ラスト・ディール 美術商と名前を失くした肖像 | 3/2 | 新宿武蔵野館3 | 監督/クラウス・ハロ | 脚本/アナ・ヘイナマー |
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フィンランド映画。原題は“Tuntematon mestari”。英文タイトルは“One Last Deal”。allcinemaのあらすじは「長年美術商を営んできたオラヴィだったが、近頃は経営も厳しく、そろそろ潮時と考え始めていた。そんなある日、ずっと音信不通だった娘から、学校で問題を起こした息子オットーを数日預かってほしいと頼まれる。こうして孫のオットーに仕事を手伝わせることになったオラヴィは、オークションに出品される予定の一枚の肖像画に目を奪われる。名画と確信するも、絵に署名がなく、作者が不明だった。そこでオットーとともに作者を探し始め、ついに近代ロシア美術の巨匠レーピン作との証拠をつかむ。そこで、なんとしてもオークションで競り落とすべく、金策に奔走するオラヴィだったが…。」 Twitterへは「老画商の大博打。フィンランドのオークションとか画廊が描かれて興味深いけど、本筋の話はシンプルで、ミステリー要素がいまいち薄いかな。95分に収めず、もう少し掘り下げてもよかったかも。」 フィンランドのギャラリーやオークションシーンが見られるという意味では興味深いし面白いんだけど、老画廊主オラヴィが見込んだサインのない名画の秘密については、かなりの肩すかし。こちらのミステリー具合、真実の解明にウェイトが割かれていたら、もっと引き込まれていたかも知れない。所詮は、オラヴィと娘、孫との家族の話になってしまっている。とはいえ95分と小品なので、そんなものかなという感じ。 オラヴィが600ユーロで競り落とした風景画。1250の値付けだったものを、店番してたオットーがたまたまやってきた客に1650で売ったんだっけか。正確ではないけど、そんぐらい。オットーの勝負勘は、オラヴィ譲りなのかいね。で、日本円に直すと9万円で落札し、24万ぐらいで売ったということか。画商って、そんな感じなの? という冒頭からの流れは、なかなか面白い。 次のオークションで資金繰りも怪しいオラヴィが惹かれたのは、男の肖像画。借金のあてもなく1万ユーロで落札だから、150万円ぐらいか。落札後、うんざり顔の大手画廊主。そこにスタッフが来て、美術館からの返信のプリント。これは、鑑定を頼んでいたってことか? 作者は分からないままオークションに出品し、同時に調査していたっこと? そんなこと、あるのか? 落札後、カフェでオットーが「サインがない理由を美術館に聞こうとメールするんだけど、問い合わせ先の美術館をどうやって調べたのか? 前日、オットーが見つけ出した図録に、鑑定した美術館名があったのかね。ところで、オークション主催画廊主が、部下に命じた調査も同じ美術館のようだけれど、その問い合わせ先はどうやって決定したのだ、という疑問があるんだけどね。 というか、サインはないけど作者はレーピンで、キリストを描いた聖画だからサインを入れなかった、という美術館の学芸員が知っているぐらいのことをフィンランドの画商のほとんど誰も知らないというようなことが、あるのか? なんか嘘っぽい軽さで、「おお!」という驚きがないのが残念。 オラヴィには娘がいて、オットーという孫がいる。オットーが小さいころ、オットー夫妻のところによくやってきていた、というようなことがいわれていた。妻はすでに亡くなっているけど、その頃から娘とは音信不通? いつごろから、なぜ父娘は不仲になったんだ? なのに、娘が孫の仕事体験を頼んでくるというのも不思議。孫のオットーが学校で何かの転売をして、それが窃盗扱いになって、どの会社からも仕事体験を拒否されたから、ということだけど、よく話が分からず。ムリやり話をつくっている感じが否めない。 で、肖像画の価値を遅まきながら知った大手画廊主の姑息な態度と行動は、絵に描いたような意地悪ジジイ。このあたりもステレオタイプな感じ。オラヴィが亡くなって、あれこれ売り払って、でも、あの肖像画だけは残って万々歳だけど、仲間の画廊主の「10万ユーロはくだらない」ということであれば、1千万円〜1千5百万というところか。大金ではあるけど、家1軒買えるほどでもなくて、微妙な感じだな。 画廊を閉めた後、仲間の画廊主がオラヴィを訪ねてきて「感謝状が届いてた」と渡すんだけど、なんのことかと「?」で。オットーの仕事体験に、点をつけた礼なのか。 誰から? 感謝状の葉書は、満点のところにチェックしてあったよなあ。オットーが出した? でも、オットーから娘への遺言状に、「点数を満点に修正しよう」ってあったけど、どういうことかな。 | ||||
1917 命をかけた伝令 | 3/4 | 109シネマズ木場シアター7 | 監督/ サム・メンデス | 脚本/サム・メンデス、クリスティ・ウィルソン=ケアンズ |
イギリス/アメリカ映画。原題は“1917”。allcinemaのあらすじは「第一次世界大戦真っ只中の1917年。西部戦線ではドイツ軍の後退が始まり、イギリス軍はこれを好機と、追撃に乗り出そうとしていた。しかし、それはドイツ軍の罠だった。そのことを一刻も早く最前線の部隊に伝えなければならなかったが、あいにく通信手段は途絶えてしまっていた。そこで若い兵士スコフィールドとブレイクが呼び出され、翌朝までに作戦中止の命令を届けるよう指令が下る。この伝令には味方の兵士1600人の命がかかっていた。その中にはブレイクの兄も含まれている。こうして2人は塹壕を抜け出し、いくつもの危険が待ち受ける無人地帯(ノー・マンズ・ランド)へと飛び込んでいくのだったが…。」 Twitterへは「A地点→B地点へ、艱難辛苦を乗り越えてという話なので目新しさはない。売り物は超長回しで、でも不自然なく撮れてる。まあCGつかいまくりなんだろうけど。しかし出まわっていたのはクライマックス時の映像だったのかよ。おいおい。」 1カットを謳っているけど橋のたもとの狙撃兵のところで一度暗転してるのと、その後、敵陣の街で追撃され川に飛び込んだところでも切れているので、3カットかな。とはいえ、それ以外のところでもCGでつないでいそうなところもある。とはいえ、場所がつながっていて、延々とカメラが追っているのは事実で、この屋外セットはどうなっているのだ? はたまた、ずぶずぶの泥沼みたいな場所とか砲撃でできた穴とか掩体壕の中とか、どうやって撮っているのだ? カメラはどこに? と、疑問を抱きつつ見ていたのは確か。 冒頭の、のどかな野原から命令を受けて赴く塹壕の最前線へ、は、でも嘘っぽい。最前線の中尉だか少尉は、曜日も分からないぐらいだ、といっていたけど、野原から歩いて10分ぐらいの所だろ? とか、撮り方や位置関係が気になって、話に没入できなかったのも確か。というのも、行く手を阻むあれやこれやを乗り越えて、というのは話の基本なので、とくに珍しくもない。これをフツーに撮ったらフツーの映画になってしまう。ウリは長回し? と思えてきてしまうからだ。 もうひとつのウリは、死体のオンパレードだな。自陣の塹壕から這い出て鉄条網を抜け、爆弾穴に飛び込むと、隣に腐乱死体。たまたま手をついたら、その腹に手首が突っ込んでしまう・・・あたりから、ありとあらゆる死体の状況が見せつけられる。それを踏み、どけ、ときに隠れ、をつづけていく様子が、戦闘シーンよりも凄惨。最初は「うわ」だったけど、終わりの方には、見ているこちらも、無感覚になりそうだった。 連続して登場する敵や困難はよくある感じ。なかで不思議な感じだったのは、無人になった敵の塹壕と掩体壕かな。それと、川を渡る時に狙撃されたのは、ある過ぎる設定でつまらない。むしろ、ドイツの狙撃兵が1人であんなところにいることの方が不思議。つづく街中で入った家の赤ん坊と母親。おお、ここで牛乳が役立つのね、はあったけど。その牛乳を得たのは、ドイツ軍の塹壕をでてすぐの農家で、でも絞りたてのヤギの乳が放置してあることの方が不思議。農民は、どこに? というか、あんなところ、連合軍の爆弾が飛んでくるだろうに、と思ってしまう。 ののちの、空中戦はいいけど、墜落したドイツ軍機の操縦士に、片割れが刺殺されるのは、そうなるのか? な、感じ。イギリス兵2人で、自身は負傷してるドイツ操縦士が、投降せず抵抗するものなのか? と思ってしまう。日本の軍人なら、そうしても不思議ではないような気がするんだけど。 とまあ、あれやこれやで、罠にはまりかけの部隊に到着して、司令官に手紙を渡そうとすると、「直接は会えない」と部下に阻まれるのも、なんだよ、な感じ。司令官に直接会えないと分かっているなら、命令を渡した将軍があらかじめそれを回避する手立てを考えるのが筋だろ。と思ってしまうと、なんか、「?」なんだよね。 | ||||
野性の呼び声 | 3/5 | MOVIX亀有シアター9 | 監督/クリス・サンダース | 脚本/マイケル・グリーン |
原題は“The Call of the Wild”。allcinemaのあらすじは「カリフォルニアにあるミラー判事の豪邸。ここで快適な生活を送っていたのがセント・バーナードとスコットランド牧羊犬の雑種バック。ところが4歳の時、男にさらわれ、ゴールドラッシュに沸くカナダでそり犬として働かされることに。やがてリーダーシップを発揮し、仲間の犬たちとともに郵便を運ぶ仕事に精を出すバックだったが…。」 Twitterへは「家族で楽しむお子様映画だった。CGアニメに実写の人間を合成してる感じで、いまいち犬には共感できず。バカ犬が調教される快楽を経て野生に戻る話で、原作は読んでないのでどこまで忠実かは分からない。ハリソン・フォードはただの酔いどれジジイ。」 ファミリー向けのせいか、つくりが大雑把というか、細かいところにこだわっていない。まあ、こんなもんか、という気もしないではないけど、ね。 バックの犬種は、たれた口元がセントバーナードっぽいので、それがソリ犬に? という感じ。Webで調べたら「セント・バーナードとスコットランド牧羊犬の雑種」という設定らしい。 掠われ、ソリ犬となり、売られ、ソーントンに救われる。ときどきで変化するバックが、変な感じ。とくにソリ犬として生きがいを見つけるあたりは、命令に従うことに歓びを感じるただの犬でしかない。それが、なんで野生の呼び声に反応するのだ? そもそも、あの体格と血筋で、あんな走れるのか? 野生の呼び声を聞くことができるのか? 他の犬は聞けないのに、なぜバックだけが? それまでのリーダー、スピッツはシベリアンハスキー風。こっちの方が狼に似てるし、野生に戻りやすいんじゃねえのか? というのもあるし。というところが、いまいち弱いかな。 しかも判事の家の飼い犬のときはバカ犬まるだしで、やり方だいしほうだい。あんな迷惑な犬なら鎖につないでおけばいいだろうに、と思うので余計にそう思ったりする。 ところでソーントンは何者? 亡くした息子の亡霊にとりつかれてるようだけど、妻とは離婚したんだっけ? ユーコンの先の原野を目指したのは、息子の夢を追ったものらしいけど、そんなんで人跡未踏の地に行くかね。それと、息子を亡くしたのはいつの話なんだか、よく分からない。ずっと昔のことなら、なおさら、ソーントンの行動が理解不能である。 金を目指す派手な3人組。いかにもな設定のアホバカだけど、1人だけ戻ってきて「犬に逃げられた」といっていた。では、仲間の男女はどうしたんだろう。犬たちも、どうやって逃げたのか。川を渡るとき氷が溶け出して川に・・・なのかな。知らんけど。とても気になる。 で、ユーコンの先に踏み込むと、人跡未踏の地に小屋があって、近くの川にはでかい金がごろごろ、というご都合主義。あんまり簡単過ぎて、なんかな、な感じ。それに、あんなでかい金のかたまりがゴロゴロしてるのか? というか、あの小屋の持ち主は、どうなったんだ。 3人組の1人が、山は素人のはずなのに、しつこく追ってきて、ソーントンの小屋を発見。最後は撃たれて死んでしまうソーントン。なんか、気の毒な感じで、すっきり終わらない。金の数かけらをもって家に戻り、妻と和解して社会活動でもするようになったほうが、すんなり落ち着く気がするんだけどね。これは、原作に則ったからなのかね。 郵便をソリで運ぶ時代から、電信に変わりつつあり、ソリによる配送業が廃業に、という時代というのも興味深い。 郵便配達をしてる、黒人とフランス人なのか、のカップルの設定も興味深い。 | ||||
エスケープ・ルーム | 3/6 | シネ・リーブル池袋シアター1 | 監督/アダム・ロビテル | 脚本/ブラギ・シャット、マリア・メルニク |
原題は“Escape Room”。allcinemaのあらすじは「とある高層ビルの待合室に集まったのは、謎の送り主から受け取った招待状に応じ、賞金1万ドルが懸かった体験型の脱出ゲームへの参加を決めた、年齢も職業もバラバラな6人の男女。リラックスしながらゲームのスタートを待っていた参加者たちだったが、その中の一人が待合室の外に出ようとしたところ、いきなりドアノブが外れ、待合室から出られなくなってしまう。全員が閉じ込められたことに気づくや、部屋の温度が急上昇する。突然のスタートに動揺しながらも、協力して脱出の手がかりを探す参加者たちだったが…。」 Twitterへは「脱出ゲームを映画にしたものでとくに珍しくないけど、なかなか楽しめた。頭脳明晰な女の子役のテイラー・ラッセルが可愛い。残虐さが少ないのは、ジュニア向けだからなのかな。」 日本でもアメリカでも、よくある感じの話。とくに何も残らないB級娯楽映画って感じかな。なぜこの6人が? という疑問は、後半にさしかかる手術室で明かされる。どうやら、これまで1人だけ生き残った、あるいは九死に一生、の面々が集められたらしい。で、どっかの金持ちが胴元になって、脱出の様子を中継してる? 賭けでもしてるのか。でもその様子は映らなかった。 最初に知恵の部屋みたいなところで青年が壁に挟まれていく・・・という場面を見せてしまうので、誰が生き残るか分かってしまうの。はたして良かったのか、これで? 生き残りを予想する楽しみが減ってるし。 つづいて、ビジネスマンらしい黒人男、頭のいい黒人娘、白人の青年店員の3人が時間をかけて紹介されるので、彼らがキーになるのが分かってしまう。で、賞金が1万ドルというのが、少なすぎないか? だよね。100万円だろ。貧乏人はさておき、黒人男には魅力がなさ過ぎでは? 待合室で出会うのは、若い娘(元兵士)、オタクなインド青年、太った白人オッサン。この6人が部屋に閉じ込められ、なんとか謎を解きつつ次の部屋へと進むんだけど、回答のヒントへの道筋がわりと偶然すぎるというか、ご都合主義。まあ、のろのろやってられないのは分かるけど。過去に生き残ったからって、みんな知識豊富じゃないと思うんだが…。まあ、いい。 最初の待合室=熱の部屋は、みんなでクリア。つづく氷の部屋で、インド青年死亡。でも、突然氷が割れて、というのがテキトー過ぎて気の毒なリタイヤ。次は上下反転したビリヤード場で、ここの15ゲームの色と数字が鍵、というのがよく分からなかったな。ちゃんと見せてくれないと・・・。で、ここで、がんばった元兵士女性が墜落死。とはいえ肉体派として見せ場が多く、美形だったし、ハラハラドキドキもあって、なかなかいい感じだった。 つづく手術室に、それぞれの履歴が置かれていて、呼ばれた理由が分かるんだが、ここの脱出法法も、いまいち説得力に欠けるか。脈拍の数値が関係あるんだけど、最初は「高く」するひつようがある、と黒人男がオッサンにAEDして、でもクリアできず、逆にオッサンがショック死。おやおや気の毒。というか、実は、ラストで、死んだと思われていた面々は実は生きていた、というオチかなと思っていたのに、ホントに死人が出たよ、と。おやおや。で、ここでは毒ガスが噴出されるんだけど、黒人娘は謎解きより監視カメラの破壊に精を出し始める。いっぽうで黒人男は自分で心電図を取り始め、なぜか鼓動数が少なくなって、クリアという結末。ヒントと、この結果はどう結びつくのだ? といってるまに、黒人娘は倒れてしまう。と思ったら実は死んだフリで、後片づけしにきた2人を殴り倒すんだが、彼女が使った酸素マスクはどこにあったんだ? というか、そんなものがあったのかよ。 黒人男と青年店員が逃げ込んだ部屋はLSDっぽい感じで、互いの顔が歪むんだけど、ありゃなんなんだ。で、次に脱出するには解毒剤の注射が1本とかで奪い合って。このとき、黒人男の過去の行状が明らかになり、船の遭難で生き残った、一緒の仲間は低体温症でおかしくなってひとり海の中へ、というのが嘘で、実は殺していた、というようなことが分かる。これはカルネアデスの板みたいなことか。で、経緯は忘れたけど、青年店員が黒人男の頭をたたき割り、次の部屋へ。ここで、冒頭の知恵の部屋につながるのだけれど、鍵を解いても扉が開かなかったのに、押しつぶされる、と思ったところが、ふっと抜けられて、あれはどうなってたんだ? で、で説明役の男が登場。参加者の顔写真にバツがついていたりして、賭けの対象になっていた、ようなことが説明されたんだったかな。「解放してくれるんだろ?」に、「わけないだろ」と青年店員が首を絞めているところに、黒人娘ゾフィー登場。ここまで、どうやってやってきたんだ? まあいいけど、彼女が説明役を殴り倒し、青年店員が説明役を撃ち殺すと、あらかじめ説明役も参加者に入っていたらしく、その顔写真にバツがつく。ふーん。そういう約束でこの仕事をしてるとは思えないけど。興味深いけどムリがある。 ゾフィーと青年店員は警察を呼ぶが、脱出ゲームが行われた部屋は、いつのまにかただの廃墟ビルになっていた・・・。ムリがありすぎ。 6ヵ月後、ゾフィーとヤンキーが邂逅。死んだ4人は、それぞれ事故死として偽装されていた、と。で、ゾフィーが、主催者を見つけに行く、というようなことを話している。飛行機に乗ってどこかへ行くらしいけど、どういうアテがあるんだっけ。 と思ったら、突然、パニック発生の飛行機の中でも、これはシミュレーションて。どうやら主催者は、ゾフィーと青年店員が乗る飛行機にこの仕掛け(飛行機が墜落しかけるが、操縦室の扉が開かない!)を施して、はたして生き残れるか、中継するつもり、らしい。というオチ。 まあ、辻褄は合ってるけど、あんなに金をかけて謎の部屋をつくって、割に合うのかいな、と思ってしまうのであった。 | ||||
ガーンジー島の読書会の秘密 | 3/17 | ギンレイホール | 監督/マイク・ニューウェル | 脚本/ドン・ルース、ケヴィン・フッド、トーマス・ベズーチャ |
フランス/イギリス映画。原題は“The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society”。allcinemaのあらすじは「1946年、英国ロンドン。作家のジュリエットは、ひょんなことから“ガーンジー島の読書会”のメンバーから手紙をもらい、読書会の人々を取材したいとガーンジー島を訪れる。大戦中、英国で唯一ドイツに占領されていたガーンジー島で、人々の心の支えになっていたのが読書会だった。しかしジュリエットは、その創設者であるエリザベスに会うことはできなかった。そんな中、他のメンバーたちと交流していくジュリエットは、彼らが何か重大な秘密を抱えていることに気づくのだったが…。」 Twitterへは「ドイツに占領されたイギリス領があったことを初めて知った。秘密については、彼女が島からいなくなった、ですっかり分かってしまった。ロマンスの方も、むりやりな感じがするんだよね。」 冒頭は、占領下の島。ドイツ兵に誰何され、咄嗟に「読書会」と嘘をつくんだけど、会の名前を「The Guernsey Literary and Potato Peel Pie Society」と言ったエピソード。で、戦後、女性小説家ジュリエットのところに島のドーシーから手紙が届く。かつて貧窮して売り払った本がめぐりめぐって島に。本に名前と住所があったので、手紙を送ってみた、な感じ。ベストセラーも誕生し、サイン会のスケジュールも立て込んでたけど、興味を惹かれ早速、島に渡って読書会の面々と会うんだけど、最初に読書会をでっちあげたエリザベスが島にいない。会の面々も口が重い。・・・というのが邦題の「秘密」なんだけど、ドイツ軍に占領され、会にいた若い女性がいなくなった、という時点で原因はすぐに分かってしまう。ドイツ兵との恋物語、だ。なので、ミステリー要素はほとんどない。 で、思い浮かぶのは占領下のパリでドイツ兵と恋仲になったり協力者になった女性たちの末路。髪を切られ、追われる彼女たちの有名な写真が残されている。そういうことはなかったのか? と思ってしまうのだよね。実際、ジュリエットが宿泊した宿の女主人はエリザベスを「ビッチ」と呼んでいた。当時を思えば、それが一般的な感情だと思うんだけど、この映画はそうならないのが首をひねるところかな。ドーシーはドイツ兵を「友だち」と呼ぶし、エリザベスを売った(といっても、具体的にどうしたのかはよく分からない。ドイツ軍の下で働いていたポーランド人少年を助けたことを、ドイツ軍にチクったのか?)男は、島の鼻つまみ者になっている、らしい。そして、島民のほとんどはエリザベスとドイツ兵の恋に共感、あるいは応援していた、みたいなことが言われていて、なんか違和感。当時の尺度でなく、現在の尺度があてはめられてないのか? どーも、しっくりとこないのだよね。 でまあ、それを調べていくうち、エリザベスとドイツ兵との間にできた娘に「ダディ」と呼ばせ、育てているドーシーのことや、読書会の面々のことが分かってきたりする。のだけれど、なんか底が浅い感じで、感情移入しにくい。 もうひとつ。ジュリエットの恋物語が軸になっていて、彼女が男とアパートに帰ってくる場面では、その彼は、眼鏡を取った編集者なのか? と、よく分からなかった。でも、違うらしい。いったいどういう素性の人間なのだ? というのは、ジュリエットが島から彼に電話し、エリザベスの現在の居所を調べてくれるよう頼む場面ではっきりする。なんと、彼はアメリカ軍の、わりと偉い階級の人らしい。なことは、最初に紹介しろよ。じゃないと、ジュリエットが島に渡るために船に乗るとき、プロポーズしてOKする場面も、いまいち悶々としてしまっていたのだぞ。 というわけで、人生の絶頂で島に渡り、あれこれ調べているうち、どういうわけかドーシーに恋してしまうのだけれど、その理由がいまいち曖昧なので、そうなるのだろうことは見ていれば分かるのだけれど、そうだそうだ、とならないところが残念なところ。というか、なんでジュリエットは米軍人と恋仲になったのか? の方がミステリーだろ。 もちろん、英国人のジュリエットが米軍人と恋仲というのが、ドイツ軍人と恋仲になったエリザベスとアナロジーなのは分かるんだけど、よーく考えると、エリザベスがなぜドイツ軍人と恋仲になって子までなしかのか、も描かれていないので、そのあたりもいまいち悶々ではあるのだが。 要は、肝心なところが曖昧なので、感情移入しにくい、ということなんだろう。 エリザベスの彼氏のドイツ兵は、そのことがバレて帰国命令が出て、でも船が沈没して死亡。エリザベスは、ポーランド少年を助けようとしたことがバレて捕まり、どこかの収容所へ。そこで、またまたドイツ兵に反抗して死んだ、とかいう経緯がジュリエットの婚約者から知らされて、秘密はすべて解明。だけれど、読書会のことやエリザベスのことは書かない、ということになって、帰国したんだけど、そのことがしこりになって新作がかけない。あー、その前に、婚約指輪を返して、婚約解消したんだっけか。で、発表しないけど、原稿は書く、にしばらく費やし、できた原稿を読書会に送って。これで吹っ切れたのか、新たな作品に打ち込めることができるようになる。そして、ドーシーと結ばれ、島にあったエリザベスの家を買い、そこでドーシー、エリザベスの娘と3人で暮らすようになりましたとさ、のハッピーエンディング。でも、もやもやは残るのだよね。 ・勝ち気でまっすぐなエリザベス。でも、彼女の出番がそんなないので、彼女に感情移入しにくいところがあるかも。 ・そもそも、ジュリエットが売った本は、島のどこにあって、なぜそれをドーシーが手に取るようになったのか、がよく分からない。島には書店がないんだろ? じゃ、どこにあったんだ? 新聞社はあるけど書店のない島って、なんだかなあ。 ・ジュリエットはいかつい感じだし、エリザベスもフツーの田舎顔。美人が登場しないのが残念。 ・密造酒を造っている行かず後家のアイソラが気になってしまう。40凸凹か。いまだに処女と言ってたけど、そんなことがあるのかよ。 ・郵便局で働いていて、読書会にも参加してる12、3歳の少年がいい感じ。 ※さて、例のオレンジの足元ライトであるが。同じ席に座ったんだが、まだ同じように設置してあって、光が気になる。なので、これまた偶然ながら、先日の男性スタッフがいたので「あの」というと、さっそくこちらを認めたようで、「支配人がいるので」と自分から話をそらした。で、おばさん支配人に「前回、10日以上前に話したけど治っていない。前回、対応するようにする、と男性スタッフは話したけど、対応しないのですか?」というと、「少し下にしたんですけど」とかいうので「いまだに光は見える」というと、「はいはい」と聞いている。「足元灯は客のためだろうけど、いい環境で見てもらえるよう配慮するのも客のためのはず。足元灯を、最後列の座席の下の方に設置することだってできるでしょ? 同じ客のため、でも、足元灯の方が優先なのですか? そういうことなら、それでいいですよ。そういう対応をするというふうに理解しますから」とかなんとか、ねちねち言ってやった。で、次の映画がはじまると、光が気にならなくなった。『ホテル・ムンバイ』が終わって確認すると、なんと、光の前にゴミ箱が移動してあった。なーんと。ははは。 | ||||
ホテル・ムンバイ | 3/17 | ギンレイホール | 監督/アンソニー・マラス | 脚本/ジョン・コリー、アンソニー・マラス |
オーストラリア/アメリカ/インド映画。原題は“Hotel Mumbai”。allcinemaのあらすじは「2008年、インドで同時多発テロが発生し、大都市ムンバイの5つ星ホテル“タージマハル・パレス・ホテル”はテロリスト集団に占拠されてしまう。ホテル内には500人以上の宿泊客と従業員が取り残され、テロリストたちは彼らを見つけ次第、次々と無慈悲な殺害を重ねていく。そんな中、ホテル側には警察の特殊部隊が到着するまでに数日を要するとの絶望的な知らせが届く。外部からの助けを期待できないと悟った従業員たちは、自分たちで宿泊客を守るというあまりにも重い決断を自ら下すと、ホテルマンとしての誇りと信念で恐怖に立ち向かい、銃弾が飛び交う中へと飛び込み、取り残された人々の誘導に奔走していく。」 Twitterへは「事件の記憶はなくて、凄いことが起こってたのね。なんだけど、すべてが淡々と描かれてて、ハラハラドキドキ手に汗握るとか目を覆う、がほとんどない。演出のせいだと思うんだけど。主人公の描かれ方も中途半端かな。」 主に目立つのは6、7人で、ホテル側では配膳係のアルジュン、その上司の料理長、あと老フロント係がちょこちょこ。客ではアメリカ人デヴィッド妻のサーラ、その乳母なのか、サリーという女性。怪しいロシア人。他に、バックパッカーのカップルがいたな。だけどキャラ立ちしてるのはアルジュンとロシア人ぐらいで、あとは記号的。人生や人間の背景がまるで見えない。主役扱いのアルジュンにしてもいまひとつパッとしてなくて、振り返れば大した働きもしていない。なので、感情移入できるメンツがいないのだよね。 アメリカ人夫婦と乳母とロシア人は、分散したり別れたりで、ドラマチックを演出しようとしてるけど、いまいち緊迫感につながらない。テロ一味も、数はそんなに多くなくて、5人くらいなのか? 無線で指示を受けて行動してるようだけど、彼らも記号的に描かれる。 描き方は直裁的で、テロリストは撃ちまくり、客や従業員はバタバタと倒れていく。淡々と無慈悲で、感情移入もできない。そのうち見ているこちらも無感覚になってきて、撃たれて死ぬのも「ああそうか」的な味方になってくる。怖さとかおぞましさ、緊張感はまったく感じない。あえてそういうつくりにしているのか。そういえば、音楽も淡々と単調に流れていたし。 もちっとアルジュンをヒーローに仕立ててもよかったんじゃないのかな。テロリストと戦わせるまではいかなくても、もっと知恵を働かせるようにして、偶然性でなく、脱出へと向かわせるようにするとか。だって、事態の解決は、デリーにいる特殊部隊が12時間後? だったか、えっちらやってきて、突入してからで、それまで延々となんとかルームに逃げ込んでたりするだけだったし。せいぜい、撃たれた女性を単独で病院に連れだそうとしたぐらい。それすら、途中で、勝手に突入してきた警官2人と遭遇し、その間になぜか、それまで息も絶え絶えだった女性が勝手にドアから逃げ出し、呆気なく撃たれてしまう。その後、アルジュンは警官を監視ルームに連れていく程度。働きが弱い。 料理長なんて、ただ居るだけだし。 アメリカ人夫婦が、謎だ。夫は何してる人? 金持ちの割りにラフな格好してるし、インド人妻はワガママそうだし。しかも、白人らしい若い乳母をつれている。どういう位置づけなんだ? むしろ、やり手のビジネスマンで、ホテルに女を呼んで大騒ぎしようとしてたロシア人の方が人間くさくて共感できる。いろいろ生きる知恵ももってそうだったし。 でも、デヴィッドもロシア人も、最初は人質扱いで拘束されていたのが、のちに呆気なく殺されちまうのだよね。不思議なのは、デヴィッドと一緒だったからなのか、妻のサーラも人質になること。テロリストも「地元民か?」なんていってて、でも殺さない。さらに、人質を殺せ、の命令でデヴィッドとロシア人が打たれた後、彼女はコーランの一部? を暗唱してテロリストの少年を困惑させる。無線では、「イスラム教徒でも殺せ」と言われるけど、テロ少年は銃声だけ無線で聞かせ、彼女を殺さない。彼なりの判断基準なんだろうけど、興味深い。他にも、死んだ女性の身分を探るために「ブラジャーの中に手を入れろ。そこに隠しているかも知れない」と無線で言われても「できない」と拒否したりする。このあたりの、イスラム教の教えの解釈が違うところも面白い。 というわけで、アルジュンが生き残るのは分かるけど、料理長、サーラ、乳母と幼児が生き残る必然性が、よく分からないし、終わってもスッキリしないのよね。 しかし、やっぱイスラム教が悪の根元だよな、という印象。イスラム教とは違う、過激派だ、とはよく言われるけど、仏教過激派とかキリスト教過激派とかヒンドゥー教過激派とかあまり聞かないし、あっても、イスラム教徒の攻撃に対する反応だったりするのが多いのではないの? という印象なんだが。 そして、ムンバイの警察の非力さ。デリーから特殊部隊がくるまで何もできないなんてね。 アルジュンがシークなのはターバンで分かってたけど、サーラがムスリムというのは、亭主は知っていたのかな。そこらへんは、興味深い。 ・そうそう。レストランで爆破テロに遭い、ホテルに逃げ込んだバックパッカーのカップル。女性の方は速攻撃たれたけど、男の方は、どうなったんだったけ? ・マスコミがホテル内の従業員に電話取材してて、生き残りがどこに隠れているか話してしまうとか、アホか、なところが描かれたりしてた。 | ||||
ミッドサマー | 3/18 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1 | 監督/アリ・アスター | 脚本/アリ・アスター |
アメリカ/スウェーデン原題は“Midsommar”。allcinemaのあらすじは「ある日突然、最愛の家族を失ってしまったアメリカ人学生ダニー。心配した恋人のクリスチャンは、男たちだけで行くはずだったスウェーデン旅行に彼女も誘うことに。彼らが向かったのは、スウェーデンの奥地で90年に一度開かれるという特別な“夏至祭”。こうしてダニーたち一行は白い衣装に身を包んだ村人たちに笑顔で迎えられ、9日間にわたって行われる神秘の祝祭を彼らと一緒に体験していくことになるのだったが…。」 Twitterへは「コミューン+カルトっぽい感じかと思ったら、想像の域を出なかった。前半で寝そうになって、なんとか持ちこたえた。いろいろうすら気持ち悪いので、すっきりしない。こういうのが、いまどきの若い娘に受けるのか。ふーむ。」「『ヘレディタリー/継承』を思い浮かべたんだけど、まさに、その監督だったのか。ははは。」 監督の過去作品も知らずに見ている私・・・。『ヘレディタリー/継承』の儀式が似てるなと思いつつ、他には『ゲット・アウト』の、迎え入れる人々の異様な雰囲気とか、『アンダー・ザ・シルバーレイク』にでてきた教団の感じとか、を連想した。その意味では、カルトや新興宗教にはステレオタイプがあるんだろう。 スェーデン。古から残る宗教、因習、儀式を守る集団があり、組織を未来へと継承するため、随時、外部の血を混入してきたが、その餌食となった若者たちの話だ。 冒頭からの一酸化炭素自殺は、原因がよく分からんので、うーむ。まあ、主人公ダニーには、心の隙間があった、ということを言いたいんだろう。で、ダニーの恋人クリスチャンと、大学の友人マーク、ジョシュ(黒人)をスウェーデンに誘ったペレはこの集団の一員で、始めから若者を連れてくるのが役割だったんだろう。麻薬でだんだんと感化されていき、逃げ出そうとする何人かは、おそらく殺され、男の何人かからは新たな精子の獲得に成功し、最後に、ダニーが女王になって興奮状態で終わるという、よくある感じのカルトなお話。意外性もなくて、淡々と見せていく。なので、集団に到着後、夏至祭の儀式がつづくあたりで眠くなり、数分、気を失った。けど、崖から投身自殺の直前に目が覚めて、以降は、「気持ち悪い話」と思いつつも、最後まで見たよ。 話の行方は色んなところで示唆されているので、その通りに進んでいくのを確認する感じ。たとえば、人間は「18歳、36歳、58歳〜72歳で区切られる(年齢はうろ覚え)」という話をしたとき、72歳で人生は終わるのか? と思わせておいて、しばらく後に、その年齢の2人が投身する。 それから、横断幕には女が陰毛を切る、陰部からの血を集める、熊を火あぶりにする、というような絵が描かれていて、そういうような話がつづいていく。なので、観客は「ああ、あれか」と分かるので、意外性が削がれる感じがあるかな。 ・90年に一度の夏至祭の特別性というのが、よく分からない。例年の祭では何をして、夏至祭では何をするのか? ・72歳の自死は、これは該当する人がいたら行うんだろうな。 ・新たな血の混入は、90年に一度ではないよね。これまた随時? ・近親婚を敢えてして奇形を生み出すようなことも言っていた。奇形の傀儡が描いた絵が、大事そうに収められていたけど、意味はよく分からず。 ・ダニー一行の他に、イギリスから来た、というカップルがいたよな。後半で、彼が先に帰って、それを知らされた女の方(インド人っぽい感じ)が騒いでいたけど、あれは、すでに彼が犠牲になっていたということか。女の子の方は、どうなったんだっけ? ・最後の生け贄の所で、新たな生を4つ得た、というようなことを言っていたけど、あれがよく分からず。クリスチャンは明らかだけど、他に考えられるのは白人のマークと、イギリス人男性。あと1人は? ・マークは、女の子に誘われてたから、セックスしたのかな。クリスチャンが性交儀式の後、逃げ込んだ小屋に背開きされてつるされてたのは、マークだよな。眼がよく見えなかったけど。聖なる原木に小便ひっかけたやつでもOKなのかね。※と思ったら、公式HPの完全解析ページによるとイギリス人男性だったらしい。区別つかないよ。じゃあ、マークはどこへ行ったんだ? ※公式HPの完全解析ページによると、小便のせいで村人に殺された、と書いてあった。では、精子は残してないのか? ・クリスチャンのベッドの下に付け文みたいな呪い札を置いたのは、だれ? 後にクリスチャンを誘ってまぐわった少女? ・奇形が描いた絵を撮影して、殴られたジョシュは、新たな生の対象にならなかったはず。絵を見たから? 黒人だから? 殴ったのは、だれだっけ。現れた男の影に向かって「ペレ?」と言ってたっけか? その黒人は、足が見えるように埋められてたけど、あれはなんなんだ。 ・クリスチャンが娘に誘われる場面。みながテーブルに着いてるんだけど、クリスチャンは落ち着かず、うずくまってる。もしかして、あれ、麻薬に勃起薬でも混ぜられて悶々としてたのかね。 ・性交家に連れ込まれると、娘が真ん中に横たわり、奥に裸の女が10人ぐらい。おばちゃんもいるのよね。な、なかで、処女なのか、痛がる娘の手を取るおばちゃんとか、コーラスしてて。そこでクリスチャンはキスもせずに性交に励む。儀式やね。はいいんだけど、途中からボカシがはいって。それまで、ぼかしてなかったのに、なんで? な感じ。 ・踊りに誘われ、最後まで勝ち残り、女王に選ばれたダニー。あれは出来レース? そのダニーが、9人の生け贄の最後の1人を選ぶんだけど、選ばれたのは自分を裏切って村の娘とまぐわったクリスチャン! なんだけど、他の生け贄がよく分からず。志願したのが2人だか何人だか。ペレも、志願してたっけかな。なんか、曖昧にしか覚えてない。※公式HP完全解析ページによると、クリスチャン、ジョシュ、マーク、イギリス人の2人、村の老人2人(これは崖から自死した2人?)、志願者2人だと。じゃ、ペレは入ってないのか。そのペレは、両親が目の前で焼死したと言っていたけど、これは生け贄になったことを意味しているらしい。ふーん。 ・小屋で、熊の毛皮を着せられたクリスチャンを中心に(なんで着せられたんだ? まだ生け贄になると決まる前に着せられてたよな。精子提供者にもランクがあるのか? よく分からん)生け贄が・・・。でも、運び込まれた体の下半身が、ないみたいに軽かったけど、あれは人形? 首だけ切り取ったのか? 1人、恐怖で叫んでたのがいたけど、あれはペレか? 燃え崩れる家を見て興奮の顔のダニーは、なんなんだ? 心の隙間を麻薬と儀式で埋めて、満足になっちゃったのかしら。で、彼女は、以後、この集団の中心人物として過ごしていくのかしら。 ・あと、あの村からアメリカの大学=俗世間に行く、っていうのが、アーミッシュっぽいなと思ったりした。 ・村の長老は、ビョルン・アンドレセンだと。へー。 ・ディレクターズカット版というのがあって、こっちはもっと人間関係が描かれているらしい。興味はあるけど、見る気はないかな。 ・公式HPに完全解析ページというのがあって、それを読むと…。 | ||||
パリの恋人たち | 3/21 | ギンレイホール | 監督/ルイ・ガレル | 脚本/ジャン=クロード・カリエール、ルイ・ガレル |
原題は“L'homme fidèle”で、「忠実な男」の意味らしい。allcinemaのあらすじは「パリに暮らす青年アベルは、同棲している恋人マリアンヌから妊娠を告げられ喜んだのも束の間、“あなたの子じゃない”と非情な事実を告げられる。しかも相手はアベルの友人ポールで、すでに結婚することも決まっていた。数年後、ポールの訃報が届き、告別式でマリアンヌと再会したアベルは、彼女への未練を再燃させる。しかしマリアンヌの隣には8歳になった息子ジョゼフがいた。おませなジョゼフに妨害されながらも、再び距離を縮めていくアベルとマリアンヌ。ところがそんな2人の間に、少女の頃からアベルに夢中だったポールの妹エヴが強引に割り込んでくる。無邪気で一途なエヴの積極的なアプローチに戸惑いを隠せないアベルだったが…。」 Twitterへは「ねじれた関係の男女のあれやこれやを、どうどうめぐりにこねくり回して、どーでもいいバカ話にしてて、昔からよくあるフランス映画らしい感じ。なかなか楽しい。」 いきなり冒頭からズバリと始まる。同居してるマリアンヌから「私、妊娠した」と告げられるアベル。でも相手は友人のポールで、子供もポールの子供。近々結婚する。出て行ってくれ。笑っちゃうぐらいムダがなくてよい。アベルは怒りもせず、でもちょっとショックだったのか、階段を転げ落ちたらしく、鼻血を出して歩いて行く。そのアベルにハンカチを渡す可愛い少女がいて、当たり前のように受け取って振り向きもしない。この少女が、エヴだったのね、とあとから分かる! 気が利いてる描写。で、その夜、憂さ晴らしに別の女と寝て、翌日にはその女のことは忘れてしまう。のだけれど、簡単に寝られる相手がいるっていうのが、そんなのありか? と思ってしまう。ま、映画的ご都合主義だろうけど。 てなわけで9年後ぐらい、と場面が変わり、ポールの訃報でマリアンヌと再会するアベル。なぜかアベルは彼女にいまだに気があるようなんだけど、どこがいいのかな。美人じゃないし。復縁を迫るためか、いろいろアプローチするアベル。遠慮しつつ、どんどん家に連れ込むマリアンヌ。息子ジョセフは「母さんが父さんを殺した」「母さんは医者と浮気してる」とアベルに告げ、その事実を探るアベル。なんだなんだ、な展開。 と思ったら、亡き夫ポールの妹エヴが登場。なんと彼女は子供のときからアベル命のストーカーで、でもずっと無視されつづけてきて、いまだにストーカーとしてるという変な娘で、この意外な展開で話が俄然面白くなる。アベルが羨ましく見えるしね。 いつのまにか、マリアンヌと同居しているアベル。息子ジョセフが「そんなの当然」と思ってるようなのが不思議。なんか、むかしのフランス映画って、こんなフツーじゃない感じがあったよなあ、と少しなつかしい。 にもかかわらず、エヴのアタックはやむことなく、アベルの仕事場にもやってくる始末。なのでアベルがマリアンヌに相談すると、なら1、2回寝てあげれば? とあっけらかん。じゃあ、とアベル。しばらくして、アベルが荷物を取りに来る。「エヴがうちに来てっていうから」と、またまた素っ気ない。マリアンヌは「帰ってくるの? 帰ってこなくてもいいけど。別の恋人を探すから」と、これまた素っ気ない。 しかし、とくにヨーロッパでは、ロマンスや結婚話で永遠の愛とかいうくせに、パートナーが遠隔地へ単身赴任したり亡くなったりすると簡単に新しい相手を探したりする。世の中そういうものなのか、子供たちもそういうのに慣れっこなのか。なんか常識が違う。これって、映画のなかだけのことなのか? どうなんだろ。 で、エヴの狭くて子供っぽい部屋に転がり込むアベルだけど、「欲しいものが手に入ると飽きるのが常」というエヴの独白があって、男としてもフツーだし、セックスもいまいち、とさんざん言われてしまってるアベル。いや、そういうものだろ。それを我慢するのが男女の縁だろ。と思うんだけど、ストーカー不思議ちゃん娘は分からない。 そこに情報屋ジョセフ登場。マリアンヌがアベルに「なら1、2回寝てあげれば?」と話したくだりの録音を聞かせてしまう。怒り心頭のエヴは、アベルの荷物を廊下に放り出し、アベルは放浪の人に・・・。で、マリアンヌのところに戻るんだっけか? 彼女の仕事場である官邸の中の事務室に向かって、ガードマンに取り押さえられるんだったか。よく覚えてない。 なんか、再び元のサヤに収まった、んだっけ、なマリアンヌとアベル。そのマリアンヌに、ジョセフが行方不明の情報が入ったのは、あれはどこからなんだ? 学校から、登校していない、ということだったのかな。で、エヴに電話すると、「それは気がつかなかった」と言って向かうのが墓地で、父親ポールのものだろう。そこで3人並んでうなだれて。ジョセフがアベルの手を握ろうとし、戸惑いつつ、握り返す。でも、母親の手は握らなかった。という様子を背後から見ているエヴ、というところで終わる。なかなか不思議に面白かった。 ・アベルとマリアンヌが同居してた部屋。アベルが出ていって、入れ替わりにポールがやってきて、ポールの死後、アベルが転がり込む。女主体の生活なのか。よく分からないけど。 ・ジョセフは誰の子? と思ってたけど、映画の中でもマリアンヌがアベルに話していた。結局は、どちらか分からない、らしい。父親を決めるのに、コイントスしたんだったか。それでポールにした。その結果、最愛の恋人を失った、とも。でも、ポールも同じくらい好きだった、とも。しっかし、平気で男2人と関係をもつ女というのもなあ。なんて思ってると、「あなただって、同居してるとき、別の女性とセックスしたでしょ?」といわれ、窮するアベル。うーむ。そりゃそうだ。男女平等か。 ・馴染みらしいレストランが2度、か、3度でてくる。シェフが黒人で、アシスタントのスタッフは中東っぽい顔つき。この彼女の存在が、別にセリフはないけど、面白い。 ・ジョセフが、母親の浮気相手、という医者をみつけて訪ねるアベル。マリアンヌとの疑惑を追及すると、「私はゲイ」といなされる。と思ったら、後にマリアンヌが「くどかれた」と言ってるところを見ると、その程度のことか。それをみてジョセフは浮気してると、大げさに言った訳か。この医師、ラスト近くでレストランでマリアンヌとアベルがいちゃいちゃしてると、女連れで登場する。なかなかおかしい。 ・エヴ13才役のDiane Courseilleが可愛かった。アベルにハンカチ渡す少女として、最初、何気で登場してた。 | ||||
ジョン・F・ドノヴァンの死と生 | 3/24 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/グザヴィエ・ドラン | 脚本/グザヴィエ・ドラン |
カナダ/イギリス映画。原題は“The Death and Life of John F. Donovan”。allcinemaのあらすじは「2006年、ニューヨーク。ある日、スター俳優のジョン・F・ドノヴァンが29歳の若さでこの世を去る。謎に包まれた彼の死の真相を探る上で、鍵を握っていたのは11歳の少年ルパート・ターナーとの秘密の文通だった。ルパートはアメリカからイギリスに引っ越し、学校でイジメに苦しんでいた。そんなルパートにとって、憧れのスター、ジョン・F・ドノヴァンとの秘密の文通だけが心の支えだった。ドノヴァンの死から10年後、新進俳優となったルパートは、ドノヴァンとの100通以上におよぶ手紙の公開を決意し、著名なジャーナリストの取材に臨むのだったが…。」 Twitterへは「冒頭から話がよく分からず。後半アバウト分かってきたけど、それがどうした、な話でいまいち入り込めず。オバサンになったナタリー・ポートマン、スーザン・サランドン、キャシー・ベイツでてるけど、あまり機能してない。」 なんだかよく分からん話で、最初から話に入り込めず。 最初はどんな場面だっけ。よく覚えてない。3つの軸があったはず。ひとつはカフェにいる親子。ホテルがどーの、手紙がどーの、青いインクがどーの、母親の手に青いインクの跡・・・なんだ? もうひとつは、女性がどこかの部屋を開け、「シド・ビシャスの部屋みたいな臭い」とかいってたんだっけか。これは、ドノヴァンの遺骸があった、となんとなく分かったけど。あとなんだっけ。忘れたので予告編を見て、現在のルパートにインタビューする黒人女性のパートだった、と思い出した。はは。 で、遡って、あれやこれや、なんだけど、相変わらず話がよく分からない。ときどき現在のルパートのインタビューが挟まり、母子の話と、ドノヴァンの話が進む。だけど、交わることがない。 そもそも文通は本当なのか? もしかして妄想なのか? あるいは、母親が書いていたとか? ドノヴァンが友人の役者を殴るあたりも、ドノヴァンはさっさと本当なのかどうか言えばいいのに、なかなか言わない。じらす演出がイラッとさせる。 それとこの映画、ダイアログがポンポン飛ぶ。質問に対して答えるような、分かりやすく積み重ねるのではなく、別の内容を応えていたりして、とても分かりづらい。意味深な感じはするし、想像をかき立てられる人もいるかも知れないけど、こちらはついていくのが難しいとしか感じず。 インタビューを受けているルパートが、現代では有名スターになっている、っていうのも、後半でなんとなく分かった程度。いや、じっくりセリフを聞き漏らさず見れば、観客につたわるような構成とセリフになっているのかも知れない。けれど、字幕を読みつつ、ではセリフのニュアンスも分からないし、話を追うだけでも大変。なので、飽きてくるし、たしか、前半で少し寝たんだったかな。 で、あの文通は本当だったのか? 本当だとしたら、なぜドノヴァンはルパートだけに手紙を書いたのか? も、結局、よく分からなかった。ルパートがどうやって役者になったのか? そもそも、ドノヴァンはなぜ死を選んだのか、とか、よく分からずじまい。ドノヴァンの死を発見した女性は、ありゃ誰だ? とか。ぼーっと見てるこちらが悪いのか? いや、話に引きずり込んでくれない映画も、ダメなんじゃないか、と。 あと、えーと、ドノヴァンが友人の役者を殴った直後だったか(亡くなった後だったか?)、ルパートの家にマスコミが押し寄せてたけど、マスコミはルパートの家をどうやって知ったんだ? いろいろ、もやもや、な映画だった。 ルパートの母親に、ナタリー・ポートマン。オバサンになった。はいいけど、よく分からんキャラだ。あと、ドノヴァンの所属する事務所の社長?がキャシー・ベイツ。どちらも大物だけど、大物が演じる役でもない感じ。 そういえば、ドノヴァンは干されてたけど、あれはホモだから? 干されて金がなくなったのか? いろいろ、分からんままだ。やれやれ。 ・インタビューアーは、『ER』の人だ。タンディ・ニュートン。 | ||||
真実〈特別編集版〉 | 3/26 | ギンレイホール | 監督/是枝裕和 | 脚本/是枝裕和 |
日本/フランス映画。英文タイトルは“The Truth”。allcinemaのあらすじは「フランスの国民的大女優ファビエンヌが、『真実』という名の自伝本を出版することに。海外で脚本家として活躍している娘のリュミールは、人気テレビ俳優の夫ハンクと娘のシャルロットを伴い、パリ郊外のファビエンヌの屋敷を訪ねる。お祝いの名目でやって来たリュミールだったが、気がかりなのは本の中身。事前に原稿チェックができなかった彼女は、さっそく出来上がったばかりの『真実』に目を通す。翌朝、リュミールが苛立ち紛れに内容のデタラメぶりを非難すると、“真実なんて退屈なだけ”と平然と言い放つファビエンヌだったが…。」 Twitterへは「思った以上に退屈。特別編集はオッサンたちの登場パートが多いらしく、ムダにだらけてて、母娘の対立もぼやけてた。キレがよくなったのは最後の10分ぐらいかな。ビア樽ドヌーヴは貫禄十分。」 どんな嘘と、どんな真実が? 母娘の対決やいかに? と思っていたら、とくに虚々実々な駆け引きもなく、たんたんと進んでいく。是枝裕和の、これまでの映画のような暗い影、鬱々とした空気、皮肉っぽい眼差しが、ほとんど感じられない。フツーによくある、わけ分からんフランス映画になってた。意図してそうしてるのかね。 わざわざアメリカから出版祝いに駆け付けた娘は、「本当のことが書いてない」というけれど、それほとせ憤っているようにも見えない。それに、学芸会を見に来なかった、程度のことをあの年になってもあれこれ言うか? という感じ。だいたい、芸能人なんてみんな嘘の固まりだろうに。笑って見過ごせばいいではないか、と思ってしまう。 とはいえ、最後の最後は、ちょっとだけ騙し合いが効いていたのは、かな。映画の撮影で、サラの再来と騒がれてるマノンという女優がいて。初めはバカにしてたのが、だんだん、結構やるじゃん、という具合になって。クランクアップ間近の演技で、自ら盛り上げるような演技をして、周囲をうならせた、のかな。で、撮影終了。の夜、ファビエンヌがリュミールに「ほんとは学芸会、見に行ってたのよ」とかいって、娘が母にすり寄って、仲直り? と思ったら、突然、ファビエンヌが「今日のシーン撮り直したい」と言いだすのだ。呆気にとられる娘リュミール。もしかして、学芸会を見に行ってた、というのは嘘で、娘を懐柔させるためのもの? それに上手く引っかかった娘。それを見て、この手を使えば、あのシーンはもっといい映像になる、とでも思ったのか? 娘まで騙す役者のファビエンヌ。何を考えてるかと思えば…。という読みをしてしまったのだけれど、これは当たっているかいないのか。知らんけど。 だいたい、「サラの再来」という言葉はでてくるけど、サラって誰よ? 昔の、ファビエンヌのライバル? ファビエンヌは、プロデューサーと寝てまでも、サラに決まっていた役を奪い取って、セザール賞を獲った? それはいいけど。サラは、リュミールにどういう影響を与えたか、とか描かれてないし。隔靴掻痒。 ・撮影していた映画の設定が、よく分からなかった。SFで、病気の母親が、宇宙旅行していると歳を取らない、ということで宇宙に飛び立ち、ときどき地球に戻ってきて娘に会うけど、娘は地球時間でどんどん歳を取り、やがて自分を追い越して老いていく、というような話なのか? ・ずっと付き人をしてきた老紳士が「本に、私のことが一行も登場しない」って、きっぱり辞めていくのが、おかしい。 ・亭主とは、いと、どうやって別れたんだ? 別れたのに、なんで、勝手に家に入ってきて、一緒に食事してたりするんだ? ・ファビエンヌは、住み込みの手伝い男と、ずっと関係してた、のか。いつから? ・ファビエンヌが、誰に対してだったか、「猫派には気をつけろ」と言ってたけど、猫嫌いなのか。これは、監督がそうだからなのかな。知らんけど。 ・名字と名前が同じ俳優は名優、という話題になって、名前がどんどん挙がっていく。BBと出たところで、「えー?」な顔になったドヌーヴ。大丈夫なのか? そんなこと公言して。 ・娘の夫役に、イーサン・ホーク。たいして機能していないのに、やたら出番が多い。公式HPによると、特別編集版では「脇で彼女たちを支え、見守り、時にはさりげなく優しい的確なアドバイスを送る男性陣にも、よりスポットライトが当たります。イーサン・ホーク他の出演シーンも盛りだくさんとなります」だそーである。それで、付き人と手伝い男の出番も、ムダに多かったのか。 | ||||
星屑の町 | 3/31 | テアトル新宿 | 監督/杉山泰一 | 脚本/水谷龍二 |
allcinemaのあらすじは「大手レコード会社の社員だった山田修をリーダーに、歌好きの飲み仲間たちで結成されたムード歌謡コーラスグループ“山田修とハローナイツ”。それぞれに事情を抱え、まったく売れないながらも、ベテラン女性歌手のキティ岩城と地方のドサ回りで細々と活動を続ける日々。そんなある日、東北の田舎町で東京から出戻ってきた地元の娘・愛と出会う。歌手になる夢を諦めきれない愛から、ハローナイツに入りたいといきなり直訴され、戸惑いを隠せない山田たちだったが…。」 Twitterへは「のん が前面に出てるけど、むしろ端役にしてハローナイツを描いた方が映画になるような気がする。コメディだけど最後は残酷。戸田恵子は歌うまいけど、あとの・・・。演出は勘所が悪いし、カメラは意味なくブレて酔った。で、父親は誰なの?」 脚本の水谷龍二の本業は劇作家で『星屑の町』は人気シリーズらしく、その映画化のようだ。 冒頭は愛(のん)と、村の青年・星一の遭遇。どこかの場末のステージで歌うハローナイツ。で、スナック、という流れだったかな。スナック内で、親子でスナックの母娘に惚れてるとか、娘の実の父親はハローナイツの誰か、とかいう話が会話の中でされるんだけど、セリフの中に名前がゴロゴロでてきて、それは誰だっけ? 状態。枠組みをここで紹介してしまいたかったんだろうけど、見ている方はあたふた。説明ゼリフは、聞き逃したらちんぷんかんぷんだ。他にも、ハローナイツは地元出身、てな感じになっていくんだけど、そういうことこそ、最初にはっきり説明してくれないと分からない。リーダーの山田・兄と地元の山田英二は兄弟だったのね、と後から分かってくる。要は、脚本がこなれてないということなんだが。 『あまちゃん』は見てないんだけど、かすかに聞き及ぶ限りでは、なんか、愛が上京して歌手になりたい、とかいう部分は、似てるんではないの? 知らんけど。舞台が岩手なのも同じ。見え透いてる感じ。 しかし、いまどき演歌歌手になりたい娘がいるのか? かつて上京し、騙されて帰郷し、でも、相変わらず芸能界希望みたいなバカ、いないだろ。地元青年団が開く歌謡ショーなんかも、ないだろ。あんな場末を渡り歩く三流コーラスグループもないと思うけど。まあ、あるかもしれない、まだきっとあるよね、という期待を抱かせる、という話なのかも知れないが。 要は、コーラスグループのリードボーカル天野が独立しようとしていて、村のステージが最後になる。天野が去って、コーラス一同は、メンバーに入れてくれと言っていた愛を仲間に入れ、ドサ回り。でもなぜか人気が出て来て、テレビにも引っ張りだこ。な、なかで、歌謡ショーで青年ボーカルグループと知り合いになる愛・・・。愛はグループを抜け、田舎の青年・星一と所帯を持つのか、と思ったらさにあらず。なんと、青年グーループに加入して、我が道を行くのかよ。コーラス連中を捨てたのか。残酷非情。 コーラス5人は、かねて知り合いのキティ岩城をボーカルにしてドサ回り・・・。という車内に、独立したはずの天野が戻ってきて、とりあえずハッピーエンディングみたいなカタチになってるけど、いいのか、それで、という感じ。もやもや。もやもや。 とはいえ、いちばん面白くなりそうなのは、ハローナイツ内のゴタゴタで、あるよな、こういうこと。という部分を深掘りして、おっさんの話にすれば、映画としてもっと面白くなったはず。なので、星一の、のんへの淡い恋物語とか、要らんのよね。せいぜい山田英二とスナックママにして愛の母親との中年ロマンスがあればいい。 愛は、もっとひねた役で、チラチラ写りつつ、最後にかっさらう的な役柄にすりゃあよかったんだ。『イヴの総て』みたいに。だから、のん じゃなくて、もっと素朴な娘がいいんだが・・・。だって、田舎の青年と、コーラス隊5人のおっさんを、軽く捨てちゃうんだぜ。悪女だろ。 ・のんは、出番が多すぎ。客寄せのためかも知れないけど、かえって映画の質を落としている。彼女の役はもっと無名の20才ぐらいの素朴でずる賢さを感じさせる役者に演じせさせるべきだったかも。それも、かなり端役にして、セリフもあまりないような。その方が、愛の存在は目立つと思う。 大人の映画にせず、のん 目当ての客を呼び込もうとしたところに間違いがあると思う。 コーラス隊5人も、いまいちはっちゃけてなくて、決められたセリフをしゃべってる感じ。もっと自由にさせればいいのに、と思ったり。 ・リードボーカルの天野(大平サブロー)、低音がかすれてるし出なさすぎ。停電でPA使えないという笑いネタで歌うとき、はっきり分かりすぎて気の毒なほど。 ・でんでんが、歯を抜くところ。「必殺仕事人」風の描きたかが、よかった。 ・のん。セリフ下手は相変わらずの一本調子。歌も、声は出てるけど音域が狭くて低音域が出せない。こちらも一本調子。彼女は、役も映画も限られるよね。 ・つなぎのタイミングが、半歩ズレる。ギャグのあとの、呼吸を置きすぎの間が、変な感じ。編集がよくない。 ・なぜか知らん、カメラがムダに揺れすぎ。どういう意図か全然理解できない。めまいがして吐きそうなぐらい。 なぜ、愛はハローナイツにこだわったのか? もしかして、自分が有名になれば父親が現れてくるかも、を期待したのか? と思ったら、そうでもないらしい。そこも弱い。やっぱり、母親が言うように、海で遭難したのか? |