2024年4月

Here4/2キネカ大森2監督/キネカ大森2脚本/バス・ドゥヴォス
ベルギー映画。原題は“Here”。公式HPのあらすじは「ブリュッセルに住む建設労働者のシュテファンは、アパートを引き払い故郷のルーマニアに帰国するか悩んでいる。姉や友人たちにお別れの贈り物として冷蔵庫の残り物で作ったスープを配ってまわる。出発の準備が整ったシュテファンは、ある日、森を散歩中に以前レストランで出会った女性のシュシュと再会。そこで初めて彼女が苔類の研究者であること知る。足元に広がる多様で親密な世界で2人の心はゆっくりとつながってゆく。」
Twitterへは「ベルギーも移民の国なのね。夏のバカンスで自身もルーマニアに4週間帰国予定の男が、冷蔵庫の余り物でスープをつくり、友達に配って歩く話。林の中で中国人の蘚苔学者の女性と知り合って…。話が茫洋・淡々としてて、でも、なんとか寝なかったぞ。」
始めはフランス映画かと思ってた。あとで情報を見て、ベネギー映画、と分かった。ベルギーは小国なのに移民を結構、受け入れているのだな。登場するのも、白人はまれというか風景みたいな感じで、機能する人物はみな(おそらく)ルーマニア人と、中国人だ。
『ゴースト・トロピック』を見終えてからの印象だけど、あちらは設定そのものにドラマがあって、話の展開にも興味がもてたけれど、この『Here』については人物の説明も断片的で茫洋とし、話の展開もなんだかよく分からない、というのが感想。
冒頭は、この監督の得意技なのか、風景描写の長回し。工事現場とかビルとか、ムダに長い。長く見せることに意味を置いてるんだろうけど、見る方はイラつくだけだ。で、労働者が何人かいて、バスで帰っていく。途中で1人降りて、2人でだらだら歩いて行って、なんか振り返る場面があったけど、あれ、何の意味もないだろ。監督は意味を置いてるのかもしれないけど。
で、3人のうち一番印象的だった腹の出たオッサンではなく、いちばん目立たなかった痩せた青年が主人公だった。他の労働者仲間は、以後、登場しない。こういう話の入り方は、こちらもどこに意識を向けていいのか分からないので、ムダに疲れる。
話が断片的で説明もないので把握しにくいんだけど。要は、社会的に7月はバカンスの季節で工事も4週間お休み。シュテファンも故国のルーマニアに帰る予定らしく、そのために冷蔵庫に中味を処分し始める。で、つくったのが、よく分からんけど、スープらしい。これをもって、クルマの修理屋に行って、そこの連中と分け合って食べる。どうも修理屋も同郷らしい。クルマはかなりポンコツらしく、向こうで買い替えろ、なんて言われてたので、クルマで帰る予定なのだろう。
さらに、よく分からないけど、黒人の知人のところにもスープをもっていった様子。しかし、いくら知人とはいえ冷蔵庫の残飯でつくったスープを有り難がっていただくかねえ。自分だったら、もらっても捨てちゃうかもなあ。
で、このあたりで中国人の女性の学者が、大学?で教えてる場面、研究室で顕微鏡を覗いてる絵が挟まってきて。
ある日、シュテファンは中華のテイクアウトを店で注文してて、でも外は豪雨になってて。とつぜん、中国人学者がやってきて、店のオバサンと親しげに話し出す(あとからでてくる場面ではオバサンと呼んでいたから、親戚なのか?)。シュテファンと中国人学者も目が合って。弁当配達人もやってきたりして。シュテファンは、雨だし、なのか「ここで食ってもいいか?」なんてちゃっかり頼み込む。
それから何があったっけ? 断片的な絵がいろいろ入るから記憶に残りづらいのだよね。シュテファンが妹みたいな女性と話していたのは、このあたり? 戻ってくるのが遅れるかもしれない、なんて話していたのは、この妹にだったか? 忘れたけど。でも、こっちの仕事に影響はないのか? とか気になってしまう。そのあたりは、大雑把なのかいね。ところで妹がどういう生活をしているのか? 帰省するのかは分からず。こういうところが中途半端でイラつく。
で、シュテファンが修理すんだクルマを取りに行こうと森、といってもすぐ近くを電車が走っていたりして、山の中というより、そこらの雑木林な感じなのが、ベルギーっぽいかな、を歩いていると、地面に這いつくばってる中国人学者を認め、彼女の方も、「あら」な再会。彼女は蘚苔学者、と自己紹介し、採取していた苔を見せてくれる。すぐ別れてクルマを取りに行くのかと思ったらさにあらず。どうやらシュテファンは苔に魅せられた、というようなことにしたいのかな。苔のアップとか、ゆったり見せてくる。そんなモノを見ても、こっちは苔に魅力を感じないんだけどね。ところで、クルマは取りに行ったのか? それは不明。
そのあとは…。シュテファンは、わざわざまたスープをつくっている場面があって。そのあと、中国人学者がオバサンの店に行く場面があって、「こないだの男の人が、あんたにスープをもってきたよ」という。オバサンは机に座って中国人学者(姪になるのかな?)に、「あの人の名前はなんていうの?」と問うたところで、映画は終わってしまう。
なんか、尻切れというか、いろいろ説明不足すぎて物足りないかな。
シュテファンも中国人学者も、もうすぐ40歳、ぐらいな感じなんだけど。恋愛感情が生まれているようには、見えないのだよ。シュテファンはわざわざスープをつくってもってきているけど、たんにそれだけ。個人的に思うところがあれば、誘うとか、なにかあるだろ。スープで誘うのがルーマニア人の奥ゆかしさなのか? なんかなあ。
シュテファンが苔の魅力にとりつかれたようにも見えないし。そもそも、シュテファンがどういう移民なのか、が分かりづらい。田舎がルーマニアにまだあって、両親・親戚がいるのかどうか。↑のあらすじには「アパートを引き払い故郷のルーマニアに帰国するか悩んでいる」と書いてあるけど、そんな感じはほとんど見えない。だって冷蔵庫をカラにするのに一所懸命なんだし。妹には、「帰省は長びくかも」とも言っているし。むしろ、そのままルーマニアから戻って来ない感じすらする。妹もベルギーにいるけど、あれも出稼ぎなのか? それとも定住なのか。そのあたりが茫洋としていて、いまいち話に入れなかったかな。
ゴースト・トロピック4/2キネカ大森2監督/キネカ大森2脚本/キネカ大森2
原題は“Ghost Tropic”。allcinemaのあらすじは「掃除婦のハディージャは、長い一日の仕事終わりに最終電車で眠りに落ちてしまう。終点で目覚めた彼女は、家へ帰る手段を探すも、もはや徒歩でしか帰れないことを知る。寒風吹きすさぶ街を彷徨い始めた彼女だったが、予期せぬ人々との出会いを通じ、その小さな旅路は遠回りをはじめ…。現代ヨーロッパの縮図とも言えるブリュッセルを舞台に、真夜中の一期一会がもたらす温もりが優しく心をつつむ」
Twitterへは「こちらも同監督のベルギー映画。清掃スタッフで働く中東移民のオバサンが電車を乗り過ごし、ヨタヨタ自宅まで寒中いろんな人に会いつつ帰る話。地味だけど話の芯が通ってるので飽きずに見られた。」
最終列車を乗り過ごしてしまった中年おばさん、なので、さてどうなるか、に関心が行くのでまあ、飽きなかった。直前に見た『Here』で監督のタッチは分かってたから、まあ、大事件は起きないだろう、の通りの展開。
お金を降ろそうにもショッピングセンターは閉まっててATMが使えない、と思ったら親切な警備員が中に入れてくれて、でも残高不足、とでてしまう。警備員に深夜バスの存在を教えてもらい乗ったけど、なぜか分からん運行中止。倒れてる浮浪者とその飼い犬に遭遇し、救急車を呼んで運んでもらう。むかし掃除婦で働いていた家の前を通りかかり、入ると不審者。でも、なにもなく家を出ると近隣のオッサンに誰何され、説明すると、転居したらしい、と聞かされる。ついでに、掃除婦の勧誘を受けそうになるけど、いまは大企業の清掃をしていると説明。寒いのでガソリンスタンドで紅茶を飲むも、すぐに閉店。でも親切なお姉さんが送ってくれるという。離婚して母子家庭らしい。自分は、10年前に夫を亡くし、成人した息子と17歳の娘がいる、なんて話してたらその娘を見かけ、途中下車。追尾するとヤンキーぽい兄ちゃん数人と女の子がだらだら深夜の散歩か逢い引きか。酒も飲んでいる。意見するかと思いきやそうはせず、でも、近くのコンビニをチラと覗いて、さらに近くにいた警官に、未成年に酒を売ってる店がある、と通報。警官が店に入って行くが、その後の経緯は不明。病院の近くを通りかかると、浮浪者を運んでいった黒人の救急隊員に「やあ」なんて声をかけられて。浮浪者が心配になって受付の隙を盗んで病棟に行き、ナースに話をするも別人の病棟に案内され、この人じゃない、というとナースが調べてくれて、運び込まれたときすでに死んでいた、と告げられる。やっと到着した自宅は立派なアパートじゃないか。ベッドに座り込み、ごろんと横になった。かと思うとヒジャブの支度をして、もう出かけるのか? な感じで映画は終わる。
本筋の、終電を逃したオバサンが帰り着くまで、はいい。分からないのが時間帯(とくにオバサンの就労時間)と地理的関係だ。
冒頭は、部屋がだんだん暗くなる映像。あとからこれはオバサンの家の部屋らしいことは分かる。昼間から深夜まで働いて、ということなんだろう。で、仲間と歓談して退社する。そして、電車の乗り過ごし。ベルギーの終電が何時なのかは分からないのだけれど、日本で考えれば深夜1時ぐらいか。では、何駅ぐらい乗り過ごしたのだろう? 終点ではまだ明るく、H&Mが入っているショッピングセンターも、まだ閉まって間もない感じ。クルマもひっきりなしに通っている。日本だと埼玉の果ての店もなく人もおらずでタクシー待ちはある、ぐらいな感じだけど。まだ都会のなか、な感じなんだよね。オバサンは歩いて帰ろうと決心するから、そんな遠くないのかな。せいぜい5キロとかその程度? しばらく歩いてガソリンスタンドも閉める時間は、深夜2時ぐらい? 娘が徘徊してるのはその後だから、深夜2時過ぎ? オバサンは娘の行動を知らなかったのか? さらに病院に潜入し、たどり着いたのは深夜3時とか4時なのか? 2〜3時間歩いたとして8〜12キロったら、結構遠いよなあ。で、ちょい仮眠して(なのか?)出かける支度。冒頭とは逆にだんだん部屋が明るくなっていくのは、時間の経過か。ってことは、早朝から働いてるの? このオバサン。早朝から深夜まで? いくつかの仕事を掛け持ちしてるのか? とか、疑問が湧いてきてしまうのだよな。
そういえば、オバサンは寝過ごして降りて、すぐ電話してた。相手は、息子なのか娘なのか? 反応がないのはなんでなの? 成人している息子は、役に立たないのかよ。息子も娘も、まったく何をしてるんだか。
しかし、女手ひとつで2人の子どもを育てた、育てているにしては、住んでいるアパートは広くて清潔で洒落てる。とくに中東風な感じもしなかった。オバサンはベルギー生まれ、なんだろうか。それとも移民1世なんだろうか。でもヒジャブしてるから宗教は変わらず、なのか。娘は、してなかったけど、これは考え方がモダンになってきていると言うことなのかね。
で、ラストは、ヤシの木の生えたビーチで、若者たちが海に向かっていく。けれど、1人だけ、娘はそれを見ている。これは題名のトロピックで、最初にATMを使わせてくれた警備員が話していた、このエリアにトロピカルな施設がつくられる予定、とかいうのから来ているのだろう。しかし、そのメタファーとしては、意味が取りにくい。なにを言わんとしているのか。話が離れすぎてはいやしないか。
ルナ・パパ4/3シネマブルースタジオ監督/バフティヤル・フドイナザーロフ脚本/イラクリ・クヴィリカーゼ
ドイツ/オーストリア/日本。原題は“Luna Papa”。映画.comのあらすじは「女優を夢見る17歳の少女マムラカットは、戦争の後遺症を抱える兄や厳格な父とともに暮らしている。ある満月の夜、マムラカットは暗闇の中から声をかけてきた見知らぬ男に誘惑されて彼の子を身ごもるが、男はこつ然と姿を消してしまう。古い慣習にとらわれた村で冷たい仕打ちを受ける中、父や兄と一緒に男を捜す旅に出るマムラカットだったが」
Twitterへは「複葉機、馬鹿、渡し船、拳銃。死と生。馬、兔、羊、山羊、蛇、駱駝、犬、牛…。クストリッツァの『アンダーグラウンド』は1995年、『黒猫・白猫』は1998年だから、こっちがパクリ? ファンタジーになりそこねた…と思ったら最後にブッ飛んだ。」
舞台はタジキスタン。父親はウサギの販売? カフェみたいなのもやってるのか? 複葉機が低空を飛びかっている。息子は二十歳ぐらいだけど少し足りなくて、自分が飛行機になったつもりで村を走り回ってる。娘は舞台が好きで、役者に会いに行きたがってる。…てな入口が、 クストリッツァの『アンダーグラウンド』にそっくり。乗客が立って乗る渡し船も、どの映画だったか、陸地が離れて川をさまよう様子を想起させる。そして、登場してくる動物の多さ。ドタバタ喜劇のような忙しい展開。ここにジプシーブラスが入ったらクストリッツァ作品に見えてきそう。
話は単純で、マムラカットが芝居を見に行きたいという。父親がウサギを積んだクルマで連れて行ってくれるが、装甲車の軍人に絡まれたり、ボートに乗った服屋でドレスを買ったりしてるうち遅れてしまい、失意で森をあるいてたら役者らしい男の声が聞こえ、崖からずり落ちて、気がついたら崖の下。の間に愛し合っていた、ということらしい。アリスが穴に落ちるような感じ。崖をずり落ちながら愛し合っているような描写で、レイプではなく、かといって処女のマムラカットが初対面の男に惚れるはずもなく。経緯はよく分からない。けど、役者という言葉にぼおっとなっちまったのか。
献血という名の売血をする男と知り合ったり、なんだかんだ。
気がついたら妊娠していて。オヤジは激怒。相手を探そうと劇団の演出家に男優のリストを入手し(よくくれたよな)、父と兄とで劇団の興行地をいくつかまわるが別人で、むしろ芝居をムチャクチャにして引き返す。最後の1人も有名なテレビ俳優で、別人。腹はふくらみ村の連中からは淫売呼ばわり。堕胎しようと病院に行ったら医者が流れ弾に当たって死んでしまう。呪い師にも行ったけど、上手く行かず。しかたなくカバンひとつで家出して列車に乗ると、例の売血男が博打で擦って? かインチキをしたかして責められるのに遭遇。訳分からんが、「夫よ!」とつい言ってしまって、なぜかそのおかげで売血男は列車から放り出されるだけで済んだ? 恩を感じた(それほどか?)売血男はマムラカットと結婚してもいいよ、ということになって、結婚式になだれ込む。これで村人からも認められる。と思っていたら、式の最中に空から牛が落ちてきて、父親と売血男が死んでしまう。あらららら。なんて展開。
で、あるとき飛行機の客だか操縦士が店にやってきて、あるとき風に煽られてヤバくなって乗せてた牛を突き落とした、なんて話をしていて。その当人は役者を自認している。(少し前にガソリンを分けてやった操縦士に似てたけど、別人か?) こいつか、てな訳で話を聞くと、森の中で声色を使って若い男のフリをして誘ったのは俺だ、と自白。これに怒ったマムラカットは父の銃を何発もぶっ放すが、あまりの恐怖に男は意識を失ってしまう。で、病院に連れて行ったんだっけか? でも、相手が分かったんだから結婚しろ圧力が村の連中からかかり…。それは嫌なのか、屋根裏部屋に隠れたら、なんと家が割れて、2階の天井扇が推進力になって空に浮き、飛んで行ってしまうというなんじゃそれ、なラストだった。
という話の筋は、だからどうした、なんだけど。画面に映されるいろんな、何だそれ、なモノたちがユニークすぎておかしい。たとえば動物。馬、兔、羊、山羊、蛇、駱駝、犬、牛…。砂漠に乳母車と犬がいたりする。複葉機は、低空飛行で羊をかすめ取ったりする。足りない青年。渡し船。拳銃をむやみとぶっ放す。いつも強気の若い女従業員。装甲車、頭の悪そうな兵士。祭での、野菜を衣装にした舞台。その他その他。多くはクストリッツァとかぶるけど、このムダな豊穣さが楽しいし、映画を面白くしてる。
とはいえ、本筋の方はよくよく考えると変なことが多くて。なぜにマムラカットは芝居、それもシェークスピアが好きなのか? 17の処女がなぜに男に騙されて妊娠しちゃうのか? なぜに売血男はマムラカットと結婚しようとするのか? などなど。
それと、最後にマムラカットをだましてやっちゃったオッサンが登場してしまうのは、あれはファンタジー性を削いでいるとしか思えない。えええ? あんなオッサンの声色に騙されたのか? がっかりだなあ。マムラカットはエロかわいいのに。
とはいえ、ラストの、家の上階が空中に舞い、マムラカットを連れて行ってしまうのは、トンデモな終わり方。そういえば、少し足りない兄が「空を飛ぶ」云々と何度も言っていたけど、兄の信念が飛ばしたのか? なにかのメタファー? よく分からんけど。まあ、飽きずに見られたけど、クストリッツァの二番煎じ感はまぬがれないよなあ。
オッペンハイマー4/5109シネマズ木場シアター1監督/クリストファー・ノーラン脚本/クリストファー・ノーラン
原題は“Oppenheimer”。公式HPのあらすじは「第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加した J・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。冷戦、赤狩り…激動の時代の波に、オッペンハイマーはのまれてゆくのだった」
Twitterへは「大河ドラマのダイジェストを経緯の説明なく見せられてる感じ。誰がどれやら何がどうした? 後半にヒキはあるけど、いつのまにか赤狩りになってるのか。ストローズって結局何者? 白黒カラー時制にどんな意味あるの? 重低音がおどろおどろしい。」「原爆投下や悲惨さが描かれてないという意見もあるようだけど、それやったら主旨と違っちゃう。とはいえ、顔が溶けてくイメージは白人女性ではなく、日本人でやるべきだよな、と。」
オッペンハイマーが学生時代に実験で失敗してダメ出しくらいつつも、有名教授に突っ込んだ質問をして評価され、いつのまにかどっかで教える側になって。最初は人気がなかったけど、だんだん学生も集まってきて、そのうち量子力学の権威になったけど、どっかで量子をぶつけて爆発させた? とか、理論だけじゃダメだ、とか気づいて。と思ったら、いつのまにか原子爆弾もできるかも、なんて話してたらヒトラーがチェコに侵入したとか言うニュースになって。ドイツを敵国として具体的に爆弾製造計画が進行。ロスアラモスに町をつくってスタッフを住まわせて…。の間に、色恋関係がありつつ、でも、その彼女ではない、別の亭主持ちの女性を強奪して結婚しつつも仕事に追われて…。という彼の人生の部分は、長編ドラマのダイジェストを見るが如くで、しかも、ナレーションや字幕での説明もないので、ただもう漢字の多い字幕を読むだけ。次々に登場する学者やその他も、誰が誰やら…。アインシュタインは分かるけど、その関係とかはさっぱり。という部分はカラー。
↑の人生と並行して、モノクロームで描かれる部分がよく分からない。ロバート・ダウニー・Jr.が出てくるんだけど、このパートは何なの? 規模の大きな公聴会みたいだったけど、最後の方までよく分からなかった。
と平行して描かれる、狭い部屋での告発と結論ありきのでっちあげ公聴会? 始めのうちはなんだか分からなかったけど、どうもスパイ疑惑でオッペンハイマーが取り調べを受けていたのかな? 赤狩りと関係あるのか。モノクロ映像の公聴会とはどう違うんだ? どっちが先で、どっちが後なのだ? 
後半になると、軍からの依頼(?)で原爆開発に着手するんだけど、これもちゃんと説明がないので、誰が決定し、誰からの依頼でどういう組織が組まれ、実行に移されたか、てなところはアバウトにしか分からない。しかし、人里離れた原野でするのは分かるけど、そのためにスタッフのための家々をつくって町までにしちゃうという発想と機動力がアメリカさんだよな。凄い。で、スタッフはいろんなところからかき集められた能力らしいけど、区別もつかん。なかに、「水爆のほうがいいだろ」なんていうやつがいたり、見解の違いで離脱しようとするのがいたり。みんな、アバウト。
この頃、オッペンハイマーは私服ではなく軍服みたいなの着ている。あれは、使命感に満ちて、戦争に参加している、という自覚があってのことだろうな。でも、誰かに指摘されてやめていたけど。
略奪結婚したけど、以前の彼女とのつきあいがあって、でも、なぜかその以前の彼女が自死してしまうようなことも描かれていて。オッペンハイマーの女性関係のテキトーさも描かれてる。でも、本筋との因果関係は、よくわからず。
てな流れの中に、狭い部屋での公聴会の様子(戦後のことのようだ)が随時挟まれるんだけど、これが、なんの話なのかよく分からんままで。そしたら、オッペンハイマーが呼んだイギリスの学者がソ連のスパイだった、なんていう話がでてきて。ああそうか。戦後の赤狩りの一環か、と分かりはするんだけど、全体の流れが分かるわけではない。というか、原爆製造中も、「同盟国であるソ連には開発状態をつたえるべきでは?」なんて話も出てきていたりした。
そうこうしてるうちに「ヒトラーが自殺した」なんていう話が飛び込んできて。そうか。もともと原爆は対ドイツを想定してたのか。でも開発はつづいて。「この間の東京の空襲では10万人以上死んだ。原爆の被害はそれ以下で、4万ぐらいだ」とか話している場面があって。アメリカは民間人をターゲットに空襲しているのを自覚していたし、さらに民間人を狙って原爆を落とす意志が明確に示されているのがオソロシイ。確信犯だ、ということがちゃんと描かれている。日本への投下についても、もう戦争は結着してるけど、なんていってるから、要は原爆を投下したい、どの程度の威力があるか見たい、ということのほうが大きかったんだろうな。その意味で、監督は米国の犯罪性を指摘しているわけだ。
完成した原爆は、小型のモノから徐々に大きくしていって、実験がつづけられる。で、結構でかいやつが完成し、いざ爆破実験。ここは、前半が終わる頃のクライマックスなのかもね。興味深いのは、原爆によって空気が爆発し、世界中が爆破に炎に包まれる、かも、と少し危惧していた様子なのが、オソロシイ。理論的にはそうだったのか? 
でまあ、その次がいよいよ日本への投下で。候補地が選ばれるんだけど、だれか偉いやつが、「京都は外そう。あそこは古い町だ。行ったことがあるが・・・」とか言ってたけど、この話は伝説ではなくホントだったのか。で、トラックで爆弾がロスアラモスから運ばれていく。次は、成功、のニュースだけど、ラジオかなんかで聞いているスタッフは大喜び。なんてやつの皮膚が焼けていく女性 のイメージ、そして、炭化した人を踏むイメージ。彼には、その威力が十分に分かっていたのだな。
他の連中が、原爆はアメリカだけのモノ、とかいってるなか、オッペンハイマーはすぐにソ連も原爆を開発し、核競争が始まると危惧していたようだ。そして、水爆の開発には反対だったらしい、と描かれている。
この後、チームリーダーとしてトルーマン大統領に呼ばれたオッペンハイマーは、賞賛の言葉に対して、「この責任は僕にある。ぼくが非難を浴びる」というようなことをいったら、トルーマンは「嫌われるのはお前じゃなくて俺だ」と言い捨て、スタッフに「あんなやつ二度と連れてくるな」といわれてた。オッペンハイマーは、なかなか純朴だったのかね。
で、一方でつづく公聴会。証言者が何人か続くのだけれど、どういう経緯なのか、よく分からない。かつてオッペンハイマーが共産党員だったとか、妻も共産党員だった? とか、そんなことが追及されている。赤狩りの恰好の標的だったのか。原爆を開発した人間でも、こうやっていじめられたのね。あるとき、どうやらオッペンハイマーに不利な証言をしたらしいやつがいて、彼が場を去るときオッペンハイマーに握手を求めたんだけど、それにオッペンハイマーは応えて握手した。これを聞いて妻は、なんでそんなことを、と激怒するんだけど。オッペンハイマーはお人好し、といいたかったのかな。
それにしても、狭い部屋での公聴会と、モノクロで描かれる、法廷みたいなところで進む公聴会の、その意味と役割が、分からんよ。
で、狭い部屋での公聴会の結論は、あんな意地悪く責めたのに、最後は「アクセス権の拒否」って、何に対するアクセスなのだ? よく分からん。赤狩りでは、国外追放とかあったようだけど、オッペンハイマーは軽い方だったのか、重い方だったのか?
てな感じで、全編、よく分からん感じで話が進む。話とともに心をザワザワさせるのが、延々続く、どんがどんが…な低音で、妙に威圧的な疾走感がやな感じなんだよね。
・アインシュタインも登場するけど、どういう役割なのか、よく分からん。マンハッタン計画には、もう過去の人間だから参加させない、とかいう話が会った程度だし…。
・何かに反対した議員が3人いて、そのひとりがJ.F.ケネデイというのがあったけど、反対意見? は、何に対してだっけ?
・ラスト近く、何かの貢献賞授与式で、妻が握手しなかった相手は、だれだっけ? 狭い部屋での公聴会で、オッペンハイマーが握手しちゃったやつ?
ブルックリンでオペラを4/11ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/レベッカ・ミラー脚本/レベッカ・ミラー
原題は“She Came to Me”。公式HPのあらすじは「ニューヨーク、ブルックリンに暮らす夫婦、パトリシアとスティーブン。人気精神科医の妻パトリシアは掃除が大好きな潔癖症。一方、人気の現代オペラ作曲家の夫スティーブンは人生最大のスランプに陥っていた。ある日、愛犬と行く当てのない散歩に送り出されたスティーブンは、とあるバーでユニークな船長のカトリーナと出会う。彼女に誘われて船に乗り込んでみると、予想だにしない出来事に襲われ!?その想定外の出会いが、やがて夫婦の人生を劇的に変えてゆく」
Twitterへは「軽いコメディかと思ったら割りとシリアスで。夫婦、親子、家族、宗教、国籍? ローティーンの性、うつ病、恋愛依存、くそ真面目…と、いろんな問題が。それは制約なのか、多様性なのか。いろいろ面白くみられたよ。」
題名から想像すると楽しいコメディみたいだけど基本シリアスだし、シニカルだったりブラックなところもある。なので、見飛ばすと言うより、いろいろ考えてしまう部分が多かった。登場人物は多く、その大部分が病んでいる。不安を抱え、現実から逃避したいと考えている。あるいは、先天的な異常性を孕み持った人物だったりする。そのバランスがいま、いろいろと壊れようとしている。なタイミングで物事が始まっている感じだ。
あのロートレックは短躯の画家だった。といっても152センチはあったらしいが。この映画の主人公でオペラ作家のスティーブンを演じるのは、よく脇役で見かけるピーター・ディンクレイジで、彼もまた短躯の役者だ。Wikipediaによると132センチだそうだ。この映画では才能あふれるオペラ作家だけれど、ここ何年か鬱状態でスランプに陥っていて、新作を期待されながらヒラメキが訪れない、という設定になっている。彼の妻パトリシアを演じるのはアン・ハサウェイで、身長は173センチ。巨大ではないけれど、フツーにすらりと美人な女性で、精神科医である。まず疑問なのが、この2人はどうやって出会い、なぜ結婚(パトリシアは再婚で、高校生の息子ジュリアンがいる)するに至ったのかなんだけれど、映画のなかではそのヒントは示されない。とはいえ、フツーではあり得ないカップルであることは確かだ。偏見ではなくフツーに考えて、ね。
さて、ジュリアンには恋人テレザがいて、学校では同級生らしいけど未成年(たしかテレザの家庭も不思議)で、母親のマグダレナは移民らしくアメリカ市民権がない。そのマグダレナのパートナー(つまり結婚はしていない)は南北戦争オタクで法廷速記者のトレイという白人男性で、これが謹厳実直すぎて頭が堅い。よく分からないのは、トレイとテレザは養子縁組しているということだ。これは、そうすることでテレザに市民権が付与されるのだろうか? では、マグダレナもトレイと結婚すれば市民権は得られる? よく分からん間柄、である。
でこのマグダレナは派遣?家政婦をしていて、スティーブンとパトリシアの家の掃除をしている。たまたまジュリアンがテレザを家に連れてきて、あらお母さん! なんてビックリしている。
このジュリアン、外見は浅黒くて、父親は北アフリカか中東か、よく分からんけど、な感じ。前夫との結婚と離婚についてパトリシアは、ちょっとした間違い、みたいなことをいっいたけど、息子は引き取り、ここまで育ててきた、わけだ。
このパトリシアは精神科医だけど、では現夫のスティーブンの治療に役立っているのかというと、そんなこともなさそうで。ここら辺は曖昧。あと、あらすじとかでは、パトリシアは掃除好き、潔癖症、となっているんだけど、それほど病的には描かれていなかったんだよな。まあいい。
スランプ中のスティーブンは新作のアイディアがでてこないまま、愛犬をつれて散歩に行き、あるバーに入ると、曳舟の船長をしているというカトリーナと出会う。カトリーナは恋愛依存症とかで、スティーブンを船に誘って、脱げばラバースーツで迫ってきて、いたしてしまう。誘いに応じるということは、スティーブンもパトリシアとの関係がそれほど上手くいってない、ということなのか、と思わせてくれる。この後だったか、波止場を歩いていたスティーブンは海中に転落し、するとアイディアがむくむくと湧いてきて…。どうやら新作が完成した、らしい。といっても、カトリーナとの件を下敷きに、男を食いものに殺しまくる怪しい女、という設定に焼き直したモノで、それほどアイディアというほどのものはないんだけど。
で、スティーブンの新作はたいそう評価され、公開されると大評判。彼はカトリーナにオペラ作家、と話していたので彼女も見にきて、自分が主人公になっているのにびっくり。でも、怒ったりしないところがカトリーナの心の広さ、なのかね。でも、カトリーナはスティーブンの追っかけを始めて、まとわりつくようになる。これまた困った。
というようなのが人物関係図で。それがひと段落すると、本筋の話になっていく。問題は、ジュリアンとテレザの関係だ。スティーブンはここで、「いっそ結婚させてしまえばいい」と提案する。おお、その手があったか、とマグダレナもパトリシアも賛成し、14歳でも結婚できる州に行って式を挙げてしまおう、と画策する。ところが義父のトレイは、法は法。ジュリアンは犯罪者。告訴するぞ。と息巻いている原理主義的なおっさんなのが困りもの。逃げようとするジュリアンとテレザを確保しようと警察に連絡し、陸路での監視を強化してくれるよう警察に頼み込んだりしている。テレザは、もしジュリアンが逮捕されたらこれからの人生、未成年と性交した、と言われつづけてしまう。そんなことは嫌。というんだけど、人の幸せより決まりは決まり、と突っ走る単純なおっさんには困ったものだ。
で、スティーブンは自分の追っかけと化しているカトリーナに船を出してもらおうとバーに行くと、彼女は別の男を引っかけようとしている。恋愛依存症だから、らしいけど。で、一同は海路、州を超えトレイの阻止を切り抜ける。スティーブンは、パトリシアとの婚姻関係に束縛されていたのを自覚したのか、カトリーナに惹かれていることを自分でも認め、自分からキスする。で、目的の州に着くと、カトリーナが牧師役で結婚。ところで牧師の証明書はプリントしてたから偽装だよな。いいのか、あれで?
で、最後はスティーブンの新作の発表。これまたジュリアンとテレザの逃避行を下敷きにしたストーリー(だったよな、たしか)で、スティーブンは事実をもとにしなきゃ書けないオペラ作家なのか? 客席にはトレイを除く一同そろっていて、スティーブンはカトリーナと新たな生活を始めるのだろう。で、パンして、最後にパトリシアが尼さんの恰好をしている、というオチだった。もともと彼女はボランティアをしたり、聖職者になりたいようなそぶりだったけど、ホントになっちゃったのね。精神科医はどうするんだろ。
見終えて思うに。だれしも抱えている不安や悩み。そこからいかに解放されるか、な話のような気がしてきた。スティーブンは身長が足りないし、スランプで悩んでいるし、妻との関係も危うい。パトリシアは、患者の前で素っ裸になってしまったりして、人の悩みを診るより自分を診たほうがいいような状態だ。マグダレナは市民権がなくて不安定な生活で、亭主は横暴。その娘テレザは母親とそのパートナーの間にあって、存在が曖昧。パトリシアの息子のジュリアンは、おそらく混血児で、道ならぬ恋に陥っている。そこからどう救われるか。を描いているように見えるんだよね。
それと、この話は聖書と深く関係があるように思った。っていうのも…
マグダレナは聖書にも登場する女性で、Wikipediaを見ると、罪深い女で、でも、聖人に列せられている。生まれはマグダラで、調べるとイスラエルの北部だ。その娘のテレザも、アビラの聖テレサに由来しているのではないか。テレサの彼氏のジュリアンも聖人の名のようだ。そして、カトリーナは聖カタリナ修道院に由来しているのかも。シナイ半島にあり、世界最古の修道院らしい。スティーブンもステファノからきていて、Wikipediaによるとキリスト教における最初の殉教者らしい。パトリシアは、関係あるのかどうか分からない。
・パトリシアが布団の中にいるスティーブンを叱りつける場面があったけど、あれは靴を履いたままだったから怒ったのか。彼女の潔癖症の表現だったのか…。
・南北戦争オタクで石部金吉的なトレイが浮いてるけど、あれはどういう役回りなんだろね。いつもは北軍の軍服なのに違ったからなのか、マグダレナに(だったかな?)「今日は南軍に鞍替え?」とか言われてたりして。あと、ダールグレン事件(有名なのかな?)の再現で同じ南北戦争オタクと言い争いしてたのは、どういうことなのか、よく分からん。
ペナルティループ4/12新宿武蔵野館2監督/荒木伸二脚本/荒木伸二
映画.comのあらすじは「岩森淳は素性不明の男・溝口に恋人の唯を殺されてしまう。自らの手で溝口に復讐することを決意した岩森は、綿密な計画を立てて殺害を実行するが、翌朝目覚めると周囲の様子は昨日と全く同じで、殺したはずの溝口も生きている。なぜか時間が昨日に戻っていることに気づいた岩森は戸惑いながらも復讐を繰り返すが、何度殺してもまた同じ日に戻ってしまい」
Twitterへは「タイムループものといえば『MONDAYS』『リバー、流れないでよ』とか近ごろよくあるけど、これは浅めの『インセプション』風味のお笑い系。VRの登場人物がAI学習? リセットされんのか? 前半は退屈。もっと彼女を描かんとヒキが足りんだろ。」
「史上最悪のループ」が謳い文句だけど、そんなことはない。とくにサスペンス性はないし、このループを申し込んだのは自分自身だし、展開からするとこのループは広く一般に開かれていて、金を出せば誰でも“利用”できるVR体験だ。それにそもそも、解明されていない部分が多くて、どこにも共感できない。共感できそうな部分をあえて避けてつくっているのではないかと思うほどだ。
まず、恋人が殺される。これは現実。の次の場面は植物工場で働く岩森。の時点で、「?」で、というのも、冒頭で建築模型つくってたから建築家かなと思っていたのに、なんで? なんだよね。で、植物工場では、訪問してくる外部の業者の男=溝口、というのか、を3度ほど殺害する。もともとループ、とあるからそれは分かっていた。のだけれど、一般にループものは、何かを変えたくて本人があの手この手で流れを変えようとするはず。が、この映画では、そうはしない。むしろ、溝口の行動が変化する。どころか、3度目らは「まだ俺を殺すのかよ」なんていい、それでも殺害するんだけど、次の包丁での殺害あたりでは世間話や、「彼女、死にたがってたよ」なんて、殺害のときのことを話したり、お友達風になっていく。なんなの、この流れは? なので戸惑うし、話に大きな変化があるわけでもないので、わりと退屈なのだ。
そのあとも、一緒にボーリングしたり。まあ、ピンで殴り殺しはするけど。次は拳銃になって何度か殺す。いちどは、ボートの上で殺すけど、自分も湖面に落ちて死んでしまったりする。それでもループだから翌朝ちゃんと目覚めはするけどね。
これがすべてVRだ、というのはいつ分かったんだっけ? 溝口が話したんだったか。それとも、管理者らしい東洋人と話したときだったか。忘れたけど。
なるほど。仕組みは分かった。恋人を殺害された岩森が、VRのなかで犯人に復讐するプログラムを実行しているのか。最後の方で分かるけど、岩森は自宅のベッドにいて、脳にコネクタを挿されている。それでVRの世界に入るんだけど、まずはVRの会社のスタッフ(東洋人っぽい男)と契約を結び、ループに同意のサインをする。その後、背中に大きなコネクタを挿され、復讐プログラムに入り、あらかじめ設定した回数のループを実行する。そのループが終わると背中のコネクタを外す。東洋人スタッフに、「次はリハビリを」と言われ、これもあらかじめ打ち合わせていた、恋人との時間を何度かループ、するのかな。それが終わると背中のコネクタが外され、VRは終了。で、頭のコネクタを外し、現実世界に戻る、という流れのようだ。しかし、いくつか疑問が湧く。
・恋人殺害は現実らしいけど、犯人特定や逮捕は描かれていない。VRに登場する溝口は現実に逮捕された犯人をモデルにしているのか? あるいは、誰でもない仮想の犯人なのか? 
・植物工場というのは、VRの設定なのか? 現実世界で岩森は建築家だけど、復讐の場として植物会社を選択した?
・この復讐ループサービスは、広く一般に提供されている? いくらで?
とかね。
まあ、現実世界で恨みのある相手を殺害する復讐は犯罪になっちまうけど、VRならできますよ、な話なんだが。そんなニーズに客は寄ってくるのか? というか、何度も復讐したい人がそんなにいるとも思えないんだが。
それを納得させるには、岩森の恋人への愛の深さを見せなくちゃならんのではないのかね。にしては、現実世界での2人の出会いと同棲は、不可思議に満ちている。
岩森は、クルマで、寂しそうな女性を見かける。気になって降りて追うと、海岸で何かを燃やしている。あの場面、燃やしてた石油缶はどっから調達してきたんだ、と気になっちゃうよな。で、何を燃やしているのか、など質問するが「質問禁止」と言われてしまう。そんな陰気な女性が、岩森の誘いに乗ってファミレスかどっかで対面でお茶してて、次は同棲してしまっている、という流れが違和感ありすぎ。彼女の背景も分からんし、謎が多すぎだろ。
・ある日、彼女は、殺害される。VRのなかの溝口は「彼女は死にたがっていた」というけど、一方的な殺害なのか、どうなのか、よく分からんな。彼女が謎すぎる。
・というか、VRの世界の住人なのに、溝口の態度は毎回変化する。前回のことを記憶してるのか? 設定だけはループするけど、登場人物は新たな記憶を身につけるのか? AIで?
というような案配で、いまいちスッキリしない話だった。もっと現実の世界における岩森と彼女の熱愛、離れられない思いを熱く見せなくちゃ、犯人を何度も殺したくなるとも思えない。その点で説得力がなさすぎ。
ゴールド・ボーイ4/15ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/金子修介脚本/港岳彦
公式HPのあらすじは「それは完全犯罪のはずだった。まさか少年たちに目撃されていたとは…。義父母を崖から突き落とす男の姿を偶然にもカメラでとらえた少年たち。事業家の婿養子である男は、ある目的のために犯行に及んだのだ。一方、少年たちも複雑な家庭環境による貧困や、家族関係の問題を抱えていた。「僕達の問題さ、みんなお金さえあれば解決しない?」。朝陽(13)は男を脅迫して大金を得ようと画策する。「何をしたとしても14歳までは捕まらないよ。少年法で決まってるから」。殺人犯と少年たちの二転三転する駆け引きの末に待ち受ける結末とは」
Twitterへは「少年たちの家庭の事情が複雑すぎて頭がこんぐらかる。あまりに簡単にコトを成し遂げ、平気でいる彼らの頭が、変すぎだろ。にしても、登場する連中は、みんな悪人すぎ。演出も、淡々と進めすぎて、感情移入できにくい。情や怖れはないのか?」
冒頭での、断崖での義理の両親の殺害の後に、少年たちの家族の話がだらだらつづく。この家族の話が複雑怪奇で分かりにくい。何を言わんとしてるのか分からないし、冒頭の殺害とどう因果関係があるのか分からないので、いささか飽きてくる。だいぶ飽きてきて、眠気がやってきそうな頃合いで、少年の1人が撮影したスマホ画像に、突き落としてる現場が写ってた、となって、やっと因果関係がわかった。しかし、分かるまでが長いし、少年たちの家庭の事情をだらだら描く必要はあったのかね、と思った。
話を整理しよう。
昇は、巨大コンツェルンを率いる東家に婿養子に入った。しかし夫婦仲はよくなく、妻は愛人に心が移っている。昇は義理の両親を殺害し、会社乗っ取りを目論む。…という、どステレオタイプな話にリアリティがなさすぎて辟易。
朝陽は13歳の中学生。母親との二人暮らし。会社経営の父親は女をつくり、再婚。朝陽と母親は捨てられた。とはいえ、たまに父親は朝陽に会いに来たりと、変な関係に、? だよな。父親の再婚相手の娘は朝陽の同級生で、仲間とともに朝陽をいじめていた(と朝陽は主張)? のちに、このあたり曖昧になってくる。
朝陽は昔なじみの浩と、その妹の夏月と会う。2人の母親は暴力男と再婚するが、暴力男は夏月を犯そうとしたりで、やむなく刺して逃げている状態という。(のちに朝陽の母親が、夏月のことを「再婚相手の子」とセリフで言うんだけど、これは変だよな)浩は年上で、ちょいヤンキー。夏月は朝陽と同じ13歳のようだ。しかし、浩と夏月が家に戻らず、どこに生活しているのかずっと不明なのが、? だった。
で、↑のあらすじにあるように、3人は昇に接触し(堂々と顔出しで実際に会うのが、ええっ? な感じ)、6000万円を要求。昇は、払えない、と拒否するが、動画を見せられて半ば納得。
といってたら、昇の妻が愛人と同乗のクルマが事故で、妻が死亡。大量の覚醒剤を摂取したかららしい(ところで愛人はどうなったんだっけ? )。てな感じで義理の両親、冷めた間柄の妻が次々と死んでいくという、絵に描いたような粗っぽい展開が、いかにも原作が中国、な感じだな。
このあたりから、少年たちの家庭問題もあたふたしだす。浩と夏月の父親は死んではおらず、ちょっとした怪我な感じで。また揉み合ったんだっけか? よく憶えてない。朝陽は、昇のもとを1人で訪れ、「人の殺し方を教えてくれ」というと、カプセルを二重にして中に覚醒剤入りのカプセルを入れる。すると時間差で溶けて…。と、妻殺害の手法をぺらぺらしゃべるのは、バカなんじゃないのか? っていうか、覚醒剤で殺すなんて、やり方が杜撰すぎだろ。いかにも中国原作らしい。
で、浩は父親とその新しい妻の2人を殺してくれないか、と昇にもちかける。昇は、その代わり6000万はチャラで、動画もよこせ、で交渉が成立。この話を聞いた浩と夏月は、金が入らなくなるのはないよな、とかいいつつ、納得したのかしないのか。よく分からんけど、朝陽の殺害計画に参加する。不思議なのは、そもそもの朝陽には「お前は学校に行け。アリバイをつくれ」とかいって、昇、浩、夏月の3人で、朝陽の父親と妻を毒殺するのだよな。それも、墓場で。で、昇が2人をすぐ近くに埋めてしまう。杜撰すぎだろ。
しかし、昇、浩、夏月の3人は、人を殺すことに怖れも罪悪感も感じていないのが、なんか書き割りみたいなキャラ設定で、人間味が乏しすぎだろ。
3人は昇の殺害場面のメモリを渡す。「コピーしてるかも、って心配しないの?」と聞くと、昇は墓場での犯行の模様を録画した動画を見せてくる。イーブン、ということか。この後だったかな。昇が供するコーラかなんかを飲んで、3人がバタバタ死んでいくのは。でも朝陽はガバッと起き上がって。どうも昇は氷に覚醒剤を仕込んでた? だから、朝陽は咳き込むフリをして吐きだした、らしい。しかし、朝陽と夏月はいい関係でキスまでしてなかったか? にしては、夏月の死に冷淡すぎ。で、さらに、朝陽は昇の首をナイフで刺して死に至らしめる。まあ、ロジカルな流れは整合性があるけど、いろいろツッコミどころが多すぎ。だって昇のマンションに朝陽が出入りしていることを刑事は知っているし。死体を3つもどう処分するんだよ。
このときだったか、このあとだったか、朝陽は同級生(父親の再婚相手の子)は自殺ではなく、自殺に見せかけて殺した、と告白してたな。いじめられていた、というのはウソか。成績でライバル関係にあった同級生の女の子を殺す理由は、あるのか? 
「僕は、同級生の女の子と、昇しか殺してない」とかいってたけど、立派に2人殺してるじゃないか。
あー、このあとはどうなったんだっけか。あまり記憶にないな。すべては朝陽が仕組んで、嫌な父親とその再婚相手、連れ子の同級生も殺害。父親と再婚相手は、昇がちゃんと埋めたけれど、あとから掘り出して簡単に見つかるようにしたのは、なんでなの? 犯人が浩と夏月、昇と分かるように? じゃ、昇の撮った動画を公開するのか? 朝陽が殺害に参加しなかったのは、本人の意志と言うより、浩が「お前は学校に行け」と言ったからじゃないか。
で、ラストはどうなったんだっけ? もうしっかり忘れてるよ。困ったね。
毒娘4/15ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/内藤瑛亮脚本/内藤瑛亮、松久育紀
公式HPのあらすじは「夫と娘の萌花と3人で中古の一軒家に越してきた萩乃。家庭に恵まれなかった彼女にとって、夢に見た幸せな家庭。しかし、ある日外出中の萩乃に萌花の悲痛な声で助けを求める電話がかかってくる。「ショートケーキとコーラ、買ってきて」。慌てて帰宅した萩乃が目にしたのは、荒れ果てた我が家と洋服をずたずたに切り裂かれた萌花、そして萌花に馬乗りになって大きな鋏を握りしめた見知らぬ少女の姿だった。その少女の名前は<ちーちゃん>。かつてこの家に暮らしていたが、ある事件を起こして町を去ったはずだった。彼女の存在が、一見幸せに見えた萩乃たち家族が押し隠そうとしていた「毒」を暴き出し、悪夢のような日々の幕開けを告げる・・・。」
Twitterへは「いろいろ杜撰すぎて、はあ? な感じの連続。みな反応が、じれったすぎ。演出もじれったすぎ。で、そもそもの毒娘は、なんの因果なんだ? ツメが甘すぎて、人に見せるレベルじゃないだろ。ところどころ、コメディかと思ったし。」
冒頭は、売家の看板のある家にカップルが無断潜入し、何者かに襲われる短いエピソード。次からが、本編のメインの話。で、最後に、同じ家に入居した別のファミリーがいて、庭でわいわい食事してると上から赤い粉爆弾? が落ちてきて、2階に ちーちゃん がいる。でエンド。この3つの話の時制がよく分からない。冒頭が現在なのか? ラストが現在なのか。テキトー過ぎ。
で、メインの話なんだけど、これがテキトー過ぎ。ちーちゃん についてだけど、ちゃんと両親がいて。でも、友人を失明させる事件を起こした後、身勝手な事件を起こしているらしい、ということしか分からない。一家は件のむかし家に住んでいて、ちーちゃんは、この家にこだわりがある、と。どういうこだわりかは分からない。ちーちゃんの目的、恨みは、誰に向けられているのか? 死者の怨念や霊ではないので、理解不能だわい。
その ちーちゃんは、萩乃の一家にまとわりつく。この萩乃の家庭が、別にフツーに見えてたんだけど、いろいろあるのが次第に分かってくる。父親が妙なこだわり男で、前妻を自殺に追いつめた。前妻は自身に火をつけ、自死。娘も手に火傷を負った。この娘が萌花で、実子のようだ。後妻となったのが萩乃らしい。しかし、こんな男の後妻になる萩乃が理解不能なんだが。萩乃は衣装デザインが得意だけど、夫は自分の子どもが欲しいから仕事はするな。子作りに集中しよう、という。仕事ぐらいいいじゃないかと思うので、変な亭主だな、と思う程度で。前妻が自死しするまでの異常性は感じられないのだよ。
で、ある日、部屋に赤づくめの娘ちーちゃんが侵入し、家の中をズタズタにし、萌花にまたがってケーキとコーラを要求するというお笑いな展開。電話をもらった萩乃が急いで帰ると、ちーちゃんは満足げに消えていく。こりゃ一大事だろ。けど萩乃はいつのまにか部屋を片づけ、落ち着いて縫い物かなんかしてる。不審者どころか異常者に襲われているのに「警察にはあした話してみようと思うの」てな反応しない。おまえらみんなおかしいだろ。
萌花は ちーちゃん を懼れるどころか、いつのまにか親近感を抱くようになっていき、同じような赤い衣装で行動をともにしたりする。なんでえ?
ところで、ご近所、といいつつ割りと離れている知人がいて、娘がダンスしているらしく、衣装を頼まれて。萩乃は萌花とともにつくりあげる。その衣装で、どっかの公園みたいなところで踊っていると、ちーちゃん は知人娘に水鉄砲で蜂蜜? をかけ、蜂の入った袋を全開にする。萌花は、傍観してる。知人娘は蜂に刺されて顔が膨れてしまうという悲惨な状態。萌花の態度に申し訳なさを感じたのか、萩乃は謝りに行くけれど…。
のあとの展開は、よく憶えてないんだが。なんか、ちーちゃん が萩乃の亭主を刺して。萌花は抵抗する父親を背中から刺して。ちーちゃん がとどめを刺したんだっけか。ムチャクチャすぎるだろ、この展開。合理性や根拠がどこにもない。それで警察沙汰にはなったのかよくわからんが、次の場面では萩乃が刑務所に面会に行き、娘・萌花に話をしている。ああ、萌花は拘束されたのか。はいいんだが、ちーちゃん 捕まらんのか。で、ラストの、入居してきた別のファミリーにも ちーちゃん は攻撃を開始する。はあ?
ちーちゃん という存在は、父親に抑圧された萌花の情念、のようなものが産みだしたシンボルで、実は萌花と ちーちゃん は表裏一体であるのかな、と考えたんだけど。もしそうなら、萌花が逮捕されたら ちーちゃん は消えてしまうはず。でも、そうはならない。実際に ちーちゃん は存在し、あの家に住んでいたことがあって、いまは行方をくらましているけれど、両親もいる。のであれば、実在の人物だよな。それとも、萌花に憑依したり、別の家族があの家に住み始めると、そこの娘にまた憑依したりする存在なのか? 得体が知れない。
だいたい、あんな事件があった家=事故物件。いくら安くても、人は入らないだろ。それで、冒頭の短いエピソードのように、売物件として放置されていても、怨念としてうろついてるのか?
・萩乃は、子どもができたけど、突然、堕ろしてしまったりする。萩乃は子どもが欲しくないのか? じゃなんで変人男と結婚したんだか? 一戸建て帰るぐらいの甲斐性はあったんだろ、あの変人夫は。
プリシラ4/16シネ・リーブル池袋シアター2監督/ソフィア・コッポラ脚本/ソフィア・コッポラ
原題は“Priscilla”。公式HPのあらすじは「14歳のプリシラは、世界が憧れるスーパースター(エルヴィス)と出会い、恋に落ちる。彼の特別になるという夢のような現実…。やがて彼女は両親の反対を押し切って、大邸宅で一緒に暮らし始める。魅惑的な別世界に足を踏み入れたプリシラにとって、彼の色に染まり、そばにいることが彼女のすべてだったが」
Twitterへは「14歳でプレスリーと出会い、蜜月の後22歳?で結婚したプリシラの伝記。ロリかよ、と思ったら同居しつつ高校を卒業させ、以後も“その日”まで欲望をコントロールしたらしい。ホンとかよ。前半はなかなかだったけど、最後は盛り上がりもなく尻すぼみ。」
時間の流れがいまいち分からないところがあって、Wikipediaで調べたらプリシラは1945年生まれ。出会ったのは1959年らしい。映画の中で年号が出るのはまず1964年で、これはプレスリーが精神世界にのめり込んでたとき? プリシラはまだ19歳だったのか。それと、プレスリーのライブツアーが1970年、と出てくる。このときは、25歳か。結婚したのが1967年で、子どもが生まれたのが1968年。離婚したのは1973年だから、28歳ぐらい? ってことは、14歳から28歳ぐらいまでの話なのね。
ビートルズのデビューは1962年で、アメリカで話題になりはじめたのが1964年。プレスリーの62〜68年は低迷期で、69年からラスベガスでの公演が始まり、あの『エルビス・オン・ステージ』は1970年のドキュメンタリー、か。これは見てるぞ。でも、この低迷期は映画ではほとんど描かれない。まあ、一貫してプリシラの視点なので、エルビスがどんな映画を撮ってるかとか、どんな曲を流行らせていたか、も、ほのめかすか、ちょい見せるぐらいなので、関係ないから排除、なのかも知れないけど。
最初の出会いはエルビスが招集され西ドイツに行っていたころ。で、仲介を取った兵士のことは、これまたたいして描かれない。この兵士がカフェにいるプリシラに「エルビスのパーティがあるから行かないか?」と誘って。さらに、2度目もこの兵士が誘ってエルビスの所にいくんだけど、この兵士はなぜプリシラを誘ったのか。これが分からない。兵士が中坊(9年生というから中3だろう。14歳)のプリシラに気があって誘ったのか、そんなの関係なく、あのエルビスに会えるぞ、と自慢気に誘ったのか。どっちなのかね。
全体に単調で、とくに事件もなく、ヤマ場もなく。「赤いドレスや模様のあるドレスは小柄な君には似合わない!」と怒鳴られたり、枕でじゃれて叩いたら「本気で殴るな!」ってキレられたり、歌詞の感想を言わされた途端に椅子を投げつけられたり(新曲のアイディアがレコード録音されて送られてくるのね。まだテープは主流じゃなかったのかな)。どうもエルビスはカッとなって我を忘れることが多いらしい。本人は 「母親似」っていってけど。
しかし14歳の中学生に夢中になり、家に呼んだり一緒に映画を見たり、をトップスターがやってたのが信じられん。エルビスが帰国しても文通でやりとりし、そのうちプリシラは高校生に。でも交流は続き、なんとプリシラを呼び寄せアメリカのカソリックの厳格な高校に転校させてしまう。父親も母親も、最初はエルビスとのつきあいに反対してたのに、ずるずるだな。バカなんじゃないか。
で、一緒にエルビスのごうていに住み、そこから学校へ。学校でも「エルビスの彼女よ」なんていわれて友達も出きずは当然だろう。でベッドでいちゃいちゃキスもするけど、プリシラが関係を望んでも「“その日”が来たら僕が言う」とか「欲望をコントロールするんだ」とか言ってる。小柄な中学生に夢中になるぐらいだからロリ趣味もあるんだろうけど、性的関係をすぐには望まないって、どういうこと? だよなあ。その後、精神世界にのめり込んでた時期も紹介されているので、欲望を抑えることでなんとやら、とかを信仰していたのかも。
とはいえ撮影とかで不在も多くて、しかも撮影相手とのゴシップ記事もたくさん目にして気が気じゃないプリシラ。電話では「忙しくて」と否定してたけど、大人の性生活は外でしてたんだろうな。つまり、エルビスにとってプリシラはお人形様かお姫様的な存在、だったんじゃなかろうか。でも、結局は結婚。とはいえ、新婚初夜がどうだったかは、描かれず。ここは観客としては気になったんだけどな。で、早々に娘も生まれ、マスコミに紹介。でも、この時期ってプレスリーは低迷期だったんだよな。激太りしたり。そうは描かれてないけど。
別居しよう、とエルビスが突然言いだしたのは、どういう経緯なのか、何がきっかけなのか、よく分からず。プリシラは「いつ出ていけばいいの?」と冷淡に返すけれど、すぐにが出ていく気配もなかったのが、なんなの? な感じ。
でもエルビスは1970年にライブツアーが始まる。でも、低迷からいかに復活したか、てな描き方はされてないんだよね。なんか、観客には既知のこと、な感じで淡々と描かれてる。エルビスはツアーで不在がちになり、戻ってきても取り巻きと一緒に食事とか、静かに2人切りになれる環境はもうない。
別れは、映画ではエルビスが切り出したような描き方だけど、Wikipediaでは、「1968年2月1日には娘リサ・マリー・プレスリーが生まれる。その4年後、結婚前から続くプレスリーの悪い生活習慣(昼夜逆転)、メンフィス・マフィア(エルヴィスの関係者)との生活、さらに数ヶ月にも及ぶツアーによる別居生活などのさまざまな理由から、プリシラは不倫し、結婚生活は破綻してしまう」とある。映画では、エルビスの昼夜逆転生活はあまり描かれていない。むしろクスリ漬けとか取り巻き(メンフィス・マフィア?)がいつもいたのは描かれている。あとはツアーによる長い別居も。
映画では、アン・マーガレットとの噂とか、キスマーク入りの手紙とかを見つけ、「これは何?」と追及した後ぐらいに、別れを切り出されたんだったか。ちと記憶が曖昧。てなわけで、プリシラはエルビスの祖母や家政婦に挨拶しカバン一つでエルビスの豪邸を出て行く。で、エンド。
・2022年の『エルヴィス』は見たんだけど、あまり憶えてない。プリシラも当然いたはずだけど、印象にないんだよね。それと、『プリシラ』のなかでエルビスが電話で“大佐”と名乗る人物とやりとりしてる場面が何度もでてくるんだけど、この“大佐”がどういう人物なのかは説明もないし、“大佐”自身も登場しない。なんじゃあ? と思ったんだけど、『エルヴィス』を見たらトム・ハンクスが“大佐”を演じていた。ああ、そのぐらい影響力のあった人なのか。というか、有名だから説明が要らないのかもな。
・豪邸内にビジネスエリア? 仕切るのはエルビスの父親で、プリシラも邪魔者扱いされるって、変なの。・豪邸内でも友達もいず、学校でも仲間はずれ。頼りのエルビスは留守がち。という孤独感。しだいに心がエルビスから離れて行ったんだろうけど、そのあたりがうまく描かれてないような気がしたな。
・エルビスの趣味なのか? プリシラに塩沢ときみたいな髪型させたり、黒髪に染めさせたり、けばい化粧させたり、ただのロリではないのか?
・エルビスが高校生のプリシラに勧めたのは覚醒剤? プリシラも、エルビスも、ひどいドラッグ中毒にはとくに描かれてなかったけどね。
・本編の前に、ブラピとペネロペが食事するCHANELの広告があった。映画にもCHANELのクレジットがあったけど、資金援助されてるのかね。
インフィニティ・プール4/18ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/ブランドン・クローネンバーグ脚本/ブランドン・クローネンバーグ
原題は“Infinity Pool”。allcinemaのあらすじは「高級リゾート地として知られる孤島を訪れたスランプ中の作家ジェームズは、裕福な資産家の娘である妻のエムとともに、ここでバカンスを楽しみながら新たな作品のインスピレーションを得ようと考えていた。ある日、彼の小説の大ファンだという女性ガビに話しかけられたジェームズは、彼女とその夫に誘われ一緒に食事をすることに。意気投合した彼らは、観光客は行かないようにと警告されていた敷地外へとドライブに出かける。それが悪夢の始まりになるとは知らずに…」
Twitterへは「変態さがいまいち、と思ったら、クローネンバーグでも息子の方だった…。もっとクローン話をひねくり回すとか、なんでああなったのか、とかムダでもいいから根拠をデッチ上げた方がよかったんじゃないのかな。なんかイマイチのりきれず。」
ずっと父クローネンバーグのつもりで見てた。あとから息子と分かって、ありゃりゃ。始めのうちは、どうなるのかな、なヒキがあったんだけど、知り合った建築家のアルバンが設計したプールのガラスが割れて死者が出て、自分もクローンが死刑の憂き目に遭った、とかいうあたりで少しうとうと。気がついたら、いつのまにか2組のカップルが加わっていて、みんなで、例のプールを含む施設の責任者? の私邸に潜入してメダルを取りに行こうぜ、という話になっていた。エロいセックス中のその責任者と妻? と、もうひとり女性は何なんだ? の3人を拘束したけど銃撃戦になり…。アルバンは足を撃たれたんだっけか。と思ったら場面が一変。一同みな白い囚人服で。捕まったのか。と思ったらみな首を切られて。でも、それはみなクローンで、見てる8人は演劇でも見ているみたいに拍手喝采してる。なるほど。捕まったけど、またしてもクローンを処刑されることになって解放された、ということか。もう、悪事を働いてもクローンが処刑されるから、やりたい放題、な感覚になってるのだな。
そもそも最初は、国外のどっかのリゾート地。怪しい文字がつらなっている。避暑に来たのは、書けない作家ジェームズと妻のエム。海岸で、得体の知れない女性がジェームズに「あなたのファンよ」といって近づいてくる。この女性はガビで、亭主は建築家のアルバン。食事に誘われ、ほいほいついていき、翌日だかには、クルマを借りてどっかの海岸まで行って飲んだり騒いだり。
ここでなかなかエロかったのが、ジェームズが小便してるところにガビが背後から近寄り、ペニスをしごいていかせる場面。うわ。
で、帰り道、ジェームズが運転していたらライトが消えかかって困惑のなか人をはね殺してしまう。警察に報告しよう、とジェームズがいうが、ここは出入りが禁止されている柵の外。逃げよう、とアルバンが言う。けれど、帰路のゲートで誰何され、なんとか通過したけど翌日警察が来てジェームズとエムは連行されてしまう。
アルバンが言うには、この国は事故でも人を殺したら死刑になる。でも、クローンをつくって、そのクローンが死刑になることで、本人は死刑を免れることができる。で、自分のプールの事故で…云々、となことを言ったんだった。
で、ジェームズもそうすることにしたのか、これは金を払ってすることなのか、よく説明はなかったけど、あとから、国が儲かる的なことを言っていたのでそうなんだろう。で、ジェームズのクローンがつくられ、刑に処せられる。その現場を、本人は立ち会う義務があるらしい。な感じで、そのうちうとうとし、気がついたらメダルを盗みに人の家に入って銃撃戦、な流れだ。それ以後の経緯は細かなところは憶えきれないというか、だらだらと。はじめはしおらしかったガビはだんだんエロさが増してジェームズを誘う。エムは、帰ろう、というのだけれど、ジェームズは「パスポートがない」とうろたえ、なので妻だけ帰ってしまう。ののちは、ジェームズはアルバンとガビ、もう2組のカップルと飲めや騒げやドラッグでセックスし放題な世界にどっぷりつかっていくんだったかな。
もう、細かなことは忘れちゃったよ。
で、あるとき仲間でが「警官だ」とかいって頭に袋をかぶせた男をとらまえてきて、みんなでボコった後、袋を取るとそれはジェームズのクローンで。なんでも警察に頼んでつくってもらったらしい。ビビるジェームズに、ガビは「撃ち殺せ」というんだけど、できない。でも、なにがきっかけか忘れたけど、ジェームズは素手で殴り、クローンの顔は変形し目玉が飛び出るまで殴り倒し、疲れ果てて意気消沈。なジェームズを後ろから抱え、手についた血を自分の乳首に塗りつける。その乳首をジェームズはちゅうちゅう吸い続けるという変態ぶり。
この後だったかな。なくなった、といっていたパスポートはちゃんとあって、ジェームズ自身が隠していた? それを手に、アルバンとガビ、もう2組のカップルとともに帰国していく。そうそう。処刑されたクローンの遺灰は持ち帰らなくちゃならないらしく、ケースに3つの骨壺を入れてるのがおかしかった。
で、また会おう、なんて言って別れたんだったかな。ってことは、アルバンとガビはこのリゾートの常連で、毎年やりたい放題、殺し放題しては金に任せてクローンで罪を逃れ、あとはドラッグで乱交し放題の休暇をたのしんでいるということかいな。じゃ、家にいくつ自分のクローンが並んでるんだか。まさにずぶずぶ。なのでインフィニティ・プール? 
というわけで、変態の要素はあるけど、父クローネンバーグみたいに妙な機械や人造人間みたいなのを盛り込まない分、異世界感がないので物足りないかな。
過去のない男4/20シネマ ブルースタジオ監督/アキ・カウリスマキ脚本/アキ・カウリスマキ
フィンランド映画。原題は“Mies vailla menneisyytta”。映画.comのあらすじは「夜行列車でヘルシンキに着いた男が、暴漢に襲われて重傷を負い、極貧の一家に拾われて命は取り留めるが、記憶喪失に。日雇い労働をして暮らすようになった彼は、救世軍で働く女性イルマと出会い、心を通わせていく。」
Twitterへは「記憶を失った男と、出会った女と、妻と。なんて設定だとどうしても『かくも長き不在』を連想しちまうね。カウリスマキは淡々と、紙芝居みたいな感じで話を進めていく。とくに滋味深くもないのに、これでカンヌのグランプリ、が解せない。」
↑のあらすじに加えるなら、男はその後、溶接工だったことを思い出し、就職できそうになって、でも給与振り込みのために銀行口座が必要だと言われ銀行に行くが、そこで銀行強盗にでくわす。強盗は会社経営者だったけど、突然の借金返済を要求され、なんだかんだあって口座を凍結され出金できず、従業員に給与も支払えない状態なので強盗に及んだ、という。警察は男も強盗一味と考え逮捕するが、イルマが手配した弁護士によって釈放。すると警察から男を追っていたという本来の強盗から声をかけられ、従業員への支払いを代わりに行ってくれ、と頼まれる。金を受け取り小屋を出ると、銃声。元経営者の強盗は自死したのだろう。で、数人の元従業員に未払いの給与を渡し(ここはあっさり描かれている)終える。警察は、なぜかマスコミに、記憶のない男が強盗した、と発表したらしく、新聞ネタに。これを見た男の妻から連絡があり、訪れるといろいろ分かってくる。男と妻は喧嘩がちで、離婚を決意。男は仕事を求めて家を出て、南の地方に向かった(そこで暴漢に遭って記憶喪失)。で、離婚が成立したけど男から連絡もなく、妻は別の男とつきあいを始めていた、という。なら問題ない。男は新しくつきあい始めた男に「妻をよろしく」といい、南の地に戻りイルマと再会。イルマは「あなたは私の初恋の人」という。ハッピーエンド。
実はカウリスマキはこれまでほとんど見てなくて、もしかして去年暮れの『枯れ葉』が最初かもしれない。カウリスマキの名前は知ってたけど、ユーロスペースとか特別な映画館で特別な人が見る映画、なイメージがあった。でまあ、これも含め2作でタッチというかスタイルは分かった。小津が好きらしい、という話も読んだ。なるほど、ではあるけれど、なんか登場するのは感情をどこかに置き忘れたような無味乾燥な人物ばかりで、物事の経緯にも合理的な連関がとくにないようなところもあるし、演技も淡々と、ときにギクシャクしたりしていて、もちろんそれは意図的なんだろうけど、なんか迫ってくるところはないのだった。
物語も、とくにドラマがあるわけではない。設定も『かくも長き不在』その他にあるような、突然の記憶喪失。で、下層階級の日雇い仲間や、得体の知れない警備員との交流、なんかも定番な話で、面白いドラマもない。むしろ、ときに突然感が散りばめられていて、なにこれ? と思ったり。ところどころ笑っちゃうようなところもあったりして、シリアスな感じもしない。なんだろね、この不思議な感じ。別に魅力でもないんだよな、こういうところは。
・電車を降りて深夜、ひとりでいると3バカにボコられ、金品奪われ、放置される。自力で駅のトイレ(?)まで行くも、倒れ、病院へ。医師は死亡宣告。医師、看護婦がいなくなると突然復活し、身体に着いた管類を取り払ってしまう。笑っちゃったよ。なにこれ。でも、次の場面ではどこかの川岸に倒れてる。靴は奪われるし…。何これ? コメディかよ。
・コンテナに住んでる夫婦とか、大きなゴミ箱に住んでる男(笑っちゃう)とか、下層民の中にまぎれ込むんだけど、みな親切なのが印象的。コンテナ部屋を貸し出してる(?)管理人がいて、週に100(単位は分からん)でコンテナを借りるんだけど、管理人が連れてる犬の名前がハンニバルで、管理人は「凶暴だ」というけど、実は大人しいのが笑える。
・職安行ったら名前と社会登録番号を聞かれ、「書けない」と。で、登録もできない。当たり前だろ。でも、なんでテキトーな名前をでっちあげないんだろ。川岸倒、とか、なんでもいいんだろ? 
・最初は何の仕事だっけ? 記憶ないけど。なんとか家賃は払ったんだっけか? 管理人が数日家をあけるからとハンニバルを預かるんだよな。
・救世軍に行ったのも、最初はいつだったか、忘れた。なんか救世軍の楽隊がしょぼい楽曲を演奏してるので男が「もっとテンポのいいロックなのを」といって変えさせたり、救世軍のイメチェンに手を貸したんだよな。
・そんな男に惹かれた? のか、イルマが「そんな服じゃ仕事もない」とかいって、黒いスーツをあてがってくれて。それで廃品片付けとかするのも、笑った。
・男がイルマに声をかけ、家に誘ったんだっけか? なぜ誘ったか、なぜ応じたのか、がないので、いまいち説得力がない。なんでその後、惹かれ合うのか?
・というところで、ちょっとウトッ。ベッドの男、だったかイルマ、だったかが写ってたな。あれは、寝たのか? 分からん。
・救世軍のパーティみたいなのをやってて、男も見に行こうとしたら、例の管理人の男が「入場料がいる」と男にいい、男が「あれは俺が企画したんだ」という場面は、このあたりだったっけ? ラストに近いあたりだっけ?
・たまたま溶接工の仕事を垣間見て、あれ? となる男。「ちょっとやらせてくれ」っていってやってみたら技術が高いことがわかる。のはいいんだけど、誰とも知らんやつに熔接させるはずがないだろ。と、ツッコミ。で、「お前腕がいいな、事務所に行ってみな」と言われていくと、名前なんか分からなくてもいい。ただ銀行の口座をつくってくれ、といわれて銀行に行くと、また名前を聞かれる。ウソでもいいから名乗れよ、とまた突っ込んでしまう。
・そこに銀行強盗。借用金の返済を迫られ、できないと言ったら、理由は良く分からないけど銀行口座を凍結され、従業員に給料を払って仕事をやめるにもできない。なので凍結された口座にある金をよこせ、という。女性行員はいわれたとおりするんだが、強盗は口座にある額をきっちりいただくと、消えてしまう。金庫に残された男と女性行員。行員曰く、「この銀行に勤めるのは私ひとり。今日で銀行は閉鎖され、30何年か(だったかな)勤めた銀行を首になる! と不平だか怒りだか分からんことを言うんだけど、この銀行の事情は謎。で、男が煙草を吸い始めると、彼女はハイヒールでスプリンクラーを叩いて水を出して、それで救出されたのかな?
・本当の強盗は逃げたけど、警察時事情聴取を受ける男。一度だけ電話を、と救世軍のイルマに電話する。警察は、名前も住所も分からんのでは不法移民かもしれないし、と追及。でもフィンランド語を話してるだろ? とか、よく分からんやりとり。なところに弁護士が来て、条例や判例を示し合いながら議論して、結局、男は釈放される。弁護士は救世軍から依頼された、らしい。
・のだけれど、新聞の見出しに男の顔と、名前のない強盗、という文字が躍る。なところに警察から電話で、君の身元が分かった、と連絡。家は北のほうで妻がいるという。男は家を訪ねる。↑にも描いたように夫婦はしょっちゅう喧嘩で離婚の話を進めていて、彼は家を出て南へ仕事を探しに出かけた、と。で、すでに離婚は成立。元妻にはつき合ってる男がいる。この男も登場して「じゃあ決闘か?」なんて言ってくるのが笑えるけど、男は「妻を頼む」で平和な別れ。
・南に戻る車中で、男が食べようとしているのは、寿司。流れるのは日本の歌。調べたら「ハワイの夜」とかいうらしい。他にもエンドロールに、ワサビがどうしたという題名の曲もあったけど、あれも日本関連? しかし、なぜにここで突然に日本趣味が出てくるんだか。
・救世軍のパーティが開かれている場に。いつも歌ってるオバサンは、結構な歳だよな。で、イルマもひとりポツンといて、男が近づいて。これから2人はここで暮らしていくのだろう、というハッピーな予感。という流れだったけど、なんかいまいちスッキリしないところもあるのだよなあ。
・監督、作品ともに有名だからか、客は13人前後いたような。
異人たち4/22109シネマズ二子玉川シアター8監督/アンドリュー・ヘイ脚本/アンドリュー・ヘイ
原題は“All of Us Strangers”。Searchlight HPのあらすじは「夜になると人の気配が遠のく、ロンドンのタワーマンションに一人暮らす脚本家アダムは、偶然同じマンションの謎めいた住人、ハリーの訪問で、ありふれた日常に変化が訪れる。ハリーとの関係が深まるにつれて、アダムは遠い子供の頃の世界に引き戻され、30年前に死別した両親が、そのままの姿で目の前に現れる。想像もしなかった再会に固く閉ざしていた心が解きほぐされていくのを感じるのだったが、その先には思いもしない世界が広がっていた…」
Twitterへは「原作『異人たちとの夏』は見てない。あっちはヘテロなんだろ? とりあえずゲイにしとけばウケがいいだろ、な浅はかさが、うーむ。50近くになって母親はまだしも、父ちゃん、とかいってるのも気味が悪い。で結局、本人も含めてみんなアレでいいのかな?」
山田太一の原作は見てない。なので比較はできない。
で、結局のところ映画の登場人物はみな幽霊なんだろう、と思った。原題も“All of Us Strangers”で、「みんなよそ者」みたいな意味だし。アダムだけは現実の人間で、あとは幽霊、という見方もできなくはないけど、なんか不自然だ。というのも、この映画に、一般人はまるで登場しないからだ。たとえばアダムの仕事関係の人間とか、近所の店の馴染みの店員とか、警官とか、駅員とか、そういう人と声を交わしているなら、現実に生きている人、と思える。けれどこの映画で他人が登場するのは、ハリーとクラブに行ったときの客たちと、アダムが地下鉄車内に乗ったときだけ、だったと思う。クラブの場面では、ビールをもってフロアを歩くとき、黒人とすれ違って目が合ったようにも見えるけど、黒人は別の誰かと視線を交わしたのかもしれないし。そういう意味で、実は他人には見えていない存在という仕掛けをほどこしていた『シックス・センス』と同じような配慮があるように思う。
ちらっと『異人たちとの夏』の感想を斜め読みしたら、時期は夏、主人公が心を通わせる相手は女性、とあった。まあ、これだけで日本人ならお盆と幽霊が思い浮かぶ。『ふきげんな過去』という二階堂ふみ主演の映画も、お盆に幽霊がやってくる話だったけどね。というわけで、日本なら怪談に分類される映画だろう。
これも『異人たちとの夏』の解説にあったんだけど、主人公は知り合った女性と情交を重ねるごとに肉体がやつれていくらしい。それって『四谷怪談』じゃん。ところが、この映画ではアダムがハリーと情交しても、アダムがやつれていくことはない。その理由の一つは、この映画が怪談として成立されることが困難(設定が日本ではないから)であり、また、アダムがすでに人間ではない=すなわち幽霊同士の情交、である可能性が高いことを示しているのではないかと思うのだよね。
でまあ、欧米には(この映画の舞台設定はイギリス)日本のようなお盆の風習はない。なので、夏に幽霊が登場する必然性というか因果はない。この映画にあるのはアダムの両親への思いだけで、昔の写真を見て、昔住んでいた家に行くと、そこに昔のままの両親が住んでいて、アダムを迎えてくれる、という流れになっている。なので異世界に入り込むという妖しさが足りない。そこが、この映画の論理的に弱いところだと思う。
アダムはある夜、火災報知器の音で目覚める。下に降りて建物を見上げると、火の手は上がっていない。その代わり、自分の部屋以外にもうひとつ明かりが点いている部屋を確認する。このフラット(高層ビルの、窓の開かない部屋)は、アダムとハリーの2人しか住んでいない、というのも示唆的。なことフツーあり得ないだろ。思うに、現実世界とレイヤーが重なる「霊が一時的に住む層」に2人はいるんじゃないのかな。もっとも西欧に、この世とあの世の端境に、成仏できない霊が存在する場所がある、という考え方があるのかどうか知らんけどね。
もちろん始めのうちはアダムもハリーも生きている現実に生きている人間で、霊は両親だけ、と思いながら見ていた。だけど、なんかもやもやするんだよね。両親の家に行く列車も、アダムのアップだけだし。駅や道すがらも映さない。もちろん、すべてはアダムの夢、という可能性もあるとは思うけど。
アダムとハリーの男色関係が始まると、いろいろ生々しく感じられるようになった。個人的には男色には興味がないので、キスシーンとかざわざわ気持ち悪い。それに、昨今な猫も杓子もゲイを扱う映画ばかりで。手を替え品を替え、年寄り同士、少年同士、目先を変えて量産されているのも納得がいかないところ。同性愛を扱えば映画界で評価されるだろう的な安易な考えが、ないか? というのもずっと思っているんだけどね。
両親は、アダムが12歳のとき交通事故死したらしい。時代設定がよく分からんのだけど、もし現在=2023年だとしたら、アダムの年齢およそ50歳を引くと1973年ということになる。にしては、両親の家や衣服なんかはもっとノスタルジックな感じに描かれてるけどな。まあいいか。で、両親は成長したアダムを見て、「面影がある」とかなんとかいって、素直に受け入れてくれる。もし、霊の世界が、死んだときの年齢で浮遊するようなことになっていれば、こういうこともアリかなと。
両親は、自分たちが先々死ぬことを知っているようだ。交通事故死は分かっているようだけれど、2人とも即死か否かを執拗に尋ねてくる。それは記憶に残っていないのかね。死んだ時点での外見や記憶ではなく、いいときのもので霊として浮遊するのか。実は母親は事故後、眼を失った状態で数日間生きて、死の直前に意識が戻ったらしいけど、アダムはそのことをつたえず「即死だった」というのは、優しさなのかもね。霊が霊に対してやさしくするか。はは。
ずっとハリーがアダムの部屋を訪れる、という状態でのつきあいだったけれど、どんなきっかけか忘れたけど、アダムがハリーの部屋を訪れた。で、違和感を感じてベッドルームに行くと異臭がして、ハリーの遺体を見つける。多くの観客はここで、ハリーも幽霊だったのか、と分かる寸法だ。この後、アダムとハリーは、たぶんアダムの部屋のベッドで背中を丸め向き合うようにして横たわり、映画は終わる。はたして、アダムは幽霊のハリーとの関係をつづけるのか。はたまたアダムも幽霊で、幽霊同士つきあっていくのか。結論は語られないけど、都会のひとりぐらしのゲイの寂しい末路をみるような思いだったな。
ところでアダムはいつ死んだのか。火災報知器が鳴ったのを深読みすると、このとき火災で死んだ、なのかも。あるいは、ハリーが「このフラットの窓は飛び降りられないようになっている」なんて言ってるので、逃げられなかったのか。まあ、ここはよく分からない、ってことで。
クラユカバ4/23テアトル新宿監督/塚原重義脚本/塚原重義
公式HPのあらすじは「 「はい、大辻探偵社」。紫煙に霞むは淡き夢、街場に煙くは妖しき噂…。今、世間を惑わす“集団失踪”の怪奇に、探偵・荘太郎が対峙する! 目撃者なし、意図も不明。その足取りに必ず現る“不気味な轍”の正体とは…。手がかりを求め、探偵は街の地下領域“クラガリ”へと潜り込む。そこに驀進する黒鐵くろがねの装甲列車と、その指揮官タンネとの邂逅が、探偵の運命を大きく揺れ動かすのであった…!!」
Twitterへは「前の懐古趣味な雰囲気、右から左へ読む旧仮名遣い、地下帝国、レトロフューチャーな機械や武器…。世界観は好きだけど、話がよく分からん。キャラも掘り下げが浅いし。62分は短い。せめて90分ぐらいにしてつくりこめばいいのに。」
やっぱ60分程度では話が乱雑になる。キャラ造形も表面的には、なんとなくできてるけど、エピソードがないし、活躍も少ない。せめて80〜90分ぐらいにして、話をつくりこむべきだった。
世界観は申し分ない。戦前の雰囲気は、貼ってあるポスターや看板の旧仮名遣い、右から読む横文字とか、桑原甲子男の写真にあるようなものや、味の素をパロった商品とか、文字を読むだけで興味深い。のだけれど、読み切る前に画面が変わってしまうので、おいおい、なところはあるけど。そして、音楽も。 ♪男純情の〜 と、灰田勝彦の「燦めく星座」が流れるが、この歌は昭和15年(1940年)のヒットらしいので、この話の設定もそうなのか? 見かけは、もっと古い感じだけどね。大正ロマン的な。そのあたりのいい加減さは、まあいい。
で、荘太郎が抱える失踪人と、あれは記者なのか、が持ち込んできた集団失踪の話。情報屋の少女サキ。お膳立ては整った。けど、地下に潜入したサキは速攻で拉致されたのか、誘拐した、の手紙が。で、荘太郎自身が地下に潜入するんだけど、だったらハナからお前が行けよ、って話だ。で、地下に行くと、潜入は簡単で、地下もべつに迷宮と言うほどではない。妙な仮面をかぶった福面党なる連中がいて、荘太郎も簡単に連中に紛れて奥へ行くと、制服を着た娘とその部下みたいなのが現れ、福面党と銃撃戦になってる。公式HPによると制服娘はタンネといい装甲列車の列車長らしいけど、なんだこれ。そもそも装甲列車とは何か? そういえば、ここに軍人か警察かしらんのも混じり始めてドンパチやってたように思うけど、もう、なにがなにやら。福面党の魂胆は何で、装甲列車は何のためか、もう、目先の表面的なところでガチャガチャやってるだけで、ヒキがひとつもない。
とおもったら、福面党の親玉らしいお多福がでてきて、ほほほほほ、とか笑いながらどっかへ消えて行ってしまった。なんだよ。拍子抜け。で、さらに行くと情報屋サキが縛られてるのに出会い、救出するんだけど、潜入したら消えちまって、あとは救出されるだけのキャラって、なんだよ。ほとんど機能してないだろ。なんか活劇させろよ。
あとは、失踪と関係のあるという線条痕だけど、サキを救出した部屋にもあったけど、結局あれは何だったんだ? よく分からんぞ。
あー、あと、幼い頃に行方をくらましたという荘太郎の父親のエピソードだけど、これまたとってつけだだけ、な感じ。福面党のその裏にいたのは荘太郎の父親だった、とかいう意外性もなく、がっくり。
・福面党の党員も、面を脱げばヤクザな連中で、彼らはなぜに福面党に加入したのか?
・軍隊だか警察の連中と、装甲列車の面々とは共同関係にあるのか? よく分からん。
・地下にあんな列車を走らせたり、大規模な空間、迷路がつくられるなんて、人に気づかずできる分けないだろ。
・キツネの妖怪みたいな変な小動物は何なんだ? なにも機能してなかったように思うが。
とか、話のツッコミどころは山ほど。荘太郎の声は神田伯山だけど、一本調子で声優には向かないな。
クラメルカガリ4/23アトル新宿監督/塚原重義脚本/塚原重義
公式HPのあらすじは「零細採掘業者がひしめく炭砿町…通称“箱庭はこにわ”。日々迷宮の如く変化するこの町で地図屋を営む少女 - カガリ。“箱庭”からの脱却を夢想する幼馴染 - ユウヤ。昨今この町で頻発する不審な“陥没事故”は、次第にふたりの日常を侵食し始めて…。果たして、町の命運は、カガリはこの事態を乗り越えられるのか!? 困難の先で、少女は今日“ちょっとだけ”大人になる」
Twitterへは「これも戦前のレトロな世界観で、地下の怪しい世界で…はいいんだけど、話がよくわからん。これも62分で、人物が薄い。まともな長さにしてつくり込むべきだと思うぞ。」
こちらは『クラユカバ』に比べるとゆったりした展開で、冒頭から主人公カガリのしてることや友人知人関係が描かれる。旧仮名遣いの看板屋ポスターもがっくり減って、戦前ロマンの雰囲気はなくなるけどね。
で、カガリは街をうろついて地図をつくり、陥没事故を見つけては書き加えている。一緒に行動しているのはユウヤという青年。なんだけど、そんな地図の需要なんてないだろ。あらすじには地図屋、ってあるけどさあ。カガリは古本屋の伊勢屋とつきあいがあったり、飲み屋街の顔役と通じていたりする。さらに、怪しい発明ジジイ(声:寺田農の最後の仕事?)がひとりいて、まあ、こんなもんか。
で、街で怪しい陥没事故がつづく。そこに特務らしい女性がやってきて、調べ始める。役者はそろった。けど、話が見えない。のだよな。だいたい、陥没事故が起きてもろくに調査せず、なのにカガリとユウヤは地下迷宮を熟知しているらしく、さっさか潜入して行ってしまう。で、突然、現れた油虫なる機械ロボットが取りもち弾を吐き散らし、カガリを追いかける…。のだけれど、このあたりからドタバタ活劇風になるんだが、だれがなんの目的で地下を掘り下げているのか、がどーも見えない。闇のボスは、だれなんだっけ? あの、仁丹塔の巨大なのにいる街のボスだっけか? もう、ほとんど記憶にないよ。
発明ジジイは、ねずみ駆除とか、飛翔ロボとか、自律機関を駆使して油虫と戦うんだけど、もう、なにがなんだか。実はユウヤは裏のボスに情報を流し、自分は街を出ようとしていたらしいんだけど裏切られたり。ガチャガチャと話は展開しているように見えて、本筋がはっきりしないから、ヒキがない。特務の女性の狙いもよく分からんし、彼女に従う情報屋もほとんど機能していない。発明ジジイにも片腕が技手の女の子の助手がいるけど、飾り程度。
本筋がしっかりしていないところに、目立つキャラ設定の人物が絡んでも、なんの話も持ち上がらない。表面的にガチャガチャしてるだけで、ちっとも面白くないのだった。
で、どういう話だったんだ? Webにある解説・あらすじでも読もうかね。
★ところで。
『クラユカバ』と『クラメルカガリ』とこに、CM、予告の後に映画プレゼンターなる男が画面に現れ、この2本のあらすじをべらべら話し始めたので驚いた。耳をふさいだけど、上映前にこれから見る映画のあらすじを話すバカがどこにいる。こんなバカな仕掛けをする 東京テアトルはバカとしかいいようがない。
バカはそれだけでは終わらなかった。映画泥棒のあと、さあ本編だ、と思ったら、『クラユカバ』 のあとには『クラメルカガリ』の、 『クラメルカガリ』のあとには『クラユカバ』の予告がはじまったのだ。ぎゃぁ。目をつむって耳をふさいだよ。 もう一本の予告をすれば観客がふえる、とでも算段したのか? こんなの、映画好きには逆効果でしかない。見ようと思っている映画のあらすじなんて、知りたくないのだ。映画は、見始めてはじめてその世界に触れ、驚くのがいちばんいい。そんなことは当たり前だ。
ところで、1本60分余のアニメなのに、サービスデー1300円はいいとして、そうでない日は1本2000円の定価なのに驚いた。特別価格1300円ぐらいで見せてるかと思ったんだが。こんなの、2本まとめても2時間ちょいなんだから、2本立て2000円で公開すりゃあいいんだ。それが常識的な配慮ってもんだろ。もちろん、客はパラバラしか入ってなかったよ。東京テアトルはいくら力を入れても、こんな商売をしていちゃ客から見放されるぞ。
パリ・ブレスト 〜夢をかなえたスイーツ〜4/25ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/セバスティアン・テュラール脚本/セドリック・イド
原題は“A la belle etoile”。「星空の下で」という意味のようだ。そういえば友達と北斗七星がどうのと話してたな。公式HPのあらすじは「育児放棄の母親の下、過酷な環境で過ごしている少年ヤジッドにとって唯一の楽しみは、フォスターファミリー(里親)の家で、団欒しながら食べる手作りのスイーツ。いつしか自らが最高のパティシエになることを夢みるようになっていた。やがて、児童養護施設で暮らしはじめたヤジッドは、敷居の高いパリの高級レストランに、機転を効かせた作戦で、見習いとして雇ってもらうチャンスを10代で掴み取る。毎日180キロ離れた田舎町エペルネからパリへ長距離通勤し、時に野宿をしながらも必死に学び続け、活躍の場を広げていく。偉大なパティシエたちに従事し、厳しくも愛のある先輩や心を許せる親友に囲まれ、夢に向かって充実した日々を過ごすヤジッド。ところがそんな彼に嫉妬する同僚の策略で、突然仕事を失うことに。失意のどん底から持ち前の情熱でパティスリー世界選手権への切符をようやく手に入れるが…。」
Twitterへは「事実ベースらしいが話が大雑把すぎ。里親とか施設みたいな制度もよく分からん。コンテストもアバウト。料理映画としてもイマイチ。主人公もウソ、言い訳、悪事、遅刻ばかり。才能があっても、やだなこんなやつ。」
全体がゴチャゴチャし過ぎ。時制も、里親の家が登場する少年、施設での青年期、コートダジュールのホテルでの修行期があって。とくに、少年期と施設での青年期が、ことわりなく交互に頻繁に登場するのもイラつく。そもそも、母親がいて、その母親のところでも生活しつつ、里親のところでも暮らしているというのがよく分からん。これはフランスの制度なのか?
母親は、↑のあらすじでは育児放棄、とある。別のところではアル中ともでてたかな。でも、この母親は、母親であることをしょっちゅう主張し、里親のところを訪ねたりして問題を起こす。完全に里親に任せる、はしないのか? 息子を連れて役所に行って、里親の悪口を言って金をせしめたりしている。ダメ母親なのは分かるけど、背景がアバウトなので、話に入り込めない。
それと、ヤジッドが料理好き、菓子づくり好き、という説明がほとんどされていない。少年期から部屋に憧れのシェフの写真を貼っていたりするのがあとから分かるけど、そんなささいなことでつたわるかよ。それに、少年期、青年期通じて、お絵かきとか彫刻に興味がある感じで描かれていて、料理については、施設の食堂でのバイト? で、勝手にお菓子を作って、でも評判になった、ぐらいしかない。里親の家でも、おばあちゃんに料理を習ってる場面もたいしてないし。この監督、話の整理整頓、構成がド下手としかいいようがない。
施設での青年期の兇状はひどいものだ。「いじめられていて、バイトの金を要求される」と施設長に訴えると、「誰に?」と問われるんだけど、言わない。それでバイトの金を「預かる」と言われると、夜中に潜入して奪ってしまう。その足で、街のどっかに行って警察にパクられる。ありゃドラッグかなんかの売買なのか? 一切説明がなかったけど。で、実の母親が警察から身元を引き受けるんだけど、フツー情報は警察から施設に行くんじゃないのか? どうやって母親はヤジッドが勾留されてることを知るんだよ? なぜ釈放されたんだよ。分からんよ。
その他、まあ、洋画ではよくあるけど、主人公が身勝手なことをして、責められると嘘をつき、バレると言い訳にもならんことをいい、責任を転嫁する。こんなやつ、どうにでもなっちまえ、と思う。とくに、料理好き、菓子好きな情熱もほとんど描かれないでは、ヤジッドに同情なんてできやしない。
あまりのことに施設長はヤジッドをさらに厳しい施設に送ることにするが、施設の職員でヤジッドに好意的なやつが猛反対し、施設をクビになってしまう。けど、その後の彼は描かれない。なんだよ。で、ヤジッドは里親に連絡し、施設からのトンズラを手伝わせる。「逃げたら役所に連絡され、もっとひどいことに」と里親は言うけど、この顛末のその後、は描かれない。すべてほったらかしな展開で、イライラする。
少年期から、菓子のコンテストで世界一を、とかチラシを見たりしているけど、少年時代に菓子をがんがんつくってる様子もない。ヤジッドにとって菓子の世界一はどういうものなのか、が提示されないのだ。さらに、どういう過程を踏んでコンテストに参加するのか、も説明されない。そんな感じで、ある日、ヤジッドは施設にいながらパリのレストランに見習いとして潜り込んでしまう。いいのか? 施設に問題はないのか? なんでも、シェフの片腕みたいに人に面接し、シェフのことをよく知っている、とウソを言ったとか。それに騙され、来い、と言ってしまうやつもやつだ。実際にシェフがやってきて、「こいつは誰だ?」となって、「シェフの知り合いだと言ってやってきたんですが?」と説明すると、「こんなやつは知らん」と言われ、ヤジッドに言うと「一、二度立ち話程度」とはいうんだけど、いったいどこで立ち話したんだか。とにかく、いい加減なシナリオだ。で、「帰れ」と言われるんだけど、試験してくれと粘って、リンゴのチョコレートかけたのみたいなのをつくって。それをシェフが一口食べたら「来てもいい」となるとか、アホか、な展開。なんだけど、翌日は大幅な遅刻。というのも、このあとにバイトの金を施設長にと預かっておくと言われ、警察に捕まり、明け方に釈放されたからなんだけどね。「180キロ通ってるんです」とかいうけど、警察に捕まるようなことをするお前が悪いんだろ! とツッコミを入れたい。なのに、シェフはヤジッドを首にしない。なんて周囲はいい人、というか、お人好しなんだ、と思うね。
そうそう。この前後だったか、ヤジッドは里親宅で人体をかたどったチョコレートをつくり、里親に手伝ってもらってどっかへ運ぼうとしてたら実母が突然来てクルマのドアにぶつかり、チョコレートが壊れる、という事件があったんだけど。ありゃなんだったんだ? ヤジッドは何のためにあのチョコ造形をつくったんだ? 実母がダメ女、ということを見せるためだけ、みたいなシーンだけど、意味不明すぎ。
で、ここでずっと修行するのかと思いきや、話がすとーんと飛んで、コートダジュールだったかな、のホテルの準シェフ? になってる。あれま、いつのまに? ところでここのシェフ長は日本人女性なのが面白いんだけど、とくに説明はない。あってもいいと思うけどな。で、ある菓子をつくるように言われて、でも、それをつくらず別のモノをつくるのだ。で、本来それをつくるべき女性シェフがいて、ヤジッドは「食べ比べを」というと、日本人シェフが味見して。女性シェフに「つくり方を習いなさい」なんてことを言うのだよ。ひでー越権行為だろ。いわれたことをせず、他人の仕事を奪う。しかもここで、女性シェフは笑って納得してしまう。おい。喧嘩になってもおかしくないぞ。
さらに、この後、ある菓子が客から「交換」と言われて戻ってきて。では、と日本人女性シェフは同じモノをヤジッドにつくらせたら大うけで。その客がヤジッドに挨拶したい、と呼び出されるのだけれど、この客が誰なのか、後からしか分からない。それも、アバウトにしか分からない。どこそこの権威ある人、なら納得だけど、なんかなあ。
さらにのホテルには、日本人女性シェフの次に偉いのか、鬚の意地悪シェフが登場する。やたら部下にいちゃもんつけたり、難癖をつける。そういう存在が話としていてもいいんだけど、理屈に合わないんだよな。日本人女性シェフが鬚の意地悪を知らないわけはないのに、なにもしない。
で、このホテルの調理場から、世界菓子コンテストのフランス代表にエントリーするのが、ヤジッドと鬚シェフ、てことになる。このコンテストの仕組みが一切説明されないので、突然すぎて、はあ? となる。しかも、あとから5、6人しかエントリーしてないので、よけいに、はあ? だよな。
で、あるとき実の母親が病気が重い、とヤジッドに連絡が来て。ヤジッドは母親のために、日本人女性シェフに「自分の時間をくれ」と断って、母親に送るため(の他にもいくつも同じケーキをつくっていたけど、あのケーキは何だったんだ?)ケーキをつくる。で、それは母親のところに届くんだけど、なんとヤジッドの本来の役割である果物の管理で失敗をしでかす。なんとカビが生えていたのだ。やや。ケーキづくりに忙しくてほっぽらかし? と思ったら、ヤジッドは鬚シェフをぶん殴るんだが。意味不明。鬚シェフがヤジッドを陥れるようなそぶり、なかったけどな。真相は分からず。
で、ヤジッドはクビになって、コートダジュール? でバーテンダーをするけど失敗ばかり。なとき、お客に、ヤジッドの菓子に挨拶したいと言ったジジイがいて。いきなり身の上話。もちろんバーの上司は「こら」というけど、ジジイは「いいから」と上司に言うんだけど、あのジジイは何者なんだ? このあと、どっかでパン屋をやっててどうたらと話すけど、よく分からん。そのジジイにヤジッドは、コンテストにでるために資金援助してくれ。自分が世界一になったら、あんたは世界一の菓子職人を有するパン屋になれる、とかテキトーなことをいうのだよね。ハッタリ屋が。でも、支援してくれたらしく、まずはフランス代表のコンテスト。はっきりいって、経緯はほとんど分からず。なんやしらん、電子レンジを何台も持ち込んでヒューズを飛ばしてしまったことぐらいか。憶えてるのは。まったく、世間知らずもいいとこだな。で、ここで意地悪鬚シェフを出し抜いてフランス代表に選ばれるんだけど、どういう戦いがあったのか、はほとんど描かれない。意地悪鬚シェフのその後、も描かれない。つまんねーの。
で、フランス代表は4人で、他の3人がどういう人物なのか、の説明はなし。で、世界戦は、レオナルド・ダ・ビンチをモチーフにどうのというテーマ設定らしく。ヤジッドは、いきなりでなんなんだけど、氷像をつくることになる。ヤジッドがアートのセンスがあり、立体物も得意、というのはここの伏線、にしては大雑把すぎ。で、打合せでは、鷲の像をつくるはずが、突然、競技途中に天啓なのか、鷲はやめてニケみたいな羽根のある女神にしてしまう。これがなんなのか、どういう意味があるのか、の説明はなし。でも、結局のところ、3位はどこか忘れた、2位は日本(日本国旗はたくさん登場するけど、人物はほとんど映らない。つまんね)で、1位をフランス、で映画は終わる。そして、この話は事実ベースで、ヤジッドは例の支援してくれたジジイの店に所属しつつ、いろいろ監修なんかをしつ生活しているとか何とかクレジットが出るんだけど、インパクトなし。だって、映画がひどすぎるんだもの。
てなわけで、ダメ男が上を目指して、なサクセスストーリーにしてるつもりなんだろうけど、そうはなっていないのが現実。大雑把でテキトーすぎるんだよ。
・ヒロインが登場しないのも、つまらんな。
・そうそう。日本人女性シェフの下で働いてるときの黒人の同僚と仲良くなり、よく星を見るんだけど、星座がみなフライパンに見えるとか何とか。これが原題につながってるのかね。
・その黒人の同僚が言ってたんだけど、ヤジッドはアラブ人らしい。アルジェリア人なのかな? でも、人種問題とか差別的な描き方はされてなかったと思う。
パスト ライブス/再会4/30ル・シネマ 渋谷宮下監督/セリーヌ・ソン脚本/セリーヌ・ソン
アメリカ/韓国映画。原題は“Past Lives”。公式HPのあらすじは「ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソン。ふたりはお互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいたふたりは、オンラインで再会を果たし、お互いを想いながらもすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れる。24年ぶりにやっとめぐり逢えたふたりの再会の7日間。ふたりが選ぶ、運命とは」
Twitterへは「惹句が「アカデミー賞最有力」で作品賞、脚本賞ノミネートなので期待したけど肩すかし。たらればのらくらしてるだけ。ヒロインはいかにも西洋白人が好みそうな顔立ち。男の方は意味なく恋々とし過ぎ。うざ。」
「アカデミー賞最有力」ってあるから、何か刺さる仕掛けでもあるのかな、と思いつつ見たんだけど。まったくなかった。要は、韓国から米国へ12歳のときに移民した女性と、そのまま韓国に居つづけていた男性の、心の、というより生き方のすれ違いな感じだ。あるWebページに「韓国出身で、両親はともに芸術家。12歳のとき、家族とともにカナダのオンタリオ州マーカムに移住する。クイーンズ大学で心理学と哲学を学んだ後、2014年にニューヨークのコロンビア大学で劇作により芸術修士号を取得。」とあるので、ここに登場する女性は監督自身といってもいいと思う。
オープニングは、レストランにいる男女3人。左から東洋人男性、東洋人女性、白人男性。カメラが゜近づいていく。誰かの目線。「あの3人はどういう関係なのかな」とか、別の客の好奇心が聞こえてくる。なんか偏見に満ちた場面だな、と思った。
で、24年前。もともとは2人とも韓国に住んでいた。それが24年前、ノラは両親と姉とともにカナダのトロントに移住することにした。2000年前後のことだから金大中政権の時代で、自由化が進んでいたはず。そんな暮らしにくいはずはないんだが。父親は映画監督で、母親は画家だったかな? で、韓国内でのキャリアを捨てての移民、だったようだ。移民するに当たって名前をどうする? という話をしていて、母と姉妹は、ミッシェルがいいとかなんだとか真面目に話している。結局、主人公の少女はノラを選んだ。母親は、韓国を離れてから彼女を韓国名で呼んだことは一度もない、という。凄いな。愛称としてではなく、実名を変えちゃうのか。韓国憎しなのか、米国ラブなのか知らんけど。日本人はそこまでせんだろ。
12年後。大きくなったらヘソンと結婚する、とまで言っていた12歳の少女はいつしか韓国を忘れ、24歳になっていた。いっぽうのヘソンは未練たらたらなのか、ノラの現在を知ろうとし、ノラの父親で監督業の父親のサイトに書き込みをしていて、それをノラが発見(このときはニューヨークだったか?)。ヘソンのFacebook? を見たら徴兵時代の写真なんかがあって。それでノラから連絡し、zoomみたいのでたびたび話すようになる。
実はこのあたりで飽きてきて、ちょっと目をつむってしまった。熟睡はしてないけど…。
しばらくはもの珍しく話をつづけていたけど、ノラからだったかな? 憶えてないけど、ちょっと距離を置こうとか言うことになって、zoomはやめることになって…。ところでヘソンが学校に行ってるようなことを言ってたけど、徴兵後に大学に戻ったということなのか?
で、ヘソンはいい大学にいて、っていうから延世大学とか高麗大学あたりか。仕事は何してたっけ。まだ在学中か? 忘れた。ノラは、12歳のときくは「ノーベル賞を獲る!」と宣言していたけど、24歳の今はジャーナリズムなのか作家なのか、具体的にはよく分からんけど、「ピューリッツァーを獲る!」と言っている。脳天気な女だ。で、なんか知らん草原にある一戸建てみたいな所に行って、どうたらしてたら白人男性が現れて…。の場面はそのときはなんだ? と思っていたけど、あとあと話「アーティスト招聘で現夫と知り合った」というから、一定期間住まいを提供され、創作活動に専念するようなものだったのかもね。ここは、ちと説明不足だな。
そういえば、この後いつか知らんけどヘソンは渡米しているけど、ノラには知らせず会わなかった、とかなんとか言ってたかな。
で、12年後の現在。ノラは、例の白人と7年前に結婚して、ニューヨークに暮らしている。それが、何がきっかけだったかよく憶えてないけど、ヘソンが渡米してノラと会うことになって…。
しかしこのときのヘソンの恰好が、いかにも田舎のお上りさんで。カッターシャツはスラックスのなかに挟み込んでジジ臭いベルトを見せ、カートを引っぱっている。なんか、韓国人の芋さをバカにしているような描写だな。
自由の女神を見に行ったり、定番の観光をして、最後はノラと亭主の家に行き、亭主に「なに食べる?」と聞かれ、「パスタ」と答えるとレストランへ、な流れで、これまた芋っぽい。数日間の邂逅で、ノラはそんなにヘソンに思い入れはないような感じで対している。むしろ、ノラは亭主が心配するかも、と気にしてる感じ。でも、12歳のときの初恋の相手に嫉妬するとしたら、亭主もどうかしてるだろ。
でも、ヘソンは、なんか未練たらたら。あのまま2人とも韓国にいたら結婚していたかも、とか、僕がアメリカに会いに来ていたら変わったかな? とかいうようなことをくたくた言うのが見ていて気恥ずかしい。。ヘソンは、つき合ってる女性はいるけど、いまは会っていない、という。結婚話が出て、ひとりっ子(自分が、という意味だと思うんだけど)と結婚するなら、男としてもっといい給料をもらわなくちゃならないし…。とか、韓国独自の風俗習慣に囚われている様子がみじめったらしい。いまは劇作家として仕事をしていて、もらうなら「トニー賞!」というように、知的で芸術家として米国で自由に生きるノラと、韓国で地味に、また韓国の風習に縛られつつファッションも芋っぽいヘソンを対照的に描いていて、こりゃ監督の韓国嫌いがにじみ出てるなあと思った。
でまあ、とくに感動もなく、最後は軽く抱きあって別れるんだけど。さっさと吹っ切って亭主のもとに戻るノラと、陰鬱な感じで米国を離れていくタクシーの中のヘソンと。なんにも心はふれ合ってないよな、と思ったのだった。
・簡単に韓国を離れ、名前も捨てるというのは、社会的、政治的な背景が当時(2000年前後)にあったのかな。
・ノラの両親や姉のその後はほとんど出てこない。父親がまだ映画監督しているらしい、ということぐらい? このあたりは物足りない。
・ノラの亭主が言う。「君は韓国語でしか寝言を言わない。だから、何を言ってるのか知りたくて韓国語を勉強した」と。ふーん。そんなものかね。これも監督の実体験なのかも。
・24年後に再会のとき、ノラからヘソンにハグするけど、ヘソンは違和感ありまくりで。え、え? 身体をふれあっていいの? なおそるおそるな感じ。別れるときは、ヘソンとノラは対等にハグ。米国流に慣れたのかな、な感じ。

 
 

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