2022年4月

吟ずる者たち4/1シネ・リーブル池袋シアター1監督/油谷誠至脚本/仁瀬由深、安井国穂
allcinemaの解説は「広島を舞台に、酒づくりに人生をささげた人々の奮闘を描いたご当地ムービー。“吟醸酒の父”と呼ばれる明治に実在した酒造家・三浦仙三郎を主人公にした吟醸酒誕生の物語と、東京で夢破れ帰郷した女性が、実家の酒蔵を継ぎ、仙三郎の精神を受け継いだ新酒づくりに奮闘する現代の物語が並行して描かれていく。」
Twitterへは「仕事にも彼氏にも夢破れ実家の酒蔵に戻ると都合よく父親が倒れ娘が継ぐというベタな話で、PR臭さも濃く映画的な面白さは皆無。なんだけど明治の酒造り試行錯誤パートも含めNHK朝ドラ的に酒造り人間模様も描かれとても興味深い。心して飲まんとな。」
広島の酒造りが如何にして行われたかを、どストレートで外連味も深みもない脚本で見せていく。見る前から、だろう、と予想はついていたけれど、これが意外に面白かったのだ。
志破れて帰省した明日香。タイミング良く父親が倒れ、永峰酒造を継ぐ決意をする。そして、かつての先人に学び、新しい酒造りに挑もうとする。これは宿命だ! という現代パートはベタすぎる設定で、ドラマチックはあまりない。明日香が恋人と別れたとか、設計事務所を辞めたとか、養子であるとか、跡を継ごうとしない弟とか、というのはムリやりくっつけた感じで、いまいち届いてこない。むしろ、明日香が古文書を通じて知る三浦仙三郎の波瀾万丈の人生、旧弊な考えを持つ杜氏たちに対して、灘に学び、科学的に酒造りを実践しようという進取の気性。仙三郎を慕う若者たちの試行錯誤。子がない故に悩む夫婦関係…。などなど、半年に延ばせば、そのまま朝ドラになるような話が、厚みになっている。もちろん、過去パートもベタな話ではあるんだけど、酒造りの工程や工夫、軟水と硬水でつくり方が違うとか、酒が腐るとか、知識が得られることがとても興味深かった。これが、なかなかのヒキなのだ。
映画としての面白みはなくても、余計な演出をせず見せていく手法は、テーマに合っていたんだろう。ムダに人間ドラマを派手にするより、淡々と見せていく方が、観客の心を捉える、ということなのかも。
・幼い時に両親が死に、父親の兄の養子になった明日香。なら、現・父親の姪だから血のつながりはあるだろうに、「血のつながっていない」云々という会話があったように記憶している。変だよな。
・酒蔵を改築したくて銀行に行き断られていたのに、いつのまにか酒蔵を新築している。あれ? 借りられたのか? だとしたら端折りすぎだろ。
・明日香は、意識不明でいる父親のノートを見て、明治時代に仙三郎がつくった酒を目指そうとしていた、と知る。その意志を継ごうと明治の酒の復刻を目指し、研究センターへ。三浦仙三郎の時代の酵母を希望するが、女性技術者は、昔の酵母でつくった酒を味見させてくれる。が、まずい。つまり、この酒の先にあるものを、現代の酵母で目指そうとしていた、と知る。それはいい。問題はそのあとで、担当の女性技術者が、「実はお父さんから新しい酵母をと頼まれていたの」と、いまさらながらに言うのだ。おい、そんなこと、父親が倒れた直後の早いうちに永峰の誰かに話すのがフツーだろうに。映画をドラマチックにするための演出だろうけど不自然すぎる。
子がなく、使用人の子を養子にした三浦仙三郎。けれどその娘も夭折し、悲嘆にくれる。と、妻が突然跪き…あ、これは「離縁してください」と言うんだろうと思ったら、まさにその通り。ミエミエのつくりだ。こういうベタなところも、安心できる、ことなのかなあ。というか、意外性のない映画の面白さ? それにしても、この後、三浦仙三郎の弟2人も死ぬんだったか。明治の頃は、よく人が死んだんだなあ。
明日香と、幼なじみの不細工だけど陽気なオッサンとの恋愛模様を期待したけど、それはなかった。残念。
ナイトメア・アリー4/4109シネマズ木場シアター7監督/ギレルモ・デル・トロ脚本/ギレルモ・デル・トロ、キム・モーガン
原題は“Nightmare Alley”。Alleyは路地、裏通り。allcinemaのあらすじは「1939年のアメリカ。故郷を後にしたスタンは、やがて怪しげで華やかなカーニバルの一座で働き始める。彼はそこで読心術のテクニックを学ぶと、電流ショーをしていた美女モリーを連れて一座を抜け出す。その後、2人は一流ホテルでお金持ちを相手に読心術のショーを披露し成功を収める。ある日、そんなスタンの前に、美しくエレガントな心理学者リリス・リッター博士が現れるのだったが…。」
Twitterへは「移動遊園の見世物小屋に潜り込んだ男が主人公。寓話的な展開で、もちろん最後に教訓が…。前半のねっちりした見世物小屋パートは世界観がなかなかなんだけど、後半の詐欺師パートはつくりが雑。前半の回収はしてるけど切れ味はにぶいかな。」「時をかける女、メアリー・スティーンバージェンがいい感じのお婆ちゃんになってでてた。」
1947年『悪魔の行く町』のリメイクらしい。2時40分の回で、食後2時間以上たっていたけど、後半になって少し瞼が…。スタンがリッターと話して、分析ベッドに横になったあたりで一瞬、気を失った。数分。この間に、次のターゲットと、リッターの情報提供が話されたのか? まあ、いい。
そうなのか。リメイクなのか。だから筋立てが古くさいというかシンプルというか、教訓話になっているのか。で、デル・トロは前半の見世物小屋パートで本領発揮して全力を投入し、後半は2流の詐欺話でお茶を濁した、と。もちろん手抜きというわけではないけれど、緻密さには欠けている。
ステージショーでは人気で、ディナーショーでもスターになったスタンが、なぜモリーに冷淡になったのか? たんに飽きたから? でも、見世物小屋から駆け落ちして2年しか経っていない。経済的にも困窮してはいない。モリーが降霊術のサポートをするのを嫌がり始めた、というのもあるかとは思うけど、それ以前からちぐはぐだった感じがするぞ。そもそも、モリーはなぜ降霊術が嫌だったのか? 占い師に絶対してはいけない、といわれていたから? その幽霊ショーをあえてしようと思ったのはなぜなのか? とくにお金が欲しかったようにも見えないんだよね。
たまたま出会った精神科医のリッターが、富裕層患者とその分析テープをもっているのでショーに使える、とスタンが判断したんだろうけど、その欲望はどこからでてきたの? 前半パートでは、そんな野心も欲望も見えていなかったので、別人になったような感じ。次のターゲットになった金持ちエズラにしても、存在が記号的なんだよね。過去の恋人への贖罪意識も、分かりづらかった。こちらが寝てるときちゃんと説明があったのかな? 知らんけど。このあたりの動機と目的、湧き上がる野望なんかが説得力をもって見えていたら、また違った印象になったかも。
そして、最大のアホな展開が、モリーがエズラの死んだ恋人になって登場するという仕掛け。ちょっと見が似てるっていったって、所詮は別人。メイクしたってバレるだろ。緻密な分析と推理力で観客の心をとらえてきたスタンが、あんなてを使ってエズラを騙そうなんて、バカげてるとしか見えない。しかも、いったんは片棒をかつぐのを拒否し、帰省しようとしたモリーを駅で捕まえ、偽物の演技をさせるんだけど、なぜモリーは嫌だと言い張らなかったのか? スタンが「これが最後だ助けてくれ」を信じたっていうの? アホか。という展開なので、ちょっともハラハラしないし、こちらも冷ややかにしか見られなかったよ。
最後、落ちぶれたスタンは見世物小屋の経営者を訪れる。中にあるのは、かつて居た見世物小屋がつぶれたとかで、譲り受けたホルマリン漬けの赤ん坊。いったんは追い出されそうになるけれど、ちょっと待て、と呼び止められ、「獣人をやらないか。一時だけだ」と誘われる。見世物小屋の親方クレムがスタンに教えてくれたリクルートの手法だ…。というところで終わる。まあ、意外性のないオチ過ぎるけど、リメイクならしょうがないか。
ルーニー・マーラのモリーははかない感じでいいんだけど、リッターのケイト・ブランシェットは存在感がいまいちピンとこず。スタンに近づき、そそのかす理由がよくわからない。スタンはリッターに惹かれたようだけど、どこに魅力を感じたのか、よく分からない。
・スタンは絵が上手、というのは、生きていない。モリーがスケッチ帳を開き、そこにリッターの顔が描かれているので、いまこの女に興味があるのね、と分かるだけにしか使われていない。
・スタンの父親への憎しみも、あまり生きていない。なぜそんな憎んだのか。
・スタンの、エズラを殴り殺し、用心棒も無慈悲にひき殺す、その凶暴性はどこからでてきたの? 父親を寒空に放置して死なせたのも、同じ殺意なのか?
・前半の見世物小屋パートで、カメラがやたら動く。めくるめく妖しい感じをだすつもり? でも、うっとうしすぎないか?
TITANE/チタン4/7ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ジュリア・デュクルノー脚本/ジュリア・デュクルノー
原題は“Titane”。フランス/ベルギー映画。allcinemaのあらすじは「幼い頃に交通事故で頭部を負傷し、頭蓋骨にチタンプレートを埋め込まれたアレクシア。以来、“車”に対して異常な執着を抱くようになっていた。ある日、追われる身となり逃亡を図る彼女は、少年の姿となって孤独な消防士ヴァンサンの前に現れる。ヴァンサンはアレクシアを10年前に失踪した息子と思い込み、2人は奇妙な共同生活を始めるのだったが…。」
Twitterへは「『クラッシュ』みたいな展開かと思ったら極悪ローズマリーの赤ちゃん? 親の因果が子に報い。メタファーたっぷり。でもキリスト教に疎いので意味はよく分からず。コメディ味ありつつ冷酷無比。とにかく見てて痛い!」
いろいろ思わせぶりなメタファー満載だったので、話の流れに沿って思い出してみよう。
カーセックスの話と聞いていたので、素直にセクシーな話かなと思ったら、いきなり少女を乗せたクルマがクラッシュ。少女は頭部損傷なのか開頭され、チタンを頭部に埋め込まれる。さてどうなるのかと思っていたら、いきなり自動車ショーのような会場でセクシーなダンスが。? と思っていたら、どうやら踊っていた彼女がアレクシアらしい。成長したらチタンのサイズも合わせないとおかしいだろ…。で、同僚のダンサーとシャワー中(おっぱい丸見え、ぶるんぶるん)、アレクシアの髪が彼女の乳首のピアスに引っかかったのか、ムリやり外そうとして大騒ぎ。いや、乳首が痛い!
どうやらダンサーはスター的な存在らしく、サインをせがまれる。ひととおりサインを終え、一人歩くアレクシアを追ってくる男。逃げるアレクシア。すんでのところでクルマに乗り込みドアを閉めるが、ウィンドウに男の手が…。「待ってたんだ。サインが欲しくて」というのでサインをすると、頬にキスしてくれと言う。断るのかと思ったら、ちゃんとしてやって、なんとアレクシアの方から口にキス。なんじゃ? と思っていたら、髪に挿していた箸のような簪で側頭部をひと突き。口から白い泡を出してうごめく男。泡がアレクシアの肩にだらだらとかかる。うえ。気持ち悪っ。
ドアを開け、男の頭から簪を引き抜く。髪をまとめ、その簪を刺して抑える。うげ。気にならんのか? でも、肩の泡は気になったようす…。シャワーを浴びるアレクシア。その場所は自宅なのか、よく分からない。どんどん、とドアが激しく叩かれる。裸のままシャワー室を出ると駐車場のように広い空間で、クルマが停まっている。近づき、なかに入るアレクシア…。なんなの、この無防備? と思っていたら、アレクシアは後部座席で足を広げていて、下から突き上げられている様子。クルマの外観も映り、激しく揺れているのだけれど、次第にぴょんぴょんクルマが飛び跳ねるほどで、これがカーセックス? なんじゃこれ。笑っちゃう。
殺したはずの男(死体処理したように見えなかったし)が生きていてセックスしているのか? と思ったけど、そんなのムリだよなあ。のちのちアレクシアは妊娠し、陰部から黒い血を流したりするので、これは悪魔との交わりなのか、なんて思っていたんだけど、見終えてTwitterで検索したら「車とセックス」と書いている人がいて。なるほど、そういう見方もあるな。黒い血については「タール」と書いている人もいた。なるほど。のちに妊娠した腹部がかゆいのかかきむしり、穴が開くシーンがある。穴から黒い液がでて、でも、穴自体は白かった。あれは、頭部のチタンがアレクシアの全身に広がり、体内が金属化しているということ、なのか。では、クルマと交接はどういう意味で、何のアナロジーなのだろう? 犯されているのではなく、愛の交接なのか? そういえば、アレクシアは自動車ショーでクルマの上でセクシーに踊っていた。クルマには炎のイラスト。事故と埋め込まれたチタンのせいで、クルマに愛され、クルマを愛する女になってしまったのか? なんで? という疑問は無意味か。それとも、宗教的アナロジーはあるのか? 分からない。
実家で、現在の父と母が登場するのはこのあたりだっけか?
アレクシアは例の乳首ダンサーと屋外でキスしていて、レズ行為? でもアレクシアの乳首舐めは単調で乱暴なのか「初めて?」なんていわれている。それに怒ったのか、乳首をかんだまま、びろーんと延ばす。痛っ! 室内に移り「許してあげるわ」なんて言ってるとアレクシアが具合悪くなるんだっけ? 腹が大きくなっているのは、このあたりで見えたのか? もっと後? とにかく、乳首女が妊娠検査棒を買ってくれたのか、どうやら妊娠しているらしい。つまりは、父親はあのクルマ? げげ。そして、膣からでるはずの血液は、黒々としている。この黒い液は、もっと早くから見えていたっけ? 記憶あやふや。
ののち、乳繰り合ってたんだっけか、突然、簪を外して乳首女にグサリ。どうも頬に刺さった様子。痛っ! くんずほぐれつ。またしても側頭部にグサリ。やれやれ、と思っていたら2階から男が半裸で降りてくる。え? なアレクシア。火かき棒を手にすると、つづいて女も降りてきて、「なんなのこの家?」なアレクシア。笑える。男は「警察を呼べ」と女にいい、女は2階へ戻っていく。抵抗されながらも押し倒し、男の口内に椅子の脚を突っ込んで、グサリ。念のため椅子に座って、グサリ。痛っ! 女を追って2階に上がると、なんと大柄な黒人が裸でいる。「何人いるの?」「4人」と応える黒人に、抱きつく感じで背後から火かき棒をグサリ。女は? 一目散に階段を降りて逃げていく…。というこの場面は、痛いけど、慌てるアレクシアとか、コメディ要素があって笑えた。
逃げるアレクシア。街中。行方不明者の顔写真。指名手配された自分の写真。行方不明者の中に、自分と似た顔つきの少年。トイレで髪を切り、自分を殴り、洗面台に顔を打ち付けて鼻を折る。と、次の場面で警察。ガラス越しに見ている男。…この場面、混乱した。あ、逮捕されたのか。実父がやってきたのか。と。なのに、次の場面では実父に連れられ、家に戻っている。え? しばらくして分かった。顔が似てる行方不明者として出頭し、その父親を呼んでもらい、その父親は「間違いない」といって引き取ったのだ、と。なーるほど。で、その父親は消防士の隊長で、若手の部下が何人かいる。父親は息子の部屋だったところにアレクシアを連れて行く。ベッドに横たわるアレクシアに「なんだ。服を脱がないのか?」というんだけど、乳房とふくらんだ腹を見られるのを懼れて縮こまっているアレクシア。なんとか服を脱いで、背を向けてベッドに横たわる。…はたしてこの父親は、他人のそら似を真実の息子と信じていたのか? 息子じゃなくてもいい、誰でもいい、戻ってきてくれさえすれば、と思っていたのか。別れた妻が後に登場するんだけど、彼女はアレクシアに「あの人の妄想」といっていたから、たんなる思い込みなのか。知らんけど。
この後は、消防隊員として働くことになるアレクシア。大きな変化はなくて、ひたすらでてくる下腹を気にしながらの日々。同僚のひとりが隊長の息子というふれこみのアレクシアに疑念の眼差しを向けたりするんだけど、自ら短髪から丸坊主にしたりして溶け込もうとする。
訓練のなかで、戸棚の下の扉の中に燃える死体があるような場面があったりするのは、なんなんだ? 父親が山火事の消火に出かけている場面は幻想的だけど、現実、なんだよな。その父親が、自分で尻に注射してるのは持病なのか。でも、なんの病気か分からない。男の、おそらく別れた妻がやってきて3人で食事する場面があるんだけど、彼女はひとめで息子ではないと見抜く。「彼(父親)の幻想につけこむな」だったか、そんなようなことを言っていたっけ。おそらく息子の失踪をきっかけに離婚したのかな。しらんけど。妻は確か、アレクシアの腹と胸を見たはず。でも、そのことを元夫には言ってないと思う。そうそう。父親が尻の注射を途中でやめて、アレクシアに打ってくれ、という場面があった。ありゃなんなんだ? このときだったか、父親はそのまま失神してしまうんだけど、2本打ってODだったのか? 死んだのかと思ったけど、そうでもない様子。よく分からんけど。ほかに、腹がかゆくてかきむしって穴が開くのも、ここだったか。もちろん、流れるのは黒い血。とかとか、消防隊員の期間のあれこれは、順序も出来事もあまりよく覚えてない。で、最後の方で、隊員たちが飲んで踊って騒いでいると、アレクシアがみんなに押されてクルマの上に乗り、踊れ、踊れ、とコールされて。踊り出したのが、腰をくねくねのセクシーダンスで。隊員たちは、女みたいに(女なんだけど)踊るアレクシアに「なんだこいつ」な視線を投げかける。でも、アレクシアは踊りを止めないという場面があったんだけど、あれは意識してセクシーダンスを踊ったのか? よく分からん。
で、その後どうなったんだっけ。アレクシアが父親の横に寝て、キスしようとして拒絶されたんだっけか。と思ってたらアレクシアが産気づいて黒い血を流し、父親が産婆がわりに取り上げ、慈しむようにする。この出産の場面には賛美歌がずっと流れる。臍の緒はどうしたんだ! というツッコミはおいといて。その生まれた赤ん坊の背骨の部分が銀色に光っていて、これは金属的なハイブリットな子供が生まれたのか、でオシマイ。
という、奇妙奇天烈な話だった。アレクシアを妊娠させたのは悪魔で、だから血が黒い、と見てるとき思っていたんだけど、クルマの事故とチタン内蔵でクルマを偏愛するようになってしまった女、と考えると、とくに宗教的な関係はないのかな? でも出産シーンには賛美歌が流れてたよな。聖書やギリシア・ローマ神話に詳しくないので、下敷きにしてる話があるのかないのか、よく分からない。とにかく、いろいろと思わせぶりなエピソード満載の、変態映画だった。
親愛なる同志たちへ4/11ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/アンドレイ・コンチャロフスキー脚本/アンドレイ・コンチャロフスキー、イェレーナ・キセリョーヴァ
ロシア映画。原題は“Dorogie tovarishchi”。allcinemaのあらすじは「1962年、フルシチョフ政権下のソ連。政府の経済政策の失敗で、物価高騰と食糧不足が深刻化する中、国家に忠誠を誓うリューダは熱心な共産党員としての恩恵もあり、父と18歳の娘スヴェッカの3人で穏やかな生活を送っていた。そんな中、ソ連南西部ノボチェルカッスクで労働者の大規模な抗議活動が勃発する。事態の収取に乗り出した政府だったが、やがてデモ隊や市民に向けて無差別銃撃に踏み切る事態に。デモの現場に向かったまま帰ってこなかったスヴェッカの身を案じ、必死でその行方を捜し始めるリューダだったが…。」
Twitterへは「ロシア映画。ソ連時代。物価高、品薄、給与引き下げでデモに走った労働者を国家とKGBが弾圧した黒歴史をモノクロスタンダードで。脚本も演出も古くさく分かりにくい。昔の映画を見ているよう。共産主義は都合の悪いことを隠蔽するよね。」
ソ連時代に発生したデモと、弾圧の黒歴史を映画にできる、という意味では、現在のロシアは自由度が高くなっているということなのかね。とはいえ、つくりが古くさく、まるで当時(つまり1960年代)につくられたかのような仕上がりになっているのは、たぶん意図的にそうしているんだとは思うけれど、映画としての面白みに欠けすぎてつまらない。緊張感やスリルも、あまり伝わってこないし。それと、人物関係や、登場する人物についても掘り下げは余りされておらず、情緒的な面からも感情移入できるキャラもいないので、冷ややかに見るしかない。まあ、こちらが、ソ連時代の社会環境についての知識があれば別なんだろうけど、ムリだよね、
地理的な町の規模・構造、建造物や家からの距離感なんてのが、ほとんど見えない。しょっちゅう会議みたいなのが開かれているけど、ありゃなんなんだ? 主人公のリューダは党員で、どういう資格で会議に参加してるんだ? いつも横にいてあれこれ話してる男は誰? ストの発生した工場はなにをつくっていたの? ストはどのように発生し、拡散していったの? てなこともさっぱり分からない。ある日突然ストが起こり、町の偉い人(市長とか、そういう感じではないよな)に連絡があり、さらになんとか委員がやってきて、でも庁舎はデモ隊に包囲されて(でも、その映像はない)出られなくなりアタフタし、でもなんとか地下を通って脱出し…。あたりがドタバタコメディに見える。監督に戯画化するつもりはないのかも知れないけどね。
庁舎のまわりはどうなっていて、町の偉い連中は建物のどのあたりにいて、が見えない。と思ったらさっさと軍隊が来たとかいってるけど、どっからやってきて、庁舎のどこにどう存在してるんだ? そのときデモ隊とはどう対峙したんだ? とか、ほとんど見えない。そういう映画のつくりになっているので、つまんねえんだよ。
軍隊は出動させるが銃は不携行とした。そしたら偉い誰かがモスクワに連絡し、同時に、銃を持たせることになって。ということは、この時点では市民に苦界を加えるつもりはなかった、と。でもフルシチョフの御機嫌伺いだったか、それともモスクワからの指示だったか覚えてないけど、銃で威圧しろと命令され、で、軍隊は威嚇射撃したけど、同時に屋上に配置されていたKGB(いつからいたのかサッパリ分からず。突然名前がでてくる)が狙撃して市民がバタバタと倒れていった、と。じゃそれはモスクワからの指示でKGBがやってきて、撃て、と命じたということなのかな。市民が逃げ回る場面で、傷ついた女性(だったかな)を床屋の中に連れて行き、ガラス窓を背に座らせる。ドアを閉め、隠れたつもりがその女性の首に背後から銃弾が命中し、ガクッ、っていうのがあるんだけど、あまりにベタというか稚拙な演出過ぎて、これは笑った。コメディかよ。これも監督はシリアスなつもりなのかも知れないけどね。
デモとその鎮圧、伴った殺戮について、当局は口外厳禁として一人ひとりから承諾書をとるんだけど、なんでまたこんな面倒なことを。怪我人を治療した看護婦やその他、対象がどこまで及ぶのか知らんけど。おかしかったのは、若い娘が承諾書を書かされようとして口が滑り、工場にいたことが分かってしまって連行されること。ストの当事者として監禁されるのかね。
当局が懼れたのは、理想的な共産主義国家であるはずなのにストが発生したことを、国民に知られたくなかった、ということなのか。では、その原因である食糧難、物資不足、給与引き下げはどうして起こったんだ? これまた天候不順なのか? だったら全土で同じようなことが起こってるはずで、デモが広がったら大変だからね。
不思議なのは、リューダで、彼女は町の会議場で、スト参加者は逮捕すべきだ、なる独自見解を述べ、周囲に「おいおい」な扱いを受ける。あれも、よく分からない。だって自分の娘が工場勤めしてるんなら、娘もストに参加してるかも知れないわけだしなあ。それと、ことあるごとに「スターリン時代ならこんなことは起こらなかった…」と懐かしんでいることが不思議。でも、娘に「スターリンを懼れて何も言えなかったんでしょ!」的なことを言われて怒ってたりしたけど。
リューダにはもっと不思議なことがある。この映画、冒頭、後朝の朝から始まって、リューダらしい女が「買い物に行く」とかいって部屋を出ようとすると、男が「亭主が戻ってきたら云々」というのでずっと「?」だったんだよね。で、物資不足でごった替えしてる店に行くと馴染みの女主人が奥に導き、あれこれ特権的に分け与えてくれるのだ。なんだこれ。リューダも偉い方の人間なのか? たんなる深いつきあい? でも、お返しにストッキングをあげる、なんて言ってたから、そういうルートもあるということで、並の市民とは違うのかな。で、買い物して家に戻ると娘が朝シャワーしてて、18歳なのにブラジャーしてなくて母親に叱られたりと、なんだこの家族。しかも娘に「他の男と寝てるくせに」なんて言われる。は? 亭主いるのに浮気してて、それを娘が知ってるのか? (後半になって、戦中に女房もちの男と愛し合い、娘が生まれた。1944年。けれど、男は英雄として死んでいった。ということをKGB男に話しているので、では母子家庭だったのか、と分かるのだが) という女性が党員として、町で委員の端くれを務めているのはどういうことなんだろう?
リューダには、ちょっとボケた父親がいて、どうやらコサックだったのか? 昔の軍服を着て懐かしがったりしている。KGB男だったかが訪問してたとき「コスプレしてるの」なんていってたけど、本来はいけないことなのか? ソ連の指導部に対する民衆の抵抗感を象徴させてでもいるのだろうか。
という流れのなかで、リューダの娘が行方不明になり、安否を気遣って探しまくる、というのが後半の展開。娘の友人宅(中に、傷ついた知人が隠れてるようで、廊下は血で汚れていた。権力に逆らう雰囲気は、あふれてたのね)。げが人の治療の現場、遺体置き場なんかをぐるぐる周り、特権的な立場を利用して話を聞き出したり、進入禁止エリアにも入ったりしてる。気持ちは分かるけど、職権濫用に感じられて、共感的できない。な、なかで、リューダも黙秘の承諾書を書かされるんだけど、担当の男が妙に以降の展開にからんでくる。リューダの家を訪ね、娘の旅券を渡したりしている。なんなんだ? 旅券というのは、海外じゃなく、国内の移動につかう身分証明書のことか? で、なんか個人的にあれこれ話す仲になっているのは、とても不自然。しかも男は自分がKGBであることを素直に話すんだけど、無防備すぎないか。という中で、遺体置き場の犠牲者6人(ぐらい)以外に、郊外に遺体を埋葬した云々を聞きだし(リューダに埋葬の情報を教えてくれたのは、看護婦だっけか。これまた職権濫用での情報収集だな)、KGB男の運転で町の外にでようとするんだけど、なんでKGB男はリューダに親身になるんだ? 
市外へ出ようとすると石造りの門があるんだけど、これは、城塞都市になっているということなのかな。まあいい。ここでクルマが止められ、軍の大尉がKGB男を部屋に呼び何か話したようなんだけど、内容は分からず。いったい何を話したんだ? KGB男は大尉に「おれはKGBだ」というんだけど、公然と活動していたのか? KGBは。しかも軍隊より力は強くない、のか? っていうか、話に関係ないなら、ここの描写は要らんだろ。で、しょぼくれた警官(ジジイみたいに見えるけど、幼児がいるのだ!)の家に行き、埋めた場所に案内させるんだけど、この経緯もいろいろと杜撰。ここでも警官に「おれはKGBだ」を連呼するんだけど、警官はちっともヒビらない。しぶしぶ、という感じでやっと町の墓場に案内されるんだけど、警官は1日2日前に埋めた墓場の跡が分からないとか抜かす。いくら夜だったからって、掘り返した跡ぐらい分かるだろうに。いやまて。工場でスト参加者を狙撃したのはKGBなんだよな。だったら遺体の埋葬を命じた側ではないのか? 命じたのは軍隊? 軍とKGBの連携はどうなってるの? KGB男は、事務方なのか?
でまあ、靴下からつま先が出ていて青いリボンの娘を埋葬した、と警官がいうので、これは間違いない、と確信。掘り起こそうとして止められ、KGB男と町に戻ってみれば、町はデモや殺戮があったばかりなのにダンスパーティ会場づくりで市民がにこやかに談笑しているのが、おいおい、な感じ。20〜100人単位で死者が出て、怪我人はもっと多いだろうに、うかれてていいのか? というか、多くの市民にとって工場のデモなんて関係ない話なのか? 変なの。
ボケた父親が、娘が帰ってきたというようなことを言う。あらら。やっぱり警官はボケてたのか。知らんけど。で、屋根にひとり隠れていた娘と再会し、よかったよかった、と抱き合うところで終わるんだけど、でも、ストやデモに参加してたらそのうち告発されて監獄行きなんだろ? せいぜい3年ぐらいとか言ってはいたけど。
ストの全貌は分からんし、征圧する軍隊やKGBもはっきり描かれない。犠牲者の数や被害状況も見えない。そして、指揮しているのか、それともモスクワの指示にアタフタしてるだけなのか、よく分からんお偉方たちの役割やその後の処罰も分からない。デモ参加者は、どうなったの? 逃げ隠れた連中は、見つかって裁判にかけられたのか? ぜーんぜん見えない。
こういうストやデモが発生したのは、ソ連の管理がまだ十分じゃなかったから、ではないよな。1962年なんだから。このころから一般市民の反発がくすぶっていたということなのか。でてきた将軍が、「この出来事は外部にはとても知らせることはできない」とか言ってたけど、ソ連体制のほころびなの? しかし、都合のわるいことを隠蔽し、市民を脅し、なかったことにするのは、共産主義の手口だな。もちろん極右の独裁でも似たようなことはあるだろうけど、むしろ邪魔者はどんどん拷問・抹殺しちゃうんじゃないのかな。共産主義・社会主義が人々にとって最良の社会体制なら、喜んで受け入れるはず。たとえ自由に国外に旅したりしても、やっぱりソ連がいいわ、と戻ってくるだろう。でも、そんなことをさせた社会主義国家はない。北朝鮮しかり。自由にさせたら、どんどん国外に逃げちゃうだろう。だからベルリンの壁みたいなものができた訳だから。つまりは、この事件も暗黒社会=社会主義国家の黒歴史、ってわけだ。独裁国家と変わるところはない。
・偉いやつが「ストの首謀者みつけろ」的なことをいい、デモ隊に紛れたKGB(?)が撮った写真を閲覧。「この男は口を開いている。首謀者だ」なんて決めつけるのは、バカでしかない。こういう政治体制だったんだろう、きっと。こうやって抹殺された人は、多いんだろう。怖ろしいことである。
★前の席の白髪オヤジが落ち着かない人で、絶えず頭を右に左に揺らす。しかも、背筋伸びて背もたれから頭半分以上見えていて、気になって仕方がない。背負いバックでオヤジ頭を隠しつつ、でもなかなか上手く行かずの2時間で、ストレスたまりすぎ。
旅のはじまり4/12シネ・リーブル池袋シアター1監督/松本和巳脚本/---
allcinemaの解説は「虐待やネグレクトなどにより子ども時代に家庭に居場所を失った経験を持つ若者たちに話を聞くとともに、そんな問題を抱えた子どもたちに寄り添い、彼らを守るために奮闘する大人たちの活動に密着したドキュメンタリー」
Twitterへは「切り口(養護施設の職員と子供たち)はさておき、演出・構成・編集が隔靴掻痒。客に見てもらう体になってなくてストレスしか感じない。「これじゃ分からん」とアドバイスする人が周囲にいないのか。しゃれた感じにつくっての自己満足しか見えてこない。」「・人物紹介字幕の文字が読みづらく、すぐ消えるから読めない! ・「たし」「じそう」「ほごしょう」その他業界内略語が注釈なしでぞろぞろ。ADHDだって分からん。 ・インタビュアーの声が聞こえない。  >> 全セリフ字幕(注釈付)にすりゃいい。 ・一般用語、施設名として「居場所」が登場で混乱。」
最初は、ある施設から出ていって自立する少年の紹介。なので、彼の話かと思ったらそうではなくようす。では、その特定の施設の現在の入所者と介護者の話かと思ったら、そうでもない感じで、別の養護施設とかNPO法人とか、とくに脈絡もなく登場し、自分たちの経験や苦労話をし始める。そして、そこに当初の施設の入所者とか、卒業生とかも再登場する。なんだこのムチャクチャな構成は。
メッセージ性の強いドキュメントなんだから、最初に言葉の定義とか、現状説明をちゃんとするべきだよね。こういう状況から養護施設に預けられる子供がいる。何歳ぐらいから何歳ぐらいまでいて、何歳に出ていくことが決められている。こういう施設にはどういうものがあって、何人ぐらい生活している、とか。その手の情報を冒頭でカチッと伝える。その上で、どこどこ施設では…と入ればいい。さらに、別の施設の人が登場するときは、それなりに、その施設を紹介する。フレームがちゃんとすれば、話もすんなり頭に入るんだよ。なんとなくだらだら…では、茫洋とし過ぎて、伝わってこない。
で、人物が最初に登場するとき、名前と肩書き、コメントが20文字ぐらいでる。のだけれど、書体がムダにオシャレで読みにくい。それを読んでいると、読み終わらないうちに消えてしまうのだ。おいおい。イラッときてストレスで爆発しそう。そのせいもあって、字幕が出て読んでいる間の、本人の語りが頭に入らなくなる。なんてこった。ゆっくり読み終えるぐらいの時間、字幕、出しとけよ。
で、本来の主役であるべき被害者=子供たちの出番が少ない。登場しても、本来は壮絶だったはずの経験を淡々と、あるいは、にこやかに話しているように見えて、大変さが伝わってこないのよね。インタビュアーとして話を有効に引き出せてない感じがする。ある女の子が言っていた「SNSへ逃げてもダメ」的なこと。それと、養護施設探しで苦労した(200万必要と言われたところもあったとかいう経験)保護者の話。あの手の、なるほど、な話をもっと本人の口から話すようにしないと。監督(たぶん)の「〜だよね」「うわー、そんなだったの」とか、相づちのような言葉が聞こえてくるけど、それじゃ意味ないと思う。
その、監督の質問が聞き取りにくい。写されてる人が「そうそう、そうです」なんて応えてても、質問が分からなければ何も伝わらんだろ。もちろん応える施設の人、子供たちの会話も、ときどき聞こえにくい。それだけではない。施設の大人たちの話の中に、業界内だけで通用する略称がぞろぞろ登場する。
「たしだし…」と、寮母の女性が言う。一瞬考えて「多子」のことかと分かった。
「じそう」がどうとか頻出する。しばらくして「児童相談所」の略かと想像ついた。
「ほごしょう」とかってのもあったな。「一時なんとかかんとか」って本人が言いなおしてたけど、あとから調べたら、一時保護のことらしい。
個人的な経験で言うと、医療や介護の人って自分たちの世界だけで通用する略語や3文字英語を使いまくるんだよね。何のことですか? と聞き直すと説明はしてくれる。けど、直らないんだよね。使ってる言葉が一般の人に伝わらない、ということが理解できていない人が多い。こういう人が人の痛みにどれだけ気づけるか、と、よく思うんだけどね。
ほかにも、一般用語の「居場所」と、施設名や、システム名としての「オンライン居場所」がごっちゃになってるんだな。施設名に「居場所」なんてのが含まれていては分かりにくい。いや、字幕で出している、と反論するかも知れないけど、その字幕が早く消えすぎて読めないんだよ。同じ人が再度登場する、所属や立場、名前を繰り返しでいいから字幕で出すべきだよね。じゃないと、名前なんて覚えられないぞ。
あと、「通報」する、「保護」する、なんてのも業界用語だな。想像はつくけど、正確ではない。やはり、登場したときに映像を止めて説明すべきだろう。それと、入所してる少年が医師の説明を受けている場面で、ADHDがどうの、と話していた。これだって注釈がないと分からん人はたくさんいるはず。
要は、全体に不親切なんだよ。一般人に何が理解でき、何が理解できないか、を考えていない。整理整頓とかの5Sの説明なんかより、本質に関わるこういう説明をちゃんとしなきゃ、伝わらんだろ。そういうところが、無神経すぎる。
ある施設の主催者のような女性が、「助成金は椅子取りゲーム」と喩えていた。さらに、「NPO法人が行政の悪口言わない方がいいよと言われた。でも言うよ」と言っていた。これなんかも、補足すべきだよ。このドキュメント、ナレーションがないけど、ムダに富士山とか風景挟むんなら、必要な情報をナレーションで伝えればいいんだ。
で、なんとなく終わりに近づいて、エンドロール前に、登場人物の笑顔が次々と…は、ちと不気味すぎ。さらに、エンドロールの名前は、ちっとも届かないし響かない。むしろ、顔写真と名前にすりゃいいじゃないか。文字が動いたって、意味ないだろ。
音楽もいまいちかな。なんか、ほんと、伝わってこないのだった。
ハッチング - 孵化 - 4/15シネマカリテ 劇場1監督/ハンナ・ベルイホルム脚本/イリヤ・ラウツィ
フィンランド映画。原題は“Pahanhautoja”。allcinemaのあらすじは「北欧のフィンランド。両親と弟と家族4人で、広くて奇麗な家に暮らす12歳の少女ティンヤ。体操クラブに所属する彼女は、家族の幸せな姿を撮影してはSNSで公開することに夢中な母親の期待を一身に背負い、大会で良い成績を残すために辛い練習に耐える日々。そんなある日、森で奇妙な卵を見つけた彼女は、そのまま家に持ち帰ると、家族に内緒で卵を温め始めるのだったが…。」
Twitterへは「フィンランド映画。ホラーのふれこみだけど解離性障害で説明のつく話だった。全体にチープで演出や見せ方もなかなかの稚拙さ。まあ、そこが見どころなのかも。まったく怖くないどころか、笑えるシーンも随所にあるぞ。」
嘘くさい家族(とくに両親)への嫌悪感を、邪悪としてふくらませる娘の話だった。
母親はYouTuberなのか、理想の家族を演出した映像をアップしつづけている。父親も、嬉々としてそれに参加している。娘と弟は、ムリやりつき合わされている感じ。娘ティンヤは器械体操をしていて、でも技術がイマイチ。大会出場枠に残るよう、母親はつききりで応援してる(とくに暴力も罵詈雑言もない)。
話は、動画撮影中に家の中に飛び込んできたカラスみたいな鳥で、花器やガラスの器、シャンデリアなどを壊してしまう。なんとか捕獲し、母親に渡すと、逃がすと思いきや無情にも首をへし折って「生ゴミに捨ててこい」と言われる。生ゴミバケツはミミズもうごめいていて、ティンヤはそのなかに捨てる。この時点で、嫌悪感が邪悪に変貌したのだろう。夜、ティンヤは鳥に誘われ森に迷い込む(夢だろう)。彼女は見つけた鳥の頭を石で打ち砕き(これは、正常な心が壊れたことの象徴か)、近くにあった卵を持ち帰る(これは、邪悪のはじまりか)。
…という分析は後から考えついたもので、始めはファンタジー系のホラーかと思ってた。さて、卵(邪悪な心)はどんどん巨大化し、怪鳥(もう1人の邪悪なティンヤ)が誕生する。物語が進むにつれ怪鳥から嘴が消え、爪のある足が人間の手になり、金髪でドレス姿になってくる。そして、父親や母親から「ティンヤ!」と呼ばれ始める。つまり、怪鳥はティンヤ自身なのだ。ってことは、拾ってきた卵はもう1人のティンヤの誕生=萌芽を表していると考えるのが自然だろう。母親の言いつけに従う従順なティンヤに対して、嘘くさい家族ごっこをつづける母親や父親を憎み反抗するダークなティンヤだ。
隣家に同年代の娘が越してくる。が、器械体操クラブに入っていて、大会参加の枠を争うライバルだと分かる。隣家の娘は犬を飼っているのだけれど、怪鳥はこの犬の首を噛み契ってしまったらしく、なんとティンヤの枕の横に死骸を置く。気づいたら顔の横に首のない犬の死骸! 思わず吐いてしまうティンヤ。けれど、怪鳥はティンヤのゲロを美味そうに食べるのだ。つまりはゲロは嫌悪感や敵意の象徴で、ティンヤの嫌悪する心を吸収し、怪鳥=邪悪は成長するわけだ。ティンヤは、あえてバカ食いして吐き、ゲロにして怪鳥に喰わせる。ティンヤの嫌悪感・敵意が、別人格である邪悪なティンヤを成長させるというわけだ。
というわけで、解離性障害をダークなファンタジーに色づけし、ホラー映画として仕上げた、という感じ。とはいえ「?」もいくつかある。
まず、母親の浮気相手テロは、いったい何なのか? 飾り気のない質素な家に住み、大工仕事もでき、少し野卑で男臭いテロ。考えて見ればこれは虚飾に満ちた母親に何の文句を言わずしたがっている素直だけど覇気がない父親の反転図といえる。解釈はいくつかできて、ティンヤが想像する理想の父親なのかもしれない。ロンの妻は亡くなっていて、幼い赤ん坊だけが残されている。これはつまり、想像の中でティンヤは母親を殺し、小生意気な弟は赤ん坊にしてしまっている世界だ。母親はロンと浮気しているカタチになってはいるけれど、これも、母親がロンのような男と一緒になってくれたらいいな、という願いかも知れない。ティンヤがロンの家に預けられ、そこでしばらく暮らすのも、母親抜きの世界で生きたいという願望ではないのかな。
あるいは、実は父親は別の顔を持っていて、母親が居ないところで男の隠れ家を所有し、そこで羽根を伸ばした生活をしていて。そこに母親もときどき訪れ、虚飾をすてた女になっているのかも知れないけど、この解釈はムリがあるかな。
はたまたロンの屋敷は精神科病院で、ロンは医師、そこでティンヤは治療を受けていた、と考えることもできる。
ティンヤが最初にロンの家に預けられたとき、どこか別の部屋でセックスでもしているのか、母親のあえぎ声が聞こえてたけど。
もうひとつ。ティンヤは大会で演技中、怪鳥がテロの赤ん坊を鉈で殺そうとするのを感じ取り、意図的に落下。怪鳥の悪事をとめるところがある。別の場所にいるのだから、二重人格ではなくやはり怪鳥は存在するのか? というより、母親の思い通りに素直に従ったりはしないぞ、というティンヤの自我の目覚め、と考える方が自然かも。そうやってティンヤは怪鳥の意志=自分の中の悪意を感じ取り、それを制止したと考えるべきだろう。ということは、ティンヤの解離性障害が寛解してきたということが考えられる。
あるいは、ロンと赤ん坊は、過去の話かも知れない。ロンはかつての父親、赤ん坊はもちろんティンヤ。けれど母親は変貌し、虚飾の世界へ行ってしまった。つまり、かつての母親は死んでいなくなったも同然。そんな、かつての家族を懐かしむティンヤの妄想とも考えられる、かも。
怪鳥の姿が次第に人間に変化し、顔にある傷も薄らいでいくのは、ティンヤの解離性障害が薄らいできた証ではないか。ロンの家に預けられたまま(つまり妄想世界に入ったまま)のティンヤを迎えに来る母親は、ティンヤを妄想世界から救いだすことのメタファーなのかも知れない。
というような解釈をあとから考えて見たんだけど、実は見ているときはチープでアホらしい展開過ぎて、退屈して眠気に誘われていたのも事実。最後の方、どうなったのかもはっきりとは覚えていない。
そうそう。分からないところがまだあった。ラスト近く、テロの家に入って決別してきた(?)母親の唇が赤いのは、ありゃ血か? それとも別れの口づけのせいか? そういえば、最初の方で母親が出張(あれは、荒々しいロンの家に行って発散してきたのか?)から戻ると弟が抱きつくんだけど、その弟の胸の所が汚れたのは、ありゃなんだったんだ? あれも血? 口紅?
もういちど、解釈に則って見てみると、もう少し分かってくるのかも知れないけど。
ニワトリ☆フェニックス4/18シネ・リーブル池袋シアター2監督/かなた狼脚本/かなた狼
allcinemaの解説は「「ニワトリ★スター」の主要キャストを再結集して撮り上げたロード・ムービー。続編としてではなく、新たな物語として再構築し、束の間の逃避行として繰り広げる主人公2人の火の鳥探しの凸凹珍道中を奇想天外に描き出す。」
Twitterへは「寝るほどつまらない。そうか。『ニワトリ★スター』の続編的な話か。どおりで。しかし、よくつくらせてくれたもんだ。だれが金出したんだろ。」
とくにストーリーはあってないような感じで。ヤクザを抜けようとした楽人が幼なじみの草太に連絡して目的なしのドライブに出かけ、ラップ百姓に会ったり、怪しいバーで勃起虫を食わされ陰毛を剃られたり、チャリ旅行中の青年と西瓜を食べたり、火野正平の坊主と蝉の話をしたり。ここで、ついでのように突然「火の鳥を探している」なんていうことを楽人がいいだして。さらに、LiLiCoのボンデージ姿がでてきたり、奥田瑛二が橋の上で…ああ、このあたりで眠気に耐えきれず寝てしまったよ。1時間過ぎたあたりかな。で、気づくと、どんな場面だったかよく覚えていない。
2人のドライブと並行して結婚式なのか女性が登場し、でも忘れものをしたとかいってタクシーで取りに行くという話が途切れ途切れに入るんだけど、花嫁にしてはオバサン顔過ぎだろ! それに加えて、楽人を探していらだつヤクザがチラチラ映る。けど、ヤクザにとってなぜ楽人が必要なのか分からんので緊迫感はない。何かを盗んで逃げてるような気配もないし。
で、結婚式の場面になって、オバサン顔の花嫁が父親=草太に感謝の言葉を涙ながらに語るんだけど、つまんねー。っていうか、ドライブから何年経ってるんだ?ドライブのとき、草太の娘は何歳だったんだ? 気になるだろ! 
っていうような感じでエンドロールが流れるけど、役名しか書かれていなくて。仕切り直して、放心している楽人と、ヤクザ事務所の場面になり。ヤクザの兄貴が楽人に電話で、ヤクザ辞めていいぞ、と突然言い放ち。「おれもヤクザ辞める」といい、弟分2人にも、「お前らも辞めろ。やめて農業やろう! スッキリした」といってオシマイ。
だからなんだ、な感じだよ。『ニワトリ★スター』はぼんやりしか覚えてなくて。LiLiCoがバックでセックスしてるところとか、部屋の2階がごちゃごちゃしてたことぐらいしか記憶にない。その『ニワトリ★スター』より、今回の『ニワトリ☆フェニックス』は記憶に残らないと思う。つまんないから。
それにしても、設定とか状況について、草太=井浦新があれこれナレーションで説明しすぎだろ。
皮膚を売った男4/19ギンレイホール監督/カウテール・ベン・ハニア脚本/カウテール・ベン・ハニア
チュニジア/フランス/ベルギー/スウェーデン/ドイツ/カタール/サウジアラビア映画。原題は“The Man Who Sold His Skin”。allcinemaのあらすじは「内戦の続くシリアを逃れ、難民としてレバノンで暮らすサム。好きに移動することができず、恋人への想いは募るばかり。そんな時、偶然出会った芸術家から、大金と自由が手に入るある奇抜な方法を提案される。それは、サムの背中を売り渡してくれれば、そこにタトゥーを施し、サム自身をアート作品にあげるというもの。アート作品となれば、世界中を自由に行き来できるようになるというのだった。こうして芸術家と契約を結び、アート作品として売買の対象になっていくサムだったが…。」
Twitterへは「ダークなSFかと思い込んでいたら、金のためにアート作品になったシリア難民の話だった。題名で損してるような気がするな。中盤からやっとすこし面白くなってくる。」
シリア難民が国外脱出し、自らの背中をアートの支持体として芸術家に売って…という前半は話が淡々と進むだけだなのでわりと退屈。話に入れなかったのは、主人公の態度性格にあったかも。シリアに暮らしていたのだから、反体制派ではなく、アサド政権下に暮らしていたんだろう。なのに恋人に列車内で求婚する場面も、恋人が「やめて」というのに踊り出し叫び始め、「革命だ!」と叫んでーだせいで逮捕されてしまう。ただのバカだろ。さらに、警察内や、他の場面でも素直でなく、態度がでかく傲慢なんだよね。人への感謝の念も感じられない。やなやつ、という印象しかない。こんな男を、恋人であるアビールは愛し続けている。どーも理解できない。という思いがあって、話に入れなかったんだと思う。
逮捕はされたが、たまたま担当の警察官が従弟で、それで逃がしてくれるというラッキー。で、レバノンへ行くんだけど、あのとき一緒だった女性は恋人のアビール? で、レバノンでは画廊のパーティに潜り込んでつまみや酒をいただくという貧乏生活。それを画廊主(?)なのか、な美女ソラヤ(妙に色っぽい。あ、モニカ・ベルッチか。55歳頃!?)に見抜かれ、調理場に来れば食べさせてあげる、というのを断るのは、なんなんだ? プライド? バカかと思う。で、その画廊で出会ったアーティストのジェフリーに、背中にアートを彫らせて欲しいと提案され、始めは躊躇してたけど、100万ユーロとベルギーに行かせてくれる、という条件にのったわけだ。
一方のアビールは両親から見合いを勧められ、相手がベルギーのシリア大使館勤めなら戦乱を逃れられる、とほいほい話に乗ってしまって、いまはベルギー生活。サムへの愛はどうなったんだ? と思っていたらSkypeでサムとしょっちゅう情報交換しているという、なんかよく分からん関係なんだよね。しかも、旦那もそれを知っているという。なんなんだ?
サムの背中に掘られたのは「VISA(査証)」の文字と幾何学的模様。サムが難民で、逃げてきたことを象徴するものなのかね。サムは、アート作品としてベルギーに入国できたんだっけかな(スイス経由でベルギーから出るときだったかな。スイスだけは、人間としてでなく、アート作品として許可したとか何とか言ってたのは)。
で、ベルギーの博物館ではサムの背中を目玉にした展覧会が開かれ、あれこれサムが翻弄され始めるあたりから、やっと話に興味を持てるようになってきた。
まず、やってきたのはシリア難民を救う会の連中で、展示中のサムの周りにやってきて、難民を食いものにしやがって、とアピールする。まあ、ありそうなことだ。で、アビールと旦那もサムを見にやってきて、どういういざこざがあったか忘れたけど旦那が激高して、近くに掛けてあった絵を破っちゃうんだよね。確か、1100万ユーロ(15億ぐらい?)っていってなかったか。美術館は訴訟に持ち込もうとしたけど、旦那は仲裁を希望し、それでサムは、何かの手を使って(忘れた)館長に迫り、示談にしたんだったか。どういう示談になったのかね。
かと思うと、サムの背中に吹き出物で、治療中は「修復中につきご覧いただけません」の注意書きが置かれるというのは、笑った。子供が見にくると、その子供と会話しようと展示台から降りて、でも、監視に注意されて台に戻るとか、これもありそう。とはいえ、自分の立場をわきまえていないというか、じっと展示されていればいいのに、一言二言、いいたくてたまらん性格なんだよね、サムという男は。背中を金で売って国外に逃げたんだから、言われるとおりにしてろよ! と、見ててイライラする。
と思っていたら、なんと売却され、ちゃんと買い手もいるという。さらに、オークションに出品され、500万ユーロで落札される。生身の人間をアート作品として流通させるというのか。あり得る話しだけど、人間としてのサムの世話はどうするんだろう? とか、気になって興味深い。普段の生活はどうするのか、拘束時間は、自由時間は、生理現象はどうしているのか、一生涯これなのか、病気になったら、死んだら…。たらればの興味が尽きないよ。
で、オークションだけど、落札されたかと思ったら突然、客席に降りてきて、手に何か握ってる。爆弾!? と思ってみな逃げ出す! これは、サムなりの反抗心なんだろうけど、これまた身の程を知らない行為。というか、いつ反旗を翻すとも分からんアート作品は扱いにくいよね。この件で裁判になり、不起訴になったけど。で、ちゃんと売られたのか? ご破算になったのか? 知らんけど。
落札されてだったか、落札されずだったのか、よく分からんけど、サムが国外に出たいというようなことをいいだし、フツーなら人身売買になるけどスイスはOKだから…というのは、最初のときの話だっけ、ここでの話だっけ? 自由になったのか? でまあ、故郷に帰りたいっていったんだっけか。しかもアビールも離婚して、サムと行動をともにするという。この恋人も変人だよね。
と思ったら、ソラヤや作家のところに新情報。YouTube画像にオレンジ色の捕虜服姿のサムが現れ、ISISのメンバーに頭を打たれる。見た瞬間、これフェイクだろ、と思ったらその通りだったことが分かるんだが。それはさておき、こういう場合、作品は所有者の手を離れ国立博物館に収められるとか何とか(しかし、死骸はどうやって入手するのだ? ISISに金を払うと言うことか?)。よく分からんが、入手したらしい刺青入りの皮膚が額(がく)に入れられうやうやしく壁に掛けられるのは、冒頭に映ったシーンの繰り返しだ。皮膚を剥がした? と思ったらサムとアビールはどこかのリゾート地で仲よくしていて。皮膚を培養して云々、刺青はレーザーで焼くつもりだ、とかナレーションでいっている。は? 組織を培養したら同じ刺青の入った皮膚が再生できるのか? DNAクローンの皮膚ということ? 意味分からず。
まあ、最後はサムとアビールが一緒になれてハッピー、な終わり方だけど、なんかなあ、という気もしないでもないなあ。
・サムの母親は戦禍で下半身を壁の下敷きになり足を失っていた! という場面がさらりと出てきて、おお。
・「現代美術家ヴィム・デルボアの実在のアート作品に着想を得た」と最後に字幕がでてきた。すでに生身の人間の作品はあるということか? Webの情報によると「デルボアが2006年に発表した「TIM」。ティム・ステイナーという男性の背中にタトゥーを入れた作品で、会場ではステイナーが入場者に背を向けてひじ掛け椅子に座っていた。」「「TIM」のオーナーはドイツのアートコレクターで、落札価格は15万ユーロ(2008年当時、約1900万円)。ステイナーは年数回の展示会への出展のほか、死後タトゥーが彫られた部分の皮膚をオーナーに渡す契約を結んだという。」ですと。
パーフェクト・ケア4/19ギンレイホール監督/J・ブレイクソン脚本/J・ブレイクソン
原題は“I Care a Lot”。allcinemaのあらすじは「マーラ・グレイソンは、判断力の衰えた身寄りのない高齢者を様々な災難から守るために活動する法定後見人。多くの顧客を抱え、裁判所の信頼も厚い彼女だったが、その正体は法の抜け穴を巧みについて高齢者の資産をむしり取る冷酷な悪女だった。そんな彼女の次のターゲットは、孤独な資産家老女ジェニファー。身寄りもなく格好の獲物と思いきや、予期せぬロシアン・マフィアの影に命の危険が迫りくるマーラだったが…。」
Twitterへは「老人を食いものにする極悪後見人の話で、ムカつかせてくれる前半がテンポ良くスリリング。後半はありがちな展開になるけど、攻守交代しつつなかなか面白い。スケールは違っても、日本でもあるぞ、この手の詐欺とか老人の薬づけとか…。」
孤独かつ痴呆で資産もちの老人をターゲットに、高齢者施設の医師とぐるになって法定後見人となり、合法的に資産をまるごと奪い取るという冒頭からの流れが、見てるだけで腹立たしい。ここまで心を逆なでするとは、映画として上出来な証拠だ。ある婆さん(ジェニファー)がターゲットにされ、強制的に施設に閉じ込められる所なんて、もー、ひどいもんだ。
家財一式運び出され、貸金庫も見つけ出され、家も売り物件に。というところにタクシーがやってきて、運転者(実はローマンの手下の元ロシアンマフィア)が「ジェニファーは?」と。ここから新たな展開が始まって、ジェニファーは謎の大ボスで侏儒のローマンと関係がある(実は母子)ことが分かってくる。なるほど。
ローマンは、まずは弁護士を立ててマーラのジェニファーに対する後見を無効にしようとするんだけど、裁判長の見解なんかもあって失敗する。ではと元ロシアマフィアの手下を施設に潜入させ、力づくで連れだそうとするが、それも失敗。うーむ、見ていてじれったい。じゃあ、とローマン腕利きの女殺し屋に、施設の医師を殺させる! おお。このあたりサクッと見せてるけど、やることはえげつないな。あと、女殺し屋がチラッとしか映らないのは、ちょっとなあ…。もうちょいフィーチャーしてくれよ、と思った。ローマンが直接マーラと対峙するのは、このあとだったか。女殺し屋の麻酔銃で撃たれて連れ去れたんだったかな。始末は女殺し屋に任せたんだっけか、あやふや。鼻から注入されたのはアルコール? マーラの乗ったクルマが暴走し、池に沈むんだけど、間一髪、ドアを蹴破って逃げ出すというのは、おいおい。素人のマーラがスーパーガールになっちまってるぞ。アルコールでの酔いは効果なしなのか? ずぶ濡れでガスステーションにやってきて、店員にあれこれ注文するところは、濡れた下着のおっぱいがなかなかセクシー! あと、気になったのは、上の奥歯を牛乳ボトル見たいのに入れて持ち歩くのが、なんのことやら? と思ったら、翌日の歯科医で納得。歯根膜を生かしておいて、元に戻すためだったのか。なるほど。
で、マーラの相棒のフラン(なかなかチャーミング!)もローマンの手下にボコボコにされていたけどなんとか生きていて、どころか、あんな殴られたのに翌日は元気! は2人してローマンへの反逆を計画。手下を片づけた後、お返しと許りローマンを麻酔銃で気絶させ、連れ去る。さてどうなるかと思ったら、なんとローマンが介護詐欺に関して「手を組もう」と申し出る。「金は俺が出す。運営はあんたが」で、手打ち。さあ、儲かる儲かる。新企業はうなぎ登り!
と思っていたら、駐車場かどこかを歩いているマーラにオッサンが近づき「面会できないまま母ちゃん死んじゃったじゃないか!」と銃弾をお見舞いする! という、おお、なるほど、な伏線回収。というのもこのオッサン、冒頭で登場し、母親が介護施設に入れられて面会もできないと訴え、しかみ裁判所でも却下されていたのだよね。
というわけで、むかつく女マーラに対する人物が登場して、でも、連れ去られたジェニファーの救出が行われるけど背後にはヤクザのボスがいて、しかも救出は実母のジェニファーだけなんだよね。ともに利害関係ありの悪vs悪の対決で、どちらにも感情移入はできず。まあ、どっちかって言うと、ローマンに少し片寄るかな、程度。おい。正義の使者はどこにもいないんかい! と思っていたけど最後まで登場せず。でもまあ、最後、フツーのオッサンが仇を討ったカタチになってはいるけれど、でも、これでものごとは解決していない。老人の後見人詐欺は、なくなることはないだろう。という告発になっているのかな?
・ローマンがマーラに送った弁護士は、手を引けば金をやると提案するが、マーラは逆に1000万ドルを要求したんだっけか…。いや、弁護士が1000万と提案したんだったっけか? うろ覚え。いっぽう、ローマンが母親名義の貸金庫に隠していたダイヤは1個は20万ドルぐらいで、10個ぐらいあったか。桁が違うような気がするんだけどなあ。
・1807年の悲劇とかいうのがセリフの中に出て来ていたけど、なんなんだ?
パリ13区4/25ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ジャック・オーディアール脚本/セリーヌ・シアマ、レア・ミシュー、ジャック・オーディアール
フランス映画。原題は“Les Olympiades, Paris 13e”。allcinemaのあらすじは「コールセンターで働く台湾系フランス人のエミリーは、ルームシェアを希望するアフリカ系フランス人の高校教師カミーユと出会い、意気投合した2人はすぐに男女の関係に。しかしエミリーの募る想いとは対照的に、束縛を嫌うカミーユはあくまでもルームメイトとして接し、それ以上の深い関係にはなろうとしなかった。同じ頃、32歳で大学に復学したノラは、年下のクラスメイトたちに馴染めず、居心地の悪さを感じる日々。ある日、金髪にウィッグをつけてパーティに参加した彼女は、有名ポルノ女優の“アンバー・スウィート”と勘違いされ、大学に居づらくなってしまうのだったが…。」
Twitterへは「尻軽中国娘、田舎出のフランス女、ドライな黒人男。によるフランス映画。挨拶するようにセックスし、深入りを避け、ヤバイ過去を持ち、死者を背負う。拒否。抵抗。好奇心。和解。とか、いろいろ読めるけど、とっ散らからりすぎな気もするんだよね。」「あんまりエロくないピンク映画、って見方もできなくはないかも。」
フランス映画なのにパリジャンも白人のスケコマシも出てこない。台湾系の娘(エミリー)とアフリカ系の男(カミーユ)、田舎から出て来た娘(ノラ)、あと、セックスワーカーの女(アンバー)の出自はなんだったか、忘れたけど、想像するフランス映画ではないよね。別に悪いといってるわけじゃ無いけど。
そして、モラル。会ってすぐ性的なコミュニケーションをして、それが愛でもなければ好き嫌いでもないというのは、よく分からない。しかも、一夜限りでも無い関係。よく分からんね。
エミリーは台湾系の二世。認知症の祖母は近くに介護施設で暮らしている。イギリスに居る母から「お婆ちゃんに会いに行ってね」と電話で言われても、腰が重い。住まいは祖母の持ち家で、でも自分も賃貸人のフリして同居人募集中。そこにやってきたのがカミーユ。上級の資格を得るため学校を一時休職し勉学に励むつもり、らしい。同居人は女性がいいといっていたエミリーだけど、カミーユとは気が合ってすぐさま同居開始。と思ったら、速攻でセックスしまくる関係になる。どうもエミリーがお熱な感じ。なのにエミリーの「したい」に「今日はムリ」とか断られるようになり、そのうち学校の同僚の女性を呼んでセックスしたりするようになる。エミリーには「君のことは別に好きではないし愛してもない。つき合ってるつもりはない」と面と向かって言う。のだけれど、この感覚が分からない。
ストレスたまったエミリーは勤め先のコールセンターで客に暴言を吐いてクビになってしまう。
ノラは32歳。ソルボンヌの法科復学し、さあこれからというとき、同級生にひどい勘違いをされてしまう。学校のパーティなのか、で、金髪ウィッグをしていったらWebでオナニーを見せて人気のアンバーと勘違いされ、クラスのみんなから悪口メールが届くようになる。それで学校に行かなくなるんだけど、この経緯がちょっと極端だろ。こんなことになる展開は、フツーに考えてあり得ない。リアリティのなさと、強引がもって行き方に、違和感ありすぎ。
で、ノラは過去の経験を活かして不動産屋に職を求めるのだけれど、ここのオーナーが何とカミーユで。知り合いに頼まれ、右も左も分からないのに雇われ店長をしている、という。この設定も強引すぎて、違和感。フツーあり得ないだろ、こんなの。で、カミーユはノラに一目惚れのようで、ちらちらエロい眼で見てたら「そういう眼で見ないで」とぴしゃりというところが、凄い。会社の人間関係と個人的な関係は別物で、言うべきことはちゃんといい、でも、仕事は仕事で変わらずすすめる、というドライな感覚が、よく分からない。フランス人はこうなのか?
とはいえ次第にうちとけ、セックスしようかという関係になるのだけれど、ノラが「ちょっと待って」とその日はやめになるんだけど、理由が意味深。セックスは久しぶり、実は義理の叔父と10年間関係があった、と。そういえばノラに「帰ってきてくれ」と懇願する電話があったけど、あれか。とはいえ、こんなことをさらりと言い、でも、それ以上掘り下げないのはなんなの? 田舎出身の才女でソルボンヌに進み、でも休学して地元の不動産業で働き、32で復学という背景にあるドラマは、ノラにどういう影響を与えているのだろう? 想像しろって? おいおい。えーと、とはいえ、その後、カミーユとは関係ができて、カミーユは美人のノラに惚れまくってる感じなんだけど。
でそのノラは、自分が似ているというアンバーのサイトにアクセスし、話をするようになる。そのうちアンバーは「課金はいいから、Skypeで話そう」と、Skypeで身の上を話し合う関係になる。と、アンバーはカツラを脱ぎ、坊主頭であれこれ心情を吐露するようになる。
これにともなって、ノラとカミーユとの関係がいまいちになっていき、どーもノラが感じなくなってしまったのか。正常位はいいから後背位にしろ、ああ、ダメだ、もうやめよう、なんて感じになっていく。この心の変化が、よく分からない。ラストの展開を見ると、もしかしてノラはレズビアン体質で、男よりも女性に、肉体よりも精神的なつながりを求めていた、というようなことがありそう。で、その原因はもとからの体質なのか、あるいは義理の叔父との性関係が10年もあったことなのか。は、明らかになっていない。
エミリーはレストランの配膳係に職を得て、生き生きと仕事をしている。仕事を抜けてセックスする場面は、あれは身体を売っているのか? 知り合った誰かとセックスしてるのか? どーもエミリーは下半身がルーズなイメージしか受けないのだよね。エミリーの所にはカミーユからよく連絡があり、会ったり、ノラの話を聞かされたりしている。これまたよくわからない。もう過去の女だろうに、なんでつづくの? まあ、台湾人のお客がやってきて、その通訳に駆り出されることもあるようだけど。でも、そんなのたまたまだよね。
カミーユは教師仲間とのパーティにノラとエミリーも誘い、ノラはカミーユとエミリーの関係を疑い、問うと、「寝たことがある」と素直に言い、嫌悪されたりもする。セックスは挨拶がわりなんじゃなかったか? ノラは律儀なの? 
なところでエミリーの祖母が亡くなり、それをイギリスの母親から知らされる。自分が祖母をないがしろにしていたことは、あまり反省してない様子。母親は、祖母の家を売る、らしい。でも、エミリーはめげてない。カミーユは、葬儀に出ようかというけれど、愛してくれてもない黒人のあんたがやってきて、親戚になんて説明するの? と言われてたじろぐけど、どうらや当日は2人で参列したようだ。しかも、カミーユは電話口でだけど、エミリーに「愛してる」と告げている。なんなんだよ。この展開は。ぞっこんだったノラに振られ、じゃあエミリーでいいや、なのか? ノラに拒否されたカミーユと、かつてカミーユに拒否されたエミリー。そんな立場じゃ、長つづきせんだろ、この2人。
一方のノラは、公園で生身のアンバーと会う約束をしたらしく、出会うのだけれど、面と向かった瞬間、倒れてしまう。寄りそうアンバーに「キスして」と言うのは、求めていた人をやっと手に入れた、ということなのか? こっちも、ただの心の友達なのか、よく分からん。ウィックでをつけ、自分ではない何かを演じようとした2人。青春時代が欠落したノラと、フツーの人生が欠落したアンバー。補い合うように、暮らしていくのかしら。しらんけど。
カミーユには、どもりの妹がいて。デブなんだけど。スタンダップコメディが好きで、自分が書いて舞台に挑戦中? で、ネタをしゃべってるときはどもらない、という。何かのメタファーになってるのか? このエピソード。
・移民、不動産、挨拶がわりのセックス、商品化されたセックス…。いろいろあるけど、全体にまとまりなくて、あーそうですか、な気もしなくもない。
余命10年4/27109シネマズ木場シアター8監督/藤井道人脚本/岡田惠和、渡邉真子
allcinemaのあらすじは「20歳の時に数万人に一人という不治の病にかかり、自らの余命が10年であることを知った茉莉。避けられない死を静かに受け入れるため、もう恋はしないと誓っていた。ところがある日、同窓会で再会したかつての同級生・和人に思いがけず心惹かれていく。やがて、会うべきではないと思いながらも、和人との距離が縮まっていくことに喜びを感じていく茉莉だったが…。」
Twitterへは「とくに興味はなかったんだけど妙にロングランしてるので気になって…。で、最初から最後まで淡々と、とくにドラマもなく、いろいろじれったい。10年あるならさっさと、いろいろやれ! 感情移入できるところもないし、泣けないし、盛り上がりもいまいち。」「上野駅前デッキ、奏楽堂の前、夕焼けだんだんの手前、日暮里駅北口、とか知ってるところ結構出てきた。三島も行ったことある。伏流水がきれいなんだよね。桜並木はどこだろ?」「亀有もでてきてたのか。あの、真ん中に水飲みがある八百屋かな。店を出したのは、江東区常盤。清澄白河に近いところかな。」
・2011年に発症し、2年間入院。2013年には退院し、(この間、大学は3年で中退)大学時代の友人と再会する。彼女らは、茉莉の病気を知ってるんだよな? 同時に、かつて住んでいた三島の中学だか高校の同窓会の連絡があり、出席している。ここで陽気なタケルと陰気な和人に会うわけだ。
・しかし和人のひねくれ具合が理解できず。中学? の同級生で、家業を継げば安泰なのに東京に出て来て、部屋はゴミだらけ。で、ベランダから飛び降りて自殺未遂。で、入院した、という連絡が、同じく同級生で東京にいるタケルから茉莉に連絡があり、病院に行くんだが。いろいろ変だろ。親と疎遠で、でもその親はタケルに「見舞に行ってくれ」といい、自分たちは来ない。どういう関係? 親とタケルは親密で、親と和人は話をしない。でも、自殺未遂の情報は親に行ってる。どういうこと? 親の家業は何なのか? なぜ継がなかったのか? なぜ東京で鬱状態になったのか? 会社は辞めた? それが、茉莉にちょっと言われただけで元気になって居酒屋に勤め出したりする。その背景がいつか明かされるのかと思ったらそんなこともなく。なんだよそれ。隔靴掻痒。
・同窓会出たり和人の見舞や快気祝い、就職祝いと、あちこち出歩いている茉莉。結構元気じゃん。死病である原発性肺高血圧症の症状や進行具合が見えないので、その辛さや近づきつつある死も感じにくいんだよね。家では鼻に酸素のチューブつけてるのに、外出時はしていない。大丈夫なんだぁ。ってな気分になってくる。
・2013年〜16年はあっという間に過ぎるんだけど、大学の同期で出版社勤務の沙苗から仕事をもらい、順調にこなしている様子。元気じゃん。その間に元気な間に和人と遊んだりはしないのか?
・和人のことは好き、でも、胸な傷があるから裸にはなれない? 死の病であることを告白できない? なんでえ? 重篤な白血病患者とかALSの人とか、死を背負いながら生きている人はいくらでもいるのに、なぜ正直に言えないのだ? 言えば和人が離れていくから? …というような葛藤が、まるで見えない。じれったすぎる。
・家族がみな陰気面してる。10年もあれば笑うときもあるし冗談いうときもある。「死」を感じさせるような会話は御法度、なんて、そこまでピリピリしてるか?
・茉莉と和人の関係が、漠然過ぎてちっとも見えないのだよね。和人も、さっさと「好き」と言えよ。手をつなぐのを拒否られたら、「なんで?」と聞けよ。もう20代も半ばだろ。そういう関係なのに、タケルと、出版社勤めの茉莉の友人とを交えた友だち関係はつづけてる不自然さ。いらいらしてくる。
・で、後半だったか、茉莉は誰だったか(友人の編集者だったか?)に「すべきことがある」とかなんとかいって、その後スノボしに2人で泊まりがけの旅行に行くんだが。死ぬ前にセックスしておかなくちゃ、ってことだろ? 家族もそれを知りつつ送り出したってことだよな。あたりも、想像するしかない。もうちょいはっきり表現してもいいんじゃないの? 
・で、一夜を過ごし、早朝、ひとりで先に帰ろうとする。ドラマチックをムリやり演出かよ。フツーにいちゃいちゃして帰ってきてもいいだろうに。深刻ぶった演出が、臭すぎ。
・その後、体験を元にした小説の執筆に時間を費やしているようだけど、そんな時間があるなら和人と会えばいいじゃん。会って力をもらえばいいじゃないか。和人にとって自分はまもなく死ぬ存在だから、負担になるとでも勝手に思ってるのか? 和人も、「出切る限り一緒にいたい。力になりたい」とは思わんのか。変な展開だよなあ。あー、いらいらする。
・姉の結婚式でトイレにいたら、自分の余命について他の客の会話を聞く場面がある。あれはつらいだろうと思う。とはいえ、誰が漏らしたんだ? と、追求したくならんのか?
・ラスト近く、病床で、たらればの夢想場面がある。就職できて、結婚できて、子供も授かって…。のところは、ほんの少しだけど同情心が湧いてきたかな。
・死ぬところは描かず、和人が花束を持っている場面で終わる。なんかなあ、愛し合っているなら、もっとベタベタくっついてろよ。男より、小説の完成の方が大切だったとしか見えないぞ。うーむ。
・『ドライブ・マイ・カー』の三浦透子が大学の同級生として登場するんだけど、ほんのちょっとなのはなんでなの? 

 
 

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