2020年12月

佐々木、イン、マイマイン12/3新宿武蔵野館1監督/内山拓也脚本/内山拓也、細川岳
allcinemaのあらすじは「俳優を目指して上京したものの、鳴かず飛ばずの日々を送る石井悠二。ある日、バイト先で旧友と再会し、高校時代にカリスマ的存在だった同級生の佐々木のことを思い出す。佐々木コールが起こると、どこであろうとすぐに脱いで踊り出すような破天荒でお調子者だった佐々木。そんな佐々木と仲間たちとの楽しくもほろ苦い青春の日々が脳裏に蘇ってくる悠二だったが…。」
Twitterへは「あれこれ話の賭場口まで描きながら、ドラマのひとつも起こらずだらだらと2時間。なんか、隔靴掻痒。カラオケ店の場面だけ、ちょっとよかったかな。な感じ。」
佐々木、という名前がでているけれど、主人公は、その友人の悠二、と思いつつ見ていたら、回想場面で佐々木が登場し、いつのまにか出番が半々な感じになっていく。なんだよ、佐々木本体が出て来ちゃうのかよ。『桐島』みたいな扱いかと思ったら、違うのか。それはいい。問題は、なにも事件=ドラマが起きないことだ。登場する人物はみなそこそこ背景が示唆されているんだけど、それは深まりもせず、広がり絡んでいくこともない。話を広げていながら、まったく回収せずほったらかし。なので、終わっても「え? あれはどうなったの?」なフラストレーションが起こってしまう。まあ、そういうつくりを考えての映画なんだろうけど、とくに共感するところもなく、感情移入する部分もなく、どっかの他人の得体の知れない生活の一端を見た、で終わってしまっている。もしかしたら、人間の、ドラマにもならないような部分だけを映画化してつないでみたらこうなった、ということなのかも。
たとえば佐々木は美術部にいたらしいけど、その痕跡は、最後に出てくる佐々木の部屋のイーゼルと画布ぐらい。でも、絵はほとんど映らない。肝心なところを映さないんだよな。木村が、恋する相手の一ノ瀬に告白しただろう場面は、ない。悠二が通っているボクシングジム、も映らない。佐々木と苗村のいい関係、も撮らない。でもそれじゃ、つまんねえよ。
あれこれあって、佐々木はガンで孤独死してしまい(27歳ぐらいなのか)、葬儀が行われるのだけれど、霊柩車の運転手が後部座席の異常に気づいて開けてみると、佐々木が裸で飛び出してくる、というラストは、まああれはイメージだろ?仲間3人の「佐々木、佐々木、佐々木!」という心のコールに応えた、霊魂みたいなものかもね。あれを現実と考えるのはムリがあるように思う。もしかしたら、そこまで仕掛けた佐々木の冗談かも知れないけど、はてさて。その可能性もないことはない。1つは、自宅で死亡なら警察が来て調べたりで翌日葬儀はないだろう、という面から。もうひとつは、霊柩車に同乗し、遺影を持っていた女性・苗村が、驚くよりあきれたような表情で助手席に戻ったこと。この2点から、あれは佐々木の冗談だった、と取れなくもないのだが、よく分からない。
というわけで、全体で何かを言ってるわけでもないので、個々の人物について、少しずつ。
いちばん出番の多い悠二。演劇志望で、佐々木に押されて上京し、でも挫折して工場で箱づくり。昔の仲間で成功してる演劇仲間に誘われ、新作の稽古中。でも、同棲相手ユキとは不和で、同室内別居? というのが、よく分からない。悠二はユキに未練がある。ユキは、記憶が邪魔するからここから出る、といいつつ、同室で寝ている。こんなのあり得ないだろ。神経が分からん。嫌ならさっさと出ていけばいい。そうしないのは、ユキも未練があるからなのか。こういう関係が、理解できない。しかも、酔って帰ったユキが悠二にもたれ、キスしたと思ったら押し倒し…と思ったら、悠二は途中で止めてしまう。あれ? ユキが寝ちゃったから止めたのか? と思ったら、翌日、ユキから「あんなことになって、私が悪かった」といい、やっぱり出ていく感じで、まったく分からない。
多田は、なにかの営業職か。悠二の働く工場に飛び込みでやってきて再会。登場シーンは多いけど、たんに高校時代の友人という記号としてしか機能しない。
もう1人の友人、木村は、なかなかまともに顔が映らない。クラス1の美女・一ノ瀬が好きだと言いつつ、どういう具合に仲良くなったのか、現在は結婚して赤ん坊が産まれたばかり。この2人も、そこそこ登場するけど、記号的な存在で、ほとんど機能していない。
みんな、実在の人間らしくないんだよね。
佐々木の父親も、暗い影を背負いつつ、ときどき帰ってきて、佐々木とゲームしたりしつつ、でも、集まってる佐々木の友人たちに「みんなで食え」なんて買ってきた寿司を手渡したり。なのに帰ってこなくなって、ある日「亡くなった」という事実を、担任がクラスの前でいう。経緯もなにも説明がない。で、このとき、「しばらく佐々木は休む」と教師が言った途端、陽気に佐々木が入ってくるとか、これも、意味不明。なんなんだ、あの父親は。
悠二自身の演劇に対する意欲もほとんど見えなくて、彼の演劇友人・須藤も、それ以上に機能しない。他に、佐々木の友人で金を貸しているらしい青年も、登場はそのとき限り。そんな人物ばかり。
に反して、女性は多少機能しているの。カラオケ店で自分の好きな歌を歌ってる女性がいるけど…と、気後れしつつノックして意気投合して朝まで歌いまくったらしい相手の苗村。別れる時に連絡先は交換していなかったはずなのに、ある日その苗村から悠二に電話があり、佐々木が死んだ、と。で、悠二はなぜかユキを連れて田舎に戻る。と、多田、木村も来ていて、迎えるのが苗村で。同棲はしてなかったようだけど、友人関係? そんなのあるのか知らんけど、では、どうやって苗村は佐々木の死を知ったんだ? 頻繁に行き来してた? 
しかし、別れる予定の元カノと佐々木の家に行き、田舎のホテルに泊まるという関係はなんなんだ? 前夜、心ならずもセックスしてしまったから? そのことをユキが謝ったりして、いろいろ齟齬があって、悠二は木村の家に行くんだけど、ほんとはどこへ行くつもりだったんだろう。宿の浴衣と羽織姿で…。で、翌朝、木村の家で一ノ瀬が奥さんで登場して、なになに、この2人結婚してるのかよ。な、納得のいかなさ。
で、翌日葬儀というのは、↑にも書いたけど、フツーはないだろ。しかも、友人の苗村が遺族側で、遺影を持って霊柩車に乗るっていうのは不自然すぎる。だって親戚がいたんだろ。だったら、苗村はただの参列者でしかないはず。
というわけで、登場人物で女性だけが、その後、多少とも回収されてはいるけれど、その意味はよく分からない。
・悠二が働く工場の同僚で、思わせぶりに登場する手に傷のある男。ありゃ何の意味があるんだ? その後出てこないけど。
・悠二が多田と入った居酒屋で、隣客に喧嘩をふっかけておきながら、どうやら習っているボクシングの技術でやっつけたらしい。これはダメだろ。
友人が木村と一ノ瀬の、4ヵ月の赤ん坊を抱く場面は、長すぎてイライラした。そもそも、まだ首が据わっていないんだから、首を支えて抱けよ。あんな泣いてるのに、可哀想だろ。という気持ちが先に立ってしまったし。
そんな、フラストレーションのたまる、変な映画だった。
脳天パラダイス12/7ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/山本政志脚本/金子鈴幸、山本政志
allcinemaのあらすじは「笹谷修次は、借金苦で泣く泣く我が家を手放すことになり、肩を落としながら引っ越し準備にあたっていた。そんな父に苛立ちを募らせる娘のあかねは、“今日、パーティをするので誰でも来てください”とヤケクソでツイート。すると自由奔放な元妻・昭子をはじめ謎のホームレス老人や酔っ払いのOLなど次々と珍客が押し寄せてくる事態に。必死に追い返そうとする修次だったが、次第に収拾がつかなくなり、いつしか笹谷家は阿鼻叫喚の無法地帯と化していく。」
Twitterへは「なんだこれは、な楽しいバカ映画。にぼし猫とブランコがおかしい。なんだけど、もっとテンポよく、ダイナミックに撮れてたら、面白さ倍増な気がするんだよ」
発端はさておき、その後の展開は、なんだこれは? な勝手な迷走状態。不条理あり、SFあり、エロあり。嫉妬、殺人、幽霊、賭場、信仰、ワイヤーアクション、ミュージカル。そして、結婚、離婚、葬儀、出産、就職、破産、相続話。ネコ映画でもある。ゲイ、ゲロ、血しぶき。赤塚不二夫的警官、『お葬式』的野外セックス、泥棒、脱獄犯、酔っぱらい、近所の子供、麻薬栽培。もうなんでもありの詰め合わせ。理屈に合わない、を言ってもほとんど意味はない。あるがまま、描かれるまま、アホか、と笑っていればいい。そんな感じ。
きっと色んな映画からの引用があるんだろう。けど、まあ、そういうのは博覧強記の評論家に任せておけばいい。それを読み解いても、たぶん何かメッセージがでてくることは、ないだろうから。めくるめくワンダーランドの思いがけない展開を、そのまま受け止め、笑って済ませばいいはずだ。とはいえ…
・ブランコから降りられなくなった少年がおかしい。友だちにゲロかけまくったり。ついには木片となるという不条理。その後母親に拾われ、ネコに「常滑の水」と言われ、風呂にいれたら元通り。常滑の湯なる入浴剤のせいらしいけど、元ネタはなんだろ。
・ブランコ少年の友だち2人が勝手に家に侵入し、元妻の南果歩と入浴。すると、ずぶずぶと男の子だけ湯に溶けていくのはなんなんだ? でも、棒きれを入れたら2人が元通り! 気になる元ネタ。
・意味不明な酔っぱらい女が隣家の麻薬製造所に入り込んで…は、ありゃなんなんだ? というか、製造所になってる家は2年間も怪しいおっさんに利用されているのに気づかないって、なんなんだ?
・得体の知れない老人・江本明。ローマ像を神と崇め、でも転んで仮死状態になってしまう。生き返りはしたけど、まだ生と死の間にいるせいか、この家の死んだ祖父母が見える! さらに、老人の葬儀が行われようとしていて、でも、生き返って後は、神と人との間の媒介者=教祖的存在となってしまうとか。理には叶ってる。
・葬儀や宗教的儀式にあるとき、隣家の怪しい連中が大麻や阿片が撒き散らされ、トランス状態になるとか。これまた原始的に理に叶ってる!
・トランス状態のなかで、意外な組合せで性行為が繰り広げられるとか。性行為は臨死体験とも言われているし。これも理に叶ってる。
・凸凹運送屋も、あれこれ主張の強い部下が、パーティで見かけた子に声をかけられず、逆に、上司がその子をモノにしてしまうという不条理。
・中国人の母子は、なんで? と思ってたけど、亡くなった祖父の愛人と隠し子で、あれこれ中国語でけなすことをほざき、何かというと、「伯父をバカにするな」というのがおかしい。
・老人が崇める庭のローマ風像と、ラストに映る西郷像。ともに目が光っていたけど、これから西郷像が動き出して東京を破壊する前兆なのか? とか。
・いつのまにか家の中にドトールが出展していて。店主は元妻・南果歩が不倫した相手で。その店に、この家の息子が就職するって、なんなんだ。ところで、最後に協力会社としてクレジットされてなかったような…。そもそも、怪獣の卵みたいな豆を使っているという設定だしな。ドトールのコーヒーは怪しい、とでもいっているのか?
・巨大になったコーヒー豆怪獣は、ローマ像と戦って、一瞬で破壊されてしまったけど、あれはどういうことなんだろ。
・他にも、主人の妹が乗り込んできて、全国自転車旅行中のイケメン男とセックスしたら、そいつは脱獄犯で指名手配中だとか、ヤクザがやってきて賭場を開き、主人のなけなしの壺まで巻き上げるとか、あれこれ、マンガみたいな展開がおかしい。
見ていてふと頭に浮かんだのは『ヘリウッド』かな。とはいっても、あっちのストーリーはまるで忘れてるんだけど、見た後のハチャメチャな印象とか。あとは落語の「頭山」。人の不幸をよそに勝手に人が集まって来て宴会を繰り広げる、というような骨子が似てる。その他は、よく分からない。
惜しむらくは低予算。映像にテンポが欠けるのは、撮り方と編集のせいもあるだろう。特機をつかってレールを敷いて、色んなアングルからの映像を小刻みにつなぐとか、ドローン撮影とか、フツーの映画でよくやってるあれこれを採り入れれば、きっともっとスムーズに映画の破天荒な世界に引きずり込まれたはず。みんなが踊り始めてミュージカルになったところは割りとテンポ良くまとまってたけど、全体にもっさりしたリズムなのが残念。
・古田新太は焼きそば焼いてるだけ? 踊ってもいたのか。セリフはなかったと思うけど。
100日間のシンプルライフ12/10ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/フロリアン・ダーヴィト・フィッツ脚本/フロリアン・ダーヴィト・フィッツ
原題は“100 Dinge”。allcinemaのあらすじは「スマホ依存症のパウルとコンプレックスを抱えたトニーは幼なじみでビジネスパートナー。しかしパウルは、自分が開発した人工知能搭載アプリ“NANA”を、トニーが金もうけの道具としか考えていないことが許せない。そして酔った勢いである勝負を持ち掛ける。それは、持ち物すべてを倉庫に預け、文字通り裸一貫の状態でスタートし、1日に1つだけ取り戻しながら100日間生活するというもの。こうして無謀なチャレンジを始めた2人は、案の定、倉庫の中の大量の所持品を前に、なかなか1つを選び出せず悪戦苦闘する。そんな2人の前に、ゴージャスな衣装を着こなす謎めいた美女ルーシーが現れるのだったが…。」
Twitterへは「優雅な話かと思ったらバカ話に近い感じ。背景とか経緯とかちょっと分かりにくくて、最後の方には知らん女の名前が登場したり。いまいちカチッと収まらないのが、うーむ。」
分かったような、よく分からないような、なんかスッキリしない感じ。というのも、2人がビジネスパートナーで会社を経営していて…というのが冒頭で説明されないからだと思う。始まりはパウルの起床シーンで、アプリのNANAと会話しつつのモーニング。このあたり『her/世界でひとつの彼女』を思わせるんだけど、パウルはただの利用者にしか見えないんだよね。で、2人は何かのコンテストみたいのに応募して、でもダメかとがっかりして帰ろうとしたら引き留められる。面接官ではなく、どっかの上司が見て、決断したとかいう感じ。NANAは400万ユーロで売れたという話だったかな。なんだけど、このあたりまで、2人が開発者で会社の経営者で、というのが分からないので、なんのこっちゃ? な感じで見ていた。
で、何かの修正が必要だったのか? しばらく期間があって、その間に2人の間に、飲んだ勢いでのよく分からん賭けが成立。何もない生活から1日1点持って来つつ100日間暮らし、負けた方はNANAの権利を失う、というようなことなのか。いや、いろいろアバウトすぎて、カチッと話が理解できんのよ。だいたい、このあたりでは、いまいち売れないプログラマと友人が手製のアプリを売り込んで大手に買われた? ぐらいにしか思えなくて、10人ぐらい社員のいる会社の経営者とは思ってなかった。やっぱり、最初に枠組みをちゃんと提示しないと、話も面白く転がって行かないと思う。
それと。この2人がなぜあんな賭けをするのか? ということも、良く分からない。(あとあと、トニーがパウルの好きだった女性アンナを奪った過去がある、と分かるんだけど、この話も突然、説明されるので、え? な感じだったりする。)でまあ、トニーはむかしからパウルの家の居候で、仲好しで育った、らしい。パウルは37歳で、トニーは2歳下の35歳。一緒に会社を立ち上げるほどの人が、なんでことあるごとに(この後も2人は、同じような博打的な賭けをするのだよ)賭けをするのか? よく分からない。
ところで、NANAを売った相手はFacebookのザッカーバーグを思わせるようなやつで、でも、これまた存在がアバウトすぎる感じ。しかも、最後には2人との約束を破って、独自のソフトとしてリリースしてしまうのは、ありゃ、あり得るのか? 西欧の契約社会では、首をひねるような展開なんだよね。
さて2人は裸一貫から、寝袋とかガウンとか、いろんなものを1点ずつコンテナ倉庫からもちだしていくんだけど、その描写は最初の方におかしみがあるだけで、その充実化、物の意味、役割、必要性なんかにはあんまり言及しない。シンプルライフについて、なんの考察もないんだよね。
さて、その倉庫群のひとつを訪れる怪しい女性ルーシーがいて、なぜかトニーがご執心。おいおい分かるんだけど、ルーシーは買い物アディクションで質素生活を厳命されていて、その反動であれこれ買った物を倉庫につめこみ、そこで快楽を得ているという設定。2人とはまったく逆だ。けど、彼女の存在は、物質欲の象徴だけで、ほとんど機能しないのが、底が浅いところかも。
トニーはルーシーに惚れ、寝るところまで行くんだけど、実は買い物アディクションと分かり、その借金6800ユーロぐらいを「払ってやるよ」というんだけど、彼女は逃げちゃっうんだっけか? 忘れた。
パウルが400万で売る、と決めたNANAを、トニーは1400万ユーロに吊り上げる。これも、トニーのディールの才覚か。これを社員で分ければ万々歳、と思っていたら、いつのまにか勝手に世界リリースされていて、あらららら。でも、NANAには仕掛けがしてあって、なんとかと質問すると、うまく動作しなくなっちゃうのか? このあたりも、分かったような分からないような感じで。あれで果たして復讐になるのかどうか、よく分からないのだった。
元の脚本が悪いのか、字幕の翻訳が悪いのか、よく知らんけど、どーも、切れ味の悪さしか残らなかったなあ。しかし、トニーの、人が好きなもの(たとえばパウルが好きだった女性アンナ)を、人が好きだからという理由だけで奪い取るような性格が分かっていながら、現在まで表面的には仲よくつきあい、会社まで一緒に立ち上げるというパウルの性格も、よく分からんのだった。
WAVES/ウェイブス12/14ギンレイホール監督/トレイ・エドワード・シュルツ脚本/トレイ・エドワード・シュルツ
原題は“Waves”。allcinemaのあらすじは「厳格な父に反発を感じながらも、恵まれた家庭で何不自由ない生活を送る高校生のタイラー。成績優秀でレスリング部のエリート選手、美しい恋人にも恵まれ、順風満帆かに思われたが、肩の負傷が発覚したことですべての歯車が狂い始める。家族の運命を大きく変えた悲劇から1年後。心を閉ざしていた妹エミリーの前に、すべての事情を知りつつ好意を寄せるルークが現れる。不器用ながらも優しさにあふれたルークに少しずつ癒され、やがて恋に落ちる2人だったが…。」
Twitterへは「前半はクズ男たちが登場する兄編で、これをA面とすると後半はB面な感じの妹編。最後はなんとなく方向が見えてきた的に終わってるけど、なにも解決してないだろ、これ。とくに父と兄はまだヤバいな。という変な感想。」「兄編は性悪説にもとづいてて、妹編は性善説でつくってるのかね。あと、画面サイズが変わる理由がよく分からん。オーロラみたいなもやもやも。」
見ててウンザリ、な前半の主役はタイラー。レスリング部で活躍し、恋人とはいちゃつき、父親を師とする練習には熱心。でも肩の故障が発覚。でも、それを父にも部にもいえない。という抑圧は、なんなんだ? 母親は、最後の方で夫(タイラーの父親)に、「あなたが追いつめた」っていうけど、そんなか? 常識的に考えれば、父親の期待に反することより、自分の未来だろ。18歳なんだから、自分で考えろよ、と思ってしまう。
いちいち口うるさい父親がうっとーしーのも事実。レスリングだけじゃなくて、ビジネス経営の視点から日々の行動に付いてまで細々指示をする。そんなの無視すりゃいいだろうに、根が真面目なのか。と思ったらつき合ってる彼女が妊娠し、不安がってるのに「大丈夫だ。俺に任せておけ。心配するな」といいつつ堕胎医に連れていき、でも彼女が「できなかった…」ともどってくると激高して「ファックユー」と罵りツバをかけるタイラーは異常すぎるだろ。ものごとを現実的に考えることができないようだ。でも、18歳だぜ、もう。のちに彼女とチャットし、彼女が「生む」と書き込んだことに激高して自室を滅茶苦茶にし、鎮痛剤だか大量に飲んで仲間と飲んでヘロヘロなり、夜中の風呂で妹に慰められるってバカか。さらに、妹もでかけた仲間のパーティに出かけ、見かけた彼女にあれこれ因縁つけ、激高して突き倒し、これで彼女は脳挫傷? で亡くなってしまう、という感情抑制できない性格なのか。
裁判の結果は、第二級殺人で終身刑で矯正施設行きで、30年後に仮出所の権利があるというもの。18歳の少年で、日本なら傷害致死で少年院で10年も経たずに出てこれるんじゃないのか?
妻は夫に「あなたがタイラーを追いつめた」っていうけど、あの程度で追いつめられるなら、真面目すぎだと思うぞ。フツーなら反抗するだろ。それもできずに父親の御機嫌取りをずっとしてたくせに。そもそもレスリングは自分で選んで父親に筋トレとかレスリング教えてもらってて、頭があがらないんだろ。だからって、父親の期待に応えないと、なんて思うようなタマじゃないだろ、タイラーは。もともと抑制が効かない性格なんだと思うぞ。
父親も息子のタイラーも、口にするのは自己正当化なんだよね。これ、アメリカ映画の特長。「聞いてくれ」「分かってる」「落ち着け」「なんで理解してくれないんだ」とか云々。自分に落ち度があると考えないのは、欧米流の思考法なんだろうな。
中盤でタイラーの話が終わってしまって、どうなるんだ? と思ったら、今度は妹のエミリーが主人公になって話が進む。おお、そうきたか。しかも、恋人ができて、セックスして…という展開はタイラーのときと基本同じで、背中合わせのA面B面のようだ。A面が性悪説なら、こちらは性善説か。兄貴が殺人犯で肩身が狭いエミリーに、白人の青年が接近してきて、デートを申し込む。とりあえず受けるけど、心中は暗い。これは、事実が判明したら青年が激高して別れるのか、と思ったら、エミリーは「兄のことを知ってる?」と早々に話してしまう。生年が兄と同じレスリング部なので、知っていると思ったのかも。そしたら、「知ってる」と。知った上でエミリーに接近、というのは、この子なら落とせそうという思惑があってのことなのかな。と少し勘ぐってしまうよ。それでも付き合いはうまく行き、なんと安心して見ていられることよ。初セックスも青年があっという間に終わってしまうのをやさしくエミリーがかばうとか、そんな描写いるのか? な感じ。ここで、もしかして妊娠…。かと思ったら、そういう展開にはならず、決して悪い方には流れないつくり。最後は、かつて自分を捨てた父親が末期ガンで、青年は会いたくないというのをエミリーが「会った方がいい」と説得して一路、クルマで病院へ。ちょうどいい具合に臨終前に間に合い、父と息子は血縁・涙の抱擁。すべて善意に解釈しているつくりごと感がA面のタイラーと対照的で、ここで前半のもやもやを昇華しろ、ということか。
しかし、こんな合わせ鏡みたいな状況は現実にはないわけで。これで何を言おうとしているのか、よく分からず。
・前半で、タイラーがエロビデオでマスかいてる場面とか、どういう意味があるのかね。あと、ネコがサカリついて腰を動かしてる場面とか も「?」なんだが。
・殺された娘の両親がちょこちょこ映るんだけど、声は取り上げない。ここが、少しモヤモヤ。罵声を浴びせるとか、怒ってくれれば納得できるんだけど。それに、タイラーの両親は被害娘の両親に、謝るとかなにかしたんだろうか? 日本映画なら土下座場面が決定だけど、アメリカ映画はそういうところを省いてしまう。もしかしたら、まったく接触してないのかもしれないけれど、裁判所では顔を会わせているんだからなあ、と思うのは日本人的な発想なのかな。
・画面。左右が切れてるな と思ったら、妹編のはじめの頃は天地が切れたワイドになり、いつのまにか全面になっていたり。さらに、シチュエーションの替り目にオーロラみたいなイメージがでてくるのは、はなんなんだ。
・後半のエミリーと青年との学校での会話で、「リップシンク」「即興」という言葉が出てくるのは授業の内容なのか。でも、なんのことやら分からんだろ、こんな訳じゃ。
サイレント・トーキョー12/15109シネマズ木場シアター7監督/波多野貴文脚本/山浦雅大
allcinemaのあらすじは「12月24日、東京。TV局に爆弾テロの犯行予告の電話が入り、恵比寿の指定の場所へと向かった来栖公太は、そこでベンチに座ったまま動けずにいる主婦・山口アイコと出会う。そして2人は犯人の巧みな罠によって実行犯へと仕立てられていく。その様子を謎の男・朝比奈仁が見つめていた。ほどなく、渋谷を標的とした新たな犯行予告が出され、犯人は首相との生対談を要求してくるのだったが…。」
Twitterへは「本来はもっと長かったのをザクザク尺を詰めたみたいな感じで、説明不足、意味不明、間尺合わないところが多すぎ。杜撰すぎてツッコミどころ爆発級だろこれ。それに、いくらなんでも、テロはダメだろ。」
映像として尻切れトンボなところがたくさんある。恵比寿で中村倫也が男と会う場面。その後、男は登場しなくて忘れていたんだけど、公式HPを見たら探偵、となっていた。は?
中村倫也のマンションをでてくる西島秀俊と同僚。どうやってこのマンションを特定したのかもさておきだけど(ただの偶然?)、中村が部屋に戻ると訪問客があって、これが西島と同僚で、でも、そこで何を話したかは描かれない。というか、どういう疑問を西島は抱いたのか? もやもや。あとは、西島秀俊の過去の事件とか、本庁でエリートの管理官とは同僚だ、という話も、では何があって? という疑問にも応えていない。他にもこの手の、よく分からないまま終わってしまう箇所はあって、なので、ほんとうはもっと長かったのをざっくりカットしてしまったのかな、と想像してしまう。でも、その割りにムダに情緒的なシーンがだらだら残されてたりして、どーも全体のまとまりがいまいち。
冒頭で合コンの場面。東京タワーが爆発するのは、現実か、いや、イメージだろう、とは思うんだが。このとき腕時計の時間が19時何分かだった。なので、次のシーンからは時間を遡ったのかと、思ったらどうやら違うらしい。混乱させる映像だ。しかし、ここでの大きな疑問は、クールな中村倫也が合コンに参加してることだな。そもそも中村が素っ気なく物事に無関心に描かれてることの意味もよく分からない。しかも、このとき出会ったOLを家に招いたりしている。なのに冷たい対応したり、わけ分からん。こういう態度が父親=佐藤浩市や母親・財前直見の再婚話に関係あるのかというと、これもよく分からない。
中村倫也は、自分たちを捨てた父親が突然現れた云々と西島秀俊に説明してたけど、その経緯が映像でチラリとあったけど、具体的にはさっぱり。で、ふと思うに、中村倫也は探偵を雇って父親=佐藤浩市のことを調べていたのか? 恵比寿で会っていたのは、その報告書を渡された? では、佐藤浩市は息子・中村倫也とは情報共有してなくて、共謀者ではない、のか。ではなぜ、渋谷での爆発で、ハチ公の30メール以内(だっけ?)に近寄らなければ安心、と知っていたのだ? 探偵の報告書には、一連の爆破事件のことまで書かれていたのか? そんなことないよなあ。報告書を見て中村が佐藤に接触し、企てを聞かされていた? であれば、その事実を警察に知らせるとかするべきなのでは? 知っていたのに伝えず、渋谷の事件を引き起こしたとしたら、取り調べも過酷になるはずだろ。あ、そうそう。探偵の報告を聞く前は、父親のことを知らなかったとしたら、恵比寿の爆発現場にいたのは、ただの偶然、なのかよ。
偶然と言えば、OLからの食事を断って渋谷ハチ公前をふらついていた中村を、広瀬アリスと同僚OLが見かけるというのも、偶然すぎるだろ。
で、渋谷の爆発。予告されてるのにバカが集まっているのは、昨今のハロウィン騒ぎからの想像だろうけど、ああいう祭とは話が違う。興味本位で近づくバカはあんないないだろ。というか、警察も、もっと厳しく道路封鎖するだろう。とはいえ、ハチ公近くのコインロッカーに仕掛けられていた爆弾を見逃すのは不自然すぎ。警察犬だけで済ませず、ロッカーの中味は業者に開けさせ、調べると思う。
恵比寿で、石田ゆり子に声をかけられ、しばらく行動をともにするテレビ局のAD君。自分が犯人、というビデオをYouTubeで公開するはめになるんだけど、次に登場するのが渋谷のビルの屋上で、爆発の様子を撮影していた。それを発見したのは、現場にいた西島で、AD君を確保するんだけど。AD君は顔晒しの後、渋谷のビル屋上までよくもたどりつけたものだ? そして、なぜ彼は自分の状況を警察なりに報告しなかったのか? 手首に爆弾を付けられていたから、というのもあるだろうけど。外す方法を警察なりに相談する手はなかったのか? というか、自分の命と、渋谷の人々との命とを秤にかける葛藤は、なかったのか?
避難所から、中村のマンションに行った広瀬アリスが、居間の座卓の抽出から、かんたんに何かの書類を見つける。あれは探偵の報告書か(クールな中村、マヌケすぎるだろ)。それをもって警察=西島に会い、西島は中村と接触し、佐藤浩市のアパートに無断侵入する。ここで見つけたのが、佐藤が飲んでいる薬で、エチアール? 調べたらエチオールというのがでてきたのでこっちかな。頭部がんの薬らしい。脳腫瘍なのか? でも、そういう説明はのちになかったよなあ。
佐藤は久しぶりに息子の前に現れ、計画を告げたのか? そうでもなけりゃ、探偵に調査なんか依頼しないだろうなあ。で、中村は西島に、あれこれベラベラ喋った? だったら、もっと早く警察に告げ口しろよ、な話だ。母親の再婚話に、父親の存在が邪魔になるからとかいってたような気がするけど、そんなことのために…? よく分からん息子・中村倫也。
で、佐藤と石田は東京タワーが見えるレストランにいるんだっけ? で、ここに西島ら警官と、ホテル抜けだしたAD君も来てなかったか? この場所を、警察やAD君は、どうやって知ったんだ? 佐藤と石田が、呼んだ?
ここら辺から、そもそも、の説明がはじまるんだけど。これまた曖昧。石田の亭主は元自衛隊なのか、国連軍で地雷処理をしていて、現地の子が「家族がみな死んだ。お前らのせいだ」といって自ら地雷を踏んで爆死した現場に遭遇し、考えが一変したらしい。それで妻・石田ゆり子に爆弾の知識を教え込み、自分は縊死。なんだけど、その石田は夫の意志を継ぎ、テロリストになるというのが飛躍しすぎてるだろ。いくら戦争反対でも、日本国内で無差別テロしても、なにも伝わらない。バカか。
そもそも佐藤浩市と石田ゆりこのつながりはなんなの? 石田の亭主と佐藤が知り合いだった? 石田と佐藤の共謀らしいけど、よく分からんぞ。
もっと分かりにくくしてるのは、石田ゆりこの若い頃を別人が演じていて、佐藤浩市の若い頃を別人が演じてること。似ていないので、混乱することはなはだしい。そもそも佐藤浩一は、いかにしてテロリスト仲間になったの? あー、すっきりしない。
同乗し、レインボーブリッジへ向かう石田と佐藤。東京タワーに仕掛けた爆発物の解除キーを石田が佐藤に伝え、佐藤が電話で後続の西島に伝える。ということは、佐藤は直接爆弾には関わってないのか? では、石田1人で恵比寿や渋谷の爆弾をセットした? 東京タワーも? どうやって!
で、この直後、2人の乗ったクルマはレインボーブリッジのガードレール超えて東京湾に…。なんだけど、いかにしてガードレールを飛び越えたか、教えてもらいたい。
・背景の役者が、書き割りのように動かない。地雷処理の場面で、背後にいる兵士は、突っ立ったまま。東京タワーの見えるレストランで、背景に見える2人の男はポーズが同じままずっと居る。不自然この上なくて、気になってしょうがなかった。・渋谷のスクランブル交差点が登場する。あそこを全面封鎖しての撮影は不可能だろうから、CG合成なんだろう。それはよくできていたけど、爆破シーンはちゃちいものだった。
・財前直美はどこにいた? 調べたら中村倫也の母親だった。ひぇー。かつてと違いすぎる。
ハッピー・オールド・イヤー12/22ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/ナワポン・タムロンラタナリット脚本/ナワポン・タムロンラタナリット
タイ映画。英文タイトルは“Happy Old Year”。allcinemaのあらすじは「タイのバンコク。デザイナーのジーンは、留学先のスウェーデンで学んだミニマルなライフスタイルを実践しようと自宅のリフォームを思い立ち、まずは家の中にあふれモノを何とかすべく断捨離を敢行するのだったが…。」
Twitterへは「タイ映画。北欧の生活スタイルに影響され断捨離を実行する娘の話。雰囲気は無印で、荻上直子が撮りそうなタッチ。家は広いんだから捨てることないのに、思い出まで捨てようとして火傷してる感じ。」
モノのない暮らしにあこがれる、はいい。でも、それがタイの娘ってところが引っかかる。偏見でものを言うけど、タイらしくないんだよね。ガパオもカオマンガイも、猥雑なカオサンロードもオカマも登場しない。ここ、どこ? な感じなのだ。ジーンの衣服は無印であつらえたようなシンプルな生成りのもの。住んでる実家もケバケバしくないし、ものがあるといいつつ、ほどほどに整理されている。韓国映画と言われても気がつかないだろう。友人のピンクが女性だけど坊主頭なのは僧なんだろうとは思うけど。全体のペースも淡々と、らしくない。まあ、偏見なんだろうけど。
モノを捨てる教師は、日本の作家の書いた本と、それに基づくビデオのようだ。そういうのが流行したことがあるけど、その影響なのか。日本と言えば、ジーンの兄の部屋に舞妓らしい着物女性のポスターが貼ってあった。日本は、そういうイメージで捉えられているのか。まあいいけど。
で、モノを捨てるには情を排除しろ、とか章ごとに字幕が出るんだけど、いちいち情に流されている。情を断ち切ってCDを一切捨てたら、ピンクが「これ、私があげたやつ」といって拾ってもっていってしまう。捨てるにも、モノの履歴を考えないといけないということか。というか、もらったことぐらい覚えておけよ、と思う。
だんだん気づくのは、ジーンがけっこう身勝手な女だということで。兄が捨てた襟巻が自分があげたモノだと言うことに気づき、自分のしている行為を省みるという場面もあった。とはいえ、いちばん大きなのは、母親のピアノを売り払ってしまうことだ。どうやら、家を捨てた父親の思い出で、かつて誕生日に父親が弾いていた記憶が兄にはあるらしい。その写真も残っていて、兄は壁に貼り付けている。母親は、誰も弾かないピアノにこだわり、「捨てるな」というのだけれど、兄とうまくしめしあわせて、古道具屋に引き取らせてしまう。声を張り上げ避難する母親。たとえ自分を捨てた夫のものでも、捨てられないものはあるのだろう。その気持ちをくみ取れないジーンは、それでいいのか? そもそも、ピアノの一つぐらい置けるスペースはあるだろう。母親の権利も残っている家の片付けを、ジーン1人で決めるということ自体も、首をひねってしまう。もっと母親の気持ちを汲んでやるべきだろう。
断捨離はいい。でも、そもそも、を考えてしまう。父親が楽器店だっけ? を経営していた、かなり広い家。1階は店舗跡で、そこに母親がだらだら暮らしている。二階にジーンと兄。兄はネット販売をしているようだけど、倉庫がなく自室に商品を置いている。だからなのか、ジーンの断捨離には反対せず、ジーンの言いなりで捨て始める。父親は、この家族を顧みないようで、ジーンがピアノの処分のために電話しても、勝手に処分しろ、といったらしい。でも、母親は、ピアノは置いておきたい。スペースは、ある。こう言う状況で、1階を自分のオフィスにするから母親に「二階へ行け」といい、なんでもかんでも自分の判断で捨ててしまう。それでいいのか? と思いつつ見ていると、やっぱりジーンは自分勝手にしか見えない。
そのうち、家の中に、借りて返さなかったモノがあることに気付き、返しに行く、というエピソードがある。あれなんか、いい加減の極致だろ。ズボラとしか言いようがなくて、どうしたって共感はできない。さて、ジーンはある家にカメラとフィルム郵送する。受け取り拒否で戻ってきたので、直接行ったら、相手が出て来て。どうやらジーンがスウェーデンに行くと言ったら、当時つき合っていた彼氏に「写真を撮ってきて」と言われて預かったモノらしい。でも、持っていかず、家においたままだった。という時点でいい加減なんだけど。
面白いのは、どうやら彼氏の家は歩いてもすぐらしく、送るとき郵便局員が、確かめたことだ。なのに、帰ってからも訪れていない。ということは、ジーンは彼を捨てた、ということなのか? でも、残っていたジーンの荷物を返してもらいつつ、訪問先の彼とは昔懐かしく話し、お茶かなんか淹れていたんだよね。喧嘩別れではないのか。で、彼には現在同棲中の女性がいた、と。
でこっから先がなんだか妙な具合で、あれこれ理由をつけて訪問したり、元彼が食事に誘ってきたり、仲好し関係がつづくというのが、よく分からない。振りはしたけど友だちとしての付き合いはいいのか? 今カノはどういう気持ちなんだ? と思っていたら、突然、今カノがジーンにTシャツをもってきて、返すという。それは実はジーンのTシャツで、今カノが昔の写真を見ていたらそれが分かって、でももそれを知らずに今カノも着ていて、ジーンがやってきて挨拶したときもそのTシャツだった、と。てことは元彼は知っていながら言わなかったわけで、それが嫌になったのか、今カノは家を出ていく、ということになったらしい。めんどくせえ関係というか、話だな。元彼はジーンに未練があったということなんか。うじうじしやがって。
というわけで、家は断捨離したけど心の断捨離はすっきりできず、なような話だった。断捨離しても、誰も喜んでいない。映画が終わっても、どこにも、なるほど、はなくて、スッキリしないのだった。
私をくいとめて12/23テアトル新宿監督/大九明子脚本/大九明子
allcinemaのあらすじは「脳内に何でも答えてくれる相談役“A”がいることでおひとりさまライフも苦にせず、それなりに楽しい日々を送っている31歳の会社員、黒田みつ子。ところがある日、年下の営業マンの多田くんに恋をしてしまう。“A”との平穏な日常が崩れ始め、戸惑いを隠せないみつ子だったが…。」
Twitterへは「『勝手にふるえてろ』の監督なので雰囲気酷似。もう1人の自分と相談しながら生きる奥手な30女の話で、解離性もありそうな感じ。とくにドラマもなくうじうじ勝手に妄想の2時間余りはそこそこ楽しいので退屈はしなかったけど、中味はあまりない感じ。」「良くも悪くも、能年玲奈の映画。以上。な、感じ。」翌日書いたのは「日常的には相談にも乗ってくれる幻聴と共存し、ときには解離性同一障害によって人格を乗っ取られる娘について、別人格からの視点を排除して描いたお話しだな、こりゃ。」という感想。
時間が経つにつれて、解釈が深まった感じ。といっても、翌日にはなんとなく分かったけど。で、見た直後の感想からいくか。
脳内の相談役とは、なんだ? たんなる思考の脳内処理なのか? と戸惑いつつ見終えて。1日たって、あれは幻聴か、と思いついて納得した。実をいうと後半に入って、多田君とうまく行きそうなのに柄にもないハイヒールと11万のドレスを買うシーンがある。次の場面ではどこかから帰宅後部屋で、みつ子はAに、歯科医がどうの、断るのに苦労したとか、趣味じゃないとか、突然消えちゃって、とかあれこれ文句をいうのが何だかよく分からずにいた。もしかして、多重人格? と疑ったけど、まったく人格が入れ替わるわけではないので、首をひねっていたのだ。で、今朝、ふと、脳内の声は“幻聴”か、と思いついというわけだ。幻聴というと罵詈雑言で自分を非難する他人の声、というイメージだったけど、みつ子の幻聴は本人と親和性が高く、相談役にもなってくれている、ということなのだろう。そして、いつもはみつ子が支配している身体をAが支配することもあって、そういうときは別人格になる。派手で社交的で、もしかしたら淫乱で、会費制の出会いパーティなんかにも出かける…。でも、これに関してまったく説明がない。これでは分からんと思う。はじめは、そんな行動に至ったのは、なぜか? 解離性同一障害もあるのか? という程度の理解だったんだけど、幻聴と共存してると考えれば説明がつく。これはたんなるコミュ障おひとり様な30女の話ではない。メンタルな障がいを持つ女性の話である
。さらに考えるに、みつ子は多重人格の相手Aと幻聴のような感じで会話できる状態で、たまにAに人格を乗っ取られることがある、ということなのかな。それと、飛行機で不安をなくすために吐きだした風船の文字とか、あるいは電線が楽譜になるとかは、彼女の幻覚なのかも。
最後は、多田君と南の島へ飛行機で。恐怖症があってドキドキだけど、イタリアのときのように1人ではなく、隣には彼氏がいる。これで多分、もう、Aは登場しないのだろう。日常の中に自ら引いていた一線を越えることで、みつ子の精神的な病は、ひとまず寛解したということなんだろう。
・いろいろセリフが意味深というか、解読に役に立ちそうだけど、ボーッと見てたので、あまりすんなりと頭に入って来なかった。ホテルで氷を取りに行ったときだったか、みつ子は浜辺でAの実体と出会い、話をしていたんだけど、内容は忘れてしまった。あそこにも多分、解釈に役立つ情報はあるんだろうけど、まあいいや。こういうとき、ビデオとか配信なら見返して理解が深まるんだけどなあ。くそ。
・男が欲しいけど言い出せないコミュ障女、にしては能年玲奈ば美人すぎる。これが、フツーがそれ以下のキャスティングなら説得力が有るんだが、能年玲奈じゃなあ。
・能年玲奈は、相変わらずの棒読み一本調子で、芝居になっていない。可愛いから見ていられるけど、演技は無理だ。何をやっても、能年玲奈だ。・もう1人の自分=Aという男性と対話するように独り言をいい、でもそれは人には聞こえないのか。自分の中で右か左か悩むとき、対立軸で思考を巡らすのか? ← これは見た直後の感想。あれは幻聴と分かったので、疑問は解消。
・30女が、多田君とホテルに泊まって、何を小娘のようなことを。もちろんみつ子の性格は分からんでもない。でも、久しぶりの恋愛、という話もあったし、付き合うのが初めて、でもあるまいに。もしかして、まだ処女なのか? 
・たぶん症状が発症する前は、少し奥手なだけだったんだろうな。それが発症後に、引きこもり=おひとり様になったのかも知れない。そもそも大学時代の友人はいるし、会社にも話し相手の女性同僚はいる。多田君とも街で会って話ができるし、家にも招き入れてる。つまりは、一線が超えられないということか。でも、なにかトラウマがあるような感じもしないし、側からはフツーの女子社員。男が近づいてこないようにも見えない。自ら拒否してる感じはしないでもないけどね。あれが病的に見えないのは、2つの人格の入れ替わりを極力見せないようにしているからだろう。
・みつ子のまわりには、会社も、商店街にも、変人ばかり。みつ子に見えるのは、この世界から外れた人ばかりなんじゃないのかな。なので、大学時代の友人がイタリアにいて、まだ交友関係がつづいているというのが、少し違和感。
。イタリアシーンもあるけど、まともにロケしてる感じはない。観光映像と、日本にあるイタリア風な場所での映像をつないでるんだろう。コロナ下なのでしょうがない。
・ホーミーの音で鍵が箪笥の上から落ちて、飛行場に行ける、はいいけど、そんなところにフツー載せないだろ。
・合羽橋、科博、ヒューマントラストシネマ渋谷、築地本願寺とか、知ってるところがドカドカでてくる。ところで、あの地元の商店街はどこなんだ? 足立区、という文字が最後の方で見えてたけど。エンドロールが早すぎて確認できなかった。※後でWebで見たら足立区関原らしい。
声優夫婦の甘くない生活12/24ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/エフゲニー・ルーマン脚本/エフゲニー・ルーマン、ジフ・ベルコヴィッチ
英題は“Golden Voices”。allcinemaのあらすじは「1990年。ソ連ではハリウッドやヨーロッパ映画の吹替えで活躍した声優夫婦のヴィクトルとラヤ。ふたりが第二の人生を送る地として選んだのはイスラエル。ところが新天地には声優の仕事がなく、いきなり窮地に立たされてしまう。そんな中、ラヤがやっとの思いで見つけたのは、なんとテレフォンセックスの仕事。夫に内緒で始めた仕事だったが、意外な才能を発揮してたちまち売れっ子に。一方のヴィクトルは、違法な海賊版ビデオでようやく声優の仕事にありつくのだったが…。」
Twitterへは「イスラエルはユニークな切り口の映画をつくる。『テルアビブ・オン・ファイア』しかり。まあ、そういう事情が現実にあってのことなんだろうけど。でこれは、大戦後にソ連から移民した夫婦のお話で、中味はタイトルがすべて語ってる。」
1980年ぐらいから、ソ連からユダヤ人が続々イスラエルに渡ったのだという。それまでの迫害から逃れるのと、夢の国への移住、なんだろう。その1990年組のお話し。2人とも60過ぎで、ロシア語しかできない。2人は学校でヘブライ語を習うけど、ヴィクトルはやる気がない。つてを頼って、先に移住した仲間を訪ねると、舞台俳優はどうか? と言われるけど、乗り気じゃない。ヴィクトルはソ連でゴールデンボイスと言われた栄光の日々が忘れられないようだ。なんとか見つけたチラシ配りも、少し歩いてへたばってしまうヴィクトル。一方のラヤは、声の仕事という新聞の募集に応募して行ってみたら、実はテレフォンセックスで、最初は「嫌だ」と断るんだけど、背に腹は代えられない。やってみたら、たんに若い女性のあえぎ声だけじゃなくて相談に乗ったり話し相手になってやったりで、人気者になってしまうというのが面白い。
ヴィクトルは、たまたま闇ビデオ屋を発見する。新作を映画館でビデオ撮りし、テキトーな字幕でコピーしてロシアからの移民に売りまくるらしい。しかも、2人がソ連時代の人気声優と分かると、じゃあ、ってなことでヴィクトルは張り切るんだけど、結局見つかって、仲間は逮捕。でもヴィクトルは館主に引き留められ、うちで正規の声優をやらないか、と持ちかけられる。館主は客が入りそうな『ホーム・アローン』見たいなやつを、っていうんだけど、ここでヴィクトルはフェリーニの『ボイス・オブ・ムーン』をやりたい、と主張。ほっとしたのか、新聞で見つけたテレフォンセックスに電話したら、電話口に出てきたマルガリータは、ラヤ。これで激高し、帰ってきたラヤに悪態をついて大騒ぎ。翌日、ラヤはテレフォンセックスの経営者宅に逃げてしまう。
ソ連で人気者で、フェリーニの『8 1/2 』も吹き替えたのかな。吹き替えた映画が国内の映画祭で受賞し、それを聞いて駆け付けたフェリーニと一緒に撮った写真を自慢にしているヴィクトルにとって、知的な映画はこれだ! くだらん映画はやりたくない! という気持ちなんだろう。でも、現実を考えたら分かりそうなもんだけどね。
ラヤの方は快調。吃音のお得意様ができて、毎日話してる。でも、電話代がかさんで、女房に見つかりそうなので、これが最後。だから会いたい、どこどこの像の下で待ってる、って言われ。経営者からは、プライベートで接してはダメ、って経営者の女性に言われてたのに、そっと…。結局気づかれてしまうんだけど、相手は「マルガリータになんて報告するんだ?」と、代理だと思い込んでいる。あれこれ楽しく歓談し、情にほだされたラヤが思わずキスすると、なにするんだ! なことになって。ラヤは声を変え、私がマルガリータよ! って捨て台詞を吐いてしまうんだよね。なんて残酷な。とは思うけど、ラヤの方も、愛されたい、という気持ちがたまっていたから、なんだろうな。
さて『ボイス・オブ・ムーン』だけど、かけてみたら、人はパラパラ…。と思ったら、突然の空襲警報。そういえば、マルガリータはガスマスクを拒んで持っていかなかった。なので、すっ飛んで取りに行き、テレフォンセックス事務所に行くと、マルガリータはおらず、「映画に行った」と告げられる。で、戻るとさっきまでいた映画館の広報に、マスクなしのマルガリータ。着けろ、嫌だ、でもめるうち、キスしてしまうヴィクトル。抱擁し返すラヤ。ふと気づくと、前方の観客全員が見ている…。で、夜の街をとぼとぼあるく2人。ここで俳優名がでてきて、つらい体験をして、また現実にもどっていく、ということか。と思ったら、2人は最初に住んだアパートを去って、海辺の街に越すらしい。今の仕事をつづけるのかな。別の仕事を探すのかな。よく分からないけど、まだまだ前途多難な感じ。
・流れているのは、男は頭が硬くて対応できないけど、女は柔軟で逞しいという見方。まあ、よくある設定だけど、必ずしもそうとは限らないと思うけどな。
・ソ連は、吹き替え天国なんだな。そんなに声優がスターなのかと、びっくり。
・引っ越した時からあった、得体の知れない部屋のボタン。最後まで、正体が分からない。もやもや。
ファヒム パリが見た奇跡12/28ギンレイホール監督/ピエール=フランソワ・マルタン=ラヴァル脚本/ピエール=フランソワ・マルタン=ラヴァル、チボー・ヴァンユール、フィリップ・エルノ
原題は“Fahim”。allcinemaのあらすじは「バングラデシュに暮らす少年ファヒムは、チェスの大会で勝利を重ね、いつしか妬みの対象に。折しも、情勢不安定な同国で、親族が反政府組織に属していたこともあり、一家への脅迫は激しさを増していた。身の危険を感じた父親は、8歳のファヒムを連れてフランスへと向かう。やがてパリに辿り着いた父子は難民センターに身を寄せる。早速父親に連れられチェスのクラブに足を踏み入れたファヒムは、そこでフランスでも有数のチェスのトップコーチ、シルヴァンと出会うのだったが…。」
Twitterへは「難民少年がパリのチェス大会(少年の部)に参加して、なサクセス話。あてもなく渡仏する父親もアレだし、息子も生意気。チェス仲間がみな好意的という設定でうまくいってるけど、フランスも博愛が過ぎると危険な気がしないでもない。」
バングラデシュでチェスは一般的なのか。まあ、むかしは英国統治下だからな。で、なぜか知らんが父とファヒムだけがフランスに向かうんだけど、その背景と経緯が芒洋としてる。反政府活動はちょっとしか出てこないし、どんな危険があったのかも分からない。ファヒムが妬みの対象になったというのも、ほとんど描かれない。フツーに見てると、父は息子に、チェスのグランドマスターに会わせてやるから、ということでフランスに向かったように見える。バングラからインドへ、は違法で出国し(国境警備員に金を渡せばOKなのかよ)、インドからは飛行機だったけど、パスポートとかビザはどうしたんだ? ボートピープルにならずとも、堂々と飛行機に乗れたのか? よく分からん。
しかし、父親は頼る人も相手もなく、なんでフランスなんだ? 仕事もなく、難民センターに助けられるけど、父親は1人でどっか行っちゃうし。もうちょい計画的に行動しろよ。あるいは、我慢しろよ、と思ってしまう。
そんな父親だけど、チェスクラブには連れていってくれて、ファヒムはそこのシルヴァンに認められ、授業料は免除なのか? で、仲間とともに学び始める。はいいんだけど、生意気なんだよね、ファヒムは。30分も遅刻して、でも「遅刻してない。30分ぐらい」と言い張ったり、自国の慣習をフランスでも主張したりする。難民なのに態度でかすぎだろ、と思ってしまう。
フツーなら1人ぐらいいじめっ子が登場するんだけど、クラブの子供たちはそんなことはせず、すんなり仲間に溶け込めてしまい、ファヒムの才能に敬意をもって接していたりする。そのせいなのか、傲慢なところも見えたりして、公開試合で相手に負けると握手もせず席を立ってしまったり、感情がそのままなのよね。バングラの山猿だな、これは。郷に入れば郷に従えよ、と思ってしまって、なかなか感情移入できない。成長=サクセス物なのに、これじゃいまいち、ワクワク感動は得られないよなあ。
シルヴァンはフランス大会の子供の部に参加させようとするんだけど、難民認定されて定住証明されないと、参加資格はない、と大会側から拒否される。でも、なんかよく分からないけど、昔のよしみであれこれやって、認めさせてしまうんだが、むしろ、フランスという国の心の広さを感じる方が大きかったかも。まあ、流れ的には当然優勝で、かつて大会で負けた相手に百日手での同率優勝なのかな。でもそれが報道され、大統領から特別に定住証明がもらえて万々歳、というラストだった。これも腑に落ちない。たまたまファヒムはチェスの才能があったけど、他の多くの難民たちはそんなこともなく、強制送還されちゃうんだろ? それって、差別じゃないのか? と。
・シルヴァン役はジェラール・ドパルデューで、クラブの事務のオバサンに、あれは惚れてるのか? よく分からんエピソードもあったりするけど、これもいまいちもやもやな感じ。

 
 

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