2023年2月

生きててごめんなさい2/6シネ・リーブル池袋シアター2監督/山口健人脚本/山口健人、山科有於良
allcinemaのあらすじは「出版社の編集部で働く園田修一と居酒屋でバイトする清川莉奈が出会い、2人は同棲生活を始める。しかし、何をやってもうまく行かない莉奈はバイトも続かず、一人で家にいることが多くなる。一方、修一は作家を目指しながらも、パワハラ体質の職場で心身ともに疲弊してしまう。そんな中、ふとしたきっかけで出版社の仕事を手伝うようになった莉奈は、修一が担当する売れっ子コメンテーターの西川に気に入られるのだったが…。」
Twitterへは「発達障害風じれったい女と、ちょい自意識過剰ぎみの男のカップル。あー、見てていらいらするわ。なんだけど、最後の着地が決まって、おお、なるほど。まあ、感のいい人なら予測が付いたかも知れないけど。」
冒頭の居酒屋の場面。罵声を上げる男客が異常、だよな。おどおどしてる女店員=莉奈が怪しい、とすぐ分かったけど、やっぱり。でも、莉奈はとくに変でもないだろ。蟹の足投げたのはやりすぎかもだけど、刃向かってくる男客も異常。で、次の場面で、莉奈をおぶっている、居酒屋で近くにいた客の園田。こんな展開、フツーないだろ。なテキトーご都合主義的な感じは、ちょっとなー。で、次の1年後に同棲中かよ。どうやってそうなったのか、わけ分からん。まあ、映画的ご都合主義だろ。
で、その後、園田の編集風景が紹介されるんだけど、これがいまいちスッキリ分かりづらい。同僚が某作家の赤入り原稿をなくして、代わりに某作家のところに再度原稿をもらいに行くことになって、でも、誰かが、なんとかかんとかの後だよ、とか言ってて。そしたらラジオのブースみたいなところの外で、園田が座ってる。その後、行きたかったと言っていた作家のトークショーに行ったら終わった後で、そこで高校時代の文芸部の先輩女子で、件の作家の編集担当だという女性と再会し、飲みに行って…。で、頼まれてたたこ焼きを忘れて家に戻って、莉奈に不満を言われる…というところ。後半でラジオブースが登場し、ビジネス作家の西川が話しているところが映った。それで、ああ、最初にブースが映ったときにいたのは西川で、作家だけどラジオ番組にも呼ばれて話すぐらいの人で、なのか、と了解できた。ラジオ番組に出演するから、西川に原稿をもらいにいっても遅くなるよ、ということだったのか。展開が間引きされつつ早すぎて、分かるように紹介されないので、戸惑ったんだな。それにしても、トークイベントが終わって場内整理しているホール内に、園田が入れるというのは不自然だろ。いくら映画的演出だとしても、なんかなあ、な感じ。
そして、後日、原稿をなくした編集が「飛んだ」ということなんだけど、死んだのかと思ったらそうではなく。会社でハラスメントを受けた、ということをSNSかなんかに投稿して辞めた、ということらしい。分っかりにくいなあ。このあたりだっけ、隣席の女子がスマホの画面を見せて「イキゴメ」がどうのと園田に見せてきたのは。あれも、パパッと過ぎていったので、なんのことやら…。まあ、終わってみれば、イキゴメについてくだくだ説明してたらオチが分かっちゃうから、あの程度でよかったのかも知れないけどね。
さてと。莉奈のドジさ、やる気のなさ、引っ込み思案、なのに処分されそうな犬に対する固執とか、すべてがうざいし、じれったい。こんな女と一緒に住んでるなんて、アホじゃねえの。ただのセックスの相手? でも、生活能力も現実対応もないような女と暮らしたって、ストレスでしかないだろ。としか思えないような感じで前半は過ぎていく。まあ、最後の一発逆転への布石としては、これでよかったんだろう。
一方でよく分からないのが園田という存在。最初は、原稿をなくした同僚の後始末を命じられたり、そこそこデキる社員かなという紹介の仕方なんだけど、しだいに何やっても中途半端なのに理想が高く、自我が強い男ってな感じになっていく。ビジネス作家の西川は、たまたま遭遇した莉奈の発想や発言に面白さを感じ、ついには自分のアシスタントにしてしまう。文芸部先輩の女性は、作家をめざす園田が書いている小説原稿を、期待している、と言ってくれた。けれど、西川からは、原稿についてけちょんけちょんに言われ、小説も締め切りまでに書き上がらず、見捨てられる。園田が莉奈を「可哀想なダメ女」と決めつけたような構図が、西川や文芸部先輩女子から、園田に対して向けられていくというアナロジー。まあ、話としては分かりやすくなってきたかな。
しかし、西川の原稿の書き方なんだけど、あんなのありか? というのも、編集担当が原稿を書いて西川が赤を入れ、仕上げるって…。最初に西川が話をして、それまとめる、という流れなのかな? で、園田もそうしたのかと思ったら、どうやら自分の考えを盛り込みすぎて、西川に突っ返されたということらしい。このあたりは、文芸好きな園田の自己主張が多すぎた、っていうことなのか? よく分かんないけど。
犬の件や、西川のアシスタントになることを応援してくれない、とか、園田の「可哀想だから一緒にいる」発言とかで、ついに部屋を出て行ってしまう莉奈。仕事の原稿の合間に、思い出したかのように書きつなぐ小説…。すさんだ状態が痛々しいけど、そうなってしまう理由がよく分からんのよね。あんなん、時間と能力を使い分けりゃいいじゃん。仕事の原稿で自己主張なんかせず、言われるがままに流していきゃあいい。で、小説の方に勢力を傾ける。まあ、それができない園田だった、ってことかしらね。いまいち首をひねっちゃうけど。
さて、どういう着地点にするんだ? と思っていたら、西川が別の社の編集に、莉奈のことを話していて。莉奈のTwitter(だったか?)のフォロワーが2万人で、中味も面白い。これを本にしたら面白いと思うんだが…。なんて話している。あの、イキゴメというのは莉奈のハンドルネームで、なにもせずだらだら生活してたときに、莉奈のツイートがバズりつづけていた、ということらしい。おおおお。そうか。そういう一発逆転話だったのか。これでモヤモヤが晴れて、スッキリ。そういうことだったか、と。莉奈は一気に時の人になり、第2作目も出版し、書店かどこかでトークショーを開催。そこに、そっと出席する園田。目が合う2人。
次の場面は居酒屋で。どっちが誘ったのかは分からない。園田はいま、公園の遊具の安全点検の仕事をしているという。大したことは話していない。莉奈が「ちょっとトイレ」といいつつ帰ろうとするのを園田が追って。の、途中で気になったのは、食い逃げになっちゃうだろ! だったんだけど。まあいい。踏み切りで止められ、遮断機が上がると、莉奈は渡り切り「これは、一緒に渡っていいやつ?」と尋ねるようにつぶやくと、園部は、ふっ、と少しだけ前に進んで、暗転。の、意味がよく分からず。やり直そう、とでもいうことか? 
FALL/フォール2/7109シネマズ木場シアター1監督/スコット・マン脚本/ジョナサン・フランク、スコット・マン
原題は“Fall”。allcinemaのあらすじは「夫をフリークライミング中の事故で亡くし、悲しみに暮れるベッキー。1年たっても立ち直れない彼女を元気づけようと、親友のハンターが新たなクライミングに連れ出す。登るのは地上600メートルの使われなくなったテレビ塔。さび付いた梯子を慎重に登り、なんとか頂上へ到達した2人だったが、喜びも束の間、地上に降りるための唯一の手段だった梯子が突然崩落してしまう。携帯の電波も圏外のため助けを呼ぶこともできず、自分たちだけで生き延びる方法を必死に模索する2人だったが…。」
Twitterへは「インスタ映えと冒険心で周囲に人気のない600mの鉄塔に挑戦した2人の女性クライマー。梯子が壊れ頂上に取り残されて…。上るときは手に汗握るだったけど、その後の展開がいまいち。ドローンにスマホ乗せて地上近くを飛ばしゃあよかったんじゃないの?」
ロッククライミングの話かと思っていたんだけど、場内に入るところにあったポスターがチラリと目に入り、鉄塔なのか、と分かってしまったのが残念。知らずに見た方が楽しいものな。
冒頭は、岩壁のクライミングで、ここでベッキーの亭主があっけなく落下してしまう。現場にはハンターもいて、彼の落下を目撃していた。で、51週後、の文字。は? 1年でもいいだろうに、なんで51週? 
亭主のことを思い、酒浸りから抜け出せないベッキーのところに、元気モリモリなハンターがやってきて、鉄塔に上ろう、と誘ってきた。ほぼ1年クライミングしてないので自信のないベッキーだったけど、まあいいか、な感じで出かけ、目の前にする鉄塔…。これがちゃちいんだよ。幅2mちょいの三角構造。火の見櫓に使われるような鉄骨で、梯子もそこらの非常梯子な感じ。これを上がっていくときの様子が、この映画でいちばんスリリングで、ホントに手に汗握った。揺れる階段、外れそうなボルト、ガタガタ言う接合部、簡単に外れる梯子段…。もうすぐ取り壊されるとはいえ、ひどいもんだ。というか、あんな構造で、600mの高さを支えられるのか? と疑っちゃうレベル。
で、なんとかてっぺんまで上がって、SNS向け写真も撮って、ベッキーから降りようとしたら、予定通り梯子が外れたけど、なんとかベッキーをてっぺんに救い上げるハンター。ベッキーは大腿部に傷を負ってしまう。もう降りられない。水とドローンは、10mぐらい下にある送信アンテナに引っかかってる。スマホは圏外。でも、下に降ろせばつながるかも、で、SOSメッセージを発信状態で吊り下げるもダメで、じゃあと、ハンターの靴に仕込んで落下させる、が1日経っても反応なし。眼下にトレーラーハウスと人が見えて、でも、声も届かないし、モノを落としても反応なし。どころか、2人が乗ってきたクルマを奪われてしまうところを目撃する。
しかし、あんなところで夜を過ごすって、とくに身体をくくりつけなくて、いいの? な感じ。それと、てっぺんに取り残されてからは、スリリングが感じられなくなるんだよね。フレームに、てっぺんしか映らないからだと思うんだけど。
以降は、ハンターがアンテナまでなんとか降りて、水とドローンの入ったバッグを上に上げ、ハンターもそのバッグに飛びついててっぺんに戻る。ドローンを飛ばすけど電源不足で、でも、なんとか手元に戻して。ベッキーが、さらに上の警告ライトまでのぼってドローンを充電し、ドローンをモーテルまで飛ばそうとするけど、直前にトラックに激突し、SOSの手紙は誰にも読まれず。疲弊する2人。コンドルに襲われる夢か現実に襲われるベッキー。
なんて最中に、ベッキーの旦那が、結婚前にハンターと浮気してた話が挟まったりするんだけど。たんに取り残された話だけではもたないだろうから、と考えて、この手のエピソードを盛り込んでるんだろうけど、要らんよ、そんな話。コンドルに何度も襲われるイメージも、要らん。もっと単純に、手に汗にぎるを見せてくれればいいのに、余計なことばっかりしている感じだな。
で、ベッキーが「私のスマホを落とそう。あんたのスニーカーに仕込んで」と、ハンターに言うと、なんと、それはムリよ、私はもう死んでいるから、とか幻覚話な展開になって。どうやらハンターが下のアンテナに降りて、戻ろうとしたとき失敗して落下し、その遺骸がアンテナに引っかかっている。でも、睡眠不足で朦朧としていたベッキーは、ハンターが生きているという幻覚を見ていた、ということらしい。では、ドローンをモーテルに向けて飛ばしたり、警告灯のところまで登ったのも幻覚? いやどうも、それはベッキー1人でやってたことらしい。これまた、ただ上るだけじゃ話がもたんだろ、で考えられた仕掛けのようだけど、こういうのはよくある展開だよな。ちと萎える。
なわけでベッキーはアンテナまで降りて、SOSメッセージを発信状態にして、コンドルに食われたハンターの腹につっこみ、ハンターの遺骸を落下させる。どうやら今度はメッセージは届いたらしく、SNSをみた誰かが通報したんだろう。パトカーが何台もやってきていて、ベッキーの父親もやってきて、ベッキーが救出された事実を知る、というところで、映画は終わる。
のだけれど、彼女はどうやって救出されたんだ? ヘリコプター? 誰かが上った? でも、途中から梯子はないんだぜ。これは、謎である。
・とり壊し寸前の鉄塔といっても、機能していた頃は定期点検で人が登っていたんだよな。とすると、2人の冒険と同じことを、仕事でしていた人がいるということだよな。でも、梯子からてっぺんに登るところとか、てっぺんの上にある棒や、その先端にある電球の交換も、誰かがしてたんだろ? それは、2人の無謀な挑戦と同じくらいに、すんごいことだよなあ。
・ベッキーもハンターも、肩や腕の肉がたぽたぽで、とても筋肉がありそうに見えないのだよね。ふたりとも、おっぱいも大きいし…。
・トレーラーハウスは鉄塔の敷地内? トレーラーハウスにやってきていた男女は、柵を乗り越えて侵入してきてたのか? 電話してた男は鉄塔のすぐ近くまでやってきてたけど、わざわざ3キロも散歩にやってきてたのか?
・218席で客は、5人か6人だった。
ミセス・ハリス、パリへ行く2/9キネカ大森3監督/アンソニー・ファビアン脚本/キャロル・カートライト、アンソニー・ファビアン、キース・トンプソン、オリヴィア・ヘトリード
原題は“Mrs. Harris Goes to Paris”。allcinemaのあらすじは「1957年、ロンドン。夫を戦争で亡くした家政婦のミセス・ハリスは、ある日働き先の家で1着の美しいドレスと出会う。それは、彼女にとっては驚くほど高価なクリスチャン ディオールのドレスだった。しかし、そのドレスにすっかり心奪われたミセス・ハリスは、絶対にディオールのドレスを買うと心に決め、どうにかお金を工面すると、たった一人でパリへと向かう。しかしようやく訪れたディオールの本店では、オートクチュールを注文しに来たお客と思われず、マネージャーにまるで相手にしてもらえないミセス・ハリスだったが…。」
Twitterへは「ロンドンで家政婦してるオバサンが小金を貯め、ディオールのオートクチュールを買いにパリに行く、というコメディ。みんないい人ばかりで、ご都合主義的な展開ではあるけど、ほのぼのしてて、心がほどけてくる感じ。」
ミセス・ハリスは家政婦、といっても1家庭に仕えるのではなく、数部屋の主に掃除をかけもちしてるオバサン。昔からの太っちょ黒人オバサンが友達で、結構、遊んでたりする。けど、あるとき、ある家庭で仕事をしているとき、クリスチャン・ディオールドレスに魅せられてしまう。で、金を貯めてパリまで買いに行くぞ! と決意するというのが発端。
サッカーくじで150ポンド当て、さらにちまちま小金を集め、よーし、ここは一発ドッグレースでドカンと当てるつもりの100ポンドは、オートクチュールという名の犬が大ハズレで雲散霧消。と思ったら夫の遺族年金が転がり込み、さらには、レース場で働く友人のアーチが、負けた分の100ポンドを回収してくれて(の件がよく分からず。100ポンド全額賭けず、10ポンド残して別のレースに賭けたらそれが当たった?)、服の代金500ポンド+日帰りの旅費50ポンドプラスαの手持ち資金ができたので、いざ、飛行機でパリへ。船便でないのは日帰り旅行の予定だからなのかね。
さて。1960年代は1ポンド=1008円の固定相場だったらしい。なので、500ポンドは約50万円ということになる。また、当時の500ポンドは200万ぐらいの価値があった、ということもWebにあった。
ミセス・ハリスは電車パリに? 駅構内でホームレス? と意気投合してベンチでごろ寝。そんなことしたら500ポンドや荷物が盗まれるんじゃないか? は杞憂だった。この映画、基本的に善人しか登場しないのだ。で、ホームレスに案内され、ディオール本店入口まで来ると、金持ち連がぞれぞれ賓客扱いで入場しているところで、モデルのナターシャの転倒にまぎれ込んで、知らぬ間にショーの会場入口までやってきてしまう。この映画で唯一の意地悪女でマネージャーのコルベール(イザベル・ユペール)は排除しようとするんだけど、ミセス・ハリスは「私はロンドンから買いに来たのよ。来た順番じゃないの。と現金500ポンドをカバンからだして見せる。なことしてたら、招待客の老紳士で侯爵が「じゃあ私の連れってことで」と招き入れてくれるという、5、60年代コメディ映画な感じの展開で、おやおや。それを気に入らないオバサン客がいて、よく覚えてないんだけどゴミ大臣?とかいわれてたかな。
しっかし、上客を招待してのショーにまぎれ込んでがんがん自分の意見を言っちゃうハリスおばさんは、凄いな。知らないことの強みなのかしら。ところで、このあたりから女性スタッフや男性スタッフ・アンドレはミセス・ハリスに好意的な態度になっていくんだよね。「お気に入りのドレスはありましたか?」とか。でも、お気に入りのドレスはゴミ大臣? の奥方に奪われてしまうんだけど、2番目に気に入ったドレスなら大丈夫、とか行ってくれるのだ。なんで? 不思議だったんだけど、おいおい背景が分かってくる。
当時、ディオールは経営の危機にあったようだ。というのも1点モノを上客向けに売る商売は、効率が悪い。しかも、すぐに現金を支払ってくれるわけじゃない。なので、ハリスが500ポンド取り出したのにスタッフはびっくり、というか、すぐにでも金にしたい心がくすぐられたようなのだ。てなわけでハリスにあわせて仮縫いを、ということになるんだけど、もともと日帰り予定でやってきてたから宿泊代はない。ロンドンの家政婦スケジュールも無視できない。てなことを話したら、1週間の特急で対応する。宿は、アンドレが自宅を提供することになって…。いや、話がうまく運びすぎだろ。けど、映画的演出としては、ほっとさせられるよね。
その後は、ちょいダラダラ。ミセス・ハリスに侯爵が好意を持ったらしく散歩したり食事行ったり、侯爵は1人身らしいので、もしかしてプロポーズも? というひっぱりがあったり(でも、侯爵が身の上話を始めて、イギリスの寄宿舎学校でイジメを受けていた頃やさしくしてくれた掃除婦がいて、ミセス・ハリスにその面影を見た、的なことを話はじめると、彼女の顔色が変わってしまう。そりゃそうだわな。イギリスの貧乏な家政婦ではあるけれど、私を女性ではなく、掃除婦として見ていた、と言われたんだから)。アンドレとナターシャのロマンスが、なんとサルトルの読者として進んだり。にしても、当時はサルトルが流行ってたのか。哲学好きなナターシャは、ただ歩くだけのモデルに不満をもつ、自立した女性として描かれているのも興味深い。いっぽうで飲み潰れたミセス・ハリスが仮縫いに遅刻して、せっかく急ぎでやってるのに! と仮縫いのチーフに嫌われ、それをコルベールが、ざまあみろ的に見ていたり。駆け引きが面白い。それで、仮縫いの途中だけど取り引きは中止と言うことで前金も返すから帰れ、といわれるんだけど、去り際にお針子の部屋を見させてくれて。ここで働いてるオバサンやオジサンたちはみな白衣でもくもくと仕事してる。うっとり、なミセス・ハリス。の様子をクロディーヌが見にきたら、ボタン付けをやってて。スタッフから、なかなかの技術を持ってる、と褒められたりで、結局、仮縫いは続行。よかったよかった、な流れになって、ほっ。
な、最中、お針子やスタッフの大量解雇が発生。命じたのはコルベールらしく、経営状況からの判断らしい。のを見て、ミセス・ハリスはアンドレを連れてディオールに直談判。アンドレの、これからは一般大衆にも、の意見を話す。クロディーヌは、ディオールは一点もの、が売り物。それは譲れない、だったけど、ディオールはアンドレの意見を採り入れることになって…。どうやら辞めてしまったらしい。けれど、アンドレはコルベールの自宅に訪れ、あなたが必要だ。プレタポルテなら、もっと人材が要る、ということでまるく収まる展開は、なかなかうまくできてる。
しかし、この話、真実がいくらか入っているのか? ディオールの名前を使っているのだから。それとも、ディオールの経営方針の転換点に、ミセス・ハリスというトリックスターを据えて、おもしろおかしく創作したのかな。
なわけでドレスも完成し、意気揚々と帰国したら、家政婦先の、タレント志願のだらしない23歳巨乳娘が、打合せに行くのに着ていくドレスがない、と泣きついてきたので、じゃあ、と大切に持ち帰った500ポンドのドレスを簡単に貸してしまうのにびっくり。人がよすぎるだろ。でも、巨乳娘は暖炉に近づきすぎてドレスは炎上。なんと、そのことが新聞ネタにまでなるのかよ。ミセス・ハリスはドレスを川に捨ててしまい、失意のどん底に…。と思っていたらディオールから大きな荷物が2つとどいて。ひとつは、ゴミ大臣が辞任だか汚職だかで(訪問中のパリの街はゴミだらけで、回収人たちのストが行われていたからのようだけど、これが原因でゴミ大臣と関係あるのか? よく分からない)、家も破産?で、奥さんがツバつけたドレス(ミセス・ハリスが一番気に入ってたやつ)が浮いてしまったので、ハリスの体型に合わせて縫製し直したのを送ってくれていた。もうひとつは薔薇の花束で、これは侯爵かららしいけど、彼はミセス・ハリスを傷つけたことが分かってるのかしらね。
というわけで、退役軍人会のパーティにそのドレスを着て参加したミセス・ハリス。の、ダンスのお相手は、アーチ、だったんだけど。彼も退役軍人か。友人の太っちょ黒人オバサンの相手は、あれは、バスの運転手? なんか、ミセス・ハリスの再婚(するかしないか分からんけど)相手は、侯爵ではなくアーチなのか? そもそもアーチとの関係も、よく分からんのだけど。戦死した亭主の戦友かなんかなのかな。
・モデルを辞めて外遊(?)しようとしたナターシャを探すのに「あそこよ」とハリスはアンドレを連れて駅へ向かうけど、そのぐらい誰でも分かるだろ。しかも、例のホームレスと話してると都合よくナターシャが通りかかるって…。まあ、話自体がカリカチュア化してるから、これでいいのかも知れないけど。
・フランス人がみな英語を話してくれる、不自然さ。
・主演のレスリー・マンヴィルは1956年生まれで撮影時66歳なのか。亭主が戦地から戻らないのを待ちつづけて、という設定なら、終戦時は54歳(レスリー・マンヴィルの実年齢)で、じゃあ亭主は何歳で戦争に行ったんだよ、と思ってしまう。まあ、映画的設定は66歳ではなく、50歳ぐらいなのかな。
崖上のスパイ2/13ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/チャン・イーモウ脚本/チャン・イーモウ
原題は“懸崖之上”。allcinemaのあらすじは「1934年、冬の満州国。ハルピンにやって来たチャン・シエンチェン、シャオラン、チュー・リャン、ワン・ユーの男女4人。その正体は、日本軍の秘密施設から脱走した同胞を国外に逃す“ウートラ計画”を実行するため、ソ連で特殊訓練を受けた共産党の工作員。しかし、その動きは仲間の裏切りによって天敵である特務警察に筒抜けとなってしまう。やがて特務の執拗な追跡の前に、リーダーのチャン・シエンチェンが捕まってしまい、窮地に陥るスパイ・チームだったが…。」
Twitterへは「女2人はすぐ区別つくんだけど、男2人と特務のもろもろ、警察? の連中が、どれが誰やら。最初にちゃんと人を描かないから、こうなる。しかも制服と私服で、さらに顔が混乱。話も、いまいちピリッとしない。」「六平直政、大泉洋、小林稔侍、笹野高史、ワッキー…なんかの若い頃に似てる役者がいて、なんとか脳内変換したりして。でも、男優はみな同傾向なあっさり顔なんだよ。そこに字幕で周とか金とか中国名がでると、誰のことだ? な感じ。そういえば終映後、2人、拍手してたな。仕込みか?」
最初に、日本軍の施設から逃亡したなんとかかんとかを救出する作戦がどーの、という説明が字幕であったあと、4人がパラシュート降下。でもフード付き防寒服だから顔が見えない。女2人男2人、がかろうじて分かる程度。で、2つの班に分かれよう、なんて話していて、その振り分けに「私は誰それとは別なの?」とか女が話していたりする。重大な任務なのに、そういうことを事前に決めてないのかよ。
二手に分かれたのは分かったけど、誰と誰、なんてことはさっぱり分からない。とくに男の区別がほとんどつかない。若い娘のいる片方の班には地元の連絡員らしき男2人が接触してきて。その指示で武器を隠してともに進むうち争いごとが発生。でもスパイ男が危険に陥ってもスパイ娘は見てるだけで、なんなの? 訓練を受けてきたスパイには見えねえな。でもまあ、なんとか怪しい男2人を葬って、武器を掘り出して進む。のだけれど、せっかくもってきた大量の武器を、身分がバレないように、というだけで簡単に放棄してしまうスパイ2人というのが「?」だよな。だったら始めから限定した武器をもってくればよかったじゃん。ところで、4人争ってるとき、近くを行軍していたのがいたけど、彼らには感ずかれなかったということなのか? なんか、テキトー過ぎな描写だな。
もういっぽうの班も連絡員みたいなのと接触して、山小屋みたいなところにいたような記憶がうっすら。先の班(1班らしい)がニセ連絡員に襲われたのに、2班は襲われないのか? 対応の違いは、どこにあるのだ?
一方、特務警察署で4人が銃殺されようとしている。あれ、撃ってたのは笹野高史風な金という警官だっけか。一緒にいたのが、いまにして思えば、警察に潜入していた周なのか? かっちり映さんから、あやふやにしかつたわらんのだよ。で、最後の1人がギブアップで「なんでも話します」状態になって、命だけは助けてもらえる。で、スパイが潜入しつつあると言うことをゲロるんだったか、その後の行動だったか。うろ覚え。
走る列車内。乗客の替えが切り替わりながら何度も映るけど、つくりてとしてはサスペンスを意図してるのかもしれんが、顔が分からんので、何が何やらさっぱり。分散して着席してるといってたけど、余計に分からん。そのうち、スパイ娘に警察らしいのが声をかけ、別室につれこんで質問し始める。でも、なぜ声をかけられたのか、の理由が示されないので、はあ? な感じ。のところに相棒のスパイ男が入ってきて格闘し、なんとかやっつけ列車内に放り出すんだけど、あんなの他の乗客に見えるだろ。
車内では、大泉洋似のスパイ男がトイレに連絡暗号を書きのこす。それを、2班のおばさんスパイが見に行こうとしたら酔っぱらいが割って入る。あとから酔っぱらいは特務警察だと明かされるけど、なんでこのタイミングでトイレに入れたのか? テキトーに入ったのか? トイレに注目していたなら、それ以前に入った客の顔ぐらい覚えてて不思議ではないだろうに。で、酔っぱらい警察官は、連絡員が警察に通じている、と2班に連絡しようとしてたようだけど、書き直してしまう。で、それを見て、おばさんスパイは安心、てな感じ?
どっかの駅に到着し、でも、警察が検問所を設けていて。大泉洋似のスパイ男だけは、他の乗客と乗車券をすり替えて通過する。のだけれど、なぜそんなことをする必要があったんだ? 3人はフツーに通過できてるのに。よくわからん。
2班の、ワッキー似のスパイ男とおばさんスパイは連絡員に連れられ、どっかの洋館に。1班のスパイ娘と大泉洋似のスパイは、別行動? 映画館の前でうろちょろしてる。1班のスパイはどこに宿泊してたんだっけか。
救出作戦といいながら、そういう活動は一切なくて。ハルピン市内でうろうろしてる程度。洋館内の方は、地味に潜伏している。以降、よく分からん行動やサインがたくさんでてくる。図書を使った暗号。スパイ娘が最初に数字で書いて、そのあと漢字になってたのはなんで? 街の柱に貼り付けていたのは、1班と2班との連絡? どの柱にするのか、いつ、どうやって決めたんだろう? 1班と2班の連絡なら(違ったっけ?)、1班から2班へ、連絡員は特務警察と通じていることを知らせられたのでは? 映画館で会うのは1回目、とか言ってたのに、監視していた周は、最終回にペンでチェックを入れる。それを、一緒に監視してた金は見たはずなのに、知らんふりする。駆け引きなんだろうけど、どういう魂胆? えーと、このときすでに、周は共産党が特務警察に送り込んだスパイ、と観客に分かってたんだっけ? 洋館での睡眠薬は、どういうことだ? 寝たふり? どっちがどっちか、なんのことやら、完全に置いていかれてる。どっかの屋敷でのパーティに潜入したり、警察署長が、部下に撃針を抜いておけ、と言った意味はなんなの? あとで、そのおかげで周は助かるんだけど、どういう意味? 
の間に大泉洋似のスパイは市内で銃撃戦の末警察に捕まり、拷問。いったん周の手引きで脱出するけど再度捕まってしまう。とかなんとか、話がごった煮的でなにがなにやら。のうちに、大泉洋似のスパイとワッキー似のスパイは死んで。金は、いつのまにか潜入スパイと勘違いされ、拷問の末に銃殺刑にされちゃうし。スローペースのカーアクションなんかもあったり。ちゃんと筋立てや仕掛けが分かる人はサスペンスを感じ、はらはらしたり、おお成る程と合点しつつ見てるのかしら。
で、何だかよくわからんうちに終盤になって、雪に覆われた道路脇に、おばさんスパイが立っていて、そこにクルマがやってくる。中から周とスパイ娘がでてくるんだっけか。後部座席には、スパイ4人がめざしていたはずの、脱獄したけど行方不明なので救出することになっていた同士? が気まずそうに座っている。えええっ? 行方不明のこの男を、誰がどうやって探しだし、救出したのだ? 周とスパイ娘? さらに、おばさんスパイと大泉洋似のスパイの子供2人(置き去りにしてソ連に行ったんだっけか?)もでてきて、私的な問題も解決。なんとなくめでたしめでたし、な感じなんだけど。4人は脱出作戦でなにか貢献したのか? 
前半は、2班に分かれた4人のスパイのドタバタと、特務警察。後半は、特務警察に潜入していた周の大活躍。な感じで、全然スリリングじゃなかったよなあ。
そもそも特務警察は、4人のスパイがやってくる、とい情報をいつ把握したのだ? 冒頭近くで銃殺を免れた男の情報は、スパイの足取り、だったよな。違ったっけ? そういえば、周がエンドクレジットが出てから絞め殺したのは、免れた男? よく分からなかったけど。
なんか、ソ連で訓練を受けた優秀なスパイ、にしては、することがマヌケ、が多すぎないか? もっと冷徹かと思ったら、大泉洋似のスパイは私情を挟んで捨てた息子を探しまくったりしてるし。いろいろ変なところが多すぎる。
あと、気になったのは、満州国の存在があまりつたわってこないことかな。警察もみな中国人で、その上にいるはずの日本人はまったく登場しないし、日本語も日本人も見当たらない。冒頭で、もっと満州国の成立の経緯、当時の満州人の雰囲気とか、説明した方がよかったと思うぞ。それと、4人のスパイの顔も、ちゃんと見せて分からせる必要があったと思う。
・帰りのエレベーターで一緒になった年輩の夫婦の旦那の方が「チャン・イーモウにしちゃ、あれだったな。映画村で撮ってるんだろう」に、奥方が「電車は出てこなかったわね」「当時、市電はあったのかな、なかったんじゃないのか?」なんて話していた。おお、よく知ってるなあ。
エゴイスト2/15シネ・リーブル池袋シアター2監督/松永大司脚本/松永大司、狗飼恭子
allcinemaのあらすじは「田舎町でゲイであることを隠して思春期を過ごしてきた浩輔。大人になり、東京で自由気ままな日々を送る彼は、女手一つで育ててくれた母を支えながらパーソナルトレーナーとして働く青年・龍太と出会う。やがて2人は惹かれ合うようになり、時には龍太の母も交えながら、親密な時間を過ごしていくのだったが…。」
Twitterへは「ゲイカップルと周辺の話。いい話すぎてあざといんだけど、まんまとハマって涙腺少し緩む。場内ほぼ女性客で満席なのは、主演の2人のアレ目当て? 『Wの悲劇』は俺も好きだよ。映画的ギミック満載だし。」「仲間といるときはにこやかなんだけど、1人になったときの鈴木亮平の目がちと怖い。腹に何かありそうに見えて。とはいえ、全編にわたって自然な会話がきもちいい。ただしゲイ仲間と飯のシーンはカメラゆらゆらで酔いそう。」
話は単純で、ゲイの編集者・浩輔がフリーのスポートツレーナー・龍太と知り合い、アドバイスを受けているうちに惹かれ合い、結ばれ、別れがあって再び結ばれる。ある日、龍太が突然死し、残された龍太の母親の面倒を浩輔がみるようになる。というだけの話である。しかし、全体を通していえるのは、浩輔の、龍太やその母親を含め、愛している対象すべてとひとつになりたい、という思いである。それは、言葉を換えれば、自分がゲイであることを理解する、もうひとつの擬似家族を構築したい、という思いなのかも知れない。
千葉、房総の田舎町で中学時代ゲイであることをからかわれ(だっけか?)、18になってさっさと東京にでた浩輔。14で母と死別して以来、母親像が欠落したまま。で、ファッション誌の編集者になった、というからには大学は出ていて、優秀なんだろう。とはいえ、映画に出てくる編集者はみな金持ちに描かれるけど、あんな高級マンションに住めるほどの高給は取ってないと思うけどな。映画的嘘。
鈴木亮平の実年齢が39歳だから、浩輔はこれまで男関係は豊富と見ていいだろうし、恋もしてきたはず。だけど、龍太との出会いはまるで初恋のようなはしゃぎぶり。龍太のどこがいいのか、よく分からんけど。
浩輔には何でも話せるゲイ仲間(でも、肉体関係はない話し相手、なのかな)がいて、そこで龍太とのことをあっけらかん進捗具合を話しているのがかわいらしい。
浩輔が、歩道橋でいきなりキス。そのまま浩輔のマンションで抱き合う。へー、と思ったのは、正常位で浩輔が受けだったこと。それと、行為が終わるとわりとフツーの友達みたいに話していること。そして、ひとりになった浩輔が、ウキウキしているはずなんだけど、目つきとか態度が底知れない感じなこと。あれは、鈴木亮平の地なのか、演技なのか。なに考えてるんだろう? なにか腹黒いことかな、と思わせる目になるんだよな。
いい感じで進行していくなか、突然、龍太が「別れたい」といいだし、聞けば、家計のために売りをやっているので、いまの浩輔との関係に、なんて言ってたか具体的には忘れたけど、申し訳なさのようなものを感じる、というようなことだったかな(このことを言ったのは、後にホテルに呼び出されてだったかな?)。そして、連絡を絶つ。で、浩輔が龍太を探すのが、売りのサイトで。顔の映ってない胸腹部の写真が並ぶところなのが、なーるほど、だったんだけど。見つけるんだよね。そして、何も知らない龍太をホテルに呼び出して、問い詰める。答は、売りをやらないと収入が…。で、浩輔は月10万応援するから、で、関係復活なんだけど、それって、浩輔が龍太を月10万でオンリーさんとして囲う、ことでもあるよなあ…。
あと、龍太の家の収入だけど、昼は廃品回収のようなところで働き、夜は調理場の皿洗いをするようになった。2つ併せて月に30万はあるだろ。それに浩輔からの10万。母親の年金が、国民年金だけとして6万。合算すると46万。年収550万にはなる。母親とは10万もしないようなアパートだから、母親の病気があるとしても、浩輔からもらわなくっても、暮らして行くには十分じゃないのかなと思えてしまうんだよなあ。
で、龍太に招待されてアパートに行くと、老いた、といっても阿川佐和子だから70歳にはなってない年齢の母親がいて、家族ぐるみでつきあい始める。まあ、浩輔が龍太の母親に好意を持ったのは、実母を14歳で失ったせいもあるんだろう。もしかしたら、実母は浩輔がゲイであることを知っていて、理解してくれていたのかも知れない。いまだに、帰省すると、いい人はいないのか、と聞いてくる父親とちがって、感づいていた可能性は充分ある。だから命日には必ず帰省するんじゃなかろうか。
龍太の母親が腰の手術を終え、病院への送り迎えに軽自動車を買ってやるよ、なんて言ってた最中、母親から龍太が突然死したことをつたえられる。葬儀場で、膝を崩して泣き崩れ、立ち上がれない浩輔。気遣う龍太の母親。他の客が帰ったあと、そっと寄ってきて、話しかける母親。母親は龍太に、「浩輔さんはあなたのいい人なんじゃないの? いいじゃないの、男でも女でも、大切にしてね」的なことを話したら、龍太は「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も話していた、と話す。この件で涙腺がゆるゆるになってしまったよ。
このあと、浩輔は龍太の母親を積極的に訪ね、龍太に与えていた10万円の支援をつづけることになる。浩輔が申し出たときも、いいえ、どうぞ、困ります、ぜひ、ごめんなさい、の繰り返しで、でも、最後に受け取る母親。そりゃそうだろう。年金だけになっちゃうんだから。で、10万円は1回だけ? と思っていたらそんなことはなく、もってくるたびに和気あいあいと話し込む。こりゃ、一緒に住もうということになるんじゃないのか、と思っていたらやっぱりで、浩輔は「一緒に住みませんか?」と申し出る。さすがに断りはしなかったけれど、もう、浩輔の目には、龍太の母親は実母と同じに見えているのだと思う。まあ、一緒に住んだら、これから好きになるかもしれない他の男を連れ込みにくいかもしれないけど、でも、この母親なら許してくれそうな気もする。
しばらくして訪問すると、不在の母親。死んだ? とも思わせつつ、近所の部屋の住人が、入院と教えてくれて。見舞に行くと腎臓だかのガンのステージ4で、腰の痛みもそのせい、ということは以前の入院・手術もガン対応だったのか。いまどき病名知らせないのはめずらしい? で、見舞の日々がつづき。ある日、いくと、酸素マスクをしている母親。そろそろ帰ろうとしている亮介に、母親が「まだ帰らないで…」とつぶやく。このとき、浩輔は、かつて龍太に与えたイタリア製のジャケットを羽織っている。おお。またまた涙腺が…。で、暗転、終了。
この感想文の最初の方に「全体を通していえるのは、浩輔の、龍太やその母親を含め、愛している対象すべてとひとつになりたい、という思い」と書いたけれど、浩輔は、愛した龍太と一体になりたいとおもっている。龍太に与えたジャケットを、ふたたび羽織っているのはその証拠。そして、母親までも金銭的、精神的に支えようとしているのも、その証拠。まさに、純愛以上の奉仕の心が見えてくる。現実にはあり得ないような話だけど、まさに、腐女子が好きなBLそのものだよなあ。
・中学時代、田舎で「オカマの香典返しなんかいらねえ」とか言われるということは、同級生には知られていたのか。あの香典返しは、同級生たちが浩輔の母の葬式に参列してもらった、ということか? でもフツー、子供は香典をもっていかんだろ。
・キス、キス、キス。浩輔と龍太の行為は生々しいけど、きれいに撮っている。龍太が売りをしているところも生々しいけど、ちょっと気味悪い感じに撮っている。個人的には、男同士の性交場面は好きじゃないけどね。もしかして珍棒がウンコまみれ? とか思っちゃうから。ははは。
・ゲイ仲間で味わうショートケーキ、はとくに意味ないと思うんだけど、あるのかな? 浩輔が好きな映画解いて引用される『Wの悲劇』の、どこがどう話と関係してくるんだろう。もう、話は忘れてしまったけれど。ほかに、龍太が母親に買って帰りたいという持ち帰りの寿司は、どういう寿司なんだろう。とか、エピソードも興味ぶかい。
・あと、小銭を落とす、というところ。最初は、出会って間もない頃、2人でトレーニングのことを話し、会計のとき龍太が払うことにして。でも、小銭を床に落とし、拾って、立ち上がろうとして会計のカウンターの台に頭をぶつけたとき。2度目は、龍太の死後、浩輔が自販機で水を買い、小銭をバラまいてしまい、泣き崩れて膝を落とす場面。この場面が、自販機側から映されていて、浩輔しか見えず、水が落ちる音でああ自販機か、と分かる撮り方をしているのが珍しく、興味深かった。とはいえ、小銭をバラまく、で何をつたえようとしたのかは分からんけど。
・ゲイ仲間で飲み食いするところとか、とくに食いものがあるようなシーンで、テーブルの上や囲んでいる人を、ゆれゆれカメラで映す。あれは意味あるのか?龍太の死の後だったか、カメラが回転して斜めになるんだけど(現代ではあれはやり過ぎな感じ)、古くさい映像表現とは違って、ゆれゆれカメラに深い意味はなさそうなんだけど。別に浩輔の心が揺らいでるような気配はないしなあ。
銀平町シネマブルース2/16新宿武蔵野館1監督/城定秀夫脚本/いまおかしんじ
allcinemaのあらすじは「一文無しとなり、ふらりとかつて青春時代を過ごした銀平町に舞い戻った元映画監督の近藤が、ひょんなことから映画館でバイトを始め、劇場のスタッフや個性豊かな常連客たちとの交流を通して自分を見つめ直していく姿を描く。」
Twitterへは「つぶれかけのミニシアターをめぐる群像劇だけどなんか物足りない。芸達者な曲者は出演してるけど、銀平町という町もほとんど描かれないし、感情移入できるヒロインもいない。『浜の朝日の嘘つきどもと』よりましかもだけど。」
川越スカラ座がロケ地なんだそうだ。でも、その路地は映るけど、商店街は映らない。もちろん、店主たちも、少しいたような気がするけど、ほとんど登場しない。だから、銀平町といわれても、なーんのイメージも湧かない。常連の売れない役者、映画評論家、トランペット吹き、中学少年はいても、地元に根づいた人物や生活がないんじゃ、銀平町を冠しても意味ないだろ。その他、登場人物は多いけど、なんか地味に沈み込んでて、有機的に機能してない感じなのが残念かな。
要は、ドラマがないんだよね。あるのは、主人公的な存在である映画監督近藤の再生物語、ぐらい。といっても、近藤が監督業が手が付かず、3年間放浪していた理由は、仲のよかった助監督が自殺したこと、らしいんだけど、なんでそんなことで? と思ってしまう。
落ちぶれた映画館とその再生というと『浜の朝日の嘘つきどもと』があったけど、この手の、地元の人々の映画愛、とかいうのって、ムダに押しつけがましくてうざいんだよね。どれもイベントでもやって地元の人を集めて成功させてのワンパターン。でもその日だけ賑わっても翌日からは客も来ず、相変わらずの凋落傾向が続くになるだろうことがミエミエだろう。映画愛とか、支える人がいるとか、きれいごといってないで、現実的になって、映画館なんて潰しちまえ、と思う。そのほうがインパクトあると思うけどな。とはいえ、類型的なエピソードを集積し、ちいさくまとまってる感じがしてしまう。
たとえば宿無しを泊めてくれ、その上雇ってくれる映画館主。入場券を買わずに館内ロビーで浮浪者がうろうろできる映画館。常連が映画館主と仲良すぎなところ。自主映画がもちこまれたり、それを上映しちゃったり、別れた夫を心配して会いに来る元妻と娘…。現実的にはあり得ないけど、こういう映画的嘘は、まあいい。映画は嘘で成り立っているのだし。
映画好きが集うはいいとして、こういうシーンで必ず登場する映画が『カサブランカ』ってのは、手垢が付きすぎ。全編に“As Time Goes By”が流れっぱなしってのはどうなんだ? 題名はブルースだろ。イベントでトランペット吹きが奏でたのが、かろうじてブルースっぽかったけど。なに? ブールースは映画の雰囲気を表す言葉としてと使っただけで、音楽とは無関係? とか言い訳するのかな。おい。
群像劇、になりきれてないところが残念かな。結局のところ元監督・近藤をとりまく人々と、スカラ座館主・梶原をとりまく人々、そして、ホームレス佐藤に大分けされて、それ以外のドラマは案外と薄い。近藤でいうと、元妻と娘、友人、自殺した助監督、助監督の母親、最近知り合ったホームレスの佐藤ぐらい。離婚した理由もとくに取り上げられず、元妻は新しい男と楽しくやってるらしい。梶原の周囲には、バイト娘2人、常連客4人、そして近藤、ほかにマージャン仲間がいる。バイト娘の1人は常連客の売れない役者に告白される、というイベントはあるけれど、それ以外はよくしゃべるお飾り的な感じで、いうならば背景だ。もったいない使い方だよな。常連客4人も、役者、評論家、ミュージシャン、中学生と、完全に記号でしかない。マージャン仲間は、ほとんどその場でだらだら話をするだけで、他ではほとんど絡まない。中年女性は、むかし梶原とつき合ってたのか? ぐらいしかほのめかさない。とはいえ、元弁護士という設定は1度だけ活かされてるけど、もうちょっと話をふくらませてくれよ、な気がする。
ホームレス佐藤は、近藤にからみつつ、スカラ座にもやってくる。その意味でトリックスター的な存在だけど、背景がほとんど語られていない。最後に、段ボールハウスが映るけど、あんな田舎町でホームレスやって、食っていけるはずがない。まして映画を見る余裕なんてあるはずがない。金はなくとも映画館的なシンボルとしてつっこんでるだけだろ。
ホームレスを集めて生活保護を申請させ、でも、支給された半額をピンハネするというブラック組織が登場するけど。近藤も最初、その説明会を聞きに行ってるんだよね。近藤ぐらいならそれが闇で、正規に申請すればいい、ぐらいのことは分かるだろう。佐藤が「ピンハネされてる」と説明した時点で、どうすべきぐらいアドバイスしろよ。まあ、元弁護士の館主・梶原が立ち上がりはするけれど…。でも、佐藤は結局、もとのホームレス生活を自ら求めて行く。これまたよくある展開で。しかも酒は止められず、最後は映画館内で死んでしまう。これも、映画を愛する観客の理想的な死に方だってか? 類型的すぎるだろ。
人物はたくさん登場するけど、単品として紹介されるだけなんだよね。たとえば登場人物同士の意外なつながり、かつてどこかですれ違っていたとか、そういう意外な関係をチラッと見せたり、人物が有機的に機能するようなドラマが埋め込めると、話にふくらみが出ると思うんだけどね。
なわけで、再生イベントが終わって人々が散っていったら、元の通り。近藤の元妻は新たな恋人のところに返っていくし、ホームレス佐藤は死に、たぶん館主・梶原は相変わらずの困窮生活なんだろう。なにも変わらない。これが、監督の言う映画愛、なんですかね。うら寂しいミニシアターは、映画へのロマンの象徴なのかしらね。
・バイト娘2人はとくにキャラも立っておらず、顔もしっかり映らない。他に登場する女性といったら梶原の元恋人役の藤田朋子、助監督の母親片岡礼子、ブラック組織のボスの浅田美代子と、みーんなおばさんばっかり。ヒロインが足りないんだよ! 城定秀夫なら濡れ場のひとつもあって然るべきだろ!
・映写技師役が渡辺裕之で、どうやら遺作らしい。フィルム上映もほとんどないので、技師が必要なのか? とも思うけどね。この役も、ほとんど映写室内だけで、ほんと記号的な存在だ。いちど、近藤を誘って館内でダンスを踊る場面はあるけれど、だからなに? 的な気もしてしまう。なにかの映画のオマージュか?
別れる決心2/20109シネマズ木場シアター5監督/パク・チャヌク脚本/パク・チャヌク、チョン・ソギョン
韓国映画。allcinemaのあらすじは「生真面目な刑事ヘジュンは、男が山で転落死した事件を捜査していて被害者の妻で中国人のソレと出会う。取り調べが進む中で、夫の死にも平然としているソレへの疑いを強めるが、同時にそんな彼女の毅然とした態度に思いがけず惹かれていく。一方ソレもまた、折り目正しいヘジュンに特別な感情を抱き始めるのだったが…。」
Twitterへは「演歌の流れるプラトニックラブな変態映画だった。とはいえ思わせぶりな韜晦に満ちていて、途中から何が何だかよく分からんよ。人物の名前とか会話から推測する関係性とか、ちゃんと記憶してないと置いてきぼり。その他の事件はほったらかしなのか?」
なんか茫洋として印象に残らない映画。見終えた途端どんどん記憶が薄れ、どんな話だったのか忘れてしまいそう。いや、見てる間もどんな話なのか分からないまま振りまわされた感じ。いや、アバウトには分かるんだよ。亭主殺しの疑いをかけられた妻ソレを張り込みしてた刑事が、“なぜか”ソレに惹かれて仕事そっちのけで入れ込んで。でも、立場上一線は超えずに“好意”をソレに向けながら、刑事として、そして、個人的に質問したり会話したりする。ソレは、刑事の好意に気づいて、彼を弄ぶように色目を使う。つかず離れずの妖しい関係。亭主殺しの疑いは晴れたけど、11ヵ月後だったか、別の赴任地でまたもやソレと遭遇。ソレは新しい亭主と一緒にいるのだけれど、今度はその亭主がプールで惨殺されて…。疑われるけれど証拠もなく…。というとき、刑事はソレの、前の亭主殺しの際のアリバイづくりのからくりに気づいてしまう。前の亭主は岩山のてっぺんから落下して死んだんだが、ソレにはアリバイがあった(どんなだっけ?)。刑事は当時ソレが介護していた婆さんと会い、彼女のスマホを見て驚愕。前の亭主が落下したその時間、高所にいたことが記録されていたのだ。婆さんが高所にいけるはずもなく、要は、ソレは同じスマホを婆さんに与え、殺害時には婆さんのとスマホを交換した。だから、自分のスマホには、高所に行ったことが記録されていない、ということのようだ。だけれど、刑事は話を蒸し返さない。ソレと対話はつづけるけど。
それからもなんだかんだあるんだけど、何があったのか、ほとんど覚えていない。2人の会話が観念的すぎて、記憶に残らないのだよね。ソレは、もともと中国からの難民なんだっけ? でも、抗日戦線で貢献した英雄の子孫、だとも言ってたよな。それが韓国に来て、元亭主と結婚した? には、どんな経緯と逸話があったっけ? 会話では「崩壊」とか、十分に理解していない韓国語での言葉のあやについて話してたような気がするんだけど、さっぱり覚えてない。後半になるとソレはスマホの翻訳ソフトに中国語で話し、スマホは男の声で韓国語で話す。なんなんだ、このコミュニケーションのもどかしさは。
というか、そもそも刑事はソレのどういう魅力に取り憑かれたのか? そして、ソレは刑事のことをどう思っているのか? ほとんど分からない。分からないまま刑事はソレにまとわりつき、ソレは刑事を弄ぶ。観念的な言葉がいくら積み上げられても、全然迫ってこんのだよな。で、あれこれあって。新亭主殺しの疑惑は晴れたんだったかも、よく覚えてない。
時々挟まる、刑事と妻の話も、だかになに? 的な話ばかりで。セックスは週一がいいとか、なんだかんだ、これもあまり覚えていない。
で最後になぜかソレは海岸に行き、波打ち際に穴を掘り、中へ。やがて満潮になり、穴は埋まる。スマホの位置情報システムでソレを追ってきた刑事は、波涛に洗われる浜辺でソレの名前を呼び続ける…。なラストだった。なんでソレは自死する必要があったの? わけ分からん。
いろんなところにカギになりそうな要素が満載なんだけど、言葉だったり、観念的だったり、意味不明だったり。関係あるのかどうかもよく分からない。故意に曖昧にして、謎に見せかけているような気配もあるので、謎解きをしようとは思えないんだよね。思わせぶりなだけで。
・刑事が被疑者を監視しているうちに惹かれていき…、は『アンダーザシルバーレイク』を思わせるけど、元ネタはヒチコックの『裏窓』なわけで。ヒチコックといえば『めまい』は高所からの落下があるし、新亭主を何度も刺したのは『サイコ』に少し似てるような気も…シャワーじゃないけどね。
・新しい亭主は、葬儀を邪魔した男? 元亭主と時計が同じ? なんか、元亭主と新亭主との因果関係も示唆されていような…。復讐? そもそも話の詳細が頭に入ってないので、なにがなんだか理解できずにボーッと見てたので…。
・題名は『別れる決心』だけど、刑事とソレはそもそもつき合ってるわけではないので、別れられないよな。別れるというのは、刑事の妻が後半で出て行ってしまうことしか思いつかない。刑事の妻が出ていったのは、夫の、ソレに対する恋心に感づいたから? それとも、刑事とソレは心がつながっていて、でも、ソレの方から別れる決心をした、とでも?

・刑事が事故の通報で駆け付けるとスッポンが道路に散乱していて、それを集めるうち指をくわえられて…。あれは大丈夫なの? 平気でもどってきたけど。で、そのとき、礼だ、といわれてもらってきたスッポンを、刑事の亭主は出ていくときにビニール袋に入れたままもっていくんだけど、そんな価値があるのか? というか、スッポンにも意味があるのか?
・そうそう。後輩刑事が酔って彼女の部屋にいるのはなんでなの?
・新しい赴任地が霧の街なのは意味があるのか? あの霧は、刑事の妻の勤務先である原発と関係あるのか?
すべてうまくいきますように2/27ヒューマントラストシネマ有楽町2監督/フランソワ・オゾン脚本/フランソワ・オゾン
原題は“Tout s'est bien passe”。allcinemaのあらすじは「人生を謳歌してきた85歳のアンドレが脳卒中で倒れ、命は取り留めたものの、身体の自由がきかなくなってしまう。その現実を受け入れられず、彼は安楽死を決断する。娘のエマニュエルは父から協力を求められ困惑する。しかし頑固な父の性格を知る彼女は妹にも相談し、躊躇いながらもスイスの尊厳死協会に連絡を取ることに。そんな中、リハビリが功を奏し日に日に回復していくアンドレだったが…。」
Twitterへは「らかっててドタバタ喜劇の様相。しかも背景がアバウトで説明が足りず、よく分からないところがたくさん。ソフィー・マルソーは可愛いおばさまになってたけど。」
脳梗塞で入院した84歳の老父が安楽死を希望し、でもフランスでは許されていないらしいのでスイスの施設に相談し、話はまとまる。ところが老父は、死ぬ前に誰と会いたいなど未練が噴出し、内密に話を進めるはずがバレバレになって。同性愛相手らしいおっさんも交えてのドタバタ騒ぎ。警察からも呼び出されるけど、結局は振り切るかたちで安楽死を決行し、映画は終わる。本筋は単純。決行までのあれやこれやが面白みになるべきなんだけど、これがどれも中途半端な描き方なので、どーもしっくりこないんだよね。
まず、本筋だけど。資産家の老父が死ぬに当たって、残された姉妹2人がとくに反対しないのが、へー、そうなんだ、な感じだった。姉のほうは父親の願いに沿ってさっさと委託業者、のようなおばさんと接触し、段取りを決めていく。妹の方も、これまた大きく反対することなく従っていく。フランスに於ける安楽死は、こういうものなのなのかね、と。
彼らの家族関係が、なんかよく分からない老母はいるようだけど、老父との関係はよくなくて、別居してるのかな。離婚してるのか? 老父にまとわりつくデブ男がいて、姉妹は毛嫌いしている。1年ぐらい前にデブ男が老父の膝を蹴って、それで老父が歩けなくなった過去があるとか、そのせいか? 老父の入院を知って病院をウロウロし、あげく病室に入ろうとして、警備に排除されたりする。素性が分かるのはだいぶたってからで、でも、はっきり分かるわけではなく、想像させるだけ。どうも老父の同性愛相手らしい。なんだけど、いつ頃からなのか、それが分からない。老母との関係が悪くなったのは、老父の同性愛のせい? 老母との結婚前からなのか? 結婚後のことなのか、そこらへんは説明されない。もやもや。老父は「会いたくない」といいつづけるけれど、結局は会ってしまう。よくわからん関係だ。
姉妹の背景がよく分からんのも、困りもの。なんとなく姉は物書き? 妹は音楽関係? 姉の亭主は、なんだっけ。なんかゲージツ関係らしくて、知的階級なんだろうけど、庶民とは違いまっせ、な感じられるのも、なんだかな、な感じ。
金があるからなんだろうけど、姉妹は弁護士にも相談していて。相続のことや安楽死のことも淡々と相談している。自分が死ぬということをペラペラしゃべりまくる老父。気持ちは分からないではないけど、なんか軽すぎるよなあ、この描写。老父は、孫の音楽発表会のをみてからにしたい、といいだして繰り延べしたり。姉妹も、自分たちの予定表を見ながら、そのあたりなら大丈夫、なんていって決行日を決めていく。従姉妹の婆さん2人がアメリカから会いに来て、しきりに「やめろ」と言ったりするのは、フランスとアメリカでの安楽死への見方が違うから、なのか? よく分からん。にしても、老父の、自分が死ぬ、ということへの恐れとか微塵も感じられないのだよね。姉妹も、哀しい別れ、とはさほど思ってもいないみたいで。淡々とし過ぎる感じ。
で、突然、警察から呼び出しがあって。誰かが安楽死のことを通報したらしい。姉妹は警察に行き、嘘偽りなく経緯を話す。警官は、禁固5年(だっけ?)とか罰金がいくらとか言っていて。じゃあ実行はムリなのか? と思っていたら、予定通り専用の救急車で山越えし、スイスに入って安楽死を実行。その知らせを電話で聞いて、ほっとするような姉の横顔、で映画は終わるんだけど。なんだかよく分からんところがたくさんある。
・通報したのは、ゲイのデブ男? らしい感じで話は進むのだけれど。妹が何かで警察に通報したとき電話に出た警官が、2人が安楽死で呼び出されたとき対応した相手と同じだから、というような理由で、通報したのはデブ男、と妹が確信したような描写があるんだけど。なんで確信に至るんだ?
・警察では懲役5年とか言われて、そのとき弁護士に電話し、警官も弁護士と話していたんだが。その後は予定通りのスイス行き。罰則はどうなったんだ?
・スイスには専用の救急車で向かった。スイスの施設が用意したクルマなのか? でも、山越えの途中で運転手らスタッフ2人と老父がどこかのカフェで休憩中、スタッフの1人が、俺はムスリムで教義に反するからこれ以上運転できない、と言いだす。もう1人もうかない顔。でも、ちゃんと予定通りスイスに到着している。じゃあ、ムスリムじゃない方が運転していった? ムスリムの方は反対しなかったのか? っていうか、なぜ老父が安楽死のためにスイスに向かっている、とスタッフは知ったのだ? 老父がまた軽口で、死にに行くんだ、と漏らしたのか? そもそも、あの救急車はどこが手配したものなのだ? 公的な救急車ではないのか? なんか、もやもや。
・姉がどこかの家に行って、何かの書類を探していると、抽出に拳銃を見つける。そこに老母が現れる。ああ、老母の家か。と思っていたんだけど、その後、なにかのシーンで姉が「パパのデスクの上に拳銃が…」とかいうセリフが、たしかあった。え? あれは老父の家なのか? なぜ老母がいたんだ? もやもやする。
…とまあ、いろいろスッキリしない映画だった。あれこれ文句を言いつつ、死ぬことには躊躇しない老父。この世に未練はなかったのか? もやもや。ところで、脳梗塞になった老父の歪んだ唇がリアルだったけど、演技でできるものなのか? 加工しているのかな。

 
 

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