2020年9月

事故物件 恐い間取り9/1109シネマズ木場シアター3監督/中田秀夫脚本/ブラジリィー・アン・山田
allcinemaのあらすじは「売れない芸人の山野ヤマメは、プロデューサーから“事故物件”に住んで心霊現象を撮影出来たら番組に出演させてあげると提案される。売れたい一心で、言われるままに不動産屋に紹介された事故物件に住み、思いがけず白い“何か”を撮影してしまうヤマメ。番組も盛り上がり、以来ネタを求めて事故物件を転々とするようになる。やがて“事故物件住みます芸人”として人気者になっていくヤマメだったが…。」
Twitterへは「数物件のうち、Jホラーの趣は第1話だけ(そこそこ怖い)。あとはお笑いチープ路線に突入で、「なんでいま撮らないんだよ!」と何度思ったことか。得体の知れなさがどんどん薄れ、アレが登場してしまうのは、米国ホラーの影響なのかね。」
すっかり際物監督になってしまった中田秀夫だけど、『スマホを落としただけなのに』はラストの意外な展開も面白かった記憶。なんだけど、事故物件ねえ〜。でも亀梨、江口のりこ、いまノッてる木下ほうか、MEGMIも気になるよね。でも、最初に住んだ殺人事件の事故物件がかつてのJホラーの伝統を引きついでそこそこ怖かっただけで、2部屋目の息子が老母を殺した部屋など、途中からお笑い。3部屋目の連続首つり部屋など、経緯や辻褄もテキトー。4部屋目の千葉・稲毛の心中部屋は、彼女になる梓が「最悪の間取り」といいつつ、どこが最悪かちっとも分からない。で、各部屋や押し入れなどからゾロゾロ幽霊が登場。これは、インチキ霊媒師(高田純次)がくれたお守りで退散させたけど、それまでチラチラ現れ、だんだん出番が長くなっていったフードの男=死神? がラスボスで登場する。こういうのって、米国ホラーの流れだよな。Jホラーは、得体の知れない何か、だけど、あちらのホラーは必ず実体のある悪魔が登場するのが定番。もしかして、米国の関係者に見てもらい、あちらでリメイク、を考えてるのか?
そこに別れたはずの梓がやってきて、室内へ入るんだけど、鍵がかかっているので傘で勝手窓を破るんだけど、次のシーンでドアを開けて入ってくるって、なんなんだ? で、入ってきた途端、死神に取り憑かれ、ヤマメを刺そうとする。これが、心中の真相、とでもいうのか? そこに、なぜか田舎に帰って家業を継いだはずの、かつての相方・中井がなぜか(なぜなんだよ!)タイミングよくやってきて、線香だのあれこれ駆使して死神に対抗する。悪魔払いの方法は、大阪の不動産屋の、事故物件担当の横水(江口のりこが、この映画でいちばん光ってる!)から教わったらしい。なんで横水がそんなことを? 事故物件担当の経験で身につけた? 知らんけど。それで対決して退散させて、やれやれ、かと思ったら、ヤマメと梓が一緒に住む部屋を探しに不動産屋を訪れると、死神は横水に乗りうつり、車道にふらふら。そこで撥ねられる、というよくある感じの手垢の付いたようなエンディング。おいおい、な感じだ。
4つの部屋について、実は…が、ないのがつまらない。供養して出なくなったのか? 犯人や被害者の側面も描かれない。部屋を移るきっかけも分からない。テレビの企画で移る? なら、そのシーンもないとね。そもそも第1の部屋の、白いモヤモヤ以外、ヤマメは捕れていない。第1の部屋で、赤い女が登場して、絶好の撮影タイミングなのに、ヤマメは逃げてしまう。アホかと思った。第2の部屋で、梓が叫んでいるのに、ヤマメはプロデューサーに「すみません、すみません、いまちょっと…」と断りを入れるんだけど、これもアホだろ。さっさと助けに行けよ。などと思ってしまう。
ヤマメの人気が上がり、東京進出? 最初の白いモヤモヤ以外撮れていないヤマメが、なんで人気者になるのだ? なにも説明されないのも困ったもので。ヤマメのサクセスストーリーと、呪われ具合の関係が見えないのも、うーむ、な感じ。
そして、不動産屋の横水は、なぜ殺されなければならなかったんだ? ぜんぜん意味が分からない。そもそも、あの死神の、殺す対象選びは、なんなんだ? とか、突っ込み始めたらキリがないよね。
というわけで、がっかりなJホラーだった。のだけれど、漫才のシーンとか楽屋シーンとか、フツーの場面がいちばん興味深く見られたね。あとは、横水のお笑いキャラが冴えまくってた。主演は江口のりこ でいいだろ。
ソワレ9/3テアトル新宿監督/外山文治脚本/外山文治
allcinemaのあらすじは「俳優を目指して上京したものの鳴かず飛ばずで、オレオレ詐欺に加担して食つなぐ日々の青年・翔太。そんなある日、故郷の和歌山で高齢者施設に出向き演劇を教えることに。するとそこで、若い女性職員タカラと知り合う。後日、タカラの家を訪れた翔太は、思いもよらない事件の現場に遭遇、衝動的にタカラの手を散り逃げ出してしまう。こうして互いに“かくれんぼ”、“かけおち”と呼ぶ当てのない逃避行が始まるのだったが…。」
Twitterへは「タカラはさておき翔太はアホすぎて共感するところまるでなし。逃避行もリアリティないし。冒頭の意味のない揺れ揺れカメラ。大半聞こえないセリフ。中途半端な幻想イメージ。ダメな日本映画の典型な感じ。」
正当防衛で父親を刺した娘が、少し前に知り合っただけの男にそそのかされ、手に手を取って逃げる話。父からの性暴力、娘に同情した青年。故郷を捨てたはずの青年が、その故郷での逃避行を通じ、自分も孤独だったと自覚する。かつての自分には、笑顔があったのに・・・。その笑顔のつくり方を、娘に教わって、浄化される…てな話にしたかったんだろうけど、街場での逃避行にリアリティがない。山に逃げ込み、狩猟生活とか里山で野菜泥棒とかなら、あり得るかもだけど。
そういえば、しばらく前に警察署から数ヶ月(?)逃走した犯人がいたけど、あれは男1人で各地を転々、だった。でも、この映画は違う。
和歌山市郊外の高齢者施設から逃げ出し(あれ、施設内の寮だったのか? 少し離れた民間のアパートかと思ったよ。施設内へ、簡単に入り込めるのか…)農村を転々としながら和歌山市内へ行くんだが、目的が見えない。「俺は隠れん坊が得意」といいつつ、廃校や空き家、農家でバイトしたりしつつ和歌山市内では、娘はスナックバイト、男はパチンコ? どんづまりの閉塞感しかないと思うんだが。
警察も全力を挙げれば簡単に発見できるだろうに、トロトロしすぎ。
翔太。そもそも役者として目が出ないというけど、そんなの当たり前だろ。劇団に所属してるようだけど、目的はテレビで売れること? アホか。それでオレオレ詐欺の一員に? アホか。翔太の素性が知れる。で、なぜか地方の施設に慰問公演? が、突然すぎ。
このあたりまでのカメラが意図的にブレブレで、酔う。何のための揺れなのか、意味不明だ。
さて。
タカラは実父に犯されたのか、義父なのか? そのあたり曖昧。その父親が出所すると連絡あって、速攻で訪ねてきて「やり直そう」といいつつ、また犯すって、出所後の人間に対して管理が杜撰すぎではないのか。この、父親による性暴力についての掘り下げはなく、タカラのトラウマを描くのみになっているのも物足りない。母親の存在も気になるが、ほとんど描かれない。
ところでこの手の映画って実話が元になっていることが多いんだけど、そうななのか? だとしたら、実話の部分はどの程度なんだろう。
さて。
たまたま父親がタカラを襲ってるところに出くわし、翔太と父親がもみあう。そこで、タカラが父親を刺す。状況から判断して正当防衛が適用できそうだし、警察に通報した方がいいと思うんだが、タカラは、過去にあれこれみんなの前で聞かれしゃべったこともトラウマで、もうしたくない、と思ったのか。「逃げよう」という翔太に手を引かれるままに掛け出し、ローカル線に乗り込むんだが、ふたりとも血だらけだよ。おい。
まずは、廃校。黒板に「卒業」の寄せ書き? そこに「大久保タカラ」と書く。 あとから旧姓が大久保で、名がタカラと分かるけど。大久保姓のタカラから「卒業」したかった? 夜は空き家で過ごす。そんな都合よくなんでもそろってる空き家があるものか?  次は、梅干し農家でバイト。「駆け落ちで和歌山市内へ行く」というんだけど、これは嘘でなくホントだった。なぜ市内をめざす? 泊めてもらって、でも金を盗もうとして見つかった翔太…。未明に追い出される? 
翌朝、警察がきたけど。あれは農家が通報したのか? であれば、警察の「何か盗られたか?」に、亭主が「なにも」と応えるのは変だ。ところでその後、和歌山市内で、ホテルに戻ろうとして警察が来てるのに気づく場面があり、スマホがチラと映る。ということは、位置情報システムがONになってて、それをたどってきた? それが簡単にできるのか知らないが、できるならもっと早く捕まっただろうに…。でも、後に2人がセックスしようとしてできなかったとき、まだスマホ持ってたよな。OFFにしたってことか? そうすれば、探知されないのか?
市内で、翔太は競輪。梅干し農家でのバイト料もこれでなくなったか。タカラはスナックで職を得て、翔太のパチンコで稼ぐ。翌日か、スナックに戻るとママが通報してるのを耳にして、逃げる。これは、位置情報システム? それとも警察の聞き込み? そもそも地方都市なんて繁華街は決まったところにしかないのだから、すぐ捕まってもおかしくない。逃げつづけられている方が不思議。
警察が来ていて、ホテルに戻れず、空き地の軽自動車でハンバーガー? というところに、警官がやってきて職質。ここで、カーセックスのフリするけれどタカラのトラウマが発現して、でも、逃げ切ったみたいなんだけど、あり得るか? 警官は応援を呼ぶはずだし、大包囲網が繰り広げられるんじゃないのか。どんどん話が嘘っぽくなっていく。
その後だっけ。2人はホテル(市内のホテルなんて指名手配の写真が回ってるから、泊まるなんてムリだと思うんだけどね)でセックスしようとする。けれど、タカラのトラウマでできず。そして、翌日の浜辺。翔太が突如怒って「お前のせいで人生を棒に振った。どうしてくれる!」ってタカラを攻めるんだけど、お前それは筋違いだろ。タカラは電車に乗る前、自首すると言ったんだ。それを、逃げよう、と引きずっていったのはお前だろ。頼りにならねえやつだな。これで、翔太の存在がますますアホに見えてくる。
ひとり、夜のビルにタカラ。翔太のイメージが登場するのは、夢か。ののち、陸橋の上で、偶然すぎる再会。で、翌朝なのか、フェリー乗り場。どこへ逃げようというのか? 調べたら、徳島行きがあるらしい。しかし、すでに警察が…。これは、誰かの通報? 気づいて逃げる2人。でも、タカラは足をとめる。あきらめたんだろうけど、彼女の方が現実的で理性的ということか。役者で売れる、なんて夢を見てる翔太の方が、たんに脳天気ということだろう。そもそも、施設から逃げて、ローカル線に乗ろうとした時も、タカラは警察に行く、と主張した。それを翔太がムリに連れだした。相変わらず翔太はアホ。
警官に連れ去られるタカラが、口元に指を当て、笑顔の仕草をする。これが、カギになっている、というオチにつながるんだけど、ムリくりすぎるよな。というのは、しばらく後、釈放された(犯人隠匿堕罪?)翔太は、劇団に戻って、精肉工場でバイトをしているらしい。オレオレ詐欺から就労へ。たいした成長だ。アホか。だれでもフツーにやっとるわい。で、仲間が家にやってきて、高校時代の演劇部のDVDを見ていた、らしい。仲間が帰り、もう一度(なのか?)映像をみていると、そのなかで自分が、口元に指を当てて「笑う時は…」といっていることに気づく(遅すぎだろ)。タカラが警官につれていかれたときの仕草。なんで?
で、別視点で、制服のタカラが、保護司かなにかに連れられ、学校を去る場面が映り、そのとき、翔太が撮影していた教室の横を通った、ということらしい。
とってつけたようなエピソードだけど、翔太は横を通るタカラの姿を見ていない。だから、彼女が同じ学校の生徒だったとは分からないわけで、だからなの? 的な感じだ。タカラが翔太を知っていたとも限らないし。そもそもあの仕草、高齢者施設で、老人に演技指導したとき、やってなかったっけ? それを見て、の可能性もなかないか?
というわけで、あれこれあるわりに、なにも届かない映画だった。残念。
・施設で洗濯中、仲間に言われ、高校時代の映像DVDを取りに行くんだが。旅先から家に戻ったのか? と疑問だったんだけど↑のあらすじに、故郷とあって、へー、な感じ。そんな説明=セリフあったか? あっても聞き取れなかったんだろ、きっと。でさらに、そのDVDをすぐに仲間に見せず、一件が終了後に、見せたのか。あの仕草の仕掛けを最後に見せるため、でしかないよな。
・一行が高齢者施設に到着したあたりで、女が老女の髪をといているシーン。洗濯物がふわりとして、もとにもどると老女だけいない・・・。というイメージは、高齢者施設の運命を象徴してるんだろう。この手の幻想的なイメージが頻出するかと思ったら、そうでもなくて。あと2つ。1つは、逃避行の第一夜目に、空き家(といっても生活感ありすぎで食糧も衣服も調達できた)でのランプ(だったっけ? 電気じゃないよな。手巻き発電のラジオはあった)の影が、現実の2人とは違って踊っている、というもの。もうひとつは、翔太と喧嘩別れし、逃げ疲れたタカラが夜のビルで見る、翔太のイメージ。意味がよくわからん場面で、幻想シーンも、いまいち機能してない感じ。
・高齢者施設は、死を強調する。けど、全体を通したら、後の父の死の他に、死は出てこない。なので、テーマとは言えず、映像が見せていくテーマがらみとしては、あれこれ散漫でどこにも集束していない。このあたりが、弱いところだな。
・高齢者施設では、「安珍清姫」を演じようとしていたようだ。この話が、逃避行の2人とどう重なるのか、よく分からず。
・タカラは、自分の名前が嫌いだという。タカラのような扱いを受けなかったから、か。だれがつけた名なのか? 母親は、父親の行為を見逃した続けていたのか? わからんところ。
・2人がセックスを試みるホテルの部屋に、たしかクリムト「接吻」の一部拡大複製が。もう一枚はなんだろ。モジリアニ? なにか意味を込めているのか?
・セックスできず? イライラの翔太。バスに乗っていて、女子校生のはしゃぎ声に怒鳴りつける。女子校生は、マニュキアをし合っていた様子。の、のちの場面で、タカラの指にピンクのマニュキアが。タカラが寝ている間に塗ってやったのか? 翔太のやさしさ、でも表現したかったのか。しかし、そんなもの買いにうろうろしてて、よく捕まらなかったもんだ。
・パチンコ屋から逃げる翔太。追ってきたのは、店員だよな。警察じゃなくて。でも、パチンコ台を叩いたぐらいで、あそこまで追ってくるか?
・ソワレ=夜会服? どういう意味を込めているのだ? あの最初の空き家の、踊る2人の影にでも関係するのか? そんなことより、ずっと着たきりで、服はどろどろ汗臭いだろうなとしか思えない映像だった。
ようこそ映画音響の世界へ9/4ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/ミッジ・コスティン脚本/ボベット・バスター
原題は“Making Waves: The Art of Cinematic Sound”。allcinemaのあらすじは「映画の歴史を振り返りながら、様々な名作を例に、効果音や音楽などの音が果たす大きな役割について、ジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグ、デヴィッド・リンら偉大な映画監督や、音づくりのスペシャリストたちへのインタビューを通して明らかにしていく。」
Twitterへは「ひと通りざっくり、な感じで、つまらなくはないけど、物足りなさが残る。もっと具体的に、効果のあるなし、など講義スタイルで見せてくれた方が「なるほど」感がでたんじゃなかろうか。家の画面で見る、で十分な内容だな。混んでたけど。」
最初は、無声映画から、トーキーへ。さらに、SEへ、という歴史で、ちょっと退屈。ののち、中盤から実例の紹介なんだけど、この間に少し寝てしまった。
全体に、映像の実例と説明があり、間に監督や役者、音響技術者のインタビューが入るという、定番のドキュメンタリーのスタイル。けれど、実例に対する具体的な説明・解説は少なくて、さらりと済ませてしまう。もっと実際的に、効果の違いを見せて・聞かせてくれたらよかったのになと思った。
『ブレイブハート』など、出来上がりのシーンを何度も見せられても、ふーん、だよな。SEなし、そこに人の声などをプラス、刀の金属音をプラスしたら…的な見せ方にするとかしたら、なるほど感が高くなると思うんだが。
面白いエピソードとしては、『トップガン』で、実際のジェット音は迫力がないので、猛獣の声を足しているとか。バーブラ・ストライサンドの映画(タイトルは忘れた)では、彼女が音響に細心のディレクションを行ったとか。キューブリックの『バリーリンドン』(だったつけ?)で兵士の足音が物足りなくていたら、音屋さんが「ちょっと待って」って、鍵ホルダーとか集めてきてそれで金属的な足音を即興でつくったとか。あと、忘れたけど。ほかに、『ローマ』のある場面で、カメラのパンニングに合わせて音の位置を移動させているとか、も興味深かった。 
とはいえ映画は人気らしく、ほぼ満席(といってもコロナ対策で座席数の半分だけど)。なので、前日に行って席を取っておいての鑑賞だった。
娘は戦場で生まれた9/9ギンレイホール監督/ワアド・アル=カティーブ、エドワード・ワッツ脚本/---
原題は“For Sama”。allcinemaの解説は「2011年、アレッポ大学の学生だったワアド・アル=カティーブ監督は、アサド政権に抗議するデモ活動をスマホで撮影し始める。やがてアサド政権による反政府勢力への激しい弾圧が始まる。容赦のない空爆が続き、罪のない一般市民の犠牲が増え続ける中、ワアドはアレッポにとどまり、カメラを回し続けた。そんな中、負傷した人々を懸命に治療する若い医師ハムザと恋に落ちるワアド。やがて2人は夫婦となり、かけがえのない新しい命サマを授かる。それでもハムザは街で最後の医療機関となった病院を守り続け、ワアドもまた乳飲み子を抱えながらカメラを回し続ける。」
Twitterへは「映画としては、いまいち入り込めず。政治的には、判断できる材料をもっていないので何とも言えず。」
シリアで内戦が継続中なのは知っている。ロシアがアサドを支援し、爆撃してるのも新聞で見てる。アレッポの場所は知らんが、名称は知ってる。包囲され、結局、陥落したのは、よく知らない。主に最近の知識だから、この映画で映る2014〜16年頃の話はよく分からない。なので、調べたらWikipediaに「アレッポの戦いは、シリア内戦において2012年から2016年にかけてシリア最大の都市アレッポで行われた戦闘。シリアの政府軍と反体制派がアレッポ市内を東西に分断、長期に渡り激しい軍事衝突を繰り返したが、最終的に政府軍が勝利を収めた」とあった。
このドキュメントは、ワアドが学生時代から始まるけれど、あれはニュース映像なのかな。どこから彼女の撮影か、分からない。彼女の姿も映るけれど、他にスタッフがいたのか、もよく分からない。
主に病院内と、出産後に移った新居、知人宅などの様子で構成されていて、戦闘の場面や戦闘員はまったく映らない。病院内や住居では、爆撃音や銃撃音が度々なり響く。さらに、爆撃の犠牲者も多く映されるし、病院に運び込まれた負傷者、死者などがフツーに映る。なので、最初は、うわ、となったけれど、すぐに抵抗が無くなってしまう。血みどろでも、リアリティがあるようで、あまり感じられなくなる。慣れは怖ろしいことだ。
自分たちの周囲を写しているだけだから、アサド政権側との攻防の経緯がまったく分からない。しかも、同じような映像なので単調になる。後のニュース映像やWeb映像、地図などを挟んで、アレッポがどのように追い込まれつつあったのか、を見せると分かりやかかったかもな。
最後の方に、Twitterに映像を投降すると、いいね、がたくさん付くしリツイートもされるけど、誰も私たちを助けてくれない、というナレーションがある。そりゃそうだろう、としかいいようがない。
アサドは独裁者というのは分かる。けれど、支持者もいるから政権が維持できているわけで。反対勢力が立ち上がれば、対抗するに決まってる。では、海外のいずれかの国家が介入できるかといったら、難しい問題だよな。アメリカも、あまりタッチしなかったのか。アサドにロシアが付いたから、手を出しにくかったのかね。
国連だって、何ともできなかったんだろうな。別の視点から見たら、反体制勢力が立て籠もって国家の自治を乱している、とも取れなくもないわけだから。そもそも、反体制勢力は、勝ち目があって立ち上がったのか、思いがけず支援者が現れなかった、とか、あるのかな。とか、そういう背景についてはなんとも分からないので、爆撃の犠牲になる人々は気の毒だけれど、どっちが正しい、とも分からない。西側の善悪の基準が、イスラム世界にそのまま通用するか、分からんし。イスラム世界の対立は、部外者には分かりにくい。
ワアドや病院関係者、その他の住民は、情勢が不利になっても退去せず、どかどかミサイルを撃ち込まれ、家族が死んでもアレッポを立ち退かない。あれは、なんなんだろう。政権側に隠れて抵抗するのは、できなかったのか。
・経済やテレビ 電気 食糧 インターネット、医薬品などのインフラはどうしてたの?
・負傷して運び込まれた妊婦がいて、帝王切開。始め、息をしていなかった赤ん坊が、ついに泣き声を上げる場面は、感動的。
・反体制勢力が団結すると、イスラム原理主義者が介入してきたが、アサド政権よりはマシ、てなことをいっているけど、そうなのか?
・最初の方で、知り合いという医師が階段の下にいる場面がでてきて、彼は結婚している、とか言ってたけど、ワアドが結婚した相手は、彼だっけ? 別の医師か? なんか、途中で分からなくなっていった。
・シリアのアレッポに、雪が降るのか。意外。
・トルコにいる義父にクルマで会いに行く場面がある。包囲されてるのに、意外と簡単に行けるのな。帰りは封鎖されたとかで、どっか徒歩で戻ったのか。乗ってたクルマはどうしたんだろ。
・時制がぐちゃぐちゃ。6か月前、8か月前、のような字幕が登場して、娘が生まれる前後を行き来するんだけど、わけ分からん。
・ドローン撮影もあるのか。とくに、ラストシーンは廃墟を歩くワアド?の後ろ姿。あれは、いつ、どうやって撮ったんだ? 演出? ワアド以外に、撮影スタッフがいるのか?
・病院内の爆発場面は、監視カメラかな。それを手に入れることができたのか…。そういう立場なのか。
・最後、退去勧告にしたがって脱出するのだけれど、畏れていた検問は簡単に通過してしまった様子。もちろんカメラは回してないけど。なんか拍子抜け。アサド政権はゆるいのか。そんな残酷ではないのか? どうなんだ?
・政権側に移動後、どういう生活をしていたんだろ。撮影した映像はすべて残ってる様子で、ということは軍や警察の荷物検査はなかったと。さらに、どっかに集められて尋問されても居ないということか。兵士ではないから、なのか。うーむ。
ビッグ・リトル・ファーム 理想の暮らしのつくり方9/9ギンレイホール監督/ジョン・チェスター脚本/ジョン・チェスター、マーク・モンロー
原題は“The Biggest Little Farm”。allcinemaの解説は「野生生物番組の制作者兼カメラマンとして活躍するジョン・チェスターは、保護した愛犬の泣き声が原因で都会のアパートを追い出されたのをきっかけに、料理研究家の妻とともに郊外へ移り住み、そこに広がる東京ドーム約17個分の荒れた土地を購入し、夫婦でゼロから農場づくりを始める。大自然の厳しさに翻弄されながらも、伝統農法を活用し自然と共生する再生型の農場という理想を追い求める夫婦の奮闘は、やがて少しずつ実を結んでいく。」
Twitterへは「地下水を撒き、動物を買い集め、樹木を植えてつくる動物園のような農場を、自然と共生と呼んでいいのかね。『タイガーキング』と似たような雰囲気を感じてしまったのだが…。」
自然農法のPR映画のようなドキュメンタリー。ロスから車で1時間ぐらい? の痩せた土地を蘇らせた、という話。でも、カリフォルニアって雨、降らないんだろ? だから、地下水らしい。で、鶏、鴨、豚、牛、ヤギとかいろんな家畜を放牧し、その糞やミミズで土地を肥やし、植えた樹木(アプリコットか?)の果樹を収穫、かとおもったら大半、ツグミだったかの鳥にかじられ、ただの肥料に…。果樹は、カタツムリや穴ネズミにやられ、鶏はコヨーテに殺され、干魃で池は藻が発生(?)で鴨がピンチ! と思ったら鴨にカタツムリを食わせ、コヨーテやフクロウに穴ネズミを食わせるようにして、と自然の循環を利用して再生する、とかいう話。なんだけど、ホントにムダなく循環してるのかな。ちょっと疑問。
農場の設計は、最初に頼んだ爺さんがリードして進み、でも、完全に仕上がる前に爺さんはガンに倒れてしまい、あとは試行錯誤…。でも、なんとかうまく行っている。ということらしいんだけど、すべてが都合よく、まるでシナリ化に書いたように進行するのも、なんか、やられクサくないか? 知らんけど。
しかし、豚の糞やミミズ、ウジ虫も手づかみで、死んだ鶏を山のように運んだり、うまく行ってる一方で、悲惨な様子も映される。あれ、自分がするかと思うと、ちょっと引いてしまう。もちろん、それが自然との共生だ、っていうんだろうけど。でも、解決には時間と労力がかかりすぎ。コヨーテは撃ち殺し、農薬をつかう方が簡単、とは思うけどね。まあ、それをせず、理想的な農場を目指し、実現した、ということなんだろうけど…。
映画にも登場するけど、干魃になると、循環は壊れてしまう。なすすべもない。山火事は、たまたま逸れてくれて助かった。すべては天まかせ? いや、それでもやります、なんだろうけど。なんか、自然志向の方々の、洗脳された思考が感じられてしまうのだよね。
もちろん、工場みたいなところで卵を産まされる鶏や豚を考えたら、こっちの方が良さそうとは思うけど…。自分ではできるとは思わない。そもそも、生ものを扱うのは、どうも苦手だし。
それにしても、費用がないから友人知人に出資してもらい、人も雇い、ひろく公募すると若い人がぞろぞろやってくる。ちゃんと給料が払えるほど売上があるように見えないんだけど、収支はどうなっているのかな。気になる。
夫婦に息子が誕生するけど、長じて両親の考えに同調するのか? はたまた都会にあこがれ、農場を継がないのか。そのあたりも気になるところ。
最後の方に、一般客に農場を開放し、解説・引率してる場面が出てきたけど、入園料は取ってるのかしら。いやね。『タイガーキング』でも、虎動物園に人を入れて見せていたけど、なんか、似たようなところがあると思えたんだよね。違うと言えば違うけど、似ていなくもない感じ。
カウントダウン9/18ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/ジャスティン・デク脚本/ジャスティン・デク
原題は“Countdown”。allcinemaのあらすじは「看護師のクインはひょんなことから自分の余命が分かるというアプリ“カウントダウン”をダウンロードし、何気なく試してみたところ、余命3日と表示されてしまう。真に受けなかったクインだったが、ほどなくしてアプリの利用者が予告通りに亡くなっていることを知る。お遊びではないと気づき、何とかして死の運命から逃れるべく行動を開始するクインだったが…。」
Twitterへは「余命が分かるスマホアプリに脅かされるという、やっつけ安手のホラーサスペンス。なんでそうなるの? がたくさんあるし、いつもながら実体が登場しちゃうのがつまらない。ヒロインはかわいかったけど…。」
スマホアプリを死神にしたら客が呼べる的な発想で仕上げた安易なホラー。欧米ホラーの定番通り、実体=死神がさっそく登場し、サスペンスよりお笑いになっちまう。
告知される余命が事実だとしても、基本敵には人はそれを受け入れるしかない。「死神」もフツーに生命を終わらせれば良いはず。余命を知らせれば人はそれを避けようとするし、死神の仕事もふえるだけだから、わざわざ知らせて怖がらせる必要はない。脅しながら殺すと死神にメリットがある、というなら別だけど、そういう感じでもないし。長命を告知される人も多いのだから、アプリを使った人がすぐ死ぬ訳でもない。たくさん殺せば死神に得点がある、というわけでもなさそうだ。
という矛盾を感じると、ツメの甘さを感じるだけ。なにを死神はドタバタとムダなことをやってるのだ? という気分になる。
・そもそも身近に、数時間後に死ぬやつが多過ぎ。そうしないと映画にならないのかも知れないけどね。
・で、死神に追われ、最後の手段でクインは致死量の3倍のモルヒネを打つんだけど、なぜそれで死神はたじろぐのだ? クインが件集中にODの女性が運び込まれ、なにか薬剤を注射すると息を吹き返すという伏線があって、それが使われているんだけど、よく分からず。
・クインが実家に出生証明書を取りに戻る場面があるんだけど、あれはパスポートに必要なんだっけ? なんのためだったか、よく分からず。
・助けを求めて訪ねる教会の神父が「神は信じない」けど超常現象の資料がたくさん見られるから神学の道に入った的なことをいうオタクなのが笑えた。
・携帯屋のオヤジはコメディリリーフ的に登場するんだけど、あんまり機能してなかった。
・スマホに映る余命が、瞬時に判断できない。なぜ○日○時間○分○秒と字幕を入れないのかね。手抜きだろ。
・クイン役のエリザベス・レイルは、ちょっとナオミ・ワッツ的な知性を感じさせて、なかなか可愛いかった。
窮鼠はチーズの夢を見る9/19109シネマズ木場シアター6監督/行定勲脚本/堀泉杏
allcinemaのあらすじは「優柔不断で流されやすい大伴恭一は、昔から受け身の恋愛ばかりを繰り返し、今も女性から言い寄られるままに不倫を重ねていた。そんなある日、大学の後輩の今ヶ瀬渉と7年ぶりの再会を果たす。すると秘かに恭一のことを想い続けていた今ヶ瀬は、不倫の証拠をちらつかせながら関係を迫るのだった。やがて、そんな今ヶ瀬のペースに流されるまま、いつの間にか一緒に暮らすようになる恭一だったが…。」
Twitterへは「欧米で流行ったので日本でも同じテーマを、な感じ。画面が歪むほど寄りの絵ばっかでぐちゅぐちゅやられて圧が激しすぎ。ああいう流れはフツーにあることなのか。知らんけど。それにしても主人公は女にも男にもモテすぎ。どこがいいんだ?」
本格的なゲイ映画で、キス、フェラ、からみ、ゼリー(?)つけてバックでバコバコ、とかフルセット。ポルノ映画なみだ。そういうことに興味はないので、男同士のキスは見ていて気持ち悪いし、男2人の裸のからみも美しいとは思えない。とくにキスはぎこちなくて、ずっと最後まで求め合ってるようには見えなかった。役者も大変だよなあと、自分がすることを考えるとおぞましく思う。
レズ映画では『アデル、ブルーは熱い色』がかなりハードな描写があったけど、あそこまではいってない。そういえば、ゲイ映画って、洋物でも派手なのはあまり記憶にないかも。
要は、女好きな恭一が、今ヶ瀬と再会し、好きだと告白され、浮気調査を妻に知らせない代わりにキスさせろ、と迫って。それが次第にフェラまで許容し、同棲してしまうという流れである。その後、身体を許すことになる(最初は掘られる)んだけれど、あれは昔の恋人とセックスしようとして勃起しなかったあと、だったかな。よく覚えてないけど。
大学時代も恋人がいて、社会人になって早々に結婚し、取引先の女性とは浮気進行中…。なんだよ、このモテ具合。しかも30前なのにチームリーダーかなんかやってて、高いマンションに住み、うんざりだな。
浮気調査は今ヶ瀬が恭一に迫るための口実かと思ったら、妻からの依頼だったという。しかも、妻に恋人ができていた。いい条件で離婚したいから、何か瑕疵がないかと当て推量で素行調査をしたというんだから、上手な妻である。夫婦ともに浮気中で、互いにその事実を知らなかったというのも、アホらしい。
な訳で、恭一は「浮気の事実はない」と報告し、仕方なく妻は恭一に離婚を切り出し、素行調査を依頼したと告白するんだけど、なんか嘘っぽい展開で、リアリティがないよね。
てなわけで、新たな住居にひとり暮らしを始めた恭一のところに今ヶ瀬が押しかけ、住みついてしまうという脇の甘さはなんなんだ? まだ自分がゲイであることを自覚しないまま、なのか? キスしたことで、タガが少しゆるみだしたのか。いや、それより、フェラさせたこと? あのフェラも、簡単にさせすぎではないの? まあ、嫌々だったけど、ムリやりされたら勃起して、意外と悪くないな、と思っちゃったのかしら。そういうことって、あるのかね。
で、同居を隠したまま、なぜか恭一は部下の女の子に迫っていき、なんと婚約しちゃうというのが、よく分からない。こっちの自分がホントの自分、と思ったのか? 大学時代の恋人には勃起しなかったけど、部下の女性には勃起したのか? 
それでも今ヶ瀬はあきらめず、「結婚してもいい。でも、月に1回、半年に一度でもいいからつきあって」と言ってくるしつこさはなんなんだ? そんな執念深い=愛が深いのか? 男女の恋でも、そんなのはないだろうに。オソロシイ。そういう今ヶ瀬に、出て行け、と別れの言葉を告げる…。今ヶ瀬は、灰皿をこれ見よがしにゴミ箱に入れて、消える…。
なにがきっかけなのか忘れたけれど、恭一は部下の女性に「別れよう」というのだよね。婚約までしてるのに。これはもう、今ヶ瀬への思いを断ち切れず、なんだろうけど。そして、灰皿を洗ってきれいにして、今ヶ瀬が再びやってくるのを待つ、というエンディング。うわあ。そこまでいっちゃうのか、あの女好きが。という気分。そんなふうに開発されちゃうのか?
・部下の女性の、古風な我慢強さはなんなんだ? 過去は問わない。以前の彼女が戻ってきたら、私は身をひく。だからあなたの奥さんに…って。あり得ないだろ。
・恭一が今ヶ瀬を求めて、なのか、発展場みたいなゲイバーへ行く場面がある。あれは現実的だと思うし、『アデル、ブルーは熱い色』『ミルク』にも登場する。ああいうところに登場するゲイは、描き方が類型的なんだけど、あれも事実なのか? なのに、恭一と今ヶ瀬は、やさ男でカッコよくて、色っぽくて? なに、この違い。竹原ピストルとか温水洋一とかカンニング竹山とか、そういう役者で、同じような物語をつくってみて欲しいな。印象の違いを見てみたいものだ。
ジュディ 虹の彼方に9/23ギンレイホール監督/ルパート・グールド脚本/トム・エッジ
原題は“Judy”。allcinemaのあらすじは「1968年。かつてミュージカル映画「オズの魔法使」に17歳で抜擢され、一躍大スターとなったジュディ・ガーランドだったが、30年後の今は若いころからの薬漬けがたたって心身ともにボロボロ。映画出演のオファーもなく、巡業ショーで生計を立てるも借金は膨らむばかり。愛する子どもたちと一緒に暮らすこともままならず、やむなく彼らを元夫に預けることに。そして自らは、いまだ根強い人気の残るロンドンに活路を見出し、再起をかけて単身渡英するジュディだったが…。」
Twitterへは「前半たらたらなので寝た。栄光はいずこ、落ち目のジュディのラリっては放言、飲んだくれではデイナーショーの舞台もしくじり…。いろいろあってのこれ、なんだろうけど、バカすぎて同情もできず、お気の毒様。」
前半はほとんど寝た。子役のときの様子とか、ちょっと覚えている程度。目が覚めて後半はしっかり見た。けど、よれよれなのに気位は高く、ディナーショーにも遅刻して、客にブーイング浴びると悪態を返す。子供には会いたい。でも昼間から酒浸り。もうダメだろ。なのに、どういう因果か、若い男が結婚してくれて。でも、ダメ女ぶりは変わらず…。ディナーショーからもお払い箱に。でも、マネージャーみたいな女性(見たことあるけど誰だっけ? あとで調べたら『ワイルド・ローズ』『もう終わりにしよう』のジェシー・バックリーで、印象がずいぶん違うので驚いた)に頼み込んで、ショーを見たい、と会場に潜り込み、ショーのスターであるギター弾きに「一曲だけ」と頼み込んで舞台に上がり、一曲披露。なんて図々しい女なんだ、という気持ちが半分。しょうがないな、が半分な感じ。その曲は見事に歌いきって、次に「虹の彼方に」を歌い始めるんだけど、途中で歌えなくなってしゃがみ込んでしまうんだが、すると客席から歌が始まり、大合唱に、という場面はちょっとうるっとしはするけれど、美化してるだけだろ、な感じがありありの定番な描写だよな。
レネー・ゼルウィガーは久々な感じ。ずっと何してたんだろう。痩せたのは知ってたけど、ずいぶんやつれた感じで。別人みたい。まあ、よれよれのジュディには合ってるのかも知れないけど。
スキャンダル9/23ギンレイホール監督/ジェイ・ローチ脚本/チャールズ・ランドルフ
原題は“Bombshell”。「爆弾宣言」というような意味なのかな。allcinemaのあらすじは「2016年、FOXニュースのベテラン女性キャスター、グレッチェン・カールソンは、人気番組の担当を降ろされたのを機に、長年セクハラを繰り返してきたロジャー・エイルズCEOを訴える準備を進める。一方、看板キャスターのメーガン・ケリーは、女性蔑視が目に余るドナルド・トランプ大統領候補への対決姿勢を鮮明にしていく。そんな中、メインキャスターの座を狙う野心あふれる若手ケイラ・ポスピシルは、ついにロジャーとの面接のチャンスを得るが…。」
Twitterへは「設定よく分からず暫くして寝た。その後FOXのセクハラ会長に反旗を翻す女性アンカーたち、は分かった。でもそうしてまで職を得たかった女もいたわけだよなあ、とか思ったり。いちばん残念なのは、シャーリーズ・セロンのメイクで、まるで別人だろあれ。」
なんか、もう、よく覚えてない。シャーリーズ・セロンのメイクが変すぎて、とくに目が吊り上がってて、彼女らしさのでる口元も、いまいち。別人を見ているみたいで、つまらない。実際の話がベースらしいけど、マードックとかFOXニュースとか、仮名にせずドラマ化してるのは凄い。あとはほんと、ほとんど忘れたよ。眠かったの。
TENET テネット9/24109シネマズ木場シアター3監督/クリストファー・ノーラン脚本/クリストファー・ノーラン
原題は“Tenet”。allcinemaのあらすじは「ウクライナのオペラハウスで起きたテロ事件で、人質救出作戦に参加し捨て身の活躍をしたその男は、適性を見込まれあるミッションを託される。それは、未来からやって来た敵と戦い、世界を救うというものだった。彼は“TENET(テネット)”と呼ばれる謎の組織の存在を知らされるとともに、ある女性科学者から時間を逆行させ、人や物を過去へと移動させる不思議な装置について説明を受けるのだったが…。」
Twitterへは「冒頭からテンション高い! と思ったら、あとはだらだらよく分からん展開。最後の方になっていくつか伏線回収するも、こないだネトフリで見た『ダーク』を連想してしまう。逆回転映像に意味あるのか? 悪役も、強いんだか弱いんだか…。」
冒頭のテロ事件が終わって(とくに伏線ではないらしい。けど、座席の穴が、ぷしゅっ、て煙を上げてふさがるのは、逆回転の伏線だった様子)。黒人が歯をぬかれてミッションを与えられた後から、テンション低め。訳分からんので眠くなって、ときどき朦朧としつつ、なんとか寝なかった。なので、理解が浅かったのは確か。とはいえ、訳分からなくても、話や映像にヒキがあればついていけるんだけど、何これ? 誰それ? がつづく。
そもそも、最初のテロ事件は何なんだ? テストだ、とかいってたけど、どこがどうテストなの? 次は、歯をぬかれる場面。我慢したから合格とか言ってたけど、なにがどう、なのかさっぱり分からん。で、次は、どっかで女性研究員に、ウランがどうの、時間が逆回転するの、と言われて。ありゃなんなんだ? 第三次大戦を回避する云々は、このときだっけか? それから。マイケル・ケインに会うのはこの次だったか。もう、話の内容は忘れてるけど、ブルックス・プラザースはどうのだから、と言われて、もっと高いスーツを買ったんだよな。そのあと辺りから、記憶がおぼろ。だって、ぜんぜんヒキがないんだもん。背の高い夫人と、その夫のオッサンと。なんだかよく分からん。分からんまま、だらだらと。で、あるとき、白人男と一緒になって、どっかへ侵入して、あれこれあって、もう、よく覚えてない。だって、つまんないんだもの。それから、クルーザーに乗って、だれか女性が海に飛び込んで、夫人が夫を海に投げ込むんだけど、黒人がなぜか助けてしまい…。白人男とどっかへ侵入するのは、このあとだっけか? よく分からんまま、どっかの部隊の一員として、どっかに攻め込んで。映像に逆転現象があっちこっち。正の時間軸と並行して逆転が起こるのは可能なのか? で、何だかんだで、窮地に陥り、5日前ぐらいにタイムスリップすると、あのとき2人を邪魔したのは、タイムスリップしていった2人だったとか、海に飛び込んだのはどっかの女性じゃなくて、夫を殺したあとの夫人だったとか、伏線は回収される。そのあとは、どっかに攻め込んだ時間軸を追うような展開で、なんとか無事脱出! って、ありゃ何のための作戦だったんだ? 生き残った3人。っても、白人男と、隊長らしいのは、3あとから登場したキャラで、いまいち得体が知れない。で、隊長が言うには、このミッションは、未来のお前(黒人)の命令だ、と。まさにこのあたりが『ダーク』を思わせて、がっかり。
で、後に、夫人を狙う武器商人の夫妻を始末して…。黒人は、時間警察の如く、あれこれ悪事を見張るというのか。やれやれだな。
・相変わらず、重低和音が意味ありげに唸ってたけど、虚仮威しみたいな感じ。
・名画の贋作がどうのと言うのは、なにか関係あったのか?
リスタートはただいまのあとで9/25シネ・リーブル池袋シアター1監督/井上竜太脚本/佐藤久美子
allcinemaのあらすじは「小さな田舎町で育ち、東京で就職したものの、挫折して会社を辞め、10年ぶりに帰郷した狐塚光臣。彼はそこで、近所で農園を営んでいる熊井のじいちゃんの養子となった青年・大和と出会う。最初は馴れ馴れしい大和を苦手に感じていた光臣だったが、やがて彼も農園を手伝うようになり、一緒に過ごす時間が増えていく。すると、ふさぎがちだった光臣は、いつしか明るく素直な大和の大らかな優しさに癒されていくのだったが…。」
Twitterへは「都会に挫折して田舎で建具職人を継ぐとか、孤児の男友だちと田舎で親密になるとか、リアリティなさすぎ。でも、すべてお伽話と思えば、まあいいか。とはいえ若い娘の1人ぐらいからんで欲しかった気もする。」
ソフトなゲイ映画、なのかな。丁寧(すぎる)脚本と演出で、いささかくどい感じが最初は鼻についた。たとえば大和が、初対面なのになれなれしく、「みつおみ、みつおみ」と声をかけるりは、後半になって、捨て子の孤児院育ちで、人との距離感が分からないせいで、傷つきたくないから明るいふうを装う、とかいうような説明はあったけど、違和感ありすぎ。
光臣にしても、からきしダメ男じゃないか。東京の会社をクビになったのもよく分かる。農園の手伝いでも、遅刻はするし、ミカンやイチゴのもぎ方を指南されながら、ちゃんとできない。こんなやつ、誰も雇わんよ。それだけに、熊井のじい、養子の大和の人の良さがアホにも見える。まあ、すべてはお伽話なのだから、それでいいとも言えるのだが。
リアリティがない、というのも興ざめなところ。光臣の父が田舎で家具職人で、しかも指物師的な仕事で、箪笥直しとかだったりするんだけど、いまどきそんなん仕事ないし食べていけないだろ。熊井農園も、じいさんと大和の2人でミカンとイチゴ? おはぎが出てきたから季節は3月? その頃に、ミカンとイチゴ? なのか。しかも、ミカンは街の店舗に直に卸してる。どっかに出荷はしないのか? ネット通販はせんのか? 都会で挫折で田舎に戻る? いつの時代の話だっての。戻るったって、上田市の近くで電車の駅もあるような所は、田舎と言っても栄えてる方。なのに大和は「最近初めて吉野家の牛丼食べたよ」なんていう。ロケ地は千曲市で、画面にも広がる市街が映ってる。立派な街場だろ。さらに、突然なのか知らんけど、光臣はゲイに目覚め、最後には大和も応えていた。てことは、ゲイカップルで暮らすのか? あの田舎で。どうなんだ? あと、不自然なのは、光臣の同級生がひとりも出てこないこと。なのに、孤児院育ちの大和の友人は登場する。不自然すぎるだろ。
とはいえ脚本は丁寧で、分かりにくいこともなく、次第に世界に入り込める。大和の気持ち悪さも、演出過剰だけど、納得できないことはない。光臣についても、最後の方では、自分のダメさ加減を反省できるようになっている。だから、まあ許す。
むしろ、気になるのは光臣が、自分がゲイである、と自覚したのがいつなのか、ということだ。これまで女の子に恋したことはあるのか? つき合ったり、同棲した過去はあるのか? が、気になってしまう。もしかして、昔からそのケはあったけど、無自覚だった? 自覚しつつ生きてきた? このあたりを、少し描くと、もうちょっと話に厚みが出たような気がする。あの、深夜の、酔った勢い(?)のキスは、なんだったのか、と。
で、最後には、自分は大和が好きだ、と認めるようになる。そして、かわすラストのキスは『窮鼠はチーズの夢を見る』より自然だったと思う。とはいえ、あんな田舎で、2人がこれから恋人同士で生活できるのか、は大いに疑問。とくに、大和は農家の養子になった身分で、自分はゲイだ、と養父母にいつ告白するのか。養父母は、孫の顔が見たいんじゃないのか? それが心配。もちろん、光臣の両親の反応も、大いに気になるところではある。
ところで、大和は捨て子で、その出自を亀戸の役所に調べに行く場面がある。大和という名は、生みの親がつけたもので、赤ん坊と一緒にあったという。とはいえ、遺棄した親は分かっていないのだから、戸籍もたどれるはずもない。なのに、除籍謄本の依頼に、即日応えないのは不自然ではないか。翌日にだされた除籍は、おそらく役所で作成したもので、養子縁組によって除籍になったものと思われる。であれば、養子縁組した際、熊井家の戸籍に入ったわけで、その戸籍になんらかの記載があるはず。わざわざ亀戸まで出向き、除籍をとる必要はないと思うんだが。映画的な演出かな。
鵞鳥湖の夜9/28新宿武蔵野館1監督/ディアオ・イーナン脚本/ディアオ・イーナン
原題は“南方車站的聚会”。allcinemaのあらすじは「2012年の中国南部。刑務所から出所したばかりのバイク窃盗団のリーダー、チョウは、敵対グループとの抗争に巻き込まれ、誤って警官を射殺してしまう。警察は警官殺しのチョウを捕まえるべく、すぐさま30万元の報奨金とともに全国に指名手配する。チョウは寂れたリゾート地“鵞鳥湖”の畔に潜伏し、自らに懸けられた報奨金を愛する妻シュージュンに残そうと画策する。そんな彼の前に“水浴嬢”と呼ばれる謎めいた水辺の娼婦アイアイが現れるが…。」
Twitterへは「娼婦とかチンピラをいわくありげにノワール風味で、名画のオマージュまとわせて見せるから飽きないけど、話自体はショボい。全体に4〜50年前の映画を見てる感じで、中国の田舎は変わらんのかな。」
前評判がよく、さて、な感じで見たんだけど。とくにびりびり感じることもなく、フツーの、懐古趣味的で古めかしいクライムムービーだった。水浴嬢と呼ばれる娼婦、出稼ぎの果てのチンピラ窃盗、路地、ネオン、追跡…とか、それらしい設定だけど、妖しさがいまひとつで、幻影になりきれていない。原因のひとつは、基本になる話がありふれすぎていること。窃盗団の内輪もめから始まり、チョウは誤って警官を射殺、逃走の果てに死ぬ。逃走中、チョウは自分を告発させ、その報奨金を妻と子に渡したい、と考える。たいして面白くもない話だ。その間のやりとりが映画の大半で、あれこれフレーバーを効かせて妖しく見せようとしている。でも、表面的なだけで、いまいち空気感として画面に漂ったこないんだよね。
盛り場のネオン、広場でのステップダンスと光る靴、中古家具屋で働く妻はてんかんもち、 バイク窃盗団、再開発が進む一角、路地から店内から民家の中へとシームレスにつづく不思議感、避暑地の湖、水浴嬢、夜のボート、フェラ、精液を湖に吐く、汗、血…。要素はてんこ盛り。でも、それだけ、な感じだ。
チョウと水浴嬢アイアイの舟の場面は、ちょっと幻想的だけど、『雨月物語』を連想してしまった。チョウが、猫目・猫耳兄弟に追われる場面だったか、階段に映る敵の大きな影なんかは『第三の男』をはじめ昔からよくある手法。ネオンとかで画面が赤だったり緑だったりするのは鈴木清順的? ほかにもいろいろありそうだけど、古典的名画の手法を模倣して、妖しい感じを作り出そうとしてるなと言うのが分かりすぎて、うーむ、な感じ。ぜんぜん新しくない。
不思議だなと思ったところもある。これは回想なのか? と思って見てると、そうではなくて現実の時間の流れだったりするところが何ヵ所か。意図的だと思うけど、困惑した。
あとは、人物関係が、やっぱり分かりにくい。アイアイは、ホアの指示通りに行動しながら、猫目・猫耳兄弟にもチクったんだよな。それで、最後、チョウにも追われる。でも、チョウと食堂に逃げ込み、この後に警察に通報したのか? 時間的にムリがあると思うけれど、それでアイアイは報奨金を手中に。でも、独り占めにすることはなく、チョウの妻と合流する(よくあるドンデンで新鮮味はない)というラスト。どういう分配になるのかしらんけど、そういう打合せかできていたようだ。そもそも話の流れは…
チョウは、手下であり妻の弟に、妻の居場所を調べさせる。
妻の弟は姉の居場所を知らず、なぜかチョウと同郷のホアに頼み込む。
ホアはHPによると水浴嬢の元締めで、アイアイにチョウの妻に接近させる。でも、ホアはどうやってチョウの妻の居場所を知ったんだっけ?
となると、アイアイとチョウの妻の関係は遠い。なのに、なぜアイアイは独り占めせず同情できたのか? 疑問。あらかじめ知っていたとは思えないし。
まあ、いいけどね。というわけで、雰囲気だけはそこそこだけど、印象にはあまり残らない。『楽日』『西瓜』とか、雰囲気だけのノワールは中国映画に多い。けど、『鵞鳥湖の夜』はムダにストーリーをぶち込みすぎてるような気がする。
・1対多の場面が3つある。最初の、バイク盗難の手引きの場面。次は警察での捜査指示の場面。ともに、シマ割りなのが面白い。そして、住民退去の順番をくじ引きする場面。意図的なんだろうけど、不思議な感じ。
・妻はアイアイに、夫のチョウのことを「5年前に出稼ぎに行き不明」という。でも、チョウは刑務所に行ってた、のが真相?
・猫目・猫耳兄弟の片割れを撃った金髪が、道路に張った針金(?)で首チョンぱ、は笑った。
・その怒りで、拳銃乱射。たまたま警官を撃ってしまうチョウも、アホっぽい。
・射殺した犯人チョウの遺骸を前に警官たちが記念写真するのは、彼の地の風習なのか。
・それにしても、あちらの警官はそこらのチンピラと外見が同じなので、分かりにくい。

 
 

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