2021年7月

Arc アーク7/1ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/石川慶脚本/石川慶、澤井香織
allcinemaのあらすじは「生まれたばかりの息子と別れ、放浪生活を送る自由を選んだ17歳のリナ。やがてエマと出会い、亡くなった人に特殊な防腐処理“プラスティネーション”を施し、生前の姿のまま保存するサービスを提供する会社で働くようになる。そんな中、エマの弟・天音がストップエイジングの技術を完成させ、ついに不老不死が現実となる。その施術を受け、人類で最初に永遠の命を得た女性として、30歳の身体のまま生き続ける運命を選択したリナだったが…。」
Twitterへは「初めてプラスティネーションを見たのは科博だったか、ずいぶん前だ。この映画の入口がそれで、無機的でディストピアな雰囲気。後半はSF度が高まるのに情緒的でアナログになっていく。C.マリガンの『わたしを離さないで』にも似た感じなのが面白い。」
原作は中国系アメリカ人のSF作家のものらしい。死を扱いつつ、暗く重苦しい。話の中では人類は永遠の命を得た世界なのに、そこに満足感や歓びはない様子。まあ、そうだろう。だれもが共感する後半の、モノクロ部分も多く、しっとりと情緒的な映像は、なかなか浸みてくる。
20歳。何かのショーの裏方だった(のか?)リナが、偶然ステージに飛び出してしまい、急かされて全身を使って踊り、たまたま見ていたエマが気に入ってリクルート。彼女の経営するプラスティネーションの会社で働く…という冒頭からの展開は、いささか都合よすぎて強引かな。リナの出自も曖昧で(17歳で子供を産んだらしいことは分かる)、正確に分かるのは後半も後半なので、なぜリナがここで働く気になったのかなど、分からないまま話が進んでいくのも、うーむ。
プラスティネーションは、30年近く前か、日本でも科博で展示されていて、それを見ている。その後も何度か展示会が開かれているので、新しい技術という気はしない。とはいえ気になったのは法律との関係で、遺体の損壊にあたらないのか、埋葬や散布せずに“所有”してもいいのか。正確には知らんけど、遺体の一部・全部を個人所有してもOKな時代が来るのかも知れない。
会社の理事だったエマが突然解雇された理由も分からない。え? 創業者ではないのか? では、だれの会社なのだ? とか。
で、リナ30歳。エマの後を引き継ぐ感じで、人体をヒモで操ってポーズを付けている。なるほど。エマは、この手の才能がリナにある、と感じてリクルートしたのか。はいいけど、10年で会社のリーダー的存在になっちゃうの? しかも、エマの弟であるアマネと結婚しちゃうのか! てな、前半は無機的で色彩もブルーが基調。一般人の暮らしなんか登場せず、むしろディストピア感。
話はどこに向かっているのか? と思っていたら、アマネが不老不死の薬剤を開発し、方向が見えてくる。癌に類する薬剤で、異常行動を抑制するようにしているようなことを言ってたかな。それを注入することで細胞が不死状態になり、若さを保てるらしい。どうすれば不老不死を選択できるのか、あまりよく説明されていない。人間を選別するのか! な抗議活動があったように思うけど、どうなってたんだろう。しかし、遺伝子異常があると効果が失われるらしい。世間では、今度はこのことに対して抗議活動。
リナ50歳、幼い子供がいる。45歳ぐらいで産んだのか? 夫アマネが遺伝子異常で急速に老化し死亡する。
リナ89歳。無償でホスピスを経営(資産はあるのか)。そこに老人リヒト(小林薫)と末期癌の妻(風吹ジュン)がやってくる。妻は入居。リヒトは近所に家を借り、かつて漁師だったからか、漁船を借りて自炊生活を始める。妻は、遺伝子異常があるので薬剤を打てなかったんだっけか? リヒトは、自分の意志で打たなかった、という。その選択を、まだリナは理解できないでいる。そのうち、リヒトが、むかしリナが生んだ子供とわかるんだけど、この分からせ方は説明的でなくて、なかなか。リナが、子供のスケッチブックを見ていて、大人が描いた絵が混じっているんだけど、その絵が灯台の絵で。かつて17歳のときかな、に子供を産んで休んでいたところの近所に灯台があった、んだったか。リヒトは、母リナに気づいて欲しくて灯台の絵を描いたんだな。そして、永遠の命を発明した側のリナに対して、否、という気持ちで永遠の命を選択しなかったのかも。そういえば、リヒトが言っていた。リナの会社を見学に行ったとき、一度会っている。でも、あなたは僕に気づいてくれなかった、と。捨てられた子供の思い。こういう情緒的なところが、前半の無機的な画調と対照的な感じで描かれているのが、この映画の特長かな。りな、90歳の誕生日を迎える。
妻の死の後、リヒトは漁船で海に出たまま戻らなかった。ということは、選択的な死の選択だ。そういえば、人類が永遠の生命を得たあと、出生率は急激に低下し、自殺者が急増した、というようなことも言っていた。実際にそうなるかどうかは知らんけど、ありそうな未来だよな。というか、あたらしい生命が誕生しないせいで生命体として弱体化するんじゃないかな。死なない人が増えて人口が増えれば食物や水も必要になるし。どうやって手当てするんだろう。働く意欲、未来への夢も、逆に薄れるかもなあ。とか、いろいろ想像できて面白い。
リナ135歳。もう薬剤の注入を選択せず、老いている。90歳でやめたのかな? 30歳の外観に、45年が加わって75歳ぐらいの外観か。娘は成長し、孫もいる。やはり人間は、有限の命であるから生きていられる、というようなお話で、むかしから扱われているテーマだけど、後半のしっとりしたテイストの画像と展開は、なかなかな感じだった。
・前半で不思議に思ったのは、人々の死体への嫌悪感が希薄なことかな。夫やペットを保存したい人が登場する。ペットはさておき、死体(手とか指でも)を所有したい人があんないるとは思えない。まして、小学生がポーズづけを見学に来る(許す)とも思われない。死への尊厳がないだろ、あれは。
・プラスティネーションを選択希望する人々が、少し素人っぽい。ホスピスに入居する人々が素人っぽい。意図的にドキュメント風にしてる感じ。
ザ・ファブル 殺さない殺し屋7/2109シネマズ木場シアター8監督/江口カン脚本/山浦雅大、江口カン
allcinemaのあらすじは「殺し屋稼業を休業中のファブルは目下、佐藤アキラという偽名を使い、相棒のヨウコと兄妹のフリをして普通の暮らしを実践中。デザイン会社でバイトをしながら慣れないフツーに悪戦苦闘の日々。折しも街では、かつてファブルに弟を殺された宇津帆がNPO団体代表という偽りの仮面の下で暗躍し、ファブルへの復讐に燃えていた。そんな中、車椅子の訳あり少女ヒナコと偶然の再会を果たすアキラだったが…。」
Twitterへは「冒頭のアクションは合格、後半の足場のアクションは、うーむ。あの命知らず達はどこから湧いてきた? 物語部分は眠く、銃・爆薬の使い放題も、おいおい。130分はムダに長い。100分ぐらいにするのが良識だろ。」
冒頭の数人の殺し、カーアクションの場面は、たぶんCGあまり使ってないみたいで、なかなかリアル。これはいい感じかな、と思ったら、以降の地の話が地味すぎてテンポもノロくて飽きる。テレビドラマとかサンタのイラストとか安田顕と手下に迎えの車よこすようにするとか(これ、話として機能してない。たぶん続編としてレギュラー顔見せなんだろうけど、意味ない)ヒナコの鉄棒とかファブルの猫舌とか要らんだろ。カット尻もムダに後を引いてくどい。ざっくりカットして編集し直せば、見られるモノになるかも。
もちろんファブルのキャラづけでギャグしてるのは分かる。けど、大半つまらない。悪党うつぼも、鈴木もしゃべり過ぎ。新入り小悪党井崎も出すぎ。
そもそも、悪党うつぼは、大物なのか小物なのか? 前回の指令で直前にストップがかかった理由も分からない。元は売春組織の元締めで、いまは監視カメラを仕掛けても恐喝って、落差ありすぎ。かと思うと、どっかの悪党をパワーショベル使って簡単に殺したり、ファブルを罠に嵌めるときは、どっからかき集めてきたのか、数10人の銃使いを指揮しマンションの建設足場を舞台に大がかりに作戦開始する。そんな力があるように見えんぞ。
だいたい、足場の罠は、ありゃ罠と言えるのか? ミエミエの呼び出しだ。ファブルも相棒のヨウコも、分かりきってやってきている。それを見越しての、うつぼの作戦? なんかなあ。殺さない殺し屋、といいつつ、足場では結構、殺してたし…。
ファブルが働くデザイン会社は、もう漫才でしかない。佐藤二朗はあれでいいよ。でも、若い貝沼の存在なんて、ただの使い捨て。そもそもデザイナーのミサキが元グラビアアイドルで、貝沼はミサキ目当てのオタク? そんな貝沼を悪党うつぼが隠しカメラの映像でハメてゆするって、どういうつながりなんだよ。小悪党うつぼ、だろ。しかも、貝沼は井崎に誘拐され、井崎は間違って貝沼をひき殺してしまう…。って、この映画にとって、そんな話=流れ、って意味ないだろ。貝沼、死に損。それに、貝沼が恐喝されてたことぐらい、ファブルは気づけなかったのか? うつぼ一味がミサキの家に、盗撮リスクを根拠に侵入し、隠しカメラを設置したことも、さらっと流してるけど、ああいう話題、会社でして、それにファブルが気づく、てな流れの方が自然だろうに。貝沼のお母さん、気の毒。
悪党うつぼが、ヒナコの両親を殺す理由が分からない。ヒナコから、売春組織の話がバレるのを懼れて、とかいってたけど。だったらヒナコを殺せばいい。ヒナコが性の対象だったから? 下半身不随の娘に燃えるのか、うつぼは。それほどの娘とも思えんし、ヒナコにこだわるなら、それなりの理屈をつけないと説得力はないだろ。
ファブルとヨウコの掛け合いは、ちょっと面白かったけど。
ムダに登場させなくちゃならんキャラがいるせいで、地の部分の話のキレがないのが最大の欠点だな。それにしても、悪党うつぼって、NPOやってていい人の顔も持ってるようだけど、どんだけヒマなんだよ。
・ファブルがヒナコの鉄棒を応援してたらスナイパーに撃たれる場面があるんだけど、きっとヒナコの夢なんだろう。けど、あの時点で彼女はファブルの本業を知らんはずで、あんな夢が見られるわけはないと思うんだが。
グラン・ブルー/オリジナル・バージョン7/5シネマ ブルースタジオ監督/リュック・ベッソン脚本/リュック・ベッソン、ロバート・ガーランド
原題は“Le grand bleu”。allcinemaの解説は「美しい海を舞台に、スキューバ用の道具を一切使わないフリーダイビングにすべてを賭ける繊細な青年と、彼に惹かれる都会育ちの女性、そして青年の生涯のライバルの繰り広げる恋と友情のドラマを描く。」
Twitterへは「むかし見たような気がするんだけど、もしかしたらちゃんと見るのは初めてかな…。海を愛し、夢に生きる男。子供をつくり、家庭を持ちたい女。いまじゃ顰蹙モノの設定かな。それにしても、見てるだけで息苦しい。」
見たことあるのかな? 記憶が定かではない。潜る場面、日本チームが登場する場面は、わりと記憶がある。でも、男2人の友情に、ちゃらい女がからむ物語の方は、さっぱりだ。
で、話の方はほとんどドラマもなく、主にマイヨールとジョアンナの恋バナと、エンゾのマイヨールへの対抗心が最後までつづく。なので、中味はあまりない。マイヨールは実在の人物なのに、こういう登場のされ方は、本人が認めてはいるんだろうけど、違和感があるよね。ジョアンナは、賑やかしな存在で、ただのバカ女的に見えてしまう。だって仕事より家庭なんだもの。マイヨールの子どもが欲しくして、一家で幸せに暮らしたい、という願いは、昨今の風潮からすれば古典的すぎる。でも公開は1988年で、たかが30年余り前のことに過ぎないんだよね。
しかも、精神的につながっているわけではなく、北極だか南極で潜水の様子を見て一目惚れ、なんだもの。あとはひたすらマイヨールの追っかけ。そのうちやっと結ばれるけど、ロクに話もしてないだろ。この2人。
マイヨールとエンゾは、実力はあるけど控え目な性格の少年と、少し年長で、マイヨールの手柄も奪ってしまうようなガキ大将な関係で。マイヨールはエンゾを意識してないけど、エンゾの方が勝手に意識しすぎてる感じ。目立ちたがり屋のエンゾは潜水大会に参加し、世界一を誇る。マイヨールは、そういう世界に興味はない。けれど、エンゾの勢いに負けて、自分も参加するようになる。…というところが、まあ、映画が成立する部分で、そんなの無視してマイペースで生きればそれでいい話なのだ。でも、自分も潜水大会にでるということは、マイヨールにも俗な部分があるということだよな。
エンゾが、新記録を出す。でも、マイヨールは軽く超えてしまう。まけずにエンゾが潜る、という。マイヨールは「やめとけ」という。でも、潜ってしまうエンゾ。ただの負けず嫌い。で、事故を起こし、息も絶え絶え。マイヨールは、エンゾの願いに応え、瀕死のエンゾとそのまま潜り、深海へとエンゾは流れていく…。まあ、ロマンチックな話だけど、これは自殺幇助だろ。あるいは、マイヨールの殺人ではないのか? と。
その後、マイヨールは、海中で寄ってくるイルカと出会う。まあ、あのイルカは、海に死んでいったエンゾということなんだろう。わかりやすい。
・エンゾが乗ってる小さなクルマは、ありゃなんていう車種なんだ? 気になる。
スパイの妻<劇場版>7/9ギンレイホール監督/黒沢清脚本/濱口竜介、野原位、黒沢清
allcinemaのあらすじは「1940年、神戸。瀟洒な洋館に住み、貿易会社を営む夫の福原優作と何不自由ない生活を送っていた聡子。ある日、仕事で満州に渡った優作は、同地で衝撃的な国家機密を目にしてしまう。正義感に突き動かされ、その事実を世界に公表しようと秘密裏に準備を進めていく優作。そんな中、聡子の幼なじみでもある憲兵隊の津森泰治が優作への疑いを強めていく。いっぽう聡子は、優作がたとえ反逆者と疑われようとも、彼を信じてどこまでもついていこうと固く決意するのだったが…。」
Twitterへは「2度目。前見たときは深読みしすぎたかな。わりと単純に、妻の嫉妬、で片が付く話なのかも。夫はそれがうるさくなった。あるいは、妻が本気になりそうだったので、やさしく騙した、とか。」
主な目的は、優作が撮った映画の内容の確認だった。これは、女が金庫から何かを盗もうとして発見され、マスクを取られる場面。逃げる女を背後から男が撃ち、でも、女に未練があるのか駆け寄って、抱き上げる、という2つの場面しかなかった。何かのメタファーになってるのかと思っていたんだけど。聡子が資料を盗む、と、聡子を出し抜く、を示唆しているのかも知れないけど、大したことはないかな。
深読みせず、聡子の嫉妬、で片づけてもいいのかな。夫・優作が自分に内緒でコソコソやっている。それは、中国での人体実験の件に関することで、これには自分も反対だ。けれど、大陸から元看護婦の女・草壁弘子を連れ帰り、温泉宿に仲居として紹介している。その温泉宿には、甥の文雄が、小説執筆のため逗留という名目で、軍資料を英訳している。そして、突然のように草壁弘子が、温泉宿の主人に殺害される。
一方で聡子は、文雄が訳した資料を特高の目を盗んでもちだす(のだけれど、特高がマヌケすぎ)。これは正義感なのかも知れないけど、一方で聡子は資料原本を幼なじみの憲兵分隊長津森に渡し、この結果、文雄は憲兵に連行され、ツメ剥ぎの拷問を受ける。でも、優作も満州に行ってるんだから、この時点で取り調べを受けないのは不自然だよね。
このあたりの聡子の分裂症的行動は、やっぱり理解できない。浮気した優作へのお灸のつもりにしては、甥を犠牲にし過ぎだし、亭主だって間諜容疑で牢獄、死罪の可能性だってあるんだから。
自分を裏切った聡子をとくに避難もせず、一緒にアメリカに行こう、と誘う優作の行動も変。なんか、こういう夫婦の騙し合い、化かし合いが、現実感なくつづくのは、とても奇妙だよね。まあ、この時点で優作は聡子をおいてきぼりにしようとしていたわけで、亭主を取り戻したつもりが捨てられた聡子は「お見事!」って叫ぶよなあ。このあたりの、やられた! 感が、撮影した映画のメタファーなのか?
優作がスパイ行為を働いたのは事実なんだろうと思う。聡子も、夫の企みを支持した。けれど、女としては優作を許せなかった。このアンビバレントなところが、この映画のキモなのか。よく分からんけど。
夫のタレ込みによって密航が阻止され、聡子は精神病院へ。訪問してきた野崎医師に「私は狂ってなんかいない。この国では、それが狂っているということになる」というのも、言葉通りにとってもいいのかも。聡子は狂ってはいなかった。ただ、日本に都合が悪い存在だから、幽閉された、と。爆撃を受け、患者も解き放たれる。聡子は海岸を走り、ここでも「お見事」とつぶやく。最初の「お見事」は、実験の模様のフィルムかと思ったら、優作が撮影した映画にすり替わっていたときだったけれど、この「お見事」は、優作の、アメリカ政府への直訴=スパイ行為によって日本が空爆され、敗戦に向かっていることに対してなんだろう。
とまあ、フツーに読んでいけばこんな感想か。でも、そうなると、いまいち緻密さ、裏の意図みたいなのがなくなって、フツーの話になっちゃって、つまらんな。草壁弘子や宿の主人なんか、ほとんど機能しなくなっちゃう。そんな中で、女中の駒子の勘の鋭さばかりが目立っていて、これはこれで不思議。とはいえ、彼女もとくに機能していないのだけれど。
・ビスタサイズだった。なんか、以前見たのはスタンダードだったような記憶なんだけど、思い違いかも知れない。それと、ギンレイは光量が弱くて、邸内の壁の傷なんかが目立たなかった。シネコンではかなりはっきり見えていて気になったんだが。あと、画面がカタカタって流れるようなところが、数ヵ所。デジタルの瑕疵なのか。気になった。
キャラクター7/12109シネマズ木場シアター7監督/永井聡脚本/長崎尚志、川原杏奈、永井聡
allcinemaのあらすじは「画力はあるものの悪役キャラクターを描くことができずに万年アシスタントに甘んじていた山城圭吾は、スケッチに向かった先で一家殺人事件の現場に遭遇し、犯人の顔を目撃してしまう。そのことを警察の取り調べで伏せた山城は、自分だけが知る犯人を基に生み出した殺人鬼のキャラクター“ダガー”を主人公にサスペンス漫画を描き、異例の大ヒットを飛ばして売れっ子漫画家となるのだったが…。」
Twitterへは「サイコな殺人鬼の話で、このままでも十分に面白いんだけど、犯人の素性とか、主人公である漫画家の欲望が、もう少し掘り下げられるともっとよくなるはず。それと、マヌケすぎる警察も、なんとかしてほしいけど。」
キャラクターが描けず、独立はムリとあきらめた漫画家アシスタントの圭吾。たまたま目撃した殺人事件と犯人をそのまま描き、一躍、人気漫画家に。という展開は、ふーん、そんなものか、としか思えなくて。マンガのキャラの魅力とか、よく分からないのでね。
それはそれでいいんだけど、圭吾の罪悪感が希薄なのが気になってしまう。犯人を目撃したのに警察に言わない。次の、山中でのクルマの親子4人殺害事件についても、苦しんでいない。もちろん、漫画家として独立して有名になりたい、という欲望がまさったんだろう。であるなら、その葛藤を描くべきではないのか。真面目で小心者という圭吾の人格設定が、いまいち揺れてくる。
マンガと現実の因果関係も、ちょっと分かりづらい。山中のクルマの親子連れでは、クルマの天井に刃物が隠されていて、その刃物は最初の事件に使われたモノだった。ということを、刑事・真壁は、部下・清田の私的でマンガを見て知る。マンガと事件と、どっちが先なんだ? マンガで描いたことを、犯人が真似したのか? 犯人からの情報をマンガにした(というのが、後の事件にあったよね)のか? 
清田は圭吾のマンガのファンで、雑誌連載時に見ていたようだ。であるなら、圭吾のデビュー作であるマンガ=最初の事件に取材したモノも見ているはず。なら、圭吾のマンガ『34』に登場する犯人についても関心を持つはず。圭吾は「目撃していない」と話したけれど、実は見ているのではないか? と改めて任意に聴取するのが筋だろう。しかし、なにもせず、山中の事件が起こってから、その類似に気づく。トンマ過ぎるだろ。
それと、圭吾のデビューは雑誌のはず。人気が出たとしても、収入が豪邸に化けるまでには期間が必要。なんだけど、清田が真壁に見せたのは単行本で、ということは第一作初出からかなり時間が経っていなければおかしい。このあたりの、雑誌掲載時と単行本発刊時の内容がつづいていたりするいい加減さが、いまいち混乱の元になる。
その後、犯人はたまたま見かけた家族の団らんに庭から侵入して4人殺害するとか、大胆不敵すぎて、なんかリアリティがない。犯人の自宅も、そこらのモルタルアパート二階風で、あんなんじゃ音も臭いもバレバレじゃないか? と思ってしまう。これが海外映画だと、犯人は都会の中の隠れ家的スポットに住んで、自分だけの世界に浸ってる感じがでるんだけど、日本じゃそういうのはムリなのか。
書店で、圭吾が犯人と出会うのも、ご都合主義(なぜ、この時点で圭吾は犯人目撃を警察に告げなかったのか? まだ自分の地位を守りたかった? でも、恐怖の方が優ってるんじゃないのか? もう)。まあ、映画だからね。はいいとして、犯人はつねに圭吾を見張り、行動を追尾していたということになる。そんなの、できるかね。あんな金髪男では、目立ってしょうがないだろ。圭吾の妻の妊娠後、ベッドを2つ買ったことを、店の売上伝票を見て知るなんて、どうやってやるんだよ。
警察は相変わらずトンマで、かつて殺人事件を犯したオッサンを引っぱってくる。オッサンは「自分がやった」といい、警察はそれを鵜呑みにして一件落着としてしまう。アホすぎるだろ。一番怪しいのは圭吾のマンガとの連関で、そこに着目して調べれば、こんな事件、簡単に解決しただろうに。
なわけで、圭吾は事実を清田に告白し、連載をやめる、といいだすんだけど、遅すぎるだろ。自分のマンガで人が死んでいて、その犯人を知っているのにいわないでいる自分。フツーなら罪悪感で頭がおかしくなるはず。なんだけど、圭吾は淡々とし過ぎてるんだよね。
なことしてたら、どういう経緯でだか忘れたけど、元殺人犯のオッサンが清田を刺してしまうのには驚いた。なんという展開。そして、オッサンの登場の意外性。この映画で一番びっくりしたところだ。あっさりと小栗旬を退出させてしまう、というところも含めてね。
で、いったん休載にしたマンガ『34』の再開・最終回の掲載を決める。これは、犯人がマンガに描かれたことと同じことをするはず、という前提に描かれたものらしい。マンガでは、犯人が圭吾のマンション(じゃなくて出版社? このあたりも、曖昧な表現な気がする)にやってきて彼を刺す、というようなことが描かれていたのかな。で、圭吾たちは防弾チョッキを着て待ち受けるんだけど、何時何分に来ると分かるわけでもなし。そんな罠が通じるのか。と思っていたら犯人からスマホに連絡があって、「僕は4人家族を狙う」云々。ここで、圭吾は妻の妊娠が双子で、狙われているのが自分の家族と知るんだけど、そこまでピンと来るかねえ。で、一目散で自宅マンションに向かうと、マンションエントランスで犯人に刺されてしまうと言う、なんじゃそれ? な展開。さらに上階に上がると妻がいて、妻が足を刺され、圭吾が犯人を刺し殺そうとするところに真壁がやってきて、「やめろ」というけどやめないので撃つ。おやおや。そうか。防弾チョッキ着てたんだっけか。
で、なんと呆気なく犯人逮捕で裁判。もともと犯人がオッサンのファンで手紙やりとりしてたら、オッサンの方が犯人に興味を示して、犯人の言いなりになるような関係になった、らしい。では、犯人の犯行でも、どっかで機能していたのか? については言及なし。
妻は子供を産んでいるのに、圭吾はいまだ入院中、というのは変だろ。妻が襲われてたら、何日経ってるんだよ。圭吾も刺されて、防弾チョッキの上から撃たれた。妻だって足を刺された。それが、いまじゃ妻は軽々と歩き、圭吾はまだベッドの上というのは、よく分からん時間の経過だ。
そんな妻が、店だかなんかにいる場面。背後からのカメラが誰かの視点のようで不気味で。逮捕されないままのオッサンのターゲットになっていることのほのめかし? 
なかなか面白い素材なんだけど、いろいろ細部に瑕疵がありすぎて、いまいちカリッとしない仕上がり。もったいない。
・犯人=両角も、もっと早めに素性が知れて指名手配でいいだろ。圭吾が描いた、最初の惨劇の家のスケッチで、書き込まれていた宅配トラック。その運転手が両角で、事務所には写真付きの履歴書が残っていた。それを頼りに両角の家を訪ねると、実際の両角は行方不明で、犯人=両角とは別人。犯人は両角の戸籍を買った、らしい。でも、この時点で犯人の顔が分かっているし、戸籍を売った両角の行方だって調べるはず。なのに、映画の中の警察は、そういうことをしない。手がかりがなくなった、とあきらめてしまう。そりゃないだろ。
シャイニー・シュリンプス!愉快で愛しい仲間たち7/13ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/セドリック・ル・ギャロ脚本/セドリック・ル・ギャロ、マキシム・ゴヴァール
原題は“Les crevettes pailletees”。allcinemaのあらすじは「同性愛者への差別発言が原因で世界大会への出場資格を失ったオリンピック銀メダリストの水泳選手マチアス。再び資格を得る条件は、ゲイのアマチュア水球チームのコーチをして、3ヵ月後に開催されるLGBTQ+による世界大会“ゲイゲームズ”に出場させるというものだった。こうして渋々ながらもゲイの弱小チーム“シャイニー・シュリンプ”のコーチを引き受けることになったマチアス。しかしそんな彼を待ち受けていたのは、勝ち負けにこだわらない、一癖も二癖もあるお調子者ばかりのメンバーたちだった。最初はそんな彼らにまともに向き合おうとしないマチアスだったが…。」
Twitterへは「ゲイの水球チームのお話で、楽しく笑わせて、泣かせてくれる。ライバルはレズのチーム、でも全然色っぽくないの。1人で勝つより、みんなで負けた方がいい。が心に残った。」
同性愛者に差別的な発言をし、お仕置きとして同性愛者の水球チームのコーチを命じられたマチアス。初めは嫌々だったけど、次第にシンパシーが目覚め、最後は代表の座を投げ打ってチームに貢献。そのおかげで、選考会には出られなかったけど、協会推薦で代表選手になる、という、この手の話の定番中の定番的な物語。手垢が付きすぎではあるけど、ゲイとかレズとかの味つけが興味深く、しかも、ラストの葬儀シーンはちょっとうるっとしてしまったぐらい。なかなか上手くできている。
のだけれど、欲をいうとチームメンバーをもう少し掘り下げて描いて欲しかったかな。リーダー格のジャンは末期がんらしいけど、それ以外は謎のまま。同性愛婚してるセドリックは結構登場するのでOK。ジャンの元恋人で黒人のアレックスも、物足りない。チビのダミアンも、捨て子というだけで物足りん。年長のジョエルは、それなりに存在感もエピソードも。銀髪のグザヴィエは得体がよく分からない。手術済みのフレッドは賑やかし?程度。食堂の店員から志願して参加したヴァンサンも、存在希薄。なので、セドリック以外についてもう少しずつ深掘りしてエピソードを加えれば、厚みが出たと思うんだけどね。
それと、地区予選で対戦するレズチームが、これまたあっさりとしか紹介されない。野蛮な女性たち、というので期待したんだけど、せいぜコーチが少し目立った程度。メンバーは顔も分からない。もったいない。
世界大会にはバスで。でも、ハナからみんなハメを外し、遊びまくる。会場に着くと、そこはもう巨大な発展場で、飲んで出会ってやりまくるという・・・。こんなんじゃ勝てない、とマチアスはコーチ返上の気分になるんだけど、ジャンの「1人で勝つより、みんなで負けた方がいい」という言葉が効いたのか、マチアスが少し変わった感じ。なとき、セドリックがパートナー優先で大会中に帰ってしまい、では、とマチアスが選手となって参加し、プレー続行。なんだけど、いきなりコーチが選手になってもいいルールなのか? というのが気になったかな。
でその最終戦だったかその前の試合だったかで、ジャンが試合中に気を失って…。次の場面は、なんと葬儀。ここで、メンバーが楽曲“ヒーロー”に合わせて踊り出す。葬儀の場で、と嫌悪を示し退出する人も何人かいるけど、しだいにみんな体が動き出し、残り少ない人生を、仲間との水球に投入したジャンへの賞賛になっていくあたりは、なかなか胸に迫るのだった。とはいえ、最終戦の結果がどうなったのかは気になったけど。どうなったんかね、最終順位は?
・水球の戦いの場面は概ね大雑把。もうちょっと各プレーの意味とか戦術とか効果とか、そういうのを見せ場にしてもらうとよかったのになあ。もったいない。
・これは全編通して言えるんだけど、マチアスはひとつも技術的なアドバイスしないんだよね。もちろん、チームはたいして練習しない。それなのにレズチームに勝ってしまうし、大会でもヨタヨタしながら勝ち進んでしまう。軟弱チームがあれこれあって強くなり…という定番の流れが、技術的な面ではないんだよ。ここ一番で力を発揮する秘密兵器的な技もないし。この点でも、満足度は少し劣るかな。
世界で一番しあわせな食堂7/19ギンレイホール監督/ミカ・カウリスマキ脚本/ハンヌ・オラヴィスト
原題は“Mestari Cheng”。「マスター・チェン」だな。allcinemaのあらすじは「フィンランド北部の小さな村に息子を連れてやって来た中国人男性のチェン。食堂で女主人のシルカや常連客たちに彼の恩人だという人物について尋ねるが、誰一人知る者はいなかった。しかしひょんなことから、上海でプロの料理人をしていたチェンが食堂を手伝うことになり、代わりにシルカが恩人探しに協力することに。恩人はなかなか見つからないものの、チェンの作る料理はたちまち評判となり、シルカや常連客たちとも親しくなっていくチェンだったが…。」
Twitterへは「フィンランドを舞台に、中国人シェフが地元の人々に中国料理を提供し、受け入れられていく“だけ”の映画。事件や障害がまるでなく、すべては予定調和に進行し、終わるのに、そこそこ見られる不思議。」
中華薬膳と太極拳のPR映画、といってよいと思う。たぶん製作者側に信奉者がいるんじゃないか。とはいえ、それでも押しつけがましく感じられないのは、日本人が中華料理や太極拳に親近感をもっていて、フィンランド人に受け入れられていくことが楽しいからかも知れない。そして、中国人コックのチェンと、フィンランドの40女シルカとの行方がどうなるのか? という興味かな。とはいえ、この流れなら2人は結ばれるんだろう、と思っていたらその通りになるわけで。ドラマもドンデンもなく、予定調和的に映画が終了することに物足りなさを感じないわけではない。でも、たまにはこういう、ハラハラもドキドキもしない、ハッピーエンドな話もいいかな、で許せる感じかな。
ちょっとしたトラブルといったら、チェンの息子がすねて家出し、行方が分からなくなるのと、シルカが釣り針をチェンの息子の頭に刺してしまうことぐらい。あとはいたって平穏、すべて順調そのものなんだよね。
シルカが美人じゃないことも、チェンとうまく行きそう、と思える要素なのかも。これが美人過ぎたら、まさか中国人となんて…と思ったかも。
そして、いつも店にやってくるジジイとか、近くにある食料品店のおっ母さんとか、学校の女教師とか、みんないい人で、しかもみなさんチェンの薬膳のおかげで健康になっていくという、ご都合主義のオンパレード。やりすぎだろ、と思うぐらいだ。
物足りないのは、チェンの探していた人物があっさりと見つかり、しかも、すでに亡くなっていた、ということかな。発音は忘れたけど、チェンの言う名前と、フィンランドの発音と、結構な違いがあるのが不思議。それはいいとして、探していた相手は恩人で、借りた金を返そうと思ってやってきた、という。きっかけは、妻の交通事故死らしいけど、とくに因果関係もないのに、なぜに仕事をやめてまでしてフィンランドに? と思うよな。それと、その恩人がどういう人なのか、ほとんど説明されないのがもったいない。地元じゃ有名人なのか? それがなぜ上海でチェンを助けたのか? というところも見せてくれてたらよかったのに。ちょっとあっさりし過ぎ。
MISS ミス・フランスになりたい!7/19ギンレイホール監督/ルーベン・アウヴェス脚本/ルーベン・アウヴェス、エロディ・ナメ
原題は“Miss”。allcinemaのあらすじは「9歳の美少年アレックスは、教室で自分の夢を発表するときに“ミス・フランスになりたい”と正直に話してみんなに笑われてしまう。以来、夢を追うことを忘れて、いつしか本当の自分すら見失ったまま大人になったアレックス。そんなある日、幼い頃の夢を叶え、自信に溢れて輝いている幼なじみと再会し、自分のかつての夢を思い出したアレックスは、ミス・フランスに挑むことを決意する。こうして、下宿先の個性豊かな仲間たちの助けを借りながら、アレックスの前代未聞の挑戦が始まるのだったが…。」
Twitterへは「LGBTqでは(多分)ない青年がミスコンに出る話。でも体型や動作はどうしたって男で、たまに可愛く映っててもせいぜいキーラ・ナイトレイ程度。リアリティは無視して楽しむ映画なのかも知れないけど…。差別や偏見はついで、な感じ。」
男がミスコンに出場してTOPを目指すという話で、ハナから現実感はない。だから、そういう夢物語だ、という頭で見るべきなんだろうけど、なかなか…。というのも、アレックスを演じるアレクサンドル・ヴェテールが全前、女に見えないから。その違和感から最後まで離れられない。
アレックスはLGBTqではないんだよね? では、なぜにミスコンに憧れたのか? という根源的な問題も提示されない。それと、あとから知らされるのは、両親が事故死? で、親戚を転々、とかいってて、それが関係しているようなことも、いっていたような…。定かではないけど。やっぱ、幼い頃に親戚のおばちゃんの化粧の様子に見惚れて、それでオネエっぽくなったとか、そういうのを見せてくれないとね。
幼なじみでオリンピック選手のボクサーも登場する。彼の方からアレックスを探し、ジムにやってきたという設定らしいけど、この過去もぜんぜん掘り下げられていない。どういうつながりがあったのか? そして、アレックスはオネエの恰好をいつから始め、なぜにボクシングジムに出入りしているのか? あたりの説明がなーんもされていない。
アレックスが住む下宿も変わっていて、大きなシェアハウスみたいな感じ。医者なんだけどオカマしてるオッサン、インド人の針子、IT技術者っぽい2人とか、異色の面々がいるのは、いい。けれど、たんに面白くさせようとしているだけで、それ以上の何かがないんだよね。彼らももう少し掘り下げたらよかったのに。
でまあ、下宿の面々に支援され、ニセのパスポートをつくって身分証明にし、売春婦の親玉みたいなオバチャンの教えを受け、かんたんに地区予選に出場。するっと1位になってしまう。なんで? アレックスがみんなを魅了するなにか、が見えないのよね。
で、本選まで、地区代表の16人だったかで団体行動。は、いいけど。女性と混じって行動、同室になって、バレないわけないだろ、と思ってしまうので、冷ややかにしか見られない。
このあたりからアレックスの、仲間に対する差別と偏見が見え隠れ。企画で、家族紹介の取材があるんだけど、おっさんオカマに来るなという。これで傷つくおっさんオカマ。さらに遅刻を3回もしてミスコン運営のアマンダに叱られ、家に閉じこもっていると大家ババアが自分の恋愛、捨てられた過去を吐露して会場に行け! と言ったと思ったら、次の場面で大家は救急車に乗せられて、アレックスも同乗していくという、ドタバタ過ぎるだろ。脈絡もないし。
まあ、ドラマをつくろうとしてトラブルを詰め込んでるだけ、な感じかな。もともとしっかりした主張があるわけでもなく、オカマ差別とか女性の自立とか、付け焼き刃でそれらしいトレンドを入れ込んでるだけだから、メッセージ性もあやふやだし。なかなか共感を得にくい映画になっちまってると思う。
でまあ、病院に付き添いで詰め、本選はでないつもりのアレックスをその気にさせたのは何だったっけ? もう忘れてる。けどまあ、テレビオンエアのギリギリに到着し、なんとかステージへ。このとき、予備の女の子も呼び出されていて、でもアレックスが間に合ったから参加できず、のお笑いは面白いけど、お気の毒、な現実?
本選が進んで、自己紹介で、アレックスは衣装を脱いで上半身裸に。客席からはブーイングと、次第に賞賛の拍手も起こってくるんだけど、なんかムリやり、な感じだね。そもそも、ここでアレックスが出自をバラすのはなんでなの? 大会の、女性を見世物にする意図へのアンチではないよね。だったら、なりたかったミスになれるかどうか試せばいいのに。もやもやが残る終わり方だ。その後、思いでの(何の?)ボクシングジムに行くと、関係者が待ち受けていて、アレックスに拍手。しかし、彼の何を賞賛しているのか意味不明だろ。
・同室になった黒人娘が、アレックスが枕の下に隠した箱の中味を見たんだけど。あの中味はなに? 中を見た彼女は、アレックスが男と知ったのか
・運営のアマンダは、アレックスが女ではないと知っていたらしい。それはいつからなのだ? そして、それを知りつつ、なぜ選出されるよう動いたんだ? 上司らしい人物との見解の相違がチラリとでてたけど、それであんなことするか? 美しいだけの女より、男でも美しいフェミニズムがあるってか? アマンダは、オーディションのときからアレックスに目をつけ、出場理由を厳しく尋ね、妙な答を引き出してたけど、あれは意図的なのか?
・オカマを買いにきてたクルマのオッサンは、地方予選の司会だったのね。
星空のむこうの国7/21シネ・リーブル池袋シアター2監督/小中和哉脚本/小林弘利
allcinemaのあらすじは「トラックに轢かれる寸前のところを親友の尾崎誠に助けられた高校生の森昭雄。以来、2ヵ月ものあいだ見知らぬ美少女が自分に何かを語りかけてくる不思議な夢を見続けていた。そんなある日、バスに乗っていた昭雄は、向かいのバスに夢の中の美少女を発見する。昭雄が慌ててバスを降りると、気づいた彼女も駆け寄ってくる。そして、彼女が涙を浮かべて昭雄を抱きしめた瞬間、その姿は忽然と消えてしまう。やがて昭雄は、自分が2ヵ月前の事故で死んでしまったもう一つの世界に迷い込んでしまったことを知るのだったが…。」
Twitterへは「パラレルワールドっていうから期待したけど、なんだこの古くささは。ベタなセリフとクサイ芝居で演出もこなれてない。1986年製作の同名作品を監督自らセルフリメイク? うーん。なんだかな。」
SFっぽさはほとんどなくて、だらだらした青春ロマンス風味。少しSFっぽい所は、ちゃちな地球のCGぐらいか。そもそも昭雄がもうひとつの世界に行く理由がちゃちい。そちらの世界では、昭雄が交通事故死。昭雄を思う病弱な娘・理紗がいて、会いたい…と思っていたから、ってだけなんだよね。理紗の思いがこちらの世界の昭雄の夢に現れて、さらに白昼夢にも登場し、なぜかそちらの世界に入り込んでしまう。ただ、それだけ。あまりにもアホっぽい。
並行世界は、基本は人物は同じ。であるなら、こちらの世界にも理紗がいて不思議ではないはずなんだけど、こちらの世界には登場しない。それって変じゃねえか? でね、そちらの世界で理紗は死んでしまい、昭雄はまたまた消えていこうとする。消えたからこちらの世界に戻ったのかと思ったら、そうではなくて第3の世界の話になってしまう。第3の世界でも昭雄は友人に助けられ、事故死はしなかったけど、頭部を打ち付け入院する。で、病院で診察を受ける時に天文学の本を読んでいたら、声をかける娘がいて、それが理紗だった。第3の世界の理紗は健康で、弟だか妹の見舞に来たとか行ってたかな。はたしてこの昭雄は、こちらの世界の昭雄が移動したものなのか? それとも、もともと第3の世界にいた昭雄なのか。それは分からない。
そちらの世界では、理紗は幼い時から入院がちで、妹の見舞に来た昭雄と知り合った様子。病人と健康体のまま恋人同士になるというのも奇妙だけど、医師は昭雄の存在をしっているみたいな感じ。でも、理紗の母親は昭雄を知らないみたい。そんなことがあるのか知らんが。脚本のツメが甘いママなんじゃないのかね。
3つの世界で、存在が変わっていくのは理紗だけなのか? こちらの世界には登場しない(これから登場するのかも知れないけど)、そちらの世界では病人で死んでしまう。第3の世界では健康体。他の人物には、こんな違いが無いので、不思議でしょうかない。
そちらの世界で、昭雄は理紗をむりやり連れだし、流れ星は見たけど、理紗は死んでしまう。これは犯罪的な行為だろ。母親の悲しみはどうするんだ。医師だって、怒りの持って行き所がないだろ。だって、昭雄は消えて、どっかにいってしまうんだから。やれやれだよね。
・ベタでクサイ芝居をするのは、理紗の母親役の有森也実と、医師役の川久保拓司で、ずっと同じセリフしか言わない。そういう脚本なのかも知れないけど、なんとかしろや、な感じ。
・つくりが素人臭いし、テンポもノロい。わざわざセルフリメイクするなら、もうちょい進化してくれよ。たんなる恋バナではなく、各自が目的や夢を持って生きているとか、挫折するとか、対立するとか、友人同士のあれこれがあって成長する話にするとか、工夫があるだろうに。やれやれな感じ。
復讐者たち7/28ヒューマントラストシネマ有楽町シフター1監督/ドロン・パズ脚本/ドロン・パズ、ヨアヴ・パズ
ドイツ/イスラエル映画。原題は“Plan A”。allcinemaのあらすじは「ホロコーストを生き延びたユダヤ人のマックスは、強制収容所で離ればなれとなった妻子がナチスに殺されていたことを知る。復讐を決意した彼は、普通のドイツ人として暮らしているナチス残党を見つけ出しては密かに処刑しているユダヤ旅団と出会い、兵士ミハイルと行動を共にしていく。そんな中、ナチスの残党のみならずドイツ人全体を復讐の対象にするより過激な組織“ナカム”の存在を知ったマックス。彼らの活動を問題視するミハイルに協力するためナカムへの潜入を図り、彼らの行動に目を光らせていくのだったが…。」
Twitterへは「大戦直後のドイツ。解放されたユダヤ人が徒党を組んでドイツ人に復讐を企てるという異色のナチもの。なんだけど話がギクシャクしてるしキャラもたってなくて分かりにくい。もうちょいメリハリつけた方が感情移入しやすいと思う。」
戦時下で虐待・殺害されたユダヤ人たちが、戦後、ナチやドイツ市民に復讐を企てる話。実話に基づくらしい。ユダヤ人も黙ってたわけじゃなくて、することはしてたのね、という意味では興味深い。のだけれど、話が淡々とし過ぎてて盛り上がりはなく、主要人物もたってない。娯楽映画のように、とまではいかなくても、それぞれの立場がもっと分かるように描けば少しは感情移入できたかも。
マックスは妻子を探し、かつての自宅に行くが、ドイツ人に乗っ取られたまま追い出される。へー。戦後になってもユダヤ人の権利は復権できなかったのか? 証明したりで時間がかかったのかな。それにしても、負けたドイツ人も、まだユダヤ人差別してたのか。などなど。思いは複雑。
生き別れの妻子は、キャンプの探し人の似顔絵で呆気なく解決。女性がやってきて、殺された、と。この謎と希望は、中盤ぐらいまで引っぱってもよかったんじゃないか。告げた女性も、ここだけしか登場しない。で、知り合ったジイサマとどっか(どこだっけ?)に向かう途中、イスラエルからきた兵士たちと知り合いになる。彼らの中のミハエルはナチ残党を探しては私刑にしていると知り、俺にもやらせろ、とそのグループ・ハガナーに参加。元ナチ(?)のおっさん脅して仲間の隠れ場所を聞き出し、殺していく場面あたりまではなかなかスリリング。というか、殺していく過程が数秒ずつ過ぎてもったいない気がする。もうちょいねっちり、時間をかけてもよかったんじゃないのかね。
で、あるとき、マックスは私刑しようとしていて相手に逃げられ、そいつに逆に締められているところを、怪しい女性とその仲間に救われる。ミハエル曰く、やつらは元ナチだけじゃなく、広くドイツ人一般もターゲットにしてる過激派ナカムだ、と。どうもミハエルたちと対立してるらしい。
ミハエルらの行為が当局(英国らしい)に知られそう、というので彼は故国に帰るようなことをいってたよな。で、別れて。マックスは壁に「ナカム」と描いて、ひっかかる獲物を待ち受けると、女性(アンナ)が足を止めた。彼女を追うと、一団に捕獲される。が、ここのボス・アッバに救われ、明朝出て行け、と告げられる。翌朝、アッバやアンナが仕事を求めて寄場に行くのを追い、なんとか潜り込むんだけど、受付はマックスの身分証明書を見て就労を拒否する。このくだりがよく分からない。そもそもミハエルがつくってくれた身分証は、どこ発行のどういうものなんだ? それを見てなぜ受付が拒否したんだ? その後、マックスが受付に「俺は市民の純化に貢献したんだ」と言ったらOKされるのは、まだドイツ国民に反ユダヤ思想が残っていて、そこにつけ込んだのだろう。けど、そんなものだったのか? 当時のドイツ市民の一般的な感情って? で、潜り込んだ場所は水道局の復興事業で、アッバたちは水路の図面を手に入れ、毒の流入地点を探していた、と。都合のいい展開だな。ここでマックスは得意の絵の才能を活用し、流路を樹木に見立てて図面を作成し、アッバの信頼を得る。
一途だったアンナも、かつて逃避行で息子を溺れさせたトラウマがあることが分かったり、人間性にも多少アプローチしてるけれど、いまいちなんだよね。で、あるときマックスとアンナが、久しぶりだ、と映画感に入ると、アウシュビツの死骸の映像が映されていて。ええっ? そんなのがニュース映像としてドイツ市民向けに上映されてたのか? なんだけど、アンナは耐えられない。それを「見ろ」と強制するマックス。なんか、妙な感じ。映画館の裏の方(?)に逃げ込むアンナ。抱き合う2人。なのはいいけど。いきなりマックスがアンナとまぐわい始めて。ええっ? なんでここでセックスしちゃうかな。アンナはマックスにそういう感情を持ち始めてたのか? そんな風に見えなかったけど。いきなり過ぎないか? 
その後、2人がベタベタすることもなく。人間ドラマは希薄なまま。で、いつのまにかアッバはイスラエルに潜入し、無味無臭の毒を手に入れる手筈。なんだけど、そんなことが簡単にできたのか? 疑問。
と思ったら、マックスと別れて故国に帰った(? と思ってたんだけど)ミハエルがマックスに接近してきて。スパイ活動を要求し、マックスが応えている様子。なんか、このあたりのミハエルの立場が、よく分からん。
で、あるときアッバからの手紙が届いて。そのタイミングでミハエルがナカムに接近。一網打尽かと思ったら(っていうか、かつての、ミハエルがナカムを懼れていたときと比べると、ミハエルは偉そうなのはなんでなの?)、マックスの機転で、毒は手に入らなかった、と上手く切り抜ける。でも実は、毒をもって帰国する、という内容の、少し以前の手紙を見せたんだけど。
その後は、またまたよく分からん話になって。まず、なぜかアンナが離脱。これは息子のトラウマから逃れられず、のようだけど、あっさりし過ぎ。次は、なんとマックスが毒をもって水道局に潜入し、毒を流し込む。それを静止しようとするミハエルを倒し、自分も貯水槽に沈む…。ええっ? 毒の流入は成功したのか? と思ったら、なーんとこれは幻想で、実は、アッバはドイツ入国時点で当局に捕まってしまっていた、というオチ。なんだよ。こんなところで幻想を入れ込むなよ。
というか、これは、マックスも、ナカムと行動をともにする過程で、ドイツ市民までをも殺したくなった、ということを示唆しているのかな?
最後は記憶がおぼろなんだけど、マックスはどうなったんだっけ? 画面はいきなり現在になって、アウシュビッツから逃れた人々のいま、が映っていたけど…。
・ジイサマがマックスにくれたお守りは、意味あるのか? ないよな。
・いちばん気になるのは、マックスが元の家を取り戻せたのか? ということ。取り返しに行ったのか? それとも、奪われたままだったのか?
・最後に、二度とこのようなことが起きないように、というメッセージ字幕が出るんだけど。このようなこととは、ドイツ市民まで抹殺しようとした行為なのか、アウシュビッツに代表されるユダヤ人虐殺のことなのか、よく分からない表現だな。
・ところで、この映画、舞台はドイツなのに、いきなりドイツ人が英語を話すのが違和感ありすぎ。
走れロム7/29ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/チャン・タン・フイ脚本/チャン・タン・フイ
ベトナム映画。原題は“Rom”。allcinemaのあらすじは「サイゴンの路地裏にある古い集合住宅。14歳の孤児ロムは、違法な“闇くじ”の当選番号を当てる予想屋をして生計を立て、ライバルの少年フックと激しく競い合っていた。貧しい住民たちは一獲千金の闇くじに夢中となり、借金は膨らむばかり。そんな中、地上げ屋に追い詰められた住民たちは、ロムの予想に全てを託すのだったが…。」
Twitterへは「ベトナム映画。闇クジの予想屋をする少年の話だけど、ガチャガチャしてるだけで話がよく分からない。というかほとんどストーリーがない。クジの仕組みを最初にちゃんと見せるとか、ちゃんとした枠組みの中で展開してくれた方が助かるよ、な感じ。」
映画がはじまる前に、闇クジのことについて、字幕で説明がある。けど、なんか分かりにくい。
少年ロムがスラムを走り回る。別の少年フックも、金めあてでロムと争う。先を急いでいる感じだけど、何のためなのかよく分からない。ときに殴り合い、押し倒し、でも、その後に仲直りして談笑しつつ、でもスキを見て抜け駆けしようとしてまた争ったり。2人の関係がよく分からない。ロムは、両親に捨てられた様子。で、金を貯めて両親を探すのが目的らしい。どっかの狭いところに住んでるけど、部屋代とかどうしてるんだ? フックは家族がいるんだっけ? とにかく、ごちゃごちゃして分かりにくい。
闇クジのシステムが、冒頭の文字による説明では理解不可能。政府が行ってるクジの下二桁を予想し、当たると大金、らしい。どっかに胴元がいて、ではロムは何やってるんだ? 数字を予想して、貧乏人から掛け金を集め、それを河辺に住む仲介女に持っていく。までは分かる。仲介女は何してるんだ? 仲介女が胴元にもって行くのではないのか? 後半では、ロムだったかフックだったか、本人自身が胴元のドアをどんどん叩いていた。まったく分からない。
人々は借用書を自前で書いて、ロムに渡してるのか? つまり、元手はない、と。借金してクジを買っている。にしては、借用書がいい加減。あんないい加減で、管理できてるのか? 
システムも分からず、とくにドラマもなく走りまくって子供2人が争ってるのは、見ていてつまらない。なので、少しウトウトの前半。後半、フックがロムを嵌めたのか。ロムのもっていた紙(現金? 借用書?)を奪い、それを仲介女に持っていくが時間切れだ、と言われ、仲介女の家の中に入り、ぐるぐる巻に縛って胴元のところに駆け込んでいた。でも、時間切れ? なので、4-1という数字は当たったけど、配当がなくて住民から顰蹙を浴びていた。これは、少し物語=ドラマなので、見られたけど、他は概ねガチャガチャしてるだけ。
やっぱあれだよ。最初にひととおり、通常の流れを説明臭くなく見せて分からせる手順が必要だよ。誰がどういう役割で、どっからどう金が流れ、どう配当されるのか、見せなくては。
ガチャガチャしてるだけなので、ロムが孤児だと言われても、とくに同情心も沸かない。最後は、何だか知らんがスラムに火を放ったりして。ありゃなんなんだ? 意味不明。
で、焼け死なず、真っ黒焦げのロムは、貯めた金も誰かに奪われて(だっけ?)、ひとりバスに乗ってどっかへ向かう。両親のあてがあるんだっけか? 知らんよ、もう。
ところで、ラストの、ロムの幼い頃のイメージは何なんだ? あの頃から少年仲間から逃げたりしてた、ということ? でも、追ってきた連中は、ロムに優しかった、ということ? 初めは、いなくなった父親を追って駆けだしてるのかな、と思ったんだけど、違うよな。きっと。しっかし分かりにくい映画だよ。いらいら。寝ちゃうのも仕方がない。
アジアの天使7/30テアトル新宿監督/石井裕也脚本/石井裕也
allcinemaのあらすじは「妻を病気で亡くし、8歳の息子・学を連れて兄を頼ってソウルにやって来た青木剛。あてにしていた仕事はなく、言葉も分からない異国で途方に暮れる彼は、いいかげんな兄の怪しげなビジネスを手伝うハメに。やがてトラブルに見舞われた兄弟はソウルを離れ、海沿いの江陵(カンヌン)を目指す。その道中で、芸能事務所をクビになった元アイドルのソルとその兄と妹と出会い、それぞれに人生に行き詰まった2組の家族は思いがけず旅を共にしていくのだったが…。」
Twitterへは「韓国を舞台に、日本人兄弟親子3人、韓国人兄娘3人が、ひょんなことから連れだって墓参り、という変な話。話の土台がぐずぐすなところに脈絡なく天使を突っ込んだり、いまいち的が絞れてない感じ。」
韓国を舞台に、考え方の違う日本人兄弟、韓国人兄妹らが繰り広げる珍道中を通して、ともに変わらない人間であるよ、というようなことを伝えたかったのかも知れない。けれど、日本、韓国の兄弟・兄妹らが、なぜいまここにいるのか、がはっきりしないまま、だらだらと始まり、だらだらとつづくので、とくに共感できる誰かも何かもなくて、いまいち刺さらないお話しだった。
日本側は、40半ばの兄と弟・剛、剛の息子の3人。とにかく調子のいい兄は、韓国人パートナーと化粧品の闇輸出なんかを繰り広げてる。兄弟の両親がどんなかは、分からない。兄の過去も分からない。結婚したことがあるのか、まともな仕事をしたことがあるのか、さっぱり分からない。弟は一度だけ書籍になったか掲載されただけなのか、の売れない自称作家。近年妻を胃がんで亡くしている。いまどき胃がん? 若い妻だからスキルスか? 弟が仕事をしていたのかどうか分からない。金に困っていたのか、兄の「韓国に来い」との手紙で、家を処分してやってきた、という。これまた先のことをちゃんと考えていない男だな。
3人で買い物に行き、でも兄・息子とはぐれて夕食を食べ損ねた剛は、ひとりで食事に行く。ショッピングモールで歌う歌手がいて、その彼女が屋台でひとり飲みしつつ泣いているのに出くわす。彼女が、韓国側のソルだ。
韓国側は、かつてのアイドルで、いまは売れない歌手のソルと、同居する兄・公務員試験の準備中の妹の3人。ソルは事務所社長と肉体関係にあるけれど、先頃、契約解除になってしまった。これまで兄、妹を食わしていた(らしい)けど、さてどうするか? 社長にすがり一夜を過ごすけれど、社長には何人も女がいて、ソルが女6と携帯で表示されていることを知ってしまう。社長が手渡そうとした札を押し返し、ひとり彷徨う街、橋の欄干でソルは天使を見かける。と、ここでやっとタイトルにもある「天使」がチラと登場する。
ソルの兄のところに、叔母から「墓参りに来い」と連絡があり、でもソルは乗り気ではない。妹も試験を口実にだらだらしている。でも、天使を見たソルは、なぜか突然 墓参りをしなくては、と心変わり。特急ではなくローカル電車に乗り込む。
日本の3人が事務所に戻ると、そこはもぬけの殻(に、見えない。事務所にイロイロとモノが置いてありすぎ)で、兄は「じゃあワカメだ」ということで、某所を目指し、彼らもローカル電車に乗り込む。
ここで日本側と韓国側が出会う。
でまあ、韓国側は兄の元戦友が大型車を貸してくれるからというので目的地で降りるんだけど、なぜか日本側兄も「一緒に降りよう」と途中下車してしまう。しかも、日本側兄が「払ってやるから」と同じホテルに泊まり、翌日、やってきたボロトラックで韓国側の目指す墓まで行動をともにする。なんだこれ。最後の方で、日本側兄が「ワカメなんて嘘。とりあえず出かけた」といい加減なことをいって、この無計画に行動に正当性を与えようとするんだけど、なんだそれ。
日本側が墓参りすることに、韓国側は違和感もなく拒否もしない。フツーなら「なんだこの日本人ども。目当ては何だ?」と思うんじゃなかろうか。もちろん、ソルの元愛人社長がやってきて、揉めてるところを日本人側が助けに入ったり、というドタバタはあるにしても、だ。
なんか、大きな枠組みだけ決めて、あとは撮影しながら流れとか会話も思いつきで決めていったような、そんなテキトーな感じが伝わってくるんだよね。それも、うまく行ってる感じではなく、ギクシャクと、辻褄も何もなく、いい加減な感じに。
たとえば、日本画の「天使」は、兄弟が昔出会ったというモノで、ともに肩を噛まれた、というだけのもの。天使が何かのきっかけにもなっていない。
弟・剛とソルが、ガソリンスタンドだったかで会話する場面があって、韓国語が分からない剛に、ソルが「英語は話せるか?」と尋ね、シンプルな英語での会話が始まる。この場面だけ、よかった。通じ合わなかった2人の思いが、少しずつ近づいた気がして。でも、考えて見れば初めから英語で話しかければよかっただけの話だよな、とも思うのだ。韓国人は、日本人より英会話ができるはずだし。
てなわけで、韓国側とともに墓参を済ませ、叔母の家にみんなで一緒に行き、日本側も泊まらせてもらう。突然6人もやってきたのに、嫌な顔も見せずに「泊まっていけ」といえる家の広さと布団の用意に驚いた。だって、叔母と娘の2人しか住んでないんだぜ。
日本側兄は、教師をしているという娘に色目を使い、弟にも「ソルに告白しろ」といい、なんと弟は「サランヘヨ」と面と向かって言ってしまう。おお。どうなるんだ? と思っていると、結局、日本語になって。自分にとって愛しているは妻にであって、これからあなたに言えるようになるかは分からないけどサランヘヨ」とかなんとかくどくどと言い訳しつついう。ソルも、半ば本気で「サランヘヨ」を受け止めたような、でも、それは誤解だろ、いいのかそれで、と思っていたら弟の息子がなぜかこんなときに行方不明になって、みなで夜のムラを人捜し。結局、警察に保護されていました、で、サランヘヨの行方はどうなったの? 
で、翌日は帰路につくのだけれど、ついでに海を見ようということになり。ここで、ひとり歩いていたソルが、またまた天使と出会う。のだけれど、これがヒゲ面のおっさんの天使で。なんだよそれ。いい加減すぎるだろ。
特急列車に乗り、これでお別れ。と思ったら、またまた「ビールでも飲むか」ということになり、みんなでどっかの安宿なのか、いろいろ買い込み、食いまくっている場面で映画は終わる。
おい。タイトルにもある「天使」って、なんだったんだよ。ソルが天使、ってわけでもないだろ。なんだよ、このテキトーなぐだぐだ感は。彼らの未来は、なるようにしかならない、か。知らんよ。
・それにしても、言葉を発しない剛の息子は、なんなんだ? 韓国側と日本側を合流させたり、剛のサランヘヨのジャマをしたり、たんなるトリックスター?

 
 

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