2021年2月

ヤクザと家族 The Family2/6109シネマズ木場シアター6監督/藤井道人脚本/藤井道人
allcinemaのあらすじは「1999年。両親を亡くし、荒れた生活を送る19歳の山本賢治。ある日、行きつけの食堂で、偶然居合わせた柴咲組組長・柴咲博をチンピラの襲撃から救う。やがて義理人情に厚い昔気質の柴咲は、自暴自棄だった山本に手を差しのべ、2人は父子の契りを結ぶ。こうしてヤクザの世界に足を踏み入れた山本は、初めて家族という居場所を手に入れる。柴咲組の一員となり、次第にヤクザの世界で男をあげていく山本だったが…。」
Twitterへは「主人公が家族に飢えてる様子がちっともでていないのでピンとこず。後半の、あれこれだいなしにするくだりは、バカすぎだろ。とかツッコミどころ多すぎ。カメラワークはなかなかいいけど。後半だけコメディでやると面白いかもと思った。」
新しいヤクザ映画という触れ込みだけど、とくにそんな感じはなくて。前半は旧来の伝統的ヤクザ映画で相変わらず。で、後半の出所後のヤクザを取り巻く環境はとても面白い。でも、このスタイルで何作も作れるわけでもなく、新たな流れとはとても言えない。むしろ、せっぱ詰まって後がないヤクザをコメディで描けばいいんじゃないかと思った。
オープニングの、バイクでやってきて斎場に入るまでの長い1ショットはスタディカムとクレーンか、日本映画らしからずで、いい。他にも、綾野剛が撥ねられるところとか、走行中に狙撃されてそのまま激突するところとか、なかなかリアルでカメラの動きもいい。とはいえ、いかにヤクザとなって人殺しをする羽目になったかまでの前口上のくだりは長すぎる。せいぜい15分でいいだろ。もしくは出所シーンから始めて、回想でインサートでもいいくらいだ。だって話としては後半の方が興味深いのだから。
そもそも山本の家族が出てこないので、彼が家族に飢えていたのかが見えてこない。顔が出てくるのはシャブ中で死んだ父親の遺影だけ。母親はまるででてこない。もちろん父を殺した覚醒剤を憎むのは分かる。けど、それ以上がない。
行きつけの焼肉屋はオモニの店だから在日なんだろう。そこの女主人の亭主が柴咲組の元幹部で、侠葉組の前の組長を取ったのかとか、その代わりに殺されたとか、という関係らしく。なので柴咲組の組長柴咲が面倒を見ていた、と。てことは、山本はチンピラを自称していても、まわりはヤクザだったってことじゃないか。
たまたま侠葉組の売人といざこざ起こした山本がたまたまオモニの店で柴咲を助け、臓器のために売られようとしていたところ、たまたまポケットに柴咲組の名刺が入っていたせいで命拾いし、柴咲に優しい言葉をかけてもらって杯を交わす、というのはまあいいけど、ここで“家族”を感じたというのは、ムリがありすぎだろ。
舞台は静岡の富士市? あの程度の町で組が2つでいがみ合ってる、っていうのもスケールとしてどうなんだ? と思いつつ見ていた。キャバレーだの飲み屋も、あんな派手なのあるのか? とか。
でまあ、前半はヤクザになって女もでそうになって、でも敵対する侠葉組といざこざが起こり、侠葉組の若頭を殺してしまうまで。なんだけど、侠葉組の加藤を殺るのではなく、若頭を刺すのはなんでなの? で、14年後に出所なんだけど、ヤクザ1人殺して初犯で14年は長くないか? でまあ、出てきてみれば法律改正でヤクザも自由がとれず、昔の幹部級が数人と若い衆が1人と、柴咲組はたったの5人しかいない。しかも柴咲はガンで余命幾ばくもない。駅南のショバは侠葉組の手に落ちて、1人の幹部は覚醒剤を売り、残る幹部2人はシラス(?)の密漁? あんなんで金になるのか? 
で、昔からの舎弟でいまは柴咲組をやめた細野のつてで産廃業者に職を得て、いまは市役所職員になっている女と再会するのだが、14年前にたった一度情を交わした女を 探して会って、あのときの子供がいるからとノコノコ家に入り込み、一緒に暮らすか? 
でも、細野と写った写真を同僚がSNSにアップし、そのせいで元ヤクザがバレて女は役所を辞め、娘も転校を余儀なくされ、山本も職を失ったんだよな。バカか、としかいいようがない。SNSが悪いんじゃない。そんなものに写真を晒すバカもないもんだ。フツーなら、むかしの女に近づかないだろ。たとえ娘がいても、遠くで見てるもんだ。家族が恋しかった? でも、家族への思いなんて、もともと描かれてないんだから、ちっとも伝わってこないよ。どこにも共感、同情できねえし。
とはいえ、いまどきのヤクザのシノギがあんな風というのは、興味深い。とはいえ、侠葉組の方は刑事とつるんで羽振りがいいんだから、なんとも言えないけど。
このあたりから顔を出してくるのが、オモニの店の、かつて子供だった翼で。これがまた、かつての山本みたいなチンピラになってる。めぐるよね、なのかね。で、父親を殺したのが加藤だと確信するという流れなんだけど、そんなの、母親に聞けばいい話じゃないのか? あるいは柴咲に聞くとか。で、山本と女の生活が破綻したのと前後して、翼が加藤と刑事の会食に乗り込んでバットでボコボコにすると。アホな行動としか思えないけど、それはそれでいいとして。その場面に山本の血だらけの姿がカットバックで入るのは、なんなんだ? 過去場面のインサートかと思ったらそうでもないらしい。示し合わせて2人でやったのか? よく分からないけど、翼だけ警官に捕まっていたな。
次の場面では、堤防にいる山本のところに細野がやって来て、山本を刺す。細野は「あんたがこなけりゃ」っていうけど、細野がオモニの店に自らやって来て出所祝いしたんだろうが。細野自身が「一緒に写真写ろう」って言ったんじゃないか。なのに、いくら女房子供が逃げたからって逆恨みでしかないだろ。もちろん山本を刺し殺す筋合いじゃない。なんの解決になるっていうんだ。アホか。
加藤と刑事をボコったことで翼は殺人罪か、と思ってたらくだんの堤防に翼がやってくる。 え、殺してなかったの? もう釈放? と思ったら山本の娘が花束もってくる。おいおい。いくら実父といえ、家庭をズズタにした張本人だし、家族のために命を投げうったわけでもないのに、花束? 転校先からやってきたのか? でもって翼に、「お父さんって、どんな人?」って聞くか? これに対して翼も「少し話そうか」だって。おいおい。娘がガキを好きになる筋書きか? やだよ、それは。娘の母親が嫌がるだろ、そんなの。な、気持ち悪い終わり方だった。
・女(尾野真千子)が登場する場面は基本退屈。逮捕前に交わってできた娘の話のため登場してるだけなのに、延々とコメディみたいなロマンス見させられて、うんざり。それにしても、女はヤクザが好き、というテンプレがあるのか?
・山本ら、最初にでてくるチンピラ3人は、1人は山本で、あと2人どうなったんだ? 細野(市原隼人)と、運転手で撃たれたやつ? なんか、顔がよく区別つかなくて、分からなかったよ。
花束みたいな恋をした2/10テアトル新宿監督/土井裕泰脚本/坂元裕二
allcinemaのあらすじは「京王線の明大前駅で終電を逃し偶然に出会った大学生の山音麦と八谷絹。好きな音楽や映画などがことごとく一緒で、たちまち恋に落ちた2人。卒業後はフリーターをしながら同棲を始める。お気に入りのパン屋を見つけ、拾った猫に名前を付ける。2人で一緒に楽しい日々を送り、そんな生活を守っていきたいと就職活動にも励む2人だったが…。」
Twitterへは「自分に重ねて感情移入する人が多そう。でもこれ、イラストレーター目指してた青年が数年で昭和のおっさん的価値観を身につけ同棲相手を縛ろうとする話だろ。粋な夜電波、押井守、下高井戸シネマ、小説家とか固有名詞の小ネタは面白いけどね。」「心ときめくのは一瞬。あっという間にしおれてしまう、ということかな。花束。」
冒頭の、ひとつのイヤホンを恋人同士で片方ずつ聴くことについて、たまたま同じ場面を目撃した2つのカップル(このときはまだ麦と絹は知り合ってなかったけど)の麦と絹が、うんちくを語り始めてしまうところで、なんだこいつら、と思ってしまった。いいんだよ、そんなことは。右chと左chの音が違うとかどうとか、そういうことじゃないんだよ、と。まあ、このエピソードと同じ設定がその後、麦と絹に発生し、嬉々ととしてひとつのイヤホンである曲を聞く場面がでてきて。色恋が絡んでくると、理屈じゃないのよ、ということは証明されるんだけど。
前半は、出会いと同棲と乳繰りまくりで、まあ、そりゃあそうだろうな展開。読んでる本も似ていて、見てる芝居や音楽も共通。映画の半券を栞にし、『魔女の宅急便』の実写化は「あり得ない!」という。深夜の喫茶店で「神がいた!」と2人が気づくのは、押井守。菊地成孔の『粋な夜電波』を聴いていて、早稲田松竹や下高井戸シネマが好き。麦はガスタンクの写真を撮りつづけていて、それをムービーとしてまとめるマニアックさ。履いてる靴も同じメーカーの白いスニーカー。てな感じに、具体的な固有名詞が次々と登場して相性の良さを見せつける連続はとても楽しい。けど、見てる方としては、どうやって別れさせるんだ? どんな事件が起きるんだ? ということしかない。もちろん、結末や経緯は知らずに見たんだけど、それしかないでしょ、この映画。始まってからずっと何のドラマもないんだから。
で、様相が変わるのは麦がやっとこ就職先が決まったあたりで。その日、絹はめったにしなかった同僚との飲み会に参加していた。絹にとって、麦とのいちゃいちゃだった世界が、変わろうとしていたわけだ。麦は、イラストを描くことをすっかり忘れ、仕事人間になっていく。絹は病院(?)の事務を辞めて、怪しいイベント会社に新天地を求めるのだけれど、これを麦が非難するのが、なんだかな、な理由なんだよね。事務は安定している、それが現実的、イベントなんかどうなるか分からない、と。絹は、ダメだったらまた考えればいい、というけど、そんないい加減じゃダメだ、なんてオッサン的なことをいう。もう完全なるすれ違い。麦は芝居や映画も二の次で、休日も仕事仕事。二人で書店に行っても、ビジネス本を手に取るようになる。そして、3ヵ月もセックスもなく…。うーむ、そういう展開か。なんだけど、麦の豹変ぶりは違和感ありすぎでリアリティ・ゼロだな。あんなサブカル好みの男が、ああまで昭和のオッサン的な仕事人間に代わるのが理解できない。
この後も2人は共同生活していくんだけど、この間に、昔の知り合いの写真家がDVで、彼女と別れた後、風呂で溺れ死んだみたいな、どーでもいいエピソードがあったり、知り合いが結婚することになったりして、でも、まだフツーに一緒に住んでいる。嫌い合っている感じではないのが、不可思議すぎ。思い通りにならない絹に愛想を尽かして殴るぐらいのことをするかと思ったら、ほんわかしてるんだよね。絹も、出てく! にならないのが理解できんぞ。
でまあ、知人の結婚式の夜に、かつてのファミレスに行って別れ話に。絹が別れ話を持ち出しても、「結婚しよう」と、以前から言っていたことをいいつづける。おかしいだろ。ともに共感するものが変化し、仕事や人生に関する考え方にズレが生じて一緒に過ごす時間が減り、セックスもしなくなっても、結婚して子供をつくれば幸せになれる、と麦は絹を説得する。おまえ、バカか。そのどこが幸せなんだ。妥協しながらどうのなんて、ジジ臭いことを20代半ばの青年がいうのかよ。このあたりで映画への関心はサイテーになった。麦をこういう人間に設定しても、だれも興味をもたんだろうよ。
近くの席では、かつての二人のように初々しいカップルが、かつての二人のようにイチャイチャとときめくような出会いをし始めている。この対比もわざとらしすぎではないのかな。
てなわけで、別れることを決め、でも、それから3ヵ月ぐらいは共同生活をつづけ、荷物を分け合い、猫のバロンはジャンケンで麦のモノに。で、それからどれだけ時間が経っているのかしらないけど、ある日、カップル同士で二人がすれ違う、という場面があるんだけど。麦の、夫が妻を養う、セックスがなくても子供がいれば幸せな家庭、カルチャーなんて二の次、という考えの変化を知ってしまった後では、麦の新しい彼女が気の毒になるだけだ。麦は、新しい彼女と、ビジネスの話でもしているのか? 芝居や映画、コンサートなんて行ってないんだろうから、つまんねえオッサンになってるだけだろ。としか、思えないのだった。
花束みたいな恋=花束の花はきれいだけれど、きれいは一瞬。根が生えてないから、あっという間に枯れてしまう。この恋は、そういう、見栄えだけのものでしか過ぎないよ、ということなんだろうけど。惚れた腫れたなんて、そんなものなのは分かりきっていること。一緒に住むなら、共通点なんて少ない方がいいんだよ。勝手にひとりで過ごせるような人の方がいいに決まってる。イチャイチャがずっとつづくなんていうのは幻想、ということぐらい、分からんのかなあ、と思ってしまうつまらん映画だったかな。
・絹は実家暮らしで、両親と姉と暮らしてる様子。父母は広告業界人なのか。にしても、絹の同棲に怒りもせず、ずいぶん経ってから2人の住む場所を訪ねてくる程度、という物分かりの良すぎる感じが、えー? な感じで。父親の方は、麦に「ワンオクとか聴くの?」なんて話をしたり。なんかな、な感じ。
・劇団や音楽関係で上がるグループはよく分からんものばかり。そっち方面は、最近ずっとアンテナ張ってないから。作家の名前も、分からん方が多かった。いまどき文庫本持ち歩くなんて、へんな若者だろ。
・麦はイラストレーター志望なら、描いたイラストをインスタとかでアップするとか、なにかに応募するとか、いろいろやれば良かったのにと思うけどね。
43年後のアイ・ラヴ・ユー2/11シネ・リーブル池袋シアター2監督/マルティン・ロセテ脚本/ラファ・ルッソ、マルティン・ロセテ
スペイン/アメリカ/フランス映画。原題は“Remember Me”。allcinemaのあらすじは「妻に先立たれ、LA郊外に一人で暮らす70歳の元演劇評論家のクロード。ある日、かつての恋人で人気舞台女優のリリィがアルツハイマー型認知症で高齢者施設に入所したことを知ると、自分もアルツハイマーのフリをして同じ施設に入所してしまう。そしてついにリリィと再会を果たしたクロードだったが、彼女はクロードとの思い出を完全に失っていた。なんとかして自分のことを思い出してもらおうと、毎日のようにリリィに語り掛けるクロードだったが…。」
Twitterへは「かつての恋人がアルツで施設に入ったことを知り、80のジジイがなんとかしようとする話。よくある設定だし演出も手慣れてないけど、見てしまう。残念なのはむかしの2人があんま美男美女じゃないことだな。」
孫娘と彼氏が登場する他は、ほほジジババとおっさんオバサンしかでてこない。こはいえ、高齢化、痴呆症、施設、介護なんかが身近になったいまでは、でてきておかしくない背景かもね。でも、設定と展開はありきたりで予定調和。でも、それがまたじわっとさせるのだから、こちらが歳を取ったということなんだろう。
かつての恋人がアルツで施設に入ったニュースを見て、なんとかしようと自分なら腰を上げるか? と考えると難しいところ。そもそも容貌は変わってるだろうし、記憶がないのだから…。まあ、そこは映画だから、現在のリリィはなかなかの美形でチャーミング。なので話になっていくわけなんだが、やっぱり難点は若い頃の2人を演じる役者に花がないことで。あと2ランクは上の魅力的な演技者を配して欲しかったな。でないと、いまにつながるロマンチックが見えてこないよ。
いくつかの不倫がアナロジーとして描かれているのも興味深い。まずは、娘婿の、副知事(だっけか?)が売春婦を買ったというスキャンダルがあって、娘の家庭はギクシャクしている。と思ったら、クロードは夫のいるリリィと逢瀬を重ねていたということも見えてきて。不貞を美化してもいるのだよ。あと、親友で隣人のシェーンの、スペインで出会った(だっけ?)という寄り目の女のエピソードは、あれはフツーの恋だったっけか? 忘れたけど。
てなわけで、あれこれ誤魔化してリリィの入所してる施設の同じフロアにまんまと潜入し、自分もアルツのフリをして接近するけど、リリィはクロードにまったく反応なし。なので、昔のことを話したり、昔のビデオを見せたりするけど反応なし。それが、リリィの好きだった百合の花に反応し、同時に送ったCDの曲(演じた舞台のだっけか)をいつも聞くようになって。そして、施設で上演予定の劇をまんまと孫娘の劇団に入れ替えさせ、かつてリリィが演じた芝居(題名忘れた)を上演させると、途中で科白に詰まった役者に代わってリリィが舞台に上がり、すらすらと科白を話し始める! という展開は、ミエミエの定番だけど、なかなか迫ってくる。しかも、これで記憶も結構戻ったらしく、その後はクロードのことを認識するようになるのだけど、実際にこんなことがアルツで起きるのかどうかは疑問符だな。まあ、映画だからいいんだけど。
とはいえ、施設の関門がユルユル過ぎだろ。潜入はまあいいけど、その後のクロードの行動を見てると、怪しすぎるジジイにしか見えんし。上演予定の劇団に連絡し、勝手にキャンセルし、孫の劇団を潜り好ませるとか、あり得ん! まあ、映画のウソとはいえ、もうちょいなんとかならなかったかな。
その孫の話だけど、ムリやり若い世代を突っ込んできてる感じで、ちょっと浮いてるところも。そもそも、娘の旦那が有名人で、その不倫がマスコミ報道され、孫娘が高校で浮いているとかいう話も中途半端な描き方だし。高校の劇団のイケメンに惚れてるという話も、取ってつけた感じ。娘夫婦の家庭問題を、もうちょい描き込めたと思うんだけどね。
隣家の友人シェーンの存在も、いまいち曖昧で。若い頃からの知人なのか何なのかよく分からん。まあ、コメディリリーフとしてちょうどいい感じではあるんだが。その、シェーンが最後に「彼女ででき」と見せるスマホの写真は、どういうこと? 昔の寄り目の女とは違うんだよね? どこでどうやってつくったんだか、よく分からんぞ。あと、売春婦だけじゃなくて、秘書にも色目を使ってるらしい娘婿の問題は、どう片を付けるのか。について描かれてないのも、うーむ。そして、クロードの記事を載せる代わり、娘婿の兇状を知らせろと言っていた雑誌編集のオバサンとの経過はどうなったのか? クロードの記事はウェブ掲載されたのか? とか、いろいろほったらかしなところも気になるところ。
それと、一番気になるのは、リリィの記憶が戻ったことに、リリィの亭主がクロードに礼を述べている場面があるのが、唐突すぎて違和感ありすぎ。いろいろ丸く収めるためかも知れないけどね。はたしてあの亭主は、かつての亭主なの? クロードがリリィの浮気相手だったって知ってるのか? いや、そもそも、リリィが「もう会わない」と決別してきた背景には何があったんだ? というのも、気になるだろうよ。うーむ。
天国にちがいない2/12ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/エリア・スレイマン脚本/エリア・スレイマン
フランス/カタール/ドイツ/カナダ/トルコ/パレスチナの出資らしい。原題は“It Must Be Heaven”。allcinemaのあらすじは「イスラエルのナザレに暮らす映画監督ESがふと思い立ち、新作映画の企画を売り込むべく訪れたパリとニューヨークで目の当たりにする不条理な日常の風景が軽妙かつエレガントな筆致で描かれていく。」
Twitterへは「笑えないショートコントみたいのを積み重ねつつ、フランス、アメリカと旅する無口なパレスチナ人監督の話なんだけど、とくにドラマもなく淡々とし過ぎてるし、知識がないと分からないのかも知れないような場面ばかりなので、少し寝てしまったよ。」
腹の出た中年おっさんが主人公。中東っぽい感じ。仕事もせず、毎日無言。隣家の息子が勝手に庭に入ってきて果実を盗んだり、木に水をやったりしてる不条理。その息子の父親は、怪しい話をしたり、スレイマンの家の前で立ち小便をしたりしている。わけ分からん。街中では、警官がカメラをもってる男から望遠鏡を取り上げるけれど、近くにいた青年が立ち小便したりガラスビンを壁に叩きつけても無関心。不条理? 観葉植物に水をやる、その近くに車椅子? と思ったら、その車椅子といくつかの段ボールを廃棄するのか引き取ってもらったのか。ということは、家人の誰かが亡くなった? とか、説明の少ない映像がつづいて、眠くなってくる。数分、沈んだりしつつ…。飛行機に乗る前辺りで、少し寝てしまう。その後にも2、3回、ふっと数分目をつむってしまった。なので、ちゃんと全部は見ていない。
なぜかフランス。宿から街に出ても人が丸でいない。逃げる男、セグウェイみたいな一輪車で追ってきた3人組とか、なんなの? 人を尋ねてくる日本人男女。なんなの? パレスチナ人のティーチインみたいなのに出席して壇上にいたな。じゃ、有名人? ほかにもインタビューの場面とかあったっけか? 忘れた。
と思っていたら、ニューヨーク? 空港からのタクシーで、どこから来た? に「ナザレ、パレスチナ」と応えるのが、唯一の、おっさんの科白なのかな。公園。天使、かと思ったら、トップレスで、その女の胸に描かれていたのはパレスチナの国旗だったのね。多分そうかなと思ったけど、後から調べた。スーパーにやってくる人たちはみんなマシンガンやバズーカをもっているとか。銃社会への皮肉?  車椅子のオバサン。それにしても警官に追われる場面が多いね。
どこかの会社のロビーの長椅子に座ってるおっさん。隣で若い監督が電話してる。「隣にスレイマン監督がいる!」と興奮気味に話していたけど、ここは映画会社で、オッサンの職業は監督なのか。そこに女性プロデューサーがやってきて、青年監督を呼んで、打ち合わせしよう、という。スレイマンには、またね、とだけ。受付の女性は、タクシー呼びます? スレイマンは相手にされていないみたい。
帰国すると、隣家の息子が、オッサンが植えたレモンの木に水をやっている。最後は、誰かと酒を飲んでいる場面だったかな。よく覚えてないけど。
少し寝たからなんとも言えないけど、おっさんが監督だってことは、ずっと分からなかったよなあ。ニューヨークの会社に行くまで。↑のあらすじにあるような、「新作映画の企画を売り込む」ことは、説明されてたか? あえて言葉や説明をしていないのなら、見ていて分からないのはしょうがない。パレスチナ、の定義もこっちはよく知らないし。調べたら、国家ではなく、地域らしいし。そういうことを知らないと、もしかして、描かれるすべてのエピソードの示すメタファーは理解できないのかも。だといたら、描かれる不条理がピンとこないのも仕方がないよね。
すばらしき世界2/16ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/西川美和脚本/西川美和
allcinemaのあらすじは「13年の刑期を終え、旭川刑務所から出所した元殺人犯の三上正夫。今度こそカタギとしてまっとうに生きるとの決意を胸に上京した彼は、身元引受人となった弁護士の庄司とその妻・敦子に温かく迎えられる。一方、小説家への転身を目指していたTVディレクター津乃田のもとに、やり手のTVプロデューサー吉澤からある依頼が持ち込まれる。それは社会復帰を目指す前科者・三上の密着ドキュメンタリー番組を制作するというもの。受刑者の経歴を詳細に記した刑務所の個人台帳である“身分帳”の写しに目を通した津乃田は、その壮絶な過去に怖気づきながらも、下町のおんぼろアパートで新生活をスタートさせた三上への取材を開始するのだったが…。」
Twitterへは「ぼーっと見てる分には飽きない。でも、それで? な感じで引っかかるところがない。『ヤクザと家族』の後半と同じ話で独自性ないし、『うなぎ』と似た設定で役所広司で刑務所歩きで笑いを取ろうとするのもなあ…。脇の役者も大物使い捨てな感じ。」「役所広司のセリフが聞き取りにくいのは博多弁もあるんだろうけど、あれじゃ分からんよってところもたくさんあったけどな。」
性善説で描かれていて、西川美和にしては“突っ放し”感がない。なのでなのか、出所後の元犯罪者の生きにくさを描いて、問う、みたいな感想があったりする。けれど、あんな男が身近にいたら、引くだろ。瞬間湯沸かし器みたいにカッとなって人を殺し、判決については今でも不服で、出所後のあれこれを面倒と感じると、津乃田に「やれと言われれば、いますぐにでも鉄砲玉でも何でもやる」と言い切るし、街頭でチンピラを見るとボコボコになるまで徹底的に痛めつける。もちろん周囲の目もあるし、ヤクザが生きにくくなったこともある。そして、三上の怒りは、弱い者いじめする連中に対してだから、正義感でもある。とはいえ、自分を制御できないのは気質(器質?)の問題でもあると思うので、矯正施設ではそうした面の治療・育成も大切なのではないのかね。
いちばん興味深かったのは、刑務所でもたびたび暴力沙汰を起こして裁判になって(だったかな?)、本来なら閲覧すらできない自分について職員の書いた「身分帳」を証拠として提示する(だったかな?)ため、それを自分用に書き写した、というところかも。そんなことができるんだ! 驚き。
三上は出所して堅気になろうと足立区(この手の暗い話のとき、なんでいつも足立区なんだろう)のアパートに住み(敷金礼金はどうしたんだろう? 身元保証人の弁護士が負担したのか?)はじめる。持病の高血圧で安静を求められ、生活保護を申請し、本来なら元ヤクザには認められないところを、身元保証人の知恵もあって認定される。自分ができるのは運転ぐらい、なら運転手がいいかも、ということで免許の交付依頼に行くと、期限切れ過ぎて1から取り直しといわれる。一発合格を目指すが、腕がさび付いてまともに運転できない(なんてことがあるのか?)。それではと教習所に行こうとするが、費用がない。国に申請すれば仕事のための学校に行くならお金がもらえると知って役所の窓口に行くけれど、それはムリ、と言われてしまう。
いろいろ壁が多すぎるのは分かる。けれど、それを取っ払って三上の言うとおりに世話を焼いて資金を提供するようになったら、それを悪用する連中がうじゃうじゃ湧いてくるに違いない。悪用を選別するのは、なかなか困難だ。役人の数が少ないし、そうそう面倒も見てられないだろう・・・。
と、思うのだけれど、この映画の役所の窓口は不思議なくらい親身になってくれる。本当にあんなことまでしてくれるのか? さらに、スーパーの店長も、三上が元犯罪者と言うことを知っていたからなのか間違って万引の疑いをかけてしまい、謝罪の後、店長の父の出身地が三上と隣同士と言うことでベタベタの関係になり、いろいろ世話を焼いたり声をかけてくれるようになる。テレビ局の依頼されて取材を開始した津乃田も、次第に感情移入し始め、身の上話もするようになるし、三上の母親探しも懸命にするようになる。身元保証人の夫婦もやさしいし、元妻も、今度会おうと言ってくれる。元義兄弟のヤクザなんか、それはそれは厚遇してくれる(一瞬だったけど)。みんないい人ぱっかり。これを見てると、世間は冷たいなんていえないよね。世間は本来的に暖かく元犯罪者を見守っている。問題は、不器用な三上本人じゃないの、と思えてくるのだよね。だからこそ、怒りを鎮める訓練が大切だと思うのだよ。なかなか難しいとは思うけれど。
というなかで、1人だけ極悪人がいて。これは長澤まさみ演じるテレビ局のプロデューサーなんだけど。視聴率しか頭にないテレビ屋のテンプレみたいな感じ。三上がチンピラを殴る蹴るの場面を津乃田が撮りはじめて、でも、ヤバすぎると逃げ出したら、津乃田を追いかけ罵声を浴びせる。仕事をするなら最後まで撮れ、善人ぶるなら割って入って止めろ、というようなことだったか。彼女だけでなく、脇を演じる役柄が、みな記号的な動きしかしないんだよね。そういう意味で、大物役者の使い捨て、とTwitterには書いた。
長澤まさみのプロデューサーなんか、テンプレ的な存在なのに、ムダに意味深な仕草をしたりする。たとえば、津乃田が撮った三上の映像を並んで見てるとき、津乃田の膝に馴れ馴れしく手を置いたりする。津乃田は、ギク、としてるんだけど、津乃田が彼女に惚れていたとして、この映画の筋とどういう関係があるんだ、っていうことよね。他にも、三上、津乃田と焼肉屋に行く場面なんか、白いノースリーブでムダに巨乳アピールするし、津乃田を追って転げたとき、下肢が艶めかしく露出されてたり。意味ないだろ。
いろいろうまく行かない三上は、後半、自力更生をあきらめたのかどうか知らないけど、かつての義兄弟に連絡し、九州なのかな、へ。歓待を受けるけど、それは義兄弟のメンツで、もうヤクザのシノギだけでは暮らせず、運送業や造園業をいとなんでる様子。でも、ちょっと釣りしてもどってみると、警察がやってきていてもめ事の様子。自分も割って入ろう、というところを、「あんたはやり直しがきく」とお内儀さんにとめられ、ふたたび東京へ。というくだりは『ヤクザと家族』の後半と同じで、反社が生きにくい渡世になったというネタなので、いまいち新鮮味がないかも。で、津乃田に紹介されたのか、介護職に職を得てというくだりは復活の端緒を得た感じでなかなかいいんだけど、今度はどこで躓くんだ、という見方しかできなくて。職員による知恵遅れのバイト青年いじめで爆発! という映像はイメージで、三上は心を鬼にして関与せず、という表現は、なるほど。さらに、その後、いじめてた2人の職員とバイトのオバサンらが知恵遅れ青年を小馬鹿にしたり、この施設は元犯罪者が多い、なんていう会話の中にまじってしまい、とまどっている三上の表情が興味深かった。でも、それも流すことができて、少しは我慢を覚えたんだろう。元妻から電話で、「こんど娘も連れていくけど、デートしよう」と言われてウキウキ気分で終わるのかと思ったら、最後は心筋梗塞なんだろう。アパートで孤独死、で映画は終わる。まあ、これからっていうところで、という感じなんだろうけど。最後の20分ぐらいは多少感情移入ができたけど、でも、あのままならどこかでいつかは爆発したかもしれないからな。
というわけで、話は山あり谷ありだけど、そーですか、はいはい、それで、というような感じで、何かが刺さるようなところはなかった。西川美和も、だんだん丸くなってきてるのかね。
・最初の方で津乃田が「身分帳」を読むところがあって、「出生」を「しゅっせい」と読むところで萎えた。だれか教えてやれよ。
・足立区から自転車で水神大橋を渡って介護施設に通うんだが、水神大橋のたもとにリハビリセンターがあるんだよな。まあ、映画みたいに畑もないけど。あんな牧歌的な施設、東京にはないだろ。
私は確信する2/18ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/アントワーヌ・ランボー脚本/アントワーヌ・ランボー、イザベル・ラザール
フランス/ベルギー映画。原題は“Une intime conviction”。裁判上の用語で、内的確信(心証)のことらしい。allcinemaのあらすじは「2000年2月、フランス南西部のトゥールーズ。3人の子どもがいる女性スザンヌ・ヴィギエが忽然と姿を消した。やがて夫のジャックが殺人の容疑で逮捕される。メディアがセンセーショナルに取り上げる中、第一審では確たる証拠がなく無罪となるも、検察は控訴し、第二審が始まろうとしていた。そんな中、シングルマザーのノラは、息子の家庭教師がジャックの娘だったことがきっかけで彼の力になりたいと立ち上がる。敏腕弁護士のデュポン=モレッティに弁護を懇願し、自らも助手として250時間にもおよぶ通話記録を丹念に調べ始めるノラだったが…。」
Twitterへは「被告人の無罪を信じて弁護を手伝う女性が主人公で、そこそこ面白い。でも実際の事件を元にしてるのに、この女性がフィクションってのはありか? いや、それ以前に元々の裁判自体がザルで、死体もないのに推測で有罪にしてるのはおかしいよなあ。」
フランスの法廷の話なので、よく分からないことも結構あって。さらに、この事件の経緯も「?」なところがあるので、素直に話に入れない。なことを考慮してか、冒頭で日本語の説明文が入るんだけど、それも舌足らずだから、「なるほど」にならないんだよね。一審で証拠不十分で釈放になりながら、なんで10年後に再審=二審が始まるんだ? よく分からない。
あと、この映画の特長として丁寧に説明せず、どんどん人が登場したりするんだけど、短いカットつなぎで、誰だか分からん人や情景もインサートされるから、めまぐるしすぎて、あたふたする。そして、名前だけが科白に登場することも多いし。で、いちばんの難題は、事件の背景のことで。おいおい分かってはいくんだけど、裁判所から弁護士に提出された通話記録は、誰のものなのか、当初は分からず。そのうち、ヴィギエの妻スザンヌの愛人男性があちこちにかけまくった電話の通話とわかりはするけれど、そんな背景は最初に教えてくれよ、な気分になった。ノラとヴィギエの娘の関係とかも最初は「?」だし。まあ、そういう手法が好きな監督なんだろうけど。もっとじっくり描いてもバチは当たらんだろ、と思うんだが。
で、整理すると。ノラは一審でこの事件の裁判員だった。なぜかジャックの娘はノラの息子の家庭教師だった。二審が始まり、ノラは勝手にモレッティに弁護を依頼する。モレッティは断るけど、その後ノラに「ボルドーに来てくれ」という男の声の電話があって、なぜかモレッティが引き受けることになったらしい。この経緯はバッサリなくて、あの電話はモレッティ? なぜ引き受けることになったの? は分からずじまい。
でまあ、手伝いたいというノラにモレッティは通話記録のCDを渡し、書き起こしを依頼する。けれどノラは内容分析を始め、矛盾や疑問を発見していく。モレッティはノラの発見をヒントに公判で証人を次々追いつめ、嘘を暴いていく。途中、一審で裁判員だったことがモレッティにバレて縁切りになるけれど、ノラのノートがモレッティに渡り、さらなる追求が功を奏し、噂をバラまいてジャックが犯人、と広めたスザンヌの愛人デュランデが嘘八百男だと暴いていく。
ノラの入れ込みようとがんばりで裁判はジャックに有利に進んでいくように見える。レストランのシェフで母子家庭のノラが、仕事そっちのけでCD起こしと推理に没入していく様子は、スリリング。ノラの視点が裁判で有利に働くと、見ているこっちもカタルシスを感じる。その一方で仕事場を追われたり。がんばれ、とは思うんだけど、映画の中では有罪無罪は五分五分な雰囲気のまま、というのが解せないんだよね。あとは、偏屈な裁判官とモレッティの確執もあったりして、さてどうなるか。結末は知らないので、この流れなら無罪だろ、と思いつつ、映画としてのどんでん返しもあれば有罪になるか、あるいは、無罪になるけど、実はやっていたというようなオチがぶら下がりでついてくるのかな。どうなるのかなと思っていたら、フツーに無罪で終わってしまって、よかったよかったとは思いつつ、でもちょっと物足りないかも。
というわけで、陰でがんばる素人のオバサンが裁判の行方を左右する、という話としてはドキドキワクワクも多くてなかなか没入できる。のだけれど、ラストに、この映画は事実ベースだけれど、ノラの存在はフィクションである、という字幕がでてきて、おいおい、な感じになってしまった。それじゃ事実ベースじゃないじゃん。実際に担当した弁護士は、この映画をみてどう思ってるんだろ。手柄を奪われた、って思わないのかな。気になるところ。
は、さておき、そもそもの事件がうさん臭すぎる。ジャックを犯人とした警察の判断も変だし、証拠不十分で無罪になったものを、なんで10年後に再審なんだ? というところの説明がないので、どーも落ち着かない。人物の掘り下げがあるのは、ノラと息子、恋人の黒人、弁護士モレッティぐらい。裁判官は、あんな感じでいいかもだけど。被告人ジャックとか怪しい愛人デュランデは記号的なんだよね。ジャックの娘も、飾り的な扱い。愛人をつくって家に呼び込みやり放題だったスザンヌなんか、登場すらしない。
過去にこだわらず、法廷劇で押したい、ということだったんだろう。でも、事件とその経緯に興味をもてば、物足りないところだ。とくに、「ヒチコック狂の完全犯罪」と謳っているのに、ジャックの思惑や手口がまったく見えない。せいぜいジャックがヒチコック好き、という程度で拍子抜け。具体的にあぶり出されてくるのは、怪しい愛人デュランデの自己正当化、ジャックへの憎しみ、嘘に塗り固められたような人格ぐらいで、デュランデに迫ることはないのだよね。あとは、デュランデに言い含められたベビーシッターとかの偽証程度で物足りない。
で、無罪判決の後、スザンヌは発見されていないし、デュランデが起訴されてもいないらしい。妙な事件だけど、まだ関係者が存命なのに、こういう一方的な視点からの映画が公にされるのって、いいのか? と思ったのだった。
・裁判長が「行為のみを裁くのではなく、人格も見て欲しい」的なことを言うのが、えええっ! って思った。日本の司法は、基本的に人格なんて見ないよなあ。
・裁判も佳境に入って、モレッティは通話CDの書き起こしをノラに頼り切ってるけど、当初「忙しいから」と言っていたスタッフに命じてもいいんじゃねえの? と思った。あれは、ノラを陰の立て役者に仕立てるためだな。
マーティン・エデン2/22ギンレイホール監督/ピエトロ・マルチェッロ脚本/ピエトロ・マルチェッロ、マルリツィオ・ブラウッチ
原題は“Martin Eden”。allcinemaのあらすじは「貧しい船乗りの青年マーティン。ある日、ひょんな成り行きからブルジョワ階級の令嬢エレナと出会い、その気品あふれる美しさの前に、たちまち恋に落ちる。無学のマーティンは、教養あふれるエレナに少しでも近づきたいと読書に目覚め、やがて独学で作家を目指すようになるのだったが…。」
Twitterへは「説明が少なく、だらだら大雑把に話が進む。だから、なに? な映画だな。あとからジャック・ロンドンの自伝が元になってると知って、ふーん。それにしても、全体に古くさい感じで、70年代映画のリバイバルかと思ったら違うのね。」
ジャック・ロンドンの自伝的小説をイタリアに置きかえたものらしい。そういえばそんな解説をチラリと読んだ記憶が。でもすっかり忘れてて。変な映画だなと思って見てた。テイストが、70年代のアート系シネマみたいなぶっきらぼうな感じで、説明を極力排除してる。画調はくすんだオレンジで、ときどきピンも合ってない。フィルム撮影なのか。というか、4〜50年前の映画をデジタルリマスターしたような感じなんだよね。エンドロールに2019ってあって、へー、って思ったけど。で、場所は、最初アルジェリアあたりかと思ったら、イタリヤ本土なのか。時代は、60年代風だけど、戦争がどうのという話もあったりして、もしかして戦前? にしては服装も電化製品も違うようなあ、なんて見てた。
貧民街育ちのマーティンは色男で、女の方から寄ってくるようなハンサム。この日も一発やって波止場で朝を迎え、騒ぎの音に目を向けると青年がオッサンに首根っこを押さえつけられてる。これを助けて家まで送っていったら上流階級のお坊ちゃんで。ここの娘エレナに惚れてしまう、というのが発端。でも、会話表現も上手くできないのに本好きで、でもエレナに「あなたは教養が不足してる」といわれて文法書を与えられ、揚げ句は「作家になる」って宣言するのがアホ臭い。いくら小学校もろくに出てないからって日本語話せない日本人なんていなかったし、だからって日本語文法書読む日本人なんておらんだろ。
ときどき肉体労働して金を稼ぎ、本を買う。姉の家に居候してたけど金も入れないので姉の亭主に追い出され、郊外の部屋を借りてそこで執筆活動に励むけど、送った原稿はそのまま返送される毎日。てななかでエレナと恋が芽生える、っていうのも、なんで? だよな。エレナって、バカか? 男経験が少ないようだけど、だからって下層階級の無教養な、顔だけいい男に惚れるなんて。
マーティンはエレナに迫るけど「あなたの書く物は売れない。だから一緒にはなれない」と腰がひけてる。(実は、姉にも、暗い話ばかりね、もっと明るい話を書いたら? って言われてたけど)。なので生まれ育った貧民街へ連れて行くんだけど、エレナは腰がひけてしまう。
この過程で、マーティンの社会主義活動への関与があるんだけど、これがまたよく分からんのよね。本人は大して関心がなかったはずなのに、たまたまエレナの家のパーティで出会った老人ブリッセンデンに焚きつけられ、討議会場の壇上に上がって一席ぶつんだけど、組合に敵対する労働者階級の姿勢を揶揄するようなもので、曰く、資本家を倒すと息巻く組織にもそのうち権力者が誕生する、というようなことを言い、ブーイングの嵐になる。で、そのときの様子が新聞記事になり(ブリッセンデンの企みかもしれんのだが)、これが話題になってしまう。マーティンは、活動家として注目される存在なのか? どーも、そうは見えないのよね。翌日エレナの家の食事会に参加して、テーブルに着いていた法律家にあれこれ言われ、反論してたらエレナに諫められ、席を蹴ってしまう。後日反省したのかエレナに会いに行くも、居留守を使われ家政婦に追い返されてしまうし。みれで破局?
送り返されてばかりの原稿だったけど、ついに雑誌掲載するという返事がきて。20万リラだったかの原稿料を得、ほくほくのマーティン。と思ったら、話が一気に飛んじゃうのか。野外演劇に出演してて、疲れて部屋に連れ込まれるんだけど、このときいた女性マルゲリータは、映画冒頭の行きずりの女(ウェイトレスもそうなのかな)なのか。あと、小柄な男ニーノは、誰これ? なんだけど、もしかして肉体労働してるときに出会った男? よく分からんよ。再会の場面もないし。でもって編集者はいるし、秘書の女性もいたりして、いつのまにか大作家になってて。おやおや。この間、ハードカバーが刷られる映像もあるけど、それだけじゃなあ。
この前後にブリッセンデンとの交流はあって、でも肺病なのか寝たきりになり、ある日、自死してしまう。で、あとから分かるんだけど、ブリッセンデンは詩人として有名だったのね。そんな描写はほとんどないぞ。そういえば彼はマーティンに、下層の女とつき合え的なことをいってたかな。文学者になるには上流階級のお嬢さんじゃなくて、みだらな女の方が糧になる、ということか。なんか、いまどき、こういう話はフェミニストに嫌われるんじゃなかろうか。
で、ますます有名になるマーティンだけど、最初に原稿が売れてから、何年経つのかよく分からん。アメリカ行きが決まり、久しぶりに姉に会いに行くと、亭主の商売は好調で、かつてマーティンに悪態ついた亭主も上機嫌っていうのは、まあ、よくあること。金の力が人を帰ると言うことだ。けど、当たり前すぎてつまらない。
な、最中の講演会には、だらだらした恰好で行くけど、しだいに声を張り上げ、あれこれ演説。質問にも軽妙に応えていく。聴衆の中には、エレナの姿もあったりして。マルゲリータもいたけど、ふて腐れた表情だったのは、なんで? と思っていたら、なんとエレナが部屋に入ってきて。あれからずっとマーティンの姿を追いつづけていて、有名になったから、なのか接近してきて。「父が、法律家との縁談を勧めてきた」とかいうんだけど、でも、すげなくあっち行け! と言われてしまう。まあ、ダメな女、だよね。でも、一緒になっても、マーティンには振られてたと思うけど。ところでかつて彼女が描いたマーティンのスケッチは部屋に飾ってあったから、あの部屋は自室なのか。出世したもんだ。
窓から下を見ると、クルマに乗り込もうとするエレナの横を、みすぼらしい男が通りかかる。その男を追うマーティン。こっから後は、映像も散文的で、意味がよく分からない。カバンを提げ、だらだら波止場を歩くマルゲリータは、一緒にアメリカに行くんだったか、でも、表情は沈んでる。マーティンは、みすぼらしい恰好で浜辺に座っていて。は? もしかして、マーティンが売れたのは幻想? 一炊の夢なのか? と思っていたら、小柄の爺さんが「戦争が始まる!」って叫びながらやってくる。 いつの戦争だよ。喪服で黒レースのエレナが一瞬映る。マーティンは、波の荒い海に入り、波に向かって泳いでいく…。 で、終わりなんだけど、意味不明が多すぎて、うーむ、な感じ。ジャック・ロンドンは自死したらしいけど、それを示唆しているのか?
・やたらニュース映像が挟まれる。冒頭の、演説する爺さん。踊る子供の男女。沈む船。その他たくさん。ありゃなんだ? 過去のマーティンなのか? 状況のメタファーなのか。なんだか分かんねえよ。思わせぶりすぎ。
・マーティンが何を書こうとしていたのか、ちらっとサワリの詩しか出てこない。大半の原稿が送り返されてきたのに、一社だけ掲載した理由が分からんし、それがまた人気になって大作家になっていった経緯も分からんので、説得力はまるでなし。
・人物が突然登場し、たいした説明もなく消えていき、また登場したり。書き割り的にしか描かれない。こういう映画は苦手。
・最初の方で、オバサン2人にイタリアの歴史を尋ねられ、できなくて、「小学校からやりなおし」なんて言われてた場面。ありゃ何の面接なんだ?
・女に、約束は守ってくれないと、なんて言われていた場面。なんだ? と思っていたけど、のちに原稿が売れて金を持っていく場面があって、食料品店の女かと分かる。けど、食料品店でツケで買っていた、という場面がなきゃ分からんよな。
ある人質 生還までの398日2/25ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/ニールス・アルデン・オプレヴ脚本/アナス・トマス・イェンセン
デンマーク/スウェーデン/ノルウェー映画。原題は“Ser du manen, Daniel”。allcinemaのあらすじは「怪我で体操選手の道を諦めた若者ダニエル・リューは、ずっと夢だった写真家になることを決意し、やがて戦時下の日常を世界に伝えたいと内戦中のシリアに渡る。戦闘地域には近づかないよう注意していた彼だったが、突然男たちに拉致されてしまう。ダニエルが予定通りに帰国しなかったことで異変に気付いた家族は、人質救出の専門家アートゥアに連絡を取る。彼が誘拐犯を突き止め接触を試みると、身代金として70万ドルを要求される。しかし、デンマーク政府の方針は、テロリストとは一切交渉しないというもので、家族は70万ドルという大金を自分たちだけで用意するしかダニエル救出の道はなかったが…。」
Twitterへは「身代金要求のためISに掠われた青年の話で、淡々と進み過ぎな感じ。どうせならデンマーク青年と米国人の2人主役でもよかったんじゃないのかな。あと、似たようなヒゲ男が幾人も出て来て、誰が誰やらわからんところもあるぞ。」
後から知ったけど、監督はテレビ版『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』の演出家らしい。
シリアの人質の話なのでじめっとねっとり陰湿で息苦しい感じかと思ったら、からっとサッパリ淡々と薄味な感じで、臨場感もいまいち。手に汗握ってハラハラするような場面はほとんどなかったかな。人間を掘り下げて描くというのもあまりなくて、せいぜい、最後に米国で、同じ人質だった男性の葬儀に出席するところぐらいしか、情緒的なところがなく、経緯を見せていく感じ。
主人公はダニエルという元体操選手で、怪我をしてから写真家のアシスタントになり、その後単独でシリアに行った、と。同時にプロの人質交渉人が登場し、割りと重要なウェイトを占めるんだけど、彼なんか記号的にしか描かれない。この交渉人は、フォーリーという米国人も探していて、家族からの依頼らしい。冒頭近くに、チラッとフォーリーの名前はでてくるんだけど、本人が登場するのは中盤で。でも、ラストのクライマックスはフォーリーの葬儀と家族がフィーチャーされる。なんかこう、一貫してないんだよな、テイストや流れが。そうなるなら最初からフォーリーとダニエルを2人主人公にして、交渉人を軸にフォーリーの家族も交えて構成すればよかったんじゃないのかな。監督がデンマーク人でデンマーク人の人質を主人公にするという前提があったのかも知れないけど、なんかスッキリせんのよね。
現地の案内人女性、ボディガードとともにシリアに入ったダニエル。いきなり男に拉致られてしまう。ボディガードは、どっか行け、と言われ、案内人もいったんどっか連れて行かれるけど、すぐ解放される。で、ダニエルは独房みたいなところに入れられ、本名を名乗れ云々でむち打たれるんだけど、ムジャヒディンと名乗る連中はダニエルのことをCIAと思ってるのか? ハナから身代金目的? 殴る蹴るはただのいじめ? 分からんのよね。一度、まんまと逃げだし、外れの家で助けてもらうけど、あっけなく捕まってしまう。で、次は場所を変えたのか、人質のたくさんいる建物に、フランス人なんかと一緒に大部屋に放り込まれる。ムスリム男が1人いたけど、なんなんだ? そのうち米国人フォーリーもここに連れ込まれるんだけど、その後の様子はとくに変化もドラマもなくて、いささか退屈。そりゃ殴られたりビデオを撮られたりはあるけど、その程度。むしろ、人間模様はダニエルの家族と恋人にあって、こっちの方が興味深い。
75万ドルよこせといわれ、そんな金はないと、あるだけの25万を提示しようとするが、交渉人は「値引きするとやつらはバカにされたと思うから、要求額になるまで待て」というのに、母親は25万を主張。でも、やっぱりISの連中は身代金を値上げしてきて200万ドルになってしまう。そんな金はないよ、というわけで募金運動に走るんだけど、デンマークは不思議な国で。まず、国家は身代金をださないし、テロリストと交渉もしない。さらに、身代金を集めるための募金運動も禁止されているんだそうな。それがテロに屈しない道、らしい。ダニエルの家族、交渉人、国の代表者が集まって話しても、国は何もしてくれない。なので、かつてダニエルが属していた体操クラブのメンバーや企業に、そっとお願いしに行ったりするんだけど、この経緯もまた具体的には描かれなくて。禁止されているのに、どうやって企業にアプローチしてるのだ? 国は止めないのか? とか、疑問が湧いてくる。拘束されてるダニエルの話より、こっちの方がよほどドラマの要素が多い。人間も、両親と姉は、結構、描かれてるしね。とはいえ、姉の家族はアバウトにしか描かれないけど。というようなこともあって、ダニエルを描くより、家族を掘り下げた方が、問題提起にもなるし、ドラマにもなると思ったんだけどね。で、その軸になるのは、やっぱり交渉人だと思う。そうすれば、もっと緊迫した映画になったように思う。
交渉人はデンマークとトルコ、ときにシリアにも潜入し、ISと交渉する。人質を遠くから見て生存確認し、振り込みの準備を家族に伝える。現金をもって飛行機に乗り、ISに直接身代金を渡す。なかなかハードで命がけ。その動きを、もっと見たい気がしたんだよね。ダニエルが痛めつけられるのは、同じような映像なので、気の毒にとと思っても、それだけなんだよね。
で、母親が旧知の知り合いに直接交渉し、カンパを依頼する場面もあったりするけど、これまた興味深いけど中途半端。相手の企業がどういうものか分からないというのも食い足りない。その場では拒否されるけど後日、会って話した時の46クローネも含めた200万クローネが振り込まれるというウィットに満ちた場面もあるんだけど、最初に拒否したのになんで? という気もしてしまう。
こういうわけで、ダニエルは200万ドルで解放される。果たしてよかったのか、どうか。だって、家族は年金まで前借りして金を集め、いろんなところにカンパを依頼しているのだ。帰国したダニエルの肩には、200万ドルが乗っかってんだろ。そんなの、フツー、耐えられんだろ。それに、家族の間の軋みも、生じるようにはなっていないのか? 映画は、いまダニエルはかつても恋人とよりをもどし、子供も生まれ、あちこち取材旅行している、というようなことを伝えていたけど、ほんとのところをもっと知りたい気持ちがあるな。
ダニエルが解放された後、米軍がISを攻撃したせいで、フォーリーは見せしめに首を切り落とされたらしい。それで、フォーリーから家族へのメッセージを託されたダニエルが葬儀に出席し、託されたメッセージを暗唱するところは、なかなか迫ってくるものがあった。だからこそ、フォーリーの家族も、始めの頃からちゃんと描けばいいのに、と思ったんだよね。 ・後半で。交渉人が解放されたヒゲ男に会いに行くんだけど、あのヒゲ男はだれなの?
・監禁してるISの連中を、フランス人だったかがビートルズ、と呼んでいて、イギリス人だっていってたけど、はあ? もしかして、中東にルーツがあるイギリス国籍の、イスラム原理教に感化された連中ということか? それにしたって、ビートルズの4人にあてはまるような4人は登場してたか?
・身代金が値上げされて、フツーなら母親が「私のせいで!」なんて落ち込んで泣き叫びそうだけど、そうはならないのね。
哀愁しんでれら2/27MOVIX亀有シアター9監督/渡部亮平脚本/渡部亮平
allcinemaのあらすじは「児童相談所で働く小春は、母に捨てられたという過去を抱えながらも、自転車屋を営む実家で平穏な日々を送っていた。ところがある夜、立て続けに不幸に見舞われ、一晩ですべてを失ってしまう。そんな時、泥酔していた開業医の大悟と運命的な出会いを果たす。やがて、8歳の娘ヒカリを男手ひとつで育てている彼の優しさに触れ、ヒカリにも懐かれた小春は、出会って間もない彼のプロポーズを受け入れる。こうして人生のどん底から一転、思いもよらぬ理想的な結婚を果たし、誰もが羨む幸せを手にしたかに思われた小春だったが…。」
Twitterへは「最初はコメディ、後に、薄〜いホラー。どうやって悲劇になるのかな…。そうくるのか。親の因果が子に報い。はよかったんだけど、ラストに向かうにつれ、整合性が…。ツッコミどころも多くて、うーむ。」
仕事がうまく行かず、祖父が倒れ、実家の自転車屋が火事。長年つき合ってた相手は仕事先の先輩と不倫。呆然とたどり着いた踏み切りで酔っぱらいを助けたら、相手がやもめの開業医。先妻は事故死手で、10歳の娘あり。友人に背中を押されて連絡したら、下へも置かぬ厚遇で、祖父は大病院へ移り、父親は納棺師の職に。そして自分は玉の輿。というあたりはテンポよくコメディタッチで楽しい。ときどき小津的アングルや『アメリ』的色づかいもあったりして。さて、どう落としていくのか?
冒頭で、教室で割烹着(あとから違うと分かったけど)を脱いでハイヒールと青いドレスで歩く小春の姿があったので、嫁に這入ってシンデレラのように姑にこき使われるのかと思ったら、違った。設定は少し違うけど、『エスター』を思わせるような邪悪な娘、夫の大悟は実はナルシスティック。その根元を尋ねると、大悟の場合は母親に、娘は死んだ母親の影響、なのかな? さらに、主人公小春も、幼い時、母親に捨てられたトラウマに苛まれていた…。という感じになって、嘘つきで得体の知れない娘ヒカリに翻弄され、壊れていく家庭を見せていくのだけれど、このあたりから小春の行動は疑問符だらけ。ラストに向かう流れは、なんでそうなるの? なので、前半は面白いものの、後半は迷走してしまっている。話の骨格は面白いけど、後半の肉付けが中途半端で、展開にムリがありすぎだ。
そもそも、大悟はなぜ小春に積極的になったのか? ヒカルの母親として、なんだろうけど、企みとして裏がなさ過ぎる。大悟とヒカルの闇は提示されるけれど、闇の本質が見えないので、はあ? でしかないんだよね。大悟の闇は、幼い頃母親に殴られて片耳が聞こえなくなっていること。それで内向的になり、飼っていたウサギに入れ込んだり、絵を描いたりするようになった、のか。でも、そんなのフツーじゃん。ヒカルの闇は? 死んだ母親は、浮気相手とドライブ中に事故死らしいけど、母親がそんな悪い人物とも思えないんだよね。大悟が描いた妻とヒカルの絵を見ていると、とくに不仲な家族とも思えないし、大悟のヒステリーも感じられない。仮にそれがあったとしても、妻がそこから逃げたいと思っても当然かもな、と想像してしまうから。
小春のトラウマがアナロジーとして提示されるけれど、これまたはっきりしない。ただ、「私はあなたの母親をやめます」と、しがみつく小春を振り切って出ていったイメージが繰り返されるだけ。しかも、小春の父親はフツーにいい人で、邪悪ではないし闇もない。なぜ出ていったのか分からないのでは、手がかりがなさすぎだろ。他の例としては、小春が冒頭に訪ねた母子家庭があるけど、実はとくに虐待していた様子はないし。小春の友人の亭主が浮気して離婚かも、というのがあるけど、こんなのよくあることではないか。アナロジーにもなっていない。
根元はヒカルだけど、彼女はどこまで邪悪なんだ? これまた判然としない。喜んでいたいたはずの小春手づくりの筆箱はトイレにながしてしまう。毎日の手づくり弁当は、どこかに捨ててしまうのか、学校では「お弁当もつくってくれない」と泣いている。こうした小春は大悟に相談し、小春を問い詰めるのかというと、そういうことはせず胸にしまってしまう。なんで?
そして、同級生の女の子を窓から突き落とした疑いも…。
小春がウサギの剥製を壊して、はやしたてたヒカルを殴ったときは、すぐに謝って「内緒にして」と言うんだけど、ヒカルはさっさと大悟に話してしまう。でも、こんなの、内緒にしたって分かっちゃうだろと思うと、小春ってバカか、だよなあ。出ていこうとする小春を、ヒカルは抱きついて止める。小春の母親のときと、同じ。でも、振り切って出ていく小春。実家では、祖父も病院から戻り、和気あいあい。でも、外から見るだけで中には入らず、うろうろ。公園で出会ったのは、冒頭の育児虐待の疑いの親子かな。で、踏み切りまでやってきて、線路の上に倒れ込むけど、なんと、今度は大悟が助けるという出来過ぎな展開。マンガだよ。
それにしても、ヒカルは小春を好きなのか嫌いなのか。寝小便とともに、幼児退行はあるだろうけど、いささかサイコとして描いてる感じ。
そういった状況で、学校で靴が盗まれた、とヒカルが訴えると、小春と大悟は学校に乗り込んで勝手に生徒を追求する。その前に、小春はヒカルの嘘を疑うべきだろ。小春の行動は、ツッコミどころが多すぎると思う。はさておき、ここで同級生の男子が、「ヒカルちゃんが突き落とした」と言い放って…。家には「殺人」などの落書きが、というよくある描写だけど、あんなのあり得ないって。落ち込んだのか知らんが、大悟は10歳から描きつづけてきた自身の裸体デッサンとか、自室にあったもろもろを焼いてしまうんだけど、たき火は禁止だろ! はさておき、自分の何を焼却したかったんだろ。自分の、ヒカルに対する甘やかし? よく分からんのだよ。
ここからが異様すぎる展開で、うなだれる大悟に、小春がそっと耳打ち。なんと2人は学校へ行き、クラスの全員にインフルエンザの予防注射ということでインシュリンを接種し、みなを低血糖状態にして殺害するという荒技に出るんだけど、それは何のためなの? え、これでオシマイ? 警察がやってきてヒカルを連行するのかと思いきや、そういうのはなかったよ。大悟が描いた、大悟、小春、ヒカルの3人を描いた、目玉が気持ち悪い絵だけが、壁で不気味に笑っていたよ。
・ヒカル役の少女は可愛くないのよね。有名なインスタグラマーらしいけど、知らんよ、そんなの。
・ファミリーと題されたスケッチブックには、ヒカルの幼児期から、最近みたいな顔立ちのまであるけど、先妻が事故死したのはヒカルが2歳の時じゃなかったのか? どういうこと? 最後の絵の、先妻の顔が線で消されてたのは、大悟の仕業か。で、そのスケッチブックに半裸の小春とヒカルを描こうという大悟は、ファミリー至上主義なのか?
・大悟は片耳が聞こえない。ヒカルが、窓ぎわに立つ同級生に近づくとき、耳の穴に指を入れる。小春が、大悟にインシュリンのアイディアを告げようとするとき、耳をいじる。耳は、悪だくみの象徴? 
・踏み切りに倒れた小春に大悟が指輪を…。紛失してたと思っていた指輪は、大悟が隠してたの? なんで?
・ちょい役の脇役に、味のある顔立ちの役者。育児放棄っぽい冒頭の母親、結婚届を受け取る役所の女、ヒカルが同級生を突き落とした(かどうか分からんけど)教室にいたメガネの女生徒…。
・そのメガネ女生徒は、ラストの注射の場面で、小春に「ヒカルちゃんはやってないよ」というメモを渡すんだけど、あれは事実なのか、それとも、あの子も同じように女子生徒を憎んでいて、黙殺したのか?
・インシュリンで人殺しは、1、2年前に見た洋画のなかにもでてきたなあ。なんていう映画か忘れたけど。小春の父親が糖尿病で、という伏線はちゃんとあって、分かりやすかったけど。気がつかない人も多そう。
・セリフの中に、省略語がたくさんでてきて。「モンペ」なんていわれても、モンスターペアレントとはサッとはわからんよな。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|