ゴジラ-1.0 | 11/7 | 109シネマズ木場シアター1 | 監督/山崎貴 | 脚本/山崎貴 |
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Twitterへは「戦後すぐの話。人間ドラマが薄っぺら。じわじわ盛り上がる感じもなく、ゴジラいきなり登場で安っぽすぎ。政府も米軍も影も見せない。ソ連の方が気になるんだと。で、元海軍の生き残りがボランテイアで戦う? 遅れてきた特攻。ラストもミエミエで興ざめ。」 キャッチフレーズは「戦後、日本。無(ゼロ)から負(マイナス)へ。」なんだけど、これは1954年の『ゴジラ』と同じで、内容的にもほぼ同じ。なので、わざわざ「マイナス」と断り書きを入れているのが、なんなの? な感じなのだよね。 とはいっても1954年版と違うのは時代背景で。あちらは、ゴジラの登場は1954年、こちらは1945年である。いまWikipediaを見たら、1954年版も「大戸島に古くから伝わる海の怪物」ということで、本作と出自は同じなのだな。とはいえ、1954年版では、得体の知れない何か、だったような気がするんだけど、こちらでは、1945年の日本軍の基地に10mぐらいのティラノサウルスみたいに機敏に動くゴジラが登場し、兵隊たちをめったやたらと食いちぎるのでビックリ。おいおい。いきなり登場かよ。もうちょっとタメをつくって、じわじわ登場して欲しいなあ。なんか、このイントロだけでなく、全体的にバタバタ性急に話が進むんだよな。興ざめ。こういう理由でこうなって、だからこうする、そしてこうなった、というような理屈がなくて、ドカドカと話が進んでいってしまう。そのせいで人間ドラマが薄っぺらになってしまっている。 敷島が特攻で死ねなかったのはなぜなのだ? 主義主張というわけでもなさそうだ。大戸島の守備隊基地に帰還し、ゴジラが出現して、整備兵の橘に「20ミリ砲を撃て!」といわれても、ガタガタ震えているだけで撃てない。そのせいで戦友が目の前で死んで行っているのに、責任のひとつも感じていないように見える。そして、おめおめと帰国船に乗り込んでいる。ただのへっぴり腰なのか、度胸がありすぎなのか。特攻少尉として違和感ありまくりで話に入れない。 帰国したら両親は死んでいて、隣家のオバサン澄子にはなぜか罵倒される。まるで敷島がへっぴり腰で特攻から逃げたのを知ってたみたいだ。謎の娘・典子には赤ん坊を押しつけられる。と思ったら、一緒に暮らしはじめるのだけれど、フツーなら隣に若い女が寝てればその気になるだろうに、これがならない。不自然すぎて、話についていけない。 典子も、登場したときはヤミ市を巧みに生きるすばしこい少女かと思いきや、汚れが取れるとしとやかで素直な娘になってしまっている。戦火で託された赤ん坊の明子にやさしく、隣家のオバサンとともに育て始める。敷島が機雷処理の仕事を始めると、かいがいしく家事を行い、まるで新婚生活のよう。だけど、手は出さない不思議。フツー若い娘が一つ屋根の下に住んでいてそうならないのは不自然だろ。ここは、新しい家庭ができて、典子が妊娠したという設定でよかったんじゃないのかね。 ちぐはぐなんだよね。いろいろと。 1954年版との違いは… ・ビキニの水爆の影響はあったけど、具体的にどう影響したかの言及なし。 ・臆病な特攻隊員による、神風特攻のやり直し。 ・政府関係者も米軍も登場しない などなどかな。水爆によってゴジラが巨大化した、というツッコミがないので、原爆実験やアメリカが敵にしずらい映画だなあ、と。1954年版では、戦後復興しかけたとろろに再度、日本を襲う怪物(政治的な。あるいは、核爆発のメタファー?)がやってきて、アメリカがなし得なかった東京の破壊を行う、という筋立てだった。ところがこの映画では、敗戦前にゴジラが登場し、復興途上の日本を襲う、という筋立てか。ビキニ水爆の映像があったということは1954年の直後ということか? とすれば娘の明子は9歳になるはずだけど、幼すぎないか? 不自然さは色々ある。 ・大戸島がどこにあるのか知らんけど。伝説のゴジラにしてはデカすぎだろ。体長20メートル以上あったろ。あんなのがいて、当時も戦後も話題にすらならない不自然さが変。 ・で、ビキニで水爆実験があったからって、大戸島のゴジラに影響ないだろうに。そういう示唆があるのが、変。 ・ゴジラは戦争のメタファー、本土攻撃のメタファーとかいわれてて、1954年版では、10年遅れの本土攻撃になるわけだが。今作でも、水爆実験を経ての10年遅れということなのか? ・そういうメタファーより、今作では、家族(日本)の再生という感じが強いように思うんだけどね。 ・でまあ、なぜかゴジラが巨大化して登場で。さっさと姿を見せてしまうのが興ざめ。 ・そのゴジラにやられたのか、でも、貨物船(?)が沖合(?)にあんなカタチで座礁するかね。沖合の浅瀬なのか? ・で、ゴジラをやっつけるボスが、敷島と一緒に機雷処理してた学者で、元軍隊のどっかで兵器開発をしていた野田というのが、ショボイというか、あり得んだろ。なんで政府とか自衛隊が出てこないのだ? アメリカが、ソ連対策に忙しいから関与できない、といってるのも、はあ? だよな。 ・ゴジラは沖合から都心をめざすのだけれど、あれは、立ち泳ぎでもしてるのか? な恰好なんだよなあ。へんなの。 ・銀座、有楽町、電車の場面は第一作オマージュで当然か。この銀座の場面で、ゴジラを見上げる野次馬のひとりに、一瞬、橋爪功が見えたぞ。 ・女の人が列車にしがみついていて、落下するのは、『ジュラシック・パーク』に似たようなのがあったなあ、と。 ・強風を避けるためなのか? 一緒にいた典子が敷島をビルの隙間に突き飛ばして配慮するのが不自然だろ。一緒に隙間に入ればいいだろ。アホか。 ・でまあ、野田博士の理論だと、ゴジラを水圧で弱らせる、とかなんとか。急激に海底に沈めるためゴジラの身体に何だったかを巻き付けてどうたらこうたら。で、登場するのが米軍に接収されていた(?)駆逐艦とか何とか。え? 1954年時点で廃船処理はされてなかったのか? 集まってくるもと海軍兵たちも、そんなことしていいのか? 自衛隊よりもアブナイ集団になっちゃうんじゃないのか? ・とはいえ、駆逐艦4隻が出動する場面で、やっと例のゴジラのテーマソング。まあ、盛り上がりはするけど、もっと早くにかかってもよかったんじゃなかろうか。 ・なんだけど、巨大な貨物船を吹っ飛ばすほどのゴジラが、駆逐艦4隻によってロープぐるぐる巻にされるがままって、変だろ。 ・で、ゴジラは一気に沈んで。でも退治できないので、こんどは一気に浮上させたんだっけか。?・同時並行で、試作機の震電に敷島が試乗もせずいきなり登場し、よくわからん爆弾を抱えて特攻するという案が進行していて。これはまあ、戦時中に特攻から逃げた敷島が、命を賭けての特攻に挑むという、この映画のキモとなる設定だけど、なんかなあ。なんで敷島が選ばれるんだ、って考えると、映画だから、としか答えようがないわけで。日本の命運を、特攻から逃げたへっぴり腰に任せていいのかよ、と思っちゃうよね。 ・とはいえ映画だから、ここは敷島がゴジラの口の中に特攻した。けど(実はその前にパラシュート脱出していたとなると、決死の覚悟ではないわけだ。敷島は安心して機体を突入できたということになるよなあ)、機体はぐしゃっ、ってなるだけで爆発してなかったように思うんだが、どうなんだ? ・とはいえ、ゴジラの身体はなぜかバラバラになって沈んでいったので、でも水圧変化が効いたのか、特攻爆弾が効いたのか? よく分からん。ラストに、沈むゴジラの身体が、少しふくらんだりしてたけど、まだまだ生きてるぞ、復活するぞ、の予兆はいつもながらの定番な感じ。 ・あ、そうそう。病院からの電報で典子が生きていた、という連絡は敷島特攻の前だったか後だったか。わすれたけど、そうなるだろうということは分かっていたので予定調和過ぎ。 | ||||
愛にイナズマ | 11/16 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3 | 監督/石井裕也 | 脚本/石井裕也 |
Twitterへは「前半の映画監督話はムダにクドくて長くて退屈なので眠りそうだったので★★なんだけど、後半の家族の話はなかなかはっちゃけてて、目が覚めて★★★だった。間尺に合わないところもあるけどね。赤の理由とかイナズマの意味とか理由とか欲しいんだよ!」 Wikipediaに項目として名前が載っている30凸凹の(設定では26歳だから、なにか自主製作で賞でも獲ってるということなのか? PFFで受賞したとか?)女監督・花子が主人公。彼女はどっかの映像製作会社とつながっていて、企画が通って1本撮れそうな感じ。でも雰囲気として劇場公開前提ではなく、自主映画に毛が生えた程度なのかな。でも製作会社が金を出すらしいから、回収のめどは立っている、程度かも。現状は収入がなく部屋代も3ヵ月滞納中。製作会社のプロデューサーと職業助監督が若干のシナリオの変更を求めても、意地でも反発する感じ。たまたま投身自殺の現場に出くわし、でも飛び降りようとする人を撮るのではなく、野次馬の「早く飛べよ」な声にカメラを向けたけれど、それが撮れていないというボケをかますほど運がない。でもその「早く飛べよ」ょシナリオに盛り込んだら、こんなのあり得ない、意味が分からない、と助監督に言われ、でも「本当にあったんです」と抗弁するも、人間はそんなことは言わない。もっと人を観察しなさい、といわれる始末。まあ、製作会社のプロデューサーも助監督も、ステレオタイプな頭なんだろうけど。 なにしろ真実が知りたい、ウソは嫌い、な花子。それを説き伏せようとする助監督。の話が延々とダラダラつづくので、ちょっと集中が途切れそう。映像もメリハリがなく、ムダに引き伸ばしている風。イライラ。な間に、どこか離れた田舎の父親と、その友人の映像が挟まる。父親は、何かをつたえたがっている様子。 な感じで140分の1/3ぐらいが費やされる。後半を見て思ったのは、この前半の映画監督の話と、花子のムダな意地っ張りの部分を15分ぐらいでチャチャっとまるめてしまえばよかったのにな、なんだよね。このパートで登場するプロデューサーも助監督も、後半の家族の話にはちっとも関係なく、登場しないのだから。あ、あと、正夫の友人の落合がいたけど、彼などほとんど機能しないまま縊死してしまう役回りで。何のために登場したのか意味不明なんだよね。 この前半は、コロナがどうしたという下らん話があったり。正夫がアベノマスクを集めて、そのせいで70万円も貯まったってのは、どういう話だ? さらに、花子と正夫の出会いがあるんだが。どーでもいいような話でしかない。むしろ気になるのは、花子が「赤」にこだわる理由とか、正夫とバーで再会して気があってしまうちゃんとした理由が描かれてないことなのだ。赤い自転車なんてそこら中にいくらでもあるだろうに、なぜ赤い自転車の正夫を記憶し、バーで再会してすぐ分かり、さらに、話しているうちにキスまでしてしまう展開はになんなのよ。むかし失踪した母親が赤い何かを身につけていて、それで心に残っているとか、ちゃんとした理由がないと納得できないよな。 で、後半。監督できると思っていた企画だったのに、なぜか降ろされ。例の助監督が監督をして撮ることになった、という流れらしい。職業助監督がいきなり監督できるのか? 知らんけど。上層部の意向で花子が降ろされた、らしいけど、なんだか説得力の薄い話。ところで、脚本料ぐらいはもらえたのか? さらに、花子と正夫の関係は、どうなってるの? ↑のあらすじでは「恋人」となってるけど、そんな感じには見えないし…。な正夫を連れて実家に行き、例の企画で撮ろうとしていた父親との確執、父親が隠しているらしい、母親の疾走の秘密を探ろうとドキュメンタリーを撮りはじめるという流れなんだけど、ドラマはあきらめてこんどはドキュメントかよ。 父親とともに登場するのが、長男と次男。花子の思い出によると父親は暴力的で荒れていて。母親はなぜか突然失踪。その謎を追究するため、父親を問い詰めつつ撮影を始めるが、のらりくらりとかわされる。長男は羽振りが良さそうで、高級車でやってくる。これは、父親が呼んだんだっけか? にしては、20年ぶりだか10年ぶりで、よくやってきたもんだ。次男は神父で、でもやってくる。ここに、両親の思い出がまったくなく食肉加工業に携わっている正夫が絡み、罵倒したり逃げたり誤魔化したりな会話がつづくんだが。花子は「ウソは嫌い。真実を知りたい」と譲らない。 花子は、ダメな父親のせいで母親は失踪した、と思っていたけれど、ところが…。父親は、有耶無耶なままにしておきたかったようだけど、「じゃあ、母さんに連絡しようか」と携帯をとりだして、子供たちは「え? 連絡がつくの?」とびっくり。失踪してからも電話代だけは払っていた携帯があって(って、20年前に気軽に手に入る携帯ってあったのか? 月2000円ぐらいで? っていうか、母親の方も機種変更しないでそのままで、通じたのか? あるいは、機種変してたのか? )。そこに電話したら現パートナーが出て、2年前(3年前だったかな?)に亡くなった、と。電話がかかってきたら、亡くなったことだけはつたえてくれと言付かっていた、とかなんとか。実は母親は好きな男ができて不倫していて。男の方から、別れて来いといい、それで失踪したとかなんだとか相手の男が言うので、子供たちは花子も含めて、あんぐり。 さらに、地元の海鮮料理店に行くと、そこは父親のなじみの店で。じつはその店主と父親は親友で、その娘がどこかの男にいたずらされて自殺。なので、花子の父親がみつけだしてボコボコにしたとか。でもやりすぎて片目を失明させ、慰謝料1500万円を払ったとかなんだとか。それで一時荒れている時期があった、とかなんだとか。それもあって母親は失踪したんだよ、と親友が言うのを聞いて、子供たちはあんぐり。 さらに、その店にやってきたヤクザっぽい連中が、女騙して受け子にしてどうたらという話を大っぴらに(フツーするわけないだろ)しているのを聞いて、長男を先頭にみんなでボコボコに、したのかどうか、よく分からない。長男が殴られたのはマスクの血で分かるけど、他の面々や、相手の被害、店の被害はどうだったんだ? 気になるけど映画は教えてくれない。 てなわけで亡くなった逃げた女房の携帯を解約しようとショップに行ったら証明書がないとダメ、というシステムになってる云々と言われ、これは見てるこちらも、あるある、と腹が立ったんだけど。父親は、妻が死んだ、ということすら店員に言えないのはなんでなの? 父親が花子に電話していたのは、胃がんであることを告げようとしていたのか? ならば長男次男には伝えているのかと思いきや、さんなでもなくて。父親がポロッと漏らした「あと1年」を追及したりして、このあたりも全体のトーンが整理されてないな。 というわけで、1年後。長男はいまだに上司にペコペコだけど。有名タレントとのクラブの席で、妹も監督なんです、と言ったら「知らない」といわれて逆上したりするんだが。あの一件で妹を見直したのか? どこを? な感じ。はたまた父親の亡霊が次男の元に現れたりするんだが、船上から父親の遺灰を撒くのは花子と正夫の2人、というのは、どういうことなんだ? とか、いろいろ間尺に合わないところが結構あるんだよな、この映画。 | ||||
サタデー・フィクション | 11/17 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3 | 監督/ロウ・イエ | 脚本/マー・インリー |
原題は“蘭心大劇院”。 Twitterへは「リンク先のあらすじにある設定が、ほとんど説明されないままイメージ先行で進む。1941年の上海租界の出来事なのでアバウト分かるけど、誰が誰やら何が何やら。なので少し寝た。フツーに人物の背景を見せつつ描けばいいのに。ダメ映画の典型。」 冒頭は、始めのうちなにかの密会なのかと思っていた。同じセリフが繰り返されるので、芝居の稽古となんとなく分かった。ののち、ユー・ジンが上海を訪れ、ホテルに宿泊する。これは舞台の巡回なのか。男優なのか演出家なのか、も何となく分かった。まとわりつくメガネ男もいた。でも、誰なのか、はよく分からない。ホテルの支配人は、ユー・ジンの電話を盗聴する。古書店主も登場し、フランス語を話す。そんな程度しか分からない。 日付がしつこくでる。1941年の12月。日米開戦直前か。その上海租界。とはいえ、疎開がどういうところなのか、の説明はない。 どういう話なのか、ほとんど手がかりがない。話が転がらないので、ついていけず、眠くなる。オダギリジョーが登場してきて、日本の少佐なのか。これまで使っていたのと違う暗号解読表をつかうとかなんとか。それを、人々の前で説明する場面があるけど、集まっていたのは日本人なのか? 兵隊なのか? 場所は、どこ? 租界内? の、しばらくあと辺りになっても話が転がらないので、うとうとと…。20分ぐらい半覚醒。気がついても、話は転がっていない。相変わらず、日付が出てきて、刻々と過ぎていく。 ユー・ジンは、恋人がいるのか? キスしてたけど。相手は、ありゃ誰だ? とか、わけが分からんまま見ていたんだが。ちょっと目が覚めたのは、ホテル内の食堂で、隣の壁を押し倒してしまい、隣は日本人兵士たちで、酔っ払った男が「ユー・ジンさん? 一緒に写真を撮ろう」としつこく言ってきたあたりぐらいか。あんな薄い壁で仕切ってどーすんだよ、な感じだけど。 の、あとで、ユー・ジンは元亭主をどっかから請け出すんだけど、なんなの、これは? で、ホテル前に着いたら突然の銃撃戦で。元亭主は撃たれて死亡。スリリングでなかなかなシーンだけど、誰が何のために誰を狙ってどうなったのか、がサッパリ分からず。オダギリジョーの古谷少佐が負傷し、ホテルの支配人やフランス人らの指示でホテルの医務室に拉致され、これに対して古谷の護衛のような梶原ら日本人兵士がホテルに突入し、ドンパチ。ユー・ジンも銃を手にがんばるんだけど、なんのことやらサッパリ分からん。 ベッドに眠る古谷。自白剤でも打たれているのか? ユー・ジンを妻と勘違いしてべらべらしゃべるけど、マジックミラー越しに見ているホテルの支配人やフランス人らには聞こえない。そうこうしているうちに梶原がやってきて、電話交換室を襲って殺戮。古谷を救出し、ユー・ジンとも交えるけれど、なんとか逃げ出したユー・ジンは、公開初日の舞台へと、なぜか向かう。 その舞台では、ユー・ジンにすり寄ってた中国人女がユー・ジンの代役を務めていたけど、やってきたユー・ジンと交代するんだけど、例のメガネ男に強姦されそうになって。でも、中国人女がメガネ男の股間を何かで刺して逆襲。でも、メガネ男が中国人女を撃ち殺す。メガネ男は舞台に上がってきて、乱射。観客は右往左往。梶原はユー・ジンに撃たれ、古谷も撃たれてしまうんだったかな。ユー・ジンは、逃避行のために予定されていた船に、向かったのか? よー分からん。 で、冒頭の芝居の中のように、ユー・ジンと男(もう誰だか分からん)が窓ぎわのテーブルにいて、これは死んでいるのか生きているのか。カメラがパンすると音楽隊で。これも、舞台のときと同じ。 で、字幕で、ヤマザクラはハワイのこと、と説明があって。だから、日本が12月8日に真珠湾を攻撃したのだよ、てなオチになるんだけど、べつに阻止しようともしてなかったよな。 ・原作は、横光利一の「上海」と、あともうひとつ中国人作家のなにか、があげられていたな。 ・なんで古谷は妻を殺されたの? はたまた、妻にこだわってるの? ・ユー・ジンの元亭主は、なんなの? とか、わからんことたくさん。公式HPの人物相関図みて、個々人にどこどこの諜報員とか書いているけど、そんなの全く分からんままだったぞ。 ・日本人の梶原を演じた中島歩が超絶カッコよかった。オダギリジョーはいまいち目立たず。 ・ユー・ジン役のコン・リーは、貧相な顔だ。 | ||||
私はモーリーン・カーニー 正義を殺すのは誰? | 11/20 | ル・シネマ 渋谷宮下9F | 監督/ジャン=ポール・サロメ | 脚本/ファデット・ドゥルアール、ジャン=ポール・サロメ |
原題は“La syndicaliste”。「労働組合主義」とかいうような意味のようだ。 Twitterへは「『エリン・ブロコビッチ』的な話かと思ったら違って。組合活動を弾圧された? 否自作自演? な藪の中の話だった。対立軸が曖昧なので、敵が見えないのが、もやもや〜。結局、真犯人は分からんし。」 モーリーンはアレバ社の組合代表で社員のために戦っている。あるとき、ある男がモーリーンに接触し、ブログリオがどうとかで、と中国と提携云々の情報を持ってくる。どうも極秘情報らしいんだけど、それを公にしようとすると、あれこれ妨害が起こり出す。無言電話。クルマのガラスが割られバッグを盗まれる。そのあげくにモーリーンは得体の知れない男に襲われ、自宅で束縛され、膣にナイフの柄を挿入される。さらに、腹部にAという文字がナイフで描かれる。…なんだけど、前提となる背景が分かりにくい。フランスの原発会社アレバ社って、どういう位置づけ? それと中国はどういう関係? ブログリオって? さらに、EDFというのも登場して何が何やら。なので、冒頭からの流れは、いったい何が起きていて、何が問題なのかさっぱり分からず、退屈だった。 Web上の解説ページを見るとEDFはフランス電力会社らしい。あるページを見たら 「(アレバ社の新社長)ウルセルの野望は、中国と手を組み、低コストの原発を建設することで、裏にはEDFのブログリオがいる」とEDFの職員から極秘文書を渡された、となっていた。はあ? それの何がどう問題なんだ? わけ分からん。 Webページには、現社長を解雇し、ウルセルを新社長につけたのはサルコジ大統領、となっていた。はあ? じゃあ、フランス大統領が、原子力事業で中国と手を組むことを決めたということか? それのどこがどうまずいんだ? そんな情報を公表しようとしたモーリーンに脅しをかけて何の効果があるんだ? しかも手を替え品を替え。そもそもモーリーンを黙らせても、そんなこと、いずれ明らかになるだろうに。と思うと、どーも話に入れない。 少し話が面白くなってきたのは、モーリーンの束縛事件が、もしかして自作自演なのか? と疑われ始めた頃からだ。話が原子力から個人の問題になったからなのかも。 要は、本当に暴漢が室内に侵入し、レイプ(ここではナイフの束を入れたことを指しているのかな? 本来的な強姦ではなく)されたのか? いやそれはモーリーンの狂言なのか? 憲兵隊の刑事たちは狂言の可能性が高いと判断し、証拠固めをしていく。その結果、モーリーンの立場は逆転し、被害者から犯罪者認定されていくことになる。侵入者のDNAが発見されない、椅子への縛り方が変、被害時座らせられた椅子を燃やしてしまう、などなど、状況も不自然。無言電話やバッグの強奪も、たぶん自己申告…。しかも、憲兵隊刑事の聴取に、一度は「ウソでした」と自白してしまう…。これで禁固五ヶ月執行猶予付き+罰金の刑が確定するんだけど、夫や元アレバ社社長、大臣なんかが心の支えになって、やっぱり、と再審請求していく…、という流れだ。クルマで煽られたのはこの頃だったかな。もっと以前かな。 一方で、憲兵隊の女性担当者が、過去に似たような事件が発生していたことを発見。上司に進言するも、無視されるということがあった。この彼女が個人的にモーリーンに接触し、情報提供。これを元に再審が始まって、モーリーンは無実に。でも、侵入した暴漢の逮捕には至っていない、らしい。 というわけで、前半の原子力話はよく分からず。フランスの大統領はアレバ社の技術を中国に提供しようとした。そのために新社長ウルセルが送り込まれた、と。でもそれは国策であり、いつまでも秘密にできることでもないだろ。その結果としてアレバ社の社員が削減されることにモーリーンが反対するのは、立場として分かる。けれども、中国との提携を暴かれたからといって、アレバ社や国はどう困るんだ? もしアレバ社や国が送り込んだ暴漢がモーリーンを脅したからといって、中国との提携が白紙になるわけではないはず。モーリーンを脅すなんてささいなことを、アレバ社や国がするのか? もししたとしたら、その目的は何なの? モーリーンに、提携を覆すほどの影響力はないんじゃないのか? そう考えると、この事件が藪の中に見えてくる。モーリーンの狂言説も、ある、と。 この映画、なんかもやもやしてスッキリしないのは、対立軸がはっきりしないからだ。まず、フランスと中国の原子力における提携話だけど、フランスにデメリットがあるとして、そういう提携を国がするか? サルコジや、アレバ社の新社長であるウルセルに、どういうメリットがあるのだ? 私的に潤うのか? そのあたり、まったく触れられていない。モーリーンの憤りは、アレバ社の組合員の解雇の可能性がある、ということだけだ。原子力事業の可否について、彼女はほとんど関心を示していない。なので、モーリーンvs国&アレバ社という対立軸があるのかどうか、わかりにくい。 モーリーンと憲兵隊との関係も、憲兵隊=悪、という感じではない。憲兵隊が国などの上からの圧力でモーリーンの事件を有耶無耶にしようとしている気配は、ほとんど感じられない。ちゃんとモーリーンの私邸の警護もしているし。ひとつだけ、同様の事件が前例としてあった、ということから再審が始まる前に、モーリーンが憲兵隊の刑事に電話の通話先2件がどうとか見せつけ「告発するから待ってて」という場面があるんだけど、あれがよく分からなかった。あれは、あの刑事が上から指示を受けていたとかいうことをいっているのか? でも、そういうことがあった、という展開にはなってないのよね。なので、モーリーンvs憲兵隊の対立軸も見えない。 最後に、アレバ社の原子力技術が中国にどうなってこうなって、という経緯が字幕ででるんだけど、それがフランスにとってよかったのか悪かったのか、ピンとこなかった。中国との提携でフランスが国家的損失を蒙った、とかいう話も書かれていなかったし。なんか、いろんな意味で中途半端でもやもやする話だった。 ・警察ではなく憲兵隊ってのが登場するんだけど、あれはなんなの? ・何度か「仲介者」という言葉が登場する。あれは、なんなの? ・プログリオというのは組織名でなく、人名なのか? EDFの人間? どういう人物? ちゃんと説明されてたか? もやもや。 ・アレバ社の新社長ウルセルは、任期半ばで心筋梗塞なのか? で死んじゃうし。あと、よく分からんのだが、モーリーンに情報提供した男なのか? も死んでいるような感じの場面があったな。本人ではなくむ妻がやってきてたけど。勘違いかもしれないけど。あれも、何を言おうとしていたのかよく分からん。ウルセルや情報提供者を殺すような指令やミッションがあったんだよ、という示唆? にしてはやることがショボイだろ。モーリーンへの脅しもそうだけど。脅したり殺したりして、何になるんだ? ・あと、裁判の途中でポロッと出て来た話で、モーリーンが過去にレイプされていた経験がある、というのは驚いた。で、そういう経験があると、再度レイプされたとき反応が鈍くなるとかなんだとかいうことを言われていて。そんなことがあるのか? ということと、人生で何度もレイプされる人がいるのか? ということや、レイプされた経験がありながら人生強気で生きてきたんだな、ということや、それが裁判で公にされても動じないのか、とか、いろいろ考えた。また、モーリーンを襲った暴漢に似た事件が過去にあったという件でも、その被害者(この人も社会的な告発をしつづけていた人だったか、その妻だったからしいんだが)も、過去にレイプされていた経験があって、2度目とかでてきて、なんなんだ? と思った。しかも、暴漢はそういう相手を狙ったのではないのかとかいう論調になっていて、はあ? な感じになった。過去にレイプ被害にあった人物を対象に脅すと相手は意識混濁して抵抗しないのでやりやすい、ということを考慮して襲ったということなのか? そういう情報を、暴漢はどこで得たんだ? 国家やアレバ社につながるイギリスの秘密情報部? うーむ、なんかなあ。だったら狂言説をとりたくなるなあ。映画のつくりも、その可能性を否定していないし。そう。モーリーンはまったくの正義、という押しのつくりになっていないと思うんだけどなあ。 ・モーリーンがスーパーに買い物に行ったとき、髪が金髪ではなく黒なのはどういうこと? | ||||
飛行士の妻 | 11/21 | シネマブルースタジオ | 監督/エリック・ロメール | 脚本/エリック・ロメール |
原題は“La femme de l'aviateur”。 Twitterへは「恋多きパリ娘が恋多き飛行士に恋をして別れを告げられ、その娘につきまとう青年が少女と出会って惹かれ、でもその少女も恋多くして。なにがなんだか。恋を選ぶのは女である、のか。知らんがな。」 だからどうした、な恋愛模様が延々と繰り広げられるだけ、な話なんだけど、なかなか面白いし、とくに15歳の娘リュシーとの部分がおかしくて楽しい。 順番で行くと、アンヌは飛行士のクリスチャンと愛人関係にあった。アンヌは、彼が結婚していることを知りつつつき合っていた。3ヵ月ぐらい前に彼は行方をくらました。その結果なのか知らんけど、学生のフランソワとつきあい始めた。アンヌの部屋は、給水管が異音を立てる。それでフランソワに相談したら、配管工を探してやるよ、ということになった。フランソワがバイト仲間に話すと、(たしか)兄が配管工で、時間さえはっきりしてもらえば行かせるよ、てなことになった。それで、夜勤明けのフランソワはアンヌの部屋に行き、メモを置こうとしたけどペンのインクが出ないのでペンを買い、ついでに絵はがきも買ってカフェで伝言を書こうとしたら・・・うとうと。この間に、クリスチャンがアンヌの部屋を訪問。別れのメッセージをドア下から投げ込んだらアンヌが気づいて起きだし、部屋の中へ。なんだけど、ずうーっとアンヌがノーブラスリップにショーツ姿なのでそっちが気になって気になって。で、クリスチャンが言うには、女房に子供ができて、これからパリに住むので正式に別れよう。午後にはフライトで、どうたら。3か月前から会ってなかったのは、女房の元にいたからなのか、よく知らんけど。まあ、これからパリに住むならアンヌと出くわす可能性もあるわけで、そんなときに問題が起きないように正式のお別れを、ということなのかな。不実な割りには律儀なやつ。なんだけど、アンヌもとくにクリスチャンを責めるわけでもなく、いくつかあった恋のひとつと割り切っているのが、いまどき(といっても1980年だけど)のパリ娘の対応なのかね。ところで、目覚めたフランソワが慌ててアンヌの住む建物に駆け付けると、アンヌとクリスチャンがでてきて、ならんでどこかへ行くところ(たしか、あとから、朝食だかカフェっていってたかな。さばさばしたもんだ)。なわけで、メモを置くのはさておいて。 オフィスで働くアンヌ。にフランソワからしつこく電話。でも、なぜかアンヌは「話したくない」と同僚に切ってくれ、と。昼、アンヌは別の同僚とランチに行くと、とつぜんフランソワがやってくる。同僚は先に帰り、アンヌも出ようとするとフランソワがしつこく追ってきて、でもアンヌは「話したくない」と拒絶するんだけど、よく意味が分からない。クリスチャンに絶縁宣言されたんなら、フランソワに頼っても良さそうなんだけどね。大人のクリスチャンとの別れが尾を引いているのかね。 やれやれ、なフランソワ。ところが、バス停でクリスチャンが別の女性といるのを発見。さっそくバスに乗り込み追跡。2人が見える席に移動すると、前にいる娘が不審顔で見る。「私を軟派?」とでも思ったような感じ。2人が降りると娘も降りて、つづいてフランソワも降りるが、娘が「なんか用?」的なことを言ってきて、2人を追跡してるとも言えずのらくら。公園を突っ切ってどことかに行くとかなんとか。じゃあ一緒に、になるのが不思議。パリの娘は男に声をかけられるのを待ってるのかしらね。フランソワは、娘に関心があるかのようにふるまいつつ、2人を追跡。その異様な感じに娘も気づいて。フランソワは「実は探偵で」とかウソを言ったり。娘も乗ってきて、遠方の芝生に座る2人の近くに行って、米国から来たという中国系男女のポラロイドを借りて2人の写り込みそうな写真を撮ったり。学校の話やあれやこれや。この娘とのくだりが、この映画で一番楽しかった。とはいえ、娘が15歳というのはウソかと思ったら、そうだったのか? いやあ、パリ娘は早熟だね。ところで、追跡していく町や公園の場面で、のったり歩くおばさんやオジサンたちの姿が意味なく描かれるのが面白い。もしかしてあれは路上の無断撮影なのかな。ぜんぜんオシャレでもなく、生活感のある人々が映されるのが、ほんと不思議に興味深い。 2人は芝生から立ち上がり、ある建物に入って行く。娘はその建物を探りに行き、住人の派手めな女性に「金髪の人が住んでるでしょ。探してるの。ゴートを取り違えたから」とかなんとか話しかけるんだけど、そんな人はいない、と言われてしまう。ので、建物が見えるカフェで待つことに。ここでの娘のムダ話もなかなか楽しい。アンヌの写真を見せて「僕が彼女を選んだ」というと、娘は「相手を選ぶのはいつも女の方よ」とかいったり。「弁護士を訪ねたのよ。きっと離婚よ」とかなんとか。フランソワはこれまでの経緯をちゃんと娘に話し、これでメモして置いていこうと思ったんだ、というと、「私はお婆ちゃんと約束があるから帰る。結果を教えて」といい、絵はがきに住所と名前(リュシー)を書いてフランソワに返す。のだけれど、いまどきの感覚だと無防備だなあ。いまでもパリ娘はこんな感じなのかなあ。のあと、建物から出てきた2人はタクシーで去ってしまう。呆然のフランソワ。 街中の、どっかのバス停? で、アンヌに話しかける調子の良さそうな男。頬にキスして仲がよさそう。「来いよ」、とかここで誘われてたんだっけかな? 家に戻って相変わらずノーブラパンティ姿になってベッドに横たわってるとフランソワがやってきて。でも、相変わらず嫌な態度しか見せないアンヌ。これから誘われてパーティ(あの調子の良さそうな男となのか)だから休もうとしてたの帰って、とかいいつつ、フランソワが帰ろうとすると声をかけて引き戻したり、女心はよく分からん。クリスチャンが泊まったんだろう、と疑うフランソワに、いや今朝やってきて別れ話が、と説明すると、納得しちゃうのかフランソワは。別の男とパーティと言われても、とくに嫉妬しないのか? 性的関係もあるはずなのに、アンヌに対してしつこくはするけど乱暴になったり嫉妬したりしないフランソワの反応は、当時のフランス男の定番なのか? よく分からんなあ。なうち、アンヌがクリスチャンと女房の写真をもってるというので見せられたら4人写ってて。今日、クリスチャンと一緒にいた金髪の女性も写っている。さらに、クリスチャンは妹と相続の件で弁護士に相談しているとかいうのだけれど、奥さんは右端の人、と指摘したのは今日見た金髪の女性でないのだった。なことを話しているうちアンヌはフランソワを横に座らせしなだれかかり、べたべたな感じになっていくのはなんなんだ。でも、疲れてるけどパーティに出かけるからといって、フランソワを帰したんだったよな。のらくら、分からん対応だ。 夜。フランソワは「あれは奥さんじゃなくて妹だった」と絵はがきに書き、住所に持参したら、家の前で男女がキスしてて。女の方は例の娘リュシーで。まあ、15歳の彼氏とのキスだけど、フランソワは手渡しする気分じゃなくなったのか、売店で切手を買ってポストに投函し、夜の街に紛れていくのだった。というラスト。 と、だらだらあらすじを書いてしまった。わりとよく覚えてる。むかしの映画はストーリーが覚えやすいのかな。 ・そういやあ、最後の方でもフランソワはもう1回カフェに入ってたよな。1日に3回だ。貧乏苦学生でもそれぐらい当たり前なのか? 1980年代のパリでは? ・ちなみに観客は6人。 | ||||
理想郷 | 11/24 | ル・シネマ 渋谷宮下9F | 監督/ロドリゴ・ソロゴイェン | 脚本/イサベル・ペーニャ、ロドリゴ・ソロゴイェン |
原題は“As bestas”。 Twitterへは「理想の農園生活を求めてスペインの田舎に移住したフランス人夫妻が、貧乏で粗野なスペイン人に意地悪される。なんだけど話に粗が目立って、怖いというより、どっちもどっちのバカなんじゃね、に見えてしまう。にしても、あのバカ犬はどーにかならんのか。」 「スペイン全土に激震が走った実際の事件をベースに映画化」らしいけど、映画の方はいろいろ杜撰だなあ。『ウィンターズ・ボーン』みたいに田舎の無知な連中の怖さを感じさせようとしているのかもしれないけど、いまいちピンとこないところが多すぎる。↑のあらすじでは、まず「受け入れてもらえず」があって「風力発電の誘致問題」で対立が強まるような書き方をしているけど、そんな風には見えなかった。すでに風力発電の話で対立しているように見えた。それに、意地悪をするのは隣家(?)の兄弟だけで、親切な村人もいる。だから、スペインの田舎=粗野で乱暴、とは見えないのだよね。 もちろんバカ兄弟はフランス人が嫌い、はあると思う。はるかむかしの、フランスがスペインに攻め込んだ時代の話をもちだして、俺たちを低く見ているんだろう的なことも言っていた。けど、ならばスペインが世界をほぼ支配していたような時代もたしかあったはずで。そんなのどっちもどっちだろう。そんなのは感情の行き違いな程度で、具体的な嫌がらせにはつながらないのではないかと思える。 バカ兄弟により嫌がらせは、 ・酒場での「フランス野郎」呼ばわり ・家の庭に酒瓶放置、 椅子に小便 ・アントワーヌが怒鳴り込むとバカ兄弟が銃で脅し? ・貯水槽にラジエーター投入。鉛害でトマトがダメに。でも、ならば他の野菜もダメなのでは? ・と思ったら、アントワーヌが居酒屋で酒を奢り対話を希望するが、結局、風力発電で何度目かの諍い ・夜、アントワーヌ夫妻のクルマの行く手を道路封鎖し、窓を開けさせ脅し な感じで。フツーならわずかな徴候からじょじょにスケールアップして恐怖が高まるようなつくりになるはずが、そうはなっていない。というか、だらだら同じ調子の繰り返しでスリリングではない。 で、対立の原因は田舎者の意地悪だけかと思っていたら、中盤近くに突然、風力発電話が登場。なーんだ。誘致すれば保証金が入って貧乏から脱出できると思っている村人、とくにバカ兄弟と、夫婦の、無農薬農業+古民家再生で観光客を呼び込もう、という理想主義の対立と分かってくる。それでも夫婦は孤立しつつ反対しているのかと思ったら、村の3人ぐらいは誘致反対派というではないか。五分五分とはいわないけど、6対4とか7対3ぐらいにはなってる様子。な、なかで、反対派だった1人が亡くなったのかな。その息子で、町暮らしをしている男が訪ねてきて、私は誘致賛成。説得すれば賛成に回るのが2人はいる。そしたら反対派はあんたたち1人で、8対1(だったかな?)になる。考え直せよ。と言って去って行く。産業もなく、若い人も去って行く寒村では、保証金は大きいようだ。しかも、いつまでも決まらなければ他の村に話が行ってしまう。保証金目当ての村人にとっては、大きな出来事だ。 というわけで、風力発電誘致の問題、に話を絞るのが本来なら適切な話だと思うのだが。それだけではドラマにならないので、陰湿な村人のイジメや嫌がらせを加味しているように見えてくるのだ。そもそも気になるのは、村の住民数と、どうやって議決するか、なんだよね。そういう話はまったくでないし、村長とかも登場しない。多数決ならすでに話は決まってるはずなのに、なぜ夫婦に対して嫌がらせをつづけるのか? さらに、先走って行ってしまうとバカ兄弟は後に夫妻の夫の方、アントワーヌを殺害してしまうのだけれど、これまた、なんで? という気がしてしまう。だって風力発電の問題では、数の上で夫妻側が圧倒的に不利。夫妻を殺す必要なんか、どこにもないだろ。投票すれば誘致が決定するんだろ? もしかして、全員賛成しないとダメ、とかあるなら別だけど、そんなことは言っていなかったよな。なんか、肝心なところで曖昧なんだよ。 保証金が欲しい。保証金が入ったら母さんを連れて街に繰り出して(だっけか?)金を使う、ぐらいにしか考えていないバカ兄弟も、人殺しをすればどうなるか、ぐらいのことは分かるはず。 映画では、知的で環境派の夫妻と、目先の金にしか関心のないバカ兄弟、という対立にしているけど、実際にそうだったかは怪しい気がする。もしかしたらフランス人夫妻は、よくある環境派の社会活動家のように村人をバカにしてたとか、そういうのでもないと、いくらなんでも感情的な対立は生じないんじゃなかろうか? と思ってしまうのだよね。 と思ってWebを調べたら「ガジェット通信」というページに映画『理想郷』“元ネタ”の事件と監督の想い 念願のスローライフが悪夢に変わる実話ベースのスリラーという記事があって、実際の事件を紹介していた。 「ベースとなった実際の事件は、映画と同じくスペイン・ガリシア州の小さな村で起きた。村の名はサントアージャ。当事者となったのはフランス人ではなく、オランダ人の夫婦だ。1997年、マーティン・フェルフォンダーンとマルゴ・プールという夫婦が、サントアージャに家を購入した。都市の喧騒から離れ、水も空気も澄んでいるこの場所で環境に優しい畜産を始めようとしていたのだ。夫妻のほかに、人里離れたこの美しい場所の恩恵を受けるのは、古くからの住民であるロドリゲス一家だけだった。夫妻は移住当初、ロドリゲス一家と良好な関係を築けていた。しかし、この地にある木材資源が豊富な共有林の権利の分配をめぐって対立が勃発。一家のある人物が夫妻の育てる作物に毒を盛り、脅しをかけるなど、夫妻に対する嫌がらせが加速していく。そして2010年1月19日、ついに事件が起こる。」 というわけで、「共有林の権利の分配をめぐっる対立」だというから、映画とは違って欲のぶつかり合いが激しかったんじゃないのかね。よく分からんけど。 アントワーヌも大人しくしてりゃいいのに毎夜のように宿敵のいる村の酒場に行って飲んだり。日常的にビデオカメラ持ち歩いて撮りまくったり。気になるなら監視カメラでも設置すりゃいいだろうに。というか、この映画、スマホが出てこないんだけど、電波が届かない設定なのか? あと、夫妻の農業は鋤だの鍬だの使ってる。あれは機械化を拒否してるのか? 故意に田舎感をだそうとしてるように思えてならない。 でまあ、酒場で話し合って、でも結局は風力発電の話で決裂して。その後に、山林を犬と歩いているアントワーヌがバカ兄弟に襲われて。アントワーヌはビデオカメラを木の根元に置いて逃げるんだけどバカ兄弟にとっ捕まって…。で、場面が変わって、机で何かしている妻になる。妻は夫を心配しないのか? と思っていたら、どうも数ヶ月か数年後、のようだ。にしても落ち着きすぎてる感じが異様。夫が死んだ、という確定的証拠もなく、行方不明になっただけだと思うんだけど、夫を探し出す一心で、地元の山林をくまなく歩いて探しだそうとしている、らしい。ときおり地元警察にも立ち寄るけれど、あまり協力的ではない様子。フランスからシングルマザーの娘が訪ねてきて母親に「フランスに帰ろう」というんだけど、断固拒否。このあたりの感覚は、理解不能だな。村民に意地悪され、野菜の収穫もだいなしにされ、果ては夫が行方不明。でも、ひとり淡々と自然農法をつづけながら、夫を探す。バカじゃねえの。やってきた娘も周囲をウロウロするけど、もしかしてバカ兄弟に襲われるのでは? という気にもさせてくれるけど、なにも起きず。 相変わらず妻は、愛犬(だけど役立たず。バカ兄弟になついてしまっているという、なんじゃこれバカ犬)をつれて山林を探しまくる。もうそろそろカメラを見つけて、と思うんだけど、なかなか見つけ出さない。じらし作戦かよ、この監督は。夫が襲われたときバカ犬も一緒だったんだから、少しは役に立てよ、と思うんだけど、なーんの手がかりも発見しないバカ犬。ほんとイライラするだけ。 で、やーっと妻は、落葉の間に埋もれたビデオカメラを発見し、SDカードを再生しようとしたけどダメ。警察にもって行っても、再生できず。そうかあ? フツーできそうに思うけどなあ。観客の期待としてはバカ犬がカメラ発見でビデオ再生で現場がありありと映っていてバカ兄弟が逮捕、なんだけど。そうはならない。あー、ストレスだな。それでも、警察はカメラの周囲を捜したのか。アントワーヌの遺体が発見された、というエンディング。でも、犯人がバカ兄弟だったと分かったかどうかは明かさない。さらに、風力発電の誘致はどうなったか、も示さない。なんか、いろいろストレスだなあ、この映画。 結局のところスリリングな恐怖やサスペンスはあまりなくて、ずうっとバカ兄弟のトンマで無教養な意地悪を描いているだけ、な感じ。 夫妻も、大事になる前に、こんな村にさっさと見切りをつけて退散するのがよかったんじゃないの? としか思えないんだよね。まして、夫が亡くなった後も「村に残る」と言い張る妻の根拠が、ちっともつたわってこないのよね。SEだけは、おどろおどろしさを演出しようとしてたけど、なんか空回りな感じで。とにかく変な映画。 | ||||
私がやりました | 11/27 | シネ・リーブル池袋シアター2 | 監督/フランソワ・オゾン | 脚本/フランソワ・オゾン |
原題は“Mon crime”。 Twitterへは「話にリアリティがなさ過ぎて、裁判のあたりでウトウト…。オゾンなんだから戯画化されたおとぎ話と割り切って楽しめばいいのかも知れんけど…。1930年代風の凝り方も中途半端な気が。これをウディ・アレンが演出したらどうなるかな、と少し考えた。」 豪邸から飛び出してくるしかめ面の娘の場面から始まる。娘はマドレーヌで、女優の卵。売れない新進弁護士ポーリーヌと同室暮らしをしている。2人とも貧乏で、部屋代を3ヵ月も滞納していて、大家にせっつかれている。マドレーヌは戻ると、ポーリーヌに、プロデューサーと会ったけど、襲われるし愛人になることを要求されたので、突き飛ばして帰ってきた、と告白する。そこにやってきたのがタイヤ会社の御曹司アンドレアでマドレーヌの恋人。だけど浪費家で巨額の借金があり、経営不振で苦慮している父親からは援助がない。なので、持参金目当てでブス女との結婚を目論んでいる、とマドレーヌに話す。「君が新居の近くに住めば幸せな生活ができる」などと、手前勝手。御曹司はくだんの婚約者との食事会があるというのでさっさと消える。マドレーヌはポーリーヌに「愛人なんか、嫌よ」と。当たり前だよな。というところに警察がやってきて、プロデューサーが射殺されたという。銃を持っているかと問われ、マドレーヌが見せるとトンマな警官は「これが凶器だ。1発撃っている。これで殺したに違いない」と一件落着な喜びよう…。 とまあ、バカバカしい話がつづくので飽きてきてしまう。この後、ポーリーヌが一計を案じて作戦を練り、裁判に。なんとマドレーヌは殺しましたと告白し、そのまま裁判が進行していくんだけど、このあたりでうつらうつら。半睡状態で見ていて、気がついたらマドレーヌは無罪放免になり、世間からも賞賛の的になっている。はあ? どういうこと? どうやら正当防衛で無罪になり、マドレーヌは一躍人気者になってしまったらしい。そんな話があるかよ。バカバカしい。 次々と主演の話が舞い込み、貧乏アパートから2人は引っ越し。というところに派手な元大女優のショーメットがやってきて、「殺したのは私」と主張する。どうやら、殺してもいない娘が裁判で人気者になり、仕事で忙しくなっていることに嫉妬しているらしい。それで警察にも「真犯人は私」というのだけれど、「もう終わった事件だから」といわれてムッとする、というような流れで。 なんかアホらしい話なので集中できず、だらだら眺めてた感じ。御曹司アンドレアの父親とか、よく分からん存在の建築家のパルマレードというオッサンとか、人の出入りは多いんだけど、もう、それぞれの思惑とか分からなくなっちまって。で、最後は劇中劇の感じで、マドレーヌとショーメットが舞台で共演して終わる、んだったかな。ショーメットは罪に問われなかったんだっけか? もうすっかり忘れてる。というか、頭に入って来なかった。 ・舞台は1935年ということで、映画もトーキーが主流になっていた時代。ショーメットは無声映画時代の大スターで、でもいまは落ちぶれてる。それでプロデューサーに話しに行ったけど、行き違いでプロデューサーを殺してしまった、らしい。大スターなら顔は知られてるかと思いきや、判事だったか刑事は「まったく知らん」と言い、一方でレストランでは給仕に「ショーメット様! 出演作はすべて見てます」なんていわれたりのちぐはぐさ。 ・映画業界を舞台にしているからか、マドレーヌやショーメットの殺人シーンがモノクロスタンダードの無声映画風に再現される。クレジットの書体やエンドロールも、むかしの映画風。でも、あんまり意味ないだろ。 ・全体の雰囲気が、ウディ・アレンの映画な感じがした。彼が手がけたら、もうちょい人物関係や思惑、すれ違いも分かりやすく、面白く演出されたんじゃないのかなあ。などと思ったのだった。 ・エンドロールの終わりに、登場人物それぞれの、その後の活躍や現況などが簡単に知らされるんだけど、「あ、そう」程度になってしまうのは、キャラクターに力がないからじゃないのかなあ。 | ||||
花腐し | 11/28 | テアトル新宿 | 監督/荒井晴彦 | 脚本/荒井晴彦、中野太 |
Twitterへは「つまらなくはないけど、深くもない。半分ぐらいはピンク映画なテイストだった。監督の嗜好なのか(好みといえば、細身で巨乳な女性もかな)ムダにエロ場面と喫煙場面が多い。過激なエロ無しの方が、エモい映画になったような気がするんだけど。」 題名は万葉集の「春されば卯の花腐(ぐた)し我が越えし妹が垣間は荒れにけるかも」から来ていて、意味は「春になると卯の花を腐らせて春雨が降り、昔私の越えた妻の家の垣の間は、今荒れてしまったなあ。」というようなことらしい(万葉百科 奈良県立万葉文化館のホームページ)。たまたま出会った男2人が、過去につき合った女のことをだらだら話していくんだけど。映像の方では、そのつき合っていた女は桐岡祥子(さとうほなみ)という、同じ女性であることがバレバレで、でも、話している男2人は互いに、同じ女のことを話しているとは気がつかないという、マヌケな話しである。「え? そのしょうこって?」「きりのしょうこ」てな具合に、なんだ、同じ女か、と後半で気づくのだけれど、フツーなら、ええええええーっ! な驚きの演出がされてもおかしくないだろうに、そういうことはせず、淡々と、ああそうだったのか、と納得し合うところが、なんか情けない男2人だなあという感じがしてしまった。 その祥子と以前につき合っていたのが伊関貴久(柄本佑)で、最近までつき合っていたんだけど喧嘩して、直後に知り合いと心中されてしまった男が栩谷修一(綾野剛)という男連。なんか思わせぶりなつくりだけど、中味は浅いなあ。 映画冒頭は海岸に打ち上げられた心中の2人で、その後に、祥子の実家で両親に焼香を断られる栩谷。「一緒に死んだ男は一緒に住んでいたんだろ。死ぬ前になんとかならなかったのか」とかなんとか言われてたけど、知り合いが焼香に来て断る理由はないと思うんだが。へんな演出だ。別に栩谷に落ち度があった、と両親が知ってるわけないんだから。雪が降ってるんだけど、栩谷は駅に傘を置きっぱなしにする。なんでなんだろ。意味不明。の直後、敞子と一緒に死んだ男=桑山の斎場へ行くと、すでに精進落とし。ん? 祥子の実家は東京近郊なのか? 1〜2時間で行ける距離なのか? ここにいる連中は、実は祥子が同棲していたのは栩谷だと知っているわけで、なんで桑山が、なんて話してもしたけど、結局は低次元なことで喧嘩し始める。ピンク映画レベルなのに、最近監督してのか? とか、どうのこうのと、アホみたい。 家を出る栩谷は、「映画千夜一夜」「ゴダール」なんてタイトルの本とカバンと、ザリガニの水槽をもっている。一瞬 は? と思ったけど、後半の方で、栩谷が祥子の家に転がり込んでいた、というようなことを言っていたので、これでいいようだ。なぜ水槽を捨てるのか? 栩谷の持ち物だったのか? それとも出会った日の象徴として? なんか意味不明だな。それにしても、水槽の中の石をゴミ捨て場の近くの路肩に捨てるのはいかがなものか。さらに、水槽は他のゴミの上の置く。まずいだろ、ゴミ出しとして。のちに祥子に対して「がさつな女」と言ってたくせに、お前だってがさつだろ。 栩谷が祥子に言っていたのは「オーブントースターの目盛りを「ふつう」に戻さない」「マヨネーズやフライパンの油を流しに流す」「洗濯物をピンと張らずに干す」とか神経質な女が言うようなことばかり。これにたいして祥子は、「気がついたら気がついた人がやればいいでしょ!」って、よくあるがさつな女の反論で、うんざりだ。それにしても、祥子の家から出ていったにしても、荷物少なっ。 で、知り合い(?)の映画製作会社の女社長のところに行って泊めてもらって。はいいんだけど、この次の場面で、マキタスポーツが大瀧詠一の歌をギターで弾き語ってるという意味不明なシーンがあって。曰く、アパートに居座ってるやつがいるから追い出してくれ。そうすれば家賃を安くしてやる、とかなんとかなんだけど、自前のアパートを借りたということか? 栩谷とマキタスポーツとの関係がよく分からんな。マキタスポーツは何なんだ? ヤクザ? ただの大家? で、栩谷は古いアパートへ向かうんだけど、いきなりの日照り雨。この映画、やたら雨の場面が多いんだけど、これもそのひとつ、か。アパートの内部の廊下は板張りなんだけど、その上をスリッパではなく下駄で上がっていくのがひどく違和感。 ここで、追い出し屋=栩谷と居残り男=伊関との遭遇があり、お互いピンク映画の監督とシナリオライターをめざしていた、ということが分かって(って、都合よすぎ)で気があってしまい、飲み始め、なにがきっかけか忘れたけど女との出会いと別れについて話し合いはじめる。 のだけれど、伊関の部屋の隣室がマジックマッシュルームの栽培所になっていて、真ん中に布団が敷いてあって、金髪女が効きすぎでヤバい状態なってる。それを見て栩谷はアパートを出て、近くの韓国居酒屋へ。おっつけ伊関もやってきて、女は大丈夫とかいって話の続きを、韓国式にマッコリ飲りつつつづけるんだけど。そこまでして互いの昔の女の子を話をするか? なんだよな。まだ、その女が同一人物と分かってもいないのに。話の設定に合わせて人物を動かしてる感じがして、いまいち説得力はない。それに、女との日々(なぜか過去シーンがカラーになっている。美しかった昔を思う心がそうさせるのか?)はそんな波瀾万丈でもなく、どっちかっていうと、だらだらな感じで。 伊関との出会いは、伊関が働く居酒屋で。祥子が男子便器にゲロ吐いてるのを介抱して、それで同居始めたんだっけか。シナリオに苦心している伊関が、アナルセックスしたことないから書けない、なんて言って、祥子相手に初めてのアナルセックスを半ば強引に始めるとか、そういうエロシーンばかりが印象に残っていて、互いの心のふれ合いなんかは忘れてしまっているよ。 栩谷と祥子の出会いは、桑山が飲み屋に連れてきたんだっけか。桑山は飲み潰れてしまい、一度、映画に出てもらったことはある、けど印象の薄い祥子と、栩谷がなぜか意気投合。店を出ると外は雨。傘なんか要らないと弾き飛ばす栩谷。女は興味がない、といいつつ祥子に抱きついたり。雨中、道路に2人で転がっているとザリガニを見つけ、拾うんだが、これが冒頭近くの水槽につながるのだな。で、結局、栩谷は傘を放り投げて、2人で帰っていく。このあと祥子の家に行ったということか? にしても、栩谷だってどっかに住んでいたはずで。その荷物はどうしたんだ? 捨てたのか? カバンひとつで祥子のところに? と考えていくと、もやもやばかりふくらんでいく。 祥子の出会いと、祥子の葬儀、そのいずれでも栩谷は傘を自ら捨てる。傘は何かのメタファーか? 何か意味を付与してるのかと思ったら、そうでもないようだ。けっ。 韓国居酒屋から2人が戻ると、隣室で女がふたり絡んでる。金髪女が知人を呼んでラリってのことらしい。伊関がなかに呼ばれ、ハメようとするが硬くならず、フニャチン呼ばわりされる。なので金髪女は伊関の尻の穴に張り型を突っ込むんだが、それで硬くなって…。その様子をぼんやり見ていた栩谷はいつしか目をつむってしまい…。だけど、ふと気づくともう1人の女にまたがられていて、カメラで写されている。逆ハメ撮りだ。そのうち栩谷が上になり、ハメ撮り続行…。とか、ムダにハードな交接シーンがあるんだけど、正直言ってジャマ以外の何物でもない。こういう、エロを入れないと映画にならない、と思っている感覚が、映画の深さ、滋味深さを削いでいると思う。なくても、いや、ない方が、男と女の機微を表現できると思うんだけどなあ。 で、栩谷がふと気がつくと朝で、ひとり全裸で寝ていて、隣室は空っぽ。伊関の机を見るとノートPCが開かれていて、そこに「花腐し」とタイトルがあり、スクロールすると、この(いままで見てきた)映画のシナリオが書かれているという仕掛け。とはいえ、そんなもの実際に夜中に書けるはずはないだろ。ただのギミックか。いいけど。で、栩谷がアパートを出ようとすると、入ってくる白いドレスの祥子の幻影とすれ違う、というエンディング。 オマケのように、栩谷と祥子の最初の出会いの場面があって、撮影現場で、祥子が監督の栩谷に挨拶に来る場面。あと、カラオケで祥子が歌ってる場面(これも栩谷とだったかな、わすれた)もあったけど。あのあっけらかんな祥子は、何を秘めていたんだろう。 結局、なぜ祥子は死んだんだ? 栩谷が、がさつな女、と言い放ったとき、確か、祥子は桑山とつき合っているというようなことを言っていたけど、それだけしかつながりを暗示させるものはない。たんに、うつ病だった、なんて終わらせたくないよなあ。もっと女のもつ謎の部分、を見せてほしかったね。過激で露骨なエロシーンがジャマしてると思うけどね。 ・音声が聞き取りづらいところが多かった。 | ||||
首 | 11/29 | 109シネマズ木場シアター1 | 監督/北野武 | 脚本/北野武、岸川真(脚本協力) |
Twitterへは「巻頭の説明文で「…に渡り…」とあって、まずそれで萎えた。話は信長の家臣たちの権謀術数なんだが、とても分かりにくい。秀吉の中国大返しとか家康の伊賀越えも説明もなくでてくるし。光秀の謀反も信長の手紙ぐらいしか根拠ないし。うーむ、な感じだな。」 冒頭で当時の時代背景を説明する文章がでてきて。「〜に渡って」とか出てきたんだけど、「亘り」 だろ。と思った時点でつくりの杜撰さが感じられてしまった。 あとは配役かな。本能寺の変は1582年なので、ビートたけしの秀吉は違和感ありすぎ。それに、セリフ廻しも下手だし。年相応の役ならいいけど、もう画面に出てこなくていいよ、監督だけしててくれと思う。ちなみに調べたら、本能寺の変時点での年齢は以下の様だった。 織田信長49歳 → 加瀬亮49歳 羽柴秀吉45歳 → ビートたけし76歳 徳川家康41歳 → 小林薫72歳 明智光秀55〜67歳? → 西島秀俊52歳 荒木宗重47歳? → 遠藤憲一62歳 やっぱ、ビートたけしと小林薫が浮いてるよなあ。 で、まあ、思ったのは。戦国史を知ってれば問題なく(楽しく)見られるのかも知れないけど、知らない人には「なんでこうなるの?」なところが多くて、うーむ、な感じかな。秀吉、光秀、家康らの家臣(間者ふくむ)の暗躍とか、何を目的にやってるのかよく分からんし。戦の場面と、人物の場面のつながりとかも、よく分からないところが多かった。 たとえば曽呂利新左衛門。障子の枠ごとに米粒を倍々にもらうという頓智で秀吉をうならせた逸話ぐらいしか知らなかったけど、こんな野卑な(木村祐一が演じてるしね)感じなのか、と。しかも、落語の始祖のようだけど、その実は間者ではないか。分からないのが寺島進の演じる般若の左兵衛との関係で、それ以前が語られないので、いまいち左兵衛の存在はピンとこず。 百姓から侍になるべく奮闘する茂助は新左衛門の仲間筋になって秀吉と接近するんだけど。なんか、こういう話は『雨月物語』にあったよな。これをベースにしているのかな。津田寛治がどこにいたのか分からなかったんだけど、公式HPには為三という名で、新左衛門や茂助と一緒にくくられている。もしかして、茂助に殺されちゃう役? それとも別の存在? いや、最初は茂助も「もしかして中村獅童?」な感じに見てたんだけど、わりと扮装が泥だらけなので分かりにくいのだ。 一番笑ったのは、秀吉(たけし)、弟の秀長(大森南朋)、黒田官兵衛(浅野忠信)の3人組で、必ずコントになっているのが笑えた。浅野忠信なんか演技というよりアドリブ的で力が抜けそうな口調だったりして。 明智光秀は、存在としては大きくフィーチャーされるんだけど、謀反を起こしたきっかけがもやっとするな。信長が誰だかに宛てて書いた手紙(どっかのWebによると信長が嫡男に家督を譲るという内容だったようだ。そーいえばそんなこと言ってたなあ)の中で本音が書かれているとかで憤った、ぐらいしか思いつかない。人物相関画を見ると配下に斎藤利三(勝村政信)がいるんだけど、なんか役回りが希薄な感じだったな。むしろ明智については荒木村重とのホモだち関係が強調されていて。これもなかなかおかしかった。荒木宗重という男も不思議な感じで、信長に対して忠義をつくします、やりますやります、行かせてくださいアピールは凄いんだけど、いまいち信長からの評価が低くて。刃先に刺した饅頭を食えと言われ、かぶりつくと口の中を切られるというひどい扱いで。そんなんで信長に謀反したらしい。演じる遠藤憲一はそんなおっちょこちょいさが出てたけど、でも、西島秀俊の明智光秀と乳繰り合うのは、どーもなあ。不気味だよ。で、謀反して籠城して、一族郎党女子供まで首を切られながらも自分は生き延び、光秀を頼って逃げると千利休のところに匿われるという流れで。どーも戦国武将っぽくないんだよね。 その千利休は…。最後切腹するのは知ってたけど、秀吉の側近という立場だったのか。で、秀吉に嫌われて、切腹させられた、のか。とWikipediaを見たりして。では、その千利休に付き従っている爺さん(間宮無聊/大竹まこと)はなんなんだ? さらにこの、間宮無聊と曽呂利新左衛門がのちに差し違える意味は何なんだ? 信長はひとり河内弁(なのか?)で通していて、なかなかに狂気じみてていい。この映画の中で一番目立ってたと思う。役割としては、傍若無人振りを発揮しつつ、実は光秀、荒木宗重とのホモだち関係の一角だったというのがおかしい。そうか。荒木の忠臣はそういう関係からか。光秀へのそれとない意地悪も…。その信長のサディズムを嬉々として受け入れてきたけど、ええいもう我慢ならんと反旗を翻したのが、この2人だった、と。 その信長の最後は、森蘭丸を介錯したのち、黒人の弥助に首を切り落とされるという新解釈。まあ、信長はいろいろ意地悪してたから恨まれたんだろ。 秀吉がいつのまにか水責めがどうのとやっていたのは、あれは毛利攻めだったのか。ああ、そういえば、な感じ。信長に命じられてたのは分かってたけど、出陣の様子もなかったよな。あのあたり、字幕で知らせてくれてもいいのにな。で、本能寺があって。の後に、なんかよく分からん展開で。荒川良々が船の上で腹を切り介錯される場面があるんだけど、あれが突然すぎて分からず。あとから調べたら、これは毛利方との和睦の条件として、水攻めされた高松城を守る清水宗治の自刃が条件としてだされたかららしい。(Wikipediaによると「水攻めの最中の6月2日に京都で本能寺の変が起こって信長が死去し、その報を知った秀吉は信長の死を伏せて、宗治の命を条件に城兵を助命する講和を呼びかけた。」んだと。ふーん)これも、歴史を知らない者からすると突然すぎる。もっと説明が欲しかったな。しかし、勇将といわれる清水宗治を荒川良々が演じること自体がコメディだ。 信長死すの情報は毛利方に知らせず、水攻めをさっさと終わらせると、秀吉の中国大返し。これは知ってた。なので、みなが裸になって駆け出すのが、なるほど。わからなかたっのは、茂助が背中に背負ってる円形の旗みたいなの。ありゃなんなんだ?(Webによると、母衣=ほろ、というらしい。背中からの攻撃を防げるらしい) 光秀は敗走し、中村獅童の茂助に討たれ首を切り落とされるが、茂助もまた百姓下人の竹槍で討たれる。これはほぼ定番だな。 よく分からんのが家康の存在というか扱いで。あのときどこにいたんだ? というか、伊賀越えがどうのという話は知ってるんだけど、そこまでの経緯をしらないのでね。Wikipediaによると「信長の同盟者であった徳川家康は堺に投宿していたが、変の報に際して取り乱し、一度は、明智軍の支配下にある京都に上り、松平氏(徳川に改める前の家康の姓)にゆかりのある知恩院(浄土宗鎮西派総本山)に駆け込んで「追腹」を切ると主張した。しかし本多忠勝を始めとする家臣たちに説得されて、本領である三河国(現在の愛知県東部)への帰還をめざした。」とあるけど、なんでそんなところにいたの? なんだよな。映画では確か秀吉と接触して、秀吉が家康の草履を温めるフリをしていたけど、当時の信長、家康、秀吉の力関係をよく知らないので、ピンとこないんだよな。それに、伊賀越えの道中でやたら刺客に襲われ、刺客がどんどん死んでいって、代わりがいなくなるようなこともあったような。あれは秀吉の放った刺客なのか? なんか、背景がよく分からんのでなんともなあ。 最後、秀吉は首実検をするんだけど、なかに茂助のものもあって。首実検されるほどの大物になった、ってことなのか。秀吉は、首実検なんてどうでもいい、光秀が死んだかどうか知りたいんだ! といって、誰かの首を蹴飛ばすところで映画はいきなり終わってしまう。 「首」といいつつ、そんなに「首」はめだってなかったよなあ。まあ、ちょいちょい斬首場面はあったけど。もうちょっと「首」が主役になるような話を期待したんだけど。 脚本協力に岸川真の名前があった。どういうつながりなんだろう。劇団ひとり、津田寛治、に気がつかず | ||||
リアリティ | 11/30 | シネ・リーブル池袋シアター2 | 監督/ティナ・サッター | 脚本/ティナ・サッター、ジェームズ・ポール・ダラス |
原題は“Reality”。 Twitterへは「米大統領選への露の介入疑惑に関する機密をリークし、逮捕された”米国家安全保障局職員の話。逮捕時の会話をFBIが録音していて、その通りに話が進む。緊張感はあるけど、ロシアの介入疑惑が重大事なのか把握していないので突き刺さるまでにはいかず。 」「リアリティってのはその女性職員の本名らしい。いろいろ読んで勉強するか。」 米大統領選へのロシアの介入については、そういう事件があった、というのは新聞やネットで知っていた。けれど、どういう経緯で、目的は何で、どうなったのか、ということがピンとこないまま見出しだけを見ていた感じなんだよね。むしろ、なんでそれが問題なの? な印象しか受けなかった。で、この映画が、その事件に関連しているのは知っていたけれど、具体的にどう関わっているのかについては知らないまま。まあ、見終われば事件について少しは分かるのかな、ぐらいな感じでしかなかった。結論をいうと事件についてはまったく理解は深まらなかった。最後まで見ると、主人公の女性リアリティは正義のために機密を報道機関にリークした。けれど、その機密は大して重要でもなく、すでに既知の話になっていた。だがしかし、米政府はみせしめのためにリアリティを大っぴらに拘禁・逮捕し、この手の罪としては過大すぎる禁固6年を課した、というようなことらしい、なんていうことがアバウト分かるんだけど、やっぱり問題の本質を知らない間間なので、米政府への憤りや、リアリティへの共感もそんなに湧かなかった、というのが事実のところである。 映画は、リアリティが買い物から帰ったところからはじまる。短パンの軽装で家に入ろうとするとFBIと称する2人から声をかけられ、「令状があるので調べる」と声をかけられるのだが、彼女は抵抗することもなく素直に従う。荷物を冷蔵庫に入れようとすると「私たちがやる」といわれ、スマホを渡せと言われ、犬と猫の心配をすると、いってくれれば私たちがする、と言われる。家にも入れない、スマ本も触れない、動物にも触れられない。暴力的に拘束されるわけではなく、やさしい言葉と物腰だけど、ほとんど自由が奪われる。それでもなお「捜査は任意だ」と断りを入れる。任意なら抵抗し、拒否できるのかと思うと、「令状がある」といわれ、でもリアリティは「見せろ」ともいわず、されるがままになっている。家の周囲には「事件発生現場」と書かれた黄色いテープが貼られ、他の多くのFBI職員も家の中に入り、あれこれ漁り始める。なんか、奇妙な流れなのだ。自分だったら「令状を見せろ」「任意なら従わない」といいそうだけれど、そんなこともなく、リアリティは最初の2人と家の奥の部屋で立ったままの尋問に答え始める。 FBIの態度ややり口には不快感を覚えたけれど、令状を見せろとも言わず、任意の聴取にも従順に応じるリアリティの態度にも、次第に疑問が生じてくる。まあ、FBIの質問の仕方が巧みなのか、情報を漏洩したかには否定しつつも、閲覧したか? には認め、コピーしたか、も認めてしまうリアリティ。コピーした物もせいぜい2、3日机の上に置いていた、なんて言い訳していたけど、最後は2つ折りにしてパンストの中に入れて持ち出し、なんとかいうメディアに向けてポストから投函した、まで言わされてしまう。この間、1時間半余りだったかな。なーんだ、な感じで、中盤は緊張感が途切れてしまった。 リアリティは、活動家とまでは行かないけど、米大統領選へのロシアの介入疑惑には関心があり、これは告発すべき、と思っての行為らしい。まあ、そのロシアの介入疑惑についての知識がこちらにないので、おおっ! とまで行かなかった、ってことなんだろうけど。 ・彼女はフツーの女の子かと思ったら部屋にいくつも銃があって、アフガンにも従軍したけど、いまは除隊して現地語の能力を活かして安全保障局で翻訳したりしているとは、なかなかハードな人生。ウェイトリフティングも競技に参加しているとか。Webで本人の写真を見たら、なかなかな筋肉だった。 ・ノートに『風の谷のナウシカ』の場面を描いていたり、キティちゃんが写ったりして、日本のアニメ&キャラファンなんだな。 ・しかし、一部黒塗りの部分はあるものの、FBIが録音したテープが公開されていて、それを基に、リアリティが釈放されて間もないのに映画がつくれてしまうということに驚いてしまうなあ。 |