2023年10月

ジャム DJAM10/3ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/トニー・ガトリフ脚本/トニー・ガトリフ
2017年製作。フランス/ギリシャ/ トルコ映画。原題は“Djam”。公式HP(?)のあらすじは「音楽とダンスをこよなく愛するギリシャ人の女性ジャムは、レスボス島でレストランを経営する元水兵の継父、カクールゴスとふたりで住んでいる。ある日、船のエンジン部品を調達するため、カクールゴスの代わりにトルコ・イスタンブールへ出かけることに。そこで彼女はフランスから難民支援のボランティアに来たアヴリルと出会う。」
Twitterへは「奔放なジプシー娘と、偶然であった仏娘の2人旅。ボーッと見てる分には楽しいけど、ちと散漫な感じも。ところで娘の住むレスボス島はネトフリで見た『スイマーズ 希望を託して』にも出てきたっけ。救命胴衣の山が同じだった。」
娘っ子2人が出会って旅をする、という話なのでつまらなくはない。あとから地図を見たらレスボス島はエーゲ海に浮かぶ島でギリシア領らしい。といってもトルコ沿岸10キロぐらいにあって、なぜギリシア領なんだ? な感じ。映画の最後の方で2人が島に戻り、アヴリルが島内をふらふらすると、難民が乗ってきたらしき船がたくさん放置されている。もしかして…。ネトフリで見た『スイマーズ 希望を託して』で最初に着いた島か? と思ったら、たくさんの救命胴衣が捨てられている場面が同じだ。そうか。あの島か。話が結びついた。で、ジャムはレスボス島からフェリーに乗ってでかけるのだけれど、地図で見ると海路の方が便が良さそう。距離も300キロぐらいだし。ずっとフェリーだったのかな。
それはいいのだけれど、いろいろ話にムリがあるというか、必然性のない展開が多い。
・冒頭でふらふら歩いているジャム。柵を乗り越えるところで、ノーパン? その後も足を広げて横たわったけど、ノーパン? と疑っていたら、義父に「ノーパンで出歩くな」と言われていたので、そうだったのか。この大らかさよ。
・なぜ義父は自分でイスタンブールに行かず、ジャムに託したのか? 13kgもある古いロッドを若い娘に持たせるなんて酷すぎるだろ。
・ところで、フェリーに乗った後、イスタンブールに着いた後、アヴリルとどうやって出会ったのか、記憶がない。映画観ながら他のこと考えていたせいかな。困ったもんだ。
・アヴリルがフランス人だとはっきり分かるのは最後の方で、実はどういう人物なのかよく分からなかった。ボランティアでシリアに行こうとしてどうたらこうたら。男性(彼氏?)と一緒だったらしいけど荷物を持ち逃げされて宿無しで、なところをジャムと遭遇。アヴリルは屋根の上の野宿しているところに連れて行って、もっていた衣服を与える。のだけれど、義父はジャムに「このホテルに泊まれ」と指定していたよなあ。ホテル代を浮かしてたのか? 与えた衣服にしても、アヴリルはひどいものを身につけていたわけでもないのに、なんで? なんだよね。
・身の上話などをしながらジャムが楽器を名らしい歌うシーンはなかなかいい感じ。で、翌日、ジャムはアヴリルのパスポートを再発行してもらうために、オッサンと交渉するんだけど。あれは誰なんだ?税関? フランス大使館じゃないよな。で、なんとジャムは手製のようなナイフを3本とりだし、これでどうだ? だけどオッサンは金がいい! で、結果は描かず、どうやらパスポートを手に入れた様子。しかしナイフ3本はかなりの重さ。あんなものをなぜリュックに入れてきたんだ? 
・しかし、ここまでして、たまたま出会っただけの、フランス語しかしゃべれないアヴリルの世話をしてやる必要性は、どこにあるんだ? まあ、映画的な話の都合上、なのかね。
・なぜかジャムは、マンコが変、とかいいだす。路傍でパンツを下ろし、アヴリルに「見て」と言ったりする。後から、カミソリで「剃って」といったりする。アヴリルは「ホクロがある」というだけだけど、あれはいったい何だったのだ? 剃るとき「長四角に剃って」といったり。あれも、よく分からん。というのも、ジャムの男関係は一切登場しないからなんだけど。もしかして性病を疑っていた?
・翌日、荷が重い、といってジャムは古い見本のロッドを路傍に捨てる。しばらくして戻るとガキどもが手にしていて、「返せ」というと金を要求する。外国はみなどこもこんなだな。どんどん値をつり上げてくるので、ジャムは紙の表に紙幣を載せて巻いて、大金のように見せてごまかして、まんまとロッドを取り返す。のはいいんだけど、なんでロッドを捨てたりしたのか、ああいう思いつき的な行動が、理解不能だな。
・義父の馴染みの金属加工業者はすぐに見つかり、新しいのをつくってもらう。じつは、つくるまでにひと騒動あるかと思っていたので拍子抜けだ。それはいいが、待っているアヴリルのところに行くと、靴を磨いてもらっている。アヴリルはタダだと思い込んでいる。こんなことに払う金はないよ、というジャムだけど、なんとかしたのかな。
・帰路も海路かと思ったら、なぜか高速バスに乗っている。深夜、バスは車輪の様子がおかしいと修理屋かガソリンスタンドみたいなところに寄るんだけど、なぜかジャムは目が覚めてトイレかなんかに黙って向かう。ああ、これは置いてきぼりになるのか。と思ったらその通りの展開。ミエミエだろ。
・ひとり道を歩いていると、わけわからんオッサンが「息子があ!」と叫んでいる。それはほっといて、えーと、どうしたんだっけか? どうやって再会したんだっけ? アヴリルがタクシーでバスが停まったところまでやってきて、うろうろしてたら、息子が! と叫ぶオッサンがタクシーに向かってきて、再会したんだっけか? なんかそんな感じ。ロッドの入った荷物はクルマのトランクにある。さて、と思ったらオッサンが「息子が病気で病院に行かなくちゃ!」と叫びまくって勝手にタクシーに乗り込んでくる。しかたなく行くと、息子と言うから少年が熱を出して伏しているかと思いきや、30過ぎの男が地面を掘っていて、「俺は立ったまま死ぬ! みんな銀行のせいだ」みたいなことを言っている。なんだこれ。で、病院に行くんだけど、なぜか入院したのは父親の方? わけ分からん。
・で、こんどはタクシーの兄ちゃんが、金を払え、と立ち塞がる。「なんでタクシーなんか使ったの!」「だってしょうがないでしょ!」。でジャムは「お金はない。どっちが先に運転手と寝るか決めよう」と、身体で払おうとするけど、アヴリルは、信じられない、という表情で去ってしまう。のだけれど、次のカットでは道を2人で歩いているので、ジャムは隠し持った金で払ったのかね。このあたりがテキトーすぎ。
・喧嘩しながら歩く2人。ジャムが、服を返せ! というと、歩きながら脱ぎ始め、下着姿になってしまうアヴリル。でも、次のシーンではちゃんと服を着てるし、なんか、仲直りした感じで。このあたりもテキトー。
・駅に来ると、ストだから電車は明日まで来ない。駅舎はしめる。といわれ、やれやれと思っていたら、ジャムはハンガリーかどっかの音楽祭に行くという友人カップルをみつけ、駅でたき火して夜を明かす。
・夜、街を歩いていたら店先の男から呼び止められ。なんと男は穴を掘っていたあの息子で。一緒に飲んで、ジャムは踊って。息子が言うには、親父は入院した。でも、男は哀しそうに涙を流してたかな。それにしても、いったい親子に何があったのか、よく分からない。この映画は2017年の製作で、当時ギリシアは不況にあったとどこかのサイトで書いていた。それがトルコにも関係していたのか?
・街のどっかで目を醒ますんだっけか? で、ホテルに泊まろうとするんだっけか? 金もないのに? ホテルに行くと、やってない、といわれて。でも、なんか理由をつけて泊まらせてもらってたんだっけか? シャワーを浴びたら水で。ウブリルは脱いだ服を水浸しにしちゃって。ベッドに入ったら、ジャムがアヴリルに絡もうとして、拒絶されたり。たぶんジャムはレズではなくて冗談だったと思うけど、アヴリルはマジで拒否ってた感じ。
・このあたりから記憶がおぼろ。ジャムの陰毛見せのシーンがあったけど、ちゃんと細四角に刈ってあったのは、どこらへんだっけか?
・陸路で2人、国境を越える場面があるんだけど。なんで帰りも海路にしなかったのか? 陸路で国境を越えて、でも、どっかでフェリーに乗らなきゃならんはず。
・帰る途中でお爺さんの家、といっても廃屋だけど、に寄って、墓に行って、でも、ジャムは墓石に小便をかけるのだ。「祖父は警察官でファシステの手下だった。音楽と自由を抑圧するジジイにはオシッコをかける」といって。そして、価値のありそうなもの(死んだ実母の好きだったレコードとか、むかしの写真とかだったけど)をカバンに詰めて。
・で、レスボス島に戻ると、義父は「遅い」と。「ストがあったから」というけど、ジャムがのんびり旅行を楽しんでいたのは、たぶん事実だろう。とはいえ、もともとイラクにボランティアに行くつもりだったアヴリルもレスボス島にやってくるのはなんでなの? 映画の都合か?
・で、島に戻って、船は直ったけど、なぜか差し押さえ人みたいなのが義父の家にやってきて。TVだのなんだの持ち出そうとする。呆然と見守る義父と連れ合いと祖母だっけ? 他にもいたけどよく分からん。そういえば、ジャムの実母は子連れでフランスに行き、義父の経営するレストランに雇われた、と言ってたっけか。ジャムはフランスで育った。それでフランス語ができる、と。それはさておき、ジャムは銃を持ち出し、脅して差し押さえ人たちを追い払ってしまう。マンガみたいな展開。
・ここでも「銀行が…」と義父は漏らしていたけど、これこそギリシア不況の影響なのか。なにがどうしてなのか分からんけど。借金が返せずこうなったのか? 説明がないのでわからない。
・でも、そんなことは関係なく、家がないなら船で生活だ、とばかりに一同は持ち船(でも、船だって抵当物件だと思うけど)で海に乗り出して唱い踊る脳天気さ。なんかなあ。ギリシアのジプシーも、楽天的だね。
・世間知らずのフランス娘アヴリルは、荷物とパスポートを彼氏(?)に持ち逃げされる。パスポート再発行もできず。靴磨きに簡単に騙される。金もないのにタクシーを使う。世間ズレしてるジャムは、トルコの少年を騙してロッドを取り返す、アヴリルのパスポートも上手く再発行させる。ホテルもまんまとタダで泊まっちゃう。とか、その違いが面白い。フツーならお荷物のアヴリルなんか置いてきぼりにしちゃうところだけど、最後まで面倒をみるのも面白い。・実は、当時の経済不況が背景にあるらしいのも興味深いけど、理屈はよく分からない。というか、説明してないし。
ガッジョ・ディーロ10/5ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/トニー・ガトリフ脚本/トニー・ガトリフ
1997年製作。原題は“Gadjo Dilo”。公式HP(?)のあらすじは「父が遺したカセットテープを頼りに、幻の歌姫を探して彷徨うフランス人青年のステファンは、ある日、ロマの村にたどりつく。村人たちは異 国から来たよそ者に冷たい態度をとるものの、なぜか酔いどれの老楽士イジドールは彼を気に入り、無理やり自分の家に滞在させることに。父が愛したロマの音楽、パワフルな女性サビーナとの恋……。村の人々の生活と文化に触れ、徐々に仲間として受け入れられるステファンだったが、ある日事件が起こって──。」
Twitterへは「同じくトニー・ガトリフ監督で、いかにもジプシー物な音楽と踊りと村の面々が右往左往弾けてる。村に迷い込んでくるフランス青年も得体が知れないけど。まあ、これはすなわち、探しているものは近くにあるという「青い鳥」なんだろうな。」
ガッジョ・ディーロとは、愚かなよそ者、の意味らしい。
この映画も設定はアバウトで、ツッコミどころはたくさんある。ただし、構造はちゃんとしていて、ステファンがジプシー村に彷徨い込み、酔っぱらいのイジドールに気に入られ、野蛮な女のサビーナと出会って恋に落ち、サビーナとともに村を去るまでの話。ほかにあるのは、イジドールのバカ息子が警察沙汰になった話だけど、映画がはじまる段階では連行される状態で、後半で戻ってきて、でも再びいざこざを引き起こす、ぐらいなもの。それも含めてたくさんの小ネタが詰め込まれている、といった案配。
ステファンがノラ・ルカという歌姫を探している理由はよく分からない。父親のカセットを頼りに、なにが目的? 本人を探し出してどうしようというのか。父親の話も、シリアで死んだ、ぐらいしかでてこない。なのに息子のステファンが世界中旅してノラ・ルカを探しているのは、かなりな謎。まあ、それを言いはじめたら、この映画は成立しなくなっちゃうけど。でまあ、歌姫が唱う歌は、ルーマニアでは昔から唱われていたポピュラーな曲だ、とサビーナに教えられて。なんだ、探していたものは身近なところにあったんじゃないか、と納得する話である。
でも、そんなことより、全編を通して表現されているジプシーの男たちの奇矯さ、女たちの圧倒的なパワーを楽しめばいいか、という感じ。
・舞台はルーマニアなのね。最初分からなかったけれど。・ジプシー村は、たぶんある村の一部、集落的な感じなんだろう。その区別がつきにくい。村の酒場にいる男たちは、たぶん多くは非ジプシーだろうと思う。
・ステファンは、村から連行されるイジドールの息子とすれ違う。
・村に向かう馬車にはジプシー女たちがぎっしの乗っていて、あたしとやりたいのか、なんてからかわれる。おおらかだね。
・イジドールが叫んでいたのは、あれは酒場だったんだな、たぶん。そこで息子がいざこざをおこして逮捕されたんだろう。ステファンはその酒場に泊まりたくて扉を叩くが相手にされず、イジドールと飲み明かし、イジドールの家へ。翌朝、窓からジプシーの子供たちが騒ぐ。「ガッジョ」だか「ディーロ」だったか言ってたのは、よそ者、ということだったのか。その子どもたちの多くが銀歯とか入れてるのは、なんなんだ? 財産になるものを身体に埋め込む習慣があるのかな。ジプシー。
・ステファンの靴が破れているので、イジドールが靴を盗む場面がある。頭から血を流して伏している男がいて、そこからピカピカの靴をいただいてくるんだが、あの男は誰? イジドールの息子が怪我させた相手なのかな。
・ステファンは、父親が残したカセットの、なんとかいう歌姫の声を聞かせまくるんだが。誰も反応しない。でも、のちにサビーナは「ルーマニアでは昔からよく唱われている」というではないか。なら、誰もが「知ってる!」と反応してもいいんじゃねえか?
・ステファンはフランス語のみ。ジプシーたちはロマニ語とルーマニア語? まったく話が通じてない。サビーナは、ベルギーに夫がいるらしく、だれかが通訳しろ、というけど「ベルギー嫌い!」とまったく相手にしない。どころか、ステファンに向かってスカートをめくって尻を見せる。すごいなあ、ジプシー女のこの大らかさ。
・サビーナが友人たちとテントの中で髪を洗っている場面がいい。上半身裸体で、キャアキャア言いながら。で、誰かがステファンにそこに行くように言う。何気なく行くと女たちが裸で、あわてて飛び出すステファン。これは、ステファンがサビーナに関心があるようだから、のことかね。
・イジドールの家の壁に掛かっている古いレコードを、先端に縫い針をつけた丸めた新聞紙をスピーカーにして再生したのもこの頃か。「親父の好きな音楽だ!」とイジドールは大喜びするけど、親父の好きな曲に興奮するのが、ステファンと似ているね。
・どっかの親父が、結婚式で演奏してくれと依頼に来る。後日のことかと思ったら、そのままその男の家に、イジドールも含めていくんだけど。イジドールも楽隊の一員だったのか。ステファンはイジドールに、楽士か? 歌手か? と聞いていたのは、ジプシー村は音楽家ばかり、と分かっていたからなのかね。結婚式に一緒に行く若い娘の父親が「この子は処女なんだ。ちゃんと処女を守ってくれよ」と、処女証明書を見せる のがおかしい。そんなものがあるのか? 嫁にやるときに必要なのか? というか、そもそもが性的なハードルが低いから、すぐ誰とでもやっちゃうという背景もあるのかな、などと想像。理由も分からずついていくステファンは歌姫ノラ・ルカに会えると思ってウキウキ。でもただの結婚式で。着くと花嫁の父が家の前で刃物を振りかざして「娘はやらん!」 とか騒いでる。でも花婿が頼み込むと打ち解けて父親は花婿が抱き合うのは、ありゃルーマニアの結婚式の儀式なのかね。面白い。
・あいつなら歌姫を知ってるだろう、という情報で出かけたら、その人物はすでに死んでいて。イジドールは墓の前で大げさに泣く。このとき背の低い男がヴァイオリン弾いて朗々と唱ってるんだけど、どっから湧いてきたんだ、こいつ。
・そのうちステファンはサビーナとも会話するようになり、片言のフランス語で意志が通じている様子。それにしても、サビーナはベルギーで何があったのか。ベルギーの男に惚れて一緒に暮らしたけど、結局、戻ってきた?
・ステファンのところに母親から手紙がくるんだが、いつ住所を教えたのだ? でその封筒にはお金が同封されていたんだが、どうやらステファンはそれでクルマを調達したらしい。ジプシー村の足として期待され、たくさんの女たちを乗せてパリへ行こう! なんていうけどキャブレターがおかしくなったとかで修理に。次の場面では同乗しているのはサビーナだけになってたりして、いまいちつなぎがテキトー過ぎ。まあ、テキトーにエピソードを紹介してるだけ、なんだろうけど。
・この頃からステファンは、いつどこから調達したか謎、な録音機材で、ジプシーたちの音楽を記録し、データ化していく。これは、歌姫ノラ・ルカにめぐりあうため? それともジプシーの歌に興味をもったから? ところで、録音してるときにも、あの背の低い歌い手がいたよなあ。別の集落のジプシーなのか?
・あるとき、サビーナが「イジドールはブカレストに行きたいって言うよ、女遊びがしたいんだ」とステファンにいう。その通り、イジドールがステファンに「ブカレストに行こう」といい、行った先はネオンギンギンのクラブみたいなところで。イジドールは女の子を両脇にご満悦。なぜかステファンとサビーナも飲んでるんだけど。イジドールは「女たちの写真が撮りたい」とか「ホテルの部屋に来てくれって通訳してくれ」っていうんだけど、女たちは知ってか知らずか無視。どーも一発やりたくてきたのかな。そんなイジドールをよそに、サビーナが歌う曲にステファンが衝撃。「探していたあの歌だ。親父が好きだった」「ルーマニアじゃよく唱われてる」。なんだよ、探していた曲はこんな身近にあったんじゃないか。でも、なら誰もが知ってただろうに。楽曲ではなく、歌姫に興味があったのか? このあたり、よく分からずだった。
・翌日の帰路、「クルマに酔った」とイジドールが降りて林へ行き、サビーナが心配げに行くと、「いいだろ、やらせろ。ちょんの間で終わる。ステファンも大目に見てくれる。いいじゃないか、老い先短いんだから」とからんできて。ブカレストでできなかったから、手近なサビーナを相手にしようとしたのか。やれやれ。
なことがあって、村に戻り、なぜかステファンとサビーナがいい感じになったところにイジドールの息子が出所してきたという情報。ということは、ステファンは6ヵ月もあの村にいたということか? 息子を囲んでお祝いが盛り上がって。
・で、やっといよいよまぐわうステファンとサビーナ。色っぽいよりも、満面の笑顔で楽しくて楽しくてたまらない感じ。こういうセックスは、ジプシーに特有なのか。クストリッツァの『黒猫・白猫』でも、大らかで屈託の全くない青かんが描かれてたよなあ。いっぽう、結婚式の仕事が舞い込んできていて、一同でかけようとしている。「サビーナは?」なんて声も聞こえたけど、2人は全裸で林の中を駆け回ってたりして楽しそう。
と思ったら、イジドールの息子がパリッとした恰好で、仲間とクルマで酒屋に乗り付け、店の客に「俺を売ったやつに奢る」とせせら笑うが、逆に罵声を浴びせられ、激怒して男の顔に酒瓶を投げつけノックアウトさせてしまう。でも多勢に無勢で逃げまわり、自宅の二階に逃げ込むんだけど、村人たち(たぶん非ジプシーのルーマニア人)が家に火をつける。焼け落ちる屋根。飛び出してくるニワトリ。でも、息子は出てこない。
・ステファンとサビーナは焼け跡に驚き、中を覗き込むと…。映像では描かれないけど、多分、焼死体。泣き叫ぶサビーナ。なんだけど、このあたりの関係がいまいちよく分からず。村人はジプシーを蔑視し、イジドールの息子は刃向かって喧嘩になり、のやりとりがつづいているのだろうけど、身から出た錆なのだから「バカな男」と突っ放さないのは、同じジプシーとしての同胞意識なのかね。
・ステファンとサビーナは結婚式にクルマで乗り付け、報告。崩れ落ちるイジドール。
・ステファンのクルマ。いよいよ村を去るのか。途中で止まり、降りるステファンは「俺は何をしていたんだ?」とつぶやき、録音収集したカセットを叩きつぶして土中に埋める。そばにある道標みたいな石は、村に来るとき「これ以上、歩けない」とへたり込んだところにあったものと同じかな。カメラがクルマの後部座席を映すと、そこにサビーナが横になっていて。それが半身起こして、ニヤリと笑うんだけど、なかなか意味深。だってサビーナはベルギーに男がいて、でも上手く行かなくなって出戻ってきたんだろ、多分。ステファンとの関係も、それと同じ繰り返しなのではないのか。いい歳をして稼ぎもなさそうなステファン。老いた母親に頼って生きるのか。フランスにサビーナを連れて行っても、本来の奔放さが発揮できなくなって、また出戻るんじゃないのかね。と、心配になった。
★この映画を評しているサイトのリンク「映画『ガッジョ・ディーロ』-ロマと非ロマのはざま」
白鍵と黒鍵の間に10/10ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/冨永昌敬脚本/冨永昌敬、高橋知由
allcinemaのあらすじは「主人公を対照的な2人の人物に分ける大胆なアレンジで、ある曲が2人のジャズピアニストの運命を狂わせていく狂騒の物語を、マジックリアリズムのタッチを織り交ぜ、自在かつ奔放に描き出していく。」「昭和末期の夜の銀座。場末のキャバレーで演奏していたジャズピアニスト志望の博は、ふらりと現れた謎の男のリクエストに応えて『ゴッドファーザー 愛のテーマ』を披露する。しかし、その曲は銀座では“あの曲”として知られ、リクエストできるのは界隈を牛耳る熊野会長だけとされていた。そして、演奏を許されているのも会長のお気に入りである南というピアニストだけだった。しかし、その南自身は夢を見失いかけていた。そんな2人の運命が交錯し、やがて周囲を巻き込みながら予測不能の一夜が繰り広げられていくのだったが…。」
Twitterへは「解説では、2人のピアニスト、としてるけど。新米の頃と3年後、が同じ時空で重なっているようにしか見えないんだよね。音楽話はまあいい。でも鉄砲玉とかビルの谷間の妄想は話をつまらなくしているだけ。気を衒ったことをしたかったんだろうけど。」
1987年だったか88年だったかの銀座が舞台。でも、映像に映る夜の街は、多くは銀座には見えなかったんだけど…。でまあ、正直いって話は混乱している。その理由は↑のあらすじにある「主人公を対照的な2人の人物に分ける」にあって。この2人の人物をともに池松壮亮が演じていて、名前も似通っているからだ・ずっと同じ名前かと思っていたら、公式HPを見たら、片方が南で、もう一方が博、と氏と名前で区別されていたのか。気がつかなかったよ。で、博が新米で、南がベテランなのか。ふーん。でも、南に関して「3年前は新人」みたいなことも誰かが言ってたよな。3年であんな成長するのか? それはいいけど、この2人が接近遭遇することはない。さらに、周囲の連中はみな両方を知っているはずで、だったら顔が似ているとかいいそうなもんだけど、そんなことはない。なので、素直に見ていけば、Twitterに書いたように「新米の頃と3年後、が同じ時空で重なっているようにしか見えない」のだよね。
登場人物がやたら多くて、その相互関係も分かりづらい。そこに南と博がいて、それぞれは誰とどういう関係になっているのか、なんてことまで判断しろっていうのが、うっとーしー。まあ、ぐっちゃぐちゃだよ。
そんななかで面白かったのは、本来は店が終わってから、のはずだったパーティが始まってしまい、南とリサ、なんかがセッションを始め、キャパレーを辞めた若いサックス吹きもまじえての音楽シーン。なかなか楽しかった。
周辺を固める連中も面白い。すぐズルして抜け出す老獪なバンマス(ギターを抱えてる)三木とか、南だったか博だったかがピアノで技を見せると、目立とうとするなよ的なことをいう陰気なギター弾き曽根とか、出稼ぎの外国人歌手リサとか、メンバーの調整をしたりするピアニスト(にしては演奏シーンがほとんどなかった)でマネージャー(っぽいこともしてたよな)らしき千香子とか、店の支配人の門松とか、キャバレーやクラブに出入りしている連中の存在で、ただし、それぞれがどこに所属しているのか的な背景がよく分からないのが困りもの。
楽団に所属している楽器弾きもいれば、見せ名所属しているらしいのもいるし、フリーで時間ごとに店を渡り歩いているのもいるみたいなんだけど、そのあたりがいまいちよく分からない。楽器弾きのたまり場となっているカフェみたいなのもあって、そこにいると欠員募集の声がかかったりするのも面白い。「トラ」なんていう言葉がやたらでてきて、「代わり」「代用」というような意味なのは分かるけど、もとは何だっけ? 調べたら「エキストラ」だった。しかし、こういう符牒を説明なく使っちゃう。そういうのも含めて、銀座のクラブやキャバレーにおけるミュージシャンの生態を描く群像劇にすりゃあ少しはマシな映画になったんじゃないのかな。もちろん芯となる人物や話はあっていいと思う。でも、南と博の話は、芯にするにしては分かりづらくてこんがらがるだけだ。
わかりづらいだけじゃなくて、南と博の話しは物語として薄っぺらで、とくにドラマもないのでつまらない。南は、銀座を抜けだしてアメリカの音楽学校に行きたい、というだけ。博はピアニストとして働きたい、というだけ。それじゃ魅力がなさ過ぎ。
ここに、得体の知れない鉄砲玉と、狙われる会長というのが登場するんだけど、これも薄っぺら。会長がどういう存在で、鉄砲玉は誰に頼まれたのか、など、分からない。つまりは記号的にしか存在しない。そういえば、ムショから出たばかり、というのがいたけど、あれが鉄砲玉だったのか? 
会長しかリクエストできないという「ゴッドファーザーのテーマ」も、それはなぜで、どうして会長が怒るのか、もわからない。そもそも会長を演じているのが松尾貴史じゃ、コメディだろ。
わけの分からないまま鉄砲玉が会長を、撃ったんだったか刺したんだったか。その会長の死体を、ビルの谷間に落としたのは三木だっけ? 覚えてないけど。鉄砲玉も死んで谷間に落ちたんだっけか。のあと、南なのか博なのか、も落ちて。3人の亡霊が、ここに落ちると抜け出せないというビルの谷間でわけの分からないことをし出す。南だか博だかは、死んでなかったのか? 髪もひげもボウボウで、そこでどうやって生きていたんだか。最後はそのひげボウボウが街中に出るんだっけか? すっかりもう忘れてるよ。こういう観念的な場面、挿入する監督いるよね。これが映画的だと思っているのか。要らないんだよ。フツーに撮ればいいんだよ。南の母親だったか、母子手帳がどうの、という場面も異次元的な臭いがしたけど、あんな場面は要らないんだよな。
東京テアトルが力を入れてるようだけど、肩すかしのハズレ映画でしかなかったね。残念。
・鉄砲玉が博に「ゴッドファーザー」をリクエストするのは、しちゃあいけないのを知ってのことだったのか?
・「ノンシャラント」というのが、大学時代の教授(?)が使っていた言葉としてでてくる。ん? ノンシャランじゃなかったっけ。調べたら元はフランス語でnonchalantだけど、わざとtを発音しているということかね。・ジミー・ヤンシーがどうのと南が言ってたけど、知らない音楽家で。調べたら日本語Wikipediaがなかった。1940年代ぐらいに活躍した人らしい。
・他には、リカード・ボッサというのがでてきた。この言葉でヒットしたのは、リカード・ボサノヴァなんだよね。これは、ボサノヴァで、ジャズのスタンダードでも有名らしい。で、動画を見たら、ああ、この曲か。超有名じゃん。な曲だった。Recado Bossa Novaを、Recado Bossaと呼んでるのか。
・会長が唱うのはズンドコ節。なんかなあ。こんなの唱わせるなよ。
君は行く先を知らない10/11新宿武蔵野館2監督/パナー・パナヒ脚本/パナー・パナヒ
イラン映画。原題は“Jaddeh Khaki”。英文タイトルは“Hit the Road”。allcinemaのあらすじは「イランの国境近くを車で旅する4人家族を主人公に、兄との別れというこの旅の真の目的を知らず、ひとり無邪気にはしゃぐ幼い次男と、そんな次男に本当のことを打ち明けられずに持て余してしまう家族の姿を通して、一家が抱える深い苦悩とイラン社会の過酷な現実を浮かび上がらせていく。」
Twitterへは「ジャファル・パナヒの長男が監督らしい。では、彼も政府の監視下にあるのや否や? とくに事件も起こらず、最後も特段驚く感じでもない。ので拍子抜け。旅の途中のだらだらも、うーむ。言うことを聞かない弟を客席からひっぱたきたくなった。」
ドライブしてる4人家族。青年が運転し、助手席にはオバサン。後部座席には足にギプスしたフセインみたいな鬚の親父。うるさい男児。最後部には犬もいるみたい。この男児が言うことを聞かず、ひたすらうるさいので、イラつく。誰か頭を叩いて黙らせないのか。と、不愉快になる。どういう躾をしてるのだ。
男児は7、8歳なのか? 携帯が鳴って、親父に「もってくるなと言ったろう。だせ」といわれても言うことを聞かず、隠しつづけ、やっとパンツの中からだす。クルマは途中停車して、どこかに携帯を置き、目印の石を置いたとかなんだとか。しかし、あの歳で友人から携帯に連絡があるからと主張するガキはなんなんだ。年上の彼女らしいのもいるとか。イランってそういう国なのか? おまけに、レンタカーのウィンドウに消えないペンでいたずら書きもするし。なのに、たいして叱らない。イラッ。
鬚は父親で、オバサンは母親らしい。しかし、母親は半ば白髪。母親にしては歳を取りすぎでは? 運転している青年が謎で、寡黙で淡々と運転している。親戚のだれか? と思っていたら、途中で息子と分かり、つまりは長男か。で、歳は20だという。あとから父親が「その歳には子供がいたと」と妻に言うから、では父親は47、8歳? 老けてるなあ。母親は同じか2つぐらい下? 老けてるなあ。にしても、年の離れた兄弟だ。
で、ぼんやり見えてくるのが、長男の出国のために家族総出で出かけているということ。家を抵当に入っているというから、それで出国=密出国か、の費用を捻出したのだろう。で、国境付近まで行き、仲介者に会い、長男が出国する、というだけの話で、その間にあれこれあるけど、だいたいがたわいもない話ばかり。なので飽きる。↑のあらすじにあるような「一家が抱える深い苦悩とイラン社会の過酷な現実」は、まったく見えてこないし。家族は、ちょっと深刻な長男を除いてみな陽気に騒いでいる。のんびり旅行気分だ。その背後に不安があるから、反動で陽気にしている、とも見えない。
途中のエピソードは…。
・親父は右足にギプス もう6ヶ月? この意味は何だろう? 役に立たない父親? みんなのお荷物? 仕事は何をしているのか? にしても脳天気。
・母親も、哀しみの表情とか見せない。なんなの、この脳天気さは。
・「ついてくるクルマがある」といっていたら、サービスエリアでその後続車の男から「ガソリンが漏れてるぞ」といわれる。それを知らせるためにサインを送っていたらしい。けれど父親は礼を言うわけでもなく、「水漏れだ」とか呑気。そんなの臭いでわかるだろうに。バカか。
・自転車レース中の選手と並走中に自転車がこける。引っかけた? と思ったら選手を乗せて走ってる。自転車がかってにコケた? 呑気に話してるけど、どういう意味があるのだ? 不明。
・両親は、弟には長男が嫁さんをもらうから出国するというつもりでいるらしい。しかし、そうやって誤魔化す必要がどこにあるのだ? 
・父親と長男との会話で『2001年宇宙の旅』が好きと長男がいう。意味不明。「抵当に入ってる家が気になる」ともいっていた。両親に負担をかけているという感じが微塵も感じられないのだよな。この長男。
・村に着いて、羊がどうとかいうあたりで、少しウトッとしてしまった。長くは寝ていない。ちょっと目をつむりすぎた程度。さらに、村のジジイがいて、顔に覆面のバイク男が来て、二叉路でどうとか、母親が「どっちにいけば?」あたりでも、少しウトッとしてしまう。
・温泉に浸かっている男たちを見てる父親の映像もあったけど、意味不明。
・どっかの家族の少女と話をする弟。あとから思うに、出国する者やその家族が集まっている場所、だったのね。しかし、あんなキャンプ場みたいなところが当局に知られずにあるというのが、疑問。
・寝袋の父親の腹の上に弟が乗っかり、草地のキラキラがしだいに星になって…。という得体の知れないファンタジー場面が気持ち悪い。
・犬が死ぬのはこの前だったか後だったか。父親が地面を掘って埋めてたけど。なんでこんな旅に犬を連れてくるのか意味不明。
・どうやら覆面バイク男は仲介者の1人らしい。そのバイクにのって長男はどこかにいったん行き、2日後に最後の別れに戻ってくるとかなんとか説明される。その別離の場面はロングショットで長回し。右端に、縛り付けられているのか? 弟が叫びまくる。うるせー! っていうか、事実を知らせりゃあいいじゃないか。母親は、襟巻きを忘れていたとかどうとか、行ったりきたり。別れが心配なんだろうけど、しゃんとしろ、な気もしたりする。
・2日後に別れる前に再会できる、という話だったけど、バイクが来て、もうみんな出かけた、と言われ、嘆く人々。ここで、出国する誰かを送りに来た家族がキャンプしてるのか、と分かったよ。
そもそも、なぜ長男は出国するのか? 理由が分からない。自ら? 追われて? 追われてならリスクも高かろうに、のんびりしすぎだろ。家を抵当に入れて金をつくり、仲介者に払って出国するというのは、長男は難民になるのか? にしても荷物が少なかったな。イラン→トルコへ? で、レスボス島? 知らんけど。なんか、緊張感のない旅だったな。残った家族は長男を脱出させて、家は抵当に入っていて、父親は片足不自由で、どうやって暮らしていくんだろう。知らんわ。
帰路、屋根の扉から半身出してはしゃぐ弟。長男との別れを嘆いている感じでもないので、まだ知らんのか。砂漠を走るクルマ。うーん。いまいちな感じだね。
私の大嫌いな弟へ ブラザー&シスター10/13Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下9F監督/アルノー・デプレシャン脚本/アルノー・デプレシャン、ジュリー・ペール
原題は“Frere et soeur”。兄弟、みたいな意味のようだ。BunkamuraのHPのあらすじは「アリスは有名な舞台女優で、ルイは詩人。アリスは演出家の夫との間に一人息子がいて、ルイは人里離れた山中で妻と暮らしている。二人はもうずっと憎みあい、顔も合わせていない。そんな二人が両親の事故によって再会するのだが……。」
Twitterへは「コメディ風かと思ったらシリアスな話で。でも、嫌いな理由が最後まで分からず、怒鳴り合ったり、そこらのモノを壊したりしてるだけ。どこにも共感するところはなし。マリオン・コティヤールも、もう48歳か。オバサンだ。」
嫌い合ってる理由。その謎が次第に解き明かされていく、なかと思ったらさにあらず。結局、なにも分からない。近づきたくもない2人は距離を置き、たまたま接近すると怒鳴り合ったり、モノをこわしたり。で、最後はなんとなく、多少テンションが低くなった、のかな? という程度の終わり方で。正直いってつまらなかった。
それと、鬚の男がたくさん登場してくるので、誰が誰やら。弟ルイと、下の弟のフィデルは、まあ分かる。アリスの亭主は、どれだ? と迷ったんだが、公式HPの人物相関図を見て、あららら。ときどき画面に登場していた男は、シモンと言って、フィデルのパートナーなのか。パートナーって、同性愛の? この男とアリスの亭主を混同してたかも。なんか、老けたり若くなったり、頭が白かったりそうでなかったり、なんなんだ? とかね。
相関図には人物の情報もあって、アリスの亭主は演出家、なのか。ルイの友人の太っちょは、映画ではあとから精神科医と分かるけど、ユダヤ教徒でもあった。映画でもルイがその友人に連れられ、ユダヤ教会に入る場面があったけど、そういうことか。でも、どういう意味があるのだ? さらに、ルイの妻は教師でユダヤ教徒だった。彼女のユダヤ教徒は、なんか意味があるのか? なかったんじゃないのかなあ。…という具合に、人物に関して分かりにくくて混乱する上、プロフィールもろくに紹介されないまま登場しているので、イライラした。やっぱ、こういう整理整頓はちゃんとしなくちゃなあ。
冒頭は、打ちひしがれた家族のもとに訪問者。葬儀のようで、入ってくるのはたしか鬚のオッサン。なかにいるのも鬚のオッサンで、息子の葬儀にやってきた、らしい。中にいたオッサンが訪問してきたオッサンに罵声を浴びせ、「うちの息子が生まれてから会いにも来なかったくせに」とかいってて、玄関から追い出そうとするんだが、外にはアリス(マリオン・コティヤール)がいて。どうも、中にいたオッサン=ルイとアリスが姉弟、らしい。ところで、訪問してきたおっさんは、ありゃ誰だったんだ? アリスの亭主? 弟のフィデル? もういちど見ないと分からんよ。
次は場面はジジイとババアがドライブで、対向車がヨレヨレで木にぶつかる。助けようとしていたら、またヨレヨレのトラックが来て…。
芝居に出演中のアリスが自分の顔を自分で殴ったとかいってたけど、ありゃなんでなのだ? 周囲にいる男達もたくさんで、みな似たようなオッサンばかりなので、これからさき見るのがが思いやられるよ。
で、ジジイとババアはアリスとルイの両親で、さらにややこしいのはアリスにはもう一人弟フィデルがいて、こっちとはフツーにつき合っている。そのフィデルが両親の事故をルイに連絡した、という流れらしい。
病院でもアリスとルイは一緒になりたくないらしく、面会時間をずらしたり、面倒な姉・弟だ。
姉が先に女優として有名になり、弟は売れないまま。そのうち成功し、姉は舞台ルイの詩を朗読したい、とまで考えたらしい。したかどうかは知らないが。で、なにかのパーティで、アリスが冗談のように「あんたが大嫌い」といったとか。それを聞いてルイも「知ってたよ」なんて笑ってる。
そもそも不仲になった原因は何なのだ? そのうち謎が解き明かされるのかなと思っていたら、そんなことはなく。最後まで分からないのだから、もやもやがつづく。
両親は仲がいいように見えて、どっちだったか忘れたけど、妥協して結婚した、のようなことを言っていたな。ルイは、自分が母親に嫌われていると思っていた、てなことを言ってたよな。のちに、死んだ母親のブローチに入っていた写真は。死んだルイの息子のものだった、というのが分かる。けど、だからな敗血症(だったか?)だったかで先に死んでしまい、写真の理由は分からずじまい。その後、夫も身体につけられた管を自ら取ってベッドから抜けだしてるのは、ありゃ半ば自殺か。そんなに古女房が好きだったって? なんかなあ。で、その葬儀のときには、ルイは遠巻きで見るだけ。これはアリスと並びたくないから? 両親とくに母親になにかの思いがあったのか? だって、入院中の父親には泣きながら話しかけてたし。わけわからん弟だよな。でも、ルイの妻は葬儀に参列していて、でも、他の家族が棺桶の上に花を撒くのに、彼女は土塊をボコッって落とすのは、あれは意味があるのか? 悪意とか。分からん。
ルイは、自著で姉アリスの悪口をどかどか書いているようで。その内容は分からないけど、だからアリスが記者にインタビューを受けても話題はそのことになり、いやがって途中で席を立ってしまったりする。それぐらい業界を知る人にとっても姉・弟の不仲は有名らしい。やな弟だな。
時制がぐちゃぐちゃなのも気になった。ルイがフォニアに出会った場面も、突然、現在の流れにつなげられている。フォニアがルイに話しかけて、というのも不自然。さらに、「さっきからチラチラあの女性を見ている」と言われたルイは「姉だから」というのだけれど、アリスは別の女性と打合せ中? ルイが声をかけても無視されて、近づいていったらアリスが椅子を放り投げて出て行ってしまう。の次のシーンは、洞窟の調査をしているフォニアの説明を受けているルイだったりして。はあ? な感じ。
ルイの変態ぶりは、書店でも。女店員にサインを頼まれて書いているとアリスの息子のジョゼフがたまたまやってきて。ここでも突然ルイは激高し、テーブルの上のものを投げ散らかして出て行ってしまったりする。もっとモノを大切にしろよ。
ルイは妻と田舎暮らしをしていて、両親の事故で自分だけ出てきているんだが、どういうルートか知らないけど売人に接触して麻薬を手に入れ、両親のいない実家でハイになったりする。これは日常的にそういう性癖なのか。
一方、アリスも精神状態が変で。ルイの友人の精神科医に薬物の処方を強引に依頼し、薬局でも不審がられるけどその場で大量の薬を飲んだりしてヘロヘロになったりする。病院でも突然よろけて倒れてたりした。でも、そもそもアリスにどういうプレッシャーがあるのか、が描かれていないから唐突な感じしか受けないのよね。別に、弟の存在によって、じゃないだろ? それても、弟を見ると変になるのか? 意味不明だ。
ルーマニアの女性が、アリスのファン?だといって近づいてくる。芝居も好きだけど、アリスが好きだ、というのだが。アリスの名声はルーマニアにも及んでいるのか? それでバーに連れて行ったり、舞台そばで演技を見せたりもするのだけれど、ありゃなにを言いたいのだ? ただ浮いてるエピソードにしか見えないんだけど。
とまあ、わけ分からんエピソードがつづき、両親はなぜか都合よくそろって亡くなり、実家の整理をして。ここでも接近遭遇するけど、一時のように激しく避けたり罵ったりはしてなかったような。
その後、スーパーで買い物中にぶつかって。ルイはアリスに、食品がだいなしで悪かった、なんて低姿勢に対応したり、頭をゴツンとぶつけ合ったりして、笑みを浮かべているんだが、2人が融和する何かは、あったっけ?
最後はどっかの教室でる。ルイは久しぶりに生徒の前に立つ、なんて言っている。じゃあ詩人の前は教師だったのか。これは一時だけの講義? それとも正式に教師になったのか? わかんねえなあ。
あれ、アリスのその後の映像はあったっけ? 忘れちゃったよ。
※いや、この日は始まって1時間目ぐらいから尿意で、なんとかもったけど、なかなかつらかったよ。
宇宙探索編集部10/16ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/コン・ダーシャン脚本/コン・ダーシャン、ロイ・ワン
原題は“宇宙探索編輯部”。公式HPのあらすじは「かつては時代の波に乗りメディアにもてはやされ活気のあったUFO雑誌[宇宙探索]。今や編集部員も減り廃刊寸前、電気代さえ払えないほどの存続の危機を迎えていた。そんな時、[宇宙探索]編集長のタンは、中国西部の村に宇宙人が現れたという情報を掴み、仲間たちを引き連れて西へと向かう。そこで彼らを待ち受けていたのは、予想と人智をはるかに超えた出来事だった…果たしてタンたちは宇宙人に出会えるのか? そして、タンの心の奥にある想いとは?」
Twitterへは「廃刊寸前の宇宙雑誌の編集長が宇宙人捜しにでかける珍道中。ドキュメンタリータッチで、激しく短いカットつなぎがつづく。編集の、眼鏡屋のオバサンがなかなかよかった。最初と最後が面白かった。中間は、ちとタルイ。」
中国製のドキュメンタリータッチのおとぼけSFである。こんな不真面目なバカ映画も、中国ではつくれるんだ。というのがまず驚き。
で、以下、見終えた直後のメモをもとにあらすじを。
・まずは、30年前ぐらいの、主人公の紹介ビデオ映像が流れる。
・頼みの支援会社の人が来社。編集長のタンは面倒そうに対応し、社員オバサンの勧めで、宇宙服を嫌々来てみると、脱げなくなる。 あわや窒息! 消防車がやってきて窓を壊し、クレーンで搬出。電動カッターで壊して救出するが、編集長は「壊れちゃったじゃないか。だからやだっていったんだ」とぶつくさ。事務所は貧乏で暖房費がない。「そのうえ窓が壊れて寒い」とオバサンはぶつくさ。ここは大いに笑った。
・ひとり淡々と飯を食べる編集長。と、テレビが映らない。砂嵐になる。これを、どこかの星が消滅したせいだ、と確信する。さらにTVのニュースで、火の玉が堕ちたとか、ある村の獅子の口から玉が消えたという報道。これは…と編集長は疑いを強める。
・このあたりで編集長のプロフィールが。食の4要素がどうとか、甥の結婚が近いだとか、じつは娘がウツで過去に自死したとか、精神病院で患者相手に講演し、わずかな講演料をもらっているとか。
・どうやら編集長は、例の火の玉の堕ちた場所に行くようだ。創刊号をもってるという読者の女の子もなぜか一緒になる。
・最初に会ったのは、宇宙人に会った、死体をもってる、という男。冷凍庫に入った宇宙人(だっけ、骨だけだっけ?)を見せてもらい、520元でどうだ(何がどうだ、なのかよく分からん)といわれるが、オバサンは「高い!」といい(1元=20円程度? じゃあ1万円ぐらい?)反対。でも結局編集長のタンは募金箱に投入して、いまも成長してるという片足の骨をゲットする。
・なんか、村へ到着し、火の玉の目撃者に聞き取り。臼を引いていたロバが消えたとか言われる。ナベをかぶった少年がいて、詩人らしく、村に放送するのが仕事という変な少年。村内を一緒に歩いていると突然倒れ気を失ったりするんだが、てんかんか?
・例の、咥えていた玉がなくなったという獅子の口に札が詰まっている。赤い帽子にオモチャみたいなクルマに乗ってる怪しい隕石ハンターが登場する。ぐちゃぐちゃの田圃道。ナベ頭少年も交え、一同は山に登っていくが、なぜか新婚カップルとカメラマンと遭遇する。一緒に記念写真。なんなんだ?
・だんだん疲れてくる一同。オバサンは犬にかまれるし、男性編集員は骨を投げ捨てるんだが、明らかに骨は最初のときより長くなっている。このあたりからオバサンの登場がなぜかなくなって、タンと男性編集と読者女の子の3人がうろうろして、いつのまにかナベ頭少年が消えてしまう。
・このあたりはなかなか話が進まないので、ちょっと退屈かな。
・同行諸氏は「もういい」と下山し、タンだけがさらに登攀していくと、森の中で丸いカプセルを発見する。と、突然ナベ頭少年登場。猿が骨を持って来るんだが、『2001年宇宙の旅』かよと思う。
・ロバはここらへんだっけだっけ? あの、臼を引いていたロバなんだろう。ちょっとミステリアスで興味が湧いてくる。さらに洞窟に入ると、壁面にDNAの絵があったり、大量の鳥だかコウモリだかが飛び出してきたり。さらに一段と長くなってる例の骨を杖のようにしているナベ頭少年が、消える! というのは、UFOとともに宇宙に消えたのか?
・街に戻って。事務所の荷物や社の看板をを運び出している。一方で、街の売店には最終号が本屋のラックに並んでいる。甥の結婚式でスピーチするタン。なんか結婚式にはあわないような、よく分からん内容で。
・地表が映り、カメラはどんどん遠ざかり、宇宙になって、果ては人間のDNAになる。山中で新婚さんたちと撮った7人の全体写真が、思いで写真のように映る。エンドクレジットのあとに、しきりにビデオをまわしていた、男性編集員が撮った視点のような映像がちょっと流れる。で、オシマイ。
シアター・キャンプ10/20シネ・リーブル池袋シアター2監督/モリー・ゴードン脚本/ノア・ガルヴィン、モリー・ゴードン、ニック・リーバーマン、ベン・プラット
原題は“Theater Camp”。公式HPのあらすじは「人気演劇スクールで、開校目前に校長が昏睡状態に。演劇に関心ゼロな息子が継ぐが、実は経営破綻寸前。存続のため、新作ミュージカル発表に残された時間は3週間。変人揃いの教師と子どもたちは完成できるのか?」
Twitterへは「夏休み(?)の演劇学校みたいなもの? 合宿して稽古して発表会には父兄がやってくる、みたいな。のダメ経営者と熱血教師と生徒たちの織りなすドタバタ。ドキュメント風が仇になってる感じで、ガチャガチャ忙しなくて、何が何やらなところ多すぎ。」
あー、見終えてから2週間ぐらい経っていて、記憶も薄れてしまったよ。っていうか、あまり記憶に残らないような映画だったんだけど。むかしキャンプに参加していて、いまは恋人同士(?)みたいな男女2人の話が、そんなに強くはないけど軸になって進んでいく話だったかな。↑のあらすじのように、キャンプを創業した女性校長が昏睡状態になり、息子が後を引き継ぐけれど、借金で首が回らなくなってるんだった。
とはいえこの映画、ムダに短いカットでパッパと画面が変わったり、画面が揺れ揺れだったり、練習風景もイメージ的に描かれるし、生徒の誰かが大きくフィーチャーされることもないので、思い入れる対象が、ない。教師たちも、通してしっかり印象づけられるような人が、上に書いた2人以外、いない。しかもドキュメンタリータッチなので、ドラマとして見るのも、なかなかできづらい。ので、なんか印象が薄いのだ。
最後に上演される劇についても、その練習風景が、一部はあったけれど、生徒たちが苦労して練習して仕上げていく様子が映らない。なので、え? こんな演劇をいつ練習していたんだ? てな感じになってしまう。
最後は、完成した舞台をネット経由で病院で昏睡状態の校長に見せたら、その相手は校長の横にいたオバサンで。でも、その直後に校長が目覚める、んだったっけかな。よく覚えてない。
経営危機については、最後に解消されて学校は継続できるようになったんだっけかな。よく覚えていない。
・ジュリアード音楽院を落ちて、この学校で教えてるとかいう話があったけど。ジュリアードってそんな難しいのか?
・降霊術をやってる教師がいてどうのこうの、という話題もあったような。
ゴールド10/28シネマ ブルースタジオ監督/知多良脚本/知多良
日本芸術センター第15回日本映像グランプリ一般公開審査上映会(一次通過作品)。この映画のクラファンHPのストーリーは「正社員のミキと、フリーターの弘樹。2人は高円寺の路上ライブで偶然出会い恋人になる。ミキの自立した強さに惹かれ憧れた弘樹は正社員になる。しかしミキは弘樹に無理しないで楽なバイトをしてて欲しかった。毎日笑ってて欲しかった。弘樹は男ばかりの職場で、陰口や差別的な発言に傷つき、毎晩溜息をつくようになる。ミキはミスをしがちな後輩と、パワハラやセクハラ発言をする上司の間で疲弊し、弘樹にキツイ冗談を言い傷つけてしまう。笑顔を奪ってしまう。稼ぎのない男との付き合いを反対する友人。「あるがまま」なんて甘やかしだと腐すベンチャー企業社長。「あるがまま」生きるために声を上げ社会を変えようとする後輩。誰にも言えない秘密を抱えて普通のフリをして生きる人。少数であることを非難されても、称賛と受け止める高円寺の飲み友達。仕事と生活の間で様々な人達に出会い、なにかがズレていく2人。それでもミキは弘樹と一緒に居たかった。同じ時を過ごしたかった。」
Twitterへは「屋外飲酒のシーンが多すぎ。些細なパワハラで落ち込む彼氏。彼氏に主夫を望むヒロイン。手垢のついたジェンダー問題。いきなりアル中…。時制がぐちゃぐちゃ。聞き取れないセリフ。劣悪な画質。レベル低過ぎ。」
128分。ミキと弘樹が、ストリートミュージシャンの音楽を聞くことで出会って同棲し…。がまずあって。各々の仕事環境が紹介されるんだけど、このあたりは第1話、第2話、なんででてくるんだけど、途中からなくなってしまう。それと、6か月前、とでてきて時制が戻ったらしいんだけど、それがどの時点なのかが、よーわからんのだ。
ミキが働いているのは映像関係? 事務らしいけど、ちょっと三脚がでてきたぐらいで、映像関係とは思えない貧弱さ。というか、どっかのあやしい会社風。ミキはテキパキ仕事をするタイプで、でも、よく街頭で缶チューハイなのか、を煽っている。仕事のできない後輩女子が足を引っぱるとか、トイレ掃除は女がするものとか、ジェンダーギャップがあるということぐらい。このあたりは、弘樹と会う前、なのか? でも、いつのまにか同棲してるというか、LINEでやりとりしてて、どこが出会いの瞬間だったのか、が分からんのだ。あと、画質が悪くてスマホの文字が読めないので、なにがなにやら、つたわってこんぞ。
で、どうやら、出会いの一日を3つか4つに分けて、その間に、その後のミキの転落人生と、弘樹のいじめられ人生の流れが描かれる、というような構成になっているようなんだけど、これは想像するだけなので、ほんとうにそうなっているのかどうかは定かではない。
弘樹のいじめられは、勤務した清掃会社での話で。でも、露骨に怒鳴られたり暴力を振るわれたり、というわけでもない。むしろ、弘樹よりもいじめられ、辞めていった社員もいる。とはいえ、いまどきの人材不足の時代を思うと、いじめの結果、社員がやめていく方が不都合だとは思うんだけどなあ。あんな、ジメジメしたイジメをする会社は、いまどきまだあるのか? 弘樹も、嫌なら辞めちゃえばいいじゃないか、と思ったりする。弘樹が辞めればいじめてる奴らの立場も怪しくなりそうだしなあ、と。でもまあ、映画は単純に、陰湿なイジメで新入社員が疲弊するような流れになっていて。その結果、ミキに愚痴るようになる、てな流れかな。
ミキの方は、仕事のできない後輩女子社員をかばっていたけど、ある日、その女子社員に「ミキにパワハラされた」と訴えられ、上司に呼ばれ、追及されるけれど、パワハラなんてしていない云々と反論。上司がネチネチ言いはじめると、「この会話、録音してますけど」と逆襲すると、上司はタジタジになる、という展開。これでミキの勝ちなのかと思ったら、いつのまにかミキはアル中になっていて、仕事中も水筒でアルコール補充をするような有様に。でも、そうなった理由がとくに見当たらないので、うーむ、なんだけどね。
てな感じで、なんか、映像による説得力とか展開の必然性もなにもない感じで。もうちょっとシナリオを練り込まないと、社内イジメとかパワハラ問題とか、身勝手な社員の問題だとか、言いたいことがつたわらんだろ、な感じだった。
歯車10/28シネマ ブルースタジオ監督/加藤大貴脚本/---
日本芸術センター第15回日本映像グランプリ一般公開審査上映会(一次通過作品)。ブルースタジオのあらすじは「芥川龍之介は知人の結婚披露宴のため東京に赴く。そこで芥川を義兄の幽霊、歯車状の光芒が現れる視覚異常、悪魔の囁きの幻聴などの幻覚が襲う。なんとか仕事を済ませ帰還するが、幻覚は急速に強度を増していき・・・。」
Twitterへは「芥川龍之介原作らしいけど、いろいろムチャクチャで語るに値しない。退屈すぎる50分だった。いまどき時代錯誤だろ。」
50分の中編。奥さんに車で駅に送ってもらい、上京するのが芥川なのか? 街で人とすれ違い「◯◯さんでは?」などと問いかけられるのは、顔が知られていること? でも、そこでしか声をかけられない不思議さ。で、上京して、結婚式に出席? にしては、うすっぺらな手提げカバンしかもってなかったのに。礼服はどうしたんだ? 宿泊はホテル。
東京の愛人(?)が会いに来たりするけど、意味不明。「ボヴァリー夫人」がどうとか、女は蓮実重彦の解説を読むのだけれど、どういうこと?
姉の家? 実家? に行って遺品を整理。親が最近死んだのか? やってきたのは骨董屋? でも、あとから登場する友人に似てるけど、友人が骨董屋で引き取ってくれたのか? ところで、この骨董屋=友人のクルマかせ宇都宮ナンバーで。じゃあ、姉の家が栃木なのか、骨董屋が栃木なのか?
精神科医にいって話をする。ドッペルゲンガーを見たという人がいて、死ぬのではないかと恐れを話す芥川。ああ、ドッペルゲンガーに言及する話なら、読んだことあるような。芥川の「歯車」。ほとんど覚えて亡いけど。医師に飲んでいる薬はと問われ、ずらずらと何種類も答えるんだけど、それって市販薬じゃなくて処方薬では? どこで? 家のある田舎の病院? 医師は芥川に 「カラマーゾフの兄弟」を読むように勧め、くれる。どういうこと? 東京の精神科医はたまにしか来ないのか? ところで、いまどきフロイトに言及する医師なんておらんだろ。あほか。
ホテルでの執筆はいまどき原稿用紙? なんだこれ。
しかし、やたら意味なく煙草を吸う場面が多い。友人がやってきてカフェ(だっけか?)で話をする場面でも、友人は急くようにふかしてる。異様。
その友人とともに家に戻ったのは、何日ぶりだ? ところで、2人は電車で戻ってたよな? 友人は駅で奥さんに挨拶していたような記憶。で、当日か翌日か、3人で海岸に行くんだけど、そのとき乗ったクルマが宇都宮ナンバーで、たしか、姉のところに骨董屋が乗ってきたのとナンバーは同じじゃなかったか? あやふや。
友人は、海岸から「じゃあ、ここで」と去って行くんだけど、電車で戻るのか? 海岸あたりに、その場所が水戸であるようなことが分かるようなことが書いてあったけど。じゃあ、芥川が住んでいるのは水戸なのか。
なんてところまでしか覚えてないな。特にドラマもなく、終わってしまっていた。ときどきチカチカ光っていたけど、芥川に歯車のイメージが見えていた感じはちっともつたわってきてなかった。
・斎藤茂吉の「赤光」もどっかででてきてたな。茂吉は精神科医だけど、なんか関係あるのか?
八百比丘尼の恋10/28シネマ ブルースタジオ監督/三浦賢太郎脚本/三浦賢太郎
。日本芸術センター第15回日本映像グランプリ一般公開審査上映会(一次通過作品)。杉並ヒーロー映画祭HPのあらすじは「人魚の肉を食べて不老不死になった女性、八百比丘尼。八百年以上彼氏がいない美月、娘である鳴海のことばかり考えている沙羅、漫画喫茶で寝泊まりする日々を過ごしている家のない麗奈。現代に生きる三人の八百比丘尼たちに密着して三池がテレビドキュメンタリーの取材を始めると、人魚の肉を探し求める男と遭遇する。男の妻は不治の病だという。関係者の姿が次々に消えていくことに戸惑いながらも、三池は取材を進めていく。」
Twitterへは「やっとまともに見られる映画が…。不老長寿となった女たちをドキュメンタリー取材中に、いろいろ出来事が。ラストにちょっとばかり「?」はあるんだけど、なかなか面白かった。」
58分の中編。
八百比丘尼を探し出して取材できるのか、という基本的な疑問はあるんだけど、話としては面白かった。美月は800歳以上で、沙羅は200歳越え、麗奈は80歳ぐらいだったかな。美月のところに来ているファンがいて、どうして知り合ったかというとSNSの書き込みで、らしいんだが。そんなので八百比丘尼と会えるんならもっとたくさんの人が押しかけるだろうし、マスコミや研究者もほってはおかんだろ、とツッコミなどを入れながら。
沙羅の娘はすでに50過ぎで。母親よりもオバサン。だけど、子どものことが気になってしょうがない、というのもおかしい。
美月役の女優がちょっと豊満な色気があって。それがまた妙な雰囲気をかもし出す。美月は出会い系アプリで相手を探し、いそいそと出かけるんだけど、相手と会えなかったりするんだけど、その理由がよく分からないのが、うーむ。で、あれこれしてるうち、美月は監督の三池が気になるようになって…。
もうひとつの流れが、年の離れた若い妻が病気で…。と、人魚の肉を求めてやってくる爺さんの存在。しつこくやってくるけど、ある日、その爺さんが美月の家に呼び込まれ、三池には入ってくるな、と言われる。相前後して麗奈が行方不明になり、さらに、くだんの爺さんの若妻もいなくなる。三池が探すと、若妻は元気になって池袋で遊びまくっている。どうしたことか。
三池は美月の家での食事は遠慮していたんだけど、ある日、御馳走すると言われ、珍しくご相伴に。が、様子がおかしい。三池が家の中を探しまくり、押し入れを開けると中に女性が軟禁されている。彼女は麗奈なのかな。よく見えなかったんだけど。さては、美月は麗奈の肉を三池に食べさせた? 爺さんの若妻も、同様なのか? 
てなところで、あっさり終わってしまうんだけど。人魚を食べるのでは、八百比丘尼の肉を食べても不老不死になるのか? そのあたり、ちゃんと説明して欲しかった気がする。
キリエのうた10/10109シネマズ プレミアム新宿監督/岩井俊二脚本/岩井俊二
allcinemaのあらすじは「住所不定の路上ミュージシャン、キリエは、歌うことはできても、普段は“声”が出せず孤独な日々を送っていた。そんなある日、名前も夢も捨てた謎めいた女性イッコがキリエに声をかけ、彼女のマネージャーを買って出るのだったが…。」
Twitterへは「だらだら長いだけでイマイチ切れ味がにぶい。なにを言いたいのか、どこを見せたいのか、茫洋としている。ピントもときどき甘いし。はさておき、いきなり歌舞伎町の台南担仔麺がでてきて、おっ。あの席でよく昼定食 食べてたんだよね。」
これは、ファンタジーだろ。そう考えないと、間尺に合わない話が多すぎる。
・逸子が路花に会ったのは新宿南口で。そのまま台南担仔に連れて行って飯を食わせ、素性や声が出せないのを聞き出し、その夜は元彼の家に侵入して宿泊。翌日、「あたしあんた知ってるよ」というと路花は「?」な反応。「路花でしょ」と言うんだが。その後の展開を見ると、2人は高校生のときに出会って友人となり、別れに際しては逸子はギターをあげたりしている仲。いくら逸子の髪が青いからって、分からんわけないだろ。不自然すぎ。
・キリエは夏彦の1学年下だっけ。バレンタインのチョコをあげたぐらいの関係。何かの集まりに友人が連れてきて。夜中、皆が酔い潰れた(?)とき、2人はなぜか神社に行き、キリエの方から手をつなぎ、神殿の前でキリエの方からキスをする。その後の、洋服ダンスに隠れてる経緯はよく覚えてないんだが。友人が帰ったら(なのか?)乳繰り合って、はい妊娠しました! で、夏彦は受験生なんだけど、はい、生んでいいですよ、な仲になる。なんだよこの女、エロ仕掛けでさっさと孕んで既成事実化し、妻の座に納まろうって魂胆かよ。夏彦はズベ公にハメられただけじゃん。
・路花が夏彦に会ったのは、クリスマスだか路花の誕生日だかに、夏彦がやってきた日と、あともう一日あったんだっけか? 程度。幼い路花が、夏彦を深く記憶に留めたかどうか、怪しい。なのに、東関東大震災で母とキリエとはぐれて1人になり、大坂にいるらしい夏彦のところまで、行くか? まず家族とはぐれたら教師や同級生の家族、あるいは、存在は描かれていなかったけど親戚に頼るのがフツーだろ。2度ぐらいしか会ってないお姉ちゃんのフィアンセを頼るか? しかも、どーやって石巻から大阪までランドセル背負って行ったんだよ! 金もあるはずないのに。
・地震の後、妹を探しに学校へ行くキリエ。学校にいないので、自転車で探しに行く。のだけれど、なぜ路花は学校にいないのか? 怪我してるわけじゃないのに。家にも戻らなかった? 夏彦はキリエを心配し、父親の病院(? ちゃんと説明はされてないけど、そうなのかなと)に行くようにいうんだっけか。でこのときのキリエなんだけど「夏彦君の結婚相手ですっていっていい? フィアンセっていっていい?」とへらへら笑って言うんだけど、こんなときに何を言ってるんだお前は。男を手玉に取るズベ公だろ。
・で、震災があって路花は大阪に行き、浮浪者生活? なぜか声も出なくなる。路花は地元少年と知り合い、少年は担当教師に話し、女教師が路花を保護。自宅に住まわせ、ネットの掲示板で、なんと夏彦がキリエの安否を呼びかけている書き込みを見つけ、接触して再会を果たす、という、あり得ない展開! で、女教師は保護司かなんかに連絡すると、担当者がやってきていつのまにか路花を隔離、保護。女教師と夏彦は路花と会えなくなるという理不尽な結果となってしまう、わけだな。まあ、この制度については正しいのかどうか知らんけど、教師と夏彦には気の毒なことだ、とは思う。
・このとき夏彦は大阪の医大に入学していたのか。それが震災で学校を辞めたらしいんだけど、これまた意味不明な展開で。実家の病院が財政難とか、そんなことも言ってなかったよな。それでなぜか夏彦は北海道に行き、あれこれあったのかな、の果てに牧場で働くことになった、らしい。この心境の変化は震災によるものらしいけど、説得力がないよなあ。
・時は過ぎて。北海道のスナックのママに娘がいて。その娘・逸子は大学に行きたかったけどムリ、ということらしい。経済的に? 頭脳が? でもスナックのお客に羽振りのいい牧場主がいて、ママに惚れているせいで娘の学費は出してやる、娘に家庭教師をつけてやる、ということでやってきたのが夏彦だった、と。なんか下世話な話だなあ。
・夏彦には妹がいて、二人暮らし。高校も逸子と同じで、一学年下。で、話しかけたら、声が出ないのだという。実はこの妹が路花で、逸子と路花は大の仲好しになる。のではあるが、あるとき夏彦の家を保護司が急襲し、路花を連れ去ることになる。なんと路花は中学からだったかな、北海道の里親に引き取られ暮らしていた、らしい。はあ? それが、里親の家を抜けだして夏彦の家に入り浸りになっていた、らしい。路花と夏彦の再会の経緯は忘れてしまったけど、どうしたんだっけか? にしても、里親のところを抜けだして夏彦のところで何日ぐらい生活していたのかしらんけど、着の身着のままじゃいられないだろうし。里親は申し立てをしていたらしいし。ひどく現実離れした展開過ぎ。だけどまあ、またまた2人は引き離される。このときだっけ? 逸子が路花にギターをあげたのは? 
・またまた時は過ぎて、映画の冒頭シーン。路上ミュージシャンになった路花は亡き姉の名前キリエを名乗って新宿南口で歌い、結局大学には合格したけど進学しなかった(なぜなんだ?)逸子と再会。逸子は路花のマネージャーを名乗り、元彼の家や友人の家に居候しつつ生活していると、どこかの音楽マネージャーが接近してくる。なとき、逸子はいずこかへ出かけ連絡が途切れる。路花は、知り合った路上ミュージシャンたちと組んで音楽活動をつづける。のあたりの音楽場面は『はじまりのうた』にもちょっと似ていて、なかなか清々しい。のだけれど、逸子が結婚詐欺で警察に追われているらしいということになり。路花の居候先のおっさんのところに警官がやってくる。逆上したおっさんは路花を襲いかけるけど大事に至らず。で、居候先を出て…。どうしたんだっけ? 音楽マネージャーに連れられてスタジオで録音っぽいこともしてたけど、路花の「デビューできる?」に、音楽プロデューサーは、すぐにはねえ、な返事だったか。しかし、デビューしてプロになり金を稼ぎたいのが先なのか、路花は。これまた安易な女だな。
・警察は逸子の友人関係を調べ、路花にたどり着き、事情聴取を受けた路花は夏彦と再会する。はあ? 夏彦がやってきたのは、路花が呼んだのか、路花の話から夏彦の存在を知った警察が呼んだのか? しらんけど、会おうと思えば会えたってことだよなあ。なんか変なの。というわけで成人した路花は夏彦と自由に会える関係になった、ということらしい。
・このあたりから実をいうと話への興味が薄れ、退屈してみていたのと、イメージ的な映像が多くなったせいで、話を覚えてないんだよなあ。
・なんか、仲間が新宿西口公園での、路上ミュージシャン音楽祭みたいのを企画して開催。さあ、路花が歌おうとしたら警察が使用許可はとってるかと言ってきて。やめろ云々しているなか、路花は歌いきる、というのがこの映画のクライマックスになるのかね。しかし、ステージもちゃんと組んで、飲食販売のクルマも来て、大々的に音楽祭を開こうというのに使用許可を取らないというのも、変な話だよな。まあ、申請しても却下されたと思うけど。
・このあと、逸子が現れたのは覚えてるけど、具体的にどんな話をしたのかは覚えてないよ。過去の思い出で、路花と逸子が雪の中歩いて(『花とアリス』そっくり)神社にお祈りし、2人で雪の上に倒れ込んで空を見ながらオフコースの「さよなら」を歌うところで映画は終わったんだっけか? なんかそんな感じ。「さよなら」の歌詞に意味はあるのか? そういえば、路花が子供の頃からよく口ずさむのは『異邦人』だったけど、あれは、意味があるのか?
・逸子の母親と牧場主のその後はほったらかしだったな。夏彦は路花にどう接しているのか? 恋人の妹としてだけ? 女としては見ていないのか? 路花はなぜ姉の名前を芸名にしているのか? とか、いろいろほったらかしはたくさんありすぎ。まあ、雰囲気でみる映画だからな。ステディカムの移動しながらの撮影画面は気持ちがいいけど、それが前に出すぎて、映画の意味的なことはほとんど無視されてるんだよなあ。
これじゃない歌10/31シネマ ブルースタジオ監督/岡本崇脚本/---
ブルースタジオHPのあらすじは「遠藤は音楽活動を辞めることを決意。そんな彼の隣部屋に春日という女性が引っ越してくる。2人の状況は対照的、そしてよく似ていた。2人は特に交わることないまま、互いの人生に大きな影響を与えていく。」
Twitterへは「21分の短編。歌をあきらめる男と、パクリで成功する女と。でも、話が一発ネタ過ぎて、物足りなすぎ。その後が必要だろ。セリフが聞き取れねえぞ。」
21分の短編。路上ライブする青年がいて。青年は、成功をあきらめて帰郷を決意。最後のライブ後、自分のアパートで自作の未発表曲を弾き語る。隣室にも、デビューはしたが売れない娘がいて、これが最後、と思っていたんだけど、隣室を「うるさい!」といいつつ実は…。1ヵ月後、青年は何かの営業をしている。昼飯の時、店のTVから自分の曲が流れてくる。あのとき、自室で弾き語った曲…。娘はそれをパクったらしい。慌てて元の自室の隣を訪ねるが、別の男が住んでいて…。部屋から、娘が唱う自分の曲が。「この曲好きですか?」と聞いて、「うん」と返事されて喜ぶ。もっと先があるかとおもったんだけど、ここで終わってしまう。権利は主張しないのか。どういうカタチであれ、自分の曲が評価されればいいのか。もやもやするなあ。
・冒頭、乱雑な部屋。青年が電話を受けるんだけど、ほとんど聞き取れない。「ワンちゃん」となんども繰り返す。なんのことやら。で、出ていくときか、室内を見て「きれい」っていうんだけど、別にまだ荷物整理してないのに、不自然。
・隣室に娘が越してくる。のだけれど、1人で段ボールを抱えてくる。すでに5つ6つの段ボールが入口に積んである。どこから越してきたのか知らんけど、1つ1つ歩いて運んできたのか? へんなの。で、室内を見て「汚い」という。みだ住んでないのに、なんで汚いんだか。へんなの。
・隣室との壁は、いくらなんでもメロディや歌詞まで聴き取れるほどじゃないだろ。
・帰省して働く、といっていたんじゃなかったか? なのに、仕事途中の飯屋から、元の自室まで走って帰れるのか? 
・娘は、これがヒットしないと、といっていた曲はどうなったんだ? で、隣室からの曲を丸パクリして企画宣伝販売まで、どうやったんかね。1ヵ月じゃムリだろ。と、ツッコミを入れたい。
ブライトロード303号室 奥田美紀様宛て10/31シネマ ブルースタジオ監督/白田悠太脚本/白田悠太
ブルースタジオHPのあらすじは「バイトを転々としながら、出会い系で知り合った女性と一晩だけの関係を繰り返し自らの人生や家族との関係に悩む春子と、ヨガの教室を一人で経営しながら生徒や息子との関係に悩みを抱える美紀。コロナ禍の東京に生きる孤独なレズビアン女性2人の日常が次第に交錯し、人生の分岐点を迎える。」
Twitterへは「レズ女性への偏見を描くけれど、切り口がありふれてる。テーマが生で出過ぎなところも。ホテルに行ってからの展開が、うーむ、かな。技術的になかなかで、一般公開一歩前な感じ。」
98分。
冒頭の「ひと晩だけ」とネット掲示板で知り合う件が、どっちが呼びかけ、どっちが応えたのかよく分からなかった。翌朝、40越えの美紀が目覚めると、相手はいない。駅に行くと、反対側のホームに立っている。ここは南千住の駅か? 駅前にホテルないけど。美紀は上野方面へ。春子は北へ。筑波山だ。あれ? 
春子は、祖母が亡くなったのか、父親なんかと遺品整理(ゴミ袋に日立と書いてあった)。従姉妹に子どもが生まれた、なんて話している。よくある感じの、お前は男はまだか、な家庭内セクハラと、言い出せない娘、な感じ。なんか古くさい。
その後は春子の宅配業の紹介なんだけど、宅配っていまどき1人なんじゃないの? 運転手と配達員のセットで動いてるところって、あるのか? で、春子がある部屋に行くと不在で、連絡票に書こうとしていたら背後から声が。だれかはすぐに想像が付く。
けれど、次からは美紀の家庭事情と、ヨガ教室の紹介で、慌てて自宅に戻ると宅配の春子が玄関前にいて…。の再会場面。まあ、うまい展開とは思うけど、ちと間延びしてるかな。
美紀は、コロナの息子に食べ物など送ろうとして宅配を手配した様子。なんだけど、この再会の場面で、互いに「あの時の」と分かっているんだろうけど、その雰囲気が出てないんだよね。淡々と話が進み過ぎな感じ。うろたえるとか、喜ぶとか、目で演技するとか、ないんだよな。あと、宅配業者がドアの中で待つのも違和感。さらに、美紀がなにかこぼした途端、春子がささっと上がってきて拾うのも、違和感。フツー、他人の家にそう簡単に上がらないだろ。出ていく時の、春子の名残惜しい様子はあったけど、美紀の方は素っ気ないのも、うーむ。もうちょい芝居をして欲しかったかな。
2人の再会は、春子が配送で階数を間違えてヨガ教室を訪れてのこと。なんだけど、偶然も2度重ねると嘘くさい。まあ、映画だから仕方ないが。で、春子が忘れたペンを返すのとクリスマスの招待という名目で自宅へ招待。その当夜、春子は飲み過ぎか寝ていると、美紀の息子が酔ってやってくる。この息子の存在も曖昧で、なぜかひねていて母親を拒否しつつ、こうやって母親宅を訪れたりしている。設定がしっかりしていない感じ。息子は室内の春子を見て、怒ったようにでていく。のだけれど、女友だちと自宅パーティぐらいフツーだろうに。とは、このときは思った。
ヨガ教室は順調なんだけど、ひとり小太りオバサンが怪しい動きをしていて。もしかして小太りは美紀のレズビアンを感じていて接近しようとしているのかな? と思っていたんだけど、結果的にはそうではなかったのかな。両国橋のたもとで2人が抱き合う場面があるんだけど、それを小太りが目撃。別に、着衣の女性が抱き合ってたってレズとは思わんけどな。
いっぽう、春子は同僚おじさんから「休みにラーメン食いに行こう」と誘われたのが負担なのか、宅配バイトを辞める。のだけれど、おじさんの誘いなんか、いまどきの女子は笑って拒否るだろうに。この映画、いちいち重々しく描こうとしている。そのあたりもアナクロな感じ。
で、美紀は失職した春子をアシスタントに雇うのだけれど、1人で運営していたヨガ教室に、人を雇える余力はないだろ。と突っ込んでしまう。
お正月は帰省しない。一緒に過ごしたい人ができたから、と実家に電話すると、男ができたか、と喜ぶ父親もステレオタイプ。東京から日立なんてすぐじゃないかと思うんだが。
春子は、美紀からもらった襟巻きの御礼に、ネットで注文したらしい。が、正月当日、上野駅前に来た美紀は、送った襟巻きをしていない。ので、なにやらショックだったらしい。なら、はっきりそう言えばいいじゃないか、と思うんだけど、映画的都合で曖昧に。湯島天神を詣でて、ビジホに泊まるんだけど、これが大いなる疑問系。というのも、春子は一緒にいたいと願っているようなのに、美紀は「互いに知り合って間もない。私は歳なので、将来のことも考えたい。身体だけの関係にしたくない」と、たんに素泊まりになっちゃうんだよね。東京に自宅があるのに、ラブホではなくビジホに、ツインで泊まった理由は何なんだ? 美紀に、寝るつもりがなきゃホテルなんて行かんだろ。行ったからには寝ろよ。寝た上で、肉体は欲しているけれど、将来のパートナーとして不安、的な逡巡があって距離を置こうとする、な流れがないと、見てる方は素直に受け止められんぞ。
翌朝、美紀が目覚めると春子のベッドは空で、美紀が与えたマフラーが置いてある。ヨガ教室でもトラブル発生。小太りが掲示板に、美紀がレズ、トイレにカメラ、と書き込んで4人が辞めて。書き込んだのをどう特定したのか美紀が小太りを問い詰めるとつかみ合いになって…。大事にはならなかったけれど、ヨガ教室はしばらく休むことに。というところに春子も、アシスタントを辞める、といいにくる。
このくだり、レズビアンに対する偏見を訴えたいんだろうけど、いまどきこんなことを言いふらすやつも、影響を受けるやつもおらんだろ、という気がするんだが。もう、かなり存在は認識されていて、サポート体制もできつつある。偏見を持ってはいけないという見方が一般化してるんじゃないのかな。映画にするなら、その先の事態(それが何かは分からないけど)を描いて欲しい気がした。
マフラーの件は遅配だろうと思っていたけどやっぱりそうで。 美紀は春子にメール&電話で和解、なのかな。しかし、マフラーについてははっきり「届いてない?」といえばいい話で。じれったすぎてめんどくさい。それで春子は、いったん田舎に戻り、家族にいう。それまで待ってくれ、とかいうんだけど、それで美紀の心配(将来のパートナー)は解消しないと思うんだけど、なんとなく和解した感じになる。それで、帰省前に一緒に来て欲しいところがある、というんだけど、それが息子のアパートで。ベルを鳴らすけどドアは開かない。というのも、息子は、ちょっと前に「お母さんが結婚したのはレズビアンを隠すため。それで僕は生まれた」と卑屈になっているのだよね。いいじゃねえか、そんなこと、と思うんだけどね。世の中には、女の子ばかりの姉妹で、親から「本当は男の子が欲しかった」と言われて育つこどもだっているんだ。それと同じようなもんだろ。むしろ、レズビアンなのによく耐えて僕を産んでくれたね、と感謝してもいいんじゃね? な息子に、「お前が生まれて本当によかった」と郵便受け越しに語り、でもドアは開かなかったけど、ドア前に置いた荷物は取り込んだ様子。まあ、これも美紀と息子の和解なんだろうけど、同性愛なんてごくフツーのことなんだから、それで周囲が悩むこたあねえと思うけどね。そういう、気にしない人物をどっかに配して、バランスをとってもよかったんじゃないのかね。
それと、小太りがレズ的素質をもっているか否かは、結局、わからず。彼女の反省もどこかに埋めて欲しい感じ。「私も美紀先生を好きだった…」とかね。
というわけで、細かなツメがいまいちな感じで。そこらへんを上手く処理すれば、一般公開しても評価されるような気がした。
常夜灯10/31シネマ ブルースタジオ監督/今野雅夫脚本/今野雅夫
ブルースタジオHPのあらすじは「父から受けた虐待のトラウマで、サイコパスな別人格を持つようになった主人公が、認知症の身障者になった父を介護するのに、狂気の衝動と戦い、やはり心に傷を持つヘルパーさんの誘惑や打算に揺れる。」
Twitterへは「ゴミだな。」
72分。
映像技術なら、向上させることができる。いまはレベルが低くても、先人を真似てノウハウを身につければ、見られるものがつくれるはず。しかし、この監督には技術のカケラもない、あるいは、身につける意志がないのではないか。映画の文法、映像美学、編集の妙、ダイアログやモノローグの足し算・引き算、などなど、映像的なものへの感受性がないんだと思う。つまり、映像センスがない。周囲のスタッフで、この監督に注進できないのは、彼らも映像センスがないか、あるいはアホとしか考えられない。こういう監督に映画をつくらせてはいけないと思う。時間と金のムダだし、観客の迷惑にもなる。72分、苦痛でしかなかった。
↑のあらすじのような話はある。でも、多くは合理的に描かれておらず、たぶか監督の思いつきと独りよがりで成立しているんだろう。主人公は二重人格のようだけど、ヘルパーの女性も似たような感じだ。最初は赤の他人かと思ったら、高校の同級生のようでもあるんだけど、あれはいったい何? 途中、街で遭遇した女性はヘルパーに似ていたけど、別人? 同一人物? 父親に痣ができる原因を探るため、ヘルパーが一緒の部屋で寝る!? と思ったら、なぜか主人公の布団に潜り込み、アヘアヘ始めるのは、おまえAVの見過ぎだろ! だらだらと長いだけで愚にも付かないセリフの数々。車椅子に乗ったり、家のソファに座ることもできるのに、なぜかおしめをして排泄処理までしてもらう認知症の父親? 父からの虐待で、なんでサイコパスになるんだよ!? ただの復讐じゃないか。
というわけで、これはもうただのゴミ映画でしかない。このレベルのものを一次選考通過として観客に見せること自体が、理解不能だよ。
ある日、ある女。10/31シネマ ブルースタジオ監督/光平哲也脚本/光平哲也
映画.comのあらすじは「未婚のアラフォー女性、沢松優子。不倫相手の森本剛志との泥沼の関係はすでに終わっていたが、楽しかった日々が忘れられないまま、仕事に忙殺される毎日を過ごしている。そんな中、同僚から結婚の報告を受け、その幸せそうな姿に言いようのない気持ちになる優子。そんな彼女に対し剛志は復縁を迫り、以前渡した合鍵を使って家に押し入ろうとする。激しい言い合いとなり、剛志から罵倒と激しい暴力を受けた優子は、その恐怖から次第に我を失っていく。」
Twitterへは「日本映像グランプリ一般公開審査上映会。ある夜の出来事を、回想シーンや争う場面も含めて、気がつけば全編1シーンで撮ってる。凄っ! さて、最後どう締めくくるかと思ったら、これがよくある感じでちと残念。あとヒロインがわめきすぎかな。」
65分。
歩道を2人の女性が歩いてくる。だんだん近づいてきて、ミドルショットになって。あとはカメラがそのまま後ずさりしながら撮っていく。あたり障りのない会話から、後輩が「まだ不倫つづいてるんですか?」てなことを言うんだけど、そんなことフツー言わんだろ。後輩は辻を折れて別れる。ん? この2人は同じ駅、同じ街にいるのか? が、ちと不自然な感じ。のあと、1人でマンションの自室まで、は大幅なコマ落とし。で、部屋に入って上着を脱いで壁にかけ、すわってPCで仕事の続きでもするのか。冷蔵庫からワインボトルを出すんだけど飲みかけで、赤なのに冷やしてるのが、おいおい、な感じ。カマンベールチーズをカットするのが、なかなかぞんざい。ビスケットとともに皿に載せ、PCの横に置く。彼女は横にある十字架と置いてある時計の方に移動すると、伏せてある写真立てを立てると、彼氏との写真。画面の周囲が暗くなり、また明るくなってテーブルを映すと彼氏が横にいて、優子はにこやかにいる。誕生日らしい。プレゼントを開けると腕時計で、彼氏とおそろい。キス。が、またまたカメラが横移動し、もとに戻ると、帰ってきた時のPCとワイングラス。おお。どうやったんだ。テーブルごと入れ替えたのか? 優子の上衣は同じだっけ? 変わってたっけ? と、気がつかなかったことに反省したけど、まあいいや。で、しばらくして玄関からチャイムで、インターフォンを見ると例の不倫相手の元彼で。帰って、といっても上がってきて、ドアを開けようとする。チェーンはあるけど元彼が騒ぐので仕方なく室内へ。元彼は別れたくない様子でしつこく迫り、争うんだけど、彼女が床に転がったり、胸元がはだけたり…。
のあたりで、これって、ずっと1シーンで撮られてるな、と気づいた。遅いって。
しつこく迫る元彼に、ナイフで脅す優子。もみ合ううち元彼の手がナイフで切れ、逆上した元彼が乱暴になって。そのあとよく覚えてないんだけど、馬乗りになった優子がプッツンしたかのように何度も何度も元彼を刺して。はっと気づいて、あとは「どうしよう」「なんで?」の繰り返し。床の血を拭いていると隣家の住人が「なにかありました?」と言ってきて、なんとか血しぶきを隠して対面。これも1シーンでよくやってるよなあ。興奮しているかと思いきや冷静に対応で、「静かにしてください」と収束したけれど、このあと警官が1Fのインターホンを鳴らしてきて、なんでもない、と追い払おうとしたけど、とりあえず状況を聞きたいというので、「風呂上がりなので時間がかかります」といって死体を風呂場の方へ。床の血は薄いのが、ちと気になった。刺したところではかなりの血だまりだと思うんだが…。まあ、映画的都合か。玄関口から三和土まで入られて、いくつか質問をうけ、足の血液を見られて「怪我をしてる?」といわれるけど、なんとか追い返す。血の臭いはしなかったのかなあ。
ひとりになって自分に戻り、でも、なんとか事件化しないようにするつもりなのか。どう考えてもなかったことにはできないと思うんだけど、なかったようにしたい様子。1人になると「なんで? どうすればいいの!」と叫び始めるので、また近所から苦情が来るんじゃねえのか、と思ったりした。人間、こういうとき、叫んだりしないと思うんだけどね。まあ、映画的な都合か。のあとは大きめの包丁を持ちだし、頭部を叩き切り始めるんだけど、解体しようとしているのか。ムリだろ。『冷たい熱帯魚』を思い出す。けれど、どうにもならないことに気づいた様子。
さて、どう収拾させるつもりなんだろう。それが気になった。完成度は高いし、1シーンだし。いい映画になるか、なんだよ、になっちゃうのか。
と思っていたら、優子はとつぜん家を出てエレベーターを降りて夜の街を小走りに歩きはじめる。角を曲がって道路を横断し…。これ、リハーサル通りの動きなんだよな、きっと。で、ある突き当たりに出くわすと、そこに巨大な十字架と磔のキリストがいて、その前に跪いて優子は「ごめんなさい」だか「お許しください」だかいい、さらに歩くと車椅子に乗った母親を押すようなかたちになって。幻想シーンだ。いや、これを用意して待ってたのか。さらに四つ角に出ると、「どうしました」と呼びかけられ、見ると腹を真っ赤に染めた元彼で。優子が歩きはじめ、元彼がフレームアウトし、再びフレームインするとそれは元彼ではなく、どこかの男性。優子の幻想か。さらに歩くと、前方で警察官らしいのが無線で話している感じ。しかし、夜とはいえ他の誰もフレームに入ってこない。交通規制なんて大っぴらにできるはずないのに、よくできたものだ。まあ、最近はCGで人ぐらい簡単に消せるんだろうけど。でまあ、その方向に歩いて行くと、突然やってきたクルマにはねられてしまう。おお。そういうやり方か。よくある手だな。で、ちょっと期待外れというか、失望してしまった。もっと意外な収束になればよかったのに。
クルマは逃走し、轢き逃げに。警官は優子を見て、「大丈夫ですか?」といっているけれど…。で終わった。
技術的にも、話の設定も、1シーンで仕上げる力もなかなか。まあ、ラストはもうちょい考えて欲しかったけどね。

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|