2024年11月

真夜中の虹11/7シネマ ブルースタジオ監督/アキ・カウリスマキ脚本/アキ・カウリスマキ
原題は“Ariel”で、最後にメキシコに行くときに乗る船の名前か。ザ・シネマのあらすじは「フィンランド最北端のラップランド。炭鉱夫カスリネンとその父が鉱山の閉鎖で職を失い、父は自殺してしまう。カスリネンは父が残したキャデラックに乗り、希望を求め南に向かう。だが、道中で強盗に所持金を奪われ、仕方なく日雇い労働に就く。そんなある日、駐車違反を取り締まるシングルマザーのイルメリに惹かれ、生活費のために愛車を売る。そして偶然、以前襲われた強盗を見つけ追いかけるが、逆に逮捕され懲役刑を課される。」
Twitterへは「話や展開がドリフのコントみたいでかなりバカっぽい。カウリスマキお得意の、なぜか女に好かれるとか、いきなり悪漢に襲われるとか、船で旅立つとか、ムショ仲間がいいやつとか、似たような話ばかり。なのに、世間的には評価が高いらしい。わからんな。」
炭鉱が閉鎖になって職を失った30男のカスリネン。同僚、かと思ったら父親だったらしい、は銃で自死。そんなんで死ぬか? それに、父親の「俺はこうする」という言葉に、やめろよ、も言わず死なせる息子っていうのも、理解できない。
有り金を下ろして(現金をそんなに持つ必要があるのか? 炭鉱の積み立てかなんか?)、父親がくれたコンバーチブルで街をでて、ハンバーガー食べてたらチンピラに財布の札束を見られ、ボコられ、金を奪われる。チンピラに、ちょっとエンジン見せてくれ、なんていわれてホイホイ見せようとして瓶が殴られるとか、コントだろ。
で、港で日雇い生活。教会関連の木賃宿でベッドだけの生活。なのに稼いだ金はバーでパッと使う性格らしい。それでよく金が貯まったよな。ところで、買って飾った写真の男は誰なんだ?
このあたりで流れるのがブルースだったな。カウリスマキはブルースが好きだよな。
次の仕事がなかなかない。そんなとき駐車違反の切符切りの仕事をしてるおばさんイルメリと知り合って、見逃してもらう代わりに食事を奢って、そのまま家にも泊まって。おいおい。都合よすぎだろ。翌朝はイルメリの息子に起こされる、って、サバイバルな子供だな。母ちゃんが連れ込んだ男に朝飯用意するなんて。
イルメリは離婚してて、でも家のローンがあと2年ぐらいあるので、一日中かけもちで働いてる。精肉場とかなんだとか。
3人でピクニックの場面があるんだけど、水辺で横たわっているカスリネンの足元が水に浸かってるんだよな。あんな風に足を(もちろん靴のまま)水につけて寝るかいな。信じられん。
カスリネンが仲間と見るテレビはギャングもの。これは、将来の展開への下手な伏線かな。撃ち殺すとか。ベタだね。ベッドで鳴らすオルゴールは、インターナショナルかよ。
カスリネンは仕事がない。宿も未払いで追い出される。クルマを売ろうとするが、安く叩かれ、まあ仕方がないなあ、と。なとき、金を奪ったチンピラの片割れを見つけて。ナイフで応酬されるももぎ取って抑え込んでるところを逮捕され、1年余りの懲役刑。おいおい。カスリネンは主張しないのか? 司法がバカなのか、警察がちゃんと調べないのか? イライラするな。
刑務所で同房になった男が妙なやつで。得体が知れないけど、あと8年だか刑期が残ってるとか何とかで。どうやら逃げたいらしい。
イルメリは息子を連れて面会に来る。っていうのも、信じられないな。そのあと、カスリネンは監視の雑言にムッとして突き落として怪我をさせ、懲罰房に入れられる。やっとこさ出てくると、イルメリが「カスリネンの誕生日だから」と差し入れたケーキを同房男が食べている。一緒に差し入れられたのは、なんか知らん書物で。でもカスリネンは、誕生日はまだだけど、とかって。書物を調べると金鋸がでてくるんだが。このくだり、話がムチャクチャだよな。差し入れられたケーキや書物をロクに調べないし、カスリネンの誕生日も調べりゃ分かるだろうに。で、その金鋸でベッドのパイプを切断し、シーツを破いて撚って脱獄、の件も、はあ? な感じ。ベッドのパイプは何に使ったんだ? 脱獄の過程は断片的にしか描かないので、どうやって逃げたのか、よく分からんぞ。いい加減だな。
イルメリは、息子に荷物をカバンに詰めさせ、逃げる用意。
なんだけど、カスリネンは刑期も1年ちょっと。あえて脱獄する必要がどこにある? 同房男も「逃げたやつはほとんど捕まってる」って言ってたじゃないか。なのに、なんで? イルメリも、ローンはあと2年で終わるのに、その家を手放しちゃうのか? こいつら頭がおかしいんじゃないかと思っちゃうよ。
脱獄したのに堂々と街を歩くカスリネンと同房男。カスリネンは売ったクルマに値札が付けられ、売られようとしているのを勝手にとりもどす。はいいんだけど、金を受け取ってないのに売られようとしていたのは、変じゃないのか? 
でまあ、そのクルマに4人乗って、どっかの教会でカスリネンとイルメリが結婚式。なんか、やってることがアメリカン・ニューシネマ的。ムチャクチャだ。
偽造パスポートを業者に依頼したら大金を要求され、なんと今度はカスリネンと同房男がどっかに強盗に入る。『俺たちに明日はない』みたいになってきたぞ。同房男が金を持って業者のところに行くと、業者に難癖を付けられ刺されるんだったか。この場面も、同房男の動きに隙がありまくりで、ああ、やられる、とミエミエでじれったい。カスリネンがやってきて、見ると同房男が倒れている。すかさず銃で業者2人(だっけかな)を撃ち殺す。なんちゅうスローテンポなハードボイルドだ。
同房男は、「ゴミ捨てに埋めてくれ」というが、カスリネンは4人でクルマで港に向かう。助かるのかなと思った同房男だけど、なんと、次の場面ではもう埋められてるんでやんの。カスリネンも冷酷だねえ。で、港でボートの船員と会い、あの船だ、と。貨物船かなんかに潜り込んでメキシコに向かうんだったかな。船員は「3人のはずだ」という。カスリネンも「3人だ」というんだけど、このやりとりも変。当初、3人で逃げるという話にしていたのか。それは誰と誰なんだ? 同房男が死んで、結局3人になった、みたいに聞こえたけど、なんだかよく分からんぞ。
で、最後に流れてくるのが「虹の彼方に」なんだが、歌詞はもとのママなのか、変えられているのか、よく分からない。
しっかし、そこまでして逃げる意味がぜんぜんつたわってこない、変な話だったな。・冒頭で、父親は銃で自死するんだが。なんで父親は銃をもってるんだ?
・カスリネンはコンバーチブルの屋根が閉まらないので壊れてる、と思っていたが。たしか、瀕死の同房男をクルマに乗せたときだったか、「なんだこのボタン?」とドアに付いていたボタンを同房男が押すと屋根が閉まる。ボタンを知らなかっただけと言う話なんだが、いまここで種明かしかよ、と思った。
侍タイムスリッパー11/11109シネマズ木場シアター8監督/安田淳一脚本/安田淳一
公式HPのあらすじは「時は幕末、京の夜。会津藩士高坂新左衛門は暗闇に身を潜めていた。「長州藩士を討て」と家老じきじきの密命である。名乗り合い両者が刃を交えた刹那、落雷が轟いた。やがて眼を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所。新左衛門は行く先々で騒ぎを起こしながら、守ろうとした江戸幕府がとうの昔に滅んだと知り愕然となる。一度は死を覚悟したものの心優しい人々に助けられ少しずつ元気を取り戻していく。やがて「我が身を立てられるのはこれのみ」と刀を握り締め、新左衛門は磨き上げた剣の腕だけを頼りに「斬られ役」として生きていくため撮影所の門を叩くのであった。」
Twitterへは「名のある役者は出てないけど、デキがいいので話に引きずり込まれてしまう。インデペンデントな映画にありがちなたどたどしさもない。会津と薩長土の遺恨、武士の矜持、哀しみ。なのに時代劇の斬られ役。考証的なツッコミどころはあるけどね。」
冒頭の、高坂と同輩の2人が長州藩士の山形彦九郎を討たんとして白刃を交えたそのとき、落雷。で、気づいたら高坂は京都のオープンセットのなかで、テレビ用時代劇を撮影中。
(しかし、幕末で争っていたのは寺院前なのに、なんで撮影所に現れるんだ?)
浪人連に心配無用ノ介なる正義の旗本みたいのが、浪人に絡まれている女人を救う場面を撮影中で、高坂は真実かと思って「助太刀いたす!」と飛び込んでしまう。
(本物の侍が撮影所のセットの世界に現れ、違和感を持たないのが不思議。店名などの字も、くずされてない。歩き方や話し方も違うはず。まあ、映画的ウソがうまく機能しているということか。ツッコミを入れる方が無粋なのかね)
おいおい、な感じで追い払われ、スタジオをうろついていて特機のクレーンかなんかに頭をぶつけて失神。気づいたら病室に横たわっている。気づけば、ドラマの助監督山本優子が見守っていて、でも、看護婦を呼んでくる、という間に病院を抜けだし、歩いていると「黒船来航」とかいうポスターを見かけ、なんとなく、江戸幕府が終わって140年ということを知る。さらに疲労と空腹で、山形と交えた寺の門前で倒れ込んでしまう…。翌朝発見した住職が介抱。すると、助監督の優子がやってきていて…。撮影によく使う寺なので、優子と住職はツーカーらしい。何となく寺の仕事を手伝いながらの居候生活が始まる。
(頭を打って病院に行ったらしいが刀を腰から抜いたとき竹光ではなく本身だ、と分かるのではないのかな)
あるとき寺での撮影で、新撰組役の役者が体調不良で、そこに現れた本物の髷姿の高坂に「代役を」というので、訳が分からぬまま引き受けるが、そもそも切り込んで背中を斬られるという段取りなのに、本番中に坂本龍馬の名前を聞くと反勤王魂が復活し、斬られているのに振り返って立ち向かおうとする。そこを龍馬がピストルで2発撃つと、それを本物と思い込んで死んでしまうという流れ。そんなのありか? だいたい火薬が仕込まれて撃たれるという段取りに変わり、撃たれて死ぬことになったのは、高坂は知らなかったのか? とか、ちょっと変な流れというか、映画的な誤魔化しがあるよなと、気になった。
なことで高坂はなんとなく、今は江戸が終わって100年余り、テレビでは時代劇が流れ、製作とている人がいる。役者にも、斬られ役がいる。というようなことを、いきなり、ではなく、じんわりと知っていくんだけど。この流れがとても自然で、とても丁寧に描いて、でもムダもなく違和感がない。
ショートケーキを食べてびっくり、テレビの時代劇を見て大共感(は、考証的にあり得ないと思うけどね)とか、ギャップの描き方が自然で楽しい。妙なドラマチックがないのが、とてもいい。観客は、みんな話の世界に引き込まれ、面白おかしく、高坂の状況を共有できるつくりになっている。なかなか上手い脚本だ。
以後、高坂は殺陣の先生に入門し、斬られ役で生きていくことを決意する。入門時、殺陣の先生が「実力は?」と手合わせしたことになってるけど、その様子は描かない。うまく逃げてるな。でも、どのぐらいの腕前なのか? 殺陣の先生が驚くほどだったのか? どうなのか、知りたい気がするんだよなあ。
とはいえ、その後の殺陣の練習はとても面白い。上段の構えは、後ろに刀が行くと背後の役者が危険、だとかは、なるほど。高坂の、死ぬ演技の繰り替えしも、斬られることをよしとしない武士の、体に染み着いた反応で、殺陣の先生を返り討ちにしてしまう。大笑いだ。
で、だんだん斬られ役として頭角を現していく姿は、一種の成長物語としても楽しい。といったところで、今をときめく大俳優の風見恭一郎から声がかかって、新作映画に抜擢されるという展開。なんと実は…。なと風見はあの山形彦九郎で、30年前にタイムトリップしてきていた。なので、あの対決の再演を映画でやろうという心づもり、らしい。おお。そうだったのか。高坂の奮闘に見入っていて、気づかなかったよ。
しかし、高坂には勤王派の長州藩には遺恨がある。江戸幕府は瓦解し、勤王派の勧めた新政府が誕生し、いまの日本につながっているということも感づいている。なので、その恨みからか、いったん断るが、周囲の勧めもあっていやいや受けることになる。この、わだかまりをもちながら、一緒に映画を撮る、という様子がまた面白かったりして。たとえば高坂と風見が、ならんで釣りをする場面。スタッフは、「なかなかいい感じですね」とみているけれど、本人同士はいがみ合ってるという、これまた大笑い。このあたりの描き方、センスあるよなあ。
このあたりから、最後に2人は本身で殺陣をやりたい、というのではないか、は予感していた。それ以前に、高坂が竹光に頼りなさを感じている場面があった。その次の場面で、本番の撮影で、撮り終わって監督だかに何か言われてたけど、あれはダマテンで本身を使っているのがバレたのかな、と思ったんだが、どうだったんだろう?
で、最後の対決は、やはり本身で、しかも、あのときの続きのつもりで真剣に斬り合う、というものだった。結果は、風見が刀を落とし、高坂が刃を風見の首元に。風見は「討て」というが…。
で、一転して映画は完成し、上映されている、という流れが上手い。画面では風見が倒れ、血が流れているのだが。じつは撮影時、高坂は空振りして斬らなかった。その後、風見が倒れて血を流す場面が撮られて、終幕となったらしい。なるほど。でも、本来の脚本はどうなっていたんだろう? 風見が斬られる結末で、あれでよかったということか。血糊も用意されていたことだしね。映画的なウソで上手く盛り上げているね。
そして、高坂は相変わらず斬られ役の毎日を過ごしている。と、そこに、3人目の侍が、撮影所へ。なるほど。そうだった。忘れてた。高坂の同輩が、1、2年遅れてタイムワープしてきた、ということか。定番な気もするけど、なかなかいい感じで終わるね。
有名どころがまったく出ていなくて。調べたらテレビの役者が大半らしい。いったいどういう経緯でこの映画、つくられたのだろう? とても気になる。調べて見よ。・エンディングロールの in memory of Fukumoto Seizoは、日本一の斬られ役福本清三のことらしい。本来は殺陣師役に予定していたが、2021年に亡くなったので、ということのようだ。
・高坂の、優子に対するほのかな思いも、なかなか楽しい。
Cloud クラウド11/12テアトル新宿監督/黒沢清脚本/黒沢清
公式HPのあらすじは「世間から忌み嫌われる“転売ヤー”として真面目に働く主人公・吉井。彼が知らず知らずのうちにバラまいた憎悪の粒はネット社会の闇を吸って成長し、どす黒い“集団狂気”へとエスカレートしてゆく。誹謗中傷、フェイクニュース…。悪意のスパイラルによって拡がった憎悪は、実体をもった不特定多数の集団へと姿を変え、暴走をはじめる。やがて彼らがはじめた“狩りゲーム”の標的となった吉井の「日常」は、急速に破壊されていく。“誰もが標的になりうる”見えない悪意と隣り合わせの“いま”ここにある恐さを描く」
Twitterへは「真面目に働く転売ヤーが、得体の知れない何かに追いつめられていく…。あたりまでは、まあまあなんだが。得体が知れると、なことないだろ、なバカっぽさになってしまう。いかにも黒沢清らしい牽強付会なつまらなさ。」
世間的に少し話題になってる転売ヤーと、騙された(と思い込んでいる)被害者の怒りの対立みたいのを描けば1本撮れるな、と思ったのかもしれないが。底が浅すぎ。全体に記号的で、エピソードも断片的でつながり=因果関係も弱く、なんでそうなるの? 的な疑問がわらわらと湧いてくる。騙されたからって転売ヤーを殺しはしないだろ、フツー。このリアリティのなさは、黒沢清の持ち味だとは思うけど、まったく共感しない。
転売ヤーの吉井にしてやられた側の被害額は数百万程度だろ? しかも、騙されたわけではなく、してやられた、ということだ。被害者の側も、吉井に安く買い叩かれたり、安く卸してしまったのも、了解済みのはず。冒頭の、電子治療器を買い叩かれた中小企業のオッサンも、フィギュアを安く売ってしまったオジサンも、世間の動向に無知すぎだっただけだ。手持ちの装置やフィギュアがどの程度の額で流通できるかネットで調べ、自分でメルカリなりなんなりに出品すればいいだけの話。それができない情弱な人たちを擁護はできないよな。いまどき60、70歳でも情報を駆使してあれこれできる人はいるし、自分でできないなら家族や知人に相談すればいい。そう考えると、後半になって吉井に敵意を向ける連中のトンチンカンさがアホに見える。
冒頭の電子治療器では600万ぐらいの売上になったのか。で、その後、高専の先輩で同じ転売ヤーをしてる村岡に、専用サイトを立ち上げようと思うがひと口乗れ、といわれ、無言で断る。勤めている工場の社長・滝本から昇進を打診されるが断り、退社。の前後に、バイクを運転してたら道路にワイヤーが張ってあって転倒。バスの乗客の黒い影。工場主の社長・滝本が夜やってきたが居留守。このとき突然停電。とかあって、郊外の一戸建てに転居。つきあっていた秋子も一緒にやってくる。のだが、夜中に窓から異物を投げ込まれる事件が発生。警察に被害届を出すも対応は冷ややか。逆に、「あんたが仕入れたブランド品のバッグ、偽物じゃないの? 宅配業者から聞いたよ。ひとつもってきて」といわれる。そんな口の軽い宅配屋はいるのか? バッグは20万で出品したがひとつも売れず。1980円にしてたところだったが、真偽の程をしらない吉井はあせり、バッグをすべて東京の、よくわからん業者に預けてしまう。ありゃ、配送の代行でもしてくれるところか? ただ預かってくれるところなのか? 売れたのか、どうなのかも、よく分からん。
と思ったら、バイトでやとっていた地元の青年・佐野が犯人を捕獲してしまう。犯人は、東京からやってきて、うまくやってるから、やっかみ、という。そんなのあるか。だったら都会者はみな敵になっちゃうのかよ。
佐野は、東京で働いたけど合わないのでもどっていたところを吉井が雇ったらしいが。どういうツテで雇用したのだ? 経緯がまったく触れられていない。杜撰すぎ。しかも、吉井が不在のとき、コンピュータをいじって秋子に指摘されたりする。秋子は「佐野君は私を誘わないのね」なんて、尻軽なところも披露する。なんなんだ。
な感じなんだけど、いまいち得体の知れない怖さは感じないのだった。
このあたりだったか。トイレで「お前の卸したバッグは偽物だったじゃないか!」とボコボコにされてる男がいて。これは三宅というのか、岡山天音が演じてた。三宅は漫喫みたいなところで暮らしてるんだけど、彼はここで突然の登場だよな。殴ってたのは誰なん? 吉井のカバンの件があったけど、あれとは無関係だよな? 関係あるのか? それとも、このバッグが流れ流れて吉井のところに行ったのか? なーんの説明もないので分からんよ。で、三宅は闇サイトで吉井のハンドルネーム“ラーテル”を探して復習するグループと接触し、行動をともにすることに…。そのリーダーが滝本なのか?
と思ったら、なぜか知らんがその滝本がショットガンをもって吉井の家にやってきて。冒頭で電子医療器を吉井に買い叩かれたオッサンとか、フィギュアのオジサン、覆面した三宅なんかも付いてきている。しかし、滝本が吉井に恨みをもつ必然性は、あるのか? 滝本から「青年部長にするから、リーダーとしてやってくれ」というのを断って、工場を辞めただけじゃないか。さらに、ニュースで滝本が女房子供を殺して逃亡中とかいうのが流れる。なんだこの脈絡のなさは。
とにかく、これは大変、と思っていると、なぜか知らんが佐野が吉井に「あなたのアシスタントだから助ける」とか意味不明なことをいいだす。そもそも佐野は、吉井がバッグを東京に運んだときPCを覗いたことを非難され、首にされているのだ。なのに、自分のクルマを吉井に提供したままいったんは消え、なのに、助けると行ってまた登場する。なんなんだ。
しかも佐野は、得体の知れない男から拳銃を入手している。はあ?
さらに、滝本と連携してるのかどうか分からないけど、吉井の敵として先輩・村岡が現れる。もう、意味不明。
この後、順番が分からなくなってるんだけど、電子治療器のオッサン、フィギュアのオジサン、三宅、村岡が死ぬ。この過程で誰かが佐野を撃とうとし、それを吉井が撃って助けている。おどおどしていたのが、堂々たる拳銃使いになっちゃったよ。
で、佐野はどこかに電話するんだけど、どうやら死体処理を専門にしてくれるところ、らしい。なんか『ベイビーわるきゅーれ』みたいだな。ってことは、佐野は殺し屋なのか? しかし、吉井にはとくに義理もないだろうに、なんで命を張って吉井を助けようとするんだ? 意味不明。
さて、ひと段落して。吉井はフィギュアが売れたかどうだかスマホでチェックすると、なかなかの売れ具合らしい。佐野に「いくらぐらいに?」と聞かれ、「1000万円」と応えているのだが、そこに秋子が現れ、銃を手に「カードを渡せ」といってくる。これはクレジットカードのことか? そういえば秋子は浪費家のようで、買いたいモノがたくさんある、とは言っていたけど。目先の金に転ぶのか。やれやれ。と思っていたら、佐野が秋子を撃ち殺してしまう。なんかもう、ムチャクチャだな。秋子も、その他のオッサンオジサンたちも、吉井を殺そうとする要因なんかないだろうに、ムダにエスカレートしちゃってる。バカバカしいにも程がある。
最後は吉井と佐野がクルマで去っていくんだけど。佐野は吉井を殺して金を奪わないの? なんで? と思ってしまうよな。
新居の窓からクルマの部品が投げ込まれたとき、そういうことは新居では初めてなのに、秋子は「もう嫌だわ」なんて、まるで嫌なことがたくさん続いてるかのように吉井に訴えるのは、変だよな。
ベルナデット 最強のファーストレディ11/15シネ・リーブル池袋シアター2監督/レア・ドムナック脚本/レア・ドムナック、クレマンス・ダルジャン
原題は“Bernadette”。公式HPのあらすじは「ベルナデット・シラクは、夫ジャック・シラクを大統領にするため、常に影で働いてきた。ようやく大統領府のエリゼ宮に到着し、自分の働きに見合う場所を得られると思っていたが、夫やその側近、そして夫の広報アシスタントを務める娘からも「時代遅れ」「メディアに向いていない」と突き放されてしまう。だが、このままでは終われない。参謀の“ミッケー”ことベルナール・ニケと共に、「メディアの最重要人物になる」という、華麗にして唯一無二の“復讐計画”をスタートさせる!」
Twitterへは「亭主関白なシラク、参謀ども&広報担当のわが娘は、大統領夫人となったベルナデットをかやの外に置こうとする。反旗を翻した彼女はあの手この手でやり込めていく…。体型のせいか肝っ玉かあさんにしか見えない→ドヌーヴ。」
ドゴールは知ってるけど、ミッテラン、この映画に出てくるシラク、サルコジなんかは、名前は知っててもイメージが湧かない。そもそもフランスの政治情勢はまったく知らない。右派がどうの、左派がどうのも分からない。ので心配したんだけど、杞憂だった。なんとなく説明してくれるし、そもそも政治の話は添え物。時代遅れで男尊女卑で浮気性なシラクに対する奥方の宣戦布告な話で、なかなかに痛快。こりゃ女の人が見たら共感するところは多いだろうな。
冒頭には、事実に基づいているけど自由に脚色している、と字幕が出てくる。なのでどこまでホントか分からないけれど、シラクの浮気話、そういう話を実名でここまで描いてしまって、フィクションです、で済むのが凄いね。
ベルナデットと下の娘・クロードとの対立、上の娘が拒食症だったこととか、がんがん描いてる。日本ならプライバシー侵害で問題になりそうな気がするけどね。
しかし、なんといってもこの映画のチャームポイントは、ベルナデットのアシスタントに抜擢され、権謀術数を駆使してシラクやその参謀たちの鼻を明かす手伝いをするニケの存在だな。おっさんにしては愛嬌があって、なかなか可愛いのだ。
とはいえ、冒頭からの流れは、ちょっと「?」なところもあって。夫シラクが当選して大統領夫人となったのにパーティには来るなとか、インタビューでは家族っぽく見えるから同席するなとか、シラクの態度は理解不能だよ。あれはフランスでは当たり前なのか? それともシラクがベルナデットを嫌っているのか? でも、なんだかんだで困るとすぐにベルナデットに電話してきたりする。頼ってはいるけど、表には出したくない、ということなのか。あれはシラクの性格? でも、そういう態度は時代に合わない、と周囲は誰もアドバイスしなかったのか。シラク当選は1995年だから、すでに女性進出は当たり前の時代ではないのかね。ベルナデット自身も地方議会と言うから県議会か、の議員をやってるわけだし。なんてことを考えると、シラクも参謀もバカじゃねえの? としか思えん。
シラクに輪をかけてベルナデットを疎外するのが娘で広報担当? のクロードで。父・シラクと同じように母親を前に出そうとしない。つまりまあ、大統領夫妻、というイメージを見せたがらないのだ。これが不思議。あれは、たんなる仕切りたがりな女だということなのかね。
とはいえ、ベルナデット vs シラク&クロード、という図式が分かりやすく面白い。
シラクがベルナデットの直感を、いまいましく思っている、という演出も効果的。最初は、シラクが議会を解散するというのをベルナデットが聞きつけ、「左派が力を付けている」とシラクと参謀たちに言うんだが完無視される。でも、結果はその通りになる。シラク再選のときも、「右翼が台頭してる」というんだけど、シラクや参謀は「そんなバカな」と完無視。でも一時投票でルペンと僅差でひやひや。ベルナデットの直感が当たっていた。参謀たちは「決選投票には行けたんだから」と楽観的。決選投票では大差でルペンに勝ちはしたけど、相変わらずベルナデットの声に耳を傾けようとしない。政治に女の出る幕はない、という態度なのかね、シラクは。でも、ベルナデットは地方議会の議員として経験豊富で実績もある。それを無視するシラクって、何様? と思えてくる。ほんと、シラクや参謀たちはトンマにしか見えない。
それだけじゃない。シラクは相当な女好きで、相当お盛んだったらしい。ダイアナ妃が事故を起こしたときも行方不明で、見つかったと思ったら受話器から女の声が聞こえたり。しかし、これで目を吊り上げたりしないのがベルナデットというのが、心が広すぎるのか。フランスでは、英雄色を好むが当たり前、なのか。日本では国民民主党の玉木代表が浮気で記者会見で懺悔させられたりしてるけど、エライ違いだ。まあ、時代が違うといわれりゃそうだけど。
で、シラクもついに引退のときがきて。サルコジが「次は私を…」とすり寄ってくるけど、シラクにとってサルコジは裏切り者らしい。なので嫌悪しまくり。そこでサルコジはベルナデットにすり寄ってくる。なぜかベルナデットはここは柔軟(なのか?)にサルコジ支援にまわって、シラクの鼻を明かす。という理由が良く分からんけど、でもまあ、亭主シラクに一本取った形になるんだろう。地団駄を踏むシラクがまたまたおかしい。
で、ちょっとその裏切りを調べたら、サルコジもW不倫とかいろいろ出てきて。このひとも相当面白そうな人物なんだな。サルコジでも映画がつくれるだろ、な派手さだった。
というわけで、ボーッと見ていてもなかなか楽しく見られたよ。どこまでリアルか知らんけど、名誉棄損にもなってないようだし(シラクも亡くなってるし)、概ね真実なんだろうな。
・シラクの運転手。あの存在がいまいち分からず。ベルナデットはあの運転手をシラクから離そうとしてるらしい。あるとき、出かけるときこの運転手を自分で使うことにしたら、シラクが慌てた。でも、彼を運転手にでかけ、どっかでワインを飲んで、運転手にも飲ませるよう仕掛け、まんまと引っかかった運転手は、待ち受けていた警察に逮捕されてしまう。警察は、あらかじめベルナデットが呼んでいたらしい。罠にかけたのはなぜ? 運転手がシラクの浮気を知る人物だから?
・ベルナデットがシラクの応援で街に出ると、女性たちに大人気。少女にもサインを求められる。女性の時代がきていたのね。それを上手く使わなかったのは、シラクの落ち度なのかね。まあ、シラクも長い間大統領を勤め上げたんだから、それはそれでいいのかも知れないけど。
・アシスタントのニケは、希望通りに県知事に出世して、満面の笑顔。相変わらず可愛い。
・地方議員としての活動でベルナデットは議会に出席してる様子が映るんだけど、その会議が、え? どっかの幼稚園の一室? なところで、簡易テーブルをつかって離してる。え? 議事堂とかないのか?
・要所で狂言回しの聖歌隊が登場するのが楽しい。
十一人の賊軍11/16109シネマズ木場シアター4監督/白石和彌脚本/池上純哉
いろんなところののあらすじをまとめると「戊辰戦争を皮切りに官軍は東へと進軍。旧幕府軍は追いつめられていく。北陸の小藩・新発田藩は、勢いに勝る新政府軍に味方するか、旧幕府軍の奥羽越列藩同盟として最後まで戦うか。究極の選択を迫られていた。あと数日で官軍が到着する。そんなとき、奥羽越列藩同盟が新発田城に押しかけてきた。このままでは官軍と奥羽越列藩同盟が鉢合わせし、城下は火の海になってしまう。そこで家老の溝口内匠は一計を案じる。同盟軍が城下を去るまで、砦で官軍の進行を止めようとするのだ。配置されたのは数名の藩士と10人の罪人。ミッションが完遂したら、無罪放免にしてやる、という約束の下に…。」
Twitterへは「官軍と旧幕軍の間にたって苦慮する新発田藩が、時間稼ぎのため、罪人らに官軍の侵攻を止めさせる話のようだ。キャラはたってないし、なんでそんなことするの? な話だらけ。首をひねるようなところの連続。ツッコミどころだらけだった。」
『七人の侍』とか『隠し砦の三悪人』、『十三人の刺客』みたいな感じを狙ったのかもだけど、映画としては中途半端だな。理屈というより、勢いでつくってるだけ、な感じ。原案は笠原和夫らしい。アイディアのメモ書きみたいなのか。
時代背景だけど、まず新発田藩の位置づけが分かりにくい。奥羽越列藩同盟に対して、どういう位置づけなのか。長岡との関係も、いまいち分からない。長岡といえば河井継之助だけど、どーゆー人だっけかな? な知識なのだ、こちらは。列藩同盟軍と新政府軍の間にあって、新発田藩がどういう位置づけなのか。長岡藩との関係は? あたりを冒頭で説明して欲しい。
☆型の旗印は、調べたら奥羽越列藩同盟のものなんだな。では、あの賊軍が使った変形井桁のマークは、何なんだ?
で、列藩同盟軍と新政府軍が鉢合わせし、城下で戦争になったら困る、は分かる。でも、それを防ぐために賊軍に砦を任せ、新政府軍を足止めするという作戦が、よく分からない。飲ませて抱かせて、なら分かるけど、吊り橋の架かった谷に面した砦で、極悪人と藩士数名で何をしろ、という命令だったんだ? これが曖昧。ひょんなことから賊軍が新政府軍に仕掛け、戦闘になってしまうのだけれど、あれで良かったのかどうか、について、賊軍に参加した藩士の間に会話もない。また、家老の溝口からの指示もない。あるのは、同盟軍が去ったら狼煙で知らせる、というものだけ。なんじゃそれ。
賊軍に参加した連中が、誰が誰やら分からんままにスタート。画面もずっと暗くて、誰が誰やら。セリフもまともに聞こえないところが多すぎ。キャラもほとんど立っていない。そもそも罪人は何人なんだ? 10人なのか。で、ラストの方で11人目は仲野太賀の鷲尾と分かるけど、あとの藩士はなんなんだ? いや、藩士は何人いたんだっけ。家老の娘婿の入江と、もうひとりの3人? しかし、この藩士3人はどういう理由で派遣されたんだ? 10人罪人の管理? いやそもそも、砦に罪人を配備した理由は、なんなの? 新政府軍に対抗して斬られろ、と? では、3藩士も同じ運命? そういう役目に、娘婿を選ぶのか? 意味不明。
選ばれた罪人がムチャクチャすぎるだろ。しかも、各人の紹介もほとんどない。いちばん詳しい、山田孝之の政も、冒頭のエピソードがなんなのか分からんよ。走って戻り二階に上がって女と抱きあい、その夜に酔った新発田藩士を刺殺してお縄になる、のだけれど、あの女は誰なんだ? 後の方で、女房を手込めにされて仕返し、と分かるけど遅すぎ。というか、あの時代、女房持ちなんて5人に1人ぐらいだろ。そもそも、藩士が何で町人の女を手込めにする? 経緯は? 手込めにされて復讐に刺殺? あの時代にあり得んだろ。ただのバカだ。唐丸籠で運ばれるとき女房がすり寄ってくるけど、同じ藩内で唐丸籠で運ぶかね。で、磔にされるようだけど、1日おかれるのがフツーだったのか? その政を救い出すのがノロと呼ばれる花火師の知恵遅れだけど、なぜノロは政を兄いと慕うのか意味不明。で、2人とも捕まって、政と赤丹(政の隣で磔されようとしていた)が鋸引きにされようとしてるとき、家老の命で罪人を砦に、ということで救われる。
政ほどではないけれど、なつ という女は火付けでお縄に。でも、理由は良く分からない。その他の7人は、経歴の映像での紹介はなし。なので、どういう面々が砦に行くのかさっぱり分からない。画面も暗くて顔も分からんし。なんなの?
藩士の方は、同じ道場で修練する仲間、らしい。鷲尾は、列藩同盟軍に参加して幕府を応援する立場。入江? は、藩にも考えがあるので、それに従う、な感じで、最初にいがみ合う場面があった。なので、砦で新政府軍を迎え撃つには、鷲尾は心の乱れなく立ち向かえるだろうけれど、入江は、あれ、新政府軍と戦っちゃっていいの? なもやもやがあったんじゃなかろうか。
で、新発田藩では、若い藩主は、これはもう新政府軍に参加でしょ、どうみても。なドライな感じ。でも、それを列藩同盟軍に知られるとまずいので、同盟軍がやってきたとき、家老は藩主を押し込めて列藩同盟軍には合わせない作戦。そこに列藩同盟軍がやってくる。「なぜ新発田は同盟軍に参加しない。藩主に会わせろ、考えを聞きたい」というのを酒と女で歓待し、時間稼ぎ。立ち去っていくのを待っている。らしいのだけれど、答を聞かないうちは立ち去らんだろ、と思うのだけれど、家老は何を考えているのか。決断せずに、なんとか誤魔化し作戦なのか?
でも、家老も、心の中では新政府軍に加担、で決まってるんだよな。なのに、砦で新政府軍を足止めしろというのが、意味わからん。
でまあ、砦には新政府軍の先遣隊がやってくるんだが、砦から逃げだそうとした政と追尾した連中が交錯して(だっけか?)斬り合いになり、新政府軍はすごすごと退散していくことに。もちろん新政府軍は、今度は大砲を数門装備して再来。ドカンドカン始まるんだけど、調べたら戊辰戦争時には炸裂弾があったようだ。ふーん。その後の戦いは押したり押されたり。な、なかで、ノロが花火師の知識を活かしてか、焙烙玉なるものを持ち出してくる、のだが。そんなもの、いつつくったんだよ。火薬とか、器とか、どうやって調達したんだよ。テキトー過ぎるだろ。映画的ウソもほどほどにせい。
賊軍の連中も、あまり目立たなかった連中から死んでいく。口の軽いおっさんは(三途)、いつものにか死んでたのかな? 辻斬りの大男は、新政府軍の兵士に囲まれ、めった刺し。そこに焙烙玉が投げ込まれ、爆裂死。姦通の美青年は顔面火傷で、その後どうしたんだっけ。医者の おろしや は、手を火傷し、この手じゃ医術はムリだ、と犠牲的な死、だっけか。なぜか突然画面に出て来た健脚のジジイは、いろいろ活躍するけどこれまた多勢に無勢で死んで。
藩士の間でもすれ違いはあって。入江と同輩が「罪人等は任務が終わったら抹殺するよう家老に命じられている」と話しているのを なつ だったかが聞いて。それを聞いた政が、たしか同輩の方を撃ち殺すんだよな。違ったっけ? で、そのまま火縄銃を構えて入江を追及すると、入江は「その通り」と認め、罪人たちに謝罪。無罪放免を家老にかけ合う、と約束する。火縄銃は連発できないんじゃなかったっけ?
で、同輩が死んで(?)、その後に入江も手疵を負うんだけど、どういう経緯かは忘れた。で、罪人を始末することを鷲尾は知らず、置いてきぼりなんだが。これは鷲尾が下級侍だからなのかな。
しかし、鷲尾は新政府軍が嫌いで列藩同盟にシンパシーを抱いてるからこの戦いも納得だと思うんだが。入江の心境はどうなんだろね。少ない人数で新政府軍と戦うことになっちまって。家老の娘婿、なのに。
前後するのかな、順番を覚えてないんだけど。新政府軍の大将格のひとりが賊軍の人質になって。膠着状態、かと思ったら、新政府軍から「解放すればお前らの命は取らない。自由にしてやる」とかいわれ、じゃあ、ってんで刀を置いて投降しようとしたら、誰だったか忘れたけど、その人質を撃ち殺してしまい、投降話はなくなってしまう。
そうそう。原油混じりの水を飲料水として新政府軍の兵士が汲んでいた、というのがあったけど、あり得んだろ。
この前だか後だかには、吊り橋を落としたり、残っていた吊り紐を渡って向こう岸の石油井戸を利用し(ちょいちょいって鍬で掘ったら石油が噴き出すって、ありかよ、そんなの。誰かが真面目に採掘井戸を掘ってる跡があるってのに)新政府軍を火だるまにしたりするんだが。いろいろみなにテキトーが多い。石油についても知恵遅れのノロが大活躍で、せせらぎに流れ込む石油の存在を熟知していて、それを焙烙玉に塗りつけて効果を高めたりする(高まるのか?)。それと、原油って、簡単に燃えるものなのか? 
さて、帰ってくるとき吊り紐が切れて政とノロが落下するんだけど、なんとかもどってきて。2人に加えて残るは赤丹、引導、火付けの なつ。なんか、最初っから役に立たないようなのが残ったよな。
そのあとどうなったんだっけ。家老の娘が入江に会いにやってきて、でも入江は力つきて死に、無罪放免の約束は果たせず。なもんで、なつ が家老の娘を家まで送っていくっていうのがあったな。礼に小判を幾ばくかもらっておったな。
新発田藩からなかなか立ち去らない列藩同盟軍。これに対して、家老の溝口は白洲(?)に農民を集め、自ら次々斬首していく。これが意味不明(斬られたのはコロナ患者? よく分からん)。何のためにやってるんだ? で、しょうがねえなあ、な感じで列藩同盟軍が立ち去る、かと思いきや、どうやったか知らんが藩主と面談し、新政府軍に与する予定、という藩主の決意を聞きだしてしまった。ので、列藩同盟軍は家老・溝口に切腹を迫り、さあ斬るぞ、というところに伝令みたいのがやってきて、切腹なんかほったらかしで出かけていく。あれは、新政府軍が迫っているとか、だっけ? よく覚えてない。なんか、説得力のない展開・流れなんだよなあ。それはさておき、ここまできたから腹を切ろう、という溝口を、藩主が「お前に死なれたら僕ちゃんどうしたらいいかわからない」と泣きつかれ、やめてしまう。やれやれ。
で、砦にやってきたのが、家老・溝口とその配下で。これは罪人たちを始末するため、らしい。けど、いまさら始末する必要性はどこにあるのだ? さっぱり分からん。新政府軍の足止め作戦を列藩同盟軍に知られてはまずい、から? そうかあ? いまさら。
でまあ、なんかってーと念仏唱えてるだけの演出の坊主・引導と、賭博人の赤丹が射殺され、死亡。藩士・鷲尾は、約束が違う、と溝口に立ち向かい、「わしは11人目の賊軍だ! イザ勝負、抜け」と言ったら、溝口は刀ではなく拳銃を抜いて撃つという、インディ・ジョーンズみたいな卑劣な手口で溝口は死亡。政はノロを「城下へ行け」と逃がし、自らは残っていた焙烙玉を手に見張り塔に登り、着火して藩士たちとともに爆裂死。1人残った家老・溝口は呆然。
なつ とノロは、女郎となった政の女房に会い、家老の奥方からいただいた金子を渡し、これを身請け金に、と手渡す。まあ、ありがちなエピソードだな。ところで、政の女房は唖なのか? 政が唐丸籠で運ばれるときは、声を出してなかったっけ? 
で、新政府軍を迎える家老・溝口。ご所望の、と差し出すのは、あれは、鷲尾の首か? 砦で手ひどくやられたので、その首を、といったというのか。しかし、顔なんか分かりゃしないんだから、そこらの罪人の首を差し出せばいいだろうに。よく分からんな。
やれやれ、と思ったら、家老・溝口の家では奥方が悲痛な嗚咽。娘が自害して果てたのだった。これは入江に殉じたということなのかな。
というわけで、新発田の城下での戦は回避したが、溝口の家族はボロボロになったわけだ。そういえば長岡藩は新政府軍との戦いでボロボロになったらしいが、そういうこともエピソードとして入れ込めば、新発田藩の砦作戦は成功した、のかも知れないと思えるかもしれないのに、そういう描き方はしないんだよな。新発田から転進していった列藩同盟軍の連中が、あの後どうなったのか、も紹介しない。新発田藩や砦の賊軍以外のその後と結果も、ちゃんと教えてくれよと思うけどな。
それと、鷲尾にも両親はいるだろうに。息子が賊軍としてひどい扱いを受けて、残された家族はどう思ったのか。も、知りたいところではある。
とにかく、いろいろと杜撰な構成とシナリオの映画だった。
SUPER HAPPY FOREVER11/18新宿武蔵野館3監督/五十嵐耕平脚本/五十嵐耕平、久保寺晃一
公式HPのあらすじは「2023年8月19日、伊豆にある海辺のリゾートホテルを訪れた幼馴染の佐野と宮田。まもなく閉館をするこのホテルでは、アンをはじめとしたベトナム人の従業員たちが、ひと足早く退職日を迎えようとしている。佐野は、5年前にここで出会い恋に落ちた妻・凪を最近亡くしたばかりだった。妻との思い出に固執し自暴自棄になる姿を見かねて、宮田は友人として助言をするものの、あるセミナーに傾倒している宮田の言葉は佐野には届かない。2人は少ない言葉を交わしながら、閉店した思い出のレストランや遊覧船を巡り、かつて失くした赤い帽子を探し始める。」
Twitterへは「突然死した女房の思い出を訪ね、5年前に出会った熱海へ友人と2人やってきて、ムダに乱れて周囲に面倒をかけまくりで、友人は呆れて帰ってしまう、というだけの話。感傷的なのは本人だけ。この手のだからどうした系の話は退屈。オチは見え見え。」
ロングショットあるいはミドルショットで佐野と宮田を描く前半は2023年。途中から、佐野と凪の出会いの5年前の過去のパートに入り、赤い帽子を無くした、けど2人で探そう、なところで切れて、2023年にもどって、最後は部屋に閉じこもってる(?)佐野の様子と、最後の出勤を終えるベトナム人アン、で終わる感じ。
話は、とくにドラマもなく淡々と、顔もなかなかアップにならないし、セリフもどっちが話してるのか分からなかったり、あるいは何を言ってるのか聞き取れなかったり。この手の製作者の自己満足な映画って、増えてるよな。アップは、過去のパートで凪が1、2回ちらとあるだけ。佐野は、ミドルがいくつか。宮田はあまりフィーチャーされない。
↑のあらすじに佐野と宮田は幼なじみ、とあるけど、そんなこといってたっけ? でまあ、男2人の、しかも30凸凹の旅というのも変だけど、5年後に思い出の地を訪れる、というのもなんか気色悪い。凪が死んで間がないのだろうけど、いったい何を求めてやってきたのか? が、意味不明。
2人が訪れたのは海岸があって、パームツリーみたいなのが映ったりしたのと、ホテル従業員のアンが指し示す方向なんかから、宮崎県あたり? 島の観光もあるし。 と思ったら熱海で。調べたら初島があるらしい。知らなかった。ホテルはひと月後に閉館するらしい。佐野は、いろいろ変なことをしでかす。海岸を歩いていて、少年の赤い帽子を「それ、君の?」と呼び止めて父親に不審がられたり。スマホに電話で、それは編集者から佐野の妻への伝言みたいなもので、写真はどうなってるか知りたい、とかいうものだったが、最後まで聞かずにスマホを海に投げ捨ててしまう。なんてことするやつだ。さらに、ホテルのカウンターで「赤い帽子を無くしたんだけど。5年前に。ある?」と聞いたりする。どんな帽子かを知らせるため、見せた写真は頭の部分がフラッシュで光っていて、よく見えない。てな感じで、行動が異常。
かと思うと、2人で風呂に入っていて、倒れた爺さんを発見して救急車呼んだり。これまた、よく分からんエピソード。
2人の女性客が宮田に寄ってきてオーラがどうの言うのは、なんなんだ? セミナー仲間かせ分かる?  どういうことだ? そのセミナーを佐野は嫌っていて。女性の1人に「あなた失礼ね」とかいわれ、席を外してしまうのはなんで? な態度はいったい何なんだ? ところで、このときだったな、妻が死んだ、ということを話したのは。で、その帰りだったか、タクシーで運転手が「どこそこでは幽霊が出るっていわれる」とか話すんだけど、そしたら佐野が運転手の座席を後ろから蹴り続け、降りてくれといわれてしまう。なんで蹴るの? 意味不明。のあと、佐野は吐いて、さらに煙草が吸いたい、といったり。なんとかホテルに連れ戻り、2人はゴロ寝。で、翌朝、「俺の指輪どうした?」と宮田に言われ、「捨てた」と返事する佐野。あきれ果てた宮田は、ひとり先に帰ってしまう。まあ、あたりまえだ。っていうか、こんな友人とよくまあ旅ができたものだ。どっちが言いだしたのか知らんけど。
なんていうところが、2023年の熱海再訪か。
5年前。佐野と凪はここで知り合った。そして結婚したらしい。けれど、ある日、起きてこなくて、そのまま亡くなった、んだと。佐野の仕事はなんだっけ。忘れたけど、将来は店を出したい、とかいってたか。宮田は看護師だったかな。凪は、カメラマン? ライターと一緒に取材のはずがライターの祖母が亡くなってこられなくなり、1人らしい。けど、1泊なのか2泊なのか。よくわからん。ライターの分はキャンセルするとか何とかいってたけど、当日じゃ全額とられるはず。キャンセルも何もない。で、あることで知り合い、島への船で佐野が凪に話しかけ、あとは3人でうろうろ。夜はクラブに行って、部屋に戻ってそのまま寝てしまう・・・。ホテルは島にあるのか? 位置関係がよく分からん。
佐野と凪が歩いていて、洋品店の前で拾った赤いキャップを店のものと思い、千円で買って、それを凪にプレゼント。は、クラブに行く前のことだったか後のことだったか。クラブに行くのに、駅前で待ちあわせするとか言ってなかったか? じゃ、島じゃないのか、クラブは。なんか記憶がぐちゃぐちゃ。ホテルの部屋の前で別れたのは、佐野と凪の2人で、ルーム番号が819で、佐野が「明日だ」というと凪が「私の誕生日だ」ということになって、明日はお祝いしなくちゃ。なことをいって各々の部屋に入るんだが。このとき、宮田はどうしてたんだっけ? 
で、翌日、凪は街をウロウロ。堤防をウロウロ。のときは帽子をかぶっていたけど、街中のシーンになるとかぶっていない。じゃあなくしたのは外だろ。と思うんだけど、凪はホテルのカウンターで尋ねたりしている。ヘンだろ。凪の誕生日を祝う、のはどうなったんだか。そのまま凪は東京に戻っちゃったの? あたりは、バッサリない。あえてそうしてるんだろうけど、不自然さしか感じねえよ。
そうそう。凪とアンが浜辺あたりで出会う場面があったんだったか。帽子を見つけたら、使ってていいよ、とか言ってたっけ。が、5年前。
で、最後は2023年。ホテル最後の日。働くアン。まあたぶんアンのロッカーに赤い帽子があったりするんだろうと思ったら、マネージャーに挨拶に来るときかぶってた。で、映画は終わる。監督はしみじみさせたいのかも知れないけど、不自然さが多すぎてどこにも感情移入できず。
赤い帽子を佐野と凪の愛の象徴みたいにしたいんだろうけど、5年前の出会いのときに買ってもらって、翌日にはさっさと無くしてしまった帽子なんかに、こもってるはずはないだろ。帽子にまつわる特別な出来事もないし。むしろ、一緒に過ごした5年間の間には、もっと印象的な出来事やモノがあったはず。凪の記憶を、あんな帽子に象徴させる意味が分からない。
・佐野と凪。美男美女ではないのがリアリティ?
・凪って、女性としてちっともミステリアスじゃないから、魅力がないんだよな。熱海に来て、本来の取材もしてないようだし。カップ麺たべて幸せ、とかいったり。フツーすぎ。でもって、佐野みたいな男と結婚するのかよ。という、がっかり感もある。
・凪の持ってるのは、カメラマンと言いつつ、フィルムのコンパクトカメラ。立派なデジカメぐらい使いこなさないの?  帽子をもらった日の夜、部屋に戻って、鏡に映った自分を撮るんだが。距離が近いのに自動フラッシュで、ロクに映ってない。アホかと思う。プロじゃないだろ。
最も重要なものは愛11/19ル・シネマ 渋谷宮下9F監督/アンジェイ・ズラウスキー脚本/クリストファー・フランク、アンジェイ・ズラウスキー
原題は“L'important c'est d'aimer”。映画.comのあらすじは「ゴシップ誌のカメラマン、セルヴェは、生活のために安っぽいポルノまがいの映画に出演して日銭を稼いでいる女優ナディーヌと出会い、一目ぼれする。彼女を助けようと考えたセルヴェは、高利貸しからお金を借りて舞台に出資し、ナディーヌに役を与える。ナディーヌもそんなセルヴェにひかれるが、夫であるジャックとの間で揺れ動き……。」
Twitterへは「1975年製作で2024年に日本劇場初公開らしいが、なるほど訳が分からん話で、これじゃ客も入らんだろ。たいしたドラマもないので少し寝た。当時37歳ぐらいのロミー・シュナイダーが落ちぶれた女優を演じてる。」
なんか話がよくわからないし、人物の考えてること、行動も理解しにくいところが多くて、しかもたいしたドラマもなくだらだらつづくので、見始めてしばらくして、少し寝てしまった。
白黒映画。
冒頭は撮影現場で、血だらけの男にまたがって、イク顔をしろ、本番はズボンを脱いでやるとか女性監督にいわれ、でも、できないでいるナディーヌ。その彼女を盗撮するカメラマンのセルヴェがいて、スタッフに見つかりボコボコに。でも、口の中にフィルムを隠してその場を逃げる、というのが発端。後日、セルヴェがナディーヌの家を訪ね、あのときのカメラマンだ、と堂々と名乗るんだけど、部屋の中に招かれ、夫の入れるインスタントコーヒーまでいただく。そして、あの写真は売れた とナディーヌに言うんだが、もう常識外れもいいことばかりで、すでに「?」な感じだ。だいたい見ず知らずの盗撮カメラマンを家の中に招き入れないだろ。しかも、あの写真を売った? フツー怒るし、拒絶反応だろ。それがあれこれべらべらしゃべる女優ナディーヌが理解不能だよ。いくら1975年でも、これはないだろ。
ところでセルヴェがナディーヌを盗撮したのは自分の好み(前のエロ映画を見て好きになったとか?)なのか? それとも、ナディーヌにもまだ需要があるのか?
ナディーヌは30歳という設定らしい。どうも、前の映画もエロで、仕事がなくなっている、らしい。セルヴェに、もうオバサンよ、なことをいってたような気もするが。いまの感覚だと、30歳なんてまだまだだよな。
なぐらいなあと、なかなかドラマが始まらん、ので、10〜20分寝てしまう。
ふと気がついたら乱交の場面で、陰毛でまくり。陰部もちょい見えそうだぜ。あれはセルヴェの撮影の仕事なのか。あとのほうで、どうもセルヴェはエロとか同性愛の撮影をして稼いでいるらしいのが分かるんだが、その一環なのか。映画的にはあまり意味がないと思うんだけど、しつこく見せているのは裸で客を呼ぼうという魂胆の映画だったのかも。
寝ていたせいで、わからないエピソードがいくつか。・上の階の犬を飼ってる紳士は何なんだ? 後に亡くなるけど、それほど重要な役回りでもなかったような…。
・芝居の場面が突然でてくる。しかも、日本の甲冑をつけて斬り合いをしている。なんなんだ。そういえば、演出家(?)の部屋に能面があったけど、日本かぶれなのかね。芝居は新聞に酷評され、打ち切りな感じで、あれじゃ借金が残るだけだろ。はともかく、↑のあらすじに「高利貸しからお金を借りて舞台に出資し、ナディーヌに役を与える。」とあるので、これか。セルヴェはナディーヌに入れ込んで借金した、ということだったのか。
しかし、わりと献身的な亭主がいる女優に惚れ込んだということらしいけど、どこにどう惚れたのか、がよく分からない。ゲスなカメラマンと、年増で人気が低落し、いまはポルノに出まくりの女優との恋? それがはっきりしないと、この映画の根幹の部分は分からないと思うんだけど。それも、こちらが寝ているときに何かあったのかね。
で、その後に、ナディーヌの亭主はなぜかクスリを飲んで自死? あれは、どういう理由なのだ? その後にセルヴェがナディーヌを訪ねると、亭主は写真を売ったといい、その残りが部屋中にばらまかれてる。亭主は写真なんて撮ってたんだっけ? これも寝てる間に話があったのか? そういえば、ナディーヌの家は他人の家を借りているとか言ってたけど、亭主が売った写真の代金で、住みつづけることができるということ? 
このあたりで、2人はキスしてたよな。亭主あった身で、ヤクザな写真家のどこに惚れたんだか。
と思ったら、男どもにセルヴェはボコボコにされるんだけど、あれは高利貸しの手下か。金が戻って来ないからってボコっても意味ないと思うんだが。そこにナディーヌがやってきて、血だらけのセルヴェを抱え込むのだが。これは冒頭の場面を連想させる。なので、ここでナディーヌはセルヴェにまたがってセックスシーンになるのかと思ったら、そうはならずにここで終わってしまった。
まったく、だからどうしたな映画で。公開されなかったのも推して知るべしな気がしたよ。
マッチ工場の少女11/22シネマ ブルースタジオ監督/アキ・カウリスマキ脚本/アキ・カウリスマキ
英文タイトルは“The Match Factory Girl”。映画.comのあらすじは「フィンランドの田舎町。マッチ工場で働いて稼いだ僅かな金で母と義父を養う少女イリス。ある日彼女は、もらったばかりの給料で自分のドレスを買ってしまう。 怒った義父は彼女を殴り、母はドレスの返品を命じる。とうとう我慢できなくなった彼女は、家を飛び出してディスコへ向かい、そこで出会った男性と一夜をともにする。しかし彼女は彼にも裏切られ……。」
Twitterへは「カウリスマキ特有の無機質な芝居は少ない。少女にしてはオバサン過ぎて萎える。話はよくある感じで、かなり退屈。ラスト、そこまでする? な気がしたけど、やっとちょい盛り上がったかな。冒頭のマッチ製造工程がいちばん面白かったな。」
69分と短い。
イリスを演じるカティ・オウティネンは1961年生まれで、この映画の制作年の1990年には29歳。げ。『パラダイスの夕暮れ』(1986)でもオバサン顔だなと思ってたけど、この映画はその後。なのに、少女はないだろ。なんとか「娘」ぐらいにしてくれよ。
毎日マッチ工場で働く日々。友達はおらず、家には実母とその彼氏か義父か、がいて。義父を嫌って兄だか弟は家を出ている。稼いだ給料はほとんど家に入れて、贅沢もできない。それでもダンスには行くんだな。勇気があるというか、それが習慣なのか。でも、誰も相手をしてくれない。のもあって、可愛いドレスを買ったら両親に叱りつけられてしまう。でも、そのドレスでダンスに行ったらオッサンが声をかけてくれて、その日のうちにベッドイン、っていうのが、おいおい。奥手のように見えて尻軽なんだな。何人も男を知ってるんだじゃないのか? てな感じ。
男の部屋で眼を醒ますが、彼は会社へ。財布から紙幣を出して置くのは、女を買った、ぐらいの感じなんだろう。でもイリスは電話番号(どうやら会社の電話のようだ)をメモし、かかってくるのを待つ。が、音沙汰なし。なので彼の家を訪れ、来てくれるよう頼み込む。するとなんと、男がイリスの家にやってきて、両親と会うのだから、よく分からない。つき合う気もないのに、なにこのオッサン。オッサンだよ、もうかなりハゲてるんだから。でもイリスには王子様に見えてる…らしい。もちろん彼曰く、一夜だけのつもり、もう会わない。あったり前だろ。でも、妊娠が発覚し、彼の会社まで行って手紙を渡すと、郵便で「始末してくれ」と一行あって、堕胎料の小切手が。呆然と歩き出し、交通事故に。これを、自ら堕ろすためにぶつかった、という見方もあるようだけど、それはないだろ。
この出来事によって、義父から「厄介者は出て行ってくれ」と言われてしまうのだが、フィンランドの家族はそんな人非人なのか? ということ。義父は嫌ったとしても、実母は優しくするのが人の道じゃないのかね。で、家を出て暮らしている兄弟の元に転がり込む。
ここまでは、新鮮味がなく手垢の付いた話なので、退屈極まりない。ドラマがひとつもないじゃないか。
こっからは、後々思うに、サイコというかホラーな話になってくる。表面的には淡々と進みはするのだけれど。
イリスは薬局にいて殺鼠剤を買う。「効く?」「イチコロよ」と店員。さっそく水に解かしてビンに入れ、それをもって例の彼氏のところに行くんたが、よく家に入れてくれたよな。しかも、酒まで出させて。で、彼に席を外させて、そのスキに彼の飲み物に、殺鼠水をまぜる。そして、彼が戻ると無言で立ち去る。彼は、殺鼠剤入りの酒を飲んで、味の変化に気がつかないのか?
バーに行き、ビールかな、を注文して端の席に行くと、入ってきたときから見てた男が寄ってきて、話しかける。この男の酒にも、殺鼠水。そして、どういう口実で訪れたのか、実家に行って、食卓の酒に殺鼠水。あれまあ。あの程度の量では死にはしないのでは? 体調が悪くなるだけでは? と思ったんだけど、そうでもなかったようで。工場で働いていたイリスのところに刑事が二人やってきて、連行されてしまう。で、おしまい。
彼氏や酒場の男、両親がどんな最後を迎えたのか、それは映らないので分からんのだが、イリスは殺すつもりでゃったのか、嫌がらせ程度のつもりだったのか、それはよく分からない。
にしても、行きずりのセックスで子供ができて堕ろす、ぐらいの話はいくらでもあって。目端の利く娘ならさっさと自分で始末してまた遊びまくる、なんていうのが日本のドラマでもフツーだろ。それが、ここまでするかいな。両親にしても、派手なDV家庭でもないだろうに。そこまでするかいな。酒場で色目を使っただけで殺されちゃうのかよ。これゃサイコだろ。ホラーだよ。そうは見えなくでも、やってることは変人だよ。まあ、これがカウリスマキ風のサイコ表現なのかもしれないが。
チネチッタで会いましょう11/26ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ナンニ・モレッティ脚本/フランチェスカ・マルチャーノ、ナンニ・モレッティ、フェデリカ・ポントレモーリ、ヴァリア・サンテッラ
原題は“Il sol dell'avvenire”。公式HPのあらすじは「完璧のようにみえていた映画監督ジョヴァンニの人生。順調なキャリア、傍にはプロデューサーの妻、溢れんばかりの新作のアイディア。でも、そう思っていたのはジョヴァンニだけだった! チネチッタ撮影所で新作の撮影が始まると、畳みかけるようにジョヴァンニを災難が襲う。女優は大嫌いなミュールを履いてきた上に演出に口を出し、プロデューサーは詐欺師だったと判明、妻には突然別れを告げられる! 映画は完成するのか?家族の愛をとり戻せるのか? 変化の激しい時代に、ちょっと取り残されて、戸惑うジョヴァンニが見つけた人生で本当に大切なこととは?」
Twitterへは「めんどくせえ監督に周囲が辟易しながら映画をつくっていく話だけど、いまいちピンボケな感じ。監督のキャラいまいち茫洋としてて、魅力がないんだよな。ちっとも笑えない。ラストも、もうひとひねりあるかと思ったら、あのままかよ。げ。」
チネチッタって映画館が川崎にあるじゃん。だから、このタイトル見て、「映画館で会いましょう」的な内容なんだと思い込んでた。見終えた後で調べてたら、チネチッタって、イタリアの撮影所のことなのか。知らなかったよ。映画館の名前は、この撮影所のから取っていたのか。なことを、多くの人は知ってるのか? 
どーもカッチリした枠組みの映画ではなくて、キャラクターの存在も茫洋とし、話しもだらだら進んでいく。というか、進んでいるのか停滞しているのか、よく分からない雰囲気。主人公はだれなんだ? と思いつつ見ていたよ。で、主人公らしいジョヴァンニも、存在が冴えない。映画の中のキャラとして冴えないのか。本人が冴えないのか。監督本人が監督を演じているらしいけど、魅力がなくて冴えないおっさんだよな、と思えてしまう。そもそもはっきりものを言わない。ねちねち陰湿にからんでくる。嫌なタイプのオッサンだ。
妻がプロデューサーらしいんだけど、彼女の精神科でのカウンセリングがときどき挟まりながら進む。まあ、あんな亭主と一緒に仕事をするのはストレスだろうな、とは思うよ。
監督は繊細で気を使うような商売だよな、とは思う。でも、ただの変人だろ、とも思う。なんかしらんが他人の仕事場に行って、若手監督の演出のしかたに口出しをして。この1シーンでクランプアップ、っていうのにネチネチと持論をまくしたて、撮影をストップさせる場面がある。あれ、若手監督とジョヴァンニとの関係が良く分からなかったんだけど、こちらがょっと寝ている間に説明はあったのかな。でも、あんなうっとーしー亭主がそばにいてあーだこーだ言われたら、奥さんストレスだよなあ。というような場面を観客に見せて、なにが面白いんだ? ウンザリするだけだろ。みんな撮影所に行きたくなくなっちゃうよ。
てなわけで、あまり映画に集中できなかったし、ストーリーらしきものもなくてとても退屈だったし。寝ちゃっても仕方ないような映画だよな。
そうそう。マチュー・アマルリックが出演していて、監督の周囲をウロウロしてるんだけど、どういう役回りなのかよく分からなかったんだけど、実は金がないということが分かって最後は退場して行ってしまう。まあ、口先だけの詐欺男は映画界にはフツーにいるだろうけど、あんまり機能していないんだよな。使い方として、とてももったいない。
ところでジョヴァンニが撮影しているのは、イタリアに共産党があった、という設定の話で。へーそうなのか、と思うのも当然で、映画のスタッフもそのことを知らずに信じられないまま撮影にタッチしている。公式HPを引用すれば「ジョヴァンニは1956年、ソ連によるハンガリー侵攻を舞台にした映画を制作してい る。当時のイタリア共産党がいかにソ連から脱却し、最終的に独立の道を歩む機会を逸したかを語 る必要があると確信しているのだ」らしいけど、これ自体が刺さらないのだよな。イタリアがなぜハンガリーの肩をもつのか? 当時のイタリア共産党はどういう存在だったのか? とかいう説明もなく、なんとなく共産党な話で。その共産党の偉いオッサンと、シンパみたいなオバサンが恋に落ちて、みたいな話がつづくんだけど。このオバサンは自分なりの解釈でどんどん自分の演技を披露していく。それがジョヴァンニには気に食わない。この対立がどう解消されたのか? は、まったく描かれないのだ。オバサンが折れたのか、ジョヴァンニが折れたのか。そのあたり、分からないと話に入れないよ。
あとは、わざわざハンガリーのサーカスを呼び寄せるエピソードも、いまいちピンとこず。イタリア共産党の話の中で、どう絡んでたんだ? しかも、詐欺師プロデューサーのせいで資金繰りがあやしくなって、撮影はストップ。サーカスも帰国してもらうような流れになってたけど、見てる方としたら、だから何? な感じしか受けなかった。そもそも詐欺師に騙されるジョヴァンニが悪いんだろう。ムダなこだわりで撮影に金をかけ、遅らせているジョヴァンニが悪いんだろう。にしか見えないんだよな。そう。ジョヴァンニが偉大な監督に見えない、ひょろっとした優柔不断親父にしか見えないのだから。
しかし、いちばん驚いたのはラストの全員参加による行進の場面かな。最終的にソ連に制圧された現実とは違って、映画の中ではハンガリーがソ連を追い返し、応援したイタリア共産党も未来に向けて明るく進んでいる、な場面になっているんだよ。まあ、これは映画の中の、達成できなかった理想を思っての場面なんだろう、と思っていたら、そうではなくて。なんと、この映画のラストシーンそのもので。あの詐欺師プロデューサーの顔も見える。は? なにこれ。共産党バンザイな映画だったのか? 違和感だなあ。な、ヘンな映画だった。
・冒頭で、ロープに吊り下がったまま壁に文字を書く場面があるんだけど、なかなかのテクニックだな、と感心した。
・Netflixの社員がやってきて、資金提供を申し出てくる。「190ヵ国で見られています」を何度も強調するけど、ジョヴァンニは乗り気ではない。興味深い場面だけど、あんな内容の映画にNetflixが金を出すかね。それに、資金提供話に喜ばないジョヴァンニも、そうとうなひねくれ者だな、と。
・フェリーニやキェシロフスキを引き合いに出し、若手監督の撮影現場では自分の考えが正しいことを示そうとスコセッシに電話し、彼の見解を聞こうとする。やなやつだな。としか思えない。
・共産党幹部のオッサンとシンパの女性役の2人。映画の中の恋愛関係を超えて、ほんとうにラブラブになっちゃうの、なかなかいじらしくて可愛い。
動物界11/28シネ・リーブル池袋シアター2監督/トマ・カイエ脚本/トマ・カイエ、ポリーヌ・ムニエ
フランス映画。原題は“Le regne animal”。公式HPのあらすじは「近未来。人類は原因不明の突然変異によって、徐々に身体が動物と化していくパンデミックに見舞われていた。"新生物"はその凶暴性ゆえに施設で隔離されており、フランソワの妻ラナもそのひとりだった。しかしある日、移送中の事故によって、彼らは野に放たれる。フランソワは16歳の息子エミールとともにラナの行方を必死に探すが、次第にエミールの身体に変化が出始める…。人間と新生物の分断が激化するなかで、親子が下した最後の決断とは」
Twitterへは「人間が動物化していく奇病の世界。精神病患者とか伝染病罹患者をメタファーとしてるのかな。とはいえ既視感あるし、ヴァンパイアや『アバター』風味もあったり。後半で突然人間から迫害を受けたり、細部にいまいち掘り下げが足りない感じ。」
なぜか人間が動物化していく奇病が流行。彼らは当局に保護というか隔離されている。ということから思うに、この奇病は、現在ある精神病的な物を喩えているか、あるいは、コロナやチフスなどの感染症のメタファーなのかも知れない。とはいえ、この映画の主人公エミールは、母親も奇病に罹患しているので、遺伝的要素が強い、ということになって。そういう感染もあるのかも知れないけれど、精神疾患に近いのかなと思ったりした。メタファーとして感じるのはそれぐらいで、あとはエミールが次第に動物化していく過程を見せていくだけなので、話としては単純。とくに深みは感じなかった。
公式HPには「人種差別、移民、ルッキズム、感染症など現代的なテーマを内包」と書いてあるけど、人種差別や移民、ルッキズムは生まれつきの出自だから、変化ではないし、ちょっと強引かな。それに、この奇病では、罹患者が凶暴化していき、人間性を失っていくわけで、その意味でも人種差別や移民、ルッキズムはあてはまらんのじゃないのかね。
この手の話なら、奇病を研究する学者とか、彼らに手を貸す共感者なんかが登場してもいいと思うんだけど、それはほとんど出てこない。エミールの同級生の女の子が彼に好意を抱き、彼が動物化していることを知りながら受け入れ、セックスする、という場面もあるけど、バッグウンドが弱すぎ。なぜ彼女がエミールを受け入れるのか? の説明はまったくないし。
そもそもの奇病の説明も少ないし、保護・隔離がどのようにされているのか、もない。人口の何%が動物化しているか、も説明されない。なので、いまいち科学的な説得力が足りないし、切迫性というか緊迫感がないのだよね。たとえば、動物化したやつらに襲われるとどうなるか、とか。こんなのに襲われたら、ゾンビみたいに伝染るかも、って懼れると思うんだけど、そういう噂の広まりもない。
ずっと変なのは、一般人が動物化した連中をそんなに懼れてないことなんだよな。ラストちかくで、突然のように一般市民が銃を手に狩りを始める場面があるんだけど、それまで彼らは怖れから来る攻撃については考えていなかったのか? と思ってしまう。軍隊と憲兵に任せっぱなし、だったのか? 映画にするなら、もっと早いうちから自警団のようなような連中を登場させ、抵抗もしない動物化した連中を殺していく、ような場面も描くべきだろう。なんか、全体にのらくらのらくら、エミールの動物化と、変化していく自分の身体を隠そうとする彼を描いているだけなので、とてもじれったい。感染症や精神疾患なら“隠す”はあるだろうけど、人種差別、移民、ルッキズムでは隠すに隠せないだろうし。まあ、不法移民は隠すかもしれないけど。
問題は、動物化が害なのかどうか、なんだよな。それも描かれていない。そう。動物化した側のメッセージが少なすぎるのだ。私たちは被害者、悪気はない、少し動物化して凶暴なところはあるけど、ほっておいてくれれば悪さはしない的なことが描かれない。ほんらいなら、彼らにシンパシーを抱き保護しようとする学者や環境団体なんかのキャラが登場し、彼らを守る行動をする、を描かないと映画に不可欠な対立構造にならないと思うんだけどね。
さて。よく分からんのだけれど、動物化した連中を護送(どこからどこへ、なんだ?)しようとしていたクルマが川に落ちて、動物化連中が逃げた。その中に、エミールの母親もいた。なので、父親は妻を探そうとしているのだけれど、この思いもよく分からない。見つけだして、どうしようと思ってるんだろう。すでに妻に襲われたことがあるから、その危険性は知ってるはずなのに。わけ分からん。一方でエミールは隠そうとしつづけるんだけど、ついには父親に見つかり。父親は、エミールを世間から隠し通そうとする。でも、すでに妻が動物化し、保護されているんだから、息子も同じ経過をたどると分かっているはず。で、そのうち自警団が動物化した連中を急に襲いだし、鳥男は死亡。追われて逃げるエミールを、父親は森の中に逃げさせる、というラストなんだけど。森は避難場所になるのか? 果たしてそれでエミールは逃げ切れるのか? フランスにそんな広い森があったっけ? 人間の中で隔離されて暮らした方がまし、かも知れないよな。そのうち遺伝子操作のクスリでも開発され、もどに戻らんとも限らないし。などと考えると、父親の行動も疑問。あるいは、共存を前提にして、隔離を個室や独房にせず、森自体を広い隔離スペースとして提供する、とか。全世界的に考えたら、アマゾンのどっかに動物化した連中を解き放って暮らしてもらうとか。いろいろあるだろうに。
・エミールが森で出会う鳥男は、あれは、冒頭の交通事故でクルマから飛び出した鳥男と同じなのか?
・憲兵隊の女性曹長のアデル・エグザルコプロス。見たことあるけど、どの映画だっけ? で、調べたら『アデル、ブルーは熱い色』か。唇回りがなかなか色っぽくて可愛いね。
コムライヤ爺さんのお葬式11/28シネ・リーブル池袋シアター2監督/ヴェーヌ・イェルダンディ脚本/Ramesh Eligeti、ヴェーヌ・イェルダンディ
原題は“Balagam”。映画.comのあらすじは「インド、テランガーナ州ラージャンナ・シリシッラ県コーナラーウペータ村は、州都ハイデラバードから北に150キロほどのところにある、のどかな農村。そこに暮らす青年サーイルは奇妙なビジネスに手を出しては失敗を繰り返し、一緒に暮らす両親や家族には隠しているが、借金まみれだった。サーイルはまもなく婚約式の予定があり、相手の持参金を借金返済に当てようともくろんでいた。しかし、その直前に祖父コムライヤが突然他界し、喪に服するために婚約式は延期に。さらに些細なケンカが原因で婚約者は彼の前から去ってしまい、サーイルは困り果てる。そんななか、コムライヤの葬儀のため親族が続々とやってくる。サーイルは、叔母に連れられてきた従妹のサンディヤに心を奪われるが」
Twitterへは「インドの片田舎。爺さんが死んで村人や家族が右往左往…。でも1954年生まれらしいし、それほどのジジイでもないだろ。家族・村民、誰が誰やら分からんし、どうでもいいエピソードも多くて少し寝た。カラスに運命を託すってアホだろ。」
でてくる文字や言葉がよく見るインド映画と違っていて、人物の顔つきもアーリア系というよりドラヴィタ人っぽい、と思いつつ見てた。踊りも控え目というより、ちょっとあっただけだたし。それと、コムライヤ爺さんはターバンしてるので、ヒンドゥじゃなくてシークの一族の話なのか。かなりマンナーな人たちだけど、映画が成り立つのだな。
村内をめぐって村民や知人とたわいもなく、ちょっとエッチな話をしたりしてご機嫌伺いにまわったりしてるので、80ぐらいかとおもったら70前じゃないか。70でも好々爺的な存在なのは、インドの平均年齢がまだ低いからかな。調べたら平均寿命は68.3歳らしいので、ちょうど平均寿命で亡くなった感じだな。
トラクターを貸す貸さないの話はなんなんだ? とか、いつになっても話が転がって行かない。だらだらと、どーでもいい話をしている。サーイルという青年は色んな事業というか店を借金してだしては失敗し、借金まみれ。でも、結婚するから金が入るとか、よく分からんことを言っている。いつになっても話が転がらないので、ふっ、と寝てしまった。気がついたら爺さんは亡くなって、ひとがたくさんやってくるんだけど、これが誰が誰やらよく分からない。後半にかけておいおいわかっては来るんだけど、分からないまま見ているのはつらい。寝たのは、爺さんが死んだあとだったかな?
家族の全貌が見えないまま右往左往する面々。見てるこっちは近所のおっさんとの区別もつかない。サーイルは従姉妹の娘サンディヤになびいているけど、え? 結婚する予定で迫っていたのは従姉妹なのか? 後からあらすじを見たら、「些細なケンカが原因で婚約者は彼の前から去って」とあって。では、その場面は寝てて見てなかったのか。やれやれ。にしても、従姉妹に惚れてちょっかい出すというのはどうなんだ?
家族構成。アバウトわかってきたけど、ちゃんと分かったのは、お供え物の最後の日に歌い手を呼んで家族のことを朗々と詠唱したときかな。長男夫妻がいて、長く帰ってこなかった次男夫妻がいて、長女の亭主がいる(いつも仲間はずれにされてプリプリしてたのは、この亭主だったのか)。あとは、爺さんの妹がいて。ところでサーイルは誰の息子なんだ? 
そういえば墓の場所でもめてたな。長男が、畑の中に墓をつくってくれと爺さんは言っていた、というと、次男の嫁(たぶん)が、あたしは反対だよ、土地が売れなくなっちまう、と反論して諍いになった。そうか。インドでも遺産分割とかでもめるんだなと。
あとは…。死者にお備えして、そのお備えをカラスが食べないといけないらしい。カラスは死者の生まれ変わり? で、なかなかカラスが食べないので、村長らがやってきて、カラスが食べないと、村から退去してもらうことになる、とかいう。なんなんだよ。この風習。
で、そのお供えのリミットの、8日目だか9日目に、先に書いた歌い手が朗唱し、食べてくれた。なぜかこれで万々歳。サーイルの借金のことや、お墓の場所のこと、次男の嫁のいちゃもんとか、そういうのは片付けもせず、ハッピーエンドって、なんだよ。
のらくらだらだら、つまんねえ小ネタばっかりの話だったな。
・2時間ぐらいの映画なのに、1時間目でインターバルの表示がでてきた。
・爺さん。死んだ、と見せかけて実は生きていて、息子や娘たちが対立、騒ぎを起こしているところに登場して、「コラッ!」ってなる仕掛けかなと思ったんだけど、そんなことはなかった。

 
 

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