2021年11月

老後の資金がありません!11/2109シネマズ木場シアター1監督/前田哲脚本/斉藤ひろし
allcinemaのあらすじは「節約をモットーに、日々家計のやりくりに奮闘してきた主婦の後藤篤子。その甲斐もあって、2人の子どももようやく手を離れ、コツコツ貯めた資金でどうにか老後も安泰のはずだった。ところがそんな折、義父の葬儀に、長女の結婚と、予定外の大きな出費が重なってしまう。しかも篤子がパートをリストラされたかと思えば、今度は夫・章の会社がまさかの倒産。夫婦そろって失職の緊急事態に、浪費家の姑・芳乃まで引き取るハメになり、篤子の努力もむなしく、いよいよ貯金が底をつく後藤家だったが…。」
Twitterへは「老後2千万問題は未だにタイムリーなのかシニア客多し。そこを狙って、葬儀や結婚式その他にかかる具体的な数字をあげ畳みかける。立ちはだかる様々な壁…。シナリオも演出もムダなくテンポ良く、2時間身につまされつつ笑ったぞ。」
主人公夫妻は50代半ば。浅草にあった老舗和菓子屋の長男だけど、家はすでに廃業。親に頭金をだしてもらい、郊外に一戸建てを取得。買値は4500万(だったかな)で、ローン残高2000万。娘は社会人、息子ももうすぐ社会人。両親は15年前からケア付きマンション暮らし。入居時3000万で月額40万(だったかな)かかる。浅草の土地を売った代金でまかなったようだけれど、すでに残りはないだろう。両親はともに国民年金で月に併せて12万程度。主に両親の面倒を見ているのは妹夫婦で、なので主人公夫妻は月に9万の仕送りをしている。一家の貯金はおよそ700万。これから楽になるはず。というところで、その父親が亡くなった。浅草の老舗だから豪華に、大きな斎場でと葬儀屋に焚きつけられ、棺桶12万で、葬儀費用が総額約330万。友近の葬儀屋がなかなか。ところが会葬者は予想に反して30人余りであてにしていた香典がほとんどない。大赤字。
てな感じで始まって、娘の結婚、母親のケアマンション退去と自宅への引き取り、妻の失業につづいて夫の会社が倒産で退職金もなし。ヨガ教室の友人の父親の行方不明と、役所の生存確認芝居という現実離れしたエピソードもあるけど、次々と襲いかかってくる必要経費と生活難の攻撃にあたふたする様子がテンポ良く、セリフも演出もテキパキ進んで飽きさせない。
家を買った人のローン生活ももちろん、もともと持ち家という人にも共感してもらえるようなエピソードも詰め込んであって。でも話はムリなく転がって行く。登場する役者たちは豪華だけど、それはそれで必要なんだと思う。エピソードひとつひとつがショートムービー的なので、それぞれに主人公が必要になるのだから。
もうこれで一家は破綻! というところで、工事現場案内に再就職した旦那の同僚がシェアハウスに住んでいるというのを知って。ここから別の展望を見せていくのもいい。とはいえ個人的には、歳を取って自宅を売りシェアハウスに入るというのはリスクが多すぎるとは思うけどね。でもこの家の場合ローンがまだ20年ぐらいつづくことを考えると、家計を縮小せざるを得ないのか。一般的には家を売って木賃アパートに越す、のかも知れないけど。その悲惨さをシェアハウスで明るく見せている感じかな。
金遣いの荒い母親も、夫が亡くなったストレスでのこと。とはいえ、25000円もする和牛を飼うかあ? というか、少ない年金暮らしにクレカなんてもたせるなよ。映画だからの誇張だろうけど。その母親も、妹のところに行くことになるし。豪華な結婚式をしたいと言い張る身勝手な長女も、最後は、こぢんまりでいい、といいはじめるし。夫は、いまは大成功している昔の同僚から誘われて、まともな会社に再就職。妻も、家電量販店に勤め始める。そして夫婦は50代半ばにしてシェアハウス生活に。とりあえずはリスクを回避して、ハッピーエンドのようなカタチで終わるから、見ている方もなんとなく安心して映画館を後にできる。
かかる費用、失う資金、現在の残高、なんかが数字で登場するのは最近よくあるけど、なかなか効果的。もうちょっとゆっくり見せて欲しかった、というのはあるけど。
・娘の連れてくる相手はロクでもない男に見える、という定番のパターンを戯画化している。
・義母と嫁。いがみ合っていたのが仲良くなる、というのも定番。
・ふだんから「篤子さん」「章さん」と下の名前で呼び合う夫婦関係がいい感じ。
・買った時4500万で、相場で1000万下がってて、売値が3500万だっけか。あれだけの一戸建てが4500万で買えるのは立川とか八王子か? でもたしか固定資産税が38000円ってなってなかったか? 1ヵ月で? それはないだろ。年に10万もかからんと思うけど。見間違ったかな? で、ローン残金2000万もチャラになって、預金が1500万+200万ぐらいだったっけか?
TOVE/トーベ11/5シネ・リーブル池袋シアター1監督/ザイダ・バリルート脚本/エーヴァ・プトロ
フィンランド/スウェーデン映画。原題は“Tove”。allcinemaのあらすじは「フィンランド、ヘルシンキ。彫刻家の父と挿絵画家の母の下で育ったトーベ・ヤンソン。彼女は第二次世界大戦の不安の中で不思議な“ムーミントロール”の物語を描き始める。戦後はアトリエで絵画の制作に打ち込むが、保守的な美術界にあっては思うような評価を得られず葛藤と焦燥を募らせる一方、その鬱屈を吹き払うように奔放な恋愛を謳歌していく。ムーミンの物語を描きながらも満たされない思いを抱き続けるトーベは、やがて舞台演出家のヴィヴィカ・バンドラーと運命の出会いを果たすのだったが…。」
Twitterへは「これで、トーヤ・ベンソンかトーベ・ヤンソンか、間違わなくなるか、な。で、映画の方は30代の10年余りを描いたもので、成功譚というより煮え切らない恋の遍歴な感じ。ブツ切れエピソードの羅列なのでちと退屈。ムーミンはオマケ。」
大戦中の1944年から、1956年にトゥーリッキと暮らしはじめるあたりまで。トーベ30歳から40代の初めぐらいまでの10年間のお話。漫画家として売り出すとか、そういう話はほとんどなし。行きずりの、妻子持ちの男アトスの愛人になり、それに飽きると市長の娘で舞台演出家の女性ヴィヴィカと同性愛関係になり、ヴィヴィカに振られて…。何年か後、新進女性画家トゥーリッキと恋仲になりましたとさ、なことが、あまり前後の経緯が描かれず、点的に描かれる。
たとえばアトスとはどこかのパーティでたまたま言葉を交わし、周囲で乱交が始まるのを目撃すると、トーベの方から「サウナに行こう」と誘い、みずから先に裸になっていた。アトスがどういう人物で何をしていて、その関係がどうとかいうのはほとんど描かれない。なんか、政治家のようで、マンガを雑誌に載せたい、なんて話していたから編集者なのか? な程度。
ヴィヴィカにしても、ある展示会で誰かに紹介されて挨拶して、その後再会してさっさとキスしちゃったりするんだったか。金がないから一緒にパリには行けないというトーベに気を使って市庁舎の壁画の仕事を父親経由であてがったのにパリに行かなかったんだが、帰国したヴィヴィカは新たなゲイの恋人連れでやきもきさせたり。なんかトーベのふんぎりの悪さがめだつんだよね。その後も関係はつづけてたけど、ヴィヴィカが別の女性とイチャイチャしてるのを目撃してショックを受け、離婚したアトスと結婚することを決めた、かと思ったらやめちまったり。なにやってんだよ。なにが奔放な恋愛だ。振りまわされてるだけじゃねえか。いらいら。
そういえばヴィヴィカは市長の娘で既婚者で、トーベtが市庁舎に描いた壁画を見た友人が「この絵の意味するところを知ったら、ヴィヴィカの旦那はなんていうかしら」なんていってたけど、絵がよく見えないので分からなかったよ。
とまあ、文章で言えば名詞を継ぎ合わせたような案配で、形容詞とか接続詞がなくて断片的なので、分かりにくい。なに。想像で補えって? やだよ。分かるように見せるのが作り手の役目だろ。
でまあ、年月が経ってもう40歳ぐらいのトーベはオールバックにして成長を外見で見せているのか、この監督は。で、どこかの展覧会で声をかけてきたトゥーリッキと親しく話し。その後、トーベの元をトゥーリッキが訪れる、というところで映画は終わってる。で、以後はトゥーリッキと暮らした、と字幕が出るから同性愛関係だったんだろうけど、そういうシーンは皆無なんだよね。情緒的なところがほとんどないので、見てて疲れるし感情移入もしづらいわな。
ヴィヴィカについては登場場面も多いけど、結局は記号的な表現でしかなくて。エロスはほとんどない。そもそもヴィヴィカを演じる役者がいかつくて筋肉質な感じで逞しいし。トゥーリッキを演じる役者もこれまたいかつい。そもそもトーベ役の役者もオバサン顔で、多少チャーミングな顔になる場面はあるけど、ほとんどブスだし。せめてもうちょい可愛い役者を使えばよかったのに、と。
で。ムーミンについては、戦中からちょこちょこ描いていたけど個人的に範囲で。彫刻科である父親の影響もあって油絵での成功を目指していた模様。アトスが、マンガを掲載したい、といってきたけど、乗り気で無かったし。ヴィヴィカがパリから戻り、どういうきっかけか知らんけどムーミン谷の芝居をかけたいともちかけ、トーベはとくに乗り気でなさそうな感じだったけど強行し、大成功。それでムーミンが世に出た、のような描き方をしている。でも、Wikipediaを見ると1945年ぐらいから出版されていたようで、では映画の中でいたずら書きのように描いていたのは、あれは原稿なのか? というぐらい曖昧な描き方しかしていない。というわけで、概ね退屈で、よく分からない映画だった。
DANCING MARY ダンシング・マリー11/8シネ・リーブル池袋シアター1監督/SABU脚本/SABU
allcinemaのあらすじは「冴えない市役所職員の研二は、解体予定のダンスホールに棲みついたダンサーの霊マリーから、恋人のジョニーを探してほしいと頼まれてしまう。そこで霊能力を持つ女子高生の雪子と協力して2人の愛を成就させるために奔走するのだったが…。」
Twitterへは「ちっとも怖くないバカホラーで、コメディとしてもロクに笑えない。瑕疵が多くてツッコミどころだらけ。退屈しすぎて途中少し寝た。あんなのが怨念になってお祓いが必要なら、世の中お祓いだらけになるだろ!」
・市役所の女子職員が話していた、霊能力者でいじめられっ子を訪ねると家で倒れていて。研二が助ける。はいいんだけど、この雪子に家族はおらんのかい? 一人住まいの女子校生? どういう設定なんだよ。
・霊能者はみな腰が引けて頼りにならない、と研二と雪子がそこらの霊に写真を見せてたどっていくのは、バカバカしすぎて少し笑えた。チンピラ霊に追われ、かつて研二が追い出したホームレスの霊に助けられ(でも、研二に天罰が下らんのはなぜ?)、で、ヤグザものに尋ねると、台湾に売り飛ばした、という。なんで台湾に売り飛ばしたんだ? その理由を言ってたっけ? 
・達人の霊を尋ねろととかで、全身刺されたままのヤクザ霊と知り合い、なぜか飛行機で台湾へ。ヤクザ霊は高所恐怖症…。台湾では霊がたむろする建物に突入し、ヤクザ霊が「二度死ね!」とかいって幽霊を切り倒していき、ほとぼりが冷めるとなぜかヤクザ霊はこの世への執念が消えて成仏する。なんで? で、妙なところに閉じ込められてるジョニーの霊を見つけ、日本連れ帰る。って、いちいち飛行機に乗らなきゃダメなのかよ。ところで、霊の座席も予約するのか?
・霊能者に頼ってられない、と市役所の部長、課長。「ヤクザに頼もう。むかしから持ちつ持たれつだったし」と頼みに行く。で、爆破当日、ヤクザがやってくるけど、すでに火薬はダンスホールにセットして、あるのか? そういう作業をヤクザ経由でさせるのかと思ったら、具体的には誰がしたんだ? しかも、爆破ボタンもヤクザが押さず、役人が押すことになるって…。ヤクザに頼む必要性は、どこにあったんだ? バカみたいな話だ。
・研二、雪子にジョニーの幽霊がクルマに乗ってるあたりで少しウトウト…。なので、ジョニーが語るマリーとの出会いとすれ違いは少ししか見ていない。マリーは唖のようで、ジョニーに何かつたえているが字幕も出ないので分からない。マリーは、待つといい、ジョニーは台湾に売り飛ばされて会えなくなった、のか? なに、それだけのことなのか? それで、霊能者が怖じ気づくほどの怨念になるの? マリーは何で死んだんだ? 寝てたから分からのだけど。
・急げ。爆発に間に合わない! と研二を急かすジョニーの幽霊。それではとスピードを出したらパトカーに追われ、あわてる研二にジョニーが乗りうつる?! っていうのは、幽霊話ではアリなのか? で、爆破直前のダンスホールにたどりつき、ヌケだしたジョニー幽霊がダンスホールに入った途端、爆破! 瓦礫の中でジョニーの幽霊とマリーの幽霊が、キラキラと成仏する、でオシマイ。なんだけど、追ってきてたはずのパトカーはどうしたの? 研二が材木振りまわして暴れてたけど、相手はヤクザだけで警察いなかったよな。
ベイビーわるきゅーれ11/10キネカ大森2監督/阪元裕吾脚本/阪元裕吾
allcinemaのあらすじは「プロの殺し屋である女子高生コンビが、卒業を機に“表の顔”として普通の社会人を演じる必要に迫られ、社会に馴染もうと悪戦苦闘する青春の日々を、殺し屋稼業で見せる迫力のアクションとともに描く。2人の女子高生ちさととまひろの本業はプロの殺し屋。そんな2人が高校卒業を迎え、今度は社会人としてしっかり社会に溶け込まなければならなくなる。しかし組織に委託された人殺し以外、何もしてこなかった彼女たちにとって、社会人の生活は人殺し以上に困難なものだった…。」
Twitterへは「ノンストップ殺し屋女子高生コンビの大活劇。いまどきの話題を自然すぎる会話と日常的なあれやこれやで転がしながら仕事をこなしてく。陰気と陽気の2人ともかわいいし格好いいし、ずっと笑いっぱなし。このジャンルで続編希望。」
なかみ知らずに見始めて。まず、まひるがコンビニの面接で突然切れて店長を撃ち殺す、にびっくり。なにこの軽さは。会話も軽妙で、野原ひろしがこう言った、言ってないとかにこだわったりと、ネタ元知らんとわからんギャグが満載で。しかも、ちさと と まひる の、いまどきの女子高生がフツーにじゃれあうような会話と、仲好し友達的な態度と動作が、ものすごく自然にできているのにおどろいた。セリフを読んでる感じじゃないんだよ。腹から言葉が出てる感じ。
なわけで、店長殺された店員たちが一団となって まひる を攻撃してくるのを、ひゅんひゅん身体を使って肉体アクション。なにこれ。で、最後の相手をやる段になって、カウンターの中にいたらしい相棒の ちさと が出てくるというすっとぼけぶり。なかなかチャーミングな殺し屋ではないか。とはいえ、コンビニ店長殺しは、あれは依頼だったのか? それとも本気で面接受けてて、イラッときたからなのか、よく分からず。
次は、援交風の相手のオッサンを、新宿あたりの路上で射殺して、ゴミ箱に入れてしまう。これも2人で実行。映像は、予算のせいかいささかチープなところもあるけど、そこがよかったりする。
ここで場面が変わって、ヤクザの親分?が和菓子屋の店員の、おつりの「はい、200万円」にいちゃもんをつける話があり、そこに手下(かと思ったら実の息子なのか?)がやってきて。仲間が殺されたとかいっている。かけつけると、草むらに死骸。これは、ゴミ箱に入れたはずのオッサンか? で、ヤクザ親分と手下の女(かと思ったら実の娘か?)と息子がいて。親分は娘に、オッサンの縄張りをまかせる、とかいって喜ばせている。
手下と実子を混同するのは、親分を呼ぶのに「オヤジ」って言ってるからなんだよね。ヤクザは親分のことを「オヤジ」って呼ぶわけで、これはもうちょいスッキリさせたいよね。
で、こっからよく分からん場面になるのだ。ちさと がどっかの部屋に入ると、しらない男がしばられていて、気をとられた ちさと は待ち伏せた連中(ヤクザの娘と息子と、手練れな男)に捕まり、しばられてしまう。…という場面の経緯がよく分からず。こっちがボーッとしてたせいもあるのかも知れないけど、ね。
ちさと はどうなる? と思っていたら、「少し前」とかいう字幕が出たんだっけか? ↑の分からん場面の前だったっけか? 忘れた。
で、こうした場面の合間に、2人がエージェントの男と、フツーの喫茶店で打合せをしたりするんだけど、2人が高校を卒業するにあたって殺し屋の寮を出て2人で共同生活をして欲しい。そして、本業の他にバイトをして欲しい、とかいわれる。部屋は鶯谷に確保したので、よろしく、とか。なかなか笑える。それで共同生活を始めた2人が、バイトの面接に行ってたのか。とはいえ、いまいち話がすっきりしないんだよね。
とかいう流れで、ちさと が見つけてきたメイド喫茶で まひろ も働くことになって。そこにヤクザの親分と息子がやってきて暴れて。それを まひろ が簡単にやっつける。と、娘の方は、親分の死骸についていた香水の匂いで、犯人が ちさと と知り、なんと ちさと のケータイに電話をかけてきて、呼び出す。
このあとの、死体処理業者との話がおもしろい。私的な殺人なので保険が効かず結構かかるとか、殺す時は頭ではなく心臓を撃ってくれ、とかいわれたり。地味に現実的な話で笑える。
でもって2人がどっかの建物に入り、どっから集めたか知らん男たちとの銃撃戦。まひろ は、例の手練れの男と格闘するんだけど、本人がやってる感じでなかなか。HP見たら現役のスタントウーマンだと。なーるほど。で、ちさと の方はマシンガンぶっ放し。派手にやっつける。これも私的な殺しだから代金が2千万だっけか? 忘れた。
なわけで、これまでの貯金もなくなり、まひろ も社会不適応をみとめつつバイトすることに積極的になって。な感じで終わるんだったかな。うろ覚え。
・ちょい可愛めでお調子者的な ちさと 、いつも伏し目がちで暗くて社会不適応と自ら認めるボーイッシュな まひろ、のコンビが絶妙。あの会話はセリフ通りなのか、かなりアドリブがあるのか。興味がある。アドリブだとしても、2人ともとても自然で上手い! でも、早口すぎてセリフの聞き取れないところが多いんだけどね。
そして、バトンは渡された11/13109シネマズ木場シアター6監督/前田哲脚本/橋本裕志
allcinemaのあらすじは「泣き虫の小学生みぃたんは実の父が仕事でブラジルに旅立ってしまい、義理の母・梨花と日本で2人暮らし。美しくて自由奔放な梨花だったが、みぃたんには深い愛情を注いでいた。一方、料理上手な義理の父・森宮さんと2人暮らしをしている高校生の優子。複雑な生い立ちもあまり気にすることなく、今は卒業式に向けピアノを猛特訓中だったが…。」
Twitterへは「『老後の資金がありません!』の前田哲監督なので期待したけどイマイチだった。前半の「?」は後半で回収されるけど、もともとの設定にムリがありすぎ。瀬尾まいこ原作なんだな…。石原さとみは相変わらず役に恵まれず。」
最初に大きく名前入りで主要人物の紹介がある。やさしいけどドジな 小学女子 みぃたん。いつも笑顔で誤魔化す優子。優子と父娘らしいけど、優子は「森宮さん」とよぶ、一応は父親。この、みぃたが主人公の物語と、優子が主人公の物語が同時並行的に進む。いつかは交わるのかと思って見ていると、なかなか交錯しない。
最初の交錯は、中盤で森宮の会社に突然、みぃたんの2番目の母親となる梨花が面会にきたとき。梨花は、みぃたんの父親・水戸がブラジルに行ってしまい、義母・梨花と みぃたんが2人で生活していて、でも、みぃたんが「ピアノが習いたい」と言ったあとぐらいで、梨花が防音設備のある家に引っ越したくて資金調達に奔走中、というところだったかな。梨花と森宮と、どういう接点があるのだ? と疑問が湧くけど、それはすぐ解決しない。
交錯しないはずだ。だって、別人を描いてはいなかったのだから。ネタばらしをしてしまうと、みぃたん=優子で、2つの時間差のある時制を描いていたのだから。映像で試みた叙述型トリックは、ある程度成功はしている。とはいうものの、ミスリードの仕方が、ずるい。なんで優子が みぃたん なのだ? もともとの名前が水戸優子で、名字からとって みぃたん? 他のいわれは、なんか説明していたっけ? 覚えてない。
このずるいミスリードのせいで、みぃたん=優子を知らされるのは、へー、ではあるけれど、もやもやが残る。でもまあ、2人に共通する“ピアノ”から類推すれば、想像できないものではなかった、のも事実か。
トリックをひっぱったせいで、それが明らかになるまでの話は、退屈。とくにドラマも起こらない。明らかになった後も、ああ、それでなのか、なーんて思いつつ、でも、もやもやは消えず。とくにドラマも起こらず。こっちも、少し退屈。
で、男をつくってはトンズラする梨花のいい加減人生にうんざりしつつ。でも、映画中では、梨花は みぃたんが大好きで、ずっと一緒にいたかったはず、と繰り返し強調される。なのに、泉ヶ原のところから、みぃたん を置いたまま消息不明になってしまう梨花。なんでえ? と思っていたら、ラスト近くで、突然の訃報。実は梨花は持病が悪化すると亭主から逃げてきた過去がある、と説明されても、ええええ? としか、思えない。しかも、最後は泉ヶ原のところに身を寄せ、看病されていた、なんていわれても、ぜんぜん納得できないのよね。なんじゃこのムリくり展開は。ああ、なるほど、って思わせないと。
要は、梨花が 優子=みぃたん のことが好きで好きでたまらない、がぜんぜん伝わってこないところに問題がある。そもそも、顔と色気で金持ち男を漁りまくっていた梨花が、なぜしがないチョコレート会社の、こぶ付きの水戸と結婚し、狭い家でも満足できていたか? ここでもうギャップを感じてしまう。たとえ梨花が石女で、子供に愛着があったとしても、なぜ みぃたん だったのだ? さらに、水戸が会社を辞めてブラジルに行く、と宣言した後、一緒に行かず、みぃたん と日本に残る、というのもヘンだろ。ここで、みぃたん の思考回路を疑ってしまう。小学校の同級生と別れたくないから? それで義母・梨花と日本で暮らせるか? ところで、この時点で梨花は難病に罹患していたのか? よく分からない。
で、みぃたん が「ピアノ習いたい」といったら、梨花は森宮や泉ヶ原にアタックし、金持ちの泉ヶ原と再婚してしまう。え? じゃ、水戸と離婚して、みぃたん の名字も変わったのか? で、しばらくして梨花は失踪。これは難病発覚で、迷惑をかけたくないから、とか最後の方で説明されていたけど、難病に1人で挑むなんてムチャクチャだろ。だって、その後に泉ヶ原を頼っているのだから…。そして、好きだった みぃたん にも会わず…ってのが、ヘンすぎ。
まあ、いろいろムリをひっつけて話をひとつこさえました、な感じなんだよね。原作もこんなギクシャクしてるのか?
あとは、優子と早瀬の関係か。たんなる同級生かと思ったら、中学生の頃から早瀬のピアノに憧れていた、なんて言ってたよな。でね、雨の日に早瀬の家の前でピアノを聞いただけで、早瀬には会ってないだろうに。あれが早瀬の家と知っていて、それで憧れた? にしては説明不足。でもって、後に早瀬の方から「僕のこと好きなの?」なんていうセリフがあって。そんなこと男から言うか、フツー?
その後だったか。初めてのデート? と言ってたのは、早瀬とのデートのことなのか? でも父親・森宮もついてきて、ロビーで互いにプレゼントを渡してたよな。で、ロビーの誰でもピアノで早瀬がドラマチックに弾きこなして、それが終わると別の女性(あとから誰なのか簡単にせつめいはされてたけど、なんかなあ)と消えてしまう。それで早瀬へのプレゼントのつもりの、ロッシーニと料理の本を落としてしまう…。やっぱり優子と早瀬のデートだったの? 解せない展開だな。
でも、早瀬と優子は結婚の意を固めるけど、森宮は反対。というわけで、早瀬と優子はこれまでの親を順序通りに訪問していく。前後して、梨花から小包。これは、水戸から送られてきたけど、みぃたん には読ませなかったという手紙の束。ほんとに梨花は、みぃたん  が好きだとは到底思えないよな。
まずは生みの母で亡くなっている母。の墓所に行くと、なぜか森宮がいたりするのは、なんでなの? そして、ブラジルで失敗し、帰国後、別の女性と再婚している水戸…。なんか、気の毒な描かれ方だよね。水戸のところにも、梨花から手紙(みぃたん が水戸に書いたけど、梨花には送らなかった手紙の束)が送られてきていて、なんだ梨花という女は、と思わせようとしているのだろうけど、あとから梨花が難病と知らされても、その思いは変わらんよ。
そして、泉ヶ原のところで、実は…、って梨花の病気のことを知らされるんだったか。ドタバタ的に説明されても、はあ? としか思えんぞ。
というわけで結婚式。歴代の親がそろい、水戸みぃたん → 泉ヶ原みぃたん → 森宮優子 → 早瀬優子、とバトンが渡されていく、というサゲになってるけど、女性はバトンかよ! という感じの方が大きかったな。うーむ。
ジェントルメン11/15ギンレイホール監督/ガイ・リッチー脚本/ガイ・リッチー
原題は“The Gentlemen”。allcinemaのあらすじは「ロンドンで大麻ビジネスを展開して莫大な資産を築いたアメリカ人のミッキーが足を洗うために事業を売却するとの噂が広まり、にわかに浮足立つ一癖も二癖もある裏社会の住人たち。大きな富を生み出すその利権を我がものにしようとユダヤ人の大富豪やチャイニーズ・マフィアが怪しげな動きを見せる中、ゲスな私立探偵フレッチャーが自ら仕入れた情報をネタに、ミッキーの右腕レイに巨額の口止め料を要求しようとするのだったが…。」
Twitterへは「悪人ばかりが登場し、虚々実々の騙し合い。複雑な入れ子構造で、ヤクザな男(ヒュー・グラント)が話す仮の話がドラマとしてブツ切れ展開。なので、ドラマチックに見えないのだよな。妙に気を衒わずフツーに見せてくれた方がよかったと思うんだが。」「製作がMiramaxなのね。もうなくなった会社かと思ったら、まだやってたのか。」
冒頭、マシュー・マコノヒーのミッキーが、撃たれた? というところからの逆転再生、なんだけど。登場人物が多いのと、その相関関係、利害関係なんかが分かりにくい。しかも、少年ギャングたちが現れたり、冷凍死体がでてきたり、意外な展開もあって、おいおい関係性は説明されるんだけど、それまでのベースとなる関係性がしっかり頭に入っていないので、混乱は増すばかり。
しかも、この映画、一方向に話が進むのではない。夜中、怪しい男がある男のところにやってきて、仮の話(映画のシナリオにしてあるという)として語る内容が最初の方では進んでいく。なので、その仮の話はときどき途切れて男2人の掛け合いというか駆け引きに戻り、あれこれして、また仮の話、に戻って行くというスタイル。ドラマは仮の話の方にある。つまり、ドラマはいいところで断ち切られるのだ。なので、見ててストレスなんだよね。
怪しい男と、ある男。この正体と関係が、よく分からない。あとから解説見たら怪しい男は探偵だという。そんな説明、あったか? で、ある男はミッキーの片腕のレイモンドらしい。レイモンドとミッキーか仲間、というのは次第に分かっていくんだけど。でも、最初の方でちゃんと人間関係、対立構造を見せてくれていたら、分かりやすかったのに。と思うのだ。
夜っぴいて行われる探偵とレイモンドの駆け引きは、地味すぎてつまらない。探偵役ヒュー・グラントの怪演はなかなか興味深いけど、それだけだし。むしろ、この2人の部分をバッサリなくして、探偵も登場人物のひとりとしてフツーに構成した方が、みていて楽だよなあ。でも監督のガイ・リッチーは、探偵自身が、彼の書いたシナリオの中にいつのまにか取り込まれていくという、複雑な構造の方が面白いと思ったんだろう。だったら、ムダにスタイリッシュにしないで、芋っぽくてもいいから、前半はじっくり丁寧に、観客に概要を覚えさせるような演出にして欲しかった。
この映画、前情報なしに見て、おおむねついていける人なんて、少ないと思うぞ。Netflixにでもアップされたら、日本語吹き替えでまた見て、理解できるかやってみようかな。
・いちばん「?」だったのは、新聞社の編集長だな。
・いちばんイケてたのは、コリン・ファレルのコーチだったかな。
・中国マフィアのドライ・アイとか、コーチがらみの若者たちの話については、ムダに話を広げ過ぎてる感じ。
・しかし、大麻工場を地下で運営しているとして、労働者はどう確保していたのかね。みんな部下? そんなもんで、稼働できるのか? 一般の労働者は雇ってなかったの? ってか、大麻工場については闇の連中は詳細を知り、マスコミも感づいてるのに、警察はなにも知らんのか? ヘンだろ、それ。
・で、若者たちのせいで大麻工場で火災が発生し、生産性はダウン。それを、コーチのあの働き程度でカバーできるのか? フツーならコーチは殺されてるだろ。でもってミッキーの大麻工場は、最後、どうなったんだっけ? あれとかこれとか、どうなって終わったんだっけ? もう記憶にないです。はは。
ファイター、北からの挑戦者11/16ヒューマントラストシネマ有楽町シネマ1監督/ユン・ジェホ脚本/ユン・ジェホ
allcinemaのあらすじは「北朝鮮から逃れ、韓国で脱北者として再スタートを切った主人公の孤独な日々と、ふとした偶然から北朝鮮時代に軍隊で身に着けたボクシング技術で人生を切り開いていくさまを、脱北者を取り巻く厳しい現実とともに丁寧な筆致で描いていく。」
Twitterへは「ドキュメンタリータッチの前半は謎含みでよかった。なのに後半はとってつけたような情緒に流れる展開でがっかり。あんなロマンスいらんだろ。サクセス物としても、トレーニングシーンや試合結果もほとんど見せずワクワクしない。残念。」「脱北者だからということではなく、暴力的でひねくれた性格、ということだろ。あれは。」
韓国にやってきた脱北者の女性ジナがボクサーとして再出発する話何だが。まったくサクセス物ではなく、主人公は明るくなく、恨みを抱えていて、人になじめず偏屈に凝り固まっている。脱北者と女性は差別されている、というような説明・解説がWebのどっかにあったけど、全員がそういうわけではないだろう。だって映画に登場するジナ実母はかつての脱北者であり、でもすでに韓国内に夫と娘と平穏な家庭を築いている。
実母はジナが12歳のとき夫と娘を置き去りにして脱北したらしく、ジナはそれを心底恨んでいる、ようだ。初めは「会わない」といっていたのに、ジナの方から「会いたい」と仲介者に連絡をとり、実母の家を訪ねる。ジナは「顔を見にきただけ」といい、とくに会話はしなかった。このときはまだ恨みを抑えていたのか。実母は脱北してきた娘に「とうとうお父さんもその気になったのね」と話すのだが、このときジナは父親とともに中国経由で脱北し、父親はまだ中国にとどまっている状態だったようだ。
さて、父親がその気になった、とはどういうことだろう。かつて実母は夫に、一緒に逃げよう、と誘って断られ、自分1人脱北したのか? 「やっとその気になったのね」と元夫のことについて話していたし。しかし、映画の終盤で実母はジナに、田舎娘が2人都会に憧れて出ていって…という寓話に喩えて自身の脱北を説明していた。では夫に相談なしに脱北したのか? 2人、というのも「?」だ。一緒に逃げた友人がいたのか? このあたり、曖昧なままなので、もやもやする。
では、この映画の中でジナは脱北者として差別されているかというと、さほどでもない。せいぜい不動産屋(?)の男に酔って絡まれた程度だろう。脱北者の女なら簡単にやれるかも、と思ったのかも知れない。でもそれは男個人の問題で、一般化はできない。あと、ジムで練習してる女子の1人に“脱北者”と言われた程度か。そういう類の人はいるだろう。でも、他にジナが蔑まれている様子は感じられない。むしろ、新しい働き口であるボクシングジムで、自ら心を閉ざしているようにしか見えない。心を閉ざすのは脱北のせいなのか? でも、ジナは脱北者支援センターから出て来て1人暮らしを始めたばかりで、まだ差別や偏見に見舞われてないのではないだろうか。もしそういう設定にするなら、居酒屋やその他の日常で脱北者であることを知られ、心が折れるような場面をいくつかつくるべきだと思う。でないと、ただの偏屈な娘にしか見えない。いや、ただの偏屈な娘なんだと思う。
ジナが何歳か、は説明されていない。ジナが12歳(?)のときに母親が脱北し、以降は父親と暮らしていたようだ。兵役にも就いて、そこでボクシングを習った。ジナを演じるイム・ソンミは実年齢35歳らしい。でも、映画の設定は35歳じゃないだろう。
実母は何年前に脱北し、韓国にやってきて、どうやって韓国人と知り合い、結婚したのか? 夫は妻を脱北者と知っているはず。高校生ぐらいの娘(すなわちジナの義妹)がいるから、脱北後20年近く経っているのか。娘は母親が脱北者と知っているのか? 脱北後20年近いとなると、ジナは30を少し過ぎた年齢? にしては、いろいろ子供じみてる感じ。
ジムでは、トレーナーのテスがジナによくしてくれる。ジナのボクシング経験を見抜き、教えてやろうか、というのに頑なに拒否する。この理由が分からない。なぜ閉じこもるのか? 意味不明。たんに個人的性格か。ジムの館長もジナの素質を見抜くんだが、ここでも腰が重い。
スポンサーがつくかも知れないし、プロになれば収入が得られる、という説得に心が動くのは、低収入だからだろう。あとは、不動産屋の男に怪我をさせたので、その治療費を出さなくてはならないというのもあった。要は経済的なところから、しかたないやるか、な感じ。なんだこのうじうじした態度は。イラつくなあ。
館長はジムで練習してる女性とスパーリングさせる。すると最初は防御一辺倒だったのが、最後に一発食らわせて勝つ。さあ、こっからサクセスストーリーが始まるのか。『百円の恋』の安藤サクラみたいにトレーニングを重ね、ステップアップするのか? と思ったら、どうも様子が違う。トレーニングシーンはちょっとだけ。試合の様子も映るけど、これも少しだけで、勝ったのか負けたのかも分からない。そのうちスポンサーがついて、ニュースにもなる。でも、ジナは戸惑いの表情をしつつ、作り笑いで写真撮影に応じている。いつまでも自信がつかない娘だな。イライラ。サクセス物語にしないのは、なぜなんだろう。高揚感あったほうが観客は楽しいのに。あとで落とすにしても、もちあげておいてからの方が効果あるのに。
で、次の試合が、かつてジムで試合し、一度倒した女性とのものとなった。彼女は館長やトレーナーがジナびいきなのに反発し、最近辞めて他に移ったばかり。プロ志向もあって、ジナに対抗心を燃やしている。試合は、なぜかジナのいるジムで行われるのだけれど、途中までいい感じだったのが、こっそり実母が見にきていたのに気をとられ、一発食らってジナがKOされてしまう。なんだよ。集中力ない娘だな。ここはライバルを倒して次への弾みにするべきだろ、映画として。
で、試合後、話しかけてきた実母に思いっきり肘鉄を食らわせ、実母は意識不明で病院に。駆け付ける夫と義妹…。その妹のことも後ろ手ではたいて。乱暴な性格には反省がないようだ。で、とくに謝りもせず病院をあとにするジナ…。追ってきたトレーナーに、あれは私の実母。私と父親を捨てて脱北した、と説明するんだけど、だからって暴力を振るっていいことにはならないわけで。同じような境遇の人は多いだろうけど、全員があんな感じじゃないだろ。それに、いまになってお前だって脱北してるんじゃないか。母親のこと、言えるのか、そこまで? と思ってしまう。
肘鉄には前振りがあって、絡んできた不動産屋の男に食らわせたことがある。これで男は治療費を要求してきたのだ。ホント。あたまの悪い乱暴者だろ、これじゃ。で、さらに前振りがあって。ジムに仕事に来た最初の頃、トレーナーがジナのボクシングセンスを見抜き、訪ねたと、兵役中に習った、と応えているんだが。このときトレーナーは「じゃ、ケンカは強いな」と反応したらムッとして「北の兵隊はみな工作員じゃない。映画に描かれてる見たいじゃない」と強く反発するのだ。まあ、北の人間もフツーの人間なのに、偏見が…といいたいんだろうけど、この肘鉄攻撃見せられたら、フツーじゃないと思うしかないよな。
母親はしばらくして意識を回復し、見舞に行くんだが。ここで母親が、自分の脱北のときのことを、寓話的に話すのだった。そして、ジナは「こんどプロになって最初の試合がある。見にきてくれ」という。のだけれど、ライバル女にKOされて間もないのに試合? それもプロになっていた? いつの間に? どっかでプロテスト受けて合格する場面入れないと、流れがヘンだろ。なので、ここでも、もやもや。
で、そのプロになっての最初の試合が始まる。観客席には実母と義妹がいる。義妹は興味なさそう。ところで、義妹は、あれが義姉だと教えられているのか? いやその前に、現在の夫には、子供が脱北してきた、と説明しているのか? なんの説明もない。
てな感じで映画は終わる。これじゃジナが何のために戦っているのか、分からんよな。まあ、自分のため、というのがもっとも当たっているような気がするけど、それは脱北者としての自分ではなく、偏屈で暴力的で陰気な自分との闘い、というのなら分かるけどね。脱北なんて、関係ないだろ、この映画。
・いつまでも陰気にジナを、トレーナーが遊園地に連れて行く。あんなの子供が楽しむもの、といっていたジェットコースターにワクワクし、一気に2人の心が近づいていく。のはいいんだけど、ロマンスにしてしまうのは不要だろ。なんの後だったか忘れたけどジナが「海が見たい」といいだし、2人で浜辺に行って、トレーナーの方からキスしてしまう。いっちゃなんだけど、ジナはまったく美人じゃない。トレーナーなら、もっとフツーの、一般の韓国女性がいくらでも相手してくれる。なのにジナを選ぶ。こっちこそ、脱北者への興味と同情だろう。ロマンスは余計だった。ところで、ここでジナが、海が見に行きたい、って、理由は何なんだ? 北の思い出が、なにかあるのか? 説明せんとわからんだろ。
花椒の味11/18新宿武蔵野館3監督/ヘイワード・マック脚本/ヘイワード・マック
中国/香港映画。原題は“花椒之味”。allcinemaのあらすじは「旅行代理店で働くユーシューは急死した父リョンの葬儀の場で、台北から来た次女のルージー、重慶の三女ルーグオという、今まで存在すら知らなかった異母姉妹と初めて顔を合わせる。それぞれに父に対する複雑な思いや家族とのわだかまりを抱える3人は次第に打ち解け合い、やがて父の火鍋店を継ぐことを決意するのだったが…。」
Twitterへは「浮気性の父親をもつ異母3姉妹の話で松竹大船調な感じ。3姉妹の背景や住まいなど少し分かりにくいし、もやもするところがあるけど、そこそこ楽しい。フツーなら愛されない父親が好意的に描かれるのは、映画のウソだとは思うけど。」
花椒(ホアジャオ)の味、と読むらしい。
↑のあらすじを読んで、へー、な感じ。3人は互いに“存在すら知らなかった”のか? 三女は重慶か。そういえば“重慶”という言葉はでてたな。“わだかまり”? そんなのあったのか? とか、新発見。というのも、この映画、説明がちゃんとしてなくて、ごちゃごちゃ進むから、背景がよく分からんまま見させられるのだよね。
長女のところに電話で父死すの報告。海底トンネルをくぐって香港へ(ってことは、長女は大陸側に住んでいるのか?)。病院に顔見知りの店員がいて、遺品を渡され、死亡手続き。その後、葬儀の手配。で、始まると、供物に名前…。派手な葬儀の途中で、黒ずくめの女性が2人、次々にやってくる。次女(途中まで長女かと思ってた)と、金髪の三女は「やっと死んだか」とかいいつつ入ってくる。供物と同じ名前が記帳される。てな感じで葬儀が進行。だれかが「故人は仏教だ」という。葬儀は道教スタイルで行われていたらしい。興味深いし笑える。
のあと、3人は店に行くんだけど、“存在すら知らなかった”風には見えず、和気あいあいと写メったり、話し合ったりしてる。次女の「愛人かどうかか、最初に結婚したのは誰とか?」的なセリフがあって、これは母親が違うのか? と思ったんだけど、個人の記憶は(たぶん)長女のものしか映らず、母親と少女が、台湾に行ってしまった父親に恨み言を言って、たんだったかな。というわけで、視点は長女のものが多く、次女三女の視点はあまりない。
なんとなく、母親が違うのか、と分かるけれど、この間の父親の経緯が分からない。長女の時点で、一家はどこに住んでいたのだ? 香港? で、父親が台湾に女をつくって移住? それで次女誕生? 次女の母親は、この後、画面に頻繁に登場するけど、父親との出会いや別れは描かれない。もちろん、三女の母親との出会いも描かれない。彼女との生活は、重慶だったのか? 三女の母親は再婚してカナダに行ったらしい。それは分かった。父親は、それぞれ結婚離婚を繰り返したのか? 最初の結婚だけで、あとは愛人関係? その間、父親は何の商売をしていたのか? よほどモテたのか、金があったのか。香港で火鍋店を開いたのはいつなのか? 三女の母親と別れてから? 三女に関しては、祖母が登場する。母親は娘を祖母に預け、カナダに行ったのか? ところで、祖母が登場する場面でロープウェイが見えてたけど、あそこは重慶なのか? わけ分からん。
互いに“存在すら知らなかった”にもかかわらず、3人に父死すの連絡が入ったのは、どういう経路なのだ? 長女は店員からだろう。行き来もあったようだし。次女は、一度香港の店に来たことがあるようだけれど、でも、誰が連絡を入れたのだ? 店員の誰かが娘が3人いると知っていて、それで連絡した? 三女となると、ずっと音信不通だったようで誰からの連絡か分からない。ささいなことかと思われるかも知れないけど、こういうところ、大事だと思う。
とまあ、そんなごちゃごちゃはあるけど、ドラマはほとんどない。父親がいなくなり、コックはいたけど突然辞めてしまい、店員は若いのとおばちゃん2人になり。一時閉めた店をどうするか? で、なぜか長女を軸に店を再開する。でも、客からは「味が変わったね」といわれ、父親のレシピを探すけれど見つからず。そうこうするうち、出ていったコックも戻り、3姉妹も実家にもどったりなんだりするんだけど。あれ、ホントに台湾や重慶に戻っているのか? 行き来する様子が映らないので、地理的移動がほとんど感じられず、なんだかなあ、と思うところもあったりする。
秘伝のレシピに関係するのかしないのか、さらっとワインが登場するけど、どうなんだ? 関係あるのか? とくに騒いでもなかったしなあ。
で、結局、再会から1年して店は閉店してしまう。これがよく分からない。なんでつづけないのだ? 3姉妹それぞれの生活に戻るから? じゃ店員たちはどうするんだよ。なのでラストは拍子抜けの肩すかし。3姉妹の人気店にでもなるのかと思ったのに。
浮気男なのかモテ男なのかしらんけど、あちこちに子供つくって女を泣かせるなんて、フツーに考えれば愛憎渦巻くドロドロ世界のはずだけど、それをそっくり無視して和気あいあいにしちゃってる。観客もそれを許容してしまっているところが不思議な気がする。映画ならではの嘘の効果なのかな。
父親は、次女の撞球のテレビ放送を見ていたとか、娘に対する関心があった、というような人間くさい人物にしている。だからどうした、の範疇だよなあ。でも、そんな程度のことで、いい父親に見えてくるものなのか。
・そういえば、長女がつき合っている(?)らしい年長の男性が登場するんだけど、ありゃどういう関係なのだ? 金出して住まいを提供しているだけじゃないだろ。うまくいってるような雰囲気なのに、最後は、その家を出ていくようなことを長女は言っていた。別れ話があるにしては、いがみ合ってなかったよなあ。
・という関係があるのに、長女に対しては病院の麻酔医とのロマンス風味が加えられている。あれも中途半端だな。パパさんがいるのに、新しい男に興味をもつのか? なんかなあ。父親の病院で少しすれ違っただけなのに、いろいろ関わってくるのも、あり得ないだろ。
tick, tick... BOOM!:チック、チック...ブーン!11/19シネ・リーブル池袋シアター2監督/リン=マヌエル・ミランダ脚本/スティーヴン・レヴェンソン
原題は“Tick, Tick... Boom!”。allcinemaのあらすじは「名もなき若き青年作曲家が、成功を信じながらも時間ばかりが過ぎていく現状に焦りを募らせていく創作の日々を、恋と友情の葛藤を織り交ぜ描き出していく。」
Twitterへは「30歳までにミュージカルで成功する! と奮闘する青年の話。Netflix製作とはしらなんだ! しかも内容は苦手なミュージカル! ヒロインのアレクサンドラ・シップがかわいかったから、まあいいか。」
冒頭からしばらくは、何が何だかよく分からない。主人公ジョナサン(アンドリュー・ガーフィールド)が舞台に上がって、しゃべったり演奏したり。8mm画像のようなノイズがあったりする画像なんだよね。で、成功する前、生きていた頃の話、的なことがナレーションで入るんだったか。間に、どっかの店で働く様子、仲間と飲んだりしている様子が挟まって、場面は素速く展開されるから、追いつくのが大変。
とはいえ、次第に狙いは分かってきて。たぶん、ジョナサンの書いたミュージカルの舞台を串にしつつ、そこで語られる過去のあれこれを現実ドラマとして挟み、進めているのかな、と。ジョナサンが実在の人物で、ブロードウェイで成功したけど早世してしまった、ということを知っていればすんなり理解できるんだろうけど、こちらはそんなことも知らないからね。
ジョナサンを取り巻く人物は、恋人のスーザン、幼なじみで現在は広告代理店勤務のマイケル、食堂の同僚のキャロリン、ミュージカル界の大物ソンドハイム、ジョナサンのアドバイザー的な(代理人らしい)ローザ、ぐらいが分かればいいんだろうけど。スーザン、マイケル、キャロリンは最初の方で、こちらがアタフタしてるときにさらりと紹介されたりしているので、はっきりしないままだし。ソンドハイムとローザは、とくに説明なく現れているし。ここらは、理解しろ、ということなのかな。アバウト分かればいいよ、ということなのか。Netflixで見直せば、ああ、ここでこんな感じに登場していたのか、って分かるかも知れないけど。
でまあ、8年もかけてつくった作品をお披露目することになるんだけど、ステップがいくつかあるらしく、目指しているのは試聴会という、ミュージカル関係者に呼びかけての内輪の会らしい。それ以前にもソンドハイムと、もうひとりの大物ぶってるおっさんに聞いてもらってたり。作品をブロードウェイで上演するにはステップがあるらしいけど、そんなことは知らんので、戸惑いつつも見ていたわけだ。まあ、いちいち説明してたらスピード感がなくなるのは分かるけど、ちと不親切だよな。
ローザとはどういう契約で何をしてもらえるのか? 試聴会にかかる費用は全部自分持ち? 関係者への告知は誰がするんだ? とか、そういうことが気になってしまう。
とまあ、そういう基本的なことは、とりあえずいいとして。スーザンに対する態度が、糞だよな、ジョナサンって。どこか遠くにバレエ(?)教師の職があって、就くには別れなければならない。その話をしたいのに、ジョナサンはいつも「忙しいから後で」と逃げてる。そんなもん小一時間もあれば済むだろ。うじうじしやがって。と、うんざりだよ。
てまあ、8年かけた作品は、試聴会では好評、でも、常打ちのミュージカルとしてかけるには問題あり。次作に期待する、という結果でがっくり。スーザンは遠くに職を得て去ると言うし・・・。のあとの展開が慌ただしすぎ。よく分からんけど翌年ぐらいに自作がブーロードウェイにかかって大成功。一躍人気作曲家に? なのか。経緯がほとんど説明されない。でまあ、突然の病気で死んでしまった、らしい。お気の毒様。あれこれごちゃごちゃ説明的にまとめあげられて、最後に、実際のジョナサンの映像が映る。なるほど。
というわけで、つまらなくはないけど、いまいち理解できないまま、なのがもったいないかんじ。いろいろ分かって見ていれば、もっと楽しめたろうに。残念。
アリス11/26シネマ ブルースタジオ監督/ヤン・シュヴァンクマイエル脚本/ヤン・シュヴァンクマイエル
スイス映画。原題は“Alice”。Wikipediaによると「シュヴァンクマイエル独自の世界観で脚色、映像化した作品。通常の不思議の国のアリスと異なり、ダークで陰気な雰囲気が全編を通して漂っている。生身の役者の演技と人形アニメーションとを組み合わせており、アリス役のクリスティーナ・コホウトヴァー以外はすべて人形である。」
Twitterへは「シュヴァンクマイエルの実写+人形アニメ。ちゃんと見たのは初めて。子供が見たらトラウマになりそうな場面も。チェシャ猫もハンプティダンプティも出てこない。」
実写の部分では生身の少女が登場する。そんなにかわいくない。アリスが縮んだときは、セルロイドの人形になって、アニメ化してしまう。逆に、大きくなったときは生身のアリスが大きな人形の中に入り、目だけ見えているというブキミな状態になったりする。生身のアリス以外は、コマ撮りアニメ。精度はそんな高くない。1988年の製作だけど、手作り感満載。
原作では、急ぎ足のウサギが穴に入り込み、それを追ってアリスも中に入り、落下する、だけど。そうはならない。アリスの部屋に置いてある剥製のウサギが動き出し、服を着てケースを割り、泥の荒野のようなところに向かう。アリスが追うと、そこに机があり、引き出しを開けようとすると取っ手が抜けてしまう。この、取っ手が抜ける、は以後も繰り返し登場する演出で、なにかを意味しているのだろうけれど、よく分からない。で、アリスは取っ手の穴に小指をつっこみ、引き出しを開ける。手を入れるとコンパスで指先を怪我し、血が一滴。ほかに定規もたくさん抽出には入っている。その引き出しの中に、頭から突っ込んでいく。するとエレベーターのように下に向かっていき、当然ながら階数表示まで出る。で、落ち葉のようなところに落ち、小部屋へ。で、ここから先は小さな鍵とインク瓶で小さくなったり大きくなったり、涙の海になったり。そしたらネズミが船でやってきて、アリスの頭に杭を打ち、そこで煮炊きを始めるというのが、落語の「頭山」のようでおかしい。
それからどうなるんだっけ。以降は、なんとか小さなドアの向こうに入り込み、気違いお茶会(木の人形の帽子屋と、剥製のウサギ(三月ウサギ?)の2人だけ)に参加するのが先だったか、ごちゃごちゃした部屋で、ゴキブリの缶詰とか人形とか、動く肉塊に驚かされるんだったか。原作のように森に迷い込んだり海岸に向かったりはしない。剥製ウサギだか三月ウサギだかに石をぶつけられ、積木の城に逃げ込み、巨大になったり小さくなったり。
というわけで、チェシャ猫もハンプティダンプティも出てこない。書き割りの部屋にトランプが現れ、戦ったり、ハサミ(これも最初から何度も登場するアイテムだ)で首をちょん切られたり。で、目が覚めると自分の部屋で、でも、剥製のケースは割れたままで、ウサギはいなくなっている、という結末。
楽しくファンタジックな冒険というより、薄気味悪さ、変態的、アングラ、な感じで、ゴキブリの缶詰とか悪趣味だろ。まあ、19世紀半ばの不思議の国より、1980年代の不思議の国を描こうとしたのかも知れない。ウサギはモロに剥製で干からびていて、縫い目から木屑がぼろぼろこぼれる。ぜんぜんかわいくない。まあ、シュヴァンクマイエルの創造世界ということなんだろ。きれいごとは、要らない。知的な部分もあまり要らない。下世話でブキミな、不思議の国のアリスだった。だからって嫌いではないけどね。好きでもないけど。
けったいな町医者11/29シネ・リーブル池袋シアター2監督/毛利安孝撮影・編集/毛利安孝
allcinemaの解説は「『痛くない死に方』『痛い在宅医』などのベストセラーでも知られる尼崎の医師・長尾和宏氏の日常に密着したドキュメンタリー。自ら“町医者”という呼び方にこだわり、病とではなく患者と常に向き合い、患者と家族の想いを何よりも大事にする型破りでエネルギッシュな活動を通して、在宅医療の理想と課題を見つめていく。」
Twitterへは「在宅医療と看取りにこだわる医師長尾和宏。多くの病院が腰がひける中、コロナ患者を積極的に診た人だよね。このドキュメンタリーはコロナ前。患者の話を聞き、冗談をいい、身体に触れる様子が清々しい。多すぎる投薬、ムダな執刀にもズバズバ。」

 
 

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