帰らない日曜日 | 6/1 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/エヴァ・ユッソン | 脚本/アリス・バーチ |
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原題は“Mothering Sunday”。allcinemaのあらすじは「1924年のイギリス。その日は、メイドが年に1度だけ里帰りを許される特別な日曜日“マザリング・サンデー(母の日)”。しかしニヴン家で働く孤児院育ちのメイド、ジェーンに帰る家はなかった。その代わりに向かった先は、近隣のシェリンガム家。その家の跡継ぎであるポールは幼馴染のエマとの結婚を控える身だったが、ジェーンと秘密の関係を続けていた。寝室で愛し合った後、婚約祝いの昼食会に急ぎ向かったポールを見送り、そのまま一糸まとわぬ姿で屋敷内を優雅に探索するジェーンだったが…。」 Twitterへは「設定や人物関係が曖昧なままずるずるの冒頭からの流れ。時制をクロスさせたカットバックも混乱…。ちとタルかったけど中盤からはセンシティブでミステリアスな感じになって。そして、おお…。それにしてもあれ、グレンダ・ジャクソンだったのか!」 3家族が登場するようなんだけど。メイド・ジェーンの働くニヴン家は分かるけど、ジェーンの彼氏ポールの属するシェリンガム家と、ポールの幼なじみで婚約者であるエマのホブデイ家は、ちゃんと紹介されないからよく分かんないんだよね。最初の方の、ニヴン家にポールとエマがやってきて食事会? の場面なんか、なにがなにやら。そもそもシェリンガム家とホブディ家の婚姻に、ニヴン家が関わるのはなんでなの? 昔からの付き合いで、なのか。イギリスの良家の風習なんて知らんから、戸惑うだけであるよ。 でまあ、おいおい分かってくるんだけど、ポールは3兄弟の末っ子で、どうやら上の2人は第一次大戦で戦死(とははっきり言ってない)なのか。ニヴン家も、どうらやら息子がいたけど、こちらも死んでいる様子。でも、そんなこと、はっきり会話では言ってくれないので、ずっとモヤモヤなまま話が進んでいくんだけどね。だってニヴン家の夫婦はずっと暗い面持ちでいるんだもの。でも、泣き言をいわないのは、息子の戦死を誇りに思わざるを得ない良家のたしなみ、なのかしら。 で。馬の疾走にキャーキャーいってる3兄弟は、ありゃシェリンガム家の3兄弟なのか。馬の足を3兄弟で分けるみたいなことを言ってたけど、あれはメインの話にどう関わるのか、最後まで良く分からすだった。 な1924年。ニヴン家の仲立ちでシェリンガム家のポールとホブデイ家のエマの婚約が整った、と。3兄弟とエマは幼なじみで、エマは当初兄のいずれかと結婚する予定だったけど、死んでしまったのでポールが、ということのようだ。 というポールだけど、日常的にはニヴン家のジェーンとシコシコやってて、ジェーンもその関係を楽しんでいる様子。どうやったって一緒になれないことは分かっていながら、両家のお坊ちゃまとの色恋沙汰は楽しいものなのか。よく分からない。しかも、婚約の席で、給仕を務めているのがジェーンなのだから。にしても、どうやって2人は? 日頃から行き来しているうちポールが目をつけて納屋にでも連れ込んで…。なのかしら。そういえば、ニヴン家の死んだ息子の1人は、シェリンガム家のメイドとできていた、とかいうようなことを言ってたような。良家のお坊ちゃまは、他家のメイドとイチャイチャするのが風習だったのか? なモヤモヤはあるけど、ジェーンの笑顔と裸体が清々しくて、それ見てるだけで十分満足、な感じの映画なんだよね、これ。 呼び出しは電話で。ジェーンが受ける。「明日(だったか今日だったか)は正面から来い」とポール。普段は裏口、なんだろう。その日はメイドの里帰りの日(藪入りみたいなものか)で、でも嘘ついて自転車で、めかし込んでシェリンガム家へ。ここのメイドも里帰り中なんだろう。行為が終わって、ポールは、約束の会食(ニヴン家の2人とエマとの)に、既に遅刻しているけど、身支度を始める。チンポコ丸見え。ベッドのジェーンに、「ゆっくりしていけ。お菓子がある」と言い置いて、ポールはクルマで出かける。素裸のまま階段を降り、図書室で背表紙を指でなでていき、1冊、だまって借りる算段か。台所で菓子を頬張り。なんてところに誰かが来るのでは? という不安もあるけど、そんなことはなく。また自転車でニヴン家に戻ると、旦那様が予定より早いお帰りでクルマにいる。なんと、ポールが事故死した、という。おお。どういう話に転がって行くんだろうと思っていたら、思わぬことに。シェリンガム家につたえに行くから一緒に来いと言われ、いったんは室内へ。動揺を隠し平静を装っていたジェーンが浴室(だっけか)で、わっ、と泣き崩れる場面が迫ってくる…。跡継ぎをすべて失った良家。どうなるんだろうね。 戻ってすぐだったか、シェリンガム家からもとってきてからだったか。ジェーンがペッサリーを取り除く場面がある。まだ、そこにポールの精子が残っている…。悲しい場面だ。 という1924年の話の間に、一度、老婆の姿が映る。さらに、もうちょい若い、ジェーンなのだろう、落ち着いた女性と、同居人の黒人男性の生活も。 1924年の話の最後に、ジェーンは「お暇をいただきます」とメイドを辞め、街の書店に職を得ている。その後、書店で出会った彼と生活を共にし、ところが彼が不治の病に犯されて亡くなってしまう。という話が断片的に挟まれ、最後は、あの一瞬映った老婆が、なにやら賞をもらったとかで、記者が自宅に押し寄せているところ、だった。なるほど。ジェーンはもともと文学に興味があり、書店に勤め、小説を書き始めて成功。しかし、またしてもパートナーを失う。という人生を送ってきたのか。なる物語だった。 話としては、それほど奥が深くない。けれど、先にも触れた、ポールとの行為の後の、裸のまま屋敷を探索していく場面が、いいんだよね。・黒人の彼に作家になった理由を問われ、タイプライターをもらったことと、あと1つはなんだっけ。そして、最後まで話さなかったのは、なんなんだ? 死にゆく床の彼にはi love you としか話さなかったけど。 ・あと、残った馬の足の1本は、誰のもの? とう話は、なんか意味あるのか? よく分からず。 ・あの、老婆の作家が、グレンダ・ジャクソンとは! おお。 | ||||
息子の面影 | 6/2 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/フェルナンダ・バラデス | 脚本/アストリッド・ロンデロ、フェルナンダ・バラデス |
メキシコ / スペイン映画。原題は“Sin senas particulares”。スペイン語だが、よく分からず。allcinemaのあらすじは「メキシコの貧しい村に暮らすマグダレーナ。ある日、息子は友人とともにアメリカへ旅立ち、そのまま消息を絶ってしまう。彼女は安否不明の息子を探すため国境へ向かい、わずかな手掛かりを求めて必死の旅を続ける。そんな中、アメリカから強制送還されてしまい、母親を探して彷徨う青年ミゲルと出会うマグダレーナだったが…。」 Twitterへは「うわ。凄いな。怖いところだな。メキシコ。以上。」 息子から連絡がないので警察に行くと、遺体の写真を見せられ、遺伝子検査で息子らしいという遺体とも対面。でも、真っ黒焦げ。なので息子の安否を自分の目で確かめようと、事件現場まででかける母親…。 でね、警察で中年女2人が警官に対して座っている場面で、ちょっとイライラ。どっちが主人公なんだ? の説明がまったくない。片方の中年女は写真に自分息子を認めたらしいが、そのあたりで、ああ、こっちが一緒に出かけた少年の母親なのか、となんとなく分かった。あと、分からんのが、どこで何があったのか、を説明してくれないので、これまたイライラ。アメリカに入って行方不明になったのか? どういう事件に巻き込まれたのか? 観客はさっぱり分からんままつきあわされる。でも、母親は警察から概略聞いてるのだよね。ハンデありすぎじゃね? 観客は。 で、平行して、眼科医の女性の話が進む。最初は眼内レンズを挿入してるみたいな映像で、君が悪い。そこまでする必要がどこにあるんだろ? で、母親が、遺体確認後、警察から「サインすれば捜査は終了」と渡された書類が読めなくて困惑してると、横に眼科医。どうも眼科医も息子が犠牲になった、らしい。眼科医は母親の書類を見て「サインすれば終了。しなければ捜査はつづく」とアドバイスする。でね、この眼科医、重々しく登場したからその後、どこかで絡んでくるのかと思いきや、これだけなんだよね、出番が。拍子抜けでしょ。 なんでもバスが襲われたとかで、そのバス会社に行って、バスの運転手に会わせてくれ、って頼んでたんだっけか。運転手も殺されてたら、誰に会おうとしてたんだろ。同じ路線の運転手? でもけんもほろろで。でも、事務員がそっと、どこそこに行ってみな、とアドバイスをくれて。行った先がシェルター(というから困窮者支援所みたいなところか)で、そこの担当女性が、襲撃で生き残った老人の居所を教えてくれた。遠い村まで、てくてく、なのかな。な途中でミゲルという青年に遭遇。警戒はしつつも、老人の村は遠いから家に泊まっていけ、と誘ってくる。とはいえ、ミゲルも強制送還された身で、家には数年ぶり、らしい。で、行ってみたら家は廃墟同然。納屋では家畜が死んだまま腐ってる…。40過ぎの母親と青年ミゲルに何か起きることもなく、翌朝。ミゲルは件の村まで行くのにボートが速いからと、近くに住む叔父だか知り合いだかのオジサンだかの家にいくと、不在、かと思ったら返事があって。でも、その男は誰だったんだ? あかの他人? ボートも借りられず、母親の行方も聞かない。なんか変な場面だな。 で、どうやって村へ行ったんだっけ。2人で歩いて行ったんだっけか。ボートを調達できたんだっけか。忘れた。生き残った老人の語るには、バスが襲撃され、多くは殺され、焼かれた・・・と。で、そのときの様子が、冒頭で友人の母とともに見た写真なのだろう。老人も、顔に白い痣のある少年のことは覚えていて、殺された、と言っていた。 でまあ、ミゲルの家に戻って(遠回りして歩いたんだっけか)寝ようとすると、誰かが近づいてくる物音。2人は闇に逃げるが、ミゲルは見つかって。あっけなく殺されてしまう。あたふた逃げる母親。つまづいて倒れ、懐中電灯の方を見ると、立っている影が「母さん…」と。おお。なんと、死んだかも知れないと思っていた息子との意外な遭遇。 こっからイメージだけど、これは息子が話したことなのか。襲われたバス、殺されていく乗客。息子と友人が、並んで死を待つ。盗賊のボスが息子に「友人を殺せ。殺せば仲間に入れてやる」といい、息子は…。それで仲間になった、という結末だ。おお。意外な展開。息子は母親に「そのうち送金するから」と。 ラスト。母親は遺体引き取り書類(?)にサインしている。当初、サインしろと言われたものか? で、次の場面は暗闇に炎、その炎の中から、黒い影が近づいてくる。人影? 最後の意味がよく分からんのだが。母親は息子が生きていることに安堵し、さらに送金をあてにして嘘をついた。事実は語らず胸に秘め、ダークな世界に堕ちた、ということなのか? よく分からん。 母親の、息子を思う心はさておいて。アメリカに不法入国しないとまともな暮らしができないメキシコ人。国境に行き着くまでに、盗賊が襲ってくるメキシコ。友人を殺させて、強盗仲間に加えるメキシコ。その強盗に生計を頼ろうとする母親…。強制送還されても、家族がどうなってるか分からんメキシコ。すべてにメキシコ怖い、という印象しか残らんのだよね。こんな映画を、メキシコがつくるのね。それも怖い。 | ||||
シング・ア・ソング! 〜笑顔を咲かす歌声〜 | 6/2 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3 | 監督/ピーター・カッタネオ | 脚本/レイチェル・タナード、ロザンヌ・フリン |
原題は“Military Wives”。allcinemaのあらすじは「イギリス軍基地に暮らす女性たちは、戦況悪化が著しいアフガニスタンで作戦に従事するパートナーたちの無事を祈り、その帰りをじっと待つだけの不安な日々を過ごしていた。大佐の妻ケイトはそんな女性たちが元気になれる活動を探し求め、やがて合唱団を結成することに。しかし、みんなのまとめ役のリサとケイトが音楽性の違いで衝突するなど、初めはバラバラだった合唱団。それでも次第にまとまりを見せ始めると、彼女たちを毎年大規模に行われる戦没者追悼イベントに招待するという思いもよらぬ知らせが。まさかの大舞台に浮足立つ一同だったが…。」 Twitterへは「原題が“Military Wives”とでて、は? ほのぼのな話かと思ったら、夫をアフガンに送り出した妻たちの、ギリギリのストレス解消法が歌だったという話。妻も夫の階級に依存してる風で、かつての日本の社宅みたい。」 思い込みで『歓びを歌にのせて』みたいな感じかと思っていたら軍人の妻が出てきて、題名が“Military Wives”とでてきた。邦題とのエライ違い。なんと銃後のサークル活動の話だった。どうやらみんな基地住まいで、妻たちのまとめ役は大佐夫人のケイト。これがクリスティン・スコット・トーマスで、いつもの気品ある知的な役柄と違って、原理原則をくそ真面目に守るガチガチの糞ババアを演じてる。一方で、奥さん連中に慕われているのは曹長(?)夫人のリサ。こっちはざっくばらんで、基地のスーパーでレジ係をしてたりする。で、突然のアフガン赴任で亭主がいなくなった基地で何か活動を、と基地の偉い人から頼まれたケイトが奥さん連中を集めてアイディア出し。こっからもう、ケイトとリサの考え方の違いがでてて、おかしい。やっぱ、人物キャラもテンプレ的にはっきり見えてると、分かりやすくて楽しいぞ。 あれやこれやで結局コーラスになるのは、いまいちつまらないオチだけど、設定がそうなんだからしょうがないか。でまあ、楽譜と教本通り、基礎から教え込もうとするケイトに対し、コード進行で耳から慣らしていこうとするリサが対立し、他の奥さんたちは、うんざり、な感じ。とはいえ、リサの御機嫌を伺いつつ、自分の考えを押し通そうとするケイトの愚直さは、これまた笑える。 イギリス軍がアフガンに? と思ったけど、アメリカの要請で行ってたんだろうな。どのぐらいの規模か知らんけど。で、メンバーに1人、新たに基地にやってきた若妻がいて。やっぱりな、な感じで夫がアフガンで犠牲になるという不幸。みんなに慰められつつも、「私、基地を出なきゃいけないのよね」に、実家は近いんだから、コーラスはつづけなさいよ、な答で安心したりして。でも、日本なら、亭主が戦死したのにあんな明るくコーラスつづけられねとは思わんな。さっさと実家に戻り、嫁ぎ先とも縁を切って、ひっそり暮らすんだろうな。再婚だって、そう簡単にできそうもないな、日本だと。 みんなでハイキング的に外歩きし、雨にたたられトンネルに入り、ノリノリで歌っていたら、小太りのジェスが美声なのが分かって。彼女がソロでフィーチャーされるような流れになる。こういう展開は、よくあるバターンやね。 で、練習の歌声を基地の偉いさんが聞いて。戦没者追悼会にでてくれ、な依頼を受けて、嬉しいやら自信がないやらで、あたふた。とはいえ練習だ! で、街角にでてみんなの前で初披露、で、やってみたらジェスも声が出ず惨敗! このシーンだっけかな。街を歩いていたら戦争反対のビラ配りにあって。そしたらケイトが「こっちは戦争と結婚してるのよ」的なことを言うところがあって、なかなか潔い。ってことは、クリスティン・スコット・トーマスも反戦ではなく、必要であるとの立場なのかな。知らんけど。 でまあ、街頭コンサートは失敗で、追悼会も辞退しよう、な声も出るんだけど、いや、行くぞ、で当日。チャーターしたバスに乗ろうとして、ここでまたケイトとリサのバトルが勃発する。じつは、発表する楽曲は、歌詞を夫からの手紙の断片を元にし、作曲はリサが「する」と宣言したのだった。昔取った杵柄なんだろう。それにケイトは大反対。でも、それを押し切って、リサは追悼会前日まで作詞作曲していた。けれど、どーしても詞が足りない。なので、ケイトに無断で、ケイトの死んだ息子の手紙から少し拝借した。その、最新の歌詞を、バスに乗ろうとしていたメンバーに配っていて。そのとき、リサはケイトに、あなたの息子の手紙を使った、と言ったんだけど、ケイトは「無断で! ひどいわ」的な怒りよう。「あんたの娘は彼氏のチンポコ両手でフェラしてるのよ!」という罵倒に、「フェラは口でするものよ。手じゃないわ。あんたがそんなだから、亭主もアフガンに逃げ出すのよ!」と言い返す始末。まあ、ケイトはそこまで堅物なんだろうな。で、バスに乗るのをやめ、自宅にもどって息子のだったクルマに閉じこもってしまったのだ。 はっきりとは示されないのだけれど、大佐とケイトには息子がいて、でもたぶん戦死している。大佐は、アフガンで傷を負い、もどってきて回復基調。で、クルマの中のケイトと話し、どうやって翻意させたか忘れたけど、息子の、なかなかエンジンのかからないクルマでロンドンまでドライブ、ということになったのだ。で、ギリギリで間に合ったケイト。で、追悼会でのコーラスは大成功。ケイトも、言い過ぎたわ、ということでリサとの仲も回復し、よかったよかった、なエンディングだった。・リサの亭主は黒人で、夫婦仲はベタベタな感じ。娘は反抗期的な態度をとるけど、コーラス奥様たちの子守もしたり、まあ、いい子であることは違いない。 ・メンバーの1人が、「夫がいない間は、下の毛はボーボー、シャーウッドの森よ!」というのが、ふーん、な感じ。ってことは、下の毛は常日頃お手入れしてるってことなのか? | ||||
ハケンアニメ! | 6/3 | 109シネマズ木場シアター4 | 監督/吉野耕平 | 脚本/政池洋佑 |
allcinemaのあらすじは「テレビの連続アニメ「サウンドバック 奏の石」での監督デビューが決まり気合が入りまくる斎藤瞳。しかし、彼女を大抜擢してくれた敏腕プロデューサーの行城理はビジネス最優先で、その理不尽な要求に瞳の不満は募るばかり。一方、そんな瞳が土曜夕方アニメの覇権を争うことになるライバルが、瞳も憧れる天才・王子千晴監督の「運命戦線リデルライト」。王子を尊敬するプロデューサー、有科香屋子が彼の復帰作として用意した企画だった。しかしこちらも、有科がワガママな王子の気まぐれに振り回され、現場は混乱を極めていくのだったが…。」 Twitterへは「アニメ業界モノは『SHIROBAKO』があるが、これは実写。追われる締め切り、ムリ難題、競合との視聴率争い(って、いまあるの?)も交えて面白い。ただし最後が尻すぼみ。ラス前で泣かせる場面もあるんだから、スカッと景気よく盛り上げて欲しかった。」 冒頭からの流れは、ちょっと分かりにくい。いきなり、こちらサンドバック側、こちらリデルライト側、と言われても、そもそもの設定(枠組み)が説明されていないので、はあ? だった。まあ、おいおい分かっては行くけど。 話は単純で、2つのアニメ製作会社が、同時間帯のTVアニメをつくることになり、方や新人抜擢の斎藤瞳が監督に。対する方は、かつて名作をつくったけどその後はイマイチで半ば雲隠れ、な王子千晴が監督を担当することに。世間の注目は王子の方で、瞳の方は軽い扱い。とはいえ同じ時間帯で対決するので、視聴率の競争が激化する、というような流れ。 なかで興味深いのはアニメ製作の現場が実写(当たり前だけど)で、アニメの『SHIROBAKO』よりリアルに見体験できることかな。とくに音入れは、ラフスケッチでの段階で動いて、セリフの部分にマークが出るとか、なるほど、なところもたくさんあった。 とはいえ、2作品がつくられることになった経緯とか、はほとんどなくて、物足りない。それぞれに原作があるのか。あの、会議に出てた脚本家のオリジナルなのか、瞳のアイディアなのか、なんてところが気になったけど、ね。王子がつくるアニメも同様。王子がシノプシスつくってるのか否かとかは分からない。つまり、監督としての手腕がどこにあるのか、はよく分からんのよね。王子の神話扱いされてる前作もよく分からんし。 なんだけど、『SHIROBAKO』にもあった、シーンをすべて変えて作り直しとか、そのせいで外注するとか、周囲がアタフタする様子は、興味深い。 瞳と王子のライバル争いは、ムリやりな気がして、いまいちリアリティがないかも。瞳の属する製作会社も、一部上場の大企業かよ、な社屋だったりして。なことないだろ、と思いつつ見てた。 2作品の視聴率争いも、それぞれの作品の内容が、さらり、としか紹介されないので、これで感情移入しろというのは苦しいと思う。 で、瞳に厳しく当たるプロデューサーの行城だけど、アニメ製作で忙しいのに雑誌の撮影とか対談とか、いろいろ差し込んできて、瞳はプリブリしてる。のだけれど、最後の方で、実は瞳の将来を慮ってのことだった、とわかって、ちょっとお涙ものになる。そもそも、国立大卒で役所に就職したけど、王子のアニメが忘れられず、役所を辞めていまの会社に、というときの面接に行城も参加してて。瞳の意気に打たれ、見守ってきた歴史があった、ということらしい。しかも、初監督を任されはしたけれど、同時にネットアニメの製作依頼も個人的にきているらしい瞳は、会社を辞めようか、と悩んでもいたらしい(そんな引く手あまたなら、もっと大きい顔をしていいと思うけどね)。それで、独立するとか、他社に行くとかしたら、いろんな試練が待ち受けているだろうから、それに馴らさせるために、いろいろムリをいって取材を受けさせていた、という温かい親心だった、と。なるほど。という、このあたりが、この映画で一番感情的に盛り上がったところだった。 ところで、同じ製作の先輩で、やたらと瞳にボディタッチするのがいて。肩を叩く、肩に手を置く、が意識的に何度も映される。最後の方では、そのことについて、ではないけれど、瞳が切れてしまう所もあったよなあ。どういう場面だったかなあ、忘れちゃったけど。 で、最終回に悩む瞳。いったんつくったラストシーンに納得がいかず、みんなの前で「変えたい」、という。でも、ラストの変更要望に対して、そのボディタッチ男が「この時間帯のアニメで、そういうラストはあり得ない」とかいって無視しようとする。けれど、他のスタッフは、瞳の思いに応えるような形で受け入れてくれる。なかなか美しいではないか。 視聴率競争については、画面上に街や人の姿が映り、数値が出たりするんだけど、たかがアニメに世間がこんな反応するはずもなく。映画ならではの誇張ではあるけれど、まあ許そう。で、結果は、王子のアニメが僅差で勝利する。まあ、いまどきテレビ局やアニメ製作会社が視聴率をそんなに気にしているのかどうか、怪しいけどね。だって、アニメ好きなら片方を録画してどっちも見てる可能性も高いだろうから。 というわけで一応の決着は付いた。というあたりで映画は終わったんだっけか。 ののち、エンドロールの途中で行城の姿が映り、セル販売は瞳のアニメが上回ったことに満足し、行城が軽く小躍りするシーンがある。でも、あんまり意外性もなく、最終回の争いは平板に終わった感じ。実は行城には瞳に対する親心があった、という時点での盛り上がったテンションをそのままに維持し、ラストに突っ走って欲しかったね。残念。 ・瞳の部屋の隣室の少年。最終回を見た後、なにか感想を言って盛り上げる場面があるかな、と思ったらそれもなかった。もったいない。 ・瞳の吉岡里帆。あいかわらず、いまいち印象が弱い女優だよなあ。いつになっても顔が覚えられない。 | ||||
ライダーズ・オブ・ジャスティス | 6/7 | ギンレイホール | 監督/アナス・トマス・イェンセン | 脚本/アナス・トマス・イェンセン |
英文題名は“Riders of Justice”。allcinemaのあらすじは「妻が列車事故に巻き込まれ亡くなったとの知らせを受け、赴任先のアフガニスタンから帰郷した軍人のマークス。事故をかろうじて生き延び、悲しみに暮れる一人娘のマチルデに、どう接していいか分からず途方に暮れてしまう。ある日、偶然同じ電車に乗り合わせ事故に遭遇した数学者のオットーがマークスのもとを訪れ、事故は“ライダーズ・オブ・ジャスティス”というギャング組織が、殺人事件の重要な証人を暗殺する目的で計画したものだったと告げる。復讐を決意したマークスは、オットーとその仲間たち頭脳派3人組の力を借りて、憎きギャング団に立ち向かっていくのだったが…。」 Twitterへは「戦争屋のマッツ・ミケルセンが一芸に秀でた3バカと組んで(男娼や娘たちも入れれば7人のサムライ?)ギャングに復讐する話なんだが。途中でそもそもの根拠が…。まあ、楽しかったけど、もやもやする終わり方だよね。」 軍人とオタク3人+αがギャング一味に復讐する話だけど、途中から肩すかし的な感じになって、最後は、これでいいの? な終わり方。でも、ツッコミを入れなければいいのかしら。でも、変だよな、この映画。 冒頭、クリスマスに自転車のプレゼント。でも、赤じゃなくて青がいいわ、と女の子。なんのこっちゃ、と思っていたらシーンが変わって、会社のエライ人に統計発表について突っ込まれている2人。どうもクビになった? もうひとつの話は、海外駐在が長びきそうだとかどうとか、外国から電話を受ける母子。どうも学校サボって遊びにいくことに? 電車内。男(これ、統計屋の片割れとは最初気づかず)が、乗り込んで来た母娘に席を譲る。すると母親の方が座るんだけど、日本じゃ健康な母子連れにオッサンが席を譲る、ということはあり得ないと思うので(かなりブキミな感じがする)、妙に違和感。の直後、列車がクラッシュし、母親の座った側がやられたらしい。暗転。煙幕。メガネを探す男。 男=統計屋は警察(病院?)で事情聴取されている、んだったか。別室を覗くと、母親が死んだのか、娘が泣いている、んだったか。 家に戻りテレビをつけるとニュースで、犠牲者の中になかに、近々裁判で証言予定の男がいた、という。怪しい。そういえば、サンドイッチと飲み物を捨ててた男がいた(ぜんぜん気づかなかった。ネトフリなら戻って見るところだ)…。なので統計屋は警察に行き、いろいろ極めて確率の低いことが起きている、と主張するが警察は相手にしてくれない。ではと相棒のハッカーに事の次第を告げると、ハッカーはあちこち侵入し、件の裁判で被告となっているギャングボスの資料や、電車内の監視カメラ画像を集める。なんと簡単に集まってしまうことよ。とはいえ、ますます単なる事故とは思えない。そこで2人は、亡くなった母子の家を訪ねるんだが…。迎え入れられた納屋の大きさにハッカーは感激して、そればかりいう。変なの。娘の父親でアフガンから戻ったばかりのマークスは、話を聞いても半信半疑。そこで統計屋とハッカーは、デブのコンピュータオタクのところに行って、車内監視カメラに写った男の正体を突き止めるようとうんだけど、99%(だっけか?)の確立でこいつ、と見せてくれた男はアラブのどこかに住んでいるやつで、なので統計屋は「そうじゃなくてデンマークの中で!」とかやりとりの結果、ある男を示す(あんなことできるソフトは現実にまだないだろ)。なんとこれが、裁判で被告になっているギャングのボスの弟で、こりゃあもう怪しすぎる、ということに。とはいえ、いろいろ簡単に労なくして分かってしまうので、いまいち面白みもスリルがないんだよねえ。 で、マークス以下4人で訪ねていくと銃を向けられ、それに怒ったマークスが、なんと簡単に首をへし折って殺してしまう。はあ? なんだこの急ぎすぎる展開は。でさて、指紋なんかを拭こうと1人部屋に残ったハッカーが、ふと気づくと口枷されベッドに横たわってる男がみてたのに気づく、のだけれど、そのままにして戻ってくる、ってところが杜撰すぎだよなあ。 当然ながら男娼は、ボスにハッカーの外見と名前を告げる。すると、あっさりハッカーの家が特定され、4人はギャングに銃撃される。が、マークス1人の活躍でギャング5、6人皆殺し。ヤバっ! な表情のオタク3人…。男娼を連れて、自分の納屋に戻る。 なのに、オタク3人は相変わらず復讐する、と息巻いていて、銃の撃ち方を教えろとマークスに頼み込む。いちばん下手そうなデブが、なぜか一番組み立てが素速い不思議。意味なく笑える。 さて、一連の経緯を男娼に話すと、なんと事故の当日、ボスの弟は電車に乗っていなかったという。では、コンピュータが見つけ出してきたそっくりさんは、他人のそら似! ここでインサートされる映像があって。中東のどこか、サンドイッチと飲み物を捨てた男が帰国して家族に話している。「デンマークのパンはパサパサで飲み物もまずかったので捨ててきた」と家族に話している。お笑いかよ。というか、ボスの弟が何かを仕掛け、彼が下車した途端事故が発生した。だから因果関係がある、というそもそもの根拠がなくなってしまったではないか! なんだけど、マークスとオタク3人はギャングと戦うことをやめない不思議。退去して納屋にやってきたギャング一味に撃ちまくられ、マークスは負傷。最後は娘を人質に取られたマークス。銃を捨てて…。と思った瞬間、背後からオタク3人と男娼もか、の銃弾がギャングたちに襲いかかる。って、マンガかよ。一瞬、娘の胸が赤くなったような気がしたので、てっきり撃たれたかと思ったんだが、撃たれてなかったようす。こりゃ警察も来るよなあ。どうやって説明するんだ? 相手はギャングとはいえ、関係ない他人をたくさん殺戮しちゃって。 と思ったら、ラストはクリスマスで。かなり重傷かと思ったマークスも生きている。警察にも逮捕されていない。あり得ん。こんなめでたしめでたしは。 で、ぶら下がりのような、冒頭のエピソードを引きずったお話しが最後にあって、またまたクリスマスの場面。娘にプレゼントされるのは、青い自転車。ああ、冒頭からつづいているのか。なんだけど、そういえば、マークスの娘の青い自転車のチェーンが切られて盗まれる場面が途中にあったよな。もしかして、この青い自転車は、マークスの娘が盗まれた自転車なのか? ・ボタンの掛け違いが、母親の死に結びついた。と、マークスの娘は考える。もし席を譲られなかったら。学校サボって遊びに行かなかったら。父親が、赴任地からもどってくると電話で母に話していたら。いや、私の自転車が盗まれなかったらクルマで出かけることもなかったのに…。というわけで、そもそもの原因が、この自転車にあった、といいたいのかな。 ・マークスが娘とその彼氏に翻弄されるところは、あんまり本筋と関係ないじゃん。 ・統計屋は会社をクビになったのか。雇われ宣伝マンか何かかと思ったんだけど。 ・その統計屋は妻と娘を交通事故で亡くし自身も片腕が不自由になっていたのか。腕が使えないとは、ずっと気づかなかった。 | ||||
ドンバス | 6/9 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/セルゲイ・ロズニツァ | 脚本/セルゲイ・ロズニツァ |
ドイツ/ウクライナ/フランス/オランダ/ルーマニア/ポーランド映画。原題は“Donbass”。allcinemaの解説は「ウクライナで育った「粛清裁判」「国葬」のセルゲイ・ロズニツァ監督が、ウクライナ東部ドンバス地方を舞台に2018年に撮り上げた作品。ドンバス地方は2014年に親ロシア派勢力“分離派”が一方的にウクライナからの独立を宣言し、実効支配している地域。本作はそんなドンバスで起きたいくつもの実話を基に、武力衝突が繰り返される混乱の日常の中で繰り広げられる狂気と混沌に満ちたな不条理なエピソードが次々と描かれていく衝撃のブラック・コメディ。」 Twitterへは「ウクライナの監督が、独立宣言した東部2州のロシア系分離派を揶揄した感じのフィクションだから、ウクライナ視点のプロパガンダなんだろう。やらせニュース、ウクライナ兵捕虜、クルマの挑発の3つのエピソードは分かったけど、他は「?」な感じ。」「彼の地の経緯を多少知ってるぐらいでは、内容がよく分からない。オレンジ革命、内戦、独立宣言…の経緯をよく知らんで、今回のロシア侵攻だけ聞いている人は、いろいろ勘違いするのではなかろうか。やっつけ仕事か、字幕がいまいちな感じもあった。」 話題の映画で、マスコミも、今だから見るべき映画、ともてはやしてる。けど、ウクライナ人監督が2018年につくってカンヌで上映して賞をもらったというのが、うさんくさい。製作に参加しているのは反ロシア国ばかり。これでは、ロシア側の理屈や視点は入らないだろう。映画で取り上げられているフェイクニュースをつくって流すとか、捕虜を殴るとか、クルマが徴発されるとかいうのは、見ている限りではロシア系の分離独立派が極悪人に見えるけど、戦争になったらどこの国でも同じようなことはしてるはず。ウクライナも同様。なので映画はウクライナ視点だろう、と考えてもおかしくない。 最近つくられ、YouTubeで見られる『ドンバス2016』という映画があるんだけど、撮ったのはフランス人で、こちらはドキュメント。ウクライナ側からのドンバス地域に対する砲撃のもの凄さを、破壊された建物や、地下生活を余儀なくされた市民の姿で見せている。これだって、ロシア視点のプロパガンダで、この『ドンバス』に対抗してつくられたのかも知れない。 ウクライナについては、Netflixの製作で『ウィンター・オン・ファイヤー ウクライナ、自由への闘い』(2015)というのがあって、これは2013年のデモの様子をウクライナの親西欧派の視点から撮ったもの。一方で、オリバー・ストーンが製作したものに『ウクライナ・オン・ファイヤー』という映画があって、これはウクライナはネオナチだ、という視点でつくられたもの。同じオリバー・ストーンの『乗っ取られたウクライナ』という映画もあって、YouTubeで見られたのだけれど、見られなくなっている。これはなぜだろう。そういえば、『ドンバス2016』もYouTubeから削除されてなかったかな。なんてことをいうと、お前は陰謀論者か、となるんだが。ウクライナ視点のこの映画だって、十分に陰謀論に感じられる。 プロパガンダなんて、どの国もするものだ。自分の信じたい方を「正しい」といい、信じたくない方を「陰謀論」と切って捨てる。しかし、そこに目に見える正解はない。いろんな映画が、都合よく編集され、つくられていくだけだ。というところをみても、ウクライナ問題はヤバイ。 ・最初は、やらせの街頭インタビュー。役者たちが、ウクライナ側の砲撃について証言している。ロシア視点のニュースは、こうですよ、と言いたいのだろう。そういうのもあるだろう。けれど、ウクライナ視点のニュースは、すべて真実なのか? それは、分からない。 ・次は、市長の頭に泥をかけるオバサンの話。 「私がずるいこと(だっけか?)してるって? あんたこそ汚職市長だろ!」と叫ぶのだけれど、だれも止めないのはなんでなの? はいいんだが、このエピソードは、中味が良く分からない。 ・ドイツのジャーナリストが親ロ派側の検問所で停められ「司令官は誰か?」と聞いている。やがてボスがやってくるんだが、そこに最後はウクライナ側の爆弾がいくつも着弾する。この話も、なんかよく分からない。 ・新ロ派側に向かうバスの車内の青年たち、検問で停められ、青年たちは上半身裸にされて…。これは、乗っているのは誰なの? ウクライナ西部から東部に向かっているのか? なんか、よく分からない。 ・派手な女が親ロ派側の地下にやってきて母親に会う。が、相手にされずオフィスに戻るんだが、実は誰かの秘書らしく。秘書はやってきた3人の男を通すが、ボスは3人を押し返す。その3人がまだ秘書室をでないうち、ボスから内線で「あいつら誰だ?」と秘書に問合せが入るが、3人にまる聞こえ。このエピソードもよく分からない。 ・盗まれたクルマが出た、と連絡を受けた男が取りに行くとクルマは親ロ派側が使っていて、さらに「クルマは徴発する、ビジネスマンなら金があるだろ、知り合いに言って集めろ」と脅される。隣の部屋に行くと、同様に脅された男たちが金集めの懇願電話をしていて…。これは、分かりやすい。けれど、こんなことはウクライナ側にもあることではないのか? ・捕虜となったウクライナ兵が街頭に立たされる。すると親ロ派側の青年や市民が寄ってたかってつついたり殴ったり、いたぶり始める。これは、分かる。でも、新ロ派だけじゃないだろ。西側派のウクライナ人だってするだろ。 ・太っちょ女と、痩せ男の結婚式。挨拶するのは親ロ派の兵士たちばかりで、最後までノヴォロシア万歳!のスピーチ。これ、よく分からなかった。んかんの? ・クルマがウクライナの検問所に並んでる、と、突然爆弾が何発も破裂し始める。新ロ派側の攻撃だ。それだけ。 ・夜を走るクルマに火が放たれ燃える。さらに銃弾が…。これはどっち側のことか、よく分からん。 ・冒頭と同じ車内の化粧室。冒頭と同じ女性のリーダーが「早く」とせかしていると、迷彩服の男が入ってきて全員(12人)撃ち殺す。すぐに警察とテレビ局がやってきて、現場を封鎖し、新しい役者が通行人を装って証言する。過去のやらせの痕跡を抹消する、ということか。で、TVクルーが撮りはじめる。フェイクの積み重ね、ということか。 でそこに、エンドクレジットが流れてくる。 | ||||
きさらぎ駅 | 6/13 | シネ・リーブル池袋シアター1 | 監督/永江二朗 | 脚本/宮本武史 |
allcinemaの解説とあらすじは「SNSなどで人気を集める都市伝説“きさらぎ駅”を映画化したホラー・サスペンス。大学で民俗学を学ぶ堤春奈は、卒業論文で現代の“神隠し”と話題の都市伝説“きさらぎ駅”を取り上げることに。リサーチを進め、“きさらぎ駅”を投稿したと思われる女性、葉山純子を突き止める。そして、ようやく純子との面談にこぎ着けた春奈は、なぜ彼女だけが“きさらぎ駅”にたどり着けたのか、その詳細な経緯を聞き取りしていくのだったが…。」 Twitterへは「都市伝説が元らしい。いちおうホラーだけど、先が読めるビックリで、なかなか笑える。ツッコミどころ、かなりあるだろ、これ。」 2ちゃんの書き込みから都市伝説化したらしいけど、それはまったく知らない。 冒頭は、草原を歩く女性の後ろ姿。服は汚れ、腕は血が滲んでいる。 場面は変わって、堤春奈が卒論で扱うため、神隠し体験した高校教師・葉山純子を訪れる、と。葉山の異世界体験は、マスコミでも紹介はされたらしい。けれど、葉山は静かに姪と2人暮らしをしている。というのが、素直に受け入れづらいよね。だって、葉山が消えたのが2004年で、本人にとっては1日の体験だったものが、気づいて再びこの世界に戻ったら2011年。7年が経過していた。フツーなら失踪案件だ。でも、映画を見る限り着衣は7年前と同じ。では、葉山は7歳老けていたのか? 警察の取り調べもあったろうに、どう解決したんだろう。春奈が卒論で扱うぐらいだから、世間にも知れ渡っているはず。他の研究者による聞き取りはなかったのか? などと、いろいろ見終えてから思ってしまう。 で、電車の乗り過ごしを2度して、気づいたら見知らぬ列車。深夜だったはずが昼日中で、車内には酔ったサラリーマン、男2人女1人の若者、女子高生の5人が寝ていて。女子高生を起こすと、彼女も「ここはどこ?」。リーマンと若者たちも騒ぎはじめる。停止した駅が「きさらぎ駅」で、なぜか全員が降りる。というのも、なんで? だよな。運転席は黒幕が降りてたけど)とか、他の車両は確認しなかったのか? だって電車は走り去っているので、次の駅もあるのだろう。なぜ「きさらぎ駅」でみな降りたのか? 映像で見る限り単線。逆方向の列車は、あるのか? 降りて、待合室に時刻表はなかったの? とか。で、女子高生はここで、駅舎の壁に異物を見る。葉山も振り返るけど、確認できず。3人組は、なぜか男二人の上下関係があるようで、「指図すんなよ」とかいってあらそい始め、大人しい方が町に消えていく。乱暴なのとギャルは線路を戻ろうという。サラリーマンはベンチに横になる。てな感じでバラバラ。なんだけど、この1回目の体験で興味深いのは、葉山の主観=目線ですべてが描かれていること。なので、葉山は登場せず、たまに見えても手足しか見えない。あと、色調がブルーグレーで、画調が荒らしてある。 以降、大人しい方から携帯が入り、画面に彼の異様な死に顔(?)が映る。みなで線路を歩いていると、下にある線路から(ってことは、単線ではなく複線なのか?)、「線路を歩くと危ないよー」と行ってくる杖の爺さまが出現。それからトンネルを抜けると、どっかのバンが停車して乗せてもらう。てな流れかな。途次、杖の爺さま、サラリーマン、乱暴な若者、ギャルは死んだり消えたりしてく。…んだったかな。よく覚えてない。バンの運転手はどこか知らないところに向かっていて、そこは神社で。運転手が襲ってくるけど、そのうち遠くに光る扉らしきものが登場。葉山は女子高生に「先に行け」と、行かせる。と、ところが、気づくと葉山は冒頭の草原にいて、元の世界に戻ってきたらしい。けれど、2004年から2011年に時間は飛んでたけど。 で、春奈は、異世界に行くには手順があり、行きつ戻りつの一定の手順を踏むと行けるらしい、と判断。葉山にも説明するんだけど、なんと自分も同じ手順で、葉山の行動を追体験する。まあ、流れはそうなるんだろうけど、葉山の話が流布したとき、同じことをした人は他にもたくさんいたと思うけどなあ。なぜか春奈はうまいこと、葉山と同じ列車に乗れちゃうんだよな。はは。 で、今度は客観描写で春奈も登場する。春奈は葉山の話から、次に起こりうることを予測し、壁の異物を自分で目視するし、サラリーマンのカップ酒を割らないようにしたり、乱暴なやつと大人しいやつの行動に介入し、先に死ぬのを乱暴な方にしたりする。つまりは、こうなるであろうという流れを前回とは違うものに変更していく。「線路を歩くと危ないよー」という爺についても、あらかじめ予知し、攻撃を防ぐと、突然、乱暴なやつが復活(悪霊にコントロールされている?)してきても、爺と一緒に消滅してしまったりする。それがなぜなのか、壁の線みたいなのは何なのか、乱暴なやつの身体に浮かぶ血管状のものがなんなのか、の説明は一切無い。そう。異世界のすべてに説明はないのだよね。 バンの運転手もそうで、あらかじめ敵と分かっているからか、乱暴なやつから奪ったナイフであっさり刺し殺してしまう。で、クルマの運転はサラリーマンにさせて、大人しいやつ、ギャル(はまだいたっけ?)、女子高生と一緒に神社を目指すんだけど、着いたところは一軒家で。なぜか無謀にも中に入り…。ここで登場する敵は、あれは運転手なのか? 次々襲われていくんだけど、誰がどうやられていったかは、忘れたよ。 で、庭に光る扉が現れる。葉山の話では、先に行った女子高生は戻らず、扉に入らなかった葉山が戻ってきた。なのでなのか、自分が行くか、女子高生に行かせるか、逡巡の結果、なぜか女子高生に行かせる。これは、自分が戻ろうという魂胆なのか? でも、葉山からは、女子高生の親がずっと探しつづけている、という話を聞いているので、女子高生を戻そうとしたのか。それは分からない。で、草原。戻ったのは女子高生で、待っている赤いクルマがいたよな。あれは誰なんだ? というわけで、光の扉をくぐったものが戻れるとは限らないのか。なんだ。理屈に合わないな。 と思っていたら、なんと、葉山の姪が、叔母のしたとおりに電車に乗って異世界を目指すラスト。姪が異世界につくと、サラリーマン、若者男女3人は同じだけれど、女子高生の代わりに春奈が座席に座っていた、というオチ。なるほどね。 ではあるんだけど、いろいろ疑問は残るよね。あの光る扉はなんなんだ? フェイクなのか、戻る扉なのか。ときどきで違うのか。春奈が異世界電車に乗っているなら、では、あの女子高生はいつ神隠しに遭い、何年後に現実世界に戻ったのか? 探している母親は高齢だと言っていたから、ずっと前なのだろう。戻った女子高生は、女子高生の姿で戻ったのか? 相応に老けて戻ったのか? サラリーマンや若者たちも、以前に迷い込んだ連中なのか? 戻れるのは1度に1人なのか? などなど。細かなツッコミかも知れないけど、この手の話は最後に、なるほど、とストンと腑に落ちる方が怖いと思うんだけどね。 ・一応はホラーなんだろうけど、あまり怖くない。敵が明示されていないせいかも。血管みたいな存在も、結局何だか分からんし。サラリーマンなんか、襲われて眼が巨大になったりするんだけど、怖いより笑えてしまうおかしさがあるけどね。 | ||||
はい、泳げません | 6/14 | シネ・リーブル池袋シアター1 | 監督/渡辺謙作 | 脚本/渡辺謙作 |
allcinemaのあらすじは「大学で哲学を教える小鳥遊雄司は水が大の苦手。水に顔をつけるだけでも恐怖を抱いてしまうほどで、泳ぐことなどもってのほかだった。ところが、ひょんな成り行きから水泳教室の女性コーチ、薄原静香に熱心に勧誘されてしまい、初心者コースに入会することに。賑やかな主婦たちにまじり、静香の丁寧な指導を受けながら、水に慣れるところから必死の思いで挑戦していく雄司だったが…。」 Twitterへは「中年男が水恐怖症を克服する話で、水泳教室での話は4婆も含めて楽しい。なんだけど、もうひとつ克服しなくちゃならんものがあって、その話が…。最後まで単純コミカルで陽気にやって欲しかった。」「それと。水泳コーチの外歩き恐怖症も克服させてあげなくちゃ、バランスが取れんだろ。長谷川と麻生はノー天気に明るすぎる。他にも、二人が再開する場面で突然背景が黒くなったり。画面がムダに揺れたり。安っぽいCG合成も、うーむ、だな。」 映画だから誇張するのは当然のこと。なので、この映画がもろもろ大げさなのは当たり前。話しもマンガ的だし、描き方もそう。だから分かりやすい。主人公の小鳥遊さんも、水泳コーチの薄原さんも、水泳教室の4人の婆さんも、みんな記号的で、期待通りの言葉をしゃべり、動きまわる。だから、観客は安心して見ていられる。というのが、この映画の前半部分。ところが、このカリカチャライズされた映画に、不穏な影が差してくる。小鳥遊さんが水を特段嫌う理由。最初は、父親だか親戚に、海に放り投げられたから、といっていた。ところが、別の理由が見えてくるのだ。でも、はっきり言わない。小出しにして、観客は「あれ?」「もしかして…」と想像できるぐらいにしか見せない。たぶん、が、きっと、に変わった頃、小鳥遊さんは、いまつき合っている、美容室で働く奈美恵さんに、実は子供はいたけどいなくなった、と告白する。そして、息子が川に飲まれたときの記憶がなくなっている、と告げる。まあ、観客には分かってるんだけどね、このときすでに。 でも、子供が死んだことについての描写が、なんか嘘っぽいんだよね、いろいろと。そもそも、小鳥遊さんが学校で講義するとき、水泳教室に入ったとき、4婆にからかわれるとき。そんな過去があるようには全然見えないのだ。元妻の美弥子と再会して飲むときも、和気あいあいな感じでにこやかじゃないか。なんだこの2人。何も心に背負ってないみたい、に見えるのだ。にも関わらず、この後、美弥子は「私がつらかったとき、私のことなんか考えてなかったでしょ」と小鳥遊さんのことを罵るんだけど、その理由が、泣かなかった、というだけなのだ。哀しいこと、子供が死ぬこと、に遭遇したら泣けばいいのか? そういうものではないだろう。葬儀の場面も出てくるけど、まさしく美弥子は芝居のように号泣している。嘘くさすぎる。 子供が死んだ、しかも、わずか5年前なら、まだ精神的に癒えていないのではないかな、フツー。前向きに生きたくても、なかなかムリな状態ではないのかな。なのに、元妻の美弥子は、再婚するという。なんだこのあっけらかんさ。 というわけで、前半の水泳教室のコメディパートは楽しい。中盤から、暗い話がでてきて、うんざり、な感じ。後半の、子供を亡くして思考停止。その時の記憶も忘れている自分に嫌悪して、奈美恵に「つきあえない」ということ自体空々しく嘘くさい。息子を救おうとしたときのことを覚えていないことと、つきあいをやめることと、どんな因果関係があるってんだ。ムダに哲学教授って設定が邪魔しているのではないのか? 哲学教授といえば、奈美恵に対して「ニーチェも読んだことないだろ」と上から目線で言う態度はどうなんだ。やなやつだな、としか思えんだろ。こんな、人を見下すような男はやめちまえ、と奈美恵に言いたくなった。 ・そもそも、なぜ泳ぎたいと思ったのか? が、ない。たまたまポスターを見たから? でも、息子の死から5年、離婚して何年か知らんが、あんなに水嫌いがなぜ突然に? ・風呂はどうすんだ、と思っていたら入浴シーンが出てきて。入ってるじゃん。ただ、顔が湯につけられない。では、毎日の朝の洗顔はどうしてるんだ? できないのか。顔を洗わない男なのか。汚ねえ。 ・最初の方の、キャンパスでポスターを見る場面の背後に、工事現場? 黒黄色テープとパイロン? でも、何の意味もなかった。現場がそうなってたから、なのか? 杜撰すぎだろ。 ・友人の禅僧の、何も考えないでいると、過去の声や音が聞こえてくる、というエピソード。小鳥遊が水泳練習中、過去の記憶が聞こえてくる、という話への下敷きだろうけど、つなげ方が強引すぎだろ。あの禅僧、二度と登場しないし。 ・奈美恵が薄原に会いに行って、小鳥遊さんが溺れた話を聞きに行ったのも、唐突すぎというか、意味不明。しかもこれ、小鳥遊さんから別れ話をもらってからのこと。そもそも、なぜ薄原に会いに行ったのか? 奈美恵は、コーチが薄原と知っていた、ということか。でも、小鳥遊が溺れたことをどうやって知った? 知らずに訪ねた? 何で? と考えると、意図が分からない。それに、それだけのことで息子を小鳥遊に預けた理由が分からない。息子を連れて行ってもおかしくないではないか。それて、預けられた息子は小鳥遊に「海に行きたい」と言って、しぶしぶ海に行くんだが。なぜドライブで、海なのだ? いろいろ意味不明だ。 ・プールの場面で、画面がゆらゆらするときがあるけど、意図してする必要性があるのか、あのカメラの動き。 ・同僚の鴨下教授。もしかして小林薫? と思ったらそうだったけど、なんか、外見も中身もまるくなってたな。 ・奈美恵とスーパーで遭遇する場面。ありゃなんなんだ? 奈美恵は美容室を経営、ではなく、勤務か。でも、スーパーで働かねばならんほど薄給なのか? ・小鳥遊さんは、息子が死に、妻が出ていっても、マンションの中を当時のままにしていた、らしい。なこと、あるかフツー。離婚したからって、息子のモノが家に残りすぎではないの? と、不審だったんだけど。つまりは死んだのでそのままになってる、ということなんだが。妙な違和感しか感じなかった。 ・薄原さんは、23歳のときだったか交通事故に遭って。以来、外出が恐怖になった、らしい。でも、それは映画の最後まで、そうなんだよね。でもさ。小鳥遊さんの水恐怖症が克服されたんだから、代わりに、小鳥遊さんが薄原さんの外出恐怖症を克服してあげるのがフツーだろう。期待外れ。 ・小鳥遊さんの教え子の、学生結婚する2人。最初だけで、もう、登場しないのね。なにも機能してないじゃん。つまんねえの。 ・4婆は、伊佐山ひろ子が70近くで、あとはそんなでもないのね。占部房子は44ぐらいで、『偶然と必然』の同級生の話のひとだったか。ぜーんぜん気づかず。 | ||||
トップガン マーヴェリック | 6/16 | 109シネマズ木場シアター1 | 監督/ジョセフ・コシンスキー | 脚本/アーレン・クルーガー、エリック・ウォーレン・シンガー、クリストファー・マッカリー |
原題は“Top Gun: Maverick”。allcinemaのあらすじは「アメリカのエリート・パイロット・チーム“トップガン”だったが、ある時そんな選りすぐりの精鋭である彼らをもってしても達成困難な任務が立ちはだかる。そして、その到底不可能と思われるミッションを成功させるための切り札となる教官として彼らの前に現れたのは、伝説のパイロット“マーヴェリック”だった。トップガン史上最高のパイロットでありながら、規律に縛られない型破りな性格ゆえに昇進とは無縁の海軍人生を送ってきた。しかし、そんなマーヴェリックに対し、若くてプライドの高いトップガン・パイロットたちは一様に懐疑的だった。中でもマーヴェリックのかつての親友グースの息子ルースターは、父の死にわだかまりを抱え、マーヴェリックに敵意さえ向けるのだったが…。」 Twitterへは「ブルース・リーに憑依された生涯一戦闘機乗りとその教え子たちが、宣戦布告なく他国に侵略し大量破壊兵器の危険を除去するという口実で施設を攻撃する話。セオリー通りのど定番の展開と設定で意外性はないけど観客を飽きさせない。」 前作『トップガン』は、たぶん見てない。でも、何をどう引きずっているかはちゃんと説明されているので、「?」はほとんどないし、この作品だけで完結してる。冒頭では上官の命令を無視してマッハ10に挑むマーヴェリックの、無謀だけど清々しい様子が描かれる。たとえ最新鋭機がおシャカになったとしても、もうこれで観客は虜、だよね。で、命令無視で永久に搭乗が不可になるところが、昔の仲間なのか、アイスマンの助けでトップガンの教官に招聘されることに。30年間で撃墜3機、勲章多数、本来なら中将ぐらいでもおかしくないのに任官辞退で永遠の大佐どまり。金や地位、名誉ではなく、生涯現役のパイロットで国に尽くし、つねに自分の限界に挑んでいきたい、という姿は、もう、ヒーローそのもの。 で、トップガンにバイクを飛ばしていって。バーに入れば元カノが経営者で再会。さらに、教えることになる若いパイロットたちもここでひととおり紹介され、翌日、あ、あの男、と生徒たちが一瞬驚く、という展開も手垢が着き過ぎなぐらい定番だけどはまってる。 で、口ほどでもない若者たちに猛特訓だけど、すでにミッションは決まっていて。こっそり核兵器を開発している某国の施設を爆破しに行くというもの。ところが周囲を山に囲まれた谷底みたいな所にあって。達するには渓谷を高速で飛行し、レーダーを避けるためある場所で背面になって山を越え、急降下して目標に爆弾を投下。の後は急上昇して山を越えるんだけど、その時点でレーダーに感知されミサイルが発射されるので、うまく逃げてね、というもの。 これにマーヴェリックは、最初の渓谷の飛行を3分でやれ、と。でも、ほとんどの生徒はついてこられず。しかも、生徒の一人ルースターはマーヴェリックに反抗的。というのも…でも、ルースターの父親との関係は、前作にあったのかね。しらんけど。ルースターの父親の死についてもわだかまりがあるようだけど、もっと直接的なのは、ルースターが航空学校に入ろうとしたとき、マーヴェリックが願書を廃棄したせいで入学が3年遅れた、というもので。あとから分かるんだけど、彼の母親が息子をパイロットにしたくない、というのがあったらしい。でも、マーヴェリックは最後までそれを言わないのは、ルースターが母親を恨むようになるのを避けるため、らしい。でも、そんなことで仲違いするか? はたまたマーヴェリックへの反抗心が消えるとも思わんけどね。しかしまあ、生徒に反抗児がいるというのも、定番のドラマづくりだな。 元カノ(ジェニファー・コネリー、50過ぎなのにきれいでんな)との関係は、じわじわ進行。まあ、これも必要なお色気パートで、元カノ娘のご愛敬もあって楽しい。 しかし、空での訓練はマンガっぽいけど、まあいいか。ハングマンとルースターのリーダー争い。マーヴェリックとルースターとの意地の張り合いではともに急降下して地面に激突しかけたり。急上昇で意識を失うものがでたり。あと、女性パイロットのフェニックス(モニカ・バルバロがカワイイ。これまでTV中心で映画はほとんど初なのか)と相棒が、えーと、忘れたけどなにかミスして(?)脱出し、機は大破、ってのもあったな。ビーチフットボールで和気あいあいも、話の定番だな。 その後、アイスマンが亡くなり、トップガンとしてはマーヴェリックを教官にしておく必要もなくなり、あっさり解任される、って展開はなんかしっくりこない。もともとトップガンとしては招かれざる客。でも、ミッションを成功させるためには必要だったんじゃないのか? トップガンの教官たちも、とくにマーヴェリックに張り合っていたように見えないけどな。しかも、新教官は、渓谷飛行を4分でやれ、と大幅譲歩。でも、生徒たちは、死ねってことか? なんていいあう。というところに、解雇されたマーヴェリックが飛行訓練のシミュレーション画面に搭乗し、2分台でやり遂げちまうのだよね。新教官もあんぐり。3分は不可能ではないマーヴェリック自らが証明し、いざ、決行! もちろんマーヴェリック本人もミッションに参加することに。って、当然だよな。そうなるって最初から分かってたし、その観客の期待に応える展開は当然のことだよね。あと、マーヴェリックがパートナー選んだのは、ルースター。これ、異論ありありだろ。技術ではハングマンだと思うけどね。慎重居士すぎて時間に遅れるルースターの何に期待したんだろう? というわけで、これは映画的にルースターしかあり得ない、という選択なんだろうけど、情実だよな。 しかし、いくらそのときが来たからって、生徒たちは未熟なまますぎだろ。この手の話で必須の成長物語にはなってないのだよね。これが残念。 で、中途半端なまま、まずトマホークで爆撃。これが、戦闘機が出撃した後に発射され、追い越していく様子が、おー。で、まずはマーヴェリックとルースターが行く(でよかったっけ?)んだけど、当然ながら遅れるルースター。その彼に「考えるな、行動しろ」と言いつづけてきたマーヴェリック。なにこれ。ブルース・リーの「考えるな、感じろ」のパクリかよ。で、なぜかスピードを上げて付いていって、第1弾成功。次は女性のフェニックスと同乗のボブ、あともう1機(でよかったっけ?)はだれ? で、こちらはいざ発射というとき照準が壊れて、でも、人力で発射して、都合よく成功。目的の核施設は大爆発! なんてルーズで都合のいい展開なんだ。ひどすぎるだろ。でも、文句を言う人は誰もおらんだろうなあ。 で、山頂越えで発射された敵ミサイルをマーヴェリックらはフレア使用で難なくクリア。ところがフェニックスらの組はフレアがなくなってしまい、あわや、というときマーヴェリックが後方に入り、自らが被弾して救うんだよね。犠牲的精神も、観客ウケ必死だよね。 ※とはいえ、2組に誰と誰がいたか、よく覚えてないんだけどね。そもそも、フェニックスの機にはなぜボブが同乗してるんだ? の疑問もあるんだけど。 落下傘で難を逃れたマーヴェリックを襲う敵ヘリ。が、爆破される。これは、1人戻ってきたルースター。助けられたり助けたり。で、えーと、このあと、ルースター機は被弾するんだっけ? 2人は敵格納庫にF14を見つけ、これでボコボコの滑走路から離陸。でも、海上で遭遇した敵3機(次世代機)をF14で難なく撃墜してしまう。けど残る1機にロックされ、絶体絶命、というところに搭乗するのが、控え組に回ったハングマン。まあ、来るだろうとは思っていたよ。やっぱりね。ご都合主義だけど、まあ、一難去ってまた一難を、ふるい戦闘機でやってのけるところに観客は喝采、なんだろう。しかも、自分だけは、という気持ちをなくすこと。イザというときは自己犠牲も厭わない。そういう心がけでいれば、いずれ救われる。情けは人のためならず。てな情緒に満ちあふれいるのよね。この完璧な予定調和。これは観客に受けるわな。 これで、なぜマーヴェリックとルースターのわだかまりは消え、マーヴェリックが個人的に手入れしていたP-51ムスタングを一緒に整備するまでになるという…。願書を破棄したのは母親に言われたから、とは言わないのかな、生涯。 で、元カノともいい感じで。めでたしめでたし。 ・冒頭からジェット機の轟音が身体まで響いてきて、なかなか凄い威圧感。 ・この映画、マーヴェリックの授業のシミュレーションを、言葉やCGだけでなく、具体的に映像で見せていくのが興味深い。もちろん、後の実戦の映像としてでなく、仮に、を具体的に見せていく。とはいえくどすぎることもなく、分かりやすい。 ・ところで、敵はどこなんだ? F14もってるんだから、アメリカの友好国だったこともあるのか。イランとかイラクとか、そんなところか。 ・みんなが乗っている機について説明はなかったけど、Webで見るとF18なのか。ところで、敵の次世代機というのは、あれは何を指しているのだ? F18の次の世代? よく分からん。 ・マーヴェリックの30年間で撃墜3機 は、凄いの? 今回の出撃で、2機撃墜でトータル5機らしいが。 | ||||
ナワリヌイ | 6/21 | シネ・リーブル池袋シアター1 | 監督/ダニエル・ロアー | 撮影/ニキ・ウォルトル |
原題は“Navalny”。allcinemaの解説は「ロシアで絶対的な権力を握るプーチン大統領を痛烈に批判し、自由を守るために政治の世界に飛び込み、若者を中心に支持を集め、反体制派の象徴的存在としてプーチン最大の政敵となったアレクセイ・ナワリヌイ。彼は2020年8月、シベリアからモスクワへ向かう飛行機の中で毒殺未遂事件に遭い、九死に一生を得た。その後、自ら調査チームを結成すると、命の危険を顧みず、暗殺者を暴くべく事件の核心へと迫っていく。」 Twitterへは「プーチン批判で毒殺されかかったその本人のドキュメント。こんなとこまで撮影してるの? な驚きはあるけど、ここまで撮影できる自由さがロシアにはあるのか、とも思えたり。プーチンはCIAのやらせだろ、と言ってるし・・・。真実は分からんね。」 ナワリヌイについてはよく知らず、でも、事件はなんとなく覚えている程度。で、事件の後回復し、本人が登場して、スタッフとともにあれこれするドキュメンタリーである。シベリアの方で事件が発生し、いったんロシアの病院に収容されるけど、家族も面会させられない。のはひどいね、とおもいつつ。でも、病院にいる警備員が「ここからさきはダメ」と言っている様子が映されているのに驚いた。ロシアの病院側は、それほど高圧的ではないのだな。撮影も、暴力的にやめさせるようなことをしていない。それに、その後、ロシアはナワリヌイのドイツの病院への移送を許可している。は? なんで? ロシア=プーチンに都合がわるく、いったんは毒殺しようとした相手が手の中にいるのに、なんで「急に具合が悪くなって亡くなりました」にはならなかったんだろう。不思議。救命したのもロシアの病院なんだから、これも不思議。 その後、毒が何だったのか、の追及が少し。これまでよく使われた、なんとかいう毒では、致死率が高くみな助からない、とかいう話だった。で、最終的に、ナワリヌイにもこれが使われた、らしい。でも、ナワリヌイは助かっている。なんで? という気がするんだけど、どうなんだ? その後、ナワリヌイを支援するオッサンとオバサンがずっと登場するんだけど、あれはどういう人なんだ? オッサンは西側のジャーナリストだっけか? で、ロシアの殺し屋を何人かリストアップし、ナワリヌイ自身が電話して「ナワリヌイだけど…」と殺し屋たちに話すんだけど、みんな切られてしまう。なので、ある化学者みたいな人のときはロシア側の関係者のフリをして、あの件はなぜ失敗したのだ? な感じで尋ねると、ボロボロと証言し初めて。ナワリヌイとか支援の2人も、電話しながら「やった!」な表情で。相手の化学者みたいのは、電話じゃ言いにくい、といいつつ、いろんなことを話してしまう。実際、暗殺は実行された、けど失敗した、とかなんとか。これって、ホントなのかいな。ラストに、この化学者とはコンタクトが取れないままだ、とかいってたけど。電話中は、「こいつ、殺されるな」とか、笑いながら言ってたんだぜ。ホントだとしたら、大スクープ。やらせだとしたら、トンデモだ。なんか、素直に信じがたいところがある。 この、化学者の場面の前までは、ちと退屈なところもあった。なので、すこしウトッ、としてしまったのも事実。というのも、ドキュメンタリーといいつつ、なんか曖昧というか、カリッとしないところも多いんだよね。それでかな。 で、ナワリヌイさん、なぜかドイツからロシアに帰るのだ。帰れば連行される可能性が高い、というのになぜ戻ったの? そもそも、ナワリヌイって、ロシアの野党政治家なんでしょ? これまで反プーチン活動をしてきたらしいけど、暴力的に何かしたとか、凶器を準備したとか、なんかあるの? そういうの、ほとんど紹介されないのだよね。かつての映像はチラッと見えたけど、演説している程度でヤバイ人には見えない。それがなぜ狙われるようになったのか? が、よく分からない。 だから、ロシアに戻って、空港で警察がやってきて連行されるときも、理由も言われないので、はあ? な感じ。警官も「来ていただけますか? いただけないというなら手荒にしなければならなくなりますよ?」的な落ち着いた物腰。しかも、その様子を、この映画のカメラマンは邪魔されずに撮っている。なんか、このあたり、うさん臭さが残るのだよなあ。 でもって、結局、収監され、20年は出てこれないとかいうことらしい。それは、何の容疑なのだ? これも、ちゃんと説明されていなかったように思うんだが…。なんか、いろいろアバウトなんだよ、ナワリヌイという人の存在が。 ほんとうに国家にとって邪魔なら、暗殺未遂に終わるものなのだろうか。堂々と国内で活動し、狙われたのはシベリアかどっかの飛行機内、だっけか。なんか、中途半端に大っぴらすぎないか? 殺るならもっとスマートに、人知れず、自然死に見せるとか。なんかあるだろ。ロシアの工作員はこんな杜撰なの? なんか、素直にこの映画を信じられないところがあるんだよなあ。 それとも、もしかして、みんなやらせ? みたいな勘ぐりもしたくなるような感じなのだよなあ。よく分からん。 ・ナワリヌイの奥さんが超絶美人で。娘もとてもかわいい。そして、2人とも強い。どうしてナワリヌイはこんな美女に囲まれているのだ? 不思議。 | ||||
ドリームプラン | 6/21 | ギンレイホール | 監督/レイナルド・マーカス・グリーン | 脚本/ザック・ベイリン |
原題は“King Richard”。allcinemaのあらすじは「カリフォルニア州のコンプトンに暮らすリチャード・ウィリアムズは、2人の娘ビーナスとセリーナを最高のテニスプレイヤーに育てると決意し、そのための詳細な計画書も作成していた。治安の悪い劣悪な環境の中、独学で姉妹を指導していくリチャード。姉妹もそんな父の熱意に応えてみるみる成長していく。いよいよ専門的な指導が必要になってくるが、貧しいリチャードには一流のコーチを雇うためのお金もコネもなかった。それでも、なんとかして姉妹にコーチをつけようと奔走するリチャードだったが…。」 Twitterへは「娘を信頼してる様子は分かるけど家族も含め他人に対して無礼千万で金のことしか考えてないやな父親だなあと終始不愉快。ウザすぎだろ。テニス界に初の黒人の大変さは察せられるけど…。でもラスト10分にちょい感動したので白星1つおまけ。」 アカデミー賞では作品賞ほか多数ノミネートされ、ウィル・スミスが主演男優賞を受賞。その彼の壇上へ上がっての平手打ちも話題になった。けど、ビーナスとセリーナ姉妹を育て上げた、という話にどーも惹かれず、公開時はパスした映画だ。でもギンレイでかかるのだから、暇つぶしに行ってみるか、な感じ。で見始めたけど、父リチャードの常軌を逸したスパルタ教育、はとくに問題ないんだけど、変人に近い考え方、人や物事に対する対し方が傲慢不遜というか身勝手すぎて、終始不愉快だった。 娘たちのコーチを探すのも、「才能ある娘がいるよ。いまのうちならお得だ」みたいな感じで上から目線で、コーチにしてやるよ的な口ぶりだ。いろいろ断られて、ある高級テニスクラブ(あるサイトでは豪邸と書いているが?)に潜入し、マッケンローと、コーチのポールに接近。押しつけがましくポールに「見てくれ見てくれ」と迫る。ポールは嫌々娘2人の相手をし、才能を感じたのか、ビーナスだけのコーチを承諾する。これ、しかも無料。 ポールが才能を感じたのはいいとして、そもそもリチャードはなぜ娘にテニスを習わせたのか? が描かれていないので、いまいち成る程感がないんだよね。リチャードと妻が教えたなら、この2人のテニス歴はどうなんだ? リチャードが教えたぐらいで、世界的なコーチが驚くほどの腕前になるものなのか? ポールも、どういうつもりでコーチを始めたのか、よく分からない。金になると思ったのか? よく分からんけど、ビーナスをジュニアの大会に出場させよう、というのだけれど、ずっと思っていたのは、なぜリチャードは姉妹をこれまで試合に出さなかったのか? なんだよね。コーチが付いてないとダメなのか? 金が必要だった? 指導を受けるビーナス。の横につきっきりの父親リチャード。しかも「オープンで!」と、ポールの方針に反することをズケズケ言うのでポールもムッとした感じ。でもお構いなしのリチャード。こんなん、もし自分がポールならコーチ役は放棄するね。だって無料なんだし。 で、ポールの助言でジュニアの試合にでることになり、ビーナスはいきなり優勝。なんだけど、この試合のシーンって、1つの試合の様子なのか、次々試合に出て勝ち続けたのか、がよく分からん描き方なんだよね。それと、あるとき一緒についていったセリーナが、ひとりで試合に申し込む場面があるんだけど、あれは自分で用紙を書いて申し込んだと言うことなのか? それができるなら、ビーナスももっと早くから試合に出場できたはずだよなあ。フツーならそうやって試合で勝って目立っていく、というようなサクセスストーリーになるはずなのに、この映画はそうならない。全然ワクワクしないのだ。 というわけで、ある大会、なのかな、ではビーナスが優勝トロフィ、セリーナが準優勝のトロフィなんてこともあったようだ。で、支援しようという人が現れるんだけど、そのうちの一人が「Incredible」を2度も使ったということに難癖をつけ、さらには屁をかまして断ってしまう。どうも、黒人にしては「Incredible」と言われたと信じ込み、それで腹を立てたようだった。 リチャードは、自分が黒人で、見下され迫害されてきたことを人一倍感じているようで、それには敏感だ。それは、いい。けれど、目の前の条件をテキトーに利用して這い上がっていくのも世渡りではないかと思うんだけどなあ。 で、ポールに別れを告げ、どういう伝手なのか分からんけど(説明されてたか?)、フロリダに教室をもつコーチ、リックと契約しようとする。リックは、ビーナスとセリーナは金になる、と思ったんだろう。けれど、リックの申し出に対して、これがうちの提案する契約書、と逆提案。それには、姉妹だけでなく家族全員、住まい、キャンピングカーまでくれ、と書かれていて…。でもリックはその条件を飲むのだからよく分からない。それほど姉妹は金になりそうだったのか? さらにリックの誤算はつづく。というのも、早く試合に出したいリックに対して、リチャードは「二人はまだ子供だ。悪いことに触れさせたくない。だから試合には出さない」というのだ。ギョッとするリックだけど、これが逆らわず、なんと3年間だったか、試合をしないでフロリダで過ごしたというのだから、えええ? だよね。信じがたい。なぜリチャードの主張、要求が通るのだ? 呑気に豪邸暮らしのリチャード。試合に出たいビーナス。ここはリチャードが折れて、14歳のビーナスはプロデビューするんだけど。え? いつプロテスト受けたの? 試合にでてなくてもプロになれるの? ここらへん、端折ってないか? で、試合の前にナイキが300万ドルの契約をもってくる。そんな価値があるのか? 意味不明。さらに、プロデビュー第一線で勝利すると400万ドルに跳ね上がる。そして、第二戦で世界王者と対戦し、圧倒するけれど相手のトイレ休憩でリズムをくずして敗退する。 落ち込むビーナス。でも、開場を去ろうと扉を開けるとファンが待ち受けていて。ああ、彼女は黒人女性の憧れの的になったんだ、という場面はなかなか感動的。ほんと、ここにきてやっとスカッとしたよ。ずっとリチャードの、思い込みが強すぎるプランに翻弄されてきた来たからね。姉妹も、コーチも、観客もうんざりだよ、こんなオッサン。 まあ、ジュニアの女王だった娘がドラックにハマったとうニュースもあったけど、みんながみんなという訳でもあるまい。試合に出ると不良になる、というリチャードの考えが、よく分からんよな。試合感のようなものは、出場しないと身につかないと思うんだが。まあ、たまたま姉妹の才能があって、リチャードの方針なんか無関係に延びたんだよなあ。 2回戦で負けてもビーナスの評価は爆上がりで。9ヵ月後にリーボックと1200万ドルの契約を15歳でかわした、というところで映画は終わる。めでたし、めでたし、なのかいね。 ・娘のため、とかいって契約しなかったり、延ばしたりするリチャードのやり口は、愛のためなのか、駆け引きなのか。よく分からん感じ。ただのアホにも見えるし。 ・家族構成に触れたところが少しあって。リチャードの息子たち、というのがいるらしい。どうも不良っぽい。でも、一緒に住んではいない。一緒に住んでいるのは、姉妹5人? で、上3人は妻の連れ子? リチャードと現妻との子供が、ビーナスとセリーナなのか? では、なぜこの二人だけテニスなんだろう。しかも、黒人選手がいなかった分野に、なぜ? という疑問はあるよなあ。 ・やっぱ黒人のチンピラは怖いよな、と思わせる場面がいくつかある。街の練習場で、ギャングの連中が、長女にからかいの言葉をかけるんだけど、リチャードが反応し、逆にボコボコにされてしまう。ではと、夜間警備員をしていたリチャードは、拳銃をもって復習に行くんだが、イザというとき敵対ギャングがクルマでやってきて、リチャードをボコったやつは蜂の巣になっちゃうのだよ。まあ、脚色しすぎな気はするけど、こういう描き方になっちゃうのかね、黒人のチンピラって。 ・エホバの証人信仰してるらしいけど、PRになっているほどではなかったかな。 | ||||
三姉妹 | 6/23 | 新宿武蔵野館1 | 監督/イ・スンウォン | 脚本/イ・スンウォン |
韓国映画。allcinemaのあらすじは「同じソウルに暮らしながらも、それぞに生活に追われ、なかなか集まることもなくなった三姉妹。長女のヒスクは別れた元夫の借金を返しながら、反抗期真っ盛りの一人娘に手を焼く日々。教会に熱心に通う次女のミヨンだったが、夫の浮気が発覚し、完璧なはずの日常が崩れ始めていた。食品卸業の夫とその連れ子の3人で暮らす劇作家の三女ミオクもスランプに苦しみ、酒浸りの日々を送っていた。そんな問題だらけの三姉妹が、父親の誕生日に久々に顔を揃えるのだったが…。」 Twitterへは「対話を失った家族の陰湿な雰囲気が漂う韓国映画。登場人物みんな変。三姉妹も異様だけど、そうなったのは横暴で身勝手な男のせい、みたいにも見える。尊敬される父親像は、もうないのね。韓国宗教の気味悪さも堪能できたかな。」 予告編は少し見た。金髪の三女が変人なのは分かった。でも三姉妹の話なので、少しはのほほん、なのかと思ったら、徹底して陰気な話で。韓国の家父長制の残滓も色濃く残りながら、いまどきの女は男に押さえつけられてばかりではなく、なかなか反抗するのだなあ、と思ったり。にしても、登場する面々が男も女もみなことごとくどこか歪んでいる。その背景に韓国キリスト教の存在があることも、しっかり描いている。どこまでリアルか知らんが、暮らしにくい国だ。 すべては男が悪い、といいつつも、登場する女たちも結構ワルだよな。ただし、長女だけは不幸を絵に描いたような設定で。ここまで気の毒にしなくたって良さそうなものなのになあ。などと、見ていて息苦しく、うんざりなところがどっさり。とくに、三女は汚らしいし傲慢だし身勝手で、こんなひどい女も結婚できるのかよ、と思ったりした。 三姉妹の描き分けも、実際は数歳しか違わないだろうけど、世代の色分けがされているのが面白い。長女はロクでもない亭主の残した借金に苦しんでいて、いまは一人なのは死別なのか離婚なのか失踪なのか。本人はがんを患い、自分の借金したりしつつ、花家(?)を細々と営んでいる。過去の家父長制にしばられている感じが濃厚だね。 次女の亭主は大学教員で、本人は熱心なキリスト教徒。収入の10%だったかを教会に寄付し、布教活動や信者との交流会も積極的に参加している。けれど亭主の浮気、それも、亭主の教え子で若い信徒との浮気に気づく。でも、泣き寝入りはせず、証拠物件を亭主に提示しながら、チクリチクリと攻めてくる。亭主は、浮気がバレても態度がでかく、これを機に別れたい雰囲気。これに対し「別れるなら家(150坪のマンションっていってたかな。凄い広さ!)はもらう。これからの生活費も支払ってね。それからあなたの家族に300万円ぐらい貸してあるし、あなたの教授昇進にも300万円ぐらい使ったわ。それ返してからにしてね」と合理的な逆襲をする。亭主は家父長制の影響が残っていて、男が偉いとまだ思っている。でも、次女は、家父長制にはしばられていない。そんな感じ。 三女は、家父長制なんて知らんがな、な感じ。劇作家なのか? にしてはアマチュアっぽくて、それで暮らせてるようには見えない。亭主がいて、流通関係らしいけど、なんでそんな男と結婚したのか、は首をひねってしまう。作家なのに、本人にも亭主にもインテリジェンスは見えない。あらすじを見たら「スランプ」とあったけど、へー、そうなのか。でも、こんな傲慢で我が儘な女に誰も期待はせんだろ。そもそも劇作家で食えていけるわけがない。なので、いささかマンガ的な存在。で、亭主に対して傲慢不遜で足蹴にするし、家事もやらずに毎日酔っ払ってる。芝居仲間にも文句タラタラ。なのに、亭主は三女の言いなりでへーへーしてる。儒教的精神も家父長制も、ここにはない。一緒に生活している青年がいて、なんだ? と思っていたら、亭主の連れ子。そうか。韓国的な儒教精神からすると、家庭はあっても家族は崩壊しているのかな。 さらに、長女の娘はパンク娘で、部屋に閉じこもったまま音楽漬け。彼氏は、彼女がファンになっている歌手で。長女が、その彼氏に会いに行き、娘には幸せになって欲しいから別れてくれ、というのが涙ぐましいが、彼は、何人かいる女の1人、と言い捨てる。長女は過去の枠組みで思考するけれど、娘世代の若者たちは、ぜんぜん違いますよ、というわけだ。というわけで、三姉妹+長女の娘のグラデーションが、韓国における女性の価値観を表しているような気がする。 なんだけど、父親の何歳だかの誕生日を祝って三姉妹が田舎にちゃんと帰る、というのが笑ってしまう。三女なんか、なんでこんなところに義理堅いのか? 長女の娘もそうだ。なんか、こういうところは素直なんだな。不思議。 けれど、祝いの席で不祥事が。なんと末弟がいて(そんなのがいるとは思いもしなかった。それに、長女と次女がクルマで帰省したとき、荷物運びを手伝ってた男性がいたので、これは弟? と思っていたのだ。そしたらもう1人いた、と…。でも、兄弟は4人で三姉妹+弟のようだ。じゃう荷物運びしていたのは、だれ?)、彼が父親と牧師に小便をかけてしまうのだ。大笑い。これはもう家族の崩壊、キリスト教への不信任だろ。 この前後に、田舎の父親のことが軽く描かれるのだけれど、むかしはムチャクチャだった様子。どうも長女と末弟は父親に迫害され、暴力行為を受けていたようだ。しかも、外でつくった子、というのは周囲に周知のこと、のようにいっていた。ええ? ホントなのか? でも、なんで長女が外でつくった子なのだ? よく分からん。 末弟は、ちょっと頭のおかしい子、と言われていたので精神障がいかと思ったら、そうでもなさそうで。病室にいる様子も映ったけど、フツーに見えた。このあたりの、かつてのしたい放題の男世界、男尊女卑を父親は体現しているのかな。でも、末弟は男だよな。よくわかんねえ。 祝いの席の、長女の娘の「母はがんで死ぬのよ!」をうけての長女の「私は死なない」。三女が次女に「浮気されてるくせに」とか、暴言方言もいいところで、なんだこの家族は。普段からコミュニケーションがないところに、いろいろ起きてムチャクチャになっとるな。 では、仲違いで終わるのかと思ったら、三姉妹は海岸に行って、3人で自撮りして同じフレームに収まる。3人で一緒に撮るのはこれが2度目、と言っていたから、一緒の行動は多くないのかね。いやしかし、最初から最後までムチャクチャで。キリスト教も精神の安定には効果なく。なんだかな、な話だった。 ・教会の合宿みたいのがあって、次女が、夫の浮気相手の娘が寝ているところを急襲し、顔をめがけてボコボコにするのはちょい怖かった。浮気娘も、でも、その後の教会活動には参加していて。次女の指揮での賛美歌ではソロを歌っているという。なんか、怖ろしや、だな。 ・韓国ではもう男社会は崩壊しつつあり、年長者を敬うのも過去のこと。女たちは男を蹴散らし、言いたいことをいい、したいことをする社会になっているのか。それはそれでいいことだと思うけどね。 | ||||
PLAN75 | 6/29 | MOVIX亀有シアター7 | 監督/早川千絵 | 脚本/早川千絵、ジェイソン・グレイ |
日本/フランス/フィリピン/カタールの資本が入ってるらしい。allcinemaのあらすじは「超高齢化問題の解決策として導入された制度“プラン75”が定着しつつある日本。夫に先立たれ、一人で暮らす78歳の角谷ミチは、高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇されてしまう。追い詰められた彼女は“プラン75”の申請を検討し始める。一方、市役所で“プラン75”の申請窓口を担当する岡部ヒロムや、死を選んだ高齢者を電話でサポートするコールセンターのスタッフ成宮瑶子は、お年寄りに“プラン75”を勧めることに特段の疑問を持たずにいたのだが…。」 Twitterへは「国が尊厳死を推奨する話で、SFっぽさはほとんどなし。『ソイレント・グリーン』ではなかった。社会の反応はほとんど描かれないし、管理は杜撰だし、後半の描き方はテキトー過ぎ。テーマのせいか、年配客が多かった。」 出来事を淡々と、ドラマチックを排しながらつなげていく感じで、品はある。けど、はたしてリアリティがあるかというと、ありそうでない、気がしてしまう。たとえばプラン75も、たいした反対もなく導入されているらしいけど、そんなことにはならんだろう。ひそかに反対している人が、プラン75を宣伝するテレビを消したり、卵を投げつける(だっけか?)程度というのは、あり得なさ過ぎて逆に引いてしまう。あんな制度が導入されるなら、そういう地盤が築かれて居なければならないはず。たとえば確固たる保守政権が長期に支配しているとかね。でも、反対する党派がどうとか、老人の過激派がテロを起こすとか、そんなことは描かれない。粛々と制度を受け入れている感じだ。そんなこと、あり得るか? ない。 そもそも高齢者問題が如何様な問題になっているのか? 年金制度が破綻したとか。若年層が減りすぎているとか。そういうことはまったく描かれない。でも、ミチは一度役所に相談に行っていて、そこで生活保護を勧められている。ということは、支える資金はまだあるということではないか。 であれば、安楽死の延長での制度なのか? しかし、プラン75に対する支度金はわずか100万円だし、遺体を処理する工場のような施設、だれも悲しまないような雰囲気を見ても、机上の空論でつくられたお話しにしか見えないのだ。こんなリアリティのない話が話題になること辞退が信じられん。 さて。ミチは78歳。ホテルの清掃業務課なんかをやってるのか。親類縁者はおらんのか。でも仕事仲間もいる。ただ、映画の描き方が過剰に暗く暗くなっているから、ムダにブキミな感じがするだけだ。フツーに見れば健康体だし、現在でもいくらでもいるオバチャンだ。それが、仕事仲間の、室内清掃中の死亡事故があり、会社側はそういう事故を懼れて高齢者をまとめて馘首する。のだけれど、そんなこと、できないだろ。むしろ、高齢者の健康管理を徹底し、事故を防ぐ方向になるんじゃないのか? まあ、この流れにフィリピン移民の若い娘でも配して、仕事量で対抗できなくなるとか、ドラマをつくれば案外面白くなるかも知れないけど、そんなことはしていない。現実を反映した映画ではなく、監督の都合のいいように話を進めたいるだけの安っぽい映画にしか見えないね。 解雇され、でも不満も言わず、が解せない。不当解雇だろ! と、相談できる窓口は、この時代にはないのか? そして、職探し。78際で? わずかでも年金はあるんだろ? さらに役所に相談すると、生活保護を打診されるが、「まだ…」と断るんだけど、その理由が分からない。こういう状況では生活保護を利用する、の一択だろうに。それをさせない監督の意図が理解できない。この時代にはもう生活保護はない、というのなら分かるけど、あるんだろ? そして、やって得たのが深夜の交通整理…。え! ? 信じられん。そんな仕事が78歳の老女に得られるのか? なんか、いくらでもある救済措置をないものとして、あるいは本人が拒否して、その末路がこうなった、という設定なのだ。変だろ、それ。 のそして、こうした合間に部屋探し? はなんなんだ? 2年分先払いならOKとか行ってたけど、追い出されつつあったのか? よく分からん場面だ。 な、なかで、ホテルのときの仲間に連絡着かず、訪問すると椅子に座って孤独死…。おい。死んでから何日目だよ。で、不思議なのが、玄関の鍵がささったままだったんだけど、あれはどういうことだ? 差したのを忘れて部屋に入って亡くなった? なんか、不自然だろ、それ。 この仲間の死がきっかけでミチは安楽死を決意したのか? えーっ? そんなんで死のうと思うか? 思わんだろ、99%。救済措置を意図的に無視し、問題化してる感じだな。 仕事仲間が先に申し込んだんだっけ。で、担当者に、支度金が10万円でるといわれ、何に使ってもいいの? と、喜んでいるんだが。10万は安いだろ。ホテルの月給より安いと思うぞ。 で、ミチはPlan75に申し込んだ。すると、テレホン相談の担当者をあてがわれて。ひび、決まった時間、話すことでくつろいでいく。「死なないで」の命の電話ではないのが興味深い。っていうか、話し相手がいない生活が長いなら支えにもなろうが、こないだまで仲間に囲まれて働いてたんだからなあ。なんか、嘘っぽい。 相談員はミチから先生と呼ばれ、本来は会ってはいけないんだけれど、ミチのどこに興味をもったのか、先生は会ってくれる。ミチとしたら、声だけでなく、実体としての話し相手が欲しかったのかも知れないけど。で、ミチが死ぬ予定の前夜、先生がミチに電話してコールが鳴りつづけるけど出ない場面がある。あれはなんなんだ? ミチは電話に出られなかったのか? 鳴らない設定にしていたのか? 意味不明シーンだな。 さて、ミチと平行して進む話のひとつに、役所の職員の話がある。たまたまPlan75の相談に来ていた叔父に気づいて(20年振りだったか、で、判別できるものか? )、叔父を訪問すると献血手帳がたくさんある。え? 献血って65歳までじゃないのか? と調べたら、過去に経験があれば69歳までいいのか、ふーん。じゃあ、あの叔父は69歳以下なのか? その叔父を、職員でもある甥がクルマで迎えに行く場面がある。叔父は、「5時に起きちゃってさ」というんだけど、どういう意味? 興奮して早く起きてしまったということを言いたいの? そんなことを、クルマに乗り込む前に甥に告げる意味が分からない。興奮して早く起きたとしても、迎えの時間と関係ないだろ。見てる方からすると、早く迎えに来てもらったのか? という別の意味が生じてしまう。5時に意味があるように聞こえてしまうからだ。セリフとしては失格だな。で、甥の車で山の中っぽいところに行くんだけど、申し込んだ人は当日、自分で死に場所までたどり着かなきゃならんのか? 送迎バスはないのか? そして、どういう場所にあるのだ? 山の中にポツンとあるのか? そんなところへ、これから死ぬ人が自力で行くのか? 変すぎだろ。 あ、そうそう。叔父=串田和美とは気がつかずに見ていたよ。 もう1人の主人公はフィリピン人女性で。もともと何やってたんだっけ。水商売だっけ? 忘れた。子供がいるんだっけか? 忘れた。が、割のいい仕事があるよ、と言われて始めたのが、Plan75に応募してきた老人を処理し、遺体を回収する仕事、らしい。のだけれど、国の政策として、あんな施設であんなちゃちな道具、仕切りはカーテン一枚で、狭いところにぎゅうぎゅうになっているベッド、とかいうのはあり得んだろ。学生の映画じゃないんだから。 叔父をいったん施設に預けたらしい甥は、帰路、考えが変わったのか引き返し、施設に潜入し、叔父を探す。おい。セキュリティはどうなってんだよ。すでに叔父は息を引き取っていたけど、働いていたフィリピン女が手助けし、遺体をストレッチャーで甥の車に乗せる、のだ。はあ? 命を救いに来たんじゃないのか。遺体回収か。フツーの葬式を出したいから? 意味わからん。フィリピン女も、不審者に警戒心もなく、言われたとおりにしている。バカか、このフィリピン女。それにしても出入りが自由すぎるだろ。他に働いている従業員は、おらんのか! ミチは、薬剤を注射されたはずなのに、死んでいない。なんでなの? そして、ヨタヨタ歩き出し、施設の外に逃げ出す。そして、夕焼けだか朝焼けだか知らんけど、風景を見ている場面で映画は終わるんだが、なんだこのいい加減なテキトーさ加減は。ミチは心変わりしたのか? たんに意識朦朧なのか。意味不明だよ。 フィリピン女は、移民問題にからめてるつもりなのかな。でも、労働人口の補填なら、外国人より高齢者がいるだろう。高齢者を雇用すればPlan75は不要のはず。移民は減るだろうに、なんで外国人労働者がいるのだ? とか、ツッコミどころが満載過ぎて、どうしようもねえな、という映画だった。 |