2024年11月

11/7シネマ ブルースタジオ監督/アキ・カウリスマキ脚本/アキ・カウリスマキ
原題は“Ariel”で、最後にメキシコに行くときに乗る船の名前か。ザ・シネマのあらすじは「フィンランド最北端のラップランド。炭鉱夫カスリネンとその父が鉱山の閉鎖で職を失い、父は自殺してしまう。カスリネンは父が残したキャデラックに乗り、希望を求め南に向かう。だが、道中で強盗に所持金を奪われ、仕方なく日雇い労働に就く。そんなある日、駐車違反を取り締まるシングルマザーのイルメリに惹かれ、生活費のために愛車を売る。そして偶然、以前襲われた強盗を見つけ追いかけるが、逆に逮捕され懲役刑を課される。」
Twitterへは「話や展開がドリフのコントみたいでかなりバカっぽい。カウリスマキお得意の、なぜか女に好かれるとか、いきなり悪漢に襲われるとか、船で旅立つとか、ムショ仲間がいいやつとか、似たような話ばかり。なのに、世間的には評価が高いらしい。わからんな。」
炭鉱が閉鎖になって職を失った30男のカスリネン。同僚、かと思ったら父親だったらしい、は銃で自死。そんなんで死ぬか? それに、父親の「俺はこうする」という言葉に、やめろよ、も言わず死なせる息子っていうのも、理解できない。
有り金を下ろして(現金をそんなに持つ必要があるのか? 炭鉱の積み立てかなんか?)、父親がくれたコンバーチブルで街をでて、ハンバーガー食べてたらチンピラに財布の札束を見られ、ボコられ、金を奪われる。チンピラに、ちょっとエンジン見せてくれ、なんていわれてホイホイ見せようとして瓶が殴られるとか、コントだろ。
で、港で日雇い生活。教会関連の木賃宿でベッドだけの生活。なのに稼いだ金はバーでパッと使う性格らしい。それでよく金が貯まったよな。ところで、買って飾った写真の男は誰なんだ?
このあたりで流れるのがブルースだったな。カウリスマキはブルースが好きだよな。
次の仕事がなかなかない。そんなとき駐車違反の切符切りの仕事をしてるおばさんイルメリと知り合って、見逃してもらう代わりに食事を奢って、そのまま家にも泊まって。おいおい。都合よすぎだろ。翌朝はイルメリの息子に起こされる、って、サバイバルな子供だな。母ちゃんが連れ込んだ男に朝飯用意するなんて。
イルメリは離婚してて、でも家のローンがあと2年ぐらいあるので、一日中かけもちで働いてる。精肉場とかなんだとか。
3人でピクニックの場面があるんだけど、水辺で横たわっているカスリネンの足元が水に浸かってるんだよな。あんな風に足を(もちろん靴のまま)水につけて寝るかいな。信じられん。
カスリネンが仲間と見るテレビはギャングもの。これは、将来の展開への下手な伏線かな。撃ち殺すとか。ベタだね。ベッドで鳴らすオルゴールは、インターナショナルかよ。
カスリネンは仕事がない。宿も未払いで追い出される。クルマを売ろうとするが、安く叩かれ、まあ仕方がないなあ、と。なとき、金を奪ったチンピラの片割れを見つけて。ナイフで応酬されるももぎ取って抑え込んでるところを逮捕され、1年余りの懲役刑。おいおい。カスリネンは主張しないのか? 司法がバカなのか、警察がちゃんと調べないのか? イライラするな。
刑務所で同房になった男が妙なやつで。得体が知れないけど、あと8年だか刑期が残ってるとか何とかで。どうやら逃げたいらしい。
イルメリは息子を連れて面会に来る。っていうのも、信じられないな。そのあと、カスリネンは監視の雑言にムッとして突き落として怪我をさせ、懲罰房に入れられる。やっとこさ出てくると、イルメリが「カスリネンの誕生日だから」と差し入れたケーキを同房男が食べている。一緒に差し入れられたのは、なんか知らん書物で。でもカスリネンは、誕生日はまだだけど、とかって。書物を調べると金鋸がでてくるんだが。このくだり、話がムチャクチャだよな。差し入れられたケーキや書物をロクに調べないし、カスリネンの誕生日も調べりゃ分かるだろうに。で、その金鋸でベッドのパイプを切断し、シーツを破いて撚って脱獄、の件も、はあ? な感じ。ベッドのパイプは何に使ったんだ? 脱獄の過程は断片的にしか描かないので、どうやって逃げたのか、よく分からんぞ。いい加減だな。
イルメリは、息子に荷物をカバンに詰めさせ、逃げる用意。
なんだけど、カスリネンは刑期も1年ちょっと。あえて脱獄する必要がどこにある? 同房男も「逃げたやつはほとんど捕まってる」って言ってたじゃないか。なのに、なんで? イルメリも、ローンはあと2年で終わるのに、その家を手放しちゃうのか? こいつら頭がおかしいんじゃないかと思っちゃうよ。
脱獄したのに堂々と街を歩くカスリネンと同房男。カスリネンは売ったクルマに値札が付けられ、売られようとしているのを勝手にとりもどす。はいいんだけど、金を受け取ってないのに売られようとしていたのは、変じゃないのか? 
でまあ、そのクルマに4人乗って、どっかの教会でカスリネンとイルメリが結婚式。なんか、やってることがアメリカン・ニューシネマ的。ムチャクチャだ。
偽造パスポートを業者に依頼したら大金を要求され、なんと今度はカスリネンと同房男がどっかに強盗に入る。『俺たちに明日はない』みたいになってきたぞ。同房男が金を持って業者のところに行くと、業者に難癖を付けられ刺されるんだったか。この場面も、同房男の動きに隙がありまくりで、ああ、やられる、とミエミエでじれったい。カスリネンがやってきて、見ると同房男が倒れている。すかさず銃で業者2人(だっけかな)を撃ち殺す。なんちゅうスローテンポなハードボイルドだ。
同房男は、「ゴミ捨てに埋めてくれ」というが、カスリネンは4人でクルマで港に向かう。助かるのかなと思った同房男だけど、なんと、次の場面ではもう埋められてるんでやんの。カスリネンも冷酷だねえ。で、港でボートの船員と会い、あの船だ、と。貨物船かなんかに潜り込んでメキシコに向かうんだったかな。船員は「3人のはずだ」という。カスリネンも「3人だ」というんだけど、このやりとりも変。当初、3人で逃げるという話にしていたのか。それは誰と誰なんだ? 同房男が死んで、結局3人になった、みたいに聞こえたけど、なんだかよく分からんぞ。
で、最後に流れてくるのが「虹の彼方に」なんだが、歌詞はもとのママなのか、変えられているのか、よく分からない。
しっかし、そこまでして逃げる意味がぜんぜんつたわってこない、変な話だったな。・冒頭で、父親は銃で自死するんだが。なんで父親は銃をもってるんだ?
侍タイムスリッパー11/11109シネマズ木場シアター8監督/安田淳一脚本/安田淳一
公式HPのあらすじは「時は幕末、京の夜。会津藩士高坂新左衛門は暗闇に身を潜めていた。「長州藩士を討て」と家老じきじきの密命である。名乗り合い両者が刃を交えた刹那、落雷が轟いた。やがて眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所。新左衛門は行く先々で騒ぎを起こしながら、守ろうとした江戸幕府がとうの昔に滅んだと知り愕然となる。一度は死を覚悟したものの心優しい人々に助けられ少しずつ元気を取り戻していく。やがて「我が身を立てられるのはこれのみ」と刀を握り締め、新左衛門は磨き上げた剣の腕だけを頼りに「斬られ役」として生きていくため撮影所の門を叩くのであった。」
Twitterへは「名のある役者は出てないけど、デキがいいので話に引きずり込まれてしまう。インデペンデントな映画にありがちなたどたどしさもない。会津と薩長土の遺恨、武士の矜持、哀しみ。なのに時代劇の斬られ役。考証的なツッコミどころはあるけどね。」
冒頭の、高坂と同輩の2人が長州藩士の山形彦九郎を討たんとして白刃を交えたそのとき、落雷。で、気づいたら高坂は京都のオープンセットのなかで、テレビ用時代劇を撮影中。
(しかし、幕末で争っていたのは寺院前なのに、なんで撮影所に現れるんだ?)
浪人連に心配無用ノ介なる正義の旗本みたいのが、浪人に絡まれている女人を救う場面を撮影中で、高坂は真実かと思って「助太刀いたす!」と飛び込んでしまう。
(本物の侍が撮影所のセットの世界に現れ、違和感を持たないのが不思議。店名などの字も、くずされてない。歩き方や話し方も違うはず。まあ、映画的ウソがうまく機能しているということか。ツッコミを入れる方が無粋なのかね)
おいおい、な感じで追い払われ、スタジオをうろついていて特機のクレーンかなんかに頭をぶつけて失神。気づいたら病室に横たわっている。気づけば、ドラマの助監督山本優子が見守っていて、でも、看護婦を呼んでくる、という間に病院を抜けだし、歩いていると「黒船来航」とかいうポスターを見かけ、なんとなく、江戸幕府が終わって140年ということを知る。さらに疲労と空腹で、山形と交えた寺の門前で倒れ込んでしまう…。翌朝発見した住職が介抱。すると、助監督の優子がやってきていて…。撮影によく使う寺なので、優子と住職はツーカーらしい。何となく寺の仕事を手伝いながらの居候生活が始まる。
(頭を打って病院に行ったらしいが刀を腰から抜いたとき竹光ではなく本身だ、と分かるのではないのかな)
あるとき寺での撮影で、新撰組役の役者が体調不良で、そこに現れた本物の髷姿の高坂に「代役を」というので、訳が分からぬまま引き受けるが、そもそも切り込んで背中を斬られるという段取りなのに、本番中に坂本龍馬の名前を聞くと反勤王魂が復活し、斬られているのに振り返って立ち向かおうとする。そこを龍馬がピストルで2発撃つと、それを本物と思い込んで死んでしまうという流れ。そんなのありか? だいたい火薬が仕込まれて撃たれるという段取りに変わり、撃たれて死ぬことになったのは、高坂は知らなかったのか? とか、ちょっと変な流れというか、映画的な誤魔化しがあるよなと、気になった。
なことで高坂はなんとなく、今は江戸が終わって100年余り、テレビでは時代劇が流れ、製作とている人がいる。役者にも、斬られ役がいる。というようなことを、いきなり、ではなく、じんわりと知っていくんだけど。この流れがとても自然で、とても丁寧に描いて、でもムダもなく違和感がない。
ショートケーキを食べてびっくり、テレビの時代劇を見て大共感(は、考証的にあり得ないと思うけどね)とか、ギャップの描き方が自然で楽しい。妙なドラマチックがないのが、とてもいい。観客は、みんな話の世界に引き込まれ、面白おかしく、高坂の状況を共有できるつくりになっている。なかなか上手い脚本だ。
以後、高坂は殺陣の先生に入門し、斬られ役で生きていくことを決意する。入門時、殺陣の先生が「実力は?」と手合わせしたことになってるけど、その様子は描かない。うまく逃げてるな。でも、どのぐらいの腕前なのか? 殺陣の先生が驚くほどだったのか? どうなのか、知りたい気がするんだよなあ。
とはいえ、その後の殺陣の練習はとても面白い。上段の構えは、後ろに刀が行くと背後の役者が危険、だとかは、なるほど。高坂の、死ぬ演技の繰り替えしも、斬られることをよしとしない武士の、体に染み着いた反応で、殺陣の先生を返り討ちにしてしまう。大笑いだ。
で、だんだん斬られ役として頭角を現していく姿は、一種の成長物語としても楽しい。といったところで、今をときめく大俳優の風見恭一郎から声がかかって、新作映画に抜擢されるという展開。なんと実は…。なと風見はあの山形彦九郎で、30年前にタイムトリップしてきていた。なので、あの対決の再演を映画でやろうという心づもり、らしい。おお。そうだったのか。高坂の奮闘に見入っていて、気づかなかったよ。
しかし、高坂には勤王派の長州藩には遺恨がある。江戸幕府は瓦解し、勤王派の勧めた新政府が誕生し、いまの日本につながっているということも感づいている。なので、その恨みからか、いったん断るが、周囲の勧めもあっていやいや受けることになる。この、わだかまりをもちながら、一緒に映画を撮る、という様子がまた面白かったりして。たとえば高坂と風見が、ならんで釣りをする場面。スタッフは、「なかなかいい感じですね」とみているけれど、本人同士はいがみ合ってるという、これまた大笑い。このあたりの描き方、センスあるよなあ。
このあたりから、最後に2人は本身で殺陣をやりたい、というのではないか、は予感していた。それ以前に、高坂が竹光に頼りなさを感じている場面があった。その次の場面で、本番の撮影で、撮り終わって監督だかに何か言われてたけど、あれはダマテンで本身を使っているのがバレたのかな、と思ったんだが、どうだったんだろう?
で、最後の対決は、やはり本身で、しかも、あのときの続きのつもりで真剣に斬り合う、というものだった。結果は、風見が刀を落とし、高坂が刃を風見の首元に。風見は「討て」というが…。
で、一転して映画は完成し、上映されている、という流れが上手い。画面では風見が倒れ、血が流れているのだが。じつは撮影時、高坂は空振りして斬らなかった。その後、風見が倒れて血を流す場面が撮られて、終幕となったらしい。なるほど。でも、本来の脚本はどうなっていたんだろう? 風見が斬られる結末で、あれでよかったということか。血糊も用意されていたことだしね。映画的なウソで上手く盛り上げているね。
そして、高坂は相変わらず斬られ役の毎日を過ごしている。と、そこに、3人目の侍が、撮影所へ。なるほど。そうだった。忘れてた。高坂の同輩が、1、2年遅れてタイムワープしてきた、ということか。定番な気もするけど、なかなかいい感じで終わるね。
有名どころがまったく出ていなくて。調べたらテレビの役者が大半らしい。いったいどういう経緯でこの映画、つくられたのだろう? とても気になる。調べて見よ。・エンディングロールの in memory of Fukumoto Seizoは、日本一の斬られ役福本清三のことらしい。本来は殺陣師役に予定していたが、2021年に亡くなったので、ということのようだ。
・高坂の、優子に対するほのかな思いも、なかなか楽しい。
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