パラダイスの夕暮れ | 10/4 | シネマ ブルースタジオ | 監督/アキ・カウリスマキ | 脚本/アキ・カウリスマキ |
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原題は“Varjoja paratiisissa”。映画.comのあらすじは「仲間の死によって独立の道を断たれた、ゴミ収集車の運転手ニカンデル。スーパーのレジ係イロナに恋をした彼は、彼女をデートに誘ったものの、ビンゴ会場に連れて行ってしまい大失敗。ところが、仕事をクビになったイロナが彼のもとに転がり込んでくる。2人の関係はうまくいったかのように見えたが」 Twitterへは「カウリスマキ初期の傑作らしいが…。前半はアメリカン・ニューシネマっぽい展開だけど後半ぐずぐずな感じ。ブルース、ジャズ、ロックンロール、エレクトリックと音楽が面白い。映画館ではマカロニウェスタン? 叔母はフロリダに住んでる?」 1986年製作で2002年日本公開らしい。いままでみたカウリスマキの中ではいちばんドラマチック、になりそうな感じだった。淡々と、無機質な部分もあるけど、下層階級労働者同士の恋と悪事と逃避行。まるでアメリカン・ニューシネマじゃないか。かなり行動は控え目だけど。と思って見ていたんだけど、ちょっとしたすれ違いで別れた頃から話がグズグズになってしまう。結局、もとのサヤに収まるんだけど、でも、いきなりの新婚旅行で、お金は大丈夫なのか? 今後はどうなるのか。心配が残るエンディングだな。 ところで登場する男女二人。ずっと40凸凹だと思っていたんだけど、調べたらイロナ役のカティ・オウティネンは当時25歳!? ニカンデル役のマッティ・ペロンパー35歳らしい。ひぇ〜。あれで? それが一番の衝撃かも。 ・しかし、彼の地でもゴミ集集人は「ゴミ屋」とか呼ばれ蔑まれてるんだな。女性の方はスーパーのレジ係。これが代表的な下層階級なのか。 ・ニカンデルは怪我をして血が流れるままスーパーに行ったらレジの女店員が軽く手当てしてくれる。この女店員がイロナ。ニカンデルは、同僚が独立するから一緒にどうだと誘われるんだけど、その同僚が突然死で未来は消える。酒で乱れてバーで暴れてブタ箱入り。ブタ箱で無職男と知り合い、彼にゴミ収集運転の職を紹介する。 ・スーパー店員とたまたま再会し、デートの約束したらOKで。イロナも男日照だったのか? でも行ったところがビンゴで、彼女は期待外れだったのか途中で帰ってしまう。やっぱ派手に遊びたかったのかな。っていうか、ニカンデルが地味すぎだろ。 ・イロナは、スーパーを解雇されてしまう。近所にスーパーができて競争激化で値下げ合戦になるから払う給料がない、って、ストレートだよなあ。で、イロナは腹いせに事務所にあった金庫奪って逃亡しちゃう。って、そういう衝動的な性格なのか。前後見境ないな。 ・イロナとニカンデルが町で遭遇し、「ドライブだ!」と脳天気。ニカンデルは金と着替えをブタ箱男に借りに行くんだが、彼の女房は「金はない」というので、ブタ箱男は子供の貯金箱から拝借し、ニカンデルに。ブタ箱男、いいやつじゃん。人情味があって。まあ、子供はあとで激怒したに違いないけど。 ・投宿するんだけど、ニカンデルは金もないのにシングル2部屋を頼む。なんか弱気というか紳士的というか。ええい、同室にして迫れよ、と思ってしまう。イロナも不満そうに見えたけどな。で、イロナがかっぱらってきた金庫開けてみると大金が入っていて。どうやらニカンデルが動揺した感じ。「返した方がいいんじゃね」というわけで、イロナが自室に戻ると、すでに張り込みしてた警官に逮捕されてしまう。このあたりは、お前、抜け作だな、と思う。捕まるに決まってんじゃん。アホかよ。取り調べでは「取ってない!」と一貫して主張 するんだけど空しい。まあ、そうだろう。 ・返却担当のニカンデルは大胆にもスーパーに侵入し、口の開いたままの金庫を事務所のデスクの上に置く。そんなにうまく行くわけないだろ、と思うけれど、映画だからな。 ・翌朝? イロナは釈放されるんだけど、金庫が開いてるのに、帰してくれるの? スーパー側が、示談で、とか行ったのか。しらんけど。指紋を調べたりはしなかったのか? なんか、話の展開優先でいいかげんなシナリオだな。 ・イロナが勤めをクビになるのは今年で3度目とか4度目とか同室の女性に話してた。これは不況のせいじゃなくて本人の問題じゃないのか? とは思うけれど、ここは、気の毒な女性と解釈してあげないといけないのかな。 ・イロナはスーパーの同僚と住んでたのか? よく分からんが。なぜか部屋を出るけど、行くところがない。それでニカンデルのころがりこんで。ここで、いい感じでキス、してて。おお、やっと恋がはじまった? 遅いだろ。 ・と思ったら、なんとイロナはアパレル店員として採用されるんだけど、スーパーをクビになった女がそんな上手く転職できるもんかいな。都合よすぎないか? いくら映画でも、と思ってしまう。 ・金回りも良くなって? 2人で高級レストランに入ろうとするけど、受付で風体で拒絶されてしまう。生まれ育ちは外見で分かっちゃうのか? まあ、よくある設定な場面だな。で、ハンバーガーかなんかを立ち食いして。 ・2人の同居はうまく行っているのかな。と思ったら、ある日、イロナが勤めてる店にニカンデルが作業服のままやって、どうだ調子は? とか店内で話しかけるので、ちょいうろたえるイロナ。店長がやってきて「あいつはなんだ?」といわれ、兄弟だとか答えたんだったかな。そしたら「もう来させるな」と言われてしまう。当たり前だよな。ファッションの店に清掃局の制服でずかずか入り込むほうがどうにかしている。とはいえ、仕事が終わればこざっぱりとしてるし、正直だし、気も小さいのに、こういうところに気の回らない男、という設定にしているのはどうなのかね。ちょっと違和感あるけど、映画的な都合が優先しているような気がする。 ・このあたりから2人の関係がギクシャクしはじめる。ブタ箱男が4人でデートしようと言ってきて、待ちあわせ場所の映画館にイロナはやってこず。イロナが不満を持ち始めた、ということなのかね。その夜、だか、翌日、だか。無口に過ごす2人が映るんだが、ニカンデルは怒ったりしない。このあたりが、気の弱いところかも。 ・ところで、3人が見た映画はマカロニウェスタン? ポスターにリー・ヴァン・クリーフみたいな顔が描かれていたけど。 ・2人は心が通わなくなったのか。男はその理由も問わず。イロナは黙って出ていく。 ・どうもイロナは店長に見初められたのか、かつてニカンデルと入ろうとして拒絶された店で食事している。でも、ニカンデルとのことを思い出してなのか、「店長に、むかし追い返された店だわ」とか話、突然、中座してしまう。こんなことをしていてはいけない、という思いがよぎったのかね。店長とつき合いたい、でもいけない、というような心の揺れは、あまり上手く表現されていないので、ちょっと物足りないかな。 ・いっぽうのニカンデルは、突然のように暴漢に襲われて怪我をしてしまう。なんか、これ、とってつけたような展開過ぎて、なんなんだよ、と思ってしまう。たとえば、イロナが勤めてる店の店長が、ニカンデルがジャマだ、と思って指図したとかいう背景でもあれば、なんとかつじつまが合うけど。いきなりあれじゃ、意味不明だよな。 ・翌朝、ニカンデルは倒れているところを同僚に発見されるんだけど、ってことは、夜中に仕事場をうろうろしていたってことなのか? なんで? 病院に見舞いに来るブタ箱男。なぜか2人で病院を抜けだしアパレル店へ行くというのも、なんかよく分からない展開。「なんだお前」という店長を威圧して、ニカンデルはイロナに「新婚旅行に出かけよう!」と、突発的なように言う。これに拒否することもなく、手を取り合って店をでて、さくっと荷物をまとめ、和気あいあいで客船に乗って去って行く2人。それを見送るブタ箱男。行き先がでてたけど、字幕ででなかったので、どこか知らんが、リゾート地? しかし、金もなければ、これからのアテもないだろうに。そんなんでいいの? てな流れは、アメリカン・ニューシネマっぽいな。テキトーで、いい加減で、勢いだけってところが。 ・音楽の使い方が印象的だった。軽いジャズ、ブルース、初期のロックンロール、そして、エレクトリック音楽…。まるで音楽史をたどるような感じで流れてくる。これなんかも、アメリカを意識しているのではないかと思わせてくれるのだった。 | ||||
花嫁はどこへ? | 10/7 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/キラン・ラオ | 脚本/Biplab Goswami、Sneha Desai、Divy Nidhi Sharma |
原題は“Laapataa Ladies”。「行方不明の女たち」とかいう意味らしい。公式HPのあらすじは「2001年、とあるインドの村。プールとジャヤ、結婚式を終えた2人の花嫁は同じ満員列車に乗って花婿の家に向かっていた。だが、たまたま同じ赤いベールで顔が隠れていたことから、プールの夫のディーパクがかん違いしてジャヤを連れ帰ってしまう。置き去りにされたプールは内気で従順、何事もディーパクに頼りきりで彼の家の住所も電話番号もわからない。そんな彼女をみて、屋台の女主人が手を差し伸べる。一方、聡明で強情なジャヤはディーパクの家族に、なぜか夫と自分の名前を偽って告げる。果たして、2人の予想外の人生のゆくえは」 Twitterへは「前半は平板な展開でちょい退屈だけどラスト30分でエンジンがかかった。チャイ屋のおばちゃん、小人、いざり、抜け目のない警部とか、いかにもインドな脇もにぎやか。女性の自立がテーマで、旧態依然な結婚制度への批判も。ラストが清々しい。」 2001年の設定なんだけど、結婚式はむかしのままな感じで親が決めるようなかたち。互いの名前ぐらいは知ってるけど、若くて教育のないプール(演じる役者の生まれは2007年と言うから16、17歳ぐらい?)は亭主の村の名前なんかはうろ覚え。「花の名前だった」ぐらいしか知らない。しかも、他人の前で亭主の名前は口にしないのがしきたり。結婚式終了から亭主の家までの電車やバスの中ではずっとベールをかぶっている。まだそんななのかよ。 よく分からなかったのは、結婚式が終わって花婿と花嫁が2人で電車やバスに乗って荷物や持参財をもって亭主の家まで長旅するということ。え? しかも、家に戻ると亭主の家族はすでに家にそろっている。結婚式はどこでやったんだ? 家族は出席しなかったのか? もやもや。と思っていたら、あとから、結婚式後に花嫁の村に行ってなんたらかんたらでどーの、と言っていたので、家族と別れて花嫁の家に3日ぐらい行っていた、ということか? でも、同じような新婚さんが列車に何組もいたし、みんな同じように新婦の家で過ごしてからの帰還なのか? というあたりが、もやもや。 でまあ、ディーパクが連れ帰った新婦のベールを上げたら別人で、ありゃりゃ、となるのだけれど、連れてこられたジャヤが、バスの中でもずっとされるがままになっていたのが違和感ありすぎで、もやもや。まあ、複線と言えばそうなんだけど、スッキリしないのだよな。そのジャヤの目論見が分かるのは後半もかなり過ぎてからで、それまでの謎にヒキがない。どこからかもってきた証明書とか、なんなんだ? 郵便局(姉に持参財を送ったらしいけど、なぜ何度にも分けて送金する必要があったんだ? 一度に送れなかったんだっけ?)や旅行代理店に行ったり。でも、ディーパクの家にずっと居つづけている。その理由もよく分からない。別にプールと交換で解放されるというわけではないし、拘束されているわけでもない。プールのように、亭主の家に行きたくても場所が分からず駅で寝泊まりし、さらにはチャイ屋のババアに世話になってる訳ではない。後に分かるんだけど、ジャヤは上の学校に行きたかったけど親の反対で嫁に出され、でも内心では大学進学の夢があった。それがディーパクに間違って列車から連れ出され、これはチャンス、と思ってされるがままになっていた、というんだけど、これは話にムリがある。さっさとディーパクの家から出て、理解のある姉の元に行けばよかったじゃないか。それを姉に送金したりしてたせいで警察から疑られ、さらにのろのろしてたせいでジャヤの亭主がだした、嫁さん行方不明の手配書がまわってきて、持参財を奪ったという罪で警察に拘束されそうになり、やってきた亭主に連れ戻されそうになってしまったわけだ。大学に進学するぞ、というほど頭がいいわりに、やってることはアホだろ。 一方のプールは幼いけど純朴で、料理の腕前はなかなか。なので駅のチャイ屋でお菓子を作って売ったり、ババアに貢献している。こっちの、プールをめぐる話の方が納得しやすかったな。なぜか知らんけど親切な小人男とか、いざりを装ってるノッポとか、インド人にあるまじき優しさが、まさか、な気がしたけど。 という2つの家族に威圧感をもって存在するのが警察で、この警部がなかなかいい。公然と賄賂を要求し、金になる案件ならがんばるけど、そうじゃないと無視するようなオッサンだけど、最後の最後にとんでもない正義感ぶりを発揮する。ジャヤを結婚からの逃亡、持参財の強奪で逮捕しようとしつつ、ジャヤの亭主がやってきて、ジャヤを殴ると、逆にジャヤの肩を持つようになる。成人には自由意志があるから、結婚を破棄しても構わない、持参財はジャヤの家のもの、暴力行為は許されない、さらに、ジャヤの亭主の元妻が死んでいるらしいんだけど、そこには殺人の疑いもあるらしく「詳しく調べようか?」などと逆に脅す。亭主が「賄賂を渡したじゃないか!」というと、贈賄で逮捕するぞ! と亭主を追い払う。なんだ、いいやつじゃん。 しかしやっぱり分かりにくい風習はあって。持参財についても、嫁ぎ先に渡すんじゃないのか? なんで持ち回っているのだ? とか。手のひらに描かれてものをみて亭主の名前がわかるの? とか。他にも、ジャヤの亭主からジャヤの家に連絡はなかったのか? とかも疑問だし。そのジャヤの亭主はヤクザものっぽかったけど、なんでこんなのと縁組の必要があったんだ? 弱みでも握られてた? はたまた亭主はジャヤを嫁にしてどうしようとしていたんだ? とか、つっこみどころは盛りだくさん。なので、もやもやはあるんだけど、ラスト30分はなかなかいい。プールの亭主の従兄弟の嫁(?)の似顔絵が功を奏してプールがみつかるとか、なかなかいい。もちろん賄賂警部も。なので、前半の平板な部分は帳消しにしてやろう。 ・ジャヤが携帯のSIMカードを処分してたのは、亭主から電話がかかってこないように、なのか? | ||||
ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ | 10/9 | 109シネマズ木場シアター8 | 監督/阪元裕吾 | 脚本/阪元裕吾 |
allcinemaのあらすじは「殺し屋協会に所属するプロの殺し屋コンビ、杉本ちさとと深川まひろが宮崎県に出張。到着早々ミッションをこなし、バカンス気分を満喫していたが、ちさとはとあることに気づく。今日は相棒まひろの誕生日、しかしこの後は次の殺しの予定が入っていてプレゼントを用意する暇もない! 内心の焦りを隠しつつ、ターゲットがいる宮崎県庁に向かう。チンピラを一人消すだけの簡単な仕事のはずが、指定された場所にいたのはターゲットに銃を向けている謎の男。この男の正体は一匹狼の殺し屋、冬村かえで。 150人殺しの達成を目指す“史上最強の敵”が、ちさととまひろを絶体絶命のピンチに追い詰めるのだった」 Twitterへは「もともと低予算、が注目され豪華役者や資金が集まって続編をつくればつまらなくなる。やっぱりな。脱力系天然なところが魅力なのに…。格闘場面に力入れすぎでヌケがなさすぎ。話もムダに複雑にしすぎ。」 思い返せば1作目が洒落てて、高石あかりも少し舌足らずで天然かつ脱力系なキャラが全開だった。貧乏くさいマンションとかコンビニでのバトルとか、娘っ子が殺し屋で、でもヘラヘラしながら仕事したりして、世界観もちゃんとしてた。つづく2作目は、ちょっと意気込みすぎたか。伊澤彩織の特技を活かした格闘シーンが増えて、でもその代わり脱力系な部分が薄れてしまって、なんかなあ、と思った。格闘シーンも同じ様な感じなのが続くので、ちょっと飽きるし。で、この3作目。なんと前田敦子と池松壮亮を迎え、資金力もアップしたんだろう。でも、こういうのに限って映画としてはつまらなくなるんだよな。と思っていたらその通りだった。高石あかりの、天然で脱力系なところが、21歳になって大人になって、少女から女性になりかけているのが足を引っぱっちゃってる。あの、1作目の世界観がなくなっちゃって、いまひとつ笑えないし楽しめないものになってしまっていた。 はじめから宮崎の海でバカンスを楽しんでる、っていうのが2人は似合わない。ぼろい海の家で毒々しい色のかき氷でもなめながらバカッ話でもしてくれてりゃいいのに、なんだよ、焼肉がどうとか。金持ちになっちゃって。おい。こら。な気分になってしまう。 で、前日の仕事ぶりが描かれるんだけど、これが手際が悪い。まひろ は相手に手こずってるし、2人とも返り血を浴びて中途半端にリアルで痛ましい。ここはカラッとさっぱり、軽く仕事をこなしてもらいたいのだよな。 ああ、そういえば。冒頭は少年がアリのたかった死体を見つけるグロな場面で。そのあとに、池松壮亮の冬村かえでが殺しを請け負ってこなし、銃を誰かにもどす、ような場面だったりする。松壮亮も血まみれで、腹筋は割れてるけど、やっぱりこの映画には似合わないよなあ。 さて。2人に次のミッション。ある男を宮崎県庁で殺す、というものだけれど、職員はいるけど少ない、という話で地下に潜入し、部屋をどんどん侵入していくと、なんと冬村がいて、2人がターゲットとしている松浦、という青年に銃口を向けているところ。どうやら仕事がバッティング? で、でも、このあたりから話がムダにややこしくなっていく。しかも、絵でみせるのではなく、会話で、「冬村かえでが」とか「松浦が」とか名前で説明が始まったりするので、役名と役者が結びつかないので話に追いつけない。 以下、要約すると組織に属しているのが ちさと と まひろ。この2人のターゲットを、冬村かえで も狙っている。そもそもは、ある青年がネットで炎上した。その原因をつくった150人を殺してくれ、と青年の親が冬村かえでに依頼した、冬村かえでは組織に属さぬ野良の殺し屋。冬村はこれまで149人を始末し、これが150人目で気持ちよく仕事をしたかった。そこを ちさと と まひろ にジャマされた。という話だったかな。でも、 ちさと と まひろ には、組織に属しているのでメンツがある。仕事を野良に取られるわけにはいかない。というわけで、 ちさと と まひろ vs 冬村のバトルが県庁内で始まる。 まあ、池松壮亮(冬村)と伊澤彩織(まひろ)の格闘場面はまかまかの迫力で、カットで誤魔化すところも少なく、よくやってたと思う。でも一進一退がつづいて、でも結局、冬村の勝ちで、まひろ は顔面血だらけ。冬村が血を拭きな、とハンカチを渡してバトルは終了。ちさと(高石あかり)もいいところなし。というのがマジすぎて、なんか引いてしまうのだよ。それに、ずっと気になったのは、ちさと の銃がどうなったのか、で、格闘の途中で落としてから見えなくなっていたからね。まあ、あとから出て来はしたけど。 なわけで、というか、なぜか冬村と松浦はどこかにいなくなって。現れたのが入鹿みなくと、七瀬、という組織の宮崎支部(?)の殺し屋2人組で。ちさと と まひろ がしくじったので、お目付役としてやってきた、とかいうんだが、このとき入鹿がビニール袋に入った銃を ちさと に渡すんだが。ってことは、入鹿はいつのまにか宮崎県庁に入ってバトルの後から ちさと の銃をひろってもってきた、ということなんか? それにしても気になったのは県庁内での撮影で、爆発物とか血糊とかは大丈夫だったのか? ということかな。もしかしてCGで処理したのかもしれないけど。だって、なかなかカッコイイ建物だったから、気になったんだよ。 で、入鹿が言うには、最初に冬村を始末し、その後で松浦を殺す、という順番にするらしいんだけど、それはなんでなの? で、まずは冬村の行方を、と思ったら入鹿が「すでに調べてある」という。で、4人で向かった先が、ぼろい市民住宅みたいなところで。真っ昼間に銃を手にした連中が入っていくんだぜ。いくらバカ映画に近いからって、あまりにもひどいだろ。で、そろそろ入っていくんだけど、まさかこんなところに冬村が潜んでいるわけがない。いっそのこと ちひろ に「自分の家に隠れてるなんてこと、あるんですかね」とか「真っ昼間から殺し屋がこんなとこうろうろしてていいのかね」とか言わせて欲しかったな。で、見つけたのは冬村の殺人日記。こんなものを残すなんて、アホか。で、最後に、隠れていたという青年をひとり、 ちさと だったか まひろ だったかが見つけてくる。なんでも、冬村と依頼者の仲介者? だっけか? よく覚えてないけど。で、この男を人質に松浦を探しに行くんだっけか。しかし、こんな住宅地で銃をぶっ放すのは変すぎるだろ。 どうやって見つけたのか知らんけど、宿泊客に松浦がいるらしい。で、 ちさと と まひろ が乗ってるエレベーターに乗り合わせた男がいて、それが、松浦がボディガードに雇った殺し屋で、カサマツとかいったっけ。で、この男は地元農協? の殺し屋らしい。のを ちさと と まひろ が簡単に制圧してしまう、んだっけか。そんな、駐車場みたいな所にいると、冬村が現れ、放った銃弾がカサマツとか言う男に命中で。入鹿、七瀬も交えて銃撃戦。その結果…。どうなったんだっけ。冬村が農協に行って、そこのボスを殺して、でもメンバーは冬村の言いなりになって、どっかにやってきて。入鹿、七瀬、それに死体処理係の男女も交えて撃った切ったの戦いが始まる。んだけど、農協メンバーはバッタバッタとやられながらも次々に湧いて出てきて死んでいくという、よくあるパターンで。なんだかな。 でもって、そのあとは、どっかの倉庫みたいなところで、またしても冬村と ちさと & まひろ が相対する。これが、宮崎県庁のときと同じで、早々に まひろ がまたしてもKOされ、喉元にナイフが…。というのを ちさと がナイフの刃を握って防ぎ、でも、ちさと はKOされて動かなくなってしまう。で、その後は冬村と まひろ の一騎打ちで。県庁のときは自爆した技を再度使い、でも今度は膝を使って冬村をKO。しかも、まひろ が冬村にハンカチを差し出すんだけど、結局、射殺して冬村の負け。さて、ちさと は? ちゃんと息を吹き返して、よかったねえ! と。いっぽう、これで助かった、とヘラヘラしてる松浦を2人が無感情に射殺のは、いい感じ。 で、最後は前日はキャンセルした焼肉のリベンジで、 ちさと、まひろ 、入鹿、七瀬に死体処理の2人も交えて祝宴。みながつぶれてしまって、ちさと が まひろ の誕生日祝い、と持って来たショートケーキではしゃぐ場面でオシマイ。しかし、設定では、まひろ はやっと成人式、なのか! というわけで、冬村の池松壮亮と入鹿の前田敦子で見かけは豪華にはなったけど、話はいまいち面白くなってない。まひろ の格闘シーン多めなのは2作目を引きずってるなあ。監督は、格闘シーンに力を入れれば面白くなると勘違いしてないか? 県庁内でのバトルは迫力あったけど、2人の格闘になると、まあ、よくある格闘シーンと似たり寄ったり。もっと話のつくり込みをしてほしいよな。今回は、組織対野良、そこに宮崎支部と農協みたいのがからむけど、それらの思惑とか確執がぜんぜん見えない。農協の殺し屋は設定はとても面白いのに、使い方が下手。ただ死んでくだけになってる。死体処理班も、今回は県庁内のお掃除とか、農協殺し屋連中の何10人もの死体をどう処理したのか。その本業の方をちゃんと見せてくれなきゃなあ。 それと、池松の冬村をフィーチャーするなら、もっと丁寧にしなきゃ。彼が殺し屋になったわけとか、野良で仕事ができる理由とか。体力づくりや殺しの術をどう修得したか。格闘技も独学で? あるいは組織の宮崎支部は、野良に仕事されてほっといたのか? 冬村と農協との関係も。いろいろ突っ込めば話は面白くなったろうに。それと、冬村と依頼者との仲介してた男もいたじゃないか。にしても、150人もの殺しの依頼をしたやつってどんなだよ? などなど、その背景を見せれば面白くなりそうなのがあるのに…。 ところで、冒頭とラストに登場するメガネ少年は何なんだ? 最初は、アリのたかった死体を見つけた場面だけど、もうひとり少年がいたよな。よくわからん。の直後に、仕事をし終わった冬村にハンカチを渡す。このハンカチが、まひろ と冬村の格闘の最後に出てきたりするんだけど…。幼い日の冬村、とかなのか? で、ラスト近くでは、居酒屋の影で ちさと と まひろ を見てたりする。なんなんだ? | ||||
HAPPYEND | 10/10 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1 | 監督/空音央 | 脚本/空音央 |
公式HPのあらすじは「ユウタとコウは幼馴染で大親友。いつもの仲間たちと音楽や悪ふざけに興じる日々を過ごしている。高校卒業間近のある晩、こっそり忍び込んだ学校で2人はとんでもないいたずらを仕掛ける。翌日いたずらを発見した校長は激昂し、学校に四六時中生徒を監視する AI システムを導入する騒ぎにまで発展。この出来事をきっかけに、コウは、それまで蓄積していた、自身のアイデンティティと社会に対する違和感について深く考えるようになる。その一方で、今までと変わらず仲間と楽しいことだけをしていたいユウタ。2人の関係は次第にぎくしゃくしはじめ…」 Twitterへは「高校内での生徒のAI監視に対する、ちょっとした『ぼくらの七日間戦争』か。でもAI監視はすでに中国じゃ現実だろ? ムダなシーン多く、必要なカットは足りない。のらくら退屈。最後に「ぼくは超能力者だ!」と告白…しないのか。じゃ、どうやったんだ? あれ。」「校長との大衆団交、街頭デモ、デモに参加する教師、職質、学ランと背中の刺繍…。1969年前後の世相がそのままな感じで、ぜんぜん近未来じゃない。移民とか外国人差別、AI監視をとりあげてるのに、ただのレトロな感じしかつたわってこんな。」 「近い将来の話」とかいう文字が冒頭にでる。 冒頭の、クラブに潜り込んで、でもすぐに警察の手入れが入って逃げる、とかあたりから、ずっとミドルショットで顔が分からんし、何人の仲間がいるのかもアバウトで、ひとり女の子がいたのも定かではなく、セリフも聞こえづらいので、イラッとしてしまう。で、この映画、ずっと音楽に絡む場面が多いんだけど、本質的にはなんの関連もない。途中で、突然部室が使用禁止になる、とかいう場面があって、見えにくい看板に「映画研究部」とかあるので、ああ、こいつら部員仲間だったのか、と気づく程度。部員仲間についても、おいおい5人と分かるんだけど、音楽にどっぶり、なのはユウタだけで。あとはとくに音楽が好きって感じでもない。なので、音楽についてムダに描き過ぎな感じかな。その音楽も、ユウタはターンテーブルのDJが好きな感じで、演奏といっても、バイト先でキーボードを鳴らす程度。意味ねえ。 ストーリーと言えるようなものは特段なくて。大きな流れとしたら、クラブの手入れから逃げた5人(ユウタとコウの2人だけだっけ?)が警備心の目を盗んで学校の部室に潜り込み、音楽を鳴らして夜明けまで、な場面があって。ここで、音楽鳴らして警備員に気がつかれないのはおかしいだろ、とツッコミ。で、数時間後の学校で、校長のクルマが先端部分を空に向けて突っ立ってるので登校してきた生徒たちが大騒ぎ。校長も怒り心頭。で、むこれをきっかけに校長が学校に監視システムを導入する。生徒たち1人ひとりを識別し、態度が悪いと減点。で、モニターは学校内のあちこちに設置してあって、自分たちが監視されている様子も見られる、という変なシステム。 個人識別は顔写真でできるようで、警官は職質時にスマホで速攻で本人確認できる時代らしい。なので、その技術を応用しているのかな。 そういう構内の様子とともに、ときどき社会情勢も描かれる。外国人に対する不審感が増大している感じがあるようだ。でも具体的にそれが移民なのか在日朝鮮人のことなのか、よく分からない。街頭ではときどきデモ。これも具体的に分からないけど、戦争反対とか憲法改正反対、みたいな感じだけど、具体的に分からない。背景としてはその程度で、独裁的な国家にはほど遠い。首相が記者会見中に弁当を投げつけられた映像が流れるくらいで、まだ牧歌的。警官の職質はあるけど、クラブの手入れとか、あとは映画後半で夜中にSPで音楽流しながら歩いてたユウタとコウに職質した程度。ユウタは別に問題なくて、コウは在日韓国人なので特別在留なんとかもってるか? と聞かれ、コウが「常時携帯は必須じゃないだろ」と言っている程度。日常生活に息苦しさは感じない程度、というか、現在と同じ程度ではないか。学校内がAI監視されているのだから街頭でもされているのか、よく分からん。そういう場面は出てこなかった。街頭での顔識別は中国じゃもうしっかりやってるけど、この映画の中ではそんなに厳しくない感じかな。…という描き方が、よく分からない。もし監視制度や威圧的な国家への抵抗感が国民に蔓延し、重苦しい空気が漂っているなら、そのように描けばいいはず。でも、映画ではそんのところはほとんどない。夜中に学校に侵入したり、高校生が夜中にふらついていても、見つからなければ咎められない。つい昨日までは、学校に監視システムはなかった。学校が監視システムを導入したのは国からの要請ではなく、校長のクルマがいたずらされたから、という私怨でしかない。まあ、この監督、社会情勢の認識が甘いというか、世の中のことをよく知らないのではないか。だからこんな薄っぺらな描き方しかできないのではないのかな。で、調べたら、なんと坂本龍一と、おそらく有色人種との間にできた息子、らしい。なーんだ。 5人の部員のうち、コウという在日韓国人らしい生徒は識別しやすい。実家の店も、母親も登場するし。ユウタ、はコウとつるんでいて、ヘッドフォンを首に引っかけているので、分かりやすい、と思ったんだけど、途中から、もう一人の部員と顔つきが似ているのでときどき混同していたことに気づいた。HPではアタちゃん、と描かれている彼は、まともに紹介されないので、ずっともやる存在。あとから、だぶだぶズボンはいてたやつだとか、背が低いといわれていたやつ、と分かるけど、結局、アバウトにしか分からない存在。どうもファッションに興味があるのかな。最初からはっきり分かるのは、トムという黒人とのハーフかな。でも、見かけは分かっても何を考えているのか、家庭環境は、は分からない。ただ、高校を出たらアメリカの大学に行くらしいと言うことだけ。あと、女の子はわかりやすい。あとから分かるけど、どうも台湾人か、台湾人とのハームみたい。それだけ。で、ユウタだけど、2度ほど実家のマンションが映る。あと、アメリカから帰ってきた、という母親が映った。でも、母親が何をしているのかは分からない。 この5人に、クラスメートのなかに、反校長で先進的な考えをもつ女子高生、フミ、というのが絡んでくる。教師に焚きつけられ、コウと一緒に街頭デモに行って問題視されていた。と書くと、なんだよ、60年安保の時代かよ、という感じがしてしまう。そう。そんな時代感覚が似合うような描き方なんだよな。古くせえ。革新的な教師たちの飲み会にもフミとコウはまじったりして。ほんと、昔懐かしい進歩的な集まりに見えてくる。古色蒼然。 でまあ、話はのらくら進み、AI監視システムで特別なことが起こるわけでもない。 で、フミとコウをデモに誘った教師が休職か辞めたかして、別の教師が担任になって。その教師が自衛隊員を特別講師に招聘する。で、話をするにあたって、適当ではない生徒は教室を出て行くようにいうんだけど、これが日本国籍をもたない生徒、らしい。これが結構いて、10数人だったかな。教師が言うには、日本国籍をもたないと自衛隊員にはなれないから、らしい。どういう話をするのか知らないけど、日本国籍をもたないと敵性外国人となると言うことをいいたかったのかな? 音楽仲間の5人も、3人はハーフか外国人で。いやに外国人が多いな、とは思ったんだけど、とくに移民がふえたとか、移民が暴れたとかいう描き方もされてしなかったので、さらにもやる展開。でまあ、自衛隊員の話を聞けなかった面々とフミが、校長にAI監視を辞めるよう抗議に行く、ということになって。AI監視システムの導入効果についてマスコミ取材を受けていた校長のところに押しかける。のだけれど、AI監視システムについてインタビューされると言うことは、まだまだこのシステムは一般には普及していない、ということだよなあ。それはさておき、取材陣を追い払ったフミは鍵を閉め、大衆団交と相成る。古いねえ。 校長の監禁と話し合いは延々とつづくが話は進まない様子。校長は部屋の隅で小便? じゃ、女の子はどうしたんだ? と心配になったぞ。で、校長側から寿司の差し入れがあるけど生徒たちは手をつけず。と思ったら校長は「食わなきゃ退学にするぞ!」と脅す。と思ったら、生徒側からも、なんかわからんけど差し入れがあり。じゃ、この団交はどうなるのかと思ったら、結果は見せずに生徒がだらだら歩いてる。どーいう結末だったんだよ! ところでこの団交にコウはなぜ参加しなかったんだ? で、卒業式の予行演習があり、そこで校長は、自分のクルマを屹立させたやつは白状しろ。白状したらAI監視システムは撤去してもいい、と和解を提案するんだが、なんで校長はそんな弱気になるんだ? 別に学校が危機的状況にあるわけでもないのに。へんな展開だ。と思っていたら、ユウタが壇上に上がり、僕が1人でやった、と告白。ユウタと目が合ったコウは動揺している。ので、実は2人でやった、というのが真相なんだろうけど。でも、あれ、どうやったんだ? ユウタが告白のあとで、「僕は超能力者だ!」と宣言したら愉快な展開になると思ったけど、しなかった。でもじゃ、どうやって素手でクルマを直立させたんだ? ムリだろ。あんなの、重機でもなけりゃできるはずがない。この時点でこの映画は糞だ。ところでその後、地震でクルマは倒れ、腹を上に向けるんだが、その状態でも囲いの中心にいる。それは不自然だろ。もともと囲いは直立したクルマの周りにあったはず。クルマが倒れたら、囲いの上に引っかかるだろ。そんな不自然なところばっかりだ。 てなわけでユウタはひとり退学になり、でも、母親とはいい関係な様子。で、卒業式。だぶだぶズボンのアタちゃんは背中に校長の車を刺繍した学ラン姿。でも、背中が校長に見えないようにしてるけど、あんなの他の教師には見えてるだろうに。アホな演出。その後、トムはアメリカへ。アタちゃんと台湾人の彼女はいい仲になって幸せそう。私服のユウタと、学生服のコウが、じゃあな、な感じで別れて話はお終い。とくに世の中には不穏な空気も漂っていないし、ほのぼのとしたままだ。 というわけで、なんなんだ、このマヌケな映画。生徒と校長の大衆団交、街頭デモ、警察の職質、学ランと背中の刺繍…。なんか1969年前後の世相がそのままな感じで、ぜんぜん近未来じゃないだろ。移民とか外国人差別、AI監視をとりあげたいのなら、もっと描き方を変えないと、ただの古くさい感覚の映画でしかないと思うぞ。 | ||||
2度目のはなればなれ | 10/15 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1 | 監督/オリヴァー・パーカー | 脚本/ウィリアム・アイヴォリー |
イギリス映画。原題は“The Great Escaper”。allcinemaのあらすじは「2014年夏。イギリスの老人ホームで寄り添いながら人生最期の日々を過ごす老夫婦バーナードとレネのある行動が世界中の大ニュースとなった。ひとりバーナードはフランスのノルマンディへ旅立つ。彼が行方不明になったという警察のツイート(#The Great Escaper)をきっかけに、世界中で話題になったのだ。ふたりが離れ離れになるのは、人生で2度目。決して離れないと誓った男がどうしてもはなればなれにならなければならなかった理由とは…。必ず戻ってくると信じる妻の真実の想いとは」 Twitterへは「90歳で老人ホームに妻と住むノルマンディ上陸経験者が、70周年記念イベントに参加するためホームに黙って抜け出しちゃう話。戦争場面もあって、ポスターのイメージとは大違い。でも前半ちょっとだらだらしててエンジンのかかるのが遅いかな。」 グレンダ・ジャクソンは公開前の去年6月に87歳で亡くなり、マイケル・ケインはこの映画を歳でに引退を宣言してて、今年91歳。命がけでやってる感じが見えてくる。とくにグレンダ・ジャクソンの老醜はものすごく、よたよた歩いてるし背中も丸まってた。そして、かつての美女がその衰えを各層ともしない。という意味で凄まじい。 90歳のバーナードはどうしてもDデイ70周年記念式典に行きたくて、妻と住んでたホームから黙って抜けだし、ドーバーをフェリーで抜けだし、フランスに行ってしまう、という話。どうやら参加申し込みを忘れたとか言ってたけど、誰でも申し込めば行けたのかどうか、よく分からん。式典に参加するかしないか、なのかな。それとも金がなかったのか。 身体の調子は妻の方が足腰弱ってて、バーナードはひとり暮らしできたけど、一緒に住みたいから入居した、みたいなことを行ってたな。入居にかかる費用はどうしたんだろ、とか気になってしまうのだった。 で、参加したかったのを妻も知ってて「だったら一人で行きなさいよ」なことを言ってたけど、「いやあ…」な感じでにごしていたのが、突然、出奔してしまった理由が、よく分からず話が進むのだよね。まあ、おいおい分かってくるけど。 戦時の場面も登場する。バーナードは上陸用舟艇の担当かなんかで、乗ってた戦車兵の若者と会話を交わしている。弾丸爆撃降り注ぐなか、若者は恋人への手紙をバーナードに託す。なんかの缶に入れて。で、上陸直後に被弾してしまう。というのがバーナードのトラウマで、どうやらその手紙を、ノルマンディー近くにある戦没者墓地にもっていくのが願いだったようなんだけど。なもの、わざわざ70周年記念に合わせてもって行かなくても、いままでいくらでもフランスへは容易に行けただろうに。と、思ってしまうのだよなあ。 いっぽうで、フェリーで知り合った元航空兵にして私立学校の校長をしていたという紳士と知り合い、寝室がないなら一緒にどうだ、と誘われてラッキー。というか、このフェリーも式典参加者がチャーターした専用だったのか? それにしても、大して金も持たず、でも、一般客として船室がなくても乗れた、のか。なんかよく分からんな。それに、フェリーで一泊するんだけど、海峡を渡るのにそんな時間がかかるのか? もしかして、ノルマンディーまで一気に乗ってっちゃったのかな。 元航空兵の爺さんは、仲間もいるようだったけどバーナードにやさしくて。会食の席に呼んだりなんだり、面倒をみてくれる。とか、フェリーに乗るとき知り合った若者で、アフガンで地雷を踏んで義足になったという黒人とか、エピソードはあるけどあんまり印象的ではないかな。むしろ、元ドイツ兵のグループも式典開催場所に来ていて、でも、バーでこぢんまりと飲んでいる、というのが興味深かった。そうか。連合軍には戦勝記念の始まりだったけど、ドイツ軍にとっては敗戦の始まりでもあったわけで。悔し涙の酒をあおる元ドイツ兵もいたのか。へー、な感じ。しかも、バーナードは元航空兵の爺さんがアメリカ人に交渉してわざわざ取ってくれた、式典参加のパスポートをドイツ人に与えてしまう。元航空兵の爺さんもまた、自分のパスポートをドイツ人にくれてやる。地味にいい話だな。でも、ドイツ兵は式典に参加したかったのかな? それは疑問。ところで、パスポートの席はオバマと英国女王の近くだったらしいので、それはそれでもったいなかったんじゃないの? 元航空兵の爺さんのエピソードもなかなかよくて。自分の弟が同じ航空兵で撃墜された。けれどレジスタンスに助けられて匿われていた。その都市を、自分が爆撃した。以降、フランスのその都市には行けなくなった、と。で、バーナードは彼を連れ、戦没者が葬られた墓地に行く。で、バーナードは例の戦車兵の名前を見つけ、恋人への手紙の入った缶を墓標に置いていく。ところで、元航空兵の爺さんは、弟の名前のある墓標を見つけられたのか? が、分からないので、ちょっともやるな。 というわけで、バーナードのミッションは分かるんだけど。戦車兵とのやりとりは、たんに若い兵士同士が上陸時に会話を交わした程度かと思っていたので、なんか、あの手紙はちょっと突然感があるな。それに、恋人への手紙を会ったばかりの人間に託すか? とも、さらに、バーナードは、なぜその手紙を恋人のところにもっと早く届けなかったんだ? とも。住所が分からん? 調べろよ。とかね。 もうひとつの過去のエピソードは、バーナードとレネの出会い。そして、Dデイのためにまず別れ、そして、70周年記念式典のために2度目の別れを味わった、ということ、らしい。それぐらい、ずっとべったりだったのか? おいおい。 ところで、バーナードの行方不明はホームで騒ぎになり、警察も捜索を始めることになった。で、どうやって無事がわかったんだっけかな。忘れた。のはいいんだけど、フランスでテレビを見てたら突然ニュースで、バーナードの脱走劇が報道されて、見ていたバーナードはびっくり。という顛末は、ちょっと突然すぎだろ。なんでそんなニュースになるのだ? 警察が捜査していたのがマスコミにバレたのか? それでホーム関係者が、行方不明の理由をべらべらしゃべったから? なんか、このあたりはテキトー過ぎて違和感だな。 とにかく、戦友の手紙も置いてきて、長年の心残りもすませ、フツーにイギリスに戻るとマスコミが退去して待ち受けている、のだけれど、これしきの話がニュースネタになるのかいな。ちと大げさ。 こんだけ老人が登場すると途中で誰か死ぬ展開になるのかなと思ったらそんなことはなく、バーナードは無事にレネに再会。2度目のはなればなれは、一時のことでした。 しかし、「2度目のはなればなれ」って題はどうなのかね。そういうセリフはあったけど、そんなロマンチックより、“The Great Escaper”を受ける「大脱走」とか「ノルマンディーへの大脱走」でいいんじゃねえのかな。 最後に、半年後にバーナードが亡くなり、その7日後にレネも亡くなった。と字幕が出るんだけど、事実ベースの話のようだ。 | ||||
チャイコフスキーの妻 | 10/16 | 新宿武蔵野館2 | 監督/キリル・セレブレニコフ | 脚本/キリル・セレブレニコフ |
ロシア/フランス/スイス映画。原題は“Zhena Chaikovskogo”。公式HPのあらすじは「ロシアの天才作曲家ピョートル・チャイコフスキー。かねてから同性愛者だという噂が絶えなかった彼は、恋文で熱烈求愛する地方貴族の娘アントニーナと、世間体から結婚する。しかし女性への愛情を抱いたことがないチャイコフスキーの結婚生活はすぐに破綻し、夫から拒絶されるアントニーナは、孤独な日々の中で狂気の淵へと堕ちていく…。」 Twitterへは「悪妻というのは知ってたけど、こういうことだったのね。なぜ一方的に彼女から迫ったのかとか、作曲家がそれを受け入れた理由がもやるけど、彼女はそんな悪くないじゃん。前半はトロトロ、後半から面白くなっていく感じ。」 そうか。チャイコフスキーはロシア人だっけか。なんとかスキー、だもんな。当たり前か。なんてことを思いながら見てた。 しかし、冒頭からの流れはテキトーというか、論理的でないし、説明も少ないので、いまひとつ乗れず。まずは冒頭は葬儀の場面。みんなが悲しんでいる場に、女性(アントニーナ)が入って行く。と死人が起きだして「誰があの女を呼んだ!」と怒りだす。は? 生前葬なのか? と思ったら過去にもどって、すでに作曲家として著名なチャイコフスキーに簡単に接触し、好きです、と一方的に告白して結婚したいという。手紙をもらったチャイコフスキーも簡単にアントニーナの家を訪ねて来るし。このあたりの常識的な感覚が理解できず。 アントニーナの正体も、映画を見ているだけではよく分からない。貧乏な子供に金を恵んだりしてるから金はあるのかも。ひとり暮らししてるようだけど、チャイコフスキーとの一件を家族に話す場面では、妹だのたくさんいたりする。あれは実家なのか。地理的関係も分からんので、なんだかな。それに、母親はチャイコフスキーをまったく知らない。妹は、よく知っている。てな描写で何を言おうとしているのだ? 訳分からん。 好きだ、好きだ、結婚しか考えられない、と想う気持ちは、どっからでてきたのか? きっかけとなるエピソードもないので、困惑するだけ。ドラマがないじゃん。とか思ってると、チャイコフスキーも、じゃ結婚するか、ってなっちゃう。はあ? お前に意志はないのか? せいぜいあるとすると、アントニーナの言いだした、持参金と土地を売れば何とかなるお金、につられてなの? と思うぐらい。後半になって誰かが、チャイコフスキーは同性愛を隠すために結婚したんだ、というけれど、そんなんで結婚できるのか? 訳分からん。 で、なんとなく結婚。チャイコフスキーは友人たちに、お前が結婚? と揶揄されながらだけど。しかし、この映画、チャイコフスキーの人となりも、ほとんど描かれない。結婚しても妻に触れず、キスを嫌がり、仕事だ、と行ってどこかに消えていくだけ。お前の私生活はどんななんだよ。と、いらいらしてくる。 そのうち弁護士を通じて離婚したいといってきて、でその理由がチャイコフスキーの不倫、ということにするという。どうも当時のロシア簡単に離婚できないようで、でも、アントニーナに理由があるわけではないので、チャイコフスキー側として離婚できる状況をつくりだした、らしい。変なの。というか、そこまでして離婚したかったと言うことか。でも、偽装結婚したのはチャイコフスキーの方なのに、なんで? な気もしてしまう。アントニーナが男女関係をもとめることでチャイコフスキーは仕事ができなくなる、ということなのかね。 チャイコフスキーのご乱交も、とくに描かれない。友人だかが、彼は若い男が好きなんだよ、と話していたけど。妻に悩んでいる様子も描かれない。なので、ますますチャイコフスキーという人と柄がわからんのだよな。 チャイコフスキーは家を出て行ってしまい、アントニーナは相手の弁護士を通じてしか接触できなくなる。弁護士が言うには、離婚してくれたら毎月なにがしの生活費を与える。あるいは、まとめて相応の資金を与える。だけど、アントニーナはそれを拒否してしまう。私は、チャイコフスキーの妻よ、の方が大事だった、ような描き方を映画はする。のだけれど、その後のアントニーナは毎月、生活費をもらっているようなんだよな。あれが、よく分からなかった。離婚への対価とは別に、生活費はもらってた、ということなのか? さらに、アントニーナは、自分側の弁護士を雇っていて、どうやら彼と関係をもつようになる、な描写で出てくる。でも、具体的ではないので、弁護士? どいつだ? な感じでしか分からんのだけれど。 2人の出会いと結婚生活の時代については1877年、と字幕が出るけど、以後、字幕が出なくなるのが、へんなの。 こうやって、どろどろになってから、映画は多少面白くなってくる。いろいろイメージ的で幻想的にもなってくるし。品位のあったアントニーナが堕落し、製に溺れていく様子とか、も妙にエロチックだったりするし。たとえばチャイコフスキーの知人のオカマで赤い衣装の男に相談すると、若い男が5、6人現れて裸になり、アントニーナのまわりをチンチンはねらかして踊ったりする。赤い男は、だれでも好きなのを選びなさい、といったけど、あの後は乱交だったのか? いや、あのすべてがアントニーナの妄想? あるいは、弁護士らしいのとヤリまくりの場面とか。かと思うと、アントニーナの出産場面がでてきて。弁護士が「今度は男か女か?」なんて尋ねる。ってことは、何人も産んでいるということだ。そして、弁護士(だと思うけど)が病に犯されて、でも性欲はあるのか、アントニーナが股をひらいているそばでマスをかきつづけるとか。なんなんだ? 必要あるのか? というような場面が出てくる。と思ったら、素っ裸の死人がちんちんも露わに台に横たわっているけれど、あれは弁護士だよな? チャイコフスキーじゃないよな? とか、よく分からんところもあるんだが。 後の方で、アントニーナの妄想で、チャイコフスキーとアンとニーナ、子供が3人で記念撮影する場面が登場するけど、アントニーナはそういう家庭を築きたかったのだ、という妄想かもね。どうやら3人とも施設に預けたけれど、みな死んだ、と言っていた。 極めつけの妄想は、チャイコフスキーのコンサートを訪れ、終演後に彼に接触し、嫌みと褒め言葉をいうところかな。チャイコフスキーは別室に彼女を連れて行き、会話をしているのだけれど、あれこれしゃべっていたアントニーナが振り返ると、部屋は空っぽ。すべては彼女の願いからきた妄想なんだろう。 しかし、そこまでアントニーナがチャイコフスキーにこだわった理由が分からないので、彼女への気の毒さも共感もいまいちかな。やっぱり、なぜ彼女がチャイコフスキーにこだわって一方的に求婚活動をしたか、がないので、説得力は薄いよな。 まあ、たぶん、史実を元にしているとはいっても大半が創作と思われるので、そこは話半分以下に見ておくのが良いのかな。一般に、チャイコフスキーの妻は悪妻、と言われているのは知ってたけど、この映画は悪妻と言うよりは、気の毒な妄想患者として描いている感じかな。 アントニーナは1848年生まれというから、1877年に結婚したときは29歳か。一方のチャイコフスキーは37歳。そんな年は離れてないじゃん。 最後に字幕で、離婚してから40年会うことはなかった。1917年精神病院で死去、とでる。でも、Wikipediaによると数回会っているようなことが書かれているぞ。で、彼女は68歳没なのか。Wikipediaによると最後の20年間は精神病棟暮らしだったらしい。ちなみにチャイコフスキーの没年は1893年で、53歳。 もっと、チャイコフスキーの栄華とか男漁りの様子が具体的にもって描かれると、面白くなったような気がするんだけどね。 | ||||
探偵は映画を見ない | 10/19 | シネマ プルースタジオ | 監督/渡邉高章 | 脚本/渡邉高章 |
ブルースタジオのあらすじは「浮気調査の依頼を受けた探偵・成瀬健二は証拠写真を持って依頼人の人妻・杏野くららと会う。調査終了のはずが物語は思いも寄らぬ方向へと転がっていく。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。13分36秒の短編。 喫茶店で、夫の浮気調査の結果を教えてもらう妻。中味は連れだって歩く写真だけで、相手の素性は調べられていない。という状態。この日は映画サービスデーだとか、写真に写り込んでいる店の名前が「ストレンジャー・ザン・パラダイス」で、そこから監督の名前なんだっけ? でも探偵は答えられず、喫茶店の店主が「ジム・ジャームッシュ」と応えると、探偵が「そうそう。ジム」といって、「ジャームッシュはジャームッシュ」と依頼相手の妻にたしなめられたり。探偵が「デジャヴュ」を連発するので、「私の好きな映画に『恋はデジャヴュ』があるの」という話になったり。妻は映画好きなのか、映画の話題を持ち出すんだけど、探偵はあまり知らない。で、コーヒーのお替わりを頼んだとき、やってきたウェイトレスの顔を見て、妻が「あれ?」。なんと夫の浮気相手とそっくり。てな話で、最後に、気の利いた風なセリフで締めたけど、どういうセリフか忘れた。 ・セリフが聞き取りづらい ・エンドロールの文字が小さすぎて読めない | ||||
シュナイドマンの憂鬱 | 10/19 | シネマ プルースタジオ | 監督/古本恭一 | 脚本/水津亜子 |
ブルースタジオのあらすじは「人生に絶望した男が山道を登っている。やがて辿り着いた先は断崖絶壁。そこに謎の人々が突然現れ、飛び降りたい男をそれぞれに見つめる…。小さな美しい岩壁で繰り広げられる。シュールで騒がしい短編コメディー。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。22分7秒の短編。 山登り、というか、トレッキングしてるようなのが出てきて。渓谷に架かる橋がでてきて。自殺志願者みたいな人が出て来て。止めるのか後押しするのかよくわからん女性がでてきて。と思ったら、やたら蘊蓄を語るジジイが出てきて。でこのジジイ役が大和田伸也なんだけど、どういうつながりで出演してるのかよくわからん。飛び降りた人の靴を売る店? みたいのがでてきたり。なんか、よく分からん話だった。ので、少しだけウトッとした。この映画のひどいのは音声で。ミュートしたみたいに聞こえない、あるいは、極端に低くなったりしたと思ったら、大和田伸也の声はちゃんと聞こえたり。もしかして、主人公(そんなのがいたら、の話だけど)には、声が遠く聞こえたり、はっきり聞こえたりしているのを表現しているのか? とにかく、分からんしつまらなかった。 「シュナイドマン」って何? 調べたら、アメリカの自殺研究者らしい。なんか、監督か脚本家の自己満足なだけの映画だな。 ウェブで調べたら予告編があって。主人公の自殺志願者は他の登山者と一緒に撮影したりして、それがSNSで拡散され、見られてる、てな話だった。ああ、そういえば、な感じ。しかし、イメージ優先でゴチャゴチャと描かれてるので、よく分からなかったのは事実。 | ||||
クライ・バニー | 10/19 | シネマ プルースタジオ | 監督/河村永徳 | 脚本/河村永徳 |
ブルースタジオのあらすじは「コロナが蔓延し経済活動が滞った東京。そこでひっそりと暮らす自殺願望者の田中広菜(20)広菜は幼い頃、ある事がきっかけで解離性健忘障害を患っていた。その広菜を巡り奇妙な動物や人々とのふれあいの中で少しづつ心の扉を開いていくのだった。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。90分。 コロナ期。バニーガールとして働いている広菜だけれど、同僚からは嫌われ、落ち込んでいる。(同僚にビンタされるは、なんで? 同僚がマスクを取り替えて、伝染した? あんな血のついたマスクして伝染するのか? というよく分からん場面が…)。 で、コロナにかかったけれど、自宅療養を言い渡されて寝てる。のだけれど、食べ物がない、と保健所みたいなところに電話で相談するけど、すげなくされる。実際にそういう対応だったのかはよく知らない。ところでクスリや水は自宅にあるようで、枕元にたくさん置いてある。のが、よく分からん。買いに行ったのか? と思っていたらどうやら自殺願望? もでたようで、口からクスリを吐きだして「死ねない…」とかつぶやいている。しかし、死にたい理由が分からん。バニーの仕事を首になったから? こじつけもいいところ。 で、次は溺死だ、と川に飛び込み救急車でICUに。はいいんだけど、溺れてICUってあるのかいな。 なんとか自宅に帰ってきて、でも、家の中にはオバサンの霊とオッサンの霊がいる。オバサンの霊の心残りは、むかし自分が開いていた子ども食堂でまた子供たちに食べさせてあげたい、とかいうもの。オッサンの霊の心残りは、ラストシーンを撮れなかった映画があるので、なんとか撮って完成させたい、というもの。2人が言ったんだったか忘れたけど、なんと広菜の体は病院にあり、帰ってきているのは霊体のようだ。この世とあの世のハザマに存在しているから、2人の霊が見えるのだという。でも、広菜の霊は実体と同じく他人から認識されるし、モノを持ったり行動したりできるんだ? 完全に死んでないから? なんか無理がないか? このあたりで、同じ住居の変なオッサンに、あんたの住んでる部屋は事故物件だから、と言われる。この話によって、オジサンとオバサンの霊はあの部屋で亡くなった過去の人? と思わせ(実は両親と後で分かるけど、ミスリードさせている)てるのは、なるほど、だったかな。 で、監督オッサンの過去の話とか、子ども食堂オバサンの過去の話とかがはさまる。 監督の方は、かつての助監督が恩義を感じていたのか、自費で映画を完成させる、と言いだす。ところで広菜には心残りがあって。それは育った孤児院の園長への挨拶、のようなもの。というのも園長からは何度も仕事を紹介されているのに、みな続かないというのもあるらしい。ってことは、あのバニーの仕事も園長の紹介なのか? つまりまあ、このあたりで広菜は孤児として育った、というのが明らかにされる。しかも広菜は解離性健忘症らしい。まあ、記憶喪失だな。なので幼い時代の記憶がないらしい(オッサン監督が撮影するラストシーンでも、登場する女の子が解離性健忘症だったけど、は関係はあるのか?)。 孤児院に入った経緯は…。広菜が保育園で遠足に。そこで行方不明になって保母が監督や母親に電話。監督はラストシーンを撮影中だったけれど、それを放り投げて遠足先へ。広菜は無事見つかり、監督と母親と3人で帰宅中、巨大な落石に遭う。両親は死んで広菜は生き残って記憶喪失になり、孤児院へ、ということらしい。子供が行方不明だからって仕事中の監督が飛んで帰るか、とは思うけどね。話が強引すぎ。 孤児院で育った、といっても死んだ両親は特定されているわけで、両親の写真ぐらい見るだろうし、どういう人たちだったのかも分かると思うんだが…。まあ、記憶喪失にすることで、広菜の部屋に現れた2人の霊が他人である、とミスリードさせようとしているんだろう。それはいい。しかし、霊として現れた両親の心残りが、撮れなかったラストシーンと子ども食堂の再開って、ひどすぎるだろ。ひとり残した娘の成長を見守りたい、なら分かるけど。 でまあ、映画の方は助監督や製作会社の援助もあって、16年ぐらいぶりにラストシーンを撮り終え、完成する。しかし、昔の助監督の髪型が、なんだあれ、なひどいもので、笑ってしまう。子ども食堂の方は、広菜がかつてのメニューであるオムレツを再現し、いまは成長したかつての子供たちを呼んで食べさせる、という話がある。しかし、区民会館の調理室みたいなところで子ども食堂をやってた、っていうのは、変すぎないか? 心残りをなしとげた2人の霊。これが両親のものだ、って、どうやって分かったんだっけ? 忘れちゃったな。なんか、突然、広菜は成人式みたいな恰好に憧れたのか、着物を着て写真を撮るんだけど、たしか孤児院の園長も一緒に撮ってたな。両親の霊もいたっけ? もう、記憶が曖昧。成人式姿を園長に見せたかった、の意味が分からんな。 とか思っていたら突然、広菜の手が薄れてきて、病院にいる肉体が死にそうになる、のかな。で、病室のシーンになるんだけど、病室や医師たち、衣服が、広菜が入水したときとまったく同じままで。広菜の着ている服も同じ。っていうことは、入水してからわずかな間の出来事なのか? すべてが。園長に会ったり子ども食堂の真似をしたり、も、一瞬の出来事なのか? で、最後はどうなったんだっけ? 広菜は生き返るんだっけか。死んじゃうんだっけか。忘れてるよ、もう。ははは。 ・広菜の飼っているウサギも、霊体なのか? 行方不明から帰宅するときのタクシーの運転手がウサギになった、は牽強付会過ぎではないの? ・で、映画の冒頭で広菜がバニーガールの仕事をしているのは、このウサギと関係あるのか? ・ウサギが喋る、を人間が聞いている不思議。違和感持たないのか? ・監督が、広菜が行方不明になった、と保育園の先生から連絡があって電話に出るんだが、スマホで出るのはないだろ。16年前だろ? スマホはまだないだろ。 ・ラストシーンが撮れてないからお蔵入り、は変。いい映画なら、だれかが撮って公開するはず。ろくな映画じゃなかった、ってことだろ? | ||||
トワの欠片 | 10/19 | シネマ プルースタジオ | 監督/香田卓也 | 脚本/● |
ブルースタジオのあらすじは「怠惰でちゃらんぽらんに生きてきた”わと”は遺産目当てに実家の民宿に帰郷する。再会した父の突然の死。『わとの名前の由来と、ささやかな父の気持ち』。夏、丁寧な手書きのお礼状を書く整った身なりのわとの姿がある」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。34分。 鴨川あたりで民宿を経営している父親が、脳出血かなんかで倒れた。で、都会ですさんだ生活をしていた娘に連絡すると、いやいや戻ってきて手伝い出すけど、再度倒れ、死んでしまう。父親は、帰ってきた娘に「使い切れないぐらいの遺産を残してるよ」と話していたけど、死後、調べても現金はないし通帳もすっからかん。家は、海と、崩落しそうな崖に挟まれているせいで買い手が付かない。しかも3年前の火災でローンが残っている、という。不動産屋だか誰かが、この家はもともと有名な人の別荘で、売らずにそのままにしたらいいですよ。といってから1年。真面目に民宿を経営していた娘のところに死んだ父親から手紙で、弁護士に連絡しろ、と。さらに、名前の由来(ワトは、永遠を反対に呼んだから)と、あの写真にしたのか、と遺影についてひとこと。で、終わる。 手慣れた撮り方で、プロっぽいショットがつづく。なので見ていてストレスはない。のだけれど、いろいろムリがあるだろ。都会生活に慣れた娘が素直に田舎に帰るはずがない。遺産? 民宿経営でどうやって貯められる? ローンもあるのに。金があればまず返済だろ。家に金がないのが分かって、それでも残って民宿をつづけることに説得力がない。なにかきっかけとなるエピソードでもないと、観客としては納得しづらいね。たとえば、田舎で彼女を待ちつづけていた初恋の相手がいるとか。まあ、これも陳腐だけど。さらに、1年後に手紙を配達するというサービスがあるのかどうか知らんけど、2度目に倒れる前に出した、ということだよな。ということは、自分の死を予見していた? これもムリがあるだろ。ガンかなんかで余命半年、とかいわれてたならまだしも。 というわけで、映像は洒落てるけど話自体は、なんだかなあ、な感じ。あれで遺産(いくらか知らんけど)が入ったら、遊びまくるんじゃなすかな。 | ||||
香港來的Diana〜香港から来たダイアナ〜 | 10/19 | シネマ プルースタジオ | 監督/藤本直樹 | 脚本/藤本直樹 |
ブルースタジオのあらすじは「この映画は実際にあった出来事に基づいた作品であり、香港、日本という2つの異なる国を、香港から来た女性の佐藤ダイアナと、日本人男性の長安拓の2人の異なる視点を交えて描いたドキュドラマである」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。84分11秒。 撮り方は多少ぶきっちょで、セミプロな感じの仕上がり。で、エンドロールを見たら、主人公の名前が登場人物と同じ。冒頭に「事実に基づく話」とあったけれど、当の本人を主人公にして撮ったのか。ならば主人公佐藤ダイアナの演技が素人っぽいのはしょうがない、と。 冒頭は、どっかの喫茶店で話を終え、別れた女性が、浅草の橋を渡る場面。で、半年前だかに遡り…。 ダイアナは浅草の近くの一戸建てに小学生ぐらいの息子と2人暮らし。生活費の足しにするため、中国語教室を開くことにする。彼女は、どうやら日本人と結婚した香港人で、でも、夫は亡くなっているようだ。1回90分で3000円。土曜は喫茶店、日曜は区民会館の会議室を借りて始めた。最初の生徒は女性で、多少、経験がある。もう一人は男性で…。 で、この男性、長安の話が冒頭近くから平行して描かれる。宅配をしていて、毎日、軽で町をうろついているようだ。仲のいい先輩がいて、派遣のコールセンターで働いていて、大学の部活時代をなつかしむ。リーグ優勝もしたのにプロには縁がなく、派遣でこき使われている。情けない。と。 先輩には同棲している彼女がいるが、長安の彼女は「正社員にもなれない人と結婚はできない」と去って行ってしまった、らしい。先輩と食事してるときにBGMで『恋する惑星』の「夢中人」のインストがかかって、知ってる曲だ、と物思いにふける。あるいは、一人で中華に入って、酢豚のパイナップルを避けて食べる。と、店内に中国語教室の案内があって…。 ここまで淡々と、とくに事件もなにもなく、ケレンも何もなく人物紹介と背景の説明なんだけど、これがなかなか興味深くて見てしまうのだよね。とくに長安の不思議なキャラがおかしい。何を考えてるんだろう、この男、な感じで。ただし、先輩を演じる役者の目つきが悪すぎて、コワい。あれはどうにかならなかったかな。 で、ダイアナのところに長安からメールで、教室に参加したい、と。「フェイ・ウォンが好きだから中国語を習って香港に行きたい」に、「彼女はいま北京に住んでるはずよ。それでも中国語が習いたい?」「はい」。というわけで、ダイアナと長安の中国語レッスンが始まるんだけど、これがなかなか面白いんだよね。ただ、ニーハオとか板書して長安が発音知るだけなのに、なんでかしらんが見てしまうおかしさがある。長安の、真面目にヘタな発音とか、くすくす笑ってしまう。 1時間は授業で、あとの30分は雑談なんだけど、長安の「なぜ酢豚にパイナップルが入っているのか?」とか、の話もムダにおかしい。かと思うと、ダイアナ主催でワンタンパーティが行われ、長安と先輩もくることに。少し前に先輩は派遣ぎりにあい、同棲中の彼女に逃げられて落ち込んでいるところだったんだけど、ワンタンにつられたらしい。 この頃(2020年5月あたり)から香港でデモが発生し、当局の弾圧が始まる。これに長安が反応し、ネットニュースや反中国のサイトを見始める。映画の方も、ほのぼの路線から一気に政治的になる。 「中国人は日本が嫌いなようだけれど、どうなんだろう?」にダイアナは、香港で夫と知り合い、日本にやってきたが夫がなくなったいまも日本に住んでいる。夫との間に生まれた子供のためにも、てなことを話す。長安自身は、中国人が嫌いかどうかは分からない、と応える。 そして長安は「香港に行ってデモに参加したい」とダイアナに言うが、ダイアナは「いま、香港は共産圏の一部。香港が独立するのはむずかしい。行かないで」と話すが、長安からの連絡が途絶える。香港についてはコロナの影響と香港国家安全維持法の成立で、デモは収まった、らしい。 そして冒頭シーンにもどって、熱い夏の浅草の橋の上。ダイアナの携帯が鳴り出す。ダイアナが耳に当てると…。で、映画は終わる。これが長安からの電話なのか? 意味深な終わり方もなかなかいい。 最後の方は、急に中国敵視な感じになってしまうんだけど、露骨なメッセージになるのをなんとかさけて、長安という日本人の、香港に対する勝手な愛情な感じで終わってる。 というわけで、ときに笑いつつ、香港人の現在の香港に対する見解も聞けたりして、興味深く面白かった。 ・香港人は布団にシーツしないで寝るのか? ・息子が登校するとき「帰ったら宿題、そのあとゲームは1時間だけ」というためだけに玄関に出るのにショルダーバッグかけていくか? ダイアナさん。 ・監督名とか、役者名がすべてローマ字なのはいかがなものか。読みにくいし、必要性がまるでない。 | ||||
蠱毒 | 10/20 | シネマ プルースタジオ | 監督/澁谷桂一 | 脚本/澁谷桂一 |
ブルースタジオのあらすじは「初夏。山下を訪ね、村井と石森という二人の若い女性があるアパートへやってくる。三人は恋バナに花を咲かせるが、山下の「隣の部屋に何かがいる」という言葉をきっかけに、彼女達の抱える狂気が部屋に溢れ始める。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。17分12秒の短編。 話は↑のあらすじにある感じなんだけど。来客二人が部屋に入ると、隣室への襖が封じられている。住人は、とくに説明しない。住人と来客のひとりは大学の友人で、もう一人の来客は、一緒に来た娘から東京に住む男友だちを紹介され、会いにやってきた、らしい。なんて話をだらだらしていて、ひとりがトイレに行き、でると別の部屋に出てしまう。このあたりからホラーっぽくなってくるんだが、こっちの部屋でも、トイレに行った娘が迷い込んだ部屋からも異音が聞こえたりする。あたりから、来客娘2人が、どっちがどっちか分からなくなってきて、話についていけない。とかいってると、来客の1人が住人娘に「このアパートはもう存在しない。火事にあって、黒焦げの死体がでてきた」というと、住人娘が「でも、首は出てこなかったんでしょ」とかいう話になって。だからどうした、と思っていたら、さっさと映画は終わってしまった。なんなんだ。 カメラぶんまわしはやめてくれ。 | ||||
最期の一日 | 10/20 | シネマ プルースタジオ | 監督/仲野毅 | 脚本/仲野毅 |
ブルースタジオのあらすじは「河原で語り合う二人の男。旅の途中の若い男と、何年もの間そこに座り続けている年老いた男。年老いた男の求めに応じ、若い男は外の世界で起こった出来事を語り出す。太陽が膨らみ始めてからの、人類の物語を。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。52分17秒の中編。 モノクロ。河原にジジイがいて、2日前に青年がやってきて出会った、という設定。太陽が膨張し、さらに、セックスすると死ぬ病が流行。ワクチンを開発すれど、今度は男女が接触すると即座に灰になる病に進化。子供もできないし、世界は終わり、と青年が話す。それをジジイは、はじめて聞く話かのようにうなずいている。まずおかしいのは、世界がいかに終わったか、をジジイが知らないことだ。もちろん、その後にジジイは青年の見ている幻想であることは明らかにされる。でも、幻想とは言っても、青年が不自然さに気がつかないことは変だろ。なぜあんたは年上なのに、世界が終わっていった経緯を知らないのだ? と。 さらに、もう何年も人を見ていないジジイが、食料をどこで調達してるのか。青年が生まれてからのことだから、十数年だろ? 死んだ連中の死骸はどこにあるんだよ。とか、そんなことに突っ込みながら見てたんだが、青年がふと気づくとジジイはすでに骨になってた死骸だった、というオチ。ジジイは幻覚だったということね。それはいいけど、そういう設定の中にも整合性はつけて欲しい。たとえば、ジジイの死因はなんなんだ? セックスしたから? 接触したら瞬く間に灰になるというのに、ガイコツが残った死に様というのはおかしいんじゃないか? ところで、人類はセックスあるいは男女の接触によって滅びた、と。ではLBGTの方々は関係ないのでは? 自然死はするだろうけど、かなりの数が生き延びているんじゃないか? ところで、女は出てこないのかと思っていたら、ラスト近くに出てきたよ。モネの絵みたいに日傘さして、清潔な服で登場した。これはあり得ないだろ。もっとボロボロでサバイバルな恰好で出てくるべきだろ。彼女は幻想の存在ではないのだから。 とはいえ久しぶりの人間との遭遇。なので走り寄る2人。でも、一歩手前で止まる。接触したら死ぬから、だろう。けれど、我慢できず、というか自然に抱き合って、フェイドアウト。クレジットの後に、抱きあった2人がカラー映像になって。「あ、まだ生きてる」なんで言う。 まあ、よくあるパターンだな。病も流行が終わると効果が薄れ、死病ではなくなった、ということだろう。でも、タイトルは『最後の一日』なので、このあと2人は灰になって、この世から人類はいなくなるのかな? 知らんけど。 ジジイがだらだら蘊蓄垂れてる場面が前半にあって、とても退屈。 ●少し前の席で携帯画面を光らせるやつがいて、3度目につけたとき近づいていって注意してやった。 | ||||
コラン・ド・プランシーの万年筆 | 10/20 | シネマ プルースタジオ | 監督/山本大策 | 脚本/山本大策 |
ブルースタジオのあらすじは「未だ出版に至らない貧乏小説家、須田尊。ある日、宝石のように美しい万年筆に心を奪われる。「最初の読者にしてほしい。」 店の女主人はこの約束を守れるなら安く譲るという。この日から尊の運命が一変するのだが…。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。58分の中編。 映像は自然で、手慣れた感じ。ただし、終始手持ちカメラがゆらゆらしてて、見てると多少不愉快になるな。 骨董屋で魅力的な万年筆と出会った、売れない作家。女店主は、「あなたは物書きでしょ? だったら1800円でいいわ。その代わり、私を最初の読者にしてくれるという条件で」というので買ってしまう。その万年筆を使ったところ、自分が意識しないのに手がひとりでに動き、原稿用紙を埋めていく。右手は自動書記のまま、左手で書き上がった原稿を読み「面白い」と感動する始末。完成した原稿を編集者に見せると「傑作です。本にしましょう」と言われ、出版すると300万部のベストセラーに。後ろめたさはあるのか、骨董屋の近くまで行くが、結局、女店主には会わず…。という理由が分からないのがこの映画の困ったところ。自作を最初に見せない理由が分からないよ。見せたくない、のか? なぜ? 店主を最初の読者にすることで不利益はあるのか? それが描かれていないので、映画の説得力がなくなってしまう。この映画の弱点だな。 とはいえベストセラー作家になって、有頂天で自作を書こうとすると、原稿用紙に万年筆からの問いかけが書かれる。よく読めなかったけど「爪」だったようで、爪が剥がれてしまう。そのひきかえに、第2作が完成。これまた快作で、賞ももらえた様子。それでも原稿を店主に見せない。ひねたやつだな。 3作目に対する万年筆からの要求は、これまた画面では読めず。文字が小さいし、書き文字だからなおさらなのだ。骨でも折れたのか、執筆後、杖をついて歩くようになる。 4作目に対して、なんと万年筆は彼の「母」を要求する。でも、それはできない。そこで彼は万年筆を川に捨て、自分の力で鉛筆で小説を書くが、編集者から、冗談でしょ、これじゃ出版できない、と言われてしまう。落ち込むが、ふと机を見ると、なぜか捨てたはずの万年筆が帰ってきていて、再度「母」を要求する。しかし、やはりそれはできない。 母の代わりに彼は自分の命と引き換えに、第4作の原稿を万年筆に書かせ、自分が最初の読者となって快感に浸りながら狂い死にしていく…。 後日談が最後に。あの骨董屋。若い女性が万年筆を覗き込んでいる。女店主は、「これは、あの何某という小説家のもので、彼の作品では何々が最高です」という。あの、鉛筆で書いて編集者に酷評された小説だろう。女店主は、またしても同じ条件で、その万年筆を彼女に売りつける。というありがちな感じだけど。 なぜ彼は、骨董屋の女主人を最初の読者にしなかったのか? その理由が分からないので、いまいち。もしかして、自分が最初の読者になってしまった、あるいは、なりたかったから? うーむ。 ・自動書記で、原稿用紙に書かれる万年筆からの要求が見にくい。あれはちゃんとアップにして見せるべき。 ・小説家が書いたのは冒険譚のエンタメだな、ありゃ。あんなんじゃなくて、耽美的な純文学にするべきだろ。 | ||||
相談 | 10/20 | シネマ プルースタジオ | 監督/張曜元 | 脚本/● |
ブルースタジオのあらすじは「大田は中村から暴力を受けたと訴え、警察に通報し、事情聴取のため警察署に向かうことに。大田は弁護士の聡を呼び出し、事件について相談するが、聡は終始冷ややかな態度で、事態は想定外の方向に…」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。30分33秒短編。 警察署に呼ばれ、女性刑事と、弁護士と、ぐちゃぐちゃ話が始まる。次第に話が分かってくる流れで、脚本はうまくできてる。どうやらまとめると、中国残留孤児で日本にやってきて、働いていたけどうまくなじめない太田。いままで働いていた工場も、突然首を言い渡され、暮らしていけない、ととまどった。それで、担当の中村に再就職を願いに、煙草1カートン持参で訪問したが断られ、そこでトラブル。太田は「先に殴ってきたのは中村」といい、中村は「暴力を振るわれた」と、話が噛みあわない。弁護士は、裁判沙汰にすれば金もかかるし、ここは示談がいい、というのだけれど、太田は納得しない。どうしても再就職したいらしい。争い事のあった職場に復帰しても、今まで通りは働けないだろう、中村もこのトラブルが元で自宅待機になっているようで、交渉の余地はある、と言われても太田は納得しない。とかいってたら、中村の方から提案があり、太田が工場長の前で自分に謝罪すれば、今回のことは不問にする、というもの。ただし、職場復帰が叶うのかどうかは、説明されてなかったような…。でも、太田は、どうしても中村に謝りたくない様子で。弁護士は困った状態。というところで、新たな証拠が。 太田が再就職を願いに会社を訪れたとき、関係者以外立入禁止の場所を通り、さらに、中村のプードルを蹴り飛ばしている監視映像がでてきたのだ。太田は「なんだ、犬ぐらい」というが、この映像で立場が不利になってしまう、らしい。 それと、この過程で分かったのが、弁護士が太田の実子で。ダメ親父から独立し、自費で学校に行き、弁護士にもなれた、らしいこと。その縁で呼ばれたらしい。あまりに勝手な太田に、別の弁護士を付けてくれ、といいはじめる。そういえば、弁護士が中国語で太田に話しているのはなぜなんだ? と思ったんだよね。 なところに中村が警察にやってきて。監視映像での愛犬への蹴りは、問題視しない。太田が工場長の前で自分に謝罪すれば、今回のことは不問にする、と言っているらしいことを告げられ、すごすごと階段を降りていくところで、映画は終わる。 太田を演じるのは西岡徳馬で、芸達者。この映画は彼で成立しているような感じだ。役者の存在が映画にとって大きいことがよく分かる。とはいえ、残留孤児なのに中国語を話さないし、べらんめえな口調なので、その点で気の毒さ、哀れさはあまり感じないんだよな。 しかし、思うに。馘首されても生活保護があるんだから、それをつかえば暮らしていけるのでは? まあ、ちょっとアル中気味ではあるけどね。それに、息子が弁護士なのだから、支援をうけてもいいだろう。トラブルで、呼べばくるんだから断絶状態でもないはず。と、思っちゃうんだよね。 映画の意図としては、日本になじめない残留孤児の現状を表現したいのかもしれないけれど、表面的には、短気で暴力的な、ただのダメ親父にしか見えない。ほんとうに苦労している感じがにじみ出てないところが、うーむ、かな。 最初に警察に来たとき、「そっちで待ってて」といわれて、うろうろすると、警官が「日本語ちゃんとわかってる?」と話しかけたのは、残量孤児だったからなのね。でも、あんなに日本語がペラペラじゃ、残留孤児とは思わないよな。たどたどしく話す役者が演じたら、印象は変わるに違いない。 | ||||
神と恩送り、 | 10/20 | シネマ プルースタジオ | 監督/乙木勇人 | 脚本/乙木勇人 |
公式HPのあらすじは「都内の派遣会社に勤める26歳の女性・彩織は、仕事で悩む日々を送っていた。ある日、手には彼氏の誕生日にサプライズで購入したネックレス、しかしその想いとは裏腹に浮気現場を目撃してしまう。その日の帰り道、たまたま立ち寄った居酒屋でアルバイトとして働く女性・美海と出会う。その出会いは偶然ではなく必然だった。美海との出会いで日常が少しずつ変わっていく。彩織は、実家とは疎遠で、母親とは学生時代に家を飛び出して以降、帰ることもなく年月が過ぎていた。そんな中、母親に病が見つかり、美海が付き添う中、久しぶりの実家に帰ることに・・・。これは、ある夏の日、わたしとあの人が過ごした、秘密と今に向き合う物語」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。87分56秒 建て付けの悪い映画だな。構成にムダが多すぎる。なのに、必要な場面や説明が足りない。終わってみれば何の話かと思ったら、オカルトだった。最初は、彩織の勤める会社の人間関係が軸になるのかと思ったら、しだいに別の話に移っていって、彩織と美海の話になっていく、のだけれど、そうなるまでが長すぎる。会社がらみの話は、ほとんどなくてもいいんじゃないのか? と思うほど。なのに、ムダに細かく描かれる。あれでは観客は、戸惑うよな。 しかも、似たような、というか、ぱっと見では区別できないような顔と髪型の娘がたくさん登場するので、訳が分からなくなる。みな黒髪ロングで、混乱。せめて髪型を、ショート、髪をまとめる、茶髪あるいは金髪にする、とかして分けてくれないと分からんよ。 で、軸となる話をまとめると…。 冒頭は、浜辺に座って記憶をたどる女性。これは美海だったのか? 記憶に残ってないよ。まあいい。で、ここから過去に戻って。 の、前に、後から分かる部分も含めて彩織のプロフィールをまとめておくと、鋸南町に生まれた福原彩織。幼いとき父親が出奔し、母子家庭となる。あとから分かるけど、兄がいたのね。幼いときの回想では、母娘の2人かと思ってたよ。実海と帰省したとき、兄夫妻が登場して、なに? となった。ところで兄の奔放な絵、はまるで機能していない。 高卒後、彩織は東京へ。高卒かと思ったら、お地蔵さんに「単位が取れますように」とか願っていたから、大学に入ったのか。にしては、兄もいる環境で、母の香織はいかに稼いだのか知らんが、大変だったろうに。奨学金でももらったのか? で、生活基盤はなんと北千住。フツー田舎から出て来たら中野杉並練馬あたりに住むだろうに。どういう感覚をしてるんだ。この映画、足立区の支援を受けてるから、北千住のPR映画みたいになっちゃってるけど、仕方ないのかな。もしかして、就職先が北千住? でも、住んでいるのは北千住なんだよな。 てな感じで紹介されつつ、話が始まるのは勤めている会社の様子、なんだよね。会社では新人を仕込む役割を与えられてストレス、らしいけど、このエピソードはムダに濃いけど映画的にはほとんど意味がない。新人女子社員も、ほとんど機能しないし。 で、会社帰りに居酒屋によって、そこで働く美海と出会って友達になる。のはいいけど、25歳ぐらいの設定で、会社帰りにひとりで居酒屋に寄るか? で、彩織には彼氏がいて、誕生日にプレゼント、な関係。なのに、その彼氏の誕生日に彼氏が別の女性といるところを目撃し、落ち込む。っていうか、その彼氏はなんなんだ。のちのち、その別の女性と会うことがあり、いうには、自分の名前を間違えて「彩織」となんども言ったとかなんだとか。とってつけたような話だ。で、その彼氏はちらと映るだけで、話にはほとんど関係ない。 なとき、ずっと帰ってなかった田舎に帰ろうか、という話になって。彩織は美海をつれて鋸南町へ。すると母親が入院中で、医者が言うにはあと1ヵ月という。いやいやいや。そんな話はずっとでてなかったぞ。母親が病気だから帰省、とも、言ってなかった。なんなんだ、突然。 で、ずっと態度が悪く、母親に迷惑をかけてきた自分を反省し、病室でやっと「お母さん、ありがとう」といえた、というところがクライマックスなのかね。この映画。 でも、彩織が母親を嫌う理由はどこにもない。母親は彩織をずっと気遣っていた。なぜ彩織は反抗的だったのか。の理由もなくて、あれはないだろう。家庭の不幸は母親ではなく、出ていった父親にあるのではないの? で、この映画のキモは、母親に冷たい彩織を帰省させ、「ありがとう」と言わせたのが、実は美海の“恩送り”の力だった、ということらしい。よく理解してないんだけど、恩送りした人のことを、恩送りされた人はみな忘れてしまう、という仕組みらしい。なんだこの怪しい新興宗教みたいなのは。 美海は、なぜ恩送りしようとしたのか? そういえば美海には霊感があるようだ。競馬の大穴も予見していた。ってことは、霊感娘・美海の話なのか。恩を送る、というから、送られた人がまた次の人に恩を送る、みたいに連鎖するのかと思ったら、しないようだ。もしかして、恩送りというより、恩返し、なのか? なぜ美海は彩織に恩を送ったのか? そういえば、彩織が街で傘をさそうとして帽子を飛ばされ、後ろにいた娘が帽子を拾ってくれた場面があった。彩織は御礼がわり? に傘を後ろにいた娘に渡し、自分は別の折りたたみ傘をさす、のだ。ありゃなんだ? とずっと思っていたけど、彩織の帽子を拾ったのは居酒屋娘の美海だったのか? もしかして、あのときの、傘をもらったお返しに、恩送り? なのか? 恩送りするために、美海は居酒屋に潜り込んだ、ってことなのか。でも、美海が彩織について知っているのは、帽子と傘の一件と、居酒屋で出会ったことがすべてだよな。彩織の母親のことは、あらかじめ知らないはず。なのにあそこまで彩織やその家族に尽くすのは、なんでなの? もしかして、霊感で彩織の家庭環境や母親のことも見抜いていたのか? それで、彩織と母親トン関係の修復に尽力した? それが恩送り? なんか、説得力の薄い話だなあ。 ちゃんと彩織と母親の不仲の原因、帰省しなかった理由、なんかをちゃんと描かないから、なるほど感がないのだと思う。 で、死期間近の母親を連れて、家族一同&美海で浜辺に行くんだが。帰るときになると、美海の姿が消えているのだ。そして、それを家族は気にもしていない。ということは、恩送りの役割が終わったから、恩を送った美海以外の人の記憶から、美海が消えた、ということなんだろう。さらに、3か月前(だったかな)に美海が彩織の母親・香織と鴨川の浜辺で会っていた、というシーンもあった。ってことは、あらかじめリサーチしていた、ということなのか。美海が彩織と帰省したのは約1か月前だから、それ以前の出来事、ということだよな(記憶違いか?)。とすると、そのことを母・香織が覚えていないのには違和感。恩送りの記憶が消えるのは、恩送りが終わってから、だったはずだから。 ところで、 ・彼氏にプレゼントしようと思って買ったペンダント。あんなもの、彼氏が浮気したんだから、効力はないだろ。むしろ美海は、「人間万事塞翁が馬」とかいって、悪いこともあるけれど、転じて福となることもあるよ、なんていって慰めるんなら話は分かるけど。 ・毎度、行き帰りに拝んでいる意味不明のお地蔵さん。彩織は、信仰が深いのか? 拝むいわれとなるエピソードがないと、なんで? と思うよな。たとえば過去に地蔵に助けてもらったことがあって、以来、拝んでるとか。 ・彩織と美海が、香織の病室に見舞う場面があるんだけど、もって行ったリンゴが、翌日だったかに彩織が訪れたときも食べられずに置いてあるのが気になってしまった。それと、料理の話になって、香織が彩織に「福原家の伝統」なんて言ってたけど、福原という姓は、逃げた亭主の姓だとしたら、妙な気がしてしまう。 ・オープニングの、出演者たちの意味不明な踊りは要らんだろ。ラストの、浜辺で舞う美海? も、なんなんだ、なシーンだな。 ・彩織の母親・香織に高橋由美子がでてた。『ショムニ』の彼女も、オバサン役か。にしても老けたな。メイクもあるだろうけど。しかし、日本映像グランプリも以前と比べると映画の質も高くなっているし、役者も名のあるのが出てたりして。変わってきたもんだ。 ・それにしても北千住の駅や街がでまくり。そして、鋸南町も。北千住と鋸南町のPR映画のようだな。支援されているのは分かるけど、ちょい露骨だな。 | ||||
シビル・ウォー アメリカ最後の日 | 10/21 | 109シネマズ木場シアター4 | 監督/アレックス・ガーランド | 脚本/アレックス・ガーランド |
原題は“Civil War”。allcinemaのあらすじは「連邦政府から19もの州が離脱したアメリカ。テキサスとカリフォルニアの同盟からなる“西部勢力”と政府軍の間で内戦が勃発し、各地で激しい武力衝突が繰り広げられていた。「国民の皆さん、我々は歴史的勝利に近づいている」。就任 “3期目”に突入した権威主義的な大統領はテレビ演説で力強く訴えるが、ワシントンD.C.の陥落は目前に迫っていた。ニューヨークに滞在していた4人のジャーナリストは、14ヶ月一度も取材を受けていないという大統領に単独インタビューを行うため、ホワイトハウスへと向かう。だが戦場と化した旅路を行く中で、内戦の恐怖と狂気に呑み込まれていく」 Twitterへは「ドカン! の後はのんびりドキドキなロードムービーかよ。と思ったら最後はど派手。無関心な田舎者もでてきたり、アメリカは多様だ。成長物語でもあるし、新旧交代劇でもある。なかなか面白かった。」 話題作だ。実際、共和党のトランプと民主党のハリスの結果次第では、暴動ぐらいはあるんじゃないか、と言われていたりもする。それを先取りした感じなのかな。予告編は見ていない。事前の情報では、映画内で、なぜ内戦に至ったのか、の原因は描かれていない、とあったので、そのあたりは気になったんだけど。とにかくドンパチ派手にやるのかな、と思っていたんだけど。ジャーナリスト3人と、カメラマン志願の女の子が4人で、ニューヨークからワシントンD.C.までクルマで行くという、ロードムービーが大半。とはいえ、ラストの30分近く、ワシントンD.C.に入ってからの、西部勢力がホワイトハウスに突入する場面はなかなかのド迫力。ラストも意味深。内戦の背景は全く語られていないけれど、アメリカ合衆国は広くて多様で凄まじいな、と感じたのだった。 リーは、すでに名をなしたカメラマン。ワグネルは知人で記者(なのかな?)。サミーは大御所記者。ジェシーはカメラマン志望の23歳女性。この4人が、大統領の独占インタビューするため、ニューヨークからワシントンD.C.へとクルマで行く、という話で、彼らの視点で内戦の様子が描かれる、のではあるけれど、登場する兵士やオッサンたち、軍隊が、いったいどっち側なのか、ほとんど分からないのだよ。まあ、あえて分かるように描いてないのだろう。要は、米国内は混沌、という感じ。 あらすじには19の州が離脱とか、3期目で権威主義的な大統領とか書かれているけど、そんなこと描写されてなかったぞ。カリフォルニアとテキサスが連合してること、フロリダも蜂起したけど西部勢力と連携してるわけではない、ということぐらいしか分からない。テレビでは大統領が「降伏すれば許してやる」的なことを繰り返して言ってるが、西部勢力の進軍具合とか、政府側が陥落間近、というのもずっと分からなかった。そんな状態。 ・ニューヨークでの警官と市民の争いは、なんなんだ? 内輪もめ? なにが対立してるんだ? 爆弾は、テロ? 誰が誰に? ・ニューヨークをでると路上に乗り捨てられたクルマ。誰の車なんだ? 逃げるため? なんで放置されてるのだ? ・ガソリンスタンドで、高校の同級生を略奪者たち、といってリンチしてるオッサンたちはなんなんだ? 内戦と関係あるのか? 内戦に乗じて日頃の鬱憤晴らし? 初めて野蛮な行為を見たジェシーは何もできず、棒立ち。なれているリーは、リンチされ血だらけで吊されている男の横にオッサンを立たせ、記念写真的なショットを撮る。 ・スタジアムで救済してるのは、どっち側の連中なんだ? 野営してるのは難民? ・と、思ったら戦闘の最中にいる。4人と一緒にいるのは、どっち側? 西部勢力? ・狙撃手のいる農家は、なんなんだ? あの兵士は西部勢力? ・かと思うと、ノスタルジー満載の街に入り込む。洋品店もフツーに営業してる。聞けば、内戦は知ってるけど、係わらない、と女店主はいう。そんなことができるのか? 普段と変わらない生活なんて。とはいえ、屋上に人影は、ヤバいやつが来たら狙撃する体制を採っているということなのかね。あれ、よく分からなかった。 ・猛スピードで追ってくるクルマ。なんと知人のジャーナリスト2人が乗っていて。向こうから男が1人乗り込んできて、ジェシーが向こうに乗りうつる。走ったままで。バカか。しかし、場所も知らせてないのに、よく分かったよな。 ・と思ったら、ジェシーの乗ったクルマが消えてしまう。探したら、クルマが放置されていて、扉が開いたまま。見ると、銃を持った赤いサングラスの男に、ジェシーと男性が銃を向けられている。近くに葉、死体が満載のトラック。そこから死体を穴に落としている。サミーは「行っても死ぬだけだ」というが、リーとワグネル、アジア系のジャーナリストはほっておけず、近づいていく。サングラスは、「お前たちはなんだ?」。ワグネルが「アメリカだ」というと、「南アメリカ、ラテンアメリカ、どのアメリカだ?」と因縁を付け、容赦なくジェシーと一緒だった男性を射殺。さらに、リー、ワグネル、ジェシーに出身州を問い、そうか、とヘラヘラ。さらにアジア系に「お前はどこだ?」と問い「香港だ」と答えると、また射殺。さて、というところに、サミーの乗ったクルマが突入してきて。死体の穴に落ちたジェシーをワグネルが引き上げ、4人は一目散。サングラスの仲間が銃を撃ちまくる。逃げる車中でジェシーは激しく嘔吐。いっぽう救ったサミーが撃たれていて・・・。な場面はなかなかハラハラだった。サングラスは、移民や黒人が嫌いなのか。迷彩服姿だったけど、これまた内戦に乗じて行動しているのかね。100人以上の死体があったみたいだけど。サングラスの男を演じたのはジェシー・プレモンス? と思ったらその通り。でもクレジットなしはなぜなのだ? で、調べたら、ジェシー・プレモンスとキルスティン・ダンストは夫婦なのか。へー。にしても、ずいぶんな姉さん女房だな。 ・駐屯基地でサミーとお別れ。この基地は西部勢力の模様。政府が降伏した、というニュースも。ワグネルは、「大統領へのインタビューには遅すぎたか」と残念がる。進軍する西部勢力には迷彩服姿の従軍カメラマンがいたけど、4人と比べると上品な感じだったな。 ・で、ワシントンD.C.へ。残る勢力を徹底的に粉砕するようだ。大統領については、「捕虜にはしない、撃ち殺す」と明言。へー。犯罪性を問うようなことはしないのか。で、ホワイトハウスから逃げようとするクルマが数台。でも、ワグネルはダミーと見抜き、人気のないホワイトハウス内へ。チームのすぐ後ろについて、3人も内部へ。リーは、どっちかというと不安になっている感じ。ジェシーは銃弾も何のそので前に出てシャッターを切りまくる。 報道官みたいな女性がでてきて「交渉したい」と話しかけてくる。曰く「大統領を中立地区のアラスカと(どこだっけ? グリーンランド? 忘れた)某所に逃がして欲しい」なことを言うんだけど問答無用で射殺。さらに奥へ向かうが、シークレットサービスみたいのが撃ってくる。のを撮ろうとしたジェシー。その危険を感じてリーがジェシーを倒したとき、リーが撃たれて前のめり。倒れてくるリーにレンズを向け、シャッターを切るジェシー。倒れているリーに目もくれず、チームの後について大統領のいる部屋に。倒れた大統領に銃を向けるチーム。撃たれ、撥ねる大統領の身体。を連射するジェシーのファインダー。 この、ワシントンD.C.ら突入してから大統領を追いつめるまでが迫力満点。見ちゃったね。引き込まれて。 しかし、西部勢力は大統領を生きたまま確保して追及し、見せしめにするのは考えなかったのか。イラクのサダム・フセインみたいに。なんか、殺す快感にどっぷり浸ってる感じだったな。 そう。4人のロードムービーのときも、アメリカ市民は銃に魅せられ、殺す行為を喜んでいるみたいに見えた。ハイになってる。 にしても、アメリカが2つに割れるのではなく、バラバラに分断されてる感じで。それぞれが勝手に行動してる感じ。 ・政府側のテレビは大統領のメッセージを伝えていたけど、西部勢力側のマスコミは映らない。どういうメッセージだったんだろう。 ・内戦によって経済的にどうなってるのか外交はどうなったのかとか、そういうことは一切無視してる。なので、リアリティはないのだけれど、混沌としたアメリカ、という意味ではリアリティが感じられる。不思議な感じ。 ・鉄道や飛行機はどうなってるんだろう? この機に、中国が圧力をかけるとかあるのかな。他国の反応も気になるね。 ・カメラマン志望のジェシーが、最初は腰がひけていたのに、数日で堂々としてくる。成長物語として、スピードが早すぎる気はするけど、なんか納得してしまう。ジェシーは23歳という設定らしいけど、見かけが幼い。10代かと思ってた。 ・キルスティン・ダンストが『スパイダーマン』でヒロインだったときは、なんだこの不細工は、と思っていた。それが、いま42歳か。渋くて味のあるおばさんになっていたな。 | ||||
マーク・アントニー | 10/22 | シネ・リーブル池袋シアター1 | 監督/アーディク・ラヴィチャンドラン | 脚本/SJ Arjun、Savari Muthu、アーディク・ラヴィチャンドラン |
インド映画。原題は“Mark Antony”。シネ・リーブル池袋のあらすじは「電話型タイムマシンで過去を書き換えよ。マッドサイエンティストが作った電話型タイムマシンが、紆余曲折の末にギャングの遺児で今は地道にメカニックをやっている男の手中に転がり込む。タイムマシンの仕様を理解した彼は、過去にコールして過去の人間の行動を変えさせることによって、身近な人々の運命を変える。その操作に気付いたライバルギャングの息子も行動を起こし、過去の編集合戦が起きてしまう。」 Twitterへは「インド映画。タイムマシンものだけど、移動ではなく、過去に電話して過去の人間に指示して現在を変える話だった。話がムダに複雑。しかも、背景説明もアメコミ風にががっと説明し、説明ゼリフも多い。映像もガチャガチャしてて何が何やら…。」 タイムマシンもの、ということなので期待して行ったら、人間は移動せず、発明した電話が過去につながる、というだけの話で。1995年から1975年に人間が移動して右往左往的な話ではなかった。がっかりだ。 とはいえ、最初の開発者と妻の話は、まだ理解できた。妻がかつて教員試験を受けに行こうとして事故に遭い、びっこになるはで教員にはなれずだったのが、過去に電話して事故を回避したらびっこではなくなり、自信を持って教員をしている。最大の疑問は、事故に遭わなかった場合の、開発者の記憶はどうなるのか? ということなんだけどね。ちゃんと書き換えられてるのかしら。そうそう。この開発者は、レストランで騒動に巻き込まれて死んでしまうんだっけかな。とはいえ、過去を変えて現在に問題が生じる、というようなことは一切無視。このテキトーさがインド映画か。 で、つぎに始まったのがアメコミ的なマンガで、もともと兄弟のように仲がよかったヤクザ同士の張り合いで、殺した相手の息子を養子にしたとか、でもいまは整備工をしているとかいう話を、がちゃがちゃとナレーションで説明し始めて。それについていけない・・・。ので、マンガの説明の後から始まる物語の背景がちゃんと理解できないまま、というのが困った。マンガで登場するキャラと、実写で始まるキャラの区別もつきにくいし。それぞれの名前を覚えたり、もあやふやなまま。おいおい。150分超あるんだから、そういったことも映像で見せろよ。 というわけで、以降、この映画が受け入れがたくなり、冒頭から30分ぐらいたったとき眠くなって…。15分ぐらい沈没してたのかな。 なんか、仲のよかったのはジャッキーとマークで、1975年にジャッキーがマークを暗殺し、1人ボス体制になった、のかな。で、1995年、ジャッキー息子は羽振りが良く、マーク息子はジャッキーの養子扱いだけど自動車整備工に。な状態で、マーク息子がタイムマシン電話を発見。で、過去の父親に電話してジャッキーの陰謀を制止するよういい、いったんは陰謀が阻止され、マーク息子が大ボスの時代、になる。でも、それまで極悪人だったマーク息子がいきなり真面目になったので、周囲は違和感だけど。で、ジャッキー息子はタイムマシン電話を奪い、父親にマークを殺させ、過去を変える。で、ふたたびジャッキー息子は大ボスになり、マーク息子は整備工に逆戻り。な感じだったかな。 でも、実はマークは死んでなくて、コロンビアの麻薬王のところにやっかいになっていた。それが装甲車でやってきて、ジャッキー一味を一網打尽、な展開だったかな。マーク息子は、まったく記憶を失ってしまった恋人ともいい仲になり、ハッピーエンド? なのか。 過去の書き換えの展開では、いろいろありすぎて、訳が分からなくなるほど。1975年のキャラと1995年の同一人物キャラの区別とか、わけわからんオカマキャラとか、ほかにも幹部みたいなのがごろごろでてきて、もう、なにがなんだかしっちゃかめっちゃか。大雑把には分かっても、ちゃんと整合性がとれてるのか? と思いつつ見てたよ。 近ごろのインド映画、ではあるけれど、要所で踊りが入ったり。とうとうと高説をのべるとか、うっせー、と思うところもあるし。まあ、こういうところも含めてインド映画か。やれやれ。 ・中盤で、1995年のジャッキーがマークの息子と対峙する場面があって。電話でつながっている1975年では当時のマークがジャッキーに銃を向けている。1995年のジャッキーは「俺を殺したら、お前の息子を殺す」と威嚇するんだけど、1975年のマークがジャッキーの指を狙って撃ったため、1995年のジャッキーの人差し指が消えて銃が撃てなくなってしまう。それはいいんだけど、1975年でマークがジャッキーの息の根を止めたら1995年のジャッキーは存在しなくなるんだから、「俺を殺したら、お前の息子を殺す」といわれても、影響はないんじゃないのかね。 ・最後の方で、トニーの息子が再度整備工になってしまった状態で、恋人と会う場面があるんだけど。恋人はトニーの息子のことをまったく覚えていない状態にある。あれは、なんでなの? ・マークは実は死んでいなかった。では、ジャッキーは何の容疑で20年も刑務所に入っていたのだ? ・コロンビアに隠れていたマークが装甲車で登場。蛇のカタチをした砲でジャッキー一味を皆殺しにする場面は、アホかな感じ。 ・左下に、禁煙マークのサインとかときどき出るのがうっとーしかった。 ・アマプラのマークがでてたけど、配信してるのか? くそ。アマプラは入ってないけどね。 | ||||
徒花-ADABANA- | 10/24 | テアトル新宿 | 監督/甲斐さやか | 脚本/甲斐さやか |
公式HPのあらすじは「裕福な家庭で育った新次は、妻との間に一人娘も生まれ、周りから見れば誰もが望むような理想的な家族を築いていた。しかし、死の危険も伴うような病気にむしばまれ、とある病院で療養している。手術を前にした新次には、臨床心理士のまほろが心理状態を常にケアしていた。しかし毎日眠れず、食欲も湧かず、不安に苛まれている新次。まほろから「普段、ためこんでいたことを話すと、手術に良い結果をもたらす」と言われ、過去の記憶を辿る。そこで新次は、海辺で知り合った謎の「海の女」の記憶や、幼い頃の母親(斉藤由貴)からの「強くなりなさい、そうすれば守られるから」と言われた記憶を呼び起こすのだった。記憶がよみがえったことで、さらに不安がぬぐえなくなった新次は、まほろに「それ」という存在に会わせてほしいと懇願する。「それ」とは、病気の人間に提供される、全く同じ見た目の“もう一人の自分(それ)”であった……。「それ」を持つのは、一部の恵まれた上層階級の人間だけ。選ばれない人間たちには、「それ」を持つことすら許されなかった。新次は、「それ」と対面し、自分とまったく同じ姿をしながらも、今の自分とは異なる内面を持ち、また純粋で知的な「それ」に関心を持ちのめりこんでいく……。」 Twitterへは「背景も、人物の考えも分からない。なので、早々に寝てしまって、途中から、なんだが。意欲の空回り? 映画として成立してない感じ。よくこんなのを堂々と公開したよな。よくお蔵入りになんなかったもんだ。豪華役者陣は、どう思ってるのかね。」 始まる前に字幕で、背景の説明は簡単に出る。病気が蔓延し、収束後は子供が誕生しない世界になった、とかなんとか。なのでクローンがどうとかこうとか。でも、よく分からない説明なんだよな。 なにが言いたかったの、この映画? 金持ちのためのパーツとして生かされてる若者たちを描いた『わたしを離さないで』と、どこがどう違うんだ? パクリ? 冒頭で、母親と子供がなにかの審査をうける場面が出てきて。国民カードの提示を求められて見せると、女性の審査官は「あなたがたは、そのランクにはない。不法に侵入してきたのか」とかいって、警備に母子は連れて行かれてしまうんだけど。どういうランクなんだよ。意味不明。 新次は病気らしく、親の経営する病院に入っている、らしい。でも医師は淡々と、とくに贔屓もせずにいる。数日か数週間後か分からないけど、手術する予定だ、とかいいつつ、検査もしないしなにもしない。ただ病室にいるだけ。たまに杖をついて森の中をふらふらしてる。なにやってるんだ、いったい。 日々弱っていく新次の心を、まほろ という女性がケアしている。けど、回復の傾向はない。とかいうのが分かる程度。かな。母親と少年がときどき登場するけど、なんだかよく分からない。あとから思うに、新次の少年時代の描写のようだ。さらに、海岸では、近所のレストランで働いているという娘に出会う。↑のあらすじでは、彼女は過去の記憶らしいが、とくに回想シーンには見えないぞ。てな茫洋・漠然としたことしか分からない。ので、いつのまにか沈没。目が覚めても同じような感じなので、また沈没。20分ぐらいは寝たかな。 エンドロールみたら板谷由夏とか原日出子がでてきて、え? どこにいた? だけど、寝てるときにでてきたのかな。いや、見てる場面も暗くてだらだらしてるから、見そこなったのかもしれんが。 他のサイトの説明を引用してみると、「ある最新技術を用いた延命治療が国家により推進されるようになった近未来」「新次は、“それ”という存在に会わせてほしいとまほろに懇願。“それ”とは、上流階級の人間が病に冒された際に身代わりとして提供される、全く同じ見た目の“もう1人の自分”であった。」とかいうのもあったりする。のだけれど、それって映画でちゃんと説明されてたか? 寝てる間に説明されてたのかね。 “それ”とはクローンのことだけど、わざわざ“それ”なんていう必要はないだろ。はじめの頃に、人間の頭とクローンの身体を接合することに成功、とかいう話もあったかな。でも、映画に登場するのは、へんなトンネルの奥で製造される様子とか、あとは、新次のそっくりさん=クローンがガラス越しに対峙する姿とか、程度なんだよな。あ、ところで、クローンって、つくられた段階で知能や記憶はどうなるのだ? クローン新次はフツーにしゃべれて知識も教養もあるようだけど、別に記憶は共有していない感じで。もしクローン新次が頭空っぽで誕生したなら、だれが教育したんだ? とか、疑問だよな。それに、何歳の状態で誕生するのか、とかも。 新次とクローン新次が会って話す場面も、くどくど、なんなのか頭に入って来ないし。 最後は葬式と、間延びしたお経みたいな音だけど。あれは新次が死んだ、ということか。でも、クローン新次はでてこない。映画のキャッチフレーズは「私が生きるために、私を殺す。という選択」なんだが。これまた意味不明だな。クローン新次が生きていくために、なぜリアル新次が死ななきゃならんの? そういう意味ではない? え? よく分かんねえよ。 こんな映画で観客にメッセージが届くとでも思っているのかね、この監督。映画の文法とか表現技術をほとんど知らんのではないか。観念的なことをだらだらくどくど語らせても、見てる方には何のイメージも湧かない。これじゃ退屈して寝ちゃってもしょうがないだろ。べつに説明的にしろ、といってるんじゃない。必要最低限のことをすりゃあいいだけの話だ。その、説明が少なくてもちゃんとつたわる程度、勘所がわかったない、としか思えない。空回りもいいとこだ。 ・行燈みたいな人形は、クローンを暗示させるアナロジー的な存在なのか? ・包帯をとると目がくぼんでいる人、は、クローン? 幼い新次は、その製造過程をトンネルでみた? ・父親の鳥を殺してしまった新次? それを母親は、新次とともに埋めようとするんだけど、埋めたってわかっちゃうだろうに。それはさておき、埋めようとしたらバタバタ羽ばたくんだけれど、構わず埋めてしまう。おお、生き埋めかよ。しかし、あの鳥でなにをつたえようとしたんだか。 | ||||
ジンジャー・ボーイ | 10/25 | シネマ プルースタジオ | 監督/田中未来 | 脚本/田中未来 |
シネマ プルースタジオのあらすじは「地方銀行員の岸田は、急遽東京への異動が決まる。急な話だったため、東京でフリーターをしている高校時代の友人、倉のもとに一時的に世話になることに。岸田は倉との忙しない生活に疲弊していく…。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。49分12秒。 田舎で勤めていた岸田が、事情があって上京。すでに上京し、映画の専門学校に通っていた倉の元に転がり込む。岸田が出社してるのは、同じ会社の支社ということか? いやセリフが聞き取りづらくて、把握できないことが多かったんだよ。まあ、↑のあらすじで経緯が少し分かりはしたけどね。 で、岸田には妻子がいるのか? こちらの聞き違いか? 少なくとも田舎に彼女はいるよな。なのに岸田は倉と飲みに行き、隣の席の女子2人組に目をつけ相席に。そんなうまくいくわけないだろと思うけどね。さらに岸のアパートに連れ込んで…。で、キスしてたら岸の相手の女が倉を指して「様子が変」というのだが、なにが変なのかよく分からん。 翌朝、女たちは帰ったと倉が言う。岸田は「お前、独り言いってて変だったぞ」と倉にいう。やっと変な理由が分かった。要するに倉は幻聴と対話していた、らしい。幻聴に悩んではいなくて、幻聴との対話が必要だと思っているらしい。そんな状態で、連れ込んだ女とセックスできるのか。気持ち悪がって途中で帰るだろ。と思うんだが。 倉にも付き合っている女子がいるようで、映画学校からの付き合いだと言う。倉は映画学校はすでにやめているけど、彼女はたまにやってきて、炊事したりしてくれるらしい。奇特な女子だ。 岸田は倉に病院に行くよう勧めるが、倉は拒否。それを騙して連れて行って、関係が悪化してしまう。それで岸田は会社で、「昨日は漫喫に泊まった」と同僚女子にいうと、彼女は「うちにきなよ」と言い、ベッドイン。おいおい。出てくる女はみんな男に都合がいい軽いのばっかだな。彼女とは研修で会っているらしいけど、彼女は東京勤務で男は田舎勤務なのか? 変なの。と思ったけど、採用後に勤務地が決められたのか。なんか、面倒くさい設定だな。 帰ると友人は寝てばかり。たまたまノートPCが開いていて、友人が製作中の映像が見える。覗くと、岸田と倉、もう1人の、3人の下校の様子が描かれている。そんな映画をつくってなにが面白いのか知らないが。倉は過去に生きているのか? は、いいんだが、友人は働きもせず部屋代生活費はどうしてるんだ? 家が裕福? 家族は心配しないのか? とか、ツッコミどころがたくさんありすぎ。 でやっと岸田は自分で部屋を探して友人宅を出ていくことに。ついでになのか、田舎の妻だか彼女に「俺、好きな人ができた」と電話するんだけど。これまた勝手なやつだなあ。会社の同僚とも、どこまでうまくいくのかわからんだろうし。というか、そういう性格だと印象づけることで、この映画にどういう効果があるのだ? まあ、この映画。要は、幻聴を伴う統合失調症患者の話である。とはいえ精神病患者を理想化したりして描いてはいない。都会の孤独とか、そういう社会的な面を訴えるためにそうしているわけでもなさそう。もちろん、倉を不気味存在としても描いていない。いまいち手がかりがない。よく意図が分からないんだよに。何を伝えようとしたんだろう?変な映画。 ・幻聴がどういうものなのかまったく説明がないので、いまいちリアリティがないんだよな。 フツー幻聴は個人攻撃してきたり、ジャマしたりするはずだけど、仲よく話せる幻聴もあるのかね。 ・田舎の友人は3人なのに、残る1人はどうしたの? ・クレジットがすべてローマ字なのはバカかと思う。 | ||||
お母さんごっこ | 10/25 | シネマ プルースタジオ | 監督/三浦賢太郎 | 脚本/三浦賢太郎 |
シネマ プルースタジオのあらすじは「独身生活を謳歌していたアラフィフ女性、涼美の前に産んだ覚えのない実の息子が現れる。それはアイスも溶けるってことで。ねぇ、お母さん?」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。39分18秒 独身を貫いて50歳。親から受け継いだ一戸建てに住み、仕事も安定、自由気ままにしてるおばさんがいるんだが、ある日、会社から戻ると家の中に見知らぬ青年が。警察を呼んで話をするが、家族写真にもちゃんと写っているし、実の息子としか思えない状況になっている。友人や会社の同僚たちに話しても、皆、息子のとこを知っている。仕方なく、戸惑いながらも受け入れ、次第に受験間近の息子がいるのは当たり前、みたいな暮らしになっていく不気味さ。ラスト。帰ると玄関に女性の靴。あら、息子に彼女? とお思ったら居間に長女がいて、「お姉ちゃんじゃないか」と言われてしまう、シュールな話。はたして宇宙人の侵入、洗脳か? とはいえ、なぜこんなおばさんの家に? とは思うけどね。話を広げていって、その背景について示唆的な映像を加えると、怖い映画に仕上がりそう。もっとも、現状では、のほほん、ゆったり、なテイストなんだけどね。 ・おばさんの勤務先が変で、一般の住宅みたいなところで5人ぐらいで働いている。まともなロケ先が借りられなかったのか? あんな家庭的なオフィスなら、それなりに意味があるのかと思ったら、なにもないし。 ・妙に目立つのが派遣のお姉さんで。ポットは正社員のみ使用という貼り紙で、差別されていたりする。おばさんがミスしても、その仕事を上司に押しつけられたりしている。「彼女は受験生の息子がいて大変だから、君、やっといて」とか。とくに怒りもせず、残業する派遣のお姉さん。なんなんだ。おばさんは彼女に優しくしたりするけど、この映画の根幹と、どう言う関係があるんだ? | ||||
書架の物語 | 10/25 | シネマ プルースタジオ | 監督/長谷川朋史 | 脚本/長谷川朋史 |
オーディション募集HPのあらすじは「継原健一郎は大隅高校の生徒会長。本に興味がなく、図書室に縁のなかった健一郎だが、ある出来事をきっかけに図書室で千住紬と出会いサリンジャーの著作『ライ麦畑でつかまえて』 に興味を持った。紬は「百年後の未来から本を読むために来た」と健一郎に告げるが、健一郎は中二病の現実逃避 として聞き流す。生徒会副会長の永沢蓮は、健一郎が入れ上げる紬の話を聞いて怪訝に感じていた。蓮は生徒会の仲間、浅香睦月の助けを借りて紬の正体を調べる。すると、紬は実は大隅高校の生徒ではなく、しかも学校司書の早川美晴と共謀して、希少価値の高い図書館の蔵書を盗もうとしていることを突き止める。書庫の伴を管理する美晴は今日で高校を退任する予定になっていた。なので犯行が行われるのはもう今日しかない。蓮から、紬と美晴の秘密を聞いた帰宅中の健一郎は、犯行を止めるために慌てて学校に戻る。ところが、学校に戻っ 図書室にいた紬に聞かされたのは驚愕の事実だっ た 。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。33分09秒 100年後の未来には、本がない、という。『華氏451』みたいな話だ。その世界から、まだ書物がある現在にやってきた人たちと、それほど本が好きではない少年との交流、かな。紬役の娘が可愛いし、司書役の女性も可愛いので、ついつい見てしまう。ははは。しかし、なんでまたフツーの高校の図書室にもぐりこんで、そこの本を盗んで行こうとしているのか。と思ったら、この高校には貴重書が結構あるらしい。なるほど。だけど、そういう貴重書を盗もうとしているんじゃなさそうなのが、いささか変。本を盗みに来ているのは紬だけじゃなくて、図書館司書の女性もそうで、かのじょは先に未来にもどるんだが。どの本をもっていったのか、はよく分からず。 登場する書物は『華氏451』はもちろん、サリンジャーだったり、村上春樹の『ノルウェーの森』だったりして、そのあたりはなんだかね。 この映画のキモとしては、本があまり好きではない健一郎だけど、将来は作家になって印象的な本を書き、それを読んだ(だっけ?)紬が、その作家の高校時代に会いに来た、ということなんだろうけど。紬に勧められた『ライ麦』も、難しくて…と読むのをやめちゃうぐらいなのに、よくも作家になったもんだ。 | ||||
フューチャー!フューチャー! | 10/25 | シネマ プルースタジオ | 監督/山本ヨシヒコ | 脚本/眞鍋海里 |
公式HPのあらすじは「舞台は広島のとある高校。 ”マコト”は、成績は悪いが小さい頃から想像力豊かなSF大好き高3女子。中学生の時にCMで見たマグロボに一目惚れし、将来は近畿大学工学部に入学してロボットを作るのが夢だった。しかし、模試の結果はF判定。そんなある日、未来からやってきた謎の青年シンイチと出会う。シンイチ曰く、ディストピアとなった未来を救うためには、マコトが大学に進学し、とあるロボットの設計図を完成させないといけない。 果たして、マコトは無事に大学合格できるのか!? 今夏から受験まで、未来とアイツを救うために激走する180日の物語。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。25分00秒 オープニングは部屋の中の時計時計時計。こりゃ『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』だろ。のあとは、ピタゴラスイッチみたいなスイッチで、寝坊したマコトは坂を疾走する。あとから分かるけど、まさに尾道。しかも階段を駆け下りる(転がり落ちはしないけど)。ジャンプするところはアニメの『時かけ』そのもの。物理教室には電子レンジで、もちろん最後に分かる、やっぱりこれが転送装置。『STEINS;GATE』じゃん、街で挨拶する猫の名前はアインシュタイン。受験場までは自転車で疾走、は『時かけ』アニメにそういう場面なかったっけ? あと『ターミネーター』? 古典的SFのタイトルももちろんでてくるし。てな具合に、あれこれ埋められていて楽しい。 画像もプロレベル。カット割りやカメラアングル、場面の省略などなど、フツーに見てて気持ちがいいし、なんといってもテンポがいい。マコトを演じる駒井蓮も、表情豊かで、美人じゃないけどチャーミングだし。ホント楽しい映画だった。調べたらRCCテレビ(中国放送)の制作で、オンエアもされているらしい。やっぱな。 ストーリーはよくある感じで、マコトの描いた“創造の未来”の落書き帳が100年後の未来に残っていて、未来人はそれをもとにあれこれ開発してディストピアを防いできたけど、最後のページが破れていて分からない。なので、そのページを見るために、やってきた、という設定。しかし、マコトが科学者になって発明するには近大工学部に入学する必要がある。しかし、現状はF判定。というわけで、未来人シンイチが特訓する。その結果B判定にまでなり、これなら大丈夫、というところまで成績が伸びた。だけどその後、入学したら未来に戻るシンイチと別れなきゃならないことに思いをめぐらしたりギクシャクして。試験当日、猫のアインシュタインがクルマに轢かれたのを助けて動物病院に行ってたせいで、試験開始までギリギリに。なんとか自転車で駆けつけ、どうやら合格する。とはいえ、めざすのが近大工学部? というのはあるんだけど、近大の全面的な支援を受けているようで、どうも近大のPR映像にもなっている感じ。まあいい。で、電子レンジの転送装置で未来へ帰ったシンイチ。すでにディストピアの歴史は書き換えられていて、100年近く前にマコトが歴史的発見で進化に貢献し、賞をもらっていることを知る。てな感じの話だった。 ・AIが発達して人間を攻撃している、っていうのは、この映画だったっけ? 『書架の物語』も似たようなタイムワープものだったから、ごっちゃになっちゃってるよ。 | ||||
ロ-16号棟 | 10/25 | シネマ プルースタジオ | 監督/井上優衣 | 脚本/井上優衣 |
シネマ プルースタジオのあらすじは「とある団地でのボーイミーツガール。響き渡る金属音の中、少女は絵を描き、少年は彼女を追いかける。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。11分20秒 下手な絵を描いている娘と、少年が友達になって。描かれた絵と添い寝するとかなんとか。つまんねえ話だなあ。と目をつむっていたんだけど、目を開けたらエンドクレジットになっていた。やれやれ。 | ||||
ボールド アズ、君。 | 10/25 | シネマ プルースタジオ | 監督/岡本崇 | 脚本/岡本崇 |
公式HPのあらすじは「南條珠は今日もミニシアターに来ていた。大手シネコンでは凡そ扱わないようなニッチな作品やインディーズ映画を取り扱う様な場所に。彼女にとってはここだけが大切な居場所だった。瓶子結衣子は今日も歌っていた。熱狂する観客がひしめくライブハウスで。彼女にとってここだけが正直でいられる居場所だった。それぞれ不器用にも懸命に生きる姿は誰かの心を、人生を動かす…、たまにそんなこともある。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。82分33秒 主人公の1人、珠は何がしたいのかが見えない。もう一人の主人公、結衣子は何を足りないと思っているのか、が見えない。2人の主人公の軸が見えないから、その接点も感じられない。ラストで2人が出会っても、だからなに? ぐらいにしか感じられないんだよね。 人物や背景、物語とかにムダな枝葉が伸びすぎていて、幹の部分がどこだか分からなくっちゃってる感じ。本当に必要な部分を残し、要らないor困惑しそうな部分を刈り取って、決定的に足りない部分を描き足すとかしないと、いまいちつたわってこないと思う。監督は、話の構成が下手だし、整理整頓ができてない。 そもそも珠はどういう存在なのか。が、ちゃんと描かれていない。彼女は音楽女、なんだろ? なのに、前半では潰れかけたミニシアターに入り浸り、みたいに描かれる。でそのニッチでカルトな映画と、音楽が関係するかと思ったら最後までつながらない。映画で知った音楽の世界に迷い込んだ、とかいうキャラにもなってない。映画館パートなんて要らないじゃん。という一方で、珠はギターを背中に背負ってうろついている。いろんなグループにいたらしいけど、追い出されたり自分から抜けたりして、でもっていまは演奏を自撮りしてYouTubeにアップしてる。コピーしてるのは、翳ラズ、というバンドのもの、なのか? で、演奏はなかなかの技巧らしいけど、ではなぜグループになじめないのか? というあたりの人格的なことも分からない。翳ラズに憧れている、らしいことは分かるけど、はっきりしない。さらに、居酒屋でバイト、してるのか。とか、このあたりの描き方も、いまいち輪郭線が曖昧で、なんだかなな感じ。ちゃんと珠を掘り下げないと話にならない。 というのと翳ラズの活動、というか、楽屋でガチャガチャやってるらしい様子が描かれるんだけど。これまた、連中が翳ラズである、というのがよく分からないままだらだら描いているので、翳ラズが世間的にどうで中心人物がだれで、とかも、まあ、おいおいは分かるけど、カチッと分かりづらい。で、中心人物とわかってくる娘・結衣子についてもほとんど楽屋とか、うろうろしてるとかだけなので、イメージがつたわってこないし、どういう存在なのかもわからない。ちゃんと結衣子という人物を掘り下げ、描かないからこんなことになる。 というまま、だらだらと話は進むんだが、翳ラズの結衣子がYouTubeで珠の動画を見て、注目する。いいじゃん、と。で、しばらくして珠が働く居酒屋に翳ラズのメンバーがやってきて、珠が接客して。存在を知って失神してしまう。というアホな展開がある。結衣子も、あの動画の子だ、と分かったんなら連絡先を伝えればいいのに。で、その夜、だったか、映画館のバイトの青年が都合よく翳ラズのメンバーと遭遇し。ライブのチケットがわりになる(?)紙を渡す。バイト青年は、あの居酒屋にいたんだっけか? 忘れた。で、この後、バイト青年は珠にずっとこのことを言わないんだよな。なんで? 珠の居所も連絡先も知らないので、つたえられなかった? 映画館主が知ってんじゃないの? 知らないの? 一方で、居酒屋バイト仲間の娘がメルカリでライブチケットを落札。それを珠に見せるが、珠は飛びつかない。んだったか。なんか、珠の考えてることがよく分からんのだよな。 で、ライブ当日になって。居酒屋娘と珠がいくと、チケットはどうやら偽物で、警備員に追及されるんだが、それがなんと翳ラズの控室の中という、なんだそれ、な話になってる。うまく抜けだしてロビーをウロウロしてると、存在がよくわからん、知り合いのオカマっぽいオッサンが手招きしてくれて、会場内へ。演奏中の翳ラズ・結衣子がめざとく珠を見つけて壇上に上げ、一緒に演奏して盛り上がる、という、『アリー/ スター誕生』みたいな都合の良すぎる展開。ちっともスカッとしないのだった。 映画では翳ラズが一般大衆にも人気のバンドのように描かれる。街頭ビジョンでの映像に、フツーのオバチャンが見とれていて、その横にメンバーのギターがいて、自分をアピール。オバチャンが気づいて「子供がファンなんよ。サイン頂戴」とかいうような場面もある。さらに、珠が働く居酒屋で飲んでるときも、結衣子は顔を隠してたりする。そんな有名バンドなのか? なら、最後のライブは単独の大規模なもの? と思ったらそんなことはなくて。いくつものバンドが登場し、そのトリ、らしい。なんかバンドの規模感がテキトーだな。 で、なぜかステージの映像が、いきつけの映画館の閉館の日にライブ中継されるんだけど。ありゃなんなんだ。ただの盗撮画像をネットで上げて、映画館に送信してるのか? 権利はどうなる、許可はどうした。ライブ映像が流れても、観客はおりらんのか? とか、ツッコミどころ満載だろ。 ・この映画の変なところは、最後のライブもそうなんだけど、翳ラズ以外のバンドの演奏がだらだら映ること。なんなの、このバンド。と思ってしまう。もしかして、映画の音楽でも担当した人のバンド? にしても、要らんだろ、こんなの。こんなのをたくさん挟み込むから、メリハリがなくなるのだ。ライブの映像は翳ラズのだけにすりゃあいいんだ。 ・ほとんど誰も見ていない、らしい珠の映像を、なぜ翳ラズの結衣子がみつけ、見ていたのか? の理由が分からない。 ・結衣子はステージで、誰かを蹴飛ばすのが定番なのか? あれがよく分からなかった。 ・珠が中古で買ったギターには、シールが貼ってある。後半になって、突然のように翳ラズの結衣子が楽器屋にギターを売ってる場面がでてきて、同じシールが貼ってあって、3万円とか言われている。結衣子のギターが思いがけず珠の手に渡っていた、ということなんだろう。しかし、表現が下手だよな。だいたい、珠のYouTubeを見れば、「あ、あたしのギター!」って気がつくんじゃないのか? そういう場面を挟んでギターを売る回想がある、とかにすりゃあいいんだ。 ・というわけで、映画館主は津田寛治が演じているけど。ムダだったな。意味ない。 | ||||
家族という病 | 10/27 | シネマ ブルースタジオ | 監督/大山千賀子 | 脚本/大山千賀子 |
シネマ ブルースタジオの解説は「家族ほどしんどいものはない。これまで神聖化されてきた「家族」を斬る!日本人の多くが「一家団欒」という呪縛にとらわれているが、「家族」はそれほどすばらしいものなのか?実際には、家族がらみの事件やトラブルは挙げればキリがない。それなのになぜ日本で「家族」は美化されるのか。家族の実態を克明にえぐりつつ、「家族とは何か」を提起する。」@Pressのあらすじは「幸生は父親の想いを背負って一流商社に就職したが、しっくり行かない毎日。退職に追い込まれ、引きこもりの生活となる。まりあは有名女子高に通っているが、母がAV女優をしているせいで友達からいじめを受けている。自分の本心を語れる相手は、パパ活デートの中年男だけである。パパ活をしているのは、自分と同じ境遇の男たちといると心が癒されるからだ。そんなおり、巨大な木を巡って幸生と知り合いになる。木に吸い込まれるエネルギーと木から与えられるエネルギーが一致し、幸生と言葉も交わさず一夜を共にする。田原純一郎は読者と家族と出版社のためにオールドファッションの刑事モノを書いている作家だ。若葉出版という小さな出版社を一人で支えている。本来自分が挑戦したかった小説に手出しができていない。そんな折、藤田森という新鋭の作家が現れ、評価されていることを知る。藤田の小説「裸体の神秘」はまりあの母玲子をモデルに人間の裸をテーマに斬新に描かれている。「こんなもの、小説か!エロ小説にすぎないじゃないか!これが天下の薮木賞をかっさらうなんて。世も末だ。」二人の対照的な小説家 田原純一郎と藤田森。母を思うあまり、定年退職後も妻に弁当を作らせ、出勤もどきを繰り返す幸生の父雄二。松原家、黒木家、田原家、ホームレスになり自由に生きる女、恥も外聞もなく赤裸々に文章を綴る藤田森。自由に生きるか、世間体を気にして生きるか?私たちが求める本当の自由とはどこにあるのだろうか?」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。104分。 映画づくりのイロハを知らないで、意気込みだけで映画をつくってみました、な感じのゴミ映画だった。にもかかわらず出演者は豪華で、小出恵介、友近、渡辺えり なんていう名のある役者が出ている。なんでなの? みんな、シナリオを読んで納得して出演してるのかね。こんな駄作にでて、失敗した、と思ってやしないのかね。 女体がどうの、な新人賞作家。口腔癌に悩むベストセラー作家は、最後は裸で樹木に抱きつき失神? 編集者たち。公園のホームレスのババア。そのババアに子供を預ける母親? とか話はいくつもに別れつつ、つながるところはつながるけど、別の映画の断片を手キートにひっつないで1本にしました、な感じにしか見えない。 実をいうと、あんまりつまらないので、始まって15分ぐらいから寝てしまった。↑のあらすじでいうと、パパ活女子高生のあたりは、見てないな。まあ、見てても見てなくても関係ない。どうでもいい映画だな、こりゃ。 ・新人賞作家がインタビューを受ける場面。背景に大きな絵。そのアクリに、立ってる人間が映り込んでるんだが、ありゃスタッフか? 杜撰。 ・カットも妙なフェードアウトで終わってつながれたり。そのつなぎがギクシャクしてたり。音声が中途半端にオフになったり。なんか、精度もよくない。 | ||||
scenario | 10/27 | シネマ ブルースタジオ | 監督/三浦和徳 | 脚本/三浦和徳 |
シネマ ブルースタジオのあらすじは「シンギュラリティを越えて間もない未来。ai「scenario」によって最適解が提示されるようになった世界で起きる、ある女性の決断の物語。」 第16回日本映像グランプリ 一般公開審査上映会。24分59秒。 AppleのSiriのような感覚で端末に話しかけると、高度なAIを駆使して疑問や相談に乗ってくれるアプリのある世界。外出しても大丈夫か? な程度は良かったけれど、懐妊した妻が「子供はどんな子か?」と尋ねると、「遺伝的情報を加味して判断すると、生まれてくる子供は社会に悪い影響を与えるので産まない方がいい」てな感じの答が返ってきた。犯罪者になる可能性が高い、ということなのか? 医師に相談すると、「同じような問合せが過去にもあったが、みなさん生まない判断をした」との返事。scenarioを考える会のようなのに参加すると、「妻から、scenarioに離婚した方がいいと言われた」という男性がいたり、「scenario正しいのか?」と泣きながら言う女性もいたりする。scenarioは人類に幸せだけでなく、不幸も与える存在なのか。妻は1人、自死しようと海へ向かうが、すんでのところで救出される。亭主がscenarioに尋ね、妻を助けたらしい。帰りの車中で、妻は泣き崩れる。…という話で、なかなか鋭く面白い。 AIが飛躍的に進化し、DNAなどの情報も取得でき、分析できるようになれば、十分にあり得る話だ。もちろん一定のガイドラインが課されては行くだろうけれど、そんなの無視して調べまくる人は出てくるわけで。どんな病気にかかるか、何歳で死ぬか、なんていうことまで分かつてしまうわけだから、オソロシイ。 映像的にも美しく、シャープで玄人はだし。肉付けしていけば劇場公開できる長編にもできるだろうと思った。 途中に、用語の説明が文字で画面いっぱいにはいる。二重思考、だったかな。肯定的な考え方と否定的な考えを心の中で両立させるようななんとかかんとか。ああいうの、やめて欲しかった。内容が概念的で、しかも読むのに時間がかかる。ので、読めるか、理解できるか、焦るんだよ。作者としては、キモなところなのかもしれないけどね。 ・タイトルとかエンドロールがすべて横文字。洒落てるつもりか。読めやしない。日本の映画なんだから日本語優先にしろや、と思った。 | ||||
ジョイランド わたしの願い | 10/28 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1 | 監督/サーイム・サーディク | 脚本/サーイム・サーディク、マギー・ブリッグス |
公式HPのあらすじは「大都市ラホール、保守的な中流家庭ラナ家は3世代で暮らす9人家族。次男で失業中のハイダルは、厳格な父から「早く仕事を見つけて男児を」というプレッシャーをかけられていた。妻のムムターズはメイクアップの仕事にやりがいを感じ、家計を支えている。ある日ハイダルは、就職先として紹介されたダンスシアターでトランスジェンダー女性ビバと出会い、パワフルな生き方に惹かれていく。その「恋心」が、穏やかに見えた夫婦とラナ家の日常に波紋を広げてゆく」 Twitterへは「気が弱く失業中の男が、妻ある身でヒジュラのダンサーとつきあい始めるというパキスタン映画。面白い切り口だけど、途中から妻の妊娠話になって、最後はなんだかな、な唐突な終わり方をしてしまって、残念な感じ。スタンダートサイズ。」 整理しよう。主人公ハイダルは無職で気弱なオッサン。その妻がムムターズ。兄がサリームで、その妻がヌチ、か。この夫婦には4人目の女の子が生まれたばかり。足が悪く、旧弊にしたがう父親アマンがいる。その世話を見ているのが、寡婦のファイアーズ。そして、ヒジュラのビバ、がいる。ということか。見ているときは、整理整頓で苦労したよ。 しかし、あんな気弱で、定職にも就いてなくて、もっぱら家事と兄夫婦の子供たちの世話をしている30男ってのがいたりするんだな。父親は忸怩たる思いで見ているようだけど、でも、強くはいわれてない様子。むしろ、妻のムムターズが外で働いていることが気に入らないみたい。まあ、昔風の考え方、なんだろうけど、それはありがちだよな。 で、劇場で働いている友人から、バックダンサーのオーディションを受けてみないか、といわれて、ふらふらと…。でも、小学校のときロミオとジュリエットでジュリエットを演じたことがあるというだけでダンスのオーディションを受けて、通っちゃうというのはなんなんだ? それだけダンサーなんて人気がないのか。男のする仕事とは思われなくて、軽蔑されているのか。そういえば友人も、ちょいカマっぽい感じだったな。 冒頭の場面が、ちょっと面白い。破水して、病院に行くヌチ。近くについて世話をするハイダル。出産後なのか、兄がやってきて「先に亭主の俺に連絡しろよ」とかハイダルに話している。当たり前だと思うけれど、たぶん、一家の中で家事をしているのがハイダルなので、兄嫁の世話も先んじて行っていた、ということを描こうとしたのかな。で、このとき病院でやつれた女性を見かけるんだけど、後から分かるに、これがビバだったようだ。 しかし、ハイダルの行動を見ていると、ああ、じれったい、という気持ちしか浮かばない。一方で、子供も、女の子ばかりだとしても4人もいる兄のサリームは堂々と自信に満ちている。父親は、足が悪いのか家の中にいつも座っているだけで、ブツブツ文句を言っているだけ。主に、無職のハイダルと仕事にでかけることの多いムムターズのこと、らしいが。まあ、パキスタンの日常はこんなもんなんだろうという感じ。 まさか、仕事がダンサーとは言えず、家では「支配人」と誤魔化すハイダル。世間体というのがあるのかな。でも、センスがないけど努力するハイダル。いっぽう、息子が仕事についたんだからと、結婚式の化粧の仕事をしていたのを、やめろ、と言われて不満げなムムターズ。女性の自立はまだまだ、なのは、こんなものだろう、という気がしてしまう。 ハイダルの役割は、ビバのバックダンサー。センスもないのにビバに特訓を受け、少しずつ上達、しているのか。その辺りの経緯も見せてくれたらいいのにね。そうすれば、ハイダルの成長物語にもなるのに。 で、実をいうと途中まで、ビバがヒジュラとは分からず見ていた。ダンスの舞台では、太った女が人気スターで、観客からも拍手喝采。その後にビバが出ると、観客はぞろぞろ帰っていく、という場面があったけど、たんに人気がないから、と思っていたけど、あれは、踊っているのがヒジュラと分かって避けていたんだな。いまでもヒジュラはジプシーみたいに団体行動したりしてるのかな。この映画では、ビバは単独で生活しているようだけど。で、いまでもヒジュラは出自を隠さず行動してはいるのだな。そして、差別はある、と。 ハイダルはビバと一緒にいることが多くなって、好き、になってしまったみたいだな。たぶんこれはタブーなんだと思うけど、ハイダルは両刀遣いだったのか。ちゃんとムムターズともセックスして、ムムターズは妊娠しているのだから。で、熱いキスを交わす場面があるんだけど、その後、性行為に及んだかどうかは分からない。ほのめかしだけ。で、ダンサー仲間も、2人を冷やかしたりするし、ダンスが下手なハイダルに甘いので、「俺はやめる」なんてダンサー仲間も出たりする。っていう状態を、ハイダルは受け入れていたのか。ダンサーだけでもモラル的には面汚しのはずなのに、堂々としすぎだよな。 興味深かったのは、電車の場面。女性専用車両(ってのがあるのか!)にビバが座ったら、隣にいたオバサンが「あんたの席はあっちよ。あっちに行きなさいよ」と露骨に言う。ヒジュラって、一発で分かるんだな。それでハイダルも女性専用車両に移ってきて、ビバの隣に座って、ニカニカふたりで笑うんだが。こんな露骨なことをしちゃって大丈夫なのか? と思ったぞ。 その後の公演で、太ったダンサーのときに発電機が落ちてまっ暗。でも、その後にビバのダンスがあるはずなんだけど、このチャンスに賭けていたビバと、ハイダルを含むバックダンサーたちは暗闇の中で踊り出す。それを照らす多くのスマホの明かり。で、このときの画像がSNSかなんかで何万ヒットかして。当然、ハイダルも顔バレする。 まあ、結局、父親にもダンサーをしていることはバレて。ビバの、広告用の大型パネルをバイクで家に持ち帰り、近所のおばさんにみつかって、慌てて家の中に隠したなんていう場面もあった。あれも、パネルの主がヒジュラだということが一発で分かったので、多くの人に見られてはまずい、ということだったんだろうな。でも、働くことはいいことだ、男であるなら働け、ということなんだろう。父親から、ダンサーなんてやめちまえ、とは言われず。その代わり、妻のムムターズはストレスがたまっていったのかな。でも、妊娠は喜んでいたけど。 なムムターズが、夜、ベランダから下を見ると情事に及ぼうとする様子みたいなのが見えて。望遠鏡でそれをじっと見たりし始める。あれ、義兄の不倫なのか? と思ってたけど、違ったようだ。あれは何だったんだろう。ただの、どっかの不良な男女の乳繰り合い? それを見て、ムムターズはどういう気持ちだったんだろう。 父親アマンの不倫も描かれる。近所の寡婦がアマンの世話をしに来ているんだけど、兄嫁だったかな、がいうには、寡婦の旦那が亡くなってから、関係があった、ような。映画では、車椅子のアマンが移動できずに失禁し、その始末を寡婦がして、その過程で…、みたいに描いていたけど、どうやらずっと続いていたらしい。これが寡婦の息子にも発覚したのか、ハイダルの家族と寡婦、その長男が会議をするというのが面白い。長男は、お前なんか家から出て行って、この家に住め、と母親を罵る。寡婦も、ずっと世話をするつもりだったようだけど、アマンは「帰れ」と追い出してしまう。欲と見栄ととが渦巻く生活だな。まあ、自由が効かない社会とも言えるけど。 ハイダルとビバが、2度目にキスから行為に移ろうとして? なのか、あれこれやってたら、突然ヒバが怒りだして。「バカにしないでよ」みたいなことを言ってたかな、で、突然ハイダルを拒否しだす場面は、ありゃなんでなの? アナルでもしようとしたから? ムムターズは、例の情事を望遠鏡で見ているところを義兄に見られ、叱責される。この部分はどう理解して良いのか、よくわからなかった。この後だったか、なんかボトルの水を飲んでいたけど。あとから思うに、あれは堕胎薬とか毒薬とか、そういうものだったのか? 関係ない? というのも、なんと突然、葬儀の場面になって。顔は見えないのだけれど、お腹が大きいのだ。突然の、ムムターズの自死。なんで? とくにメランコリーになっていたわけでもないし。ハイダルと仲違いしていたわけでもなし。ハイダルとビバのことを知った分けでもないよな。ただの欝? 外で仕事ができないから? この葬儀に、ビバがやってくるんだよね。あれはどういう意味だろう? しかも、そーっと入ってきて、座る、というだけ。以後、ビバの登場場面はない。 兄のサリームは、ハイダルに「お前が情けないからだ」的なことをいって罵る。さらに、「あと数ヶ月で子供が生まれた。それから死ねば良かったんだ」なことを言う。それに対して刃向かうハイダル。「お前もやっと男らしい態度が取れるようになったな」なんていって、ケンカを始める。 その後、ハイダルはなぜか海にいて、岩場から海水の中をどんどん進んでいくんだよね。ありゃなんなんだ? ハイダルも妻に殉じて死ぬってことか? よく分からない、煮え切らないラストだな。 ヒジュラとの恋、というのは興味深いけど、そこに徹底できていないのがいまいちかな。2人の関係も中途半端だし。そこに焦点が当たっていない。しかも後半で、よくわからん感じでケンカ別れしちゃうし。なぜビバのダンスがSNS動画で話題になったのかも、よく分からない。停電中に踊ったから? ヒジュラだから、ではないよな。のあたりも曖昧。しかも、喧嘩別れの後はずっと登場せず、ハイダルの妻の葬儀でちらっと顔を見せるだけ。つまり、前半はヒジュラとの恋物語風だけど、後半になって、家庭に閉じ込められ働けない女性の問題、みたいになってしまっていて、なにをいいたいんだこの映画は? という感じになっちゃってるのだ。それが不満だな。 ・冒頭の場面で、ビバは、なぜ病院にいたのだ?ペニス切除の相談? 中盤で、取るつもりだ、と言っていたんだよね。でもヒジュラは手術でペニスを取らないことが多い、とWebには書いてあった。どういうこと? ・ムムターズとヌチが遊園地みたいなところに夜遊びに行って、そのとき、ムムターズとぶつかったヒゲ男は、だれ? 義兄のサリームではないよな…? |