2021年6月

5月の花嫁学校6/2ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/マルタン・プロヴォ脚本/マルタン・プロヴォ、セヴリーヌ・ウェルバ
英語タイトルは“How to Be a Good Wife”。allcinemaのあらすじは「1967年、フランス。アルザス地方の小さな村にあるヴァン・デル・ベック家政学校。理想の良妻賢母を育成するこの学校に18人の少女たちが入学する。しかし校長のポーレットと2人の講師が行う授業は、女性解放運動の風を受け始めた生徒たちには納得いかないことばかりだった。そんな中、学校の経営者だったポーレットの夫が急死し、多額の借金が発覚する。破産寸前に追い込まれた学校を救うために銀行に駆け込んだポーレットは、そこでかつての恋人アンドレと思いがけない再会を果たす。彼のサポートを受け、経営の立て直しに取り組むポーレットだったが…。」
Twitterへは「良妻賢母からフェミニズムへ。価値観が変わりつつある1967年フランスの、家政学校の教師と生徒の話。なんだけどテンポも間も悪く、伏線は放置。最後は脈絡なくいきなりミュージカルで呆気。ジュリエット・ビノシュなんでこんな映画に出てるの?」
↑のあらすじは、話の9割り方バラしてるぞ。なんだけど、「女性解放運動の風を受け始めた生徒たち」ってのが上手く描かれてないんだよね。生徒も結構時間をかけて紹介してて、18人の中から、レズの娘、結婚の予定のある赤毛、彼氏のいるカフェの娘、人形を持ってきた幼い心のメガネの4人がフィーチャーされている。のだけれど、表面的な感じで、深みがないのよ。しかも、それぞれが女性の自立を考えている訳でもないし。パリの出来事はラジオのニュースによるデモの話だけで、その内容に賛成も反対も、誰も何も言わない。田舎者は田舎者、として描かれている。
で、生徒のダメ娘たちに対して、ポーレットは厳しい。というか、フェミニズムの何たるかは、知らない様子。亭主の創立者は、エロジジイ。生徒の娘の尻を見てるだけな感じ。亭主の妹のジルベルトは行かず後家なのか。恋はするけど結ばれず、な人生だったのかも知れない。面白いのは尼僧のマリー・テレーズ。何でも屋の雑用係? 宗教の授業があるのかな? でも、昔気質の偏屈ババアな感じ。どこにも自由の風は吹いてる気配はない。
ってことは、良妻賢母を目指した時代の花嫁学校の様子がこのままつづいて、どこに着地するのかな? と思っていたら、ジルベルトのウサギ料理でポーレットの亭主が呆気なく死亡!? で、財政状況を見たら大赤字で、なんと借金して競馬に注ぎ込んでいた、と。でも、その予兆はなにも描かれてなかったけどね。たとえば、ときどき得体の知れない電話をするとか、送られてくる督促状を隠すとか、そういうそぶりを描くべきだよな。
で、取引銀行に行ったら、もう借金はムリ。でも、担当者のアンドレはポートレット個人の口座をつくれば大丈夫、なんていい加減なことをいう。このアンドレ、なんか妙だな、という見せ方はしてるけど、いまいち曖昧な感じ。
と思っていたら、どうやらポーレットとアンドレはかつての恋人同士で、戦乱で別れ別れになったままだった、と分かるんだけど、学校が取り引きしてる銀行の担当者で、ってことは亭主とは度々あってたんだろ? なんか話にムリがある感じ。激しくアタックするアンドレ。亭主は死んだけど、昔の考えのポーレットはアンドレの「結婚しよう」の誘いに肯けない。・・・っていうか、この2人、アンドレはポーレットの旧住所に1946年に手紙をだしたと言っていたから、ならば20数年振りの邂逅になるのか。互いに昔の面影はないと思うけど、アンドレの激しさはなんなんだ? まあ、映画だからいいんだけど・・・。
でまあ、あれやこれやで結局アンドレと再び結ばれるんだけど、銀行に行ったときジルベルトも同行していて、彼女はアンドレに一目惚れしてたんだよね。どーもジルベルトは娘の心をもったままのババアのようで、アダモの「雪が降る」を大音量でかけたりして、不思議なんだよね。で、惚れた相手をポーレットに獲られ、逆恨みするかと思ったらそんなことはまるでなく、新しいドレスを縫い上げて気分を変えて解消してしまう。いや、それ以前に、亭主が亡くなって遺産はすべてポーレットが相続し、でも、ポーレットがジルベルトの面倒をこれからも見る、という内容でジルベルトは満足してるんだよ。当時の遺産相続というのは、そういうものだったのか?
という間に、生徒の方もいろいろあって。レズ娘は赤毛にキスして、最初は嫌がられた。その後、赤毛は田舎からの手紙で、親ほどの年齢の差のある男との結婚を迫られ、自殺未遂。の後だったか前だったか、赤毛はレズ娘の思いを受け止め、ともにパリに行こう、と心がひとつになる。カフェ娘は恋人と初体験。メガネも、いつしか人形を捨てて自立。・・・とはいえ、改革の風に影響されて、という感じにはまったく見えない。
のであるが、テレビ局の取材の後に、映画のテイストががらりと変わってしまうのだよ。あの取材、意味不明なんだけど、パリの展示会でどーの、家電がどーの、っていってたかな。ドゴールの奥さんの支援がどーので、最新式の洗濯機を学校に寄贈され、教師・生徒一同が、バスに乗ってくだんの展示会に向かうんだけど、なんと大渋滞。ちょうどカルチエ・ラタンの五月革命にぶち当たり、パリに入れない? ならば、とポーレットら教師と生徒たちはバスを降り、なんと突然、歌い出すのだ。そして踊り出す。いきなりミュージカルかよ!?
どうも歌の内容は、女の自立とかフェミニズムとかみたいなんだけど、学校内にもポーリーヌやジルベルト、ましてマリー・テレーズにはそんな下地も伏線もなかったのに、なんだ突然。あんぐり。
マリー・テレーズはバイクみたいなのにまたがってたかな。にしても、思想も志向も変わっちゃうのかよ。こんなんで女性の意識の高まりとは言えないだろ。ポーレットの、昔の男とのセックス、突然のパンタロン姿、は、別にフェミニズムから来たわけじゃないだろうに。というわけで、なし崩しに良妻賢母を捨て、女性の時代を謳いあげるところで映画はオシマイ。呆気だよね。シナリオも演出も、テキトーがすぎる。
・あらすじは1967年となってるけど、五月革命(カルチエ・ラタン)は1968年だよな。字幕も1968年ってなってた気がするんだけど。1967年に入学し、冬を越して、1968年の春になった、ってことか。・いきなりのミュージカルは、渋滞と服装がカラフルなところは『ラ・ラ・ランド』みたい、と思ったけど、フランス映画には『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』があったっけ。こっちの系譜か?
・学生デモのラジオ放送がときどき聞こえてくる。カルチェラタンのことか。
・マリー・テレーズが「赤毛は縁起が悪い」とかいうのは、とかいつの時代の迷信だよ。
・学校のあるアルザスって、聞いたことが…。そうか。アルザス・ロレーヌで、ドイツになったり奪い返したりしてた国境沿いのエリアか。なるほど、田舎だ。
グリーンランド - 地球最後の2日間-6/7109シネマズ木場シアター4監督/リック・ローマン・ウォー脚本/クリス・スパーリング
原題は“Greenland”。allcinemaのあらすじは「ある日、新しく発見された彗星が地球に接近し、破片の一部が隕石となって落下、世界各地の都市を破壊する大惨事が起こる。そして、さらなる巨大隕石の衝突が予測される事態となり、世界崩壊の危機が迫る。そんな中、建築技師のジョン・ギャリティはその能力を見込まれ、家族とともにアメリカ政府のシェルターへ避難するよう連絡を受ける。急いで準備し、妻アリソンと息子ネイサンとともに輸送機が待つ空軍基地を目指すジョンだったが…。」
Twitterへは「巨大彗星落下で逃げる家族…。シェルター行きに選別された人間と選ばれなかった人間の葛藤の部分は興味深いけど、それ以外はよくある感じ。最後はもう一つふたつヒネリが欲しいところ。子供のミスが危機を招く設定は見飽きた。」
彗星が落下して地球滅亡の危機に…。そのとき、この家族の運命は? というよくある話なんだが、興味深いのは、亭主が国家から生き残り組に選別された、という点で。それは早速近所の連中に知れ渡るんだけど、本人家族は指定場所へと急がなくちゃならない。近所の連中は「なんであいつが?」の疑問はあるけど、だからってなすすべもないところがおもしろい。
政府からスマホに送られてきたQRコードを指定の基地で見せろ、というのみ。他の説明はなし。近所の奥さんの1人が、「娘を連れてって」とすがるけど、ムリな話だよね。連れて行けるものならそうするだろうけど。という、切り捨ての思想の中に、自分が助かってよいものか、という迷いは、あるのかないのか。あれば行かなきゃいいけど、女房子供は助けたいから、行く一手ということなんだろう。
あと、問題は息子が糖尿病患者で。薬がないと命が危ない、という人間を未来に残す人間として選ぶのか? という疑問があった。亭主は重要でも、家族は不可、とか。そうはならないのか? とかね。でもこれは、後に国家の方のミス、と分かる。まあ、当然だろうけど、国もミスをする、と。とはいえ、病人は選ばれないことの証左でもあるので、これは障害者差別にならんのかとか、気にはなる。
その子供が、基地前で乗り捨てたクルマにインシュリンを落とし忘れるのだけど、いい加減、子供が足を引っぱるという展開は飽き飽きだ。なので同情なんかできない。はさておき、一家はQRコードを見せて基地に入り、さて、というところで忘れものに気付き、亭主が取りに行く。妻子は、亭主がなかなか戻らんのでいらつき、係に亭主を見つけてくれ的なことをわめき散らすんだが、これまた定番の展開で。いいじゃないか、別れ別れになったって、飛行機に乗れさえすればどっかで落ち合える、と思わないのか。アメリカ人の、家族はいつも一緒、という妄想が展開の足を引っぱる。
このあと、よく覚えてないんだけど、亭主はインシュリンをゲットして基地に戻り、合流できないまま飛行機に乗る。けど、ギリギリになって「降りる」と言いだしたのは、家族との合流至上主義だったか。電話がつながって、だったか。忘れた。で、飛行機から降りようとしたら、暴徒が基地内に侵入し、ガソリンが漏れて飛行機が爆発。なので基地外に逃げたんだったかな。妻子も基地外に逃げるんだけど、どうして逃げたんだったか。忘れた。
亭主は、拾われたトラックの中で、カナダからグリーンランド行きの飛行機が飛ぶ、という情報を得る。一方で、選ばれた国民の印である腕輪を同乗者に狙われ、あれこれあった末に自動車事故&乱闘で、相手を殺してしまう。殺すほどの重要性を認めた、ということか。妻子の方は、同乗させてくれた夫婦者に狙われて、妻は放り出され、子供だけ連れ去られ、夫婦&子供は元の基地へ。「父親だと言え」と言われたけど、素直に「違う」と反応して、夫婦者はいずこかへ。息子は、腕輪はしてたけど、システムが拒否し、でも救命センターのような所へ。妻の方も何とか基地に戻り、息子と再会。
このあとはどうなったんだったか。連絡が付いて、妻の父親の家で落ち合おう、となったんだっけ。そっから、タイミングよくカナダからグリーンランド行きを目指す連中と行動できるのは、偶然すぎるよな。しかも、カナダには人気もなく、アメリカみたいに人もうじゃうじゃいない。しかも、ラストフライトになんとか潜り込めて、グリーンランドまで飛べてしまうのだ。不時着というアクシデントはあったけど、アメリカの基地みたいに、選ばれてない人はお断り、ではなく、ちゃんと軍人が案内してくれる。この都合世過ぎは、なんかなあ、な感じで。映画としてヒキがあったのはこのあたりまでか。あとはとくに障害もなくシェルターに入り、何日後か知らないけど外に出ると鳥が飛んでいて、「助かった」となる。この、鳥を見て助かったと知るというのは、聖書のノアの方舟のエピソードから来ているんだろう。
彗星の恐怖は去ったけれど、社会を再生するのは大変そうだ。とくに、息子が糖尿病じゃ、インシュリンの入手も大変だろうし、周囲から疎まれたりしないのかな。
・助かりたいと基地周辺に人が集まり、基地内に突入するくだりは、コロナワクチンを求める大衆のようなイメージだな。
・夫婦は別居中で、ひさしぶりに亭主が家に戻ったタイミング、らしい。理由は亭主の浮気で、妻は当然ながら冷たい。妻の父親からも、嫌みを言われてた。それがこの事態で元の鞘に? 取って付けな感じだけどね。
・息子はひと言多い設定。拾われたクルマでひと言余計なことを話してたよーな。内容は忘れたけど。でもその一言多いせいで、なりすましの他人から基地で逃げ出せたんだよね。
地獄の花園6/7109シネマズ木場シアター8監督/関和亮脚本/バカリズム
allcinemaのあらすじは「三冨士の営業部で働くごく普通のOL、田中直子。素敵なOLライフに憧れて平凡な日常を送る彼女だったが、その職場ではヤンキーOLたちによる熾烈な派閥抗争が日夜繰り広げられていた。そんなある日、カリスマヤンキーOLの北条蘭が中途採用で入社してくると、その圧倒的強さでたちまち頂点に。やがて噂を聞きつけた他社のヤンキーOLたちが次々と戦いを挑んで来る。そんな蘭と次第に友情を育んでいく直子だったが…。」
Twitterへは「企業のOLが“族”となって張り合うという荒唐無稽さはとても面白い。ゲームみたいに敵を倒してステージをクリアしつつ、ラスボスと…。でも、後半は同じ展開の繰り返しで少し飽きる。いちばん驚くのは、このバカ映画に、過ぎる豪華キャスト、かな。」
設定はユニーク。企業OLがヤクザの組のような“族”を構成し、覇権を競っている。派手な衣装、バトルはたぶんメタファー。いびり、いじめ、派閥やグループとか、実際にある関係性を誇張し、派手な暴力やケバい衣装に託しているのだろう。だから、男子社員には、見えない。見えないけれど、実質はこれぐらい険しいものがあるのだよ、と。これはとても面白い。
だけど、物語の構成があまりにも単純すぎる。社内の派閥が競い、外部から来たTOPがアタマを奪い、他社の組織と争って、最後は地上最強のOL鬼丸と戦う…。いわゆるRPGと同じで、鬼丸はラスボスというわけだ。その戦いを延々と見せられるだけ、なのが少しつらくて。直子が実はケンカが強く、魔王赤城一派を撃破してしまうところまでは、まあいい。その後が、つまらない。鬼丸が登場しても、たぶん最後は直子vs鬼丸で、直子が勝つんだろう、と思ってしまうと興味が薄れてしまった。
そもそも直子が人質になって、でも突然、本領を発揮するだろうことは予想できていたのでちっとも驚かない。そう。意外性がないんだよね。まあ、意外性といったら、赤城一派の幹部をみな男優が演じていたことぐらいか。でも違和感ありすぎで、むしろつまらない。もっと女性メイクをギンギンにするとか、あるいは美女役者を集めて欲しかった感じ。脳殺プレーとか、エロもなかったし。ヒネリがなさ過ぎるんだよ。次第に単調さが目につくだけで。ラストにかけて、ぜんぜん盛り上がらないのは残念。
・北条覧が缶ジュースつぶしたとき、見てて「あ、手がベタベタだろ」と思ったら、画面上でも「手がベタベタだと思う。それに、燃えるゴミに入れたし」とフォロー入れたのがツボに入った。この手のギャグというより、観客目線で共感できるセリフやリアクションはちょこちょこあって、このあたりを掘れば面白くなるのに、と思ったのだった。
・直子の過去場面で、父親が塚本晋也に見えたんだけど、クレジットにはなかった。別人か…?
はるヲうるひと6/9テアトル新宿監督/佐藤二朗原作・脚本/佐藤二朗
allcinemaのあらすじは「至る所に“置屋”が点在する小さな島。本土とは日に二度出る連絡船で結ばれ、客が行き来する一方、住民たちはここで一生を過ごし、島から出ることはなかった。そんな島の置屋のひとつが、真柴家の三兄妹が仕切る“かげろう”。粗暴な長男・哲雄が暴力的にすべてを支配し、腹違いの次男・得太は言われるままに客引きと遊女たちの世話をしていた。長女のいぶきは病弱で、多くの時間を自室で過ごしていた。4人の遊女たちは、唯一客を取らずに優遇されているいぶきに嫉妬心を抱いていたのだったが…。」
Twitterへは「売春島の置屋の物語。過去にしばられる兄弟。出口のない女たち。出口を見つけようとする女。愛を求める客。マジな役なのに佐藤二朗が登場すると笑いそうになるのが困る。仲里依紗、笹野鈴々音など、女たちがみないい。」
とはいえ、話の内容に外連味がないと言えば嘘になる。あえてサイテーな置屋環境を設定、提示していたり。3兄弟の父母、妾の死の真相を最後に見せたり。あざといよね。
そもそも三重の売春島の最盛期は70〜80年代らしい。当初は売られてきた娘が多かったようだけれど、借金を返済後も居着く女性もいたらしい。2000年頃から衰退し、2016年のサミットでクリーン化が促進。現在は置屋が2軒で、島に住んでいるのはタイ人1人、あとの3人は通いだ、と売春島を取材したHPに書いてある。映画が描くような女郎のタコ部屋とは違う印象だ。それをあえて、自由になれない女たち、として描いているように思えてしまう。だって本土は間近だし、得太と妹のいぶきも、逃げようと思えば簡単に逃げられたはず。だって2人はヤクザに売られたわけじゃない。哲雄の憎しみによって置屋の若い衆をし、女郎にもなっているわけだから。なのに、逃げない。ということは、逃げないという性格である、ということになる。まあ、映画の都合だな。
では、映画の扱う時代はいつなんだろう。スマホも携帯もでてこない。でも、風体はそんな昔ではない。賑わってる様子はないから、昭和の終わり頃としても90年代か。得太が親の心中を見たのが10歳として、それが70年代頃? にしては寂れた感じだったけど。
というわけで、あらかじめ“悲惨”を前提に、架空の売春島で繰り広げられる兄弟の愛憎劇、というところなのかな。でも、しだいに明らかになる近親姦、同性愛、憎しみからの暴力とか、実はそっちの方がメインだったりして…。
疑問なのが、いぶきの病気かな。具体的にどこが悪い、は出てこない。どころか煙草は吸うしアル中気味だし。とても病弱には見えない。「歯という字を見ていると、みんな歯に見えてくる」とか、そういうことはあるなとは思うけれど、もしかして心の病なのか? 「濡れないし、いかない」とも言われていた。では、母親の血を受け継いだ同性愛者? など、疑問はつのるけれど、解答はない。やれやれ。
というわけで、作者のあざとい設定を前提に考えると、女郎4人については描き分けができている。年かさで哲雄と関係があり、愛人に成り上がろうとしていたけれど、哲雄がいぶきに心変わりし、出口を失った峯。ざっくばらんな感じの純子、童顔侏儒であっけらかんの りり。内気で繊細すぎる さつみ。4人は、なぜ出口がないのか? これはもう、映画的な設定だよな。売春島の女たちは、次々と借金を返済して出て行ってるんだから。4人とも自ら居残った感じではないしなあ。とはいえ、最後に りりは、お得意のミャンマー人と結婚して去って行くんだけど。悲惨の中にもわずかな光明を描く。まあ、よくある手法。
よくあるといえば、そのミャンマー人の楽天的な考え方。売春宿にやってきて「処女がいい」「愛が欲しい」などとムリを言う。悲惨の中のコメディリリーフで、これまたよくある設定かな。そう。過去の同類項からの引用をあつめ、再構成したような印象なんだよな。でもまあ、そこそこよくできている。でも、独自の強烈なインパクトは、薄い。
というなかで、3兄弟の両親と愛人の死の原因の意外性は、なかなか興味深かった。
得太はこれまで、父親と愛人が心中し、そこにやってきた正妻が自死した、と目撃譚を語ってきた。ところが、哲雄がいぶきに手を出したのを見て、真実を語り出す。得太が見たのは、正妻(哲雄の母)と愛人(得太といぶきの母)が愛し合っている姿で、その2人を殺害した父親が自ら首を切っている姿だった、と。父は、「痛くないよ」と自分のことを語っていたようだけれど、それ以外に何を命じたかは、覚えてない。自分が愛人と心中し、正妻が自死したと伝えろ、と言ってたかなあ。記憶にない。あれは得太の作り話? 父が命じたにしろ、得太の創作にしろ、目的が何なのかよく分からない。なぜって、哲雄は“父親が愛人=元の女郎と心中した”という点を持って得太といぶきにつらく当たってきたのだから。しかも、ここから以降、哲雄は登場しなくなるし。哲雄の思考がどう崩壊したのかは、実は分からない。本来ならここを深掘りして欲しいところだけれど、それをしていないのだよね。
最後は、砂浜での りりの結婚式と、得太といぶきが並んで座ってるぐらいなところで終わってしまう。置屋はどうなったのか。残りの3人はまだ女郎をつづけるのか。いぶきは、哲雄とフェラだけだったのか、まぐわったのか、とか気になるところはありつつ、終わってしまった。そして、さつみが、明るい笑顔でミャンマー人に握手を求め、自分を「はるヲうるひとです」と元気に紹介する場面で終わってる。これまた、流れからは違和感が残るかな。どろどろしつつも、あっけらかんな終わり方だ。
・興味深いのは、音楽がやさしいことかな。内容からすると、おどろおどろしとか、強烈なとか、であってもおかしくないと思うんだけど、なんかほのぼのしてるんだよね。
・哲雄が得太に自分の家庭を見せて言うのが「これが真っ当なんだよ」なんだけど、その真っ当が嘘だらけというのは、なるほどではあるけど、定番な悪キャラの描き方でもあるよなあ。
Mr.ノーバディ6/14MOVIX亀有シアター2監督/イリヤ・ナイシュラー脚本/デレク・コルスタッド
原題は“Nobody”。allcinemaのあらすじは「郊外に暮らす中年男のハッチは、自宅と職場を路線バスで往復すだけの退屈な毎日を送っていた。地味で特徴のない彼は暴力や衝突を避けて平和的に生きようとしているだけなのに、ついには妻にも息子にもバカにされる始末。そんな時、バスでチンピラ・グループと遭遇し、いよいよ理性のタガが外れてしまうハッチだったが…。」
Twitterへは「あー、楽しかった。90分のノンストップバイオレンス。忍耐、義憤、人情、家族、愛…すべて詰まってる。ユーモアたっぷり。火薬もたっぷり。でもって音楽がまたいいんだこれが。カミサンもいい。爺ちゃんもいい。幸せな90分だった。」
冒頭で傷だらけのオッサンが手錠をされ、尋問されてる。煙草をふかし、素性を聞かれても「ノーバディ」とだけ応え、缶詰を取り出して開ける。食べるのかと思ったら懐から小猫をとりだし、食べさせる。なにがあったんだ? なイントロが渋い。
月曜、火曜…という文字と、変わらない日々。工場らしき所に行き、コンピュータに数字を入力。火曜はいつもゴミ出しを忘れ、カミサンに愚痴られる。鉄棒。子供たち…。その繰り返し。息子に、退役軍人のことを聞かれても、「会計係だったから…」と(これ、伏線になってる)。カミサンは「叔父さんが戦地に行ってるから聞くといい」という。みんなにバカにされている。
ある夜、物音で起きると強盗。息子が1人に襲いかかり、残りが銃を向ける。ハッチはゴルフクラブで殴ろうとして…。息子に、放してやれ、と。息子はパンチを食らい、またもや腰抜け父ちゃんが…、な顔。警察が来て調べると、ピザの箱が邪魔してガレージのシャッターが完全に降りきってなくて、そのせいで侵入されたらしい。トンマな父ちゃん! 翌朝、隣家の旦那にはバカにされるし、出社すれば妻の弟にもバカにされ、これを持てと拳銃を渡されるけど、会社の冷蔵庫に入れてしまう(これ、軽い伏線になってる)。やれやれ。
娘には甘くて、猫のブレスレットがない、といわれて。強盗が金と一緒にわしづかみにしていった? というわけで、強盗の腕の刺青をヒントに調査開始。手にするのは、いまは老人ホームに住む父親で、そのFBI身分証明書と拳銃を借りて(ってことは、凄い人だったのね)タトゥー屋を探し回り、ヤバイ感じの店に。身分証明書は「そりゃ古い、20年前のだ」といわれ、金を出そうとすると凄まれるんだけど、激戦地(どこか忘れた)の任務を見せつけるオッサンがハッチの手首の刺青(トランプ)に、激戦地を誇るオヤジも黙って逃げてしまう。ハッチの任地はどこだったんだ?
で、プエルトリカンらしい強盗カップルのところに行って、手早い動作で男を殴りつけ(このあたりから本領を発揮しだす)、プレスレットの行方を尋ねるが「知らない」というのみ。取り返したのは腕時計だけ。娘のブレスレットが…。暗い表情でバスに乗っていると、並行して走ってたクルマが何かにツッコミ、へらへら笑いながら5人ぐらいのチンピラがバスに乗ってくる。数人の乗客は逃げたけど、1人娘が固まってる。ブレスレットの件でむしゃくしゃしてたハッチは、よーし、とばかりに立ち上がり、拳銃から銃弾を抜き「これからお前らを叩きのめしてやる」宣言。おー。以後、圧倒的強さでないのが効く。適度に殴られ、刺され、よたよたしつつ全員をぶちのめし、呼吸困難になった男には、首にストローを挿して息ができるようにしてやったりする。もちろん、怯える娘もバスの外へ。呆気にとられる女性黒人バス運転手に挨拶し、ヨタヨタと歩いて家路に…。帰るとカミサンが手当てしてくれて、ってことは多少はハッチの過去は知っているのか。でも、最近はキスもしてないしセックスもしてない。君が遠く感じる…。なんてことをいう。ベッドにあった、枕の仕切りをカミサンが外し、そっと手を伸ばす…。ここらへんも、地味に渋い。
まるでマンガである。あり得ない、をやってのけてしまう。現実的にあり得るかどうかは二の次。辻褄は合ってるし、話も合理的。ツッコミどころはあっても、マンガだと思えば腹も立たない。なにしろ楽しいし。
しかし、解説にあったロシアマフィアはでてこないな。まだまだエピソードなのか? と思っていたら、やっと登場のボス、ユリアン。手下がボディガードしてる店で歌い、オーナーに、そんなんで大丈夫か、と疑られると、近くにいた大男を半殺しにしてしまう。その弟が病院送りになった、と。あのバスのチンピラの中に、ボスの弟がいた、というつながりか。なるほど。でも、ユリアンは弟が嫌い。嫌いだけど、筋を通そうというのか、誰がやった! と調査をさせる。秘書みたいな娘は先ずペンタゴンの知り合いにSMクラブの写真を送りつけ、得た情報は恐ろしい物。なので、速攻で秘書を辞めてしまう。そんな凄いのか、ハッチは。
このあとぐらいだったか。ハム仲間みたいな相手と話して、でも、すでに行状が伝わってて、「理髪店に行け」といわれるんだが。それはほっといて、父親に連絡したんだったか。
さっそく家にやってきた手下ども。家族3人を地下室に逃がすと、1人で相手し、数人をなぎ倒す。このときマシンガン撃ち放題だったけど、あれは消音なのか? ご近所さん、だれも起きてこなかったけど。でも「生け捕りにしろ」の命令通り、スタンガンみたいので気を失わされ、クルマのトラックに入れられてしまう。手下の生き残りは3人 のようだ。途中気づいたハッチは見つけた消火器を運転室に吹きかけ、車は迷走して柱に激突、反転。ズリ出たハッチが、ロシアマフィアには珍しい黒人、に自分の正体の片鱗を物語り始めると…いつのまにか息絶えていた。他の2人も事故死。で、自宅に戻り、地下室から3人を出すと、室内の様子(死体がゴロゴロ)にあらあら…。カミサン運転で3人は避難。
父親施設にも手下2人がやってくる。昔取った杵柄で、二丁のショットガンで簡単にやっつける。いつも寝てる受付オヤジが「うるさいなあ」とやってくるけど、テレビの西部劇の音を大きくしていて、これが気づかれないって…笑える。
ハッチは襲ってきたうちの4人(1人はまだ息があった)をソファに座らせ、レコードを掛け、自分が元、3文字組織の会計士で(このことは別の所だったかな?)、あるとき男を始末しようとしたら命乞いをし、めったにないことだけれど逃がした。それからしばらくして、そいつは元の組織に戻ってるに違いないと思って見に行くと、家庭を築いていた。できるんだ、こういうことが。それで俺も…で、ふっとソファを見ると、さっきまで息があった男が死んでいるという、これまたクスリとなる。そういえば、娘のブレスレットが家の中に落ちてるのを見つけたんだったかな。
ハッチは家に火を放つ。言ってたように、死体が跡形もなくなるとは思えんのだけれど、まあいい。このとき流れるのが、サッチモの“What a Wonderful World”。近所の連中が燃える家を見にでてくるなか、ハッチは隣家の亭主が自慢してたクルマを拝借して去って行く…。
ハッチが理髪店に行ったのは、いつだったか。もっと早かったかな。暗黒街のドンみたいな男がロシアマフィアのあれこれ、ハッチがバスで相手した相手がその関係者、なんてことを説明してたのかな。で、このとき、ユリアンはロシアマフィアの年金を管理していて云々という、そんなのあるのか話をしていたんだったか。
あとは、勤務先に行って、ここで勤務先の社長が妻の父親で、偉そうな叔父が妻の弟と分かるんだけど、その弟には一発腹にかませて。義父には金塊をたんまり見せて、工場を買い取る。で、工場内に爆弾だのなんだの仕掛けを施して。それからユリアンの歌うクラブに行って、前列で食事しながら見てる。それに気づいたユリアンが迫ると、爆弾を取り出す。この爆弾、向きが書いてあって、片方にだけ炸裂するらしい。それはさておき、ハッチは言う。自分を狙うのはいい。けれど、家に来たのは間違いだ。基金の金は燃やした。的なことをいうとユリアンが逆上。盗むならまだしも、焼いた!? 許せん! と。ハッチは爆弾を楯に退出し、クルマで逃げるが、一同大挙して追ってくる。
工場に入ろうとすると、マフィアの銃弾が雨あられ。ここに父親が颯爽と登場し、援護射撃。思わず拍手してしまったよ。さらに、二階にはもうとり仲間が。ハム仲間で、理髪店に行け、とアドバイスをしてきた友人? なんだけど、データを見ると姓がfハッチと同じマンセルで、でも黒人なんだよね。どういうこと? 実の兄弟なのか、養子なのか、それとも腹違いなのか、よく分からんけど。この男、トランペットは吹くし、気になる存在だけど説明がなかった。
あとはもうマンガ。襲ってくるマフィア連中をバッタバッタと撃ち殴り爆殺し、やんややんや。仕組んだ仕掛けも大活躍。被害はハム仲間が肩を撃たれた程度。父親がマシンガンを手に、「施設になじもうと散歩もしたし水泳もした。けど、これがなくちゃな」とハッチにニカっとするのが、またいい。
あらかたやっつけて、あとはユリアンのみ。透明な楯の前面に爆弾を貼付け、そのままユリアンに向かって突進。どかん! 顔がふっとぶユリアン…。いや、爽快。
で、オープニングの場面に戻って、テーブルの上にのった小猫が、缶詰をペロペロ。2人の担当官は、ハッチに尚も「お前は何者?」を繰り返すけれど、2人のスマホが同時に鳴って。おそらくそれは、当局からの、男を釈放しろ、の電話なんだろう。何をやっても逮捕されない、と言ってたしなあ。
場面は変わって、ハッチと妻が新しい家を内見している。あれこれ説明を受け、最後に2人が「地下室はある?」。で、エンドロールがでた。客の半分ぐらいが出て行ってしまったところで、さらに映像が。父親とハム仲間の黒人がワゴンに乗って移動している。父親の、なんでクルマなんだ? に、だってこれじゃあなあ、と振り返ると、後部には大量のマシンガンが…。いや、二段オチもまたいい。
・会社を買う、と前半でいっていたけど。もともと金があったのか? 勤務地の社長が、カミサンの父親とはね。カミサンは、なんかの社長なんだよね。娘はハッチの子なんだろうけど、息子は連れ子? 実の子? どっちだろ。引退したのは何年前って、いってたかな。
・カットつなぎが巧み。男を殺そうとして逃がした話のとき、使った銃がなんだったか、あれじゃなくて、これ、を1カットで見せていた。銃が違うことを、1カットで見せていた。
・理髪屋の話がよく分からなかった もう一度見ると分かるかな、ロシアマフィアの年金とか、オブシャクの弁済とか。
小道具や設定が、細かいけど洒落てる。小猫、ユリアンがコレクションしていた名画のなかのゴッホ、毎度忘れるゴミ捨て、イザというとき力を発揮する地下室…。
・バスの中のチンピラ連中は、『ある戦慄』をちょっと連想させた。
逃げた女6/15ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ホン・サンス脚本/ホン・サンス
英語タイトルは“The Woman Who Ran”。allcinemaのあらすじは「結婚して以来5年間一度も離れたことがなかったという夫の出張で、初めて一人で数日間を過ごすヒロインが、3人の女ともだちと再会してとりとめのない会話を繰り広げる中で、少しずつ浮かび上がる女性たちの揺れる心の機微を繊細な筆致で綴る。」
Twitterへは「とくにドラマもなくて、だからどーした、それがなんだ、な映画。好きな人は好きなんだろうけど、わしゃ苦手。しかし、リンゴの皮を剥く2人の女が、殿様だな。もっと乞食で剥けよ。あとは…猫さんはどうなったかな。これが一番の問題かな。」
韓国映画って、ときおり脱力系の、何だかよく分からん顛末を描く映画がある。たとえば『クレアのカメラ』とか『自由が丘で』とか…。と思ったら、どっちもこの映画の監督、ホン・サンスだったのね。調べたら『正しい日 間違えた日』『女は男の未来だ』も見てたよ。ははは。みな同類項だな。ムダに多いズームイン/ズームアウト/壁塗りパンも、そうだったかも。雰囲気だけはおぼろに記憶があるけど、物語的には覚えていない。この『 逃げた女』も同じ感じだ。たぶんすぐ忘れるだろう。
夫が出張でいなくなったので、先輩の住まいを訪れるガミ。ちゃんと訪れるのは2人で、3人目は偶然の邂逅、に見せかけただけで、知ってて行ったのかも知れないけど。3話のつなぎは、窓から見えたりする山。山になんのメタファーがあるのかは分からない。
住宅地にミニがよろよろやってきて、ごく自然にある家の駐車場に入れ、クルマから出てきた女はその家に入らず、路上を逆方向に歩いて行く。家からおばさんが出てきて、彼女に声をかける。ありゃ何なんだ? 初めて訪問で、道を少し行きすぎて、とガミはあとで説明してたけど、彼女は目的の家より、周辺を知りたかったのか? さらに、1人目が家を出た来たのは、監視カメラの映像に映ったからだ、という。あとから、監視カメラを4台設置していて、家の周囲を見ているらしいことが分かるんだけど、彼の地はそんなセキュリティが重視されているのか。それとも、1人目おばさんが監視好きなのか。
家は郊外で、隣家の鶏が早朝からうるさい。街場から遠く、自然はあるけど、不便な場所らしい。若い女性と同居しているのは、レズビアンなのか。肉食をやめてベジタリアンになろうと思っていたし、酒も飲まない生活だったけど、ガミがマッコリと肉を土産に持っていったので、肉好きの同居人がもどると早速焼肉パーティ。1人目おばさんも、少し飲んでいる。
会話の内容は、どうでもいい感じの内容で、忘れた。ガミの、5年間ずっと一緒で別々にいたことはなかったけど、初めて別々の行動をしている、という話に、あーそう、って応える程度のあれやこれや日常会話で、とくに意味はないと思う。
そもそもガミはなぜ過去の先輩を訪問するのか? 結婚生活の緊張感が解けて、自分探し? にしては、とくに説明もないし、ガミは悩んでるようにも見えない。そもそも、結婚して、子供がいないからといって5年もべったりくっついて生活してる方が気持ち悪い。
1人目の所に訪問者。越してきた隣人が、猫に餌をやるのはやめてくれ、と。彼の妻が猫を怖がり、庭に出られないという。最初に対応したのは同居人で、猫は私たちの子供のようなもの。餌をあげないわけには行かない的な対応で噛みあわず、結局、隣人は自治会に言うようなことをいって帰っていった。片隅に、餌を待つ猫がちょこんと座っていて、最後にあくびをするのが名演技。というか、この映画で一番のドラマだよな。猫は社会問題でもあるし。あの餌やり問題がどう発展したのか、それには関心があるぞ。
ところで、同居人がリンゴを剥くんだけど、その皮むきが下手で。あんなに厚く剥くのはないだろ。彼の地はそうなのか? この映画で一番気になったところ。
2人目のおばさんはマンション住まいで。その部屋代の話が面白く、不可思議だった。入るのに5億ウォンの保証金が必要だったけれど、上階に住んでいる大家が4億ウォンに負けてくれた。といいつつ、賃貸だという。よく分からなかったけれど、あとから調べたら韓国は入居に大金が必要で、それを払っておくと賃貸料がゼロ、または安くなり、部屋を出る時、保証金はすべて戻ってくるらしい。そのシステムを知らないので、なんのこっちゃ、だったけど。保証金を負けてくれたのは、2人目が芸術家だから、と自分で言っていて。何をしてるかというと、創作舞踏だったかな、らしい。でも、主な仕事はピラティスらしいけど、ピラティスってなんだ? 後から調べたらエクササイズらしい。知らねえよ、そんなの。で、お金を貯めたから余裕の生活よ、とか自慢してる。保証金と合わせて10億ウォン持ってるという。ピラティスでそんな稼げるの? な話だ。
歩いて15分くらいのところにある、芸術家が集まる店を発見し、そこで知り合ったイケメンが同じマンションに住んでてびっくり! でも既婚者だった。とか。同じ店で知り合った26ぐらいの青年と酔った勢いで寝てしまい、その後、部屋にやって来るようになったけど、拒否してるらしい。というか、ガミが訪問中に26歳青年がやってきて泣き言をいうんだけど。40過ぎというか50近そうなおばさんに未練の26歳ってなんだよ。な話で、記憶に残ったのは賃貸システムのことだけだな。
最後は、ガミがミニシアターに併設のカフェに行ったら旧友にバッタリ。でも、その旧友はガミの恋人をかつて奪って結婚、みたいな風に読めるのだけれど、ほんとのところは分からない。旧友はここで働いていて、地下ではくだんの亭主(大学教授か評論家か)のトーク会が開催されているようで、その亭主とも再会するんだけど、とくにドロドロでもなく、あっさりな感じで。関係はよく分からない。旧友は亭主の名声に嫉妬し、落ちぶれればいい、と思ってる節があって、これもよく分からない。
流れは、カフェにいたガミに旧友が声をかけて世間話、旧友がガミに謝罪の意→旧友の勧めで映画鑑賞(映画鑑賞が最初だったかな?)後、事務室でリンゴを→ガミが亭主に再会→ガミは再度映画鑑賞→ラストシーンにこの映画のエンドロールがかぶる だったかな。
ガミは、偶然、といっていたけど。旧友の結婚を知っていた、というからには、いろいろ調べていて、ここに勤めていることを知っていた可能性は高い。出会って、謝らせるためにやってきたのかも。旧友亭主とも、会うだろうと分かっていたと思う。旧友の不幸を感じ、自分の家庭にも訪れた別れの予感をかみしめていたりするのかな。
とかね。深読みすれば全体の流れとしては、なにかありそうだけど、とくに事件も起きないし、だからどうしたな感じは否めない。面白いかと聞かれたら、退屈だった、と応えるだろうなあ。
ミセス・ノイズィ6/17キネカ大森2監督/天野千尋脚本/天野千尋
allcinemaのあらすじは「夫と幼い娘と暮らすスランプ中の小説家、吉岡真紀。郊外のマンションに引っ越したのを機に心機一転を誓った彼女だったが、思うように筆が進まない。原因は隣の住人・若田美和子による常軌を逸した騒音だった。その後も美和子の嫌がらせめいた言動は続き、苛立ちを募らせていく真紀。怒りが収まらず、ついには美和子を小説のネタにして反撃に出るのだったが…。」
Twitterへは「騒音ババアの話かと思ったら、実は…。一方的な思い込み、非難の応酬、過去の重荷、SNSの罪、相変わらずのマスコミ…など、いろんな視点が盛り込まれていて面白かった。そもそも作家になるような輩はフツーの家庭に収まってちゃダメだろ。」
予告編はチラと見たかな。布団を叩くババア。なので、そういう話かと思ったら、なかなかそうはならない。売れない小説家が編集者にこびを売りつつ、新作原稿を見せに行き、でも内容がイマイチといわれ、ムキになって書き直そうとする。すぐじゃなくていい、といわれているのに。一方で5歳ぐらいの娘の面倒はほったらかし。なので娘はひとりで公園に行ったりして、それを知ってアタフタな真紀。こりゃあ母親・真紀がダメだろ。な、展開で、となりの布団叩きが早朝5時だとしても、うるさいとは思うけど声高に文句を言うレベルでもないしだろ、あれじゃ。なのに昼間の布団叩きにも目くじらを立て、大声で避難したりモップを振りまわしたり。小説が難航していたとしても、そりゃあんたの問題だ。うるさけりゃ図書館でもファミレスでもいろいろあるだろうに。
というわけで、見た感じ真紀の過剰な反応で、不利な展開。と思っていたら、隣家・美和子が主人公の別展開が時制を戻して再現される。なーんと、騒音ババアはいい人で、布団叩きは妄想+幻視で虫を見るようになった亭主のための行為だった。さらに、地蔵のある場所からバナナを持ってかえったのは、あれは美和子が備えたものを回収していたのだ、と分かる。娘を連れて公園に行ったのも、娘のことを心配してのことだったし、娘をお風呂に入れたのも、娘がマンションの壁に落書きして顔中口紅? だらけだったのを、風呂場で亭主が洗ってやったから。もちろんこれも真紀が娘を放置していたからで、美和子の親切心があってのことだった、と解き明かしていく。
要は、真紀が娘の面倒をちゃんと見ていれば何の問題もなかった。なのに独り合点して、娘を勝手に公園に連れて行った、隣の亭主と風呂に入った、という断片的な情報で妄想・敵愾心がふくらみ、隣家を敵視するようになっていった話なのだ。
という話に、真紀の弟だか従弟だか知らんががクラブの女の子の機嫌を取ろうとするエピソードがからんで真紀と美和子のベランダのバトル映像がSNSで話題になり、バトルをネタに真紀がヤング誌に小説を書いたら大評判で有頂天。その結果、真紀の住むマンションは見物人が集まり、美和子の亭主もSNSで拡散され、ロリオタのレッテル貼られ、それが契機となって飛び降り自殺。一命は取り留めたけど入院で、マスコミもSNSも真紀を非難しはじめる、という話を見せつける。ありがちな展開だよな。
この後、マスコミにマイクを突きつけられる真紀を美和子が救ったのをきっかけに、真紀は真実を知っていく。お地蔵さんも、美和子の息子のもの。亭主がおかしくなったのも、息子の死がきっかけ…。話としては、ちょうどいいような話の収まりで、ちょっと物足りない気はするけれど、まあ順当かな。
真紀は美和子の許可をもらい、新たな視点から小説に再チャレンジ。それはうまく行ったようで、真紀たちは転居して再出発、という、ほのぼのハッピーエンドで映画は終わる。予算のせいなのか、つくりはいささかチープだけど、世相をうまく切り取った内容。まあ、冒頭からの流れは、美和子が極悪、で見せてくれたら、その後の大逆転も意外性があったと思うんだけど、ハナから真紀の方が変な女に描かれてたからなあ・・・。
・娘がマンション階段に描き殴ったいたずら書きは、どうなったんかな。
・クラブの女が、真紀の小説(ヤング誌に掲載についても)にイマイチ感を表明していたのは、見識があるということか。
・とはいえ、真紀のデビューは10年ぐらい前の話なんだろ? そんな旧作のハードカバーがたくさん流通してて、一般にも知られている、という設定の方がおかしいと思うけどね。
タイトル、拒絶6/17キネカ大森2監督/山田佳奈脚本//山田佳奈
allcinemaのあらすじは「雑居ビルの中のとあるデリヘル店。ここで体験入店するはずだったカノウは、結局怖気づいてしまい、今はスタッフとしてデリヘル嬢たちの世話係をしていた。しかし彼女たちの不平不満やワガママに振り回される日々。そんな中、店の一番人気のマヒルはいつもニコニコしていて、どんな問題も笑って受け流せてしまうのだったが…。」
Twitterへは「デリヘル店で繰り広げられるスタッフとデリヘル嬢たちのあれやこれやで、ほぼ1場面モノ。面白いんだけど終盤にガチャつく。元が舞台のせいか、観念的だったり高尚的だったり思わせぶりなセリフがときどき鼻につく。題名も意味不明だし。」
冒頭の、黒いブラジャーに下はスカート姿でわけ分からんメッセージを観客に向けて話すカノウは、なんなんだ? カチカチ山の狸になる、とかなんとか言ってたように思うけど、その意味するところは分からなかった。ちゃんとゆっくり何度かその比喩の意味するところを読み解こうとすれば、少しは分かるのかも知れないけど。て、監督は劇団・ロ字ックを主宰というのを後から知って、ああ、頭でっかちの観念論があちこちに顔を出していた理由が分かった。私たちはゴミ箱とか、比喩が多いんだよね、やたら。意図は分からんでもないけど、一瞬考えないと分からないし、考えてるうちに話が進んでしまう。ああいうのを、読んで頭で分からせようとするのは、映画向きじゃないと思う。見て分からせるようにしないと。それが映画なのだから。
で。大学を卒業し、就職試験受けまくったけど落ちまくり、ではデリヘル嬢に、と決意したものの、いざお客を取る段になって「むりむりむり…」とホテルから逃げ出した、という場面が冒頭の黒ブラジャーの場面だったようだ。で、どういう経緯か、カノウはスタッフとして雇われ、デリヘル嬢のサポート、運営を行っている、と。そんなのがあるんかいな。しらんけど。
デリヘル嬢は6人いて、ベテラン年増のシホ、可愛いけどドライなマヒル、ひねたアツコ、印象の薄いリユ、スタッフの良太に惚れてるキョウコ、陰気なチカ、そして、後から加わる新人でブスのヤヨイ。…で、いいのかな。それぞれ描き分けられてるけど、リユとキョウコの区別がつかず、しばらく同一人物だと思ってた。いっぽうスタッフは、店長の山下、得体の知れないハギオ、金髪の良太。あとオーナーは、でんでんが演じておった。マヒルの妹・和代はブスすぎて姉妹とは思えんだろ。
群像劇なので、あまりストーリーは関係ないかも。デリヘル嬢のなかで、一番残ったのはキョウコかな。男に尽くす女の典型で、襟巻き編んだり、あれこれ良太の機嫌を取る。良太はうるさがってるけど、次には襟巻きしてたりして。表面的にはキョウコを拒絶しながら、本心は応えたい、という葛藤がみえて哀しい。お前みたいなセックスを売るような女に、と面と向かっていってしまう良太に、拒絶されても尽くすキョウコの切なさ。なかなか浸みるのだった。
マヒルは、自分が可愛く売れっ子なのを自覚しつつ、でも自慢はせず淡々とマイペース。何でもお金に換算し、仕事もドライに片づけるのが身上。しかも、いつもニコニコ。店長山下とも関係があって、でもしたあとはちゃんと料金を要求。お金を貯めて、何かするっていってたっけか、忘れた。という話より変なのは、日暮里の事務所のあるビルの屋上で、実妹と話す淡々さ。最初は、子供ができたので金を貸してくれ、だったかな。堕ろすんだっけ? でも、次に会ったときは、生んで一緒になるようなこといってなかったっけ。記憶が薄い。というか、この会話、言葉通りに理解しても分からん部分がある感じで、このあたりに監督は力を入れてるんだろうけど、観客にはつたわらんところだ。
シホとチカは記号的な描かれ方で、とくにシホがそう。厚みがない。チカは、書いているノートの内容も分からんし、父親が死んで葬儀の場面もあるけど、とくになにか伝わってくるでなし。デリヘル嬢にも実生活があるのだ、的な役割か。リユは、最初の3人でキャーキャー話してるところと、最後に、店長山下とつき合うようになった場面しか、たぶん出番がないのかな。キョウコとの区別もつかなかったぐらいだし。で、アツコが輪を乱す張本人的に描かれるんだけど、なんで突然反抗的になるのか、とか分からない。客が付かない? かつて店長とつき合ってたのに捨てられた? とか、もうちょい輪郭をはっきりさせるべきかも。
で、後半、このアツコが暴走し、店長とマヒルがつき合ってることをみんなの前でバラし、店長に殴られるんだっけ? 殴られたのはカノウだよな。とはいえ、このあたりの人間関係のぐちゃぐちゃは、交通整理ができてなくて、何を言いたいのかよく分からず。結局、最後に話をひっくり返すためにつくられたようなキャラなんだよね、アツコって。
の後にボヤ発生って、なによ。アツコが度数の高い酒を撒き散らし、でも付かないライターで終了、と思ったら。あのボヤは、何を意味しているのだ? 誰がやったとか示唆もしてないし。突然すぎ。
で、騒ぎが収まって。リユが女子校生衣装で店長と繁華街を歩いていると、アツコが刺す。ということは、アツコも店長に惚れていた? よく分かんねえよ。
あとは…。不細工な新人がやってきて、店長に「本番NG。何かあったらかみ切っちゃえ」といわれ、どうやら本当に噛んだらしいのが登場するけど、どういう経緯でデリヘル嬢になったのか、よく分からん。話の中のオマケというか、色づけみたいなものか。あまり機能していない。
で、カノウだけど、結局は、ただいるだけな感じで。「カチカチ山の狸です」って言われても、だからなに? なんだよね。何のメタファーなの? 女の敵で、いつかは成敗される存在? だからなに。だよね。
・点かないライターとか、なんかのメタファーになってるのかもな。知らんけど。そういう、自分勝手な意味づけがたくさんあるような感じ。でも、自分だけが勝手にからまわり、な感じもするんだけど。
・ハギオが、いちばんダークな感じ。地味にスタッフしながら、オバサンから連絡があるとホストに早変わり。お金持ってんだろうな。とはいえ、デリヘル嬢とはネガポジの関係で、本来は一番象徴的に描かれてもいいと思うんだけど。いまいち人となじまないような、そんな存在。
クローブヒッチ・キラー6/21新宿武蔵野館3監督/ダンカン・スキルズ脚本/クリストファー・フォード
原題は“The Clovehitch Killer”。allcinemaのあらすじは「熱心なキリスト教徒が多く住む小さな田舎町に暮らす16歳の少年タイラー。ある日ひょんなことから、地元の名士で家族にも優しい父ドンが、いかがわしい雑誌や写真を隠し持っていることを知ってしまう。ドンこそが、未解決のままに終わった10年前の忌まわしき連続殺人事件の犯人“クローブヒッチ・キラー”ではないかと疑い始めるタイラー。彼は、一人で事件を調べていた変わり者の少女カッシに協力を求め、一緒に事件の謎を追い始めるのだったが…。」
Twitterへは「素材は面白いのに、わざとつまらなくしてる感じ。後半の実は…からは目が覚めるけど、それまで淡々とし過ぎ。ショッキングなSEもなくひねりもない。もっと少女カッシを活かすとか、ミスリードさせるとか手はあるだろうに。もったいない。」「20年ぐらい前の設定かと思ったらスマホが出てきて、え? な感じ。いまどき二つ折りの携帯の少年、ポルノ雑誌持ってるだけで変態仲間はずれされ、教会とボーイスカウトが生活の規範みたいな町がアメリカにはあるのか?」
サスペンス、のはずである。なのに緊張感はさらさらなく、怖がらせのビックリSEもない。意外な事実が分かっても登場人物は淡々としっぱなし。さらに、フツーは前半でミスリードさせ、実は、という意外な事実が待っているんだけど、そういう展開もない。ヒネリのない演出なので、前半は飽きる。
意外と言えばむしろ舞台となる町で、いまどきボーイスカウトが少年たちのより所。それを支える教会、信仰心の篤い住人たち。こんなところがあるのか? これを見て、アメリカの観客は違和感をもたんのだろうか。
『ミッドサマー』みたいなカルト集団の町、というわけでもない。雰囲気は80年代っぽいと思っていたのに、カッシがスマホ持ちだから、現在だろう。なので、こういう違和感のある町の変な物語、を楽しむものでもない。変な映画だ。
結局、最初からタイラーが睨んだとおり、父親が連続殺人の犯人だった、という流れが固まる。タイラーは、最初はあきらめろ、といわれた研修に向かい、女房と娘は実家に返す。父親、ドンはデブ女に狙いをつけ、地下室から潜り込んで縛り上げ、顔にコンビニ袋を、というところで息子タイラーが登場。父親に銃を向ける。
というところで時間が遡って、実はタイラーは研修には行かず、カッシと企んでドンの行動をスマホのGPSで追っていて、デブ女のところにも間に合った、というのが映像で見せられる。おお。そういう展開か。というわけで、やっと目が冴えた。だって寝るかと思ったぐらいだ。
で、父親に銃を向けたところにたどり着き、その後の展開がまた異様。父親に説得されて銃を渡すと、父親はタイラーに向けて引き金を引く。が、弾は入っていない。もみ合いになり、ドンは息子の首をしめる。背後からカッシが電気スタンドでドンを激しく殴る。
ドンは行方不明、ののち、遺体で発見? タイラーのボーイスカウトの隊長就任式。前隊長ドンの写真が掲げられている。警察がタイラーに事情聴取したいと言ってきたと母親が言うが、断った様子。そんなことできるのか?
で、最後は、ドンの身体をタイラーとカッシが引きずっていく。テントを張り、ドンを簡易椅子に座らせる。朦朧ながらドンには意識がある。その手に拳銃を握らせる…。で暗転、END。
異様な流れだけど、これでオシマイにしてしまうのか? っていうか、女房はドンの死を悲しんでないように見えて、タイラーをかばってるみたい。もしかして知っているのか?
・ポルノ雑誌の一部がクルマから出てきただけで、タイラーの彼女は嫌悪感を示し、友人に言いふらす。この日から、タイラーはみんなからのけ者にされる。って、なんだこの雰囲気は。
・カッシはいつも教会の前にいる。みんなからは異教徒の変人扱い。同級生ではないのか? タイラーは連続殺人についてカッシの力を借りるのだけれど、そもそも連続殺人を調べ、書籍にしている人物が街にはいる。その婆さんは警察資料ももっていて、それをカッシは追及している。あとから、カッシの母親もある日行方不明になり、父親は「出ていった」というけれど、連続殺人の犠牲者と確信している。どうやら遺体はでてきていない様子。たしか、分かっているのだけで8、9件で、タイラーが自宅地下に父親が隠していた免許証は13枚? そこに、カッシの母親のもあったんだよな。それでカッシもドンを調査する、に積極的になるんだけど。
このカッシが地味なんだよな。もうちょい花のある演出してもいいと思うんだけど。役者が地味なのは、まあ、いいか。カッシが一度だけタイラーにキスするけど、ありゃ、がんばれ! 的な感じで、なんかなあ。つまりは、犯人の息子と、犠牲者の娘、の関係ではあるけど、前半から2人をフィーチャーすればなんとかなっただろうに。もったいない。まあ、監督はそういう映画にするつもりはなかったんだろうけど。
しかし、ドンもスキがありすぎだろ。納屋の鍵は娘の誕生日で開くし、床下にボンデージ写真、そして、犯行現場のポラ、自宅地下の拷問部屋(?)の地図とか残して。そこにこっそり潜入し、犠牲者の免許証とか証拠あれこれを見つけても、平気でいるタイラー。気持ち悪すぎてあんな家に寝られないだろ。母親に言わんのか?
あらすじに、ドンは「地元の名士」ってあるけど、何でも屋だろ? なんで名士なんだ? ボーイスカウトの隊長ってだけのことだろ。金があるとはとても思えない。兄の保険でタイラーを研修に送り出せない、っていってたし。そのタイラーの伯父は、交通事故? 生きてるだけで、見当識はない様子。はじめドンは、犯人は兄、といってたけど、交通事故もタイラーの仕組んだこと? にしては、なぜ生かしておくのか。息子を簡単に殺そうとした男だぞ。もしかして、この町は、そういう怪しい連中が支配しているのか? 警察も教会も、実は…とか。でも、そういう雰囲気はでてなかったけど。もしあったら、連続殺人事件を追っているオバサンとかカッシなんか、さっさと消されてるよなあ。という、摩訶不思議な映画であった。
・ドンの死後、タイラーはボーイスカウトの隊長に任命されるのだけれど、なんで? な感じ。気の毒だから? あの歳で隊長になれるのか? スカウトの仲間とハグしてたけど、嫌われてたんじゃなかったのか? 
・ドンは事故死扱いらしいけど、タイラーとカッシは、どうやって殺したんだろう? タイラーは父親を殺したというトラウマはないようだけど、なんで? 
・狭い町で13人も行方不明がでて、死体も10近くでてるのに、妙に穏やかな町だよな。映画的設定?
・もしかして、教会も警察もドンも、みんなグルだったりして…。知らんけど。
8 1/26/22シネマ ブルースタジオ監督/フェデリコ・フェリーニ脚本/フェデリコ・フェリーニ、トゥリオ・ピネッリ、エンニオ・フライアーノ、ブルネッロ・ロンディ
原題は“8 1/2”。allcinemaのあらすじは「映画監督のグイドはある日、自分の体が空中を落下する夢を見る。現実生活の日常に纏わる様々な精神的・肉体的な疲れを癒す為、彼は療養と称して温泉に出掛けるが、そこでも仕事や生活から逃れることが出来ない。そして彼はついに、自分が温泉で余生を過ごしている老人達の中にいるという幻覚を見はじめるが……。」
Twitterへは「何度目かだけど、とくに面白い映画ではないよ。フェリーニの神格化で世間的な評価は高いけど。2度、あやうく寝落ちしそうになった。最後のパレードのところはいいけど。音楽のおかげだな。人が出すぎで区別がつかんのもなあ…。」
2回目か、3回目か。冒頭の渋滞の場面、人がたくさんいるようなシーン、怪女、ラストのパレード、ぐらいは覚えてるけど…な感じ。監督が主人公であるというのは、分かってたよ。
地位も確立した名監督。次回作が進行中だけど、シナリオができてない。というか、何を撮っていいか分からない。スランプの中、夢には子供の頃の思い出や人物が現れて悩ましい。小さいころは、神学校に通っていたようだ。プロデューサーや制作進行、役者たちは、グイドに色目を使って、出演の機会を狙ってる。グイド本人は、浮気相手をロケ地まで呼んでるけど、いまいち乗り気ではない。なのに、いまや関係が悪化してる妻を呼び寄せたり、してることが矛盾だらけ。女、女、女…。妄想は広がるけれど、映画はできない。オーディションも、過去の記憶に残る人々を演じさせていたり、まったく前向きではない。それではと会社側は、宇宙船発射台前でのマスコミ発表会を企画する。けれど、グイドの妄想が洪水のように押し寄せるだけで、過去の人々が大挙して押し寄せ、輪になってダンスを始める。しかし、現実に戻ってみれば、映画は中止。セットは解体されはじめ、荒涼たるロケ現場には寒風が吹く…。みたいな話だけど、大半は会話劇で、愚にも付かないような感じ。たくさんの人が登場し、グイドと会話するけれど、あまりにたくさん登場するので区別もつかないし、誰が誰やら…。脚本家と妻と愛人と、プロデューサーの愛人の学生…。かろうじて母親が分かる程度? 怪女は別にしてだけど。
ドラマがあるわけでもなく、エピソードも断片的すぎて、なんとも言えず、人物も曖昧なので、それがどうしたレベル。夢と妄想と現実も、なんとなくしか区別つかないし。なので、2度、寝そうになった。
最後のパレードの音楽は、大道芸の夜会でHIBI★Chazz-Kが演奏する定番で、聞き慣れてる。音楽は、とてもいい。そんな感じ。
1秒先の彼女6/28ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/チェン・ユーシュン脚本/チェン・ユーシュン
台湾映画。英題は“My Missing Valentine”。allcinemaのあらすじは「郵便局で働くアラサー女子のシャオチー。何をするにもワンテンポ早いせいで誰ともタイミングが合わず、冴えない人生を送っていた。そんなある日、ダンス講師のイケメン男子に誘われ、バレンタインにデートすることに。ところがシャオチーが目覚めたのはバレンタインの翌日。なせかバレンタインが消えてしまった。混乱し、消えた1日の謎を追って街をさまようシャオチー。次々と不思議なことに遭遇し、謎は深まるばかり。どうやら、毎日郵便局にやってくるバス運転手の青年グアタイが何かカギを握っているらしいのだが…。」
Twitterへは「ほのぼのコメディ。前半は退屈で少しうとうと。後半は伏線回収で目が覚めたけど、消えたバレンタインデーに関しては理屈がいまいち通らんのではないの? それに、彼女にとって彼は目に入ってなかったんだろ、そもそも?」
テイストは『アメリ』似かな。複雑な過去を持つ娘が、近くに自分を思ってる青年がいるのに気づかず、イケメンサギに引っかかりそうになる。それを、健気な青年が防ぐ、とか。
ヤンは冴えない郵便局員。隣の席の局員は美人でモテモテなのに、コメディエンヌなヤンは、彼氏もいない・・・。というところに結婚詐欺男が接近。募金活動を口実にお金を要求するが、バレンタインデーになんとか大会があって、その賞金を狙おう、ともちかける。一方、毎日のように局にやってきて、切手を貼って手紙を出しつづける陰気な青年ウーがいる。…という前半の、ひょうきんなヤンでもってるだけ、みたいな展開は退屈。ある朝起きたらバレンタインデーが過ぎていて、焦りまくるヤンが、写真屋の店頭で、いつもなら目をつむってしまうはずの自分の写真が飾ってあるのに気づいて…あたりでついに気を失い、気がついたら、ヤンが封筒の中の写真を見ているところ、だった。目をつむっているあいだに、たぶん、ヤンは昔から持ってるけどすっかり忘れてしまった鍵が郵便局の私書箱のものであることを知り、中を見に行った、んだろう。それ以上の何か、あったのかな?
で、こっからはウーの視点で前半の伏線の回収。実はヤンとウーは幼なじみ? 交通事故でともに大けがし、同じ病室に入院(ウーの両親は死亡してたかな)。ヤンが先に退院するけど、ウーは住所がどうなるか分からんから私書箱に手紙をくれ、と鍵を渡して別れる。ウーはせっせと手紙を書き、ある日、私書箱を見に行くと、自分の書いた大量の手紙と、ヤンからの2通の手紙をみつける。私書箱のある郵便局が遠いから、ヤンは取りに来なかったんだ、と自分をなっとくさせてたな。にしても、ひどい女だヤンは。以後も、せっせと手紙をだしつづけたウー。ある日、ヤンが郵便局のカウンターにいるのを発見(だっけ?)したウーは、ヤンに直接、私書箱行きの手紙を渡すようになる。宛先は、天使? 幼なじみで、自分を思うウーに気づかないなんて、アホか。
詐欺男との行動も、バスの運転手をしてたウーは、ちゃんとチェック。その詐欺男が、被害者女性の家族でヤクザな男にボコボコにされる場面も目撃するが、ついでに自分も殴られたりして。で、翌日、仕事中に、運転してたら突然、周囲のあれこれが止まってしまう。誰かの自転車に乗って、ヤンの乗車しているバスに乗り込み、運転して海岸へ。固まっているヤンをつれだし、あれこれポーズを付けさせ、写真を撮るんだけど、一連の行動はオタクとストーカーが混じったみたいで、なんかちょっと薄気味悪い。それが終わるとヤンを彼女の家のベッドに連れて行き、バスに戻ると、周囲のあれこれが元通りに動き出す。
あれー? これで、バレンタインデーが消えたことの答になってるか? もし、バレンタインデーにすべて制止していたとしたら、すべての人のバレンタインデーは失われているはず。でも、なんとか大会の優勝者であるデブカップルは、ヤンと同じバスに乗っていたぞ。では、周囲が動きだしても、さらにもう一日、ヤンは静止しつづけたのか? 私が寝ていた間に、答は示されていたのか? もやもや。
その後、ヤンは私書箱のある郵便局に志願して(?)転勤。そこにウーがやってきて、今度は“天使”宛てではなく、ヤンの名前を書いた手紙(私書箱宛て)をヤンに手渡しする。ニコッと笑うヤンだけど、勝手すぎるだろ。
だってそもそもヤンはウーのことなんて大して思ってなくてすぐ忘れたんだろ。面と向かって再会しても気がつかない。むしろ、変な男、と思ってる。それが実はずっと自分を思ってくれていた、と分かったとしても。それで突然、ウーを好きになるか? 
ヤンの恋心は詐欺男のイケメンに向いている程度の軽薄さ。ヤンの恋心は、無言ストーカー並のしつこさ。なんで、「やあ、ヤン、久しぶり」と言えないのか? 気持ち悪くないか? 
とにかくこの映画は、ウーの一方的な恋心を描いた映画で、ヤンはその対象でしかない。
ところで、周囲が静止しているとき、海岸から帰るバスは、動いているオッサンを見つけ、バスに乗せる。これはヤンの、「ちょっと豆腐を買いに行く」といったまま出奔した父親だろう。父親は、貯金の話をして、みんなが静止しているのに自分が動いているのは、利子の分に相当する、というような事を言っていた。え? もしかして、これがバレンタインデーの消えた理由? どうやら父親は死ぬ前にヤンに会いに来たような感じだったけど…。これまた思わせぶりなだけで、いまいちよく分からんエピソードだった。
・1秒先を生きるタイムリープものかと思ったんだけど、まったく違ってた。ヤンは1秒分せっかち、ウーは1秒分反応がノロい。落語の『長短』みたいな感じ。ともに2人の性格づけみたいなだけで、バレンタインデーが消えたこととは(たぶん)関係ないよな。こっちが寝てた間のことは分からんのだけど。なので、題名としてはミスリードだと思う。
★Webのネタバレ見たら、ウーとヤンの父親は1秒のろい分を貯金していて、1日分が余った。いっぽうヤンはせっかちな分、1日を失った。と書いてあった。ん? なんかいまいち理屈がよく分からん。なんで余った1日が静止してるんだ? 1日分たまらないと、そうはならんのか? せっかちだからって、先に使ってしまった、とはならんだろうに。もやもや。
Bittersand6/28シネ・リーブル池袋シアター1監督/杉岡知哉脚本/杉岡知哉
allcinemaのあらすじは「冴えない日々を送る25歳の吉原暁人。ある日、高校の同級生・石川絵莉子と思いがけない再会を果たす。2人には高校3年の時、誰かが教室の黒板に書いたクラスの相関図が原因で心に深い傷を負ってしまったという忌まわしい過去があった。暁人は絵莉子との再会をきっかけに、7年前の事件に決着をつけようと、悪友・井葉有介の力を借りてある作戦を計画するのだったが…。」
Twitterへは「前半はスリリングだけど、後半は変態的にしつこくキモイ展開に。ちっともスッキリせん。そもそもの相関図の人物関係をちゃんと描いてないから「?」なところもあるし。しかも、この映画も“彼女にとって彼は目に入ってなかった存在”、の話なんだよな。」
終わってみれば、これも片思い男の、若干のストーカー行為が混じっての、しつこい思いの表現だった…。ああ、気が重くなる。しかも、話の展開は偶然の接近遭遇ばっかりで構成されている。登場人物をうまく交錯させてる感はあるけど、都合よすぎだろ。
高校時代に書かれた黒板の、男女相関図。これがもとで1人の女子校生が退学していった。その相関図を書いたのは誰か? 吉原は、井葉に「自分が書いたと噂を流してくれ」といい、それが実行されるとクラスから総スカンをくらう(という設定だけど、映像ではとくに嫌われてもない)。その相関図は絵莉子が友人・亜沙実の男を寝取った、とかいうものなのか? 絵莉子が悪人として書かれていた、のかな。っていうか、絵莉子と彩加、それぞれの彼氏2人の4人組をちゃんと描いてないんだよね、この映画。だから、そもそも4人にどういう関係があり、それかどう破綻したか、という説明も、分からない。相関図も、ささっと見せるだけだから、何がどうなってるのか分からない。さらに、4人+吉原と井葉以外の、他のクラスメートがほとんどまともに描かれていない。彼らが登場するのは、7年後の同窓会になってからで、しかも私服。という状態で、あのときの相関図を書いたのは誰それ、その背景は、という事実を解き明かした相関図を、これまたささっと見せられたって、はあ? なんですよ。
高校時代のクラスメートを、個人が特定できるようにちゃんと描く、ができてないと、なるほど感は、ないと思うぞ。
そもそも、自分が書いたことにしてくれ、という行為自体が意味不明。どうも、悪人にされてる絵莉子への攻撃が薄れ、自分に向けばいい、ということらしいけど、それで解決するわけではないだろ。
吉原は、絵莉子が好きだった。遠くで見ているだけだった。ということかと思いきや、絵莉子は吉原の存在は認識していて(吉原の行為については気づいていたか分からんけど)、主に橋の上だけど、会えば絵莉子は吉原のことを「暁人」と名前呼び捨てで呼ぶ関係なのが、不思議。「吉原君」という距離感はないんだよな。しかも、相関図を書いた本人であることを噂として知りつつ、創業式の後にも橋の上で会話している。どういう関係・距離感なのか、さっぱり分からない。
分からないと言えば、絵莉子は、高校時代につき合っていた相手と、セックスしてたのか? というようなことも、曖昧にしかわからない。ほんと、この映画、テキトーな部分が多すぎるのだ。
とにかく、吉原は律儀に絵莉子を思い、自分が犠牲になって彼女をかばった、というつもりになって、そのまま高校を卒業し、おもちゃ会社かなんかの営業職についていた。高校の映研で仲間だった井葉とはいまもつきあっている。本日も井葉と、その彼女と居酒屋に行き、2人と別れた後の帰り道、路地に連れ込まれて喝上げされてるデブを目撃。デブは、ラッキーとばかりに吉原を楯に逃げてしまい、今度は吉原が喝上げされる…と思ったら、2人組の1人の頭を背後からビール瓶で殴る女! 誰? 吉原と女が逃げ、残る1人が追ってくる。ラブホ街にまぎれ込むと、井葉と女が、これから入ろうとするラブホのホテル代で揉めている。追っ手を撒くため、とりあえず4人はラブホの受付へ。井葉と女はあっさり帰ってしまい、吉原と女は、追っ手から逃れるために、とりあえず部屋へ…。で、女が、吉原に「サラサラだね」と髪のことをいう。は? なんと2人は高校の同級生で、くだんの絵莉子だった、というまさかの偶然! そして、過去の場面が交錯し、相関図事件が紹介されて…なんだけど、スリリングだったのはこのあたりまでで、あとはうだうだ感が強い。
吉原の思いはいいとして、絵莉子がどう感じていたのか、がまったく描かれていないから、2人の関係には感情移入できない。むしろ、こういう噂が立てられるのだから、絵莉子もヤリマン? とか思っちゃうし。
井葉が連れていた女は出会い系アプリで当日知り合ったばかりだった、という。なのにSNS検索して存在や行動を追跡し、女がオッサンとラブホに入ろうとするところをキャッチ。ちょっと待った宣言して女に罵倒されたり。と、これも伏線にはなってたけど、ムリくりな気もするけど。
とか思っていたら、吉原の所に同窓会のお知らせが舞い込んで。吉原は、絵莉子の実家に連絡し、現在の住所を聞いたとかで、彼女の会社の前で待ち伏せ。吉原は「話がある」といい、彼女は「話すことなんかない」と拒絶される。そりゃそうだろう。相関図を書いた、と思われているのだから。
事情を知ってる井葉は、吉原を主人公にドキュメンタリー映画を撮る、という。さて、同窓会当日。みんなが集まってみると、黒板に新たな相関図が書かれていて(でも、これまたよく読めないので、経緯や流れが分からん!!)、誰かがあの相関図を描き、絵莉子は悪人にされ(亜沙実の彼氏を寝取った?)、亜沙実は学校を退学する羽目になった、ということが明らかにされる。で、その誰かは同級生の、彼氏が社長、と自慢してる女・彩加である、と追及していくんだけど。これまでの高校時代回想で、彩加ってまともに登場してたっけ? 他の同級生たちもしかり。いや、亜沙実だってちゃんと写されていないし、2人の彼氏たち2人も、どっちがどっちやら、な描き方しかされていない。なので、いまさら曝露されても、はあ? なんだよね。
そうそう。冒頭で喝上げされてたデブも、実は同級生の1人で、かつてはすらりと長身だったのが変貌した、らしい。
要は、高校時代の仕込み=伏線をちゃんとしてないから、もやもやが生じているわけで。せいぜい10人程度描き分ければいいんだから、そうすりゃあよかったんだよ。
で、亜沙実は実は妊娠し、学校を辞めて子供を産んだ、と井葉のドキュメントに登場、本人も登場する。というご都合主義。そんなこと、同級生の前で声高にいうかあ? さらに、井葉が出会い系で出会った女がつき合ってたオッサンが、現在の彩加の彼氏であるとか、これまた偶然が過ぎる偶然で。やりすぎだろ。
というわけで、井葉はその出会い系で出会った女とうまくやっていて、吉原も絵莉子の信頼を回復し、つき合うようになった、という、なんとまあなご都合主義。こんなことで、絵莉子は吉原に好意を持つわけ? なんだ、この女。
で、エンドロールの終わりに、なんとなんと。吉原が「あの相関図を書いたのは俺だって噂を広げてくれ」といっているのを、屋上に出る扉の前で聞いていた、というネタばらし。はあ? じゃあ、絵莉子は吉原の企みを知っていた訳で、じゃあなんで、会社の前に来ていた吉原につっけんどんに態度をとったんだ? あの相関図のとき、自分をかばってくれた、と分かったんなら、直後に感謝すればいいのに、なんでいまさらつきあい始めるの? ぜんぜん分からんぞ。
どーも脚本は、伏線とその回収に力を入れているようで、『運命じゃない人』を多少感じさせるけれど、偶然が大半を占めているので、なるほど感はゼロなんだよね。残念。

 
 

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