ミッシング | 7/3 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3 | 監督/吉田恵輔 | 脚本/吉田恵輔 |
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公式HPのあらすじは「とある街で起きた幼女の失踪事件。あらゆる手を尽くすも、見つからないまま3ヶ月が過ぎていた。娘・美羽の帰りを待ち続けるも少しずつ世間の関心が薄れていくことに焦る母・沙織里は、夫・豊との温度差から、夫婦喧嘩が絶えない。唯一取材を続けてくれる地元テレビ局の記者・砂田を頼る日々だった。そんな中、娘の失踪時に沙織里が推しのアイドルのライブに足を運んでいたことが知られると、ネット上で“育児放棄の母”と誹謗中傷の標的となってしまう。世の中に溢れる欺瞞や好奇の目に晒され続けたことで沙織里の言動は次第に過剰になり、いつしかメディアが求める“悲劇の母”を演じてしまうほど、心を失くしていく。一方、砂田には局上層部の意向で視聴率獲得の為に、沙織里や、沙織里の弟・圭吾に対する世間の関心を煽るような取材の指示が下ってしまう。それでも沙織里は「ただただ、娘に会いたい」という一心で、世の中にすがり続ける。その先にある、光に」 Twitterへは「失踪した娘を探す夫婦と、取材してテレビドキュメントとして流す地方マスコミの、妙な関係。報道の話かと思ったら、そうでもなく。人間ドラマというにも大雑把すぎ。石原さとみが過剰に泣き叫ぶのも、ちょっとうんざり。セリフも聞き取りにくいし。」 失踪事件そのものは、ほとんど描かれない。手がかりを求め、夫婦が駅前でビラを撒いたりする様子が何度も描かれる。奇特なことに、地元のテレビ局のあるチームがこの事件を積極的に取材してくれていて、オンエアもされている。沙緒里は、手がかりが薄れていく中、テレビ局の記者・砂田にすがり、是非放送してくれ、と懇願しつづける。一方、夫の豊は冷静で、ビラ配りは行っているけれど、あまり砂田ばかりに頼るな、な所もある。のだけれど、一方で豊は自分が働く漁協から金銭的支援を受けていて、その資金でビラを印刷していたりする。傍から見てると、ビラ配りなんて効果はないだろう、と思うのだけれど、被害者家族にとっては一縷の望みなのかもしれない。とはいえ、そういう感じは、映画からはつたわってこない。むしろ、どんな情報でも、とSNSに目を光らせ、遠くで目撃情報が書き込まれると、夫・豊が、「そんな遠くなんて…」というのを、沙緒里は「あんたは本気で探そうとしてるの!」とかなじって、豊が重い腰を上げるような始末。で、クルマを飛ばして言って見ると、情報提供者は現れず。ウソだと分かっても沙緒里は冷静になれず、ホテルで見かけた同じ年頃の娘に飛びついていったり、騒ぎを起こす。このあたりの母親の必死さが、嘘くさくて見ていてウンザリ。 子供がいなくなった経験はないので想像はできないけれど、あんな風になるものなのか。沙緒里はとくに、映画の最初から最後まで必死の形相で叫びっぱなし。夫・豊の冷静マイペースと比較すると、温度差がありすぎ。女性と男性の違い、を見せようとしているのかね。 沙緒里の弟が、失踪当日に公園で娘を遊ばせていて。娘が1人で帰る、というので帰させた、というのが怪しい、とネットで話題になる。話がよく分からないんだけど、弟の帰宅時間がテレビのインタビューで話した時間と違う、弟のクルマが帰ったのはもっと遅くで、監視カメラが捉えていた、というのがある。だから弟が娘を誘拐したとか殺害したという話にはならないと思うんだけど。なんか、中途半端なミスリードで、緊迫感がない。結局のところ、弟は違法なスマートボールにはまっていて、帰りが遅くなったということで、それを隠すため、だった。しかも、弟の違法行為は警察も把握していて、警察としては弟をとくに調べていなかった。とはいえ、違法賭博で書類送検ぐらいにはなるんじゃなかろうか。で、それをマスコミに流すぐらいはするだろうに。と思うと、このエピソードも、なんかイマイチ。弟はこのこともあって砂田からのインタビューを拒否していたんだけど、なんとなくずるずる引っ張り出され、さらに心証を悪くしたりしている。そのせいもあってか、幼い子供にマスクさせ、連れている男を見張って、逆に不審者として騒がれたりしている。そもそも、マスクしているからとはいえ、自分の姪と他人を間違えるか。なんか、話がトンチンカン。 以降もずっと、手を替え品を替えてはいるけど、最初から最後まで沙緒里があたふたし、豊が面倒くさそうに従い、2人とも落胆するというワンパターンな展開。飽きてくるというより、うっとうしい感じ。電話で、娘が発見されたと連絡が入り、あわてて警察に行くとイタズラ電話で、喜びの後にがっかりで、そこで沙緒里が失禁するという演出は、やりすぎだろ。だれしもがこうなるだろう、ではなく、もう、個人の資質の違いでしかないだろ。 SNSに没入するのも沙緒里の性格で。わずかな手がかりにもすがろうというのはわからんではないけど、夫婦を揶揄する書き込みにも一喜一憂の沙緒里に、豊は「見るな」というんだけど、「見ないではいられない」と反論する沙緒里が、異様にしか見えなくなる。 これと平行して、地元テレビ局の記者・砂田と新米女性記者の話が進む。そもそも、失踪事件など世の中にいくらでもあるのに、この夫婦の事件を取り上げて番組をつくる砂田って、なんなの。テレビ局として、これでは数字は取れないだろう。事件そのものに謎とか、怪しい人物がいるとかなら別だけど(疑惑の弟は、見るからに怪しくない)、新情報もないのに続編をつくるつもりらしい。どういう構成にするのか? 上司も首をひねりつつ、でも、一応許可は得たのか、ビラ配りの様子を撮影したりする。のだけれど、「ビラを渡した後、うなだれてくれますか?」と、ヤラセ的なアドバイスをして、がっかりしている様子を映そうとしたり。砂田も、真摯に夫婦に寄り添うようなことをいいつつ、ドキュメンタリーを演出していくのが嫌らしい。 新米女性記者は添え物な感じで、登場場面は多いけど、ただのドジっ子を演じてるだけ。砂田の方は、後輩記者がスクープを連発してキー局に引き抜かれるのを、心根は明かさないけど、忸怩としてみてる立ち位置。僕は地元に残り、地道に報道を、とかいってるけど、ウソだろ、としか思えない。ドキュメンタリーに演出を加えたりするんだから、色気はあるだろうに。な砂田が沙緒里と対立し、彼女がもう支援は要らない、と離れて行く場面があった。きっかけは忘れちゃったんだけど、沙緒里は、忘れ去られていく事件を取り上げてくれるのはテレビしかない、と再び頭を下げてすり寄っていくんだけどね。なんか、これも、見ていてアホか、な気がしてしまう。マスコミに頼るなんて。彼らにいいように使われ、必要がなくなれば捨てられるだけなのに。 同じような失踪事件があり、沙緒里が、彼女の分のビラを自主的に撒く、ということもあった。こちらはすぐに発見され、その娘の母親がラスト近くに、沙緒里のビラ撒きを手伝うという美談? もあったりするのだが。テレビ局は、こちらの事件とからめて取材しないのかよ、とツッコミを入れたくなる。 沙緒里の娘の支援団体もあるらしく、定期的に集まってビラ撒きの打合せをしていたりする。あそこに集まっている人たちは、誰なんだ? という素朴な疑問。この支援者の集まりに、沙緒里の知り合いらしい妊婦が顔を出していたけど、ありゃ、誰? 進展のない、沙緒里の娘の件。砂田も、もう失踪事件のドキュメンタリーは不要、と上司に言われてしまう。他の事件に追われる記者たち。なんだけど、釣り人が溺死とか、取材の様子がムダにリアルだったりする。 ラストは、夫婦がビラ撒きだったか? でかけるところ。壁の落書きにガラスを通した光が当たり、虹になって、それを通して沙織里が、娘が落書きした家族3人の絵の、娘の頭をなでる、というようなラスト。うーむ。夫婦仲は、離婚するほど悪くないんだから、新たに子どもをつくればいいのに。と思ってしまう。 ・設定は沼津らしい。 ・主要人物ではなく、背景にいるモブが過剰な芝居をする場面が何度もある。蒲原の警察署で奥にいる人物が大声で話してたり、スーパーで客が店員にクレーム付けてたり、商店街で何やら大声でやり合ってる2人がいたり。どういう意味があるのか知れないけど、違和感しか感じない。 | ||||
かくしごと | テアトル新宿 | 7/8 | 監督/関根光才 | 脚本/関根光才 |
公式HPのあらすじは「絵本作家の千紗子は、長年絶縁状態にあった父・孝蔵が認知症を発症したため、渋々田舎に戻る。他人のような父親との同居に辟易する日々を送っていたある日、事故で記憶を失ってしまった少年を助けた千紗子は彼の身体に虐待の痕を見つける。少年を守るため、千紗子は自分が母親だと嘘をつき、一緒に暮らし始めるのだった。 次第に心を通わせ、新しい家族のかたちを育んでいく三人。しかし、その幸せな生活は長くは続かなかった」 Twitterへは「いろいろツッコミどころは多いし、中盤は緊張感なくゆるく長い。のちの急転直下な展開のための地ならしなのかも知れないが、ちょっと退屈だった。あの、かくしごとも、咄嗟にできるもんかあ? 認知の父親は、アナロジーのためだけ? に長々出すぎ。」 役者陣もイマイチだし、あんまり、見たい、という感じではなかったんだけど。テアトルでやってるし・・・。ま、とりあえず。 千紗子が実家に7年ぶりに戻り、認知症の父親と再会。作家でもやっているのか、本拠地は東京で、なので、さっさと介護認定を取得し、どっかの施設に押し込めれば、な感じでいるようだ。しかし、この前提が、いまいちピンとこない。子供ができて結婚、の過去を責められたようだけど、ああまで父親を忌避するものか。死んだ母親との関係も、いまいちピンとこず。で、地元の、役所に勤めている旧友と飲み、代行が遅いので、旧友は「ビール2杯で飲んでるうちに入らない」と帰る途中に、人をはねてしまう。まあ、そうなる予感はしたけど。千紗子は救急車を呼ぼうとするけど、旧友はシングルマザーでバレたら家庭崩壊だとうろたえ、やめてくれ、という。このあたり、人間の闇をあっさりと描きすぎて不気味。で、はねた相手の少年を千紗子の家に連れて行き、衣服をはがすと事故の打撲ではないらしい傷が全身にある。そのうち子供も気がつき、事故の影響がなさそうなので旧友は帰宅し、千紗子が添い寝して…。な千紗子も、事の重大性を認識してなさ過ぎて怖い。 千紗子が子供に名前を聞くが、覚えていない、という。これ、この話のキモなんだけど、実はこの子供、記憶喪失ではなく、たんに装っていただけ、とラストで分かる。すなわち、少年が、義父の家庭内暴力から逃げ出すチャンス、とその場で考えての判断だった、ということになるんだけど、ええええ? そんなことを、いくらなんでも8歳だか9歳の子供にできるかあ? と考えると、この話が俄然嘘くさくなっていく。 とはいえ、観客はその事実を知らないで見つづける。題名の『かくしごと』については、もしかして、父親の認知症はウソで、フリをしていただけなのかも、と思っていたので、ラストの展開はびっくりしたのが事実。 で、翌日、テレビのニュースが、キャンプに来ていた家族のうち、少年が1人行方不明になっている、と報じている。これだ。しかし、千紗子は動じない。フツー、逡巡するだろ。こりゃすぐに見つかってしまう、と。画面では少年の雁首は出てなかったけど、フツーは紹介するはず。新聞にも載るだろう。とすると、もし近所の人が千紗子の家にいる少年を見たら、気がつくだろ、と思うのが一般的な心情だ。なのに、千紗子はクルマに乗って買い物だったか病院だったかに、平気で出かけ、途中で事故現場の近くを通り、救出作業している地元の消防かなんかに止められ、話を聞かされても、知らないフリをする。フツー、動揺するだろ。こりゃすぐに見つかるだろう、と。まあ、この時点で千紗子は子供を両親に返さず、自分の子供として育てよう、としていたんだろうけど。しかし、そんなことが容易にいくはずもないのは分かると思うんだけど、話の都合上、そういうのはすっ飛ばしてしまう。違和感ありすぎ。 その後、千紗子は思いを旧友に打ち明け、共犯関係に。で、千紗子はひとりで子供の実家=安アパートを訪問。被害者の会を装い、一時金が出るからどうの、と様子伺いに行くんだけど、なんと図太い。子供の家族は、実母と義父、実母と義父の間にできた娘がいるらしく、義父は連れ子を疎んで暴力を振るっていたようだ。一家も、子供の捜索中に帰宅してしまっていたり、絵に描いたようなDV家庭だな。 以後は、子供を誘拐した話が転がらないので、正直いって退屈。 小便やウンコ垂れる父のボケ具合を描かれても、誘拐話とは関係ないので、ああそうですか、としか思えない。父の旧友である地元の医師が絡んでくるのは、ちょっとアクセントになるけど、本質には関係ない。なぜか父親は仏像彫りばかりしてるけど、あれは贖罪の意味でもあるのか? 粘土もこねてるけど、焼き物をするようでもない。まあ、子供との交流に一役買っている程度か。裏にトマトをつくってるようだけど、畑作はボケてもできるのか? と疑問が湧いたり。釣りが好きだという医師と、みんなそろって渓流釣りに行ったり。緊張感もなにもない。これが30分以上つづくのだから、飽きてくる。 というところに子供の義父が突然訪れて。「子供を誘拐してたのか。1億円で売ってやる」とかいいつつ千紗子に暴力を振るい始めて、話が久しぶりに展開。千紗子が作家紹介で何かの雑誌に出たのを実母が見て、それで発覚し、義父がやってきたようだ。ボケた父親が義父を刺そうとするが失敗。と思ったら、ナイフを手にした子供が義父を背中から刺してしまう。倒れる義父。千紗子はナイフを手に取り、心臓へブスリと、とどめ。おうおう。どうなるんだ。こんどは義父の死体処理か? と思ったらさにあらず。一転して法廷で、驚いた。なんだ。ちゃんと殺人罪として逮捕、告訴されてるのか。でも、その経緯はざっくり省かれてるので分からんのだが。 千紗子は自分が刺殺した、と証言する。もちろん子供の誘拐も発覚しているのだろう。というところに、子供が自ら証言したいということで証言台へ。ここで弁護士だか検察官だかどっちか忘れたけど、名前は? と聞くのだけれど子供はそれに応えず「僕が刺しました」というのだ。で、名前を再度問われ、千紗子の付けた“たくみ”ではなく、もともとの本名を自覚していたと述べる。驚愕の顔の千紗子。で、映画は終わる。 子供は記憶喪失のフリをした、というのだ。これは驚きだけど、やっぱ、あり得なさ過ぎるから素直にストンと腹に落ちないラストだった。 まあ、ずいぶん長い間のだらだら話も、この急転直下の展開を効果的に見せるため、だったのかもしれない。それなりに意外性はあったけど、それだけなんだよな。 という話なんだけど、自分の生活を優先して事故を隠蔽した旧友、そして、子供を自分のモノにしようとした千紗子。千紗子はボケた父親を捨てようともしていた。というような部分をさらりと流してしまいすぎなのではないのかな。 ・たくみ、と千紗子は自分の書いた作品中の名前で子供を呼ぶ。かつて千紗子は息子を水難事故で亡くし、離婚に至っているので、子供が欲しかったのかもしれないけど、することが単純すぎる。 ・千紗子は、実子が溺死したことを医師に話すんだけど、これも不用意すぎないか? 医師は、じゃあこの子は弟か、と勝手に解釈してくれたからいいけど。年齢とか、溺死の時期とかで食い違いがでないとも限らないし。 ・ところで、旧友が子供を撥ねた、ということは発覚したのか? それが分からないのでもやもやする。 ・千紗子の父親は施設に入れたのか? 費用はどうしたのかね。 | ||||
WALK UP | 7/9 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ホン・サンス | 脚本/ホン・サンス |
原題は「塔」というような意味らしい。公式HPのあらすじは「映画監督のビョンスは、インテリア関係の仕事を志望する娘のジョンスと一緒に、インテリアデザイナーとして活躍する旧友ヘオクの所有するアパートを訪れる。そのアパートは1階がレストラン、2階が料理教室、3階が賃貸住宅、4階が芸術家向けのアトリエ、地下がヘオクの作業場になっている。3人は和やかに語り合い、ワインを酌み交わすが、仕事の連絡が入りビョンスはその場を離れる。ビョンスが戻ってくると、そこには娘のジョンスの姿はなく…。」 Twitterへは「少し寝た。つまらんし、分かりにくい。監督はホン・サンス。毎度おなじみどうでもいいだらだら話は、まあいい。問題は、時制が意味なく分解され大胆につながれているので、なにがなにやら。ここまでやられると、勝手にやってろ、な気分になってくる。」「いちばん嫌だったのは、主人公の監督が、食べるときくちゃくちゃ音を立てることだった。気持ち悪すぎる。」 ↑のあらすじを見て、階の様子については、そうだった、というのと、そうだったのか、という気持ちが半々だな。ビョンスと娘が最初に訪問し、座ったテーブルは、どこだったのか分からなかったんだけど。あれは、1階のレストランなのか? でも、ワインをちょっと飲んだだけで、食事はしてないよな。で、ジュールという男は、レストラン店主なのか? 2階は、上がるときに覗いてたけど不在。だったけど、この料理教室のオーナーは? これが、後に登場する、そして、後々、監督といい仲になるソニの借りている場所? では、ソニはどこか別の所に住んでいるのか? 3階は賃貸か。ここの住人、登場してたっけ? こちらが寝てるときに出てきてたのかな? で、屋根裏の4階は、黙って入ったところだな。部屋代遅延がつづいて、そのうち退去して済州島にいくらしい、とかいう人が住んでいる。でも、この住人も、登場してなかったよな。 で。ヘオクはビョンスと娘と3人で語らう。ヘオクはジュールにワインを頼む。「高いのじゃなくて、気軽に飲めるやつ」という言い方が気になった。ヘオクが尊敬してるらしい監督に、安いワイン? クルマできてるから1杯だけ、と監督。ギターを奏でる監督。3人で飲んでると監督に電話で、用ができたから30分か1時間、人と会ってくる、と消える。の後のヘオクと娘の場面は、ありゃ、最初の部屋じゃないよな。ヘオクの作業場? に移ったのか? 娘は、ヘオクの所で働きたいと懇願する。けど、はっきりとは返事しないヘオク。なんか、考え方の相違があるような会話だったな。ワインの瓶が2本あって、でも、空になったからと、娘が近くのコンビニに買いに行く。 だいぶ時間が経って監督が戻ってくる。クルマは置いてきて、電車と歩きできた、という。はあ? どこへクルマを置いてきたんだよ。そのままレストランの女性店長のソニがまじって3人で話している。で、この場所はどこなのだ? ソニの料理教室か? それにしても、娘はどこまで買い物に行ったのか。帰ってこないな。途中からうつらうつらしてしまった。だって、どうでもいいような会話しかしてないから。 気づいたら、監督がひとり屋上にいる場面で。次に、玄関に新しいミニが到着。ソニ? が降りてきて。白い部屋に入ると監督がいて。はあ? いつのまにか監督は屋根裏部屋に越してきていて、ソニといい仲になってるのか? ソニは、昔喧嘩した旧友に会いに行くとかいって、監督とちょっとした言い合いになるけど、問題なく出かけていく。かと思うと、ソニと監督の食事の場面になったり。ソニは、「部屋代の値上げを言われた。客も来ないのに」「どっかいくか? 福岡でも」とか監督が言ってるけど。これはコロナ期で客が減ってるときのことなのかね。しかし、なぜこの時期ヘオクはそんなことを言いだしたんだ? やな女なのか、ヘオクは。と思ったら監督がひとりベッドに寝転び「1人の生活がいい」とつぶやいていると、前の住人らしい声で「済州島に行く」とかなんとか話し合ってるのが聞こえる。これは幻聴なのか、夢なのか。かと思ったら、荷物を持ったオバサンがやってきて、どうも監督といい仲らしい。あれ? ソニはどうしたの? 別れたのか?「しようよ」「好きねえ」とかいってるから速攻でまぐわったのか。その後、屋上でオバサンと焼肉、朝鮮人参とか、べたべたしながら食べてる。と、ヘオクが監督の家のベルを鳴らすが、なかなか出ない。やっとでてきた監督は、オバサンと焼肉中だったらしい。ヘオクは、渡すものがある、と、間違って開けた、という監督宛の手紙を持ってきている。まあ、故意に見て、間違った、といってるだけだろう。手紙は、別居中なのか離婚後なのか、な妻が加入している保険か何かに関するものらしい。この覗き見趣味は、最初の方で「監督なら部屋代無料でもいいわよ」なんて言っていたヘオクと同一人物とは思えない。横の出入り口から帰っていくオバサン。と思ったら、家の前に監督がいて、旧式のミニがやってくると、1階のジュールが降りてきて、クルマを貸していたのか。キーを監督に渡す。なんのこっちゃ。と思ったら、娘がレジ袋を下げてやってきて、コンビニで時間がかかっちゃったという。ワインを買ってきたらしい。あれ? 冒頭の、監督である父親と2人でヘオクを訪ねてきて、監督が外出したあと、娘とヘオクが話しているとワインがなくなり、娘が買いに行ったけど戻ってこなかった話と、ここでつながるのか? なんなんだよ。 な感じの得体の知れない話で。しかも時制がブツ切れ。どの階のどの部屋なのか、場所もつながりが薄い。なので見ていて話に入り込めない。これで会話が面白けりゃいいんだけど、そうでもない。まあ、寝ちゃうのもしょうがないだろ。 ・相変わらずのモノクロ映画。 | ||||
破局 | 7/12 | シネマ ブルースタジオ | 監督/ピエール・エテッックス、ジャン=クロード・カリエール | 脚本/ピエール・エテッックス、ジャン=クロード・カリエール |
原題は“Rupture”。公式HPのあらすじは「恋人から手紙を受け取った男。中には破かれた自分の写真が同封されていた!こちらも負けじと別れの手紙を書こうと奮闘するが、万年筆、インク、便箋、切手、デスク…なぜか翻弄されてどうしても返事を書くことができない。ジャック・タチの縁で出会ったエテックス×カリエールによる初の短編作。」 1961年製作、モノクロ、12分。 なぜか急ぎ足で街を移動する紳士風のオッサン。帰宅して手紙を受け取り、部屋に行くと大半の手紙はさっさとゴミ箱。目当ての封書を開けると、オッサンの顔写真が破かれて、どーやら断りの内容らしい。しかし、好きだ、と告白するのに自分の写真を同封して送るって、どういう出会いなんだ。ほとんど知らない相手に写真同封で、つき合って、っていってるのか? むかしはそういうお付き合いのやり方があったのかね。で、反論を書くためなのかデスクに座ってペンを…。からのペン先がうまく刺さらないとか、万年筆も壊れてインクがこぼれるとか、便箋がどうとか。で、何とか書いたのか、相手の写真も破って封筒に入れ、こんどは切手と格闘し、ネクタイを挟んで封を閉じてしまったり。あげく、ロッキンチェアに座ったら揺れすぎて窓から落ちてしまう、というだけの話。なんだけど、芸が細かくてなかなか面白い。 監督は自ら主演で。わりと無表情。キートンとまでは行かないけど。スラップステックというより本人がドジで、自らどんどん状況を悪くしていってる感じ。 | ||||
恋する男 | 7/12 | シネマ ブルースタジオ | 監督/ピエール・エテッックス | 脚本/ジャン=クロード・カリエール |
原題は“Le soupirant”。公式HPのあらすじは「天文学の研究に没頭してばかりの引きこもりの三十男。ある日両親に結婚を命じられ、伴侶となる女性を探しに街に繰り出すが、トホホな出来事の連続。しまいには、テレビに映るスーパースターの歌手・ステラに心を奪われてしまい、なんとかして彼女と結婚するために奔走する…。」 Twitterへは「監督・主演ピエール・エテックス。知らなかったよこんな人。ドタバタ喜劇ではなくトタハタな感じで、ときどきずっこける。物語もちゃんとしてる。12分の短編『破局』が併映でシンプルに面白かったけど、こちらの84分は、ちと長いかなと感じた。」 1962年製作、モノクロ、84分。初長編。 結構な豪邸ずまいな一家。両親はもう歳で、でも息子が天文学に夢中なのか、女性には興味がない様子。どこどこの息子は嫁をもらったのに、とか愚痴ってる。不思議なのは、家にイルケという北欧系の若い娘が同居してること。なんの説明もないんだけど、まだフランス語は話せず、居候? なにかの縁で預かってるのか? あらすじにあるような、結婚を命じられたような感じではないんだが。とにかく街に出て若い女性を見ると追跡したりそばに寄ってみたりカフェに行って見たり。いろいろしてみるが上手く行かない。当たり前だろ。ときには、家にいるイルケに「結婚しよう」というんだけど、フランス語が分からない彼女は、ぽかん。 社交バーみたいなところに行くと、他の客は上手くやってる。ある客が、女性客の伝票を代わりに払ってやってるので、自分も真似して、ある女性客と知り合う。けどこの女が大食漢でシャンペンを使いしてベロベロ。もういいや、な感じで離れようとすると、近くに住んでいるならクルマでと、彼女の運転で彼女の家まで戻るんだけど、あんなんでよく運転できたもんだ。エレベーターを待つ間に倒れてしまい、なんとか支えて乗り込むけれど、彼女は降りずに自分だけ降りてカゴが下に…。とか、エレベーダーのドタバタはよくある手法? なんとか部屋の中に押し込んで、サヨウナラ。の様子を、同じアパートのオッサンが見てて…。 そしたら翌日か。件の女性が息子の忘れた靴をもってきてくれて。でも、息子は女性に会いたくない。ので窓からでると、そこに女性が! というわけで女性とクルマで公園に行き、かくれんぼしたり。女性の家にも行って。するとテレビがあって。これがむかしの感じの豪華な扉があってなのが面白い。で、映された歌手ステラに息子は一目惚れしてしまう。女性は息子に関心があり、ベタベタしたり踊り子の衣装で迫ろうとするんだけど、息子は関心なし。っていう設定が、なんだかな。女性と付き合えるチャンスがやってきてるのに。好みじゃないのか? もったいない、と思っちゃうけどな。息子にも好みがある、ということか。 一転、息子の部屋はステラの写真だらけ。アイドルオタクだな、いまでいう。公演にも行き、バックステージから楽屋にもなんとか潜入するんだが、「ステラさんと御話がしたい」とそこにいた青年に言うと、彼は「ママ、話があるって」という。げ。こんな大きな子供がいるのかよ。で、夢から覚めるんだが。 の間に、イルケは少しフランス語が上達し、息子が言っていた「結婚しよう」の意味もやっとわかる。のだけれど、なぜかイルケは滞在期間が終わって帰国することに。家に戻った息子は、イルケが駅に向かったことを聞かされ、急いで駅へ。去りゆく列車。ああ、遅かったか。と思ったらまだホームにいて、でも、息子はの持つカートの上に載っていたせいでどんどん離れて行ってしまう。とかいうところでオシマイ。 この話に、『破局』にあったような細かなギャグがてんこ盛り。どこかチャップリン風でもありキートン風でもあり、なオトボケ、ずっこけギャグ。 イルケがなぜあの家にいたのか。なぜ息子はイルケに「結婚しよう」といったのか。少しは気があったのか? そのあたりの説明がないのが、惜しい感じ。もっと、幸せは身近にあるのに気がつかず、な『青い鳥』的な話にすりゃあよかったのに。とも、ちょっと思う。 要は、息子はいまでいうオタクで。いたんだな、かつてのフランスにも。それで両親は頭を悩ませている。でみの両親がまた、おかしい。父親は恐妻家で、飲酒や喫煙を禁じられているのか。家の中で工夫して酒を飲んだり煙草を吸ったりしている。その涙ぐましい努力もギャグにしちゃってる。 このコメディのズレは、主人公の外見がなかなかダンディで知的な人間に見えること。チャップリンのような落ちこぼれでもなく、キートンのように何を考えているか分からん異様さがない。身なりのきちんとしたオタクなんだよな。そのせいか、ドタバタにはなっていなくて。といって深みのある笑いでもなく。やってることはバカでトンマなんだよな。変なコメディ。 | ||||
大いなる不在 | 7/16 | テアトル新宿 | 監督/近浦啓 | 脚本/近浦啓 |
公式HPのあらすじは「小さいころに自分と母を捨てた父が、警察に捕まった。連絡を受けた卓が、妻の夕希と共に久々に九州の父の元を訪ねると、父は認知症で別人のようであり、父が再婚した義母は行方不明になっていた。卓は、父と義母の生活を調べ始めるが…。父と義母の間に何があったのか?すべての謎が紐解かれた時、大海のような人生の深みに心が揺さぶられる、サスペンス・ヒューマンドラマ。」 Twitterへは「冒頭から、なんのことやら。意味なく時制を分解してるのでムダに疲れる。おいおい概略分かってきて、時制を整えてみても、整合性がいまいちだったりするし。手紙の文面は、だからなに、的な感じで頭に響かんし。美化したって認知症には変わらんだろ。」 長らく会っていなかった父親が認知症になり、その整理のために芝居の稽古の途中で父のいる北九州に、妻とともに赴いた息子の話である。父親はすでに介護施設に入所していて、でも、同居しているはずの義母は見当たらない。家に残っていたのは、かつて義母がつけていた日記で、なかには父親の恋文も貼り付けてある。息子は義母にその日記を渡そうとするが、結局見つからず。父親は義母への思いが肥大していく…。な、よく分からない話。 時制が入り組んでいるのと、時間経過がよく分からんのと、場所的な位置関係もよく分からんので、こんがらがってしまう。まあ、時と場所を超えた老夫婦の思いでも描こうとしたのか。バラバラに提示される映像を、頭の中で再構築しようとしつつ見たんだけど、これがつながらないところがあって。つじつま合わねえだろ、と、イライラするばかり。どーでもいいささいなことを、さもいわくありげに描こうとしているだけな感じもする。それに、いくらベタベタな恋で結ばれたとしても、30年もたてば飽きるだろうに。いまだに好きだ好きだいってる老人夫婦が気持ち悪い。 ・陽二が事件騒ぎを起こして、それで卓と妻が九州の父の家に向かった、んだよな(同行の女性は卓の姉? と思っていたんだけど、中盤で妻とやっと分かったよ。妻役の真木よう子は、なんか顔がむくんでるように見えた。もう42歳らしいからな。ついでに調べたら、夫である卓役の森山未來は39歳か…)。事件騒ぎ以降の流れは具体的に描かれてないけど、卓が息子だということで連絡が行ったようだ。では、施設入所までの世話は、誰がしたんだ? 入居費用はだれが出したんだ? 卓に連絡をとったのは、誰? 陽二が話した? 陽二はそれを期待したのか? 30年近くも会ってなかったのに。義母は、行方不明だから、違うよな。 ・施設での面談は、卓と妻と、施設の人だけ、なのか? そういう段階で、何年会っていなかったんだ? とか、延命治療はどうするか、なんて訊かれるものなのか? 女性が卓に「御父様が離さず持っていたカバンです」と卓に渡すんだが。そんなに陽二が大切にしていたなら、入居する陽二に管理させればいいんじゃないのか? それに、中味についても、警察が改めているはずで、ラストで、その多くは写真立てとかどうでもいいものであるのが分かる。だったら、ミステリアスに見せる必要なんかないだろ。 ・ずっと会っていなかったという陽二と卓。施設の人には30年近く会ってない、と応えていた。けど、その直後の場面で、陽二の家で卓は一緒に食事をして居るではないか。直美は、「おひたしも」なんて給仕してる。この場面は、なんなんだ? 幻想なのか? ついでにいうと、エンドロールは登場順だけど、直美の原日出子はずっと下の方に出てきて、この3人で食事の場面には出てない扱いになってる。 ・ずっと会っていない、といいつつ、どっかのレストランで卓は妻を陽二に紹介する場面がある。これはなんなんだ? 食事の後には陽二の恩師の追悼会にも番外な感じで出席していた。どういう因果で出席したんだ? 意味不明だ。 ・恩師の会は東京あるいはどこかの都会で開催されていたから、陽二の通った大学もそこだったんだよな。でも、勤めていた大学は北九州? 鈴本というのは、地元の大学のようだったし。ちなみに理系の専攻だったようだ。にしては、古本屋で社会科学の本を漁っていたのはなんなんだ? ・父・陽二の教え子? の鈴本というのが地元の大学にいて。鈴本から講演の依頼を受けていた、らしい。だが陽二は、乱れた文字で断りの手紙を書いていた。卓は陽二の家でこの手紙を発見。これをもって鈴本に会いに行く。すると、依頼したのは2ヵ月ほど前で、断りの連絡を5日ほど前に直美からもらっていた、と、たしか話していたよな…。ところで、直美は、時期は分からないが心筋梗塞みたいな感じで倒れ、入院したようだ。その後、直美の妹が陽二の世話をするようになった、んだよな。でも、鈴本への手紙を卓が見つけたのは陽二が事件騒ぎで逮捕され施設に入居した後だ。ということは、事件騒ぎの直前まで直美は陽二と一緒に暮らしていたっていうことになるのでは? なんか、時間の流れがよく分からんのだよな。 ・ひと段落して、東京に戻ることになる卓と妻。卓は母の墓参ということで、位牌堂に妻を連れて行く。あらすじでは、陽二は妻と子供を捨てた、と書いているけど、映画の中では陽二と直美の純愛らしいのだけが語られる。どうやら陽二が結婚する前に、直美が好きだったけど、思い叶わず、な感じ。理由は分からず。で、妻というか卓の母親は亡くなっているんだけど、死別なのか、離婚して後に別れたのかも分からず。陽二が捨てた、のなら死別でも離婚でもないのかも知れない。離婚はできず、陽二と直美は事実上の夫婦関係、なのかもしれない。卓の母親は、夫との別離後に亡くなった、ということか。で、北九州に住みつづけた。では、卓はいつ上京したのだろう? 位牌堂は地元北九州にあるが、墓石ではなく位牌の管理を寺に頼んだのか。費用は卓が出しているのか? 妻はこれまで卓の母を参ったことはなかった、ということなのか。いろいろもやもやする。 ・ラスト近く。さまよう義母、父、卓が画面に交互に映るけど、それぞれ時制は違うはず。時を超え、場所を超え、陽二と直美の心はつながってる、とでもいいたいのか? な場面は面白いけど、混乱を招くだけ、な感じもするな。いや、もしかして、この映画全体のカットつなぎが、同様の時制まぜこぜの流れで描かれているのか? このシーンだったか、直美が突堤から海の方へ歩いて行くんだが。これは入水の暗示か? でも、直美が死んでいるとしたら、介護施設の入所時に分かるんじゃないのかね。なので、直美は死んではいないのか。 ・卓は、帰京する前に施設を訪ねる。コロナのせいか面接はできず、だったけど。職員に、陽二の「延命治療してください」と頼むんだが、とくに紙面での依頼書とかサインは要らんのか? 気になる。 ・ラスト。家に陽二と直美がいて。直美が外出するのか、陽二がクルマの鍵を渡す。もう自分じゃ運転できない、と分かっているんだろう。出かける直美。陽二はカバンに写真立てとか突っ込んで、背広? 喪服? を着る。それから、どこかに電話しようとして110番にかかってしまう。「事件ですか?」と問われ「事件です」と答える。この結果、機動隊がやってきた、という流れなんだが。まず警察は名前、住所、事件内容とか聞くよな。あの状態で、陽二はどう話して機動隊が来たのだ? それに、事件騒ぎの日、直美は一緒にいた、んだよな? 違うのか? あれは陽二の幻想なのか? ・直美の弟も変な感じだ。帰省して荷物整理しているとやってきて、卓に「母の入院費をなんとかしてくれ」という。陽二の家をずっと監視してたのか? 後に、弟の言う、直美の入院先の病院を訪ねると、そんな人は入院していない、と言われる。のちに弟にそういうと、「すぐに退院したんだ」とか、もごもごいう。直美の居所も言わない。あげく、「家を売って金をつくれば入院費ぐらい出るだろ」と捨て台詞。なんなんだ、直美の弟は。ここで気になるのは、陽二と直美が正式に結婚しているのかどうか、なんだよな。陽二の妻が死んだ後、入籍したのか? であれば、陽二の遺産は卓と直美で折半、になるのかな。もし弟が直美の世話をしているなら、その半分を請求してもいいと思うんだが、そうはしなかった。結局金なのか? なんなのか、よく分からん直美の弟だ。 ・卓は直美の妹を訪れる。住所はどうやって知ったのか。家の整理をしていて、連絡先があったのか。妹は、「直美には会えない」の一点張り。これまた、よく分からない。そういえば、直美が倒れた後、妹が陽二の介護をしていて、そのとき陽二が妹に性的関心を示す場面がある。これは、認知症で自分を忘れ、欲望のままに行動したということか? ・妹が陽二に襲われた(足をくじいた程度で終わったけど)後なのか? 直美と妹が会話するシーンがある。この場面など、何のことやら、なんだよな。妹が姉・直美に、「陽二に襲われかけた」と話したら、たぶん直美はショックを受けるだろうと思うのだけれど、そんな感じはなかった。妹は、あの変な弟にも襲われかけたことは話しているのだから、姉・直美似言わないわけがない。と、考えると、この姉妹の場面はいつのことなのか、さらに困惑する。・陽二はハムを愛好していたようで、通信機器が自宅にあった。でも、通信していた様子は描かれない。この、無線好きという設定は、どこにもまったく活かされておらんよな。 | ||||
SCRAPPER/スクラッパー | 7/18 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/シャーロット・リーガン | 脚本/シャーロット・リーガン |
原題は“Scrapper”。“スクラップ(解体)業者、解体作業員”というような意味らしい。公式HPのあらすじは「母との思い出が詰まった居場所を守るため、アパートで独り暮らしをしているジョージー。生前に母からもらった大切なユニフォームをさながら戦闘着のごとく身にまとい、大人顔負けの話術と図太さで近隣住人やソーシャルワーカーの介入や詮索をかわし、親友のアリと自転車を盗み日銭を稼ぎながらたくましく生き抜いていた。そんな彼女のもとにある日突然、父だと名乗る金髪の男ジェイソンが現れる。母を捨てて育児から逃げた父を許せず、拒絶するジョージー。信頼関係ゼロのふたりが見つけたものとは……。」 Twitterへは「母を亡くし、サバイバルに1人暮らしてる12歳の娘のところに、自分を捨てたオヤジ、といっても30ぐらい、がひょっこりやってきて。チンピラ凸凹父子の暮らしが始まる。だけどとくに事件も起こらず、だらだらなのでドラマ的にはイマイチ。」 監督のシャーロット・リーガンは1994年生まれの女性監督のようだ。そういえば、つくりが、というか、視線が女性っぽかったな。製作時に29歳というのもあるのかもしれない。 掃除好きなのか、まいにち掃除機で床をキレイにしている。飯も、自分でまかなっている、のか? にしても、12歳でひとり暮らししって、非現実的すぎるわけだけど、それを観客に納得させる上手いウソがつけないと、ムリだよね。たとえば児童保護局みたいなところから誰もやって来ないのは、おかしいだろ。それぐらい把握するのはフツーだし、近所の住人や、同級生の親、教師だって分かっているはず。なのに、だれもやって来ない。むしろ、やってくるけどうまく逃げている、という設定の方が納得しやすいだろ。母親を亡くしているのだから、もっと落ち込んでていいはず。なのに、明るく毎日暮らし、親友のアラブ人っぽいアリと自転車泥棒し、稼いでいる。とはいっても、そんなんで電気ガス水道部屋代食費、その他賄うのはムリだろ。ここも、母親の残した100万円ぐらいの金があるとか、ウソをついて欲しいよね。 てなところに突然、父親登場。でも、ジョージーは記憶がないせいか、とくに感動もない。一方の父親も、出ていったけれど突然戻ってきたのは、なんでなの? な説得力がない。で、チンピラのままの父親と自転車泥棒。って、父親も成長していなければ、ジョージーも変わり映えしない。なんだかな。な感じのだらだらが延々続いて。その日も自転車泥棒しようとしてたら警官に見つかって追われ、トンズラ駆けっこしてる間にジョージーは、母親の映像が残っている大切なスマホを落としてしまう。そのスマホを探してるところを近所の女の子に「何探してるの?」と問われ、腹立ち紛れに殴ってしまうという…。ただの暴力娘かよ。 で、ラストはどうなったんだっけか。すっかり忘れているので、検索したら、母親が父親に、自分は余命わずかだから帰ってきて、とボイスメールをよこしていて、それを父親がジョージーに聞かせる、のだった。ああ、そうだった。と思い出しはしたけど、だからどうしたな話で。それでなにも解決してはいない。で、父親はどうしたんだっけ。ずっと一緒に住むんだっけか? またいなくなっちゃったんだっけか? 覚えてないよ。 そういえば、父親はそんなに遠くに行っていたわけではなく、母親とも連絡はとっていたらしい。じゃ、2人の関係はなんだったんだよ。別の女と暮らしていた、わけではないのか。ドラッグ生活をしていたような感じもないし。ダメ親父と言いつつ、のほほん、ないい加減な父親程度、なのか? いまいち話が甘いよな。 ・ジョージーは時々、どっかのオジサン(?)に定期的に状況報告みたいのをしてるようだけど、あれは誰なんだ? ・会話の途中で、話題になったことが、ひゅーっ、ってイメージ化されたり。テンポ良く過去がインサートされたり。『トレインスポッティング』とか『ハイ・フィデリティ』みたいなタッチがときどき。 ・第三者がジョージーのことを話す場面が時々インサートされる。黒人の三つ子とか、同級生らしい女の子たち、教師、故買屋のお姉さん、その他がジョージーについてインタビューに応えるような感じで。 ・↑のような遊びは面白いんだけど、有機的に機能していないので、全体のタッチには影響していない。もっと、不思議感を出せばいいのに。・隣のホームの男女の会話をアテレコしてて、それに気がつかれて「俺たちで遊ぶな!」と怒鳴られたりしていたけど、そんな声が隣のホームまで聞こえるものかいな。 ・アリは、途中で出番がなくなるのは、家族とどっかへ旅行に行っちまったからか。終わりの方で帰ってきて、また仲よく遊んでたような記憶。・母親の映像が残ったジョージーのスマホ。最後にひょっこり出てきて、手元に戻るかな、と思ったらそんなこともなくて、ちぇっ、つまんねえの。もう、母親は吹っ切れちゃったのかよ。 | ||||
ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ | 7/23 | ル・シネマ 渋谷宮下 | 監督/アレクサンダー・ペイン | 脚本/デヴィッド・ヘミングソン |
原題は“The Holdovers”。公式HPのあらすじは「1970年冬、ボストン近郊にある全寮制のバートン校。クリスマス休暇で生徒と教師のほぼ大半が家族と過ごすなか、生真面目で融通が利かず、生徒からも教師仲間からも嫌われている考古学の教師ハナムは、家に帰れない生徒たちの“子守役”を任命される。学校に残ったのは、勉強はできるが家族関係が複雑なアンガス・タリー。食事を用意してくれるのは寮の料理長メアリー・ラム。メアリーは一人息子のカーティスをベトナムで亡くしたばかり。息子と最後に過ごした学校で年を越そうとしている。クリスマスの夜。「ボストンへ行きたい。スケートしたり、本物のツリーが見たい」と言い出すアンガス。はじめは反対していたハナム先生だが、メアリーに説得され「社会科見学」としてボストン行きを承諾する。ボストン、考古博物館にて。「今の時代や自分を理解したいなら、過去から始めるべきだよ。 歴史は過去を学ぶだけでなく、いまを説明すること」アンガスはハナム先生の言葉を真剣に聞き入る。「とてもわかりやすい。授業でも怒鳴らずそう教えてよ」古本市、ボーリング場、映画館…ボストンを楽しむふたり。しかし、実はアンガスがボストンに来たのには、ある目的があった。ハナム先生も二度と会うはずのなかった大学時代の同級生と偶然出会う。お互いに誰にも言っていない秘密が明かされていく…。」 Twitterへは「寄宿学校。クリスマスを家族と過ごせない生徒たち…。最初のうち地味すぎ、テンポよくない、と思ったけど、3人になってからじわじわ沁みてくる。冒頭の映画会社のロゴや色調なども1970年を意識しててこれもなかなか。」「設定とかキャラとか、ライ麦畑を思い浮かべてしまった。生徒だけでなく、先生の屈折してるところも含めて。」 Universalのむかしのロゴがでて、Miramaxのロゴが、これは新しいのがでる。音声にもノイズが乗ってて。色調とかテイストもむかしの映画そのまんまな感じ。え? リバイバル? いやでも主演のポール・ジアマッティは現在の顔だよな。とか、戸惑いつつ見た。設定が1970年のクリスマスだから、その時代を全面に感じさせようという魂胆か。 寄宿学校でクリスマスを過ごすことになった意地悪な教師と、賄いのおばちゃん、生徒4人の話なんだけど、途中で生徒3人が抜けて、生徒が1人になってしまう。この映画の本題は、そっから、だな。 試験に落ちそうな生徒アンガス。誰もいないグラウンド、スケート場、ボウリング、なんていうところは、『ライ麦畑で捕まえて』だよな。でも、ライ麦のホールデンを思わせるのはアンガスだけじゃない。教師のハナム先生も、ホールデンの分身だ。そもそもアンガスはホールデンのように落第していない。最後は、無断外出で放校だか停学の危機もあったけどなんとか乗り切り、来季も学校に残りそうだ。後半で分かるけど、むしろハーバードを退学させられたハナム先生の方が、ホールデンの心境を物語っていると思う。この映画のラストではバートン校を辞めさせられることになるし。悲惨さでいったら、ハナム先生がホールデンだろ。とくに、ボストンの街へ行くのはハナム先生が主導しているし、博物館に行ったり、古本屋で娼婦に声をかけられたり、あれやこれやは、ハナム先生がホールデンの道筋をたどっているようだ。奔放なことをするのもね。 冒頭から1970年代の雰囲気で映画はダラダラはじまる。とくに事件もない。ハナムは、すでにアイビーリーグの大学に入学が決まってる生徒を同情心のカケラもなく落第させる。追試も、ちょっとした生徒のイタズラでなくしてしまい、非難の的に。校長から、あの生徒の父親からは多額の寄付をもらっているんだから、と情状酌量するよういわれるが、無視。それでも高校を首にならないのが不思議。あとから分かるけど、この校長はハナムのかつても教え子だっていうから、屈辱的。ハーバードを退学させられたハナムを先代校長が拾ってくれて、それで教師をしているようだけど、ハーバード退学の事実は臥せられたままで、だからなのか、出世はせず。万年教師でムダに厳しくやってこられたのが、ホント不思議。 生徒の3人が早々にいなくなっちゃうのは、ちょっと急ぎ過ぎな感じかな。もうちょっとキャラ立ちさせて、ハナムやアンガスと絡ませたらよかったのに。にしても、生徒の一人が大富豪で、スキー場に招待するからってヘリがやってきて、行ってしまうのは、そんなのアリかよ、な感じがする。 賄いのメアリーは黒人の、定番な感じだけど、太ったおばちゃん。最初の方に教会で、息子がこの学校の生徒で、でもベトナムで戦死、なんていう報告がされていたから裕福な家なのかと思ったら、学校の賄いかよ。というか、そんな身分で学校に息子を通わせたということが、凄すぎる。みんな一流の大学に行くような高校なのに。そんな高給もらってたのか? というか、親が大富豪じゃなくても入学できるのか。っていうのが、ふーん、だった。しかし、若い息子が戦死、というのは、1970年代にはよくあることだったんだな。といっても、黒人兵が最前線に送られて、ということなのかも知れないけど。 アンガスは、ボストン市内に行きたがる。で、ハナム先生も、まあいいか、で一緒に行くんだけど。ハナム先生は、偶然、知り合いに出会う。ハーバードの同窓生で、学校に残って研究しているとかだったかな。でも、ハナム先生は、母校で教師、をいわず、口ごもりながら、執筆活動をしてるとか誤魔化す。それを追及するアンガス。いや実は、論文の盗作を疑われ、だからハーバードは辞めた、と言い訳するんだけど。そうか、あんな厳しい先生にも見栄があったのか、という蔑みと同情で、ハナム先生を人間くさく見せるのがいい。 で、アンガスは、行きたいところがある、と一人でタクシーに乗って行ってしまうんだが。実はアンガスには両親とは別に実父が別にいて、精神病院に入っている、ということだった。どうやって知ったのかは知らないけど、病院で面会し、自分のことを認識はしてくれたけど、頭の中はやっぱりイカレていて。期待と失望のままハナム先生のもとにもどるんだが。この自分探しあたりは、ライ麦畑を連想させるね。 新学期が始まって。アンガスの両親から、実父に会わせたことでクレームが入る。そもそもアンガスが実家に帰れなかったのは、いままでできなかった新婚旅行を両親がするため、だったかな。しかし、そんなことで実家に帰れず、実母に会えない。家に行っても義父がいて、実母とイチャイチャしてる。そんな家庭で、子供が歪まない方がおかしいわな。で、会いに行ったアンガスには寛大な処分で、会いに行かせたハナム先生はクビになる。いつまでたっても裏道をいくことになるハナム先生だね。さて、これからどういう人生を送るんだろう。と、ちょっと心配になる。 ・ボストンでの、ハナム先生とアンガスのボーリング。玉が穴なしで小さいんだけど、ああいうのもあるのか。 | ||||
映画『からかい上手の高木さん』 | 7/24 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3 | 監督/今泉力哉 | 脚本/金沢知樹、萩森淳、今泉力哉 |
公式HPのあらすじは「とあめ島の中学校。隣の席になった女の子・高木さんに、何かとからかわれてしまう男の子・西片。どうにかしてからかい返そうと策を練るも、いつも見透かされてしまい失敗…。そんなかけがいのない毎日を過ごしていた二人だったが、ある日離れ離れになってしまう…。それから10年、高木さんが島に帰ってきた! 「西片、ただいま。」母校で体育教師として奮闘する西片の前に、教育実習生として突然、現れたのだった! 10年ぶりに再会した二人の、止まっていた時間と、止まっていた「からかい」の日々が、再び動き出す…。」 Twitterへは「今泉力哉らしいギミックもなく退屈。じれったすぎて早々に寝た。気がついたら町田くんが登場してた。いい大人がなにぐずぐずやってやがる。というか西片の鈍感さ、無神経さにあんぐり。いまどきの女子は積極的なのね。」 今泉力哉にしては肩すかし。全編がのろけ話で、ギミックも何もない。からかい、とはいうけど、要は何だかんだ声をかけてくるだけの話。西片はとくにからかわれるようなこともしていないのに、高木さんがあれこれ絡んでくるだけだ。あんなの、フツーに考えて、気があるからに決まってるだろ。それを感じられない西片が鈍感すぎる。バカバカしすぎて、早々に寝てしまった。 ともに20代前半の教師と教育実習生という立場だけど、そういうのってあるのか? 教育実習生というのは大学4年生ぐらいにあるやつだろ? では、中学卒業ぐらいに海外に行くから(だっけか?)と離れ離れになって、再会するまで、高木さんは何をしていたんだ? 大学に入るのが何年か遅れて、それでいまごろ教育実習なのか? という、高木さんの過去が気になってしまう。 ときどき、中学生時代の映像がインサートされ、高木さんにいじられる西片の様子が断片的に描かれるんだが。このときの高木さん役の娘がなかなか愛らしくて、そこは面白く見た。で、映画を見た後に検索したらテレビ版というのがあって、ネトフリで見られるので覗いてみたんだが。話がベタすぎてテンポも緩いし、西片役の少年の演技がいまいちなので、1話だけ見てやめた。 で、映画の最後に、なぜからかうのか、を高木さんが西片に言う。気があるから、スキだから、と。そしたら西片は「え?」という顔になり、戸惑うだけ。そして、西片は高木さんに「ぼくも好きだ」とは言わないのだ。「つき合ってください」に「それはOKです」とおどおどいうだけ。なんだよ。お前、中学のときは高木さんとべったりで、傍から見たらイチャイチャしてるとしか見えないような感じなのに、高木さんのことを女の子として見たことがないのかよ。フツー、あんなに毎日いじられたら、とくに好きではなくても、好意を抱くもんだろ。それが少年だろ。あまりの鈍感さに、アホらしくなる。そして、西片に「ぼくもスキだ」と言われなくても、相変わらず一方的に西片を思いつづける高木さんに、同情してしまったよ。 しかも、場所は小豆島だ。狭い島で、いつも2人で一緒にいれば、みんなが「あの二人はつき合ってる」と思うに決まってる。そうならない展開が、いらいらさせる。まあ、かってにイチャイチャしていなさい。 今泉力哉も、ハズレが多いなあ。 | ||||
ハロルド・フライのまさかの旅立ち | 7/25 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ヘティ・マクドナルド | 脚本/レイチェル・ジョイス |
原題は“The Unlikely Pilgrimage of Harold Fry”。公式HPのあらすじは「定年退職し、妻のモーリーンと平凡な生活を送るハロルド・フライ。ある日、北の果てから思いがけない手紙が届く。差出人はかつてビール工場で一緒に働いていた同僚クイーニーで、ホスピスに入院中の彼女の命はもうすぐ尽きるという。ハロルドは返事を出そうと家を出るが、途中で心を変える。彼にはクイーニーにどうしても会って伝えたい“ある想い”があった。ホスピスに電話をかけたハロルドは「私が歩く限りは、生き続けてくれ」と伝言し、手ぶらのまま歩き始める。歩き続けることに、クイーニーの命を救う願いをかけるハロルド。目的地までは800キロ。彼の無謀な試みはやがて大きな話題となり、イギリス中に応援される縦断の旅になるが…!?」 Twitterへは「冒頭の、淡々と出かけてしまい、移民の女医と出会うあたりまではよかった。でもどんどん既視感が…。徒歩とバスの違いはあれど話の骨格が『君を想い、バスに乗る』と同工異曲だろ。主人公の思いや過去はムダに語りすぎかな。」 リタイヤ後の爺さんが、知人がホスピスにいるという手紙を受け取り、突如思い立って徒歩でそのホスピスに向かう話だ。なんか既視感。徒歩とバスで違うけど、やってることが『君を想い、バスに乗る』に似てるんだよね。しかも、途中からネットで話題になって、関係ない他人がまとわりついたりするところも。知ってて映画化したのかな。それとも、同時に企画が進んでいたのか。というわけで、新鮮味はあまりなし。 なぜ突然、行こうとしたのか。は分からないまま。その理由は最後の方になんとなく分かる。けど、その経緯は、なんかもやもやするところもある。それはさておき。 着の身着のままでかけ、何人かの親切な人々に助けられつつ歩くんだけど。ガソリンスタンドのお姉ちゃんがなかなかいい。知り合いだか親戚のおばちゃんもガンになったけど、希望をもつことで生きられたとかいう話をして、フライは啓示を受けたようになっちゃうんだよね。思い込みなんだけど。それで、ホスピスにいる知人に希望を与えよう、となるわけだ。 けれどいよいよ歩けなくなって。で、助けてくれたのがスロバキア出身だという女医。でも、彼女はふだんトイレ掃除の仕事をしている。移民なのか、難民なのか。よく分からんが、足を手当てしてくれて、元の連れ合いの靴をくれる。それで復活して、再び歩き出すフライ。なんだけど、こちらの興味はスロバキアの女医なんだよな。イギリスでの医師免許は取得できないのか? それはなぜなのか、のほうが気になってしまう。 異様なのは、フライはキャッシュカードやその他、みな放棄するんだよね。実家に送ったんだけっけか? にしても、裸一貫で金もなく歩く意味はどこにあるのか? ないと思う。だって、結局は誰かの世話になるのだから。自分だけが、文明の利器は使わないぞ、と粋がってるだけだろ。 バス停のカフェ? で同席になった男が、若い子と会ってる、彼はポリオで…。って話がよく分からなかった。応援してるってこと? 同性愛の相手ということ? なことがあったり。なんてしてたら、どっかのレストランで同席になった人がインスタかなんかにフライのことをアップして、それが拡散。行く先々で、あ、ネットで話題の人だ、なんて言われるようになり。さらには、共感してついてくるおばちゃんや青年も出てくる。さらには、フライのことを書いたTシャツをつくろう、なんていうやつもでてきて。でも、フライはこういうのには反対せず、嬉々として受け入れるのだから、首をひねってしまう。あくまでも個人的なことなのに、なんで持ち上げられて喜んでるんだよ。アホか。 ホスピスに電話したんだったか。そしたら知人の彼女はフライが歩いているニュースを知って、意識朦朧からバッチリ目覚めてワクワクでフライを待っているという。なんじゃそれ。 ときどき、過去のフラッシュバックがインサートされる。だんだん分かってくるのは、息子が亡くなったこと。それで妻とも距離ができた。さらに、子供を失って、やけになって勤めていた会社のワイン樽だか酒樽を壊して損害を出した。けど、同僚の女性が罪をかぶってくれて、彼女が会社を辞めたこと。自分は最後まで勤め上げたこと、など。 で、その彼女がホスピスにいる、と知っての行脚だった、という次第。で、彼女は会社を去る前にフライの家にやってきて、別れを告げていた。それを、フライの妻は浮気、と疑った? のもあるのかしらん。でも、分かって見るとフライの身勝手なところが目に余って、とても同情できない。子供が亡くなって腹いせにモノを壊すとか、あり得ないだろ。さらに、同僚の女性が身代わりになってくれたとか、あり得ないだろ。やっぱりなにか関係があったのか? どーでもいいけど。で、彼女が罪をかぶるのをそのままに見送って、あとは知らんぷりかよ。それでよく日常生活がつづけられたものだ。 でまあ、フライにつきまとって一緒に歩き、野宿してた(迷惑な奴らだ)連中とはおさら。なんてったって、1日10キロぐらいしか進めない日があったり、迷惑しかしてない感じだったからな。1人、歩きつづけて、ホスピスへ。って、もっと立派なところかと思ったら、田舎の一軒家みたいなところ。まだ彼女は生きていて、再会を果たす、んだったかな。 ・奥さんも最後はやってきてたな。よく覚えてないけど。 ・脚本のレイチェル・ジョイスは原作者らしい。脚本も書ける人だったのか? | ||||
ロイヤルホテル | 7/30 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/キティ・グリーン | 脚本/キティ・グリーン、オスカー・レディング |
原題は“The Royal Hotel”。公式HPのあらすじは「ハンナ(ジュリア・ガーナー)とリブ(ジェシカ・ヘンウィック)の親友2人。旅行で訪れたオーストラリアでお金に困り、荒れ果てた田舎にある古いパブ「ロイヤルホテル」に滞在し、バーテンダーとしてワーキング・ホリデーをすることに。単なる接客バイトかと思いきや、彼女たちを待ち受けていたのは、飲んだくれの店長や荒々しい客たちが起こすパワハラやセクハラ、女性差別の連続だった。楽観的なリブは次第に店に溶け込んでいくが、真面目なハンナは孤立し精神的に追い込まれ、2人の友情は徐々に崩壊していく……。」 Twitterへは「旅娘2人が田舎のパブで働きはじめるが、客はヤバいやつばっかり…。というふれこみなのに、それほどヤバイことは起こらず、だらだらだらだらと毎日が過ぎていくだけ。ちょっと変なやつはでてくるけど、それだけ。肩すかし。」 監督は女性で、『アシスタント』の人らしい。それでジュリア・ガーナーが出てるのか。相手役のジェシカ・ヘンウィックは東洋系の顔立ちで、調べたら“ザンビア系イギリス人の父と中国系シンガポール人の母”から産まれたらしい。わりと大作にも出てるようだけど、気がつかなかった。 カナダからオーストラリアに旅行する娘2人というのがよくあることなのか知らんが。シドニーで遊びすぎて散財してすっからかん。なんて状況がよくあることなのか? ハンナのカードが使えなくなっちまうとか、どういう生活してるのか。残高管理はいい加減ってことだな。で、仕事を斡旋してもらうんだけど、外国人が簡単に仕事なんてできるのか? そういうビザなのかね。で、紹介されたロイヤルホテルは、砂漠のど真ん中、な感じなのに、毎夜、かなりのオッサン兄ちゃんジジイがやってくる。どこに住んでるんだ? 白い線の入った作業着を着てるのが何人もいたけど、ありゃ消防士? 油田で働いてるのか? しらんけど。で、そこでとんでもないことが起きる、という話は知っていて、だから『フロム・ダスク・ティル・ドーン』みたいになるのか、と思っていたら、そんなんじゃなかった。 経営者の親父はビリーといい、口は悪いし支払いもいい加減だけど、リブにもハンナにもちょっかいを出すことなく、ちゃんと働け! という程度。ホテルで働く黒人のデブさんは、ありゃビリーの彼女みたいな関係なのかな。2人が行ったときはイギリス人の娘が2人投宿してて、バーのカウンターに上がっておっぱい見せてたり、客なのかな、とバコバコやってたり。そんなんじゃ、客の方も旅行者や従業員にそういうのを期待してもおかしくはないだろう。リブもハンナも、そういう目で見られてた、ってことだ。 若くて、ハンナにまとわりつくのがマティで、悪さをするかというとそんなこともなく。シャワーの浴びられない2人を池に連れて行ったりしてやさしい。もちろん魂胆はあるだろうけど、行動にはでない。リブにまとわりつくのがドリーで、すぐ切れる。とはいえ、罵声を浴びせたり喧嘩腰になるだけ。あるいは、蛇の瓶詰めをもってきたり。その程度で、襲ってきたりはしない。陰気なジジイのティースもリブに興味津々で(というか、俺みたいのが…な、奥手で恥ずかしがりやな感じ)、でも直接には口には出さない。どころか、最後の方で、リブにしつこくからむドリーのクルマにぶつけたりして、することが可愛い。 映画評だの紹介文でいわれるほどのパワハラ、セクハラ、女性差別じゃないんだよな。もちろんあれを都会の真ん中でやったら問題だろうけど、ど田舎の労働者ばかりのパブでなら、大したことはないだろ、って思えてしまう程度。実際、リブもハンナも襲われていないし。なんだけど、ビリーが怪我をして黒人のデブが病院に連れて行ってしまう。じゃあ、店は開けられない。と思ったら、客の要請で店を開けるんだけど、大騒ぎはするけど夜中になれば概ね帰ってしまって。そんななか、リブはラリってドリーたちと、だったか、どっかに行こうとする。のをハンナが止めるという、なんだこりゃ、な展開。大人しい娘かと思ったら、派手じゃないか、リブって。で、そんなこんなでティースがドリーのクルマに自分のクルマをぶつけるとか、なんだか恋のさや当て状態。 でも、翌日はバスが来る。ハンナもリブも帰り仕度をして、でも、行きがけの駄賃のような感じでハンナが、だったっけか、がロイヤルホテルの建物に火を放ってしまう。なにかするだろうとは思っていたけど、こうきたか。でも、やり過ぎじゃないのか? 経営者のビリーにたいして罪はないのに、気の毒になってしまう。あの黒人のおデブさんにも。 てな感じの話で、いまいち期待外れだったかな。そういえば、後半で、シドニーで知り合ったノルウェーの兄ちゃんがやってくるんだけど、出番はそこそこあっても、話の中でほとんど機能してなかったよな。 |