2024年3月

コットンテール3/5シネ・リーブル池袋シアター2監督/パトリック・ディキンソン脚本/パトリック・ディキンソン
原題は“Cottontail”。ピーター・ラビットにでてくるようなウサギのことらしい。公式HPのあらすじは「60代の作家、大島兼三郎の最愛の妻、明子が、闘病生活の末に息を引き取った。埋めようのない喪失感に打ちひしがれた兼三郎は、生前の明子が寺の住職に託した一通の手紙を受け取る。そこには明子が愛したイギリスのウィンダミア湖に、遺灰をまいてほしいという最後の願いが記されていた。兼三郎は遺言を叶えるために、長らく疎遠だった息子の慧とその妻さつき、4歳の孫エミとともにイギリスへ旅立つ。しかし互いにわだかまりを抱えた兼三郎と慧は事あるごとに衝突し、単身ロンドンから湖水地方に向かった兼三郎は、その途中で道標を失ってしまい……。」
Twitterへは「亡き妻の遺灰をイギリスまで撒きに行く話なんだが。主人公である窃盗癖のあるオッサンの、糞我が儘勝手ぶりに呆気。老いた妻の死がそんなこたえるかね。あんな愛情の示し方には1mmも共感できずだ。そんな父親にファザコンの息子もどうかと思うし。」
夫婦愛の話なんだが。いろいろキモいんだよな、これが。経緯はしらんが、小説家志望で英語教師をしてるらしい青年が、わりと厳しい家庭の娘と恋仲になり、結婚。その妻は数年前、ってーと50代半ばと言うことか。演じているのは木村多江で、実年齢は52、3だけど、が若年性認知症に罹患し、徘徊、糞まみれも。そんな妻を、夫・兼三郎(リリー・フランキー)は施設にも入れず献身的にサポートする。がしかし、同時にガンも患っていたのか、全身の痛みを訴えた果てに亡くなる。兼三郎の喪失感はもの凄く、妻の葬儀当日も茫然自失状態。さらに、葬儀のあとに菩提寺の住職に妻・明子からの手紙を渡される。2年前に手渡されたというその手紙には、自分の遺灰を、幼い頃に訪問したイギリスの湖に撒いてくれ、とあって。兼三郎は単身向かおうとするが、見かねて息子夫婦も同行してあれやこれや、という話である。
この時点でもう違和感がたくさん。
・葬儀会場が立派すぎる寺で会葬者もたくさんいる。教え子か? しかし、教師の葬儀としては費用がかかりすぎだろ、と思ったら↑のあらすじに兼三郎は作家となっている。じゃ成功してたのか。でも、いまどき文筆業じゃ食えないだろ。実際、家は団地みたいなところだし。あんな内向的な兼三郎に万人受けする読み物は書けないだろ。
・妻が遺言を菩提寺(なのか?)の住職に頼むか? 
・葬儀は参列者が多いのに、火葬場は閑散。兼三郎と息子夫婦と幼い息子の4人。妻の親戚はおらんのか?
・葬儀後、兼三郎は1人で電車で川崎(そんなところに市場があるのか? 調べたら小さいのはあるようだが…)の魚市場に行くが、いいタコは売ってもらえず、なのでくすねてしまう。なんだこの男。で、それをもって馴染みらしい寿司屋に行き、タコを握ってもらい(店主は、まだうちも仕入れてないのに、よく手に入りましたね、とか言ってる。何時なんだよ。仕入れなんて早朝にするだろ)、亡き妻のための陰膳を用意する。
・若い兼三郎と明子の待ちあわせ場所はその馴染みの寿司屋のカウンターらしい。遅れて明子がやってきて、注文してビールでつまんでいる。30にもならん歳で。誰に教わったんだ。ビールが寿司に合うっていう時点で、なんかなあ、な感じ。
うーむ。監督が外国人だから、イメージ先行で話をつくってるなあ、という感じ。
で、その後、1人で散骨に行くという兼三郎に、息子が「一緒に行く」というんだけど、息子も妻子を連れて行くのはなんでなの? ホテルでひと息。息子と妻は買い物? の間、息子を見てくれという(普段からいい加減な父親に息子を任せるのが間違いだろ)んだけど、兼三郎は勝手に連れだして道に迷ったかなんだかで3時間ぐらいうろついて子どもの身体は冷えてしまい、息子たちに叱られる。のも無視して兼三郎、「まだウィンダミア湖行きの列車があるぞ。これで行こう」と立ち上がる。息子は「明日の列車を予約してるんだから、それにしよう」というも、たしかひとりで列車に乗ってしまう。何時なんだよ。バカか。しかも行き先を間違えて逆戻りすると夜で、そこらにあった自転車を勝手に拝借して先に進んでいるつもり。雨も降ってきてて、ボロボロになって翌日農家を訪ねると、ウィンダミア湖へは90キロぐらいあるという。バカだろ。
農家の父、娘がいい人で、ウィンダミア湖まで連れてってくれるんだが、妻の撮った写真とイメージが全然違ってレジャー客で賑わってる。いろいろ聞き回って、別の湖ではないか、ということになって探すけど、見つからず。で、ようやっと兼三郎は息子に電話するんだけど、それはガラ携の電池切れのせいなんだけど、電話なんて農家でもできたろうし、どこでもできたのにしないのって、バカだろ。で、息子夫婦がやってくるんだけど、ホテルからどのぐらい離れてるのか分からないけど、何時間かかると思うんだよ。それをずっと農家の父娘は待ってるって、どんだけ親切で忍耐強いんだよ。いやいや。1日2日も父親が行方不明で、息子は心配しないのか? さっさとウィンダミア湖の近くにやってきて探すとか、地元警察に言うとか。そういうことせんのか?
レストランだかホテルの場面は、この後だったか、兼三郎が1人で勝手に動きまわる前だったか。息子がやけ酒して、トイレで兼三郎に「お父さんは自分の世界にずっといた。でも、僕もお父さんの世界にいれて欲しかった」とかなんとかいうんだけど、なんだこの気持ち悪いファザコン野郎。父親なんぞ蹴飛ばして生きるのがフツーだろ。
農家の父娘は帰るが、兼三郎と息子夫婦はさらに湖を探しつづける。夜中になって、雨も降ってるのに「探そう。だってお母さんに散骨してくれって頼まれたんだぞ」という理由にもならないことを、憑かれたようにいう兼三郎。どこまで、どういう具合に明子にぞっこんだったんだか。理解不能。
まあ、なんとか、らしい湖をみつけ、散骨。
しかし、小学生か中学生の頃に、父親が赴任していたイギリスに遊びに行き、撮ったという写真に「ウィンダミア湖にて」とか書いた明子も、バカだろ。ちがう湖を指定して死んだ後も迷惑かけるなんて。
とにかく、それらしい湖を見つける。にしても、50年近く湖の風景が変わらないのも不思議。それに見つけるまで映画では数時間になっちゃってるけど、そんな簡単に見つからんだろ。とはいえ、まあ、散骨する。
で、その湖の近くで生きてるウサギを見つけ、息子夫婦たちはそれを見て、ああ、お母さんが愛したピーター・ラビットの世界そのままだ、てな感じで映画は終わるんだが。脳天気にも程があるバカオヤジと、ファザコン息子の珍道中ではありました。
・認知症の徴候から2年で、しかも死因はガンらしいのは、なんか都合よすぎな感じだな。ガンの発生は説明されてなくて、まるで認知症の延長で亡くなってるみたいな描き方だ。ガンの発生が先なのかな。その介護の先に若年性認知症か。にしても、兼三郎は精神的に強いのか、糞まみれになっても献身的に介護する。公的支援は受けられないのか? 施設に入れるとか。まあ、そうしちゃうと映画が成立しなくなるけど。にしても、なんか認知症や介護を超えた夫婦愛な美談にしちゃってるところがあって、なんだかなあ。「たまんねえな」と本音を吐くような夫の部分はなかったのか? 兼三郎さん。
・若い明子は恒松祐里、長じた明子は木村多江が演じている。どちらも、同じところにホクロがあって、雰囲気も似た感じなのは良かった。ホクロが色っぽかったし。まあ、女房が美人だから美談に見えちゃうんだろうけど。
ARGYLLE/アーガイル3/10109シネマズ木場シアター7監督/マシュー・ヴォーン脚本/ ジェイソン・フュークス
原題は“Argylle”。公式HPのあらすじは「凄腕エージェントのアーガイルが、謎のスパイ組織の正体に迫る大人気小説「アーガイル」。ハードなシリーズの作者エリー・コンウェイの素顔は、自宅で愛猫のアルフィーと過ごすのが至福の時という平和主義。だが、新作の物語が実在するスパイ組織の活動とまさかの一致でエリーの人生は大混乱に! 小説の続きをめぐって追われる身となった彼女の前に現れたのは、猫アレルギーのスパイ、エイダン。果たして、出会うはずのなかった二人と一匹の危険なミッションの行方は」
Twitterへは「スパイアクションコメディ。終わってみれば、基本設定はよくある感じなんだけど、話の展開がどんでんの連続で、よく分からんところも…。ブライス・ダラス・ハワードの下半身デブぶよぶよ体型はCGなのかね。それともあえて太った?」
冒頭部分は作家が創作した物語の世界で、これはこれでCG思いっきり使ったバカすぎなスパイ世界で楽しかった。それがひと段落ついたところで作家のトーク&アンサーの場面に。ああ、なるほど。で、作家エリーは次作を仕上げて母親にメールし、読んでもらうとダメ出しが。もう1章書き足すことになって、その打合せのために愛猫かついで自宅に向かうんだが、列車の中で相席になったひげもじゃ男エイデンがワケありで、彼を襲う刺客がつぎつぎ登場。ひげもじゃ男がテキパキ連中を退治しつつ、エリーも逃げ回る。で、逃げた先はホテルだったか、エイデンの家だっけか。でもヒゲは剃られてやさ男。とてもスパイには見えない。
と、このあたりまでは派手にぶちまかしてて楽しくみられたんだけど、その後、エイデンが話す、なぜエリーが組織に狙われているか、あたりから話がくだらなく見えてきて…。しかも、冒頭の小説に出て来たスパイとエイデンがダブったりするのが煩雑で、話がよく見えなくなってくる。
しだいに瞼が…。ホテルに母親がやってきて、次に父親がやってくると、これが組織のボスと同じ人物で。エイデンは母親を撃ち、父親はどうしたんだったか忘れた。あたりまでの記憶があって、次に気がついたら、エイデンとクルマでパリを走っておった。しばらく寝てたようだ。
待ち受けていたのは元CIA長官? エリーは、自分の小説に書き込んできた組織や人物が登場してることに戸惑いつつ、おおむねエイデンの言うとおりに動くんだけど、なんか話がゴチャゴチャしてて記憶に残らないんだよな。あの、銃弾型のUSBに記録されてたのは何なの? うつらうつら間のことで、よく分からずだよ。
その後も追われ逃げつつドタバタアクションの連続で、次第にエリーは元CIAのやり手の諜報部員でエイデンと恋仲だった、なことが分かってくるんだけど、はっきり記憶が戻ったのがどこなのかは良く分からず。とはいえ、ぼーっと見てるには暇つぶしになる感じの映像の流れだった。
で、後から分かったのは、監督のマシュー・ボーンは『キングスマン』の人で、そういえばあの映画もしっかり寝たのだった。相性が悪い、というか、しっかりしたつじつま、ではなく、勢いと洒落てスタイリッシュな映像の人だな。苦手。この映画もいろいろツッコミどころは多かったけど、もう詳細はすっかり忘れてる。
・ラストの新作発表会で、最後にエリーに質問した黄色い服の男は、誰なんだ?
・一件落着して、それでもエリーは小説を書く必要があるの?
・というか、エリーはそもそもなぜ小説を書いたのか? その内容について、悪の組織だけがアタフタしたのか? CIAも動けば、なんとか穏便に片づけられたんじゃないの? とか、基本設定がなあ…。
・心臓の近くの、銃弾が通過しても問題がない部分、なんてホントにあるのか? で、打たれて止血して、それで元気に戦えるのか? 嘘くさくて呆気。
・クレジットのあとで、20年前の設定で登場したのは、若きアーガイルということ? っていうことは、あれはアーガイル誕生というような新作の小説と言うこと? それとも、話はつづく、ということ?
・ブライス・ダラス・ハワードは美人だけど、首から下がぶよぶよ。あれは実際そうなのか? CG? 映画のために太ったの? そういえば、冒頭の小説世界で登場したナイスバディの美女って、もしかしてあれもブライス・ダラス・ハワードなのか?
パリのランデブー3/11シネマブルースタジオ監督/エリック・ロメール脚本/エリック・ロメール
1994年製作のフランス映画。原題は“Les rendez-vous de Paris”。
Twitterへは「3話からなるオムニバスのロメール作品。彼女がいるのに女と見ればアタックする男。公然と2人の男とつき合う女。一目惚れの女性をストーカーしてしゃべりかける男に、女性もとくに逃げずに話し込んだり。フランスは分からん国。」
第1話「7時のランデブー」
仲のよさそうな男女がいて。でも、勉強が忙しくて今日明日は会えそうもない。別れて歩いていた娘に男の友人が声をかけてきて、明日パーティがあるから来いよ、なんて話すついでに、あいつがどこそこのカフェで女の子といるのをよく見かけるぜ、なんていう。そんなことあるはずない、と否定はしたものの、疑惑はふくれて…。市場で買い物中の娘にしきりに声をかける男がいて、相手にしないでいるのにしつこい。最後は、明日、どこそこの(彼氏が女と会っているというあのカフェ)カフェに7時に待ってる、なんてテキトーなウソでうまく追い払ったと思ったら、財布がない。と思ったら、財布を拾ったという女の子がもってきてくれて。これから彼氏と、例のカフェで待ち合わせ、という。ならば、彼氏が別の女とデートしている可能性もある。でも、市場で声をかけてきた、でも、もしかしたら財布を盗んだかも知れない男と出くわすかもしれない。でも、興味津々だけど2人で行って見ると、なんと、彼氏はテーブルで人待ち顔で、財布を拾ってくれた女の子が、あの彼よ、なんていう。なんという偶然。素知らぬ顔して、初対面のフリで席に着くけど、彼はそわそわがハンパない。もう見極めたので帰ろうとすると、彼が追ってきて、あれは本気じゃない、説明させてくれ、というけど無視して帰ってしまう。財布を拾った女の子は、どうしちゃったの? な顔でテーブルに。その近くを、市場で声をかけてきた男が人捜しでキョロキョロしている。てな話で、先は読めるけどなかなか楽しいすれ違い。にしても、フランスの男は二股三股平気なんだな。市場で声をかけてきた男は、財布を盗んだ訳ではないのかな。財布は、現金(50フラン)が抜き取られてはいたけど、ちゃんと戻ったきた。わざわざ届けてくれるやさしい人も、フランスにはいるのね。しかし、彼を信じていて女は、気の毒としか言いようがないかもね。1990年代だけあってか、女性のファッションはなかなかイケてる。
第2話「パリのベンチ」
これは退屈な話だった。パリ郊外(っても電車で40分ぐらい)の田舎の大学教師と、パリ住まいの、別の男性と同棲中の女性のデートを綴っていく。デートの場所は有名どころの公園で、内容はどうでもいいような話で、だらだらと。これの繰り返しなので、飽きる。女は同棲中の男と時々セックスもするけど、キスしたりベタベタしたりはしない関係らしい。それが不満なのかな。大学教師とは公園の中でもベタベタし、キスもしまくる。でも、セックスはしない関係らしい。大学教師は、だったら僕と…というけど、同棲中の男と別れるつもりはないらしい。そういうことをオープンに大学教師にいう。弄ばれてるオッサンな感じだな。大学教師は、どっか旅行に行こう、というと、パリ市内を旅行しよう、なんてかわされたり。それが、彼女の方から、同棲中の彼が出張で不在になるから、市内のホテルに泊まろうか、と言ってきた。おお、なんと。と思って当日、2人でホテルに向かうと、彼女の方が、ちょっちょっと待って、という。出張のはずの彼氏が、知らない女とホテルに入ろうとしているのだ。ややや。これはヤバいと場所を移動する2人。大学教師は、だったらいっそ僕とつき合ってくれ、なんていう。けれど、女の方は、彼と別れるなら、あんたとも別れる。彼とあんたは合わせ鏡。どっちかがいなくなったら、両方いなくなる。てな、なぞの理屈を言うのだった、てな話。第3話「母と子 1907年」
自称画家の30男が、すれ違い様に気になった女性をストーカーし、延々と話しかけ、女性の方もうんざり、から、いつのまにかちょっとならいいか、な感じになって画家のアトリエを訪ね、いろいろ話をしはじめる、という話。もちろん最後は、じゃあ私は帰るから、って言われちゃうんだけど。「7時のランデブー」 といい、この話といい、フランス野郎はいい女とみるや見境なく話しかけ、嫌がられても断られても話しかけ、なんとか関係をつくろうとするのだなあ、と。現在なら速攻で逮捕だと思うけど、彼の地ではどうなんだろ。相変わらず同じような状態なんだろうか。この自称画家、20代ではいろいろ各国遊びまくり、なかにスウェーデンで知り合った女性がいて、いまでも連絡をとっているらしい。豆だね。で、その彼女の従弟がパリ見物なので面倒みてくれ、と頼んで来たらしい(ということはおいおい分かってくることだけど)。というわけで、冒頭は画家のアトリエを従弟娘が訪ねるところから始まる。で、従弟娘をピカソ美術館に連れて行き、でも、自分は、ピカソの強烈な絵が自作に影響してしまうから、と絵は見ないで帰ろうとする。その途次、洒落た女性とすれ違うと、くるっと向きを替え追尾。いまでてきたばっかりのピカソ美術館に入るのを確認すると、自分も入って行く。「あら、帰ったんじゃなかったの?」なんて従弟娘にいわれながら洒落た女性を探すと、「母と子」という絵の前で何やらメモっている。その横で、この絵はどーのこーのと、周囲に聞こえるように従弟娘に解説を始めるわざとらしさ。数点のピカソ絵を見つつ、でも、洒落た女性が出ていこうとするので、速攻追尾。道で声をかけ、なんとか話のきっかけをつかもうとする努力は見習うべきなのか? 彼女は夫が出版関係で、色見本と実物の色の調子を確認しに来たらしい。とか言われてもなお話しかけつづける。モデルになってくれとか、そういうんじゃなくて、女として美しいからつき合いたい、みたいなことをいうんだよね。相手は亭主持ちなのに。で、あるいているうち自分のアトリエの前にやってくると、彼女の方から「ここがアトリエ? ちょっと見せて」と言ってきて、なので招き入れる。女もバカじゃねーの。いやだいやだいいつつ、相手の押しの強さと、画家だってだけで家に入っちゃうんだから。とくに具体的に画家の絵がどーのと言う話ではなく、しつこく恋心をだらだら吐露するんだけど、そんなもんが成功するはずもなく、じゃあね、で洒落た女は帰ってしまう、というだけの話。
話ごとに、最初に街の大道芸人みたいなのが歌って話をつなげていくという趣向。1話目が気が利いてて面白かったけど、2話目はいまいち、3話目もちょっとなあ、な感じかな。
観客はオッサンが3人だった。
アンダーカレント3/12キネカ大森3監督/今泉力哉脚本/澤井香織、今泉力哉
公式HPのあらすじは「銭湯の女主人・かなえは、夫・悟が突然失踪し途方に暮れる。なんとか銭湯を再開すると、堀と名乗る謎の男が「働きたい」とやってきて、住み込みで働くことになり、二人の不思議な共同生活が始まる。一方、友人・菅野に紹介された胡散臭い探偵・山崎と悟の行方を探すことになったかなえは、夫の知られざる事実を次々と知ることに。悟、堀、そして、かなえ自身も心の底に沈めていた想いが、徐々に浮かび上がってくる」
Twitterへは「銭湯の話だった。とくにユーモアもウィットもなく、ムダに暗い。今泉力哉にしてはハズレ。延々と話が単調で、伏線が動き出すのも後半も後半じゃ飽きる。主人公の闇も中途半端にしか見えてこないし。人のことなんて分からない、は当たり前だろ。」
いまいちスッキリしない話で、整理、というか話のヒキをあまり意識せず、撮ってつないだ、感じになってる。そもそも、銭湯のアウトラインも、当初からよく分からない。オバチャンが店主で、かなえは従業員か? と思っていたらそれは逆で。もともとかなえの父親が経営者で、昨秋亡くなって、しかも亭主が突然失踪し、働き手がなくなっていっとき中断。それを、女手ひとつで再開したところ、が映画の始まりだったようだ。しかし、40女が薪割りから焚きつけもろもろするって、あり得るのか? オバチャンは受付だけのようだし。ということも、おいおいしか分からない。
後からおいおい分かるけど、かなえ、悟、菅野は大学の同期らしい。悟は両親がおらず孤児院育ち。かなえが実家で家業を、サポートしていたのかどうか、はよく分からない。場所は、東京・江戸川区あたりの地図が脱衣所に貼ってあったので、そのあたりか。東京の大卒の娘が風呂屋するかね。でまあ、いつ頃か知らんが、悟がふとかなえの実家を訪ね、つきあいが始まり、結婚。さらりと説明してたけど、強引な展開だな。かなえの父と悟とで回していた、らしい。で、夫・悟の突然の失踪…。にしては、妻・かなえは結構元気なんだよね。落ち込んでないし。そんあたりの心理もいまいちだな。
で、そこにボイラーマンなどの資格を持つ堀がやってきて、働きたい、と。で、即刻採用で、しばらく住み込みすると。この展開も無理くりで、そんな男を女ひとり生活なのに採用するかね。
で、時折挟まる、かなえの少女時代の思い出。仲のいい少女と、その兄と。河原の草むらと…。
そんなかなえが、大学の同窓生・菅野と偶然スーパーで再会。亭主がどうとかで、実家に来てるとかなんとか。だったかな。赤ん坊連れていて、カフェで話すうち、菅野の夫の知り合いで探偵がいるから、どうか? と言われて会うことに。これがリリー・フランキーで、まあ、いつもな感じのうさん臭さ。3ヵ月をひと区切りに、時々報告と言うことになる。
この間に、堀はアパートを見つけ転居したようだけど、坂の上の高台にあるらしい。江戸川あたりにあんなところはないので、違和感しかない。はたまた、お客の中の少女が行方不明になり、警察沙汰に。結局、犯人はつかまるんだが、悪意と言うより、一緒にいたかった、な感じで連れ回していたらしい、ぐらいの情報がある程度。で、この事件の発生で、かなえが記憶の底に沈めていた事件が蘇ってくる。少女時代の思い出に登場する友達は、どうやらペドフィリアで、2人に目をつけたけれど、犠牲になったのは友達だけで、かなえは犯人の「誰にも言うなよ」という言葉で追い返されたようだ。顛末としてはこれだけで、友人は遺体になって発見され、犯人は見つかっておらず、友達の兄と一家は地元を去った、らしい。かなえが、事情聴取で犯人について話したのか否かは分からない。とにかく、思い出したくない過去として記憶から押しやり、オバチャンにも「むかし、一緒に遊んでた友達が、いたよねえ?」ぐらいしか憶えておらず、オバチャンを困惑させる。では、この事件はこの映画の核心かというとそんなことはなく、ただのエピソードなんだよね。なんか中途半端。
探偵の方は、戸籍謄本を取ったら実家は山形で、ずっと家族と暮らしていた。両親は1年ほど前に火事で亡くなっていて、結婚のことも話してなかった、とかなんとか。かなえは探偵に、「あなた、人のことがどれだけ分かっていますか?」みたいな問いを発せられるんだけど、まあ、この映画の根底にあるのは、これかもね。他人は何を考えてるか分からんぞ、と。高校時代の友人にもあったんだっけか。でも、手がかりはなし。という話を聞いて愕然とするかなえ、なんだけど。結婚届に戸籍は不要かもしれないけど、そんな、誰でもできる情報収集に探偵を使うのかよ。な気がして、肩すかし。3ヵ月後、それ以上の進展はなく、最後の報告と言うことで探偵は待ちあわせ場所を遊園地に設定する(2度目はカラオケ店だったな)。ここで探偵はかなえにメリーゴーランドに乗れとかあっちに行けとか電話で指示し、最後は観覧車に乗るんだったか。で、報告は終わり。
いっぽう、かなえは銭湯組合だったかで、堀がかなえの銭湯で働きたいと指名してやってきた、と聞かされる。でも、そんなことを銭湯組合でいう必要があるのか? 直接、銭湯に来りゃいいだけの話だろうに。
堀が、出ていこうと決心したのはなぜだったっけ? 銭湯の常連のたばこ屋が、出ていこうとする堀に「なんで戻ってきた?」と問いかけるのは、むかしの面影が残っていたから分かったのか。堀という名前で分かったのか? ここで、堀が、かつて殺害されたかなえの友達の兄だ、と分かる。堀は、たまたま仕事の出張か何かでバスで故郷を通りかかり、窓からかなえが犬を散歩させている姿を見て、あ、妹の友達だ、と分かった、らしい。しかし、かなえの亭主が失踪中だとか、そういうことを調べたのか? しかし、堀の目的は何だったんだろう。なぜ死んだ妹の友達の銭湯に入り込み、支援しようとしたのか。いい人のようで、でも、かなり不気味だよな。
と思ったら、探偵からかなえに電話で、悟の居場所がわかった。戻るつもりはないらしい。会うか? と連絡があって、海辺のレストランにいく。で、悟が言うには「昔から嘘をついて生きてきた。これから、嘘で嘘を塗り固めるのが嫌になって、それで逃げた、というようなことを言ってたんだっけかな。まの、子どもができれば戸籍に乗るだろうし。なんだけど、その程度で逃げるものかね。虚言癖は病気だとして、だからって逃げなくてもいいような気がしたんだけど。
そうそう。探偵は遊園地で、遠くからかなえを観察していたら、かなえを追尾する男がいて。その男を捕まえたら同業者。悟が依頼して、かなえを探らせていた、という。逃げはしたけど妻の様子が気になって調べるというのは、未練なのか? ふんぎりの悪い男だな。で、かなえは悟の連絡先(電話番号だっけ?)だけもらって。悟は去って行く。せいせいしたような かなえだけど、なんでなの? 亭主に未練はないのか。いまいちモヤモヤ感が残る展開だ。
もどると堀は出ていくことを翻し、まだ銭湯で働くつもりらしく、釜の前で作業中。翌日か、翌々日か知らんが、日課となっている犬の散歩をしている かなえの遠景で、映画は終わる。
なんか、夫の失踪、幼い日の事件、とか話がとっ散らかってるんだよな。さらに、悟の本心、堀の本心も、よく分からない。せいぜい伏線回収は、殺された友達の兄が堀だった、というぐらい。なんか腑に落ちないまま始まり、終わった感じの映画だったな。
・かなえが堀に会ったとき、堀という名前に記憶はなかったのか? そこまで記憶をしまい込んでいた? 
・かなえが水に沈む映像が度々写るんだけど、あれは何なんだ? どういう意味を込めているのか、よく分からん。
・悟とかなえの場面で登場するアマガエル。水に関係あるけど、ありゃなんなんだ?
・かなえが堀に言う「お願いがあるの…黙って出て行かないで」は、悟のことを踏まえてなんだろうけど。「お願いがあるの」といった時点で、次に来る言葉はすぐ分かるだろ。
・かなえが悟に言う「最後にひとついい?」の後に来るのが、「思いっきり殴らせて」ってのも、ミエミエのセリフだろ。なんか、そういう意味でも、ツメが甘いというか、シナリオが緩い気がしたな。・ユーモアは少なくて、将棋の、「王手」「角が利いてますよ」と「これでどうだ」「二歩です」と、あと、どじょうのエピソードぐらいか。もっとこの手のユーモアがあると面白かったのにね。
ほつれる3/12キネカ大森3監督/ 加藤拓也脚本/ 加藤拓也
Twitterへは「だからどうした、な不倫話。人間関係も経緯も、分かりにくくつくってる。でも、だからって話は深くはなってない。薄っぺらな人物たちによる薄っぺらな話を、さもいわくありげにしてるだけ、な感じ。」
実は、門脇麦も黒木華も好みではない。それはさておき、話がつまらない上に、故意になのか情報を小出しにして分かりにくくしている。そのうえ話が単調。セリフが聞き取りにくいというのもある。概ねつまらないし、退屈だった。
・まずは、門脇麦が旅に出かける様子があり、声をかける相手が映らない。つまり、誰だか分からない。あとから亭主と分かるけど。友達の黒木華と一緒、ということで行くらしいけど、では、黒木華は門脇麦の浮気を了解済みなのか? という疑問。
・新幹線で染谷将太と待ち合わせ、いずこかへ。ハイテクロッジみたいなホテルで、あれを「キャンプ」と言っているのがいろいろ不自然。で、このとき染谷将太が門脇麦に、別の指輪がどうとか、指の太さは左右で違う、とかいっている。染谷が門脇に指輪をプレゼント? 後から思うに、あんな証拠になりそうなものを贈るか? 実際、映画でもそれが門脇の財布から転げ落ち、亭主にみつかって追及されるんだが。バカだろ。
・外苑前? あたりで別れて染谷将太がクルマに轢かれるんだけど、門脇はそれを知りつつ、いったんは119するものの身バレを懼れてささっと消える。あのときの門脇麦の落ち着いた行動はなんなの?
・以降の男女関係が、中途半端な情報小出しによって、もやもやしたままつづく。
・しかし、新幹線で旅行行ったり泊まったり都内で食事したり、大胆だな。飛行場だの駅なんて、人に見られに行くようなもんじゃないか。
・門脇亭主は、子供を見るとか母に任せるとか、なんのこと? 意味不明なままずるずる。
・門脇亭主は、今住んでるところを貸して家を買うなんてこと言ってる。じゃあ今の所も持ち家か。不倫でできた夫婦としたら、別れた元妻に慰謝料とか子供の養育費があるだろうに。稼ぎがいいのか。にしてはクルマはしょぼいな。現在のマンションも狭そうだし。
・門脇麦と亭主のもともとの関係も、最後の方で、不倫から始まった、とか分かる。それも6年たたずに冷めた関係。不倫で始まった関係は不倫で終わるってことを言いたいのか?
・黒木華は染谷将太と元同僚と言ってたけど、門脇との出会いは分からずだった。後半になって、黒木華に連れられてパーティかなんか行って染谷将太と知り合ったらしいと言葉だけで分かる。
・離婚しようかというのに、結婚記念日? の贈り物をしあったり、得体が知れない。
・染谷の葬儀には出なかった門脇だけど、共通の友人である黒木華の運転で墓のあるらしい山梨へ。そこで都合のいいことに染谷の父親と遭遇し、まだ息子は納骨してないけど、とかいわれる(正しくは妻しか入っていない、と)。で、染谷の実家に行き、お話。の最中に、門脇亭主から電話で、友人を出せ、染谷父親に代われ、としつこいんだけど、これは門脇亭主が粘着なことを見せようとしてるんだろう。でも、冷めた関係なんだから、そこまで門脇の浮気を疑う必要はないんじゃないのか? というか、男がいるなら勝手にしなよ、でいいと思うんだけど。フツー。
・その後、門脇は染谷からもらった指輪がなくなっていることに気付き、財布とか探すけどなくて、山梨の染谷の実家を訪問(あれは亭主のクルマ?)。染谷父が、「これと同じ物か?」と染谷の遺品にあった、見せてくる。どういう関係だったのか、とは軽く聞くけど、脅すような感じはなく、なんか中途半端。その日は帰れず宿に投宿。
・帰宅すると夫から質問攻めで、拾ったか探ったかした指輪を「これなに?」と追及。で、不倫はしてない。でもつき合ってる、と告白。どこそこに行った云々があって。門脇麦は「あなたが最初に」とか夫に言い返してたけど、夫にも別の不倫の経歴が?
・の、後なのか。染谷妻から呼び出され、ぐちぐち言われる。染谷父が連絡したから? ヒステリー風では淡々と、がじわり。染谷妻は、最後まで顔が映されず。
・門脇は荷物をまとめ、自分の軽なのかで出ていく。それで話はお終い。しかし門脇麦は働いてないんだろ? これからどうするの?
・というわけで、話は薄っぺら。いわくありげに見せても、つまらない話には変わりはなかった。
ボーはおそれている3/14ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/アリ・アスター脚本/アリ・アスター
原題は“Beau Is Afraid”。公式HPのあらすじは「日常のささいなことでも不安になる怖がり男のボーはある日、さっきまで電話で話していた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。これは現実か? それとも妄想、悪夢なのか? 次々に奇妙で予想外の出来事が起こる里帰りの道のりは、いつしかボーと世界を徹底的にのみこむ壮大な物語へと変貌していく。」」
Twitterへは「困惑、うとうと、困惑、うとうと、ときどき笑い、キンタマ、精子な感じ。すべては妄想かと思ったら、そうでもないようだ。」
赤ん坊が生まれる場面。母親が「なんで泣かないの? どこに連れて行くの?」なんて言ってたけど、医師がパンパン叩いたらしい音の後に、鳴き声が聞こえ出す。この子どもがボーだかどうかは分からない。
カウンセラーに、必ず水と飲むこと、と渡されたクスリをもって自宅へ。なんだけど、建物の周囲は異様な連中がうようよ。ボーはドアまで駆けていくが、知らん誰かに追われて、でもタッチの差で鍵を開けて中へ。帰宅成功。うひょー。いつもこんな出入りしてるのか。シュールだな。母親に会いに行く予定があって、でもすっかり寝過ごして慌てて支度して荷物をドアの外に置き、でも何かの用を思い出して部屋の中に一瞬入ってもどると、荷物がない。締めようと刺したままの鍵も盗まれてる。電話しても大家は何もしてくれない。母親に電話して事情を話し、クスリを飲もうとするがペット水は空。おまけになぜか断水。水と一緒に飲まなくては、という強迫観念に囚われ、ドアの隙間に電話帳みたいの挟んで、建物の前の店に行って水を買おうとするがクレカははじかれ、小銭も5セントだったか足りない。えいや、で逃げて戻ろうとしたら、建物の中にぞろぞろ入って行く連中の最後の女が挟んであったものを外して、ガチャリ。見上げると、知らん連中が自分の家でドンチャン騒ぎ。工事の足場で一夜を過ごし、なんとか部屋の前へくると、入口で刺青男が死んでいる。入ると部屋の中はぐちゃぐちゃ。母親に電話したら、宅配兄ちゃんが「家で女の人が死んでいる。シャンデリアが堕ちて顔がない」とかいわれて愕然。風呂に入ると、上から滴。見上げるとオッサンが天井に張り付いていて、ずどん、と落ちてきて、素っ裸で逃げ出し家の外へ。このとき、ボーのキンタマ見えそうだったけどな。路上は相変わらず異様な綿々。素っ裸でチンチンぶらぶらのオッサンとか。警官がいたので助けを求めると逆に銃を向けられ、手にしていたマリア像に「手にしているモノを捨てろ」と言われてしまう。エイヤ、で逃げ出す。撃たれる。車にはねられて…。気がついたらファンシーな部屋に寝ている。この家の奥さんがボーをはねたとか。亭主は医者で治療してくれた(この亭主には、「お前の睾丸が肥大している」とか言われてた)。なので、娘の部屋を病室がわりに提供しているらしい。息子がいたけど、カラカスだったかどっかで戦死してしまっている、とか。部屋を奪われた娘は機嫌が悪い。その娘が友人と、送ってやるからとクルマに乗せてくれるんだが、マリファナ吸わないと連れて行かない、なんて言われてムリに吸ってむせるボー。
あたりで、すこしうとうと。
加害者宅には、息子と同じ戦場にいて、発見されたときは敵味方無関係に発砲していた戦友が同居していて、メンタルやられているのですぐ暴力にでる。理由は忘れたけど、奥さんはボーに敵意を抱くようになっていた。何でか忘れたけど、戦友に追われて森を逃げるボー。太い枝に頭を打って気を失う。なところを助けてくれたのは、無料奉仕演劇集団の娘で…。
ここでも、すこしうとうと。
芝居の中で、なのか? 父親が、一度もセックスしたことがない、とかいってて。息子たちが、じゃあ、僕たちは? な場面があったんだけど。うっすら憶えてる。
またまた、うとうと。
広い家にいて、葬儀に来たという中年女性がいて(ってことは、葬儀か棺桶の場面はあったけど、寝てて見逃したのか?)。旧知の関係なのか? キスして、なぜか女は下着姿でベッドで待ち受けていて。ここでいたすのだけれど、ボーは自分が勃起してるのかどうかも自覚がない。女はコンドームを装着し、ボーにまたがり腰を振る…。程度の交接シーンなのにぼかしが入るってのは、キンタマかマンコが写っちゃってるのか? ボーが先にいっちゃって、女は「精子がコンドームを破ってきてる。私も行く」と、なおも腰をくねくね。女もいったのか、とボーが見上げるとなぜか女は死んでしまったのか固まった形でベッドから落下する。てなとこころにボーの母親が「ホントに死んだと思ってた?」なんて登場するんだったか。棺桶に入っていたのはメイドで、相応の金を渡して身代わりに死んでもらった? で、執事とメイドに死んだ女を片付けさせて。さらに、お前の父親はここにいる、とかいって屋根裏部屋にボーを行かせるんだけど、そこに、幽閉されたような感じでいる。この父親の存在って、前半部で言及されてたかなあ? (調べたら、最初に母親から電話で、父親の命日だから帰ってこい、と言われたんだと。もう忘れてるよ)。はいいんだが、屋根裏部屋には巨大な睾丸&ペニスがいて、うごめていてる。ところに、あの戦友がやってくるんだったっけか? で、睾丸にズブズブとナイフを刺して。
のあとが、あまり記憶がなくて。寝てないんだけど。なんでかしらん水辺から船に乗っていくと、巨大なスタジアムの中に入り込み。ボーはなんか大きな声で叫んでたような…。そしたら急に船もろとも爆発。で、オシマイ。
話は無茶苦茶で脈絡もなく、なので派手ではあるけど退屈。それで寝てしまうところがたびたび、だったんだと思う。というなかで、キンタマがしきりに登場する。精子も、ちょっと登場する。これを考えると、精子にまつわる話のアナロジーではないのかな、と思ったりした。ボーは精子を表していて、だから裸になったりチンポ丸出しにしたりセックスして射精したりもする。放出された精子は、艱難辛苦を乗り越え、子宮=母親をめざす。最後のスタジアムの中の水は羊水で、観客席の人々はたどり着けなかった精子たちを表しているとか。こじつけだけど。
ほかに、ボーの思い出の場面が度々登場する。母親と船旅で女の子と知り合うとか。でも、その後、はなかったような。
あらすじでは、ボーは「日常のささいなことでも不安になる怖がり男」と書いているけど、あんな住環境は、日常のささいなこと、とは言えないだろう。水がないとクスリは飲めない、と思い込むとかは、強迫観念が過ぎるけど。にしたって、ただの怖がり男じゃないだろ。ひどいことが起こりすぎ。
変な家3/18109シネマズ木場シアター3監督/石川淳一脚本/丑尾健太郎
公式HPのあらすじは「“雨男”の名前で活動する、オカルト専門の動画クリエイター・雨宮は、マネージャーから、引越し予定の一軒家の間取りが“変”だと相談を受ける。そこで雨宮は、自身のオカルトネタの提供者である、ミステリー愛好家の変人設計士・栗原さんにこの間取りの不可解な点について意見を聞いてみることに…。次々と浮かび上がる奇妙な“違和感”に、栗原さんはある恐ろしい仮説を導き出す…。 そんな矢先、ある死体遺棄事件が世間を騒がせる。その現場は、なんとあの【変な家】のすぐ側だった。事件と家との関連性を疑った雨宮は、一連の疑惑を動画にして投稿することに。すると、動画を見た「宮江柚希」なる人物から、この家に心当たりがあるという連絡が入る。 柚希と合流したことで、さらに浮上する数々の謎。そして新たな間取り図。やがて二人は、事件の深部へと誘われていく」
Twitterへは「原作に興味はあったけど買ってまで…と思ってたけど、映画なら、で見たんだけど安手の伝記ホラーで、原作もそうなのか? クレジットに根岸季衣、高嶋政伸、石坂浩二とあって、えええっ? 本家の面々? 気づかなかったでござる。」
ちょっと疲労で眠いかな、という状況で見たんだけど。でもま、面白ければ眠気も飛ぶし、と思ってたら面白くはならず、なんか理屈がつながらないようなテキトーな感じのホラーもどきになっていって。どんどんヒキがなくなっていって、朦朧とみているような有様になってしまった。完全に寝てはいないんだけど、注意散漫な感じかな。
原作本は書店で何度も見ていて、興味はあったんだけど、金出して買うほどもないだろうと。と思っていたら映画になったので、だったらついでで見れば十分、と思っていたんだけど。殺人事件とか、左手首の無い死体とか、本家のシンメトリーな屋敷とか、本家の怪しい面々とか、怪しい村人とか、左手供養とか、話がだんだんバカになっていって。左手供養も、根拠が良く分からんし、いまどきそんなことをするかよ。上の子はどこから連れてきたんだ? とか考えると、見てるのもアホらしくなっていって。なんとなく見てたら、何が何やら分からないまま終わってしまった。なので、Webのあらすじサイトでも見て、記憶を埋めていこうかね。
本家のむかしの当主が女中に手を出して妊娠させた。妻が怒って女中をいたぶり、流産。よく憶えて無かったけど、女中は左手首を切断して自死したのか。以後、左手の無い子どもが生まれるようになった、って書いてあるな。そういうば、そんなことも言ってたような気がする。これが左手供養の大元か。しかし、明治半ばのことだから、せいぜい4、5代前ぐらいのことで、これじゃ昔からの因習とはいえんだろ。ネタバレサイトには、霊媒師によって左手供養が始まったと書いてある。あるサイトには“片淵家の血を引き、10年間陽の光を浴びてこなかった男児が誰かの左手を切り落として殺害する”と書かれていたけど、かつてそれを実行したなら、なぜ現在もその因習がつづいてるんだ? 世田谷の家、あと、もう一軒あったよな、変な家は。その2つの家の近くで発生した手首のない殺人事件はどう関係してるんだ? とか。そもそも宮江柚希は本家につながる女性だよな。本家に住んでいたこともあるとか言ってたし。そんな女性が、一介のYouTuberの動画に反応して連絡してくるんだよ。
で、雨宮らが本家を訪れると、だれもいない。ずかずか上がり込んであちこち探り、簡単に地下通路を見つけ、左手供養の現場にたどり着いてしまう。その後だよな、本家の3人がいる場で話を始めたのは。じゃあ、それまで本家の3人はどこで何をしてたんだ?
村人たちの怪しい目つきも、ありゃなんなんだ? 片淵家の問題を、周辺の住人たちは知ってるのか? 片淵家の女中の怨念が、村人にも影響がある? どんな? 
とか、そもそものレベルでテキトーすぎ。
世田谷ともう一軒の変な家も、なんでそんな家が都内にあったりするのだ? 地下通路や隠れ場所のあるような家をつくったら、大工仲間で噂になるだろうに。そんなこともないようだし。
あ、あと、あの面はなんなんだ? 説明してたっけ?
とにかく、いろんなところでツッコミどころが満載過ぎて、バカもほどほどにせい、な感じ。まあ、ちゃんと目と頭が冴えて見てれば、以上のような疑問も多少は解決するのか知らんけど。バカっぽい話には、拒否反応を示しちゃうんだよな、こちとら。というわけで、期待した割りに失望が大きすぎて、残念以外の言葉がない。
12日の殺人3/21ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ドミニク・モル脚本/ドミニク・モル、ジル・マルシャン
フランス/ベルギー映画。原題は“La nuit du 12”。公式HPのあらすじは「2016年の10月12日の夜、グルノーブル署で、引退する殺人捜査班の班長の壮行会が開かれていた頃、山あいのサン=ジャン=ド=モーリエンヌの町で、21歳の女性クララが、友人たちとのパーティの帰り道、突如何者かにガソリンをかけられ火を放たれた。そして、無残にも彼女は翌朝焼死体で発見される。すぐに後任の班長ヨアン率いる新たな捜査チームが現場に駆けつける。クララが所持していたスマートフォンから、彼女の素性はすぐに明らかになった。クララの親友のナニーの協力などもあり、クララと交際歴のあったバイト先のウェズリー、ボルダリングジムで知り合ったジュール。そしてあろうことか彼女を「燃やしてやる」というラップを自作していた元カレのギャビなどが捜査線に上がっては消えていった。だが、クララと関係を持っていた男たちは、一様にして彼女が奔放な女性だったことを示唆していた。 懸命な操作が続いたが、事件を解決まで導く確信的な証拠もないまま捜査班は解散となってしまう。それから3年後。ヨアンは女性判事に呼び出され、新たなチームを作り再捜査に乗り出すことになった。今度は女性捜査官のナディアも加わり、クララの三周忌に彼女の墓で張り込みをすることになった。果たして、仕掛けていた隠しカメラに写っていたのは…。」
Twitterへは「ちょっとでも疑いがあると先入観で拘束し、ときに暴力で威嚇する低脳なフランスの刑事たちのお話。冒頭に「未解決事件」とでるので興味はハナから半減。しばらくは、主人公は誰だ? な状態で、山なし谷なし。12日は事件の鍵でもなんでもない。」
「12日」にまつわる謎を追究しながら犯人を追いつめるようなノワールかと思ったらさにあらず。12日は、内容にはまったく関係ないし、冒頭に「未解決事件のひとつ」とテロップが出て、期待が削がれてしまう。
冒頭は、バンクを走る自転車。次にどっかの警察で定年退職を祝うパーティで、ではこの爺さんが定年までの数日で解決する話かと思ったら、この爺さんは以後登場せず。爺さんの代わりに班長になったヨアンが主人公となって展開する話だった。しかし、ヨアンは退職パーティでも目立ってないし、事件発生から動き出すチームの中でも、目立ってない。似たような顔の刑事がうろうろするだけなので、イライラする。むしろ目立っているのは年輩刑事マルソーの方で、彼が主人公なのかな? と思ったぐらい。
事件は単純で、若い娘クララの上半身にコップのガソリンを浴びせ、火をつけ殺害した、というもの。とくに連続事件のようでもなく、類似の手口の事件が掘り起こされるわけでもない。では、クララに憎しみを抱いていた人物の犯行か? そういった切り口はまったくない。
翌朝の現場で、クララの携帯が鳴ってでると(ロックはかかってないんかい)、クララの友人で。被害者の身元はすぐ分かってしまう。その友人からの情報で、クララのつき合っていた男が分かって尋問。さらに別の男が浮かび上がり。さらに別の男が…と、4、5人の男が次々に浮上。なんだよ、21歳でただの淫乱じゃねえか。なんだけど、聞き取りをしてもいずれも確証に至らず、な展開。とくになにかの証拠とかヒントとかキーワードとか、そんなことは関係なく、男に尋問し、追及する。
このやり方がどれも単純で。いいがかりをつけて拘束(椅子に縛り付けるとか手錠をかけるとか)し、脅したり罵詈雑言を浴びせるだけの一本調子。刑事たちはまったく頭を使わない。とくにマルソーは激高型で、単純。その理由も明かされはするんだけど、チンケすぎて話にもならない。というのも、若い妻が妊娠したからで、でもそれはマルソーの子ではなく、浮気相手の子らしい。もともと妻は子どもを欲しがったけれどなかなかできず。調べたけどともに身体の異常はなし。でも、できない。そのうち妻に恋人ができ、マルソーは「まあいいだろ」と黙認してたら3ヵ月で妊娠。さらに離婚を要求され、家にいられなくなって署の空き部屋で寝泊まりしているという体たらく。なんだよこれ。人間を描くと言っても、こんな情けないジジイのことしか描けないのかよ。
他の刑事についてはヨアンはいつもバンクで自転車を走らせている、なだけ。これは禁欲的、を示唆するのか? その他の刑事はほとんどキャラがたってなくて、ただの有象無象にしか描かれない。こういう地味で暗い話なら、もっと人間をちゃんと描かなきゃダメだろ、と思ってしまう。
で、本命は見つからず、3年後。警察は未解決事件として捜査を中断したけど、女性判事が調書を読んで興味をもち、再捜査するようヨアンに依頼する。そんなこと、あるのか?
すでにマルソーは、なぜかヨアンの班からはいなくなっている。なんなんだ。意味不明。そういえば、刑事はもういい、国語教師になりたい、とか言っていたけど、これまた意味不明。代わりに入ってきたらしいのが、女性刑事。でも、とくにフィーチャーされるわけでもない。変なの。
で、ヨアンらがしたのは、クララの墓の横に隠しカメラを設置し、墓参に訪れる人物を撮影すること。で、1人の男が浮上する。クララの墓前で上半身裸になり、地面に伏せて祈っている様子。こいつだ。でパクって尋問してたら、別の刑事から「彼は精神病院を出たり入ったりで、犯行時は入院していた」と連絡。アホかよ。そういうことを調べてから行動に移すべきだろ。ボンクラ刑事どもだな。で、結局迷宮入り。
これまでずっとバンク走行しかしていなかったヨアンが、マルソーの進言にしたがってロードで自転車を走らせてているのがラスト。しかし、自転車に意味はないだろ。バンクからロードに出たからって、なんなの?
ビニールハウス3/21ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/イ・ソルヒ脚本/イ・ソルヒ
韓国映画。英題は“Greenhouse”。公式HPのあらすじは「ビニールハウスに暮らすムンジョンの夢は、少年院にいる息子と再び一緒に暮らすこと。引っ越し資金を稼ぐために盲目の老人テガンと、その妻で重い認知症を患うファオクの訪問介護士として働いている。そんなある日、風呂場で突然暴れ出したファオクが、ムンジョンとの揉み合いの最中に転倒。床に後頭部を打ちつけ、そのまま息絶えてしまう。ムンジョンは息子との未来を守るため、認知症の自分の母親を連れて来て、ファオクの身代わりに据える。絶望の中で咄嗟に下したこの決断は、さらなる取り返しのつかない悲劇を招き寄せるのだった」
Twitterへは「話のつくりが杜撰すぎて、いろいろ不自然極まりない。主人公や息子の状況もよく分からんし。なぜかああなって、ああなったのにあんな感じで、最後はああしてしまう。テキトーすぎ。盲目のジジイもじれったすぎ。で、あのビニールハウスはなんだったの?」
なぜか黒いビニールハウス(?)に住んでるオバサンがいて、自傷癖があるらしい。でも高層マンションの一室に引っ越しを考えているらしい。息子はどっかの施設に住んでいる? で、仕事は介護だけど、1件しかやってないのか。盲目のジジイと認知症ババアの夫婦の家。こうした設定が色々適当すぎて話に入りにくい。
・ビニールハウスは賃貸なのか? 広い土地に広いビニールハウスで電気水道も通っていて、住み心地からしてもとくに問題があるように見えない。
・息子(15歳ぐらい?)は、なんなの? だいぶ後半で、少年院らしいと分かるけど、なにして入ったのかは説明なし。息子は、母親と暮らしたい、と言っている。なんで? 自立しろや。
・とってつけたような自傷行為。といっても、とつぜん自分の顔を自分で殴る、だけど。なので無料のカウンセリングに通ってるけど、原因も分からんし、どういう悩みがあるのかも分からない。
・正式な介護システムは韓国にはないのか? 詩的な介護サービス? ムンジョンはどっか組織から派遣されてる感じはない。介護の知識があるようにも見えない。稼ぐなら数件かけもちしなきゃだめだろ。っていうか、介護だけじゃなくて別な仕事も必要なんじゃないか?
・ムンジョンが貧乏かというと、そんなことはなさそうで。広いビニールハウスに住み、クルマがあり、ラストでは希望通りマンションに引っ越している。なので底辺の人にはまったく見えない。
というわけで、いったい何をつたえようとしているのか。この映画の意図が見えないのだよね。
ほかに、カウンセリングで知り合ったリスカ娘が登場するけど、彼女はほとんど機能していない。自傷行為のアナロジーとしても、だからなに? な感じなんだよね。
で、そのリスカ娘がビニールハウスに転がり込んできたあと、盲目ジジイがタクシーで出かけたあたりで、ふっ、と目をつむってしまった。気がついたらムンジョンが風呂掃除? 風呂に入れようとしていたにしては、着衣のままだったけどな、なとき、いつものように暴言吐かれもみ合ってるうち認知症ババアが突然、倒れてしまう。なにがあった? 分からないまま、認知症ババアが死んでしまう。↑のあらすじによると、転倒して風呂の床に頭を打って死亡、らしいけど。その経緯が描かれないので、もやもやする。
その後のムンジョンの行為が、コントかよ、な感じなのだ。遺体を居間にひきずり毛布でくるむ。そこに友人の飲み会から戻った盲目ジジイがヨタヨタやってきて、踏みつけるか…の手前でストップ。とか、志村けんのドタバタコントにしか見えない。で、なんとムンジョンは認知症婆の遺体をクルマに乗せビニールハウスにもどり、箪笥に押し込んだ、らしい。引きずるのがやっとなのを、どうやってクルマに乗せ、クルマから降ろしたのだ? 違和感ありすぎ。
認知症ババアが生きているかのように装うため、入院中の母親を介護先に連れ込んで食事させたりテレビ見させたり。はじめ、母親もボケてるから声を発してバレるだろ、と思っていたらボケてはいなかったようで。でも、これもコント。
手や顔を触れて違和感を感じた盲目ジジイが友人の医師を呼んで確認してもらおうとするが、ムンジョンは、まるでコントのように母親の顔を隠し、部屋にこもってしまう。おい、なんで顔を確認しないのだ! と医師に言いたくなる。じれったい。まあしょうがない。コントだから。
ところで、盲目ジジイは何度か首をつって自死しようとするけど、結局、しなかったんだよな? 記憶曖昧。そもそも認知症ババアを残して先に行くのはありなのか? いや、息子家族がいて、ときどきネットで話してたよな。息子たちは両親を見ないのか? こっちの方がヤバいだろ。家族崩壊じゃん。
ところで、盲目ジジイが息子家族とネットで話してるときムンジョンの母親が盲目ジジイの横に来てしまう場面があるけど。画面は盲目ジジイが自分の方に向けていたからバレなかった、ということか。そういう設定もできるのか? しかし、この行為については、ムンジョンの母親はやっぱりボケてるんではないのか疑惑が湧いてきてしまったよ。
無事、ムンジョンは引っ越し完了。
で、なぜか突然、息子が釈放されて仲間と一緒にふらふらビニールハウスにやってきて。潜入しているところにムンジョンがやってきて、箪笥にガソリンを撒いて火をつける。のだけれど、ビニールハウスには冷蔵庫やベッドがそのまま。おいおい。それも燃やしちゃうのか? 
しかし、燃やせばいい、という頭がバカじゃね? 見分すれば死体は出てくるし、すぐ発覚するだろ。
だいたい、認知症ババアが死んでからのムンジョンの行動は、異様すぎ。あんなの隠したってバレるだろうに。死体処理を考えていない。介護先での行動も変だ。母親を代わりにしたってバレるだろ。母親を残したままカウンセリングに行ったりもしている。その間に母親が盲目ジジイに発覚されたら、という不安はないのか?
などなど、変だらけの映画だった。
映画は、燃えるビニールハウスを後にするムンジョンの姿で終わってるけど、息子たちはビニールハウス内にはいないんだよな? それとも、一緒に死んじゃったという設定?
青春ジャック 止められるか、俺たちを23/25テアトル新宿監督/井上淳一脚本/井上淳一
公式HPの解説は「若松孝二は名古屋にミニシアターを作る。その名はシネマスコーレ。ラテン語で「映画の学校」。支配人に抜擢されたのは、結婚を機に東京の文芸坐を辞め、「これからはビデオの時代」と地元名古屋でビデオカメラのセールスマンをやっていた木全純治だった。木全は若松に振り回されながらも、持ち前の明るさで経済的危機を乗り越えていく。 そこに吸い寄せられる若者たち。まだ女性監督のほとんどいなかった時代。金本法子は「自分には撮りたいものなんか何もない」と言いながら、映画から離れられない。田舎の映画青年だった井上淳一もまた映画監督になりたい一心で若松プロの門を叩く。己れの才能のなさを嫌でも自覚させられる日々。それでも、映画を諦め切れない。救いは、木全が度々口にする「これから、これから」という言葉。 今がダメでも次がある。涙だけじゃない。そこには笑いがある。絶望だけじゃない。希望がある。」
Twitterへは「若松孝二が名古屋につくったミニシアターと、慕って集まる青年たちの群像劇。1980年代の映画界も興味津々。笑いたっぷり。刺さる涙も。すべての人物の成長物語になってる。監督の自伝らしい。映画好きなら必ずハマル。」
いつも、意味不明とか不自然とか理解不能とか、ストーリーの矛盾とかテキトーさにツッコミを入れてばかりな感想文ばかりになってしまうけど、この映画にはその要素がほとんどない。あえて挙げるとしたら、ラストの映画館のところぐらいか。あとは、荒井晴彦が言ったとかいう「ただで起きないために、転べ?」とかいう理屈がピンとこなかったところ。それを除けば2時間没入できた。
前作とは監督も違っているのと、監督自身の自伝でもあったりするからなのか。井上青年と、彼をめぐる青春群像劇になっていて、もうひとりの主役である若松孝二も年輩だけど血気盛んで、青年に分類してもいいぐらいのパワーを見せている。
しかし、若松孝二が自費で名古屋にミニシアターをつくっていたのは知らなかった。あの若松孝二が? だよな。ピンク映画とかB級のアングラ映画みたいなのをつくっていて、よく資金があったものだ。ピンクで儲けてたのか? そのうち利潤のためにピンク映画を多くかけるようにはなったけど、もともとは名画座で。反体制的な革命路線の映画をかけていたわけでもないようだ。若松孝二、見直してしまった。とくに前作は『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』の上映活動が主だったから、なおさらだ。
若松孝二が映画館を開くにあたって、元文芸座で働いていて、現在はビデオカメラのセールスをしている木全を迎えるというのも、不思議な感じ。会ったこともないのに、直接電話で口説くというのがおかしい。とはいえ、ひっかかったのは文芸座だよ。あそこには何百回通っただろうか。身近な存在が出てきて、一気に話にハマってしまった。
さらに、若松孝二に憧れる(というだけでかなりの変態だろ)名古屋の高校生・井上が通うようになり、弟子入り志願するけれど、とりあえず焼肉に連れて行かれたんだっちたかな。東京に戻るという若松の見送りについていって、そのまま新幹線に乗っちゃうのはここだったっけか。大学に合格してからだっかか。わすれたけど。でも、このあたりの経緯は事実らしいから驚いてしまう。
そういえばシネマスコーレでバイトもしてたよな。見てから10日以上たつので、詳細は忘れてしまった。
・舞台は1982年〜の数年間。この時期すでに社会人で文芸座には通っていなかった。でも、木全はそれ以前に働いていたのだから、もしかして遭遇していた、かも知れない。そう思うと、ますます親近感が湧いてくる。
・井上は早稲田二文と日芸に合格。若松は「早稲田の名前をとっておけ」といって、早稲田に行ったらしい。映画めざすなら日芸だと思うけどなあ、とか。
・金本、という、名古屋の女子大生が登場する。映画監督志望だけど、人が死んでいく悲しい映画をつくろうとしてゾンビ映画をつくってしまうという変な女の子。同じサークルの男の子と、弾みで寝てしまったこともある(というのが、いまいちな設定だけど)けど、身持ちは堅い方? で、彼女とその男の子は、シネマスコーレで働くようになる。このキャラは創作らしい。まあ、女の子が欲しいよな、というところだろう。で、彼女が木全にだったか「私は三重苦。女、才能が無い…」で、3つめを言わないんだよ。と思っていたら次の場面が指紋押捺してる場面で。そうか。それで名前が金本か。役所の外には妹がいて、「私は16歳になっても捺さない」という。こういう抵抗する人たちも登場してきた時期なのか。この場面は、なかなかじわっときてしまった。後に、予備校の映画を撮りはしたけどうじうじしてる井上が金本に、「あれは俺の映画じゃない。若松さんがほとんど演出したし。それに俺は部落民でもないし」と、なぜ映画を撮るのか、の本質に絡むような会話をしたとき、金本は「私は在日だよ」という場面も効いている。そして、これからは本名で生きていく、と決意を語るところはなかなかわかった。架空の存在ではあるけど、とても重要な役割を演じている。
・無事大学に入って、さっそく若松プロの仕事をはじめたのはいいけどミスばっかりして若松に「視界に入ってくるな!」と叱られ、落ち込んで帰省してしまう井上。これも実話なのかな。
・井上が通っていた河合塾の名物講師からの話で、河合塾が入学式で見せるスライドをつくりたいとか言う話から短編映画をつくるという話になるんだけど。予備校の生徒と講師があんなツーカーな関係になれるのかいな、と思ったんだけど、あれも実話らしい。で、その監督に指名されちゃうんだから、若松プロもテキトーだなあ。しかも、「ロッキーのパクリでイケ!」とかいったりして。とはいえ撮影に入ると立ち会ってる若松が井上の監督ぶりにじれったくなって、結局自分があれこれ指示するようになって、お前は引っ込んでろ、なことになっちゃうのは、若松の映画に対する思い入れなんだろうなあ、となかなか楽しい。竹中直人や赤塚不二夫も登場する予備校のPRドラマって、と思ったけど、これがエンドロールで本物が流れて、へー、な驚き。
永遠の映画青年な感じの木全は、いかにも、なプログラムを組むけど客は入らず赤字続き。たまらず若松はピンク路線にしろ、というけど、何回かに一回は名画路線で、と粘る。といっても女性好みの文化映画とかフランス映画特集じゃなくて、大様渚とか今村昌平とか滝田洋二郎とか。大林宣彦3本立ては不入りで、大林嫌いの若松が文句タラタラ言う場面がおかしい。8mmも上映したようで、黒沢清、森田芳光、手塚真、そして『夢見るように眠りたい』の林海象なんかの名前もでてくる。わあ。自分の映画経験に重なるところもあって、ハマっちゃうよ。
・ゴールデン街? のバーに行ったら岡留安則がいたり。なかなか面白い。若松は乱闘はしなかったのかな。
・深夜? 井上が眠りこけて眼を醒ますと若松が電話中で。相手は逃亡中? の足立正生らしい。巣立っていった若松プロの面々の名前を挙げ、みんな有名になって貧乏なのは俺だけ、とかいってるところは、なかなか郷愁に満ちてた。まあ、儲かる商業映画はほとんど撮らなかった人だからな。
で、河合塾の映画の完成後、だったかにまたまた焼肉行って、店を出たところでタイトルがどーんとでたんだったかな。おお、いいラストじゃん。と思っていたら、砂漠で椅子に座ってる若松孝二がいて、「井上は荒井晴彦のところに行って脚本家になった」とか話していてる。砂丘の上には大和屋竺ら4人(よく分からず)がいて。ということは、ここは死後の世界? これは、井上監督の若松孝二への郷愁と思い入れだろうけど、はたして必要だったのか? 
で、終わりかと思ったら、若松孝二追悼映画祭?のシネマスコーレの館内が写り。に、井浦新とあと2人前に立つ。この井浦新は、誰役なんだろう? 井浦新本人ということでいいのかな? さらに、後方扉には現在の木全支配人(たぶん本人だろう)がいて、その後ろに若松孝二が顔を見せる。まあ、よくある手法だけど、これはこれでいいかな。
さらにエンドロールでは、河合塾で監督した『燃えろ青春の一年』の本物の映像が。赤塚不二夫の電報配達、竹中直人の登場場面とか、本編で描かれた撮影場面の現実の仕上がりが写る。ところで、赤ヘルにプラカードに「さくらさく」をもってたのは、野呂圭介? あれも赤塚不二夫? 
コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って3/26シネマブルースタジオ監督/バフティ・フドイナザー脚本/バフティヤル・フドイナザーロフ、レオニード・マフカーモフ
タジキスタン / スイス / 日本。原題は“Kosh ba kosh”。MovieWalkerのあらすじは「タジキスタンの首都ドゥシャンベは内戦の最中。気の抜けたような砲撃音を尻目に路上で賭博に興じる男たちの中に、ダレルやドナイがいる。全財産を巻き上げられたドナイがアパートへ戻ると、ずっとモスクワで母親と暮らしていた娘のミラがいた。だが、若く美しい娘を借金のカタにする父親に激怒したミラは、部屋を飛び出す。ロープウェイの操縦士をしているダレルは彼女を慰めるが、ものの弾みで彼らは一夜を共にする。翌日、2人はダレルのロープウェイ小屋へ。女連れの男がロープウェイを借りて空中での情事とシャレこめば、男の妻が現われて夫婦喧嘩に発展。一方、ミラが丘から町を眺めると、照明弾や砲撃の火の手は花火のように美しかった。ダレルはロープウェイのオーナーのボボじいさんたちと組んでトラックに積んだビールを釣り上げたり、ロープウェイ内でフルコースの食事を用意した。都会育ちのミラにとってダレルは驚きであり、恋の駆け引きなど知らない彼はただひたすら、彼女の愛を得るために直進する。2人は次第に愛し合うが、周囲の環境が違いすぎた。ミラはダレルの家族に紹介された夜、息が詰まりそうになり戒厳令下の町に飛び出す。ダレルにミラを連れて出るように頼みに来たドナイは、ロープウェイの中で心臓発作に襲われ、息を引き取る。ミラは、ダレルがあれほどやらないと約束した賭博をしたことを知り、町を出る決心をした。ダレルの父に車で送ってもらった彼女は「この町に来たのは父の死を看取るためだったのね」と呟くが、ダレルの父は「いや、鼻が長くぶきっちょだが、君を心から思ってる男に出会うためさ」と答える。2人の乗った車の後を、自転車に乗ったダレルがいつまでもいつまでも追い続ける。」
Twitterへは「背景も良く分からんし、なんでそうなるの? な展開だし、つじつまも、あってねーだろ、な話なんだけど。でも、なんか見ちゃう不思議な映画。ちょっとクストリッツァ入った感じも、おかしい。」
事情により、頭の数分見てない。入ったら、数人の青年が喧嘩してるところで、その後は博打の場面になった。
タジキスタンが舞台なのは分かってた。元ソ連も分かってた。けど、それ以上は知らない状態。で、見てると、ひっきりなしに銃弾の音がしてる。けど、登場人物たちは、だからって逃げたりしない。博打してる連中の近くの川を何かが流れていく。「死体だ」なんていって、引き上げてる。ややや。「時計は動いてる」なんていってるから盗むのかと思ったら、そこまではしてなかった。
博打場ではオッサンのドナイが熱くなってて。負けつづけてるのに賭けつづけ、全財産をなくす。家(広くて立派な家だ)に戻ると娘が来ていて、懐かしがってる。↑のあらすじを読むと、モスクワで母と暮らしてるとか、他のサイトにはモスクワの大学に通ってる、などとも書いているが、映画ではそんなことは説明されてないぞ。
賭けの相手が取り立てがやってくるんだけど、家財にはロクなものものもないし、家をもらってもしょうがない、なんていう。家でイイじゃないかと思うけど…。ところで家の中には本が結構あって、ドナイはインテリなのか? ふだん何して稼いでるんだろ。不思議。でまあ、相手は、娘をもらう。お前が金を作るまで、預かっておく。なんていうんだけど(『文七元結』かよ)、ミラは、戸惑いながらも強気で、私で良かったら連れて行きな、とかいってたのが、なぜか取り立ての場にちゃっかり来ていたダレルと一緒に女郎屋の2階に行ってしまう。ええっ? この女郎屋は昨日だったか、ダレルが遊びに来てた場所じゃないのか? そこに父親がやってきて、息子を連れ戻そうとしてたよな。『木乃伊取り』かよ。で、2階で同じ布団でゴロゴロしてるうち、ダレルがミラを脱がして、いやだ、と言ってるのに半ば強引にやっちゃうって、おいおい。そういう展開でいいのか?
で、翌朝、「あれはちょっとした間違いだからね」なんていいつつ、ダレルに嫌悪感も見せないミラって、なんなんだ?
でまあ、以降はダレルとミラのいちゃいちゃがつづき、ときどき、わけの分からん爺さまがうろうろしたり、ロープウェイが行ったり来たりするだけの話。
数日後、ドナイはパリッとした服装で、どうやったのか金をつくってきて、「これで2人でこの町をでて逃げろ」なんていう。で、帰ろうとしてロープウェイに乗るんだけど、なぜか乗ってる途中に倒れてしまう。なんなんだ? そのあと葬儀のような雰囲気だったけど、よく分からず。ミラはモスクワに帰ろうとして誰か(↑のあらすじだと、ダレルの父親だったのか。「父を見送るためにこの街に来たようなものね」にたいして、男が「君を想ってる男に出会うためだよ」なんていってたっけな、↑のあらすじのように)のクルマに乗るんだけど、その後をダレルが自転車で追いかけていく、で終わる。
↑のあらすじによると、ドナイは心臓発作かよ。なんだよ、その突然の死は。ムチャクチャだな。
とにかく、理路整然としない映画で、説明も全く足りなくて、よく分からない映画だった。なんだけど、不思議な空気感があって、なんか見ちゃうのだった。変な感じ。
Wikipediaによると、「1991年に国名をタジキスタン共和国に改めるとともに、ソ連解体に伴って独立を果たした。」「1992年、タジキスタン共産党系の政府とイスラム系野党反政府勢力との間でタジキスタン内戦が起こった。11月に最高会議(共産党系)はエモマリ・ラフモノフ(1952年 - )を議長に選び新政権を樹立し、1993年春までにほぼ全土を制圧した。」らしい。なーるほど。その内戦の最中の話か。しかし、登場する連中は、どっち側でもないのか? よく分からん。
・内戦中で銃声がひっきりなしなのに、みんにヘラヘラと日常生活を送っている。不思議。
・ダレルの父親は、ダレルについてどう思ってるんだか。女郎屋に呼びに来たり。かと思うと、連れてきたミラを受け入れたり。最後は、2人を結びつけようとしてたり。意味不明だな。
・あのロープウェイは、何のためのものなんだ? 公営? それとも私物? もともと干し草運びのためのもの? 准将と呼ばれてた男は何なんだ? しかし、あのロープウェイに何気で貼り付いてる男達、見てるだけでも怖い。落ちそうだし。
・↑のあらすじには、「ロープウェイのオーナーのボボじいさん」とか書いてるけど、そうなのかよ。あの准将? 牛を追ってたジジイ? 裸でうろうろしてたジジイ? よく分からんけど、あのあたりクストリッツァ風味だな。
・クストリッツァ風味と言えば、ロープウェイ内でのダレルとミラの食事、ロープウェイ内でのまぐわいとか、ビール泥棒とか、ああいうのもそんな感じだな。
・ダレルは女たらしで、女郎屋にも入り浸り。が、初対面の娘を女郎屋の2階に連れこんでやっちゃう…。これは恋じゃないだろ。ただのスケコマシにしか見えない。
・そんな、ロープウェイの操縦士で博打好きの田舎の兄ちゃんに、なんでミラが惹かれるのか。意味わからん。↑のあらすじには「都会育ちのミラにとってダレルは驚き」とか書いてるけど、映画じゃ分からんぞ。
・ダレルとミラがロープウェイの中でエッチする場面。あのとき、ロープウェイを操縦してたのは、誰なんだ?
・外出禁止令のでている夜に出かけたダレルとミラ。が、なんとバスに乗ってはしゃいでる。ありゃなんなんだ? バスは運行してるのか? 
数分遅れて入った。観客は、3人? か、4人。

 
 

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