2021年12月

消えない罪12/3シネ・リーブル池袋シアター2監督/ノラ・フィングシャイト脚本/ピーター・クレイグ、ヒラリー・サイツ、コートネイ・マイルズ
原題は“The Unforgivable”。映画.comのあらすじは「過去に犯してしまった殺人の罪で服役し、20年の刑期を終えて刑務所から出所したルース・スレイター。しかし、罪を償って社会に出たはずの彼女を待ち受けていたのは、過去の罪が許されない世界だった。社会に溶け込むことができずに孤立し、安息を求めて訪れた故郷の地でも厳しい批判にさらされ、行き場をなくしていくルース。そんな彼女が罪を償うことができる唯一の手段は、昔、とある理由で置き去りにしてしまい、離れ離れになってしまった妹を捜すことだった。」
Twitterへは「オッサンみたいなサンドラ・ブロック。もう57歳か。40代の設定はムリがあると思うし、性格の悪い主人公だな、と思ってたけど、終わってみれば“なるほど”で楽しめた。12月10日からNetflixで配信開始。」
巧みなミスリードにすっかり騙されてしまった。後半に知らされる事実に、おお、そうだったのか。というわけで、それまでのモヤモヤが吹っ飛び、なるほど、と思うようになった。分かって見れば、よくある「実は…」な話で、可能性として考えるべき選択肢ではあるよなあ。でも、前半に描かれるルースの凶暴性、異常行動がうまく機能して、そこまで思い至らず、だった。くやしい。
おっさんみたいなメイクのサンドラブロック。警官殺しで20年の刑に服し、出所。けれど、技術のある大工にはなれず、保護観察官のつてで魚加工工場へ。でも仲間に入れず、いつも1人。すり寄ってくるオッサンが1人いるけど、なかなか心を許せない。てなとき、たまたま通りかかった建物で、ホームレスの宿泊所を内装しているNPOの人間と出会い、第2の仕事を得る。なかなかの内装技術らしい。けど、後を追ってきた魚加工工場のオッサンが内装現場に侵入してきて、それを不審者と思い込んで金属棒を振りまわす! 運よく当たらなかったけど、この凶暴性なら警官殺しも納得か。
ルースは、別れたまま里子に出された妹の現在を知りたがっている。けれど、妹に対しては接近が許されていない。殺した警官の家族に近づいてもいけない。元犯罪者と仲良くなってもいけない。いろいろ厳しい感じ。とはいえ、ルースの、妹に会いたい思いが異様に強いのが、うっとうしく思えてくる。日本人なら、さっさとあきらめるんじゃないだろうか。なんて思ったりした。
とくに異様に思えたのが、事件のあったかつての自宅を遠巻きに見に行くところ。妹と別れたところ? ではあるけど、自信が警官を撃ち殺した場所に、あえて行くか? で、そこの現在の主に招かれ、嘘をついて中にも入ってしまう。現在の主は弁護士で、この彼に頼んで、妹の現在を知ろうとする。そこまでして、知りたいか? 妹が幸せなら、それでいいじゃないか。犯罪者の自分が会いに行って、自分の姉は警官殺し、と妹が知ってもいい、と思ってるんだろうか? と思ってしまう。
とはいえ、妹の里親夫妻との面会が実現し、それだけでもありがたいのに、あれこれ逆に質問し、ついには里親奥さんに「ビッチ!」とののしって弁護士に制止される始末。ああ、切れやすい女なんだ。警官殺しも、これが原因…? 
さらに、少し仲良くなった魚加工工場のオッサンに、「実は殺人で20年入っていた。警官殺しで…」と告白すると、すーっと引いてしまうおっさん。しかも、翌日には工場内で話題で、見しらぬオバチャンがいきなり蹴り込んできて(身内が警官だったかな)、ボコボコにされてしまう。この腹いせだったか、施工中のホームレスの宿泊所の壁を、せっかく張ったのを自ら壊してしまう。後先考えない女だな。と…。
里親のところには、ルースの妹の他に、もうひとり娘がいる。これも里子なのか、よく知らんが。この娘がルースからの手紙を発見してしまい、ルースに連絡してくる。これ幸いとルースは娘に会い、娘は、ルースの妹がピアノの練習会にでるので、見に行ってくれ、なんて言ってしまう。しかし、ひとりで会いに行くわけには行かない。弁護士と一緒でなければ。なので弁護士に相談しようとするがつかまらない。そこで、元の自宅=現在は弁護士の住まいを訪れる。弁護士の妻はルースを嫌っていて、拒否するのだけれど、この会話の中で「あれは妹が…」と言ってしまう。ここが話の転機。なんと、警官を撃ったのは当時5歳の妹の方だった! 
なるほど、ルースの凶暴性、すぐ切れやすい性格づけで、観客に、警官殺しはルース、と刷り込む演出だったか。まんまとはまってしまったよ。
というわけで、弁護士奥さんと練習会場に向かおうとすると、電話が…。ルースに殺された警官の息子2人が前々からルースを付け狙っていて、ルース妹の姉妹(ルースに会いに来た娘)を殺して思い知らせてやろう、なんて企んでいたのだ。そんなとき、ルースと娘が会ったのを目撃し、娘を誘拐。ルースをおびき出そうとしたところだった。
その現場に向かうルース。しばられて横たわる娘。でも、兄弟の片方(どっちだったっけ?)は娘をすぐに殺すわけでもなく、ルースを撃つわけでもない。じわじわ…。で、どういう終わり方だっけ。忘れたけど。警官もやってきて、兄弟(ともにだっけ?)は逮捕され、里親とやってきた妹を遠くからみつめるルース。のところに妹が近づいてきて抱き合う、というところで終わり。
仕掛けにはまんまとはまってしまったけど、いろいろ「?」はある。
・ルースと妹の年が離れすぎ。妹が5歳で、姉と15歳ちがっても20歳。あのサンドラ・ブロックが20歳には見えないよ。
・ルースが妹にこだわる理由がいまいち。いくら幼い時から育てたと言ってもねえ。母子ならまだしも。
・魚工場のおっさん。ルースに警官殺し、と告白され、翌日には工場内でしゃべってるって、どういうやつ? あとから、自分もムショから出たばかりで…と謝ってたけど、ならなおさら人のことは言わんだろ。
・殺された警官の息子2人も、あそこまでしつこくルースを恨むのが分からない。心情的には分かるけど、でも、復習したら自分がムショに入ることになる。まして、ルースの妹(と勘違いして、もうひとの娘を誘拐した)を殺したら重罪だ。いくら父親が殺されて、それで貧乏になったからといって、復習はもっと頭良くするべきだよな。
・ラスト。妹と再会したルース。彼女は真実を妹に告げるのか? 言えないよな。もやもやしたままの将来が見えて、すっきりこない終わり方だ。
天才ヴァイオリニストと消えた旋律12/6ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/フランソワ・ジラール脚本/ジェフリー・ケイン
原題は“The Song of Names”。allcinemaのあらすじは「第二次世界大戦下のロンドン。9歳の少年マーティンの家に、ポーランド人でヴァイオリンの天才少年ドヴィドルが引き取られてくる。一緒に暮らすようになったマーティンとドヴィドルは、ほんとうの兄弟のような絆で結ばれていく。時が経ち、21歳となったドヴィドルは、華々しいデビューコンサートの当日、忽然と姿を消してしまう。35年後、ある手掛かりに触れたマーティンは、いまだ消息の分からないドヴィドルの行方を追って旅に出るのだったが…。」
Twitterへは「ユダヤ教徒=イスラエルによるホロコースト PR映画のような感じ。主人公については、気持ちは分かるけど勝手すぎるのではないかと。」
マーティンの父親ギルバートは音楽家なのか興行主なのか。よく分からんが、ドヴィドルを家に住まわせ、実の子供同様に生活させる。生意気で奔放なドヴィドルにマーティンは戸惑うけど、そのうち仲良くなっていく。ギルバートは高価なバイオリンも、買ってやる。戦中から戦後、ドヴィドルにはライバルのバイオリニスト・ジョセフがいて、戦後ギルバートは彼を連れてポーランドで公演をする。けれど、そのライバルはロンドンに戻ることはなく、家族をホロコーストで失ったショックで精神病院に入ってしまったらしい。ドヴィドルの家族も連絡を絶ち、消息は不明のまま。な状況で、ドヴィドルが鳴り物入りで世間の前に初お目見え、というコンサートの当日、行方不明になってしまう。おかげでマーティンの父親は破産?
35年後、なにかのコンテストの審査員で、参加者の少年の弦にキスする仕草がドヴィドルそっくりだったので、誰に習ったかを聞き出す。路上バイオリニスト→名前も知らぬバイオリニストにたどりつく。そこでマーティンはポーランドに行き精神病院に入院しているジョセフに会う。→見舞に来る女性はドヴィドルの元カノで、ドヴィドルの代わりに見舞に来ていたという。ドヴィドルはニューヨークに行った、という。
ところで、ニューヨークに行くドヴィドルは、彼女にバイオリンを「売れ」といったらしいんだけど、結局売らずにドヴィドルが持っていったのかね。でも、なかなか高価なバイオリンで、ギルバートに買ってもらったものを、そんな簡単に手放そうという行為が理解できない。
ニューヨークの楽器店で、くだんのバイオリンを売りに来た女性がいると分かり、訪ねるとあっさりドヴィドルにたどり着く。かれの妻が楽器店に持ち込み、いくらになるか相談したらしい。世にいくつ、という名器らしいけど…。
でいうには、当日、マーティンの言うように女に会いに行って、帰り、バスで寝過ごした。たどり着いた場所にユダヤ人がいて教会に連れていかれた。出身を聞かれ、話すと、ホロコーストで犠牲になった人の名前を歌にして記憶しているラビがいる。彼に聞けば、お前の家族の消息が分かる、といわれて聞き始めた。なんか、歌は結構な感じで、その中にドヴィドルの家族の名前が読み込まれていた。このことがきっかけで無宗教だったドヴィドルはユダヤ教に戻り、バイオリンを捨て、信仰に生きる決心をした。ポーランドに戻り、つくった曲をジョセフに聞かせ、ホロコーストがあった地で演奏した。いまは、すべてを信仰とともに生きている、と。
とりあえずドヴィドルの話を聞き、でも一発殴らせろ、ってパンチを入れ、さらに、これまでのお返しに一度コンサートを開け、と言うことになる。それで35年振りのコンサートが、あれはロンドンで、なのか、開かれる。ドヴィドルはフツーのクラシックを一曲、もう一曲は亡き人たちに捧げた例の曲をユダヤ教徒の服装に着替えて演奏すると、会場を去って行く。もう、俺を探すな、と書き置いて。
マーティンがこのことを妻に話すと、あの日、ドヴィドルが会いに行った女性は私なの、っていうんだよ。うわ。
なんだこれ。理解できんよ。ポーランドで元カノにバイオリンを売れ、っていったのもそうだけど。約束破って連絡も入れずコンサートすっぽかし平気なのってなに? ユダヤ人にとって家族の生死の確認はそんなに大事なのか? 社会的信頼の問題だろ、これ。身勝手すぎ。そこまで突っ走らせるなにか、が犠牲者の詠唱にあるのか? それはなんなんだ? ポーランドの元カノも、捨てられたも同然ではないの? っていうか、なんでニューヨークに行ったんだ? そこで、結婚相手はどうやって見つけたんだか。ラビの指名するような女性と結婚した? それに、マーティンの彼女と不倫してたのか? それをいま、妻がマーテインに言うか? っていうか、マーティン失踪の真相も、もしかして知っていた? それはないかな。
とにかく、フツーの常識では考えられない話なので、どこにも同情も共感もできんぞ。ちゃんと手順を踏めば、ギルバートやマーティンを不幸にすることなく、自分の信念も貫けるだろうに。やれやれな話だよ。
イン・ザ・ハイツ12/6ギンレイホール監督/ジョン・M・チュウ脚本/キアラ・アレグリア・ヒューディーズ
イギリス/カナダ/ハンガリー /ドイツ映画。原題は“In the Heights”。allcinemaのあらすじは「マンハッタンのワシントン・ハイツ地区はラテン系の移民が多く暮らす街。小さな食料品店を営む青年ウスナビもそんな移民の一人。真面目に働いていればいつかは夢が叶うと信じていた彼だったが、現実は厳しく、いまは故郷のドミニカに移り住みたいと願っていた。そんな彼が思いを寄せるのはファッションデザイナーを夢見るヴァネッサ。しかしいつも相手にしてもらえず、親友のベニーにからかわれる日々。そのベニーは名門大学へ進学したハイツの希望の星ニーナに夢中。突然帰省した彼女との久々の再会に浮かれるベニーだったが…。」
Twitterへは「ラテンな歌と踊り(インド映画っぽい感じもあった)が派手につづくけど、断片的なエピソードばかりでドラマがなく話が単調。少し寝た。ラテン系の移民って、いまどき、そんな差別されてるのか? 」
見始めて、美容室の場面だったのはうっすら記憶してる。で、そのまま少し寝た。気づいたら、配車店で働く男のところに、店長の娘がやってくるところだった。疲れもあったけど、映画全体にドラマもなくて、ヒキがないのだよね。
アメリカのラテン系社会の話。ドミニカ、キューバ、トリニダード・トバゴあたりからの移民、不法移民が登場する。この中の、おもに2組のカップルの話なんだけど、とくに共感も感動もない。というか、なんで? アホなんじゃねーの? とか思ってしまうことが多すぎるのだ。
話はウスナビが子供たちを前にビーチで昔語りをしつつ、ミュージカルに戻ったり、また昔語りになったり、と狂言回し的な役割をしつつ進む。
1組は、そのウスナビとヴァネッサで、ウスナビは、食料品店の経営者なのか? あらすじ見て、ふーん、と思ったりした。使用人かと思ってたよ。少年ソニーとともに。ヴゥネッサはデザイナー志望で、いい部屋に移りたいけど資金難と保証がない? ベニーとニーナは、経営者の娘と従業員だっけか。父親は配車サービスを経営していて、ベニーは地元の期待を一身に背負ってスタンフォードに入学。でも挫折して戻り、父親に「学費納入期限が切れてる!」とかいってるけど、実は差別に悩んでた? よく分からん女。
この2組が接近したり離れたり、うじうじしつつ、踊ったり歌ったり。話の方はあまり頭に残ってない。
ウスナビはヴァネッサが好きなんだっけか? ヴァネッサはウスナビをどう思ってたんだろ。よく分からんまま話は進む。ベニーとニーナの関係では、ベニーが高校時代にニーナを振ったとか言ってたかな。それがまたくっつきそうになったり。なんか、2組の男女の関係は、あまりよく分からん。そもそもウスナビはヴァネッサが好きなのに、なんで故郷に帰ろうとしてるんだ? ヴァネッサは、最後近くにデザイナーの可能性が見えてきているのに、最終的になんでウスナビと結婚し、子供までつくってニコニコしてるんだ? ニーナは、学校で交換会にでたら、ラテン系だからウェイトレスに間違われてショック、なんていってたけど、いつの時代の話なんだ? 学業でついていけないではなく、そんなことが原因? あるいは、父親に学費を払わせるのが重荷? その学費と言えば、次学期の学費を捻出するため、父親は配車サービス会社の店を売ってしまうんだけど、大丈夫なのか? すでに店の半分を売ってしまっていて、今度は残りの半分を売ったんだろ? 来年再来年の学費は、どうするんだ? 意気揚々とニーナは学校に戻っていったようだけど…。
あと、ウスナビの雑貨店で売った宝くじの話があった。あのなかに9万6千ドルの当たりクジがあって、誰かが買ったってなことらしいが。せいぜい1千万円程度で大騒ぎするのが不思議。そんなの、一時的なものでしかないだろ。で、どうやらヴァネッサが当たりクジを引いてもっていて、ウスナビが家を引き払おうというとき見つけた箱の中に、ウスナビに、って書いて置いてたんだよな、たしか。なんでヴァネッサがウスナビにお金をくれてやる必要があるんだ? わかんねえなあ。
という、よく分からんエピソードばかりで、全体としての流れも主張もなくて、いまいち刺さるところがなかったのだった。こんな映画を、なんでギンレイでかけるのか。近ごろのギンレイの選択は、首をひねるようなのが多いんだけど。
アメイジング・グレイス/アレサ・フランクリン12/8ギンレイホール監督/アラン・エリオット、シドニー・ポラック脚本/---
原題は“Amazing Grace”。allcinemaの解説は「1972年1月にロサンジェルスにあるニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会で2日間にわたって行ったライブは、アルバム『Amazing Grace』として発表され、ゴスペル・アルバムの不朽の名盤として今なお多くの人々に愛されている。この伝説のライブはシドニー・ポラック監督によって撮影も行われ、ドキュメンタリー映画としても世に出るはずだった。しかし音と映像のシンクロに関する編集上の問題が発生し、未完のままお蔵入りとなってしまう。本作は、その後21世紀に入って技術的な問題がクリアされ、プロデューサーのアラン・エリオットがついに映画として完成させた音楽ドキュメンタリー。」
Twitterへは「個人的にはアレサってなに歌った人? どこが評価されてるの? なんだけど、その思いは見終わっても変わらず。歌われた曲は、どれもみな同じに聞こえたし。むしろ、教会ゴスペルのトランス状態が不気味だった、かも。」
先年亡くなったアレサ・フランクリンだけど、彼女の歌を挙げて見ろと言われても、何も浮かばない。メロディも、もちろん曲名も。だけど、全米TOP1はいくつもあり、世間的な評価もずば抜けて高い。これはなんなんだろうね。フツーのポピュラーでのヒット曲がないからなのか。あっても知らないだけなのか。あるいは、カバー曲が多いから? あるいは、この映画に描かれるようにゴスペルが大半だから? はたまた、音楽での評価ではなく、政治的・社会的発言力があってのことなのか。たんに知らないだけなのか。
※YouTubeで見たら、「Think」と「Chain Of Fools」のサビのところは、聞き覚えがあった。はは。
この映画は、彼女が30歳のときのものだけど、このときすでに超大物だったようだ。でも、映画の中で歌われる曲のほとんどを知らない。タイトルにもなってる『アメイジング・グレイス』は、ほぼ原曲のメロディラインはなくなって、詠唱的なものになっていた。
アレサが師と仰いだ歌手の名前も登場していたけれど、知らない。司会とピアノを演奏していたオッサンも知らない。まして、ひな壇で歌っていた面々や、演奏家たちも知らない。なので、見ていてとくに何も刺さらなかったし、記憶にも残っていない。アレサの歌の、どこがどういいのか。日本人でアレサを讃えている人たちは、みなさんちゃんと分かっていらっしゃるのか。それとも、世間的に評価が高いから自分も評価しておかなくちゃ、ということなのか。どうなんだろうね。口ずさめるアレサの曲は、あるんでしょうか、みなさん。
・かつて見た映画『アメイジング・グレイス』では歌の誕生話が描かれていたけど、中味は忘れた。allcinemaを見ると、「かつて奴隷船の船長をしていたニュートンがその罪を悔いて作詞したのが『アメイジング・グレイス』」とある。白人が作った歌を、この映画のように黒人が感動して歌うことに不自然さはないようだ。
・2日目の観客席にミック・ジャガーがいた。チャーリー・ワッツもいたらしいけど、気づかなかった。
・もともとシドニー・ポラックが撮っていたようだけど、やたらピンボケが多い。 ズーム多用も。なんでなの? しかもポラックの名前がクレジットにない? なんでなの?
・2日目の映像で、興奮した観客が制止されているような場面がチラリと写る。1日目の映像では、観客席から2人の女性がでてきて踊り出す場面が映っていて、ピアノのそばまで来てたように見えたけど、止められていなかった。あれは仕込みなのか?
幕が下りたら会いましょう12/8新宿武蔵野館3監督/前田聖来脚本/大野大輔、前田聖来
allcinemaのあらすじは「売れない劇団を主宰する劇作家の麻奈美のもとに、東京で一人暮らしをしていた妹・尚の急死の知らせが届く。尚が死んだ夜、麻奈美は劇団員たちと一緒にいて、尚からの着信を無視していた。妹に対する複雑な思いを抱えたままの麻奈美は、彼女の部屋を引き払うために、劇団仲間の早苗を伴い東京へと向かうのだったが…。」
Twitterへは「ミステリアスで意外性に富んだ展開の前半はヒキがあるんだけど、途中からエピソードや人物がとっ散らかり、ほったらかしのま情緒的な話の空回り。最後はいささかオカルトじみてくる。話のつくりが弱すぎる。」
演劇をやめられな30女の麻奈美。田舎に見切りをつけて東京に出て行く尚。かつて中学生時代に評価された芝居「葡萄畑のアンナ・カレーニナ」の台本が、麻奈美ではなく尚の作と知っている、麻奈美の同級生早苗。それをコンプレックスに思って来た麻奈美…。そうか。芝居の世界が背景か、と思っていたら、なんと呆気なく尚が急性アルコール中毒で某工場敷地で死んでしまう。おやおや。葬儀の場で知らされる、事実。尚は、実父が外でつくった娘で、それを母親が引き取り、実の娘として育ててきた。でも、麻奈美はそれを知らずにいままできた。一方の尚は、中学時代に自分の出自を知っていた・・・。
早苗と一緒に尚の部屋を整理に行くと、会社の同僚だったという女性がやってきて、NPO法人の男性とともに、尚の会社の上司をパワハラで訴える、というような流れになっていき、くだんの上司と対決することに…。というなんか、ざわざわした展開で、いったいどこに向かっているのか、この映画、なかなかミステリアス。と思っていると、流れがなんとなく妙な具合になっていく。
NPO男は演劇経験があるのか麻奈美に接近し、尚の追悼して芝居をしようといいだす。そこで麻奈美は、「葡萄畑のアンナ・カレーニナ」を正式に尚作として再演することにし、早苗主演で練習し始める。ところがNPO男は、売り出し中の役者がいて、話題性も花もあるから、と早苗を降ろすことになる。とくに異論もなく田舎にもどり、スギ薬局で働き始める早苗。売り出し中の娘は張り切ってるけど、麻奈美は心ここにあらずで、尚のことばかり考えている。
尚が死んだ工場へ行き、当日の監視カメラ映像を見せてもらうが、途中で飛び出してしまう。後日、この工場を再訪するけれど、いわくありげな工場長はほとんど機能しないまま、ただそこにいるだけ、の存在でしかない。ほったらかし。
香典袋の住所から、実父に会いに行くも、そこで腹違いの中学生娘と少し話しただけで、実父は登場せず、その娘もその場限りの登場だけ。ほったらかし。
と思っていたら、突然タクシーで3万円使って東京から戻ってきて、スギ薬局で働く早苗に「私たちで新作を上演しよう」ともちかける。どうやら、NPO法人男の企画した芝居の方は中止してきたらしい。NPO法人男も売り出し中の娘も、ほったらかし。フォローはない。
で、麻奈美は田舎で、昔の仲間と、自分と尚をモデルにした芝居を上演する。舞台中央には鏡のようなドアがあり、生身役の早苗と、尚役の女優がドアを行ったり来たり、尚役の女優を、早苗が後ろから抱きしめたり。なんなんだ。
そして、実家のパーマ屋の母親が聞く、尚の引くキャリーバッグのがらがらという音。上演会場でも、麻奈美が聞いていたっけか、キャリーバッグのがらがら音。オカルトかよ。
そもそも、麻奈美の尚に対する意識がほとんど描かれていないので、後半につれて大きくなる尚への思いが理解できないんだよね。尚が腹違い、と知ったのも最近のことだし。たとえば「葡萄畑」を自作、と主張しなかったのは、自分が婚外子であることを知っていて、それで控え目にしていたからなのか。それをいまさら感じて、申し訳なく思うようになった? そんな風には見えなかったけどね。むしろ、妹の作品を自作として発表した麻奈美の図々しさが目立つだけだろ。いまさら尚に対して抱きしめたい気持ちが湧いてきた、って、なんなんだよ。
・酒を強要した上司、NPO男、工場主、実父、義妹とか、登場させておきながらほったらかし、が多すぎる。もしかして、前半の流れはかっちり考えてつくったけど、後半は成り行き、で撮ったのかな、と思わせるような感じだった。
・似たような顔の娘が何人か出てきて、迷う。尚、尚の同僚、クラブで話しかけてきた女、売り出し中の役者娘…。区別がつかねえよ。
・NPO法人男が、どこかのクラブで芝居上演の発表会をするというので麻奈美も招かれて登壇する。そのちょい前に、麻奈美に話しかけてきた金髪娘は、あれは、後に出てきた売り出し中の役者娘?
・麻奈美が会った実父の娘(麻奈美の腹違いの妹)の母親は、苗の母親とは違うのか? 
ラストナイト・イン・ソーホー12/14109シネマズ木場シアター8監督/エドガー・ライト脚本/エドガー・ライト
原題は“Last Night in Soho”。allcinemaのあらすじは「ファッションデザイナーを夢見てデザイン学校に入学し、憧れのロンドンへと出てきたエロイーズ。寮での生活に馴染めず、ソーホー地区で下宿生活を始めることに。するとその晩、眠りについた彼女は、夢の中で60年代のソーホーに暮らしていた歌手志望の若い女性サンディとシンクロしてしまう。サンディの身体を通して華やかな60年代のロンドンを味わい、楽しい日々を送るようになるエロイーズだったが…。」
Twitterへは「霊感少女トーマシン・マッケンジーと妖しすぎるアニャ・テイラー=ジョイの2人を眺めてるだけでも十分なんだが。でも、またあの設定か…と少し萎えたところに、おお、な終盤で楽しかった。」
勇んでデザイン学校に入学してみたら、自作の服をダサイと言われ、仲間はずれ。同室の女子は早速男連れ込んでバコバコし始める…。で、部屋を探して移ってみたら、毎夜のように60年代ロンドンのクラブに迷い込む。エロイーズと対をなすような金髪娘が登場し、歌手にしてやるというイケメンとつきあい始めるが、次第に亡霊につきまとわれるようになる。という導入は、学園もの+タイムスリップ+ファンタジーが混じったノワール感覚で、華々しい部分と怪しいところがまじってスリリング。とはいえ、そのうち夢の中のサンディはエロイーズの多重人格がつくりだした別人格なのでは? と。もともと霊感が強く、自死した母親の姿を見る力があるとはいえ、母親はうつ病で自死らしいので、ますますそう思う。では、エロイーズにまつわってくる亡霊たちはなんなんだ? 図書館で、エロイーズが元同室の娘をハサミで刺そうとするところなどは、妄想の暴走としか思えないし。このあたりは、話の行方が茫洋として、ちょっと退屈だったかも。
毎夜の妄想に自室が怖くなり、浴室で寝たり、帰りが遅くなったり。学友の黒人青年を部屋に招き、事に及ぼうともしたけれど、またまた妄想。さらに、音を聞きつけて大家ババアがやってきて青年が追い返されたり。
「この部屋で、以前、死んだ人がいるんじゃないの?」に、ババアの「ロンドンで、人が死んでない部屋なんてあるわけないわ」が、なかなかいい切り返し。
妄想は、イケメンに犯されたサンディが、イケメンを刺し殺す当たりから血なまぐさくなって。さらに、幾人もの男たちがベッドの上で殺されていくイメージになる。そして、殺されて部屋の壁に塗り込まれていくイメージが。おお、そうか。多重人格や妄想はミスリードのためで、実は、このベッドで殺された男たちの成仏できない霊が、霊感の強いエロイーズに訴え出てきていたのか! 
むかしはこの屋敷で女中をしていたけれど、金を貯めて屋敷を買い取り、いまは下宿の大家をしているババア。サンディは彼女の若かりしころの姿で、詳しくは分からんけど、歌手にもなれず、イケメンに犯され、男たちの相手をしていたけれど、怒りが爆発して男たちを殺しまくった、ということなのだろう。
黒人青年はババアに刺され(だっけ?)、理由は忘れたけど部屋に火がつき、危ういところを救出されたエロイーズと黒人青年。ババアは焼死したのかな。という話で、実は、からの展開が面白かった。とはいえ、亡霊が霊感者をつかって復習するというのは安手のホラーにもよくある話で。この映画のキモは2人の女優だろう。垢抜けないエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)がある日、髪を金髪に染めてアイシャドウみ濃くし、サンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)の外観に近寄って行くなど、操られている感がでてる。
とはいえ、まだ生きている大家ババアの若い頃=サンディがイメージとして登場するというのが、ちと解せない。ババアが死んでいて、それでエロイーズに乗りうつるなら分かるんだけど。では、殺された男たちが抱く恨みの対象イメージがエロイーズに描き込まれた、ということなんだろうか。
・エロイーズが図書館で元同室女子を刺そうとしたのは、殺人未遂にならんのか?
ベル・エポックでもう一度12/14ギンレイホール監督/ニコラ・ブドス脚本/ニコラ・ブドス
フランス映画。原題は“La Belle Epoque”。allcinemaのあらすじは「すっかりデジタル化の波に取り残されたかつての売れっ子イラストレーター、ヴィクトル。仕事を失い、妻のマリアンヌにも見放される冴えない日々を送っていた。そんなある日、息子から元気を出してほしいと“タイムトラベルサービス”をプレゼントされる。それは、大規模な映画のセットを使って客の戻りたい過去を再現する体験型のエンタテインメント・サービスだった。ヴィクトルは監督を務めるアントワーヌに希望を聞かれ、運命の女性と出会った1974年のリヨンをリクエスト。こうして、アントワーヌの恋人マルゴ演じる“運命の女性”を相手に、忘れられない思い出の日々を再体験するヴィクトルだったが…。」
Twitterへは「冒頭からよく分からず。人物多くて飯食った後もあってすっかり寝てしまう。起きて、なんとなく設定は分かったけど、でも、やっぱ内容はよくわからず。自覚して『トゥルーマン・ショー』やってる感じなのか? もう一回見るか。な感じ。」「ベル・エポックったら世紀末〜デコ以前なのに、1970年代でなんでベル・エポックなんだ?」
17世紀の貴族の会食みたいな場面で、黒人蔑視の場面があって、と思ったら銃を持った男たちが乱入してきて、なんなんだ? とか思いつつ。人がごちゃごちゃ登場するけど、なんのことやら分からず、そしたら昼食後のせいもあってすっかり寝てしまった。起きてからは、オッサンが若い女性を昔の妻、という体でつきあっていたり、現在の妻が登場したり、撮影室のクルーが映ったり。早いテンポで人物は入れ替わり立ち替わり、誰が何をどうしているのか、やっぱりよく分からない。なんとなく、少しずつ、すべてを役者が演じている世界でオッサンが昔を懐かしがってる、らしいのは分かった。きっと寝てる間にちゃんとした説明があったのかも知れない。
で、見終えてからあらすじを見て、ふーん、そういう話だったのか。しかし、映画のセットなんてあんな感じじゃなくて、壁は2方向ぐらいしかなくて、周囲にカメラやスタッフがうじゃうじゃいて。映すのは役者のためではなく、観客のためであって、登場する人間がその世界に浸れるようなもんじゃないはず。だけどそういうことは無視して、どっかに小型カメラが仕込んである部屋、てな体で撮影が進む。スタッフも、どっか離れた部屋で指示している。非現実すぎて、アホか、な感じだ。設定は、そういうのもあり、としても、もう少しやりようがあったんじゃないのかね。ギンレイだから、またもう一度、見に行くか、も。
・ベル・エポックっていうタイトルだから、あの時代にタイムワープ、かと思ったら違うのでがっかり。昔懐かしいい時代、という意味で使ってるのかね。
由宇子の天秤12/16キネカ大森1監督/春本雄二郎脚本/春本雄二郎
allcinemaのあらすじは「3年前の女子高生自殺事件の真相を追うドキュメンタリー・ディレクターの由宇子は、局の方針とぶつかりながらも、真実を追求すべく真摯な取材を続けていく。そんな中、学習塾を経営する父からある衝撃の事実を告げられる由宇子。思いもよらぬ形で自らも当事者という立場になってしまったことで、ドキュメンタリー・ディレクターとして常に真実を追い求めることを矜持としてきた自らの信念が大きく揺らぎ始める由宇子だったが…。」
Twitterへは「いろんな意味で息苦しい話だった。」
由宇子はフリーのドキュメンタリー演出家なのかな。編プロの社員な感じでもない。富山が局に出入りしてて、その富山のスタッフ、なのかな。富山は個人営業の編プロなのかも。撮影の仕事がないと、父親の塾を手伝ってる。はたして収入は、どんだけ? 知らんけど。
いま追っているのは、女子高生の自殺と、それに絡んでの教師の自死。女子高生の父親はイジメと学校の隠蔽を疑っている。この女子高生と関係があったのでは、と疑られていた教師がいて、彼の妻は夫の潔白を主張する。けれど、この事件についてはあまり詳しいことは描かれない。でまあ、由宇子たちはイジメを疑い、教師の自死については報道にも責任があった、という視点で絵づくりをしてる。ラッシュを見た局の偉いさんは、「報道」という言葉を削除するよう求めるが、由宇子はお構いなしに女子高生の父親、教師の母と妻にインタビューをつづける。てなとき、塾で女生徒・小畑萌が嘔吐し、由宇子に「妊娠してるかも。あいては木下先生…」とぽろり。おお。とんでも展開だな、この映画。
問い詰めると(このとき、父親に向けてスマホのカメラを向けるのは職業病か)父親は白状し「萌の父親に話をする」という。由宇子は、「示談が成立しなくて告訴されたらどうなる? 塾はなくなり、生徒たちにも影響が及ぶ。私は背負っても、私の仲間にも影響が及ぶ。いま撮ってる作品は20日後にオンエアの予定。それまで待って」と。どんづまりの由宇子。たんに父親個人の問題ではない。筋を通せば、影響は大きい。それは、現在取材中の、自死した教師の母や妻の現状がアナロジーとして提示されている。ネットで住所が暴かれ、書き込まれる。転居の繰り返しだから。
とはいっても、ここもネット被害を少し過剰に描いてるかも。友人知人親戚からは生涯白い目で見られるだろうけれど、ネットの住人は、その本人についてはしつこく調べてアップするだろうけど、家族まで延々と追わないんじゃないのかな。まあいい。
とにかく。由宇子の、事実を追及するという姿勢が、いざ自分が加害者側となって、もしかしたら取材される側になるかも、となると、揺れる。保身を考える由宇子を責められるか? ムリだ。
どんづまりで、由宇子は知り合いの医師に、外国製の堕胎薬をすがる。ところが医師が超音波で見ると子宮外妊娠で、入院が必要、となって、デッドエンド。策はつきた。さてどうする。
萌は、「私、フツーにもどれるかな」「学校にも親にも知られたくない」「大学行きたい。ムリだけど。フツーに就職してえ」などと、なかなか幼い。そして、萌自身が木下を恨んでいないようなのが、少し不思議。萌の父親の存在も変で、ガスが止められてるのに平気だったり。萌は父親を嫌っているけど、父親は可愛がってる風。金がないというのに塾? と思っていたら、萌が、バイト代で塾代を出すから、と言ったらしい。ガスが止められてるなら、バイト代を家に入れろ、ぐらい言いそうだけど、そうでもない。萌は絵が好きで、部屋にキャンバスがあったから、油絵も描いているのか。父親はビラ配りしてたり、定職がないのか? なのにちゃんとした家に住んでいて、あれなら部屋代10万以上しそうだ。
由宇子は萌の家に出入りし、家庭教師役をしたり料理をつくったり、申し訳なさを全力で表して、萌になつかれ、父親にも感謝される。うーむ。由宇子の背徳感たるや、どんなだろう。でもまだドキュメンタリーづくりはあきらめず、教師の母親の話も撮るし、妻の家に行って、幼い娘とトランプしたりして仲良くなったり、追及はつづける。あの状況、自分なら吐いちゃうかも。というか、自分が死にたくならないか? と思ったりしながら見てた。
結局、ドキュメンタリーの方は「報道の責任」部分はカット。だけど、ボスの富山は、局の契約社員になれたようで御機嫌の様子。まあ、これからは真実よりも、局のお偉方のケツでも追っていくことになるんだろう。
なんてとき、塾の生徒の男子が萌の家から出てくるところにでくわす。男子曰く「萌はウリをしてる。言ってることは嘘ばかりだ」と。この言葉に、由宇子はぐらっときたんだろう。だけど、その気持ちはしまったまま、由宇子は萌と、父親がくれた映画の券で(どこで手に入れたんだろう?)、映画館に向かう。その途中、富山から電話があり、「教師の妻が、自分と母親の登場場面をカットしてくれと言ってきた。お前じゃないとダメだから、至急来てくれ」と呼び出される。行ってみると、妻が泣きじゃくっていて、スマホを見せる。そこに、教師が嫌がる女子高生を犯そうとしている音声(映像もかな?)が流れて…。おお。なんていう展開。
どうなった? という富山に、スマホの音声は伏せたまま、「事実誤認があったから、あのドキュメンタリーは流せない」と。クルマで寝てしまっている萌を起こし、運転中、由宇子は腹に収めた疑惑と、一縷の救いに頼ってか、「お腹の子の本当の父親は誰?」と問うと、萌はクルマから飛び出してしまう。追う由宇子。でも、車道に倒れた萌は、通りかかったクルマに轢かれて・・・。おお。なんという展開。
病院に行くと、萌の父親が申し訳なさそうにしている。なんて気のいいオヤジなんだ。『空白』のクレームオヤジとエライ違いだよな。木下、由宇子ともに、申し訳なさと呆然な感じ…。由宇子は、欲しがっていた時計を萌の枕元に置くけれど、父親は「80点取ったら俺が買ってやりますよ」とにこやかに言う。人がよすぎないか、このオヤジ。
この前後に、富山からドキュメンタリーの放送中止がつたえられたんだったか。
送っていく、という父親の申し出を断り、いったんバス停に向かう由宇子が、つと引き返し、「妊娠させたのは私の父親です」と謝罪する。おお。ついに。と思ったら、激しやすい父親らしく、いきなり由宇子の首を絞め、倒したまま去ってしまう。動かない由宇子。ええ? 死んじゃうの? と思ったら、息を吹き返して。自分をスマホで撮る、という場面で映画は終わる。
なんていう展開だ、と思ったけど、最後の20分ぐらいはムチャクチャな感じがありすぎて、なるほど感がなさすぎだ。だって、
・教師の妻のここになっての告白は、あり得んでしょ。教師の遺書も妻が書いたとか、話が乱暴すぎ。いままで耐えてきた母親、教師の娘は、どうなるのだ? 事実は由宇子の腹にだけしまわれるのか? 由宇子は、それでいいのか? 教師の妻は、嘘は耐えきれない、ということなのかも知れない。かといって、広く告白はできない。せめてドキュメンタリーでの嘘はやめたい、ということなのか? なら、ハナからドキュメンタリーへの出演なんかやめておけばいいのに。
・由宇子が萌の父親に告白したのは、ドキュメンタリーがオンエア中止になったから、なのか。中止にならなければ、告白しなかったのか? 
・今後、萌の父親と木下はどういうことになるんだろう? 示談? 告訴? いずれにしても塾は閉鎖だろう。噂は広がり、由宇子は取材される側にまわることになるはず。だからなのか? 最後に、首を絞められた自分を撮っているのは? 今度は、自分がドキュメンタリーの出演者になるのだ、と。そこには、由宇子が撮った、父親の告白場面も使われるのか? すべてをあきらかにするドキュメンタリーを撮ろうというのか? そしたら、どうなるのだ? 
・そして、萌の意識は戻るのだろうか? お腹の子は、死産なのか? 生きたままなのか? もし死産だったとしたら、それは由宇子の、萌の父親への告白を後押ししたのか?
などなど、いろいろ問題山積みのまま終わってしまったよ。
不随意の共同体 - 現代家族12/20仲町の家監督/岩井成昭撮影・編集/岩井成昭
HPの解説は「ある家族のアイデンティティや関係性を維持するためには、その家族だけが理解する作法やルールがある。フィリピン、タイ、インドネシアに暮らすさまざまな階層の家族に取材し、その作法やルールの持つ法則性を10編の日常的かつ些細なエピソードから捉える。それらは時に、文化的背景や世代間の断層となって顕在化する。」
『イミグレーション・ミュージアム・東京 多国籍美術館 「わたしたちはみえている - 日本に暮らす海外ルーツの人びと -』(2021.12.11〜26) という展示会(北千住BUoY、仲町の家)で、仲町の家で上映されたビデオ作品。短編がつぎつぎと上映される。各編は、とくにつながりもない。
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I 「一週間に一度」(5分30秒)解説文に「バンコク、仏教寺院の生活保護区で収録。幼い娘と父親は、毎週必ず同じ場所で五分間だけ髪を切る。」とあるけど、ただ髪を切ってる場面だけがだらだらつづくだけ。少女はキティちゃんが好きなのか。
II 「アレックスの作法」(3分08秒)解説文に「フィリピン・ルソン島北部の町に婿入りしたアレックスに残る南部の習慣とは」
III 「読書の時間」(3分55秒)解説文に「「信仰心は年齢についてくる」・・両親はいつまで寛容でいられるのか」とあるけど、女の人がベランダみたいな所で雑誌を見ているだけ。
IV 「二人暮らし」(4分30秒)解説文に「立退きを勧告されている住宅。しかし、一人の住人にとっては思い出以上に大切なものはない」とあるけど、どういう映像だったかもう忘れた。
V 「本質的代役:マニーの場合」(3分54秒)解説文に「フィリピンでは人口の10人に一人が海外で働いている」とあるけど、どういう映像だったか忘れた。
VI 「アリ・ディナの野望」(3分10秒)解説文に「最近のジャカルタでは、多数派の世俗的信仰から離れて原理主義に憧れる若者も多い」とあるけど、どういう映像化忘れた。
VII 「ウインドチャイム」(3分24秒)解説文に「バンコクの下町に自然発生したコミュニケーション・センター」とあるけど、忘れた。
VIII 「礼拝の朝 」(3分23秒)解説文に「メトロマニラに住む全員女性の三世代同居家族のスナップ」とあるけど、家の中から玄関口を撮ってるだけの映像、だっけか? 猫がずっといたのを覚えてるけど。それともバトミントンしてるところだっけ? 
IX 「ガリブ家の記念日」(3分27秒)解説文に「次男のガリブが突然思いついた記念日」とあるけど、どんな映像だったっけ? 
X 「羽と卵」(4分02秒)解説文に「週末ごとに帰宅する姉妹。恒例の行為に宿る幸福感」とあるけど、ゆで卵を炒めてるだけの映像。
あと、覚えてるのは、赤ん坊と一緒に礼拝に出ている若いお父さん? 家族の食事風景だけ、とか。監督はアートの人なので、ビデオアートのつもりなんだろう。でも、場所もなにも字幕でないし、説明文もないので、どの映像がどの国のものか良く分からない。で、つまらない。↑の解説や説明も、見終えてからWebから拾ってる。
インドネシアらしい家の壁には、オピーの絵が貼ってあったり。ほかにスピルバーグの『A.I.』のチラシが貼ってあったり、なにかのイベントのTシャツを着ている人がいたり。いずれも上流階級な感じだな。一般論として理解するのは、どうなのかな、とか思った。
Journey to be continued -続きゆく旅-12/20仲町の家監督/岩井成昭撮影・編集/岩井成昭、西村明也
HPの解説は「岩井成昭が岐阜県可児市に滞在し、美術表現を用いたアプローチで外国につながる青少年との対話を試みた記録である。用意された巨大なキャンバスに彼らは躊躇うことなく向き合い、色や形で見るものを圧倒するような表現を生み出していく。そこには彼らの本国における経験や日本の暮らしに対する不安や希望が交錯する。」
14歳ぐらいから21、2歳ぐらいの男女が、思い思いに巨大な絵を描くシーンから始まる。フィリピン、ブラジルが主な様子。彼らは日本の学校に通っていたり、止めてしまったり、いろいろ。
あとは、各自のインタビュー。自分の過去、家庭生活、学校での外国人ゆえのイジメ。あと、日本人教師と、教え方に対する討論もあった。これが興味深かった。日本人女性教師は、「ポルトガル語を使うな、日本語だけで学べ」という主義。でも、生徒の日本語能力は個人によってまちまちなので、分かっている生徒が分からない生徒に教えた方がいい、と主張する。でも、その「授業中のポルトガル語は、他の人には雑音になって、彼らは授業に集中できなくなる」と教師は言う。教師は、「じゃあ、教科書を2行読んだら、情報共有する時間を少し作り、また2行、ということにすればいいの?」というのだが、自ら「私はみなさんに、授業に集中して欲しい。集中することで理解につながる」というのだ。精神論だろ、これ。この討論中も、日本語で上手く表現できなくなった女生徒が、より日本語が上手い女生徒にポルトガル語で話し、彼女に日本語で伝えてもらう、という場面が発生していたのは、皮肉である。
未来への夢を語る生徒。中学だけで終えたけどいまは後悔している、という生徒。ブラジルでは50、60で大学に行って、新たな職を得る人がいる、そっちがホントじゃない? という生徒。日本人は親を大切にしないけど、あれは信じられない、自分の国なら親に殴られても当たり前、という生徒。
日本に憧れてやってきた生徒に冷たい日本人。なかなか興味深い内容だった。
モロッコ、彼女たちの朝12/23ギンレイホール監督/マリヤム・トゥザニ脚本/マリヤム・トゥザニ
モロッコ / フランス / ベルギー映画。原題は“Adam”。allcinemaのあらすじは「夫を亡くし小さなパン屋を一人で切り盛りしながら幼い娘を育てるアブラ。日々の生活に追われ、すっかり笑顔を忘れていた。そんな彼女の前に、仕事を求めて現れた一人の妊婦サミア。イスラーム社会ではタブーとされる未婚の妊婦は仕事も住まいも失い、街をさまよっていた。人を雇う余裕はないと、一度は追い返すアブラだったが、行き場もないまま道端に佇むサミアを見かねて家に招き入れる。パン作りが得意なサミアの存在は、塞ぎがちだったアブラ母娘に思いがけない明るさをもたらし始めるのだったが…。」
Twitterへは「題名通りモロッコが舞台。彼の地においてはふしだらで、図々しく、態度の大きな居候の女性の話だった。音楽断ちをして喪に服しているつもりの未亡人が、かつての音楽を聞くと腰が自然と動いてしまうのがおかしかった、かな。」
話は↑のあらすじ通りで。サミアのつくる焼きそばみたいなのが人気で売上を伸ばしたり。それでサミアは居着いてしまう。子供は、自分で育てるつもりはないようで、福祉課のようなところを通してどっかの養子に出すつもりのようだ。最初は、私設の人買いのようなところでもいいようなことを言っていたけど、アブラが駄目だと言ったんだっけかな。でもって、いよいよ出産、ということになって、その朝、サミアが店からいなくなったところでプツリと映画が終わった、んだったか。どうなったのかは描かれてなかったと思う。あのまま戻ることはないということなんだろう。子供の手間がなくなって、たぶんまた若い娘のつもりになって、男遊びをするんだろうな、と思わせるような終わり方だった。サミアになついていたアブラの娘は、悲しむのかな。アブラにちょっかいだしてたオッサンは、アブラと結婚できたのかな。よく分からんけど、すべてに中途半端な描き方で、映画の見せ方をあまりよく知らないようなつくりだった。
ベル・エポックでもう一度12/23ギンレイホール監督/ニコラ・ブドス脚本/ニコラ・ブドス
フランス映画。原題は“La Belle Epoque”。allcinemaのあらすじは「すっかりデジタル化の波に取り残されたかつての売れっ子イラストレーター、ヴィクトル。仕事を失い、妻のマリアンヌにも見放される冴えない日々を送っていた。そんなある日、息子から元気を出してほしいと“タイムトラベルサービス”をプレゼントされる。それは、大規模な映画のセットを使って客の戻りたい過去を再現する体験型のエンタテインメント・サービスだった。ヴィクトルは監督を務めるアントワーヌに希望を聞かれ、運命の女性と出会った1974年のリヨンをリクエスト。こうして、アントワーヌの恋人マルゴ演じる“運命の女性”を相手に、忘れられない思い出の日々を再体験するヴィクトルだったが…。」
Twitterへは「2度目。前回は分かりにくくてかなり寝たけど、今回も少し寝てしまった。ごちゃごちゃしてて分かりにくいよ。あー、それから、ベル・エポックってのは、今は冷めてしまった夫婦が、かつて通ったカフェの名前だった。なーるほど。」
2度目である。前回よりは話の流れはわかったけど、印象深い場面があったかというとそんなことはなく。基本的に設定や人物が分かりにくいのは同じだった。そもそも、妻と過ごしたよき思い出の日々を映画として撮るというのがアホらしい。セットはセットで現実ではないので、本人がその世界に浸れるはずがない。相手は役者なんだし。あれがVRみたいな感じになっていて、そのVRの映像と現実の人間が重なって生身を感じさせてくれ、街も住まいもすべて過去と同じようにつくられた世界の中で過ごす、というのだったら別だけどね。でも、そこまでいくと心身がおかしくなってしまいそうで怖いかも。
香川1区12/27シネ・リーブル池袋シアター2監督/大島新撮影/高橋秀典
allcinemaの解説は「2021年秋に行われた第49回衆議院議員総選挙に焦点を当て、過去1勝5敗と小川淳也議員が辛酸をなめてきた“香川1区”で、地元のメディア王一族として君臨する初代デジタル改革担当大臣・平井卓也議員の牙城に挑む小川議員に密着し、予測不能の選挙戦の行方を見つめていく。」
Twitterへは「事実はシナリオのあるドラマより面白い。156分があっという間。熱血小川淳也vs四国新聞社の御曹司で初代デジタル大臣平井卓也という図式。小川の暴走とトラブル。ダークな平井…。監督大島新の大博打大成功。」
『君はなぜ総理大臣になれないのか』の続編である。小川は、少し前の立憲民主党首選に出馬していた。破れはしたけど、あの小川淳也が党首選に!? と、少し驚いた記憶がある。だって、あんな映画に出たりして、存在としては王道ではないだろう。党派も組んでないようだし。な小川の選挙区が香川一区だったのか。よく知らなかった。そして、そこで初代デジタル改革担当大臣・平井卓也との一騎打ちが、これまで行われてきていたこと。そして、今度もそうだったことを。とはいえ、勝ったことだけは知っていた。結果は分かっている選挙戦。もちろん告示前の初夏ぐらいから準備が始まり、その辺りからドキュメンタリーが始まる。
秘書のひとりは地元に住まいを移す。地元の後援会も活動を開始する。50歳になったら引退を考える、といっていた小川は50歳の誕生日を迎える。どう向き合うのか。さらに、監督の大島新は、平井卓也にインタビューを申し込み、快く対応してもらっていた。あの場面を見ただけでは、平井は心の広い、いい男じゃないか、と思ってしまったぐらいだ。だけど、告示前に本格的な選挙戦が始まると、いろいろときな臭いことが起こってくる。これが、シナリオを書いてもこうはならないだろう、というようなドラマチックで目が離せない。
自民vs立憲民主のところに維新の女性候補者が立候補を表明する。これに対して小川が「立候補を取りやめてくれ」と申し入れに行ったことが大炎上し、ネットで叩かれまくる。落ち込む小川。これに、旧知の政治評論家が「あんたが間違ってる」というと、「そうしなくちゃいけなかったんだ!」と語気を強める。おいおい。大丈夫か。と心配になるほどだ。ここまで理想論を語ってどうするんだ。と思うけれど、小川の人気は、こういうところにあるのかもな、と。
のちに、維新候補者には自民も立候補取り下げを申し入れていて、それは小川より先だったことも分かる。けれど、非難の的は小川にだけ降りかかる。というのも、平井の実家は四国新聞の社主で、小川のPR紙ともいえるかららしい。影響力のあるマスコミをもち、平井に都合よく、小川に意地悪な記事を書く四国新聞。「なんで直接取材しないで記事を書くんだ」と四国新聞の記者に小川が話していたけど、記者はへらへら笑ってる。まあ、書いた本人かどうかはしらんけど。
告示後、街頭演説で平井は『君はなぜ総理大臣になれないのか』について「あんなPR映画」呼ばわりする。映画は見ていない、といっていたのに。遠くから大島監督が「PR映画はないでしょ」と非難するが、とどいたのかどうか。平井のそばには、NHK記者がピタリとついている。いったいどういう関係なのか。
さらに、平井の街頭演説を取材しようとすると、執拗にからんでくるヤクザっぽいおっさんがいて、この映画のプロデューサーにいちいち文句をつけてくる。「警察呼ぶぞ」ということで、プロデューサーが警察に行くと、取材はOKといわれ、逆に「脅されなかったか」と心配してくれたという。ほかにも、岸田首相が応援に来たのを取材しようと入口まで行くも、平井陣営のオッサンらに拒否されたり。なんか、こういうのをみていると、平井側は旧態依然の昔風スタイルで選挙しているのがよくわかる。あんな具合に敵陣営に閉鎖的では、これからの選挙はいいのか? と思えるほどだ。その極致が、平井陣営から会社ぐるみで選挙に行くよう指示された市民の1人のリークだった。どうやら社員たちは、投票後にビルの一室に行き、どこどこ会社の誰々、とサインをしてくるシステムになっているらしい。選挙違反すれすれ? そのビルから出てくる人に大島監督がインタビューする音声まで流れて。まるで昭和の昔の田舎の選挙みたいだなあ、と。
てな感じで。でも、選挙は小川がわりとリードして勝利。その場面は、小川事務所で撮られていて、8時になって開票結果をまつ小川たちが椅子に座っている場面で分かるんだが、これがいまいちピンとこないモノだったのが残念。というのも8時のニュースで、テレビのアナウンサーの「自民は単独過半数が難しい状態」と話したすぐ後に、小川のまわりの支援者がいきなり立ち上がり、うわー、と拍手するのだよ。なので、単独過半数が難しい、に拍手してるのか、と思ったらそうではなく、どうやらいきなり小川の当選がつたえられたようだ。でも、テレビ画面が写らないから、観客には何のことやら分からんのよ。あとから一瞬、テレビ画面映るけど。あれはカメラの撮る方向が間違っていたかも。もう一台、テレビを映してないとなあ。
てなわけで、告示以前から小川に貼り付いて取材をつづけた大島新の賭けが大当たりした感じ。とても面白くて、長さを感じることなく見られた。
・誰かが「議員になる人はヒューズが飛んでる」と言ったら、小川が「いや、自分でヒューズ飛ばさなくちゃできない」と言ったのが興味深い。
・選挙戦で小川は相変わらず「本人」の幟を立てた自転車に乗る。娘は「娘です」、妻は「妻です」のタスキをつけて現場に出る。よくやるよなあ、と思う。これは、なんだかなあ、な感じ。そんなに父親が、亭主が議員になるのが嬉しいのか? と。
・地元の支援団体が、昔の人ではなく、無印風なオシャレファッションの奥さんたちで。いかにもカルチャーしてますな感じで、気持ちが悪い。あの手の連中は流行り物が好きで、離れて行くのも素速いと思うんだけどなあ。でもまあ、 「必勝!」ではなく、有権者の声をカラフルに選挙事務所に貼ったりしているのは、いいんだか、悪いんだか。な複雑な気持ちになった。
・選挙演説中、街頭で声をかけてきた女子高生2人と男子高校生2人に真摯に対応する小川の姿は、なかなかいい。
・住民と近く、声を聞く小川の様子。いっぽう平井側は、動員かけられた既製の応援団で、距離も遠く、一般の有権者との壁になっている。そして、右手を挙げての勝ち鬨は古くさい。
私はいったい、何と闘っているのか12/29テアトル新宿監督/李闘士男脚本/坪田文
allcinemaのあらすじは「地元に愛されるスーパー“ウメヤ”で働く45歳の伊澤春男は、スタッフの信頼も厚く、店長にも頼られる存在ながら役職はずっと主任のまま。それでも家ではしっかり者の妻と3人の子どもたちに囲まれ幸せな日々を送っていた。しかし、一見平凡そうな春男だったが、実は常に空気を読み周囲に気を遣いまくっていた。彼の頭の中はいつも戦場となっていたのだった。そんなある日、思わぬ形で店長昇進の可能性が舞い込んでくる春男だったが…。」
Twitterへは「店長になれずとも立派な一戸建てに住み妻と3人の子を育ててるんだから文句ないだろと思うんだが。共感できる人物も登場せず、笑いも先が読めてしまう。怪しい過去はとってつけた感じ。ファーストサマーウイカと白川和子がいい。」
底が浅いというか、先の読めるギャグなので、あまり心から笑えないんだよね。それに、主人公の春男には、ひとつも共感するところがないし。だって、45歳で地域のスーパーの主任で、でもいつかは店長に、って思う気持ちがまったく分からないから。まあ、設定としてそうしてるだけなのかも知れないけど、だからこそ真実味がないからつまらんのだと思う。
春男と妻の、謎の過去も小出しにして知らせていく。妻と娘二人、息子の5人家族。みなに慕われて家では幸せなはずの春男。でも、次第に分かってくるのは、娘は実子ではないという事実。なのに、娘二人はあっけらかんと春男になついてる。上は二十歳過ぎ、下は女子高生なのに。で、沖縄から送られてきたなぞの航空券。
てっとりばやくいうと、妻にはかつて恋人がいて、その子をなした。一度別れたけれど、(この頃なのか、春男と出会ったのは?) またくっついて、お腹にまた子が…。そんな妻と5歳ぐらいの長女と、お腹にいた次女込みで扶養家族にした、ということらしい。にしては妻はとくに悪びれもせず、娘たちも屈託がない。で、航空券は、妻の実家から送られたもの? かつての恋人が妻に送ってきたもの? どっちだっけ。で、娘二人は沖縄に行くが、実父に会うのでは? と春男は心配しつつ、ついていく。けれど娘たちはヘラヘラ遊んでいるだけで、気配はない。でも、たまたま手紙の金城なにがしという名を覚えていた春男は昔の男探しをするが、見つからない。なんだけど、最後に乗ったタクシーの運転手がその金城なにがしさんで、偶然の再会となった。けれど、娘二人は気がつかず。春男は、独り言のように、運転手の金城さんに話をする、という、アホな展開で。ぜんぜん感動的ではない。
いっぽうのスーパーの方は、店長が突然死で、昇格できるかと思ったら、本社の経理男が店長としてやってきて。そのサポートをすることになる。いや、こんな人事をするスーパー、あるのか? だよな。でも、別の店で店長を、という声もあって、少し舞い上がるけれど、店員が気の毒なオバチャンに、レジ打ちしないで商品を渡していたのを別の店員に告発されて、店長話は流れてしまう。まあ、人がよすぎるのかしらんが。
その後、最後、どうなったんだっけ。別の店でも主任のままだったんだっけ? 店長になれたんだっけ? 覚えてないよ。
・女子店員で淡々と無気力風な高井役のファーストサマーウイカがよかった。
・白川和子は、春男がたまに行く食道のババアだけど、影がありそうで何もないのがちょっと残念。
・長女の結婚話は、どーでもいい感じ。
・ボーダー柄のプルオーバーがよく出てきたな。あの家族はボーダーが好きなのか?
・妻が、息子に食べさせていた五家宝という菓子は亭主の実家のお土産で、埼玉の熊谷あたりの名産らしい。興味なし。
悪なき殺人12/30新宿武蔵野館3監督/ドミニク・モル脚本/ジル・マルシャン、ドミニク・モル
フランス / ドイツ映画。原題は“Seules les betes”。Google翻訳は「獣だけ」。英語タイトルは“Only the Animals”。allcinemaのあらすじは「フランスの山中の寒村で、一人の女性が失踪する。近くに住むひとり暮らしの農夫ジョゼフに疑いの目が向けられる。さらに、ジョゼフと不倫の関係にあるアリス、その夫のミシェルら、それぞれに秘密を抱えた男女の運命が、いつしか複雑に絡まり合っていくのだったが…。」
Twitterへは「おお、それで、ええっ? ははあ、なるほど、ふーむ、そうなるの、ほほう。な感じで時制を遡りつつ伏線回収していくのは、ミステリアスで地域を広げた『運命じゃない人』と似てるかな。世界は偶然が支配するのだ!」
冒頭は、シカみたいなのを背負って自転車に乗る黒人青年。これ、意味がよく分からず。
雪。クルマでカウンセリングに向かう女性、アリス。ニュースは女性の失踪事件を報道する。乗り捨てられたクルマの脇を、アリスが通過する。ジョセフはおらず、納屋に行くと犬の死骸が…。ジョセフが登場し「誰から撃たれた」と。さて、アリスはジョセフの相談にのるのかと思ったら、アリスの方から押しかけたらしく、なんとジョセフにまたがってセックスし始めてる。が、ジョセフは心ここにあらずな感じ。
アリスの亭主は農場を経営してるんだったかな。アリスの口座から金を借りたとかいう。ある日、鼻血をだしてもどってくる。
次はジョセフが主人公で、裏庭に打ち捨てられた死体を納屋に隠し、同衾する。屍姦はしないのでネクロフィリアではないのかもしれないが、愛おしく見ている。その遺体に犬が吠え、納屋の奥から引きずり出そうとする。ジョセフは犬を撃ち殺し、遺体を山中に背負っていき、穴に落とすと、自分も穴に落ちていく…。どうなるんだ?
次はレストランで、遺体となった中年女性に若いウェイトレス(マリオン)が対応している。2人は初見なのか旧知なのか知らんがレズビアン関係になって。マリオンは夢中になるが、女性エヴリーヌは「夫がいるから」と去って行ってしまう。マリオンは、どうやったのか知らんがエヴリーヌの家を見付け、ヒッチハイク。と、乗せてやろうと停まりかけたクルマが、急に向きをかえて去ってしまう。
マリオンの登場に戸惑うエヴリーヌ。ここは夫の家で、いつ帰ってくるか分からないから泊められない、といわれ、でも、エヴリーヌが渡そうとしたホテル代も拒否し、キャンプ場のキャンピングカーに安く泊まる。そこに、アリスの亭主が入ってきて、急に襲う。なるほど、アリスの亭主に鼻血はこれだったのか。
次はいきなりアフリカのどこか。アルジェリアあたりなのか? 出会い系サイトの詐欺を企む青年たち。これに引っかかったのがアリスの亭主で、写真はどっかで拾ってきたマリオンの写真に架空の名前。黒人青年の甘い言葉に、アリスの亭主はどんどん金を注ぎ込み、我を忘れていく…。おお。ここが始まりか。で、運転中にクルマでヒッチハイク娘を乗せようとしたら、その娘がマリオンだったので逃げた、と。つながる伏線。アリスの亭主はキャンピングカーを見つけ出し、マリオンがエヴリーヌとの別れ話でビンタされてるのを目撃し、激怒。助けなくちゃ、ってな訳でエヴリーヌをつけて、いとも簡単に絞殺し、ジョセフの家の裏庭に捨てた、のだった。その後、だったか、アリスの亭主は「やあ」とキャンピングカーに入っていくけどマリオンにとっては赤の他人で蹴り倒されて鼻血。なるほど。
この詐欺青年、かつてつき合ってた娘がいて、子供もいるけど、どうも彼の子供らしい。娘はいま、フランス人の世話になってるとかで、豪華な家に住んでいる。 ← これまた伏線!
アフリカでは詐欺男がつかまって。被害者であるアリスの亭主に「告訴するか?」と電話してきたけど、断ってしまう。そういえば、告訴云々の電話も、最初の方であったっけ。
ひとり、アフリカに行き、釈放された詐欺青年に会って。しばくのかと思ったらそんなこともせず。なアリスの亭主のスマホに、マリオンの写真アイコン・架空の名前でメッセージがとどく。それ見て、ほほえむアリスの亭主。完全にバーチャル世界に入っちゃってるぜ、このオッサン。
ここで終わるかと思ったら、まだあった。あのエヴリーヌの家に、夫が戻ってくる。アフリカで世話してた娘と、その幼い子供を連れて…。おお。ピタリと収まった。
・なかなかおもしろい。でも、『運命じゃない人』に似てるよな。もしかして見てるんじゃないのかな。
・アリスが警官に、私浮気してるの、って世間話風に話すのはあり得ないだろ。
・そのアリスは、これからどうなっちゃうのかね。農場も。
・警官が、キャンピングカーのマリオンに事情聴取しに来るんだけど。どうやって知ったんだ? しかもエヴリーヌとの同性愛関係も知ってた。管理人から別れ話で揉めてたと、と聞かされたと言うけど、管理人が通報した? 管理人は覗きかよ。そこまで知ってるなら、アリスの亭主がキャンピングカーのまわりをうろうろしてるのにも気づいたんじゃないのか? それに、マリオンがエヴリーヌとそういう関係であるのを知ったのなら、マリオンをもっとも疑るべきだよな。

 
 

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