2021年4月

サンドラの小さな家4/1ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/フィリダ・ロイド脚本/クレア・ダン
アイルランド/イギリス映画。原題は“Herself”。allcinemaのあらすじは「DV夫から逃れ、2人の幼い娘たちとともにホテルでの仮住まいを余儀なくされたシングルマザーのサンドラ。公営住宅は長い順番待ちでいつ入れるか分からず途方に暮れていた時、娘が話した昔話に触発され、自分で家を建てることを決意する。最初は足りないもののあまりの多さを痛感するも、彼女の熱意が少しずつ周囲を動かし、思いがけない支援の手が差し伸べられていくのだったが…。」
Twitterへは「「この国に見返りを求めないやつはいない」と言うおっさんが「この国にはお互いに助け合うという“メハル”という文化が根づいている」とも言うんだけど、どっちなんだ? なアイルランドを舞台にしたDV亭主の、身も蓋もない話だった。」
DV亭主から逃れ、公的補助でホテル暮らしのサンドラ。仕事に追われ、でも自分の住まいが欲しい。Webで、300万余りで建てる家、を見て一念発起。市の土地を借りて住もうとするが、認められず。落ち込んでると、パート清掃してる老女医が、裏庭の土地をあげるから建てな、と言ってくれて。では、と周囲の助けを借りながら、自前の家を建てようとする話。なので夢がありそうに見えるけど、わくわくするのは一瞬で、ほぼずっと絶望との戦いなんだよね。ラストも、多少の光は見えるけど、どん底からの再出発だし。ちっともすっきりしないのだった。
夫のDVは記号的に描かれるだけ。しかも、昔の関係はよかったのに…と、未練もあったりする。亭主から逃れるための資金を貯めていたのが発覚し、ボコボコにされる場面ばかりが繰り返し描かれ、それ以前の不和が見えないのよね。しかも、ラストの方で、夫の母親が「妻を殴るのが男の仕事って、小さいころから学んで来た」って告白する。そうした要因もあるかも知れない。けど、すべてにあてはまるわけではないだろう。父親の暴力を見て、そうはなりたくない、と思う子供だっているはず。DVの原因をテンプレ化しすぎてる気がするけどね。要は、個人の資質だと思う。
サンドラが2人の子を連れ、ホテル暮らし、の経緯が分かりづらかった。見ていてなんとなく分かったのは、サンドラには公的補助が出ていて、年に300万円ぐらいだったかな。それを使ってホテルに暮らしているようだ。そういう制度・行為があるのか、アイルランドには。日本の生活保護の支給額は200万円ぐらいだから恵まれてるよな。しかもサンドラはカフェと清掃パートで給与もある。生活保護はたしか、収入が合ったら支給額から引かれるはず。サンドラはなぜか高級っぽいホテル暮らしだけど、安アパートにすれば節約もできるんじゃないの? とか突っ込み入れながら見てた。
日本なら6畳一間あるいは6畳+キッチンぐらいで親子3人暮らしは平気であるけど、あちらは数部屋ある住まいじゃないと満足できないものなのかね。
で、清掃パートしてる女医のところは、サンドラの母親も清掃パートしていたのか? この経緯が分からんのだが、そんな階層がつくられてるような国なのか、アイルランドは。まあいい。で、その亡き母親が献身的だったのを覚えていて、女医は裏庭の土地を提供(くれたんだよな)してくれ、建築費用もだしてくれた(こっちは貸与か)。親切すぎるだろ。見返りを求めない人間なんていない、と言われている国で、ラッキー過ぎるだろ。この時点で、とくに共感するところがなくなってしまったよ。
暴力を振るわれたサンドラは、前述のように公的補助をもらい、ホテル暮らし。は、まあいい。不思議なのは、DV亭主に子供を定期的に預ける義務があることなんだよね。亭主はサンドラに接近するのは許されていない様子。何メートルかは知らんけど。でも、定期的に会話しなくちゃいけないし、娘たちを預けなくちゃならない。この不安に対し、法律は守ってくれないというのが「?」だよ。暴力は妻に対してだけで、子供には振るってないから、のようだけど。違和感だよね。
下の娘が父親のところに行きたくないといいだし、しばらく預けないでいたら、裁判所から呼び出し。接見義務を果たしてない、というもので、あれこれ質問される。この中でサンドラは、家を建設中だったことを申告してなかった、と指摘される。これはまずいだろ。申告したら亭主に妨害されるから? なこといったら、家ができてからでもいくらでもまとわりつかれるに違いない。他にもいくつか、落ち度を指摘されてしまう。しかも、ヒステリックになったり。まあ、映画的演出だけど、だけどサンドラへの同情が深まるより、アホさ加減が見えてしまって、うーむ、だよ。
でこの裁判中、気を取り直して陳述するのが、実は下の子は亭主の自分への暴力を目撃していて、それで父親に恐怖を抱いている、というものなんだけど、知ってたらそのことをもっと早く言えばいいじゃないか、だよね。これも映画的演出で、劇的効果を出すため、なのかも知れない。けど、話がギクシャクして見えるだけなんだよね。
それと、サンドラには目の下に痣があり、子供たちには、神様がサンドラってすぐ見分けられるようについている、とかなんとか話しているんだが。裁判のとき、ファウンデーションで隠すようにしていた。それを、女医が拭き取って、自分自身で立ち向かいなさい的なことを言うんだけど、痣の存在はそこでしか威力を発揮しないのだよ。もう少しドラマチックな効果を発揮させられなかったのかね。せっかくのギミックがほとんど役に立ってない。
家の建築作業は、偶然知り合った工務店のオッサン、その、ダウン症をもっている感じの息子、カフェの同僚、その彼女の友人、女医、あともう1人いたかな。な連中のボランティアなんだよね。しかも毎週。見返りを求めず、ここまでみんなしてくれるのか? と思っていたら、工務店のオッサンが「アイルランドには、みんなで助け合うメハルという精神が根づいている」っていうんだけど、そういうオッサンが「この国に見返りを求めないやつはいない」っているのは、矛盾だろ。
ほんとうに、こんなやさしい人ばかりなのか? こんなボランティアに、ときに怒鳴り散らしたりするサンドラは、なんなんだ。文句言われてもボランティアやめない面々はなんなんだ。女医の娘も「土地あげちゃうの?」と不満げだったけど、途中からサンドラ支援にまわっちゃってるし。なんか、好意的解釈で成立してる映画だな、こりゃ。そのわりに、サンドラに感謝の気持ちが感じられないんだけど…。
いちばん高揚する場面は、柱が建って以降の、みんなで家を作っているとこかな。音楽もクランベリーズの“ドリームス”がかかるし。
けど、やっと完成した家を、なんとDV亭主が放火して燃やしてしまうというのは、なんて展開なんだよ。こんなんじゃますます共感できないよ。でまあ、落ち込んで寝てる(女医の家?)サンドラの枕元に亭主の母親が来て「逮捕された」といい、自分も亭主に殴られてきたことを告白するわけなんだが。さて、どうリカバリーするのか。と思ったら、娘2人が焼け跡の灰を片づけようとしているところで映画は終わってしまう。建設を手伝ってくれたボランティアの姿はない。
まだまだホテル住まいはつづくのか? 女医の家に住まわせてもらうのか? DV亭主の弁償があるのか? 家は建つのか? などなど、もやもやのままなんだよね。うーむ。
・最初は、転んで腰を痛めた女医の世話をしていて、女医の立ち上がるのを補助していたサンドラ。最後は、ベッドから立ち上がるのに、女医の助けを借りていた。助ける、助けられるは、お互い様ということだ。これは、なかなか象徴的でいい場面かも知れない。ありきたりのレトリックではあるけど。
水を抱く女4/6新宿武蔵野館2監督/クリスティアン・ペッツォルト脚本/クリスティアン・ペッツォルト
原題は“Undine”。主人公の名前だ。allcinemaのあらすじは「ベルリンの都市開発を研究する歴史家ウンディーネは、恋人から別れを告げられ深い悲しみに暮れていた。そんな彼女の前に潜水作業員のクリストフが現れ、やがて2人は深く愛し合うようになるのだったが…。」
Twitterへは「少しダークなファンタジー。読み解くための手がかりが散漫で、腑に落ちないところが多すぎ。あえてなんだろうけど、思わせぶりすぎないか。それともこちらの知識不足? 邦題は、読み解きを誘導するような感じでよくないと思う。」と書いた後でWeb検索。「で、調べたら『水の精 ウンディーネ』をモチーフにしたとか書いてあった。けど、そんなん知らねえよ。知らねえと分からん映画なんて、大したもんじゃない。」
というわけで前知識なしで見た感想は、うーむ、じれったい。よく分からん。思わせぶり? だった。冒頭からのウンディーネとヨハネスとの関係も、ヨハネスは気があるけどウンディーネがうっとうしがってるように見えていて、だから、後のウンディーネの戸惑いが、よく理解できずだった。映画を見終えて↑の「あらすじ」を見て、未練があったのはウンディーネだったの? へー、な気分になったしね。
題名からは、ファンタジーを想起した。けど、いつまでたってもファンタジーにならない。とくに映像に凝ってる風でもない。ウンディーネはフツーのオバサン顔の女性(プロフィールを見たら1995年生まれで驚いた)で、遊び人に恋して未練たらたらで、どこにも神秘性がない。とくにドラマもなくだらだら進むので、実は、前半は退屈。妖しい雰囲気は、カフェの中で、ウンディーネの聞く声が水中の中のようにくぐもる程度だったし。どこが「水を抱く」なんだ? な感じ。
ウンディーネが水の精であるなら、そういった雰囲気をまとわないと。彼女の部屋は素っ気なく機能的な感じで、新しくも古くもない。家具や調度、絵も見当たらない。小道具も、とくにない。彼女自身からも、水にまつわる何かを感じないし。そういう細かなこだわりが足りないんじゃないかと思う。
ウンディーネの存在をわずかながら妖しく感じさせるのは、クリストフが見た大鯰。湖の底に沈む建築物に描かれたウンディーネの文字程度。その後、2人で潜水したとき、クリストフが見た、鯰と泳ぐウンディーネ。これは、ウンディーネの素性の片鱗なのかもしれないけど、そのウンディーネは湖で溺れるんだから、水に弱いのか? と思ってしまう。これが逆で、ウンディーネがクリストフを助けるならまだしもなんだが。ウンディーネにかかってきたクリストフからの電話にしたって、実はそのときクリストフは事故にあっていて、意識がなかった、というもので、とくに水には関係ない。まあ、もしかしたら、クリストフの心の声が水を媒介にしてとどいた、と考えられないこともないけど。クリストフがウンディーネにプレゼントする潜水夫の人形も、意味ありげだけれど、ウンディーネの素性とは関係ない。ラスト近く、クリストフが久しぶりに湖に潜ったとき、伸びてくる腕と女の顔が、ウンディーネは、元は水中生物? と思わせるぐらいだ。ちっとも幻想的でもなんでもない。いまいち舌っ足らずで、いろいろ足りない。ウンディーネの神話をロクに知らなくても、なんとなく分かるようにつくらんとダメよね。
なぜウンディーネはヨハネスに惹かれつづけるのか? ヨハネスの代償して、クリストフを選ぶのは潜水夫だから? じゃあ、ヨハネスは、水に関係してるのか? してないよな。ラストも、潜水パートナーの女性にとって、気分のいいものじゃないはずだし。いろいろ、もやもやが残る映画だ。
・人工呼吸のとき、“ステイン・アライブ”を歌いながらするってのが笑えた。

以下、映画の経過をメモ。前後してるところもあるかもだけど。
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・カフェの外のテーブルでヨハネスがウンディーネを説得してる。ウンディーネはもうダメ、な感じ。ヨハネスは、ここで待つ、という。
・ウンディーネは館内に戻り、制服を着る。階段からカフェを見るがヨハネスはいない。住宅局で来館者に説明。このくだりがムダに長いけど、意味があるのか。
・ウンディーネはカフェに入るが、午後の休憩なのか。誰もいない。そこにクリストフが来て、これから近くで潜水の仕事があるが   解説が良かった。よかったらコーヒーでも、と言うがウンディーネはそれどころではない感じ。クリストフの声が水中のように歪みこもる。水槽には潜水夫の人形。クリストフは、諦めたように悪かった、帰る、といいつつ後退りし、水槽にぶつかる。揺れる水槽。危険を感じたウンディーネがクリストフを引き寄せる。水槽が割れ、水が流れ出す。ウンディーネの胸にガラス片がふたつ。クリストフが抜く。店員が戻り、あー、なんてこと、な表情。
・郊外の水辺。クリストフは潜水の仕事中、大鯰と遭遇。水から上がり、パートナーの女性と男性に、モニタに映る大鯰を見せる。
・駅に、ウンディーネが来ている。クリストフと付き合いはじめたのか。クリストフは汚いホテルで済まない、など言っている。ホテルで愛し合う2人。ウンディーネの傷は何針も縫うほどだったのね。
・ウンディーネを潜水に誘うクリストフ。水底の柱に、ウンディーネの名が書かれている。気がつくとウンディーネが潜水具を外し、ナマズと泳いでいる。次の場面では、ウンディーネが1人、沈みかけている。掬い上げ、スティンアライブに合わせて人工呼吸。息を吹き返す女。もっとここで人工呼吸を。ホテルに帰ってからしよう。キス。
・仕事場のウンディーネ。上司が、専門外の解説を要求。この時、潜水夫の人形(もらったのはいつだっけ?)が壊れる。夜、人形を直す。慣れない解説を暗記してると、クリストフが訪問してくる。いちゃついてて、ワインをこぼして壁にシミを作る。
・翌朝、歩く2人。肩を抱き合って歩く男女とすれ違う。駅でクリストフを見送る女。解説が済み、歩いているとヨハネスに声をかけられる。女のことは悪かった。また付き合おう。困惑する女。ここで待つから、仕事が終わったらきてくれとヨハネス。仕事場の窓から男がいるのが見える。
・解説仕事が終わってウンディーネはカフェへ。心では、好きな人ができたと言おう、と思っている。店員が、その女は出入り禁止だから5分で出て行けという。ヨハネスは、女のことは悪かった。やり直そう、と迫る。悩んでいる風のウンディーネ。好きな人ができた、と言えないウンディーネ。そのままカフェを離れる、のだったかな。
・午後の仕事の前の部屋。クリストフから電話で、なにか隠してるだろう。今朝、すれ違ったカップルがいたが、あの時、お前の鼓動が激しくなった。あの男が関係してるに違いない。と責める。困惑するウンディーネ。その後、ウンディーネはクリストフの留守電に、すれ違ったのは元カレ・ヨハネス、と録音する。
・ウンディーネは、心配になって、クリストフの潜っていた水辺に行く。すると人だかりで、クリストフが水中で事故にあったと聞かされる。病院に行くとパートナーの女性が付き添っている。12分間呼吸できなくて、脳死だという。
・夜、ウンディーネはヨハネスの家に行き、泳いでいたヨハネスを片手で沈め溺れさす。(※この時、「両親が来るわよ」と話していた女は誰だろう?)
・ウンディーネは、クリストフが潜っていた水辺に行き、水中に入っていく。
・ガバっと起き、気づくクリストフ。仕事場に行くが、いない。自宅に行くと、別の男女が住んでいて、3ヶ月前から短期で借りているという。カフェに行くと上司がいて、ウンディーネはフリーだから、分からない、という。
・2年後。クリストフはパートナーの女性と付き合っていて、女性は妊娠している。その彼女が、例の水辺での仕事を、誰かの代わりにやってくれ、という。久しぶりの潜水? 作業が終わったと思ったら、白い手が伸びてくる。顔を上げると、ウンディーネの顔が! 慌てて水中から引き上げられるクリストフ。陸に上がると、一目散にモニターへ。録画を再生したが、ウンディーネは写っていない。
・夜、クリストフは1人、水の中に誘われるように入っていく。それを追い、見守るパートナーの女。上がってきたクリストフの手に、潜水夫の人形。〜終わり。
テスラ エジソンが恐れた天才4/9ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/マイケル・アルメレイダ脚本/マイケル・アルメレイダ
原題は“Tesla”。allcinemaのあらすじは「1884年、移民としてニューヨークへやって来たニコラ・テスラ。憧れのエジソンのもとで働き始めた彼だったが、直流システムを掲げていたエジソンに対し、交流を主張して対立し袂を分かつことに。その後、実業家ウェスティングハウスと手を組み、シカゴ万国博覧会での交流システムの大成功によってエジソンを打ち負かし、時代の寵児となったテスラだったが…。」
Twitterへは「女流講釈師の解説を挟みつつ、再現ビデオみたいなエピソードを淡々とつなげた感じで、盛り上がりもなし。場面転換は、背景がイラストor写真の合成でなかなかチープ。フツーにドラマにすりゃあよかったんじゃないの。」
テスラといったらMRIの磁気強度の単位で覚えていただけで、テスラさんがいたのは知らなかったし、交流・直流でエジソンとライバルだったのも知らなかった。ほかにもいろいろ発明してたのね。にしては、一般的な知名度はいまいち、なのはお気の毒。とはいえ、この映画がテスラの全貌を面白く描いているかというと、さにあらずで。なんだこれ、な構成と演出なので、なかなか退屈だった。5分ぐらい目をつむってしまったし。
冒頭は、テスラと女性(このときはJ.P.モーガンの娘アンとは分からず)がローラースケートでどっかの部屋をよろよろしている場面で、そっからいったん生まれ育ちを語る場面になるんだが。この語りはアンによって行われ、しかも、客観的に解説するような案配で。完全にドラマとは分離してるのだ。それでは、テスラがこのアンと結婚するのかと思ったらそんなこともなくて。じゃあテスラとアンはどういう関係なのか? アンは後半で「私の申し出を受けてくれなかった」的なことをいっていたけど、あれはアンの方から求婚した、ということなのか? 
テスラをめぐる人物も、よく分からん人々が多い。クロアチア(?)では同僚でともにアメリカに来て助手のようなことをしていた男性がいたけど、彼は途中で消えてしまう。テスラの、交流に関する弁護士のような男性は、顔をちゃんと覚えきれず、最後までいたかどうかよく分からず。たびたび登場していた女性は、この弁護士の妻だったのかな。ほかにも支援者がいたような気がするけど、ドラマ仕立てになってないところが多いので、いまいち頭に入らなかった。※ウェスティングハウスもでてたか。でも、記号的なんだよね。
エジソンは、分かる。カイル・マクマクランが演じてて、なかなか似てる感じ。でも、散文的な描き方で、しかも実績や失敗の様子が語りで紹介されることが多くて、頭に入りにくい。しかも、アンは実際はなかった場面をあえて映像化して見せたりしている。「直流or交流で対立し、ソフトクリームをくっつけ合う」「エジソンが交流に負けた、と謝った」(このときエジソンはスマホいじってなヵったか?)とか、映画的遊びとしても紛らわしいだろ。
大規模な放電実験の前あたりで、ちょっと目をつむってしまった。まあ、大勢に影響はないだろ。
よく分からないのは、テスラの資産状況で。モーターや交流では特許を得て、なかなか実入りがあったように思うんだけど、その後、J.P.モーガンに資金提供を願ったりしている。マルコーニが電信を発明したときも、テスラの特許を使っているとのことなので、じゃあバンバン特許料が入ってきてるのか? と思ったら、そうでもない感じだし。
後半になっても発明意欲は衰えないけど、頭で考えたことを形にするとか、ちょっとオカルトじみてきてしまって、J.P.モーガンに相手にされてなかったところもあるような…。なんて思ってたら、アンの解説でテスラの死を知り、アンはとせっか外国のボランティア施設で働いているような絵がでてきて、ぶっきらぼうに終わってしまう。映画を見たという高揚感はないし、ロマンスもとくにないし、テスラに対する魅力もそんな盛り上がった気もしない。いろいろスッキリしない映画だったよ。
・アンを演じたイヴ・ヒューソンは見覚えがあって、ネトフリ配信の『瞳の奥に』の人だったか。でも、『瞳の奥に』のストーリーはすっかり忘れてるよ。
ニューヨーク 親切なロシア料理店4/12ギンレイホール監督/ロネ・シェルフィグ脚本/ロネ・シェルフィグ
原題は“The Kindness of Strangers”。allcinemaのあらすじは「マンハッタンの老舗ロシア料理店“ウィンター・パレス”。かつての栄華も今は昔、出所したばかりの謎の男マークがマネージャーとして雇われ店の再建を任されていた。一方クララは夫の暴力から逃れるために2人の子どもを連れて家出し、無一文でホームレス生活を余儀なくされていた。やがてクララはウィンター・パレスに逃げ込んできて、マークや店の常連客アリス、商売下手なオーナー、ティモフェイらとめぐり会うのだったが…。」
Twitterへは「前半は期待させたけど、DV夫からの逃避、子供が足を引っぱる、というクリシェが新鮮味を削いでる。母親の行動もバカっぽくて共感できないし、最後はなあなあだし。まあ、ビル・ナイだけは最高だけど。」
捨てる神あれば拾う神あり的な善意の話で、心温まる物語に仕立てようとしている気配が濃厚な群像劇。なんだけど、主要な人物の中のクララが、どーしても共感できる感じではなく、客観的に見てしまう。亭主が警官でDVで、上の子に下の子を殴らせるとか、そのときの写真をPCに保存してるとか、いささか変態気味なのが後半に分かっては来るんだが、前半は単なる暴力亭主な描き方。で、これが、こないだ見た『サンドラの小さな家』と同じなんだよね、設定が。いま流行りなのか? こういうの。もちろん、DVは気の毒だとは思うけど、そこから逃れる方法は他にもあるのではないかと思ってしまうと、クララがアホに見えるんだよね。まあ、幼く子供をつくり結婚したから無知であるというのは理解できるけど。でも、いささかステレオタイプ過ぎないかと思う。
で、ほぼ一文無しで2人の幼い息子とクルマで家を出奔し、金がないから人の好意にすがったり、スーパーや高級洋品店で万引きしたり、どこかのパーティに潜入してオードブルをくすねたり。しかもそれが慣れてる感じ。さっさと教会とか救済所へ行けばいいのに、と思っていたんだけど、そういうところに行くのは後回し。なんだこの女。という感想の方が先に立ってしまった。
最終的に彼女に手を差し伸べるのは、ロシア料理店でマネージャーを任されたばかりのマークなんだけど。彼は他人の罪をかぶって起訴されたけど、弁護士の機転(?)で罪を軽くして(8年が4年で出所といってたけど、じゃあ勝った部類に入らないじゃんと思うんだけど、詳しいことは分からず)、その出所祝いでロシア料理店で弁護士と2人の祝賀会を開き、でも、閉店なのに店の人がやってこないのでうろついていたら、オーナーとスポンサー?がだらだら話してるところに、おいでおいで、をされ。気に入られたのか、調理場を任されることになったという、得体が知れない感じ。
そのマークと弁護士は、看護師アリスがボランティアで教会で開いているセラピーに参加していて、弁護士は「悪人を無罪にすることに耐えられない」からとか言ってた。
その看護師アリスはたまに高級ロシア料理店にやってきて、いつものやつを頼んだりしているけど、男と別れて孤独とつき合っている感じ。
他に、何やってもドジで、ちょっと知恵遅れ気味の青年ジェフが登場して、アパートを追い出されて凍死寸前にところを救急隊に救われ、アリスが面倒を見たりするつながりがある。
てな人物が個々に描かれつつ、しだいに混じり合って、助け合う、という感じ。いちばんの被害者はクララで、盗みをしたりしながら子供に食べさせ、でも、クルマはレッカーされ、その関係でか亭主に居所を知られ、逃げたり追っかけたり。ロシア料理店に逃げ込み、テーブルの下に隠れているのをマークに知られ、でもマークは追い立てず、そっと食事を置いてったりする。さらに、あてがわれている上階の部屋に親子を住まわせたり。なんだけど、クララにはあんまり感謝の念が見えないのよね。
ジェフは、炊き出しの裏口から入り込み、アリスにボランティアと勘違いされ、そのままアリスの手伝いをしはじめる。けど、メインストリーではない感じ。メインは、クララと亭主の攻防なので、いまいち心に刺さらず。
ところで、この手の話で足を引っぱるのはいつも幼い子供なのがありきたり。最初は、図書館で行方不明になる。次は、夜中に起き出して雪の降る外に出たまま戻れずあわや凍死。ここでも子供は病院に担ぎ込まれ、アリスの世話になる。警官夫が、子供を渡せ、と要求する裏をかいてアリスが身元引受になったのか退院させ、ついでにアリスは病院からも逃げ出してしまう。まあ、法的には父親の主張が通りやすいんだろうけど。
で、伏線として、長男がネットで調べ物、というのが何度もあるんだけど、目的は何なのか、と思っていたら、なんと父親のPCへのハッキングだったという。まあ、成功しなかったけど、父親が虐待の写真を保存している、ということを母親に知らせ、マークから弁護士へ。では、本格的な法廷闘争になるかと思ったら、ここは手抜きで、あっさり父親が逮捕され、長期拘留になるという結末。だけど、証拠もなくて父親のPCを確保し、中を覗くのはムリだと思うんだけどね。話が都合よすぎ。
しかも、クララとマークはいつのまにか好き合っていて、なんじゃらほい、な感じ。マークほど理性的で知的な男なら、クララに惹かれるとは思えないんだけどね。
さらに、弁護士とアリスがつき合うようになり、ロシア料理店の経営権はマークに、移ったのか? で、ジェフはドアボーイに雇われて。みんなまるく収まった感じだけど、ジェフはあれこれ失敗をしでかすに決まってる。
・店のオーナーをビル・ナイが演じていて。まったく儲け仕事に関心なく、その日その日をひょうひょうと送ってる感じで、ナイス! 子供2人を預かって、ビル・ナイがあやすことも分からず、子供に「メニューでも見るか?」は笑った。
・分からない演出といえば、店でアリスとクララ親子が食事をし、なぜかアリスが席を離すと、クララと子供2人がいなくなるんだが、アリスが席を離した理由が分からない。なんなんだ?
 ・マークがクララ親子を部屋に住まわせようというのに、長男はマークに「ママと僕に近寄るな」と悪態をつく。なんで? 理由が分からない。
牡牛座 レーニンの肖像4/13シネマ ブルースタジオ監督/アレクサンドル・ソクーロフ脚本/ユーリー・アラボフ
原題は“Телец”。牡牛座、らしいけど、どういう意味があるのだ? allcinemaのあらすじは「1922年、モスクワ郊外のゴールキ村。1918年の暗殺未遂事件の際の被弾が原因で、以降たびたび発作に見舞われ、健康を悪化させていったレーニン。右半身は麻痺し、まだらボケも進行し、この地で長らく療養を続けている彼のかたわらには、もはや妻と妹のただ2人しかいなかった。いまや権力はスターリンが掌握し、レーニンの療養生活は、一方でスターリンの厳しい監視下に置かれた軟禁生活となっていた。」
Twitterへは「レーニン晩年の1日を描いてるらしいけど、背景やここにいたる経緯、世話をする2人の女性の素性、スターリンとの関係とか、とくに説明もなくだらだらと意図せず多少コミカルに描かれてて、なんだかなあ、な感じだった。」
暗い室内のベッドに横たわるレーニン。小太りのオバサンは誰なんだ? 時代背景の説明は一切ないので、知ってる人には納得なのかも知れないけど、知らない人にはまったく理解不能な映画だ。よたよたしてるけど声には張りのあるレーニン。元気じゃん。さあ、ピクニックだ、ってクルマで出かけようとすると、カメラマンが写真を撮る。「撮るな!」と叫んでいるのはレーニンか? でも、誰も止めない。何度も「撮るな!」で、やっと制止し始めて、でも、押しくら饅頭でもみくちゃにされるレーニン。コメディかよ。元気じゃん。途中、立木が倒れていて、近くを歩いていた兵士の手助けによって除去。のんびりランチ? もどると、やってきたのはスターリン? なんか偉そうに歩いて、小太りオバサンと会話しながら、へらへらしてる。会って話ししたんだっけ? ののち、食事のテーブル、だったかな。食事の後にスターリンだったかな。まあいい。で、その食事中、「さっき来たのは誰だ?」といいはじめるレーニン。でも、スターリンというセリフはない。書記長、と言ってたのかな。「誰が選んだんだ」といいはじめるレーニンに、オバサンだったか、もうひとりの女性(あとから妹と分かる)だったかが「あなたも選んだのよ」とかいわれて呆然となるレーニン。ボケとるのか。突然、杖を振りまわして暴れまくるレーニン。元気じゃん。周囲もまじめに止めていなくて、ひとりの兵士は、ナプキンを軽く投げるだけだったり。コメディかよ。の後、屋上みたいなところ(庭だったかな)で椅子に座ってるんだったか。クレムリンから電話、てなことで、オバサンがあたふた建物の方へ行く。呆然と疲れ果てたようなレーニンが、椅子に座って眼を閉じ、死んだか、と思ったらまた目を開けて、虚ろ。なところで終わったような気がする。のだが、全編映画に集中できず。というのも、ピントがずっとずれてたから。
★16時の回、観客は2人。もう1人は中年の女性だった。本編始まって画質が悪いのが気になった。字幕もにじんでる。暗い室内の場面で、人物の顔がよく見えないし、誰がどのセリフをしゃべってるのかも分かりづらい。それが気になって話が頭に入らない。字幕のにじみはピンズレのせいか? こんな字幕もないことはないが…。自分の視力のことも考え見てて、いらいら。字幕が左側に出ることもあって、この場合のボケはさらにひどい。途中、なんども言いに行こうかと思ったんだけど、上映時間中、受付に人がいるかどうかもわからないし。しょうがない、我慢して、終わってから言うか。と思ったとき(たしか、屋上or庭でレーニンが座ってる場面だったかな)、突然、字幕のピンがきた。細くて締まっている。画調も、芒洋としたなかに、輪郭のエッジも立って、人物の表情も見える。振り向くと、プロジェクターが変わっていた。時間は17時。1時間でロールチェンジし、それでピンがきたということは、最初のロールのピンがズレていたと言うことだ。やれやれ。だけど、いまさらだよなあ。というわけで、上映終了後、受付の青年に、これこれだった、私の要求としては、もう一度この映画を見る権利をもらいたい、と話した。画面にピンを合わせることもあるので、その場合は字幕にピンが来ないこともある、などと言われたが、上下巻とも同じ配給から提供されているというので、それで画調が変わるなら配給からコメントがあるはず。それがないなら、ピンズレだろうと話した。技師と話してもいい旨も話したが、彼が後方映写室に行き、話を聞いてきたところによると、どうも技師は気づいていないようだ。それで、特別招待券を1枚発行してもらった。もう一度見たら、状態がどうだったか報告して欲しい、とも。まあ、ひと安心。それはともかく、一緒に見ていた女性は何も言わないで出ていってしまった。私がピンズレの話をしているのは耳に入っていたと思うんだが…。日本人は、正しいクレームをつけないんだよね。
街の上で4/14ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/今泉力哉脚本/今泉力哉、大橋裕之
映画.comのあらすじは「下北沢の古着屋で働く青年・荒川青は、たまにライブを見たり、行きつけの古本屋や飲み屋に行ったりしながら、基本的にひとりで行動している。生活圏は異常なほどに狭く、行動範囲も下北沢を出ることはない。そんな彼のもとに、自主映画への出演依頼という非日常的な出来事が舞い込む。」
Twitterへは「初めは、なんかな、と思ってたんだけど、警官登場から話が面白くなり始めて。男女のあれこれ、つながりの錯綜、意外な展開、会話の妙…。伏線の回収も何気なく自然で、はははは。解明されてない人物や裏事情もまだあるし、できたら続編が見たい!」
恋人に浮気され、別れ話を持ち出された青年が、あれこれあって、結局元のサヤに収まるまでの数ヶ月(?)の話を淡々とコミカルに描いてるだけの映画なんだけど、青年=荒川をめぐる女性たちが、それほど美人ではないけどみな魅力的で可愛くて怪しくて。それぞれの男関係がしだいに見えだして、つながっていき、おお、な展開になったり、なかなか意外性に富んでいて、しかも、会話も洒落てる。エピソードもカルチャーくすぐるところ多い。何気に描かれる伏線を、なるほど、な感じで回収していくところは『運命じゃない人』ほどではないけど、なかなか洒落てるし、話を作り込んでる感じがして楽しめた。すべてのキャラがはっきり区別できて、混乱しないのもいい。とはいえ、謎のまま残された部分もかなりあって、それはやっぱり気になる。サイドストーリーとして、ウェブで公開するとかしてくれたら嬉しいけどなあ。
最初は、映画のなかで読書するシーンがいくつか。最後に、荒川の使われなかったシーンも。のあと、彼女=雪の誕生パーティの日に、別れ話を切り出されて唖然な荒川の場面から実質的に話が始まるんだけど。この場面、荒川のセリフがオウム返しでくどくて、いまどきよくある説明的セリフだな、って少しがっかりした。それと、「浮気されてその上捨てられるのはひどい」って荒川が言うのが、そりゃ変な理屈だな、と。いくら荒川が雪を好きでも、相手に浮気されたら男の方としてもメンツが立たないし、別れても当たり前の流れだろ、とフツーは思うだろ。なので、最初はもやもやした。
次は荒川の仕事場。古着屋にカップルが来て、男としては「好きな女性に告白するから、お前、服を選んでくれ」という話で来たらしい。2人はつき合っているのに、男は「お前は2番、彼女が1番なの。彼女にはつき合ってる男がいるけど、ひょっとするかも知れない。だから告白させろ」と。女は、男が好きだからそうさせたくない。その会話のギクシャク加減がおかしい。そして、この2人の関係は、荒川と雪との関係の裏返しだったりする。
荒川は馴染みの古書店で、店番してる冬子に「音楽やってたんですって?」と聞かれ、「学生の頃。チーズケーキって曲をつくった」なんて話をして、1冊本を選び、そのとき冬子に「店主と関係あったの?」とズバリ聞いて引かれる。おい。そんなこと聞くかよ。なので夜、留守電にゴメンのメッセージを録音するんだが、その内容が、なるほど、と頷けるような内容じゃないんだよね。で、翌日また古書店に行って「留守電聞いてくれた?」と問い、その場で再生されるという、なんか、恥ずかしいよなあ。冬子は、もしかして荒川のことが気になってるのか? なんか、そわそわする関係だな。
荒川がカフェに行くと、客がヴェンダースの『アメリカの友人』について話していて。あとで店主が「ともだち、じゃなくて、ゆうじん、なんだよね」と蘊蓄を垂れる。下北にいそうだな。さらに店主が「文化はすごい。街は変わっても文化は残る」と、いろいろ挙げる中で「写真…は違うか」と写真はただ写すだけ、文化じゃないみたいなことをいうのは、そりゃないだろ、だけど。意図的にそう言わせて、店主の文化に対する考え方を揶揄しているのかも知れない。
カフェには漫画ファンのお上りさんもきてて、店員娘に場所を聞いたりしてる。登場する階段を下北の駅だろうと言って、店員娘に「これ、モロ新宿ですよ」といわれて恥ずかしげだったり。こういう人も来る街・下北を何気なく紹介したりしてる。で、店員娘が街の案内をかってでて、近くの白鳥座の前で田舎娘の写真を撮っていると、向こうから、荒川の店でTシャツを買った男が1人で歩いてきたりする。
ライブに行くと泣いてる女がいて、幕間にロビーで彼女が荒川に「煙草1本くれ」と来るんだけど荒川もなくて。そしたら彼女、別の男性に2本もらって荒川にもくれるんだけど、それがメンソールで。なにか進展があるのかと思ったら、彼女は知り合いを見つけてそっちに行ってしまう。その後の解き明かしがないので、彼女の素性が分からないのがくやしい。実は、な裏話は用意してたけど、尺の関係でカットしたのか。カットした、というと、この後登場する美大の女学生監督の「映画として不要なカットは使わない」という言葉が連想されるけど…。
で、行きつけのバーに寄ると、マスターに「雪ちゃんにしつこく電話してんだって? やめなよ」と諫められたり。荒川は雪がつき合ってる相手を聞き出そうとしたり。でも、マスターは教えない。かと思うと、常連仲間が芝居に出るので太るようにしてる話を聞かされたり。
スズナリ前で路上禁煙を警官に注意されたのはここだったかな。「芝居やってる姪がいて、実は姉の連れ子で同年代で、好きなんだけど法律上は結婚できない。どう思う?」なんて延々と話すのがおかしい。この映画の不思議感がにじみ出てきて、面白くなってきてる感じ。警察官がいい。と思っていたら、最後にもうひと働きするのよね、この警官。な感じで帰り、罪悪感があるので古書店に電話すると留守録で、謝罪と釈明をメッセージに録音…する、と。
ここらあたりから以降は話の順番はうろ覚え。店で読書してると美大の女学生がやってきて、映画に出てくれ、と。バーに行って話すと役者志望のデブに「それは告白、受けない手はない」とわれ、ではと冬子に頼んで古書店内でスマホでシナリオのシーン(本を読むだけの場面)を撮影してもらい、練習。なことしてるうち、荒川が古書店で買った本の中からメモがはらり。よく読めなかったんだけど、冬子ではない別の女性の名で、死んだ書店主への思いと振られた恨みが書かれていた。それを読んで、娘は、自分が妻ある男にしか惹かれない、と告白するのが意味深。メモの女性は、ああして古書店の客に店主が女に手が早いということを知らせようとしていたのか。怖いけどな。
それにしても書店主はいったいなんで亡くなったんだろう。カフェのマスターは「亡くなった日、店に来て、でも満席だから帰ってもらった。あのときここで食べていけば死ななかったかも知れない」といっていたけど、事故か? あと、少し疑問は、冬子が店主が亡くなった古書店で相変わらず店番をしてること。店は奥さんが継いで、冬子はそのまま勤めているということか。でも、店主の嫁さんは登場しない。あれ? 古書店主は、いまは独身なんだっけ? その場合は、誰に雇われてるんだろう、冬子は。記憶があやふや。
で、撮影当日。荒川は控室へ案内されるんだけど、学生映画にしては豪華すぎる近くのマンションで。先客はジイサマ。衣装に着替えて、と渡されるのが、着てきた上下とほぼ変わらない不思議。次ぎに来るのが女性で、次に男性俳優で、朝ドラに出てる有名男優、で荒川興奮。「元カノがあなたのファンで」「でも、伝えられないね」という会話が、ちゃんと伏線になってるのは後から分かる。で、撮影だけど、緊張しまくりで上手くできず、女学生監督は別に予定してた男性に同じ役をさせて撮影する。ぼーっと見てる荒川。に、明日は撮影休みなので飲みに行くけど来るかと誘われついていくけど。酒席でスタッフ男性がなんであんなの選んだんだ、と聞こえる声でいうのを聞いている荒川に、スタッフの小道具担当らしき城定という娘が寄ってきて…。意図は何なんだ? 城定によると、監督と言い合いになってる男はくっついたり別れたりしてる、とかなんとか。これまた、荒川と雪の関係とのアナロジーであることが、ラストで分かるわけだが。で、2軒目に行くというので帰ろうとする荒川のところに城定がやってきて。「行かないんですか?」「僕はアウェイだから。あなたは?」「私もアウェイだから」といい、「ホームへ行きましょう」というからなじみの店にでも連れて行くのかと思ったら自宅で、しかも控室になっていたファミリータイプのマンション。理由は誤魔化してたけど、なにがいろいろあって、下北にあんなマンション住まいなんだ? 謎は深いぞ。
そこから、荒川と城定の、お茶を飲みながらの恋バナが延々とあるんだけど、途中の長回しのだらだら話はなかなかいい。会話も自然で、脚本は設定だけでアドリブみたいな感じ。荒川は雪との出会いと別れを話するんだけど、雪に「下手ね。AV見て勉強しなさい」と言われ、それでもうまく行かず風俗に行ったら、お姉さんに童貞をこんなところで捨てるなと言われたとかなんとかで。で、その相手とラーメン屋で出会った、というエピソードを紹介するんだけど、最初の方で登場してた、ラーメン屋で後ろ姿だけ写る女は、そういう経緯だったのか。なるほど。
ところで、城定が名前を説明するとき「映画監督の城定秀夫の城定」らしい。そんな監督知らねえよ。あとで調べたら『アルプススタンドのはしの方』の監督だった。あとはほぼピンク。その監督名で荒川が納得したということは、ピンクを見慣れていて知っている、ということかな。
城定の最初の彼氏は、言うほどではない、という。で、2番目の彼氏は相撲取りで故郷の同級生。キスしただけ。でも別れた。好きだったのになぜ別れたか? 答は明かされなかったと思う。で、城定の3番目の彼は、好きじゃなかったけどつき合った。めんどくさい奴? これに対して、荒川は「好きじゃないのに付き合えるの?」「寂しさを紛らすため」とかいう会話だったかな。なぜ男女が付き合うか。なかなか難解だ。で、3番目の彼は合鍵を持ってままだ、という。でも、くるときは電話してからくる、という。なかんだで、城定は自分の寝室へ、荒川は居間で寝たのか。しかし、女の子に誘われ、泊まっていけと言われて、落ち着いて寝られるものか…。
この2人の会話の中だったか、居酒屋でだったか。。有名俳優が出てるなんて凄い、と荒川が言うと、「恋人と別れ話が出てるらしい。ヘアメイクが聞かされた」とかいう返事があって。これも、伏線だったりするのだ。
さて、実はこの間に意外な展開が裏で起こっていて。というのも、有名俳優の別れ話の相手、というのが、なんと雪だった! というわけで、有名俳優と雪の別れ話が、冒頭の荒川と雪とのときと同じような感じで進んでいたのだ! 雪曰く、あなとのことは好きだけど、つき合ってると疲れる。元彼=荒川の方がリラックスできてた。だから別れたい、と。なんとまあ我が儘な女だこと。
てなわけで別れ話の後、雪はバーに行ってマスターとあれこれ。要は、荒川とよりを戻したい、とかなんとか。このときだったかな、奥に酔っぱらいがいてへべれけ。例の太る役づくりしてる役者だ。蹴躓いて床に倒れてしまう。マスター曰く、芝居のキャスティングが流れたらしい。もともとオーディションレベルで決定してなかったのに本人は決まったと思って役づくりしてたんだろう、と。
翌朝、荒川が帰ろうとすると、城定も一緒に出るという。で、玄関口で出かけようとしていたら、チャイム。開けたら金髪の男で。荒川を見て、慌てて去って行った。ははーん。3番目が朝きたということは、前日城定はすでに電話を受けていて、翌朝来ることを知っていた。なので荒川を誘って家に泊まらせた、ということか。泊まらせても安心な男、と見抜かれたんだろう。なかなかだ。
てなわけで、荒川が城定と彼女のマンションを出て歩いていると、Tシャツを買ったカップルに遭遇。女は店に来てた客だと思うので、告白は失敗したのか。でもTシャツは気に入った様子。さらに歩いていると、バーのマスターと雪に遭遇する。雪とマスターは、荒川に彼女ができたと思う。荒川は、やっぱり雪はマスターとできてたのか、と思う。互いに、どうなってんだ? って言い合いになるのが面白い。と、そこに城定の3番目の彼が自転車でやってきて、城定に合鍵を返す。新しい彼氏と上手くやってくれ、と。それを聞いて、マスターと雪は「やっぱり」と思う。荒川は「彼氏じゃない。つき合ってない」と抗弁すると、3番目の彼は「彼氏じゃないのか?」。城定は「いや、彼氏」、荒川は「彼氏じゃない、あ、彼氏だ、いや」としどろもどろ。荒川は、マスターと雪をまだ疑ってる。なのでマスターは「正直に言っちゃいなよ」と雪に言うけど、雪は「言わない」とキッパリ。というわけで、もうわけ分からなくなるのが笑える。この場から逃げるように、雪が金髪男の自転車を奪うように逃げていくんだが、このとき、金髪男は「あ、ぼ、僕の自転車!」ぐらいいってもいいよな。でも言わないのがちょっと演出としてはどうなのか。
その雪の乗る自転車を、例の警官が停めて、登録ナンバーを見始める。これはヤバイと思ったか、雪は、自分の自転車ではない、借りた、借りた相手の名前は知らない、と言いだす。なんて会話を進めながら、警官は「あなた役者さん? きれいだから。姪が役者してるんだけど、同年代で。好きなんだよね。正直に告白しちゃおうかな。でも、内緒だよ」と荒川にと同じことを言いはじめる。雪は、警官が「正直に告白する」と言ったことに反応したのか、「私もそうする」と自転車を置いたまま走って戻って行く! 正直に話すことを決意したようだ。
荒川のところに、雪と有名俳優がやってくるのは、どこだったかな。このあたり? 有名俳優は雪の元彼が荒川と知っているけど、荒川はびっくり。え? えー! な感じで、有名俳優は「振られました」と帰っていく。「え、いいの? 彼のファンだったじゃない」と雪に言ってたかな。このバカ正直っぽいところがなかなかいい。
完成上映会が終わり、女性監督が来客を送り出している。見終えた古書店の冬子が「荒川さんの出番がなかったのはなぜか?」と監督に詰め寄る。「カットすることは本人にも話しています」「荒川さんは、一所懸命に練習してたんです」としつこく追求する。そこに城定がやってきて、監督は、なんとかして、な感じ。城定は「下手やったんです。ガチガチに緊張してて」とズバリ。冬子はちょっと唖然としてたけど、そういわれては反論の仕様がない感じ。冬子は荒川に気があったのかな。
この後の順番は、よく覚えてないんだが。バーのシーンがあった。ごつい男がやってきて、誰それは来るか、といっていたけど、あれは例の作家志望の役者志望の男のことかな。よく聞こえなかったんだが。そういえば、相撲取りの役だったけれど、元相撲取りに役を取られた、といっていたっけ。では、役に決まったのはこの男? そして、もしかして城定の、いま十両してる2番目の彼と何かつながりはあるのだろうか。
このあたりだったか、荒川が、かつて作曲したというチーズケーキの曲を弾き歌っている。
相変わらず古着屋で店番の荒川。そこに城定がやってきて。「完成試写会、こなかったですね」と。「行ってもねぇ」と荒川。その彼に城定は、荒川のシーンが使われてた、と嘘を言う。あれはなんでなんだろう。※後から思うに、城定は堂々と嘘をつく、という種明かしなのかも。元彼が翌朝来ることを知らせず、荒川を家に泊まらせたのも、ある意味で嘘なわけだから(映画仲間はアウェイだ、とか嘘でしょ)。もしかしたら、城定の話した恋バナも、どこまで信用できるかわからんかも。
荒川の部屋に雪が来ている。荒川が、別れた日のケーキを冷蔵庫から取り出して、「どうなってるかな」といいつつ箱をあけると、見た目は大丈夫そう。荒川は「やめとこう」というけれど、雪はスポンジのところをつまんで食べる。「チョコレートは大丈夫でしょう」という雪に、おそるおそるの荒川が、食べる。そこでEND。
と、細々と書いてしまった。ははは。
牡牛座 レーニンの肖像4/17シネマ ブルースタジオ監督/アレクサンドル・ソクーロフ脚本/ユーリー・アラボフ
原題は“Телец”。allcinemaのあらすじは「1922年、モスクワ郊外のゴールキ村。1918年の暗殺未遂事件の際の被弾が原因で、以降たびたび発作に見舞われ、健康を悪化させていったレーニン。右半身は麻痺し、まだらボケも進行し、この地で長らく療養を続けている彼のかたわらには、もはや妻と妹のただ2人しかいなかった。いまや権力はスターリンが掌握し、レーニンの療養生活は、一方でスターリンの厳しい監視下に置かれた軟禁生活となっていた。」
というわけで、招待券を使って2度目。今回は最初のロールからピントが合っていて、字幕も痩せて明瞭だった。とはいえ、安心したのか眠くなり、スターリンが見舞に来る前辺りからうつらうつら…。気がついたのは、屋上でスターリンとレーニンが話している場面だった。この後、食事になって。さっき誰か来たようだ、と呆けまくる。グルジア人か? ユダヤ人? スターリンの名を耳打ちされ、「誰が選んだ?」「あなたも選んだわよ」とかいう会話があり、なぜか突然レーニンは大乱闘に及。このあと薬草風呂に浸かり、妻に車椅子を押されて庭に行く。そこに「中央委員会から電話」と叫びながらくる女がいて、妻が屋敷の方へ。レーニンは椅子に座って眼を閉じ、また開けて…。空。でEND。
最初の方は、介護人に新聞を奪われたり、唯物論的思考をあれこれつぶやいたり、医師に「22×17の計算ができるか?」と言われて焦りまくる。介護人に爪を切ってもらったり、回復してきているようなので狩りに行く許可が出て、カメラマンと騒動を起こし、クルマで行く途中の立木をどかし…。のあたりから、睡魔と戦いつつ…。だった。
2度目見ても、大して評価は変わらない。それがどうした、な感じで、説明も足りないし、ドラマも特になくて、退屈極まりない。
★中央ブロック上手側後方に座ったんだが、ときどき席が揺れる。ここは仮設席なので揺れるのは分かっているんだけど、どうも右後方の人物がときどき動く(歩く)ようだ。明るくなってから見ると、上手後方に階段があり、上にドアが。たぶん映写室につながっているのだろう。もしかしたら、技師が確認のため客席に降りてきて、見ていたのかも知れない。とくに、先日、私が注文つけたから。でも、席が揺れるのは気になるんだよね。
★先日の受付青年に、次に見たとき、状態がどうだったか教えてくれ、と言われていたので、担当者は違っていたけど、最初のロールからピンが合っていたと、伝えておいた。
ブレイブ -群青戦記-4/20109シネマズ木場シアター7監督/本広克行脚本/山浦雅大、山本透
allcinemaのあらすじは「全国屈指のスポーツ強豪校“星徳学院高校”で弓道部に所属する西野蒼は、才能はありながらも消極的な性格から成績には恵まれていなかった。彼の幼なじみで、それぞれ弓道部と剣道部で活躍する瀬野遥と松本考太は、そんな蒼のことをいつも気にかけていた。そんなある日、突然の落雷の後、学校の周囲が見慣れない風景に変わり、野武士の格好をした男たちが現れる。生徒たちが刀を持った彼らに次々と襲われパニックになる中、歴史オタクでもある蒼は、自分たちが“桶狭間の戦い”直前の戦国時代にタイムスリップしたことを悟るのだったが…。」
Twitterへは「『戦国自衛隊』と『BTF』を混ぜた感じで、でもタイムスリップしたのは高校生たち。にしても素手で武士に向かうとかあり得ん。じれったい主人公にもイライラ。大仰でクサイ芝居と脚本は、いくら原作が漫画でもなあ。」
本広克行は『踊る捜査線 THE MOVIE』『スペーストラベラーズ』『サマータイムマシン・ブルース』の頃は緻密でウィットの効いた映画を撮っていたんだけど、『曲がれ!スプーン』は大雑把だったし、『ビューティフルドリーマー』も完全に拍子抜け。テキトーで神経の行きとどかない映画を量産している。これもそんなテキトー映画だった。高校生を演じる若手はほとんど知らんし、顔が分かるのは三浦春馬と松山ケンイチぐらい。まあ、若手人気俳優が顔を出してりゃOKな映画なんだろうけど、もう少し完成度を高める意識を持って欲しいところ。
設定が使い古されているのはしょうがない。であれば、映画として、原作を超える何かを期待したい。けれど、高校生でキャラ立ちしてるのは5、6人で、顔は出てくるけど掘り下げされてない役者が大多数。しかも、みんな呆気なく死んでしまったり。主演の2人しても、ほとんど記憶に残らないし、共感もない。
高校の神石に落雷し、高校もろともタイムスリップ、は『戦国自衛隊』たけど、そもそも落雷でタイムスリップを知ったのは、不破なの? どうやってそれを知り、過去に飛んだの? 高校がタイムスリップしたのは、不破の意志と関係あり? なし? たまたま? 
タイムスリップ後、雑兵が校舎に乱入し、教師や生徒を殺しまくる。けど、武器のない相手にそんなことするか? そもそも、どこの城=校舎かも分からんのに。と思ったら、騎乗した不破がやってきたけど、不破はなぜ驚かないのか? 現代人がたくさんやってきたのなら、なにか利用しようとは思わないのか? 
不破が生徒の一部を人質に取ったのは何のため? 残された生徒のところに家康がやってきて、好意的なのはなんで? 生徒はスマホやタブレット、腕時計をもってるけど、家康はそういうものに興味がないの? タブレットの、桶狭間の戦いの紹介が映し出されるけど、電池駆動は分かるけど、都合よく桶狭間の情報がDLされていたのか? 
この映画全般にだけど、リアリティがない。たとえば誰か斬られたりすると仲間が何人か寄りそい、いたわり合い、悲しむ様子がベタに数分間映される。たとえば前髪フェンシングと空手バカが2人、武将と対峙していて、空手が背中を袈裟懸けにバッサリ。すると前髪が駆け寄り「おい、しっかりしろ」的なことをずっと叫び、しばらくして振り返って武将に向かって行くんだけど、その叫んでいた間も武将は背後にいるわけなんだけど、ずっと見守っていたのかよ。映画的キメ場面なのかも知れないけど、こういうのがつづくと嫌気がさしてくる。
弓道部の主人公の軟弱ぶりは、イライラの頂点。練習では高得点、でも試合ではいつも全力出せず。「試合とかに関心がない」がいいわけだったけど、学校で雑兵が生徒を惨殺してても、その後、いざ敵の砦に向かっても、一矢も撃たない。撃てない。友人が死んでもまだうじうじしてる。あれは何なんだ? ただのいくじなし? 自分のせいで仲間が死んでいることへの罪悪感も、最後までない。砦に向かう最中も、みんな固まって休憩してたりして、物見を立てない。周囲への警戒ゼロってのは、ないだろ。見ててバカらしくなってくるよね。
それ以前に、砦に向かう高校生たちが、ロクな武器を持たないことに「?」だよね。ボクシング部はグローブで殴る、アメフト部はタックル、野球部はボール投げ、薙刀部も気の薙刀…。かろうじてフェンシング部が剣を使うのみ。弓道部君も、矢がなくなると、練習用の木刀だぜ。あいては真剣なのに、こんなのあり得ないだろ。家康も、刀を渡すのではなく、練習用の木刀を弓道部君に手渡す。アホか。そもそも、運動優秀学校なら、ライフル部はないのか! 円盤投げとか砲丸投げ、やり投げ、アーチェリーもあるだろうに。ないのか? 科学的な知恵は最初の方だけで、爆弾とか空気ロケットが登場した。あれをもっとフィーチャーすべきだよね。で、驚くことに、素手の高校生が、真剣振りまわす戦国武士相手に、砦を奪い取ってしまうのが、おやおや。もうちょい頭を使えば、仲間は死ななくて済んだんじゃないのか?
弓道部君らの高校生は、史実に基づき、なんとか砦を攻略すれば、家康にとって仲間のいる砦に食糧を補給しやすくなる、と主張。家康は納得するけど、高校生たちに先陣を勤めさせる。これは、ただの意地悪だろ。高校生の砦攻撃にも傍観で、手助けするのは最後の最後。そんなことしてるより、ともにコラボした方が効率的だと思うけど、ここに描かれる家康はアホだな。あるときは、いい人、あるときは、アホ。なんかな、な家康造形だ。
家康が死んで弓道部君と入れ替わるだろうことは『戦国自衛隊』にも例があるとおり。しかも、弓道部君の名前が西野蒼で、葵の紋の「あおい」と響が同じだから、ミエミエ。しかし、家康が死んで、家臣たちは弓道部君を主君と仰ぐようになったのは、どういう経緯があったんだろうね。家康軍の副将あたりが、主君の死を隠す意志があった、というような場面をインサートしとくべきだよな。
そもそも、不破の、信長が死ななかったら、という考えからの歴史の書き換えは、いままでもたくさんされてきたこと。なんだから、もうちょい積極的な動機をもってきたいところだ。でも、そんなものはまるでなし。ただの子供だましに終わってる。で、そんななか、弓道部君自身が戦国に残る、という決意に至ったのは、なんなの? 友人や、家康に言われた「自分を信じろ」だけで、そうしよう、って思ったってことか? 気の弱い弓道部君が天下取りになるには、もっともっと野蛮にならんとならないと思うんだが、そうなったのかね。よく分からん。
で、BTFばりに落雷で現在にもどった高校校舎と高校生たち。弓道部の娘は松葉杖使ってるから、時間もさほど経ってないはず。なのに、校舎の中は明るく、わいわい生徒が動いてる。おいおい。惨殺され、戻ってきたかどうか分からん生徒も何10人かいたんだろ。その生徒たちの親はどういう反応だったんだ? いや、マスコミ報道はいかにされたのか? などなど、そんなの変だろ、なことばかり目立ってしまって、うーむ、だよね。まあ、ティーン向けの娯楽映画だから、細かいことヌキに、ってことなのか? やれやれ。
・1年前に過去に飛んだ不破は、なんであんな武闘派の剣術使いになれてるのだ?
・不破は、何人かの生徒を捕虜にするけど、何のための捕虜なんだ?
・捕虜になり、雑兵に連れて行かれた女生徒がいたけど、つまりはされちゃって、その後に斬り殺されたってことか?
AVA/エヴァ4/21109シネマズ木場シアター4監督/テイト・テイラー脚本/マシュー・ニュートン
原題は“Ava”。allcinemaのあらすじは「。美しい容姿と並外れた戦闘スキルで完璧に任務をこなしてきた暗殺者エヴァ。しかし“なぜ標的たちは殺されなければならなかったのか”という疑問が頭を離れることはなかった。そんな中、重要なミッションに臨むエヴァだったが…。」
Twitterへは「アニメじゃなくて、女殺し屋のB級アクション。なれどシナリオはよくて、脇にマルコビッチだのコリン・ファレルまで登場して豪華。ツッコミどころはあれど、なかなか上出来。ジェシカ・チャステインも魅力的に撮れてる。」
主人公は、あまり知らん役者だな、と思ってたら、あとから『ゼロ・ダーク・サーティ』『モリーズ・ゲーム』の人と知って、ああ、そういえば、な感じ(どうも顔が印象に残りにくい人なのかも)。なればマルコビッチやコリン・ファレルの登場も理解できるか。B級ではなく大作扱いなんだな。
後から思うと、オープニングの暗殺に、すべてが凝縮されている。エヴァが、相手に所業を詰問するとか、彼女の行動を見張る女とか、なるほど、な感じ。で、次のミッションが、どっかの中東の偉いやつだったか。相手に感づかれ、自然死に見せて殺すところが慌てて惨殺になり、多くの手下に追われてなんとか逃げ出す、という失態。関係者の名前を、オサリバンをサリバンと言い間違えたのが原因だったか。てなところから、暗殺組織内部の問題になっていって…っていうのが、素速い展開ながら見入ってしまった。
実をいうと、エヴァが暗殺者になった背景は、パパッとした紹介だけで、あまりよく分からない。あれこれ継ぎ合わせると、いい加減な亭主と別れることもせずだらだらな母親に愛想を尽かし(?)、当時の恋人(黒人)にも説明せず故郷を出奔? 軍隊に入り満期除隊。のち大学だったかな。その証明書の中にJapaneseということばがチラと見えたけど、なんだったんだろう。の、のちに、どういう具合か暗殺組織に入った? なアバウトさなのが、いまいちスッキリせんのだが。その後、40人だか何人だか殺していて、なかなかの評価。仕事をくれるのは古参のデュークで、信頼関係はあり。だけど、現在、デュークの上司は、かつてのデュークの一番弟子だったサイモン、という関係で。会社の出世の様子を見るようで面白い。アル中になったのはいつなんだろ。このあたりの背景をもっとはっきり描くと、エヴァの立場や、ターゲットへの質問のことも、より理解できたような気がする。
組織の中ではいろいろねじれが生じているようで。暗殺者に直接、狙われてる原因を尋ねたりするのは御法度らしい。それがなぜなのかは分からない。かつてもエヴァはそのことで注意を受けているようだけど、守れていない、という設定。で、それを組織が監視していて、冒頭に出てきた女は、その監視役にしてサイモンの娘、というのが出来すぎではあるけど。で、サイモンは、エヴァのこうした行動が気に入らず(組織の不安要素ということか?)、エヴァを排除したく思っている。それで、オサリバンをサリバン、と誤記した情報を流し、エヴァのミッションが失敗するよう仕組んだ、ようだ。わざわざ、重要なミッションにこんな細工をするか、なところはあるけど、まあ、映画としては面白い。
エヴァが生還したことで、サイモンは別口の暗殺者を放ち、エヴァを襲わせる。これも失敗。なこともあって、エヴァは故郷に帰って母や妹、いまは妹の婚約者になってる元彼と会ったりしてるんだけど、名うての暗殺者がこんなとこでこんなことしてていいのか、なところはある。けど、映画だからいいのだ。
でもやっぱり大きな疑問は、サイモンの考えなんだよね。なんでああまでしてエヴァを抹消しなくちゃならんのだ? 組織を守るため? なんてことを考えると、そもそもこの暗殺組織はなんなんだ? ただの地下組織? 政府や、他国からの依頼も受けてるんだろ? 違うのか? とか考えてしまう。そうした組織にしては、いろいろ杜撰なところがあったりして、うーむ、なところもある。後半、サイモンはデュークを殺害し、その現場ビデオをエヴァにメール(?)送信するんだけど、そりゃまずいだろ。それと、どうやって仕込んだのか知らんけど、20歳前後の娘を組織の一員としている。ありか、そんなの。なんでサイモンは、組織の中で出世できたのかね。そして、デュークは出世できなかったの?
なんてツッコミどころは多いんだけど、テンポが早くて結構面白いから見てしまう。
あと、エヴァの私的な関係をあれこれ描き過ぎな感じもある。もっとクールにしてもいいと思うんだけど、ギクシャクする母親との関係。元彼への思い。警戒する妹。相変わらずギャンブル依存の元彼。地元の賭場とか、ウヴァの活躍する世界との乖離がありすぎな気がする。
とはいえジェシカ・チャステインのアクションはなかなかで、どこまでスタントか知らないけど、身体は動いていた。サイモンとの直接対決も、組織の幹部がこんなところで実力行使に出るのか? と思いつつも、見てしまうのだった。
パリの調香師 しあわせの香りを探して4/22ギンレイホール監督/グレゴリー・マーニュ脚本/グレゴリー・マーニュ
原題は“Les parfums”。allcinemaのあらすじは「かつて、その並外れた嗅覚ゆえに世界中のトップメゾンから依頼が殺到した天才調香師のアンヌ。しかし極度のプレッシャーから嗅覚障害になり、その地位を失ってしまった。嗅覚こそ戻ったものの、今は役所からの依頼など地味な仕事だけを受け、高級アパルトマンでひっそりと暮らしていた。そんな彼女に専属運転手として雇われたのが、離婚調停中で娘の共同親権を得るために新しい仕事を必要としていたギヨーム。しかし人付き合いが苦手なアンヌの高慢な態度に反感を募らせる。そんな中、アンヌはギヨームにも嗅覚の才能があることに気づき、2人は衝突しながらも一緒に仕事をこなしていくのだったが…。」
Twitterへは「ダメおやじと陰気なオバサンの成長物語、のはずなんだけど、いまいちピリッとしない。なにが“しあわせの香り”なんだよ。工業排煙の臭いを誤魔化しても根本解決にはならんだろうが。とかね。」
運転手を手配する職業があるのは、知らなかった。でも、社長の様子を見ると、ちゃんとした会社というより、ギャングみたい。タクシーというよりハイヤーか、でも、数日とか、一定期間雇われるような運転手なのか。でまあ、そういう運転手を職業にするギヨームは、かなりなテキトーおやじ。違反を重ね、そのせいでクビ、というところを社長に頼み込んであてがわれたのが、アンヌの運転手。あとから聞いたら何人目かで、他の運転手も音を上げるような客らしい。って、落語の「化け物使い」みたいな話だな。
アンヌが気難しいのは香りを仕事にしてるから。宿のシーツは臭いがダメだからと自前のシーツを持参。ギヨームにも禁煙を要求する。でも、煙草吸いは衣服や身体、髪、口臭が煙草の臭いだらけだと思うんだけど、そういうことは言ってなかった。へんなの。ギヨームは、「シーツを買えるのは仕事じゃない」と反発しながらも、しぶしぶ従うんだけど、かろうじて首が繋がったんなら何でもやります的に働けばいいのに、そうはしないのね。
最初の同行は、洞窟の臭い。博物館にレプリカをつくったので、臭いも本物と同じにしたい、という行政からの依頼での調査。その次は、高級カバンの異臭を中和する、とかいう仕事。最後に手がけてたのは、工場からの悪臭を、どうにかできないか、という、あれは工場からの依頼だよな。でこの工場の仕事のとき、アンヌは深酒とストレス(こんな仕事はしたくない、香水をつくりたい! というものかな)で嗅覚異常になってしまっていて、代わりにギヨームが悪臭を具体的に(卵、とか、なんとか)嗅ぎ分けていたんだけど、あとからギヨームが、「あの辺りの住宅地は草の臭いがしたから、工場の臭いに何か加えて草の臭いにできないか」というヒントを導き出すのだよね(そんな場当たり的な対処療法でよいの?)。まあ、ダメ男のギヨームの鼻がいい、というのを見極めて、パートナー兼運転手に雇ったんだろうけど。でも、ギヨーム本人はずっとあまり自覚がないまま、なので、いまいち成長してる感が見えないんだよね。
アンヌは、いっとき有名な香水で売れっ子になって、それで取材の嵐になり、さらに、彼女を前に出して広告展開しようと言うことになったんだけど、このとき嗅覚異常になってしまい、発売した香水は大失敗。以来、香水の仕事はなくなって、香りのビジネスで生活している、ということらしい。でもそれが嫌で、でも、また嗅覚異常になるんじゃないか、という不安と戦っているらしいんだけど、そういう不安とかがあまり見えない。
つまり、話としては2人の成長物語になってなきゃいけないんだけど、はっきりそうなってないんだよね。だから、後半になってもいまいち盛り上がらない。アンヌは睡眠薬の過剰摂取で気を失い、ギヨームが病院につれていくんだけど、ここでまたスピード違反で、あっさりクビ。でも、アンヌはギヨームをすぐ探さないし。突然、嗅覚異常の専門医が登場して治療を始めたりする。この医師、以前、アンヌが嗅覚異常になったとき勧められた医師らしいんだけど、アンヌの方から診てもらうのを避けた、とかいってて。なんでなの? だよね。それが、たまたま何年か後に診察することになって、でも、心因性のものらしいから、大したことはしない。なんて過程でやっとギヨームを探しにでかける、という始末で、なんだかな。
なので、観客には、アンヌはただの気難しいオバサンにしか見えないのよね。彼女の成長は、せいぜい、専門医に診てもらうようになったこと、でしかない。ギヨームも、嗅覚に自信を持つようになったらしいけど、他力本願的な感じだしな。
でも、ちょっと自信を取りもどしたアンヌと、彼女のパートナーとして雇われたギヨームが、Diorに香水を売り込みに行く場面が最後にあるんだけど、一度失敗するとチャンスは回ってこない、とか中盤で言ってなかったか? なのに、どうやってプレゼンの場を得たんだろう? 不思議。
・アンヌは、香りの仕事を、エージェントを通じて得ている。でも、代理人がいなきゃできないような仕事なのか? 本人名で仕事ぐらい取れるんじゃないのか?
・ギヨームには別れた妻がいて、週に一度ぐらい娘10歳と一緒の時間を過ごせるらしい。本来なら、1週間交代で互いの家を行ったり来たりできるらしいけど、現在のところ25平米ぐらいの部屋に暮らしている。フランスの50男も、離婚するとそうなっちゃうのか? でまあ、調停の場面も何度かでてくるし、子供を元妻のところに連れて行く場面もあるんだけど、奥さんはひと言もしゃべらんのよ。もう少し、ここを掘ってもいいんじゃないのかね。
劇場版 シグナル 長期未解決事件捜査班4/24109シネマズ木場シアター4監督/橋本一脚本/仁志光佑、林弘
allcinemaのあらすじは「2021年、東京。ある日、政府高官が交通事故で死亡し、長期未解決事件捜査班の三枝と桜井は事件の可能性を疑う。一方、2009年の東京でも政務官が相次いで交通事故死する中、大山だけは事件性を疑っていた。そんな時、繋がるはずのない無線機が再び鳴り出すのだったが…。」
Twitterへは「テレビ的脚本と演出で、のらくらだらだらキレも盛り上がりもなくて、ツッコミどころだらけだった。」
テレビ版は知らない。冒頭で設定の説明をしてるので、迷うことはない。とはいえ、流れもオチも、なんだこれ、な感じで退屈。テレビの映像とシナリオで、平板なんだよね。盛り上がりもないし、意外性もない。犯人は刑事部長だった、っていうのは“意外”ではなくて、なんだそれ、だろ。内輪に犯人はありふれてるし、警察幹部が関わっていた、というのも、ふーん、な感じなんだよね。そもそも、妻子が、かつてのテロ事件の後遺症みたいなことで亡くなったからといって、警察幹部が私情に駆られて復讐鬼と化す、というのが、アホか、だと思うんだが。そんなやわな人間が、刑事部長まで登りつめるか? 否だ。
しかも、理由がいまいち曖昧。かつて解決されはずのテロ事件。その事件で使われた薬物が、また使われたというのだが、警察発表では薬物はすべて押収・処分されたはず。その薬物が、なぜ? で、2009年にも政府の役人が連続して死んでいた。これらの事件でも同じ薬物が使われたのではないか? と、未解決捜査班が捜査を開始する…という時点でダメだろ、この話。
・薬物を処分しなかった。だから、2009年の事件が起きた。だから、当時の官房長官、公安部長は仇、というのが刑事部長の主張のようだけど、それだけで官房長官や公安部長を断罪するに値するか? 処分せず保管するぐらいのことは、あるだろうと思うぞ。
・で、2009年の事件だけど、実行したのはかつてのテロ事件の残党、か。でも、なんで政務官(←中途半端な立場だよな)を狙ったんだ? その理由が説明されていない。それに、政府関係者が連続して死んでるのに、疑問をもつやつは誰もおらんなんて、あり得ないだろ。
・テロ事件の残党は、薬物をどうやって入手したのだ? 説明はあったっけ?
・わざわざ、かつてのテロ事件で使った薬物を再度つかう必要は、どこにあるのだ? もし、その薬物の使用をPRしたいなら、残党はマスコミに犯行声明を出せばいい。そんなことしたという描かれ方はしてないよな。
・2021年の情報調査室長が殺された事件でも、同じ薬物を使った。これは、後から分かるけど、刑事部長が、薬物管理をしている部下に頼んで入手し、それを残党に渡した、ということらしい。ここでも、なぜあの薬物をつかう必要があったのか? あの薬物は、処分されてませんぞ、とアピールしたいのか? なら、刑事部長はマスコミにでも直接リークすりゃあいいじゃないか。今回の事件だけじゃなくて、2009年の事件のときも、なぜリークしないのだ? 残党にテロ犯罪を実行させ、人を死なせる必要が、どこにあるのだ?
・三枝は、2021年の事件で、容疑者を確保する。が、本庁公安がやってきて連れ去り、数日後に容疑者は死体で見つかる。それに激怒し、探りを入れようとすると、所轄の上司が激怒し、制止する。…という流れがあまりにも陳腐。本庁の公安は、下っ端まで薬物が処分されず保存されていて、2009年の事故で使われたことを知っているってことか? 容疑者が死体で見つかっても、三枝以外はだんまり、ってことか? なにそれ。
・で、官房長官と公安部長を逆恨みする刑事部長は、薬物を入手し、テロ組織の残党に渡し、テロを実行させようとする。薬物を渡してしまう警察関係者もアホだ。さらに、刑事部長はどうやって残党と接触し、教唆したのだ? しかも、自分ひとりで行ってるなんて、信じられないよ。
・公安部長は、三枝を晴海埠頭に呼び出す。ところが刑事部長が一足先に晴海にやってきて、公安部長を例の薬物で殺害。そこにやってきた三枝が、警察に見つかり、逃走するんだが。ここも変だろ。三枝が呼び出されたことを、刑事部長はどうやって知ったんだ? しかも、ひとりで晴海にやってきて、簡単に公安部長に注射をズブリ? 死んだ公安部長を発見し、驚いている三枝を、警官が発見して追うんだけど、この警官はどこの警官だ? 刑事部長の配下? 刑事部長が三枝をハメる必要はあるのか?
・警官に追われているはずの三枝が、ジャーナリストの家にかくまってもらおうと行くと、そこにテロ残党がやってくる。どうやって三枝を追尾していたんだ? 残党が三枝を追う理由はあるの?
・ジャーナリストは残党に殺されるんだけど、部屋でドタバタ拳銃もパンパン派手に打ち鳴らす。逃げる三枝を追い、駅前でもバイクと拳銃で大騒動。間一髪で三枝は残党を首つり状態にして難を逃れるけど、あんな派手な活劇を行って、テレビにも報道されないって、なんなんだ?
・そもそも、テロ残党の目的は、なんなの? テロ? 政府高官を狙わないとダメなのか? あ、そういえば、あの官房長官、2009年の時からいい加減らしいけど、2021年までずうーっと官房長官なのか?
・で、ホテルのパーティ会場を封鎖し、そこに薬物を散布しようとするテロ残党。こんなテロが、目的なのか? それを裏から操る刑事部長って、ねじれもはなはだしいだろ。ところで、ギリギリで散布を回避した、スプリンクラーの散布経路の変更について、よく分からなかったよ。
しかし、ビデオの背景にパイプオルガンがあるのに気づかず犯行声明をパーティ会場に流す刑事部長も、アホだな。階上の消火水タンクで争う三枝と残党も、アホな感じ。1人目は殴っただけかと思ってたら、三枝さん、ちゃんと殺してたのか? なんか、ムリやりつくった、ハラハラしないアクション場面だったな。
さてと。桜井は2000年にいるのか。なんで過去とつながってるのかしらんけど。その不思議を、三枝は追及せんのか? 学問的に誰かに尋ねるとか? しないのがお約束? しかし、ときどきでてきて、過去の状況はどうだ? と聞かれて答えるだけの大山巡査部長は、なんかオマケみたいな感じだな。ただの情報提供者で、せいぜい刑事部長の娘を病院に連れて行って見舞ってる、ぐらいの因果関係敷かない。この大山、見舞ってる娘が警察関係者の家族って、知らんのか? あえて発表しなかった、から知らなかったのか。なんか、もやもやする。
で、何度も過去で死んでいるはずの大山を、2021年の連中はあれこれ動いて助ける。のだけれど、大山が狙撃を回避して助かった場面では、かつての大山の部下でいまは未解決捜査班班長の桜井が狙撃犯を逮捕する。のだけれど、狙撃の情報は、どっから伝えられたんだ? 
さらに、助かって2021年も生きているはずの大山に会いに、三枝と桜井が品川署だったか、なに行くと大山がクルマでやってきて、会うのかと思ったら、一瞬の後に消えてしまった。ありゃどういうことだ? やっぱり死んでたってことか? ただの思わせぶりか。
あと、そーだね、未解決捜査班の木村祐一と池田鉄平は、ただいるだけ、になってしまっていて、ほとんど機能してないな。もうちょいシナリオなんとかせいよ。
パーム・スプリングス4/26ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/マックス・バーバコウ脚本/アンディ・シアラ
原題は“Palm Springs”。allcinemaのあらすじは「砂漠のリゾート地、パーム・スプリングスで行われた妹の結婚式に参加したサラは、そこで知り合ったナイルズと意気投合、2人で式場を抜け出しいい雰囲気に。すると突然、ボーガンの矢が飛んできてナイルズを直撃。逃げ出したナイルズを追って奇妙な洞窟に入ったサラは謎の光に包まれる。次にサラが目覚めると、それは結婚式の朝だった。困惑するサラから説明を求められたナイルズは、訳知り顔でタイムループにハマっただけだと答える。彼はすでに数えきれないほどこの一日を繰り返していた。サラはなんとかしてループから抜け出そうともがく一方、その横ですっかり諦めモードのナイルズだったが…。」
Twitterへは「冒頭から30分ぐらい、おお! どうなるんだ? な、わくわく無限ループの世界。なれど、その後のくどくどねちねち展開はちょっと退屈。さらに、予想のつくラストへの流れは、うーむ、な尻すぼみ、かな。もったいない。」「パームスプリングスったら、週末だろ。でも、トロイ・ドナヒューはでてこない。古すぎるか。むかしTVでよくやってたんだよね。」
内容についてはまったく知らないまま出かけた。そのせいで、冒頭から驚きの展開で、ちょっとワクワクした。でも、中盤からの展開は、なんだかメリハリがなくなって、とくに驚きもなくなってしまう。ラストも平板で意外性はない。うーむ、もつたいない、な感じ。
結婚式。最初は誰が誰やら分からないけど、次第に、というか、すぐに分かるようになる。なにせ無限ループで繰り返されるのだから。といっても、最初はそんなことは知らず。彼女と一緒に招待されてるはずのナイルズと新婦の姉のサラが、披露パーティがつまらんと砂漠に行って、さあ一発ヤルか、と思ったら矢が飛んできてナイルズに命中! なんなんだ? この意外すぎる展開は。逃げるナイルズ、追うジジイ(ロイ)。と、光る洞窟が現れ、そこに這って逃げようとするナイルズ。「来るな!」とサラを制止するんだけど…。で、場面が変わって、最初と同じ結婚式当日。目覚めるナイルズに、浮気な恋人ミスティがいて、プールに飛び込む場面があり、サラかナイルズに迫ってくるんだったか。よく覚えてないけど。
どうも、あの洞窟のせいで、同じ1日を無限ループする世界に、サラも入り込んでしまったらしい。ナイルズは、ずっと前からここにいる。ロイは、あるときナイルズと話をし、ドラッグに浸り、「こんな楽しい日があるなら」といってたけど、彼もそうなってしまっていて、それを恨んでナイルズを襲っているらしい。
というのが基本設定。だけど、面白いのはそのあたりまで。あとは、経緯をすっかり忘れている。見ている時は、ふーん、だったけど、同じようなことが繰り返されるので、記憶に残らないんだよ。でまあ、いろいろあって。なんとしても元の世界に還りたいサラが量子力学を猛勉強。洞窟で爆死すると、消える、という事実を発見し、それに賭けることに。ナイルズは最初、嫌がってたんだけど、結局、ともに爆死し、無限ループから脱出。どこか知らない誰かのプールで、ピザ型の浮き輪に乗っている、というエンディングだった。まあ、そういう終わり方だろうな。予定通りの終わり方で、不満はないけど、とくに面白くもなかったりするのだった。
その証拠に、サラが自分も無限ループの世界に入っていることを知ってからの物語は、正直に言って具体的な展開=順序はほとんど覚えていない。ナイルズがサラに、これまで誰とやったかを告白するとか、遠くに恐竜が見えるとか、警官に扮したロイをサラがクルマで潰すとか、ナイルズが酒場で踊るとか、そんな断片的なことばかり。結婚式の出席者も毎日少しずつ変わるようだし、ナイルズが式を抜けだしてあれこれするのも、毎回違うようだけど、そんなことはもう覚えていない。だって、似たり寄ったりだから。
というなかで、ある朝、サラが目覚めると、横に妹の亭主がいて、式の前の晩に彼と一発やった、ということが分かるシーンがあって。おお、なんと、とは思うけれど。でも、それって最初からそうなんだよな、無限ループの世界にはまって以来、毎朝、同じことを繰り返してきてたんだよな、と思うと、なんか違和感なのだ。なのに、妹亭主が画面に初登場したところでは、サラは暗い表情になってる。なんで? だよな。なんで、いつも、じゃなかったんだ?
あと、覚えてるのは、ナイルズを殺したいほど憎んでいたロイが、ナイルズにしみじみと、「こうやって双子の子供の姿を延々見られるのも幸せかもな」といって、サラの洞窟内で爆発プランに乗らなかったことを覚えてる。まあ、それはそれでアリだろうけど、それまでの考えがなんで突然変わったんだ? だよな。
あとは…。そうそう。ナイルズがサラに「君とは1000回以上やった」といわれ、まだしたことがない、と思っていたサラがびっくりする場面があるんだけど。これは、どういうことだ? あの、ロイに矢で射られた晩、サラは洞窟に入って無限ループ世界に入り込むんだけど、あのときまでは、毎回、あのあとセックスできていた、ということかな?
で、無事、元の世界に戻ったサラとナイルズは、なんで他人の家のプールにいるんだ? 戻った日はいつなんだ? 結婚式の翌日から、2人はパーム・スプリングスのどっか別の所にいるのか? いがみあってた2人は、爆破の前には好きだ、と互いに打ち明けるんだけど、ナイルズにとって、毎晩のように1000回もやってきた相手を、いまさら「好きだ」と言えるのか問題というのは、あるような気がするんだけどな。
※25日からの3度目の緊急事態宣言で、映画感にも閉館要求がだされた。寄席は反発し、開けることを宣言。しかし、映画館は対応に苦慮している様子。24日の109シネマズは駆け込みで見に行った。週明け、テアトルは数館の閉館を決定したけれど、すべてではない。どうなるのか? と思っていたら、夜間の上映は減少していたけれど、上映をつづける様子。それではと、月曜は渋谷と有楽町を梯子した。役人のいじめにあって、いつ閉めるとも限らないから。ギンレイホールは上映を継続しているけれど、109シネマズやMOVIX亀有はさっさと閉館を決定したし、武蔵野館も閉めてしまった。(4月25日〜5月11日までだったかな、緊急事態宣言は)まったく、意味ないよな、だけど。お上に逆らっては、後々、プレッシャーがきついんだろう。うーむ、だよね。
ブックセラーズ4/26ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/D.W.ヤング編集/D.W.ヤング
原題は“The Booksellers”。allcinemaのあらすじは「世界最大規模の本の祭典“ニューヨークブックフェア”。ここにブックディーラーや書店主、希少本(稀覯本)コレクターたちが集結する。本作は、そんなブックセラーと呼ばれる人々にカメラを向け、ニューヨークの知られざるブックセラーの世界に光を当てるとともに、デジタル化社会の中でも褪せることのない本の魅力と、本を愛する人々の個性あふれる人物像に迫っていくドキュメンタリー。」
Twitterへは「希少本を扱う古書店主のドキュメンタリー。歴史的古書店や珍本発掘とか、前半はわくわく。なのに中盤からアートとかオークション、SF、ヒップホップまででてきて興を削ぐ。謎本とか奇書とか、そっちの方向に向かってくれたらよかったのに。」「東京古典会の大入札会を連想してしまった。そして、売ったり捨てたりした、あれやこれやが思い出されて、くやしい。ゴミのように思えても、宝になることもあるんだなあ。」
本が好きだ。10年以上前、もっていた本の半分以上を売っぱらってしまった。いま、それを後悔している。もちろん置くスペースがなくて、やむにやまれず手放したのだけれど、中にはめずらしいのもあった。高価な稀覯本の類ではないけれど、いま顧みると当時の情報が分かるような、珍しい本や雑誌も結構あった。「もう見ないだろう」と思って整理したわけだけれど、「いま見たい」ものは、割とある。だからといって古書漁りして再び手元に、とは思わない。自分で買った本と、他人が手放した本では意味が異なるのだ。本には、買った時、読んだ時の記憶が染みついている。というわけで、稀覯本に対する執着や固執はない。ないとはいえ、欲しいものは少なくない。黄表紙や洒落本、読本、武鑑なんていうのは、欲しい気がする。羊皮紙に書かれた聖書のシートなんかも、壁に飾ると様になるだろう。とはいえ、壁がなくては話にならないけど。
ブックマーケットやディーラーの様子を見ていて、連想したのは毎年、神保町の古書会館で開催されていた大入札会だ。素人でも潜入できるので、ここ何年かは必ず足を運び、古文書や手筆、消息、絵巻物など、触れるものは触ってきた。そこに、すでに亡くなった人の手垢や唾液がこびりついている。汚いとはとくに思わない。もちろん、未使用のパリッとしたものの良さはあるけれど、読み重ねられた歴史は、なにかを伝えてきてくれる。
そして思った。日本橋丸善の3階にあるワールド・アンティーク・ブック・プラザに寄ろう、と。実際、帰りに、夕方だったけど、入ったら他に客はおらず、静まりかえっていた。古地図の特集をしていた。壁には、いくつかの版画などが。なかに、1920年代の雑誌からはぎ取ったポショワールが数点あった。値段は2万円。えい。買ってしまった。ノリと勢いだ。
映画では、中盤からちょっとテンションが下がり気味。冒頭からの、珍しい本をやりとりしている、探す、見つける、はワクワクさせてくれるのだけれど、本がアートになったとか、最近の本もジャンルとして対象になっているとかの話になると、いささかつまらない。ルイス・キャロルのオリジナル手稿とか、ああいう発見の話の方がよっぽど面白い。
最近は、本が読まれない、と年輩の古書店主は嘆く。あの手の古書店は、ほとんどの場合、創業者限りで廃業しているらしい。なかには息子や娘が継いでいる例があって、映画でも登場していたけれど、珍しいらしい。まあ、本好きは遺伝しないということだな。しかも、昨今のデジタル化によって紙の本が減っている。コレクターには個人、美術館、研究者がいるそうで、なかで個人が激減しているとか。売る方も買う方も、歳には勝てないということなのか。とはいえ、若手女性のブックディーラーも登場していて、まだまだこれから、と息巻いている姿も映っていた。さて、どうなることか。とはいえ、作家のメモや手稿などもすでに紙ではなくなって、作品の形成過程も分からなくなり、そうしたものもコレクションの対象にならなくなってしまっているのは事実。まさか、フロッピーディスクとかHDDがやりとりされることにはならんだろ。
なんてことを思いつつ、ああ、本に囲まれて生活したい、という気持ちで見ていたよ。中盤のだらだら部分がもっと締まるとよかったんだけどね。
エンドロールの後に、ブックディーラーのオバサンがでてきて、ひと言。「本は貸さない。貸したら戻って来ない。むかしデビッド・ボウイに本を貸して、買って、っていったら、必ず返すから、っていってたけど、結局返してもらえなかった」と言っていた。これは真実で、返ってこなかった本のことは、今でも思っていたりする。まあ、借りて返さず、他の本と混じって売ってしまった本もあるけど。でも、それは気づかずに、だよ。分かってたら一緒に売ったりしなかった。

 
 

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