探偵マリコの生涯で一番悲惨な日 | 7/7 | テアトル新宿 | 監督/内田英治、片山慎三 | 脚本/山田能龍、内田英治、片山慎三 |
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allcinemaのあらすじは「ワケありな常連客が集う新宿ゴールデン街の小さなバー“カールモール”を切り盛りする27歳のマリコには、探偵というもう一つの顔があった。ある日そんなマリコのもとに、FBIを名乗る3人組から、アメリカへ移送中の地球外生命体を連れ去った天本という科学者の男を捜してほしいという依頼が舞い込むのだったが…。」 Twitterへは「どうやったらここまでつまらん映画ができるのか。くだらんエピソードをだらだらと。話はまったく回収せず。1日の話かと思ったら全然違う。マリコはほとんど探偵しない。一本芯の通ったフツーのバカコメにすらなってない。ゴミ。」 期待外れもいいとこだ。話が切れ切れのバラバラで、一本筋が通っているようで、ぐずぐず。マリコの活躍は、ラーメン屋に聞き込みに行くぐらいで、なんでFBIがわざわざ依頼を? の疑問には応えてくれない。“悲惨な日”とあるから、その1日のことかと思えば、何日に亘るはなしなんだこれ? なダラダラ話。 登場人物をフィーチャーしたいくつかのエピソードで構成されてるけど、それぞれの人物が交差して関係し合うようなことはほとんどない。つまり、複数の話が寄り集まって一本になり、最後に「なるほど」となるようにはなっていないのだよ。なので、つまらないことおびただしい。 伊藤沙莉の彼氏の竹野内豊の忍者話にしても、ただそれだけ。北村有起哉が娘をさがしてると、ハーフミラーカーの中で当の娘がAV撮ってたとかいう話は面白いけど、それ以上にならない。変なのは、北村が単身乗り込んで反撃食らって蜂の巣状態なはずなのに、その後、だれも弔いの話をしない。それって変だろ。 ホストに入れあげた女の話も、シリアルキラーの話も、姉妹の殺し屋の話も、伊藤理紗の父親殺しの話も、その他のエピソードも、みーんな使い捨てのように消えていく。あえて、そういうつくり、にしているならそれは間違いだし、話をつまらなくしているだけだ。あるいは、映画的なセオリーを知らんのか。 ラストまで関係してくる宇宙人のエピソードも、なぜあの科学者が宇宙人を連れ出して歌舞伎町をウロウロしてるのか、結局、理由は分からずじまい。『未知との遭遇』風な円盤が歌舞伎町に現れ、科学者も連れて行っても、話はそれだけ。オチも何もない。なんだよー。 やっぱり、探偵マリコが、実は有能な探偵で、お客の姉妹殺し屋やヤクザの北村有起哉、恋人の竹野内豊、ホストやその仲間たちと密接な連携をもち、意外なヒントから宇宙人誘拐犯をみつけだし…な話にでもしないと、映画としてのカタチにならんだろう。さらに、逃げた宇宙人には壮大な計画があって、宇宙人を助け返したことで地球が救われた、とかいう話にでもしてくれなきゃ、なあ。 ・セリフがもの凄く聞き取りづらいのは困った。 ・ホストは、無心でもいいと思ったの? はともかく、エタノールで焼身自殺できるのか? ・それにしてもFBIがマヌケすぎ。ところで、日本の警察官は、FBIの身分証明を見て、最敬礼できるよう訓練されているのか? | ||||
カード・カウンター | 7/11 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3 | 監督/ポール・シュレイダー | 脚本/ポール・シュレイダー |
原題は“The Card Counter”。公式HPのあらすじは「ウィリアム・テル(オスカー・アイザック)は、風変わりなギャンブラーだ。米国軍刑務所で10年間服役し、独学で「カード・カウンティング」と呼ばれるカードゲームの勝率を上げる裏技を学んだ彼は、「小さく賭けて小さく勝つ」がモットーで目立たず、匿名でいることを好む。ある日、ウィリアムはギャンブル・ブローカーのラ・リンダ(ティファニー・ハディッシュ)と出会い、大金が稼げるというポーカーの世界大会への参加を持ちかけられる。さらにその直後、二人の男と遭遇する。一人は、かつて上等兵だった自分に“消えない罪”を背負わせた男ジョン・ゴード(ウィレム・デフォー)、もう一人はウィリアムにゴードへの復讐を持ちかける若者カーク(タイ・シェリダン)だった。ラ・リンダとカークとの運命的な出会いによって、謎につつまれたウィリアムの人生が徐々に明らかとなり、人生を賭けた復讐と贖罪のゲームの終章が幕を開ける。」 Twitterへは「監督はポール・シュレイダー。なれど拷問収容所の話がアバウトにしか描かれないので、いまいちつたわってこないのよね。なんとか寝なかったけど。ギャンブルの話と、どう関係するかも分からんし。すべてに茫洋とした感じ。」 見終えてから2週間近く経っていて、じつをいうえと記憶が薄れている。もともと茫洋とした話が、さらに漠然として、アバウトにしか思い出せない。 導入は↑のあらすじの感じで、カードのやり方なんかがビジュアルに描かれるんだけど、まったく分からないのでボーッと見てた。まあ、カードの手口が映画のカギになったりしてなかったので、よかったともいえるけど、ほとんど関係ないなら説明なんてしなくてもよかったのに、と思ったりした。 カークとはどんな出会いをしたんっだったか。もう覚えていない。“同じ戦場にいた”というのも、ちゃんと話し合ったんだっけ? なんか、ホテルのホールで講演会してる少佐がいて、いまはエラソーにあんな話してるけど、あいつのせいでオヤジが…。な感じだったかな。 わかりにくいのは、↑のあらすじにある“同じ戦場”の具体的なことなんだよね。最初は、米兵が拷問にあっても大丈夫なように訓練する施設、なのかな? と思っていたら、後の方になるとイラクかイランか中東の捕虜を拷問していたとかなんとか、な感じになって。なんか、よく分からんのだよ。ビルが少佐の部下になって働いていたのは分かるけど、その後の展開が、よく分からない。なんでも、写真に写っていた者だけが犯罪に問われ、少佐などは追及されずじまい。たまたまビルも写真に写っていて、それで10年刑務所にいたとか、そんな感じしか分からない。あれは、アラブの兵士を痛めつけ拷問し、記念写真かなんかを撮っていた、ということなのか。じゃあ、ビルも戦争ハイになって記念写真を撮ったと言うことなのか? はたまた、カークの父親はどういう立場で少佐と接し、なぜ死んだのか、がいまいち分からないのだった。 という話と、知り合った黒人女が集めてきた出資者からのお金を使ってカードコンテストに出場し、優勝はしないけどいつもいい位置で勝負を終えるギャンブラー、という様子が描かれる。コンテストには、サポーターからの「USA! USA!」のコールがうっとーしーギャンブラーとか、太った東洋人なんかもいるんだけど、彼らはとくに描かれることはない。 さて。カークにいわれ、でも、復讐はしない、と決めていたのに、あるときカークは一人で少佐のもとに出かけてしまった。で、少佐が襲われたけれど、襲った相手は死亡した、というようなテレビのニュースを見て、ビルは重い腰を上げる。で、少佐の家に行くんだけど、少佐はビルを覚えてもいない。けれど、そんなことは関係なく、ビルは少佐を、映像ではまったく見せていないけれど、痛めつけて殺害し、自分も血だらけになってしまう。どういうことが行われたのか分からないので、いまいちモヤモヤするのだよな。 で、この殺人で再び囚人となったビル。ここに、カード仲間で、気心の知れた、というか、肉体関係をもつようになった黒人で体格のいい女が面会に来る、という場面で終わっている。ガラス越しに手を合わせるのだけれど、ストップモーションかと思ったら、長いエンドロールの後の方でも指が少し動いていたりして。うーむ、な感じだった。 ・ビルは、宿泊するモーテルにある全ての家具を白い布で覆ってしまう。そういう性格なのか。変なの。 ・ビルがいってたんだっけ。「日本人みたいに音を立ててすすった」とかいうセリフがあったっけ。中国人や韓国人は、音を立てて麺をすすらないのか? | ||||
アシスタント | 7/13 | シネマカリテ シアター1 | 監督/キティ・グリーン | 脚本/キティ・グリーン |
原題は“The Assistant”。allcinemaのあらすじは「名門大学を卒業し、映画プロデューサーを夢見て有名エンターテインメント企業に就職したジェーン。しかし実態は、ハラスメントが常態化し、業界の大物でもある会長の理不尽な要求にも、誰もが見て見ぬふりをするばかり。受け入れがたい環境と認識しながらも、せっかく手にした大きなチャンスをみすみす手放したくないと日々葛藤していたジェーンだったが…。」 Twitterへは「映画会社の会長秘書が目にする、上司の理不尽なハラスメント。社員の誰もが見て見ぬふり。いまどきこんなのあるのか? と思ったら最後に、実体験を話してくれたすべての人に感謝、なんて謝辞がでてきた。おお。そうなのか。」 ノースウェスタン大学を卒業し、都会の映画会社に就職。会長秘書として数ヶ月(だったかな)。有能さを評価されているジェーン。その、早朝から深夜までのお話。 最初、夜かと思ったら、夜明け前の出勤だったのか。タクシーで? いま何時なんだ? と思ってしまう。で、会長付は他に男性が二人の三人体制。あれこれあるなかで、出張の手配や運転手とのやりとり、あれやこれやテキパキと、淡々とこなしていくジェーン。服装はタートルネックで地味すぎるぐらい。な、なかで、会長室に落ちているイアリングを拾ったり、他の男性が受けた(たぶん)会長の奥さんからの電話に嫌々対応したり。でもウソを言うのは嫌なので、あてまいにはぐらかしたりする。その直後、会長から電話で、私生活に立ち入るな、と叱責されて(なぜ妻から電話があったのか分かったのかな。会長は、ジェーンの対応を聞いていたのかな?)、会長宛に謝罪のメールを送ったりする。このとき、他の2人の男性が画面を覗き込んで文面にチェックを入れたりする。なんか、我が儘な会長対策がシステムとしてできあがってる感じ。 イアリングは、これまたなぜか、だけど。エレベーター前で出会った女性に返却するのは、持ち主を知っていて、再度訪問した来た時を狙って返したのかな。 あー、あと、家族連れが会長に会いに来ていたけど、あれは誰だったんだろ。奥さんと子どもかなと思ったんだけど、どーもそうではない様な気もするし。 な、もろもろがあって。どっか地方でケータリングの仕事をしていたけど、会長に声をかけられ秘書になれ、といわれたという娘が訪問してくる。会長に会った後、ジェーンは彼女を、あてがわれたというホテルまで送っていく。彼女は「あなたが面接したときもホテルに泊まったの?」なんてジェーンに聞くんだけど、まあ、手をつけようと思って呼んだんだろうとは察しが付く。けど、まだジェーンは確信を持ってない感じ。ののち、会長の行方が分からなくなったらしく、重役らが戸惑っている。と、男性秘書のどちらかからジェーンに、「あの娘をどこに送っていった?」と聞かれて、ホテル、と応えると、一同、なーるほど、な反応。 これで確信を持ったか、ジェーンは、別棟の総務の相談窓口みたいなところに行って、経緯を話す。相手は中年男性で、話を聞いても驚かない、どころか、そんなことを言いに来たのか? と戸惑ってる感じ。「それを正式に報告すれば、君の仕事はなくなるだろう。君がいなくなって空いた席を公募すれば、アイビーリーグの 400人は志願してくる。君はまだ、ここで仕事をしたいか?」と問われ、返せないジェーン。男性はメモ用紙をゴミ箱に投げ捨て「君は大丈夫だ。会長の好みじゃない」というのが、なんとも。 件の娘は、事を終えてか顔を見せ、「まずは電話番から」と言われたわ、と席に着く。ジェーンは、電話の基本機能なんかを教えるが、娘は素直に聞いている。夜も更けてきて、帰るタイミングを失った娘に、帰っていいわよ、とジェーンが言うと、そそくさと帰っていく娘。 深夜。帰りしな、エレベーターで一緒になった女性の先輩社員は、「大丈夫よ。彼女は上手く会長を利用できるわよ」的なことを言う。 なるほどねえ。会長のセクハラ、というかワンマン体質、女とみれば手をつけて、女の方もそれをきっかけに上昇しようとしている(のがいる)。そういう旧態依然な体質が、エンタメ業界には残ってますぜ、ということだ。昨今も、いろんなセクハラ事件が明るみに出て、仕事を失ったりしてる業界人や俳優がいるけど、まだまだ基本は変わらないのかね。という、静かなる告発の映画だった。 | ||||
リバー、流れないでよ | 7/13 | テアトル新宿 | 監督/山口淳太 | 脚本/上田誠 |
allcinemaのあらすじは「冬の京都、貴船。ある日、老舗料理旅“ふじや”で働く仲居のミコトは、自分がなぜか2分前と同じ場所にいることに気づく。他にも旅館の従業員や宿泊客たちが次々と異変を感じ始めていた。彼らはみな、2分経つと時間が巻き戻り、全員元いた場所に戻っていた。しかし、記憶だけは引き継がれていて、2分間だけが繰り返され、積み重なっていくのだった。混乱しながらも、力を合わせて原因究明に臨む旅館の人々だったが…。」 Twitterへは「2分間が繰り返されるタイムループ! 近ごろよくある設定だけど、テイストや流れが『サマータイムマシン・ブルース』(2005)に似てるなと思ったら企画や原案は同じようだ。ツッコミどころも、ちょい中だるみもあるけど、なかなか楽しかった。」 たった2分のタイムループで何ができるんだ? な疑問もあったけど、まあ、実際は5分ぐらいになってて。だったら5分ループという設定にしちゃってもよかったんじゃないのかな。 はともかく。最初の方の数回のループは、意外性もあってなかなか楽しい。とくに、女中と女中仲間、番頭、そして女将も交えて「どうなってるんだ?」「そうか、ループか」「お客様に説明を」となっていく件は、風呂に入ったところで頭に泡をつけたままの編集者とか、雑炊ばかりで飽きた2人組とか、各人の陥った状況の描写もふくめてなかなか面白い。 のだけれど、ループ回数が増えるにしたがってくどくなってくるし、それを補おうと主人公と板前の恋バナに重きが置かれたり、猟師がでてきたり、作家が投身自殺してみた、と騒いだり、むりくり度が激しくなってくる。 たとえば、向かいの建物の理系の料理人が原因を探る件で、わざわざ2階まで上がってきてくれ、ということにしているけど、あれ、まったく必然性がないだろ。向かいの建物の玄関口で十分足りる。それを2階まで上がらせる大変さをムリやり加えることで、見てる方にすると「バカじゃね?」となってしまうのだよね。 他にも不自然さが目が行く。主人公の女中や同僚、番頭なんかが状況をわりと的確に「タイムループだ」と理解し、あわてるお客に説明に行くけど、他の客だってそのぐらいのことは説明されなくったって察しが付くはず。何度も雑炊を食べてるのは何で? とか、なんでいつも風呂で裸なんだ? とか、わざわざ女中に説明されなくったって考えれば分かるはず、 とツッコミを入れたくなる。 むしろ思うのは、女中蓮と雑炊連、作家と編集者を同時並行で進行させていくような見せ方はできなかったのかなということ。雑炊連や作家・編集者が味わった最初のループの様子も見せて、そのときの驚きを見せる、とか。そして、その後に、画面を複数に分割して各人の戸惑いを見せるとか。やりようはあると思うんだけどね。 というわけで、中盤はちょっとたるかった。 とくに、女中と板前の、フランスに行く行かない、ここから逃げる逃げないで、右往左往するあたりはくどすぎると思う。そういうことより、向かいの館の板前が料理長を刺したとか、死んでもまたもとに戻るからと作家が投身自殺してみたりとか、そのときの板前や作家の状況の方に興味が湧くよね。 向かいの板前だったか、理系の、がループ現象について解説するくだりも、とくに驚くような事実が解明するわけではないので、時間の引き延ばしのような気がする。だって、最後に分かる原因はまったく別のものだったんだから。 なんとなーく感じていたのは『サマータイムマシン・ブルース』に似てるなあ、ということ。それが決定的になったのは、ラスト近くで見知らぬ美女が出てきて、しかも彼女はタイムマシンの故障で困っていて、それでタイムループの発生源になっている、ということが明らかになったときかな。いや、あの番頭が『サマータイムマシン・ブルース』に出てたよなあ、というのもあったけど。 で、エネルギー源がビールでもいいらしいというのはアホらしいけど、2分間以内にタイムマシンまでビールを運んで、よく分からんけど加速するため? に猟師が銃で撃つ、というのは、ありゃ物理的にムリだろ。 とまあ、あれこれ突っ込んだけど、まあ、基本的には楽しんだ。でも、もっと面白くできるはずだよなあ、というのも本音だったりするぞ。 ・ところで、ビールを運ぶとき「だいびん」がどーのと叫んでいたんだけど、「大瓶」のことか? あとで調べたら、関西では「だいびん、ちゅうびん、しょうびん」と呼ぶのがフツーらしい。ひぇー。初めて知ったぞ。 ・女将役に本上まなみ。なかなかいい。 | ||||
遠いところ | 7/18 | シネ・リーブル池袋シアター2 | 監督/工藤将亮 | 脚本/工藤将亮 |
allcinemaのあらすじは「夫と幼い息子と3人で暮らし、生活のためにキャバクラで働く17歳の母親が、貧困と暴力の悪循環に絡めとられて追い詰められていく過酷な現実をリアルな筆致で描き出す。」 Twitterへは「クズ男と別れられないバカ女の話。バカというより知能の問題か。たぶん中学で落ちこぼれ妊娠し15で出産。あとはズルズル。そうならないような支援の仕組みが必要と思わせる。沖縄が舞台だけど、これを社会問題というのは話のすり替え。個体の問題。」 沖縄訛りが多いので、セリフの3〜4割は分からない。困ったもんである。 主人公アオイは17歳でキャバクラで働く娘。亭主もいて、20歳ぐらいなのか? グータラで仕事をさぼり、遊んでたりする。あとから亭主が事件を起こし、弁護士に呼ばれて行ったとき、奥さん、と呼んでいたから籍は入れているのか。近所に祖母がひとり暮らししていて、息子2歳ぐらいを預けたりしている。実父はいるけど、嫌われているのか。後に、祖母と借金に行ったとき、「もう来るな」なんていわれている。実母に似ている、とも言われていた。その実母が生きているのか、どこにいるのか、分からない。 現在は夫・マサヤと息子の3人暮らし。マサヤはなまけ者で、収入はアオイのキャバクラの稼ぎが主体。なのに、トイレのゴミ箱に隠していた給料をマサヤに盗られ、家賃や生活費はどうしよう…なんて言っている。バカか、としか思えない。給料は銀行に入れればいいじゃないか。映画の設定として、アオイを貧乏に追い込むために現金を盗まれる、ということにしてるんだろ。金が銀行にあったらマサヤは盗めないし、その後にアオイが堕ちる話もつくれない。が、ミエミエなんだよ。 で、盗んだことを責めるとマサヤに顔をボコボコに殴られ血みどろ。マサヤは異常者だろ。脳に障害があっての暴力なのかもしれないな。さっさと逃げろよ。友人の海音はキャバクラ仲間で、同年齢? 学校の同級生ではないみたい。が、病院に連れて行ってくれるが保険証がなくて2万いくら請求されてた。 大家からは家賃を早くとせっつかれ、どうやらマサヤの実家に転がり込んだ様子。義母は昼間から飲んでて、働いているのか、よく分からない。若い男がいたりするのは、いまつき合ってる男? の時点で、アオイのバカさ加減がイラついてくる。なぜマサヤから逃げない。なぜマサヤの実家を頼る。祖母がいるんだから、そこに住めばいい。部屋代も必要ないし。「一緒に住むのは嫌だ」と漏らしていたっけ。それはなんで? いや、そもそも始めからマサヤの実家で暮らしてればよかったじゃないか。子どもも見てもらえるかもしれないし。 このあたりも、貧困と困窮を見せるためのムリくりな設定の様な感じだな。 働いていたキャバクラはガサ入れ食らって未成年は働けなくなる。店長に紹介されて行った店では、デリヘルを勧められる。が、まだその気分ではないようで、どっかの飲食店の面接に行くが、時給800円台といわれ、「毎日来られる?」と聞かれて「子供がいるから毎日は…」と、働かなかった様子。のあたりで、こいつはバカだ、とまた思う。フツーの労働をしたことないのだな、アオイは。夜のキャバ嬢しかやったことないんだろ。子どもを預けられる先が祖母、義母とあるんだから、フルタイムで働くぐらいできる環境にありながら、の体たらく。 まあ、身体の何ヵ所かにタトゥー入れて髪染めてスマも手放さず、キャバ仲間と海いったり遊んで。キャバで稼いだ金があれば部屋代も生活費もまかなえて、な状況にあるのが、それが崩れた、ということだろ。気の毒な貧困家庭でもない。暴力亭主は見捨てればいいのに、あれだけ殴られても別れられない。ただのバカだろ。沖縄の社会事情なんて関係ない。個人の問題だ。 バカと言うより知恵遅れが入ってるように思う。学校で落ちこぼれ、まともに相手にされず、放置されたか。同級生も恩師も登場しないのは、中学で嫌われてたか、ヤバいやつとでも思われていたんだろう。で、マサヤとつき合った? でも、マサヤは組関係とは縁がなさそうだし。まあ、この段階でまともな生活ができるようサポートでもあればちったあマシになったんだろうに。その意味ではお気の毒。だけど、その後に、デリヘルしてるときに子どもを放置したり(義母の家なんだから義母が見てるはずなのだけど、映画的には放置していることになっている。これも、アオイと子どもが苦労していることを強調するためにこういう描き方になってるんだろう。ご都合主義すぎる演出だ)、保護された子どもを奪ったり、常識外れたことをしているので、やはり少し頭が足りないのだと思う。 マサヤは、アオイが稼いだ金を勝手に使って飲んだり雲隠れしたり。ののち、自宅に戻ってきたりして、母親に叱られたりしている。このあたりも、よく分からない。2人で借りているアパートがあるのにそこには戻らず、なのはなんでなのか? アオイと会いたくなかった? でも実家に戻ったらアオイがいる。しかも、アオイはマサヤと別れたくない感じですり寄ってくる。アオイって、ただのバカだろ。 と思ったら、ある日、義母に「マサヤは警察に連れて行かれた」と聞かされる。酔って人を3人殴ったという。弁護士に呼ばれてアオイが行くと、1人頭20〜30万の示談金で済ませられる、といわれ絶句する。マサヤは、「妻が払う」といったとか。これをつたえると義母も困惑するのみ。ところで、弁護士の説明への疑問で、アオイは「示談金って何ですか?」と聞いている。これは、無知=教育のなさを表現しようとしているのか。そういうことじゃないだろ。17歳でキャバで働いていて、フツーに耳にするような言葉だろうに。日常的な学習能力が欠如しているとしか見えないぞ。変な演出だ。 でね、この段階でアオイは、示談金を払わねばならない、と思っている。なんで? この後の及んでまだマサヤのために苦労するのか。でなんと、嫌だと思っていたデルヘルに堕ちていきくというバカさ加減。救いようがないな。こうまでしてマサヤに尽くすアオイってなんなんだ? 理解不能。この流れに沖縄という地域性は関係ないし、貧困という社会問題も別次元の話。殴られても、身体を売ってでも、男の言いなりになるという性癖でしかない。 アオイを諭してくれる海音という友人はいるけれど、彼女はキャバで働けたんだっけ? 彼女も未成年だよな。なら働き口はどうしたんだ? で、その彼女がアオイを心配し、「ウリはするな」といっていたのに…。なぜか彼女が投身自殺してしまう。この理由がよく分からない。 海音の葬儀後、アオイに電話が来てバーに行くと、あれはデリヘル紹介した男? の店か? で、「友人が死んだときどこにいた?」と詰問するとはぐらかされる。友人はアオイに仕事を出さないよう男に要求していた? それで逆にプレッシャーかけられて死んだ? あたりの関係が分からん。男に逆襲されるも、向こうを向いたとき皿かなんかで男を殴り、あとは素手で顔をボコボコ血まみれにした様子で、男の舎弟(あれはアオイの車の迎えをしてた若いのか?)がせボーゼンと突っ立ってる。役に立たない舎弟だな。の帰り、保育園から幼児を連れた若い女がそのまま道端に倒れて寝てしまうのを目撃するんだが、コメディかよ。仕事がハードだから? あり得んだろ、あんなの。 その後、保護施設に侵入し、息子を奪って逃げて、最後は息子を抱いたまま海に入って行くアオイなんだけど。ってことは入水心中ということか。アホか、な結末。同情の余地なし。相談できる相手はいくらでもいたろうに。祖母、義母、息子を保護していった施設の人間。すべて自分が背負い込む必要はないのに、そうしてしまうのは、無知? 知恵が足りず? 気の毒なのは、子どもだろう。 ・祖母、父親、との縁の薄さはなんなんだ? ・幼児の前で「ちんこ」「ちんぽ」を連発する場面があるんだけど、あれはいかがなものか。 ・ラストシーンは、幼児を抱いて海に入って行く場面は、危険が伴ってる気がして落ち着かなかった。 | ||||
惑星ソラリス | 7/21 | シネマ ブルースタジオ | 監督/アンドレイ・タルコフスキー | 脚本/フリードリッヒ・ガレンシュテイン、アンドレイ・タルコフスキー |
原題は“Solyaris”。allcinemaのあらすじは「近未来、未知の惑星ソラリスの軌道上に浮かぶ宇宙ステーションで異常事態が発生。その調査のために科学者クリスは地球を出発する。到着したステーション内は荒れ果て、先発の3人の科学者は皆、狂気の淵に立たされていた。そして、クリス自身も数年前に自殺したはずの妻ハリーの姿を目撃し、言い知れぬ衝撃を受ける。だがそれは、人間の意識を反映して具現化させるソラリス表面のプラズマ状の海の仕業だった……。」 Twitterへは「初見。前半、2度少し寝た。ネタひとつで2時間45分は引っぱりすぎだろ。低予算の貧乏くさいつくりで、話に入りにくい。宇宙ステーションで背広にネクタイかよ。ビニール多用したりしてるし。完成度が高いとか傑作と賞賛する人の気持ちが分からない。」「いまだったら『ブックミラー』の1話で45分もあれば足りるんじゃねえのか。」 冒頭からの池、水草、主人公クリス、家の中にいるのは父親と母親? 訪問者の男…。そこでビデオ再生なんだけど、再生画面が映画のフレームのままで白黒になるだけなので、最初は分かりにくかった。ビデオは、ソラリスからの帰還者らしいのが経験談を話していて、ソラリスの海に町が見えたとか、その町を映像に撮ったとか言ってるんだけど、その映像には何も写っていなくて…。な感じなんだけど、ビデオで証言してたのは、訪問者の男に似てたけど、同一人物か? 訪問者の男はハゲてたから、同一人物だとすると時間がかなり経過してるようだけど…。で、その訪問者が帰っていく町の風景が日本の首都高速で。未来の風景に日本の首都高速が使われるのは知ってたけど、なんの加工もなく、クルマや看板に日本語ぞろぞろでてきて、ダサいとしか感じられないのだった。で、走行している途中で寝落ちしてしまい、ふ、と気づいたらクリスが宇宙ステーションに到着したところだった。3人いるらしいけど1人は自殺していて冷凍されていて、あと2人いるという話。なんだけど、クリスは元から宇宙飛行士だったのか? とか、ソラリスにやってきた目的や、手段について寝てる間に聞き逃したのか。なんかフツーに、ひょいとやってきた感じなんだよね。 宇宙ステーションはチャチくて。とっかの倉庫を白く塗った感じ。安手のビニールとか板塀で、なんだこれ。かとおもうと、オーク材の重厚なテーブルに蝋燭をつかっている部屋があったり。低予算ゆえの苦慮の結果かも知れないけど、なんかなあ。 そこに、スナウトとサルトリウスという飛行士がいて、研究をつづけてるらしい。が、2人ともお年寄りで、宇宙飛行士には見えない。解説では科学者と書いているけど。なんか話がギクシャクしてる。スナウトの部屋には子ども? 小人? がいるんだけど、一瞬見えただけで、あとは登場しない。ほかに、青い衣装の女がいるけれど、あれは誰なのだ? サルトリウスの思考が生みだしたなにかの複製物なのか? で、しばらくするとクリスの元に女性が現れて、フツーに接しているのでなんだよ、と思っていたら、これはクリスの思考が生み出した。10年前に死んだ元妻ハリーなんだと。こちらは小人や青い衣装の女のようにすぐいなくならず、ずーっと登場するし、スナウトやサルトリウスも認知し、会話もする。スナウトだかサルトリウスの誕生会で食事をするという場面もあったけど、ここにハリーはいても小人や青い服の女は顔を見せないのはなんでなの?まあ、クリスとハリーがメインだからのご都合主義的な演出だな。 ハリーの登場に戸惑ったクリスは、彼女をロケットに乗せて発射させるのだけれど、大切なロケットをそんなことに使っちゃっていいのか? 帰還するとき困らないのか? と心配になる。なんでも、ハリーとは最後に大げんかしたとかなんとかで。ハリーの死はそのことと関係があるのや否や。よく分からんが。 …のあとぐらいかかな、いつしかまた寝落ちして。気づいたら、元妻が復活していて、ドアを破って出てくるが血みどろになるんだけど、でも、傷はすぐに癒えていく。思考が生み出す物体だから、消えることもないし簡単に復活するのだろう。 このことについてスナウトやサルトリウスと話し合うとか対策を考えるとかすることもとくになく。元妻は液体窒素を飲んで自殺しようとしたりするのだけれど、なんでそうするの? な感じ。このときの、凍った服を見せるのに透明ビニールを硬くした(凍らせた?)みたいにしているのが、低予算の苦慮の果てなのか。チープだなあ。 まあ、このあたりのあれやこれやは、意味があるというより、だらだらと話を引き伸ばしてる感じだなあ。 まだ若いクリスの母親みたいなのとか、赤い服を着た少年はクリス? な映像が思わせぶりにインサートされたり。なんなんだよ。 クリスが地球に帰るとかいう話になるんだけど、でもクリスはハリーに未練で、一緒に残る、とかいいだしたり。喧嘩別れした相手になんでなの? そもそも、クリスの思考がハリーをつくり出した理由は何なんだよ。とかいいながら、冒頭の池と家が登場し、クリスは自宅に戻ったのか? と思ったら、部屋の中に雨が降っていて、父親が濡れネズ。カメラが引いていくと、自宅の敷地は実はソラリスの海に浮かんでいて(合成特撮がチャチ)。これもまたクリスの思考が生み出した複製物だった、というオチだった。 ってことは、冒頭に登場した、ソラリスにやってくる前の自宅もまた、複製物だったという可能性もあるよな。スナウトとサルトリウスも、クリスのつくり出した複製物かも。クリス自身も、実は他の誰かの思考から生み出されたものだったりして。オリジナルがどこにあるのか分からない。孫悟空が、自分は世界を股にかけて動きまわってると思っていたら、実はそこはお釈迦様の手のひらの上で、そこで右往左往していただけ、な話もあるけど、あんな感じ。 とはいえ、その1つのネタで2時間45分は長すぎだろ。 ・思考が物質をつくり出す、の法則はあるのか? 一番強い思いが優先されるとか。だからクリスの場合はハリーだったとか。じゃあ、他の2人の科学者の、小人や青い服の女はなんなんだ? ・ブリューゲルの雪の村の絵がでてくるのは、ありゃなんなんだ? ・他に、ドン・キホーテ、ファウスト、トルストイの引用なんてのがでてきたっけ。 ・ちなみに観客は8人だった。 | ||||
CLOSE/クロース | 7/24 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ルーカス・ドン | 脚本/ルーカス・ドン、アンジェロ・タイセンス |
ベルギー/オランダ/フランス映画。原題は“Close”。allcinemaのあらすじは「13歳のレオとレミは、小さい頃からいつも一緒に過ごしている幼馴染の大親友。家族ぐるみの付き合いで、兄弟のようにして育ってきた。ところが中学校に入学すると、仲が良すぎる2人をクラスメイトはただの友だちとは受け止めず、いろいろ勘ぐるようになる。そんな周囲の目が気になり、レミと距離を置くようになっていくレオだったが…。」 Twitterへは「ボーイズラブな話のせいか、圧倒的にご婦人率が高め。その心をくすぐるようなイケメン少年たちも登場するし。とはいっても後半は背徳的な悩みに終始するんだが。まあ、切り口としてはとくに新しくもないけどね。0」 ちかごろLGBTqな映画が流行ってるけど、これもその流れにある感じ。実は両思いでなく片方だけ、な気もするけど。しかし、13歳という年齢の少年、しかも一人は金髪で端正な顔立ちで、こりゃあご婦人方を狙っているな。じっさい館内はそうだったけど。フランスあたりもそうなのかしら。 話は単純で、家が近所で家族ぐるみで交流のあるレオとレミ。いつもべったりで遊びまくって、レミの家のベッドでじゃれたり、平気で行なってきた。それが中学校に入ると、同級生の女の子に「あんたたちつきあってるの?」といわれたり、他の男子から「男女」みたいにいわれ、それを気にしたレオがベタベタ関係を少しずつ解消し始め、新しくできた友人が加入しているアイスホッケーチームにも参加。毎朝、自転車で並んで通学していたのも、あえてズラしてみたり、別の生き方を模索し始める。レミはこれに戸惑い、未練の秋波をレオに送りつづける。通学については、レミは「なんで先に行った!」と校内でレオに食ってかかり、教師に制止されたりしている。しだいに閉じこもりがちになり、はっきりとは示されないけれど、レオは自室で自死してしまう。 もともと両思いの関係ではなく、レミの一方的な感情だったんだろう。レオもレミも、中学以前は他の友人がいなかったのか、そのあたりよく分からないんだけど、つき合う範囲が狭かったのかな。家も近くて、レオの家は花をつくっているようだけど、その手伝いをしたり、まるで兄弟のように育ったようだし。 レミの死を知っても、レオは彼の家にすぐには行かず、レミの母親にも会いに行かない。なんかなあ、と思っていたけど、レミの死が自分にあると自覚していたから、なんだろうとは思う。けれど、言い出せなかった。なんか、罪つくりな関係だよな。レオに悪意はないし、交際範囲や見分を広めるのは悪いことではない。でも、レミは、レオを自分だけの特別な相手、と思っていたんだから。こういう強い思いが13歳の少年にも存在するのかは、分からない。しかし、友人が飛び立っていくのを、自分を捨てた、と思い込んで悲嘆にくれ、命を絶ってしまうというのは、どうなんだ、と思う。 後半も押しつまって、レミの母親にクルマで送ってもらうことになったとき、意を決したようにレオは「責任は自分にあるかも」と告白する。レミの母親はクルマを止め、レオを追い出してしまう。でもなあ、別にレミをいじめたわけでもないんだし、2人の関係をどこまで知っていたのか、な母親がレオに敵意を見せるのは、どうなんだ? とはいえ、レミの母親はレオを置いてきぼりにすることなく、森の中にレオを探しに入ってくる。「やば」と思ったのか、レオは木の枝をてにして構えるのだけれど、その行為も過剰反応のような気がしたな。まあ、レミの母親にレオに対する敵意はなく、ぎゅっと抱きしめる、のではあるが。レミの母親も、2人の関係の実際を知ったら、自分の息子の一方的な恋愛感情もあるはずなので、無理もないこと、とあきらめるんじゃないかと思うんだけど。でも、捻れた関係はもどらないよな。どちらの家族も。というようなボーイズラブ話だった。 前半は、2人がべたべたしてる映像が多くて、ちょっとうんざり。中盤でレミが自死したあとは、心理ドラマな感じ。とはいえ、レオは、責任がある、とは思っていても、責任を感じすぎていない感じだ。寝小便してしまったりはするけど。でもまあ、これからの一生、トラウマになるだろうとは思うけどね。男の子に惚れられるというのも、大変なことだよなあ。 ・アイスホッケーの試合で骨折し、ギプスを外した後に、最初に訪れた場所は、どこなんだ? 教会? 奥でビデオが流れてるようにも見えたけど…。 | ||||
小説家の映画 | 7/24 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/ホン・サンス | 脚本/ホン・サンス |
原題は“The Novelist's Film (So-seol-ga-ui yeong-hwa) ”。allcinemaのあらすじは「まったく筆が止まってしまった著名作家のジュニは、長らく連絡を取っていなかった後輩を訪ねて地方へ足を延ばす。後輩と別れた後、彼女は第一線を退いた人気女優のギルスと偶然の出会いを果たす。初対面ながら、ギルスと馬が合うと感じたジュニは、映画を作りたいという長年の夢を、ギルスの主演で実現させたいと、思いがけない提案をするのだったが…。」 Twitterへは「いかにも、なホン・サンス節。相変わらずだからどうしたな話で、どうでもいいような会話に、多少の脱力感、微妙なくすくす笑い。ときに饒舌多弁になるオバサンも、おかしい。映画は、後ピンじゃなかったか?」 いまは書店を経営する旧知を、オバサン作家が突然訪問する。ドアを開けると、激しい叱責の声。なので表の椅子に座って煙草を吸っていると、なかから若い娘が出てきて。の段階で、叱責の声はなんだったんだろう? その後、女主人(彼女は作家の後輩で、同じ小説家、なのかな?)もでてきて、作家が旧知であることが分かって。なかに招かれてコーヒーを飲む、というのが最初のステップ。ここで若い娘=アシスタントらしいけど、が手話を習ってる、というのに作家が興味を示す、というのが見どころ、のようなモノになっている。 ところで、みんなマスクしてるのは、コロナ下だから? 女主人は作家の帰路を心配するが、地下鉄で来たというので安心し、近所のみどこを紹介する。見上げているから、高層ビルかタワーなのかな。 次は、そのタワーの展望階から望遠鏡で外科医を見ている作家。に、オバサンが声をかけてくる。旧知の監督と一緒に住んでいる者だ、と。このオバサンの、妻、といわずに、一緒に済んでいる者、といつも表現するのがなかなか面白い。で、トイレに行っていた監督もやってきて話を始めるんだけど、どーも作家は乗り気ではない感じ。3人で喫茶コーナーに行くんだけど、どうも監督はかつて作家の原作の映画化を目論んだが、上の人間につぶされた過去があって。監督は作家に申し訳ないと思っているらしいけど、作家の方はわだかまりを抱えたまま、の様子。この会話で、監督や監督妻が、作家のことをカリスマ性がある」としきりに褒め称えるのが、なんでなの、な感じなんだけど、意図は分からず。で、監督の双眼鏡を借りて地上を見ていると、公園を歩く人が見えるので、いって見よう、ということらになる。 3人で公園に行くと、監督が女優がストレッチしてるのを発見。女優も作家のことは知っていてあれこれ。のうち、監督が、「最近は映画に出ていないのももったいない」とかなんとか女優にいいだし、女優は自分のペースで、みたいなことをいうんだが。ここで作家が割り込んできて「あんたがとやかくいうことではない。女優には女優の考えがあるんだから」と強弁し、監督がたじたじ。腰を低くしてこの場を辞してしまう。 作家と女優は気があって、ここに、だったか、女優の弟、も登場。彼はクルマできているらしい。はさておいて、作家と女優は昼食をとることにし、食堂へ。女優はトッポギ、作家はラーメン。2人の意見はいろいろ一致し、盛り上がる。 短編映画を撮ろうと思っている、ということを話したのはここでだったかな? 女優の夫が陶芸家で、彼にも出演してもらいたい、なんていいはじめる。ここで、あー、そうか、と思った。小説家を撮った映画、ではなくて、小説家が撮る映画、の話だったのか、と。 ここに女優に電話が入り、近くに住む先輩から、急遽来てもらえないか、と連絡が入った、と。みんなで集まる会があったんだが、詩人を呼んでいて、でも呼びかけた本人が来ておらず、代わりに、ということらしい。女優は、作家もさそって行くことにした。 ↑の場面で、往来から店内を眺めている少女は何だったんだ? 女優がちょっと話しかけてたけど。 さて、2人して女優の先輩のところに行って見ると、作家が冒頭で訪れた書店で。振り出しに戻る、で、なーんだ、な感じ。なんだけど、そこで開かれたであろう、もしかして詩の朗読会? のようなものは一切映らず、ひとしごと終えてみなで飲んでいる場面になってしまっている。書店の女主人(女優の先輩)、書店のアシスタントの娘、老詩人、女優、そして作家。作家は、映画を撮りたいということを話すと、詩人が「どんな話だ」というので思いつきで言うと、「それは話が弱い」云々と突っ込まれて、やれやれ、な感じ。詩人と作家は長いつきあいらしい。 女優は酔いつぶれてテーブルに突っ伏して寝てしまう。あまり飲まない、と作家に話していたのは、飲むとすぐ寝てしまう、からのようだ。その横で、詩人とアシスタント娘が盛り上がっている。詩人の本は全部もっているとか、そんなことを言っていたんだっけかな。よく覚えていない。いっぽう書店の主人と作家は店の前で。作家は「むかし、酔って一度だけ寝たことがあるのよね。でも、そのあと何度も誘ってくるから、それ以来、会ってなかったの」なんて詩人について言っている。そんなことを、いくら先輩後輩でも言うかなあ。まあいいや。 時間が飛んで、どこかの映画館。女優がやってきて、席数の少ないなかに1人座る。席にテープが渡してあるのは、コロナ対策か? どうやら完成試写会なのか。作家は屋上に上がって煙草を吸い始める。(たぶん)女優の弟も、いたような。映画館の人間かな。あと、女性もいたっけかな? 映画は、つまらないものだった。花を摘んだり、なんか、よく分からないことを女優がしていた。映画が終わってロビー出ると、誰もいない。みんな屋上だから? てなあたりまでしか覚えていない。 話としては、だからどうした、な感じで。なにが言いたいのかもよく分からない。人間は、つながってるんだなあ、という感じかな。どうでもいいけど。 | ||||
ランガスタラム | 7/25 | シネ・リーブル池袋シアター2 | 監督/スクマール | 脚本/スクマール |
原題は“Rangasthalam”。シネ・リーブルHPのあらすじは「インド南東部の田園地帯に広がる「ランガスタラム村」。「プレジデント」を名乗る金貸しの村長に牛耳られ貧しさから逃れられない村人たちを救おうと、独り立ち上がる思慮深い兄クマール、そしてそれを支えるやんちゃで短気な弟チッティ。叛逆と復讐のドラマは、チッティが毒蛇を追うことから始まり、彼と周りの人々の運命は変転する。」 Twitterへは「インド映画が人気だからって何でもいいわけじゃないだろ。主人公はバカだしヒロインは貧相だし話の9割は、要らんだろ、な感じだし。主人公が極度の難聴という設定もほとんど活きてない。最後の強引な着地も、いいのかこれで?大量XXじゃないのか。」 この映画の主人公が出演するラーム・チャラン『RRR』のヒットを受けて急遽公開? なのか。しかし、『RRR』では警官だった方か少数民族だった方なのか、それすら分からん。尺数は174分。ビビりながらだったけど、とくに問題なく見終えたぞ。 チッティは村の水の管理をしてるのか? どーも立場が分からない。で、冒頭からのコメディタッチは主にチッティの難聴によるトラブルがらみで、だらだらくどい。チッティが気にする娘ラーマラクシュミは、いつもしかめ面か歪めた顔で、魅力は感じにくい。な感じでいつになっても本題というかドラマが発生しないので、退屈になり、少し寝てしまった。あとから、ラーマの水浴を目撃して云々な話があったけど、そんな場面は記憶にないので、寝てる間のことなのかも。 さて、この話の骨格としては、冒頭に、自動車事故で意識不明になる老人(あとからダクシナと分かる)がいて、チッティが親身に世話をする。 話が数カ月前(?)に戻って。長年無選挙で村長に選ばれているプレジデントなる独裁的な長老と、その取り巻きがいる。役人や警察も一派なので、だれも逆らえない? プレジデントは村民に金を貸し、たびたび返済を迫って村民を苦しめている。なかには自殺したものも少なくない。しかし、チッティの兄クマールが調べると、貸与金を水増ししたり、不正が横行。これをみてクマールは、某党派のリーダー・ダクシナの支援を受け、村長選に立候補。プレジデント一派にジャマされながらも支持を得ていく。プレジデントは負けを感じて逃亡。なんだけど、クマールが恋人に会いに行った夜、暴漢たちに襲われ殺されてしまう。どうなることかと思ったら、チッティの友人のオバサンがいつのまにか立候補して、新村長に。一方で犯人を捜すチッティ。しかしプレジデントは村はずれの隠れ小屋ですでに横死していた(チッティが殺したんだっけかな?)。では、犯人は? というとき、例の意識不明の老人が覚醒し、政治に復帰。大臣に就任するという。チッティはそのダクシナに面会し、「お前が犯人だ!」と指摘し、復讐を遂げるというもの。 この骨格に、チッティのバカな行為、ムダなエピソードを絡ませてムダにふくらませ、174分。うんざりだ。骨格をもとにスリムに絞った内容にすれば、まーだ見られたような気がする。 ・チッティは難聴の設定。でもしゃべることはフツーにできるので、後天的な難聴ではないかと誰かが書いていた。それはいいが、村の周囲の人はみんな難聴のことを知っているらしいのに、なぜ本人はあちこちで難聴を隠すのか。その基準が分からない。 ・途中で補聴器を誰から与えられるが、喜ぶどころか、しない生活を選ぶ。後半では、たまに必要に応じてしたりしなかったり。難聴のせいでトラブルが発生したり、あげくは兄の死にもつながってるのに、バカとしか思えない。 ・プレジデントは無敵の独裁者のように描かれている。ところでチッティの友人オバサン(チッティとはどういう関係なのか最後まで分からない)の夫は、実はドバイにいるというのはウソで、かつて村長選に立候補してプレジデント一派に虐殺された、らしい。この話を契機に、他にも何人もプレジデントに刃向かおうとした人物がいるが、ことごとく抹殺された、てな過去がフラッシュ的に描かれる。はあ? だよな。そういう事実、事件があったことを、村人の大半が知らない、かのように描くのは変すぎだろ。 ・クマールの立候補後、チッティは村民や仲間を説得し、支援者を増やしていく。よく分からないのは、クマール派の議員に立候補してくれ、と頼んでいるところ。いんどでは首長の選挙と議員の選挙が一緒に行われるのか? ・な選挙戦まっ最中に、チッティはプレジデントからいわれのない金を受け取り、兄クマールに立候補を取りやめるようにする、と約束したとかいう話が突然でてくるんだが。なんなんだ? バカすぎるだろ。これが発覚したせいで、反プレジデントの村民が増えのに、一気に激減の危機を迎えてしまう。あの、チッティの行為はなんだったんだ? ・でも、なんとか騒ぎは収まって。プレジデント一派は負けを意識するようになる。って、これ呆気なさ過ぎじゃないか? これまて対立候補を葬ってきたのに、なんでなの? ・と思っていたらクマールは暴漢たちに襲われ、逃げおおせたかと思っていたら、チッティが目を離したスキにとどめを刺されてしまう。なんとクマールは選挙の最中に一人でバイクで恋人に会いに行き、この被害に遭うんだが、スキがありすぎだろ。もうちょい話を練って、なるほど感をだすべきだな。で、さあ、選挙はどうなるんだ、と思っていたら、なんとチッティの友人のオバサンがいつのまにか立候補していて、当選している場面に。告示後に立候補するのもありなのかい? インドでは。 ・ラストは、話を一気にひっくり返す展開で。悪はプレジデント、という流れで来たのに、もっと根源的な悪があった、というオチになっている。実は兄クマールがつき合っていたのはダクシナの娘で、それをダクシナが知り、クマールを抹殺した、という話なのだ。ダクシナが「この家に入るだけでも許されない分際で、娘の寝室に入るなど許さん」と部下に言ったりしていたので、ダクシナはカースト意識に縛られているということなんだろう。そういえば、チッティとラーマの結婚問題も、ラーマの親がカーストをもちだして「許さん」といっていた。ので、この映画には低カーストへの差別意識を訴える意図があったんだろう。インド国内で大ヒットということだけれど、低カーストが、為政者や上位カーストからの差別に立ち上がる、が受けたのかも。 ・ところで真犯人の解明だけど、チッティは、兄クマールが死の直前に残した言葉を聞き取れず、犯人のヒントと分かりながら悩んでいたら、あるとき祭のような場所で似たような口の開き? の言葉に出くわし、それが、ダクシナの部下の名前であることに思い至る。で、その男を問い詰め、兄クマール殺害を認めさせ、殺害する。ののち、冒頭の場面につづくのだろう。目の前で宿敵が事故に遭い(っていうか、小型車をはね飛ばしたトラックは止まりもせずに去ってしまったけど、別に、トラックはダクシナの政敵だったわけじゃないよな?)、意識不明に。チッティは、あえてダクシナが意識を取り戻してから恨みを果たす道を選んだ、ということのようだ。最後の最後にバタバタと説明されるので、ちょっと慌ただしい。 ・それにしても、クマールを襲った10人以上の暴漢をチッティは1人で相手し、殺害している。クマールを直接殺した男も、拷問して口を割らせ、殺害している。最後、ダクシナにも復讐を遂げている。15、6人かもっと、大量殺人している。いっきに、のほほんコメディも冷める展開だよなあ。ダクシナに面接してることも分かってるはずだし、そのうち捕まるんじゃなかろうか。まあ、映画だから、そんなことは心配なくて、拍手喝采で終わり、なのかな。やれやれ。 ・ムダなところ(難聴で笑いを取るようなところ)を整理して、ラーマとチッティのロマンスももうちょい甘くしてほしい。チッティがラーマを殴るとか、理不尽なところもあったりするのは、ダメだろ。それと、なぜかラーマがチッティに惚れるという展開も、なんかなあ。 ・この映画、時間は長いくせに人間をちゃんと描けてないのだよ。チッティの家族も、ラーマの家族も。その他、たくさん人物は登場するけど、おふざけキャラと、記号的な連中ばかりなんだよね。 ・ところで、チッティの祖母が土地を手に入れたのは奉仕したから、というのにチッティは怒りだすんだけど。身体を差し出した、というのは分かるけど、それで土地が手に入るほど、チッティの祖母は魅力的だったのかね。 ・チッティは水管理の仕事をしているようだけど、ああいうのにプレジデントは関与しないのかね。金が動きそうだけど。 ・プレジデントの末路は哀れすぎ。なんで仲間に見捨てられちゃったの? よくわからん。 | ||||
丘の上の本屋さん | 7/27 | キネカ大森3 | 監督/クラウディオ・ロッシ・マッシミ | 脚本/クラウディオ・ロッシ・マッシミ |
原題は“Il diritto alla felicita”。「幸福を得る権利」というようなことらしい。allcinemaのあらすじは「風変わりな客たちに愛される村の小さな古書店の主人リベロはある日、店の外で本を眺める移民の少年エシエンに気づく。本に興味を持ってくれた彼を気に入り、様々な本を貸し与えるようになるリベロ。そして、読んだ本の感想を語り合ううち、いつしか2人は年の差を超えた友情を育んでいく。」 Twitterへは「本を読んで知識を得て、権利を獲得しょう、な話を、心やさしい古書店じいさんとアフリカ移民の少年との交流や、隣のカフェの店員なんかをまじえて。良心的すぎてちょっと単調なのは、ユニセフとの共同製作のせいか。PR映画な感じでもある。」 84分の小品で、良心的な話なんだろうけど、山なし谷なしドラマなしな出来で、単調だった。のせいかリベロが『白鯨』を紹介するあたりで、ちょっとうとうと。本を返しに来たところは見たけどね。公式HPによると監督・脚本の人は「ドキュメンタリーやバラエティ番組を制作。近年では、歴史文化ドキュメンタリー番組の監督」が長かった人で、あまりドラマづくりに長けてないのかも知れない。話の串になっているのは、主人のリベロが移民の少年に本を貸し与えていくというもの。最初は『ミッキーマウス』のマンガ数冊で、次が『ピノキオ』→『イソップ童話』(肉を加えた犬の話が面白く、バカだ、と。それに大してリベロは、別の見方を示唆する)→『星の王子さま』→『白鯨』(むかしの言葉で難しかった、と)→『シュバイツァーの伝記』→『アンクルトムの小屋』→『白い牙』→『ロビンソン・クルーソー』→『ドン・キホーテ』→最後の『世界人権宣言』は、リベロからの贈りものとして与えられる。だんだん難易度が高くなり、社会性、問題意識をもつように勧められていくところが、いかにもユニセフとの共同製作だな。2人の関係は最後まで変わらず、店頭や店内で本を貸す、借りるだけ。少年の両親や家も登場しない。なので、いささか食い足りない。 他に登場するのは、ゴミ箱漁って捨ててある本を持ち込んだり、どっかの富豪夫人が本を処分するという情報を仕入れて、リベロに「これでひと儲けしよう」といってくるオッサン。でも、彼も横のつながりはとくになくて、もったいない感じ。ただし、拾ってきた中に1957年の娘の日記というのがあって、リベロはこれを興味深く読み始める。恋人と結ばれた日の高揚感あふれる文章や、恋人とアメリカに行くことを決めた内容とか、いったい彼女はどうなるんだ? という興味を抱かせるんだけど、話のつづきはリベロの死とともに語られなくなってしまう。恋人とアメリカに渡った娘の日記が、なんでイタリアに残ってるんだ? という「?」もあるので、他のエピソードと絡む、あるいはアナロジー的な機能があるのかなと思ってたんだけど、まったくない。なんだかなあ。 隣のカフェの給仕をしているニコラはリベラと仲好しで、ときに店番したりしてるんだけど。そんな時間があるのかいな? 自分の仕事はおざなり? なニコラの狙いは、書店に時々やってくるキアラで。どうもどこかの女中をしていて、奥様のためにフォトコミックを探しに来たりする。「うちにはないよ」とリベラは言うけど、ニコラはネットで探して手に入れて、キアラに提供。デートの約束を取り付けたりする。キアラは「恋人がいるのに…」といってるけど、実はそれは口実らしい、ということが後半で分かるけど、なんでそんなことをしてたのかはよく分からず。男嫌いでもなさそうなのに。で、この話も、他の登場人物とは絡まない。もったいないよな。 他にも『わが闘争』を探しに来るおっさんとかSM本目あての女性客とか、手元にない自著を探している教授とか、よく分からん単発的な人物がいるんだけど、彼らも登場しては去って行くだけ。もったいない。 で、少年が『世界人権宣言』の感想でも話しに来たのか。そしたら店の前に「喪中」の張り紙が健康診断で、あまりいい数値でなかったリベロは、砂糖は控え目、と身体を気遣っていたけれど、ついに帰らぬ人に。ニコラは、リベロから移民少年に宛てて書いた手紙を預かっていて、見るとそこには書店の本を好きなだけもっていっていいよ、と書かれていた。書物によって得た知識で権利と自由(リベロという主人の名前がこれだ)を獲得しなさいよ、ということか。移民の子であればなおさらだ。 どうやらニコラとキアラはうまく行きそうで、リベロの死以外は、街は変わらずに動いている。な感じで映画は終わる。 ・発禁本棚というのがあったようだ。ロビーにあった、パンフレットのコピーに署名が書いてあった。本編ではいちいち紹介してなかったけど、書名が映ってたんだろう。 ・移民少年が公園で本を読み始めると、ベンチの隣に座っていた小児性愛らしきおっさんが、「家にもたくさん本があるよ」と嫌らしく声をかけてきたりする。これは、ちょっと面白いエピソード。 | ||||
ストーカー | 7/28 | シネマ ブルースタジオ | 監督/アンドレイ・タルコフスキー | 原作・脚本/アルカージー・ストルガツキー、ボリス・ストルガツキー |
ソ連映画。原題は“Stalker”。allcinemaのあらすじは「“ゾーン”と呼ばれる謎の立入禁止区域。その奥にある部屋ではどんな望みも叶えられるという。“ストーカー”と呼ばれるゾーンの水先案内人は作家と物理学者を連れて、その禁断の地へ足を踏み入れる。」 Twitterへは「寝なかったよ、タルコフスキー。中村晃子の「虹色の湖」を思い浮かべてた。映像が間延びしてるので、帰りの買い物のこととか考えてしまう。ハゲが3人、区別がつきにくい。セリフも誰がしゃべってるのか分からんぞ。唐突なラストは笑った。」 この映画、初見である。 「虹色の湖」(1968)は、都会へ出て行った彼氏を追って、故郷を捨てた娘の歌だ。幸せをもとめて都会にでたのに、彼氏は変わってしまっていて、かといって故郷に戻るには遅すぎる。幸せはもともと故郷の身近にあったのに…。てな感じだ。『ストーカー』は1979年の映画で、当時はまだソ連邦時代。ソルジェニーツィンが迫害されるなど、思想的な自由は制限されていた時代だ。ということを考えると、隕石か宇宙人か原因は分からないけど、軍隊までも葬り去り、立入禁止地区に指定されたゾーンは、自由と民主主義のエリアのようにも感じられる。ただし、楽園のようなところではなく、当時のソ連人が思い描くような、あるいは為政者が喧伝していたような、危険なところ、なのかも知れない。リスクを犯してまでも行ってみたいところ。そこに行けば願いが叶う部屋がある。そんな幻想のエリア、なんじゃないのかなと。 それはさておき。未来のストーキングの話かと思ったら、立入禁止地区であるゾーンに行きたい人を密かに案内する「密猟者」のことらしい。ストーカーの妻は、また行くの? こんど捕まったら10年は出てこれない。そしたら、私どうなってるか分からない。みたいに愚痴っている。ゾーンへの案内で何度かぶち込まれている、ということか。で、早朝、参加者のいるバーに向かうストーカー。やけに色っぽい女と、男が話している。でも、女はクルマで立ち去ってしまう。先にゾーンに行った? どーやら男=作家かな、の知り合いらしい。彼女はどういう意味があったんだろう。 他にバーには科学者である教授がいて、参加者は2人なのか。そんなんで稼ぎになるのかよ。という疑問が湧く。 で、内容だけど、どうやらゾーンの中にある、願いの叶う部屋、をめざしているらしいことがだんだん分かってくる。でも、願いが叶ったからといって幸せになるとは限らないらしい。なんとかいうストーカー仲間の弟はゾーンの挽肉機のトンネルで死んだし、その兄貴も大金を得たけれど、数日後に首をつって死んだ、とかなんとか。 それはさておき、願いが叶う部屋までの行程は、RPGゲームのダンジョンみたいに見える。1979当時はドラクエなんてまだなかったのに。 しかきし、冒頭からの映像は汚らしくて不鮮明でロングショットが多いので、誰が誰やらほんと分かりづらい。バーでの、おっさん4人の会話も、だれのセリフやら分からんのばかり。ストーカーはハゲで、参加者の作家もハゲで、教授はニット帽だけど、途中で脱いだらこいつもハゲで。区別がつかんぞ。中盤にやっと大写しが出てきたけど、まったくほんとに。 願いが叶う場所と知って作家と教授が来たなら、他にも知ってる人はいるだろうに。そういうのはほとんど無視。なのに、ゾーンエリアは警察か軍隊が武装して出入りを禁止している。なので、3人も、列車の線路に沿って侵入するんだけど、銃撃される。はいいんだけど、あの列車はどこに行こうとしてたんだ? というか、管理者あるいは為政者は、ゾーンについてなにか知っていたのかどうなのか。なことは分からない。 さらに奥へは、線路を走る気動車で向かうんだけど、その気動車を走らせて帰してしまうのはなんで? ストーカーは、生きて帰らないから、なんて言ってたけど、ストーカー本人は何度も来てるんだろ? 変なの。 奥の方はただの草むらで、かつての戦車の残骸なんかはあるけど、死骸はひとつもない。骸骨のひとつもない。これも変だよな。 で、なぜか知らんが、ストーカーは目的地への最短距離を避け、リボン付きのボルトを投げて目先の方向を決め、遠回りするという、わけ分からんことをする。投げるのはストーカーで、どっちでも意識的に投げられるだろうに、投げる方向はどうやって決めてるんだよ、おい。さらに、作家が草を抜こうとすると「やめろ。ここは聖なる場所だ」とか、作家がもっていた酒を一方的に捨ててしまったりする。なんなんだ。 なんどかきて知っているなら、もうちょい余裕を持って道案内したらいいのに。聖なる場所というのはどういうことだよ。のちに、ストーカー本人だったか、エルサレムがどうとかつぶやいたり、部屋の中に荊の冠があったりするけど、キリスト教的な聖地たってことなのか? 根拠は何なんだよ? 真町に、ゆっくり先へ向かう。なんとか建物のなかに入ったのかな。水が流れ、滝のようになっている。と、教授が「リュックがない」と困ったように言うが、ストーカーは無視。の後、教授がいなくなって、でも滝みたいなところを抜けると、なぜか先に教授が来ていてたき火してる なんなんだ? クラインの壺みたいに空間が歪んでるってことか? その後は湿地帯だったかな。なぜか3人とも横たわって寝てしまう。ストーカーが、エルサレムがどうとか言ったり、女の声でなんたらかんたらと神の声みたいに聞こえだすのはこのあたりだったっけ? 何かの力が働いていると言うことかね。 次は挽肉機のトンネルだったか。なんとかいうストーカー男の弟がミンチになり、男は大金に恵まれるが数日後に首つり自殺したとかいうエピソードが紹介されるんだけど。これ以前も以後も、ゾーンが3人に刃向かったり傷つけることはなく、怖いぞ怖いぞ、といいつつオバケは結局でてきませんでした、な話で終わるんだよ。虚仮おどしもいいところだ。 トンネルを抜けるとドアがあり、誰が先に行くかでもめて、マッチの軸で決めたら作家が悪いクジを引くのだけれど、クジをつくったストーカーは、作家が引かなかったマッチ棒をさっさと捨ててしまう。ミエミエの演出。作家は銃を手にするんだけれど、ストーカーは「捨てろ」と命じる。いちいちうっせーストーカーだな。何度も来てるならリスクの中味も知ってるだろうに。心配性過ぎるだろ。 で、深い水たまりを越えていくと、ただの部屋。なーんも恐怖はない。電話機が鳴り、誰だったかでるんだけど、無音? すぐ切っちゃった。と思ったら、教授がジーコジーコやりだして、「俺だ」とか話し始める。どうも勤務先の研究室かなんかで、なんだよ、こんな廃墟にある電話がなんで生きててつながるんだよ。教授が「あんたらが隠したアレを見つけた 」とかいうと、「やめろ、逮捕されるぞ」とかなんとか分からんやりとり。そして、瞬間的な光のフラッシュ。なんなんだ。の後ぐらいに、抱き合うような2つの遺骸があったように見えるんだけど、3人は気づいてない様子。なんでなの。 ストーカーが「ここが入口だ」というのは、願いが叶う部屋の入口ということかな。凸凹の砂の部屋では鳥が舞い降りてきたり。だからなんなんだ。この前だか後には、部屋の中に荊の冠があったりして、いよいよキリスト教的な色合いが濃くなってくるけど、ただの思わせぶりな気もしないでもない。そういえば、このあたりで、誰かのセリフが消えていたな。後から修正したんだろうか。まあいい。 で、部屋の奥に着いたのか、位置関係がほとんど分からんので困るんだが。3人は願いが叶うことについてあれこれ対話し始めたりする。と思ったら教授がリュックから爆弾を取りだして、こんな場所は無い方がいいとかなんとか。止めようとするストーカー。ストーカーを何度も殴ったり叩きのめしたりする作家。なんだ。ストーカーは軟弱だな。っていうか、作家ってマッチョなのか。 ストーカーは、「願いが叶う場所はここぐらいしかない。もっと多くの人に知らせたい」みたいなことをいう。これは、当時のソ連の状態が、夢がない社会であることをいおうとしているのかいな? よく分からんが。で、結局、教授も爆弾を捨てるしまう。なんの騒ぎだよ。しゃがみ込んでしまう3人。わけ分からん。そうだ、ここで犬、鳥につづく生き物として魚がチラッと映ったな。なんなんだ? ところで、教授が電話で相手に言っていた「部屋でアレを発見した」というのは、この爆弾のことなのか? でも、来る途中に気にしていたリュックに、すでに入っていた、とも考えられるし。じゃあ、部屋で見つけたものって、なんなのだ? どうやら3人は無事に戻ってきたらしく、出発したときに集まったバーでうろうろしている。戻ってくるとき、どうやって警備隊の監視をくぐり抜けたのか、疑問だけどね。ゾーンに入ってからチラチラついてきていた黒犬も、なぜか付いてきている。この黒犬は、なんの象徴なんだろう。願い=幸せ、なのか? ストーカーを迎えに妻と娘も来ているけれど、冒頭で煩悶していたにしては、妻は素っ気ない。娘は、足がない、と言われていたので奇形かと思ったら、松葉杖で歩ける程度の障害のようだ。誰かが「犬をもらってくれ」というと、作家が「家にはもう5、6匹いる」といい、ストーカーの家にもらわれていくのか。 娘が移動していく大写しになって。ひょっとしてストーカーは娘の足が治りますように、と願っていて、歩けるようになったのかな? と思ったら、カメラが引いていったらストーカーが娘を肩車して歩いているのだった。家の中には蔵書がたくさん。インテリだったのね。ストーカーは、疲れた、と妻に言ってベッドに潜り込む。 テーブルに突っ伏すようにしている娘。テーブルにガラスのぐらい3つ。ひとつが、勝手に動き出す。もうひとつも。最後のひとつは、テーブルの下に落ちる。なんと、娘はエスパーなのか。超能力者だったのか、超能力者になったのか、しらんけど、唐突さに笑っちゃったよ。バックに流れるのは“歓喜の歌”なんだけど、それがどうした、な感じ。 観客は2人。1人は車椅子のオッサンだった。 | ||||
インディ・ジョーンズと運命のダイヤル | 7/31 | 109シネマズ木場シアター4 | 監督/ジェームズ・マンゴールド | 脚本/ジェズ・バターワース、ジョン=ヘンリー・バターワース、デヴィッド・コープ、ジェームズ・マンゴールド |
原題は“Indiana Jones and the Dial of Destiny”。映画.comのあらすじは「インディ・ジョーンズの前にヘレナという女性が現れ、インディが若き日に発見した伝説の秘宝「運命のダイヤル」の話を持ち掛ける。それは人類の歴史を変える力を持つとされる究極の秘宝であり、その「運命のダイヤル」を巡ってインディは、因縁の宿敵である元ナチスの科学者フォラーを相手に、全世界を股にかけた争奪戦を繰り広げる」 Twitterへは「冒頭とラストはヒキがあったけど、中盤のチェイスはどれもワクワクせず。必然性もドラマもなく、追いつ追われつだけなので、飽きる。あのダイヤルの件も、なんかアバウトなままだし。全体にピリッとしないのだった。」 冒頭は、ドイツ軍服のインディがつかまって「スパイだ!」と首つりになるのだけれど、連合軍の不発弾と、直後にその爆弾の爆破によって一命をとりとめる。その後は、ドイツ軍が列車で運び去ろうとした財宝・遺物を奪い返そうと、列車の中で右往左往。なんとかの槍をとりもどそうとするも、なんとこれが偽物。その代わりにアンティキティラのダイヤルを手に入れるんだけど、この争奪戦はナチの男フォラーとの争いになって。考古学者バジルも交えて列車の屋根であれやこれや。なんとかフォラーを出し抜いて、ダイヤルを手に入れる。…という件は、ああ、いつものインディ・ジョーンズだ! と、テーマソングが流れるとなぜかワクワクした。のだけれど、以降の流れがほんとつまらない。 時は流れて1967年? 宇宙飛行士のパレード、ビートルズの『マジカル・ミステリー・ツアー』が流れて。大学の講義に現れる怪しい女性がインディに接近し、バジルの娘ヘレナだ、と明かす。のだけれど、すでにヘレナは黒人女性やフォラーの一味につけられていて。ヘレナはインディを騙すかたちでアンティキティラのダイヤルを奪い、追うインディ。ここで始まるのは、パレードを蹴散らしつつ馬で逃げるインディ、追うフォラー一味、地下鉄フォームや線路上での追いつ追われつ…。なんだけど、そんなことしたら即逮捕だろ、と思えどそんなことにはならない、のだよね。で、ここでもまだ、アンティキティラのダイヤルがどういうものなのか、よく分からんまま、だったりする。時の裂け目をどうたら、というのみで、イライラ。 ダイヤルは反欠けなのでどうたら言っているけど、これもよく分からない。 舞台はモロッコに移って。ヘレナはダイヤルを秘密の競売でたたき売ろうとしている。そこに、なぜかたどり着けるインディ。なぜかフォラー一派もやってきて、ダイヤルを奪ってクルマで逃げる。インディ、ヘレナ、ヘレナの仲間の少年テディもまじえて、オート三輪で追いつ追われつ。なんだけど、チェイスを見せるためにこういう展開になってる、としか思えない感じで、飽きてくる。こんなことよりアンティキティラのダイヤルの秘密を知りたいし、フォラーと一緒に行動している黒人女性の素性を知りたいのだが、彼女はあっさりとフォラーに殺されてしまう。彼女はいったいどういう人物だったんだ? その黒人女性メイソンについてはCIAだと書いてあるサイトがあった。たしかに、映画の中でもCIAか? みたいなセリフはあったけど、確定はしてなかったような…。というか、なぜCIAがフォラー一派と結んでインディを追う必要があったんだ? よく分からん。 次はなぜかエーゲ海で。3人はインディの友人の潜水士と合流し、もぐって何だか知らん板きれを都合よく見つけるんだけど、ほとんど推理も苦労もなく次のヒントを手に入れてしまう展開に、飽き飽き。そてこの潜水士、アントニオ・バンデラスにちょい似てるなと思っていたらその本人だった。でも、ちゃんとまともに映らん扱いでお気の毒。で、お約束な感じで潜水中にウツボかなんかに襲われて、でも助かって。でも、フォラーたちの船が接舷していて、潜水士は呆気なく殺される。海中からみつけた板きれ(グラフィコス?)はフォラーたちに奪われるが、板の文字をインディとヘレナが解読し…、で、どうなったんだっけ? なんか、板の蝋を溶かしたら、月のカタチをした金の板がでてきて、3人は水路シシリーへ、だっけか? 細かい攻防は覚えておらんよ。 シシリーでは、観光地になってる洞窟みたいなところに入って行くんだけど。もう調査され尽くしたところに何があるんだよ? このあとぐらいか、少年テディがフォラー一味に誘拐されるんだけど、なんのために誘拐したんだ? まったく意味がないし、負担になるだろだろうに。たんに話を少しふくらませるためだけ、のためみたいだな。 インディとヘレナは金の板の月の図とか、を手がかりにどんどん進んでいって。床を水没させたら床が坂になって、どどどとど。ムカデやなんかの虫地獄もかつてのシリーズを継承してるけど、たんなそれだけなので、面白くもなんともない。しかも、なんと、アルキメデスの棺桶を見つけ、なかにあったアンティキティラのダイヤルの残り半分をゲット。ついでに、現代風の腕時計もゲットする。さてもちろんフォラー一派も、この観光施設に入り込んでいて。3人から半欠けを奪ってアンティキティラのダイヤルを合体。急ぎ空港に行くと、ナチの制服を着た連中が待機していて、飛行機も離陸しようとしている。 どうやらフォラーはドイツ敗戦の原因はヒットラーにあるので、時を遡り、ドイツ勝利に変えようという魂胆らしい。のだけど、賛同者や飛行機、飛行場、その他モロモロどうやって準備してたんだ? アンティキティラのダイヤルが手に入って合体できたタイミングに合わせて出発できるなんて? 嘘くせえな。 よく覚えてないけど、インディはその飛行機に乗ってて、フォラーを阻止しようとしていた。ヘレナはバイクを運転し、離陸寸前に飛行機の脚にしがみついて機内へ。解放された? テディはセスナ見たいのに乗って、離陸するんだけど、テディの行為は意味あるのか? ただの賑やかしではないのか? フォラーは大戦末期にいくつもりが、なぜかアルキメデス存命のシチリアへ。調べると、ギリシアとローマが戦っている(シラクサの戦い)最中、らしい。なぜか古代人の槍が飛行機にぶっささり、あえなく墜落。って、バカっぽいな。しかし、モロッコからエーゲ海、アルキメデスの棺桶あたりはつまらなくて寝そうになっていたけど、バカっぽい展開で少し目が覚めた。インディ、タイムトラベラーになっちゃうのかよ。 あとはドサクサな展開で。アンティキティラのダイヤルをつくろうとしていたアルキメデスは、怪鳥=飛行機の登場にびっくり。フォラーは時を戻ろうとしたけど飛行機は呆気なく墜落で死亡。アルキメデスはフォラーのもっていたアンティキティラのダイヤルと腕時計を回収。着陸したテディは、再び離陸しようと待ち受けている。インディはアルキメデスとの対峙に興奮し、「この時代に残る!」と言い張る。のをヘレナが顎を殴って気絶させ、気がついたら元の時制に戻っていましたとさ。 なんだけど、もどるにはアンティキティラのダイヤルが必要なはずで、でも、歴史的には半欠けはアルキメデスが保持して棺に入れられた。残りの半欠けは、どういう経緯をたどったのかしらんけど、冒頭のようにナチが手に入れていたのをインディが手に入れて博物館へ? だよな。てことは、インディたち3人が再び時の裂け目を通り抜けたとき、アンティキティラのダイヤルはどういう状態になってたんだ? 時間設定を終えてから半欠けをアルキメデスにわたしたのか? 全体をアルキメデスが所有し、半欠けは何らかの経緯でアルキメデスの手を離れた? しかし、分割する理由はどこにあったんだ? もともと分割できる設計だった? 分からんなあ。 フォラーは、アンティキティラのダイヤルが時を遡る装置、といつ知ったんだ? 冒頭では全員、槍を手に入れようとしていたのに、たまたまアンティキティラのダイヤルもでてきて、おお、ってなったんじゃなかったっけ。この時点からフォラーの野望が始まったのか? でまあ、現代の時制に戻ったインディの元に、離婚の危機にあった妻が戻ってきていて。これはヘレナの手筈なのかな。めでたしめでたし、なんだけど。インディの息子は戦死かなんかしてたのか。前作は見てるけど忘れとるがな。で、息子の死で離婚の危機とか言ってるけど、そんなの知らんがな、な話である。 |