2021年3月

あのこは貴族3/3ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/岨手由貴子脚本/岨手由貴子
allcinemaのあらすじは「榛原華子は東京生まれの箱入り娘。何不自由なく育ってきたが、20代後半になり、恋人に振られたことで焦り始め婚活に奔走する。そして、ついに良家の生まれである弁護士の青木幸一郎と出会い、運命の相手と確信する。一方、地方出身で、名門大学入学を機に上京した時岡美紀。学費が続かず中退した彼女だったが、OLとして働きながら今も東京でがんばっていた。しかし仕事にやりがいを見出せるわけでもなく、腐れ縁の青木幸一郎との関係にも行き詰まりを感じ始める美紀だったが…。」
Twitterへは「始めの頃はなんとなく大船調で丁寧なつくり。2人が交わるあたりから次第に階級の話になってって…。つまらなくはないけど、共感できる人物がひとりもいないのよね。描かれる世界も、知ったことか、なものだし。いまどき、あるのか、あんなの。」
華子の実家は松濤で、エスカレーター式に大学を卒業。父は医者なのか。長女は医師に嫁いでる? 次女はどうしてたっけ。で、華子の婿を将来の病院の経営者に、だったか? なんで長女の夫は候補に挙がらないのか、とか、家族の状況がよく分からん。同級生の大半は嫁いで子持ちで、でもまだ27歳だろ。なんで結婚を焦るのか分からない。良家の娘はさっさと嫁いで子をなして、が染みついてるのか。そんな家庭、松濤にもあるのか? すごい昔な感じがして、小津とかあの時代の大船調の、良家における結婚とか、そのての家庭問題をドラマにしてる感じがした。とはいえ松濤で医者だから関係ない世界の話よね。
で、いきなり婚約解消とかいう話がホテルでの正月の会食のときに披露されて。なんじゃこれ、だよね。相手がどういうやつか知らんけど、こんなのほほん娘とつきあって婚約までするんだから、いいところの坊ちゃんで学歴も申し分ないんだろう。勝手にやれよ、な感じだ。なわけで、家族や友人が見合い相手をあれこれ推薦し、あっちこっちで男に会うんだけど、居酒屋で会った経験は、これまでなかったこと、の様子。たかがトイレが少し汚いだけで逃げ帰るか。いまどき松濤にもそんなやつ住んでないだろ。
で、長女の夫が紹介した弁護士・青木と出会って、これが一目惚れみたいな感じで。別れる時は「また会ってもらえますか」なんて自分から満面の笑みでいう。華子は高学歴、イケメンに弱いのか。アホだな。で、しばらくつき合って。でもたぶんセックスはしてないと思うんだけど、あるとき青木のスマホに知らない女からの「私の充電器もって帰らなかった?」というラインかなんかのメッセージを見てしまう。のだけれど、華子はなーんも反応しないのよね。おっとり? わけ分からん。
正月に帰省した美紀は同窓会に出席するけど、誰も寄ってこない。唯一話しかけてきたのは、同じく慶応に行って卒業したらしい里英だけ。ってことは、クラスで浮いてたのか? 嫌われ者? 里英は中小企業の娘なのか。でも兄弟の誰かが継いでいるので、べつの会社に勤めてるんだったかな。でも、再度上京して企業を企んでいる、らしい。のだけど、富山から慶応に女子2人合格って、なかなかの進学校かと思えば、ヤンキーっぽいのもいたりして。それに、里英が東京で就職せず田舎に帰っているのも、違和感。美紀が、父親の失業で学費払えずキャバクラでも追いつかず退学は気の毒だけど、ほかに手段はなかったの、って同情しつつも、奨学金に頼るとか手段はなかったの? と思ってしまう。
で、キャバクラで働いてたら、かつてノートを貸して、でも返してくれなかった青木が客でやってきてて。この邂逅で、さっさと青木と寝てしまうというのが、解せない。どこがいいんだ、青木の。慶應内部生でノート返してくれなくて、自分をセフレにしか思ってないような男のどこがいいのか、よく分からない。しかも、あんなで弁護士になれちゃうのか? 理不尽だろ。青木を利用してイベント会社を立ち上げ、軌道に乗っているようだから、それなりに価値はあったのかも知れないけど、再開した時点ではどこまで利用価値があるのか分からんものなあ。
それにしても、青木の家庭も華子の家のまた上で。祖父と伯父は代議士だったっけか。父親はなにしてるんだ? 他に、義父の従弟の嫁(?)なる女性がのちに祖父の葬儀に顔を見せ、義母が皮肉をいう場面があるんだけど、その女性は離婚していて、でも子供は青木家のものになったとかいう話で。これまた血筋関係がよく分からんけど、でも、家を出ていった女が、この青木家の葬儀に顔をだす義理もないと思うんだが。自分の息子ぐらいしか関係性はないわけで、彼女にとって意味ないだろうに、としか思えなかった。
かように、両家の親戚関係は、分かったような分からんようなものばかりで、いまひとつピンとこなかったのも確かなんだよね。
華子にはバイオリニストの友人・逸子がいて。海外では知名度がないから、彼の地に彼氏はいても、稼ぐために日本に度々来ているらしい。その逸子があるとき青木と遭遇し、そのとき仕事のパートナーとして美紀がいることを知ってしまう。なわけで、逸子は青木と華子をホテルに呼び出し、直接対面させるんだけど、この場面が、いまいちすっきりしなかったかな。逸子は「対決させるわけではない」といってたけど、あれは対決だろ。美紀が落ち着いて対応し、いまはつき合っていない、と言ったから問題はなかったけど。華子は、青木に女の影があることを承知で結婚し、淡々とこなしていくけど、子供ができない。青木家にとっては、家を嗣ぐ男子が必須。しかも、近い将来代議士に立候補する予定の青木は、忙しくて夜も遅く、行為もままならない…。勧められて妊娠治療を受けたんだっけか。その帰りの車中から、美紀が自転車で街を走っていくのを見て、自分も自立したい、とか思ったのかね。周囲に、そういう女性がいなかった、のか。その時だったか、その後だったか、華子は美紀の部屋を訪ね、いまの会社を辞め、里英とともに地方再生関連の起業しようと思ってる、って告げられたんだっけか。里英も、田舎のつまらん仕事にうんざりだったのかもね。
その影響なのか、華子も働こうとするんだけど、そもそも華子は働いたことがあるのか?  そんなですれ違いのぎくしゃくがつづいて、何がきっかけか忘れたけど、華子の方から離婚を切り出した様子。淡々と対応する青木。でも、義母は華子の家族のいる前で、華子に張り手を食らわす。こんな前世紀的な家は、まだあるのか? なんか、由緒ある家柄、代議士、なんていう家系の家は、こういうもの、というステレオタイプを押しつけてる感じがして、うーむ、だな。
結局、華子は逸子のマネージャーみたいなことから始めるようだけど、話が都合よすぎ。ロクに仕事がない逸子にマネージャーは要らないし、華子に折衝なんかできんだろ。無給なら、あるかもしれんけど。それに、お嬢様だらけの友人の中に、たまたま逸子みたいな人間がいたから可能になっただけだろ。
美紀と里英の地方再生ビジネスも、よく聞く話だけど、世の中に成功しているのはいくつあるのか。仮定の理想で、それぞれ新たな道を切り拓く女性たち、みたいなオチだとしたら、あまりにも軽率だよな。未来は壁だらけ、と言っておこう。
それと、組むのが上流家庭どうし、田舎の貧乏人どうし、というのも、つまらない。上流と下流の交流はないわけで、階層は固定されたままではないか。それに、代議士立候補の青木も、あのまま旧態依然たる家柄の枠の中で生きていくことに疑いをもってないようすで、これまたつまらない。そうした概念が壊れていく未来が、さっぱり見えないのだよね。残念。
NO CALL NO LIFE3/11テアトル新宿監督/井樫彩脚本/井樫彩
allcinemaのあらすじは「携帯電話に残された、過去からの奇妙な留守電メッセージに導かれて出会った女子高生の有海と不良少年の春川を主人公に、親の愛を知らずに育った似た者同士の2人が織りなす刹那的で擦り切れるような痛々しくも切ない恋の行方を描く。」
Twitterへは「いまどき、こんな映画をつくる人がいるんだな…。あきれた設定。あれこれ中途半端。放り出しっぱなし。辻褄テキトー。ホリプロ若手売り出し用なら、そういう観客に合わせて青春映画らしいのをつくったらいいのに。」
女子校生と不良との交流は珍しくない設定で。ちがいは2人の過去と、過去との電話つながり、なんだけど。このどちらも、結局は本筋と関係なくて、何かが明かされるとかもなく、消化不良なので見終わってもストレスが残る。
過去とのつながりというと『オーロラの彼方へ』が連想されるけど、あれは時空の歪みの背景も説明されていて、メッセージのやりとりで救われるという筋が通っていた。けれど、この映画では、有海と春川の過去を紹介するためのきっかけにしかすぎない。それじゃあ、意味ないじゃん。
そもそもの設定も、よく描かれていない。有海は従弟の航祐と二人暮らし? 航祐の父親・伯父はどこかにいるらしいけど、なんでそんな生活してるのだ? 実家は山の奥なのか? 航祐は春川を「部活の後輩」と言っていたけど、では航祐は3年で有海は2年生? と思っていたら、春川は3年らしい。そういえば有海も春川も進路希望をだしていたから、同学年で3年なのか。じゃあ航祐は何歳で、なにをしてるやつなんだ? 春川は「航祐くん」と呼んでるし。さらに、突堤で有海が春川と初めて会ったとき、春川は「それ、どこの制服?」って聞いていて、有海は学校名を答えている。と思ったら、なんと2人とも同じ高校で、同学年ではないか。しかも春川は不良で知られている・・・。って、設定を描くのが下手すぎ。
2人とも勉強はイマイチで、進路希望はNASAとFBI、はいいとして。それは過去とは関係ないはずなので、そしつなんだろう。でもそれを、過去の影響というように描くのが映画で、ステレオタイプとしか言いようがない。
過去との電話つながりで分かるのは、春川の母親は男癖が悪く、いろんな男を連れ込んでいた、ということ。有海自身については、父親による性被害が思い出される。しかも、最後の方になると、春川は男の1人を刺しているらしいことがわかり、有海も同様に包丁を手にして布団で待つ様子が描かれる。はたして2人にその記憶はあるのか? の描写は全くない。では、そういうことがあったとして。小学校に上がるかどうかという頃の記憶が、封じ込められているのか? ときどき航祐は有海に「何か思い出した?」と素っ気なく聞いていたのは、有海のその過去のことなのか。でも、最後まで分からない。
人を刺した、という過去があったら、その少年・少女はどういう扱いをされるのか? 警察沙汰になって、児童相談所とか精神科とか、というところでカウンセリングを受けて、ということにはならんのか。その影もなく、フツーに高校生してるのが、首をひねってしまう。
そういえば、有海は過去の自分と電話でつながって、父親の話を聞かされ、包丁で防げ、と過去の自分に告げていたような…。では、記憶はあるということなのか? 知らずにそうしろ、と言ったのか? 記憶が蘇った、というシーンは特になかったと思うんだよね。
春川は、母親が男に買ってもらったという豪邸に1人で住んでいる。というのが、不自然すぎ。それでも春川は日々の生活費に困って母親にせびってもらっている。なんだ。つながりはあるんじゃないか。ここで思うのは、母親が住まないのなら、売ればいい、だ。そもそも大きな家は電気代もかかるし、管理費だってバカにならない。一戸建てだとしても固定資産税はあるし、やっかい。売って、春川がワンルームにでも越せば御の字だ。売らずとも貸してもいいだろう。
というような不自然さが充満していて、見るに耐えない感じなのだよね。
で、話の流れが変わるのが、春川が喫煙で退学だか停学になる、というところか。それをチクったのが有海の友人で、航祐の彼女というのが、なんだそれ。航祐は女子校生とつき合ってるのか。はいいとして、チクった理由が「春川は不良だから」ってだけっていうのが、浅すぎだろ。さらに、春川が下駄箱の名前をカッターで削っていたところに有海がやってきて、揉めているところに教師がやってきて、有海が振り向いたときカッターで頬を切ってしまうのだけれど、それを見て教師が逆上して母子家庭の子どもは云々と春川に迫り、それで春川も激高して教師をカッターで何度も刺す、という流れがマンガ過ぎ。バカじゃないのか。あとから春川が有海に言うには「人を刺したのは初めてじゃない」ってことは、昔の記憶はあるってことか。それで自分を制御できないなら、器質なんじゃないのかね。
なわけで春川が逃げ、有海が都合よく発見し、かつて春川が住んでいたアパートの一室に転がり込む。この過程で有海は春川の住まいを訪問しているのだけれど、アホか。いるわけないだろ。っていうか、警察が見張っていて、有海がマークされ、アパートが速攻で見つかる、のがフツーだ。けどそうはならず、ゴミ置き場からマットレスを楽しげに運び込み、春川の金髪も黒に染め、暮らしはじめる。あり得ないだろ! と、水道局がやってきて、「新しく転居ですか。この書類をもってきてください」と事務的な連絡をするんだけど、元栓勝手に開けて無賃利用してたのなら、文句言われてもいいんじゃね? で、ここでセックスもして。で、春川は不良仲間に相談し、九州に逃げ、さらに海外逃亡を、なんてことを言ってる。アホか。いまの日本で100万も使わずそんなことが出来るはずないだろ! 
でも、お金がないので春川はここでも母親頼みで。それで受け渡しのとき、母親が息子である春川を刺したらしい。え? なんで? 意味不明なんですけど。でその直前、アパートに警察が来て有海は窓から(だっけ?)逃げたんだったか。それで春川の不良仲間と出会い、春川が刺された近くに連れて行かれるんだけど、実は不良仲間はすでに警察に懐柔されていて、手引きしていたのね。それに気づいて逃げる有海は、なぜか春川が刺された現場にやってくるという、テキトー過ぎる展開。
そもそも、教師をカッターで刺すなよ。刺したとしても、せいぜい少年院だろ? 小さいとき人を刺したことがあって2度目だとしても、たかが知れてるだろ。それを逃避行と洒落込んで昔のアパートに逃げ込んでままごとごっこのアホさ加減。さらに、九州に逃げて、その後どうやって暮らすんだよ。海外? バカ言ってんじゃねえよなレベルだろ。というようなストーリーを、本気で描いてるのかスタッフ一同は。もうちょっと考えろよ。あとからクレジット見たら原作があるようで、そっちとどう違うのか分からんけど、見てる客がなるほど、と思うようなストーリーにしなきゃしょうがないだろ。
その後、有海は釈放されたのか。最初に出会った突堤に有海がいて、そこに春川が登場するのは、あれは有海の描くイメージなのか。春川は死んで、その亡霊なのか。知ったこっちゃないけど。60年代の青春モノにも及ばないくらいの低レベルで、やれやれな感じだよ。監督は20代半ばの女性らしいけど、誰もコントロールできなかったのかね。
有海たちが歩道でたむろってて、通行中のジジイが道に置かれたカバンを蹴飛ばすんだけど、それだけの役に諏訪太郎。アパートにやってくる水道局の人に木下ほうか。ムダな使い方過ぎるだろ。
フェアウェル3/15ギンレイホール監督/ルル・ワン脚本/ルル・ワン
中国映画。原題は“The Farewell”。allcinemaのあらすじは「ニューヨークに暮らすビリーは、大好きな祖母ナイナイがガンで余命3ヵ月の宣告を受けたと知り、両親とともに中国へ帰郷する。しかし、家族は最後まで病のことはナイナイには伏せておくつもりで、親戚一同が集まる理由にいとこの結婚式をでっちあげる。アメリカ育ちのビリーはちゃんと本人に告知しないことが納得できず、ナイナイを悲しませたくないと反対する家族と対立してしまうのだったが…。」
Twitterへは「米国で暮らす中国娘が祖母の死期が近いと知って帰国。いまだがん告知をしないことにいらついて…。なんだけど、とくに何も事件が起こらず、そのままだらだら…。なのでわりと退屈。長男が日本、次男が米国に移民、というのは、中国のエリートなのか?」
これ、どこが面白いのだ? としか思えない話で、アメリカでヒットしたというのがよく分からない。根本にあるのは、中国ではがん告知しない、ということ。それと、中国の家族主義の話である。日本人にとっても、まだこんななのか、という驚きなのに、アメリカ人にどう受け止められているのだろう。たんなる文化の違いへの興味だけではないよね。分からんけど。
ビリー役のオークワフィナは見覚えあるけど、なんだったか。あとで調べたら『オーシャンズ8』だった。なるほど。
そのビリーが、中国を離れたのは6歳で、いま30歳。それでも中国の祖母が大好きで、祖母も可愛がっている、というのがよく分からない。そんなしょっちゅう中国に帰省していたのか? フツーなら、長い間会ってないから、他人みたい、になると思うんだけど、あそこまでベタベタなのか。不思議。そのビリーはフルブライト(?)だかの奨学金を申請していて、落ちている。後に「小説家」という言葉も出ているので、作家志望なのか? にしては、彼女が現在目指しているのが何なのか、ほとんど分からない。もうちょい描いたほうが、理解が深まるのではないのかね。
で、従弟の結婚式を口実に、ビリーの両親は帰国を計画中なのに、ビリーには家にいろ、というのは、なんでなの? 問題児なのか? 帰国組から外された後に祖母の余命がないのを知らされたと思うのだが、きっと告知しろと言うから外したのか?
あと、分からんのが親族構成。ビリーの父親は、次男だったのね。で、四半世紀前に渡米し、国籍も取得したのか。は、分かるんだけど、長男は日本に行き、なにをしてるのだ? 長男の嫁も、最後までよく分からなかった。その息子が従弟で、結婚相手は日本人のアイコ。というのもいろいろ謎で。 従弟は式でアイコと陰気に竹田の子守歌を披露するのだが、従弟は日本語が話せてなかったぞ。長男一家は、日本になじんでないだろ。
他に少年が2人(だったかな)よくでてくるけど、あれは誰の子供なのだ? 大きい方は長男の息子? で、米国にやりたいといってたんだっけ? 記憶があやふや。それと、ビリーが一緒にマッサージに行ってたオバサンは、あれは誰? 長男の嫁ではないよな。
祖母の妹がいて、祖母と一緒に暮らしているんだけど、あれはなぜなんだ? 後に、祖母妹は、そのうち家に帰る、というようなことを言っていたけど、夫がいる家を離れて何年も姉と暮らしているのか? 自分の生活をほっておいて、姉の面倒を見ているのか。なんか、よく分からない。
というような案配で、主要人物の関係もすんなり入ってこないから、話にもなじめないところがあるのよね。
で、両親に内緒でビリーは帰国し、祖母に会って。周囲に「告知すべき」というんだけど反対され、ペロッと言ってしまうかと思いきや、いうこともなく、結婚式が終わるとすんなり帰っていく、というだけの話。なんだこれ。どこに共感すればいいんだ?
映画が終わって、ちいさな窓に、ほんとうのお婆ちゃんが登場。余名宣告後、5年経ってもこの元気、と字幕が出る。おやおや。冒頭には「嘘に元ずく話」と字幕が出ていたけど、こういうことか。では、祖母に告知はしたのね。
・父親が習近平に似ているのは、なんか理由があるのかな。
・ビリー役のオークワフィナは猫背でああいう容貌だけど、祖母は「美人だ」と言いつづける違和感・・・。
・披露宴は、みんな普段着なのがびっくり。新郎新婦も、たいした衣装ではない。披露宴の前に結婚式があるのか? そっちでは、参列者はみな着飾るのか?
・祖母の家の居候ジジイは、ありゃなんなんだ?
・中国の、帰省した場所はどこなの?
ベイビーティース3/16新宿武蔵野館2監督/シャノン・マーフィ脚本/リタ・カルニェイ
オーストラリア映画。原題は“Babyteeth”。乳歯か。allcinemaのあらすじは「16歳の女子高生ミラは重い病を抱え、両親に大切に守られながら静かに日々を送っていた。そんなある日、彼女はひょんなことから孤独な不良青年モーゼスと出会い、恋に落ちる。しかし両親は娘を思うあまり、危険なモーゼスとの恋に反対してしまう。そんな両親の心配をよそに、自分を特別扱いせずに接してくれるモーゼスにどんどん惹かれ、恋を知ることで日常がカラフルに輝きだしていくミラだったが…。」
Twitterへは「オーストラリア版『愛と死をみつめて』は、愛する相手がヤク中不良のアンちゃん。娘の切なさは多少伝わってくるけど、ぜんぜんドラマがないし、ムダなエロシーンもあって、いまいち共感できなかったし、退屈だった。」
ミラが病気であることはずっと分からず、しばらくして章立てのタイトルに「再発、化学療法」とでてきて、ああ、あの鼻血は…。と遡って思う程度。しかも、この章で病気のことは一切触れられていなくて、あとはそうぞうしろ、的なシナリオだ。そういうのもアリだとは思うけれど、すんなり話に入れるかというと怪しい気がする。
ミラが、たまたま遭遇した23歳のちょっとおかしな青年モーゼスに呆気なく恋に落ちるというのも、まったく説得力がない。モーゼスは、ミラを助けてやった、と言っていたけど、はあ? 後ろからぶつかっただけで、ミラはべつに列車に飛び込もうともしていなかったはず。しかも、再発前なのだから、死にたいとも思ってなかったろう。それが、鼻血の処置をしてくれた程度で家に呼び、両親に会わせるとか、わけ分からん。もちろん、不良に恋してもいいけど、それなりの説得力がないと、見ているこちらも感情移入はできない。なにしろ、食事の後、深夜に、薬目当てに忍び込んだりするやつだぜ。あなたは、信頼しますか? 私はしないよ。
もうちょい生と死について、真面目に捉える部分がないと、この手の話は共感できないかも。フツーなら、死のアナロジー的なサイドストーリーがあるとか、重層的な構成をとったりするのに、この映画ではない。生については、向かいに越してきた妊婦の出産というエピソードはあるけれど、いまいちよく分からん人物だし。なんか、話がパラパラしてて、ひとつに収斂していかないんだよ。
物語的にも、脇の下にしこりができて弱っていくミラ、がぼんやりと見えるだけで、でも、すぐに死にそうにも見えない。それが、モーゼスと一夜を過ごし、セックスしたんだろう朝には死んでいるというのも、なんだかね。セックスの前に「殺して」とモーゼスに頼み、彼も枕を顔に押しつけてはみるんだけど、ミラの抵抗で失敗してしまい、その後にセックスするんだったか。こんな場面をみたら、死にそうには思えないよな。弱ってるようにも見えないし。
ラストは、みんなで海岸に行ったときの映像なのか。記念写真的なものが写るけど、とくに切ない感じもないし、いまいち心に迫ってこないのだった。
・両親の描写がムダに多いのはなんで? 夫の診察室で、妻を診断した後セックスに及ぶとか、50前後の夫婦がすることなのか?
・ミラの病気は白血病? かと思ったら、脇の下のしこりというのは、リンパ腫なのか。再発はなんで分かったのかな。で、化学療法は放射線治療で脱毛? にしては、期間が短すぎないか。
・モーゼスと会ったときは地毛だったんだよな。それがカツラになって。でも、落ち込んでないように見えるのは、ちょっと泣かせる。すでに学校では知られているのか、友人がカツラを貸して、というくだりは、ちょっとなんだかな、な感じだったけど。それにしても、ミラは校内に友人がおらんのか?
・ミラは母親の元パートナーの音楽家にバイオリンを習っているようだけど、その音楽家と母親がむかしなにかあった、とほのめかす必要はどこにあるんだろ。それと、音楽家の家にいるベトナム人の少年は、ありゃなんなんだ? 移民の子? 養子?
・向かいに越してきた妊婦の意味はなんだ? ムダに父親に接近してきて、電球の交換まで依頼する。父親は勘違いしてなのか、彼女にキスしてしまうが、彼女は驚きもしない。関係はそれ以上進まないけれど、ご近所さんとして以後のお付き合いはしていく。父親が欲情に駆られている、ようにも見えないし。妊婦は、いつもアイスキャンディをなめているのは、何を意味するのか? そういえば、ミラもいちどなめている場面があったけど。欲求不満のサイン?
・モーゼスは、家を追い出されている。家には実母と弟がいる。なのに、ちょっと家に入っただけで、実母が警察に電話して「不法侵入者がいる」と通報する。いったい何をやらかして、こうなったのか。分からない。彼は、処方薬を手に入れ、仲間に売ったりして収入を得ているのか? ドラッグの売人でもないようだし。不良仲間はいるけれど、バスケしてる程度で、悪人はいなさそう。よく分からん人物。だから、ミラが惚れる意味が分からない。
・そのモーゼスは、ミラを仲間のパーティに連れて行き、ウォッカで酔ったミラをどこかの屋上に放置したまま、どこかに行ってしまう。そのせいで、ミラは肺炎だかなにかになって入院。モーゼスはバカなのか。
・モーゼスは実家に近づけないはず。なのに、ミラの誕生パーティ(?)や、ラストに写る海岸でひととき、に弟を連れてきている。母親と和解はしてるのやいなや。得体が知れない。
・向かいの妊婦は、ひとり暮らし? 引っ越し荷物をひと月も放置し、ロクに料理もしていない。亭主はおらんのか。収入はどうしてるのだ。など、疑問がたくさん。
カポネ3/17ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/ジョシュ・トランク脚本/ジョシュ・トランク
原題は“Capone”。allcinemaのあらすじは「1940年代半ば。家族や友人に囲まれ、静かな隠遁生活を送っていたアル・カポネ。梅毒の影響による認知症を患うなど、その姿に“暗黒街の顔役”として恐れられたかつての面影を見ることはできなかった。ところがFBIの捜査官クロフォードは、そんなカポネの衰弱ぶりを仮病と疑い、今なお危険な存在と考えて執拗に監視していくのだったが…。」
Twitterへは「脳梅毒で妄想・痴呆が進む出所後のカポネ。まだ40代後半だったのね。IMDbでは4.7と低評価だけど、客観描写と主観描写が入り混じった妄想爆発な映像はなかなか興味深い。FBI捜査官を初めからちゃんと登場させるべきだよね。」
へー、な驚きがいくつもあった。出所後、フロリダの豪邸でかつての部下や家族に囲まれて暮らしていたのか。でも、金に困って美術品を売ったのか。脳梅毒で妄想・錯乱・痴呆が発症し、さらに脳卒中も。しかも、このとき70歳ぐらい、と思っていたらなんと48歳という科白が…。Wikipediaによると出所は1939年(40歳)で、亡くなったのは1947年(48歳)なので、このあたりのことを描いているようだ。奥さん役が リンダ・カーデリーニで、若すぎるのでは? と思っていたけど、カポネがまだ若かったんだな。驚き。
カポネ役はトム・ハーディで、だかに、本人には似ていない。もっと小太りどんぐり眼じゃないと…。とは思うけど、実際は痩せていたようだ。とはいっても、トム・ハーディじゃなあ。と思っていたけど、次第に、様になって見えてくるようになった。他に、サッチモが登場するんだけど、ある瞬間は似ていても、すぐに別人に見えるような役者で、これも興ざめだった。
葉巻を口に、威張り散らすフォンス(アルフォンス・カポネ)だけど、失禁するは寝グソするわ、わけ分からんことを言うはで、ちょっとおかしい。次第にそれは、若い頃かかった梅毒のせいだということが分かる。周囲は気を使うけれど、本人は勝手し放題。こころ残りは、隠し子のトニーのこと。でも、監視付きだから、遠くから双眼鏡で覗くやつもいて、ジャマくさくてしょうがない。本人は知らないけど、室内に盗聴器が取り付けられていて、話はほぼ筒抜け。やってくる医者もFBIの息がかかっている。
妄想と錯乱は次第に激しくなり、かつての暗黒街での拷問や殺戮も夜な夜な蘇ってくる。これが、現実と妄想の区別なく描かれていて、見ている方も混乱するようにつくられているのが面白い。いちばんの引っかけは、昔の仲間のジョニーの描写だ。妻がジョニーに電話して、話し相手に来てもらう、というような流れで。やってきたジョニーはカポネと日がな話したり釣りに行ったり。その間に、カポネはサッチモのショーに顔を見せたり、そこから踊り子(売春婦?)に、「湿ったところを掘りなさい」と言われたり、部下が誰かを拷問の末に刺し殺す場面を思い出したりするんだけど、あるときカポネがジョニーと昼酒を飲んでいて、妻に「バーボンを持ってこい! ジョニーにだ!」というのだけれど、さっきまで横にいたジョニーはおらず、椅子はからっぽ。ん? と思っていたら、拷問していた相手がジョニーだった、と分かって、どっからが妄想なんだ! と少しハッとしたりした。
もうとつの大きな妄想は、邸内での黄金のマシンガンの乱射で。たぶん、実際に撃たれたのは家僕のような働きをしていた手下(?)ひとりのようだけれど、映像では何人もの手下や家僕が犠牲になっている。これも、カポネの妄想視点からの殺戮映像なんだろう。
脳卒中を再発したのは、この前だったか後だったか。半身不随らしいけど、結構、回復してきて。そんなカポネには1000万ドルを隠しているという噂があって、FBIがそれを探していたりする。というあたりで、やっとFBIの男がまともに登場するんだけど、最初の方でキッチリ登場させていないから、存在感に乏しいのが残念なところ。で、大金のありかを聞き出そうとしているのはFBIだけでなく、家族も(あの男は、兄なのか?)そうだったりする。FBIの息のかかった医者も、リハビリと称して金のありかを探る。FBIは直接、尋問にもやってくる。でも、結局見つからなかったらしい。たぶん噂だけなんだろう。
よれよれになったカポネ。ラストは、「その後2年ぐらいの後、家族は名前を変えて屋敷を去って行った。1000万ドルは見つかっていない」とかいう字幕がでてきた。まあ、現役時代や収監時の印象が強すぎて、監獄を出てからの印象はまるでなかったけど、48歳で脳梅毒+脳疾患でよれよれになって死んでいったとは、知らなかったよ。
・カポネが深夜、トイレで出くわした男は、医者? FBI? 持っていたのは、盗聴マイク? カポネは驚きもしなかったけど、あれも妄想なのかしら。
・医者役は、カイル・マクマクランだったのね。へー。
ワン・モア・ライフ!3/22ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ダニエーレ・ルケッティ脚本/フランチェスコ・ピッコロ、ダニエーレ・ルケッティ
イタリア映画。原題は“Momenti di trascurabile felicita”。allcinemaのあらすじは「パレルモ港で技師として働くパオロは、仕事帰りにスクーターで事故を起こし、あっさり即死。ところが、あまりにも短い寿命に納得いかない彼は、天国の入口で役人相手に駄々をこねる。するとそれが功を奏し、寿命の計算ミスが発覚したとの理由で地上に戻れることに。ただし、延長される寿命は92分だけ。こうして役人の監視付きで自宅に戻ったパオロは、残された時間を家族と一緒に過ごそうと決意するのだったが…。」
Twitterへは「早すぎる死からこの世に戻り、さあ何をするのかな与えられた1時間半で? と思ったらまず妻とイチャイチャ。あとは…。女遍歴の回想シーンばっかり。さすがイタリア男。昔の女を口説いたりもしてるし。やれやれ。ムチャクチャだわさ。」
昔からよくある設定で、さて、どう過ごすのか? と思ったら、ほぼ半分ぐらいは、かつての恋とか不倫とかの思い出映像。パオロが思い出してる風ではなく、彼の過去の体験を客観描写してる様子。なので、この世に戻ったパオロの時間軸のなかに、過去のパオロの体験が挟まれている案配なので、とても妙なつくりになつてる。最初は時制がごちゃついて、戸惑ったぐらいだよ。
しかも、過去の出来事が、蘇ったパオロに影響を与えているのは、たしか、1つだけ。かつて不倫した同僚と、息子を迎えに行ったプールで再会することぐらい。あとは、いろいろあった、な紹介なのに、二度も三度も繰り返し描かれるので、うざい感じなのだ。
でその、過去の想い人は、娘の同級生の母親、色っぽい女、同僚(?)、幼い時の年上のお姉さん…とか。一夜だけの相手だった女性もいるのかな。他にもいたけど省略なのかな。そして、現在の妻との出会いと結婚、子育て、の映像。別に、思い出して感慨に浸ってるわけじゃないし、なんだよこれ、である。
よく分からんのが、92分の延長について。死んだ時点からプラス92分かと思ったら、違うのか。妻と、息子の迎えに行くクルマの中で自分の事故に遭遇してるし。いつの時点に遡って戻り、本来の死後、何分生きられることになったのか。もうテキトーなのかね。
で、この世に戻って最初にするのは、出勤しようとしていた妻を引き留め、セックスしてシャワー。これで30分もかかってないのは嘘だろ。で、子供たちと一緒にいたいからと、妻に会社を休ませ(だったか)、妻のクルマで息子の行ってるプールまで連れ戻しに行くんだけど渋滞に捕まって。パオロは降りてプールへ。ここでも、より幼い時の息子のイメージが出てきたり、こんがらがる。さらに、かつて不倫した同僚にも出会って、だらだら話を始めたりする。イタリア野郎は女のことしか考えないのか。あ、あと、サッカーもね。友だちに「サッカーは見ないのか」といわれ、時間がないからと息子の迎えを優先しておきながら、のちに、閻魔(死神?)さまと一緒にサッカー見物して興奮したりしてる。アホか。
でまあ、時間がやってきて。閻魔にいわれてバイクに一緒にまたがり、再度、事故った四つ角へ突入するんだけど、死ぬ覚悟で突入したせいで、一瞬早く通り抜けて事故に遭わず。って、なんだよそれ。都合よすぎというか、辻褄あってないだろ。テキトー過ぎ。と思ったら、プールで出会った同僚から、「また会わない?」なんてショートメールが来てて。こりゃまた不倫するのか。しょうがないやつ。というか、妻に「浮気はしたのか?」と聞きたがる気持ちが分かるよね。自分が、他人の奥さんとやってるんだから。
・不倫相手とか、かつての年上のお姉さんはなかなか美人なのに、奥さんが美人じゃないので、いまいちハマれず、なところもあったんだよね。とくに、2人が出会った頃の場面では、奥さんがオバサンにしか見えないし。
・友だちのところに泊まるから、とでていった娘。友だちとケンカしたといって戻ってきて、ねちねちうるさいパオロに「これやろう」といって引っ張り出してくる人生ゲーム。パオロは「?」だけど、「パパが買ってくれたけど、いつも忙しいっていって、一度もやったことなかったじゃない」といってせがむところは、なかなかよかった。仕事と女のケツばかりじゃダメだよ、っていうことか。
きまじめ楽隊のぼんやり戦争3/29テアトル新宿監督/池田暁脚本/池田暁
allcinemaのあらすじは「真面目な兵隊・露木が暮らす津平町では川の向こう岸の太原町と“朝9時から夕方5時まで”規則正しく戦争をしていた。露木も朝から川岸に出勤するのが日課となっていた。しかし誰も向こう岸のことはよく知らなかった。ある日、露木は突然、音楽隊への異動を言い渡され途方に暮れる。そんな中、ひょんなことから向こう岸から聞こえてくる音楽を耳にし、思いがけず心惹かれていく露木だったが…。」
Twitterへは「空っぽな人間ほど命令や体制に疑問をもたず、機械的にしゃべるし動く。疑問をもつと白い目で見られるから、知らんふりをする。その心が戦争も起こすし、他人を傷つけもする…。気づいたときは遅すぎる。シュールな寓話。」「反戦映画の顔をしているけれど、人間の本質を描いた映画、と言った方が適切なのかも知れない。」
フツーの映画のつもりで行ったら、話も人物の動きもカリカチャライズされた映画で、ちょっと面食らった。こういう表現は二次元のマンガにはあると思う。それを実写化し、マンガの動きや小間割りをそのまま継承してる感じかな。コメディとは違って、笑わせる意図はないと思う。人物はおおむね人形=ロボットみたいな感じで、心=感情や表情がほとんどない。では、どこかに彼らを管理する為政者がいて、大衆をロボトミー化してるかというと、そんなこともなく。みな、ほぼ自主的に行動しているのだ。ただし、それが何のためなのか多くが疑問をもつこともなく、そういうものだと思って行動している。考えることを停止し、無機的・機械的に日々を過ごしている。
対岸の街と戦争がつづいているのだけれど、それがなぜ発生し、なぜつづいているのかに、ほとんど誰も疑問をもたないし、聞いても分からない。もちろん、内部からの反乱もない。こういう世界は、一見「変」に見えるけれど、かつて、日清・日露、日中戦争、大東亜戦争なんかがあった時代も多くの日本人はこういう感じだったし、平和に見える現在も同様なのだと思う。
私たち日本人の多くは、毎日、なんの疑問ももたず、大した考えもなく、なんとなく「そうだから」「そうしている」のだよ、と言われているような気になった。フツーの映像表現ではなく、記号のような人間が織りなす映画ならではの、寓話である。シュールではあるけれど、実は私たちの日常がシュールなのであって、登場しているのは私たちそのものなのだ。
とはいえ、日常を描いても絵にならない。なので、戦時下という設定にし、そうした緊急時にこそ人間の素がでる、と言っているようだ。登場する人物は、実際の戦時下の人々に類似している。そうした状況下では、大勢に逆らわず、自分を守ることが必要になる。兵隊として参戦している人々の多くは、そういう感じだ。兵舎の受付の女性も、そうだ。片手を失った元兵士・藤間が除隊となったけれど、何か仕事がしたい、と受付に訴える。受付は「仕事はない」という。「受付の仕事でもいい」といったところ、受付の女性は、自分の仕事が奪われる危険を感じて狼狽する。兵士が傷ついたり死んだりしても他人事だけれど、職が失われるのは脅威になるわけだ。こういうときに、思わず感情が露出するのが人間らしいところなんだろう。
食堂の女は、息子を戦場に送り出し、誇り高く自慢する。こういう人も、大戦下にはいたんだろう。しかし、その息子の戦死の報を受け、彼女は崩壊する。遺骨が届いたといって、食事をしようとする露木の前に骨壺を置き、「一緒に食べてくれ」という。崩壊して初めて、露木に人間らしく接する。とはいえ、新兵器の登場を万歳で迎えるのだが、店の暖簾は傾いたままだ。彼女は、疑問を持ちかけてはいるけれど、持つまでには至っていない人なのだろう。その意味で、からっぽ。
疑問をもたない象徴的な人間は、町長かもしれない。朝の体操で訓示を述べながらだけれど、内容は「覚えていません」だし、職員や軍隊の上官の名前も記憶にない。彼にとって、下の者たちはただの駒なのだろう。自分と家族のことしか考えていない。だから、息子が窃盗しても、息子の仲間は泥棒として逮捕させ、自分の息子はその泥棒を捕まえた功労者として賞賛し、警察官に採用する。そこに疑問もないし、悪意もない。それが当然だと思っているのだから。未来に向けた展望も改善もない。ただ、現在と同じような日々がつづけばいいのだ。その意味で、からっぽ。
軍隊内の技術部長みたいな奴(いつも他人の尻を蹴っている)も、自分の任務だけしか考えていない。威圧的で、自分のしていることに疑問はない。大量破壊兵器の開発が使命で、これを隣町に撃ち込むことが正義と思っている。そうしたらどうなるか、は想像しない。こういう手合いは現実社会にも結構いて。相手のことを考えなかったり、自分の行為がどういう影響を与えるかの想像力もない。後日、追求されても、「想定外」とか「使命を果たすことが求められていた」などと自分を正当化する。別に戦時下だけではない。この手の人はフツーにいる。
町長の部下的な人間で、兵士の上のような人間がいる。いつも、帰りは町長と一緒で、帰りには妻が待っている。しかし、ある日、彼は突然妻を離縁し、新しい妻を迎える。理由は、子ができないから。そうされても、相変わらず元夫を待ち受ける元妻。彼女は、あるとき、露木の同僚で片手を失った男・藤間と知り合う。藤間は、右手を失って、役に立たず「ゆっぺり」と呼ばれている。役立たずどうし、ふたりは同居し始め、ある日、町を離れる。理由は、子供ができたから。藤間は露木に「遠くの村に行ってのんびり暮らす」というようなことを言っていたのかな。「ゆっぺり」の2人は町の暮らしに疑問を持ち始め、当たり前につづく暮らしから離脱する。自分たちの意志で、戦争のない地域へと移動する。だれも止めないのは、そういう選択肢があることに多くの町民が気づいてないということだ。戦争をしなくても、上司の命令を聞かなくても、自分の意志で行動できることを、この町の人々は知らないのだ!
そういう、素直すぎて疑問をもたない人ほど、無機的・機械的なしゃべり方と動きをする。一方で、もやもやを抱えている人は、ときに感情的で、フツーの人間に近い話し方、動きをする。主人公の露木は、表情は能面だけど、多少の疑問をもつようになった感じかな。泥棒をして捕まり、兵隊にさせられた三戸の自由さに影響を受けたのかね。同じく泥棒から警官になった町長の息子・平一は、欲望に忠実に行動してる。腕を失った藤間と、離縁された女・春子は、人間らしさに気づき始めてる風だし。楽隊長の伊達は、きたろう、が演じてるんだけど、演技をしてないのか、フツーにしゃべれと言われているのか、よくわからんけど、まったく機械的でも無表情でもない。楽隊のなかの若い娘と男性団員は、なんと結婚するという。欲望に忠実な人間だな。そういえば、娘は楽隊長にいつも無視されてたけど。惣菜屋の夫婦は、機械的な感じはあるけど、元泥棒警官の無銭飲食に対抗するだけの人間性を発揮する。受付の女も、いつもは機械的だけど、藤間が「受付でもいいから仕事を」と言ったら焦りまくってた。何も考えずに生きられれば幸せだけれど、その座が危うくなると、感情を表に出す。受付で名前札を裏返すだけの男も、感情は出してなかったけど、同じようなものかな。とか、日常的に感情を出さないようにしているし、ださなくても生活できる環境があるということだ。私たちの現実でも、波風を立てるよりは、何も考えず、流れに身を任せる方が暮らしやすい。そういう状況を増幅すると、この映画のような戯画化された人物になっていくのだろう。
何がきっかけだったのかのかにな。元泥棒の三戸が、向こう岸からずぶ濡れで戻ってきたのを家に招き、話を聞いたことだったのかな。露木は、三戸の、川の向こうはこの町と同じ。あちらは、この町を怖がっていた。という話から疑問を持ったんだったかな。川の向こうに向けて、夕刻、トランペットを吹くようになる。すると、向こう岸から女性のような人物が現れ、同じようにトランペットを吹くようになる。結局、露木が対岸に行くことはないのだけれど、何も考えないように教育され、対岸は怖い連中、と刷り込まれた頭に、疑問が湧いてきた、ということなんだろう。でも、その疑問は、そこまでで終わってしまう。
この町では新型兵器を開発していて。それを対岸に撃ち込む。原子キノコのような雲が立ち上がる。ああ、次は向こうから撃たれるんだろう、と思っていたら、その通りになった。鉄砲でパンパンやってるうちは、まだ傷が浅い。でも、武器が強力になれば、被害も増す。やられれば、やり返すのは必定。無為な軍拡は、まさに世界の現在を思わせる。ここに描かれているのは、私たちそのものに違いない。
「川の向こうは怖い」という印象操作で、大衆を操るのは誰? 権力者? いや、私たち自身の思い込みではないか。そんなものは幻想だ。たんに戦争だけではない。新型コロナが怖いもの、という集団ヒステリーも、同類項だと思う。そして、現在、ビルマで大衆に銃を向けている軍隊や警官たちも同じ。個人的な判断を停止し、命令だけを忠実に守って、人々を抑圧し、傷つけている。そこに善悪や正義はない。組織の中で、任務を果たしているだけ、なのだ。反抗すれば自分の身が危なくなる。そんなことは、誰もしない。だれもが言われるがまま行動する。まさに、日本の、世界の現状だ。
実をいうと、前半に少しウトっとてしまった。数分かな。と思っていたけれど、いつのまにか竹中直人が遺影になっていた。っていうか、竹中がトランペットを吹いている場面に記憶がない。寝てる間に登場していたのか。それとも、町を演奏して歩いているとき写っていたけど気がつかなかったのか。よく分からない。
腕を負傷した状態を、「ゆっぺり」 。子供が出来ない女も「ゆっぺり」 と読んでいたように思うけど。あれは方言なのか?
騙し絵の牙3/30MOVIX亀有シアター6監督/吉田大八脚本/楠野一郎、吉田大八
allcinemaのあらすじは「大手出版社“薫風社”で創業一族の社長が急逝し、次期社長を巡る権力争いが勃発する。そんな中、カルチャー雑誌“トリニティ”を率いる変わり者編集長・速水輝は、強引な改革を進める専務・東松によって廃刊の危機に直面した“トリニティ”の存続に奔走していく。薫風社の看板雑誌“小説薫風”から迎えた新人編集者・高野恵とともに新人作家を大抜擢するなど、次々と目玉企画を打ち出していく速水だったが…。」
Twitterへは「前半の風呂敷を広げるあたりは期待させて面白いんだけど、肝心の匿名作家のくだりはミエミエ。さてその裏は…。でも、黒幕の意図もピンとこないし、ラストも楽天的すぎて、いろいろスッキリしないかな。松岡茉優はあんま可愛く撮られてない。」
まずは、高野恵が新人の原稿に光るものを発見。と同時に、現社長の死。葬儀。社長の家族、社内の関係を紹介し、さらに大作家の二階堂大作や、次期社長候補・東松に接近する男なんかを手際よく見せていく。さてどうなるのかな、と期待はふくらんだんだけど、連絡のつかない新人作家矢代聖と、消えた謎の作家・神座のあたりで、ちょっと萎えた。だって突然現れた矢代がニセモノで、矢代の小説が神座のものだ、っていうのはミエミエなんだもん。この予想が外れて意外な展開、ならまだしも、その通りになったんじゃつまんねえよ。
まあ、矢代をでっちあげたのが速水なのは分かってたけど。速水を薫風社に招いたのが社長の御曹司・伊庭惟高で…というくだりまでは分からなかったけど、こっからの裏の事情がよく分からんのだよ。惟高は先代社長に速水を会わせ、気に入られたんだよね。では、先代社長と惟高は、自分=先代亡き後、薫風社をどうしようと考えていて、速水に何をさせようとしたのか、というところが漠然としてるんだよね。読み取れるのは、せいぜい「小説薫風」を率いる常務・宮藤を退陣させるため、東松を焚きつけたことぐらいか。もちろん、その後に東松を引きずり下ろすことも。しかし、宮藤は惟高の後継人なんだろ? 先代社長は「小説薫風」の廃刊を企んでいたのか? ではその後、薫風社は何で食っていくつもりだったんだ? 先代は思いがけず急死したけど、惟高はどういう経営方針なのだ? もやもやとスッキリせんのだよね。原作は説明あるけど、映画は端折ってるのかね。「おお、なるほど!」感がない。
もうひとつのドンデンは、薫風社を辞めた恵が、希少本に特化した書店をオープンし、神座の新作を32000円で出版。客で大賑わい、の楽天的すぎるエンディングなんだけど、これはあり得ない話だろ。理想あるいは期待としてはいいけど、現実的ではない。この手の書店はいくらでもあって、でも、大成功の話はとくに聞いていない。この恵の行動に、速水が嫉妬する必要はないと思うけどね。このラストも、ただもう、もやもや。
そして気になるのは、薫風社のこれからで、なにやってくんだ? そして、社長を追われた東松、「小説薫風」編集長から総務送りになった江波、「トリニティ」誌をやめた女性社員はどこで何してるんだろ。二階堂大作は、救貧生活? とか、いろいろほったらかしじゃん。
というわけで、誰がどう騙したのか、いまいちはっきりしないところもあるし、騙したつもりが…な展開も、なんかもやもやなところが多いんだよね。速水も計算ずくに見えて、いろいろテキトー、偶然が多すぎるし。
・城島咲を襲ったストーカーは、速水の仕込みではなかったのか…? 彼女が3Dプリンタで銃をつくる、も荒唐無稽。銃はいいけど、弾丸はどうやって手に入れた? 
・「トリニティ」誌は、1年後に廃刊みたいな話があったけど、あれは無しになったのか? でも、速水は薫風社を辞めたんだろ? それで、城島咲に何か書かせて一発逆転を狙ってる? でいいのか、ラストは。
・矢代聖の記者会見は、あり得んだろ。新人賞にひっかからず、でも「トリニティ」で連載かと思ったら、やっぱり「小説薫風」が取り戻し、こっちで掲載、な話で記者が集まるはずもない。まして、それをテレビ中継はアホかな話。だって、何も発表してない新人だぜ。
・編集長・江波役の木村佳乃は、妙に痩せてるけど、ダイエット?
・高野恵の松岡茉優は、最初のシーンで気がつかなかった。顔が髪に隠れてないと、別人に見えてしまう。もうちょっと可愛く撮れや。
・「トリニティ」誌の特集企画で登場した話題の人。ひとりは作曲者・新垣隆と分かったけど、ヒゲ女装の外人レスラー(?)ともう1人は分からなかった。調べたら、切断ヴィーナスの折茂昌美という人のようだ。
ネクスト・ドリーム/ふたりで叶える夢3/31ギンレイホール監督/ニーシャ・ガナトラ脚本/フローラ・グリーソン
アメリカ/イギリス映画。原題は“The High Note”。allcinemaのあらすじは「憧れの歌姫グレースのパーソナル・アシスタントとして働くマギー。音楽プロデューサーを夢見ながらも、実態は雑用係としてグレースのわがままに振り回されるだけの日々。一方のグレースは、昔のヒット曲ばかりを歌わされる現状に満足できず、マネージャーの反対にもかかわらず新曲に挑戦したいとの思いを募らせていく。そんなある日、魅力的な歌声を持つ若者デヴィッドと偶然出会い、彼のアルバムをプロデュースしたいとの思いを強くするマギーだったが…。」
Twitterへは「人気はあるけど終わった歌手と、その付き人で頑張り屋の娘が主人公。つくりは何となくジュブナイルで、淡々と素っ気ない。その流れが、最後の最後に怒濤の意外性。なんとまあ。」
マギー役のダコタ・ジョンソンが、なんか淡白で、感情がつたわってこないなあ、なんてずっと見てた。雰囲気も清純な少女が、いつかは自分の夢を実現したい、という感じで、アメリカの中高生向けの青春映画、って感じ。もちろん、黒人歌手デヴィッドとの出会いと恋もあるし、一夜を過ごした様子も映るけど嫌らしさは皆無。グレースの新アルバム発表会の前座にデヴィッドをムリやり押し込もうとし、でも、本人が拒否して大失敗、という挫折を経て、地元にもどって父親とローカルラジオのDJに。でも、最後は大団円、という流れもジュブナイルだよね。
てなわけで、つまらなくはないけど、マギーはもっとおきゃんで感情を表に出すようなキャラの方がよかったんだけどなあ、なんて思ってたわけだ。ところが、やっぱり付き人はマギーじゃないと、ってグレースがマギーのところにやってきて。次にデヴィッドがやってきて、ここでびっくり。なんと、デヴィッドはグレースの息子だったとは。そういえば、グレースには秘密の子供がいる、とはいっていた。けど、こんな設定にするとはね。偶然にしても出来すぎだろ、だけど、ちょっと意外な展開で、最後の最後で目が覚めた。
夢も、あきらめなければ、叶う的な青春映画だけど。でも、よーく考えると、落ちぶれたとはいえ大歌手の付き人になれた時点で、人とは違うよね。父親は音楽家だかで、地元でもDJしてるし。生まれ育ち、環境によって、人生は左右される、ということだよね。デヴィッドにしても、母親がグレースだからあんな豪邸に住めていたわけだし。それが疑問だったんだけど、金の出所をもう少し推理するんだったな。くそ。
・オプラの番組、ってなんだ?
・浣腸がどうのって、いってたような気がするんだけど、なんだ?
・エンドクレジット後の「ドープじゃね?」「ドープだよ」の声は、なんなんだ?
メイキング・オブ・モータウン3/31ギンレイホール監督/ベンジャミン・ターナー脚本/ベンジャミン・ターナー、ゲイヴ・ターナー
原題は“Hitsville: The Making of Motown”。allcinemaの解説は「自動車の街デトロイトの片隅に建つ一軒家“ヒッツヴィルUSA”を拠点にミラクルズ、テンプテーションズ、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ジャクソン5はじめ新たな才能を次々と輩出し、全米No.1ヒットを連発して世界の音楽シーンを席巻したレコード・レーベル“モータウン”。その創始者であるベリー・ゴーディが、盟友スモーキー・ロビンソンとともに伝説のレーベルの歴史と哲学、ヒット曲制作のノウハウや数々の名曲誕生にまつわる秘話を縦横無尽に語った音楽ドキュメンタリー」
Twitterへは「音楽に疎いので人名・曲名にあたふたしつつ、でも知ってる曲も多いので、出来事やエピソードに何度も、へー。黒人が立ち上げたレーベルゆえのあれこれも、感動的なものも多かったか。この映画、いまNetflixでも見られる。」
モータウンの名前は知ってたけど、体系的にはさっぱり。R&Bのご本家、ぐらいにしか知らなかった。それでも、なかなかに面白く見た。とはいえ、会話、人名、肩書きとか字幕がたくさんだし、英文も画面にあふれる。情報量が多くて、ついていけないところも、かなりあったと思う。まあ、しょうがないけど。
最初の方でゴーディが「子供の頃、白人地区へ新聞を売りに行った。すごく売れたので、翌日、兄貴も一緒に売りに行った。さっぱり売れなかった。1人の黒人少年はキュートだけど、2人になると脅威になるんだな」てなことを言っていた。それが後にジャクソン5をデビューさせ、テレビ番組にまでなってしまう。黒人に対する見方を変えたのはゴーディだな。
まったく売れなかったスプリームスが「愛はどこへ行ったの」で人気がでて、ついには「エド・サリヴァン・ショー」に出演するくだりは、ちょっと涙がでてしまった。こうやって認めさせていったんだな、と。でも、その後、ダイアナが落ち込んで、歌いたくないなどごねたところは、反発なのか? と思ったらステージでは歌ってくれて。しかも、「あなたのために歌ったのよ」とゴーディに言ったとか。で、一緒になった、らしい。なんだ。のろけか。で、後からゴーディについてWikipediaで見たら、結婚・離婚も多く、愛人にも子供をたくさん産ませているらしい。ダイアナとも数年で、結婚はしてなかったみたい。複数の女生と同時並行でつきあってもいたし。なんだ。やり手じゃないか。
南部のツアーではバス車中泊ばかりで、しかも、待合室に入ったら頭に銃口を突きつけられたとか。同じアメリカでも、まだ黒人専用がまかり通ってるエリアが多かったらしい。実際、バスが銃撃された(?)こともあったとか。
テンプテーションズの「マイ・ガール」の誕生の経緯も。あの曲の前に 「マイ・ガイ」という歌が直前にあったんだと。へー。マービン・ゲイの抵抗歌「ホワッツ・ゴーイン・オン」のリリースにゴーディが反対したり。でも結局発売され、自分が間違っていた、と認めたり。キング牧師に共闘を申し入れられたり。最後は、オバマ大統領が演説でモータウンに触れて、特別の賛辞を送ったり。ときにふれモータウンの名前は聞いていたけど、なるほど、といろいろ納得できる内容だった。
そうはいっても、旧態依然の姿勢に反旗を翻す作曲家や歌手もいて。まあ、それはしょうがないだろうな。でも、スティービー・ワンダーは、一度出て、戻ってきてたのね。あと、ホランド=ドジャー=ホランドの作曲トリオのことも言ってたけどH=D=Hって省略形で登場してて、いまいちピンとこず。で、この3人が抜けても、それでも新しい才能が集まって来てたのね。あとは、ジャクソン5か。
そして、黒人音楽のレーベルなのにイタリア人の幹部を迎えたり、地元の白人が社員になって働いていたり。何かを決定する時も、社長の一存ではなく多くは多数決で決めていたとか、なかなか民主的だったのね。驚くのは、当時の会議の様子を録音した音声が残っていること。へー、だね。
とはいえベリー・ゴーディとスモーキー・ロビンソンの2人の、思い出話をまじえた駄話を軸に、インタビューや当時のフィルム、音声で展開するので、2人に都合のわるいことは省いてるかも知れないけどね。

 
 

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