2020年7月

音楽7/1新宿武蔵野館3監督/岩井澤健治脚本/岩井澤健治
allcinemaの解説は「アニメーション作家の岩井澤健治監督が大橋裕之の伝説的カルト漫画『音楽と漫画』の長編アニメ化に挑み、7年の歳月をかけて4万枚を超える作画をたった一人で描き上げ、執念で完成させた音楽青春アニメ。楽器を触ったこともない不良学生たちが、思いつきでバンドを組み、初期衝動のままに疾走していくロックな青春の日々を、音楽と一体となった躍動感あふれる筆致で描き出す。」
Twitterへは「噂の手描きアニメ。でも話が薄いし、ドラマもない。なので中盤で少し、うとうと・・・。最後のコンサートのところで少し弾けた程度で、テンション低め。褒めるところは、絵と努力? 」
手書きのタッチはともかく、話に深みがない。たんに、高校の不良仲間3人が思いつきでバンドをはじめ、地元のコンテストに出場し、弾ける、というだけなのだ。キャラの背景とかまったくなくて、薄っぺら。とくに主人公たる研二が空っぽすぎ。ケンカの場面もないし。得体の知れない存在、だけじゃヒキは弱い。
『リンダリンダリンダ』とか、いろいろ内容があるじゃん。練習もしてるし、それぞれの思いもあるし。でも、研二がたまたま手に入れたベース(あれ、泥棒を捕まえたミュージシャンのをパクったの? だとしたらひどい話)で。バンドしよう、になり、3人はコードもなにも無視で音を出し、いいな! になり、そのままコンテストに挑む。あり得んだろ。
まあ、そういうの無視で、情熱だけで音楽、がいい、という向きもあろうけど。じゃ、なんで研二は「飽きた」とかいいだすんだ。情熱もないじゃん。むしろ、バンド古美術の3人の方が、キャラにひねりがあって興味深い感じ。
前半の単調さ、ドラマのなさに、研二が丸竹工業の連中に追いかけられる前辺りで睡魔が・・・。まあ、最後のコンテスト場面は、意表を突いて研二が縦笛を鳴らし、ノイズミュージックっぽくなって、そこに古美術メンバーも加わり、アニメのタッチも変わって、ちょっと面白かったけど。
でも、コンテストの後、古武術はさっさと解散。研二以外の2人は古美術の3人と合流して、本格的に音楽をめざすのかな。結局、研二はトリックスター的な役割で、いまいち存在感があるようで、ないよね。
ワイルド・ローズ7/2シネ・リーブル池袋シアター1監督/トム・ハーパー脚本/ニコール・テイラー
イギリス映画。原題は“Wild Rose”。allcinemaのあらすじは「2人の幼い子どもを抱えるシングルマザーでありなが、未だにカントリー歌手になる夢を捨てきれず、子どもたちの世話も母親のマリオンに任せきり。やがてお金持ちのスザンナの家で清掃の仕事を得たローズは、ひょんなことからカントリー音楽好きのスザンナに歌の才能を認められる。そんなスザンナの後押しを受け、少しずつ夢に近づいていくローズだったが…。」
Twitterへは「自分勝手で傲慢不遜、嘘つきな女の話。気の毒、より、バカじゃね、なので1mmも共感できず。成功しないエンディングがいいなと思いつつ見ていたのだが・・・。彼女の母親が、ご立派。」
場所がイギリス、というのはしばらくして分かった。グラスゴーのカントリー好きが、イメージだけでナッシュビルに憧れ、行けば可能性が広がる、と思い込んでる。ただのアホ。
18になるまえに長女で、その子が8歳だから、26ぐらいか。長男はそのあと。父親が誰かは分からない。地元のカントリー酒場で歌ったりしてたけど、塀の外から刑務所内に麻薬を投げ込んで1年の刑。出所後もGPSリング、だから、初犯ではないのかも。なローズが出所後、最初に訪れたのがボーイフレンドのところで、そのまま公園に行って青カン・・・。うーむ、な感じ。
母親からはフツーの仕事に着けといわれても夢はあきらめきれず、カントリー酒場も出禁になり、夕方7時から朝の7時は在宅が必須。なんとか家政婦仕事を得て勤め出すけど、奥さんのスザンナ(黒人)がいなくなると勝手に酒を飲み出し、掃除もいい加減。なのに、スザンナは、BBCのカントリー好きDJに会えるよう支援してくれたりする。なのに、「ナッシュビルに行くために5000ポンドくれ」と言ったり。バカとしか思えない。
ロンドンに行く列車はスザンナが一等を奢ってくれたのに、荷物ほったらかしで二等にくりだし、どっかの兄ちゃん達と大騒ぎ。一等車から食いものをもってきて振る舞ったり、モラルも何もありゃしない。果ては荷物を盗まれ、駅員に食ってかかる。どんどん、ローズが嫌いになる。
で、BBCのDJからは「自分で歌を書きなさい」といわれて、呆然とする。なーんだ。こいつ、歌がちょっとだけ上手いだけで、自分の想いは表現してなかったのか。ただのカラオケ。からっぽじゃん。
なのにスザンナは、自宅のパーティにローズのバンドを呼び、カンパをつのってナッシュビルに行くための資金づくりを、と企画する。なんて親切な人なの。アホすぎる。でも、ここで2人の子供がジャマになる。事前の練習か? 子供の世話か? さらに、パーティ前日、息子が骨折っぽくて、付き添わなければならなくなる。なので母親に頼むんだけど、きっぱり断られる。
このあたりの親子の関係が、日本と違う。ローズの収監中は、母親が子供たちを世話していた。けれど、ローズが仕事を得ると近くにアパートを借りさせ、子供とともに追い出す。子供たちの「お婆ちゃんのところがいい!」に、ローズはウンザリ顔で、練習中も、知人宅にあずけるという体たらく。ますますローズが嫌いになる。パーティが成功し、ナッシュビルで引き抜かれる、なんていう展開はあっちゃダメ。こんなアホはつけあがるだけ、と思えてくる。
で、当日。病院に駆け付けた母親に子供を押しつけるかたちで、あたふたスザンナ宅へ。で、スザンナの紹介のメッセージを聞いたことで、やっと反省の心が芽生えた、というカタチになっている。歌う前にステージを降り、帰ろうとするローズ。追いついたスザンナに、自分はそんな立派じゃない。子供がいることも黙っていた。とかなんとか言って、帰っちゃうんだけど。これまた迷惑垂れ流しだろ。スザンナにも、バンドメンバーにも。やれやれだな。
てなわけで、母親と同じモールみたいな所で働き出すローズなんだけど、ここで母親が、「ナッシュビルに行ってらっしゃい」と渡航費用をくれるんだよ。自分だって大学にも行きたかった、夢もあった。あなたの夢をつぶしたくない」とかいうんだけど、母親が立派すぎる。まあ、ナッシュビルで現実を見させて、あきらめさせる、という思惑もあったのかも知れないが。
何日か滞在するするつもりだったナッシュビル。でも、入った酒場で「歌わせて」といったら店員に「順番にね」といわれ「イギリスからやってきたのよ!」というと、「世界中からきてるのよ、みんな」と言われ、あんぐり。で、カントリー博物館だったか、客として館内をみてまわるうち、なんとなくステージに上がり、誰もいない客席に向かって一曲歌って、納得したのか。その後、警備員みたいなのに「紹介してやろうか?」といわれたのに断ってしまい、帰国。
で、1年後、地元グラスゴーの大きな劇場で歌っているローズ。これは、自分の曲なのか? 知らんけど。客席にはBBCのDJ、母と子供、スザンナも。というところで終わる。
己を知った、ということか。鶏頭となるも牛後となる勿れ。身の丈の自分で、地元で生きる。いいことだ。考えを変えられたのは、嘘をついていたことの自責の念と、ナッシュビルの層の厚さ、程度しかない。むしろ、自分の思いを歌にする大切さ、をもっと強調してもよかったかも。ところで、彼女は地元で歌手で生計を立てているのか、働きながらのたまに歌手なのか、そのあたりは曖昧。
とにかく、最後までバカさ加減は変わらずだったので、先が思いやられる人生だなあ。
彼女、C&Wといわれるとムッとするんだけど、カントリーとどい違うのか知らんので、どーでもいい感じ。
アンチグラビティ7/6ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/ニキータ・アルグノフ脚本/ニキータ・アルグノフ、アレクセイ・グラヴィツキー、ティモフィー・デキン
ロシア映画。原題は“Koma”。意味は分からず。allcinemaのあらすじは「ミステリアスな事故の後、若者は通常の重力法則が無視された異様な世界で目を覚ます。そして謎の黒い怪物に襲われかけた若者は、ヤンという男が率いる集団に助けられ、ここにいるのは現実世界で昏睡状態に陥った人間ばかりで、この世界は彼らの記憶で創り上げられていると教えられるのだったが…。」
Twitterへは「ロシア映画。『インセプション』もどきのB級SF。『ASSAULT GIRLS』みたいに、枠組みはあっても中味がないので退屈。少し寝て起きたら後半、オカルトっぽくなってたけど、薄っぺらいのは変わらず。」
冒頭からのイメージは『インセプション』風で、街がねじれている。この映像から邦題がつけられたんだろうけど、安易な感じ。建物は、ぼろぼろと崩れていき、一定しない。主人公は普通の服装だけど、周囲にいるのは『マッドマックス』風の戦闘服をまとった連中で、ディストピア的な感じ。なにかと戦っているようで、相手は黒い生き物。だけど、その意味するところはよく分からない。という設定は『進撃の巨人』的な感じ。
という感じで、あれこれいろいろの寄せ集め的な映像世界。でも、ストーリーがほとんど無いので、次第に眠くなって、うとうと・・・。
戦闘服の連中がいうには、昏睡した人の記憶がつくる世界だそうで、個人の夢も入ってくる。どうも主人公は交通事故を起こしたらしいけど、よく分からない。で、襲ってくる敵は脳死した人の意識らしく、それを生かしている機械のイメージらしい。という設定以上の話がないので、うーむ。連中の中の美女が主人公といい仲になるんだけど、その理由も分からんし・・・。
と思っていたら、中盤、いきなりベッドに寝ている主人公の姿になり、意識が戻る。以降は、薬物によって人を昏睡状態にし、あっちの世界を創造している科学者と、主人公との話になっていく。科学者は教祖的な人気で、主人公の建築家は、どういう理由で呼ばれたんだったか。昏睡世界の建築物の創造? 忘れた。だけど、昏睡させられると分かった主人公は元恋人と逃げようとするんだけど事故に遭い、それをいいことに科学者は主人公と元恋人を昏睡状態にした、らしい。
設定は分かった。でも、それ以上のドラマがないから、話にのれない。科学者、宗教話も、ありきたりだし。最後に主人公と元恋人が逃げ出す時も、スタッフは呆然と見送るだけで、ガードマンの1人もおらんのか! と思った。なんか、やっつけで1本仕上げました的な映画だな。こりゃ。
のぼる小寺さん7/6ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/ 古厩智之脚本/吉田玲子
allcinemaのあらすじは「卓球部の男子高校生・近藤は、これといった目標もやりたいこともなく、漫然と高校生活を送る日々。しかし卓球部の隣で練習するクライミング部には、一心不乱に壁を登り続ける小寺さんがいた。いつしか、そんな小寺さんから目が離せなくなっていく近藤。しかし小寺さんのことが気になっていたのは近藤だけではなかった。同じクライミング部の四条、不登校気味の梨乃、密かに小寺さんを写真に収めるありかもまた、小寺さんの不器用だけど一直線な姿に惹きつけられていたのだったが…。」
Twitterへは「ボルダリング少女と、奥手な男子のじれったい話。全体にとろ〜んとしてて、前半はムダにじれったい。後半少し歯車が噛みあってきて、力の抜けたリズムにも慣れてきた。主演の工藤遥本人がガシガシ登るし、卓球男子もいつのまにか上達してる!」
よくある高校部活ものだけど、とくにスポコンでもなく、ロマコメの要素はあるけど恥じらいばかりが目立つ感じで、不思議なヒキがある。とはいえ前半はじれったい。とくに近藤くんの態度がよく分からない。進路が決まらず、でも堂々と「クライマーになる」と教師に宣言する小寺さんに惹かれた感じはあるけど、それ以上のどこに惚れたのか、がよく分からんところが消化不良かも。
でも、自分を振り返ると、高校の時に同級生女子と話したかというと、ほとんどしていないので、男子のスタンスとしてはあんなものなのかも。映画によくある、仲がよくて話すけどつき合ってはいない的な設定が、嘘すぎるんだろう。恥ずかしさ、もやもや、いじらしさなんかが、実によく描かれている。
とはいえ、授業中から部活の時から、ずーっと小寺さんを見ている近藤くんの描写は異常すぎるので、もうちょい控え目に描く方がよかったかも。
この映画のテーマは、同じクラスにいながら話したこともない、もしかしたら存在すら認識されていないクラスメートに対するやさしい視線を浮彫にすることかも知れない。ラスト。近藤くんは小寺さんに向かって、告白するで見なく「見てくれ!」という。小寺さんは返事しないけど、でも、背中で寄りそう態度で自分の心を表現する。このあたりが、すぐキスしちゃう凡百の欧米映画と違うニュアンスが輝いているところかも知れない。
仲間とつるんで安心感を得ている大半とちがって、小寺さんは前に立ちはだかる壁しか見ていない。ある意味不思議ちゃんだけど、周囲ばかり気にして生きているSNS時代のいま、こういう存在こそ美しい、のだろう。だれになんと思われようと気にしない。そういう生き方は素晴らしい。たとえば、小寺さんは教室の窓からひょいひょい出入りする。学園祭では、外壁の排水パイプをよじ登ってしまう。そこに何のためらいもない。それでいいんだよ、という作り手の思いが見えてくる。
他にも、クラスで存在を示せていない連中が登場する。軟弱な四条、写真が好きな ありか、登校拒否の梨乃。四条は、中学時代に小寺さんに告白して断られたけど、小寺さんがいるからとボルダリング部に入った。とはいえ途中からボルダリングに目覚めてくるのは定番な流れ。なんだけど、この弱々しい四条を見ていたバレー部の美女がいて、告白してくるという展開にはびっくり。これなどは、「いや。君は見られてないと思っているかも知れないけれど、ちゃんと見ている人はいるんだよ」というやさしいメッセージになっている。
ありか には、フツーにつるむ友人もいる、けど写真のことは言っていない。近藤とは中学が同じなのか。でも、彼女も、まっすぐな小寺さんに惹かれて、彼女を写し始める。近藤くんみたいに、自分に何もない、わけではない、という存在。ある意味では、小寺さんと似ている。
3人が、学園祭でそろいもそろって着ぐるみなのは、フツーの生徒とは違う、という象徴なのだろう。
梨乃だけが、この手の話によくある定番で、美人だけど不良の遊び仲間がいて学校に出てこない、という設定。なので、あまり魅力を感じないんだけどね。
ボルダリング部の部長と先輩が、フツーにスポコン野郎で、でも小寺さんにも四条にもやさしく、いじめたりしないところがいい感じ。でも、この野獣っぽさのある部長のことを、ありか が好きらしいところが、いい。クラスのヒロイン、ヒーローに視線が集中するんじゃなくて、じつは、いろんなところで好き、の視線は密かに飛んでいるのだ、ということを見事に伝えている。この2人は、学園祭では半裸のメイドに扮している。肉体美の裏には、女性の心根が宿しているということなのかな。
で、近藤くんだけど。なんとなく卓球部に入り、最初はたどたどしかったのが、小寺さんの姿を見ているうち、自分もがんばるぞ的な態度に変わっていくのが、自然に描かれている。同じ1年の2人の部員がいて、最初は、かったるいからテキトーに、的な感じだったのが、がんばりだす。これを2人が、あいつ浮いている、な感じで見出すというのも、ありがちだけど、上手く描いてる。でまあ、後半になるとかなり上達し、県大会のベスト8まで残るという成果。でも、大はしゃぎしない。そういう描き方もせず、淡々と。しかも、撮影に際して結構練習したんだろう、上達の様子が本人の演技とスキルで描かれているのも素晴らしい。付け加えるなら、卓球部の先輩の卓球技術もなかなかで、ほんとうに卓球が上手い、と感じられる。あれも、なかなかだと思う。
もちろん、小寺さんのクライミングも、ほとんど本人の実演で、最後の大会の難しそうなところを除いて、1カットで撮られている。あ、本人がやってる。と思うのは最初のうちで、そのうち、当たり前になっていく。まあ、小寺さんを演じる工藤遙が、そんなに有名な役者でもないから、入れ込みもなく見られるのかも知れないけど。
そんなかんなで、この映画は、最初の方はセリフも撮り方もいまいちたどたどしいんだけど、途中からすべてが自然に流れていくようになっていく。なかなか素晴らしい。最後の、ボルダリングの大会での小寺さんの演技も、淡々とみせて、ヒキがある。フツーなら、ここで盛り上げるんだ的な力が入りすぎて嘘くさくなるんだけど、そんなこともなく、さらりと清々しい。
あとは、小寺さんを演じる工藤遙。そんな美人ではないことがいいんだと思う。本編前に、彼女により、映画の紹介映像が流れるんだけど、このときは、可愛いいな、と思ったんだが。本編を見ると、わりと貧相。だったんだけど、映画が進むにつれて、きれいに見えてくる。そういうメイクをしているのかもね。
本編前の映像には監督も登場する。「nettaiyaのTシャツは、Amazonでまだ売っている」そうである。
レイニーデイ・イン・ニューヨーク7/7ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ウディ・アレン脚本/ウディ・アレン
原題は“A Rainy Day in New York”。allcinemaのあらすじは「ギャツビーとアシュレーは同じ大学に通う学生カップル。ある日、アシュレーは学校の課題で有名な映画監督のポラードにインタビューできることになり大はしゃぎ。場所がマンハッタンということで生粋のニューヨーカーであるギャツビーも同行し、2人で週末のニューヨークを楽しむことに。さっそくアシュレーに喜んでもらおうと渾身のデートプランを練り上げるギャツビー。ところが、簡単なインタビューだけで終わるはずのアシュレーの取材はずるずると長引き、一人取り残されたギャツビーも旧友に頼まれ撮影の手伝いをするハメになり、そこで思いがけず元カノの妹チャンと遭遇するのだったが…。」
Twitterへは「金持ちの世界過ぎてついていけないところがあったけど、それでもユーモアとウィットに満ちた92分。映画・音楽・人名・地名・大学名その他、分からんところが多いので、できれば注釈付きで見て確かめたいものだ。」
いまどき白人しか登場せず、相変わらずニューヨーク育ちの金持ちで高学歴の連中しか登場しないような映画は問題あり、という向きもあろうが(IMDbで★6.6なのは、これが原因?)、フツーに見ていて話は面白いし、展開も早くて飽きずに見られる。日本人としては、別にムリして黒人や東洋人を登場させてる感じもなくて、昔からのイメージしてるアメリカが登場するのだから、そんな違和感ないのよね。とくに政治的に見なけりゃ。
相変わらずの淡々と話を転がしていく手法で、その情報量たるやフツーに撮ったら2時間は軽く超える感じ。それを92分に収めているのだから、さすが。
マンハッタン育ちの金持ち息子ギャッツビーが、アイビーリーグに進学したけどリベラルアーツじゃないからと、少し離れたヤードレー大学に転学。そこの新聞部で知り合った、アリゾナはツーソン出身の銀行家の娘アシュレーと恋仲になって。彼女が某映画監督のインタビューをニューヨークでするというので同行。それからおよそ24時間に起こるあれこれを描いている。まあ、小さい時から有名ホテルで食事してて、豪邸住まいでアイビークラスの大学に難なく進めるという、なんだこいつ、な世界ではあるけれど。すべては幻影のようなものと思えば腹は立たない。
インタビューは1人でするというので、ふらふら歩いていると、やな友人に出会って。まあ、いつもながら、この映画はすべて偶然の連続で織りなされているのだけれど、それが映画だから、いいのだ。その彼が言うには、友人の誰それはコロンビアを中退? ニューヨーク大学に進学した誰それは、いま映画を撮影中だから行ってみれば? 俺、俺は医学部になんとかね。なんて話して別れる。みんな上流階級の坊ちゃん連中なんだろう。で、撮影現場に行ってみると、元カノの妹チャンが出演してて。チャンっていうから中国系かと思ったらセリーナ・ゴメス。で、友人の監督に「お前もでてくれ」っていわれ、チャンといきなりキスシーン! 
アシュレーの方は、撮影中の映画は気に入ってないと監督から言われ、仲間うちの試写に招かれるんだけど、監督は途中で退席。脚本家のテッドと捜しに行くんだけど、途中でテッドの嫁の浮気現場に出くわしたりしつつ、撮影所へ。でも監督はおらず、でも当代きっての人気スター、ヴェガと遭遇。そのまま食事に誘われ、マスコミに激写されてしまう! なんて展開だ。
昼食の約束も、その後の約束もすっぽかされ、やれやれ、なギャッツビー。おまけに雨は降り出すし。婚約して新居に移った兄を訪ね、その後、タクシーに乗ろうとしてチャンとばったり。で、MOMA美術館に行こうということになるんだけど、その前にチャンの家に行ったらもの凄いマンション! ここに1人住まい? で、ピアノ弾きつつ有名映画の待ちあわせの場所の話とか蘊蓄垂れて。で、MOMAに行ったら、ギャッツビーは伯父夫婦とばったり。「おまえ、今日のパーティでるんだろ?」とかなんとか。
ホテルのバーでひとりのギャッツビー。声をかけてきたのは高級娼婦だけど、アシュレーの代わりにパーティに連れていくことを思いつく。あのパーティは自宅なのか、会場を借りているのか知らんけど。パーティには監督、脚本家なんかも来ていて、そこにヴェガとアシュレーも。まあ、金持ち連中の会話しか交わされない、とギャッツビーは言ってたけど。
ヴェガとアシュレーは早めに抜けて、ヴェガの自宅へ。「これは、セックスしようっていわれるに違いない。でも私にはギャッツビーがいる。でも、相手はヴェガよ。いい思い出になるわ。なんてワクワクしつつ半裸になったところで、ヴェガの恋人が予定より早く戻ってきて。あたふた。
やっとパーティにやってきたギャッツビーと娼婦。でも、母親はひと目で彼女の正体を見抜き、驚くべきことを告白する。なんと、彼女もかつて娼婦で、出会った相手=ギャッツビーの父親と結婚した。大学も出た。あなたにはピアノを習わせたり、厳しくした、云々。教育ママの母親が苦手だったギャッツビーはこれで合点。
ブラジャーにパンティの上にコートのまま、逃げ出してたアシュレーが、やっとパーティ会場に到着。ギャッツビーは、閑散とした会場で惹いていたピアノの手を止め、アシュレーの言い訳を聞くんだけど、「何もなかった」の一点張り。
翌朝、霧の中。帰る前に名物の馬車に乗っている2人。でも突然ギャッツビーが、「僕は帰らない。僕にはニューヨークしかない」みたいなことを言って、馬車を降りてしまう。追わないアシュレー。づ、セントラルパークの中なのか? 時計の前にたたずんでいると、チャンがやってくる。「きっとくると思ってた」で、キスして、エンド。この時計は、チャンの家での会話の、有名な映画の話の中にでてきた時計だろう。けど、なんの映画か、題名は言ってなかったよな。
というわけで、流れのなかに、知識と教養がないと分からない人名、地名、映画、音楽、文学あれやこれやが満載。これ、ネトフリで見てたら、いちいち止めて検索して見てるかも知れない。これが、大半分かっていれば、映画はもっと楽しめるんだろうなあ、と。くやしい。
ヤードリー大学は、調べたけど実在しないのか、分からなかった。監督の元妻で、スペルは違うけどアシュレーという女性が通ったのはヴァッサー大学。これは実在する元女子大らしい。コロンビア、ニューヨーク大学、といろいろ大学名が登場する。チャンは、ファッション系の大学か専門学校に行ってたんだったか。こういうので、人物が造形できるんだな。
ノーマ・デズモンドという名前が登場したような。どこでだったか忘れたけど。調べたら、『サンセット大通り』に登場する。サイレント時代の大女優の名前らしい。映画通でないと、とっさには分からんよな。
あと、やたら、ジャズのミスティがかかってた。それぐらいしか分からなかった、ってことでもあるんだが。いや、ウディ・アレンの映画を満喫するのはたいへんだ。全然、達していない。
HERO 〜2020〜7/8シネ・リーブル池袋シアター2監督/西条みつとし脚本/西条みつとし
allcinemaのあらすじは「足を怪我して入院している広樹の見舞いに訪れた浅美。2人は浅美の熱烈アプローチの末に、2年間限定という条件で交際が始まった恋人同士。付き合い始めれば約束のことはどうでもよくなると思っていた浅美だったが、運命の日が迫る中、広樹の決意が変わらないことを知ってしまう。失意の浅美からそのことを打ち明けられた広樹の妹・真菜は、広樹が2年間限定にこだわる本当の理由を探ってほしいと人材代行派遣会社に依頼するのだったが…。」
Twitterへは「病院内を舞台に中途半端なドタバタ。演技も話も大げさに芝居がかっててクサイ。クレジット見たらやっぱり元は舞台だった。時制がぐちゃぐちゃな理由、実はあの人は、が最後に説明的に明かされて、なるほどね。芝居なら違和感なく楽しめるかも。」「要は、演出が素人っぽいのね。これを映画の人がやったら、多少は映画らしくなるのかも。『運命じゃない人』までとはいかないかも知れないけど。」
『キック・アス』みたいな話かと思ったら、そうではなかった。冒頭から、撮り方かが素人で、そこそこ金はかかっていても技術がない感じ。しかも、話がつまらない、というか、何があってどこに行こうとしているのか分からない。あと数日で2年だから、別れなくては・・・という、あらすじにもある設定がのみ。その真意を探るため、広樹の妹・真菜が、おかしな派遣代行人に相談。代表と秘書が死神と看護婦に扮して広樹を脅せば、死ぬ間際と勘違いして本当のことを言うだろう、と芝居を打つ。けれど、広樹の同室の患者や見舞客が邪魔をして、代行派遣の2人は別人ばかりを脅す。置き引き犯も交えて、ドタバタがつづく。というのが大きな流れ。
なんだけど、初めの方から時制が妙にねじれていて変だったり、学芸会みたいな死神が登場して誰が勘違いするかよ、というようなプリミティブな疑問が満載。しかも出演者の大の演技が大げさで、もしかしてこれは舞台劇の映画かなと思っていたら、エンドクレジットにそうあった。やっぱりな。
時制を入り組ませて観客をミスリードさせたりするのは、この映画の仕掛けを隠すためなんだけど、すっかり騙された、とはならないのが残念なところ。たとえば、広樹の第2の恋が2年以上前で、同じ病院で進行していたのだけれど、現在の時制で同時進行しているように勘違いさせようとしているところなんか、違和感ありすぎだろう。まあ、その第2の恋のときの医師と看護婦が、実は死神だった、というのは面白いけどね。でも、それも含めて、観客をうまく引っかけないと、いまいちスッキリしない。
でもやっばり、俳優陣の大仰な演技がクサすぎて、映画としては見られないよね。いくら芝居で評判だったとしても(知らんけどね)、映画とは別物なのだから、映画的に撮らないと、嘘っぽさが誇張されるだけだと思うぞ。
・第1の恋は、映画の冒頭の交通事故。第2の恋は、数年前にこの病院で。ともに、2年しかつき合っていない女性が亡くなった。ということを、広樹の妹・真菜が知らないというのが、不自然すぎ。
ラストの、それぞれのその後、の場面。マスクの3人は、同室になったやつと、その友人? 意味がよく分からなかった。それと、レンタル会社の女子社員が、病院で拾ったという何かのパンフ、あれは何だったっけ?
いつくしみふかき7/10テアトル新宿監督/大山晃一郎脚本/安本史哉、大山晃一郎
allcinemaのあらすじは「母と2人暮らしのニート青年・進一。彼の父・広志は30年前、母が進一を出産中に母の実家に盗みに入ったところを見つかり村を追い出された。そんな村で、周囲の冷たい視線を浴びながら育った進一。折しも村で空き巣事件が立て続けに発生し、進一に疑いの目が向けられる。追われるように家を出た進一は、牧師のいる家に身を寄せる。するとそこへ、広志が牧師に金を借りにやって来る。牧師の思いつきで、2人はお互いに実の親子と知らぬまま、一つ屋根の下で暮らし始めるのだったが…。」
Twitterへは「シリアスなドラマかと思ったらホラーで、かと思ったらコメディだった。波瀾万丈な話を107分はキツイ。人物それぞれの視点からの描写にするとかして2時間半ぐらいの尺で見せてくれたら、もうちょいインパクトが強くなったかも。もったいない。」
ナチュラル・ボーン・犯罪者の広志。その青年期以降の一代記と、たまたま生まれた子供の成長を描いて、波瀾万丈。なんとなく『愛のむきだし』を連想した。見る前はシリアスものかと思ってたんだけど、始まりは『八つ墓村』みたいなおどろおどろしさ。で、スパンと20年後なのか30年後なのか知らんが、できた子供が成長して、でも、図体はでかいけど何もやる気のないダメ青年・進一になってて。母親だけがあたふたしてる感じ。
全体につまらなくはなかったけど、大雑把なところもあったりして、すごく面白かった、とはならず。そのあたりのツメをちゃんとやってくれてたら、印象は変わったかも。それと、最初の方のセリフまわしが舞台みたいでハキハキくどくて不自然。なのに、中盤からは、何を言ってるか分からんシーンも多くて、このあたりが、うーむ、な感じ。
でまあ、進一に盗み癖が・・・。とミスリードさせて、血のつながりを強調するんだけど、犯罪人は遺伝すると勘違いされるような気がしてしまう。もちろん、後に、進一は母に「あれは拾ったもの」と、祭のときの菓子について説明するんだけど、そのとき言えるだろ、と思ってしまうし。
かつての村での犯罪で、広志が何年食らったのか知らんが、その後、何をしていたのか。とはいえ、ふたたび飯田の近くにやってくるというのも、なんか不自然。もともとどこの生まれだったのか。それも分からんので、いまいち必然性に説得力が足りないかも。
あとは、母親・加代子かなあ。流れ者・広志に簡単に身体を許し、子をなしたわけだ。けれど、出産の日に広志は加代子の実家にコソ泥に入り、金を盗んだ。さらに加代子の弟を刺し、逃走したけれど、消防団員(田舎村にしては人数多すぎるだろ)に捕まった前歴がある。これで、そのまま、息子・進一とともに村で、女ひとりで生きてきた、というのも、いまいち合点が行かぬ。周囲の目が気にならないわけがない。岐阜とか名古屋とかへでて、水商売、というのは定番過ぎてアレだけどね。
あと、教会の牧師が登場し、3人をあれこれ面倒みるというのも、ご都合主義的な感じ。そもそも、飯田市の教会の牧師が、あの村とどのようなつながりがあったのか? とか思いつつ見てると、飯田周辺でこの3人、そして、牧師がうろうろしていて、互いに出会わないわけがなかろう、と思ってしまう。住人の噂にもなるだろうし。
あと、広志と仲間のチンピラでやってたサギ・強盗。あんなの、全国ウロウロならわかるけど、あれも飯田周辺でやってるような気配。あんなの、すぐつかまっちゃうだろ。
よく分からんのが、不動産屋なのか? 大きな顔をしてた、社長。田舎のクラブで登場した時は、小者? と思ったら、後半でヤクザを引き連れ、広志たちを威圧してた。あれ、ヤクザの親分なのか。で、土地取引もしてて、リニアでもうけようとしてた? とかの経緯がよく分からん。
広志は、子分に刑務所に行かせ、自分は教会でのうのうと暮らしていて、そこで息子と出会い、妻とも再会する。でも、とくに反省の色もなく、牧師の前で堂々と宗教サギ。おい。牧師は口開いてないで、止めろ! でも、何もしないんだよな。まあ、あの辺りは、まるきりコメディ。で、昔の仲間と逃げるつもりが、代わりにムショに入った男に見切りを付けられ、ボコボコにされるんだが。あのとき使っていたバンとか乗用車とか、誰のクルマなんだ? そんな金、あったのか? とか思ってしまう。
こっから、様相ががらりと代わり。進一は、自力でどこかのクルマのディーラー? に入り、トンマながらもなじんできて、そこそこ仕事もこなしてたりする。あのダメ生年が、どうやってここまで? と、不思議になってしまう。一方で、かつて、「これからは不動産だ」と広志に言われたことを覚えていて、宅建の試験に向けて勉強していたらしいんだけど、どんな幻想を見てたんだよ、という感じ。しかも、先輩女子社員といい仲になって、母親に会わせに行ってたりして。すごい進化は、どうやってできたんだ? 母親が言うように、「やればできる子」だったのか?
一方の広志も、飯田のどこかに店舗を借りて、でも、家賃は払いながら、空っぽのままで3年ぐらい? 家賃は誰が払ってたんだよ。広志は中国女のヒモだったんじゃないのか? その中国女も、水商売じゃなくて、どっかの工場みたいな所で働いてる。うーん。現実的じゃないな。
というところに、広志に代わりにムショに入った男から電話で呼び出され。行ってみたら、男は仲間2人を射殺してて、広志も殺してしまう唐突な展開。なんじゃこれ。葬儀には、進一、母、その弟、中国女らが来ていて、母親は広志に唾して棺桶をゆすって怒り狂う。のだけれど、そんな怒りを持続できていたのか? というか、葬式にくるかよ、と思ってしまう。
その騒ぎを収めようとしたのか知らんけど、葬儀の場で進一が突然、挨拶。父親には迷惑をかけられた、とか何とか言うんだが、これは、許しなのか?
この前後に、棺桶風呂のシーンがある。広志の入る棺桶風呂に、進一が入り、向き合うという象徴的な場面だ。でも、これもよく分からない。そもそも、広志はいつ父親であることを自覚し、罪を感じたのか? 教会に偽教祖を呼んでサギを始めたとき、子供を省みない例を挙げられ、逆上したときか? でも、それはなんで? 一緒に暮らしはじめて、何か変わってたっけ? なかったよなあ。
たまたま飯田の街で遭遇し、進一から「不動産屋の話、覚えてるか?」といわれ、戸惑う。広志は、一緒に不動産屋でもやって当てるか、とはいったけど、あんなのは思いつきのはず。それを、ずっと覚えていた進一に、なにか感じたのか? 営業を始めもしない店舗を3年も借りつづけていたのは、進一への答え、のつもりだったのか。広志の死後、その店舗の存在を知った進一が、その行為に父親を感じたのか? なんか、とってつけた感じだよ。
題名の、いつくしみふかき、は、これなのか? この許し、のようなものが、慈しみ? 会ったことのない父親と初めて遭遇し、やっぱ迷惑な人だと思いつつ、でも、わずかに理解し合えた、というようなことなのか。なんか、分かるようで分からんな。
というような訳で、最後は列車に乗ってる進一の姿、で終わるんだけど。これで何が解決したのか。何も解決していない。親はなくとも子は育つ、でもないし。ました、血は関係ない。うねりのような話が、ひと段落、というだけかな。あんな家族を背景にして、先輩女子社員とも結婚できるのか? 母親も歳を取るし。なのに、記憶だけが濃厚に染みついたあの田舎に住みつづけるのか? なぜ飯田にこだわるのか。それも、よく分からない。
話は、それなりに面白かったんだけど、ツッコミどころも多かったので、なので、もう少し、描き込んで欲しかった気がしたんだよね。
クレジットに、こいけけいこ と、 もうひとりの名前が捧げられていた、のか。で、調べたら、先輩女子社員役のこいけけいこ さんは、この映画の一般上映を見ずに病死したらしい。ひぇー。もう1人は、よく分からず。
他に、佐藤隆太の名前がクレジットされてたけど、どこにでてたのは分からず。
20時45分の回を終えて、22時40分ぐらいにでたら、地上入口に数人ならんでいて、観客に「ありがとうございます」と挨拶している。スタッフの挨拶か。熱心だね。
透明人間7/13MOVIX亀有シアター9監督/リー・ワネル脚本/リー・ワネル
原題は“The Invisible Man”。allcinemaのあらすじは「富豪で天才科学者の恋人エイドリアンの度を越した束縛に恐怖を抱き苦悩を深めるセシリア。ある夜、ついに彼の豪邸からの脱出に成功した彼女は、妹の恋人の家に身を隠す。やがて、失意のエイドリアンが手首を切って自殺し、莫大な財産の一部がセシリアに残されたとの知らせを受ける。ようやく安堵したのも束の間、そんな彼女の周りで不可解な現象が起こり始め、次第に死んだはずのエイドリアンの存在を確信し始めるセシリアだったが…。」
Twitterへは「ツッコミどころが多すぎるんだけど、それでも前半は何度かゾクッっとするところも。そして、そうきたか。ラストも、如何様にも解釈できる感じで何が真実なんだ!? とはいえヒロインは、富豪の科学者が執心するような美人でないところが、うーむ。」
あの透明人間なのか? 『見えない恐怖』のような心理サスペンス? が、セシリアが友人警官の家に匿われ、その部屋で毛布に靴跡? さらに、セシリアが夜の玄関に出た時、彼女の背後に白い息が見えたので、これは実体だな、と確信。
ところがその後、エイドリアンの兄が「弟の死体写真」を見せてきたので、もしかしてセシリアの妄想? 二重人格? と迷った。そして、セシリアが天井裏でエイドリアンのスマホや面接の時に消えていた建築パース図を発見。やはり実体か。でもセシリアの別人格が隠した可能性もあるしなあ、と思っていたら、天井裏へのハシゴに妖しい気配! で、ペンキだか牛乳こぼしてかけたら、実体が。やはり実体なのか。
そののち、再度、セシリアのいる警官宅に透明人間が現れたんだっけ。気配だけだったか。それで、彼女はタクシーで海辺の夫豪邸へ。そこでセシリアは透明スーツを発見。 全身にカメラが付いているとかで、撮影した周囲の風景を表面に映し出すのか? 夫が光学系の学者だから、なんか開発してるとは思ってたけど、細胞の透明化ではなく、透明スーツとはね。にしても、あんなメカじゃ透明になるのはムリな気がするけど。で、人気を感じてスーツをウォークインクロゼットに隠したところに、透明人間が現れる! ってことは、透明スーツは2着あるのか? いまひとつ解せんな。
で、セシリアは、妹とレストランで会い、相談しようとしてたら、妹の首がかっ切られる! と同時に、ナイフがひゅん、ってセシリアの手に! ここは、笑っちまった。
逮捕されたセシリアにエイドリアン兄が面会に来て、「遺産相続は犯罪を犯さないこと。精神障害でないこと」が条件なので、残念ながら・・・、と話す。そうか。兄がエイドリアンを殺し、透明人間になってセシリアを恐怖させ、犯罪も犯させ、精神障害者と思われるよう仕組み、弟の遺産を自分のものにしようとしたんだ、と確信したんだが・・・。
独房で、セシリアがペンで手首を切る! と、そこに透明人間が出現! おいおい、どうやって独房に入ったんだよ。ここで、看守らを投げ飛ばすのだから、セシリアの疑いは晴れると思うんだが、そうはならず。透明スーツはボロが出始め、時々見え隠れするようになる。しかも、通行時にドアが開いたり閉まったりする描写がここらから始まり、スリリングが消え失せ、お笑いになっていく。さらに外は雨。雨を弾く様子で透明人間の存在が分かるのか、と思ったら、そんな描写もなく、うーむ。
透明人間は警官宅にやってきて、警官娘を殺そうとする。その目的は、セシリアの愛する人を殺すことにあるらしい。なぜなら、セシリアが自分の方を向いてくれないから! って、ひねくれてるよなあ。で、ドタバタしてるところにセシリアもタクシーで到着し、セシリアが透明人間を撃つと、マスクの下にはエイドリアン兄の顔が。やっぱり。と思ったんだが、警官がエイドリアン宅へ行くと、なんと彼は死んでいなくて、地下室あたりで拘束されていて、ありゃりゃりゃ・・・。なんじゃこれ。
エイドリアンは被害者、ということで自宅に戻った様子。セシリアはエイドリアンに招待されるがまま、夫自宅へ食事に行く。エイドリアンはまだセシリアに執心している様子。で、席を外したすきに透明スーツに着替え、エイドリアンの喉をかっ切る! 監視カメラには、死んでいくエイドリアンひとりの姿が・・・。というエンド。
なんだけど、透明スーツは置いといても、ほかにいろいろツッコミどころがありすぎ。前半の、サスペンス部分はぴりぴりくるところもあったけど、スーツが登場しちゃうと陳腐になってしまうし。そもそも、なぜエイドリアンにセシリアこだわるのか意味不明。そんな美人じゃないし。
エイドリアンは結局生きていて、兄を使ってセシリアを脅していたとしても、なぜあんな遺書を書いたのか。兄は、「弟に操られていた」と話していたけど、どうやって? そのあたりの、エイドリアンの闇を描かないと、話に説得力が足りなくないか?
・冒頭、セシリアがエイドリアンの家から深夜逃げ出すにあたって、ジアゼパムを飲ませたらしい。でも、これってマイナートランキライザーじゃないの? 一般的に、眠剤に使われているのか?
MOTHER マザー7/16MOVIX亀有シアター4監督/大森立嗣脚本/大森立嗣、港岳彦
allcinemaのあらすじは「シングルマザーの秋子はその日暮らしの生活に困り、小学生の息子・周平を連れて実家にやって来る。両親に金を借りようとするが、度重なる借金に愛想を尽かされ追い返されてしまう。そんな中、ゲームセンターでホストの遼と出会い、意気投合する秋子。周平を学校にも通わせず、一人でアパートに残したまま、遼と遊びまわる日々。いっぽう周平は、電気もガスも止められた部屋でじっと秋子の帰りを待ち続けていた。やがてトラブルから遼とともにラブホテルを転々とする逃亡生活を余儀なくされる秋子と周平だったが…。」
Twitterへは「薄っぺら。退屈。“息子への執着”や “歪んだ愛に囚われた少年”が描けてない。怒鳴るだけの長澤まさみは終始さらさら同じ髪型でやつれず老けない。機能しない阿部サダヲ。放置する祖父母と役人。せっぱ詰まらない息子。」「この映画、HPでは「17歳の少年が起こした××××」、劇場の内容紹介でも同様にネタばらししてる。サイテーだ。前半は小学生で、後半もおしつまって、そういう流れになるんだから、行っちゃダメだろ。他にヒキがないのかね。」
働かず、子供(周平は6年生?)の面倒は見ず、親や妹にたかり、ゲーセンで出会った遼と暮らしはじめる。親や妹への借金は周平に行かせるんだが、周平は断らない。このあたりが、よく分からない。秋子のセフレなのか、役所のオッサンをゆすったり、揚げ句に刺し殺し(た、と勘違い。生きていた)、どこかの温泉宿に逃げ込むが、そこの金を盗んでトンズラ。周平はどつかれ使いっ走りさせられ、でも文句言わない。一度、父親にたかる場面がある。離婚したんだろう父親は月5万仕送りしているというのに、秋子が嘘をついて金をせびらせる。この頃、生活保護を受けていたようだから、10〜15万もらえて、仕送り入れたら20万。その大半をパチンコと飲食か。計画性がない女だな。とは思うけど、秋子の長澤まさみが悪女に見えないので、嫌悪感もないし、もちろん同情もない。だって、声を張り上げて悪ぶってるだけだから。
前夫は悪人には見えず、だったら、いかに結婚し、どのように堕落し、別れたのか、も描いて欲しいものだ。
秋子が妊娠したからと逃げていった遼。この後だったか、ラブホ生活して、若い店長に色目を使うのは。でも、あっさり別れて出ていき、5年後。秋子と周平、5歳の妹は路上生活。役所の人間が声をかけ、山谷の3条の木賃宿を世話し、周平は自主学校に通うようになり、知識への意欲がわいてくるんだが、そこに遼が転がり込んでくるんだけど、秋子が知らせた気配もなく、どうやって場所を知ったんだ? だよな。いい加減だなあ。
ヤミ金で借金する遼。またまた遊びまくりで、取り立てに脅され、遼は去って行く。って、この遼という男は狂言回しな存在で、ほとんど意味がない。残念な役で、これまた大声でわめき散らすだけ。そういえば、寮が去って行く場所は、白鬚の高層ビルの前だったな。デニーズと前面の水場、スカイツリーで分かった。
で、半年後だったか、つくば市の土木作業員をしている周平。なんだけど、どうやってこの職を探したんだよ。秋子と妹も、寮みたいな所に住まわせてもらってて。でも、秋子は相変わらずぐだぐだで、周平に「前借りしてこい」と凄み、いわれるがまま頼み込んで断られる。周平の会社の社長は、そのぐだぐだを見ていながら、秋子を事務員に雇い、誘われて一発やっちゃうんだから、色気も大したものという設定なんだろうけど、なんなのかね。というところに、遼からメールで「50万ないと殺される」と秋子に。またまた周平に金庫の鍵を渡し、盗ませるけど、10万ぐらいしかなかった感じ。
で、またまたトンズラし、「ジジババの所しかない」と子供2人を引きつれ、「殺すしかない」と、周平に。それをそのまま実行する周平って、バカ? この件で秋子は執行猶予。周平は、刑期より母をかばって懲役12年。少年刑務所なのか? 周平は「ここにいれば食べられるし、本も読める。でたくない」という。そんな話。
周平が、秋子に愛されている様子がまったくなくて。だから、周平が、父親から「一緒に住むか」と言われて、「お母さんがいい」といった理由がまったく分からないりだよ。ひどいことをされるけど、離れたくない、と子供が思うような母親である様子がまったく見えない。ただ、ずっと引っ張り回しているだけ。なにかというと「私の子供を、どう育てようと私の勝手」というほどの愛着が見えない。むしろ、なんで子供を捨てないのだ? と思ってしまう。遼も、子供を引き連れている秋子に、文句言わない。これね。不思議。共依存の関係らしいけど、そういう様子が描かれていないんだから。
ダメ娘と縁を切る、という両親。それはいいけど、金を借りによこされた周平に向かって怒鳴り散らすことはない。むしろ「気の毒に」と、子供を預かろうとするのが心情じゃないの? そうさせず、子供に執着する秋子がいるなら、そこを描かなくちゃつたわってこない。役所の人間も、働く気のない秋子から、子供たちを別れさせるべきだったと思うぞ。
最後に「ジジババを殺さなくちゃ」ならない理由が、まったく分からない。殺して、なにが解決する? 金を奪うわけでもなく、何が目的で殺させたんだ? 意味不明。周平も、人殺しの意味ぐらい分かるだろうに、なんで? としか思えない。
ほんと、退屈極まりなく、なにも突き刺さってこない映画だった。
・埼玉の祖父母殺しに依っているらしい。↑をおおむね書いてからWeb上の記事を読んだんだけど、事実の方が相当興味深く、ドラマチック。映画はダイジェスト風になってしまっていて、概要をなぞってる感じだな。
・家族が暮らしたラブホの入口に消毒用アルコーが置いてあったル。インフル対策のようだけど、インフルエンザでそんなのやってたか? 新型コロナ以降かと思ってた。
グレース・オブ・ゴッド 告発の時7/20シネ・リーブル池袋シアター2監督/フランソワ・オゾン脚本/フランソワ・オゾン
フランス映画。原題は“Grace a Dieu”。allcinemaのあらすじは「フランスのリヨンで妻と子どもたちに囲まれ幸せな日々を送るアレクサンドル。ある日、彼が幼少期に性的虐待を受けた相手であるプレナ神父が、今も子どもたちに聖書を教えていると知り、過去の被害を告発する決意をする。やがて教会関係者が被害を把握しながらも、責任から逃れるために長年にわたって事件を隠ぺいしていた事実が明るみになる中、最初は関わることを拒んでいたフランソワや長年一人で苦しんできたエマニュエルら、同じ虐待のトラウマを抱える被疑者の輪が徐々に広がっていくのだったが…。」
Twitterへは「以前『松嶋×町山未公開映画』でやってたのは米国の話か。これはフランスの性職者の話。監督はオゾンで、盛り上がりもスリリングもなくだらだら淡白に。次々主人公が変化し、人物も「誰?」なところも。係争は現在も継続中みたい。」「松嶋×町山のは『フロム・イーブル 〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜』。あと『スポットライト 世紀のスクープ』ってのもあったな。この手の事件はいくつあるのか知らんけど、世紀の、世界的、って惹句がいつもついてくるな。」
すでに別映画でこうした件があるのは知っていたので、珍しさや驚きはなくて、フランスでもあったのね的な思いしか感じられず。このあたり、キリスト教が生活になじんでいる欧米と日本との感覚の違いなんだろうか。
で、この映画。最初は、2人の少年をもつ父が、過去に加害した神父がいまでも現役であることを知って、告発。いや、あなたの件はすでに時効だけど、といわれつつ公にするという話で。法的にそういうことができるのか、効果はあるのか、なんてことは分からず見ていたんだけど、有る時から突然、小太りオッサンの話になってしまって。かれも被害者なんだけど、最初の父親とはまったく関係なく話が進む、のがとても違和感。しかも、一緒に行動する医師のような人物が、なんとなく現れてきたり。あらあら、と思っていたら、小太りが父親の存在を知って、意気投合して会をつくるんだったかな。と思っていたら、またもや過去のトラウマにとらわれているオッサンが主人公の話になっていく。女性と暮らしていて、過去の出来事の話題になるとひきつけを起こしたりする。それと、かつてチンポをいじられたせいで「俺のは曲がってしまった」というんだけど、曲がったのは別のはなしだと思うけどな。で、同居女性とはフツーの関係かと思ったら、母親に「別れる」と言いはじめたり。よく分からん関係。
でまあ、トラウマオッサンも会に参加し、告発するという流れなんだけど、放つにメリハリがなく、だらだらと進行するので、話にのれない。
一方の、加害神父は、最初の父親と会って、とくに悪びれもなく挨拶し、でも、したことは素直に認める。でも、謝らなかった、とかいう理由で、会に追及されることになる、んだったかな。で、協会側も会見して、認めることは認める。ただし、なかなか神父を仕事から外さず、別の任地に移動させるとか、そういうことしかしない。というのは、『フロム・イーブル 〜バチカンを震撼させた悪魔の神父〜』と同じだ。教会の対応も歯切れが悪いけど、映画も歯切れがよくない。これ、米国映画ならもっとシャープに、ドラマチックに描くだろうに。監督のフランソワ・オゾンも、いつもの訳分からん幻惑的な演出ではなく、淡々とドキュメンタリーたっちではあるんだけど、エッジが立ってないというか、何が問題で、どう切り込んでいくのか? という対立関係ももやもやしてしまう。悪役神父も、小児性愛者ではあるけど、悪人に見えないし。
というか、キャンプに参加した子供たちから選んで、他の参加者の前から連れだしてどっかへ行き、いじってたようだけど。なんて堂々とやってるんだ! という驚きしかない。いじられた子供は、帰ってから両親に話しているケースもあるようだけど、親がほっといたケースもあるようで、このあたりは、教会が根づいているからなのか。どうせ子供の戯言、と無視したのか。分かっていても、黙っていたのか。そのあたりがよく分からない。
裁判はいまもつづいているようだけど、何がどう争点になっているのか、もよく分からない。最後にでるクレジットも、西暦が時系列にでないという、摩訶不思議。いったん、神父は有罪になったけど、逆転無罪になって、上告中? このあたりも、よく分からず。
もやもやする映画だ。
WAR ウォー!!7/21ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/シッダールト・アーナンド脚本/シッダールト・アーナンド、シュリーダル・ラーガヴァン
インド映画。原題は“War”。allcinemaのあらすじは「インド対外諜報を担う調査・分析部RAWでは、イスラム教過激派テロリストを追っていたRAWのトップエージェント、カビールの裏切りが発覚し、動揺が広がる。RAWはカビールの抹殺を決定し、優秀な若手スパイのハーリドにこの重要な任務が託されることに。憧れの存在だったカビールの突然の裏切りに当惑しながらも、スパイとして任務を全うすべくカビールの行方を追うハーリドだったが…。」
Twitterへは「インドのアクション映画だけど踊ってた。決めポーズもたっぷり。『007』『MI』『特攻野郎』『フェイス/オフ』とかそっくり場面の連続で、話も大仰。似たひげ面ぞろぞろ。人物名もぞろぞろ。話の展開もどっかで見たような・・・。なので、寝た。」
冒頭。カビールがイスラムの指導者を狙っている。けれど、撃ったのは、遠隔指示していた上司(なのか?)。次は、ハーリドが1人で敵数人をやっつける場面。ここが1カットの長回しで、なかなかやるな、と思わせる。で、カビールの愛弟子ハーリドがカビールを追う、という展開かと思ったら、5年前(だったか)に遡り、カビールとハーリドの出会いから、リスタート。どうやらハーリドの父は裏切り者で、その父を殺したのがカビール。だから、弟子にはできない、というんだけど、なんとか弟子になって・・・ごにょごにょ、な展開がいまいちつまらない。よく分からん名前がぞろぞろ、似たような顔がぞろぞろ。話もよくわからなくなってくる。定番の踊りも入ったり、アクションのたびに大げさな決めポーズ。映像は、欧米アクションの丸パクリで、それ以上がない。なので、寝た。なんか、電車で2人が遭遇し、カビールが誰かの名前を知らせる、で前半終了だっけか。
イスラムの指導者を追っているようなんだけど、インド側にイスラムに寝返った連中がいるのかな。チェスの駒で、4人いるようなことを言ってたな。『裏切りのサーカス』かよ。ま、このあたり、寝たのと、話がよく見えないせいで、ついていくのも面倒になってた。そういえば、イスラム指導者を攻撃する場面で、仲間が裏切り、ハーリドが追うんだけど、そのまま行方不明になり、のちに海岸で傷ついたハーリドが発見され、るんだったか。これは前半? 後半? 
インターバル後、数ヶ月前だか数週間前だったか、の場面になり、カビールが少女と過ごしてる。美女も登場。なんなんだ? で、美女が殺され、てしまう、んだったな。その後は、なんか、ぐちゃぐちゃと、分からんよ。で、結局、ハーリドは裏切り者との対決で死んでしまっていて、裏切り者がハーリドの顔面移植手術を受けていた、というのが後から分かるんだったか。あと、イスラム指導者は、それ以前から別の顔になってたんだったか。いやもう、ムダに複雑で、頭に入らんよ。
派手なアクションにするなら、アクションに徹するべきだし。顔を変えるのがキモなら、そこに傾注してくれ。そもそも、イスラム指導者とインドの関係とかも、日本人にはよく分からん。あのムスリムたちは、パキスタン、なのか? それで互いに工作がつづいていた? にしては、簡単に相手の居所が分かっちゃったり。いまいち緊張感がない。151分、ムダに長いだけだろ。
とはいえ、民族衣装ではない女性の色っぽさとか(カビールの彼女より、同僚の女性が可愛かった)、欧州系の顔立ちのオッサンたちとか、インドをあまり感じさせない絵づくりがされているのは興味深い。あと、インドの軍隊のハイテクなところも、へー、そんなんだ、な感じ。いつまでも昔のイメージではないのは分かるけど。
・結局、ハーリドは死んでたのか。残念。な展開だな。
・裏切り、が裏テーマなのは分かるんだが。ムダに裏切りばかり登場させるのも、うざい。
・北氷洋なのか。砕氷船が行くような場所でひと騒動あって、そこからバイクで表現を突っ走ると、人家が現れる、って、どんなところだよ。
アングスト/不安7/21ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/ジェラルド・カーグル脚本/ジェラルド・カーグル、ズビグニェフ・リプチンスキ
オーストリア映画。原題は“Angst”。別題:『鮮血と絶叫のメロディ/引き裂かれた夜』 (ソフト題)。allcinemaの説明は「1980年にオーストリアで起きた実在の一家惨殺事件を基に描いた1983年製作のオーストリア映画。殺人衝動を抱えたまま刑務所から出所した殺人鬼が、冷酷非情な凶行へと及ぶさまが殺人鬼自身の内面を通して徹底したリアリズムで描かれ、そのショッキングな内容のために本国オーストリアでは1週間で上映が打ち切られ、他のヨーロッパ諸国でも上映禁止になるなど各国で物議を醸したという問題作。」
Twitterへは「欧州各国で上映禁止になった1983年オーストリア映画。客観視点(カメラの位置が興味深い)で淡々と犯行に及ぶ様子を描くんだけど、ナレーションはずっと主観でなまめかしい。考えてることも、してることも常軌を逸しすぎてて、なんというか・・・。」
冒頭の、男が住宅街を歩いている場面から逮捕されるあたりと、以後のタッチが違うので、過去につくられた映画を見せる、という体の構造かと思ったら、すべて1983年の製作なのか・・・。住宅街を歩いているときのカメラは、明らかに腰のベルトにアームで付けられていて、男が方向を変えているようだったので、軽量ビデオかと思ったんだけど、当時なら、もっと大きかったはず。フィルムカメラ? サポートがついてたのかな。という冒頭の映像も、多少斜め上から。その後も、棒に付けての撮影なのか、高所から見下ろすアングルが多用されている。淡々と男の動きを追う客観的な視線が、素っ気なくも印象的。
子供の頃に両親が離婚し養父に育てられたとか、修道院に入れられたけど匙を投げられたとか、知人となった年上の女性がマゾであれこれさせられたとか、母親をめった刺しにして3年刑務所にとか、女優を殺して10年の刑とか(冒頭の老婆殺しがこれなのか?)。最初は第三者のナレーションだったけど、途中から本人のモノローグになって、その時の気持ちや過去のあれこれを思い出したようにしゃべり出すというスタイル。男は、ほとんど劇中のセリフはしゃべらない。というか、セリフはほとんどなかったかも(被害者一家の知恵遅れの車椅子男性と、母親が少し、ラストの警官、そのぐらい)。で出獄して当日、カフェに入る…。若い女2人にめをつけ、もう殺す算段をしつつ、ソーセージをむしゃむしゃ、が執拗に映る気持ち悪さ。
タクシーに乗ったら運転手が女性で、さっそく殺す算段のモノローグ。靴ひも外して首を絞めようとして間一髪、追い出される。「俺には完璧な計画がある」が繰り返し話される。なんという自信というか、無計画さ。
空き家と思った大邸宅(大きな池や通路がたくさん!)に入り込んだけど、車椅子の男性がいて、知恵遅れなのか、「パパ・・・」と男を呼ぶ。そこに、老母と娘が買い物から帰ってきて・・・。あとはもう男性を風呂場で溺死させ、老母を締めてでも殺せず縛っておいたらいつのまにか死んでいて、母親を殺すところを娘に見せようとした計画がおじゃんで、娘を抱きながら這いずり回り、地下(?)の通路で素っ気なくめった刺し。おお。そのまま覆い被さっていたと思ったら、翌朝なのか? 男のズボンがずり下がっていたので、死姦したのか。「次の獲物に、死体を見せるんだ。怖がらせてから殺す」てなことをいって、男性の死骸を引っぱってクルマのトランクへ。母親の死骸を運ぼうとして、その死骸に興奮して射精したのかな。3人の死骸をトランクに入れて、走っているとどこかのクルマにオカマを掘り、そのまま昨日のカフェに。昨日の娘2人と新聞オヤジがいて。またまたソーセージ。クルマから犬の鳴き声。これは、惨殺された老母が飼っていたダックスフントで、役に立たない犬だった。その犬にソーセージの残りをやっていたら警官がやってきて、トランクを空けろと言われて、素直に開ける・・・という、衝撃も何も押し殺したかのような素っ気ない終わり方。終身刑になった、とかいってたかな。
ドキュメンタリーというより、再現ドラマな感じで、でも、煽りも何もないので、冷静に見てしまう。衝撃とかいうより、距離を置いて観察してしまう感じかな。あとさき考えるより、殺しの衝動に抗えない感じで、こんな存在がいたというのは、怖いよね、と。でも、事実らしいから、オソロシイ。
・wikiで実際の犯行を読むと、もっと残酷なことをしていたように書いている。うわー!
パブリック 図書館の奇跡7/22ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/エミリオ・エステヴェス脚本/エミリオ・エステヴェス
原題は“The Public”。公共の場、というような意味か。allcinemaのあらすじは「オハイオ州シンシナティの公共図書館では、実直な図書館員のスチュアートが毎日さまざまな目的で同館を利用する市民のために働いていた。そんなある日、およそ70人のホームレスが閉館時間になっても帰らず、図書館を占拠する騒動が発生する。シンシナティに寒波が襲来し、市のシェルターも満杯のため他に行き場がないというのだった。外には彼らを排除しようとする警察ばかりかマスコミも集まり、いつしか事態はスチュアートの予想を超えて大きくなっていくのだったが…。」
Twitterへは「図書館の話ではあるけど、公共施設はどうあるべきか、を描いて素晴らしい。弱者を救うこと。救われることで再出発できること。権利の行使。それを守る法律。権力に阿ない法曹。日本にはない、筋の通った民主主義はアメリカならでは。」「図書館の公共性を守るために立ち上がる館員なんて、日本にはおらんだろ。10年以上前からアウトソーシングが進み、小役人はバックヤードに隠れてる。書物にうとい雇われスタッフが、態度だけは丁重そうに業務をこなしてる。」「あるいは、ボランティアという名の元文学少女が、図書館なら私にうってつけ、なんて感じでカウンターにいたりする。レファレンスも、気の抜けた回答しかしてくれず、キーボード叩いて「これしかありません」なんて、気の抜けるような手伝いしかしてくれない。」「まあ、しょうがない。それが日本だ。で、映画だけど、ホームレスに女性が1人もいないというのは、どうなんだ、というところはあるかも。人種的には、ヒスパニックやアジア人が少ないのは、シンシナティだから? しらんけど。」「同僚館員のジェナ・マローン、アパートの隣人テイラー・シリングが、ともにチャーミング。」「あと、「怒りの葡萄」は分からんでもないけど。小泉八雲の写真が部屋に飾ってあるのは、なんなんだ?」「図書館内のフレデリック・ダグラスの懸垂幕がやたら映るのでwikiで調べてみたら“メリーランド州出身の元奴隷、奴隷制度廃止運動家、新聞社主宰、政治家。 編集・講演・執筆・政治家としての活動を通して、奴隷制廃止論を唱えたアフリカ系アメリカ人の活動家”だと。なるほど。」「ラストは『まぼろしの市街戦』だ!」
サブタイトルに「図書館」とあるので、図書館で起きるホームレスの何か、というイメージだったけれど、図書館はたんに入口。その背後には、公共機関としての図書館の理念、あり方が鋭く訴えられていて、最初の方の、いくぶんほのぼのした感じから、次第に対権力で団結するホームレスと図書館員の連帯感が前面に出てくる。
ただの図書館員と思っていたスチュアート。過去に、悪臭を理由にあるホームレスを退館させ、逆に訴えられて75万ドルの(だっけかな)慰謝料を払うことになってしまったので、スチュアートの立場は、図書館内では弱くなっている。そんな彼が、寒波到来で行き場のないホームレス達の図書館占拠の渦中にまぎれこむことになって、でも訴えられたことや、館員としての立場上彼らを追い出す側に回るのかと思ったら、そうはならず、ホームレス達の代弁者として、駆け付けた警察との交渉を始めるようになる。これが、すこし不思議だったんだけど、警察の調べで、彼がかつて犯罪歴もあるホームレスだった、と分かって、成る程。かれはつねに、ホームレス側だったのだ。しかも、そんな過去を知りながら、彼を採用した現図書館長。彼もまた、途中からホームレスと共に居座る側にたつ。もしかしたら、自分は解雇されるかも知れない。それでも、突入しようとしている権力に抵抗の態度を示し、図書館の独立性と人間としての尊厳、権利を主張する。
冒頭の、悪臭を理由に退去させられたホームレスが起こした訴訟にも、裁判所は人権を理由に(法律があるらしい)、ホームレスの訴えを認めている。日本ならどうか。公共の利益を根拠に、退去させたことを正統、と判断するに違いない。このあたりが、三権分立が機能しているアメリカと、司法が権力に阿る日本との決定的な違いだ。
話は単純で、日中は寒波を避け、館内で過ごせるけれど、6時になったら追い出される。凍死するホームレスもでる状況で、夜も解放しろ、とホームレス達がなんとなく言いはじめ、ロックアウトしてしまった、という設定。市は、施設を用意しているけれど、徒歩40分と離れているし、数も少ない。だから、図書館を、なんだけど、立場上図書館は開放できない。職務にバカ忠実な検察官は、警察に突撃を要請しつつ、警察の交渉人も呼んで、説得を試みる。交渉の途中で、食事であるとか、交渉人の息子がホームレスにまぎれ込んでいるとか、いろいろありつつ、最終的に武装警官が突入しようとするんだけど、スチュアートやホームレス達は、素っ裸になって無抵抗で扉を開ける。これには伏線があって、日中、ホームレスの1人が全裸になって“It's gonna be a bright sunshiny day.”を歌うんだったかな、があって。警備も手を出しにくい、というシーンがあって、それを踏まえてのラスト。「これから、よくなっていく」という期待と希望の歌詞。これまた、見事。そして、素っ裸のラストは『まぼろしの市街戦』を思い出させる。
・交渉人に占拠の理由を問われ、『怒りの葡萄』の一節をそらんじるスチュアート。それを聞いていた黒人のニュースキャスターは、典拠を知らずトンチンカンなレポートを口にする。このあたり、ちょっと嫌みかなと思うけど、マスコミの、悪意ある報道姿勢に対する描写だろう。図書館で何が起きているのか、を報道せず、スチュアートに犯罪歴があるとか、元ホームレスだったとか、煽りのネタで視聴率を稼ごうとする。
・客の質問が面白すぎる。「地球儀を見たいんだけど」「そこにあります」「あれじゃなくて原寸大のを」「いま、使用中です」とか、とんでも質問は、実際にあったのを拾ってきたのかな。そして、最後の方に流れる客の質問は「奇跡は見つかりますか?」というもので、この映画のメッセージを色濃く伝えている。まあ、あれこれ、メッセージが詰まりすぎて重いという気もしないではないけど。
・俺の目はレーザー光線。人を殺す。と、頭のおかしなことをいっていたホームレスに、スチュアートが自分のメガネをかけてやる。すると、近視で見えなかった世界がはっきりと見えるようになる。唐突すぎる気もするけれど、象徴的な場面。あなたの目は、曇っていませんか? ちゃんと現実を見ていますか? そういうメッセージだろう。
・スチュアートの部屋に、小泉八雲の全身写真が貼られていた。どういう意味だろう。
海底47m 古代マヤの死の迷宮7/27ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/ヨハネス・ロバーツ脚本/ヨハネス・ロバーツ、アーネスト・リエラ
原題は“47 Meters Down: Uncaged”。allcinemaのあらすじは「内気な女子高生のミアは、父グラントの再婚でできた義理の姉サーシャとも打ち解けられず孤独な日々を送っていた。マヤ文明の遺跡を研究する考古学者のグラントはそんなミアを心配し、船中からサメを鑑賞する観光ツアーに姉妹を誘う。ところがそこへサーシャの親友アレクサとニコールが合流し、姉妹をマヤ文明の遺跡が眠る海底でのスリリングな洞窟ダイビングに連れ出す。それは高度な技術と装備が求められる上級者向けのアクティビティだったが、ダイビング初心者の4人は安易な探検気分で洞窟を目指す。そして海底洞窟の入り口で、マヤ文明の遺跡を目の当たりにして興奮するミアたちだったが…。」
Twitterへは「ロマンに満ちたアドベンチャー風タイトルだけど、鮫モノだ! 海中と洞窟で息苦しいし、これでもかこれでもか! なラストはなかなか。とはいえ、娘4人が海中ではあまりよく見えない、のも苦しいかも。」
安手のサメ映画だった。とはいえ、若い娘が何人もでてくるのは嬉しい。はずなんだけど、冒頭だけで、あとの水中シーンは水中眼鏡とボディスーツなので、区別もつかず色っぽさもなくて残念。
しかし、いまどきの水中眼鏡は顔全体を覆うようで、そこそこ区別はつくけど、でも分かりにくい。
設定というか、4娘が森の中の泉みたいな処から潜る、という流れがテキトー過ぎ。そもそも、父親が潜っているそばなのに。で、海中で魚に驚いて列柱を倒し、閉じ込められる! って、遺跡破壊だろ。で、なんとか父親の仲間のスタッフとめぐりあったら、さっそく彼が食われてしまう! あたふた逃げると、盲目サメが襲ってくるけど、毎度同じパターンで、洞窟の入口でサメは頭がつっかえる! とかしてると父親と遭遇し、まず中国女がロープで上がろうとしたら、白人娘がその足にしがみつき、あおりで中国女がドボン。自身も上がりきれずドボン。そのまま食われる、というのは、「自分勝手なことすると食われますよ」という教訓?
その後、父親が食われ、中国女も結局食われ、姉妹が残るんだけど、これもご都合主義。なんとか外海に出て舟を見つけたら、サメツアーの舟で、乗組員がサメ集めのために魚を撒いていて…。の後の、食われたけど、助ける、またまた食われたけど、助ける、の畳みかけは面白かった。2人とも傷だらけだろ。サメツアーの部分は面白かった。
白人父親と、黒人後妻がいて、それぞれ娘がいる家族。父親は学者。ほんとは2人もサメツアーに行くはずが、食われた2人に誘われて、森の中から海中へ。その結果、父親、スタッフ2人、友人2人が死に、海底遺跡はぐちゃぐちゃ。にした責任を負って、あの姉妹は生きるのかしら。と思うと、助かりはしたけど、これから大変ね、と思うのだった。
ところで、主人公の白人娘は奥手で、学校でもいじめられている。でも、姉妹の黒人娘は、たいして同情していない。さて、2人がサメツアーに行くと、いじめっ子たちがいて、でもツアーには参加しない。けれど、ラストで、そのサメツアー舟の観客が見てるところでサメに襲われるのだが。それでいいのか? いじめっ子達に天罰が下るような展開じゃないと、話としてはスッキリしないよなあ。と思ったんだが。
ラストのテロップで、サメに殺される人は年間10人以下、一方、1億匹のサメが殺されている、とあったのが面白かった。
プラド美術館 驚異のコレクション7/27シネ・リーブル池袋シアター2監督/ヴァレリア・パリージ脚本/サビーナ・フェデーリ、ヴァレリア・パリージ
イタリア / スペイン 映画。原題は“The Prado Museum. A Collection of Wonders”。allcinemaの解説は「2019年11月19日に開館200周年を迎えたスペインが誇る美の殿堂、プラド美術館。そこはベラスケス、ルーベンス、ゴヤ、エル・グレコをはじめ、歴代のスペイン王室が収集した世界屈指の至宝を収蔵・展示したヨーロッパを代表する美術館のひとつ。本作はプラド美術館の全面協力の下、同館が誇る傑作群を詳細にカメラに記録したアート・ドキュメンタリー。」
Twitterへは「王の話、画家の話、絵の話、街の風景…がブツ切れで脈絡なく時系列も分散して編集されてて、じっくり鑑賞とはいかず。こっちに教養が無いのもあるんだろうけど、あまり伝わってこず。演出のない解説映像の方が興味がもてたかも。」
少し期待したんだけど、がっかり。字幕版より、吹き替えの方が、まだよかったかも。とにかく、絵がちゃんと映らない。解説が、通り一遍で浅い。しかも、断片的で、分散している。たとえばゴヤやベラスケス、グレコとか、まとめて見せるのではなく、冒頭から中盤、最後の方まで、散らばっている。しかも、時系列でもなく、どういうくくりか分からない。だから、それぞれの画家のイメージも捉えにくい。絵は、部分などが数秒程度。うーむ。つまんねえよ。
冒頭の、コレクションに至る経緯も、なんとか王が死に際にどうのとか、とくに要らんよ。その王の紹介も、何とか王の息子の誰それ王は、とか、とても分かりづらい。欧米の人ならピンとくるのか? しらんけど。あと、どうでもいいイタリヤやスペインの風景がだらだら映るのも迷惑。そんなヒマがあるなら、絵を写し解説しろ。補修作業も、フツーに解説映像で見せてくれた方がはるかに得るところが大きいはず。というわけで、帯に短し襷にも短くて、なんの印象もなかった。まあ、あえて言えば、もうひとつのモナリザがある、というのが少し気になった程度かな。R>
さよならテレビ7/28キネカ大森2監督/土方宏史撮影/中根芳樹、編集/高見順
allcinemaの解説は「東海テレビが、今度は自社の報道部にカメラを向け、様々な厳しい現実と向き合いながら奮闘するテレビマンたちの真摯な葛藤と戸惑いを赤裸々に映し出し、今テレビの現場で何が起きているのか、その知られざる実態を、矛盾や不都合な現実も含めてありのままに明らかにした衝撃のドキュメンタリー。」
Twitterへは「東海テレビの現場の裏側だけど、都合のいいところだけつないでる印象で、ぬるくね、って見てた。恥部は過去の出来事が主で、画面で生け贄にされるのは派遣・契約社員…。何が闇だよ、って思ってたらラスト数分でひっくり返された。闇だ。」「テロップ事件とか顔出しNO座談会とか、取材する側だったら、犯人と原因を追及するはず。でも、そうはしない。「撮るな!」って怒鳴ってた上司や報道の社員は、ほとんど登場せず。ぬくぬくなんだろうな。他人は撮るし暴くけど、自分は隠れてる、がマスコミだからな。」
マスコミが、自社を写すという話題のドキュメンタリー。もともと、他人のことはしつこく追求するけれど、自社や同業者は追求しないし、アナやキャスターを除いて顔出しも嫌がるマスコミ。さてどこまで、と思って見始めた。最初の方は、戸惑う社員、「写すな!」と罵声を浴びせる上司らしい男。これから追求があるのかと思ったら、いつのまにか対象は若手キャスター、中年契約記者、派遣の若手記者、の3人に絞られていく。骨抜きじゃん。
キャスターなんて、映ってなんぼの商売。大々的に起用され、でも成果が出ずに交代、という悲哀はあるけど、ありがちすぎてつまらない。内容は並だ。中年契約社員は、鎌田慧とか本多勝一に憧れ、経済誌から転身した人物。人権意識が強く、その切り口で取材する。というのも、よくある話だ。契約社員の不安定さも感じさせるけど、どの業界でもある話だ。派遣くんは、悪いけど見るからに仕事ができなそうな感じ。へらへら笑い、味覚レポートも下手すぎ。チョンボもする。不器用すぎて、見ていられない。しかも、アイドル好きのオタクときては、印象が悪くなるばかり。結局1年で切られる気の毒さだけど、当然だろう、という気持ちしかない。でも、こういう設定も、他業界でありがちで、マスコミならではの存在ではない。そして、ぬるい、と思えるのは、3人の立場だ。キャスターは、いくら顔がでても構わない存在。残りの2人は契約社員と派遣。こういう、使い捨ての人間を自社の代表として映し、生け贄にしているだけじゃないの? と思うと、マスコミ内部のドキュメンタリーとしては、何にも迫ってはいない。やってるフリだけ、だ。
東海テレビの現実も、いくつかは映る。地域4つの局で、視聴率は万年最下位。3位になって大喜び。なるほど。こういう局だから、この手のドキュメンタリーも、つくれるのか、と。それと、何年か前の、福島県をからかうような「怪しいお米 セシウムさん」フリップ問題。では、そのダミー文を書いた当人への追求があるかといえば、ない。wikiで見ると、"テロップ作成スタッフは、問題の不適切テロップを作成した動機について、「新聞記事を読んで、頭の中で思いついたことをポンポンと書いただけ。東北の人々や東海テレビなどに何かしてやろうという意図はなかった。今回作ったテロップはあくまでリハーサル用のダミーで放送されるはずはないし、本番ではプレゼント当選者が決定した時点で正式版を作成して放送すればいいと思っていた」"とある。冗談半分で悪口を気軽に書いてしまうようなことは、だれしもあると思う。でも、それがテレビの現場でも行なわれていたことへの追求はないし、書いた本人へのインタビューもない。のちに発生する、顔出しNO座談会で顔がでてしまったミスについても同様。いずれも社会問題化して、既知の話をもってきて、さも、自社の恥部も見せますよ、とやられたのでは、おいおい、と言う他はない。
見たいのは、冒頭で「写すな!」とすごんていた上司や、その周囲にたむろっていた記者たちの本当のところであって、見せても問題ない、ありきたりの話ではない。まあ、そのありきたりの話題すら、マスコミではタブーであって、それは破ってますよ、ということなのかも知れないが。
結局はきれいごと。凄む上司や上層部、女子社員、編集、撮影スタッフは、背景程度にしか映らないのだから、本質に迫っているとはとても言えない。
で、最後の数分で話がひっくり変える。マンション問題で取材した相手と、契約社員が集会でたまたま遭遇する場面。契約社員は「事前打ち合わせもあり、互いにピンマイクもつけていた」とバラす。派遣くんが借金していた相手は、この映画の監督(?)、キャスターとは、写していいシーンを細かく打ち合わせしていた云々。派遣くんがクビになったのも、もしかしたら、クビではなく予定通りだったのかも知れない。なぜなら、かれは「今後の予定はない」とつぶやいていたけど、ラストでは大阪のテレビ局でレポーターをしている姿が映るのだから。
どこまでドキュメンタリー=事実なのか。分からんよ。ドキュメンタリーのフリして、ちゃんと演出されてまっせ、と告白する。その闇があることを最後にバラす。その1点では、評価したい。だからこそ、本編の大半の部分については、眉唾感がぬぐえない。そういうドキュメンタリーだ。
縁側ラヴァーズ27/29シネ・リーブル池袋シアター1監督/今野恭成脚本/今野恭成
allcinemaのあらすじは「売れない映画監督の萩原は友人の石橋と朝倉を誘い、東京を離れ海の近くの縁側のある古い日本家屋に移り住む。それは、ホラー映画の脚本執筆に追われる萩原が、秘かに取材も兼ねて一軒家に暮らすためでもあった。そんな矢先、隣人の藤原が大家の岡野にある儲け話を持ち込む。それは、お金持ちの外国人がこの一軒家を3億円で買いたがっているというものだった。欲に駆られた大家は、入ったばかりの萩原たちを何とかして追い出そうと目論むのだったが…。」
Twitterへは「ゲイの話かと思ったら違った。話はつまらんし演出・編集もいまいち。3青年のキャラ付けはできててもちゃんと紹介せず、似たような顔でヒキや背後からの絵ばっかで区別がつかん。脇も子供を除いて機能してない。荻上直子風のほほんタッチにはほど遠い。」「『縁側ラヴァーズ』(←見てない)につづいてすぐの公開だけど、続編かと思ったら設定が同じで中味は別物なのね。勘違いする人多そうで、損してる気がする。」
冒頭に、3人の役者の挨拶があるんだけど、要らんだろ。コロナ以降、この手の挨拶、映画の説明が入ることがあるけど、じゃまなだけだ。
というわけで、映画の体をなしていないというか、素人レベル。3青年の区別がつかんのは歳のせいもあるだろうけど、初めて見る役者で20代半ば〜30歳ぐらいで、あれで判断しろというのはムリな話。しかも、声だけの場面とか、ずっとヒキの絵で会話とか、暗くて背後の場面とか多くて、分かるわけはない。途中から、監督は赤のアロハ、何もしない男は緑のTシャツ、ホテルに就職するのは白のTシャツかワイシャツ、とはなるけど、それでも難しい。あるシーンで、ホテルは、出社するからとワイシャツスーツに着替えて、でも次の場面で白Tシャツになり、次ではワイシャツスーツになってたり、記録は何をやってるんだ? というか、変なつなぎもあったり。
そもそも、冒頭で監督の紹介はあったけど、その後、3人で引っ越す経緯とか、誰の声か知らんけどナレーションで説明するのは、分からんよ、そんなの。その他2人も、ちゃんと寄りで顔を映し、キャラを説明せんと、つたわらん。
妙に言葉にこだわる男、ジョークが理解できない男、他人と接触できない男(ホテルか?)、とか、キャラ設定はあっても、それが誰なのか、理解できずに進んでしまう。大家や隣人にしても、通り一遍の会話の説明で、分かるはずがない。ちゃらちゃら急かずに、ゆっくり人を描き、見せていけばいいのに、できていない。最初の方で、島田、という名前が登場するけど、誰? なまま、ずっと分からず、そのうち、温水洋一と一緒にいる青年か? とか思いつつ、でも彼は途中からフェードアウトでほとんど機能しない。
演技もムダに大げさ。タイミングが半呼吸遅れるリアクションとか、編集もトロイ。
謎は謎でいいんだよ。でもまず、存在を認識させないと、その世界が観客の中に定着しない。そのうえでの謎にしないと、ワケの分からんままだ。3人の過去や現在も、監督以外はもやもやだし。なぜに田舎の一軒家にきたのか、とか、分からんし。あー、じれったい。脱力系の映画には、ほど遠い低レベル。
な、なかで、小学生の女の子2人が、飛び抜けていい味を出していた。主役は、あの2人でいいよ。そんな感じ。
・Wi-Fiのレベルが低い…って、家の中をうろつく場面があるんだが、ルーターが設置してあるのか? 誰が設置し、誰が使っている設備なのだ? と思ってしまうよね。
・大家のところに住んでいる若い娘は、なんなんだ? なんで居るんだ?
ブリット=マリーの幸せなひとりだち7/30ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ツヴァ・ノヴォトニー脚本/ツヴァ・ノヴォトニー、アンデシュ・アウグスト、エイスタイン・カールセン
スウェーデン映画。原題は“Britt-Marie var har”。英題は“Britt-Marie Was Here”。allcinemaのあらすじは「結婚して40年になるブリット=マリーは、仕事で忙しい夫を献身的に支えるべく、主婦業を黙々とそして完ぺきにこなしてきた。ところがある日、ひょんなことから夫に長年の愛人がいることが発覚する。スーツケースひとつを手に家を出たブリット=マリーだったが、ようやく見つけた仕事は小さな田舎町のユースセンターの管理人兼、地元サッカー少年団のコーチというものだった。子育ての経験もなく、サッカーのこともまるで知らないブリット=マリーは案の定、やんちゃな子どもたちの指導に手を焼くのだったが…。」
Twitterへは「おばさま方に支持されて、連日満員のスウェーデン映画。ひとりだちの原因は手垢が付きすぎだけど、あの国って専業主婦が多いのか? 恋バナは要らんから、もうちょいスポコン度が欲しかったかも。あと子供たちの家庭環境も。」
先日満員なので、2人前に席を確保して臨んだ。HTCのシアター2は、63席。コロナのせいで、その半分として約30人しか見られない。なのに、埋まっているはずの席に空があるのが不思議。予約したけどこない人は、いるのね。3人ぐらいだったけど。
で、おばちゃんの自立話だから、手に職をつけてとか、あれこれ同世代との軋轢を乗り越えて…な話かと思ったら大違い。サッカーのダメチームのコーチになるのだった! 予想外。とはいえ、夫の浮気で三行半を突きつけ家出する、というのは古典的すぎるよね。マリーは子供の頃から几帳面で、毎日を機械的に生きてきた。結婚以来40年ぐらい働いたことはなく、旅行は嫌いで、新しいことにも挑まない。淡々と、毎日を繰り返す(個人的にはそういう性格は好きだけど)。そういう専業主婦は、スウェーデンではフツーなのか? 福祉先進国で、そうなのか? というのが少し疑問だったけど。
で、仕事を探しに行ったら、その年ではない、といわけれ、でも、田舎町のユースセンターに職を得られる、という経緯があり得ない気がして、いまいち説得力が足りないかも。
まあとにかく、夫はサッカー好きだったけど、マリーは何も知らない。その彼女が、地元の悪童ともと練習したりしつつ、次第に受け入れられ、最後は地元の子供大会に出場し、難敵相手に1ゴール決めて大騒ぎ、という経緯は、まあ、面白いし、サクセスストーリーとしても、ただのオバサンvs悪童という設定からも、楽しい。なので、もっとこっちに傾注してくれたら、もっと面白かっただろうに、残念。
対戦相手の強豪は、銀髪だらけな感じで、純粋スウェーデン人? 対する悪童たちは黒人、アラブ、白人少々と雑多な感じ。馴染みの店もケバブ屋だったり、働いてるのもアラブ人にアフリカ人っぽい。つまりは移民だろう。そのあたりを、もっと突っ込んで欲しいよね。あと、最近亡くなったというサッカーコーチのオヤジについても、そして、その娘でかなりな弱視の娘の存在も、気になる。かつてはオヤジの自慢の娘だったのか? サッカーも上手かった? ライセンスを持ってるってことは、コーチの資格、だよね。閉じこもるようになっていたのが、マリーのせいでコーチ業に復活? あたりも、もっと描けばいいのに。
他にも、悪童の兄でサッカー好き、がいたけど、ユースセンターの職に落ちた、というのは何でなの? とか、面白くなりそうな枝葉はあるのに、地元警官とのデートとか、どうでもいいことに時間を使ってる。もったいない。
マリーの性格かつくられたのは、姉の死にある、との示唆がある。落ち込む両親を励ますため、マリーは家事を手伝ったけど、あまり報われなかった、とかいう話だ。親からしたら、有能で夢追い娘だった姉の死にショックを受けたんだろうけど、それでマリーがこうなった、というのはあまりにも類型的すぎないか。
というような不満はあるけど、短いながらマリーのコーチングとか、最後の試合での1ゴール(相手ペナルティでのPGだけど)はなかなか爽快。閉鎖が決まっていたユースセンターも、新たな整備が期待できそうだし。
そして、田舎町を後にして、かつて、家族4人で行くはずだった憧れのパリに向かったマリー。さて、これからいかなる人生が始まるのか。前途多難な気がするけどなあ。
・亭主の浮気は、ワイシャツの香水でずっと前から気づいていたのに、いまさら夫を捨てる決心は、なんなんだ? 病院に浮気相手がいたから? ずっとたまってはいたのかしら。しかし、派手なオバサンだったな。いやまあ、マリーが床上手にも見えないから、そっち方面の不満もあったのかなあ、とかなんとか。
LETO -レト-7/31ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/キリル・セレブレニコフ脚本/ミハイル・イドフ、イリー・イドヴァ、キリル・セレブレニコフ
ロシア/フランス映画。原題は“Leto”。allcinemaのあらすじは「80年代前半のレニングラードでは西側のロックが若者たちの間で秘かに流行し、アンダーグラウンド・シーンではその影響を受けたバンドが人気を集めていた。そんなバンドの筆頭格“ザ・ズーパーク”のリーダー、マイクの前に、ロックスターを夢見る青年ヴィクトルが現れ、彼の才能を高く買ったマイクは、一緒に音楽活動を行うようになる。そんな中、マイクの妻ナターシャとヴィクトルが急接近していくのだったが…。」
Twitterへは「崩壊前のソ連。当局の監視下で地味にロックコンサートする青年たちを散文的に描く。本音は欧米のロックシーンに憧れすぎてる様子がひしひしつたわってくる。ヒロインのナターシャは、なんとなくアンナ・カリーナ風で、ミューズ。」
allcinemaの解説には「ロシアの伝説的バンド“kino(キノ)”のヴォーカル、ヴィクトル・ツォイを主人公に、西側の文化が規制されていた80年代ソ連のレニングラードで自由を求めて疾走する若者たちの熱きひと夏」を描く。とあって、なるほど。っていうのも、画面上では時代や場所、背景なんかをまったく説明してくれていないから。とはいっても、冷戦以前、ブレジネフの時代のソ連で、当局の監視下の元にロックをやってた青年群像、というのは分かるけどね。
話は単純で、↑のあらすじにあるとおり。それ以上の話はなくて、ドキュメンタリー風の群像劇で、なんだかよく分からない場面がいくつも映し出される。基本白黒映画なんだけど、白マーカーでいたずら描きアニメが書き加えられたり、「これはフィクション」という札をもった男がときどき狂言回し的に登場したり…。後半だったかの、マイクのステージ、最初おとなしくやってたのが突然弾けて場内大騒動、は、あれはイメージだよな? だって、最後はおとなしく演奏してたし。といった具合で、虚実が入り混じって、分かりづらいけど、別に分からなくてもいい感じの映画にもなってる。雰囲気だけ楽しめばいいのだ。
面白かったのは、欧米アーチストのジャケットを真似て、コラージュみたいに作ってる場面。憧れだっんだろう。マイクも、正業は警備員かなんかやってるようなことをナターシャに言ってたし。音楽家としてやるのは、難しかったのかも。
興味深いのは、ヴィクトルが東洋系の顔をしていること。実話が元になっているらしいけど、公式HPを見たらモデルとなったヴィクトルの写真もでていて、「朝鮮人の父とロシア人の母を持ち、レニングラードで生まれ育つ」と書いていた。ふーん。
あと、マイクとヴィクトルの間にいて、ミューズのような役割をするナターシャが、見るからにアンナ・カリーナ似なんだよね。『はなればなれに』とかの影響か? 知らんけど。マイクの妻でありながら、ヴィクトルともキスぐらいするする関係で、そのことはマイクも了解済み、らしいけど、でも嫉妬してた、みたいな雰囲気。そりゃそうだろうけど。
で、最後、演奏中に年代がでて、「?」と思ったら、生没年だったらしい。マイクは1955-91、ヴィクトルは1962-91。マイクは心臓発作で、ヴィクトルは交通事故死らしいが…。

 
 

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