2022年7月

ベイビー・ブローカー7/2109シネマズ木場シアター8監督/是枝裕和脚本/是枝裕和
原題は“Broker”。allcinemaのあらすじは「古びたクリーニング店を営むサンヒョン。借金に追われる彼は、“赤ちゃんポスト”を運営する施設で働く若い男ドンスと手を組み、赤ん坊をこっそり連れ出しては、新しい親を見つけて謝礼を受け取る違法な商売をしていた。ある時、赤ん坊を連れ出した2人の前に、思い直して戻ってきた若い母親ソヨンが現れる。ちゃんとした養父母を見つけるためと言い訳した2人に、自分も同行すると言い出すソヨン。こうして思いがけず赤ん坊の母親と一緒に養父母探しに旅に出るハメになったサンヒョンとドンス。そして、そんな彼らの行動を、現行犯で逮捕しようと目論む2人の刑事が執拗に監視していたのだったが…。」
Twitterへは「『万引き家族』の別バージョンというか、疑似家族の話だった。子供を捨てる人、捨てられる人、受け入れる人、売る人…。つくりが あざとく これなら審査員に受けるよなあ、なつくり。とはいえ色々と「?」も多くてすっきりしないのよね。」「韓国臭をできるだけ抜こうとしている感じがある。是枝臭はちゃんとある。泣かせどころの「ありがとう」も、計算しすぎてて、わざとらしいかなあ。」
いかにも是枝作品らしいテーマの選び方、登場人物の背景、話の流れ、エンディング、な感じ。ドラマチックはほとんどなくて、淡々とじっくり人間を見せていき、社会的な背景を暴いていく。でも、追及も告発もない。あるのは人間、という感じかな。これ、東映出身の監督あたりに撮らせれば、テンポ良くスリリングで、ドラマチックもちょっとエロもあって、ヒューマンに泣かせるところも強調するようなエンタメがメインな話になるんだけど、そうはしない。そうしないことで文芸的な要素を感じさせ、評価の高い映画にしつらえている。したたかというか、あざといんだよね、是枝作品は。だから、どの映画も似てきてしまう。『万引き家族』とまるきり同じな擬似家族。中年オッサン、若くきれいだけど汚れ仕事の女、ませた子供、心根の優しい青年…。出てくるキャラも、どの作品も似たり寄ったり。なので、正直いって、ちょい飽きる。
是枝作品にするために、キムチ臭を取り除いているのも興味深い。韓国映画によくある怒声、暴力、怨嗟、汗、なんてものを排除して、あっさり淡白な仕上がりにしている。これも、狙ってるな。
で、登場するのは、子供を捨てる若い女ソヨン=実は売春婦。ブローカーの男サンヒョンは、女房に捨てられた中年のチョンガーで、汚れ仕事を裏家業にしながら、正業は汚れを落とすクリーニング業。サンヒョンの裏仕事仲間ドンスは教会の捨て子施設で働いているけど、実は孤児院出身。そして、ドンスと同じ孤児院の子で、誰かの養子になりたがってるヘジンの4人が、クリーニング屋のワゴンでソヨンが捨てた赤子を売る旅に出る…。なんだけど、素直に受け入れられない部分もあって。その第一は、自分の生んだ子供を売ろう、ということに生理的な抵抗のないソヨンだな。こんな母親、いる? 
そもそも赤ん坊は数ヶ月? ヤクザはソヨンの上得意? 売春婦がヤクザの子を生むか? では愛人? そんな感じには見えない。愛人なら養育費ぐらいくれるだろう。だいたい妊娠中はどうしてたんだ? はっきり描かれてないけど、ソヨンはヤクザを殺害している(とはいえ、か弱く見えるソヨンがヤクザのボスをどうやって殺したのか? は、気になるよなあ)。養育費を要求して断られた? そんなケチなのか? 知らんけど。堕ろさず生んだということは、育てる意志があったってことだろ? でも、それが叶わなくなったから、赤ん坊をポストの前に置いた? でも、翌日には引き取りに来ている。自分が殺人者になるから、と捨てたのに、なぜ舞い戻った? なのにサンヒョンらと、赤ん坊の買い手を見つける旅に出るって、どこにも同情の余地はないよね。自分で母乳はあげないし、抱かないし、育てる意志があるとは思えんな。
ヤクザの殺害現場。警察が殺人現場に行くと、老刑事は「血は苦手」という。女が、死体の指でスマホの指認証したのは、この後だったか。これはヤクザのスマホ? 老刑事が売春宿に行ったということは、ヤクザの履歴にやりとりがあったということか。ソヨンも、証拠の始末をする余裕がなかった、のかな。あんな落ち着いた雰囲気なのに。オバサンはソヨンの存在を否定するが…。の場面も、ちょっと情報が足りなさすぎないかな。
いっぽうで、幼児遺棄の線でソヨンを追っていたのが、女刑事とその部下で。赤ちゃんポストの前に幼児を置いていったのを確認すると、部下に女=まだソヨンとわかってない、を「追え」と命ずる。なので、女の素性はわかっているものと思ったけど、次の繁華街での場面は、部下が女を見失う場面だったのか? ソヨンも部下の顔もちゃんとでてないからわからんよ。
この女刑事2人組の行動も「?」が多い。もともと幼児遺棄で張り込みしてて、女=ソヨンを発見したのに、逃げられた。そのことを上司に報告、してるのか? どーも本部と連絡してないような、単独行動のような、なんか怪しい。にも関わらず、女=ソヨンが殺人を犯したということを、知ってるような気配。え? いつ、どうやって情報を得たんだ? 本部からの情報? でも、幼児遺棄の女が、ヤクザを殺したソヨンである、とは結びつかないだろ。でも、結びついているような言動をしていたような気がするんだが。追っている女が殺人犯ソヨンであると分かったら、その時点で本部に連絡し、応援を頼むのが警察の筋なんじゃないのか?
そうそう。4人の旅では、サンヒョンは意外と簡単に子供を買う夫婦を探してくる。どういうルートなんだか知らんけど、そんな需要はあるのかね。最初の夫婦は値段で折り合わず、2組目は、相手が転売目的だ、とか言って売るのをやめてしまうんだけど、なんで転売目的じゃダメなんだ? 金が入ればいい、ではないのか。よく分からん連中だ。
そういえば、4人の乗るバンで、荷台に見つけた古い型のGPSは、誰が設置したのだ? 女刑事2人組? よく分からんな。あの場面。
女刑事たちはどうやってソヨンを特定し、4人を追跡するようになったんだっけ? 覚えてないけど。女刑事はソヨンに接触し、あれは自首を勧めたのか? それは、幼児遺棄で? それとも、ヤクザ殺害で? どっちだろ。もしヤクザ殺害で泳がせていたとしたら、それは、変だよな。やっぱり女刑事たちは、ソヨンの殺しを知らなかったのか? うーむ、よく分からん。
で、赤ん坊は売れない、で行き詰まっているところに、女刑事と、他の刑事もいたように思うけど、「逮捕する」とやってきて、4人は捕まってしまう。のだけれど、女刑事は「赤ん坊を売る現行犯で逮捕しないと…」っていってたよな。なのに、女が自首したら、赤ん坊を売る現場でなくても逮捕できるのか? よく分からん。
で、数年後、ソヨンはガソリンスタンドで働いている。3年か5年か、そこらで出られたようなので、殺人罪でも軽かった様子。なので、ぜひとも、ソヨンがなぜ、どうやってヤクザを殺したのか知りたいところ。ソヨンが背負っているものを、知りたいよね。ずっと母親らしくない態度だったとしても。
あと、サンヒョンが定食屋かどこかでテレビのニュースを見ていると、ヤクザが死んでいて、一緒に4000万ウォンあったとかなんとかアナウンサーが話しているんだが。この4000万ウォンは、ヤクザの妻が、ソヨンが生んだ子供を買い取るといった値段だよなあ。このくだりも、よく分からんことだらけ。そもそも、ヤクザの夫が売春婦に生ませた子供を、自分が育てるから、と組員に探し出すよう命ずるというのが不自然すぎ。フツーなら、そんな子供、要らんだろ。変な奥さん。で、組員は、どうやってソヨンの居所を探り当てたのかね。まず、サンヒョンに接触してきた? なにを根拠に? 殺された組員はサンヒョンの知り合いの息子、なんだよな。殺された、というか、サンヒョンが殺ったんだと思うけど。で、サンヒョンは、提示された4000万ウォンを、受け取らなかったのか? なんで? な感じだよね。
ソヨンは、青年ドンスと、これから一緒になるんだろうか。そうなりそうな場面って、あったっけか。忘れた。
そういえばソヨンの子供は、女刑事が育てているようだ。女刑事夫妻には子供がおらず、ここにも子供が欲しい人がいた、ということか。とはいえ、事件に関与した刑事が、そんな子供を育てることが許されるのか? 映画的嘘といっても、なんだか過ぎるような気がしないでもないんだが。
・4人でどっかのホテルの夜に、布団のなかで「生まれてきてくれてありがとう」という場面。泣かせどころがわざとらしくて、ちっとも泣けない。是枝らしい、頭で考えた、これなら泣いてもらえるだろうな場面だった。
・青年は、バイト先である教会を勝手に、あんなに長期間休んでしまって大丈夫なのか? と、ずっと見ながら思っていたんだが。
ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男7/6-ギンレイホール監督/トッド・ヘインズ脚本/マリオ・コレア、マシュー・マイケル・カーナハン
原題は“Dark Waters”。allcinemaのあらすじは「1998年、企業弁護士ロブ・ビロットのもとにウィルバー・テナントという男性がやって来て、ある調査を依頼する。テナントによると、彼の農場が巨大企業デュポン社の工場から出た廃棄物によって汚染され、牛が次々と死んでいるというのだった。最初は断ろうとしたビロットだったが、現地の惨状を目の当たりにして原因を突き止める必要性を痛感する。やがてデュポン社に請求した大量の資料と格闘する中で、“PFOA”という謎のワードが意味する深刻な事態に辿り着くビロットだったが…。」
Twitterへは「本来は企業側の弁護士がデュポン相手に孤独な戦いを挑む話で『エリン・ブロコビッチ』を連想。分かりにくいところもあったり、モヤモヤはあるけど、具体的に企業名を出して映画化してしまう意気は、素晴らしい。」
というわけで、見終えて10日近くもたっていると、いろいろ忘れてはいるのだが。話の流れは『エリン・ブロコビッチ』を重ねてしまうので、損してるかも。そのうえ、あっちはジュリア・ロバーツが主人公で、しかも、フツーのオバサンが奮闘して被害者家族を取材したりして事実をつかんでいき…というドラマチックと花があった。一方のこちらは、ロブはすでに弁護士で、そもそも乗り気ではなく、祖母との義理でいやいや調べ始め…というもの。ロブ役はマーク・ラファロで、個人的には好きな俳優だけど、一般には地味。それが地味に調べていくのだから、どーもいまいちスカッとしない展開なんだよね。
そもそもの始まりは、ロブを訪ねて田舎者が「このビデオを見てくれ」ってやってくる。でもロブは企業側の仕事をする弁護士事務所の所属。最初は無視するけど、祖母の名前を出されて、しかたねえな、って感じでまず祖母を訪ねる。祖母曰く、「ウィルバーのことはよく知らないけど、尋ねてきたからお前の名前をつたえた」程度の義理なんだよね。ウィルバーは家畜の写真やビデオ、冷凍保存した家畜の内臓なにかをロブに見せるけど、ロブはなんだか面倒そうだし。見てる方も、ぜんぜん奮い立たない。
とはいえ、どーも変だと思ったロブはデュポン社の情報を集め始めるんだけど、なんとかいう物質の存在が目に入り、調べるけど、これが何だかはっきりしない。そのうち、テフロン加工のテフロンだと言うことに気がついて、デュポン社に関連資料を提出するよう依頼するんだけど、そしたら山のような資料が事務所に届いて、これは調べるのに大変だ、な感じ。
この映画のいまいちピリッとしないところは、いろいろ曖昧なまま話が進むことなんだよね。企業弁護士事務所の幹部に昇進したロブが、デュポンを告発するような事件を深掘りしていくようになる。最初、ロブは「話が大きくなる前に和解した方がいいから」なんていってて、それを社長も納得していた(社長トム役はティム・ロビンスで、やっと子供っぽくない顔になったなあ)。それが調べていくうちに、デュポンがかなり悪質なのが分かってきて、いやがらせを受けるようにもなってくる。のだけれど、この状況なら、デュポンが事務所側に圧力をかけてロブを辞任させるとか、そういう流れになるのかと思いきや、そうはならない。社長は「金にもならない仕事をつづけて…」といい、給料は成果主義なのか、どんどん減らされていくけれど、クビにはならない。このあたりの弁護士事務所のシステムが、よく分からない。後半では、社長がロブに「勝てる。この調子でいくぞ」なんてハッパをかける場面もあったりして。企業弁護士事務所が一般人の告発を肩代わりして、それで金になるのか? 大丈夫なのか? とか気になってしまった。まあ、勝てばウィルバーにばく大な慰謝料が転がり込むから、そっから手数料をもらうという寸法なんだろうけど。でも、企業側の弁護士事務所が一般人の弁護もする、と分かったら、これまでのように企業側から仕事がくるものなのか? と、心配になってしまう。
あと、よく分からんのが、デュポン側の存在が茫洋としていることかな。なにかの会議でロブがある人物に話をしようとしたら、露骨に嫌な顔をされる場面があった。あの人物は、デュポン側の弁護士かなんかなのか? とか、よく分からんところが結構あるのだよ。それに、裁判所の命令だからか、デュポンが大量の資料をロブに送りつけるところも、ヤバイ資料を全部見せてしまっていいのか? 大量だから見つけ出すのはムリ、ということが果たしてあるのか? などと思ってしまう。そして、はっきりデュポン側と分かる人間が登場しないので、いまいちもやもやしたままなんだよね。存在が希薄な悪玉、という感じなのだ。
なので、次第にデュポンを追いつめていく感がいまいち、ひしひしと感じられない。そんななかで、デュポン側から和解に応じるとか言ってきて、ばく大な賠償金を払うことになった、な感じかな。拍手喝采ではあるんだけど、いまいちスカッとしない。
一度、どこかから帰るとき、ロブがクルマに乗り込み、ふと考える場面がある。もしかしたらクルマに爆弾が仕掛けられていて、エンジンをかけたらドカン! となるかも、な恐怖が表現された場面だ。結局、なにもなかったんだけどね。デュポンは、そういうことはしない企業だ、ということなのか。社内において、テフロンが毒性を持っていることは知っていて、それを調べるために社員にテフロンをこっそり盛って調査したりと、やってることは極悪。その事実を明らかにはもうできないから、こっそり廃棄して埋めていた。知っていてだんまりは、罪だろう。けれど、隠し通せないと分かると、最後はそれを認めているところは、もしかしたら潔いのかもしれない。こんな大事件があったのに、デュポンは相変わらず世界の大企業で、テフロンの賠償金程度はたいして痛くないのかもね。
とはいえ、この映画の凄いところは、企業の実名が堂々と登場しているところだね。日本で、こんなことができるんだろうか。チッソだの森永だの、問題を起こした企業は日本にも少なくない。これを真っ向から取り上げ、ドキュメンタリーではなく、娯楽映画として成立させているアメリカは、やっぱり凄いな、と思ってしまう。もちろん出演する俳優たちもね。
まあ、デュポンという企業名を出すからには、脚色しすぎるのはまずい、というのもあったのかも知れないけどね。でも、10年もかかった裁判について、もうちょい分かりやすくしてくれてもいいような気がするんだけどね。見終えても、もやもやは依然としてのこってるんだよなあ。
ロブの奥さん役がアン・ハサウェイなんだけど、見せ場はほとんどない。華のある役者がいないと、ということで呼ばれたのかな。なんか、もったいない。
被害者である赤ちゃんの写真が登場するけれど、その赤ちゃんが成人した姿が、ちょい役で(セリフもある)で登場したりしているところが、なかなか熱い。すでに亡くなってしまったウィルバーの弟が居酒屋にいたり、端役として出演していたのを、最後にネタばらしをしてくれている。
スイング・ステート7/6ギンレイホール監督/ジョン・スチュワート脚本/ジョン・スチュワート
原題は“Irresistible”。allcinemaのあらすじは「民主党の選挙参謀ゲイリー・ジマーは、来たるべき大統領選挙に向けて、共和党から政権を奪還するための作戦を思案中。そんな時、不法移民のために立ち上がる退役軍人ジャック・ヘイスティングス大佐の感動的な演説動画を見て、ある秘策を思いつく。それは、保守派にも説得力のある彼を担ぎ出して激戦州のウィスコンシンで町長選に出馬させ、そこでの勝利を足掛かりに農村での民主票を取り戻していくというもの。選挙のエキスパートであるゲイリー自ら指揮をとれば田舎の町長選など簡単に勝利できると思われたが、現職町長である対立候補の参謀役として、なんとトランプの選挙参謀も務める宿敵フェイス・ブルースターが乗り込んでくるのだったが…。」
Twitterへは「解説を読んで、へー、そういう話だったのか、な感じ。ちょっととっつきにくいというか、分かりにくい。オチも、ええっ? なので、前半、寝てしまった。アメリカ人なら、なるほどなるほど、で笑えるものなのか?」
まず、スティーヴ・カレルの役がよく分からないまま話が始まる。田舎の法廷みたいなところが映るYouTube見たいのを見て「これだ!」といい、その映像に映っていた大佐に会いに行く。そして、田舎の選挙に担ぎ出して、応援を始める。すると、やり手の女(共和党の選挙参謀らしい)が現れて、相手候補の応援を始める…。というような話なんだけど、すべてがなんでそうなるの? な感じなんだよね。解説を読むと、スティーヴ・カレルの役は民主党の選挙参謀らしいけど、それって、この映画の冒頭部分を見ていて分かるものだったか? 
そもそも、なんで田舎の選挙に、民主党だの共和党が興味をもったのか? が、分からない。あのYouTubeに、スティーヴ・カレルを動かす何があったって言うのだ? さっぱり分からない。分からないまま見ているから、つまらない。つまらないから眠くなる、で、前半はずいぶん寝た。もちろん、起きたからってよく分からない。よく分からないまま、ぼーっと見ているだけ、だった。
大佐の娘というのが、わりと品のあるボーイッシュな女優で、なかなかいいね、ぐらいかな、感想は。
で、最後にオチがあって、開票結果は1票差でどうとか、だったかな。なんでも、財政難に悩む田舎町が一計を案じ、冒頭に出てきたYouTube映像をでっち上げた。それに、スティーヴ・カレルがひっかかった、ということらしい。それで田舎町にかなりの資金が転がり込んだらしいんだけど、そんな餌にフツー、中央で働く選挙参謀が引っかかる訳がないだろ。と、思うと、くだらねえ話だな、と。この映画を見て、なるほど、はははは、と笑える日本人はどれだけおるのだ?
わたしは最悪。7/11ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ヨアキム・トリアー脚本/エスキル・フォクト、ヨアキム・トリアー
原題は“Verdens verste menneske”=「世界で最悪の人」。allcinemaのあらすじは「学生時代はそれなりに成績も優秀だったユリヤ。しかし何になりたいかが決められないまま、次第に焦りと不安を募らせていく。グラフィックノベル作家として成功した年上の恋人アクセルとの良好な関係も、家庭を築きたいという彼の告白に、かえって迷いは増すばかり。そんな時、たまたま紛れ込んだパーティ会場で若い魅力的な男性アイヴィンと出会い、心惹かれていくユリヤだったが…。」「『青い鳥』の現代版ってところか。」
Twitterへは「30過ぎても自分探しといいつつ、いい男になびいてばかりのノルウェー女の話だった。とくにドラマはないけど、どの国でも同じような感じなのね。あ、めずらしく、あの場面でボカシがされてたよ。」
舞台はノルウェー、オスロ、なのかな。医学生のユリアは「興味があるのは肉体ではなく心」と心理学専攻に変更するも「ここも詰め込みじゃん」と飽きて、じゃあと写真を撮りながら書店員の仕事に就いた。という時点で、なんだこのバカ女は、だよね。せっかくなんだから、とりあえず医者の資格は取って、心理学士の資格も取って相談員になるとか、は考えないのかね。しかも、時々に男とくっついては別れてを繰り返し、30間近。が、44歳の漫画家アクセルに恋し、同居を始める。アクセルは子どもが欲しがるが、ユリヤは自信がない、と拒む。まあ、ありがちだけど、30になって未来も見えずダラダラなユリヤみたいな女は、どこにでもいるのね。
・ところで、2人がロッジみたいな所に行って他の家族と過ごしてたのは、あれはどこで、相手はだれなのだ?
・ユリヤは、家系について詳しくて、母はどう、祖母はどうした、そのまた曾祖母は産みたくもない子供を何人も産んだ、と過去に思いを馳せるが、あれはむかしの女性は気の毒だった、ということなのかね。知らんけど。
何かのパーティでアクセルが読者のオタクに囲まれているのを見て、嫉妬、なのかな。1人で先に帰る道すがら、誰かのパーティに潜り込み、アイヴィンと知り合い、擬似浮気ごっこをする。これ、面白くて、互いに小水するシーンを覗き合ったり(ユリヤは屁までしちゃう!)、相手の煙草の煙を吸い込んだり。互いにパートナーがいる、ということを知って、どこまでなら浮気にならないか、をやってるけど、なかなかセクシー。
その後、働いてる書店にアイヴィンがパートナーとやってきて。アイヴィンは「また会いたい」とそっと切り出して、ユリヤはウキウキになってしまう。アホだね。で、ある日、ユリヤはアイヴィンの働くカフェに行って、キスしてしまう(んだっけか?)。この、会いに行く場面、ユリヤ以外は静止してしまっていて、その街を駆けていく。まあ、周囲が見えなくなってることを表現したのかな?
そして、アクセルに「別れたい」と切り出す。アクセルは「男ができたか?」と聞くが「いいえ」といい、「愛してるけど別れよう」と、それ嘘だろ、を堂々というのだ。女はコワイ。未練たらたらなアクセルは、「君がいれば子供は要らない」というのだけれど、ユリヤの心は変わらない。けれど、アクセルが迫ったら、「別れたい」といっているのにも関わらず、簡単に足を開いてしまうのは女の性なの?
晴れてアイヴィンと暮らしはじめたユリヤ。アイヴィンは、ヨガ好きな彼女とすっぱり別れたのか。はあー。最初のうちは好きよ好きよだったけど、アイヴィンが元カノのインスタをフォローしてるのに嫉妬したり、かと思うとケンカして「50になってもコーヒー出してる人生なの?」と言ったり。はたまた、アイヴィンかユリヤの小説の書き損じを見つけて褒めたら「勝手にゴミ箱漁らないで」と怒鳴ったり。なんだよ。我が儘な女だよなあ。さらに。別れたアクセルがテレビに出ているのをスポーツジムで見かけて、見とれたりする(アクセルは、フェミニストの闘士みたいな女性にガンガン叩かれ、でも、あれはアートだ、と反論していくのが面白い)。で、たまたま書店にやってきたアクセルの友人に声をかけたら、アクセルは膵臓がんで余命幾ばくもないといわれ。かと思ったら思わぬ妊娠。その相談を、なんと病床のアクセルにするという捻れよう。このときだったか、アクセルは「別れたいと言ったとき、その彼とはすでに出会っていたのか?」と聞かれたのは。
アクセルは「君なら立派な母親になる」というのだけれど、ユリヤの心は定まったのだろうか。とりあえずアイヴィンにつたえはしたけど、そんなにウキウキしている様子はなく。と思っていたら、どうやら流産…。ユリヤは、死を目前にしたアクセルの写真をMacで整理しているけれど、すでに亡くなったということか…。
最後は、映画のスチールカメラマンとして働いているユリヤ。仕事の合間にふと窓の外を見ると、たぶんあれはアイヴィンが、妻と赤ん坊と一緒にいる、というところでEND。
自分のしたいことは何だろう、母親になんかなれない、なんて言ってるうちに周囲はどんどん変化していく。元彼は死に、もう1人の元彼は家庭を築いている。ふと気づいたら、カメラの仕事をしている。何気なく始めた写真だけど、長続きしている。なんだ、したいことは、近くにあったのだ。子供や、幸せな家庭を築く機会も、ずっと身近にあった。でも、それが見えなかった。アイヴィンの新家庭と比べたら、置いてきぼりのような気分でもある。なんてところは、『青い鳥』かな。こういう、何かしたい病にかかってる女性は、世界各地にたくさんいるんだろうね。
・ユリヤを演じてる女優は端正で美人なんだけど、あるときは幼な可愛く見えたり、エロっぽく見えたり、オバサンに見えたり、ジムのシーンでは髪をまとめていて変な顔に見えていたり。なんか顔が一定しないのが変な感じだったかな。
ビリーバーズ7/12テアトル新宿監督/城定秀夫脚本/城定秀夫
allcinemaのあらすじは「汚れを落とすためのとある修行プログラムを実行しているふたりの男とひとりの女が共同生活を送る孤島を舞台に、純粋な信仰心の下で満ち足りた日々を送っていた彼らが、ふとしたきっかけから抑え込んでいた欲望に囚われはじめ、次第にそれぞれの関係に変化が生じて、いつしか崩壊へと至るさまを、ユーモアを織り交ぜつつ、過激な性愛描写とともに鮮烈に描き出していく。」
Twitterへは「カルトの信者3人が孤島で暮らすという設定。母親も信者で自分も…。というのは、元首相暗殺犯と同じすぎ。タイムリーとはいえ『アナタハン』『ときめきに死す』『教団x』ほか類似品は多いし、城定監督らしいねっちり性描写も食傷気味。」
マンガが原作らしい。安倍元首相暗殺犯の母親が統一教会で、犯人自身は統一教会分派の信者。母親は5000万円の献金で家計が破綻…。とかいうことが分かってきてる最中の公開は、タイミング良すぎだろ。とはいえ、新興宗教を扱った映画はゴマンとあって。この映画の前半のような、孤島での信者3人による心の浄化の修行を描く部分は興味あるけど、男2人、女1人という環境で、それがどう崩れていくかというのは明々白々な感じなので、そうなるだろうなあ、という感想しかない。しかも、唯一の女=副議長の、あっけらかん過ぎる肉体露出はただの徴発だろ、としか思えんぞ。オペレーターと2人で海産物を集めるところの、Tシャツがずぶ濡れでおっぱい丸見えなところなんか、恥じらいも何もないのかこのバカ女は。と思う。当然ながらオペレーターの欲情は高まって、ついにはベロベロになると、あとは監督の執着するピンク映画路線になっていく。おっさんとしては楽しいのではあるけれど、映画としては必要以上に描かれすぎで、ちょっとなあ…。
もちろん、心に思ったこと、夢に出てきたことを午前中に吐露し合い、心を浄化していくという作業は、あの新興宗教に必要なのかもしれないけど、傍から見るぶんにはアホとしか思えんわけで。というか、そんな宗教を信じること自体がアホか、なのだけどね。
ただ、信じるに至った経緯はざっくり無視で、せいぜい副議長さんは、元亭主の暴力(?)から逃れたとかいうことがさらりと描かれるだけ。でも、その副議長さんも、教会の上司である第3副部長さんと恋愛関係になってズブズブだったらしいから、だったら人間交流を優先するタイプなわけで、孤島での禁欲的な生活スタイルは、ありゃ嘘なんじゃないのか? とかね、思っちゃうぞ。
なので、前半の3人の生活が、ずっと淡々と描かれるのがつまらない。もっと男2人の下心とか、誘惑する副議長、という視点で描いた方がよくないか? その方が、建て前と本心の揺らぎが面白く見られるような気がするんだけどね。
とはいえ、いつしかオペレーターと副議長は本音を次第に見せていき、キスしたりなんだりはするようになって。で、海岸で全裸で絡む場面では性交したのかとおもったら、してなかったのか。の、のち、箱をしまっている倉庫で乳繰り合っているところを議長に見られてしまう。議長はオペレーターは穴に埋め、さらに、副議長に対しては、自分も欲望があることを告白し、フェラを命ずる。そして、イク瞬間にかみ切って殺せ、と命ずるが、なんと副議長はザーメン飲んじゃってって、コメディだろ。な関係を延々つづけ、まいにちフェラされてご満悦。だけど、副議長もとうとう、噛みきりはしなかったんだと思うけど噛みついて。事件の真相を本部にメールし、議長は本部からの連絡船が運び去っていく。これで晴れて2人きり。ここでオペレーターと副議長は性交するのか。
この、異性への興味を教団はどう思っているんだろう。禁忌としているのか? そんな風でもない。では、男2人と女1人の共同生活を命じた背景は、なんなんだ? という根本的な疑問があるよな。
3人を島に派遣したのは、教団が後に撤退するときの拠点として、とかいってたけど、よく分からん。定期的に送られてくる段ボールの中味も、なんなんだ? いくつか、送り返してもいたのはなんなんだ? とか、疑問だらけ。
ボートがやってきて、一般人が上陸してきて、話が面白く転がるかとおもいきや、議長さんが銃で皆殺しにしたのか。呆気なさ過ぎだろ。遺体は、本部の船が回収していった。けど、証拠は完全には隠滅できんわけで、杜撰すぎ。
国内では教団の疑惑がどうとかで、第3部長は逃亡してしまったりしているのに、本部からは定期的に段ボールは届けられるし、食料も来る。始末した船の連中の処理もしてくれる。どういうことなんだ?
2人が愛の生活を続けられるかと思ったら、突然、島に教祖や信者が退去してやってきて、集団自殺らしい。このあたりの展開と描写は既視感ありすぎて、つまらんのだよな。それはさておき、全員で毒を飲む直前、オペレーターが「やめろ!」と叫んで混乱。そこに、逃げたはずの第3部長がやってきたのは、副議長への欲望がなせる技なのか。教祖を呆気なく銃殺。すると教団親衛隊がマシンガンで信者を撃ち始め、ヘリがやってきたと思ったら機動隊で、こちらは教団幹部を捕縛し始めるが、親衛隊がマシンガンで応酬。これに対して機動隊も銃撃…という、バカっぽくマンガ的な展開は、ありふれすぎててつまらないし、マシンガンで撃ち合うこと自体、あり得んだろ。
ここで副議長が撃たれて(誰に撃たれたかしらんけど)死ぬのだけれど、このときかな、「オペレーターさんも殺人罪で」云々言うのはどういうこと? え? オペレーターは誰か殺したっけ?
で、次の場面はオペレーターと副議長が川で静かにボートを漕いでいる。オペレーターは副議長に「あんなひどかったのに死ななくてよかった」的なことをいうのだけれど、これは、現実ではなく三途の川か? カットバックで、オペレーターが拘置所にいる場面も平行して映る。そのオペレーターに、どこかの国で政府転覆を狙った議長さんから電話が入ったり。いったいどれが真実で、なにが幻なのか、よく分からん終わり方だな。
もっと、教団の様子を見せるべきだな。国内での非難、退潮の様子、過去における第3部長と副議長の関係、副議長が島に送られた理由をほのめかすとか…。男の欲望だけでなく、副議長の下半身の欲望も、描いた方が自然だろう。
・オペレーターは、津波の場面を見たり、一定の時間市域を失っていたりすることがある。これは、夢を記録することによる意識障害? 後半では、議長が消えた後、浜辺で3体の遺骸のイメージや、副議長が議長が柱にしばりつけられているイメージを見たりするようになる。でも、記憶が失われることはない感じ。ありゃ、なんなんだ?
・しかし、本部からの食糧供給は、変すぎだろ。小麦粉だけとか、腐った緑色の球だとか。お笑いかよ。
・海で水浴びしたらベタベタすぎて気持ち悪いだろ、としか思えんぞ。
・やたら登場するカメは脇役的存在? いったい何の象徴のつもりだ?
・電気はどこからとってるんだ? ネットは、携帯からダイヤルアップ? クルマのガソリンも、どこかに備蓄があるのか?
・副議長役の北村優衣はなかな豊かな乳房と脱ぎっぷりで、城定秀夫となじみ深いポルノ女優かと思いきや、フツーの女優で、しかもまだ22歳らしい。ひぇー! とはいえ、左右の乳房の大きさが結構違うので、そればっかり気になってしまっていたのだけれどね。
エルヴィス7/13ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/バズ・ラーマン脚本/バズ・ラーマン、サム・ブロメル、クレイグ・ピアース、ジェレミー・ドネル
原題は“Elvis”。allcinemaのあらすじは「貧しい家庭に生まれ、黒人音楽の中で育ったエルヴィスが、ブルースとゴスペルをベースに革新的な音楽とパフォーマンスでスターダムを駆け登っていった短くも数奇な栄光の音楽人生の光と影を、彼のマネージャーを務めたトム・パーカー大佐との愛憎入り交じる複雑な関係を軸に描き出していく。」
Twitterへは「人生における出来事を、略歴紹介みたいな感じで、見出し的につづれ織りに見せていく感じ。その他の出来事は画面分割orスチルでパラパラ紹介。なのでドラマがあまりなく、感情移入できず。怪しいマネージャーに焦点当てすぎではないの? 」
一般的な伝記映画は、まあ、ドラマ仕立てになってるのが多い。けれどこれは、派手な出来事の上っ面だけをハイライト的に見せていく感じなんだよね。とても表層的。だから、一発当てて豪邸を買って、で、その豪邸に友人らしき連中がやってきてうろうろ騒いでいたりするけれど、その彼らが誰なのか、なんてことは一切紹介しない。ドイツに駐留していたときの恋人か、後の奥さんらしいけど、出会いがどうとか、プロポーズはどうした、なんてことも分からない。すべてがそんな具合で、エルヴィスにも他の登場人物にも人間くささがなくて、ただの記号にしか見えないのだよね。
そういえば、「サムはなんとかだけど大佐はどうとか」というようなセリフもあったけど、サム? 誰それ? とかね。
むしろ、エルヴィスより人間くさく描かれるのは大佐で、こちらの生い立ちとか過去なんかがムダにしつこく紹介される。そこまで必要か? と思ってしまうぐらいだ。しかも、スポットライトが当たってるような場面ばかりをつなげていくだけだから、当然ながらドラマがない。なので、ちょっと飽きてしまう。
エルヴィスが黒人教会でゴスペルとかブルースに打たれた話は出てくる。けれど、その後にどういう曲をつくり、レコードデビューに至ったか、はごっそり省かれている。なんだよ。それがなきゃつまんないだろう。で、大佐は、田舎のラジオから流れてくる黒人みたいな歌を聞き、歌っているのは白人、と知って「こりゃ見世物になる」と思ったのかどうか。マネージャーになるんだけど、どう接近してどう説得したのか、は描かれない。万事この調子。本来、面白くなりそうなところをすっ飛ばして、見せ場だけを華々しく紹介するだけなんだよね。
もちろん、腰振りながら歌う場面で女の子たちがキャーキャーいい、パンツまで放り投げ込むあたりは面白い。けれど、女の子たちも、結局は記号的でしかないわけで。そんなに腰振りとかセックスに飢えていたのか? と思っちゃうよね。
ヒット曲については、そこそこ紹介されるけど、『ボヘミアン・ラプソディ』みたいにヒット曲でつづるサクセスストーリーになってないので、高揚感はあまりない。それに、曲をつくったのは誰なんだ? ということも気になってしまうしね。
落ち目になっていく経緯も、なんかよく分からん。映画はロクなのがなかった、とか、画面分割でささっと見せるだけ。クスリの影響も、チラリ。ビートルズとの会見は、言葉だけ。何が悪くて、というか、ファンの交代があったのか、曲が悪かったのか、とかいうのもよく分からず、なんとなくラスベガス公演になっていって。ここではおばさま連中がキス攻撃してきたり。つまりはもう過去の存在で、ディナーショーだけが頼り、だったのか。でも、ラスベガスに出てないあいだは何してたんだ? いつのまにか奥さんとは別居なのか離婚なのか。よく分からん。けど、『エルビス・オン・ステージ』はほぼリアルタイムに見てるんだけどね。映画がつくられたんだから、まだまだ大スターということか。でも、この映画の中では『エルビス・オン・ステージ』は触れられてなかったんだよね。なんだよ。な感じ。
というわけで、寝はしなかったけど、いまいち乗りきれず。それと、冷房の効きすぎと、1時間ちょい前に飲んだお茶が効いたのか、1時間過ぎから尿意が次第に高まり、途中でトイレへ、と思ったけどなんとか乗り切ったので、それもあって寝なかったのかもね。
エル プラネタ7/20ギンレイホール監督/ アマリア・ウルマン脚本/ アマリア・ウルマン
アメリカ/スペイン映画。原題は“El Planeta”。allcinemaのあらすじは「スペインの海辺の町ヒホンを舞台に、破産寸前でアパートからも追い出されようとしている崖っぷち母娘が、それでも“SNS映え”する虚構の暮らしを手放さずにギリギリのその日暮らしを続けるシュールな日常を、シニカルかつユーモラスな筆致で綴る。」
Twitterへは「家賃も払えず電気も止められてるのにレストランで食事して「つけといて」とか、ドレス新調したり、わけ分からん母娘の日常をだらだらと。なので退屈。フランス映画ならもうちょいエスプリ効かすだろうに、スペイン映画か。」
事前の情報なしで見た。冒頭は、母親が買い物の箱をもって小雨の中を歩いている。家に戻って、返却するならどうとか言っている。次は、娘なのか。カフェで男と待ち合わせ、でも初対面のオヤジで、オヤジは小便を駆けられるプレイが好き、とかいってる。娘は、600ユーロぐらいになるか? と聞くと、バカ言うなフェラで30ユーロが相場だという。じゃあ、連絡する、とかいって男は去って行き、女も席を立つ。なんなんだ? デリヘルみたいなことをして稼ごうというのか?
な感じでだらだらと。母親がキッチンかどこかを掃除している。娘が、どうせ他人のものなのに、というと、住んでる限りは掃除するのよ、と母親が返す。じゃ、家は立ち退き? にしては焦ってないし、のらくらしてる。と思ったら電気が点かなくなり、止められたらしい。にもかかわらず、2人で高級レストランに行き、たらふく食べて、誰それのツケにしておいてくれ、なんて言って出ていく。かと思うと、1ユーロショップ? へ2人で出かけ、娘が店員とおしゃべりしてる間に母親が万引きし、先に帰るが、店員と娘が親しげに話し終わると、店員は母親を追っていき、品物を取り返して母親はトボトボ帰る。
万事この調子で、母娘は靴を見に行って、返却は15日以内ね、とか話したり。はたまち2人で美容室に行ってのんびりしてる。母親は1人で洋品店でドレスを新調し、あとで取りに来る、みたいなことを言っている。その裏で、娘はミシンをどこかの他人に売ってたり。なんか、やってることがチグハグすぎるというか、ワケ分からん。とくに大きなドラマがあるわけでなし、同じような2人の、金はないけど先をまったく考えずに派手に暮らす、が延々つづくだけなので、正直いって退屈極まりない。
娘が、1ユーロショップの店員である中国人と一夜を過ごす、というのはあるけど、ただそれだけ。よく分からんけど、中国人には妻子があるらしい。じゃあ、中国人は家族をイギリスにおいて単身スペインにいるのか? この店員、朝10時前に2人で町をふらつき、子供がいるとか、遊びの関係だ、とかズケズケとものを言うので、娘は少し機嫌を害したみたいだけど、ただそれだけ、な感じで。この娘、感情がどこについてんだ? と思ってしまう。まあ、金銭感覚と同じように、男女関係に対する感情も壊れてるのかも知れないけどね。
これがフランス映画なら、不条理な感じになるとか、ちょっとした教訓が入るとか、どんどん破滅していくとか、見ていてヒキがあるんだけど、この映画にそういうものはない。ただもう、だらだらつづくだけ。そして、母娘がだらだらしてるところに警察がやってきて「同行を」と。母親が、捕まるようなこと、何したのかしらんけど、娘に何もいわず、抵抗もせず警官と出ていく。家の中から「母さん」の声が、うつろに聞こえてくる。娘は、母親が連行されたことも知らない。という突然のエンディング。
・本編は白黒。やってることはカラフルでも、実態は色がない行為、とでもいうつもりなのかな。
・エンドロール前の、マーティン・スコセッシがどーのこーの、と、女王がでてくるニュース映像はカラー。エンドロールも、文字の部分が反転していて、カラフルになってる。
・ビデオアプリのオマケについているような、安直なワイプ(4つに別れるとか、画面がめくれるとか)が多用される安っぽさ。
天外者(てんがらもん)7/21キネカ大森2監督/田中光敏脚本/小松江里子
allcinemaのあらすじは「動乱の幕末。薩摩藩士・五代才助(後の友厚)は長崎の海軍伝習所に学び、その類まれな才能で天外者(てんがらもん)と呼ばれ将来を嘱望される。やがて坂本龍馬、岩崎弥太郎、伊藤博文ら志を同じくする若者たちと出会い親交を深めていく。そんな中、文字を学び本を読みたいと語る遊女のはると出会い、誰もが自由に夢をみることができる国をつくると改めて心に誓う才助だったが…。」
Twitterへは「五代友厚の伝記だけど話が大雑把すぎ。ムダに遊女との恋物語、竜馬や伊藤博文らとの交流、斬り合いまでねつ造。なのに肝心の五代が何をしたかはほとんど描かれない。脚本が悪いのか、ズタズタにした監督のせいか?」
五代友厚。名前は見たことがあったけれど、何をした人かまったく知らず。で、この伝記映画を見ても、結局、何をした人なのか分からずじまい。そんな映画。
場所は長崎? 伝習所で型破りな生徒がいる、なことを勝海舟と坂本竜馬が話している。その坂本と五代が、長崎?市中を逃げ回っている。のだけれど、そもそも五代と竜馬の関係が説明されておらず、なぜ近しいのか、なぜ浪人たちに追われているのか、まったく分からない。逃げる途中で入水しようとしている遊女 はる と知り合う、のは娯楽映画的な要素でいいとしても、この関係をのちのちムダに引きずりすぎだろ。さらに、万華鏡に夢中の青年とも知り合うのだけれど、この青年が誰なのか、は全く説明されない。
分からないといえば、五代がグラバーと会う場面。たしか竜馬がいて、あと1人口の達者なやつがいて。この男が誰なのか、も説明されない。さらに、五代とグラバーがすでに顔見知りである理由も分からない。その後、五代と竜馬、口達者、万華鏡の4人が牛鍋を食べる場面もあるが、なぜここに万華鏡がいるのか、理由が分からない。
で、口達者が名前で呼ばれるのは後半の半ばぐらいで、やたろう、と分かる。もしかして、口達者は岩崎弥太郎か? 万華鏡に至ってはその後に判明し、伊藤博文と分かる。
万事この調子。こんなの、登場したとき字幕で紹介しておけば済むことだろ。バカじゃね。
それと、この映画のひどいところは、肝心なところをすっ飛ばしてしまうところだ。たとえば五代が藩主に、上海に行って蒸気船を買ってこい、と命ぜられるのだが、買いに行く場面はまるでなし。五代が薩英戦争で捕虜になると、異人に身請けされた はる が異人(あれは誰なんだ? 身請けしたやつ?)に解放を願うのだが、次ぐらいの場面では1人ぼろを着て野山をあるく五代がいたりする。はたまた、取り付け騒ぎで知り合った若い女性と、数シーン後には夫婦になっている。おいおい。いくらなんでもざっくりすぎるだろ。端折るなら字幕で簡単に経緯を書きゃいいんだ。見てる方としたら「はあ?」になるだけだ。万事この調子で、観客につたわるような映画になっていない。
明治と改まると、五代は政府出仕になっていて、これまたなんで? なんだよね。西郷にでも計らってもらったのか? でもすぐやめて、以降は経済界で活躍したようなんだけど、これがさっぱり分からない。いったい何をしたんだ? 大きくフィーチャーされる場面では、大阪の両替商たちに説明する場面があるんだけど、ここも、経緯がサッパリわからない。両替商の代表として弥太郎が五代を追及するんだけど、この時代、岩崎弥太郎は大阪で活躍していたのか? もう、三菱は成立していたのか? ちったあ説明してくれよ。
結局、五代友厚の業績はよく分からず。通夜に、5000人以上がやってきたという話も、なんでなの? としか思えない。
要は、作り手も五代友厚のことを十二分に把握できておらず、具体的な業績をエピソードや物語として見せるのは難しい、と思ったんじゃなかろうか。なので、大河で有名な竜馬や岩崎弥太郎、伊藤博文など、多少は接点があったのだろう人物を大親友のように仕立て上げ、さらに、この手の伝記物語にはロマンスが必要だ! で、遊女はる との恋物語をでっち上げ、「これなら観客も喜ぶ」とでも思ったんだろう。浅はかすぎる。
五代友厚を演じるのは三浦春馬で、しばらく後に自死するとは思えない明るさ。でも、演技としては、ただ走ったり叫んだりしているだけが多く、いまいちな感じかな。
題名の天外者の意味も、見てる限りではよく分からんし、まあ、やっつけ仕事としか言えないようなデキだったな。
映画 太陽の子7/21キネカ大森2監督/黒崎博脚本/黒崎博
allcinemaのあらすじは「第二次世界大戦末期。京都帝国大学の物理学研究室では、軍の密命を受けた研究員たちが原子核爆弾の開発に心血を注ぎながらも、研究がもたらす結果の恐ろしさに葛藤を深めていた。そんな若き科学者の一人、石村修を兄のように慕う幼なじみの朝倉世津は、“建物疎開”で家を失い、修の家に居候することに。時を同じくして、出征していた修の弟・裕之が、肺の療養のために戦地から一時帰郷し、3人は久々の再会を喜び合うのだったが…。」
Twitterへは「戦中、原爆開発を行っていた京大研究室の教授や教え子たちのあれやこれや。戦争の不条理はよく描かれているけど、柳楽優弥がビートたけしに見えてしょうがなかった。それと、題名がよくないと思う。」
『天外者』と2本立てで見て、おお、こっちはまともなつくりになってる、と。でね、タイトルから広島被爆者の少年少女が負けずに元気に…みたいな話かと思ったらさにあらず。いきなり核分裂の話から入り、原子核爆弾を開発する京大の研究室の話になっていった。おお。そういう話だったのか。しかし、本気で米ソに開発競争で勝とうとしているところが、オソロシイ。遠心分離でウランを濃縮するのに、分離機の回転速度が10万回転必要。でも、いまのところ1万がやっと。それが修の、宙に浮かせて摩擦をなくする方法でも2万回転そこそこ。うーむ。開発以前のところでうろうろしてる。研究員の中から、こんな夢のような開発じゃなくて現実的なものを! とか、研究員で陸軍に志願するのが登場しても、むべなるかな、だな。とはいえ京大生や研究員、教授ですら日本が勝つと信じ、勝つためにはこれをなさないといけない、と本気で考えているように描いているのが、なんかなああ? な感じ。米国の英語による放送を聞き、沖縄が占領されたことを聞きつつも、なおそんな風にしか考えられずにいたのか? こんな爆弾で、平和は来るのか? 戦争に勝ったからといって、それでいいのか? という本音を描かず、パターン化しているような気が、しないでもな。
修の家は、五山の文字のひとつに近いところにあるのか? 山の、富士山みたいに伐採してあるのは、どこなのかね。そこに、朝倉世津とその祖父が同居することになる。↑あらすじでは幼なじみ、とあるけど、どういう関係かは説明されていない。朝倉の家が空襲による延焼防止で建物疎開=破壊にして更地にする、にあって。それで同居なのは、なかなかリアリティがあって、なるほど。ただし、朝倉家がどこにあったのか、石村家とは離れていそうだけど、どういう幼なじみなのか、が描かれていないのは、どうなんだ? で、朝倉の祖父を演じるのが山本晋也で。これが、後半の食事時に「おいしい」というだけで言葉を発しないジジイなんだけど、なかなか存在感あってよろしい。
そこに、修の弟、裕之が療養のために一時的に戻ってくる。空軍、と知れるのは、後半、隊に戻るときの軍服に羽根のワッペンが見えたとき。それまでは、ただの兵隊かと思ってたけど。襟章から察するに、少尉か? あたりのことが知らされず、ラスト近くに本人からの手紙で出撃したとあり、ああ、特攻隊なのかと分かる。このあたり、後から、そうだったのか、と思えってことか? もうちょい情報を知らせてもいいじゃねえか。
銃後で科学研究の兄、特攻隊で出撃を待つ弟。その2人を慕う幼なじみで、祖父思いの娘。まあ、図式的には、よくある感じかな。修、裕之、世津の関係は、『タッチ』みたいだな。女の方も名字が朝倉で、わざとそうしてるのか。ちょいチープ。でもまあ、暗いドラマにロマンスぶち込むのはなんかなあ。定番だからしょうがないのか。
3人が浜に遊ぶ場面がある。夜、修が気づくと裕之がいない。慌てて探しに行く(か? フツー)修と世津(もいたっけか?)。裕之が波に向かって行くのを修が止めるんだけど、なかなか荒い波の中でよくやったな、というのが感想。修に抱き留められた裕之が何か言うのだけれど(「〜しなくちゃならない」みたいなこと)、よく聞き取れない。この時点で裕之が特攻隊員なのは分かってないので、いまいちインパクトが薄いんだよね。水泳するぐらいだから結核はよくなってると思うので、出撃できないことへの悔しさからではないだろう。では、死への恐怖か? これも、ちょっとなあ、な感じ。まあ、セリフが分かれば問題解決なんだが。
なんだけど、ついに広島に原爆投下で「競争に負けた」と落ち込む研究室の面々。教授はさっそく広島へ調査に行くのが、さすが。ここで、被害の状況をまのあたりにして、原爆は平和への解決策にはならない、と思い知らされたんだろう、そういうセリフがあったように思う。でも、研究者なんだから、想像はできたんじゃないのか? 原爆によって戦争は終わりに近づく=敗戦間近、とは、誰も口にしなかったけど、感じていたなら、その絶望感は描いて欲しい気がした。ところで研究員のひとりが教授に骨片を見せると「骨は放射能を急襲しやすい。もって帰ろう」と包んで持ち帰る姿勢なのは、当時だからそんなものなのか。被害者の遺体の一部を持ち帰るに際して、とくに恭しく扱ってなかったのも、研究者だからそういう発想が先に来るのか。ちょい気にかかったな。監督は、意図的にこういう描き方をしているのかね。
その後、広島、長崎の次は京都、という噂が流れたのは、そういえば聞いたことがあるな。で、修は、家族や朝倉の2人に、京都を離れてくれ、というのが、なかなか自分勝手な感じがしたかも。噂だからみな知っていたのかもしれないし、会話の中でも、全員が避難できるわけではないし、ということは言われていたけどね。でもって、修自身はカメラ持参で比叡山に登り、その瞬間を目撃する、という。なんか、科学者って、こうなのか? なオソロシサを感じてしまった。もっとも、比叡山で母親のつくった握り飯をかじりながら思いが高まってきたのか、号泣し、広島の二次調査に駆け付けていくんだけど。まあ、監督が描きたかったところではあるのだろう。
この前後に、弟・裕之が原隊復帰。そして、ちょっとした回想はここだったか。修と裕之が酒を酌み交わし、裕之が世津をよろしく、みたいなことをいうんだったかな。聞きつけた世津が割って入り、自分も飲むのかとおもったらそうはせず。自分は、戦争が終わったら教師になりたい。祖父の世話もあるし、忙しい。てなことを笑顔でいい、裕之に「戻ってきて」なことを言ったんだっけか。けれど、裕之からは出撃した、の手紙があって。それを読む母と修、だったか。で、バッサリと映画は終わる。
この映画でいちばんインパクトがあったのは、清水焼の老陶芸職人の仕事場の場面かな。修は、ウランの材料として黄色の釉薬の材料を集めているのだよね。へー。こんなものから原子爆弾? な驚き。でも、ウラン235は量が少なく、それを遠心分離で濃縮するというような話だった。その黄色の釉薬を、本来業務の合間に集め、京大研究室に提供しているらしい。職人はイッセー尾形が演じていて、青はコバルト云々と知識も豊富。でも、戦中なので仕事場に並んでるのは白い骨壺ばかり。というのが痛々しい。仕事場の片隅に、娘なのか孫なのか知らんが、微笑みながら女性がいる。で、次に修が訪れたとき、その娘がいたあたりに骨壺と線香があって、おお…。申し訳なさを口にする修に、「たまたまや。大阪で空襲におうて…」と落ち着いた口調で返す老職人。もたもたと、少ない釉薬をリュックにしまおうとするその背中に、「はよ帰り!」てな感じで鋭く声が投げられるのがとても印象的。この映画は、この場面で残るような気がする。そしていいのは、修がこの話を戻った研究室でくだくだ話さないこと。フツーなら、引っぱりたくなるところだし、そうすれば観客にも刺さると作り手はおおむね錯覚する。逆だよね。矢は1つでいいのだよ。
後半から、修=柳楽優弥の口調がビートたけしになってしまってるんたせけど、もしかして『浅草キッド』の撮影時期とかぶってるのか?
ボイリング・ポイント/沸騰7/25ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/フィリップ・バランティーニ脚本/フィリップ・バランティーニ、ジェームズ・カミングズ
原題は“Boiling Point”。allcinemaのあらすじは「人気高級レストランのオーナーシェフ、アンディは、別居中の妻子のことで疲れ切っていた。しかし今日は、一年で最もにぎわうクリスマス前の金曜日。そんな時に運悪く衛生管理検査があり、評価を下げられてしまう。ようやく開店したものの、スタッフたちはあまりの忙しさに皆ピリピリ。そんな中、アンディのライバル・シェフ、アリステアが有名なグルメ評論家を連れて突然店にやって来るのだったが…。」
Twitterへは「レストランの厨房と店内を舞台に90分1カットで撮ってる。やり遂げる話かと思ったら、あらま。次々、何が起きるか分からん展開は面白かった。とはいえスタッフの無駄口と言い訳と私生活持ち込みは、これが高級店? な感じかな。」
ロンドン。高級レストランの沸騰寸前の様子を1シーンで。というから、全員一丸となって料理を仕上げる様子を感動的に、楽しく、喜びに満ちあふれた感じで仕上げてるのかと思っていたら、あに図らんや、全く逆で。次々に襲うトラブル、客とのいざこざ、怠惰なスタッフ、どんどん壊れていくシェフ…。そして最後は、沸騰というより沸点で切れ飛んでしまう感じ。全然爽快感はない。そういう話だった。
最初は、アンディが店に向かってる場面で、電話で何やら話してる。最終的に良く分からんのだが、息子がどうとかいう話らしい。店に着くと立入調査の最中で、突然の調査で欠点を指摘され、★5つから★3つになってしまう(だったかな)。店は、見るからに高級店らしくなくて、厨房から店内はすぐで、店内もごちゃごちゃ狭い。なんか、そこらの貧相なレストランといってもいいような感じ。入ったばかりのスタッフは決まりを守れてなかったり、洗い場担当の黒人は平気で数時間遅刻して、来たと思ったらスマホでサッカー見始める。腕まくりしないスタッフは、実はリスカの跡だらけ…。なんじゃこれは。ワケあり人間ばかり集めたヤバいレストランじゃないのか? な、なかで、アンディはシェフらしく動くんだけど、やたらチューチューと自分専用の飲料を飲んでる。なんだろうと思ってたら、どうやら酒だとあとから分かる。やれやれ。一緒に働くメインスタッフの女性カーリーは、テキパキしてるけど、仕事の合間に時給アップの話はしてくれたか? と何度も尋ねてくる。アンディはすっかり忘れていた様子。一方で牛肉を仕入れるのを忘れたとか、あれこれ。でもって厨房ではあれやこれや、あちこちで雑談の花が咲いていて、スタッフの肩越しに店内が見えるので、雑談が客に聞こえてるんじゃないのか? と気になったりする。これが一流レストランなの? な感じ。
フロア担当の女性は、彼女の判断でインスタ希望の客に写真を撮らせたり。いい肉がないのにステーキの注文に応じたりする。それにカッカする厨房。対立が発生し、フロア担当はトイレに入ってこっそり泣いたりしてる。うーむ。いろいろあるのね。
はいいんだけど、フロア担当の女性は、父から受け継いだ店、的なことを言っていた。一方でアンディは、誰かと共同出資で店を経営している、ようなことを言っていた。どっちがホントなんだ? っていうか、経営はどうなっておるのだ? が気になったな。
白人のスタッフには機嫌良く対応する客が、変わって黒人女性になったらつっけんどんになったりするのは、あれは差別的な客がいるんだよ、ということなのか?
ナッツアレルギーだから、と言っていた客が、とつぜん苦しみだすのは、予定調和的な展開で意外性はないけど。でも、簡単な対応と、救急車を呼んで連れて行ってもらって終了、っていうのは、ええっ? な感じ。あれ、訴訟問題じゃないのか? でその、なぜナッツが混ざってしまったかの話が面白くて。原因はドレッシング。独自のドレッシングが足りなくなったからとスタッフがアンディに言うと、アンディはそこらので間に合わせておけ、と応えていて。これがそもそもの間違い。言われたスタッフは素直にしたがったけど、あとから、原因追及の簡単なミーティングで、ドレッシングの材料は? と聞かれ、あれとこれとあれとクルミオイル…と応えてハッとしていた。材料は知っていても、対応に反映できていなかった、ということだ。そういうこと、いかにもありそうだな。
アンディのライバル店の店長と料理評論家がやってくる部分は、あんまり面白くなかったかも。ライバル店の男が、偉そうにしていながら、実は経営で悩んでて、この店の経営に一枚噛ませろ、っていってくるんだったかな。よく覚えてないけど。しかし、アンディがこの2人のテーブルに座ってのんびり話をしたりしている様子は、なんかなあ、と。他の客に見られてるだろうに。でも、いいのか。ライバル店の店長と料理評論家はテレビでもお馴染みの顔らしく、他の客から「写真撮ってもいいですか?」なんていわれてたし。
なせわしないなかで、アンディは息子と電話で話していたりする。どういう問題があるのか。それは描かれていなかったけど、家庭の事情を仕事に持ち込むのは、どうなのかね。そんな悩みのせいなのか、アンディは奥の部屋に行って、コカインなのか? 吸ってたりする。ヤク中、アル中のシェフが切り盛りする、問題の多いレストランじゃねえか。
と思っていたら、突然、アンディがぶっ倒れて。そのまんま、映画は終わってしまう。これが沸点なのか。
というわけで、映画が描くのはレストランでも料理でもなく、ダメ男のお話だった。次から次に、何が起こるか分からない展開は面白いけど、爽快感はないのであった。
コーダ あいのうた7/26ギンレイホール監督/シアン・ヘダー脚本/シアン・ヘダー
原題は“CODA”。allcinemaのあらすじは「マサチューセッツ州の海辺の町に暮らす高校生のルビー。両親も兄も耳が聞こえず、家族の中で健聴者は彼女だけ。そのため、手話の通訳や家業である漁業の手伝いなど、家族が日常生活を送るうえでルビーのサポートは不可欠となっていた。そんな中、高校の新学期に合唱クラブに入部したルビー。そこで顧問の先生に歌の才能を見出され、名門音楽大学を目指すよう熱心に勧められる。ルビー自身も歌うことの喜びを知り、初めて夢を抱くようになるのだったが…。」
Twitterへは「オリジナルの『エール!』と比べるとキャラも展開もいまいちで、とくにオーディションの場面はあれじゃだいなしだろ。なのにIMDbは『エール!』よりこっちの方が高いのが解せない。オリジナルを知らんのだろ、きっと。」
細かいことは覚えてないけど、『エール!』との違いは大きく、家業が酪農から漁業になっていること。弟が兄になっていること、ぐらいか。漁業にすることで手伝いが大変感は出てると思う。けど、現実的ではないよな。映画の中で、警備艇に乗り込まれ、警備艇からの無線に反応しなかったこと、などにより罰金合わせて25〜30万円ぐらい課され、今後は健聴者を同乗させるよう命じられていたけど。じゃあ、これまでどうやってたんだ? ルビーがいたって? いやそもそもルビーが生まれる前から漁師だったんだろ? そんときはどうしてたんだよ。違法状態で漁師してたのか? だいたい、酪農なら聾唖でも他人に危害を加える可能性は少ないはず。でも、海上で、他船と接触したり、仲間が海に落ちたり、リスクはいくらでもある。なので、単純に漁師という設定にするのがいいかといわれたら、難しいだろ、としか思えない。
弟を兄にしたのは、設定が漁師というのがあるんだろう。さらに、漁業組合と漁師の対立という社会問題を突っ込んで、漁師による魚の直接販売、漁師組合の設立も見せたかったんだと思う。けど、直接販売や漁師組合がやすやすと成功するとはとても思えない。漁業は、安定していない職業だ。時化で漁ができない場合もあるし、魚が不作のときもあるはず。では、一家や組合は、そういうとき漁師を支援できるのか? できっこないと思う。漁業組合が利益を多く取るのには、そうしたリスクに対する補償なんかを考慮してるというのもあるんじゃないのか? と思うと、漁業という設定がいいとは思えないし、弟を兄にする必要もない。せいぜい、バーで働く健常者の女の子と仲良くなって、二代目通訳に養成できる、かも、っていうところかな。でも、そういう描き方は、とくにされてなかったような…。
『エール!』は基本コメディで、でも、泣かせどころはシリアスに迫るという、振れ幅の大きいところがあったんだよね。主人公も、『エール!』は元気はつらつ、ぽっちゃりのファニーフェイス。一方の『コーダ』は、映画によくあるフツーにカワイイ娘…。ギャップがないんだよね。でもって、同級生の男の子とデュエットするハメに、は同じなんだけど。ちょっとアレンジされている感じ。
兄貴だったかな、が「お前が生まれるまで家族は平和だった」っていう場面があるんだけど、はあ? な感じ。これは、障害者による健常者差別だろ。母親も、「生まれたとき健聴者だと知って心配になった」とかあるけど、障害者である方が幸せ、な押しつけが感じられて、どうなんだそれ、だよな。
マジョリティと同じ関心が得られないのは、仕方がないと思うけど、それでよいとは思わない。たとえばコンサートの場面で、大半の観客が歌声に感動しているなか、歌が聞こえない両親は、スパゲティがどうとか飯の話をしたりしている。このズレは、違和感しか感じない。聞こえない両親が気の毒にしか思えないんだよね。
で、一番の感動させどころであるオーディションの場面だけど、これがあっさり済ませてしまっていて拍子抜け。あれじゃ審査員にとって、後方に闖入してきた家族が聾唖とは気づかないだろう。あの場面は、気づいてこそ、の感動シーンだ。それと、ルビーの歌の内容も、うーむ。旅立ちがテーマの歌であるけれど、歌詞にはっきり、過去との決別や新しい生活への挑戦、というようなものが出てこない。いっぽうで、『エール!』は、両親からの自立、旅立ち、がはっきり歌詞から感じられる。その思いを、手話によって感じ取り、娘の新たな生活を認め、応援するという流れになっていた。けれど、『コーダ』にはそれがないのだよ。ダメだろ、それじゃ。
というわけで、どうしたって『エール!』に軍配が上がってしまう。まあ、先に見た方に入れ込む傾向はあるだろうけど、それ抜きにしても、『エール!』の勝ちだな。
アウシュヴィッツのチャンピオン7/27ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/マチェイ・バルチェフスキ脚本/マチェイ・バルチェフスキ
原題は“Mistrz”。allcinemaのあらすじは「戦前のワルシャワで活躍したボクシングのチャンピオンでありながらも、アウシュヴィッツ強制収容所に送られてしまったテディが、司令官や看守たちの娯楽のためにリングで戦うことを余儀なくされながらも、屈強な男たちを相手に連勝を重ね、囚人仲間たちの希望となっていく」
Twitterへは「収容所で、ドイツ兵のための余興で戦うことを要求されたポーランド人ボクサーの話で、それ以上でも以下でもない。脇役やエピソードで映画らしく仕立て上げてはいるけど、いまひとつ何がいいたいのかよく分からなかった。」
ホロコースト映画も手を替え品を替えだけど、今回は元ワルシャワのチャンピオンが収容されて、でも生き延びたという話。労働現場で衛兵の1人が、テディの腕前を認め、ドイツ軍の幹部に報告。兵隊の娯楽もないから、ボクシング大会でも開くか、となった次第。それで、最初は衛兵とか同じ収容者相手に戦ってきたけど連戦連勝。なので、ドイツ兵でどこかのチャンピオンだったのと戦うことになる。
この後だったかな、医務室で助手をしてた娘が「食料庫に盗みに入った」という理由でボコボコにされ、建物に連れて行かれようとする。娘と仲のよかった少年ヤネックは、その様子を見るがなにもできない。暴れ娘に銃を向ける酔っ払ったドイツ兵。娘はドイツ兵から拳銃を奪って射殺する。と、ドイツ兵はそこらにいた収容者を皆殺し、ってのがあった。
娘が盗みに入る必然性もないので、なんか、とってつけたような悲惨、な気がする。だって食糧はテディの勝利で多く配給されて、とくに困ってるようには見えなかったんだから。
さて、その試合中、ドイツ将校が試合中、得体の知れない水をテディに飲ませたら、ヘロヘロになって吐いてしまって試合にならにくなる。「まだやれる」というテディ。ドイツ兵は、近くにいた少年ヤネックに、テディを殴れ、と命ずる。でもヤネックはテディと仲がいいので殴れないでいると、呆気なく撃ち殺されてしまう。テディは、火葬用(?)なのかガス室なのか、の建物が見える場所に裸で吊されて。建物内に入る収容者たちを見させられる、という変な展開。ドイツ将校としては、テディに勝たせるわけにはいかなヵった、ってことか? でも、その後の展開を考えると、これも変なんだよなあ。
テディを吊していたロープを切って助けてくれたのは、息子がチフスで死んだドイツ将校か? あの将校の存在も変な感じ。最初の接点は、テディが将校宅に椅子を持っていったときか。テディは部屋にあったリンゴを盗み、作業場のヤネックに与える。ヤネックはひと口噛んで別の男に与える。というところに件の将校がやってきて「盗みを見逃すと思うか」で、3人が連行され、最初に撃たれたのは、最後にリンゴをもらった男。次にテディというところでヤネックがウィリアムテルを歌った詩を暗唱すると将校はちょっと見直したのか、2人の射殺をとりやめる。なんで? な気がするけど。と、部下が「銃殺は5名と報告済みです」といわれ、将校は遺体を片づけている別の収容者を気軽な感じで射殺する。帳尻合わせ? しかし、リンゴを盗んだテディが生き延びて、ヤネックからリンゴを放り投げられた男が殺される理不尽に、テディもヤネックも責任を感じていない様子で、うーむ、な感じ。もうすでに、収容者も感覚が狂っているのか? な接点の将校が、なぜテディを助けたのかは意味不明だな。
テディは、虐殺された収容者が焼かれたのだろう庭の凹みに寝転んで、天使の像が焼けているのを見つける。ヤネックが娘に彫って与えたものだ。よろよろ行くと、ドイツチャンピオンが試合中。ボロボロのテディを見て、将校の1人が「彼は知っている。彼の試合のレフェリーをしたことがある」とかいう。で、リングに上がったテディは因縁のドイツチャンピオンと素手で戦い、打たせて打たせて、相手が拳を骨折? したところにワンツーでKO。あしたのジョーみたいな展開だな。で、元レフェリー将校が「この男を移送してくれ」と頼み、それでアウシュヴィッツから出ることができた、と。戦後は、念願のボクシングジムをつくり、子供たちにもボクシングを広めましたとさ、なエンディングだ。
いっちゃなんだけど、テディの気持ちがほとんど伝わってこないんだよね。勝つたびに衛兵からパンをたくさんもらい、それを他の収容者に分け与えて、人気者にはなっていくけど。たんにそれだけ。テディの恩恵に与る収容者も、周りの数十人ぐらいだろうと思うし。試合をすることをどう思っているのか。見世物にされていることへの葛藤とか、KOした相手への気持ちとか、そういうのもとくにない。淡々と、言葉少なに主人公としているだけ。とくに意地悪なドイツ兵もいないし。アウシュヴィッツのドイツ兵はこんなでしたよ、しか分からない。いまいちドラマがないので迫ってこないんだよなあ。
息子を失った将校も、腹いせに収容者を虐待することもなく。チフスの感染源を妄想するでもなし。メガネの将校も、不遜で意地悪なだけで、とくに極悪感がない。けれど、ドイツ兵のムリくりは結構表現されていて、リンゴを盗んで銃殺刑とか、食料庫に入った娘を暴行して火葬orガス室とか、ヤネックにムリを押しつけて射殺とか。まあ、ドイツ兵の冷酷ぶりもステレオタイプ。こういう冷酷さをテディの周りに据え、ヤネックと娘の儚い恋を突っ込んで、物語に色を添えました的な感じがして、どーも刺さってこないのだよね。
馬小屋で 息子をチフスで失った将校が、ボクシング写真帖をくれたんだけど、なんか突然すぎて、なんで? な気がしてしまう。将校は「ボクシングなんて知的じゃない」とバカにしていたのに、なぜテディに好意を持つに至ったのか? そういうのもまるでない。馬を崇めていたのは、メガネの将校だったか。彼も、ボクシングをバカにしていたのか? よく分からんけど。なんか、そういったエピソードが機能していないのだよね。
この映画で重要な役割を果たすのが衛兵なんだけど。彼らが何なのか、説明がないのだよな。そもそも、アウシュヴィッツに送られてきた人たちがユダヤ人、とは説明されていないのも、なんか、うーむ。少し前に読んだ『アウシュヴィッツの歯科医』という本によると収容者を管理するのは、収容者の中から選ばれた人間だったかな。多くは非ユダヤ人で、国内の犯罪者として収容所に送られたような連中とか。ま、ユダヤ人もいたらしいけど。この映画で描かれる衛兵は、そういう連中なのか、それとも、ポーランドの一般人なのか、がよく分からない。そもそも、テディが試合に勝ったからといってパンをたくさんもらえたり。薬品が手に入ったり、というのも、ドイツ軍が認めてそうしているのか? 
いや、そもそも、テディはポーランド人ではあるようだけど、彼はユダヤ人なのか? そこのところもはっきりしないんだよな。もやもや。

 
 

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