2022年10月

モガディシュ 脱出までの14日間10/3ギンレイホール監督/リュ・スンワン脚本/リュ・スンワン
原題は“Mogadisyu”。allcinemaのあらすじは「1991年、ソマリアの首都モガディシュ。国連加盟を目指す韓国政府は、アフリカ諸国へのロビー活動に力を入れており、ソマリアでも韓国大使のハンは、現地政府への働きかけに奔走していた。しかし、ライバルの北朝鮮がアフリカでの外交活動では先んじていた上、同国のリム大使による度重なる妨害工作に苦戦を強いられていた。大使館同士の対立が激しさを増していく中、ソマリア国内では反乱軍による内戦が激化し、ついにモガディシュの街は戦場と化してしまう。やがて暴徒によって大使館を追われた北朝鮮のリム大使は、部下の反対を押し切り、韓国大使館への避難を決意するのだったが…。」
Twitterへは「始め話がごちゃごちゃしてて、いまいち入れず。北の大使館職員が南の大使館に助けを求めたあたりから俄然面白くなってきて、あとは一気。南北の疑心暗鬼はコメディな感じ。あと残ったのは、ソマリア人の子供の野蛮さかな。」
見終えて20日たってしまって、詳細は覚えてないけど。まあなんとか。ソマリアで内戦が激化し、各国大使館が孤立。韓国大使館と北朝鮮大使館も同様に職員が館に孤立。北の職員は何とか脱出し、韓国大使館を頼ってやってきて、両国大使館員が敵対意識を見せつつも共同してイタリア大使館に逃げ込み、伊大使館が用意した飛行機で脱出するまでのお話。韓国がまだ国連加盟してなかった頃の話で、互いの大使はソマリア政府に取り入ろうとしている様子が冒頭に描かれる。のだけれど、ずっと韓国側視点なので、北の意図というのが分かりにくいんだよね。そもそも冒頭の、韓国大使の襲撃事件は、北が人を使って起こさせたようだけど、目的は韓国大使のソマリア政府高官との会合を遅らせるため、だけ? なんとか到着したら、北の大使が悠々と先回りしてるのが映るけど、そんなんで国交は進むのかいな。まあ、北はズルい、と印象づける場面なんだろうけど、事実なのかどうなのか。韓国視点の映画だからなあ、と思ってしまう。
以降は、韓国大使館の内部のドタバタで。屋外で激化する内乱に、さあどうしよう的な様子がつづつたんだよな。このあたり、正直いってコメディなので、いまいち本気で見られない。もうちょっと各国大使館の対応状況を見せたり、あるいは本国からの指示などを仰ぐ様子とか、いろいろドキュメントタッチで描くべきだったんだじゃなかろうか。
と思っていたら、夜陰に紛れて北の大使館職員が逃げ出してきている場面になる。は? な感じ。それまでの北の大使館の様子がなくて、いきなりかよ。こっからは北と韓国の職員同士の駆け引きというか、騙し合いになっていく。まあ、やっと本題になった感じだけど、そうなるのが遅すぎるように思う。
同じ民族同士、韓国大使館に入れてくれ、という表情と、でも、口先では庇護は要らない、というような口ぶり。まあ、北としてはプライドがあるとか、本国に知られたらまずいとか、いろいろあるんだろう。でも、それをちゃんと見せないのよね。まあ、韓国内で上映する分には、みなそれぐらい分かる、だろうけど。ここはそれぞれの立場を、他国の人にも分かるような配慮が欲しかったかな。
とはいえ、ちょっと偉そうに、入れてやるよ的な韓国側の対応と、おそるおそるな北側の職員のそぶりは面白かったけどね。とくに、両国側にいるスパイ的な役割を果たしている職員の、目のギラつきが興味深い。韓国側職員は、北の職員たちのパスポートを預かったんだっけか。それで、各人の転向届けを偽造する。それが何のためなのかよく分からんけど、北側には内緒でやってるわけだ。それを北の職員が気づいて、格闘に。このあたりは、互いのスパイが、相手職員の工作を監視している様子が見えて興味深かった。で、結局、転向届けは破棄されるんだったかな。
韓国側が食事を提供しても、北の職員や家族は口にせず、ならばと韓国大使がまず食べてみせるところも、互いの国家ヘの警戒心が、こんな状況になっても解けない様子がお気の毒様、な感じだった。
このあたりの流れは、やっと本筋に入った感じで、なかなか面白い。
韓国大使館には、館員を守る現地の武装部隊がいて、反乱軍がやってくると対応しているんだけど、あれは政府からの派遣軍なのか? それも、途中で逃げちゃうんだったかな。ああいう部隊の存在も、最初は見えないので、なんだ? と思って見たんだけどね。やっぱ、大使館の全容はちゃんと説明せんとダメだよね。気になったのは北の大使館を警護していた部隊はどうなったの? だけど、なんか説明はあったんだけっけ?
なわけで、もう、脱出する意外に手はない。電話は通じてたんだっけか? 韓国側はイタリア大使館に連絡。飛行機があるので乗せて行ってもいいよ、な返事。ただし、乗せるのは韓国人だけ、との返事。北側はサウジアラビア大使館に連絡するも、断られて後がない。そこで韓国大使は一計を案じ、北の職員・家族は転向した、と話して了解を取る。このとき、転向書を書かせたんだっけか? どうだったか、覚えてない。
で、両国大使館の面々は、2台(だっけか?)のクルマに乗ってイタリア大使館を目指すのだけれど、布の袋に砂だかゴミだか詰めてクルマの周囲にぶら下げ、反乱軍のうようよしている街中を強行突破、するのだけれど。あんなに乗員が多く、袋もたくさんぶら下げたような状態で、はたしてクルマは動くのか? というのが気になってしまった。実際はどうだったんだろう。どこまでが事実で、どれが演出=フィクションなのか。
まあ、この脱出劇が見どころなのかも知れないけど、あんまりスリリングではない。なんとかイタリア大使館まではたどり着き、入れてもらいはするのだけれど、そっからどうなったんだ? が端折られてる。すぐ飛行機に乗ったのか、しばらく休憩したのか? イタリア大使館は北の面々のパスポートを確認したのか? 韓国側が書かせたという転向書は見たのか? なんてところはなかったよな。で、空港にはみな一緒にバスに乗って行くんだけど。イタリア大使館からその空港までのエリアは政府軍管轄下、なのか? では、たまたま韓国と北の大使館は、反乱軍の支配するエリアだったのか? というような地理的な説明もないので、なんかいまいち、なるほど感はない。
で、飛行機がどこかに到着すると、タラップの先に両国の迎えのクルマと黒服の連中が待機していて、両国の面々は挨拶もせず別々のクルマに乗り込んでいく、というのは演出臭いな。イタリア側に、半分が北側に行くのが分かっちゃうではないか。まあ、ドラマチックを演出させたいんだろうけど、もっと事実に即して表現して欲しかったよね。
で、あとから、半分は北側なのに、誤魔化した韓国側に対してクレームはでなかったのか? そこのところが知りたいですな。
オフィサー・アンド・スパイ10/3ギンレイホール監督/ロマン・ポランスキー脚本/ロバート・ハリス、ロマン・ポランスキー
原題は“J'accuse”。DeepLでは「糾弾する」という意味と出てきたが。allcinemaのあらすじは「1894年、フランス。ユダヤ系の陸軍大尉ドレフュスはドイツに機密情報を流したとするスパイの容疑がかけられ終身刑を言い渡される。しかし対敵情報活動を率いるピカール中佐は、別の人物が真犯人の可能性を疑い、やがてドレフュスの無実を示す決定的証拠を発見する。しかしスキャンダルを恐れた国家権力はその事実に目をつぶり、文書の改ざんや証拠の捏造などあらゆる手段で隠ぺいを図るとともに、真相究明を求めるピカール中佐への執拗な圧力を強めていくのだったが…。」
Twitterへは「ドレフュス事件についてはユダヤ人差別の冤罪、ぐらいしか知らなかったので、なるほど、な感じ。でも、同じような顔と鬚の男がぞろぞろでてきて、ちと混乱。あと、軍や国家の魂胆がよく見えなかったかな。ポランスキーいま89歳か。」
見てから18日経ってしまった。もう、アバウトにしか覚えてない。はは。えーと、ドレフュス事件は教科書にあったので知っているけど、ユダヤ人差別があった、ぐらいしか頭になくて。なので、とても興味深く見た。のであるが、見終えてスッキリせず、ももやもやが消えない。というのも、真相がまったく分からないからだ。
新たに防諜部の部長として任命されたピカール中佐は、これまで実務を担当していたアンリ少佐の仕事を見直し始める。これまで主に情報の入手先が、ドイツ大使館で働く家政婦が拾ってきたゴミ=手紙で、こうした手紙のうちのひとつが根拠になってドレフュスがスパイ容疑で告発されたことを知る。いっぽうでピカールはエステラジー少尉が疑わしいと怪しいと気がつき、少尉の家を監視し始める。…とかいう経緯については、話の展開が早いのと、名前だけ登場する人物の整理が付かず、スッキリとは理解できなかったんだけど。どうも本命のスパイはエステラジー少尉で、ドレフュスは冤罪ではないか、とピカールは判断するようになるわけだ。それで上司である将軍なんかに報告するんだけど、これがなかなか動かない。どころか、「ドレフュスの件は済んだこと」的なことを言われ、それでもがんばるピカールは防諜部長を解任されてしまう。それではとピカールはマスコミに情報を流し、ゾラに告発文を書かせたりと社会問題化しようとしていく。このあたりは、たった1人で軍に刃向かうピカールは凄い! と思ってしまう。
謹厳実直なピカール、と思っていたら、この男、大臣の妻と浮気を継続中で。フィクションみたいな事実だな、これ。この浮気はバレるは、騒乱罪の疑いがかけられ逮捕されるはで、ピカール自身が裁判の被告席に座ることとなってしまうという、なんたることな展開なんだよね。
この過程でよく分からなかったのは、何人かの将軍がみな、ドレフュスの再審はならぬ、という態度だったこと。そして、アンリ少佐以下、防諜部の連中も新たな証拠を握りつぶそうといていたことなんだよね。なんでなの?
背景にあるのはユダヤ人差別、ということらしいけど。国の安全より、そっちの方が重要だったのか、この時代は。
ドレフュスは冤罪の被害者ではないか、という報道が巻き起こってからも、大衆の動向は主にユダヤ批判。裁判所も、同じような偏見があるように見える。ポーランドとかドイツなら、かもな、と思うんだけど、この時代、フランスもユダヤ人差別は色濃くあったのだなあ。
なら、ユダヤ人を軍人にしなきゃいいじゃないか。とまで思ってしまった。まあ、そうしない建て前だけはあったのかな。
あれだけ世間を騒がし、アンリ少佐も証拠ねつ造が発覚して自死までしているのに、ドレフュスの再審では、結局、またまた有罪。無期懲役だったかな? でも恩赦で出獄し、その後、軍隊に復帰し、少佐に昇進する。このとき、すでに少将だったかに昇進していたピカールのところにドレフュスが訪れ、自分の昇進は遅い。ユダヤ人故か? と問いただす場面があるんだけど(主張が強い男だな、ドレフュスさん)、ピカールは、そんなことはない、と追い返すようにして別れるのだよね。なんだ。ピカールはドレフュスに同情的ではないのか。たんに、曲がったことが嫌いな性格なだけなのか? でも、よく軍隊に復帰して将官まで昇進したよなあ。
で、このドレフュス事件によるユダヤ差別がきっかけでシオニズム運動が盛んになったらしい。ってことは、後のイスラエル建国、アバウトな中東諸国の国境線引きにまで影響したわけで、中東問題のきっかけは、ここにあるってことなのか。へー。そうなのか。
というわけで、面白かったのではあるけれど、エステラジーはどの程度のスパイだったのか? (現実には逮捕されていないらしいし) ドレフュスが逮捕されるに至った経緯は、どうなのだ? 陥れようとしたのか、ほんとうに怪しかったのか? (防諜部は調査をし尽くしたのか?) ドレフュスの冤罪を把握しながら、なぜ将軍たちはその事実を握りつぶしたのか? 自死したアンリ少佐ら防諜部の面々は、自分たちの判断で証拠をねつ造したのか? それとも、将軍たちの命令あるいは忖度なのか? そもそも防諜部は、新任のピカールがちょいちょいと調べたらボロが出るような調査しかしていなかったのか? あたりについて、もっと知りたいところではある。でも、そういうことの真相は、謎、なんだろ? やれやれだよね。安倍政権のあれやこれやとそっくりだわな。
ドライビング・バニー10/5ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ゲイソン・サヴァット脚本/ソフィー・ヘンダーソン
原題は“The Justice of Bunny King”。allcinemaのあらすじは「ある事情で最愛の子どもたちと法律的に引き離されてしまった貧しくて不器用な母親が、妹の新しい夫から助け出した姪を連れて、子どもたちを取り戻す旅に出るも、空回りの果てに追い詰められていく過酷な道行き」
Twitterへは「間違いを犯したせいで子供を里子に出され、自身は日銭を稼ぐ底辺生活。なんとか子供の誕生日を祝いたい! だけの発作的行動で転落していくオバチャンの話。これ、病気だろ。貧困より、人をケアしないと防げないと思うぞ。」
最初は、停まってるクルマの窓ガラスを押し売り的に掃除し、金をもらっているバニーたち、半ば浮浪者の連中。次は子供たちと施設で面会してる場面だったかな。誕生日パーティをしよう、とかなんとかバニーが言っている。兄貴の方は冷静だけど、弟の方は母親に未練たらたらな感じ。どうやら、何らかの事情で子供たち人は里子に出され、別れて暮らしているらしい。という導入は、バニーに対する可哀想、という気持ちを与えようとする策略か。というのも、のちのち分かるのは、バーニーが夫を殺して収監され、5年ぐらいで出てきたという事実。故殺だという。バニーは偶然と言っていたけど、詳しいことは分からない。でまあ、それがあっての里子だった。で、たぶんロクな就職口もなく、それはサンドラ・ブロックの『消えない罪』と同じようなことだろう。世間は犯罪者に冷たい。にしては、バディは陽気すぎるぐらいで、引け目や負い目が全然ない。なんだこの脳天気さは。日本なら、陰になって静かに暮らす、な感じだけどね。
バディはどうやら実妹の家に居候しているようだ。でも、子供たちに会いたい一心で、本来は許されていない里親の家を訪問するんだが、施設に発覚して、子供たちは別の里親のところに移されてしまう。怒り心頭のバニー。てなとき、妹の亭主が妹の連れ子トーニャに、こっそりお触りセクハラをしている場面を目撃。妹亭主を非難するも逆ギレされるし、妹はトーニャの話を親身に聞くより自分が亭主に捨てられることを危惧している様子。なこともあって、バディは、施設で盗み見した新しい里親を訪問することを決意。セクハラ義父と一緒にいたくないトーニャも一緒に、セクハラ亭主のクルマをかっぱらって出立する…。
って、もう、ムチャクチャだよな。里親制度に関するもろもろは制度なわけで、でも「会いたいから」というだけでそれを破ってしまう。ペナルティが科せられると、腹を立てる。息子へのプレゼントはスーパーで万引き(いろんな小物を大きな箱に入れ、その箱のバーコードを安い商品のに貼り替える! という知的な手口に驚いた)。セクハラ亭主のものとは言え、クルマを窃盗。同乗した姪は、誘拐になる。いくら気の毒な境遇とはいえ、後先考えず、それをしたらどうなる? が頭に浮かばない類の情緒不安定な女性で、だから亭主も殺っちゃったんだろ、と思われてもしょうがないような展開なんだよね。まあ、あまり同情できる感じではない。ケイティ・ホームズの『私の居場所の見つけかた』と、なんか似てるよな、いい加減な女ぶりが。
で、新しい里親のある街にたどり着き、そこの施設に行って女性担当者に家を尋ねるんだけど、もちろん答えてくれない。のあとの経緯はあまり覚えてないんだよね。見終えてから2週間も経っちゃってるから…。なんか、トーニャと一緒に事務所内を誕生歓迎パーティ仕様に飾り立ててたな。そのうち警察がやってきて、姪の誘拐容疑も加わってる様子。バニーの妹と亭主もやってきてた。で、まずトーニャが出ていったんだけっけ? それからバニーが出ていって、鍵(あれはクルマのか?)をトーニャに渡そうとしたのか、手を動かしたら警官の1人がバニーを撃っちゃうんだよね。もちろん撃ったやつは上司に叱られてたけど。で、バニーは救急車で連れて行かれて。いっぽうのトーニャは、義父のクルマで新天地を目指す、のか? でも、17、8で新しい街で生活するなんてムリだろ。と思ったんだけど。それに尋問もあるだろうし、クルマの鍵はどうやってバニーから? とか疑問たくさん。クルマに乗っていたのは、トーニャの“願い”だけで、イメージなのか? 分からない。
というわけで、バニーはまた何年か刑務所行きになるんだろう。気の毒なことだけど、身から出た錆としか思えない。トーニャは、たぶん家に戻されるに違いない。そこで果たして義父のセクハラ容疑が明らかになるかどうか、妖しい感じ。騒動でバニーが死んだりすることはなかったけど、事態は悪化しただけなんじゃないのかなあ。
・トーニャ役はトーマシン・マッケンジーなんだけど、あまり可愛く写されてないし、まともに顔が映る場面も少なくて残念。彼女が義父にセクハラされるという役柄は、バニーの行動を正当化するために設定されたかのような感じがして、どうもなあ。セクハラされる姪がいなかったら、バニーはただのイカレポンチに見えるんじゃないのかな。
七人の秘書 THE MOVIE10/13109シネマズ木場シアター8監督/田村直己脚本/中園ミホ
allcinemaのあらすじは「ある日、七人の秘書たちのもとに新たな依頼が舞い込む。依頼人は信州でラーメン屋を営む緒方航一。ターゲットは信州一帯を支配する“九十九ファミリー”。表向きは地元の名家だが、その実態は国家と繋がり、私腹を肥やすためにはどんな汚い手段も厭わない男・九十九道山が率いる極悪一家だった。過去最強の敵を懲らしめるため、雪深い信州へと向かった彼女たちだったが…。」
Twitterへは「なんじゃこりゃ。クズ映画じゃないか。ひどいもんだ。」
大々的に宣伝しているので、『コンフィデンスマン』ぐらいのレベルになってればいいかな、と。あとはシム・ウンギョンがどの程度なじんでいるのかな、が関心の的だった。が、中味はひどいものだった。テレビの2時間ドラマとしてもぐだぐだだろう。
テレビ版は知らない。けれど、その説明までは求めない。とはいえ、冒頭からいきなりメンバーの七菜が結婚するとかから始められては、はあ? な感じ。せめてメンバーの紹介を兼ねたミニエピソード(潜入して小悪をやっつける、ような)をカマしてから本題に入るような、いわゆる定石が欲しかったかな。
で、七菜の結婚式で九十九家に行くと大広間に政財界の面々が集まっていて。でも、七菜はウェディングドレス姿だけど、新郎が出てこない。前夜に新郎・二郎の経営する牧場が焼け、本人は行方不明。しかも、焼け跡から市長の死体が・・・。とかいうんだけど、後々の話とからめても、なぜ九十九家のリーダーである道山が息子二郎の牧場に放火し、市長を殺害する必要があるのかよく分からんよ。
公式HPの相関図は、七人の秘書vs九十九ファミリー、となっているけれど、おいおい。それ以前に、道山の地元開発構想と敵対している関係性をみせないと話にならんだろ。それに、地域開発ごときで息子・二郎の牧場を焼き払い、そこで働く人々を追い出し、市長を殺害する理由は何なの? それほど二郎は道山にとって障害だったのか? 市長も、殺さねばならぬほどの存在だったのか? その答はまるでなくて、ほんと、バカみたいな話なのだ。
道山に味方する三男、四男、まだ子供の五男も、ぜんぜん悪人には見えないし。そもそも道山自身が、ただのおっさんで、極悪人に見えない。
二郎は、どういう観点から道山に敵対していたのか? さらに、道山と肌が合わず、地元でラーメン屋をやっている長男の航一も、実は…な裏があるのだが、たいしたことはない。二郎の牧場の地下に流れる地下水の権利を180億ドルだったかな、で、サウジだかどこかの人間に売ろうとしていた、らしいけど。もちろん日本の水資源の重要さと、外国資本が狙っているという背景からの話なんだろうけど。よに珍しいブルー何とかいう地下水に、どういう価値があるのかよく分からんよ。
道山の地域開発プロジェクトは、そんな極悪なのか? いくら元大臣につながっていたとしても、そんなのフツーじゃないか。
で、七人の秘書だけど、女が七人かと思ったら男がひとりいるのか。オバサンもひとり。これでちょっと萎えた。美女七人を期待したのに。で、30凸凹の5人だけど、木村文乃と大島優子の区別がつかん。もともと木村文乃の顔が覚えられないんだけどね。あと、菜々緒も、顔のつくりは違うけど、あまり見つけていないので、どーも区別がつきにくい。それに、5人の活躍の割り振りも、いまひとつ分かりにくいし。まあテレビ版見てる人には説明不要なのかも知れないけど。個性が見えないんだよね。ムダに木村文乃ばかり出すぎてて、菜々緒と大島優子が控え目過ぎる気はするし。で、シム・ウンギョンだけど、この話では日本人役ではなく韓国人キャラなのか。カタコト日本語しゃべるのは、意図的なんだろうな。それに、なにかというと彼女にきっかけの言葉をしゃべらせているのが、不自然な感じかな。
というわけで、基本的な話がタコ。脚本がタコ。演出もタコ。ひどい映画だ。
スーパー30 アーナンド先生の教室10/13109シネマズ木場シアター3監督/ヴィカース・バハル脚本/サンジーヴ・ダッタ
原題は“Super 30”。allcinemaのあらすじは「数学の天才である学生アーナンドは、その才能が認められイギリスのケンブリッジ大学への留学を許可されるも、貧しい家庭ゆえに断念を余儀なくされてしまう。その後、予備校の人気講師となり豊かな暮らしを手に入れたアーナンドは、私財を投じてインドの最高学府IIT(インド工科大学)進学のための私塾“スーパー30”を開設すると、優秀でありながら経済的に恵まれない子ども30人を選抜し、無償で寮や食事を与え、入試対策を指導する前代未聞の教育プログラムを開始するのだったが…。」
Twitterへは「貧困つまりは下層カースト(不可触賤民も含むか?)ゆえに教育が受けられない青年男女に、無償で教える私塾を開設した男の実話らしい。けど映画的にはドラマチックが足らず、いまいちワクワクしない。ヒロインが美しかった。」
自身は数学の才能があり、地元の大学に在籍していたのか? のときコンテスト(全国レベルか地域レベルか分からない)があって、それで1位を獲得したのか? 1位はメダルで2位は科学雑誌で、それが欲しかった、と悔しがるけど、1位の副賞はなかったのか? で、アーナンドは大学(の図書館?)でその雑誌を見、問題を解いていたら警備員につまみだされてしまう、ということは大学生ではなかったのか? 父親の手伝い? ではいつどこで数学を学んだのだ? とかツッコミだらけ。で、雑誌の問題を解いて送ったら、それを見たケンブリッジの教授(?)から入学許可書が送られてきて。でも、旅費がないのでイギリスに行けず。コンテストのとき、いつでも経済的支援はしてやるといっていた大臣もあてにならず。なのでパパド売りをしていたとき予備校経営者のラッランに呼び止められる。って、数年前のコンテストで1位になっていたことを覚えていた、というのは嘘っぽいけどなあ。で、「うちで講師をしろ。お前の名前は看板になる(看板になるなら、もっとはやく本人が気づけ! というか、どっかから「教えてくれ」ときてもおかしくないだろうに)」といわれて教え始めると給料が増えて豪華な生活ができるようになる。というとき、貧しい少年が街中で数学の問題を解いている様子に出くわし、改心。いま働いている予備校は、金持ちのためのもの。これは、王の子にしか王にはなれない、に反している。才能のあるものが王になるべきだ。というわけで、無料の塾を開くことを決意する。
まあ、悪いことではないけど、資金はどうするんだよ。貯金が尽きたらおしまいか? と突っ込んでいたとおりの経過をたどり、なんと、ラッランに金を借りに行く始末。さらに、ラッランの生徒とアーナンドの生徒が同じ試験を受け、負けたら無料塾は解散し、ラッランの塾にもどる、という契約書まで書いてしまう。で、試験の結果、平均点数52点vs49点で負けちまうんだよね。ラッランが点数を誤魔化したという裏でもあるのかと思ったら、それはなかった。変なの。
この時点ではもう別れてしまっていたけど、アーナンドに美人の彼女がいるのも不思議すぎ。しかも、上位カーストのようで、彼女は親に内緒でアーナンドとつき合っていた? って、ここんところはフィクションだと思うけど、演出過多だろ。の元カノが、無料塾解散の契約書を隠してしまって、塾は延命するという強引すぎる展開。あんぐり。
さて。IIT受験の日にちが近づいてきた。アーナンドの私塾は30名定員で全員が受験する予定。ラッランの予備校には例のケチな大臣も出資しているらしく、ここで無料塾から合格者がでたら予備校の危機だ! というわけで、アーナンドを殺れ、1人も合格させるな殺せ! の指示が出て。って、こりゃフィクションだろ。アーナンドは刺客に襲われ病院送り。塾生は、なぜか工場みたいなところに逃げ込んで、知恵を使って刺客たちをやり過ごし、明け方まで受験会場でうつらうつら。な状態で受験して、30人全員が合格! アーナンドも回復した様子。という流れの話だけど、すごく盛られてる感じがして、なんだかなあ。
しかも、話の流れが淡々とし過ぎてて、アーナンドが何かを克服し、獲得するというドラマチックがない。というより、アーナンドの無計画なところ、テキトーで大雑把なところなんかは、数学はできても実生活はダメなんじゃないのか? と思えてしまう。てなわけで、少しもワクワクしないし、むしろ退屈でもある。
そもそも自分を救ってくれたラッランを足蹴にするような私塾の開設も、なんだかね。ラッラン自身も言ってたけど、私塾で教えながら、予備校で教えることもできたはず。そうすれば資金が途切れることもなく、恋人と別れる必要もなかったんじゃないのか? あるいは、私塾を経済的に支援してくれる企業や団体をみつけるとか、方策はいくらでも考えられる。現実のアーナンドがどう経済的問題を解決したのか? には、興味があるけど。
はたまた、無料塾から30人合格したのならば、予備校生徒との試験対決で、なぜ負けたんだよ? まだ生徒の学力が追いつかなかった? なんかなあ。もやもやする。
・IIT合格はいいけど、入学費や学費はどうしたんだ?
・31番目の塾生希望者がいたけど断られていた。30人の根拠はなんなんだ? それと、塾生の1人が途中で逃げ出し、1人減ってしまっていた。けれど、試験対決のときだったか、アーナンドは「探してこい!」と彼を足してたよな。さらに、最後の方の、生徒が襲われてる場面で逃げた1人が登場したけど、彼は復帰したのか? そのままなのか。IITに合格した30人は、逃げたやつ含むなのか、31番目の塾生が合格したのか? 31番目だとしたら、彼はどうやって学力を伸ばしてきたんだ?
とか、突っ込みどころも多すぎて、いまいちスッキリしない話だった。
ベルファスト10/17ギンレイホール監督/ケネス・ブラナー脚本/ケネス・ブラナー
イギリス映画。原題は“Belfast”。allcinemaのあらすじは「1969年、北アイルランドの首都ベルファスト。ここで生まれ育った9歳の少年バディは、愛する家族と大好きな映画や音楽に囲まれ、楽しい日々を送っていた。ところがある日、暴徒化したプロテスタントの若者が、カトリック系住民への攻撃を開始した。以来、同じ街で平穏に共存してきたプロテスタント系住民とカトリック系住民の対立は激しさを増し、次第に街は暴力と恐怖に覆われていく。バディと家族にも危険が迫り、父親はロンドンへの移住を計画するのだったが…。」
Twitterへは「北アイルランドが舞台。なので爆破話かと思ったらカソリックvsプロテスタント過激派の小競り合い? IRAという言葉も出てこない。隣近所に両派が暮らす地域のフツーの人々のほのぼの地元愛、緊張、困惑、思い出…。紛争の歴史を知らんと分かりにくい。」
見始めて、なんか、ほのぼのしてるのが、なんなの? な感じだったんだよね。『デビル』(1997)とか『ベルファスト71』(2014)なんかは、IRAとの攻防の緊張感が印象的だったから。で、この映画では殺人的な爆発は起こらず、せいぜい火炎瓶とか大衆暴動レベル。しかも、バディ一家が住んでいるエリアにはカソリックの人々が多く住んでいて、それで狙われたんだけど、なかにはプロテスタントの家族もあったりする。カソリックに敵意を抱いているのはプロテスタントの連中で、バデイの家族もプロテスタント。父親はしょっちゅうロンドンに出張大工してて、もどってくると父親の友人らしいのが接触してきて、仲間に入らないとどうなるか分かってるのか的な脅しをしてきたりする。なんか、まだまだ、爆弾攻勢が強まる以前の話なのかな? と。
『ベルファスト71』(2014)を見た後、すこしWikipediaなんかで北アイルランド紛争のことは調べたつもりだったんだけど、もうすっかり忘れてる。で、『ベルファスト71』は1971年のことで、一方こちらの時代は1969年なので、紛争が激化する直前の、まだ、少しゆとりがあった時代のことなのかなと、あとから気づいたりしたのだよ。
冒頭は、現在なのか、観光映像のようなカラーで、それが1969年の年号がでてきてモノクロ画像になる。そして長回し。主人公バディをゆったりと追うカメラ。さあ、夕飯だ、と思ったら家の前に群衆で、騒いでいる。と思ったら爆発。母親が飛び出してきて、バディと兄貴を連れ戻す。この流れはなかなかいい。とはいえ、以後の展開、エピソードにヒキがあるかというと、そうでもないので困ってしまう。
知りたかったのは、最初の暴動のあった地区の宗教派閥関係かな。何軒ぐらい家があって、そのうち何軒がカソリックで、その間に何軒プロテスタントがいるのか? はたまた、隣近所の誰がカソリックなのか? もしかして、あの地区にプロテスタントは、あの一家と祖父母の家だけ? そのあたりがよく分からない。
プロテスタントがカソリックを脅すのは、歴史的経緯なんだろう。が、なぜ激化しつつあるのか? あたりも、日本人には分かりにくい。そんなアバウトな雰囲気しか分からないので、祖父の話すカソリックの教義の話も、とくに突き刺さりはしない。
な、なかで、父親はロンドンで仕事をし、2週間に一度ぐらい帰ってきて、そのたびに昔の仲間から「態度をはっきりさせろ」と威嚇される。バディはクラスに気になる女の子がいて、話がしたいんでけどチャンスがなくて。ときどき行われる学力テストでの席替えで、隣どおしになれば「話せる」と思って勉強してるんだけど、なかなかうまく行かない。
いたずらもしょっちゅうで、年かさの少女に半ば脅され、万引きの手伝いをしたりする。しかも、よく知ってる店で! それで警察沙汰になって母親に「なんて子なの!」と叱られたりする。けれど、軽い気持ちでやってるのが、日本と違うな、と思った。日本の子供はもっと真剣だぞ。かな? ところで、あの年かさの少女は誰なんだ? もしかして伯母さんの娘で従姉妹だったりするのか? よく分からず。鉄柵をくぐって登校するようなところは、面白かったけどね。
その年かさの少女は、過激派プロテスタントに感化されたのか、暴動に参加するようになっていてる感じ。ある日、バディは彼女に誘われ、商店を襲う暴動にむりやり参加させられ、「何でもいいから棚から奪え!」といわれ、洗剤をひっつかむのが可笑しい。なんでお菓子じゃなかったんだか。で、それを家に持ってかえると母親が怒って。少女とバディの首根っこをつかんで、まだ暴徒がうろうろしてる店の棚に戻させようとする。というところに警官がやってきて、父親の知人はバデイの母親とバディを楯にして逃げようとする。そこに父親がやってきて・・・。とうところで流れる『真昼の決闘』の音楽。バディにとって、父親は正義の味方なんだな。まあ、父親の投げた何かがうまく知人に当たって(だっか?)、バディと母親は解放。知人は警察に逮捕されていく。
この後だったか、祖父がなくなったという連絡がきて(この経緯の映像がちょっと分かりづらかったな)。あとは厳かにお葬式、埋葬。で、ずっと「私はここで生まれ育った。だから出ていかない」と行っていた母親も、心が折れたのか、一家でロンドンに移住する方に傾く。ずっと以前から、父親はロンドンの出張先から、家を手配するからロンドンで働かないか、と勧誘されていたのだ。他にもオーストラリアやカナダへの移住も考えていたようだけど…。まあ、宗派で争うベルファストの生活環境から逃げ出したかったのだろう。
まあ、要するに、宗派で頭に血の上らない類の一家だった、という訳で。北アイルランドにも、こういう冷静な人たちはいたのだ、ということだろう。
てな感じの、バトル控え目、幼い恋少し、ちょっといたずらっ子時代のバディの思い出を中心に、彼にとって偉大な父親とのベルファストでの生活を振り返ねお話、だった。
暴動がある中でも一家はしょっちゅう一緒に映画を診に行っていて。『チキチキバンバン』、ジョン・ウェインの西部劇(題名分からず)、『真昼の決闘』なんかを、ワクワクしながら見ている様子が映って微笑ましい。基本はモノクロの映画だけど、引用される映画はカラーのママだったりするところが、違和感なく見られる面白さ。ほかにも、『サンダーバード』のオモチャとか、いろいろ当時の日常にあったあれこれがチラチラ映って、なかなか楽しい。
最後に、家を去る前に、恋心を抱く女の子に小さな花束をもって別れを告げに行くところも、なかなか微笑ましい。「また帰ってくる?」「帰ってくるよ」とかね。
マイスモールランド10/17ギンレイホール監督/川和田恵真脚本/川和田恵真
allcinemaのあらすじは「政治的な弾圧から逃れ、幼い頃に家族とともに来日して以来、ずっと日本で育った17歳のサーリャ。埼玉に父と中学生の妹、小学生の弟の家族4人で暮らし、地元の高校に通う彼女は同世代の日本人と何ら変わらないごく普通の日常を送っていた。学校の先生を夢見る彼女は進学のためにバイトを始め、そこで東京の高校に通う聡太と出会い、互いに惹かれ合うようになる。そんな中、サーリャ一家の難民申請が不認定となってしまう。在留資格を失い、移動制限によって県外へ出ることができないばかりか、働くことも許されないサーリャたち家族は、たちまち追い詰められてしまうのだったが…。」
Twitterへは「日本に暮らすクルド人にとってハードルの高い難民認定。移動の制限。強制送還の恐怖。クルドの前近代的な風習。未来が見えない子供たち。理不尽な事実を淡々と、感情的にならず、静かな説得力で見せてくれて、多くのなるほどがあった。」
難民問題については、連日のように報道されているけれど、その実体についてはよく知らなかった。そういう、ごくフツーの一般大衆に、難民とは何か、どういう人たちか、認定されないとどうなるか、クルドとは何を指しているのか、といったことを分かりやすくレクチャーしてくれるドラマとして、恰好の素材のような気がした。もちろんドキュメンタリーという手法もあるだろうけど、ああいうのはメッセージ臭いし、学習している感がある。そしてたいがい、リベラルな支援団体なんかが登場し、熱く語ったりする。そういうのは、結構うざいのだ。それにくらべると、こちらはヒロインがムダに美少女過ぎるきらいはあるけど、シンパシーを感じやすいし注目度は高いはず。しかも日本人高校生との恋バナもある。認定を受けられず、ビザが発給されないと県境をまたいだ移動ができなくなり(なので、埼玉に住み東京のコンビニで働いていたサーリャは困惑する)、就労も不可になる(なんて、知らなかった! 生活費もなくなり、家賃も払えなくなる)。サーリャの大学の推薦入学も取り消しになってしまい、小学校の教師になりたいという夢も断たれる。こうした大変さもひしひしとつたわるし、その理不尽さを具体的に身を以て感じることができる。そういう意味で見やすく理解しやくなっている。
この手の話だと、主人公に過剰な重荷を与えたり、壁を設定したり、どん底に突き落として泣かせたり叫ばせたりと、ドラマチックな展開をさせたがる傾向がある。そういうことをせず、淡々と事実を提示し、積み重ねていくことで、じわりと“難民認定されないクルド人”の大変さをつたえ切れていることが、いい。
伏線回収がちゃんとされているのもいい。たとえば、聡太との交際を禁じるため父親が自転車を隠してしまうんだけど、最後、入管での面接で、隠し場所を教えてくれるとか。父親が、自ら強制送還されることを選ぶ理由を最後に提示してくれるとか。ああ、なるほど感があって、もやもやしていたところがサッと晴れるような小気味よさがある。後者の話では、親が滞在ビザの取得を放棄する代わり、子供にビザが与えられたケースがある、という事実をもとにしている話で、この映画のオチにもなっているし、なるほどそんな手があるのか、という知識にもつながる。いっぽうで、日本政府が、駆け引きのような判断を下していることも分かる。親が犠牲になって子供が日本に滞在する権利を与える。ひどい話じゃないか。
そういった難民の実体を知るには、ほんと、うってつけだと思う。
サーリャの高校生活は、それほど不幸ではない。友だちも、分け隔てなくつき合ってくれている。けれど、クルドを説明するのが面倒だから、対外的に「ドイツ人」と話しているのが哀しい。誇りを持って言えない辛さ。正直に話しても、誰もクルドを知らない。出かける前は、フツーの女の子と同様、縮毛矯正のドライヤーをかけていたりして、いまどきの日本人の女の子と同じだ。一方で、冒頭で描かれるようにクルド人仲間の結婚式があると、手を赤く塗る風習に従わなくてはならなくなる。さらに、結婚相手は親が決めるからと、すでに日本にいるクルド仲間の中から相手が決められていたりする。日本人高校生とつき合っていることで、親に叱られたりする。17歳でそんな環境にあったらたまらんよね。でも、父親は娘が可愛くてたまらなくて、大学に進学させるために不法就労をつづけ、見つかって施設に入れられてしまう…。お国柄の風習を全否定するのは難しいけれど、日本に暮らすにはそれなりの歩み寄りも大切だよなあ、なんて考えてしまった。まあ、ハメを外して遊びまくられても親は困るだろうけど…。
メッセージ性が薄く、押しつけ感もない分、観客もいろんな感想を抱きやすいのではないかと思った。
こういう映画を、文化庁はどう扱ってるのかなと思ったら、文化庁文化芸術振興費補助金がでているようだ。外務省との関係はどうなってるのかな。
42-50 火光10/19ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/深川栄洋脚本/深川栄洋
映画ナタリーのあらすじは「結婚3年目になる脚本家の祐司と女優の佳奈は、遅まきながら不妊治療を始め、子供という希望を持ち始める。しかし、佳奈の父親が難病のALSを発症し、不妊治療と父親を支える日々に加え、同居中の姑と別に暮らす小姑との問題が増え、ストレスが加速していく。」
Twitterへは「中年夫婦の不妊治療、親の難病、嫁姑、老親の面倒、自分たちの生きがい…。予算のせいかつくりは安っぽいけど、短い時間に様々な問題が詰まっていてなかなか興味深い。ラストは想定内すぎていまいちだったけど。分かりにくい題名で損してると思う。」
「火光」=かぎろい は「(1)明け方、東の空にちらちら光る日の光。曙光(ショコウ)。 (2)かげろう。」のことだという。そんなの誰も知らんだろ。
佳奈42歳女優が、監督に、母性が見えない、といわれ、突然不妊治療を始める、というのは安易な気がするけど。後半で、夫祐司50歳に「夢は?」と問われ、「女優として売れること」と即答したことを思うと、そのあたりが女優魂なのかも。子どもが欲しいのではなく、選ばれる女優になるために子供をもつ、と。で、これは妊活の話かと思って見ていたら、突然、父親がALSになった、と長野に住む佳奈の母から電話が来る。地元には専門医がいないし、地元で治療したくない、と言っているらしい。それで祐司が伝手を頼り、ALSに詳しいという千葉の病院を探し出す。それで長野から佳奈の両親をクルマで連れてくるのだけれど、義父(69)は終始不機嫌なまま。で、たどりついたのは祐司の家かと思っていたら、どうも義父母のためにマンションを借りたらしい。このあたり、話を端折っていて、ちと分かりにくいのだ。しかし、病院を見つけ、診察日も決めながら、マンションも借りて荷物も搬入して…を、いったいいつやったんだ? と、手際の良さに、映画的嘘くささを感じてしまう。
そうそう。祐司は本読みに参加したり、女優と知り合いだったり、映画かテレビ関係の仕事らしいけど、職種がずっと分からんのだよね。説明がないから。脚本家らしいと分かるのは、後半になってから。もっと早く分からせろよ。
義父のALSの進行は早く、入院したのだけれど、病院で「長野に帰る」と暴れて困っている、と義母から連絡。
祐司は、家に実母を呼び寄せて暮らしていて、実母と佳奈の関係は良好なのだけれど、実母はときどきヘマをやらかす。祐司の姉たち(2人)を家に呼ぶときは、あらかじめ佳奈に連絡してから、と言う約束なのに守れない。というか、いつも忘れてしまう。これが佳奈には、仲間はずれにされたようで気にくわない。祐司は仲を取りなそうとするが、佳奈は飲んだくれてふてている。…ところで、不妊治療中に酒はいいのか? 長野からでてきた父親が、東京で住むことになったマンションで煙草を吸う場面もあるのだけれど、気にしない。えー? いいのか? という気になったなったんだけど…。
祐司は、俺が母親を見ているのだから、しかも不妊治療も始めて経済的につらいので、と実姉2人に「毎月お金を入れてくれ」と頼むが、未婚らしく、ずっと実家(マンションなのかな)で住む方は「クルマを買ったから」といい、亭主持ちの方は「来年マンションを買う予定がある」と相手にしてもらえない。「じゃあこのマンションを売る!むと宣言したら、未婚の方は「困る!」といいだして話が進まない。結局、実母は祐司の家を出ていくのだけれど、いったいどこへ行ったんだ? いまの家に呼ばれるまで住んでいた、もともとの実家のマンション? あの、未婚の姉が住んでいるところ? その説明がないので、ちょっともやもや。それにしても実母は健康そうで、スタスタひとりで出ていったぞ。
なこんなで、不妊治療のため佳奈に黙ってローンを借りていた祐司は、ローン会社からの通知を佳奈に見られて2人は冷戦状態。
というなか、義母からの連絡で、ALSの義父が危篤だと、電話で呼び出され。なんと、呆気なく亡くなってしまう。ええええっ? 東京に来てからどのぐらいになるんだ? 
というのも、義父はALSで寝たきりになったのは、そうだろう、なんだけど。唸ったり叫んだりはしていたのだ。あと、痛みがあるという。最後の頃は、胃瘻はできない状態、ともいっていた。なのに、呼吸器はつけていない。まあ、進行が遅くて呼吸器をつけないでもいられる人もいるようだけど、多くは呼吸するための筋肉が衰えていくはず。でも、義父の場合はそういう感じではない。胃瘻は、呼吸器をつけることで口からの栄養摂取ができなくなるからする、のではないのかな。痛みは、ALSと直接関係あるのか? 褥瘡? なんかどうも、義父(江本明)の演技は、脳溢血になって片手が不自由になった人の状態にしか見えなかったんだけどなあ。
不妊治療の最初は失敗。でも、2度目は上手く行き、子宮に戻すところまでいったけれど、そこまで。42歳までは公的支援が受けられたけれど、2度目からは自費で。けっこうかかる様子。なので、祐司は「もうやめよう」と佳奈に言う。ここで、祐司は「佳奈の笑顔が見られるのが一番」といい、佳奈は「女優として売れたい!」というのだった。
祐司が、今度のホンはいいね、と打合せで言われている。でも、予算がないから、役者をどうしよう…。なんて声が挙がる。まあ、この流れで行くと、佳奈を推薦することになるんだろ? と思っていたらその通りで。妊婦が海の中で出産するような場面で、佳奈が迫真の演技。冒頭で注文つけていた監督も、べた褒め。笑顔の佳奈。遠くから望遠鏡でその様子を見る祐司。ここで映画は終わる。
というわけで、いろんなことがまとめて襲いかかってくる中年夫婦の話だった。でも、祐司は慌てず焦らず乱れず、割と落ち着いて淡々と事をこなしていく。たいした男だなあと思った。・毎度ご飯のとき、互いに「愛してる」といいあう、気持ちの悪い2人だよ。まあ、祐司は再婚で、前妻との間に2人子供がいるようだけど。佳奈は初婚? あらすじによると、2人の結婚は2年前だと言うから、まだ熱々なのか。でも、変なの。
千夜、一夜10/20テアトル新宿監督/久保田直脚本/青木研次
allcinemaのあらすじは「離島の水産加工場で働く登美子は、30年前に夫が突然姿を消して以来、その帰りを待ち続けていた。漁師の春男から想いを寄せ続けられても見向きもせず、静かにずっと一人で暮らしていた。ある日、そんな登美子のもとに、2年前に夫が失踪した奈美が訪ねてくる。彼女は待つことに区切りをつけようと、夫がいなくなった理由を探していただが…。」
Twitterへは「いまどきの『人間蒸発』話である。しかし消えるのはいつも男で「私 待つわ」は女ばかり。ジェンダー不平等だろ。まあ「女はいつも待ってるなんて!」という場面もあるにはあるけど。ところで思いつづけるダンカン、情けなさすぎ。」
オープニングは、静かに抱き合う男の背中で。男は、行った先の地名をつぶやいている。
・舞台は、佐渡島か。遠洋漁業の船乗りだった亭主が、海ではなく陸に上がったときに蒸発して30年。当時、登美子は27歳。ずっと夫を待ちつづける。登美子のところに、夫が失踪して2年、の看護師・奈美が相談にやってくる。特定失踪者としての認定が欲しいらしい。特定失踪者がなんだかよく分からないけど、調べたら「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者」らしい。なるほど。とはいえ、蒸発したのが男=亭主で、待たされるのは女、というのは決まり切ったパターンみたいで、なんだかなあ、と思う。
・登美子は漁港の水産加工所で働いてるんだけど、同年代で昔から登美子に惚れていた春男という冴えない漁師がしつこくアプローチしてくる。冷静に見ればアブナイおっさんで、ただのストーカーにしか見えない。
・登美子には母親がいて、ひとり暮らししている。ってことは、登美子は婚家で30年ひとり暮らしなのか。同じ町内のようだけど、不経済だろ。なぜ同居しない。そのうち母親は、自宅で孤独死しちゃうんだけどね。
・奈美にアプローチしてきている同僚(看護師か?)がいて、「食事に行こう」とかいってるんだけど、断られつづけてる男がいる。相手にされていないのかと思ったら、なんと、初デートで寝てしまっているのだ。なんだこれ。ってことは、奈美も、次の男として認めつつあったということか? っていうか、後半になって登美子が、奈美の夫の特定失踪者申請書を書き上げた時点で、そのコピーが欲しい、と言いだす。理由は、離婚裁判に使うのだという。「え? 最初からそのつもりで?」と問われるけれど、奈美は曖昧に誤魔化す。でも、直後に奈美は同僚と新生活を始めようと動き出すところをみると、ハナから離婚を考えているとしか見えないのだよね。ってことは、同僚の食事を断っていた頃から、新しい男として見ていたということだよな。映画は、はっきりそうとは描いてないけど。
・春男をなんとか登美子とくっつけよう、と町の偉い連中が画策して、2人を料亭で対面させる。2人なってから、何度目かの告白をし、でも、すげなくされた春男はひとり小舟に乗って夜中、海に出て行き行方不明。
・登美子の夫の母親が亡くなったのか。登美子は、新潟市に行ったのかな。で、葬儀の帰り、なんと奈美の夫・洋司とすれ違い呼び止める。逃げるかと思いきや、すなおに洋司はついてきて、調査船に乗っていたことや、戻ろうとおもいつしなかったことなどを告白。そして、翌日、登美子とともに島に戻り、奈美の部屋を訪れる。映像では、すでに新生活が始まろうとしている様子が描かれていたので、ここはもうお笑いでしかない。驚く同僚男、唖然な奈美。奈美は、登美子に「なんで連れてきたのよ」となじる。当たり前だわな。新しい男がいるのを知ってて夫を連れてきたんだから。なんて意地悪な登美子。腹の中で大笑いなんだろう。自分は30年も待ちつづけているのに、たった2年で夫のことを忘れ、男を欲しがるような尻軽女への攻撃にしか見えねえよ。
・その夜は雨。洋司が、登美子のところにずぶ濡れでやってくる。泊まったようだけど、このとき、冒頭の、行った先の地名、をつぶやく声がかぶる。ってことは、洋司は登美子と寝たのか?
・春男は、まあ、そのうち帰ってくると思ったらそのとおりで。手土産ぶら下げてのこのこ戻ってきた。バカか、春男は。たんなるコメディリリーフじゃねえか。で、春男にビンタを食らわせて、登美子は海岸へ。追っていく春男。海に入っていく登美子・・・。止めようとする春男。それを振り切り、海から出てひとり海岸を遠ざかっていく登美子。で、映画は終わる。
しっかし、脳天気な男どもと、待つことを強いられる女が描かれる映画だこと。いいのかね、ジェンダー平等! の世の中なのに。50半ばで結婚経験なしの春男は、これは田舎にありそうな設定だけど。女は都会にでていってもどらない、という描写はなくて。むしろ奈美は島にやってきた看護師という設定ではなかったかな。暗い話だけど、島の閉鎖性・陰湿性はとくに感じなくて、割とオープンな感じだよな。若い世代の代表として置かれている奈美は、ではいい加減な感じかというとそうでもなく。35で出産とか計画的で堅実なタイプの女性に描かれてる。男より、自分の人生、子供と暮らす家庭を未来へつなぐ、ような感じかな。登美子はといえば、むかし亭主が録音した2人の会話を何度も再生して思い出に浸るようなロマンチックな感じ。新しいことをするために都会にでることもなく、毎日イカを裁いてとくに不満のない田舎のおばちゃん。登美子の未来は、30年前で止まっている。まあ、世代と言うより、個人の性格だろうかね。
とはいえ、いまどき30年も待つのは、アホだろ。でも、奈美のように2年であきらめるのは早すぎるように思うけど。5年、7年、10年…。区切りはそんなところじゃないのかな。でも、それも事故とか拉致とか、本人の意志ではない場合だ。なんとなく出て行ってしまうような放浪癖のある男なんて、待ってやる必要はないと思うけどね。そんな男、戻ってきたって、またいつかいなくなっちゃうよ、きっと。
マイ・ブロークン・マリコ10/21109シネマズ木場シアター1監督/タナダユキ脚本/向井康介、タナダユキ
allcinemaのあらすじは「ブラック企業に勤めるシイノトモヨは、親友のイカガワマリコが自殺したというニュースに触れ大きなショックを受ける。マリコは幼い頃から父親に虐待されていた。せめて遺骨だけは救い出したいと、包丁を手にマリコの実家へ乗り込み、彼女の遺骨を奪って逃走する。今からでもマリコのためにできることはないかと考え、彼女が行きたがっていた岬へと旅に出るシイノだったが…。」
Twitterへは「これまたマンガが原作。素材は暗いけど、ファンタジーな描き方でコミカルなってる。遺骨を奪いに行くあたりまではテンポいいんだけど、以降はちょいとタルイ。永野芽郁と奈緒の存在でなんとかキープしてる感じ。」
どっちかっていうと大人しめ、はかない印象だった永野芽郁がワイルドな役柄もこなしていて、面白かった。親友役の奈緒も、これまた薄幸な美少女の印象だったけど、こっちはそのまま、な感じかな。小学校からの仲好しで、マリコは父親に虐待され、性被害まで受けつつ成長し、でもつき合う相手がまた暴力男だったり的な感じで、そういう話を痣だらけのままシイノに吐露したりする。どっちかといったら、マリコがシイノになついている感じかな。
なマリコがある日突然マンションから飛び降り自殺、というニュースをシイノは定食屋のテレビのニュースで見て。チャット入れてももちろん返事はなく、翌日なのかマンションに行ったらすでに荷物は家族が持ち去った後。大家が言うには遺骸は直葬とかで、葬式の前に荼毘に付したのではないか、と。で、あらかじめ包丁を持ち、セールスレディを装ってマリコの実家といってもアパート行くと、後妻がでてきて話を聞いてくれるといい、中に入ると父親が遺骨の前に正座している。シイノ豹変し、包丁を出して遺骨を奪うと窓から逃走…。でふと、マリコが「行きたい」といっていた岬を目指して長距離バスと電車とローカルバスを乗り継いで行くが…。という流れは一気呵成でおもしろい。のではあるが、この映画の基本構造である、現在のシイノの行動と、間に適宜挟まる過去のマリコとの記憶イメージ、という表現手法がこれからも延々続くのか? と考えると、すでに死んでしまったマリコには話の広がりがないわけで、さてどうするのかなと心配になる。
というわけで、なのか知らんけど、岬近くに到着後、マキオという謎の青年が登場する。のだけれど、ときどき分かったような蘊蓄を語るマキオの存在はいてもいなくてもいいようなもの。そもそもマキオは釣り人の恰好をしているけれど、半年前にこの海辺で飛び込んだけど死ねず、な青年なのに落ち着き払って淡々とシイノのそばにいたりする。こんな、旅館もあるんだかないんだか分からんようなところで、ただのあやしい奴だろ。というか、自死失敗で、病院に担ぎ込まれたのか否か知らんけど、あいかわらず岬の港町で魚釣りしてるって、どういう性格だよ。な、シイノとマキオの絡みは、おおむねどーでもいい感じ。
で、数日後、ここにくるバスで同乗していた女子高生がヘルメット男(港町に到着後、シイノのリュックをバイクで奪い逃走、財布スマホがなくなってしまっていた…。の直後にマキオと遭遇したのだった)に追われている場面に遭遇したシイノは、もっていたマリコの遺骨の箱でヘルメット男を殴り、気絶させたのはいいけど、遺骨はバラバラ宙に舞う。などもう話もいい加減。病院に入院したのか、松葉杖のシイノは、すでに遺骨はもっていない。ってことは、灰はともかく骨も回収しなかったのか? そりゃないだろ。リュックは戻ったらしいけど、ひったくりヘルメット男は数日間も貴重品だけ抜かずにリュックのまま持ち歩いていたのか? まあ、女子高生からは、会いに来れないからと手紙を託されていたけど、手紙というコミュニケーション手段でマリコとの共通性を見せたいのかも知れないけど、女子高生の存在も、中途半端。ひったくり男が女子高生を襲うというのも、なんかちぐはぐだし。とかツッコミどころだらけ。
なんとか帰京し、かいゃに辞表を提出するけどやめさせてもらえず、松葉杖のママ営業まわりして。アパートに戻ると、ドアノブに袋が下がっていて。それはマリコの義母がもってきた香典返し(になるのか? 香典やる代わりに遺骨盗んで、しかもなくしちゃったのに)で、なかにマリコの書いたシイノあての最後の手紙があって。それみてニッコリするところで終わるんだけど、なんか話がぐじゃぐじゃだな。
・あれだけ仲のよかった2人なのに、最後に自死する前、シイノに告げずに死んでいくマリコってなんなの? というか、自死の原因がまるで描かれておらんではないか。まあ、マリコは手紙でシイノに心情を告げるということをしてきたようだから、そうなのかも知れんが。スマホでチャットもしてるんだから、手紙だけとは限らんよなあ。
・マリコを虐待した父親には後妻がいて、悪い人ではなさそうなのは、どういうこと? 死んだ娘の遺骨の前で正座し、うなだれてる父親って、どういうこと? 遺骨を奪ったシイノに、この両親は文句をいいにこないのか?
とか、首をひねるような話なので、とくに共感もなにもない。永野芽郁と奈緒でもってるだけ、な感じ。
・そういえば。ダメな男に尽くして捨てられるような女は、また同じようなダメ男に捕まって…という例があるようだけど、そういう女性は、心のどこかでそういう男を選んでる、という話もあるのだよね。なので、マリコはそんなタイプの女性だったのかもね。ところで、成人して、マリコはどんな仕事をしていたのだ? これまた説明がなかったと思うんだが。
空のない世界から10/24シネ・リーブル池袋シアター1監督/小澤和義脚本/梶原阿貴
映画.comのあらすじは「暴力を振るう夫から娘のさくらを連れて逃げ出してきた麻衣香。郊外にポツリとたたずむラブホテルにたどり着き、誰にも知られぬよう、そこで住み込みで働きながらさくらを育て、早7年が経った。さくらは小学校に通う年齢だが、生まれてから今まで無戸籍のままで、麻衣香は娘にどうしてあげたらいいのか分からずにいた。そんな時、彼女の背中を押してくれたのは、世の中から「必要ない」とされている人々だった。」
Twitterへは「DVはありきたりとして、キモである国籍のない子供の問題が出てくるのは半ばを過ぎてから。しかも、さらり、とだけ。67分という尺の問題もあるだろうけど、ムダにラブホのトラブルに時間取り過ぎだし、あれこれエピソード放り出しぱなしが多すぎる。」
夜、走る女。腹が大きい。ある建物を訪れ、でてきた男に募集のチラシを掲げる。顔は傷だらけ。一転して、ホテルのベッドメイキングをする若い女とベトナム青年…。ちょい戸惑うよね。冒頭の女は乱れた髪で、長かったような。ホテルの女は髪が長くない。黒髪だし。別人? 別の話? と。おいおい、7年後の話と分かるけど、「7年後」と字幕を入れれば済む話だ。不親切。それと、女=麻衣香がいくらDVから逃げ出してきたとしても、募集チラシはどこで見つけたのか。ってか、なぜラブホの求人を頼ったのか。ラブホの支配人は、あんな状態の麻衣香を建物に招き入れ、世話をしたのか。謎すぎる。まあ、映画的フィクションなんだろうけど。だって、東京に近い埼玉あたりの話だぜ。走って逃げてきたからには、家はそう遠くないはず。逃げるならもっと遠くに逃げろよ。とかね。
あとは淡々とラブホでの生活。ベトナム人チャン君は自転車通勤。麻衣香には幼い娘がいて、でも、外に出さない生活。娘は「学校に行きたい」というけれど、「鬼がいて食べられちゃう」と、外に出さない。いつも地面にお絵かきしているさくらに、チャン君がつきあって怖い鬼の絵を描く。あんな、般若みたいな鬼がベトナムにもいるのか?
たびたびラブホを利用するアゲハは、毎度、投入しても出てこない自販機に切れて受付に電話する。
チャン君は支配人の北岡と麻衣香のなかを疑うが、北岡は同性愛者で、過去に振られた心の傷がある。
チャン君は、なにかの試験を受けようとしているが、それに合格しないと残留資格がなくなるのか?
アゲハは、元市役所員なのに、立ちんぼの売春婦。
ラブホのオーナーは、1ヵ月でホテルを畳むからよろしく、とみんなに凄んで消えていく…。
雑貨屋のババアの本名は柏原芳恵で、人はいいけどベトナム人を見れば「ブタを解体した連中ではないか」と疑っている。
あるときチャン君が北村に「はい、豚肉、おみやげ」ともってくるが、不審顔の北村が、おかしい。
ある日、母親と似た風体の女性を追って結界を超え、街に出ていくさくら。いなくなった娘をさがす麻衣香、アゲハ、チャン君…。雑貨屋のババアのところでソフトクリームを食べているのを見つけ、ひと安心。で、麻衣香に話を聞けば、ラブホで産んだという。しかも北村が獣医を呼んだ、という。ラブホで産むことを許した北村もアホなら、呼ばれて手助けした獣医もアホだろ。この時点で、なんとかできたはずだけど、映画的フィクションでドラマチックにしてしまっている。かなりムリがあるだろ。
てなわけで、麻衣香はさくらに国籍がないことを告白する。するとアゲハに「なくても住民票を取れば小学校行けるよ」と簡単に言われてしまう。「さすが元市役所職員」と北村。麻衣香は「無知は罪ですね」と吐露する。ほんと、麻衣香はもちろん、北岡も獣医も、無知というかアホとしか言いようがないので、共感とか同情ができなのだ。
麻衣香が懼れていたのは、さくら の無国籍がバレること。でも、そんなんいつかはバレるだろ。それと、国籍を取得したら夫にバレて連れ戻されるかも知れない、と思っていたこと。はあ? だよなあ。夫はそんなに麻衣香に執着していたのか? うぬぼれが過ぎるのではないのかな。麻衣香は、黒塗り高級車のエンジン音にいつもビクビクしていたけど、あんたの夫はどんだけの男なんだ? ヤクザの女だったのか、麻衣香は? まいどSMプレイでもさせられてたのか? でも、代わりはいくらでもいるだろ。もう7年も経ってるし。アゲハがSNS調べたら、どっかで陽気にやってる写真が出て来たではないか。みんな麻衣香の独り相撲だろ。
駄菓子屋のババアがラブホにやってきて、チャン君の自転車を「これだこれ、盗まれたやつ」という。チャン君は「友だちから3000円で買った」というも、自ら逃走。ババアが連れてきた警官がチャン君を追う。この日の午後は、チャン君の試験(なんの試験か聞き取れず)当日。さてどうなるのかな? と思っていたら、フォローがなくて。最後の方で、自転車に乗ってるチャン君を、北岡が運転し、麻衣香、さくら、アゲハも乗ってたかな? なクルマが追い抜く場面があって。「試験の結果は?」に、チャン君は親指を立てたところを見ると、合格したのか。では、あの日、警官には捕まらず、なのか。後日捕まったけど疑いが晴れた、なのか。もやもやするね。
しかし、この時点(ラスト)で、さくらは小学校に行っている、と言っていた。オーナーは1ヵ月後にラブホを閉鎖すると言っていたけど、そんな短期間に役所の事務処理は終わったのか? しかし、とはいえ皆が仕事を失う日は近いんだろ? それとも、もうみんな失業中なのか? だとしたら、これからどうすんだよ? 売りで稼げるアゲハはいいとして。
な、ほんと、もやもや中途半端な収束のさせ方だなあ。
あと思ったのは、最後に、日本国内における無国籍者の数や実態をデータとして提示するとか。あるいは、国籍をどのように取得するか。などの情報があってもいいのではないかと思った。
・駄菓子屋のババア、根岸季衣みたいだけど、違うかも、と思っていたら、その根岸季衣だった。くしゃっとなっちゃったな。
・ベトナム人のブタ解体の真相は? 北村がもらった豚肉は、チャン君が買ったのか? 友だちにもらった、のか。
ミーティング・ザ・ビートルズ・イン・インド10/24ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ポール・サルツマン脚本/ポール・サルツマン
原題は“Meeting the Beatles in India”。allcinemaのあらすじは「1968年、23歳の青年ポール・サルツマンはインドに旅立ち、アシュラム(僧院)で瞑想を学ぶ。そして同じ地を訪れていたビートルズと偶然出会い、彼らと奇跡のような8日間を過ごし、貴重な彼らの姿を多くの写真に残した。本作は歴史的名盤『ホワイト・アルバム』誕生の瞬間に遭遇したポール・サルツマン自ら監督を務め、彼が記録した貴重な写真の数々と秘蔵エピソードともに、サルツマン青年が見たビートルズの素顔を振り返る」
Twitterへは「インドにおける4人の映像が中心か思ったらさにあらず。彼の地で瞑想・作曲してた時期、たまたま8日間一緒にいた青年(この映画の監督)の再訪インド映像と再現アニメが中心でビートルズの曲は1つもかからないのだった。」
ドキュメンタリーである。想像していたのは、ビートルズがインドで何かしている映像を編集したドキュメンタリー、だった。ところが、冒頭からよく分からんオッサンがでてきて、昔語りを始める。かと思うと、デヴィッド・リンチや、よく分からんオバサンたちが出てきたりする。別のオッサンもでてきたり。オバサンは、ビートルズの誰かの元妻で、映画が扱っている時代に一緒にインドに行っていたらしいことは分かる。でも、他のオッサンたちは、どういうつなかりがあるんだ? な感じで登場するのだ。まあ、登場したときプロフィールも出てきていたから、ちゃんと読んでれば因果関係は分かるのかも知れないけど、この手のドキュメンタリーでは肩書きと一緒に語りも字幕でごちゃごちゃ画面に出るので、読むのと理解するのが追いつかない。なので、よく分からないまま見つづけることに。
主に出てくるオッサンは、かつてインドに行き、なんとかいう師に瞑想を教えてもらいたい、とやってきた。ところが門は閉鎖していて入れない。だけれど、門番のようなジジイに「待ってろ」と言われ、素直に外で何日か待っていたら「入っていいぞ」といわれて入り、30分ぐらいの瞑想を2回ぐらいしたら頭の中がスッキリ。瞑想の効果があった、と僧院内をうろついていると、ビートルズのメンバーやパートナー、ドノヴァンなんかがテーブルを囲んでいるところに遭遇し、ちょっとしたジョークを言ったら大うけで、その席に座らせてもらい、フツーに会話できる関係になった、とかいう。へー。ではあるけれど、本人がそう言ってるんだから、そうなんだろう。もちろんビートルズのメンバーの誰かが、その彼について言及しているようなインタビューはない。よく分からん別のオッサンが、彼についてコメントしている場面はあったかな、な程度。
で、青年だったオッサンは僧院内に都合8日間滞在し、うろうろしてはビートルズメンバーと会話したり、写真を撮ったりしたという。当時の出来事については、イラストが少し動くような再現アニメで見せられるのだけれど、ビートルズの面々はあまり似ていない。
で、彼が撮ったという写真ががんがん出てくるかというとそんなことはなく。4人を個別に写した写真の何枚かが繰り返し登場するのと、なにかのときに集合写真を「撮ってくれ」といわれてシャッターを押したというのがよく出てくる。この写真はどっかのビートルズ博物館にも大きく掲げられているらしくて、有名らしいけど、誰が映っているのかという細かな説明は特にない。
この、インド再訪しているオッサンがこの映画の監督だっていうのは、あとから気がついた。それでデヴィッド・リンチがでているのか? よく分からん。オッサンは、いまは長じてオバサンになってる娘に、「むかしビートルズを撮った写真があるって言ってたよね」とかいわれて荷物をひっくり返し、当時の写真を発掘。それをきっかけにインド再訪と、この映画の製作を思いついたらしい。
オブラディ・オブラダとか、いくつかの曲ができあがる過程を目撃した、という話があったりしたけど、へー、そうなのか、という感じ。他に、どういう関係があるのか知らんが、作曲家がSomethingのサビをピアノでちょっと弾くぐらいしか、ビートルズの音楽はでてこない。ビートルズの面々の様子も、語られはするけど、とくにびっくりするようなこともない。たんに、当時の一般青年がどういう因果でなのか分からんけど、有名人だけに開放されていた僧院内に入れて、奇跡的な8日間を過ごしましたとさ、という以上の物語はない。
というわけで、いろいろツッコミは不足しているし、主に映るのは当のオッサンと、ビートルズの誰かの元パートナーとか、よくわからん人たちばかりなので、ワクワクすることもなく、あー、そーですか、な感じで映画は終わったのだった。
オカムロさん10/26ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/松野友喜人脚本/松野友喜人
allcinemaのあらすじは「都市伝説ホラー。その名を聞いたり話したりすると首を刈られるという江戸時代から言い伝えられる謎の存在“オカムロさん”が甦った現代で巻き起こす戦慄の恐怖を、過激な残酷描写とアクションを織り交ぜ描き出す。」
Twitterへは「その名を検索すると首を刈られるという都市伝説オカムロさんが登場する、ホラーコメディ。怖いよりバカっぽくてなかなか笑える。話は無茶苦茶で、ほとんど理屈に合ってない。」
最初はキャンプに来ていた男女がオカムロさんごっこの結果、寝てた女の子1人(スズ が生き残り)を除いてみな首チョンパされるという流れで、『13日の金曜日』だな、こりゃ。あとは次々、街中やあちこちで首チョンパが勃発し、捜査中の刑事たち(あまりやる気の無さそうな演技の六平直政も刑事役)や、都市ボーイズ早瀬康広が司会進行するYouTubeらしい討論会でもみな同様な末路。さらに、オカムロさん=コロナにひっかけて、「オカムロさんは、ただの風邪」とか騒いでる連中も、チョンぱされてしまう。1年後、清掃員が街中に転がる首をゴミ袋に入れてたり。バカすぎておかしい。
スズは事件のショックで神経科のカウンセリングを受けてるんだけど、医師に一目惚れ? デートに誘ってカフェで話していると男が寄ってきて、医師に馴れ馴れしく話しかける。男は医師のむかしの恩師で、医師の本名がオカムロであることをパラス。と、医師は豹変し、首狩り男のオカムロになってみなに襲いかかる! って、それはなんでなの? さらに、スズに対して「仲間は殺したがお前には逃げられた!」というんだけど、じゃあ、冒頭の首チョンパは医師オカムロの仕業なのか!? 医師オカムロは、いったい誰を殺したんだ?
というなか、本物のオカムロさんも登場するんだけど、医師オカムロとの関係はどうなってるんだ? もう、話がムチャクチャになってる。
という話と並行して、オカムロさんによって友人を亡くしたスズは、なぜか寺に行き、住職に同じく家族を亡くしたアヤコを紹介される。アヤコは武芸の達人。スズは軟弱な女の子。のはずが、ちょっとトレーニングしたらアヤコより強くなって!
てなわけで、というか、どういう事の次第かわからんが、3人は斧、刀、マシンガン、ロケット砲なんかも手に入れ、オカムロ退治に、いざ出陣(このとき住職は、たかってくる虫を叩いて殺すのがおかしい。殺生かよ)するんだけど、オカムロさんの居所はどうやって知るのだ? っていうか、オカムロさんを検索するとか名前を呼ぶとかすれば、あっちからやってくるんじゃなかったのか?
で、なぜか知らんが廃墟みたいなところでバトル勃発。住職は、どっちのオカムロを相手にしたんだっけ? 忘れた。スズかアヤコを援護するためだったかな? 拳銃で撃つも、逆に討たれてしまう。首チョンパじゃなくて、うなだれた後ろ姿で死んでったんだったか。
アヤコは本物オカムロさん相手で、健闘するも討たれる。たしか首は離れていない。スズは医師オカムロと対峙し、苦労しながらも、やっつける。そして、アヤコがやられたことを知ると、ロケット砲をとりだして、どかーん! で、オシマイ。おいおい。ロケット砲なんかで最悪の妖怪が討てるのか? 
つじつまムチャクチャだし、なんでなのか意味不明なこと盛りだくさん。もうすこし“なるほど” “そーだったのか”があってもいいと思うんだが。やれやれな低予算テキトー映画だった。
リコリス・ピザ10/28キネカ大森3監督/ポール・トーマス・アンダーソン脚本/ポール・トーマス・アンダーソン
原題は“Licorice Pizza”で、当時のレコードチェーンの名前らしい。allcinemaのあらすじは「1973年、ハリウッド近郊のサンフェルナンド・バレー。高校生のゲイリー・ヴァレンタインは子役として活躍し、自信に満ち溢れていた。ある日、カメラアシスタントをしている25歳の女性アラナと出会い、一目ぼれしたゲイリーはすぐに猛アタックを開始する。アラナはゲイリーの強引さに閉口しながらも、やがて食事の誘いを受け入れ、2人は次第に距離を縮めていく。そんな中、ゲイリーの共演者の一人と出会い、そのまま付き合うようになるアラナだったが…。」
Twitterへは「15歳の高校生と25歳のフリーター娘の恋って、男の子にとっては一瞬の憧れだろうけど。せめてヒロインはもうちょい魅力的であって欲しい。話はあれこれとっ散らかってて。子役上がりの15歳の生意気具合と商才の巧みさにはまいったね。」
・アラナは写真撮影アシスタントで学校へ
・ゲイリーはアラナに一目惚れ。結婚する相手が見つかった、と。勝手にデートの約束をして店で待つと、アラナがやってくる。2人はコークで会話。電話番号も聞き出す。
・ゲイリーは子役俳優。NYの仕事に、母親(小さな広告代理店経営?)が同行できない。そこでアラナに頼んで同行してもらう。アラナはちょっと興奮状態。生舞台でゲイリーは下ネタギャグを口走って叱られる。
・ゲイリーの子役仲間がアラナに興味津々。ある日ゲイリーは2人が手をつないでデートしているのを目撃!
・ゲイリーはアラナに無言電話。でも、興奮気味の息づかいでバレバレ。
・アラナは子役仲間を夕食に招待。ユダヤ教のお祈りを一緒に、と願うが「僕は無宗教だから」と拒否され、家族に大恥をかかせる。子役仲間に「あんたのチンポは割礼してるの!」「してるよ」「糞ユダヤ教徒!」と捨て台詞で、この関係は終了か?
・ゲイリーに紹介してもらって、アラナもちょっとしたオーディションに。馬に乗れる、ポルトガル語がしゃべれるとかテキトーなことをいいまくる。裸になれるか? と聞かれ、アラナはOKだけどゲイリーが嫌がる「僕に見せてないのに映画で世界に見せるのか?」と。で、喧嘩。
・アラナが突然やってきて、見せるわよ、と胸をはだける。触ろうとしたゲイリーにビンタ。
・ゲイリーはウォーターベッドに目をつけ、仕入れ販売を始める。ティーン対象のイベントで出展してたらアランもやってきて。と思ったら突然警官に逮捕され、署のベンチに勾留。でも間違いと分かった様子で手錠をとかれる。
・ウォーターベッド販売は快調で、母親や弟、友人も交えて大忙し。あるときバーブラ・ストライサンドからの注文でトラックで納品に。するとジョン・ピーターズという同居人が、ストライサンドかストライザンドかでぐちぐち。ジョンは出かけるから設置を頼むといい出かける。設置してたけど、水を入れてる途中に、なぜかホースを外したままにして、一同、帰ることにする。← このくだり、よくわからん。
・ジョンがガス欠で、一同のトラックに乗って買いに行くが、長蛇の列(当時はオイルショック)。異常な行動をするジョンを置いて、彼のクルマの停まってるところに戻り、ゲイリーはジョンのクルマをボコボコにする。が、トラックもガス欠になり、アラナはバックで急坂をくだって無事生還。はいいんだけど、アラナは大型も運転できるのか。
・アラナが有名俳優と話をしてて、君はグレースケリーだとか言われて舞い上がって、一緒に飲みに行ったのはこのあたりだったっけ? ゲイリーも同じ店にやってきてたんだったかな? 俳優はノリノリで、近くの広場でたき火をバイクで飛び越すアクションを見せるという。アラナが後ろに乗ったけど、スタートと同時に後ろにずり落ちてしまい、気絶。俳優のジャンプは成功。それをみていたゲイリーは、アラナのところに走って行く。
・ベッドに横になるゲイリーとアラナ。アラナは疲れ果て寝ている。ゲイリーが手に触れ、胸をさわろうとするけど、やめてしまう。
・アラナは旧友に連絡し、LA市長選挙戦事務所のボランティアに参加。ゲイリーもPR映像の撮影で駆り出されるが、嫉妬して故意に撮らないようなそぶりを見せたりする。
・52と書かれた怪しいトレーナーの男が事務所を見ている。
・アラナは候補者に、飲みに来ないか、と誘われ。行くと、候補者はゲイの友人に「俺を捨てるのか」的な感じで絡まれている。52トレーナーの男も近くで見ている(彼もゲイ仲間なのか)。候補者はゲイで、それを隠すため、アラナとゲイの友人が恋人同士であるかのように一緒に帰るように仕組む。この頃は、ゲイリーとアラナは上手くいってなかった?
・市長選がらみで、それまで禁止だったピンボールが公認されることになり、早速ゲイリーはピンボールマシンを調達し、店をオープン。やってきたアラナの姉たちに話をすると、アラナは選挙事務所にいるという。アラナは、誘われていたけど乗り気でなかったピンボールマシンの店に行くが、ゲイリーはいない。のすれ違い。が、偶然対面し、駆け寄って抱き合う。ゲイリーは店のみんなに、「ミセス・アラナ・ヴァレンタインを紹介する!」と妻にする宣言。やっとキスをする。
ってな流れだったかな。いろいろ細かなエピソードが盛りだくさんで、いちいち覚えてられないし、喧嘩したり仲直りしたり忙しいので2人の関係は分からんよ。
少年の、年上の女の人に対する憧れがフルに発揮されてる話で、ラストで相思相愛にはなるけど、さて、いつ別れるんだ? としか思えないような年齢差だ。あと、アラナの方が熱心なユダヤ教徒というのは障害にならないのだろうか? とか、考えてしまう。
話としてはいろんな話題、エピソードも豊富でつまらなくはないけど、とくに面白いというわけではない。少年の、年上の女性に対する憧れの繊細さ、のようなものはとくになくて。ゲイリーは15歳にしてはオッサン的な発想と行動で、可愛げもないのでとくに共感できないし。アラナも、いい歳をして15歳のガキになにをかまけているんだ。幼児好みなのか、この女、と思ったり。やっぱこの手の年上の女性を思う少年の話には儚いところがあって欲しいと思うわけで。こんな図太い連中の乱暴な展開を見ていると、うーむ、なんだよね。
というわけで、いくつかあれこれ。
・アラナの年齢は? ジョン・ピーターズに聞かれ、28といいかけて25に訂正したのは、どっちが正しいんだ?
・バーブラの部屋に設置したウォーターベッド、水浸しになってないのか?
・最後の方で、2人が新聞を読んでいる場面があり、映画ディープスロートの広告だのエロい広告が満載なのは、当時のご時世?
・ゲイリーは、学校に行ってる様子がこれっぽっちもない。
・ゲイリーは、街の高級レストランや仕立屋でもいい顔で、年上の店員にうやうやしく扱われるのは、子役としてエラソーに出入りしていたからなのか?
・ゲイリーの母が日本料理店ミカドの新聞広告コピーを提示する場面。母が朗読するコピーに対して日本語で「料理のことが書かれていない」と注文する日本人妻。変なの。ゲイリーがピンボールの店を出店するので、広告を置いて欲しいとミカドに行くと、奥さんが新しい日本女性に変わっている。奥さんは、「うちの店にそういう広告は合わないわ」と日本語で言うんだけど、これまて英語理解してるのに日本語で答えるのは変なの。店で働く白人店員の着ている着物が、変だろ。
・なにかってーとノーブラなアラナ。
・誰に言われていたんだったか、ユダヤ人の鼻をしている、と再三言われ、でも、陽気に笑っているアラナ。とくにユダヤ人差別というわけではないのか?
・いやじっさい、アラナ役のアラナ・ハイムはオバサン顔で、可愛くもなければキレイでもないのだよね。それが残念。HAIMという3人娘ロックバンドの1人らしいけど、別の娘の方が可愛いような気がするんだが。まあいいか。あえてブス顔にしてるんだろうから。たぶん。
・全体に1970年代風の画調とザラつき画面は、当時の雰囲気がでていてよかったけど。

 
 

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