2022年1月

君といた108日1/7ヒューマントラストシネマ渋谷3監督/アンドリュー・アーウィン脚本/ジョン・アーウィン、ジョン・ガン
原題は“I Still Believe”。allcinemaのあらすじは「敬虔なキリスト教徒の青年ジェレミーは、入学した大学でメリッサと出会い、たちまち恋に落ちる。しかしメリッサにはある秘密があった。彼女はガンと闘っていたのだ。やがてその事実を告げられたジェレミーだったが、メリッサへの愛が揺らぐことはなく、2人はついに結婚を決意する。ジェレミーの深い愛と信仰に支えられ、奇跡的な回復を見せるメリッサだったが…。」
Twitterへは「ロマンスにかこつけたキリスト教と聖書のPR映画だった。こういうジャンルがあるのね。」
健康優良児的な青年が、カルバリーチャペル大学に入学。学内で開催されたジャン・リュックのコンサートでジャン本人と知り合い、ついでに観客席にいたメリッサに一目惚れし、話しかける…。って、都合よすぎる展開だな。ジャンがスターなら、そんな気軽に話せないんじゃないのか? と思っていたら、なんとメリッサとジャンはすでに知り合いで、昔つきあっていた? ってことは、メリッサは上級生で、ジャンは何歳なんだ? 
しかも、のちにジャンはジェレミーの才能を見込んで業界の人間に推薦し、なんと、ジェレミーはデビューまでしてしまう。ドラマも壁もない。なんなんだ? 
ジェレミーとジャンとメリッサ。三角関係か? と思ったら、メリッサは姉に「私が思い描いていた人と出会った」とジェレミーについて話している。おやおや。しかも、レコーディング室で2人がキスしているのをジャンが目撃し、むくれてしまう。でも、この腹立ちの原因は、結局分からずじまい。ジャンとメリッサは、どういう関係だったんだ? だって、この後の展開では、相変わらずジャンはジェレミーに好意的で、自分のコンサートに呼んだり、仲がいいんだよ。変なの。
と思っていたらジャンから電話で、メリッサが大変だ、と。聞けば胃に腫瘍で入院、だという。でも、そのことをなぜジャンから聞かされるのだ? まだこの時点では、メリッサはジェレミーよりジャンの方に心を開いていたのか? なことないよなあ。変なの。
とはいえ、邦題の108日間という、日数が出ているからにはこうなるんだろう的な予想が始まった。以後、いったんは回復するけど肝臓に転移、子宮に転移。で、もう余命はない、というところで手術の前に検査すると、がんが消えている。で、2人は結婚。その3ヵ月後だったかな、メリッサは調子をくずし、検査したら全身に転移で手の施しようがなく永眠。
要所要所に神とか聖書からの引用が登場する。ジェレミーがジャンに会って最初に聞いたのが「どうすれば成功するのか?」で、そういう質問はおかしい。何を観客に伝えるかだ」とたしなめられ、「僕は神について歌っている。あと、少しだけ愛について」なんていわれるくだりは、気色悪いな、と思っていたんだけど、だんだんキリスト教PRの要素が前面に出て来て、話としては退屈で退屈で…。
でまあ、祈っても死んでしまう。あなたはどこにいるのか? 的な、よくある宗教話もでてきて、これからキリスト教を学ぼうという青年男女に向けたメッセージであることがわかると、つまらなすぎて困った。
この手のジャンルの映画というのが一定数あるんだなあ。アメリカには。そして、見に行く人が、敬虔なクリスチャンがいるんだなあ、と。こういうのを日本で公開して、受けると思っているのが不思議でしょうがない。
決戦は日曜日1/11109シネマズ木場シアター4監督/坂下雄一郎脚本/坂下雄一郎
allcinemaのあらすじは「谷村勉は地元の選挙区で盤石の強さを誇る衆議院議員・川島昌平の私設秘書。ところが、その川島が病に倒れた上、折悪く解散総選挙に。陣営は急遽、後継候補として娘の有美に白羽の矢を立て、その補佐役を谷村が務めることに。しかしお嬢様の有美は政治の素人なだけでなく、予想以上の世間知らずでもあった。谷村はそんな有美の自由奔放な言動に振り回されていくことになるのだったが…。」
Twitterへは「『なぜ君は総理大臣…』にあやかった? 二世の新人候補と秘書を描くコメディ。始めは現実の失言などを想起させるギャグで笑わせてくれるけど、以降はだらだら…。最後も何を「やろう!」としてるのかよく分からず。演出も音楽も、なんか変な感じ。」
見終えて2週間近くたっているので、後半とかよく覚えておらんな…。でも、前半の1/3ぐらいは面白かった。倒れた父親の後継で突然立候補することになった有美が、妙に偉そうな態度で自信たっぷりに現れ、でも、「各々」を「かくかく」と読み上げたり、 「A=BということはB=Cと言うことなんですねえ」のような内容のない小泉進次郎的な受け答え、 子供を産まない女は怠慢と言って顰蹙を浴びたり、 いきなり戸別訪問したりクレーマーにパンをあけて、あれは利益供与だよ! と秘書を慌てさせたり。現実の事件というか記事になった出来事を下敷きにしてSNSで炎上したりする部分は、なかなか笑える。むしろ、炎上続きでも大して影響がないように描いているのが、そうかあ? な感じ。フツーなら、どれも一発でアウトじゃないのか? で、その後のオリジナルの話の部分がいまいち盛り上がらず。
秘書としてはなんとか当選させたい、と思っているのに、そんなことは知らずに暴走する有美。それが突然、やめたい、当選したくないようなことを言いはじめ、若手秘書の谷村もそれを応援し始めるのだ。これがよく理解できず。映画の中でちゃんと説明していたのか知らんけど…。谷村にしても、有美が当選しなかったら仕事がなくなるわけで。なんでそうなるの? な感じ。
で、ラストはどうなったんだっけ? 当選したんだっけ? 落選したんだっけか? 印象が薄い。
ネタバレサイトを見て、いくつか記憶を取り戻そうか。
そうか。有美が屋上から飛び降りたのか。あれ、嘘っぽ過ぎるだろ。飛び降りる度胸なんて、フツーないぞ。受け止める方も、マットなんかで対応できんだろ。バカバカしい。あー、そうか。賄賂とリークと記者と、それを打ち消す北朝鮮のミサイル発射か。そうだそうだ。しかし、事務所内の様子を動画撮影してSNSにあげたら、あんなの誰が撮影したのはすぐ分かるだろうに。そこには触れないいい加減さ。つくりがテキトーというか、甘すぎる。で、当選しちゃうんだったのか。いやもう、すっかり忘れてるよ。印象薄い。
・後援会をまとめる3ジジイが興味深い。後援会が動かないと、演説会にも人は集まらんのか。へー。
・突然、音楽がどがどが入ったりする。あの音楽、異様に映像に合ってないよな。
トムボーイ1/12ギンレイホール監督/セリーヌ・シアマ脚本/セリーヌ・シアマ
フランス映画。原題は“Tomboy”。allcinemaのあらすじは「引っ越した先で自分を“ミカエル”と名乗り、男の子のフリをして子どもたちの輪の中に入っていった10歳のロールを主人公に、揺れるアイデンティティ探求の小さな冒険がもたらす解放とその余波をユーモアを織り交ぜ繊細に綴る。」
Twitterへは「これ、たまたま予告編見ちまって。その予告編でモロにネタバレしちゃってるんだよね。これ、知らなければ、えええええ! ってなったと思うんだけど。近ごろの予告編は、しゃべり過ぎ。」
というわけで、最初から実は女の子、と分かって見ていたので面白さは半減以下だよね。いつ、どんな具合にバレるのか? サッカーしてるときパンツ脱げちゃうとか、みんなと水泳にいったときパンツ脱げちゃうとか生理になるとか、そういう展開か、どうなのかな? と。
観客へのネタばらしは、妹と風呂に入ってるとき、チラッと股ぐらが見えたとき。こっちは知ってるから、なるほど、だけど。知らないで見てた人は、気がつけば「あれ?」程度かな。で、分かってしまうのはサッカーの後で男の子たちがみな立ち小便するのに、彼女だけ仲間に入れず藪の中にまぎれ込み、しゃがんでいるところを男の子の1人に目撃される、というバレ方だった。なるほど。
この映画、とくに事件もないし、何かを乗り越える、もない。もちろん成長物語にもなっていない。せいぜい彼女が男の子を殴って謝りに行く程度。それも、男の子が妹に意地悪したから復讐しただけの話。なのに彼女は言い訳せず、親の言いなりになってその男の子の家に謝りに行くんだよね。なんで主張しないんだ! って、イラッとした。
それと、両親が変だよな。だって娘が男の子のような恰好をしているのを黙認しているんだから。まあ、そういう設定にしないと話が成立しないから、なんだろうけど。そもそも彼女は男の子になりたかったのか? LGBTQの、実はトランスジェンダーであるとか、そういうことがあるのかと思いきや、とくにない。製作年が2011年で、2021年に初公開された映画だから、そこまで言及できなかった、というようなことがあるのか? よく分からんけど、もやもやする。ロールは、男になりたかったのか? ミカエルという名は、どこから来ているのか? 越してくるまで、どういう生活をしていたのか? ロールが男なみにサッカーが上手くて、ケンカも強いのはなぜなのか? 遊び仲間の女の子との交友、キスとか、あれは欲望からのものなのか? とか、疑問点は山のようにある。だから、物足りない。まあ、ローラはゲイ、なんだろうけど。それを心配しない両親も、どうかと思うけどね。時代なのか。
そもそも女の子は骨格や筋肉が違うから、男の子のようにボールを投げたりできないはず。それが、なぜ出来るのか? それと、10歳の女の子にしては、男の子のペニスのカタチを知っているというのも、なんでなの? だよね。粘土で作って水着の中に仕込んでたけど。あんな発想、10歳の女の子にはないと思うけどな。
なわけで、メッセージが見えないところが、イマイチだったかな。
それにしても、10歳の娘で胸がぺちゃんこというのは、主演の子は男なの? 
ブータン 山の教室1/12ギンレイホール監督/パオ・チョニン・ドルジ脚本/パオ・チョニン・ドルジ
ブータン映画。英文題名は“Lunana: A Yak in the Classroom”。allcinemaのあらすじは「」
Twitterへは「オーストラリアに渡ってミュージシャンになることを夢見る教師のウゲンだったが、突然上司に呼び出され、ブータンで最もへき地の村ルナナの学校に赴任するよう告げられる。そこは標高4,800メートルもの高地にあり、たどり着くまでに一週間もかかり、いまだ電気も通っていない文字通りの秘境だった。すっかり途方に暮れ、早く都会に戻りたいと考えるウゲンだったが…。」
2011年製作で、2021年9月初公開。教師にはなったけど「自分には合わない」と思い込み、ミュージシャンに憧れてる、という時点でバカだと思うけどね。ブータンで教師なら憧れの特権階級ではないの? 違うのか。そんなウゲンに、役所(?)は僻地への赴任を命じる。のだけれど、とくに落ち度もなく、かといってやる気も無いウゲンに白羽の矢が立った理由は分からない。ウゲンも、「嫌」とは言わず従う。まあ、オーストラリアからの受け入れ回答までのつなぎのつもりなのかな? このあたり、もうちょい必然性が欲しいところ。
3800mぐらいの高地でバスを降りると村からの迎えが低姿勢で迎え、最初はラバがいたんだっけか。最初は宿屋があったけど、そのうちテントになり、5000mを越す尾根で祈りを捧げ、たどり着いたのは4800mにある村ルナナ。富士山よりは高いぞ。
この間、ウゲンはぶつぶつ文句ばかり。祈りも無視し、スマホで音楽聴いてたけど、充電も切れて不満顔。もちろん電気なんて通ってない。
村人の多くが途中まで迎えに来ていて、それでも到着後すぐ「自信がない。すぐ帰る」と村長に言う始末。なんだよ根性無し。でも、可愛い少女の級長が、寝坊したウゲンを迎えに来て、仕方ねえなあ、という感じで翌日から教室に行く。すると、黒板はないし教科書もない。前任者も途中放棄して逃げ帰った模様。なんだけど、村人はみな教師であるウゲンを立てて、逆らわない。ここまで来てくれただけで嬉しいらしい。
こんな山奥に、ほんとうに人が住んでいるのか? これはもうフィクションなのか? とも考えるけれど、そういう設定だからこそ話が成立するわけで。疑問を持ってはいけないのかも知れない。
でまあ、帰る支度ができるまでのつもりだったのが、ウゲンの少しずつ気が変わってくる。フツーの映画なら何かちょっとした事件があって、それに対する村人の対応とか、本人の申し訳なさとか、具体的な何かがあって心変わりするのが定番なんだけど。そういうのが一切無く、でも、ウゲンの心が開かれていくのを見せるのがなかなか上手い。木訥で丁寧な村長、迎えに来てくれた男とその妻、可愛い級長、そして、村の素朴でかわいい娘セデュ。みな純真無垢でウゲンにやさしい。そして、微笑みを絶やさない。なんなんだ、この人たちは? そんな村で、幼い生徒たちは勉強がしたい、と願っている。村長も、村人も、教師こそは世界とつながっている、子供たちを立派な人に育てたい、という一心なのだ。だからといって、「もうやだ、帰る」というウゲンに恨み言もいわず、残るよう懇願もしない。あるがまま受け入れる。こういう心が、ウゲンにも通じたんだろうか。
とはいえ、こんな村、あるわけない。冬は孤絶するだろうし、食べ物も娯楽もない。生計はどうしてる? 病気のときはどうなんだ? それは分かるんだけど、もしかしたらあるかもしれない、あったらいいな、と思ってしまうのかもね。
ウゲンは黒板をつくり、前任教師の教科書を引っ張り出し、簡単な算数と英語を教える。英語、というのが意外だった。簡単な英語は、幼い生徒にも通じるのか!? びっくり。そして、セデュにヤクに捧げる歌だったかを習う(これ、伝統曲かと思ったら、村長が亡き妻に捧げてつくった歌らしい。村では、みんなが歌をつくるらしい)。そうしているうちに、在任期間中は、なんとかしてやろう、という気持ちになって行く。その様子が、何かのきっかけが合ったわけでもないのに、ちゃんとつたわってくる。
都会の友達に教材を送ってくれるように頼み、教室にいろんな教材を貼っていく。とはいえ、そのぐらい、国がなんとかするんじゃないのか? 映画的演出だよな、と分かっていながら、ほだされる。
セデュは、ウゲンがヤギの糞を拾いに行かなくて済むよう、大きなヤクを連れてきて、教室で飼え、という。糞だらけの教室で、みんな和やかに学んでいく。生徒が「紙がない」というので、ウゲンは窓に貼ってあった伝統紙を剥がしてノートにする。いやもう、これは、ファンタジーだろ。
でも、もうすぐ冬になる。雪が降ったら帰れなくなる。村長も、みんな、「帰りなさい」という。後ろ髪を引かれつつ帰ることになるとは…。とはいえ、オーストラリアから受け入れ準備OKの返事も来てたし、そっちも気にはなっていたはず、のウゲン。
で。シドニーの酒場で「Beautiful Sunday」を歌ってるウゲン。誰も聞いていない。ウゲンは、セデュから教わったヤクの歌を歌う。ここで映画は終わるんだけど、この終わり方は常套というか、フツーすぎてつまらない。おまえ、席を立って村に戻れよ。その、春になって1人、村に向かって行くウゲンの姿で終わってくれよ。セデュや可愛い級長に囲まれて、そこで一生を終えてくれ。ファンタジーなら、そうなるだろ。というわけで、残念なラストだった。
・級長の父親はのんだくれの酔っぱらい、ってのがおかしい。
クライ・マッチョ1/17ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/クリント・イーストウッド脚本/ニック・シェンク、N・リチャード・ナッシュ
原題は“Cry Macho”。allcinemaのあらすじは「アメリカのテキサス州。孤独に暮らす元ロデオスターのマイク。ある日、元雇い主から、別れた妻のもとで荒んだ生活を送る息子のラフォをメキシコから連れ戻してほしいと依頼される。半ば誘拐のような訳あり仕事だったが、渋々ながらも引き受けたマイク。いざメキシコへ来てみると、ラフォは母親に愛想をつかし、闘鶏用のニワトリ“マッチョ”を相棒にストリートで生きていた。やがてマイクとともにアメリカに行くことを決意するラフォ。しかし、そんな2人に、メキシコの警察や母親が放った追手が迫って来るのだったが…。」
Twitterへは「ヨタヨタ歩く耄碌ジジイが登場する、耄碌ジジイが監督した映画。スカスカな話に気の抜けた演出。イーストウッドもいよいよボケたか(90過ぎて顔の張りがあって若々しいけど…)。誰か、まわりに、言ってやるやつはいなかったのかな。」
とにかく話が陳腐で、内容が三流。とくに社会性も反映しておらず、つまらない。ジジイがやすらぎの場所を見つけるという、昔の西部劇にありがちなラストも、だからなに? な感じ。 イーストウッドの辞世の句なのか。年老いてわざわざつくるような映画じゃないだろ。
そもそも引退した老カーボーイが、メキシコに行って元雇い主の息子を連れ戻すような仕事を依頼される理由がよく分からない。かつて金銭的に援助を受け、その借りを返す的なこともあるようだけど、なんでそんな仕事をオイボレのマイクに頼むのか? もっと活きのいいのがたくさんいるだろうに? 
雇い主も、いまさら息子と住みたい、という理由が変だろ。裏があることをマイクはなぜ気づけない? っていうか、雇い主のメキシコで女つくって子供つくってアメリカに戻ってきた、という過去がよく理解できん。で、えっちら行くと、メキシコ女は豪邸に住んでて、悪そうな手下もゴロゴロいる。なにやってるんだ、このオバサン。しかも、ラフォを連れ戻しに2人きたけど逃げ帰ったとか、見つからずに帰ったという。そのあとで、ヨボヨボのマイクかよ。で、元女房は、息子はどこどこで闘鶏をやってるはず、という。行ってみればなぜか簡単に見つかって、マッチョという雄鶏と一緒に国境へと向かう旅が始まる。のだけれど、何人もの男が連れ戻せず逃げ帰ったものを、こうも簡単に連れ帰る旅に同行できるのは、あんぐり。もっと苦労させるとか、頭を使わせろよ。
その後、のろのろと国境を目指すんだけど、元妻の手下が追ってくるのはなんでなの? 元妻は、息子は不良になってて家に寄りつかない、っていってたのに。どういう未練か母性なのか。意味不明。あと、警官も追ってくるんだけど、これはどういう理由なんだ? 誘拐だとしても、誰が通報して警官に追わせているのか。よく分からん。ところで、元妻手下が、マイクのノロノロとしたパンチで伸びてしまうのは、そりゃ都合よすぎだろ。
ところでところで。マイクは、逃げるのにクルマを次々と拝借していくんだけど、それが平気な感じなのが、なんなんだこの爺さん、だよな。しかも、1台ダメになると、次のクルマが都合よすぎな感じで見つかる。アホか、な感じ。で、そうしたクルマの1台がオイル漏れかなんかでダメになり、近くの食堂に行ったらそこのオバサンが異様に好意的で。無人の教会に泊まっていたら飯も用意してくれて、揚げ句は裏の小屋に移って来いという。べつに何か助けたわけでもないのに、なんなの? これまたご都合主義な老人の恋物語。老人の出会いを提供するマディソン郡かよ。
で、結局、クルマは直らず。でも、食堂オバサンのクルマなのか、しらんけど発見して、これに乗ってえっちら国境へ。で、迎えに来ていた元雇い主にラフォを引き渡すと、オバサンのいる食堂に戻っていく、という話。あー、退屈だった。
ラフォも、手の付けられない程の不良でもなく、簡単にマイクについてきてしまう。むかし、父親がいっていた、馬や牛のいる農場が自分のものになる、という話につられたようだ。幼いというか、アホか。
・マイクが、野生馬を調教する場面があるんだけど、これはスタント。分かりやすすぎて、脱力してしまうよ。
・警官に呼び止められたとき「運び屋に間違われたか」 って言うのは、前作『運び屋』を踏まえてなのか、字幕屋の遊びなのか。
・この話、原作があるようだけど、都合よすぎる展開だよなあ。
・エンドロールの最後の「アランに捧ぐ」は、『硫黄島からの手紙』でアカデミー賞を受賞したアラン・ロバート・マレーだろう。
ローラとふたりの兄1/18新宿武蔵野館2監督/ジャン=ポール・ルーヴ脚本/ダヴィド・フェンキノス、ジャン=ポール・ルーヴ
原題は“Lola et ses freres”。allcinemaのあらすじは「フランス西部の都市、アングレーム。弁護士のローラには2人の兄がいる。ロマンチストで神経質な眼鏡士の長男ブノワと、職人気質で不器用な解体業者の次男ピエール。それぞれに問題ごとを抱える2人は、顔を合わせれば必ず揉めてしまい、そのたびにローラが間に入らなければならない困った兄たちだった。そんな中、離婚調停の依頼人だったゾエールと恋仲になるローラだったが…。」
Twitterへは「フランスの兄妹は中年になっても毎月墓参を欠かさずつ会食したりするのか? 仲いいのね。な3人に降りかかる人生の岐路をゆるくコメディタッチで。くすくす笑えて、日本ネタもあったり。しかし、石女に対する感覚は古風だな。」
長男38歳眼鏡店経営。次男37歳建築物爆破会社社員。長女ローラ35歳離婚専門弁護士。3人は毎月両親の墓参を欠かさず、会食もともにする仲好し兄妹。長男は最近3度目の結婚をしたばかりだけど、最近買った検眼からお似合いのフレーム色を選定するはずの機械がいつも緑色を選ぶので困惑中。その長男結婚式に遅刻した次男は仕事熱心で医師の嫁と別居中だけど仕事でミスして解雇・求職中だけど兄妹にはまだ内緒のところを息子に悟られ、密かに告げ口されている。その息子はケンブリッジに留学へ、なので父親としては金銭的に焦ってる。ローラは、担当した案件の別れたばかりの男性に食事に誘われ、ほいほいついていって気が合い、同棲スタートから結婚へという流れが…。というような案配で、みな人生の岐路に立っている。
というような設定のまま、定期的に会っては食事をし、ケンカしたり、仲直りしたり、の3人が不思議。いまどきこんなベタベタな兄弟は存在するのか? しないと思うけど、いたらいいな、という関係だよね。そんな3人の、あれやこれやを軽妙なコメディタッチでつづっていく。バカっぽくならず、深刻にもなりすぎず、ちょうどいい塩梅で右往左往ドタバタしていく感じが、なかなかいい。もちろん、最後はみなまるく収まる。そうじゃないとね。
長男は、なんとか無事に。機械も、初期設定では緑を選ぶ、というのを知ってひと安心。でも、機械が勧める色と、客の好みの色がズレてるのは相変わらずだけど。
次男は、仕事探しと金策に頭を悩ますけれど、最後は元同僚が起業した爆破会社に誘われて、とりあえず安堵。えーと。妻とはどうなったんだっけ? 戻ってきたんだっけか? 新しい彼氏ができたとか、妻は言ってたけど・・・。忘れた。でも、息子の留学は続行、するのかな。息子も、父親を気遣って地元の大学に進学するとかいってたような気がするけど。ケンブリッジ留学はつづけられたんだっけかな。忘れた。息子に新しい彼女ができて、その彼女が地元の学校の生徒で、それでその学校を選んだ、とか言ってたけど。ホントなのか? 
ローラは、結婚したけど、閉経が早い傾向があって妊娠はムリと医師に告げられる。でも、新しい彼が「僕は7人兄弟の末子で、上はみな女」といってたけど、どうしても男の子が欲しかった両親が養子を迎えて、それが彼だったというオチ。それでローラも養子をもらうことにして、ラストでは色の黒い赤ん坊を抱いて戻ってきた。もしかしてアルジェリアあたりで、望まぬ妊娠をした10代娘の子供かしら、とか思ったりしたけど。でも、驚いたのは、子供が産めないと分かったローラが、書き置きをして家を出て行ってしまったことだ。へー。フランスって、男尊女卑の旧態依然なんだな、と。子供が産めなくたって女性は女性と毅然としているのかと思いきや、そうでもないようなのが興味深かった。
・次兄の落ち込みについて、ローラの彼だったかが「前途に絶望してホームレスになることがある。日本じゃよく蒸発と言われる。彼はスシが好きか?」といったり、次兄が、将来の建築について「トーフをセメント化して建築ができる」みたいなことをいう場面があって、妙な日本風味があるのが、変。
MONSOON/モンスーン1/21シネ・リーブル池袋シアター2監督/ホン・カウ脚本/ホン・カウ
原題は“Monsoon”。allcinemaのあらすじは「6歳の時、戦後の混乱を逃れ、家族とともにベトナムからイギリスに亡命したキット。彼は両親の遺灰を埋葬するため、30年ぶりにベトナムのサイゴン(現ホーチミン)を訪れる。大事な場所に埋葬したいと考えていたキットだったが、すっかり様変わりしてしまった街の様子に戸惑いを隠せない。かつての記憶を辿り、ふさわしい埋葬場所を求めて祖国を彷徨うキットだったが…。」
Twitterへは「バイクバイクバイク サイゴン バイクバイクバイクバイク ゲイゲイゲイ バイクバイクバイク 蓮茶 バイクバイクバイクバイクバイクバイク 難民 バイクバイクバイク ゲイゲイゲイ バイクバイク ハノイバイクバイクバイク…な感じ。」
青年がサイゴンを訪れる。訪問先へのお土産が、クッキー、ウィスキー、浄水器…。なにをもってくればいいか分からなかったから、って。どうも、この家の男性は幼なじみらしい。その後、ひとりで昔の部屋を訪ねる。入れない。工事中なのか? 黒人男性と会う。なんか臭う。SNSで知り合ったゲイ友だった。たぶん、サイゴンに行くから、っていうんで呼びかけ、応じてきたんだろう。
なんていう過程で、次第に経緯が少しずつ分かってくる。内容は知らずに見たんだが、サイゴン陥落時に6歳で両親とともにボート難民となり、香港だったで行き先を求められ、父親はイギリス、と応えた、と。アメリカは人気が高かったのか、イギリスへはすぐに入国でき、以後30年。母は亡くなり、父も最近亡くなった。その遺灰を撒きにやってきた、ということのようだ。じわっと明らかになっていく過去が、落ち着いた雰囲気のキットに重なって輪郭をはっきりさせていく過程が、しみじみといい感じ。
サイゴン陥落はいつだっけ。70年代だよな。うろおぼえ。調べたら1975年で、その30年後だから2005年か。携帯はあってもスマホはない時代かな。キットに郷愁はない。記憶はあっても薄ぼんやり。ベトナム語はほとんど話せないし。それでも、住んでいた家、遊んだ場所、両親の出身地であるハノイも訪れて、両親の代わりに過去へのオトシマエを、といっても訪問するだけだけど、をしつづける。ハノイでは、サイゴンで会ったアートツアー主催の女性と再会し、実家の蓮茶屋の仕事を見学させてもらう。そうか。蓮茶はこうやってつくるのか。などと思ったりしつつ見ていた。
結局、ハノイでは遺灰を撒かず、サイゴンに戻ってきて、しばらくしたら兄夫妻が子供を連れてやってくる。一緒に遺灰を撒くということなのかな。
そんな、心象風景と出会いをつづっているだけで、とくに事件もないし、乗り越えるべき課題ももともともってはいない。それでも、なんとなく清々しい気分になっていく。まあ、もちろん、文通だけで出会って肉体関係を結ぶゲイの世界には、とくに共感はしないけど。でも、ラストは、どこかのバーにキットと黒人がいて。バーテンの前で堂々とキスをする。この開放感はなかなか清々しい。
・友人は、サイゴンで携帯電話の店だったかな、を経営している。キットが「マネージャーか?」といったら「いや、CEOだ」と返答する。雇われではなく経営しているのだ、ということなんだろう。その彼はキットの母親に出店資金を借りていて、それが負い目になっているようだ。「まだ返せない」というが、キットは「貸したのは母親で僕じゃない」と軽く流す。いい関係だ。とはいえ、友人の、サイゴン陥落時の様子はどうだったのか、ちょっと曖昧。ボートピープルにはならなかった? アメリカを志望したせいで、人気がありすぎて行けなかった? 解放軍にいじめられなかったのか? キットの母親に金を借りたのはいつのことなのか? とか、疑問がいくつか残るんだよね。
・黒人は、戦後生まれと言っていたかな。父親がベトナムで戦っていて、その父親は数年前に自殺したんだっけか。それがなぜサイゴンへ? しかも、アメリカ人とバレるとヤバイかと思って、最初来たときはカナダの国旗のバッジを付けていた、とキットに告白している。そこまでしてベトナムにやってきた理由がよく分からない。
・黒人のTシャツに「Curve」と書かれている。それをキットが指摘すると「ストレート(ヘテロ)じゃない」という返事がおかしかった。
ユウカイ犯1/22シネマブルースタジオ監督/角田恭弥脚本/---
HPのあらすじは「寄集めの覆面男達が間違って誘拐したのは、ヤクザの娘。慌てふためく彼らに娘が言う「私の父を殺して」と。」
Twitterへは「これが脚本賞? レフ板使えよ。顔が見えねえよ。話も結末もテキトー過ぎ。」
日本芸術センター第13回映像グランプリ・脚本賞。42分。観客6人くらい。画面暗すぎ。役者の顔がずっと真っ黒。ムダなセリフだらだら多すぎ。当初、誘拐した娘は始末する、といっていたのに、あとで娘の父親を殺す段になって、人は殺せない…と言ったり、辻褄があってない。でまあ、やってきた娘の父親の組長をみんなで殺すんだけど、なんか意外な展開があるのかと思ったら何もなしで。そのまま、組長の死体と、仲間の爺さん(組長に射殺された)の死体をバンに乗せて、どこかへ。と思ったら、よく分からん黒いクルマがやってきて、誘拐犯グループの生き残りが連れ去られてしまう、というラスト。どういう意味? わけ分からん。
MIA1/22シネマブルースタジオ監督/FOREST Hunting One脚本/---
HPのあらすじは「歳を取り施設で過ごすジュディは、毎日会いに訪れる夫のニックを見て、ふと違和感を感じました。何かを思い出そうとするジュディ。人は忘れてしまったことをどうやって思い出すのでしょうか。」
Twitterへは「結末が楽天的すぎるアニメ。」
日本芸術センター第13回映像グランプリ・啓発賞。13分の短編アニメ。観客6人くらい。『ユウカイ犯』と同時上映。人間の脳内をAmazon風の倉庫に喩え、要求された品物を時間内に集めてくる、という課題として見せる。すでにボケてる婆さんは、要求されたもの3点が集めきれない。焦りつつ、ゴミの中に捨てられた3点目をやっとのこらさで拾い、もってくる。タッチの差でOK。すると、婆さんの脳が正常になっていく、というような話のアニメ。セリフはないけど、分かる。でも、話はそんな単純じゃないだろ、と思ってしまう。
火づくり1/22シネマブルースタジオ監督/松浦直紀脚本/松浦直紀
HPのあらすじは「とある世界。他界した父の遺品から、小さな鋏を見つける少年。母との会話から、父が以前、造園の仕事に携わっていたことを知る。そして、その鋏は、佐助という異国の職人の手によるものだということが分かる。壊れてしまった鋏を直すため、少年は佐助に会いにいく。」
Twitterへは「反戦ではなく伝統の継承が狙い?」
日本芸術センター第13回映像グランプリ・観察賞。26分の短編アニメ。観客6人くらい。『ユウカイ犯』と同時上映。父親は、元植木職人なのか。化学肥料の副作用かなんかで最近死亡する。よって戦争には行ってない。父の死の直後、戦争が終了し、兵士たちが凱旋してくる。でも、父親は出征していないので、少年は肩身が狭い。というあたりは、戦時下の同調圧力的なものを感じさせるけれど、それについての反発は、ない。むしろ、父の愛用していた植木バサミを鍛造した佐助という職人の、受け継がれてきた技術や自然の美しさに比重が置かれている。はたして、そんな脳天気なことでいいのか? とか思ったりする。
画調は、ちょっとジブリ風。でも、無機的な室内や意味がよく分からん帽子とか、制服的なものを感じさせる演出は、いったいなんなんだ? とも思ってしまう。
メモリードア1/22シネマブルースタジオ監督/加藤悦生脚本/加藤悦生
HPのあらすじは「将来を約束されたサラリーマンの和也(27)は、カフェで働く令子(47)に一目惚れをするが、令子は「バツイチ・子持ち・認知症」だった。和也の利己的な想いは様々な人との出会いと経験を重ね、真実の愛を知る。」
Twitterへは「エロ多めだけど、それも人間の本来の姿だろう。認知症を扱って本質に迫る感じ。途中、介護PR映画になるけど、まあいい。ラストは映画的盛り上げ=情緒的過ぎて、うーむ、だけど。でも、明日から映画館でかけても通用する質の高さ。」
日本芸術センター第13回映像グランプリ・突破賞。観客50人くらい。主演女優も、たぶん来てた。終わると拍手。
小さい頃から親の言うことを素直に聞いて育ち、一流会社に就職。チャレンジはしないけど与えられた仕事はこなす、で出世コースに。しかも常務の娘との縁談も進み、順風満帆、な和也。外回りの途中にたまたま入ったカフェが、実は認知症カフェで、その手の人が気兼ねなく訪れることのできる場所だった。そういうカフェが実際にあるかどうかは知らないけど、やってくるの多くはもちろん老人。の中に、妙に色っぽい中年女性がいて、ウェイトレスをしている。馴れ馴れしく話し、でも、いきなり和也の写真を撮る。愛想がいいのでされるがまま、の和也。で、その彼女・令子が早めに帰るというので、興味をもって尾行すると、緑深い公園の木の根元でオナニーを始めるではないか。緑に赤のドレスが嫌らしくも妖しい。記憶から解放されると、動物的本能の赴くままになるという象徴的なシーンと見たよ。
常務令嬢とのつきあいも始まり、床をともにするのだが、令嬢は喫煙者と分かる。もやもやしたままの和也は、令子に会いたさでカフェを再訪する。令子は、和也をよく覚えていない。でも、愛想がいいのは変わらない。他の客と交じってカードゲームをしたり、すっかり打ち解けてしまう。
たびたび訪れる和也に、令子の娘が言う。「勘違いして迫ってくる人が多い。母は病気。妙な興味でやってくるのは止めろ」と。娘は母と暮らし、苦労も身に染みて分かっている。だから正論である。でも、和也の令子への思いは変わらない。この感情が同情なのか、愛情なのか、そのあたりは分からないけれど、ドライブに連れだして富士山やボート遊びをしている様子は、やっぱり、色っぽいオバサンとのアバンチュールを期待しているのかも。
のあたりで、ドラマチックが薄れて間延びしたのか、食事した後だったせいもあって、ふと目をつむってしまった。気づいたら、車内で「あなた誰!」と拓也が非難されているところだった。10分も寝てないと思う。
警察沙汰になったけれど疑いが晴れる。しかし、会社常務の令子に対する「可哀想な人」扱いに激怒し、常務を非難。揚げ句、会社を辞めてしまう。素直な息子が…に両親が「なんとかするから、お前は心配するな」というのに対し「心配しているのは父さんだろ。僕はなにも心配していない」と反論するのも、これまた正論。
何の苦労もなく育った拓也が、認知症の令子やその娘、認知症カフェを運営する女性に出会い、世間を知って自分で考え始めた、ということだ。
なとき、認知症カフェにやってくる夫婦の亭主(モロ師岡)が屋上から転落して骨折する。妻の認知症をはかなんで一緒に死のうとしたけど、妻に突き飛ばされて自分が落ちた、ということらしい。そのリハビリに見舞に行き、介護女性と知り合う。話を聞き、なんと、介護士養成講座に通うようになる。屋外で訓練しているところを介護女性に見られ、「始めたんですねえ」といわれたということは、彼女に相談せずにということだろう。拓也は、この介護女性と上手く行くようになるのかな…と思わせつつ話が進むんだが、たまたま介護女性と一緒のところを常務令嬢に見られ、令嬢激怒。拓也は、「一度セックスしたし慰謝料を払う。好きな人ができた。別れてくれ」というのがオカシイ。真面目なのだな。で、令嬢は「慰謝料? 一度ネタぐらいで。セックスも下手くそだった!」と。おやおや。なかなかの遊び人だったのね。で、拓也の言う好きな人は、介護女性ではなく、令子なのだろう。歳の差認知症の壁はどうするんだ?
このあと、令子の症状は次第に悪化していき、ウェイトレスはできなくなってくる。とはいえ、旅という言葉に「富士山」と応えるということは、拓也との思い出が刻まれている、ということなんだろう。
なとき、どこでだったか忘れたけど、娘が「今度、母が朗読の会で発表する番なの。だから、絶対に来ないで!」と言い捨てるんだけど、これは、だから来てくれ、と読むべきなんだよな。もちろん拓也はカフェにやってくる。カフェ運営の女性も、あなたに会うとショックが大きい。令子ちゃんの症状も悪化する可能性がある。あきらめて、といわれる。令子は、カフェの仲間の区別もつかない状態になっている。渡されたメモも、果たして読めるかどうか。拓也は、でも、カフェに入ってくる。その姿を認めた令子に、記憶が蘇ってくる。いままでぼんやりしていた仲間の顔と名前が浮かんでくる。メモも見ず、思いを話し始める。
まあ、こういう展開は、かなり情緒的だし、医学的には「?」だと思うけれど、映画的な盛り上がりのためには必要なんだろう。映画はつづいて、拓也が令子に駆け寄り、外に連れだして走り出す姿を映し出す。そして、どこかの団地の庭で、キスをする。そして、ラブホの一室。シャワーからでてきた令子は拓也を「お兄ちゃん」と呼び、ふたり抱き合う。これは、コトをする前なんだよな、多分。
この映画、経過の途中に数字が出て、最初は290とかそのぐらい。で、ラブホの日は、0に。そして、次の場面はカフェで、1となっている。拓也を前に、令子は言う。「お兄ちゃん。私、この人と結婚するの」と。令子の背後に顔は見えない男性。男性は娘と手をつないでいる。そして、映画はここで終わる。
数字は、令子の実際の過去が消えるまで、の日数なのかな。記憶をすっかりなくした令子は生まれ変わり、新たな人生をスタートする、ということ? 認知症の症状を、そういうカタチで表現しているのかしらね。
男性は、別れた夫? この場面以前にも登場していて、顔は見えていなかったけど、はたして実際の人物なのか。令子の思う幻想なのか。拓也を呼ぶ「お兄ちゃん」とは誰なのか? 令子が幼児退化し、そこで知り合った男性だから、お兄ちゃんと呼んでいるのか? そのあたり、よく分からない。
認知症の末期を、多少きれいごとにしている感じはあると思う。けれど、それは嘘というより映画的演出なんだろうなあ。
とか、なかなかに面白く、ちょっと感動的な映画だった。モロ師岡、小宮孝泰も登場していて、脚本もしっかりしている。映像グランプリでも、ここまでレベルの高い映画があるんだな。でも、グランプリではないのか…。
ディスコーズハイ1/22シネマブルースタジオ監督/岡本崇脚本/岡本崇
HPのあらすじは「音楽事務所ヤードバーズに叔父のコネで入社した瓶子撫子。彼女の担当するバンド「カサノシタ」はデビュー以来鳴かず飛ばずで次回作のMV制作を自分達で制作することになるのだが・・・。」
Twitterへは「音楽会社の女性営業が担当バンドを売り出そうとするが…。全編満載のまったく笑えない寒いギャグ。あれが面白いと思ってるなら、笑いのセンスゼロだろ。たぶん内輪ウケするものなんだろうけど、世間じゃ通用せんだろ。ゴミ映画。」
日本芸術センター第13回映像グランプリ・発掘賞。観客15人くらい。担当するバンドが売れず、製作費ゼロでPVつくれと言われたり、な撫子。でも実は撫子は無類の歌唱力があり、本来のボーカルは実家に戻ったまま、最後は彼女の歌でバンドを再起させる、という背景が雨。なんだけど、くっだらないギャグとか笑いを狙った場面がてんこ盛りで、でもそのことごとくがつまらなすぎて全く笑えない、どころか話のジャマにしかなっていない。最後の最後の方で明かされる、人前で歌うのができない撫子に、亡き母親が授けてくれたおまじない、などの背景をもっと初めの方から小出しにして、フツーに見せながら話を展開していけば(もちろん40分ぐらいにまとめてだけど)、なんとか見られる映画になったかも知れない。しかし、現状は見るも悲惨な状態。撫子のセリフは怒鳴るだけだし、同じ会社の同僚女性との経緯もずっと明かされないし、映画のつくりとしては基本ができていない。うんざり。思うに、仲間うちで面白がって冗談盛り込んでつくったんだろ。のりのりで。、でも、そういう自分たち勝手な映画は、多くに理解されない。ただの自己満足勘違い映画。そういう遊びなら、自分たちの中でだけやってなさいな感じである。そして、こういう映画に賞を与える選考側にも大いに問題ありだと思う。
yes,yes,yes1/23シネマブルースタジオ監督/矢野瑛彦脚本/矢野瑛彦
HPのあらすじは「母親が病気で死ぬかもしれないと聞かされる雄晃。何の為に僕らは産まれてきたのか?そんな想いに苛まされる雄晃は自分の殻に閉じ籠る。家族それぞれが自分のことだけしか考えられずにバラバラになってしまう。」
Twitterへは「母親が不治の病だからと高校生の息子が金髪にして荒れて一家崩壊ってなんだよ。なぜ人間は生きているのかとか、高校生になってバカか。」
日本芸術センター第13回映像グランプリ・演技賞。75分。観客10人程度。白黒映画(にして重々しさをだそうという魂胆か)。母が不治の病だからって暴れる高校男子ってなんだよ。「死んだらどうなる」って考えるか、高校生にもなって。中二病か? バカらしくてうんざり。部屋に閉じこもって、父親と話さない。なんで? 家のものを壊す。でも、せいぜい写真立てとか小物ばっかり。ほら。そこにあるパキラの植木鉢は蹴飛ばさなかったのか? 大きな液晶テレビは叩きつぶさなかったのか? 後先考えて壊しているのか、監督としては壊すのがもったいないから小物を床に散らばせただけなのか。セコイというかショボすぎるだろ。
娘はこんなとき、父親が誰か分からん子供を孕む。まあ、本人は知ってるんだろうけど。父親は、母さんの生まれ変わりのようで嫌だ、という。バカか。生まれ変わりは悦ばしいだろ。別にまだ母親が親で亡くても、それを毛嫌いする気持ちが1ミリも分からない。
母親(妻)は、父親(亭主)に、こんな私で申し訳ない、と謝る。気持ちは分からんでもない。けれど、そう謝る妻を抱きしめて2人で泣き出す様子は滑稽極まりない。現実に、あんな反応はないぞ。家族の誰かが不治の病で先がないと分かっても、こんな風になる家族なんてないだろ。父親と息子が取っ組み合う理由がどこにある。くだらねえ。
モナの微笑み1/23シネマブルースタジオ監督/神田智脚本/神田智
HPのあらすじは「志高く理想の絵を描きたいと苦悩する画家の男。しかし現実と理想の溝は思うように埋まらず、孤独な中でも創作意欲を燃やし、自画像を描く事でその答えを求めようとするが、男の人格は音を立てて崩れていく。」
Twitterへは「短編。モナリザにとらわれ、頭のおかしくなった絵描きの話。つまんね。」
日本芸術センター第13回映像グランプリ・ナルシス賞。15分。『yes,yes,yes』と同時上映。主人公は絵描きらしい。妻をモデルにスケッチしてる。モデルは疲れるから、プロに頼んで、といわれてプロを雇うが、気に入らない。妻には、ダビンチ気取りと言われてむかつく。それでケンカして、妻は出ていく。しばらくして最高傑作ができたと夫から連絡があり、行くと自画像がたくさん貼られている。イーゼルには、モナリザの模写。その背後に、モナリザの姿をした夫がいる、という話。なんじゃこれ。意味不明。それよか、この絵描きは何をして食っているのかが、気になってしまう。絵画教室も開いてないようだし。たんなる金持ちの道楽なのか? それで気が違ってしまった? くだらねえ。
白獣1/23シネマブルースタジオ監督/高橋佑輔脚本/高橋佑輔
HPのあらすじは「かつて、その土地にはファリとネスタリコという2つの村があった。ネスタリコの戦士カサは、戦士としての自らの人生に疑問を抱いていた。そんな中、カサは師からファリとの戦に加わるように命じられる・・・。」
Twitterへは「敵も味方も人物も区別つかず雪中でただゴロゴロしてるだけの話。セリフ棒読み。メイクも衣装ダメ。もちろんホンも演出もダメ。ましなのは画調ぐらい。こんなのがグランプリ? 審査員でてこい。」
日本芸術センター第13回映像グランプリ・グランプリ。82分。 グランプリ作品なのに、観客5人。
最初に、剣をもってるような若い男と、師匠のような男性が話していて、お前は闘うことに意味があるみたいなことを言うんだが。こいつら誰? 字幕でネスタリコの端の方とかでるけど、こいつらがネスタリコ側とも分からんよ。その以前に、戦いはファリ有利で進んでいる、とか字幕でてたけど、それが次の字幕では、ネスタリコが勝った、となってる。話に関係あるのか? まあ、ネスタリコもファリも区別がつかん。登場するオッサンや女や、幾人かいるけど、誰がどっちでどうなってるやら、皆目分からん。しかも、メイクほとんどなくて、そこらの兄ちゃんが毛皮着てるだけみたいな感じなのだ。もっと荒々しく汚すとか、髪型を変えるとか、髪の色を変えるとか、区別させる工夫はなんかあるだろに。それと、妙に口紅の色が毒々しかったり。雪山なのに食糧を探してきたり。何日も雪中にいてやつれてなかったり。もう、むちゃくちゃ。
でもって、山向こうの方では戦争が終わったことを知らない民がいるとかの字幕。そりゃネスタリコかファリか、どっちだ? 
と思っていると、白い毛皮の男は、いろいろ狙い撃ちするけど、誰を撃っているのか分からない。この男が白獣なの? こいつはファリなの? 戦争が終わったことを知らんの? 知ってて抵抗してるの? 
かと思ったら、後からカサと分かる男が倒れているところを救われて。やっとあれが剣ではなく銃だと分かった。でも、カサは何で倒れてたんだ? その後、救ってくれた連中と行動を共にし、でも、その救ってくれた側の1人が熱病に冒されると、なんとかいう男に会ってクスリをもらってきてくれ、と頼まれ、カサは単独行動に。なになに。後半は、そのクスリ行脚の旅だったの? 偶然であったデブ男がクスリ男で、クスリをもらったのはいいけど、峰になっている実も併せて飲め、とかいわれてカサは自分に得もないのに実を探しに行くという。よくある昔話の展開だな。それで、実も手に入れて、戻って飲ませてやる、んだっけか。それで、最後はどうなったんだっけ。なんだかわけの分からん話だよ。これがグランプリだなんて。低レベルもいいところだな。
・口から血を吐いて倒れると熱病なのか。あんな雪山で、熱病に冒されるって、どういうこと? 雪国の熱病なんて、あんのか?
・雪の中の撮影は大変だったろう。カサ役の人は川にも入ったり。でも、ほとんど意味ない…。
・銃は火縄銃っぽくて、撃った後の反動が、ホントなのかどうか知らんが、もの凄い感じ。あれじゃ弾は上に上がっちゃうだろ。火花も凄くて、狙ってる人の目に入らなかったのか、心配。
さがす1/25テアトル新宿監督/片山慎三脚本/片山慎三
allcinemaのあらすじは「大阪の下町で父の智と2人暮らしをしている中学生の楓。ある日父は、300万円の報奨金が出る指名手配中の連続殺人犯を見つけたと言った後、そのまま姿を消してしまう。警察に相談するも相手にされず、たった一人で父を探し始める楓。やがて日雇い現場に父の名を見つけるが、そこにいたのは、父の名を騙る連続殺人犯の青年だった。」
Twitterへは「ああ、あの事件がベースになってるのか、なミステリー。『空白』で薄幸な娘を演じた伊東蒼が堂々と主役を張ってる。佐藤二朗はどうしても笑っちゃう。それも含めて半ばコメディ。時を遡り謎が解けていく構成はツメが甘く切れ味が悪い。もったいない。」「あと、ALSに対して誤解を生じるような描写があって、自発呼吸ができて、まだ動けるのに死を考えるとか、変だろ。難病指定だから経済的にも支援がしっかりしてるはずだぞ。」
佐藤二朗が『はるヲうるひと』につづいてシリアスな役に挑んでるのか…。ぐらいの興味で、前知識はゼロ。で、西成の日雇いオッサンが娘と二人暮らしで…って、『空白』みたいだな。でも、この娘、『空白』にでてた子だよな。なんて見ていたら、このオッサン原田が20円万引きで交番から呼び出され、楓が走る走る。そういや『空白』でも走ってたよなあ。それにしても、このとき原田は犯行中で、そんな最中に万引きして警察沙汰になるって、バカか。さらに家に戻った原田は娘の楓に、「今日、指名手配犯を目撃したよ。手配ポスターにあるように、爪を噛んでた。賞金300万円だって」というんだが、そんなことをいう必要性はない。この一連の原田の行動は彼が軽口だということなのか。あるいは、もう逮捕されたがっていた、ということなのか。でも、そうであるなら、この後に蒸発し、さらなる犯行を重ねて金を得ようとする行為がよく分からん。
で、その翌日ぐらいに原田は突然失踪する(後半の話から察するに、新たな依頼者(ムクドリ)の確認のために東京に行った、ということなのか)。娘は警察や教師に相談し、ビラを撒いたりして探そうとする。…かなあ、フツー。あんな慌てないだろ、あんなテキトーな父親を。で、同級生の花山に頼み込んで調査を開始する。で、父親の労働現場に行き、外人労働者に原田智の名を告げると、教えてくれたのは別人の青年で、爪を噛んでいるのよね。それはいいけど、名無しに爪を噛む癖がある、と警察に話したのは誰なの? そんな証言者がいたのか? 助かった誰かなのかい?
そういや、探してるさなかに楓は、今宮駅だったかへ行くんだけど、そこで別人に声をかけてしまう。と思ったらそこに教師と尼僧が現れて「探してたのよ、あなたを」という。教師はどうやって楓がその駅にいると知ったor推理したのだ? ところで尼僧役は内田春菊だったのか。
なことしてたら、楓は自宅に隣接の卓球場の片隅に青年=名無しだけど、観客には原田を名乗る指名手配犯と分かっても、楓が気づいたかどうかは分からない。でも、父親の爪を噛む云々があったから、分かったのかな。で、あわてて男は逃げる。走って追う楓。どんづまりで男に抵抗され、首を絞められたけど近所のおばちゃんに発見され、青年は塀を乗り越えようとする。楓は青年に追いすがり、ズボンをゲットする。ってことはこの後、指名手配中の青年=名無しは下半身丸出しで昼日中、西成周辺を駆け逃げたってことになるわけだが、どうズボンを都合つけたんだろう。でもって、その足で再び島へと渡った、ってこったよな。
名無しのズボンのポケットから、楓はスマホと、島へのフェリーの乗船券をみつける。スマホには、原田と楓の親子写真が写っていたけど、あれは名無しのスマホなのか? だとしたら、どうやってあの写真を入手したのだ? あるいは原田のスマホだったとしたら、それはどういうことなんだ? よく分からない。で、楓は彼氏と島へ渡るんだけど、あれが指名手配犯のスマホと分かって、警察に知らせないというのはありなのか? 友人花山は「警察に」といってたけど、それを無視して2人で島へ渡る理由が分からない。父・原田を見つけ出すためなら、警察に知らせた方が早かったろうし、その後の惨劇も防げたはずだよなあ。
さて、島に鳴り響くサイレン。楓と花山が駆け付けると、担架で誰かかが運び出されていく。のだけれど、あのとき名無しとムクドリは死んでいて、生きていたのは原田だけのはず。であれば、運び出されたのは原田になるんだが、楓は警官の制止を振り切って家を覗き込み「おとーちゃん!」と叫びつづける。これは変だよな。屋敷に残っていたのは原田で、楓が呼びかけていたのは父親・原田。では、担架で運ばれたのはだれなんだ? 死体ということはあり得ないだろ。だって現場検証が行われず遺体が救急車で運ばれることはない。ではムクドリはまだ生きていた? でも、そしたら、以後の展開はあり得なくなる。だって、ムクドリが証言したら、もろもろのことが全部分かってしまい、原田も犯人の一人であるのが警察に分かってしまうはずだから。
ここで場面変わって、海辺。名無しと女がいる。女は死にたい依頼者なのか。で、3か月前、とだったか、字幕が出る。このあとの展開はよく覚えてないんだけど。アパートに一室みたいなところに名無しと女がいるのは、あの海辺の女だったのか? のところに、警官と管理人みたいなジジイがやってきて、「臭う」とかなんとか話している。部屋の中では、女が旅行カバンの中を覗くと切り離された肉片の断片が。叫ぶ女。覗く警官。警官の目にフォークが刺さる。だっけかな。でもって、この段階で名無しは警官に存在を発見され、指名手配になった、のか。でも、中にいた女はどうしたんだ? 助かったのか? 警官と一緒にいたジジイはどうした? 名無しが指名手配されるようになったのは、あの部屋にあった名無しの持ち物や痕跡から? 遺体から? PCは持ってないよな、きっと。このあたり、かなり杜撰。
※そういえば、その後だったか、裸の女がアパートのドアから逃げ出し、殺されるような場面があったけど、あれはどこにつながる場面だったんだっけ? あまり記憶にない。この後に、13か月前(だったけか? 曖昧)の場面に遡るところがあったけど、あっちの流れで、だったっけ? 覚えとらんが。まあいい。
※あるいは、3か月前は、島で老人とであう場面だったっけ?  なんか曖昧。
13か月前は、原田の女房のALSだったか。リハビリする女房を見ていられない原田に、介護士の原田が声をかけたんだ。「ALSの患者には、生きる意欲のある人と、周りに無理やり生かされてる人がいる。後者は悲惨」とかなんとか。で、原田の女房は「死にたい」と漏らし、あるときベッド横のカーテンレールにかけたヒモで縊死しようとするんだけどカーテンが外れて失敗するんだが。立ち上がるのもムリそうなのに、カーテンレールまでヒモがかけられるのか? そんな女房を絞め殺すこともできない原田。とはいえ、このあたりのALS患者に関する描写は偏見と無知にあふれすぎ。患者の会が見たら激怒するんじゃないのかな。医師を通じて安楽死を依頼した事件はあったけど、ああいうのは例外的なはず。そもそも原田の女房は自発呼吸ができて携帯でメッセージも打てる。それで将来を絶望して死にたい、という患者が一般的、と思われては困るだろう。
なとき、道路で拾ったネコの死骸を公園で埋めている原田に、名無しが接近する。こんに西成の炊き出しで原田と名無しが再会するという映画的偶然の必然性かよ。それで妻の自死工作を20万で依頼するんだったか。しかし、この場面も、卓球台を立ててヒモを張り、妻は車椅子で移動してずり落ち、首が絞まるという仕組みらしいが、画面から見る妻の筋力から見て、それすべて自分でするのはムリだろ。この妻の自死に警察が疑問をもたないのが不思議すぎる。それと、楓がイメージする母親の自死は卓球場の天井からぶら下がる図だけれど、実際のものとは違うというのが、あれはどういうことなんだあ?
このあと原田は、闇サイトの別アカ対応を依頼されて、金をもらい始める、だっけか? この、名無しが始めた殺害依頼の掲示板とアカウントは、どういうことなのかよく分からず。この掲示板を警察は既に把握していて、主催者を追っていたのか? そういう描写はまるでない。また、原田に別アカ担当を頼む前は、名無しがすべて自分で対応し、あのアパートで殺害していた、ということでいいのか? それが原田の顧客獲得によって営業範囲は広がり、死体もふえ、収入も増えた、と。それが、警官に発見されて、以降、名無しは指名手配犯に。あわてた原田は名無しを自宅卓球場跡に宿泊させ、さらに自分の作業用の身分証明書を名無しに渡し、現場で働かせた。それを外人労働者は見て、原田=名無し、と思い込んだ、らしいけど、それムリだろ。西成の日雇い労働はそんな管理が甘いのか? それ以前に、原田本人は以前からそこで働いていたんだろうし、それが途中から入れ替わったら、あの外人労働者にも、他の労働者にも気づかれるだろ。
というところに、さらなる依頼が舞い込み、これに対応するため、原田は東京へ。これが、映画冒頭の原田の失踪になった、と。
原田は東京までムクドリに会いに行き、これなら罠ではないと大阪に連れてくる。原田はこのときフツーに大阪で生活していたはずだから、日帰りか? で、大阪のどこかのホテルに宿泊させるが実行日が延びて(これは楓に追われて逃げてたからだっけか? 覚えてない)。翌日、原田がホテルに行くとムクドリは勝手にチェックアウトしてる。これは、どういう意味? たんに服を買いに行ったということなのか? 慌てて探しに行き、これが偶然にも見つけるという映画的ご都合主義。どこかのトイレで新しい服を着せていたけど、ってことは原田はムクドリの下着姿を見たということだよな。あれこれ小うるさいムクドリが、そんなことをさせるか? とても違和感。
それで原田はムクドリを自分の卓球場に連れてくるという大胆不敵。車椅子の女を元卓球場の主人で飲んだくれのオヤジが連れてきてたら、近所からガン見されるやろ! しかも、娘・楓が友人の花山連れてきていて、胸を見せている。おいおい。
このあたりの前後関係が分かりにくい。名無し警官を刺し逃亡、島へ→ムクドリから依頼→原田東京へ(失踪)→ムクドリと帰阪→名無し大阪へ、原田の卓球場生活→楓、名無し発見→名無し逃亡、島へ? ってことは、楓が1人で家にいる間に、名無しは卓球場に寝泊まりし、そこから現場に通っていたのか? なんと大胆! 原田が失踪する前日、彼はTVをのんびり観てたけど、そういえば、そっと家に戻ってきて、楓が椅子に座っているのを見て毛布を掛け直してやってたけど、あれはいつなんだ? 失踪前? ああ、時間の流れがよく分からなくってきた。
なんかよく分からんけど、原田はムクドリと島へ。名無しの迎えはあったのか? 老人宅までは一緒に行ったんだよな。でも、島なんて人も少なく、住んでる人も知り合いばかりだろ。そもそも老人がいなくなっただけでも、近所の人は噂するだろうし、知らない男が住み始めたら、警察に連絡するだろうに。
ムクドリは腹が決まっていて、早く殺せ的な感じなんだけど、ところで原田はこれまで名無しの殺害現場に臨席したことはあったのか? 連絡係的な立場だったはずで、殺害は見てないんだよな。それが、目の前で名無しがムクドリを絞め殺し始める。なんか、笑ってしまう。描かれているのは殺害だけど、シリアスというよりコメディなんだよ。でもって、名無しの行為を確認したあと、原田はゲンノウを手に名無しを殴り始め、殺害してしまう。この展開というか決意は、なんなんだ? ムクドリが名無しに300万円で殺害を依頼したから、その横取りというだけ? 原田の人殺しへの転落が軽すぎて、うーむ。佐藤二朗という役者の人柄かなあ。
と思ったら、死んだと思っていたムクドリがずりずりしてきて、殺して…と。殺しに経験の深い名無しのミスは、何なんだ? 映画的必要性か。で、原田は躊躇せずにムクドリを絞め殺す。その後、かねて用意の包丁で、自分の腹を2度刺す。ビニール手袋して。で、警察に電話して、パトカーが到着した、と。そこに、楓と花山も偶然居合わせた、ということだ。
しかし。絞殺の索状痕とか刃物の創傷と角度とか、警察の調べはシビアだと思うけどね。包丁も、手袋してるから自分の指紋はつかなくても、名無しの指紋がつかないだろ。あるいは、使った手袋はどう始末したんだ? とか、気になってしょうがない。
あー、それから。あの老人の家にクーラーボックスがいくつもあったけど、一つがたまたま開いて缶ビールかなんか出てきたけど、他のはどうなんだ? まさか、他の依頼者の遺体ということはあり得ないよな。もしそうなら、指名手配後も名無しは依頼者(犠牲者)をつれて何度も短期間にフェリーに乗らなきゃならんはずだし。っていうか、見かけない男が缶ビール買いにやってきてたりしたら、島の商店でも「ありゃどこの誰だ?」って話題になるよなあ。
えーと、それで。原田は指名手配犯名無しの懸賞賞金300万円を手中に収め、警察からも表彰され、新聞にも載る。のだけれど、そもそもなぜ原田があの現場に居合わせたのか、など警察に聞かれてどう誤魔化したんだろう。刺された原田には、たまたま来ていた楓も付き添って介護したんだろうけど、楓だってあれこれ質問されているはずだ。父娘で口裏合わせはしていないはずだから、どうしたのかね。
後日、原田は島に渡り、ホームランバーの当たり棒で目印しておいた場所を掘り、そこからムクドリが名無しに代金として払った300万円を取り出す。ところが、上下の一枚だけが本物であとは白紙。つまり、6万円。がっかりする原田。はいいんだけど、原田はいつあの300万円を埋めたんだ? ムクドリを絞め殺し、自分で包丁を刺す前としか思えんのだが、血だらけのまま老人の家のまわりをうろうろしていたということか。なんかなあ。
後日。懸賞金の300万円で卓球場を再開したらしい。キャッシャーの抽出の奥に、かつて使用した別アカのアカウントが書かれているコースターが挟まっていた。試してみるとアカウントの多くは存在しなかったけれど、まだひとつ生きていて、寄せられたメッセージにはまだ依頼が書き込まれていた。ていうところだけど、あんなアカウントなんて、自分が消さなきゃ残ってるもんじゃないの? 警察から言われて、管理者が削除した、ということなのか?
原田が、卓球場゛楓とピンポンをしている。遠くからサイレンが聞こえてくる。楓はスマホ(再度問う、あれは原田のなのか、名無しのものなのか?)を取り出し、卓球台に置く。「お父ちゃんのしたこと、みんな知ってるで」と。長いラリーは楓の勝ちで、サイレンの音が大きくなっていく。父を告発し、楓はこれからどうやってひとりで生きていくのだろう。殺人犯の娘として。そんなことができるのか? 黙っていた方が、苦しいけれども、得なんじゃないのか?
・むかし隣が卓球場だった、と楓は話していたけど、ガラス戸一枚で卓球場だったのは、ちょっと意外だった。ところであの家は持ち家だっけ? 借家だっけ? もし原田が金に困っていたなら、持ち家なら卓球場の分を売ればいいし、借家なら転居すればいいはず。なのに卓球場にこだわったのはなんでなの?
シルクロード.com - 史上最大の闇サイト -1/27ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ティラー・ラッセル脚本/ティラー・ラッセル
原題は“Silk Road”。allcinemaのあらすじは「違法ドラッグから殺人依頼まで、どんな売買も匿名で行える闇サイト“シルクロード”を立ち上げた若き天才ロス・ウルブリヒト。決して足がつかないシステムとして裏世界で評判を呼び莫大な利益を上げる。そんなロスを追うのが、問題ばかりを起こして麻薬捜査課からサイバー犯罪課へ左遷されたベテラン刑事リック・ボーデン。パソコンすらできず、現場主義の捜査手法にこだわるリックは、畑違いのサイバー犯罪課ですっかりお荷物状態になっていたのだったが…。」
Twitterへは「事実をもとにした創作らしい。興味深いけど、IT音痴な刑事が簡単に犯人にたどり着くのが説得力ないんだけど…。アレクサンドラ・シップがかわいい。」
事実をもとにしたフィクションというみとで、こういう犯罪はあったらしい。でも、いろいろと杜撰なシナリオで、なるほど感がほとんどない。闇サイトはいい。けれど、匿名でできて、でも警察には見つからない、という仕組みがほとんど説明されない。なのに、ロスは見ず知らずらしいデブっちょのカーティスに連絡し、No.2に指名してしまう。スキがありすぎやしないか? で一方、リックの情報屋であるレイフォードは、たまたまカーティスから麻薬を買う。で、リックは送られてきた小包が投函された場所を消印かなんかでつきとめ、なんとすやすと特定してしまう。そして、警官の突入で、カンタンに逮捕してしまう。でも、しょっ引いていかず、個人的に拷問したりするんだよな。どういうこと?
これと平行してリックは、闇サイトのロスとチャットみたいので接近し、あれこれ質問したり会話したりするようになっていた。どういう手を使ったのか、あまり説明されていなかったように思うんだが…。
この後、よく覚えてないんだけど、ロスはカーティスの持っていた現金を横取りしてしまったのか?  その後、ロスとやりとりしつつ、カーティスを拷問する場面もあったけど、あれはヤラセだったっけか。で、拷問場面をロスに動画で送ると、ロスがびびってしまい、「殺せ」なんて言っちゃうんだっけか。なんか、このあたりうろ覚えなんだよね。でも、殺したということにしただけで、実際には殺してなかったけど。
それにしても、あんなことカンタンできてしまうんかい? FBIのIT刑事も頭を悩ますような相手に物理的に接近するなんてことが? もちろんリックが現場主義で人と人との接触を大事にする刑事であることは分かる。でも、どうやって、ぐらい、ちゃんと見せてくれよ、と思う。安直なんだよね、なんか。
リックも、最初のうちは集めた資料を年下の上司に見せようとする。けど、上司はリックを邪魔者扱いし、相手にしてくれない。だから私利私欲に走ってしまった、というような描き方をする。けれど、子供が学習障害で、1,000問の学校に行くには4万ドルっていうから500万円ぐらいか、必要だっていわれ、ロスを脅してビットコインを手に入れるとか、やることがセコイ。仕事に夢中で奨学金ための面接にいけず、金がないから犯人のロスから脅し取るって。そもそもIT部署に送られてくる前は潜入刑事かなんかで、でも、相手のボスを怒らせるようなひと言をいって13ヵ月の苦労を水の泡にしてしまったようなトンマな刑事なんだろ? 設定では。じゃ、しょうがないか、という気もしないでもないけどね。
IT音痴が、足で稼いでヒントをつかみ、まんまと犯人にたどり着いた、という知恵をちゃんと見せてくれないと、話としてはつまらんよ。
ロスも、天才と言うにはいろいろ杜撰で。ヤバくなると仲間をカンタンに売るし、殺そうともする。捕まったら大変だ、ということが分かるほどに頭がいいなら、こんな犯罪はしないに限るよな。だから、やっぱりバカなんじゃないのかね。警察とか権力を敵に回して自由を唱えるなら、もっとカッコよくないとなあ。
でもって、最終的にはロスがつかまり、リックも逮捕されるのは、いろいろ記録が残っていたからなのかな。リックは「消せ」といってたけど、ロスが消さなかったのか。それはさておき、IT部門で仲間はずれにしてきたリックが、なんとロスに接近してだまくらかして大金を得ていた、と知った上司や同僚は、どういう反応を示したのか。それが描かれていないのが残念。あれ? あの、ビットコインで得た分は、警察には嗅ぎつけられていなかったんだっけ? 最後の方で面会に来た妻と娘、学校に入れるようなこともいっていたしなあ。なんか、いろいろうろ覚えだよ。
それにしても、潜入刑事でチョンボして精神病院かなんかに入っていたらしいリック。でてきてすぐ、こんな有様で今度は牢獄。なのに、妻も娘も、呆れていないのはどういうことなのかね。
そうそう。ロスは終身刑で、リックの刑期は6年だったか。闇サイトつくって、そんなに刑は重いのか? びっくり。
ハウス・オブ・グッチ1/31109シネマズ木場シアター8監督/リドリー・スコット脚本/ベッキー・ジョンストン、ロベルト・ベンティヴェーニャ
原題は“House of Gucci”。allcinemaのあらすじは「運送業を営む父のもとで働く野心的な女性パトリツィア・レッジャーニは、憧れのブランド“グッチ”創業者の孫マウリツィオ・グッチと出会い、恋に落ちる。やがて2人はマウリツィオの父ロドルフォの反対を押し切り結婚する。その後マウリツィオが会社の経営に関わるようになると、パトリツィアは支配権を握ろうと画策し、実権を持つマウリツィオの叔父アルドやその息子パオロと対立していくのだったが…。」
Twitterへは「気を衒わずオーソドックスな撮り方がいい。でも中盤多少中だるみ。レディー・ガガの欲深強引野心女ぶり、バカっぽい。この手の人は洋の東西を問わず占い師に傾倒するの? 簡単にハメられる御曹司も含め、グッチ家の人々もバカっぽい。」
GUCCIについてはブランドということは知っていたけど創業者とか家族とか、この映画に描かれる顛末については一切知らなかった。なので、見終えて、こんなことがあったんだ、という事実への驚きと面白さの方が優った感じ。だからなのか、妙な仕掛けとか使わず、正攻法で堂々と見せていく映画づくりは効果的だったと思う。
ボディコンで尻を振りながら、父親が経営する運送会社の従業員のあいだを歩いて行くパトリッツィア。彼女はパーティ弁護士を目指すマウリッツィオと出会い、GUCCIの御曹司と知る。会社の入口で張り、マウリッツィオが図書館へ行くのを追尾し、偶然を装って再開。スクーターのフードに電話番号を書き付け、「電話ちょうだいね!」と。まんまと罠にはまったマウリッツィオ。文字通りハメられた! っていうか、意図が見え見えの狡猾な女に落とされるなんて、バカじゃないの? としか思えんのだが。
結婚を父親に反対され、パトリツィア父親の会社で働き始めるマウリッツィオ。このあたりは好感が持てるんだけど、伯父のアルドとは親しくし、子供ができると、だんだんGUCCI家にもどっていく…。法律家はもうやめたのか? さらに父親が亡くなると、パトリツィアは跡を継げ、とせかす。もともと家業に興味が薄いマウリツィオも、だんだん足を突っ込んでいき…。な展開。このあたりも、マウリッツィオのうじうじした感じが、うーむ、だよなあ。存在感まるでなし。いっぽうのパトリツィアは、どんどん野望を膨らませ、やなババアになっていく。TVで知った占い師にご託宣を依頼するって、日本でもこの手の芸能人とか有名人がいるけど、同じなんだなあ、と。
黒髭秘書みたいなのが影の主役なのか。マウリツィオの父・ロドルフォとも密着し、社内のことは何でも知ってる様子。出所は彼なのか、他の社員なのか、知らんけど、伯父アルドが経営するNYオフィスの脱税情報が手に入った。これを警察に知らせたのは、マウリツィオなのかパトリツィアなのか、知らんけど逮捕されて収監! って。パトリツィアの思惑なんだろうけど、アルドに味方していた伯父をハメるとは、やっぱりマウリツィオはアホだろ。
さらに、従弟になるアルドの息子のパオロがショーを開くと、そこに警官隊がやってきて、著作権違法だという。で、著作権者はGUCCIといってたよなあ。このくだりがよく分からない。父のアルドも、叔父にあたるロドルフォからも無能扱いされていたパオロが、自作デザイン画でショーを開いたら著作権違法? どういうことだ。とにかく、これでパオロも収監されたのかな。
あとよく分からんのは、ロドルフォが死んで遺産相続というとき、黒髭秘書が署名のない株券をパトリツィアに見せる。黒髭秘書は、署名がないとばく大な税金がかかる、とかなんとか説明したんだけど、ここで頭に浮かぶのが、パトリツィアは普段から実父の署名を代筆していたこと。やるのかな、と思っていたら、あとから警察が踏み込んできて、それはやっぱり署名偽造のせいらしい。でも、これでパトリツィアが収監されたとか、追徴課税がどうのという話はなかった。このあたり、どうなっているのかね。
その後、GUCCIの経営はうまく行かない感じで、でも、マウリツィオは別荘や高級車で散財している、らしい。ふだんは自転車で移動し、運送会社での労働もいとわなかったマウリツィオは、どういう経済感覚の持ち主なんだ。やっぱアホだろ。で、イラン人だかアメリカ人だかの資本を借りて再建するにあたり、アルドとパオロの株を取得することになるんだが、このくだりもよく分からない。この、アルドとパオロが株式売買の署名をさせられる場では、資本提供する連中と黒髭秘書、そして、マウリツィオがいたけど、署名しなくてもよかったんじゃないの? パオロは、貧乏だ、と口にしていたけど、株を持っていて配当があれば十分に生活できるだろうに。もしかして、経営状況が悪くて無配がつづいていた? 
パトリツィアの思惑がうまくいっていた、かと思いきや、署名偽造の後は、下層階級で無教養の彼女が、マウリツィオの友人たちの前で無知をさらけ出す。「なぜ、庇ってくれないの?」と怒りだすパトリツィアは、もう単なる小太りのオバサンだ。マウリツィオは旧友の女性といい関係になり、パトリツィアに離婚宣言する。のだけれど、このあたりもよく分からない。一方的に離婚はできないだろうし、住まいだって現在のところからパトリツィアが出ていく必要はないはず。でも、映画では、マウリツィオが用意した別宅に移っている。泣きの懇願も通用せず、ってところがよく分からんのだが、パトリツィアも強欲だけは衰えず、仲好し占い師の紹介してくれた殺し屋に頼んで、マウリツィオを会社入り口で殺してしまうんだよ。なにこれ。もうちょっとアタマ使えよ。バカじゃないのか? で、簡単に捕まってしまい、パトリツィアは懲役29年だと。占い師、殺し屋2人も刑が確定してたけど、実行犯の方がパトリツィアより刑が重いのはなんでなの?
これでGUCCI創業家の人物はいなくなりましたとさ。
黒髭秘書だけど、そういえば、資本提供側と一緒にいて、マウリツィオの株も手に入れちゃったんだっけか? マウリツィオが怒りにまかせて料理を床にたたきつけた場面があったよな。よく覚えてないや。
ところで、Wikipediaを見ると、「1953年、グッチオの三男のアルド・グッチが、グッチオの反対を押し切る形でニューヨークに支店を出した。1953年夏、グッチオ・グッチは72年の生涯を閉じる。グッチオ亡き後、アルドの次男でグッチオの孫のパオロが2代目社長に就任した。」「2代目パオロ・グッチの死去に伴い、マウリツィオはパオロの子たちに連衡策を働きかけ、結果的にグッチの株式を独占することになった。」とある。パオロは無能だけど、社長だったのか! 映画ではそういう描き方はされてなかったよな。
・パトリツィア役のレディ・ガガが顕著なんだけど、イタリア訛りっぽい英語で通すんだよね。もちろん本来はイタリア語なんだろう。それをイタリア訛りの英語って、変じゃないか?
・アルドは日本を上得意とみていて、やってくる日本人客に「コニチワ!」とか日本語で接客している。ほかにも、ゴテンバのモールの出店がどうのとか、ローカルだけど興味深い話題もあった。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|