2020年6月

レディ・マエストロ6/17ギンレイホール監督/マリア・ペーテルス脚本/マリア・ペーテルス
珍しやオランダ映画。原題は“De dirigent”で、指揮者のこと。allcinemaのあらすじは「1926年、ニューヨーク。養父母とオランダから移民してきたアントニアの夢は、未だ女性では一人もいなかったプロの指揮者になること。音楽への情熱は誰にも負けないアントニアだったが、そんな彼女の前にはいくつもの高い壁が立ちはだかっていた。それでも夢を抱き続けたアントニアは、流れ着いたベルリンでついに女性に指揮を教えてくれる指導者と巡り会うのだったが…。」
Twitterへは「女性指揮者のはじまり物語。事実ベースらしいけど、波瀾万丈ドラマとして面白い。ロマンスとかルーツ探しとか脚色されてるんだろうけど、惹きつけられる。最初に拾ってくれたバーのベース弾きロビンが最高にいい。」
劇場で働いてるのにステージ最前列に椅子もってって座って聞くとか、あらやこれや図々しい女から始まるので、いささかうっとうしい。たぶん本人の主な経歴だけをもとに、こうしたエピソードやロマンス、出自のあれこれはフィクションなんだろう。けど、冒頭の、劇場をクビになるきっかけになったフランクとの出会いとか、その後のロマンス、指揮者ゴールドスミスのセクハラ、音楽学校、故国オランダへの墓参、指揮者に弟子入り、ドイツで指揮科に合格、ベルリンフィルで指揮、アメリカに戻ったら相手にされず、なんとか初仕事を得ても以後つづかず。なので、役所の仕事なのか、地域のオーケストラの指揮を無観客で行うとか、果ては女性だけのオーケストラの創出と、流れはフィクションみたいに展開してて、飽きない。女性ゆえの差別や偏見、それに立ち向かうアントニアも、キリリとしてカッコイイし。見応えがあった。
・冒頭の場面。トイレでフランクと出会うんだけど。フランクの立場はなんだったんだ? ただの観客ではないようだし。劇場に投資でもしてる立場なのか?
・ゴールドスミスに誘われ、行った先がフランクの実家? そこで著名な音楽家と出会うんだけど、あれはどういう場だったんだ?
・ここで、簡単にフランクとキスしちゃうのは、おいおい。いつフランクのことが好きになったんだ?
・ゴールドスミスの個人教授代を払うのに、職探し。で、ロビンと出会い、楽団のピアノ弾きに。という、これ、裏テーマになってて、すごくいい。オカマっぽいロビンがアントニアに優しくて、コルセットをしている、のが事故のせい、という話だったけど。これまた謎の伏線。さらに、ドイツに行ってから、謎の女性から生活費が送られてきていて。それが、後半で分かるくだり(女性オーケストラのオーディションでの出会い)は、おお! という驚き。オカマじゃなくて、ロビンは女性だった! それでか。すべて氷解。
・分からなかったのは、養子になった経緯と、実は実母はアントニアを取り戻したかった。裁判所の呼び出しに、義父母が応じなかった、とかいうところ。そして、オランダの修道院にいたのは、あれは実母の妹?
・わざわざ娘を金で買ったのに、その娘に冷たい義母は、ありゃなんだ、という気が少ししたぞ。オランダからの移民は、掃除婦とか汚れ仕事しかなくて、暮らしが大変だったのかも知れないけど。
・あと、いい場面だなと思ったのは、帰国して地域のオーケストラの指揮をしまくるところ。アメリカって、オーケストラがたくさんあるのね。楽団員になりたい人、趣味でやってる女性たちとか、層の厚いのに驚いた。
・映画の時代は1920年代半ば〜30年代半ばなんだけど、あんまりその雰囲気が出てないのがちと残念。
・あとまあ、女性蔑視とか、女は家にいて子供を産めばいい、というのは、100年近く前だからなあ。
※2ヵ月半振りの映画館。ギンレイは、席が2/5ぐらいになっていて、3人がけのところも、1人と2人が前後につづくし。今月の6日か7日から自粛解除して、従来の2本立てから、奇数と偶数で違う映画を1本かけるというスタイルに。なので、2本見るには2回行かなくちゃいけない。しかも、毎回、入替制。そのせいで客席は埋まってないけど。今日は、40人足らずだったかな。
なぜ君は総理大臣になれないのか6/19ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/大島新脚本/---
allcinemaの解説は「大島新監督は、2003年の衆議院解散総選挙で、民主党から初出馬した弱冠32歳の青年・小川淳也に初めて出会う。以来、その愚直とも思える誠実な姿勢に惹かれ、定期的に会う関係を築き、節目節目でカメラを回していった。本作はそんな大島監督が、2005年に初当選し、すでに当選5期目を迎えた衆議院議員・小川淳也の17年を振り返り、理屈や理想が軽んじられる日本の政治風土に翻弄され、挫折を繰り返してきた苦闘の政治家人生を赤裸々に記録したドキュメンタリー」
Twitterへは「元民主党議員小川淳也のドキュメント。東大卒、官僚から転身という時点で関心の埒外。両親、妻、2人の娘も嬉々として応援してる姿は哀れ。前川、小池と頼る相手選びに失敗しつつ、したたかに生き残る不思議。監督は大島渚の息子。」
議員になろうと思ったことがないので、この人の気持ちはまったく分からない。小川32歳のとき監督が提示したドキュメントの題名に「議員になりたい、ではなく、ならなくちゃいけない、という気持ち」といっていたけど、なんか偉そうだよね。ある程度は、まっすぐで純なんだろう。でも、民主党で前原につき、共に行動したというところから、パートナー選びに失敗してる感じ。小池百合子に翻弄されて民進党が分裂したときも前原に従い、小池の希望の党を選択。選挙区で落選し、比例で復活してる。他にも、細野豪志を応援したり、どーも、悪いクジばかり引いてる感じ。なのに、比例で復活が数度で、無所属から立憲民主に加わり、衆院5期だから、立派なもんだけど、なにが「議員でいる限りは総理をめざす」だよ、という気がする。あれこれしがらみに翻弄されつつも、したたかに生き残ってるじゃないか。仕事が議員になってるよ、と思う。32歳の頃のキラキラ輝いていた雰囲気は、もうない。
母親は「もう、返してくれ」といいつつ、選挙事務所であれこれ仕切る。父親や、娘二人もかりだして、家族で小川を応援している。あんなの、恥ずかしくないのかと思う。娘たちは「恥ずかしい。嫌だ」といいつつ、「娘です」と書いたタスキをかけて、応援する。バカかと思う。というか、両親も娘たちも、要は、国会議員の父親が自慢なんだろ、どこかで。嫌なら、自立してどっかへ行ってるはずだと思う。
監督は大島渚の息子らしい。小川も、それを知って、監督に接近してるんじゃないのか。なんかな。そういうのも含めて、あれこれ利権だろ、と思う。
その手に触れるまで6/19ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ジャン=ピエール・ダルデンヌ脚本/ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ
原題は“Le jeune Ahmed”。若いアーメド、つまり、名前だな。allcinemaのあらすじは「ベルギーに暮らす13歳のアメッド。最近までごく普通の少年だったが、兄と共に小さなモスクに通ううち、いつの間にか導師の語る過激思想に染まっていく。やがて、ある出来事がきっかけで、アメッドは導師の言葉に従い、恩人であるはずの女性教師イネスを背教者と決めつけ、聖戦の標的と信じ込むようになる。そしてイネスの殺害を計画し、ナイフを手に彼女のアパートへと向かうアメッドだったが…。」
Twitterへは「ベルギー在住のアラブ少年が導師に感化されプチテロリストに・・・。でも感化された経緯はよく分からんのよね。個人の資質だろ。洗脳された連中は解くべきだと思うし、中東に帰ってもらうのがいちばん、と思ってしまうな、こういうの見ると。」
突き放したように客観的なドキュメントタッチは『ある子供』『息子のまなざし』なんかと似てるなと思ってたら、その監督だった。
フランスかと思ったらベルギー。アラブ移民の子供が、雑貨店を営む導師に影響を受け、課外授業(?)の女教師を刺そうとして少年院に入れられ、そこでフランス少女にいい寄られるけど突き放し、その帰路、担当管理者のクルマから逃亡。女教師を、そこらの釘で刺そうと学校の屋根に登るが落下。女教師に助けられると「ごめんなさい」と言う、という尻切れトンボな話。いまいちすっきりしない。
少年には親がおらず、母親はストレスでか毎日軽く晩酌。飲酒がコーランに反すると少年は母を非難する。姉と兄がいるのか? 2人はまともで、概ね欧州の規範に則りつつイスラムを信仰してるけど、少年だけ原理主義に走る。理由は分からない。個人の資質としかいいようがない。導師は雑貨屋店主で、そこで少年はバイトしてるのか。
課外授業の女教師は、少年が幼い頃、病気になったとき親身に世話してい様子。でも近ごろは、授業終わりに握手もしない。結婚前に女性と触れるにはタブーだから、みたい。で、授業の一環で歌でアラブ語を教えよえとして、父兄や生徒が議論する場があるんだけど、コーランで十分派もいれば、新しい言葉は必須派もいてまとまらん。てなことを少年が導師にいうと、導師が女教師を非難するようなことを言ったのだが、それを「殺せ」と言われたと取って、凶行に及ぶが失敗、という経過。
少年院では定時のお祈りも尊重されるし、概ね丁寧に扱われるけど、原理主義に陥ってはムリだね。あんなの、洗脳を解かなきゃダメだよなと思う。そもそもムスリムは自分たちのルールを周囲に押しつけ、どこに言っても自分の行動はイムラムに支配されている。郷に入っても郷に従わない。いくら教えでも、それはずるいだろ。だったら、国へ帰ればいい、としか思えない。
不思議なのが、少年が実習する農園で、そこで働く同年代の娘が少年に好意を持つこと。ベルギー人とかフランス人って、黒人やアラブ人にも差別なく、付き合えるのか。だって、彼女から少年にキスしようとするんだぜ。分からん。で、キスまでしちゃうってことは、少年も心が動いたということか。でもそれは悪だから、悪を正当化するには、娘に改宗してもらわないとまずい、というわけで、改宗しろ、と迫るのはアホとしか言いようがない。
すべての問題はイスラム教にあるとしか思えないね。
ルース・エドガー6/21シネ・リーブル池袋シアター2監督/ジュリアス・オナー脚本/J・C・リー、ジュリアス・オナー
原題は“Luce”。名前だけど、「光」の意味があるらしい。allcinemaのあらすじは「バージニア州アーリントンの高校に通うアフリカ系アメリカ人のルース・エドガー。文武両道の優等生で、将来を嘱望される地域の希望の星だったが、ある日、危険思想に言及したレポートを問題視したベテラン教師ウィルソンによって、ロッカーの中から違法な花火が発見される。連絡を受けた養父母のエイミーとピーターは、プライバシーを無視したウィルソンのやり方に反発しつつも、これを契機にいつしか息子への疑念も芽生えてしまうエイミーだったが…。」
Twitterへは「ザワ、ザワザワザワザワ、ザワザワザワザワ・・・。白人と黒人、黒人同士。その建て前と本音、思惑、邪悪さ・・・。ある場合なら軽く流してしまえる物事を、悪い方に悪い方に解釈して話をつくると、こうなる、というような感じだった。」
舞台劇が原作らしい。分かったような分からないような、よく分からない話。
黒人の女教師ウィルソンは、生徒をパターンにあてはめて評価する、と生徒に評判が悪い。生徒エドガーは、紛争地エリトリアから7歳で米国に来て、白人養父母に育てられた。艱難辛苦を超えて成績優秀な生徒。ウィルソンはその事実を記号のようにテンプレ化し、えこひいきする。エドガーはそれが苦痛。もしエドガーがアイビーリーグーに進学すれば、ウィルソンの評価になる、ということを無意識に実行しているわけか。ウィルソンは黒人生徒Dのロッカーで大麻を見つけ警察に通報。Dは奨学金を打ち切られ、部活も退部する。でも、大麻はみんな吸っていて、エドガーもそうで、でも、ロッカーで見つかったDだけが貧乏くじを引いた様子。てな後で、ウィルソンは他の黒人生徒の前で「エドガーを見習いなさい」的なことを言った、らしい。これまたエドガーにとってはプレッシャー。
もうひとつ。あるパーティで性的被害にあった、と噂のキムの問題があって、彼女のことも、被害者=気の毒、というレッテル貼りをしている模様だけど、ここはあまり描かれない。
そういうテンプレ化が、どう嫌なのか、はあまり描かれない。この程度は、誰でもするんじゃないのか、とも思うんだけどね。
さて、面倒なのは、エドガーとキムがずっとつき合っていて、養父母は知らなかったこと。さらに、エドガーとDは、あいかわらず仲好し・・・的な背景があるところに、ウィルソンはエドガーのヤバイ思想傾向を発見する。歴史上の有名人の立場に立って論文を書くという課題でエドガーは革命家(?)を取り上げ、その結果、目的達成のためには手段を選ばず、という思想の持ち主と思われてしまう。というか、意図的にそういう論文を書き、意図的にそう見られるよう仕掛けたのだろう。そしてさらに、ウィルソンは、エドガーのロッカーから、持ち込み禁止されている花火を発見する。
というような背景で、伏線がちらちらぱらぱらと撒かれ、でも、たいして回収されないまま、なんだかよく分からない状態で後半へと突入する。見てて、とてもやな感じのする映画だ。
だんだん分かってくるんだけど、エドガーとキムとDの3人が、ウィルソンを罠にはめて再起不能にする話だ。はっきりそうとは描かれないけど、示唆している。花火がロッカーに入れられた場面は、冒頭近くにあったようだけど、よく覚えてない。もう一回、あの部分を見たいものだ。ウィルソン宅への落書きや、学校での花火の爆発は、キムかDがやったんだろう。
しかし、そこまでするほど、ウィルソンは憎いか? なんか、エドガーの邪悪さがじわじわきて、気持ち悪い。理想の生徒を演じさせられるのは御免、は分かるけど、じゃ、悪になるかと言えば、ならない分けで。自分も大麻を吸いました、とも言ってないわけだろ。なんかなあ。
・チェンジ、とか、オバマとかでてくるけど、つながりがよく分からず。
・水槽の魚(デニスという名前)を、手で放り投げて飛ばした、というエピソードは何を意味しているのか、もよく分からず。
・エドガーの母親役、ナオミ・ワッツは50デミボコか。でもまだ、美しい。父親役は、ティム・ロス。いまいち、芒洋な感じ。
イエスタデイ6/22ギンレイホール監督/ダニー・ボイル脚本/リチャード・カーティス
イギリス映画。原題も“Yesterday”。allcinemaのあらすじは「売れないミュージシャンのジャックが夢を諦めたその日、世界規模で12秒間の大停電が起きる。その瞬間、交通事故に遭い、意識を失って病院に担ぎ込まれたジャック。彼が目覚めると、そこはなぜか歴史上からビートルズの存在が完全に消えた世界になっていた。ジャックが仲間たちに弾き語りでビートルズの『イエスタデイ』を披露すると、幼なじみで友人のエリーは初めて聴く美しいメロディに驚き、大感動してしまう。やがてジャックが歌うビートルズの名曲の数々は、彼の持ち歌として世間の注目を集め、瞬く間にスターへの階段を駆け上っていくジャックだったが…。」
Twitterへは「ビートルズのいない世界へ・・・。パラレルワールド物だけど、SFというよりファンタジー。ビートルズの楽曲のあれこれも楽しいけど、ロマンスのほうも、やきもきさせてくれる。ビートルズ以外にもないものがあって、そういう小ネタも楽しかった。」
もし、だったら、な空想話を、ビートルズの名曲をつれづれにしながら見せていく。最初は、ジャックが癒えて友人の前で弾き語りする「イエスタデイ」。みなの表情が変わる。みなにとっては初めての曲。でもジャックにとっては、耳慣れた曲。このシーンは、ちょっと鳥肌。
で、ネット検索すると、ビートルズがヒットしない。ストーンズはいる。バンドのオアシスもいない。ほかに、後から分かるものでいうと、タバコ、コカ・コーラ、ハリーポッターがない! とても面白い。まあ、SFものではありきたりな設定だけど、ビートルズにしたところが、大正解だな。みんな共感すると思う。
次々とビートルズの曲を自作として発表。エド・シーランから電話で、前座に抜擢。やりてのプロデューサがやってきて、全世界的に売り出す。戸惑いつつ、されるがまま。のジャックに、罪悪感がないわけはない。途中でちらっと映る、老人と老婆。彼らが訴える? と観客には思わせるけど、2人が面会に来ていうには、「ありがとう。ビートルズの曲が聴けて幸せ」ということは、あの2人は、ジャックと同じ世界にいた人間なのか?
・すべての曲の歌詞を覚えているわけじゃない。エリナ・リグビーの歌詞には苦戦していて、彼女の墓を見に行って教会もたずる。その様子を見・ていたのが、面会に来た老婆の方だった。こういうのも、さらりと見せていく。
・アルバムを出すことになって、ジャックはホワイトアルバム、アビー・ロード、サージャントペッパーズ、の3つの案を出すけど、大物プロデューサーやスタッフにどれも否定され、つまんないジャケ写になるのがおかしい。あと、ホテルの屋上でのライブは「レット・イット・ビー」が下敷きか。詳しく知らんけど。
・ジャックの幼なじみのエリーが、いい。『ガーンジー島の読書会の秘密』のときより、チャーミングに見える。中学生ぐらいの頃からジャックを応援し、教師を死ながら、彼のマネージャーも。でも、つき合ってはいない。ジャックにとって、妹みたいな存在で、抱けないらしい。そうなのか・・・。大物プロデューサーの登場でエリーの出番はなくなったけど、でも、互いにどこかで求め合っているという、じれったい関係が、またまた引っぱってくれる。
・こっちの世界では漁師になり、まだ生きてるジョン・レノンが登場する。うーん。これは、とくに見たくもなかったかな。だけど、まあ、人それぞれかも。
・最後、ジャックはコンサートで「あれは自分がつくった曲じゃない」と宣言し、曲も無償ダウンロード可能にしてしまう。あせる大物プロデューサーがおかしい。
・その後の2人は結婚して子供が2人、ジャックは学校で音楽を教えていて、歌っているのはオブラディ・オブラダで、生徒たちが手を叩いているのに合わせて、思わずこちらもそっと手を叩いてしまったよ。でも、他に、叩いている観客はいなかった。残念。
・主人公は、インド系なのかな。エリとは幼なじみ、というのは、ありふれているのかな。『その手に触れるまで』でも、フランス娘が中東少年に興味をもっていたけど、そういう趣味があるのかね、欧州の女性には。
・「世界は奇跡に満ちている。カンパーバッチが、寝たい男ナンバー1だ」。というのは、ビートルズを知らない面々にイエスタデイを褒められて、エリーが言った言葉だったか。
赦しのちから6/24ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/アレックス・ケンドリック脚本/アレックス・ケンドリック、スティーヴン・ケンドリック
原題は“Overcomer”。allcinemaのあらすじは「クリスチャン映画。意に反してクロスカントリー部のコーチを任された男が、たった一人の部員となった喘息持ちの女子生徒のひたむきな姿に心を打たれ、改めて自らの生きる意味を見つめ直していく。」
Twitterへは「熱血クロスカントリー話かと思ったら、キリスト教PR映画だった。ジャンキーな両親に捨てられ窃盗癖のある15歳の黒人娘が、健全な白人コーチ一家や信仰心に篤い黒人校長との出会いで目覚めるという、差別感ありありのテンプレ設定。」「エンドロールには、サポートするパブテスト協会の名前がずらずらずらずら・・・。こういうの見て、陶酔してる白人信徒がたくさんいるのかしら。やれやれな感じ。」
地元の工場が閉鎖だったかで、離職者続出。3万人足らずの街の高校も、転出者がぞろぞろ。バスケチームも線種がそろわず、ほぼ廃部。コーチのジョンは、心ならずもクロスカントリー部も担当するけど、応募者は陰気で喘息持ちの黒人娘ハンナ1人。バスケができなくなった息子も参加させて指導が始まるが・・・。となれば、ダメチームが復活する、日本でよくあるスポコン物を想像するけど、クロカン部活の描写とか、ハンナの成長にはあまりスポットが当たらない。
自分では敬虔なクリスチャンと思っていたジョンだけど、たまたま病院で出会った末期糖尿患者の黒人ヒルに、逆に諭される感じで信仰心が二の次になってたことを自覚・・・。妻と共に、お祈りに目覚める、とか、うっとーしい信仰描写。さらに、黒人校長がハンナに聖書のこの部分を読みなさい、とかなんとか言って、それを実行するとメキメキ実力が向上するという、なんじゃこれな描写。
さらに、たまたま出会ったヒルが元クロカン選手で、指導方法を教わっていくうち、彼がハンナを捨てて逃げた父親と分かるという、出来過ぎな展開・・・。うわー。やめてくれえ!
はじめは30位を超える成績だったけど、しだいに10位前後に。そこから先が伸びないハンナ。一方、病気が進行するヒル。ここで、奇抜な手法が登場する。なんと、競技時の録音物の聴取が可能になるのだ。それまでは不可で、規定改正でも、生で指導音声を送るのはダメ。というわけでジョンは、ヒルに、コースに合わせたアドバイスを録音させ、大会の時にそれをハンナに聞かせるという奇策に出る。これが功を奏して、ギリギリでハンナが州大会で優勝! という場面は、まあ、少し燃えたけど、そこだけだね。
クロカンより布教が目的の映画らしいので、しょうがない。話としては、地味なクロカンをフィーチャーしていて、そこは興味深いんだけどね。
ところで、ハンナには病的な窃盗癖があって、なんでもちょろまかしてしまう。それも、育ての親の祖母に言われ、返していくのだけれど、まあ、この改心も信仰心のおかげとでも言いたいんだろう。
もっと、ライバル選手やトレーニングの様子、喘息の克服とか、ドラマはあるだろうに、残念な映画だった。
最後に、6年後、活躍するハンナの姿が映るんだが。さて、ジョンの息子は、奨学金も受けられたかどうだか知らんけど、どこかの大学のバスケ部で活躍できたんだろうか。ちょっと気になる。
ホーンテッド 世界一怖いお化け屋敷6/24ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/スコット・ベック、ブライアン・ウッズ脚本/スコット・ベック、ブライアン・ウッズ
原題は“Haunt”。allcinemaのあらすじは「ルームメイトに誘われ参加したハロウィン・パーティで盛り上がる女子大生のハーパー。そこで仲良くなった男子たちと6人で郊外のお化け屋敷に向かう。最初は子どもダマしのアトラクションとバカにしていた一行だったが、ここがただのお化け屋敷ではないと気づいたときには、出口が分からず逃げ出すことができなくなっていた。実はそこは、本物の殺人鬼たちが、殺人を楽しむために作ったものだったのだ。」
Twitterへは「ただキャーキャーいう程度の映画にしても、もう少し芸がないと、わざわざ行った甲斐がない。ちっとも怖くないし、つまんねえ。キャラも魅力ないし。」
なんであんなところにお化け屋敷が。しかも、夜中に営業中? あんなところに入るか? とか、ツッコミどころ満載で、なるべくしてそうなる流れが皆無。殺られていく順番も、いまいちテキトー。そもそも、殺しの集団がお化け屋敷で獲物を集めてるってこと自体が、うーむ。たんに殺したいから? あの集団は何人なんだ? とか、考え出すと、アホらしくなっていく。ので、テキトーにしか見ていない。
悪人どもも、ジョーカーとか、ソウ、なんかを思わせる道化姿だったり仮面してたり。枠を超えていない便乗安手なつくり。登場する面々も、そんな魅力的なキャラがいないし・・・。で、ハーパーはなんとか逃げだし、家に戻り、母親と抱き合う。でも、あのイメージは、ありゃ夢だよな。ガバッと気づくと病院だったし。で、次の場面で、お化け屋敷の生き残り(?)が彼女の家にやってきて、踏み込んだら靴が蠅取り紙状態で倒れたら釘。そこに、ハーパー(?)が銃口を向ける、で終わるんだっけか。
ハーパーはDVオヤジから逃げるため家を出てひとり暮らし、だったか。じゃ、生活費はどうしてるんだ? で、戻ったのは実家で、トラウマから解放されたという設定なのか? しかし、生き残りは、どうやってハーパーの実家を知ったんだ? 何が目的でやってきた? とか突っ込んでいくと、取って付けた展開で敷かないのがありありなのだった。
15年後のラブソング6/25ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ジェシー・ペレッツ脚本/ジェシー・ペレッツ、ジム・テイラー、タマラ・ジェンキンス
原題は“Juliet, Naked”。allcinemaのあらすじは「イギリスの港町サンドクリフに暮らすアニー。恋人のダンカンとは付き合って15年になるが、最近は彼に対する小さな不満が募るばかり。中でも、90年代に表舞台から忽然と姿を消した伝説のロックシンガー、タッカー・クロウへの異常な執着ぶりがアニーを苛立たせていた。ある日、そのせいで口論になったアニーは、ダンカンが運営するファンサイトにタッカーの曲を酷評するコメントを投稿してしまう。すると後日、アニーのもとにタッカー本人からメールが届く。これをきっかけに、タッカーとメールのやり取りをするようになるアニー。ほどなく、アメリカの片田舎で元妻の自宅のガレージに間借りしているというタッカーの無節操な恋愛遍歴とダメ男ぶりが明らかとなるのだったが…。」
Twitterへは「人名とかエピソードがぐちゃぐちゃしてて、冒頭から分かりにくい。いらいら。あれこれ話題を広げ、最後はシンプルになっていくけど、いろいろおいてきぼりなところも。しかし、E.ホークって近ごろ軟弱よれよれオッサン役ばっかじゃないか?」
最初はダンカンのYouTubeビデオで、彼がタッカー・クロウのアウトラインをファンとして説明。で、次に、そのパートナーの立場で、アニーが現在の状況をナレーションで説明。という、説明映像&ナレーションで、あわただしい。もっと自然に、見せて描いた方がいいだろ。その後、タッカー・クロウが登場する場面も、誰がどうでどうしたと、名前がゾロゾロでてきて、覚えようという気がなくなる。最悪。
で、あらすじにあるように、デモCDへのコメントがきっかけでアニーとクロウの文通が始まるんだが。あのデモCDはなんなんだ? ダンカン知り合いの編集者かなんかが送ってきたんだっけ? の経緯と、デモ音源がいつのもので、どう流出したのか、分からんのでイライラ。しかも、後半で、「デモで儲かった」とかいうセリフもあったかな。だったりして、背景が見えん。
あとは、文通で次第に心が通い合うアニーとクロウ。なんだけど、伝説の歌手がそんなんに真面目にメールする、ということに首を傾げてしまう。で、クロウがロンドンに行くからというと、アニーもいそいそ仕度して待ちあわせ場所へ。でも、急性の心臓疾患で、クロウはバルーンカテーテルの手技をしたらしい。翌日、経緯が分かって見舞に行くと、クロウの過去の女と子供たちがうじゃうじゃ。子供たちも、何人、異母兄弟がいるかわからん始末で。でも、1人だけ、現れない人物が。これは、娘が「連絡しろ」と電話番号をくれたんだけど、クロウは電話できず、の相手で、ミステリー。
で、どういう経緯だったか、クロウと息子は、アニーの家にやってくるんだけど、その時すでに、浮気して別居してたダンカンがやってきて、タッカー・クロウについて本人の前で評価をし始めるという、よくあるマニアの異様さ。まあ、いいんだけど。
で、いつのまにか、アニーはクロウに惚れてしまったのか。いったんは別れるので、そういうことかと思っていたら。次の場面で、アニーは子作りのために病院に行ってると言うから人工授精かと思ったら、アニーはNYの(?)ギャラリー勤めになり、なんとタッカー待ちあわせ、ではないか。じゃ2人はいい仲になるのか? なんだかな。浮気男のミュージシャンを理解して付き合い、クロウの子供を宿す、ということか。子供ができたら、すぐ捨てられちゃうだろ、な未来が見えるぞ。な、いまいちな話だった。
・「15年後の〜」というのは、アニーとダンカンがつき合って15年、らしいけど、意味ないだろ。子供はつくらない、という合意の元に共同生活してたけど、どうやらアニーは子どもが欲しくなったらしい。クロウの息子のせいなのか?
・よりを戻したい。子供をつくろう。というダンカンは、虫がよすぎ。
・アニーの父親は地元で博物館を経営していたらしい。父の死後、ロンドン大学卒のアニーは地元へもどり、妹と一時的な館長? という設定は面白いけど、活かされていない。妹がレズなのも、活かされておらず。
・クロウの娘が妊娠中で、でも、子供が生まれたら相手がでていった、というのは、クロウそのものだけど、あまりエピソードとして活かされておらず。
・話をおっぴろげたけど、そのまま放置、な感じなんだよね。的が絞れてない。
サンダーロード6/26新宿武蔵野館2監督/ジム・カミングス脚本/ジム・カミングス
原題は“Thunder Road”。allcinemaのあらすじは「最愛の母の葬儀でいきなり踊り出し、参列者を凍りつかせた男ジム・アルノー。妻とは別居中で、警察官の仕事も失敗続き。何もかもが上手くいかないジムにとって、幼い娘クリスタルと過ごす時間が唯一の心の支えだった。しかし、そのクリスタルとのコミュニケーションも近頃はぎこちなくなってしまう。そんな中、妻が娘の単独親権を主張していることを知り、いよいよ追い詰められていくジムだったが…。」
Twitterへは「たんに運が悪い、じゃないだろ。あんなイカレポンチに警官がよくつとまったものだ。いや、家族も彼の異常さに気づかないでいたのか? いよいよ変な映画。ラストも、何あれ突然。共感するところ、かけらもなし。」
別居中で娘とはなかなか会えず、母親は死亡。兄と姉は葬儀にも来ない。は気の毒だけと、ジムは明らかに病気で、すぐにカッとなって暴言奇行、周囲が見えなくなる。こんな人格でよく警察学校終えて警官になったよな。と思うと、すべてが嘘くさい。後に出てくる姉は「私は母に愛されなかった」と恨み節。ジムが母に愛されたのは、変人で手がかかったから、という話も出てこない。あんな奇人で、警官になれて結婚できて、の方が「なんで?」と思える。
奇人だけど、事務的な手続きなんかは人並みにできる。でも、ちょっとでも自分が否定されたり、異なる考えにでくわすとパニック。てなわけで、警察をクビになり、妻からは離婚調停の書類が届く。妻は、単独の親権を主張し、ジムは2人で見ようという、低姿勢。もしかして、元のサヤに収まりたいのかも。で、裁判も始まるけど、裁判官にあれこれ口答えしてあきれられたり。
ちっとも共感できないし、変人の人生をだらだら見せつけられるのは御免だ。と思っていたら、ジムの所に同僚の警官から電話で、妻の家に行ったら、妻が死んでいる。中には、娘も。という突然の展開が意味不明。窓にビニールとか貼ってあったけど、二酸化炭素中毒とかか? 自殺? 妻の現在のパートナーも行方が知れないし。というわけで、ジムと娘は一緒に住めるようになりましたとさ。という、将来がとても不安に満ちた終わり方。こんな得体の知れない映画が、一定の評価を得るアメリカは、よく分からない。
・姉のところから辞すとき、姉が「紙コップ」というのだが、意味不明。紙コップを手に玄関ドアの前のジム。中味(透明だった)を空け、ちかくの台かなにかに置く。胸ポケットからメモ見たいのを取り出し、それを紙コップに入れる。・・・という一連の行為は、なんなんだ?
・母がスプリングスティーンの「涙のサンダー・ロード」が好き、というのがあるようだけど、曲がそのままかかるわけではない。実は、その曲を知らんので、どういう具合に映画の中に埋め込まれているのかもよく分からんのだけどね。
コリーニ事件6/26新宿武蔵野館1監督/マルコ・クロイツパイントナー脚本/クリスティアン・ツバート、ロバート・ゴルト、イェンス=フレデリク・オットー
ドイツ映画。原題は“Der Fall Collini”。allcinemaのあらすじは「新米弁護士のカスパー・ライネンは、思いがけず大きな事件の国選弁護人に任命され意欲をみせる。それは、ドイツで30年以上模範的市民として暮らしてきたイタリア出身の男ファブリツィオ・コリーニが、経済界の大物を殺害したというもの。しかし被害者がカスパーの少年時代の恩人ハンス・マイヤーだったことで戸惑いを隠せない。しかも法廷で対決する遺族側には、彼が大学時代に刑法を教わった伝説的な刑事事件弁護士リヒャルト・マッティンガーがついていた。にもかかわらず、コリーニは犯行の動機を頑なに語ろうとせず、すっかり弁護に行き詰まるカスパーだったが…。」
Twitterへは「前半はたらたら少し退屈だったけど、中盤から動きがでてきて、法廷でのやりとりは、なかなかスリリング。永遠のこのテーマも、この切り口できたか、な鮮やかさだった。ピザ屋のバイト姉ちゃんがなかなかいい。」「ドイツ、イタリア、トルコ、という関係性も、なかなか興味深い。それと、フランコ・ネロがでとるぞ!」
トルコ移民、新米弁護士、自分を育ててくれた恩人、その恩人を殺した犯人の弁護、恩人の子供たちとの友情と恋、頑なに動機を話したがらない犯人、イタリア降伏後のドイツとの関係、法廷劇、かつての恩師との対立、縁遠かった父親との邂逅、ピザ屋のワイルドなバイト娘、そして、ナチの犯罪と、同胞の罪を免れさせるための姑息な法律・・・。複雑な要素が、123分にムダなく凝縮され、迷うことなく一直線にラストまで持っていく。とても見応えあり。
・ワルサーP38から、コリーニの過去に思い至るという流れも、自分の過去の記憶とイタリア訪問で解いていく。お見事。
・ハンス・マイヤーが、トルコ移民の少年に目をかけ、実の子供と同様に育てた、という理由は何だったんだろう。その理由が、知りたい感じ。
・マイヤーの息子で、カスパーの親友は、その両親とともに交通事故死。マイヤーの遺族として娘しかでてこないので「?」だったんだけど、突然の映像に、おお。これは、マイヤーへの天罰的な意味を込めたストーリー展開なのかしら。
・ナチものは出つくした、と思ったら、こういう手があったのか。という、法律話が鮮やか。コリーニの父は、虐殺されていた。ここで、傍聴人も、おおお! 恩師は「そういう事件はよくあること。法律が裁くべき。コリーニは、かつて告訴したが敗訴した」と反撃。動揺するカスパー。でも、1968年だかに、謀殺(謀殺幇助だったかな)を故殺に減刑するという法律がつくられ、時効も20年になったんだっけか(謀殺と故殺は、前半で出ているのもミソ。恩師が「コリーニが自白すれば、謀殺を故殺にして、7年ぐらいにしてやる、と持ちかけていた。それでもコリーニは何もしゃべらなかった)。これで、ナチ時代の虐殺はチャラ、ということになった。で、カスパーの恩師は、実はこの法律作成に関係していた、という事実が明らかになると、恩師も、しぶしぶながら、間違いを認めるという流れが鋭く見事。
・事件が終わって。カスパーの所にベルリン地方裁判所の送り主名で手紙。中には、コリーニ父子の写真と「俺たちの父さんだ」という短い手紙。あれは何なんだ? 写真があるということは、血縁者? それとも、裁判所にいる、支援者?
ロング・ショット 僕と彼女のありえない恋6/28ギンレイホール監督/ジョナサン・レヴィン脚本/ダン・スターリング、リズ・ハンナ
原題は“Long Shot”。allcinemaのあらすじは「ニューヨークで記者として働いていたフレッド・フラスキーは、正義感と頑固な性格がアダとなり職を失ってしまう。ある日彼は友人に誘われたパーティの会場で、幼い頃にベビーシッターをしてくれた近所のお姉さんにしてティーン時代には秘かな想いを寄せていた初恋の人、シャーロット・フィールドと思わぬ再会を果たす。しかし彼女はいま国務長官として大活躍し、次期大統領選への出馬も取り沙汰される全米注目の女性だった。すっかり遠い存在となってしまったシャーロットだったが、そんな彼女からスピーチライターになってほしいとの思いがけない依頼を受けるフレッド。戸惑いつつも、仕事のない彼はこの依頼を受けることにするのだったが…。」
Twitterへは「かなりなバカも入ったロマコメで、こういうのもマジで全力投球するC.セロンが好き。政治、時事ネタ満載で、でも米国の音楽映画TV文化政界その他に精通してないので、その面白さは半分も楽しめてないのが残念。」
子供時代の隣のお姉さんで、よくベビーシッターしてもらってて(でも、13歳でも見てもらうのか?)、その彼女に面と向かって勃起したことがあるのがトラウマ、というフレッド。勤めていた新聞社が大手メディアに買われてしまい、はっきりものを言う記事が書けなくなり、失職・・・。が、友人が連れてってくれたパーティでヒップホップだかソウルグループ聞いてたら、観客の中に隣のお姉さんを発見。なんと相手は現・国務長官シャーロット! 彼女も自分を見てるオヤジが気になって、話してみたら、あのときの! ってなことからスピーチライターに抜擢されて・・・。という話。
ドタバタも激しくて、窓から飛び降りて平気とか、階段駆け下りてドタン、でも平気とか、漫画かよ、だけど楽しい。
キモは、反共和党で、嘘や誤魔化しが嫌いな、一直線男フレッドと、大統領候補なので現大統領のご機嫌も取らねばならないし、環境問題の提案でも、反対する数カ国との駆け引きしなくちゃならないシャーロットの立場の軋轢だ。フレッドは、シャーロットの立場が理解できない。シャーロットは、葛藤しつつ現実に対応していく。どっちが大人か、自明だけど、そんなフレッドが好きになってしまうシャーロットがなんとも愛らしい。政治的につくられたカナダ首相とのロマンスなんかより、本音がぶちまけられるフレッドに心を許せるということなのか。それぐらいしか、思いつかないけど、まあいいや。
環境問題も、森林保護に関しては、大統領とメディア王(フレッドがいた会社を買収したオッサン)との密約で、これも条約から外すとか、どんどん理想から離れて行って骨抜きに。これが政治の現実・・・。でも、大統領選への出馬宣言のとき、シャーロットはあれもこれもすべてバラしてしまい、大統領からの支持も失った(んだよね)。「いまの自分を高校時代の私が見たら、失望するに違いない」と、はっきりものを言う様子は、凛々しくてカッコイイ。
支持を失っても、本音のシャーロットは、大統領選も勝ち抜いたようで、見事、フレッドは大統領の夫に。という、エロバカロマンスは、なかなか楽しかった。バカはバカでも、ちゃんと一本筋が通っているから、清々しいんだよね。
・フレッドがシャーロットに会いに行って、所持品検査する時でてくるのが、精神安定剤と称する大麻、大麻、大麻・・・。もう、合法みたいに描かれてておかしい。
・フィリピンだったかで、ホテルにロケット彈打ち込まれ、あたふたするとか。あり得そう。ここでキスしちゃって、ベッドイン、だっけかな。
・シャーロットも、ストレスでキメたい! とフレッドにどっかの国で頼んだら、麻薬カフェみたいなところへ直行! というのは、あんなのあり得るのか? な展開だ。そんなとき米国兵士が某国に人質になり、その交渉を、と連絡が入り、レロレロのまま相手国の首相だったかと電話して、これがうまくいってシャーロットの人気がうなぎ登り、とはね。
とか、政治的には、真面目に描けばハードな話になりそうなネタが満載で、ここらへんがただのコメディと一線を画すところですな。
とはいえ、時事、政治、映画、小説、TVとか文化のネタが連続して会話に織り込まれるのは、ほとんど分からない。分かった、と思っていても、十分に理解できてるか、自分でも怪しい。
・TVからスターになったのは、ジョージ・クルーニーとウディ・ハレルソンだけ。
・テイラー・スイフトならいい、とか言ってたのはなんだっけ。
・「ゲーム・オブ・スローンズ」は、あらすじを読んだ。とか。
他に、シャーロットがボーッと立ってるから何かと思ったら、マイクロ・スリーピング! だって。そんなのあるのか? フレッドの部屋には、カミュの顔写真が! どういう意味かね。
とまあ、どんな役も目いっぱいやっちゃう、シャーリーズ・セロンが相変わらず素晴らしいし、カワイイ。のだけれど、目のメイクが、フツーと違ってちょっとキツイ。意図的かな。あのメイクは好きじゃないぞ。
レ・ミゼラブル6/29新宿武蔵野館1監督/ラジ・リ脚本/ラジ・リ、ジョルダーノ・ジェデルリーニ、アレクシ・マナンティ
フランス映画。原題は“Les miserables”。allcinemaのあらすじは「パリ郊外のモンフェルメイユは、移民や低所得者が多く住み、犯罪が多発する危険な地区。ここに配属された警官のステファンは犯罪防止班に加わり、さっそく2人の先輩警官とともに地域のパトロールを開始する。そしてすぐに、複数のギャングが激しく対立し、一触即発の緊張状態にあることを学ぶ。そんな中、サーカス団からライオンの子どもが盗まれる事件が発生し、ライオンの捜索に乗り出すステファンたちだったが…。」
Twitterへは「どこまで現実を反映してるかか知らんけど。白いフランス人は数人しかでてこない。いや、恐るべき子供たち。アメリカだったらみな銃殺だな。軽装備で、人権を守りつつのフランス警察官に同情。移民もほどほどにしないと、と思えてくる。」
レ・ミゼラブルは「悲惨な人々」「哀れな人々」だと。監督はマリ出身のフランス人。イスラム教徒かどうかは不明。公式HPの監督の言葉によると、「本作で描かれているすべてが実際に起きたことに基づいています。ワールドカップ勝利の歓喜はもちろん、地域に新しい警官が来た時のこと、ドローン、盗まれたライオンまですべてです。」だと。ひぇー。
冒頭、W杯の応援だったらしい。大半を占める黒人がフランス国旗を振り、ラ・マルセイエーズを歌う。「暴君を倒せ」という歌詞があるので、抵抗の意味もあるんだろうが・・・。移民でもフランスへの忠誠心があり、一体感もあるのか。日本で、在日朝鮮人や中国人、その他の移民もどきの人たちが、日の丸を振るとはとても思えないので、少しいた。
新米刑事ステファン(白人)が、ベテランリーダーのクリス(白人)、同僚のグワダ(アフリカ系黒人)の3人で、危険地帯のパトロールへ。ここに、ドローン少年とか、いたずら小僧がちらちらと絡んでくるんだけど、最初に登場する地域の黒人ボスが市長なのがびっくり。街のバザーを仕切ってるオッサンだけど、あれはホントに市長なのか? そう呼ばれてる地域の大物なのか? 市役所も登場せず、団地の汚い一室しか映らないんだけど。
で、その市長のところにサーカスの一団(ジプシー)が乗り込んできて、ライオンの子供を返せ! と一触即発。目撃者は「黒人の子供が盗んだ」といい、斧までかついでいる。互いに話し合おうという気配はなく、喧嘩腰。そこに3警官が割って入り、「探すから」と言うことになる。クリスは「そのうち自慢気にSNSに上がる」とスマホ検索。の間にも、地域の様子がざわざわする感じで描かれる。とくに、子供たちの警官への無礼な態度がすごい。やめろといっても、はやし立て、石を投げてきたり、とんでもない。グワダが催涙スプレーを向けるけど、発車する気配もない。なので、ガキどもはますますつけあがる。
ガキどもは、善悪の区別がなく、親たちも警官を毛嫌いし、子供をかばう。公衆道徳や正義を躾ける気配がまったくない。そんな様子が、じわじわくる。
で、案の上、犯人の子供=イッサだっけ、はSNSで簡単に見つかり、3警官は捕まえに行くと、ガキどもが猛反発。投石、その他、ぐじゃぐじゃ。のなかでグワダの撃ったゴム弾がイッサの顔面に的中。でも、この様子をドローンが撮影していて、あわてるクリス。ステファンは気を失ったイッサが心配だけど、クリスの心配は自分たちのこと。警官と通じている(?)黒人連中(麻薬組織?)にイッサを預け、ドローン少年を追うんだっけ。でもドローン少年は街の食堂店主にして裏事情に通ずる導師みたいな男のところにいて、ここに麻薬ボスや市長もやってき、たんだっけか、忘れたけど。ここで、とりあえずの手討ちをしたんだっけ。ライオンはサーカスに戻るんだけど、団長はイッサを親ライオンの檻に入れてしまうという、怖ろしいことをする。
ここで映画は終わるのかと思ったら、後日談に突入。なんとイッサの反逆。3警官がパトロールしてると花火砲を撃って、アパートに逃げ込む。追う3警官。でも、階上の閉所に閉じ込められ、上からはモノを投げられる、下からは花火砲。うわー。止めにやってきた市長はガキどもにボコボコにされ、麻薬ボスもクルマをめちゃめちゃにされ、花火砲を食らう。ハンパないガキどもの抵抗。
ラスト。階段の上に、火炎瓶を手にしたイッサ。銃(これもゴム弾?)を構えるグワダ・・・。暗転し、テロップでユゴーの言葉「悪い草も 悪い人間もいない。 育てる人間が悪いのだ」 で終わる。一気呵成の凄まじい映画だったよ。
印象としては、アフリカ系黒人の性格が悪すぎ。あんな連中に、ゴム弾だけで対応してる警官が気の毒、だ。
もちろん警察にもまずいところはあって、無防備の少年の顔面に至近距離からゴム弾はないだろ、と。でも、多勢に無勢で、少年も抵抗する。なんともできない歯痒さが、見ていてある。
反抗する青少年はアメリカ映画にもあるけど、警官に対してはわりと素直で、それは警官が拳銃を持っているからだろう。日本では、警官は拳銃を持っているけど、基本的に発砲しない。それでも、あんな抵抗はしない。
問題は、移民たちのゲットーにあると思う。まるで無法地帯。悪いことはし放題。警官は、無視するか抵抗する。
その根底には、イスラム教があるように見える。とはいえ、熱心な信者たちが、少年たちにモスクに来るよう話していたけど、無視してたのかね。犯罪と反抗とイスラム教の関係を知りたいと思う。
ライオンの子についていうと、食堂の導師は、「ライオンは王。檻に入れるのは間違っている」というイスラムの考えをステファンに話していた。
つねづね思ってるんだけど、イスラム教徒は、イスラム教とその戒律を、どこに行ってもまとっていて、郷に従うことがない。しかも、イスラム国家にやってきた異教徒には、イスラムの戒律を強要する。これ、アンバランスだよね。これがある限り、イスラム教はどこにも相入れない。異教徒を滅ぼし、イスラムで平定する他はない。原理主義も、こういう考えなのかも。だから、移民として迎え入れるなら、イスラム教を捨てる、あるいは、移民先の風俗習慣に従う、それもムリなら、移民お断りにする他ないだろ。
しかし、いくらイスラム教徒でも、悪は悪だし、社会性を持つべきで、それができないのは、親が教えないからなのか。つまり、あの地区に住んでいる連中は、みな無法者? であるなら、みな捕まえて、矯正施設で教育するのがいいんではないの?
と、思ってしまう。
イスラム教は、ああした悪行や無法者を、許すのか? 許さないなら、誰か指導者はおらんのか。優しいイスラム教徒の何人か、出てくれてりゃ比較材料になるのに、子供も大人も無法者ばっかりだったしなあ。
フランスの警察は、人道主義的すぎるんじゃないのか、とも思う。スタンガンでも持って、抵抗するやつをガンガンやっつけるとか。警棒で殴るとか。権威を見せないと、舐められるだけだよなあ。人道主義が国の主義だとしても、あのままじゃ、地域一帯が乗っ取られてしまうだろう。そうすればテロリストも着々と養成するだろうし。
日本があんな具合になる可能性も、なくはないわけで。同胞が集ってコミュニティを構成すれば、そうなりかねない。それに対していうことを聞かず、反抗するようになれば、全面対立だ。日本の警察も、するときはえげつないから、高圧的になるはずで。おそろしや、おそろしや。だから、移民なんていらないよ。と、思う。
しかしなんであんな子供たちが生まれるかね。育てる人が悪い? 大人が悪い? イスラム思想が悪い? そういうことなのか? よくわからんけど。
三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実6/30109シネマズ木場シアター4監督/豊島圭介編集/村上雅樹
allcinemaの解説は「1969年5月13日。天皇主義者を自任する天才作家・三島由紀夫は、血気盛んな東大全共闘の若者が待ち受ける駒場キャンパスの900番教室に単身乗り込み、1000人を超える学生を前に真摯かつ白熱の討論を繰り広げた。本作は、当時唯一取材を許されたTBSに残されていた貴重な映像をもとに、芥正彦をはじめとするその場にいた参加者へのインタビューと平野啓一郎や内田樹ら識者の解説を織り交ぜ、伝説の討論会の全貌を明らかにしたドキュメンタリー」
Twitterへは「観念的に話す学生にもちゃんと応対する三島の誠実さが素晴らしい。なに話してるのかちんぷんかんぷんだけど。その観念的なことを話していた学生が、長じて現在も同じように観念的に話しているのがアナクロな感じ。」「登場人物の現在(学生や局アナ)のインタビューはいいんだけど、平野啓一郎、内田樹、瀬戸内寂聴、小熊英二なんかの話は流れを遮るだけでジャマ。冒頭の、当時の状況解説はしかたないけど、市ヶ谷以降が、だらだら長い。まあ、まったく知らない人向けなんだろうけど。」「観念的な話を延々としていた時代。会場でもヤジが飛んでたけど、いまから思うとアホとしか思えない。それでも、「負けた」とは認められない人々。自分がしたことを否定はできない、ということなんだろうけど。本気で革命が起こる、と思っていたこと自体が不可解だよね。」「三島の天皇観についてはよく知らなかったので、ほうほう、と聞いていたんだけど、観念学生が蒸し返したりするので、よく分からなかった。時間、事物、関係性、歴史、とか、内容が定義されずに会話していて、よく話が通じるもんだ。まあ、そういう時代があった、ってことかね。」
と、ほとんどTwitterに書いたので尽きてはいる感じ。三島の、学生との対話や、ヤジが飛んできた時とかの、にこやかな表情、落ち着き。これが、当時楯の会を組織していて、一年少し後に自決する者には思えない。
観念的な芥との対話は、分かりにくい。言葉の定義もなく、ほとんど時間、事物、関係性というような言葉だけで会話が成立している。聞いていても、なんとなく分かるけど、よくは分からない。哲学的ではあるけど、具体性がないので、言葉遊びも個々につくせり、な感じ。あんな、庶民とはかけ離れたところで革命とか、バカじゃね。あんなんで、実務的な策なんてつくれっこないだろ。まあ、そういう時代だったんだろう。とはいえ、その芥がいまだに演劇をやってて、観念的な会話をするのは、アホというか偉いというか。フツーの仕事なんかできないだろうから、誰かに支えてもらってるのかね。知らんけど。
あと、三島の天皇観。「君らがひと言、天皇、と言えば共闘(だっけ?)できるのに」とか、三島が言っていて。どうも、戦前の天皇制と、いまの民主主義は似たようなもので、だから右翼と左翼は、天皇については同じようなもの、みたいなことらしい。このあたりを、もうちょっと聞きたかった。
それと、60安保は反米愛国で、全共闘はそれとは違うとか、共産党とも違うとか言うことを、ごにょごにょ言ってたな。このあたりも、詳しく聞きたかった感じ。
なんだけど、途中に平野啓一郎、内田樹、小熊英二なんかがでてきて解説的に話したりするのが、会話を途切れさせて、いらつく。ブツ切れにせず、そのまま流す方がよっぽどいい。あと、専門用語とかの解説も、足りなかったり余計だったり、な感じも否めず。まあ、まったく何も知らない向きには、必要なんだろうけど。むしろ、途中で誰かが解説役が登場し、ホワイトボードに板書して説明するぐらいの方が、分かりやすいと思うけれど、それじゃ三島という存在の生々しさ、はなくなる。難しいところ。
なんなら、説明はできるかぎりなくす、の方がましだったかも。
ナレーターの東出昌大のイントネーションが変なので、聞いていて気持ち悪くなってくる。

 
 

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