2020年8月

ライフ・イットセルフ 未来に続く物語8/3ギンレイホール監督/ダン・フォーゲルマン脚本/ダン・フォーゲルマン
原題は“Life Itself”。allcinemaのあらすじは「大恋愛の末に結ばれたウィルとアビーは、待望の第一子の誕生を目前にして幸せの絶頂にいた。その時、2人は突然の悲劇に見舞われる。その顛末に深く関わってしまったのが、旅行でたまたまニューヨークを訪れていたスペインの少年ロドリゴ。スペインに戻ってもその時のトラウマに苦しめられてしまう彼だったが…。」
Twitterへは「冒頭は心配したけど、次第に落ち着いてきた。因果はめぐる的な話。この手の、世代を越えて、場所を超えた、家族のクロニクル話は、たまにつくられるね。以前見たのは・・・えーと、忘れてしまった。」
結論を言ってしまうと、バスが妊婦を撥ねる。妊婦は亡くなったが、そのバスの最前列にいた少年が助かった赤ん坊と結婚する、という話だ。それ以上のドラマは、とくにない。2つの家族の系譜をたどりつつ、因果はめぐる、というひねりがあるだけで、それ以上に心を打つ物語はない。このあたりが弱点かも。
しかし、いくら妻が亡くなったからって、生まれてきた娘の顔も見ず、自死してしまうウィルにはまったく共感できない。娘はどちらかの伯父に預けられたんだっけ? でも、その伯父がセクハラするので、銃で足を撃ち抜いた、とかだったけど。義母が亡くなり、義父との2人生活のところででてきた義父は、そのセクハラ伯父なのか? よく分からず。
農園主に見込まれて農民頭になった男と、恋人の子供がロドリゴ。家族旅行でアメリカに行き、バスの前の方に行って運転手と話してたら、バスが妊婦を撥ねた。という設定なんだけど、カップルで街を歩いていて、歩道から後ろ向きに車道にノコノコ飛び出すバカがいるか、と思ってしまう。運転手も前方不注意だろ。悪いことが重なったんだろうけど、なんかトンマな感じで気の毒な感じがしないんだよね。
その後、ロドリゴは大学に行くんだけど、スペインの大学かと思ってた。つきあってた彼女に「妊娠した」といわれ、あんぐり。でも、「エイプリルフールよ」といわれ、そういうことをいう相手とはつきあってられない、と別れるのも、なんかなあ、な感じ。いくら純朴でも、冗談が通じないのか。スペインじゃ、エイプリルフールはないのかね。
その後、深夜、落ち込んでベンチに座ってる娘と遭遇し、それが撥ねられた妊婦の娘で、結婚に至るらしいけど、ベンチの場面以降は語りだけの紹介。語るのは、その娘で、作家らしい。すべては、その作家の娘が書いた本の中身でした、というオチは、よくある感じ。
ベンチの場面で、ちょっと頭が混乱した。進学したのはスペインの大学だと思っていたから、ロドリゴがアメリカにいるのが不思議だったのだ。進学先はアメリカの大学だったのね。そういえばロドリゴの部屋にあったペナントにNYUとあったっけ。でも、ちゃんと言ってくれなきゃ分かんねえよ。
ドラマらしいところといったら、ロドリゴの母親と農園主の淡い好意、みたいな部分かな。でも、父親の引き際の良さ(さっさと出て行ってしまう)と、でも関係をもたなかった(たぶん)農園主の心意気みたいなところは、清純すぎていまいち面白くない。
・冒頭の数分は、かなり混乱する。そのはずで、妻の死がトラウマのウィルが書いたシナリオを映像化しているから。ここに何の意味があるのか、よく分からない。
・その後、ウィルとアビーとの出会いの場面が『パルプフィクション』の、トラボルタとウマ・サーマンのダンスとか、胸に注射で生き返るとか、そのまんまなのだ。冒頭のシナリオ映像にもサミュエル・L・ジャクソンがでてくるけど、『パルプフィクション』的な構成ですよ、という示唆なのか? まあ、『パルプフィクション』もよく覚えてないんだけど…。タランティーノの名前もそのままセリフにでてきたし、ナタリー・ポートマンの名前もでてきてた。どういう意味なんだろ。
・ウィルがだったか、アビーがだったか、よく覚えてないけど、ボブ・ディランがすきで、娘の名前もディランにしたんだっけか。歌詞もたくさん登場するけど、よく分からん。
・ウィルの精神分析医をアネット・ベニングが演じてるんだけど、あの精神分析医はそんな重要な役割があるのか?
・ウィルとアビー、スペインの夫婦は同じ時代を生き、ディランとロドリゴは次の時代を生き、最後に登場する作家の娘はその次の時代を生きているはず。なんだけど、次代の変化がないんだよね、この映画。この3世代が生きる背景は、どれも現在=2018年前後な感じで、意図的なんだろうけど、これまたよく分からんな。
男と女 人生最良の日々8/3ギンレイホール監督/クロード・ルルーシュ脚本/クロード・ルルーシュ、ヴァレリー・ペラン
原題は“Les plus belles annees d'une vie”。allcinemaのあらすじは「かつてレーシング・ドライバーとして一世を風靡したジャン・ルイは、とある海辺の施設で孤独な余生を送っていた。記憶力もすっかり衰え、思い出すのははるか昔に愛し合った女性アンヌのことばかり。そんな父を心配する息子のアントワーヌは、アンヌを探し出し、父と会ってほしいと願い出る。後日、アンヌはジャン・ルイのいる施設を訪れるのだったが…。」
Twitterへは「残酷すぎ。『男と女』(1966)は何年か前にケーブルTVで見たんだっけかな。ほとんど印象になくて、すっかり忘れてる。」
『男と女』で覚えていたのは、ラストの、明かりが点いている家を見ながら、訪問せず、去って行く男、の場面だけだったかな。で、この映画を見ていて、共に子持ちで、寄宿舎がどうのという話がでてきて、そういえば男がクルマで迎えに来る場面があったな、と思い出した。その程度。なので、この映画に登場する過去映画の場面は、まるで記憶になかった。10年前にもならないと思うんだけど、そういう映画だったのか、テレビ画面で見たせいなのか。
で、現在、男は施設にいて、痴呆症が進行中。話している内容まで忘れて行く。一方の女は元気で、店を経営したりしていて現役バリバリ。という設定。男の息子が、「いつも彼女のことを話す」というわけで、探してやってくる。でも、どうやって探したのかは分からない。ミステリーだよな。
で、女が施設を訪れて、話をして、その間に過去映画の映像が挟まり、さらに、男のものか女のものか知らないけど、妄想が挟まる、という構成。
妄想イメージは、2人がドライブに出て、途中から男が運転し、100キロオーバーで捕まり、警官を撃つというものとか、出会いのホテルの26号室を訪れるとか、ウッドデッキにクルマを乗り入れて注意を受けるとか、2人で女の家の前まで行くとか、コンビニに寄ったとき男が万引きするとか、いくつかある。警官を撃つは論外だけど、他のどれかは本当にあったことなのか、すべて妄想なのか、も、よく分からない。
いずれにしても、認知症のジジイを見ても面白くもないし、ドラマが起こるわけでもない。なんでこんな設定にしたのかね。
女好きを自慢する男に、女はへらへら笑って応えていたり。そんなものなのか。よく分からんけど。
子供同士が、いまつともに連れ合いをなくしているようで、一緒になるのかな、とか少しだけドラマを期待したけど、そんな様子も、ありそうでなさそう。
ところで、知らなかったんだけど、『男と女II』(1986)ってのもあったんだな。知らなかったけど。どんな話だったのかしらね。とはいえ…
『男と女』(1966)
監督のクロード・ルルーシュ(1937-) 82歳
ジャン=ルイ・トランティニャン(1930-) 89歳
アヌーク・エーメ(1932-) 88歳
というだけでも、凄いのかも知れないけど。
コンフィデンスマンJP プリンセス編8/4109シネマズ木場シアター5監督/田中亮脚本/古沢良太
allcinemaのあらすじは「世界的大富豪のレイモンド・フウが亡くなり遺産の行方に注目が集まる。3人の子どもたちブリジット、クリストファー、アンドリューの前で執事トニーが遺言書を読み上げるが、唯一の相続人として指名されたのは、誰もその存在を知らなかった4番目の子ども、ミシェル・フウだった。さっそく我こそはと次々ミシェルを名乗る人間が現われるが、すぐに偽物と判明し、なかなか本物のミシェルは見つからない。そんな中ダー子は、身寄りのない少女コックリをミシェルに仕立てて遺産を丸ごといただく大胆な詐欺計画を実行に移すのだったが…。」
Twitterへは「細かなことを言えばいくらでも突っ込めるけど、テンポの良さと出演者の豪華さで、まあいいや、な気分になってくる。テレビ版は未見でも、楽しめた。三浦春馬、東出昌大も登場。なのに観客は3人だったけど。」
テレビ版があったのは知らない。『オーシャンズ11』の真似かな。よって、各キャラの紹介はなく、分からんところもあった。オッサン(五十嵐)はなんとか分かったけど、お姉さん(モナコ)も、らしい、けどまともに映らない…。ぐらいかと思ったら、公式HPで、前田敦子とか他にも2人いたのね。ぜんぜん仲間とは分からず。他にも、シリーズで登場したキャラが、それなりの過去をもちながらの登場だったのね。知ってる人には、おお! だったんだろうけど、知らなくてもOKだった。
世界の大富豪が後継者を決定する、という話があんな大げさに発表されるものなのか。と考えると、全然リアリティはない。けど、そういう設定、と見逃せば、まあ、いいんだろうけど。フウ家の様子とかは『クレイジーリッチ』が下敷きかな。あんな映画があるんだから、これだってOKだろう。
ミッションが、フウ家の後継者狙い、というのはいいけど、多くの自称ミッシェルが門前払いなのに、ダー子とコックリが堂々と潜り込めてしまうのはなぜなんだ? ボクちゃんがフウ家のボーイになれたり、リチャードが大使館員になりすましてバレないのはなぜなんだ? フウ家の印形を本物そっくりにコピーできるのはどうして? フウ家の3兄弟の性格や本来なりたかった仕事を遺言に書かず、ミッシェルの母親に宛てた手紙(これもニセモノなんだろうけど)に書いているのは変だろ。とか、その手紙の宛先をフウ家の執事トニーが大雑把に切り取って、ダー子に宛てたもの、にしてしまうのムリがあるだろ。とか、突っ込みを入れていったら数限りない。けど、細かなことに目をつむれば、大まかには話のつじつまは合ってないこともないから、いいか、となってくる。
それに、ちょい役にも主役クラスの役者がどんどん登場するので、それを見てるだけでも結構楽しい。演出もテンポがよくてキレがあり、かといってソダーバーグみたいにムダを省きすぎて分からなくなることもない。冒頭の、フウ家の紹介の部分なんか、説明的すぎるけれど、はあはあなるほど、って見てられたし、ナイフで刺される部分のネタばらしも、まあ、そんなこったろう、ってとくに引っかからず。ほどほどの加減で、うまくできてると思った。
冒頭の、仕事を追われたオッサンとか、デビ夫人のペンダントとか、あれこれ伏線もベタすぎるけどちゃんと回収していて、しこりがない。とはいえ、逃げるダー子だったかコックリだったかをテーブルの下に匿った男(あれがGACKTだったのか。彼の顔はよく知らん)は、その後に登場しなかったのは、うーむ、な気がしたけど。
主な仕掛けが終了したと思ったら、さらに、ミッシェルの母親が竹内結子だったりとか、二段三段にオチがついているのも、ちょっと混乱はするけど、手が込んでる。ただし、その後の3兄弟は、あれもムリがありすぎ。あんな趣味、嗜好なんて、仕事しながらでもいくらでもできるはずだから。それも含めて最後にあれこれ情緒的なイメージ映像がだらだらあるのは、あれはムダ。ばっさりカットが正しいと思う。五十嵐とデビ夫人のシーンは、なかなかシュールでよかったけど。
・毒入りクッキーとか、犬の人形の爆弾は、3兄弟の誰が仕込んだんだ? 
・赤星焼酎と江口洋介は、テレビ版見てる人でないと、ピンとこなかったかも。
・広末涼子がナイフ投げ、はムリがあるだろ。
・コックリ役の関水渚。最初は。貧相な顔だな、って見てた。ミスキャストでは? で中盤から、もしかして広瀬アリス? って気づいて、そのまま見終えたんだけど、あとからそうではない、と知って、うーむ、な感じ。
・エンドロール。生瀬勝久の名前がでてきて、どこに? あと、つかこうへい事務所の名前も。どこに? と思ったら、クレジットの後に『蒲田行進曲』の階段落ちの場面が出てきて、沖田総司(?)が長澤まさみで、ヤスが東出昌大(?)かな。その芝居を見てるのが生瀬だったけど、この場面、どういうサギを仕掛けようとしてるのか、よく分からず。
悪人伝8/4109シネマズ木場シアター4監督/イ・ウォンテ脚本/イ・ウォンテ
韓国映画。英文タイトルは“The Gangster, the Cop, the Devil”。allcinemaのあらすじは「ある夜、ヤクザの組長チャン・ドンスが何者かにメッタ刺しにされる。奇跡的に一命をとりとめたドンスは復讐を誓い、すぐさま犯人探しに乗り出す。そこへ暴力的な一匹狼の刑事チョン・テソクが現れ、犯人は彼が単独で追っている連続無差別殺人鬼に違いないと明かす。情報提供を求めるチョン刑事に対し、最初は拒否していたドンスも相手が狡猾な殺人鬼と悟り、渋々ながらも互いに情報を共有して殺人鬼に迫っていくのだったが…。部分表示」
Twitterへは「韓国映画。コミカルなところもあるけど、基本は情け容赦ないハードなバイオレンスで、見てて力が入っちゃうところも数多し。それにしても、みなキャラが立ってる。内容は、英語タイトルが端的にまとめてる。“The Gangster, the Cop, the Devil”。」
実話をベースに脚色したらしいけど、たぶん実話は要素だけだろう。それを組み合わせて、ユニークなバイオレンスに仕上がってる。ヤクザのボスを演じるマ・ドンソクの存在感も大きい。英文タイトルにあるように、連続殺人犯がいて、たまたまヤクザのボスが被害者になった。殺人犯を追っていた刑事、復讐を誓うボス、がいて、その刑事とボスが情報共有。喧嘩しながらも共に犯人を追う、というストーリー。
熱血漢の刑事は上司と対立していて、その上司はヤクザのボスとなあなあの関係で、ヤクザのボスは対立するヤクザと島争いをしている。敵意、対立、協調が入り混じり、きれいごとに収まらない爛れた感じがもの凄いインパクト。
バイオレンスも激しくて、ボスが対立ヤクザの子分をサンドバッグに入れて叩きのめす様子とか、子分の歯をへし折るとか、ぎゃー、なシーンもたくさん。連続殺人犯のつかう柳刃包丁は、ヤクザたちも同じ物を使っていて、これもリアルに血だらけで、うわ、な感じ。見てるこっちも力が入ってしまう。
連続猟奇殺人犯を追う、というと『踊る捜査線』の小泉今日子を思い出しちゃうけど、あの手のサイコというより、衝動的に行動するタイプなのか。ボスと刑事のキャラがはっきりしてるのと比べると、犯人の存在がいまいち薄い。だれかれ構わずクルマでオカマを掘り、油断した相手を刺し殺す、というスタイルがつづいたと思ったら、どっかのガスステーションで運転手を刺したり、かと思ったら誘拐犯を演じたりする。本気で金を取ろうとしたのか? かと思ったら、最後はバスで同乗した女子校生を刺し殺したり。筋が通ってない感じで、怪しさが足りないかもね。
警察も、最初は所轄がのろのろしていて、刑事が「これは連続殺人」と言い張って上司にバカにされ、でも結局その可能性が高まると本庁から出張ってくる、という流れは『踊る捜査線』とか、米国映画の所轄とFBIの対立みたいな感じ。とはいえ、この映画では、本庁の刑事たちはほとんど存在感はない。
あとは、いかに犯人を追いつめるか、というところがテキトーなところが多い。あれだけ物証がありそうなのに、犯人のものと思われる遺留品などがない。まあ、ヤクザが確保したクルマから指紋がでて、それで本人確認できる、というのはあったけど、そんなのもっと早めに分かるだろ。あと、犯人は、ボスの反抗にあって、犯人も同じ包丁で刺されているのだ。その包丁は、ボスの手下が対立ヤクザの親分を殺るとき残していて、だったらそこに犯人の血液も混じってるだろ。
ほかにも、女子校生を殺害後、ヤクザたちが一斉に街に繰り出し、同時に、監視カメラの映像なんかにも映っていたとかで追いつめていくんだけど、あのあたりがアバウト過ぎ。ボスが犯人を確保し、さあ、殺そう、というとき、刑事のクルマがそこに突入してきてボスをはね飛ばすとか、おいおい、な映画的演出が盛りだくさん。
とはいえ、そういう細かなところは置いといても、勢いで持っていくので、画面に釘付け。最後は法廷に場面が移り、被害者&証人としてボスが法廷で証言。それまで状況証拠しかなかった(のか?)けれど、犯人は死刑の判決が下る。ボスが証言すると、ボス自身があれこれ不利になって収監されることになるのだが、「その代わり、犯人と同じ刑務所に」という約束で、ラストは、刑務所に到着するボス。待ち受ける手下ども。庭でのんびり読書してた犯人がおののく…。
けど、手下があんなに刑務所にいるなら、すでにボコボコにされてるだろうし、死刑囚が一般の囚人と同じ処になるというのも、すこし変な気もするけど、そこは映画だ。このラストも、なかなか決まってる。のだけれど、いささか、北野武の『アウトレイジ』シリーズの影響もある感じ。
・韓国ヤクザの実体は知らんけど、日本のヤクザとほぼ同じ感じで、大親分は登場しないけど、いくつかの組の連合になっている様子。その下部組織の組の対立が、あるようだ。ボスは、全身に刺青。これも、日本の影響なのか。絵柄は分からなかったけど。
・最後、刑事は昇進したようだけど、どこからどの階級になったのかね。
君が世界のはじまり8/7テアトル新宿監督/ふくだももこ脚本/向井康介
allcinemaのあらすじは「大阪郊外のとある町。退屈な毎日を送る高校2年生の縁。優等生の彼女だったが、成績一番ビリの琴子となぜか大親友。ある日、琴子はサッカー部の業平に一目惚れしてしまう。これまで彼氏をとっかえひっかえしていた琴子は、業平一筋に心を入れ替えると決意する。その琴子に秘かな思いを寄せているのがサッカー部の主将でクラスの人気者の岡田。一方、母親が家を出ていって父親と2人暮らしの純は、家に帰りたくなくてショッピングモールで時間をつぶしていたとき、東京からの転校生・伊尾のある秘密を知ってしまうのだったが…。」
Twitterへは「辻褄関係なく好きな場面を撮ってつないで一丁上がりな『リンダ リンダ リンダ』の劣化版。意味不明も多くてスカスカ、実がない。男子3人は似たような顔立ち髪型で区別つかんしセリフは聞き取れない。女子3人、区別はつくけど薄っぺら。」
最初に、縁が映り、自転車に乗る娘は琴子で、次の口紅をいじる娘は純だったのか。琴子は教師に反抗し、ひややかに見る同級生。なかに東京ものの伊尾、だったのかが同級生にいじられる。縁が窓から資材室みたいなところに入ると、泣いている男子がいて、あれは業平だったのか。サッカー部キャプテンの岡田はどういう登場をしたのか記憶になし。まあ、記憶をたどれば、それなりに紹介はされているのだろうけど、どれも曖昧で、背景や周囲との関係性が見えないのだよね。しかも昨今は、顔をちゃんと映さないのが流行りなのか、どれがだれやら記憶に残らない。まあ、作ってる側は役者を見つけてるから、「これで分かる、つたわる」と思ってるのかも知れないけど、見る側は混乱するだけなのだ。加えて男子は3人とも学ランで、途中から業平だけは区別がつくようになったけど、あとの2人は最後まで区別がつかず。だいたい、アップがないからね。アップがなくても区別できる工夫がありゃいいけど、そういうのがない。髪型だって同じような坊ちゃん刈り。スポーツ刈りを混ぜるとか染めているとか、学ランからアロハが覗いてるとか、いつも何か手にしてるとか、キャラの目立たせ方はいくらでもある。まあ、その前に、体系や顔立ちが違う役者を選ぶのが先決だけどね。
それぞれの背景も描かれはするけど、掘り下げがまったくない。純は父親と2人暮らしで、母親がでていったことで父親を憎んでいる。その理由が「あんたがお母さんの居場所を奪った」とかいうようなことで、理由が最後まで分からず。父親は娘思いで、どこが憎まれているのか分からない。
伊尾は、父親の転勤で関西に来たけど、若い義母と関係を結んでいてる。その義母はキスシーンとセックスシーンだけしか映らない。これじゃただの書き割りだろ。業平の父親は精神異常らしく、徘徊する父親に迷惑をかけられているようだけど、そうなったのは母親のせいだったっけ? 覚えてない。
その業平に一目惚れした(?)と縁に告げるのが琴子で、でも、どうやって惚れたのかは絵として見せないので説得力がない。その業平が泣いているのを、縁が目撃するわけだな。
関係性は、次第に見えてくるけど、記号的に伝えられるだけで、ドラマとして見えてこない。だから薄っぺら。純の悩みも、琴子の苛立ちも、業平の苦悩もつたわってこない。義母との関係をつづける伊尾の気持ちなんか最後まで分からない。ました、存在が希薄な岡田なんて、あれ誰? だよね。
主役の縁なんて、なんの苦労も悩みも見えなくて、勉強はできるし、でも悪い仲間と付き合いもするし、ただそこに居るだけ、な感じで、主役としてはまったく魅力がない。そして、登場する6人は、まったく成長しないから、その意味でも、どこにも共感するところがない。撮っている監督だけが自己満足で悦に入ってるだけではないの? くだらねえ。
なぜか街を歩いていると偶然、縁は業平と出会うことが多く、話をするようになり、家に招いて食事を御馳走したりする。親友の琴子が業平に執心していることを知っていながら。のちに琴子が業平とデートするが、会話は縁のことばかりで、怒ってしまうのだが、縁に追いかけられ、意味なくぬかるみで転び、縁もまた付き合いのようにぬかるみで転び、あれこれ罵ったのち、なぜか分からないけどともに笑いだし、仲直りしたような感じで映画は終わるんだけど、なんなんだ、このいい加減さは。
その代わり、純の母親の江口のりこ、純の父親・古館寛治、教師の板橋駿谷らの存在感が目立つ。ちゃんと芝居をしてるからだけどね。でも、業平の父や伊尾の義母あたりは、記号的な演技しかしてないから、目立たない。縁の両親がでてくる場面もあるけど、ふざけた食事シーンで、まったく意味がない。
ごくフツーに高校生を丁寧に描いていけば、それなりに映画になったと思うんだけど、もしかしたら、ちゃんとできている脚本をテキトーにつまんで撮って、本来は必要な場面を捨てている可能性もあるかも。まあ、しょうがない。そういう演出しかできないんだろう。というわけで、最後まで面白くならず、退屈なままだった。
・いつもいくBell Mall(関西ではなく宇都宮にあるんだと)で、純が友人と居ると、女子生徒がやってきて、友人と女子生徒が2人で仲よく去って行く場面がある。レズかな。とはいえ、後にどっかで2人は登場するのかと思ったら、そんなこともなく。いったいあの場面は何のためにあったんだ?
・そのBell Mallで、帰ろうとしたら雨に降られてしまう6人。伊尾の義母がここで働いてるらしく、通用門から入り込み、あれこれはしゃいで、ブルーハーツを歌う、という場面がある。それ以前にも、たしか伊尾と純が店内に入り込む場面があったな。けど、警備員がいないのか、うろうろし放題なのが、なんだよ、と。で、まさか楽器コーナーで、楽器もいじれないのにテキトーに演奏して盛り上がる場面は、大半イメージだとは思うんだけど、そこにやっと警備員がやってきて、拍手して、お咎めなしで送り出してくれる場面があって。バカか、と思ってしまった。拍手したってことは、音が出てたのか? まあいいけど、テキトー過ぎ。
・いや、それ以前に、店内で傘のいくつか拝借し、さっさと帰りゃいいだろ、と思ってしまったよ。なに、夢がないだろ。うるせー。
・で、夜明けて帰る6人。純の父親は、相変わらず夕食を用意して、でも、自分も食べずに待つている間に、食卓で寝てしまったようす。純は、その冷めた夕食のラップを剥がして、食べ始める。純は父親を許したようだけど、なんでなの? ところで、父親の料理にはラップがなくて、では、食べながら寝落ち? 変なの。
・義母と関係をもってる伊尾みたいな同級生がいて、それを見たりしたら、フツー引くだろ。でも、そんなこともなく、青春してる連中。おかしくないか?
#ハンド全力8/11シネ・リーブル池袋シアター2監督/松居大悟脚本/松居大悟、佐藤大
allcinemaのあらすじは「熊本県の仮設住宅に暮らす高校生の清田マサオ。震災をきっかけに部活のハンドボールができなくなり、それ以来やりたいことも見つけられないまま無気力な日々を送っていた。ある日、何気なくハンドボール部員だった頃の“映える”写真をSNSに投稿したところ、直近の写真と誤解した人々から応援のコメントが寄せられ、思いがけず多くの“イイね!”が付く。これに気をよくしたマサオは、“#ハンド全力”のハッシュタグでハンドを頑張っているフリだけをした写真をねつ造して投稿を続ける。すると廃部寸前の男子ハンドボール部の部長・島田が評判を聞きつけ、スカウトされたマサオはフォロワー戦略として入部するのだったが…。」
Twitterへは「大して成長物語になってなくてロマンスもなし。前半はSNS(あんなの学校が制止するだろ)バカとくだらん芸人ばかり目立ってもやもや不愉快。あれ誰?な部員も多くて、ちゃんと紹介しろ。セリフ聞き取れない。熊本震災前に出すぎ。とかホンも演出もダメだろ。」
青春映画の基本は、成長と恋だ。それが、ほとんど見えない。成長については、ラスト直前に、少しだけ。でも、マサオが中学でやっていたハンドに興味がもてず、SNSでつながること、ファボられることにしか興味がもてなくなってしまっている理由が分からないから、ちゃんと練習しよう、という気になったぐらいで、成長とは言えまい。しかも、その後に練習シーンがあるわけでもなく、参加したインターハイの予選は、試合開始したところで暗転し、映画は終わってしまう。消化不良もいいとこだ。
この手の青春映画は、ヒロインはアップで可愛く。ダメ男は、次第に凛々しくなっていくのが基本。仲間たちもキャラ立ちさせなくちゃいけない。かわいい女の子の横には、どんくさいブス。ハンドの選手も、ひとりだけ、七尾の弟が多少色づけされてるけど、あとは区別もつかない。
この監督、フツーに撮るのができないのか、フツーに撮るのが嫌なのか。調べたら、松居大悟は『アフロ田中』『自分の事ばかりで情けなくなるよ』『私たちのハァハァ』の監督なんだな。つまりまあ、勢いで撮るタイプ。役者が弾けてくれたのを追っかけて撮る感じ。ちゃんと構成できない人だ。こういう人に、この手のスポコン成長物語を撮らせちゃダメだ。
だらだらと熊本震災とか仮設住宅を映したり、取材に来たテレビ局の司会の芸人のくだらんギャグを映したり。そういうの、一瞬あればいいんだよ。震災で共感してもらえるとか、芸人でウケようとか、横道に逸れて悦に入ってる。本筋を、フツーに、キチンと撮ればいい。観客は、そういうのを求めているんだから。それができて、そのうえで、自分なりの解釈や解体・再構築をすればいいい。
SNSのインスタ映えとか、いいね、集めに熱中する様子を、ほぼ前半部分をつかって見せることはない。しかも、その間、マサオの内面はほとんど描かれない。中学のときの様子、高校進学、震災、ハンドから離れた理由…。それが分からないと、マサオに共感なんてできない。震災時にであった泥棒の光景なんて、あんなの一般論でしかない。マサオ個人に関係する、なにか、を描かなくちゃ。
タイチ、という名前がときどき登場するけど、誰だか分からない。中学の同級生で、ハンド部だった、と。ほかに、ハンド部だった女子が、なにげに登場したりするけど、芒洋とでてくるだけ。もしかして、教室で席を隣にする娘? あと、ハンド部では、マネージャーの娘がいるのか。でも、印象に残るのは七尾だけ。その彼女にも、マサオは恋しないのか!
そもそもマサオは何をひねているのだ? なぜSNSに逃げているのだ? これがはっきりしない。熊本震災と仮設生活? いや、そんなのは他にもいる。しかも、SNSで盛り上がってるのは、同級生のメガネがいる。彼はどうなんだ? って話になる。とまあ、話に筋が通ってなくて、震災とかSNS出しときゃ共感してくれるだろうという低レベル。とはいえ、あんなにSNSにのめり込む様子を描く必要なんかなくて。だらだらやってるから見ていて嫌気が差してきた。とくに、七尾が靱帯損傷したのに、その画像をアップして、いいね、を得ようとするゲスな態度。それをマネージャー娘に指摘されても「なんで?」といっていたようなマサオが、自分のせいでケガしたかも、と謝るのはずっと先というのが、なんとも話としてイラつく。
そう。すべて不愉快でイラつく。青春映画としては失格ものだ。
ハンド部や校長、教師らが、SNSの「ハンド全力!」に乗りまくるのも非現実的。テレビ取材もアホらしい。もうちょいフツーに考えれば、学校はどう反応するか、世間は、と分かるだろうに。なのに、SNSの炎上は、たかが画像編集だけ、の様子で、そんなのあり得ないだろ。あの程度の編集で非難されるはずがない。
両親とか仮設のジイサマとか、納棺師(でも、まともに紹介されないから、最後まで職業が分からない観客は少なくなかったと思う)の兄、とか、設定はおもしろくても機能しないキャラもお気の毒。
あと、震災の時に見かけた泥棒と同じ言葉をつぶやいた教師は、なんなんだ? あの教師がじつは泥棒していたのか? と思ってしまったけど、どういう意味があったのだ? とか、もやもやは数限りなく。
とかまあ、最後までスカッとする部分がなくて、見て損した、としか思えない1本。
・安達祐実は、40凸凹らしいけど、なかなかカワイイ。
8日で死んだ怪獣の12日の物語 - 劇場版 -8/12テアトル新宿監督/岩井俊二脚本/岩井俊二、樋口真嗣
allcinemaのあらすじは「サトウタクミは通販サイトでコロナと戦ってくれるというカプセル怪獣を買った。カプセル怪獣を育てながら、その様子を毎日配信していくタクミ。そんな彼のもとに、後輩の丸戸のんや先輩のオカモトソウが連絡してくる。タクミは怪獣に詳しい知り合いの樋口監督に助言を仰ぎながら、カプセル怪獣の成長を見守っていくのだったが…。」
Twitterへは「思いつきでつくったやっつけ仕事みたいな感じで、なんだかなー。ドラマも意外性もなくて、退屈だった。」
斎藤工が通販でカプセル怪獣の卵を買い、育てたら、という話。ほぼすべてzoom(?)画面で、対話の相手は能年玲奈、武井壮、監督。それぞれ1対1で、複数で映ることはない。
ほかに、怪獣の卵を育てているというYouTuberの女がいて、斎藤はこの番組を時々見てる。それと、面をつけて舞う女性(最大3人)が時々映る。これはイメージか。あとは、人気のない東京の街を、少し俯瞰して写す画面がたまに映る。物干し見たいのにカメラ取り付けて歩きながら撮ってるのかな。
かんとくは、怪獣に関する情報源で、日々、形を変えるカプセル怪獣を、あれかなこれかな、というだけ。能年玲奈は、これも通販で星人の卵を買って育てているんだが、成長が早い。画面にも登場するんだけど、斎藤にも観客にも見えない。能年玲奈は「うまく転送されないのかな」と言っているが、妄想なのか、能年玲奈だけに見えるというのも不思議。武井壮は斎藤の、先輩にあたるのか、でも失職中で住む家もなくホテル暮らし。タイにいる家族のことを心配しているようなんだが、後半になって「日本にも世話しなくちゃならない家族がいる」と告白するのは、なんなんだよ。また後半、アパートが決まりスーパーのバイトも決まると、斎藤は家財道具一式を送ったりしているんだが、そういう間柄なのか。よく分からない。
YouTuberの怪獣はどんどん成長し、でもある日、翼竜として消えてしまい、改めて卵からリスタートすると宣言する。
メインの、斎藤が育てるカプセル怪獣は様々に形を変えたりしつつ、最後はマスクの形になる。一方、能年玲奈の星人は、「このまま地球にいてはダメになる」と、能年を誘って地球を脱出するという。斎藤は止めるが、能年玲奈の決意は固い、と思っていたら、親に反対されてやめた、とあっさり。なんだよ。星人は能年玲奈に、コロナのワクチンを土産に置いていった。というのが大まかな流れ。
明らかに新型コロナ下の日本を下敷きに、自粛の人々、人気のない街、蔓延するウイルス、ウイルスをやっつけるために立ち向かう人々や意志=怪獣というような感じで、4〜5月あたりの情報がもとになっているなかな。それを寓話化した、少しだけファンタジー、なんだろうけど、あんまりファンタジックではない。舞踏でファンタジーを表現しようとしててるのかも知れないけど、ドラマじゃなくて舞踏だからなあ。
舞踏は、仮面=マスクをつけた女性のもので、この映画のオチを感じさせるところもあったのかも、
佐藤の育てるカプセル怪獣は、成長はするけど動かず、紙粘土のよう。あれこれ形を変え、監督の「危ない怪獣に育つかも知れない」をうけ、斉藤はナイフで2つにして殺したつもり、らしいけど、死ぬことはなくコロナウイルスみたいな形になり、最後にはマスクの形状になる。セリフにもにもあったけど、「守る」象徴ということか。でも、マスクは他人にうつさないため、という考えが定着してしまったので、いまじゃ違和感ありかな。
能年玲奈の星人は、もしかしてコロナだったのか? だから見えなかったのか? それが、地球から去って行った。そうなればいいな、という希望なのか? ワクチンを置いていったのも、自分がコロナだからできたこと? うーむ。どうなんだろ。
じゃ、武井壮はなんなんだ? コロナ被害者の象徴? あのYouTuberは、なんなんだ? みんなが育てている、コロナへの対抗策の象徴? うーむ。どうでもいいや。たいして面白くもなかったし。
ディック・ロングはなぜ死んだのか?監督/ ダニエル・シャイナート脚本/ビリー・チュー
原題は“The Death of Dick Long”。allcinemaのあらすじは「アメリカ南部の田舎町。売れないバンド仲間のジーク、アール、ディックの3人は、いつものように練習と称してガレージで一晩中バカ騒ぎをしていた。ところが翌朝、ディックは変死体となって発見される。警察が捜査に乗り出し、たちまち町中大騒ぎとなる中、ジークとアールは頑なに口を閉ざすばかりか、あろうことか事件と自分たちを結びつける証拠の隠滅を企てるのだったが…。」
Twitterへは「ただのドタバタコメディかと思ったら、なかなかエグい話だった。ユニークではあるけど、誰も楽しくならないよなあ。娘役の子は、何も知らずにあんなセリフを…。なんか気の毒。」
冒頭の数分は、楽器を弾いている男たちと、幼い子供を寝かしつける母親…。その後「ハメを外すか」と男たちが騒ぎはじめ、花火をしたりたき火をしたり…。顔はよく写らなくて、少し心配した。何が何だか分からないから。画面は変わって深夜、クルマ、1人の男の具合が悪いのか、男2人があたふたし、病院の前に放置する。友だちじゃないのか? 「病院に連れてったらヤバイ」てなこともいっていたな。たまたま帰宅しようとしていた医師が気づいて…。と、ここまでがイントロか。騒いでた時は5人ぐらいいたのかと思ってたんだが…。
早朝帰宅するジーク。娘を学校へ送っていってくれという妻。ところが後部座席が血だらけで、アールを呼んで送ってもらう…。後部座席は洗いきれず、しかたなくクルマを近所の沼に沈めようとするけど、浅すぎて後部がでたまま。妻に追及され、「クルマは昨晩盗まれた。学校へはアールのクルマで送ってもらった」と誤魔化すが、娘は「パパのクルマで行ったじゃない。ガソリンスタンドまで。お財布も警官に渡して…」とか言われて、あたふたするジーク。
アールは、家財道具一式をクルマにつんでこの地を逃げ出そうとするんだけど、彼女(?)に見つかってアタフタ。とまあ、ジークもアールも、その場しのぎの言い訳と嘘の積み重ね。これを追求するジークの妻。妻が警察に盗難届を出すと、警官がやってくるんだけど、足の悪いバアサン署長と、太っちょの警官。この2人が、なかなかいい。
さらに、亭主が帰らないことを心配するディックの妻。病院に放置する際にジークが抜き取ったディックの財布の行方とかがからんで、ドタバタがだらだらつづく前半は、なんかざわざわしつつ、面白おかしい。いったい何を隠しているのだ? と。
話が暗転するのは、ディックの肛門内に残されていたものが、馬の精液だった、と分かってからで。えっ? な感じと、成る程、な展開。それで言い出せず、あたふたしてたのか…。ジークは隠し通せず妻に真実を話すんだけど、もちろん「出ていって!」になり、警官にもあやふやに対応。な、うちに、ジークが「拾った」といって警官に渡した財布の持ち主が友人のディックのもので、被害者がディックであることが警察にも分かって…。という後半はコメディ要素が薄れて、いささか重たい空気。言うに言えない状態。そういう状態になったら…。というのは、気の毒すぎる。
馬としていた、というのもいろいろ考えてしまって。どういう体勢でしてたのか? だって、馬のアレは人の腕ぐらいあるんだろ? しかも、射精してるということは…と考えても、想像を超えてしまう。それを、あの3人はときどき…。うーむ。
というわけで、最初は殺人事件、とざわざわしていた警察だったけど、ジークは簡単に勾留を解かれるんだけど、そのときの署員のジークを見る目が…。
というわけで、すでに街を出ていた(?)アールの居るモーテル(?)に行くジーク。アールの彼女もいたけど、彼女はしっているのか? 人生をやり直すのかな、あの2人。教師だったディックの妻は、どうするんだろう…。とか、重苦しい空気が漂うラストだったよ。うーむ。
話としては類をみない展開だけど、でも、見終えて「凄い」となるわけでもなく、笑い飛ばせる感じでもなく、もやもやが残る感じ。
・セオドアの愛称はテッドよ、とかなんとかいうやりとりで、本名がなんとかかんとか(忘れた)なのに、愛称がディックっていうのもある、なんて会話とか、面白い。
・ディックの免許証は、どうなったんだっけ? 妻が警官に渡したんだっけか?
・女署長が聞き込みに行くけど、不在だった赤い扉の家は、あれは誰の家なんだっけ?
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド8/17ギンレイホール監督/クエンティン・タランティーノ脚本/クエンティン・タランティーノ
原題は“Once Upon a Time... in Hollywood”。allcinemaのあらすじは「落ち目のTV俳優リック・ダルトンは、なかなか復活の道が拓けず焦りと不安を募らせる。情緒不安定ぎみな彼を慰めるのは、リックのスタントマンとして公私にわたって長年支えてきた相棒のクリフ・ブース。固い絆でショウビジネスの世界を生き抜いてきた2人だったが、このままでは高級住宅地にあるリックの豪邸も手放さなければならなくなる。そんな彼の家の隣には、時代の寵児となった映画監督のロマン・ポランスキーとその妻で新進女優のシャロン・テートが越してきて、彼らとの勢いの違いを痛感するリック。一方クリフはヒッチハイクをしていたヒッピーの少女を拾い、彼女をヒッピーのコミューンとなっていた牧場まで送り届けてあげるのだったが…。」
Twitterへは「前半は、つまらなくどいタラちゃんで、ブルース・リー登場あたりからドラマになってきて、後半は面白くどいタラちゃんだった。ところでこれはパラレルワールド物なのか…?」
タランティーノである。なので、冗長性は覚悟してたけど、冒頭からの流れがいまいち散漫で、ドラマもないし、たいしたエピソードにもなってない。いつ、どうやってまとまっていくんだ? とか思いつつ見てたんだけど、いささか退屈であくびが出そうになった。本筋に入っていくのは、リックとクリフが乗ったクルマの横に、ポランスキーとシャロン・テートの乗ったクルマが停まったあたりかな。そういえば、マンソン事件が登場するという話だった。とはいえ、これはほんの入口で、相変わらずリックのスター人生の凋落の様子をだらだら見せていく。でも、あんまり本筋とは関係ないんだよね。むしろ本筋に絡むのはクリフの方で、最初に事件らしいのが起こるのが、撮影現場でのクリフとブルース・リーの喧嘩。聞いてはいたけど、ブルース・リーはたいして強くなくて、笑ってしまう。とはいえ、ブルース・リーも本筋とは関係なくて、せいぜい、以前にシャロン・テートに殺陣をつけたことがある、程度。むしろ、クリスが街で見かけて、でもなかなか話が進まない小娘を牧場まで送っていく、という出来事で。こっからマンソンファミリーの世界に入り込んでいく。
牧場まで小娘を送ったクリフ。昔なじみの牧場主に挨拶したいというと、ヒッピーファミリーの一同の態度はがらりと変わる。もしかして牧場主は死んでたりするのか? と、ざわざわしたけど、なーに、フツーに暮らしてて、ちょっと拍子抜け。せいぜいタイヤをパンクさせられた程度で、しかもパンクさせた男をボコボコにしてタイヤを替えさせ、さっさと牧場を後にしてしまう。しかし、牧場主はなぜクリフのことを「知らん」といったんだろう? クリフがボケ老人に会うことを、ファミリーの連中はなぜおそれたんだろう。
マンソンファミリーと、ポランスキー&テートとの関係も、よく分からない。男がポランスキー邸の近くをうろついてる場面が、あったような…よく覚えてない。の次は、リックの家の私道で、夜中、ファミリー3人がエンジンを吹かしている場面か。リックが追い払うんだけど、その後にリックの家に乗り込んでくるんだったかな。マンソンは、以前に誰それが住んでいた家の奴らを殺せ、といったらしいが、それがポランスキー邸で、どういう狙いがあったのかはよく分からなかった。それが、なんでリック邸に乗り込んで来たのか。
というようなことを理解するにも、マンソンファミリーをもっと描いて欲しかった。そもそも、マンソン自身は、登場してたか? 出演者リストにはあるんだけど、記憶にないんだよなあ。
リックはたまたまLSDを決めていて。犬にエサをやろうとしていた。そこに3人のメンバーが侵入するんだけど、動じないリック。犬がテックスに噛みつき、クリスが1人の女の顔に缶詰を投擲。残った1人がクリフを刺すんだけど、最後はどうなったんだっけ。犬に追われてだっっけか、プールにドボン。プールにいたリックが火炎放射器でその女を丸焼きに。というドタバタアクションは、相変わらず冴えまくるタランティーノ。
救急車に連れていかれるクリス。そこに、隣家に来ていたテートの友人だか元婚約者が、なんだなんだと見にきて、いやいやこれこれで、とリックが説明してると、インターフォンにテートの声がして。いやいやお隣さん、初めまして。いえいえこちらこそ。なんて会話があって、リックがポランスキー邸に招待されるというところで、映画は終わる。
まあ、落ち目になっていて、隣家にポランスキーとテートがいても、挨拶もされなかったのが、やっとお近づきになれた、というのは、リックにとってラッキーだったのかどうか、知らんけど。でも、実際は、テートと知人3人の4人が殺害された事件らしいから現実とは違うわけで。ということは、シャロン・テートは生きているということなのか。パラレルワールドの話?
・テレビの西部劇で人気者になって映画にも出るようになり、でも落ち目でマカロニウェスタンで稼いで帰国して、というリックは、イーストウッドを思わせる。もちろん、ゴマンといた西部劇役者も入ってるだろうけど。
・リックのスタントマンで、私生活でもリックの使用人的な仕事をしているクリフ。ゲイ的な関係ではなさそうだけど、示唆はしてるのか? 知らんけど。
・しかし、豪邸にひとり暮らしって、寂しくないのか >> リック。家政婦が何日かおきにやってくるのかしら。
・マンソンファミリーの娘たち。ふらふらハリウッドの街まで繰り出して、あんな具合に遊んでたのか?
・リックに関する、映画界の話とか役者の話。つまらなくはないけど、エピソードばかりで、いまいち盛り上がりに欠けるかな。クランティーノの冗長な部分が、いまいち魅力を発してない。せいぜい、9歳娘の役者魂が面白かったぐらいかな。ブルース・リーとクリフの喧嘩は面白かったけど。
・クリフの、女房を殺して無実、というのはなんなんだ? ボートの上で、リックが持つ水中銃が女に向かってる場面がチラと映ったけど、あれか?
・リックが『大脱走』の出演を逃した、ということがらみなのか、スティーヴ・マックイーンが登場してポランスキーとテートのことをうだうだ話す場面があったけど、意味ないだろ。
・最初の方で、リックが火炎放射器をドイツ兵に放つ場面は、『スカーフェイス』?
・シャロン・テートの映画はよく知らんけど、 ヒッチハイクの一般人を乗せてやったり(このとき『いちご白書』の「サークル・ゲーム」がかかるのも、いい感じ)、自分が出てる映画を見に行って、観客の反応にニコニコしたりする彼女が、なかなか魅力的。
・冒頭のタイトルにルーク・ペリーの名前があったけど、どこにでてたのか気づかず。ルーク・ペリーは、これが遺作になったのかな。
・ファミリーの女ボスみたいなのがダコタ・ファニングとは、まったく気が付かず。
・リック邸のテレビのアンテナ。修理は終わった、はずなのに、しばらく後の場面で、隣家(ポランスキー邸)をチラと見るクリフがまたもやアンテナ修理してる? ような場面が登場するのは、時間を遡ったのか?
ロックンロール・ストリップ8/19テアトル新宿監督/木下半太脚本/木下半太
allcinemaのあらすじは「映画監督を夢見ながら売れない劇団の座長を務める青年が、ある日突然、場末のストリップ劇場の前座を任され、冴えない劇団員たちとともにウケるパフォーマンスを模索して悪戦苦闘する熱き青春の日々を描く。」
Twitterへは「つくりが大雑把すぎる難はあるんだけど、勢いで話に引きずり込んでしまう感じ。主人公に魅力がない分、脇の女たちとか、仲間の男たちがみな魅力的。」
監督の体験を映画にしたらしく、事実ベースらしい。話は単純で、売れない劇団の座長と、劇団に付いていくと決意した3人の劇団員がキャバレーの前座コントに挑み、大うけ。その勢いで東京進出を果たす、というものなんだけど、間に挟まるエピソードにリアリティがないとか、なんでそうなるの? とか、それで東京? とか、裏付けは結構いい加減。なんだけど、話が一直線なのと、脇の役者たちの存在感、濃さがなかなかで、細かいことはまあいいか、になってくる。
主人公は、何が何でも映画監督になりたい、とおもいつつ芝居をつづけているのだけれど、親に借金したりストリップ劇場に乗り込んだり、アグレッシブなところがある反面、東京進出に二の足を踏んでいたり、彼女をないがしろにしたり、煮え切らないところ、踏ん切りの悪さがあって、あまり共感できるキャラではない。あの部分をもうちょいなんとかすれば、もっと勢いがあって魅力的な映画になったと思うんだけど、ね。
・冒頭、千春が勇太を起こす場面。あれは、何に「遅れる!」だったんだ?
・勇太の兄気分みたいな小太りメガネのおっさん。こきい? あの男は、何者なんだ? 最初の方で踊ってるような場面があったように思うけど、印象弱すぎ。
・バイトでバーテン。客に、「なりたいものがあるならバイトを辞めろ」といわれ、母親に50万借りて、次の場面でもまたバーテン? なにこれ。50万で店が開けるのか? 意味不明。(Wikipediaみたら、仲間とバーを開いた、というようなことが書いてあって。それ説明しないと分からんよね)
・妹が帰郷、というのも突然すぎ。彼女は東京でバンドで売れてたのか? なら、妹を頼ればいいのに。
でその妹は、プロダクションの金を持ち逃げ? 実はプロダクションの社長に枕営業を求められ、怒りにまかせて札を燃やした!? はいいけど、その後の始末はどうしたんだ?
・店を潰すというヤクザは、ありゃなんなんだ? 何が目的? あの存在も意味不明。で、あとからストリップ小屋のオーナーだと分かる、らしいけど。なんで? な感じ。
・その、こきいさんがへいこらする大物放送作家は井出さんだっけか。VIPルームで偉そうにするような放送作家なんて、いまどきいるか? 局のPならまだしも。しかも、自分のバンドが演奏したいからハコを探せ。とかいってて、急に不機嫌になって取りやめて、勇太に70万払えというのは、どういうことなん? VIPルームに呼んだストリッパーの1人がゲロはいたから? でも、ローズとは寝たんだろ? 意味が分からん。
・その井川に「プロットを。早く」といわれて、結局書かなかったのか? 気になってしょうがない。
・そもそも、千春が勇太に惚れてる理由が分からない。あんな煮え切らない男、振ってしまえばいい。なにがいいのかさっぱり分からない。勇太も、千春をほったらかしで「忙しい。いまが大事なとき。邪魔するな」というのは、ただのゲスだろ。実力よりコネが大切? そんなのあてにしてるのかよ、と思ってしまう。
・でまあ、はじめは嫌われてたストリッパー達、劇団員の力もあって、ストリップ小屋のコントは大盛況。でも、だからって、それで東京に行く、のか? 何を手がかりに? 知り合いはいるのか? 何をしに行くのだ? そこがなにも描かれていない。高揚感も、薄っぺら。
とか、ツッコミどころが満載なんだけど、勢いで楽しく見てしまうという、なんだかよく分からん映画だった。
ジェクシー! スマホを変えただけなのに8/21ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/ジョン・ルーカス、スコット・ムーア脚本/ジョン・ルーカス、スコット・ムーア
アメリカ / カナダ映画。原題は“Jexi”。allcinemaのあらすじは「スマホ依存症で友だちも恋人もいない冴えない青年フィル。スマホを新しくした彼は、ジェクシーというAIによる生活向上サポート機能を試してみることに。フィルの個人情報を全て知っているジェクシーの少々アグレッシブすぎるサポートに面食らいながらも、ジェクシーのおかげで確実に生活は改善し、ついには念願の恋人も出来て、すっかり有頂天になるフィル。すると突如ジェクシーは嫉妬に狂い、常軌を逸した暴走でフィルを振り回し始めるのだったが…。」
Twitterへは「日本版みたいに(タイトルだけだけど)クリミナルな話じゃなくて『her/世界でひとつの彼女』の設定を拝借しつつ、暗い話じゃなくて軽妙なラブコメに仕立てていて、なかなか楽しい。」
『her』のストーリーは忘れてる。改めて見てみたら、AI彼女みたいなOSをスマホにインストールして、人間がOSに恋をして恋愛もどきになるけれど、最後はOSが消えてしまい、実体としての人間が取り残される、というようなものだった、らしい。ほとんど覚えてないけど。これにくらべると『ジェクシー!』は反対で、アプリ(個別のアプリというより、クラウド総体としてのAI、のような感じだけど)のジェクシー!が一方的にフィルに恋し、フィルの現実の恋を邪魔する、という感じ。
なんだけど、そもそも、なぜジェクシー!がフィルのスマホに自動的にインストールされてしまい、削除もできなくなり、人間=フィルに恋をするのか、が説明されていないので、説得力はイマイチな感じ。誰がどういう目的でつくったんだ? 持ち主に恋するようにプログラミングされているのか? もしそうなら、ラストで、ジェクシー!がフィルのスマホから上司のスマホに移行し、上司に恋するようになる理由が分からない。まあ、細かいことは気にせず、楽しめばいいんだけどね。でもやっぱり気になる。
とはいえ、奥手で友人知人もいないフィルが、現実の相手にアタックするのに指南したのはジェクシー!で、その外、日常的なあれこれをアドバイスしてくれ、できなかったことができるようになるのは、すべてジェクシー!のおかげなわけで、それはそれでジェクシー!の存在感はあるわけだ。でも、そうなっていくと、自分から離れて行くことに耐えられなかったのか? そして、リア充になっていくフィルと、相手のケイトに嫉妬したってことか?
とはいえ、アメリカ人にもこの手のダメ男がいて、でもカワイイ娘に惚れられ、最後は恋が成就するというラブコメは、見ていて楽しくなる。タフガイだけがヒーローじゃないのだ! と。
・ケイトがデートをOKしてくれると、その返事に、自分のタマを写メして送ろうとするんだけど(ジェクシー!は必死に止める)、そういうのは、あちらじゃ当たり前のやり方なのか? ケイトは、「タマの写真なんて送ってきたら、嫌だったけど」と言っていたから、予想の範囲なのか? なんか、よくわからんが。
8/24109シネマズ木場シアター3監督/瀬々敬久脚本/林民夫
allcinemaのあらすじは「平成元年生まれの高橋漣と園田葵は、13歳の時に運命の出会いを果たす。互いに愛し合い、駆け落ちまで決行する2人だったが、すぐに大人たちによって引き離され、そのまま離ればなれに。8年後、友人の結婚式で再会した漣と葵だったが、既に別々の人生を歩み始めていることを確認しただけで終わる。もう決して交わることはないと思われた2人だったが…。」
Twitterへは「波瀾万丈のセレンディピティ。最初のうちはテンポがノロくて説明的で、もっとひゅんひゅんやれよ、と思ってたんだけど、出来事を織り込みながらじっくり作り込まれていく。さてどうするんだ? そうきたか、とか、地味にいい感じ。」「ラストが…。うーむ。あの演出は外したな、って感じ。榮倉奈々、二階堂ふみ、成田凌、松重豊とか、脇がいい。驚いたのは永島敏行と田中美佐子。そういう歳か。うーむ。」
中学のときの恋。一度は引き離され、互いに別の伴侶を得ながら、人生谷あり山あり谷ありしつつ、最後に結ばれるという話で、題名の『糸』の通り。結末は分かっているけれど、たびたびじらされながら、見てしまう。大河ドラマのような感じ。とはいえ、最初の頃の、13歳ぐらいの話はトロトロしてて、もっとざっくり、テンポよくやってくれよな、と思うくらいくどいし説明的。とはいえ、あれこれ伏線の糸が終盤に結ばれてくるのは、ちと泣けた。で、函館港でのめぐり逢い。ここが、いまいち盛り上がらない。最初の出会いのシーンを裏返しにして、葵が蹴躓いてケガをして、蓮が「大丈夫」という設定なのは分かるけど、見せ方があまり効果的ではない。もっとはやく、名前を呼べ! とイライラさせるし、いったんフェリーに乗船した葵が下船し、蓮を見つけ出す経緯が端折られているので、ちと興ざめ。なので、感動に水を差した感じ。
田舎の花火で出会いが始まり、令和へカウントダウン後の花火で決定的な再開に至るとか、しっかり考えているんだろう。バブル崩壊、9.11、リーマンショック、3.11、子ども食堂、平成から令和へなど、平成時代の出来事もクロニクル的に織り込んで、人物の転機にからめていて、話はしっかりとつくられている感じ。合間合間に、中島みゆきの歌が挟まって、地味に刺さってくる。結末が分かっていながら、この手のすれ違い物語は、惹きつけられるね。『君の名は』『セレンディピティ』とか、何度もつくりつづけられる訳だ。
・最初の花火のところで、葵は去りがたく「まだ少しいたい」と同級生の弓に言う。ので、誰か(蓮だと思った)を待っているのかと思ったら、あれが葵と蓮の出会いだったのね。では、帰りたくなかったのは、家での暴力をを思ってだったのか。が、分かりにくかった)
・とはいえ、あんな田舎で中学生の男女がしょっちゅう二人連れでいたら、話題になりすぎだろ。というのは、まあ、映画だからしょうがないか。
・葵の母親のだらしなさは、これまた設定だからしょうがないか。もっと長尺なら、母親と男の関係、葵の、実父への思いとか描けたんだろうけど。
・直樹と弓の結婚式で再会。葵が「大学生」というのに、え? となった。どうやって? でもまあ、ファンド会社の社長・大介との出会いがあって、行かせてもらえた、と分かるんだが。大検で悲願を達成したのか。なかなか。「経営学部」というのも、あとから効いてくる。であのキャンパスの建物は、拓大だった。
・しかし、ファンド会社の大介も、ちゃらい感じ。部下を引き連れキャパクラ通い? で、勤めている葵を金の力で自分のモノにして。演じてるのが斎藤工じゃなくてフツーのオッサンだったらどうよ、な気がしてしまう。葵も、金に頼ったところはあると思うぞ。映画の中では、金に未練は無いような感じだけど、じゃ、どこに魅力を感じたんだ? だよなあ。
・榮倉奈々演じる香が、いちばん感情移入できる。惚れた男に捨てられて、思いを断ち切れずオバサンに…。まあ、本人がまだ可愛いってのもあるけど。にしても、あんな色黒だっけ?
・蓮の友だち、直樹もまた、いかにもありがちな設定で、地味に存在感。弓と結婚したけど、弓はさっさと別の男に? で、また、おとなしそうな眼鏡女子を彼女にするんだけど、その後に登場した彼女はメガネがなくてなかなかカワイイ。3.11のトラウマで精神不安定な設定だけど、クレジットを見て二階堂ふみ、と分かった。なるほど、印象的な訳だ。ところで、あの眼鏡女子も二階堂ふみ? どういう経緯で、だとしたら様子が変わったんだ? はさておいて、この2人だけでも一話つくれそうだよなあ。
・リーマンで大介が破綻、南の島に逃避行、は、そうですか、な感じ。それを葵が追っていくのは、どうかなと思ったけど。でもまた、いくらかの金を置いて、去って行く。得体が知れんな、大介。これで、彼の登場はオシマイ。
・それでなのか、葵は友人を頼ってシンガポールへ行って、ネイルの会社を設立するんだが、その友だちが最初誰なのか、よく分からず、あとからキャバの同僚か、と気づく。葵のことを「この子、飲めないの」と客に断ってたのが、そうか。ということは、あのときは未成年ということ?
・シンガポールでは、ネイルサロンで大成功するんだけど、ここは経営学部卒、が生きている? でも友人の使い込みで会社は破綻。でも、友人が銀行から借金した分は、大介が残してくれた金で精算したようなんだけど、そんなに大介はくれたのか? あるいは、その程度しか借り入れてなかったのか? な疑問。
・なりゆきでなのか、蓮と香は同棲・結婚するんだけど、たまたま母親の居所を探しに来た葵と、転居届を出しに来た蓮が、役所で遭遇。まあ、ありがちな展開。しかし、2人が結ばれるには香が退出しなくてはならない。どういうかたちになるのか、がこの辺りの最大の興味だったけど、ありがちな癌による死というのは、まあ、仕方がないことか。
・蓮は、チーズづくりに邁進。母を失った娘と暮らす。葵は、東京のネイルサロンで使われる身。というところに、シンガポールで一緒に働いてた青年・亮太が現れ、「またシンガポールへ」と請われるんだけど、渡されたチケットで北海道に飛んでしまうのね。なかなかいい展開。
・新宿での、蓮と葵の接近でも会えない様子は、なかなか効果的。
・子ども食堂が話題になり、そのルーツとして北海道の店がテレビに映る。かつて、葵はその店で、ご飯を食べさせてもらっていた! なので、見せの婆さんに会いに行った、という展開は、伏線のうまい回収。その店に、蓮はチーズを配達していて、たまたま娘がいた。そこに葵がやってきて、婆さんと再会。泣く葵をみて抱きしめる娘。「泣いている人がいたら抱きしめてあげなさい」という香の言葉が効いてくる。泣かせどころ。
・そのことを、時間差で知り、葵だ、と直感する蓮。でも、いまさら、と追うのをやめるんだけど、娘が投げた団栗の実で決意する。この、団栗のみを投げるというのは、香、その父親、蓮と香の娘に受け継がれてきた癖、というのも、なかなかたのしい配慮かも。
・で、函館からフェリーで、という情報だけでクルマを飛ばすんだけど、再会のシーンは、↑で書いたようにいまいちな感じ。もうちょいもりあげろよ。
・中島みゆきの歌は地味にいいけど、『ファイト』は知らなかった。これを、田舎のスナックで香が、のちに直樹が歌う。中卒…。2人がそうかどうかは知らんけど、生きてきた人生を思う感じがでてたように思う。
・葵が入った大学の建物は、拓殖大学の様子。
・香が病室で読んでいた本のブックカバーは、ジュンク堂?
赤い闇 スターリンの冷たい大地で8/25新宿武蔵野館3監督/アグニェシュカ・ホランド脚本/アンドレア・ハウパ
ポーランド/イギリス/ウクライナ映画。原題は“Mr. Jones”。allcinemaのあらすじは「1933年、英国の若きジャーナリスト、ガレス・ジョーンズは、世界恐慌にもかかわらず、スターリンのソ連だけが繁栄を謳歌していることに疑問を抱く。彼は単身モスクワへ向かうと、当局の厳しい監視の目をかいくぐりスターリンの秘密の資金源を探り始める。やがてウクライナがカギだと知ると、真実を求めて雪に覆われたウクライナへと乗り込んでいくのだったが…。」
Twitterへは「時代背景や人物の説明もなく、構成より雰囲気で見せるスタイルなので、いらいら。次第にアバウト分かってくるけど、難解というより不親切だろ。語り手がG.オーウェルなのも、『動物農場』から来てるらしいけど、読んでないし…。」
冒頭、ジョーンズがメンバーらしき人々を前に、ヒトラーがどうとか持論を訴えている。が、嘲笑され、相手にされない。直後、ボスらしき老人から解雇(?)を告げられ、でも紹介状だけはもらう。の流れに、一切の説明がない。おいおい、ジョーンズはフリーのジャーナリストで、ロイド・ジョージの顧問を勤めていたことが分かるんだが、説明が足りなさすぎだろ。ロシア革命後、第二次大戦前なのは分かるけど、知識がないと判断がつきかねる。時代は? 場所は? そして、誰? そういうのは簡単にでも字幕挿入すれば足りること。それをしないというのは、歴史を知らない人は相手にしないよ、といっているに等しい。こういう態度の映画には興味をもつのは難しく、スタイルとしても嫌い。だからおいてきぼりな感じで退屈してきた。その後の、ジョーンズのソ連訪問とか、彼の地で挨拶した紳士、そのアシスタントらしき女性、殺されたらしい友人記者、退廃的なキャバレー、なんかが映されても興味を引かれなかった。
ちょっとヒキが感じられたのは、ウクライナに潜入し、取材しようとして追われ、農場を彷徨うあたりから。それまで言葉だけで、あーだこーだ言ってたのが、やっと映像とドラマになってきた感じがしたから。
話は、なんとなく分かる。ヒトラーが力をつけつつある。そのヒトラーにインタビューした経験をもとに、スターリンに会って、世界恐慌下にあって、ソ連だけが不況でない理由を知りたい、という思い。そのために、単独、ソ連を訪れた、のだろう。でも、アバウトに分かるだけで、時代背景が見えないのだよね。
そもそも、ソ連が「不況はない」といっていたの? かどうか、知らないのだよね。たとえば、実際のスターリンの映像が映り、「共産主義革命を成し遂げ、農業改革を実践しているわが国に、不況はない。飢えもない」とか演説してる、のなら、背景が見えてくる。
そして、モスクワに駐在しているニューヨーク・タイムスのデュランティらが事実を報道しない理由も、よくわからない。しっていながら、報道しないのか? そうしない理由は何なの? 金と女と麻薬を与えられているから? 
友人記者も、真実を知りたいと、ウクライナ行きの計画を立てていた。が、事前に殺された。ほかに、そういう記者はいなかったというのか? デュランティの部下のエイダは、感づいていたけど、できなかった? そのあたりの葛藤がまったく見えない。曖昧模糊すぎる。
ソ連の英国領事館の女性(?)とか、ホテルの男とか、ウクライナ入国を許可する男とか、みな得体が知れないけど、おどろおどろしく描くだけで、実態は漠然としたまま。とくに、ウクライナの取材許可した男は、あれは、どういう人物なのだ? ロイド・ジョージの紹介状を見て許可したようだけど。見られたらまずいのに、なんで許可したのだ? もちろん、列車のなかでずっと監視されていたけど、そんなことでOKなのか? まあ、監視を撒いて、なんとかいう街に付き、ホームをウロウロしてたら手配師に仕事を与えられ、「この荷はどこに運ばれるのか?」と聞いただけで兵士に追われ、撃たれそうになり、逃げるんだけど、ソ連もトンマ過ぎるだろ。計画的に「ジョーンズが消えた!」と、組織的に追わないのか? 
その後の、ウクライナの飢餓ぶりは大変そうだけど、あとから「人為的な大飢饉」という言葉が出てくる。スターリンの五ヶ年計画が関係してるようだけど、見てる方にとっては、たんなる寒波による飢餓のように見える。あるいは、収穫した穀物の多くがモスクワに送られ、ウクライナに食物がなくなった? にしても、もうちょい説明せんと伝わってこないよ。
その後、ジョーンズは結局、逮捕され監獄へ。そこで、モスクワに駐在してたなんとかいう会社の技術者5〜6人と遭遇するんだけど、デュランティの口利きで(だったっけ?)で解放される。条件は、ウクライナの現状を、帰国後も報道しない、というもの。もし破れば、技術者たちの命がない。
うーん。なんか変じゃないか。友人記者はウクライナ行きを計画してただけなのに殺されてしまった。なのに、実際にウクライナを見たジョーンズは、簡単に解放され、帰国する。しかも、その後、G.オーウェルと出会って話をし、公表すべきと後押しされ、でもロンドン(?)では相手にされず、失意の元に故郷のウェールズに戻り、地元新聞に就職。そこで、たまたまであった新聞王ハーストに見込まれ、ウクライナの事実を記事にする。…という話なんだけど。技術者たちも、殺されずに解放されたんだよな、たしか。なんだよ、その程度のことか。てな印象だ。
その後、ジョーンズは満州で馬賊かなんかに掠われ、行方不明、とかいう字幕が出るんだけど、これがソ連の仕業かどうかは、分からんよな。ただの憶測だろ。
G.オーウェルがタイプしつつナレーション、というのも、『動物農場』を読んでないとわからん話で。でもこの映画は、観客が読んでる前提でつくられているから、ややこしい。こんな、あれこれ知識を要求されるような映画はまっぴらだよ。完全なる平等主義はどうたら、と共産主義を否定するようなセリフもあったけど、こういうのも、少しは何気に解説しないとな。というわけで、思い込みと雰囲気だけで押していく映画は、心に届かないのであった。
・ラスト。ウクライナの現状を記事にしてご満悦のジョーンズの元に、エイダから小包が送られてくるんだけど、なかに入っていた赤いボールみたいなのは、ありゃなんなんだ?
・ウクライナの、なんとかいう街は母が暮らした地、とかいってたけど、母親はウクライナ人なのか? これも、まったく説明なし。
・ウェールズの父親かせ話す言葉が、英語ではないのか? 字幕が< >で囲まれてたけど。それとも、古語すぎるから?
※ウクライナの飢餓は、歴史的にはホロドモールとして知られているみたいね。けど、その概要すらこの映画では触れられていないので、迫ってこないんだと思う。

 
 

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