代に実際にあった詐欺事件をモチーフに」したという。そんなことがあったとはね。
存在のない子供たち2/18ギンレイホール監督/ナディーン・ラバキー脚本/ナディーン・ラバキー
レバノン/フランス映画。原題は“CAPHARNAUM”。カペナウム。聖書に登場する街らしい。allcinemaのあらすじは「ベイルートのスラム街に暮らすおよそ12歳の少年ゼイン。両親が出生届を出さなかったため、正確な誕生日も年齢も知らず、書類上は存在すらしていないという境遇に置かれていた。貧しい両親はそんなゼインを学校に通わせる気などさらさらなく、大家族を養うために一日中厳しい労働を強いていた。辛い毎日を送るゼインにとって、かわいい妹の存在が唯一の心の支えだった。ところがある日、その妹が大人の男と無理やり結婚させられてしまう。怒りと無力感に苛まれ、絶望したゼインは家を飛び出し、街を彷徨う。やがて赤ん坊を抱えたエチオピア人難民のラヒルと出会い、子守をすることを条件に彼女の家に住まわせてもらうゼインだったが…。」
Twitterへは「いまどきの社会派告発話だけど、背景がある限りつくりつづけられる類型。この映画では、まず個人の問題が大きく、それを許す国家にも瑕疵がある感じ。難民問題は、別にしてだけど。」
舞台がどこだか分からずに見始め、最初は、インド? いや中東だな、シリア? でも十字架が見える、てことはレバノン? と思いつつ、結果的に正解だった。
貧困家庭の少年ゼイン。出生届もない。妹は、大家の息子に嫁に行くことに? で、連れて逃げようとしたけど叶わず、単身街へ。遊園地で働くエチオア難民のラヒルと出会い、幼子の世話をする毎日・・・。でもラヒルが不法滞在で捕まり、幼子をつれて物乞いや盗み。仲介人に、出生証明書があればスウェーデンだったかに行けると聞き、自宅に戻るが妹の死を聞かされ、大人の亭主を刺して逮捕。牢獄からテレビのニュースショーに電話して、「自分を生んだ罪」で両親を告訴する、という話。
貧困とか子供が大切にされない、という現実がまだたくさん世界にはあるわけで、そういう状況下ではこれからもこの類の映画はつくられていくはず。その意味でとくに珍しくもない。主張が主張だけに人間がどこまで描けているかは別問題で、設定の方が前に出ている感じは否めない。国の事情があるから分かりにくく、正しく理解するには難しいかなと。
むしろ驚くのは、カルロス・ゴーンの出身国であるレバノンでもこうなの? な方が驚きかも。トラマドール
屋根裏の殺人鬼 フリッツ・ホンカ2/19ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ファティ・アキン脚本/ファティ・アキン
原題は“Der goldene Handschuh”。ゴールデングローブ、という意味らしい。登場する淫靡なバーの名前だな。allcinemaのあらすじは「1970年代、ハンブルク。安アパートの屋根裏に暮らす孤独な中年男、フリッツ・ホンカ。夜な夜なバーに繰り出しては酒をあおり、目を付けた女に声をかけるも、女たちは不細工なフリッツをまるで相手しない。それでもある日、酒につられて一人の中年女がフリッツの誘いに応じるのだったが…。」
Twitterへは「主人公も殺される女たちも生々しすぎてグロすぎ。並のホラーより怖いし不愉快だし気色悪さはなはだしい。」
いきなり死骸1の解体で、グロい。ホンカの顔も、鼻がひしゃげててグロい。日頃から行きつけのバーは歓楽街の、でも、すさんだ老男女のたまり場な感じ。いずれも容貌魁偉で、むかつく。な店で拾ったバアサン2を連れてきて、なんとことを始めようとする。で、台所から何か持ってきて突っ込んでたけど、あれはソーセージ? 
バアサン2は家に居付き、飯をつくったり和気あいあい。ホンカの弟もやってきて食事したり。でも、バーに連れていったら救世軍の女性がやってきて、ホンカが手の傷(自分でグラスを割った)の手当てをしてるまに、連れていかれてしまう。バアサン2は命を助かった。
次は、3婆を家に連れていこうとする。1人は途中で倒れ置き去り。連れてきた2人のうち、1人は逃げだし、それに怒ったホンカは残ったバアサン3の頭をテーブルに叩きつけて殺してしまう。この衝動は意味分からん。
バーで出会った肉のかたまりみたいなバアサン4。いうことを聞かないので殴りつけてコトに及ぼうとするが勃起せず。ちだらけのバアサン4、平気な顔で酒を飲んでいるが、それに怒ったホンカは彼女を絞殺。これまた解体して、壁の中に放り込む。死骸1は、外の穴に放り投げてたけど、以後はすべて壁の中? とくに処理してないので、臭気凄かったろう。
バアサンたちは売春婦? バアサン4は「収容所で売春してた」というけれど、現役とは思えない。他のバアサンたちも肉のかたまりみたいで、どうみても現在は浮浪者風。なのに酒場に来てるのはどういうことか。バアサン2みたいに金もないのにバーに来て、奢られるのを待っている? これが1974年のドイツ、ハンブルグなのか? すさんでるな。
というわけで、家に引っ張り込むのは、すべてバーでみつけ、酒をエサに連れてきたバアサンばかり。しかも、ホンカは勃起せず、ソーセージ使ってる。
バアサン3を殺した後だったか、突然断酒宣言し、警備員の仕事に採用される。そこで会った掃除婦の50凸凹の女性に入れ込み、でも彼女には失業した亭主がいて、なぜか仕事場に亭主を呼び込んで酒盛りしたりして、そこに招待される。でも、亭主がつまみを買いに出かけた途端「好きだ、やらせろ」と襲いかかる衝動は、抑えられないものなのか。前後、考えが及ばないと見える。
不快感極まりない登場人物の対比として、ギムナジウム落第生の娘が登場する。ホンカの憧れるミューズ的存在として。その娘と彼氏は、無謀にもバー、ゴールデングローブに入り、コーラを注文したりするんだけど、現実的ではないよなあ。彼氏が、元中尉だかの隻眼男に小便をかけられてる間に、ホンカの視線は娘に・・・。結局、ひとり、先に店を出る娘を追うホンカ。まあ、ここらへんは映画的創作だろうけど、自宅近くまで来たら、建物が燃えて消火活動中なのに出くわし、あんぐり。まあ、鎮火した直後、ホンカは消防隊員に捕獲されてしまい、映画も終了。クレジットでは実際のホンカや被害女性の写真がでるんだけど、これまたグロい顔で、なんかなあ、という感じ。
とくにメッセージも教訓もなく、要は、こういう犯罪を犯したオッサンがいた、というだけの話だった。しかし、とくに前半のあれやこれやはむかつくほどに不愉快極まりない生々しさだったよ。
ファンシー2/20テアトル新宿監督/廣田正興脚本/今奈良孝行、廣田正興
allcinemaのあらすじは「とある地方の温泉街。ここで彫師稼業を営む男、鷹巣明。昼は郵便配達員として働き、町外れの白い家に暮らす若い詩人にファンレターを届けるのが日課となっていた。詩人は“南十字星ペンギン”というペンネームでロマンティックな詩を紡ぎ、若い女性たちから絶大な支持を得ていた。そんなある日、ペンギンのもとに月夜の星という熱狂的なファンから“先生の妻になりたい”との手紙が届く。それを知った鷹巣は“アブない女に決まってる”とペンギンに忠告するのだったが…。」
Twitterへは「登場する要素はつまらなくないんだけど、話として面白くなりきれてない。とりあえず広げすぎ風呂敷を、そのまま放り投げてる感じか。役者はいいけど、ただのムダ遣いだな。」
漫画が原作らしい。読んでないので何なんだが。原作がシュールなままだとしても、映画として再構築する際に、何らかの意味・解釈を付加するのが監督の役割だと思うんだよね。漫画のままだったとしたら、映画にする意味はない。漫画は素材であり、それをもとに別のモノをつくらないと。
もしかしたら、しているのかも知れない。でも、映画は素材が無意味に羅列されているだけで、有機的なところはほとんど感じられない。それだと、している意味はない、ように思う。手がかりさえ提示できていないのならば、見ている方はつらいだけ。
ただでさえ分からん映画なのにセリフの聞き取りにくいところが多すぎるのは困ったもんである。誰に見せたいのか、も不明瞭。観客をどこに想定してるのか?
彼らは生きていた2/21ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ピーター・ジャクソン脚本/---
原題は“They Shall Not Grow Old”。allcinemaの説明は「イギリス帝国戦争博物館に所蔵されていた第一次世界大戦の激戦地、西部戦線で撮影された未公開映像を、最新の映像技術を駆使してカラー化し、鮮烈かつリアルに現代に蘇らせた衝撃の戦争ドキュメンタリー。」
Twitterへは「第一次世界大戦時の記録映像をカラー化すると、ここまでリアルになるのかと驚き。帰還兵の話をかぶせてるんだけど、過酷さや恐怖よりも、誇らしさやおおらかなのが印象的。」
予告編を見て、カラー化によるリアルに驚いて、ぜひ見たいと思っていた1本。なんだけど、中盤から少し飽きてきてしまい、とくに後半の戦闘場面はスチルやイラストばかりになってしまって、いまいち盛り上がらず。それもそうで、記録映画なんだから、たぶん演習や後方戦線か主な映像で、なかにはやらせもあるはず。砲撃の着弾シーンは、実際のものもあるだろうけど、ね。
死体もがんがんでてくる。でも、これも見飽きると、何も感じなくなってくる。映画でこれなんだから、実際は持って無頓着になるかも。オソロシイ。
トイレが丸太小銃擲弾というのは、初めて知ったかも。英国兵100万人が戦死?
影裏2/27シネ・リーブル池袋シアター2監督/大友啓史脚本/澤井香織
allcinemaのあらすじは「岩手県の盛岡に転勤してきた30歳の独身男・今野秋一。慣れない土地で心細さを感じていた彼は、同い年の同僚・日浅典博と言葉を交わすようになる。やがて一緒に渓流釣りに行くなど交流を重ね、いつしかすっかり心を許すまでの存在に。ところが日浅は何も言わぬままいきなり会社を辞め、姿を消してしまう。日浅と音信不通となり、大きな喪失感を抱えて日々を過ごす今野だったが…。」
Twitterへは「最後まで事件らしい事件は起こらず退屈。日浅くん程度の変人はいくらもいる。影と呼ぶほどのことはない。パンツモッコリ桃ザクロ蛇とくれば・・・。それ以外は整理できずまき散らしな感じ。いちばんの驚きは、あのバアサン永島瑛子か! あと、ベイシーかな。」「釣りのシーンは、どうしたって小津の『父ありき』を連想するわな。」
冒頭、オバサン社員が深刻な顔で今野のクルマを止め、11時過ぎのどっかでコーヒー飲みつつ話を始め、1年半前に遡るという構成だけど、オバサンがあんな時間に今野に話をする必然性が、結局、分からないままだった。あれは、時系列的にはいつなんだ? 地震の直後?
日浅が消える前の、「お前が見ているのはほんの一瞬、光の当たったところだけ。人を見るときのはその裏側、影のいちばん濃いところを見んだよ」と、河原のキャンプでいうのも変。なぜあえてそんなことを? 告白?
でも、日浅の影なんて、微塵も見えない。拍子抜け。怪しいのは大学と称して上京した4年間の素行で、その意味するところは最後まで分からず。卒業したと称して帰京してからは、フツーに地元で父親と暮らしていたんだろ。そこに不自然さはない。仕事も転々としたかも知れないけど、不良でも悪でもない感じ。父親は、卒業証書を偽証するような奴はと縁を切ったといい、いつか新聞にあいつの名前がでる、ともいうけど、それを感じさせる裏の世界はまったく感じられない。
そもそも、卒業の証は卒業証書ではなく、学校が発行する卒業証明書のはずだ。しかし、なぜに中央大学なんだ? という疑問もあるんだが。
今野のいた会社では地道に働いていたし、なぜ辞めたかも分からない。やめる理由も分からない。辞めてすぐ就職した葬儀・結婚の互助会も、とくに悪徳業者ではないようだし。せいぜい、契約が取れないからと今野に頼み込んだり、オバサン社員に契約と、あと、実家を出るのに金がないからと30万借りたぐらい。オバサン社員も貸しているんだから、個人的な信用はまずまずということだろう。この程度のいい加減なやつは、世の中にいくらでもいるだろ。
そもそも日浅が今野に近づいた理由が分からない。にこやかに接近し、一緒にあちこち遊び回り、釣りに誘って、時には一升瓶を片手に今野宅を訪れる。そこに、魂胆は感じられない。
むしろ、今野に誤解を生じさせる。吸いかけの煙草を「吸え」と渡す、自分がかじったザクロを「かじれ」という、自分の水筒を「飲め」と今野に渡す。唾液の交換場面がいくつもある。これでは、自分に気があると勘違いしても不思議ではないだろう。
そもそも、この映画、最初から変。ベッドにスラリと足、ぷりぷりお尻、ん? 男? で、綾野剛演ずる今野が起き出す、から始まる。その今野、いつもパンツ姿で、金玉もっこり。実家から送られたという桃をびちゃびちゃと丸かじり。日浅が訪ねてきたとき、今野の首筋に蛇・・・って、性器や性交渉の暗示ばかり。実は、日浅からキスするのかなと思っていたら逆で、今野が日浅に襲いかかり、拒否られるという流れだった。
芥川賞受賞作という原作は知らないし、内容も事前にはまったく読まず。だけど、妙な雰囲気は漂ってはいた。けど、冒頭から3〜40分は2人のお付き合いが淡々とつづくだけで、事件も課題もまったく見えず。家で見てたら確実に早送り、と思った。まあ、この我慢があって、後半の日浅という人間が浮彫になる、という構成のつもりなんだろうけど、あまりにも前半がつまらなくて退屈すぎる。
「改めてプラン変更のお知らせ」のDMに「!」となって、以前来ていたお知らせDMを見るとそこに日浅の自筆サインがあり、同封されていたのは結婚式のプラン? これは、どういう意味だ? サインのあるDMがいつのものか、分からんので何とも言えない。「改めて」のDMは日浅からではなく別の社員からなのか。変更に追加費用がかかるのか、葬儀でなく結婚プランに変えろということなのか? なぜ今野は衝撃を受けるのか、さっぱりつたわってこない。
2014年の夏まつりに今野がいる。ということは、埼玉の本社に戻らずこっちに根を下ろした? と思っていたら、釣りの場面。例の虹鱒を釣り上げ、放してやる。ふと向こう岸を見ると、日浅の幻影が今野を見ている。と思ったら、おねえ声の男がそばにいて、「いいところじゃない」とはしゃぎ、近いうち実家に一緒に行くような話をしている。なんだ? 本社に戻り、あっちで出会った新しいホモ友と、わざわざ岩手に釣りに来たのか? 岩手にいるけど、どっかで知り合ったホモ友を釣りに誘ったのか? わかんねえよ。
今野のアパートの二階の老女役。クレジットで永島瑛子とでて、おお! な感じ。いやに若い婆さんだなと思ったんだけど。何のために登場するのかよく分からない。足が悪くて、回覧板を取りに行くのも難儀そう。だけど、今野は手助けをしようとする気配もない。なんだこいつ。震災の新聞記事をコピーしてアパート住民に配ったり、英語の勉強をコツコツとしていたり、なかなか先鋭的なバアサンだ。でも、最後は、部屋をクリーニングする業者が来ていたから、孤独死したのか。その前に、今野が日浅に、「この人なら契約がとれる」と紹介するのかと思ったら、そうじゃなかったのが、不思議。
・セリフが聞き取りにくい。
・変わったイラスト、6、7.点飾ってあるの、気になった。日浅の影を示唆するのなら、もっとちゃんと見せるべきだろ。
第三夫人と髪飾り2/28ギンレイホール監督/アッシュ・メイフェア脚本/アッシュ・メイフェア
ベトナム映画。原題は“The Third Wife”。allcinemaのあらすじは「19世紀の北ベトナム。絹の里を治める富豪のもとに嫁ぐことになった14歳のメイ。富豪にはすでに第一夫人のハと第二夫人のスアンがおり、まだ無邪気さの残るメイは2人からさまざまな家のしきたりや暮らしに必要な知識を学んでいく。そして自分に求められているのは元気な男児を産むことだと自覚していくメイだったが…。」
Twitterへは「14歳で第3夫人というロリコンポルノみたいな話を『青いパパイヤの香り』風テイストで。ラストは自立・意志の芽生え? よく分からん。人間関係、密通の話とかムチ打ちとか、誰の話なのかよく分からんところ多いのが、うーむ。」
テンポとか雰囲気が『青いパパイヤの香り』なのは、同じベトナムだからなのか?
総じて、当時の不思議な因習が、たうたうような、ゆるやかな映像でつづられる。その主なものは、モノとして扱われる女の姿で、いまの基準では許されないことばかり。性交シーンなどをあからさまに描けば、そのままロリータポルノになっちゃうだろ、これ、な内容だった。
時代は日本なら明治の中頃なのか。地主の家に3人目の奥さんがやってくるが、14歳。童謡「赤とんぼ」に「15でねえやは嫁に行き」とあって、これは大正10年の歌らしいが、ついこないだまで学校で歌われていて、日本だって同じようなもんだったんだ。いまの感覚では14歳は気の毒、可哀想だし、一夫多妻は異常となるけど、当時の風習をいまの基準で批判してもしょうがないのだけれど、この映画はその気の毒な部分だけを選び出してつないでいく感じ。
第1夫人が妊娠するけど流産で失意のどん底に。メイも「男を」と願いながら、生まれたのは女。ラスト近く、乳を飲もうとしないその娘に、毒草を与えるのはどういうことなんだ? 女児ばかりの第2夫人は堂々と暮らしているではないか。女の身の不幸を感じて、我が子を殺す? これは、現在の視点を取りいれたメッセージではないのかな。つづいて、第2夫人の長女が、長かった髪を切る。彼女だったかな、「生まれ変わったら男になって妻を何人ももちたい」といっていたのは。その彼女が、女をやめたい、という意味なのか。でも、彼女自身は、まだ苦しみを味わってはいない。冒頭に「事実に基づく」とあったけれど、ラストの、とってつけたようなメイと第2夫人の長女の行為ははたしてあったのか。女の自立・反乱を込めた製作者のメッセージだとしたら、違和感がある。
その前に、第1夫人の長男が嫁を取るが、長男は彼女を拒否。彼女は12、3歳に見えるのだけれど、父親は「家名に泥をぬった」として、婚姻解消を拒否。行き所のなくなった彼女は自ら縊死する。すげーな、これ、と思う。けれど、これを見て、メイや第2夫人の長女が自立したという解釈には、ムリがありすぎるだろう。
分かりにくいのは、第2夫人の浮気で、相手はこの家の長男らしい。で、その前に、不貞があった、とかいって青年がむち打たれ、女が寺にいく場面があるんだけど、始め、むち打たれたのが長男で、第2夫人が寺にいったのかと思ってた。でも、第2夫人はにこやかに生活していて、でも、長男は自信の婚姻を拒否している。その関係が、なかなか分からなかった。というのも、長男の顔をちゃんと写さないからだと思うんだが。では、あのむち打たれた男は、ただの使用人? それが、誰と不貞したんだ?
しかし、円熟した30女にメロメロになり、若い嫁は嫌だと拒否る長男も、よく分からない。そんなの、テキトーにうまくやればいいじゃないか、と思ってしまうんだが。
・蚊帳の中で、女性上位で性交していた場面があったけど、あれは、誰? 第1夫人なのか第2夫人なのか、顔が良く見えないだよ。
※さてところで。左翼の端の後方に座っていたんだが、右目の端にチラチラ光が見え隠れ。スマホか? でも違って色はオレンジ。なんだろ、と思って幕間に見に行ったら、右翼、最後列の後ろの壁右下(ゴミ箱があるところ)に、一辺10cmぐらいにオレンジ色に光る板が貼ってある。なんだこれ。で、男性スタッフにいうと、「足元を明るくするため」という。以前にはなかったものなので、「ジャマだ」というも「お客様の足元を照らすため」の一点張り。条例で決まっているわけではないだろう」というと「決まってはいないけど足元を照らすため」といいつづける。そして、「検討する」という。「検討じゃなくて、できることがあるだろ。紙を斜めにして貼って光が下に行くようにするとか、できることはあるだろう」というと、はいはい、みたいな顔になった。それ以前に、どの席か問われ、彼は席に座ったんだけど、光を感じない様子。当たり前だ、場内が明るいんだから。「ここですか?」「いつから気になりました?」などとも問われたけど、意味がないよね。で、次の「あなたの名前を・・・」が始まったけど、依然として光が見える。なので、席を立って見に行くと、黒紙は貼ってあるけど、座っている席からだと位置が上なので、光源が隠れていない。なので、斜めになっている紙を壁に平行になるよういじっていると、先ほどのスタッフが「なにしてるんですか」と寄ってきていう。「まだ見えるから」というと「お客様の足元灯だ」と同じ返事。それを無視して修正していたんだが、あきらめたのか、「いま、支配人が来てますから話してくれ」という。なので、「そんな話をしにきてるんじゃない。こっちは映画を見にきてるんだ」といってやる。すでに映画ははじまっていて、頭を少し見損ねたし、その後も、しばらく字幕が追えなかった。しかし、足元灯が客のためなら、その足元灯がジャマになる客への配慮も、同じように客のため。どっちを優先するのかというと、足元灯。その根拠はなんなんだ? 鑑賞中に光を放って、客のジャマをしてまで、足元灯が必要なのか。なんか、この男性客はムキになっている感じで、どーもいただけない。その後、ギンレイにいってないけど、あの、派手なオレンジ色はまだあるのかな。たとえば最後尾の椅子の背の下の方に設置するとか、いくらでも別の方法はあるだろうに。相変わらず融通が効かない小屋である。
あなたの名前を呼べたなら2/28ギンレイホール監督/ロヘナ・ゲラ脚本/ロヘナ・ゲラ
原題は“Sir”。allcinemaのあらすじは「結婚してすぐに夫を亡くし、若くして未亡人となったラトナは、貧しい農村を離れ大都会ムンバイへやって来る。そして建設会社の御曹司アシュヴィンの高級マンションで住み込みのメイドとして働くことに。本来なら新婚の家庭となるはずが、婚約者の浮気が原因で結婚は破談、心の傷を抱えひとりで暮らすアシュヴィン。そんな彼を気遣いながら、メイドの仕事をこなしていくラトナ。彼女にはファッションデザイナーという夢があった。ある日、思い切って裁縫教室に通う許可を求めたところ、アシュヴィンは快く認めてくれた。心優しいアシュヴィンは自立を目指して一生懸命に生きるラトナに次第に興味を持つようになり、いつしか心惹かれていくのだったが…。」
Twitterへは「生まれつき階層が違うインドとはいえ、いまだにあんな差があるとはね。おずおずと、控え目に始まる好意の結末は、いい感じだった。プレゼントの交換がなかなか泣かせる。インド映画の快進撃だ。でも題名がネタバレしすぎ。」
というわけで、冒頭の5分ぐらいよく分からず、のまま見たけど、まあ、問題ないだろ。インドの女中と旦那様との恋物語だけど、そうなるまでの焦れったさがいい。結婚式直前に花嫁が浮気し、旦那様が1人戻ってきた高級マンション。そこに、ラトナが働いている。旦那様はラトナを最初人間扱いしてなくて、ほんとただの使用人。使用人は台所で座り食いだし、部屋は2畳ぐらい。とくに情けもかけていない。最後の方で、2人がつき合ってる疑惑が旦那様の友人に知れると、「おまえまさか」と、階級の差はセックスの対象にもならない、ような口ぶりでいわれたりする。ところで、ラトナはどの階層なのだろう。4階層めのシュードラの下? でも、アウトカーストではないのだろうけど。先祖代々使用人階層なのかも知れないけど。インド人ならすぐ分かるだろう、そこが知りたいところである。
ラトナは裁縫を習いたいんだけど、街の仕立屋では使いっ走りばかりさせられ、教えてもらえない。文句を言うと、教えてもらいたかったら金を払え的なことをいわれるんだけど、あれってただのただ働きなのかね。
で、なんとか裁縫教室をみつけて通い出すんだけど、旦那様に許可をもらったりするあたりから、旦那様の心の広さが見えてくる。で、ラトナは旦那さまのシャツを縫ってプレゼント。というあたりから、交流が深くなってきて、旦那様が使用人のラトナにミシンをプレゼントする、というあたりから、ひょっとして好意を抱き始めたな、と分かるような展開が、じれったくていい。
なことがあって、ある日、旦那様がラトナにキスしてしまい、ラトナはおたおたする、というのも可愛くていい。のだけれど、自分はもうここにはいられない、と出ていくことに。やはり、カーストの壁は厚すぎる。
ラトナは、妹の学費を出してやってるんだけど、遊びたがりの妹は学校を辞めて結婚する、と宣言。しかたなく結婚式に行くんだけど、上昇志向のラトナと、結婚こそが幸せ、な妹の考えのギャップも面白い。
で、ムンバイにやってきた妹夫婦のところに転がり込むんだけど、旦那様の友人女性から、うちで働かないか、の電話が。これも、旦那様の仕業なんだけど、技術が伴っているので即採用に。おお。サクセスストーリーか。で、いても立ってもいられなくなった旦那様が、ラトナに電話して。かかってきた電話に、旦那様(Sir)ではなく、アシュヴィンと、名前で呼んで応えるラストシーンがとても清々しい。ま、それ以前に、「旦那様はよしてくれ」といわれてはいたんだけど、な、だけに、邦題がネタバレしすぎ。
・ラトナは街の洋品店に入っただけで、出ていけといわれるんだが、着ているもので分かるのか? 顔立ち?
・後にラトナを雇う洋装デザイナーは旦那様の友人で、パーティの時ラトナが飲料をこぼして引っかけた相手なんだが。最後に、意外な顔を見せるのが、へー、である。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|