2025年6月

サブスタンス6/2ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/コラリー・ファルジャ脚本/コラリー・ファルジャ
原題は“The Substance”。実体とか実質の意味か。公式HPのあらすじは「元トップ人気女優エリザベスは、50歳を超え、容姿の衰えと、それによる仕事の減少から、ある新しい再生医療<サブスタンス>に手を出した。接種するや、エリザベスの背を破り脱皮するかの如く現れたのは若く美しい、“エリザベス”の上位互換“スー”。抜群のルックスと、エリザベスの経験を持つ新たなスターの登場に色めき立つテレビ業界。スーは一足飛びに、スターダムへと駆け上がる。一つの精神をシェアする存在であるエリザベスとスーは、それぞれの生命とコンディションを維持するために、一週毎に入れ替わらなければならないのだが、スーがタイムシェアリングのルールを破りはじめ」
Twitterへは「若さとひきかえに魂を悪魔に売り渡した女の教訓的な寓話。設定(と、お尻とオッパイ)だけで2時間引っぱっていく。でも、そこまで。その後の20分余はやりすぎ。露骨に見せすぎてて芸がなく、品もない。誰が笑っているのか、もほのめかして欲しかった。」
いやあ、見てから3週間以上たっちまった。ので、アバウトしか憶えてないな。元人気女優で、いまは美容ストレッチの番組にでてるエリザベス。でも、いまやもう自他ともに認めるババア。番組の存続すら怪しい。が、整形病院みたいなところに行くんだよな。たしか。そしたらそこの若い男性スタッフが、こんなのありまっせ、なメモかなんかをくれるんだよな。で、そこに電話したら、どこそこに取りに来い、みたいなことをいわれ、廃墟みたいなところにあるロッカーに行くと、なかに箱に入ったセットがあって。取説を読んで使いはじめる。
箱の中にはシリンジみたいなのがあって、それを注射するんだったか。すると彼女の背中がぱっくり割れて、そこから若い女性スーがでてくる…。1人が2分割だ。やり方としては、エリザペスの身体から骨髄液みたいのを吸引し、それを自分に打つ。するとスーが活動を開始する。てな感じで話は進んでいくんだが。
それはともかく、使い方としては、スーが1週間活動したら、エリザベスと交代する。どうも、7日間で骨髄液はなくなってしまい、休まないといけないようだ。休んでいる間にエリザベスの体内で骨髄液が再生産され、これをスーに注入する。というローテーションが決まりらしい。のだが…。
イケイケぴちぴちのスーは一躍人気スターになって若い彼氏ができるは、新番組に抜擢されるはで、休んでいる暇がない。それに、スーは若さを満喫したい。ので、1週間ぐらいいいだろ、って、エリザベスから骨髄液を吸引し、打ってしまう…。
ふ、と目覚めたエリザベス。自分の手が急激に老化していることにびっくり。スケジュールが守られていないではないか! てな感じで、スーはセックスし放題、飲み放題、仕事し放題。どんどんムリをつづけ、両手はボロボロ、腰は曲がる、顔は崩れるのエリザベス。部屋から見える屋外看板は、スーが新番組の司会(だったかな)にされ、オンエアは本日、と言っている。
それからどうなったんだっけかな。スーの暴走を止めようとするエリザベスをスーが殺しちゃうんだっけか。こうなるともうエリザベスから骨髄液を採取できない。なわけで、最初に2分割したときにつかった薬液を注射すると、顔とか身体がぐちゃぐちゃな怪物だった。それでもステージに行かなくちゃ。怪物はエリザベスの顔写真を顔の位置に貼り付け、舞台用の衣装でライブ会場に向かう。なのに、スタッフや共演者たちは怪物がやっと到着したことに安堵し、歓迎。スポットライト。ステージに美しい衣装に包まれた怪物が立って、さあ、と思ったら、老エリザベスが爆発してぐにゅぐにゅどろどろが会場に飛び散る…。すこし忘れてたので、Webのネタバレサイトを参考にして記憶を甦らせたでござるよ。
しかし、分からないところが多すぎなんだよな。
・この再生医療を提供している主体はどこで、いくらかかるのか? あの男性スタッフがつながっているのか?
・エリザベスから誕生するスーは、若き日のエリザベスなのか否か? 若い頃のエリザベスなら、見る人が見れば分かってしまうはず。なのにそうならない。ということは別人? 
まあ、そんなことはどうでもいいのかも知れない。そもそもこの映画のキモは、老化によって若さを求める心は暴走し、自滅する、ということなんだろう。それを教訓じみた話にせず、スーのぴちぴちな肢体とぷるぷるのオッパイでエロエロで見せて、次第に崩れていくエリザベスをホラー風味で見せることなんだろうから。そして最後はスプラッター、というエンタメにしたところにあるんだろう。限りないもの、それは欲望。いっときの欲で、すべてはだいなし、を感じてもらえればいいんだろう。とは思うが、そうならず、きちんと1週間ごとに入れ替わり、ずっとつづけていける人だっているはず。要は個人の性格だ。みんながみんな破綻するわけじゃない。なのに、皮肉たっぷりにみせられたって、これは単なる一例だろ、としか思えないんだよな。
・そういえば、どっかにウロボロスのイメージがたしかあったような…。再生の象徴か?
・エリザベスを演じるのはデミ・ムーアなんだけど、顔が全然違うんだよなあ。これまで知ってる彼女と。目のメイクだけでも、違っちゃうのかね。女はオソロシイ。
クィア/QUEER6/4ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/ルカ・グァダニーノ脚本/ジャスティン・カリツケス
原題は“Queer”。公式HPのあらすじは「1950年代、メキシコシティ。退屈な日々を酒や薬でごまかしていたアメリカ人駐在員のウィリアム・リーは、若く美しくミステリアスな青年ユージーン・アラートンと出会う。一目で恋に落ちるリー。乾ききった心がユージーンを渇望し、ユージーンもそれに気まぐれに応えるが、求めれば求めるほど募るのは孤独ばかり。リーは一緒に人生を変える奇跡の体験をしようと、ユージーンを幻想的な南米への旅へと誘い出すが」
Twitterへは「LGBTQでクィアを知ったので、50年代からこの呼称があるとはしらなんだ。現在は「奇妙な」で使われてるのに、当時は「男色」そのものだったのね。大した起伏もなくだらだらと。なのでときどき寝た。最後は迷宮の底に堕ちてく感じ。」
LGBTQのQは、LGBT以外の性的嗜好のようなものだと思っていたの。ところが、ここに登場するリーは、ただのゲイじゃないか。なんか納得しにくいな。と思っていたら、バロウズの小説が原作らしい。こちらは1950年代初頭らしいから、当時はクィア=男色の意味だったのかね。
あの007ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)が男色かよ。なんか冴えないね。場所はどこなんだ。メキシコか。部屋にタイプライターがあるから作家=バロウズなのか? 気怠く店に入り浸りで、ときどき男を買って、しゃぶってもらう。なんかドラマがないね。
なんか気になる男が登場し、目が合って…。出会ったあたりでちょい寝落ちしてしまう。気がついたら、彼を自宅に連れて行く手前ぐらいだった。部屋でリーはユージーンのモノをしゃぶる。果てると今度はユージーンがリーのモノをしごく。別に男色に興味はないので、退屈。
それからリーは南米に行くことになるんだが。テレポートのためのなんとか、ということなんだけど、それが何のことなのかよく分からず。誘われたユージーンも結局行くことになるんだが、なぜ同行するのかもよく分からんのよね。このユージーンはいつも店に来ると何かの打合せみたいなことをしていて、女性の友達もいるみたいなんだけど、これまたよく分からんままなんだよ。もやもや。てなわけで、南米のに行って、最初に行けと言われていた博士のところに着いて、しばらくしてまた寝落ち。ふと気づくと、2人が一体化した感じで画面がぐにゅぐにゅしてるところで覚醒した。ドラッグでやって乳繰り合っていたところかな。
アヘンチンキがどーのこーの。バックでだったか、バコバコする場面でボカシが入ってたけど、ボカす必要があるの? とか思ったり。密林に潜入したのはテレポートのため? でも、中途で逃げ帰る2人。あれ、ユージーンがいない! と思ったら、ストンと海岸だっけ? にいて、次はベッドで泥のように寝てる2人だっけ? 忘れた。なんか、よく分からんままなので、見てるこっちも力が入らん。
なわけで、2年後。メキシコでよく行ってたバーは様変わりしていて。ユージーンは、どっかへいった、とか常連のデブに言われて。次にどっかホテルかなんかの部屋に入るんだっけか? そしたらホテル? のミニチュアがあって。覗くと小さな自分が歩いていて、部屋に入るとベッドがあって…。よく憶えてないんだが、いきなり老化したリーがいて、そのリーの顔がぐにゃぐにゃになって…。
なんだかよく分からんのだった。
永遠の人6/8シネマ ブルースタジオ監督/木下惠介脚本/木下惠介
映画.comのあらすじは「◇第一章 昭和七年、上海事変たけなわのころ。阿蘇谷の大地主小清水平左衛門の小作人草二郎の娘さだ子には川南隆という親兄弟も許した恋人がいた。隆と、平左衛門の息子平兵衛は共に戦争に行っていたが、平兵衛は足に負傷、除隊となって帰ってきた。平兵衛の歓迎会の旬日後、平兵衛はさだ子を犯した。さだ子は川に身を投げたが、隆の兄力造に助けられた。やがて隆が凱旋してきた。事情を知った彼は、さだ子と村を出奔しようと決心したが、その当日、幸せになってくれと置手紙を残し行方をくらしました。◇第二章 昭和十九年。さだ子は平兵衛と結婚、栄一、守人、直子の三人の子をもうけていた。太平洋戦争も末期、隆も力造も応召していた。隆はすでに結婚、妻の友子は幼い息子豊と力造の家にいたが、平兵衛の申し出で小清水家に手伝いにいくことになった。隆を忘れないさだ子に苦しめられる平兵衛と、さだ子の面影を追う隆に傷つけられた友子。ある日、平兵衛は友子に挑んだ。さだ子は“ケダモノ”と面罵した。騒ぎの中で長いあいだ病床にふしていた平左衛門が死んだ。翌日、友子は暇をとり郷里へ帰った。◇第三章 昭和二十四年。隆は胸を冒されて帰ってきた。一方、さだ子が平兵衛に犯された時に姙った栄一は高校生になっていたが、ある日、自分の出生の秘密を知り、阿蘇の火口に投身自殺した。さだ子と平兵衛は、一そう憎み合うようになった。◇第四章 昭和三十五年。二十歳になる直子と二十五歳になる隆の息子豊は愛し合っていたが家の事情で結婚できない。さだ子は二人を大阪へ逃がしてやった。これを知って怒る平兵衛。そこへ巡査がきて、東京の大学に入っている次男の守人が安保反対デモに参加、逮捕状が出ていると報せにきた。その後へ守人から電話。さだ子は草千里まできた守人に会い金を渡して彼の逃走を助けた。草千里へ行く途中、さだ子はまた友子と会い、息子と会いたいという友子に大阪の居場所を教えた。◇第五章 昭和三十六年。隆は死の床についていた。直子と豊も生れたばかりの子を連れて駆けつけた。さだ子も来た。隆は死の間際に、平兵衛を苦しめていたのは逆に私だ、謝ってくれと、さだ子に告げた。さだ子は隆を安らかに送るため平兵衛を呼んでこようとした。平兵衛はさだ子の頼みをきかない。が、彼の心もやがて砕けた。三十年間、憎み、苦しんできた二人にようやく平和がおとずれた。」
Twitterへは「戦前から戦後へ。28年にわたる愛憎劇。昼帯みたいな話を107分に圧縮した感じ。高峰秀子、仲代達矢、佐田啓二、乙羽信子、石浜朗…。すごい顔ぶれ。木下惠介オリジナル脚本らしい。ドラマチックで分かりやすい話だけど、時代を感じるな。」
1961年製作。木下惠介のオリジナル脚本らしい。ネタ元はなんなんだろう。それにしても木下惠介がこんなドロドロした暗い映画を撮っていたとはね。貧乏でも心は明るく清々しい人々を描くイメージだったので、ちょっとびっくり。
舞台は熊本、阿蘇。古い因習に縛られた村の因業オヤジと、青春を奪われた若い男女のねじくれた物語だ。時代は、昭和7年、19年、24年、35年、36年と描かれていく。
昭和7年、地主の平兵衛は足を負傷して帰国する。小作の娘さだ子には好きな男・隆がいたが、隆も出征中。さだ子は地主宅に上がっていたが、平兵衛はさだ子を犯して我がものにしようとする。のだけれど、この平兵衛の気持ちがよくわからんのだよな。この村には他に女はいなかったのか。いくら美人(と、いえるかな、高峰秀子)といえ、小作人の娘を嫁にしたいというのは、ムリがありはしないか。むしろ、親はそんな息子の心をフツーは抑えるものだろう。というわけで、そもそもの平兵衛の動機に疑問があるので、この話に説得力はないと思う。
このあたりだっけか。さだ子が川に身を投げるが、隆の兄が助ける場面があったな。
それはさておき隆も帰国するが、事実を知って愕然。だけど、さだ子としめしあわせて村を逃げだそう、と計画する。翌朝、霧の中で隆を待つさだ子。されど、隆は現れない。どういう心変わりか隆はさだ子を残して一人で出奔する。これがまた、理由が分からない。なんでそうなるの? ムリやり離れ離れというせっていにするためのシナリオ展開にしか見えない。なので、ますますこの話の説得力がなくなっていく。
昭和19年。さだ子は地主の息子・平兵衛と結婚していて、子供も3人いる。どうらや長男は、犯されたときの子供らしい。さだ子はすでにどっしりと構えていて、地主の若奥さんの風情。こうなっちゃうのかよ、な感じでとても違和感がある。 そこに隆の妻が働きにやってきて、平兵衛は、これが隆の嫁と子供か、なんて目つきで見る。なんか、やらしい。モテ男の隆の持ってるものを奪いたい、という欲望みたいなのがあるんだろうか。でも、隆の嫁はいまいち持ち崩した感じの女で(乙羽信子なんだが)、あまり魅力がないんだよな。なんで隆はこんな女を嫁にしたんだ? という疑問の方が大きい。映画としてのドラマチックをつくるために、いろいろムリな設定にしてる感じが否めない。
いつのまにか戦争が終わって昭和24年。平兵衛の長男は中学生ぐらいか。学校では暴力を振るうと悪評高く、さだ子は呼び出されたりしている。この暴力がなぜなのかは、説明されていない。のだけれど、長男は、平兵衛がさだ子を犯して生まれたことは、村中が知っているらしいので、それで荒れていたのか。濁流を眺めている長男に声をかけたのは、隆だったかな。さだ子だけでなく、隆も…。と思わせる展開。で、あれ? この長男役は、田村正和? あとで調べたらそうだった。この映画、いろいろ大物あるいは将来の大物がゴロゴロでてるんだよな。さて、長男の反抗はそれで終わらず、なぜか長男は阿蘇の火口に身を投げてしまう。なんか、この展開は呆気なさ過ぎ。
そして昭和35年。↑のあらすじの通り、平兵衛の長女直子と隆の息子豊が好き同士というのは『ロミオとジュリエット』かよ。そういえば、冒頭で電車に乗っている2人の姿が映っていたけど、ここにつながるのね。石浜朗やっと登場。さらに平兵衛の次男は学生運動で指名手配中。こっちはあっけらかんで、実家に電話で金の無心。さだ子は依頼通りお金を持っていってる。ところで、このとき次男がいう、「母さんが父さんを許すまで、僕も母さんを許さない」が、よく分からない。なぜさだ子が平兵衛を許す必要があるんだ? 次男も平兵衛に批判的で、それで反抗的な態度=学生運動にのめり込んでいるのかと思ったんだが。
で、昭和36年は、話が観念的でよく分からなくなってくる。隆が死の床にあって、「平兵衛に謝ってくれ」とさだ子に頼むんだけど、なんで隆が謝るの? 謝るのは平兵衛の方だろうに。でも、さだ子は家に戻って平兵衛に、隆の願い通り謝るんだよ。なんで?  これに平兵衛は「俺はお前が好きだった。バカと何度も言ったが、長年連れ添ったのは好きだからだ」とか勝手をいう。さだ子は「どうせ心にもないことを」と、家を出ると仲代もヨロヨロついて来て「ぬしがわしを許さないなら、わしが直子(長女)を許す」とかいうんだけど、最後になってわけがわからん展開になる。↑のあらすじは「彼の心もやがて砕けた。三十年間、憎み、苦しんできた二人にようやく平和がおとずれた。」とあるけど、平和が訪れたのか? そうかあ?
なんだよ。因果応報じゃないのか。最後は平兵衛が地獄に堕ちることを期待したんだが。なんだよ。
まあ、製作された1961年とはモラルや規範も違うとは思うけど、納得のいかない話だったな。
・全編に流れるフラメンコが、変な感じ。
・聞きとりにくい熊本弁にやれやれ。
・つねに暗い雲に覆われた阿蘇が映る。雲待ちなのか。撮影が大変そう。
ぶぶ漬けどうどす6/11テアトル新宿監督/冨永昌敬脚本/アサダアツシ
映画.comのあらすじは「京都の老舗扇子店の長男と結婚し、東京から引っ越してきたフリーライターの澁澤まどか。450年の歴史を誇る老舗の暮らしぶりをコミックエッセイにしようと、義実家や街の女将さんたちの取材を始めるが、「本音と建前」を使い分ける京都の文化を知らず、女将さんたちを怒らせてしまう。京都の正しき伝道師になるべく奮闘するまどかだったが、事態は街中を巻き込んで思わぬ騒動へと発展していく。」
Twitterへは「京都の本音に東京人が右往左往…。面白そうな切り口だけど中盤から話が迷走し、最後は崩壊気味。そもそも企画がメ〜テレと東京テアトルで、片岡礼子は愛媛、松尾貴史は兵庫、室井滋は富山…ってあたりから怪しい。」
先の戦争と言ったら応仁の乱、は知ってたけど、洛中がどうのとか知ったのは、井上章一の『京都ぎらい』だったかな。京都人のなかにも格差や蔑視があるのか。そら面白い。その手の話を下敷きにしているのかな、と思って期待はしたんだけど、なんだか薄っぺらい話になっていた。しかも、ラストはムダにシュールになっちゃって、なんだよこれ、な感じ。よく知られた「ぶぶ漬けどうどす」とか「洛中と洛外の違い」以外の京都人のいろいろを、もっと具体的な例を出してつづって欲しかったな。という意味で、期待外れだった。だいたい、立ち小便無用の鳥居ぐらい、誰でも知ってるだろ。あんな例をだすな! と言いたい。
これはどっかのWebの記事の引用だけど >> 「家にあがってと言われたり、褒められたり、ものをもらったりしたとき、好意だと素直に受け取ってはいけないと主人公が助言されますが」、このくだりも、いまいちピンとこなかったな。なんか、事例がそのまま生で出すぎていて、映画=話として十分に消化されてないんだよな。京都人というせっかくの切り口を、うまく生かせていない。
主人公が京都洛中に嫁に来たフリーライター、という設定も、あまり生かされていない。そもそも旦那があまり登場しないし。婚家の扇子屋のこともあまりよく分からないままた。だいたい、義父母は嫁=澁澤まどかをどう思っているのか。あたりがしっかり設定されてなくて、ぼう洋としてしまっている。歓迎されているのか、いないのか。ただの嫁としては歓迎されているとしても、まどかが友人とWeb連載を始めるマンガの影響は、どうなんだ? フツー、あんなことを公にされたら誰でも怒るだろ。それが一切無視されている。それがこの映画の大きなツッコミどころだ。
それと、この映画はメ〜テレと東京テアトルが製作している。京都の会社は参加していない。要は、内部からのおちょくりではない。にしても、名古屋が京都をいじってる時点で、ああ、名古屋人のやりそうなこった、って思ってしまう。要は、京都の一部で囁かれている洛中洛外の違いとか、一般には日常的に言われていない「ぶぶ漬けどうどす」をタイトルに持って来て、京都人ってのは…ってやってる感じなんだよね。しかも、この映画で性格が悪いのは、東京人の澁澤まどかではないか。あけすけに京都の悪口を漫画にしてWebで公開し、話題になるのを喜んでいる。澁澤まどかの義父母とか洛中洛外の女将たちは、それほど意地悪はいない。いけず、はどっちだ、って話だ。澁澤まどかは、鈍感あほ女としか思えんぞ。
ところで、まどかは亭主の浮気に気づくんだけど、なんと相手はまどかのパートナーでマンガ担当のブス女。げ。わざわざこんなのと浮気するかよ。むしろ、京都の男の趣味の悪さを際立たせてる感じ。しかし、澁澤まどかは、結婚して間もないんだろ? なのに浮気されるのか? 亭主はよっぽど何かに不満だったのかね。と勘ぐってしまう。さらに。フツーなら友達が自分の亭主と浮気したら、友人関係はつづけられないと思うんだけど、まどかとマンガ家との関係にヒビが入らないんだよな。これはあり得ないだろ。あるいは、澁澤まどかが鈍感すぎるのか。
悪いのは東京人、といえば、町家をリフォームしてどうの、の建築士が、義父母の家のリフォームを請け負って…というエピソードがある。いつのまにか、なぜか、洛中の歴史ある町家をリフォームして売りに出す? なんでそういう話になってるのか、それが分からない。しかも、なんだかんだしてるうちに、くだんの建築士が京都人ではなく東京人ということも分かって。なんだよ、京都を壊しているのは東京人か。という話になっていくのだけれど、これもとってつけたようなエピソード過ぎて、いまいち納得も何もできない。
そしてさらに、義父が奥座敷にこもって何をしているかと思ったら、その建築士を「殺す」とSNSで投稿していた? なんか、電脳空間みたいな一室で…。ということは、家を売るのは反対だった? 売ろうとしていたのは、義母? なんだかこのあたりがよく分からず。亭主の方が嫁より強いかと思ったら、ちがうのか? 京都を揶揄するような映画のフリをして、東京人のレベルの低さを大っぴらにしてる感じで、なんだ、京都人が一番ましなのか。どうか知らんけど、よく分からん話になって終わってしまった。
しかし、京都らしい風景はほとんど登場しない。ほとんど、どこと言われても分からないようなビル群とか家々とかで、なんだかなあ、な映画だった。
ガール・ウィズ・ニードル6/12ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/マグヌス・フォン・ホーン脚本/マグヌス・フォン・ホーン、リーネ・ランゲベック・クヌードセン
デンマーク/ポーランド/スウェーデン映画。白黒スタンダード。原題は“Pigen med nalen”。公式HPのあらすじは「第一次世界大戦後のコペンハーゲン。お針子として働くカロリーネは、アパートの家賃が支払えずに困窮していた。やがて勤め先の工場長と恋に落ちるも、身分違いの関係は実らず、彼女は捨てられた挙句に失業してしまう。すでに妊娠していた彼女は、もぐりの養子縁組斡旋所を経営し、望まれない子どもたちの里親探しを支援する女性ダウマと出会う。他に頼れる場所がないカロリーネは乳母の役割を引き受け、二人の間には強い絆が生まれていくが、やがて彼女は知らず知らずのうちに入り込んでしまった悪夢のような真実に直面することになる。」
Twitterへは「犯罪ものということで見始めたけど、そうきたか。素朴にどストレートで分かりやすすぎかな。設定や背景は申し分ないけど、もうちょいミステリアスがよかったかな。ガールというにはヒロインがオバサン顔過ぎだし。22〜3には見えん。」
・大家に14週の滞納を指摘され、追い出される。もう、次の入居人が見にきている。狭いボロ屋に転居。
・縫製工場の女工で、単純作業。工場はいま、軍服をつくっている。
・カロリーネは工場長に「寡婦手当てはもらえないか?」ともうしでる。工場長は意外と親切で、「調べて見る」と返答。
・工場の出入り口は、リュミエールの『工場の出口』そっくりな感じで労働者が出てくる。意識してるな、きっと。
・カロリーネは工場長と外で会って、「調べたけど名前がない。生きているやら死んでいるやら」といわれる。どうやら亭主が出征していて音沙汰がない。それで寡婦手当てを当てにしたようだ。工場長は彼女に栗を買ってくれる。その親切に甘えてか、接近するカロリーネ。それにに引っかかって、路地でセックス。おいおい。みんなに見えるところですらかよ。いくら映画的な演出でも、やりすぎだろ。
・カロリーネは工場長といい仲になって。うきうき。しかし、彼女はそんな美人でもないしタダの女工。なのに、なんで工場長(あとから男爵の息子と分かる)が夢中になるかね。別に童貞君でもないだろうに。そこが意味不明。
というところに顔にマスクの亭主が帰還。「だれよ、あんた!」が、顔に負傷でマスクを付けている。うんざり、なカロリーネ。亭主に「出ていって!」って、ひどすぎるよな。性悪女。
・カロリーネは妊娠。これを口実に工場長に結婚を迫る。同僚には、「そのうち屋敷に来い、そしたら家政婦長にしてやる」とエラソーに言う。工場長の母親は男爵夫人で、妊娠の有無を医者に診させる。妊娠はしている。けれど、母親は息子に「家の外で結婚するなら自由にしろ。」といわれ、自立できない息子=工場長は、しゅんとなってしまう。だらしないね。で、カロリーネの結婚願望は消えてしまう…。
・カロリーネは風呂屋で編み針で堕胎を試みるんだけど(この共同浴場が風変わりで面白かった)、失敗して倒れてしまう。そこを助けてくれたのは、砂糖菓子屋の女主人と娘(なのか? 最後まで正体は分からず)。もし産まれたら、名前をつける前にうちに連れてきな。とメモをくれる。
・でもさ、生まれた子供を工場長のところに連れて行って、どーしてくれる、と脅して月々金をせびるぐらいのことをしてもよかったんじゃないのかなと思うけどな。
・定職もないまま肉体労働。ある日、サーカスを見に行ったら、亭主が見世物になっていて、再会。でも、再会はあまり強調されずが、解せない演出だった。それでまた一緒に住むようになったのか? ある日、カロリーネは現場で出産。夫は、自分の子ではないのに赤ん坊をあやす。
・そういえば、と思い出してカロリーネは砂糖菓子屋を訪れ、金を払って赤ん坊を預ける。金をもらうのかと思ったら、払うのかよ。システムがあらかじめ説明されてないんだけど、砂糖菓子屋の女が赤ん坊を誰かの養子にする、というシステムらしい。なるほど。
・数日後、カロリーネは赤ん坊に会いたくなって、乳をあげたい、と行くも、もう養子にやったといわれる。がっかり。それで、同じような赤ん坊に乳をやる仕事をしたい、といって砂糖菓子屋に住みついてしまう。赤ん坊に母乳を与える役は、必要だったらしい。
・なんだけど、最初に母乳を与えたのは、砂糖菓子屋の女の娘なんだよね。といっても、もう7歳ぐらいだと思われるが。いったいあの娘はなんなんだ? 最後まで正体は分からず。
・私が工場長と結婚したら、家に来い、と言っていた同僚はフツーに結婚している。で、近況報告。この同僚役の女優は、フツーに美人で。こっちなら工場長もふらふらしたと思うんだよな。カロリーネ役の女優は、ちょっと不美人すぎで…。
・砂糖菓子屋の女には男がいるが、その男に目をつけられそうに…。でも事件にはならず。そのことを女に告げたら女は、男を追い出そうとする。でも、股ぐらに手を入れられると…。やっぱり色が勝つんかい。
・砂糖菓子屋の女のところには、次々と女が赤ん坊を連れてくる。女は金をもらって、数日後に乳母車ででかける。
・カロリーネが女のノートを覗き見すると、何軒もの名前が…。ある日、カロリーネは女の跡を付ける。女は路地に入り、空の乳母車で出てくる。見に行くと、路地の奥にはマンホールの蓋が開き、水が流れている。これは…。殺しているのか。おやおや。連続殺人は、ここでやっと判明したよ。ここまで長かったな。
次に、どっかの女性が赤ん坊がやってきたとき、砂糖菓子屋の女がおらず、カロリーネが預かる。カロリーネは女に、「知ってるんだよ」というと、女は「簡単さ。ちょっと押せばいいんだよ」。逡巡するカロリーネ。カロリーネと赤ん坊の上に覆い被さる女…。とうとう彼女も殺しに手を染めてしまった。
・翌日、あの話はなしにする、と赤ん坊を預けに来た女性がやってくる。無視する砂糖菓子屋の女。女性はなにか感づいたのか、「警察にいう」と出ていき、警察がやってくる。カロリーネは窓から投身。砂糖菓子屋の女は呆気なく逮捕される。カロリーネはよろよろ立ち上がり、たまたまいたサーカスに逃げ込む。これは、元?亭主のいるサーカスかな?
裁判。ノートには33人だったか、の赤ん坊の数。傍聴席からはヤジ。砂糖菓子屋の女は、「人助けだよ」「だれが養子になんてしてくれると思ってるんだい」と捨て台詞。
砂糖菓子屋の女の娘は孤児院に預けられるが、後日、カロリーネが孤児院に行き、7歳の娘を養子にしたい、という。カロリーネを見た娘は、駆け寄ってくる。で、映画は終わる。
…てなわけで、話としては興味深いけど、砂糖菓子屋の女の目的は、子供を預ける女たちから巻き上げる金なのか。子供を殺すにしては、そんな高くない代金に思えるけどな。しかし、手数料を払って養子にしてもらう、というシステムはどうなんだ? そういうのがフツーなのか? 孤児院に預けるとか、教会に預けるとか、そういう道はなかったのか? 堕胎は許可されなかったのかな。もしかしてカソリック? 
最後の。あの、娘を引き取るくだり。犯罪者(砂糖菓子屋の女)の娘を指名したのか? どうやったのかね。で、元?亭主と一緒に育てるのかな。サーカスで暮らすのか? 知らんけど、はたしてカロリーネの罪はこれで少しはやわらぐのか? もうちょい純真な乙女ならまだしも、性格は悪い、金持ちになびく、な低俗な女の結末があれで果たしていいのかどうか。気になるところ。
他に興味深かったのは砂糖菓子屋の女がモルヒネを常用してたことかな。これは、赤ん坊を殺す罪悪感を和らげるため? カロリーネとふたりで映画館でエーテルを吸って映画館で笑いが止まらなくなるところは、おかしかった。
我来たり、我見たり、我勝利せり6/16ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ダニエル・へースル脚本/ダニエル・へースル
オーストリア映画。原題は“Veni Vidi Vici”。ラテン語で「「来た、見た、勝った」で、カエサルの言葉らしい。公式HPのあらすじは「起業家として億万長者に成り上がり、幸福で充実した人生を送るマイナート家。一家の長であるアモンは、家族思いで趣味の狩りに情熱を注いでいる。ただ、アモンが狩るのは動物ではない。莫大な富を抱えた一家は“何”だって狩ることが許されるのだ。アモンは“狩り”と称し、何カ月も無差別に人を撃ち殺し続けている。“上級国民”である彼を止められるものはもはや何もない。一方、娘のパウラはそんな父親の傍若無人な姿を目の当たりにしながら、“上級国民”としてのふるまいを着実に身につけている。ある日、ついにパウラは父親と“狩り”に行きたいと言い出す。」
Twitterへは「悪い奴ほどよく眠る、の話か? 上級国民とか格差とか、そういうメタファだとしたら話が単純すぎて薄っぺらだと思うんだが、それ以外に思いつかない。」
自転車乗ってる選手っぽいのが狙撃されるところから始まり、次は、男女の死体が放置されているのを山林監視のオッサンが発見。「撃ったのお前だろ!」と叫ぶ先に、男が悠々と歩いてる。こいつがマイナートらしい。このあと、執事らしいのがいるところに戻り、クルマのナンバーを変えたりしているんだけど、これはよく意味が分からなかったな。
場面変わって、ポロの試合。娘が反則して勝った、らしい。娘パウラは、「反則は違反じゃない。頭を使って勝ったのよ」的なことをいう。この時点でパウラは20歳ぐらいかと思ってたら、あとから13歳設定だと分かってビックリ。
山林監視のオッサンは「俺は犯人知ってる」って警察に行くけど、追い返される。マイナーとの犯行説を唱え、マスコミの女性にタレ込むジャーナリスト男がいるんだけど、これもマスコミ女に無視される。
てな感じで、マイナートが遊び半分なのかなんなのか、的を撃つように気軽に人を狙撃しても警察の捜査の手は伸びない。実際的にはこんなことはあり得ないだろ、な展開だ。
娘のパウラは友人たちと万引きのし放題。これは店主の告訴で警察に補導されそうになるけど、店に行ってごめんなさい、で解決。一緒の男子は解決後、その店でごめんなさい労働してるのに、またまた万引きしてる。このパウラ、その後に、マイナート家に長く勤める執事を何げなく射殺。このとき、横にジャーナリスト男がいたんだけど、たんに呆気な顔をしているだけ。で、事件は警察沙汰になって、マイナートは調べを受けるんだけど(最初は、自分がやった、とパウラを庇うけど)、警察のところに上から連絡で、「13歳以下は刑事犯罪に問えない」とかいう連絡が入り、パウラも放免された、のか。
てな感じで、マイナートとパウラはムチャクチャし放題。なんなんだ、この映画は。話としてはとくに面白いとは思えない。ということは、起業家で金持ちで地元の名士は、多少の逸脱行為、犯罪をしても見逃されるのだという、一般的に思われている通説を、“いきなりの殺人”という典型的な事例としてメタファーにし、見せているってことなんだろうな。それ以上に深い意味はないように思う。そう考えると、あまりにも戯画化過ぎてバカっぽく見えてくる。金持ちは何しても罰せられない、を表現するにしては、あまりにも単純すぎ、直截すぎだろ。もうちょいニュアンスがないと、ドラマにならんと思う。その意味では、稚拙すぎる。
ところでマイナートは女大臣と近しいようだったけれど、あの大臣の役回りが、よく分からなかったなあ。
マリリン・モンロー 私の愛しかた6/17シネ・リーブル池袋シアター2監督/イアン・エアーズ脚本/イアン・エアーズ
原題は“Dream Girl: The Making of Marilyn Monroe”。公式HPのあらすじは「本作はドラマチックな人生を豊富なフッテージで蘇らせ、スキャンダラスな私生活や謎多き死の真相にも新たな見解で迫ってゆくドキュメンタリー。圧倒的な「男性優位主義」だった時代に、自分自身を愛して、突き進んだマリリン。色褪せることのない才能と魅力、その生き方が脚光を浴びる時代が到来!」
Twitterへは「生い立ちから死までのドキュメントで、よくある感じ。家庭環境や初期の三流映画に登場するあたりは興味深かった。関連人物も多くて知識も必要そう。テンポが早いので理解もたいへん。死因について明確に殺人説をとっている。」
MMの伝記の類は他にも見た記憶はあるけど、これは生涯をくまなく網羅していて、なので、知らないことも多かった。生まれた直後から里親に預けられ、でも時々、実母に会ったりはしてたのね。実母がなぜ預けたのかは分からなかったけど。祖母もいたけど、やなやつだった? 家族がいるのに、なぜ預けるしかなかったのかな。いくつかの里親を転々とした。ともいってたけど、主な里親は1人しか出てこなかったよね。
実母は映画会社でスプライサーでもいじってたのか。なんで娘と同居できなかったんだろう。で、ローンで家を買って、やっと実母と同居。でも、知り合いを間借りさせてたら、その男に性的いたずらをされたり。次に母親が間借りさせた男と、母親が結婚することになったのだが、またまた性的虐待されたり。まあ、どんなことをされたのかは分からんけど。母親はロクでもない男とばかりつき合ってたのか。
どうやら母親は娘を子役にしようとしていたらしい。ノーマ・ジーン自身もその影響を受け、役者に憧れていたらしい。でもその後ぐらいから少し朦朧としてきて、はっ、と気がついたら、フォックスと契約した、というところだった。まあ、話が単調だったんだよ。で、寝てたのでどうやって契約に至ったのかはわからんけど、契約したからって、すぐ映画に出たわけじゃなくて、端役もいいところだったみたい。これまで『イヴの総て』でちょっとでたのが、大スターになる前の実質的なデビュー、みたいに思っていたから、どーでもいいようなB級映画に出演したり、おバカなセクシー映画にも出てたのは知らなかった。このころの映像を見ると、顔が全然違うんだよな。有名な映画っていうと『ナイアガラ』だけど、それ以前には埋もれた映画もあったんだな。売れなくてヌードモデルになったのは知ってたけどね。この頃から顔が、知ってるあの顔になってくる。整形したとも言ってたかな。
この後の様子は、よく知られているので再確認な感じで見てた。ジョー・ディマジオとの結婚、日本訪問、日本でディマジオが無視されて憤慨、朝鮮戦争慰問…。このあたりの映像は何度も見てる。『七年目の浮気』の撮影でディマジオは嫉妬し、暴力も振るったのか。で、離婚。ディマジオは、MMが家庭に入って奥さんしてくれることを期待してたみたいね。
アーサー・ミラーとの出会いと結婚。イヴ・モンタンとの不倫。『荒馬と女』はアーサー・ミラーの脚本だったのか。でも、撮影当時は関係が冷め切ってたらしいけど、それでも映画は撮ったんだな。でも、当たらず。
アーサー・ミラーとの間に妊娠はあったらしいけど、流産だったか子宮外妊娠だったか。それで子供が産めない身体になったんだとか。もし、MMに子供がいたら、どんな感じだったんだろう。
そして、ケネディ大統領との関係。ケネディに対して、MMと会うのはよせ、という指示が出た後、MMがFBIとマフィアの癒着みたいの(?)をバラそうとしたタイミングでマフィアによって薬物の過剰摂取をさせられたというような感じで語られていたように思う。ホントかどうか知らんけどね。
つくられたおバカなキャラ、セックスシンボル。映画会社の戦略からの脱却、演技派への渇望とかあったような気がするけど、本人がどこまで考えてやってたのかは、よく分からなかったな。
ラ・コシーナ/厨房6/17シネ・リーブル池袋シアター1監督/アロンソ・ルイスパラシオス脚本/アロンソ・ルイスパラシオス
アメリカ/メキシコ映画。原題は“La Cocina”。公式HPのあらすじは「ニューヨークの大型レストラン「ザ・グリル」の厨房は、いつも目の回るような忙しさ。ある朝、店のスタッフ全員に売上金盗難の疑いがかけられる。加えて次々に新しいトラブルが勃発し、料理人やウェイトレスたちのストレスはピークに。カオスと化した厨房での一日は、無事に終わるのだろうか…。」
Twitterへは「『ボイリング・ポイント』みたいな環境に新人がまぎれ込んでの成長物語…かと思ったら、全然違った。NYのファミレスの調理場は不法移民と下層白人の巣で、いい加減で不衛生で怨念が渦巻いてるという陰湿な話だった。料理はほとんどでてこない。」
なんだよ、ただの陰気な話じゃないか。厨房でシェフががんばるとか、トラブっても何とかリカバリして間に合わせるとか、料理評論家との対決があるとか、そういう、想定できる厨房ものではぜんぜんなかった。タイムズスクエアにあるといっても、ただのファミレスレベル。まあ、レトルトをチンはないけど、料理人はほぼメキシコ、コロンビア、アフリカとかからの怪しい移民。ウェイトレスも同様。米国白人・黒人はほとんどいない。料理の工夫がどうの、味がどうのとは無関係の大衆レストランだ。そもそも白黒映画で料理はほとんど映らないし、調理風景も、料理を投げたり捨てたりするところばかり。調理場も汚いし、ゴチャゴチャしてる。チーフ的な役割のオッサンも厳格とかじゃなくて、交通整理してるだけ。というようなところでの、レベルの低い人間模様だった。
メキシコ娘エステラが店の面接にやってくる場面から始まるので、彼女の成長物語なのかな? と思ったらそんなこともなく、次第に彼女の出番は少なくなっていく。彼女はどうなったんだ! 
ひとつの軸は、ルーニー・マーラ演じる白人子持ち女ウェイトレスのジュリアと、調子だけが取り得みたいなメキシカンのコック、ペドロのあれやこれや。エステラはペドロに「おいで」と言われてやってきた(不法に?)らしい。たぶん、村で、あいつニューヨークで成功してるらしいぞ、な噂が広まってる、あるいは、ペドロが広めてるんだろう。この3人以外の人間模様は、つけ足しみたいな感じだな。たいしたエピソードはない。
そこに、売上金の盗難疑惑が重なってくるんだけど、これは予想通りのオチで、意外性もなく、話の厚みにも関係していない。あってもなくてもいい感じ。
ジュリアとペドロの話も、実は大したことがない。なぜか2人は関係をもっていたらしく、ジュリアが妊娠中。ペドロはそれを知ってか知らずか忘れたけど、ジュリアは1人で中絶が、そのまま店に戻って注文取ってたら、股から血が…。調理場で拭いてたら倒れてしまう。そうまでする必要があるのかどうか分からんけど、そういう流れ。ジュリアに10歳ぐらいの子供がいる、というのは後半でやっと分かる。ペドロはそれを知っていたのか、一緒になるつもりがあったのかどうか知らんが、なんかマイペースで怒鳴ったり怒ったりしつつ、最後はキレて、それがラストシーンになる。正直いって、なにをいいたかったのか良く分からず。そもそも子持ちの白人女性がなぜに移民のメキシカンといい関係になるのか説得力がないし、子供ができちゃうようなセックスをしているのも分からない。ジュリアを演じるのがルーニー・マーラで清楚な美人だし、そんなことしなくてもいいだろ、と思っちゃうんだよね。別に、心にぽっかりすき間が開いていたようにも見えなかったし。
・仕事始めの頃に、ペドロがジュリアを誘って冷蔵庫へ。シコシコするんだけど、セックス?というより、いちゃいちゃしながらペドロがオナニーしてるのか? 2人が出ていった後の冷凍肉かなんかから汁がたれてたのは、精液か? おいおい。客に出す食いもののあるところで、それかよ。汚らしいな。こんな店には行きたくないぞ。にしても、ジュリアはこのあと堕胎に行くっていうのに、まーだペドロとそんな関係なのか? やだねー。
・冒頭に近いところで、男子従業員のネズミと呼ばれる男が、女子ウェイトレスの更衣室を覗いて見つかって騒がれるんだけど、これごが大した問題にならないのが不思議。
・従業員はメキシコ、コスタリカ、モロッコとかいるらしい。男同士で話しているとき、なかの1人が「女は白人女に限る。肌はきれいだし、外見も美しい。神がつくったそんざいだ」なことをいうのが、なんか、ヒスパニックを蔑視しているようでやな感じだった。にしても、彼らには白人女性がそんな風に見えるのか。であれば、そういう白人女性のジュリアとつき合ってるペドロはヒーローかよ。けっ。
・大忙しの調理場を長回しで見せるのは面白かった。14分間らしいが。よく分からんがドリンクマシンが壊れてなのか? 調理場が水浸し。そこで淡々とみんな調理し、皿を運んでいる。「チキンが20分遅れてる!」とせかされて、やっと焼き上がったチキンを、ウェイトレスが何かに足を引っかけて水没させてしまうとか。やれやれ。この映画の見せ場はここだけかもな。
・大忙しの一夜?が明けて、タバコ? 4、5人が座り込んで夢を語る。1人はエイリアンに連れて行かれた人の話だったかな。ペドロの番が来たけど、言わず。意味あるのか、この場面。
・後半に、ホームレスが偉そうな態度で物乞いにくる。ペドロはオマール海老2匹のテイクアウトをつくってやるが、それを見た料理長は激怒。「あと一回、注意を受けたらクビだからな!」と言われてしまう。すでに1度注意を受けていたんだけどね。まあ、ヒスパニックは弱者の味方、といいたいんだけど、レストランも商売だからなあ。親切にもほどがあるだろ。慈善事業じゃないんだし。
・ウェイトレスの制服は囚人服みたいな横縞の衣装。あれには意味があるのかな。…で、あれやこれやあった後、仕事再開で。キッチンはまたまた戦場のよう。ウェイトレスがペドロに「はやく料理を作って」というとペドロが「5分待て」の繰り返しの揚げ句、待ちきれずウェイトレスが自分で焼けたチキンにソースをかけ始めたら、急にペドロが怒りだし、その料理をゴミ箱に捨ててしまう。罵り合于2人。ウェイトレスはペドロを「ネズミが! 」と罵るが、そこまではまだよかった。次に「濡れネズミ!」と言った途端ペドロが切れて、注文を打ち出すプリンターを殴りつぶしたかと思ったら料理やゴミを頭からかぶってウェイトレスに放言。ああ、俺はメキシコの不法移民だよ! とかなんとか。果ては客席にまで行って無茶苦茶をする。白人っぽい同僚がペドロを殴って止めるが、ペドロは殴られてボロボロ。なところにオーナーがやってきて、「君らは私を止めてしまった!」っていうのは、事業としてここまで育ててきたレストランの信頼を壊してしまった、ということか。その後、ペドロが緑色になり、新人娘のエステラがその緑の光を浴びて…暗転で、終わり。なんだかよく分からんエンディング。「濡れネズミ」はヤバい罵倒語なのか? 
アメリカの食を支えているのは移民だ。彼らは英語も分からないまま調理場で働き、仲間に通訳されながら仕事をしている。それでも店は回っている。そんな裏側を知っているのか! てな人間模様を訴えたかったのかね。にしては、中味がなさ過ぎな感じがするんだけどね。
年少日記6/18ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/ニック・チェク脚本/ニック・チェク
香港映画。原題は“年少日記”。公式HPのあらすじは「高校教師のチェンが勤める学校で自殺をほのめかす遺書が見つかる。私はどうでもいい存在だ…。幼少期の日記に綴られた言葉と同じだった。彼は遺書を書いた生徒を捜索するうちに、閉じていた日記をめくりながら自身の幼少期の辛い記憶をよみがえらせていく。それは、弁護士で厳格な父のもとで育った兄弟の記憶だ。勉強もピアノも何ひとつできない兄と優秀な弟。親の期待に応える弟とは違い、出来の悪い兄は家ではいつも叱られていた。しつけという体罰を受ける兄は、家族から疎外感を感じ…。」
Twitterへは「香港映画。デキの悪い兄と、デキのいい弟。父親に見放された兄は、日記を書けば国語が伸びるという話を聞きつけ、小学生ながらたどたどしく綴り始める…。ある仕掛けに「おお」となったけど。とくに泣ける話でもなかった。」
少年がビルの縁から飛び降りる。でも、そこも縁があって、死んだわけではない。フェイクか。と思わせるのが冒頭。
現在と、過去が交互に映される。現在は、フツーの高校教師チェンが、自殺予告の手紙とか、イジメとかに悩まされている。チェンは、ナップザックからむかしの日記をとりだして読み始める。そこには…。
父親が弁護士で教育熱心な家庭。小学生の子供が二人。兄はデキが悪い。弟はピアノの発表会もこなすし、周囲も「将来は香港大学だ」と認める秀才。とくに、兄は成績が悪すぎて進級できなくなる始末。それを両親に伝えなかったせいで、父親から折檻されるてな案配。
で、この時点では、チェンは自分の日記を読み返して、過去を振り返ってるのかな、と思ってた。つまり、チェンは兄の方だ、と。だって現在のチェンは冴えないフツーの教師で、しかも、奥さんとの離婚が成立したところ。まあ、疑問があるとしたら、あの、成績のよくなかった兄の方が、どうやって勉学に目覚め、曲がりなりにも教師になれたんだろう? という疑問ぐらいかな。
兄は弟にじゃれついてきていて、素直に親しみを感じている様子。弟も、それほど兄をバカにしたり突き放してたりする様子もなくて、むしろ日常的には一緒に遊んだりしてる。成績の悪い兄は、どうやら一家で行く予定のアメリカ旅行に連れて行ってもらえない様子。ちょっと落ち込んでるのかな、な感じ。気になるのは、旅行期間中、兄は誰の世話になるんだろう? ぐらいかな。
その直後ぐらいか。いきなり葬儀で、兄の遺影が飾られている。え? じゃあ、チェンが、弟なのか? デキのよかった弟があの教師? ちょっと想像していたこととズレて、意外性に驚いた。ところで、この兄が死んだ、ところがはっきり描かれないんだよな。直接の原因も、その場面もない。なので、モヤモヤする。そもそも父親に叱られてもすぐ忘れちゃうような図太さもあったし、自殺するような性格じゃないだろ。と思うんだが…。
しかしまあ、この仕掛けでいろいろ整合性がついた。チェンは、校内で見つかった自殺をほのめかす文書に頭を悩ませていた。誰が書いたのか? と。それで、死んだ兄が書いていた日記を読んで、似たような文面がないかどうか見ていた、んだろう。わかってしまうと話は単純すぎて、ヒキが弱まった感じかな。
チェンは、学校でいじめられている難聴の男子生徒、一見しっかりしている生徒会長(?)の女子生徒なんかも疑うけど、決定打はない。なので、クラスの生徒に向けて、「悩みがあったら何でも相談しろ」的なことを言うんだけど、展開としてはありきたりすぎ。だけど、このチェンの言葉に反応して、メールしてくる生徒があって。遺書問題は、なんとなく解決した感じで終わってしまう。その、相談に乗っている様子がちょっと映るんだけど、だれだかわからん男子生徒で。遺書には「元彼がどうの」とあったので女子生徒かと思ったら、彼なのか? 同性愛? それとも、書いた本人とは別人? などは、明らかにされない。まあ、それはそれでいいけどね。
しかし、チェンは兄の自死を小学生にしてどう受け止めたんだろう? 父親は、「我が家の躾は体罰だと考えてる」と放言したりしていたし、兄の死後、母親は家出してしまっている。一家崩壊で、父親に育てられたのかいな? よく分からんが。
チェン先生のやさしさ、思いやり、みたいなのを感じるようにしているのか? でも、チェンは恋愛結婚した妻が「妊娠した」といったら暗い顔になり、生んでほしくないといいはじめる。どうも、自分には子供を上手く育てる自信がない、てなことらしいが。兄の自死や父親の偏向教育は、そんなところにまで影響するのかあ? 意味不明だな。奥さんに優しくない男が、やさしく有能な教師にはなれんだろ。映画的には、そうだと思うぞ。
・小学校で、主賓なのか? 弁護士の父親が話した後、妻が幾ばくかの寄付をした、と学校側から紹介されていた。帰宅後、父親が「勝手になんだ」と怒っていたのは、寄付のことを知らなかったのか? 母親は、「兄が署名しろというからしただけよ」「この家はみんな俺が買ったんだ!」とかいきってたけど、あのくだりがよくわからん。
・臨終間近の父親が、「弟のことを覚えているか?」と、チェンに聞くのは、どゆこと? 字幕の間違いか? 父親が混乱しているのか? 病院のスタッフが、「もう長くないから」というのに病院を後にしてしまう。弟は父親に憎しみを抱いていた? なんで? 兄を死に追いやったのは父親だ、てな感じは、映画では出てなかったけどな。
・ラストは、屋上に行くチェン。その横に、幼かった頃の兄がにこやかに笑っている。なんかなあ。そんなに兄のことは好きじゃないように見えたけどなあ。もやもや。
・自分や、うちの子に話をあてはめながら見たけど、あんまり該当しないのだよな。うちの父親は学歴もなくて、母親ともども教育熱心ではなかった。勉強は嫌いだったけど、そこそこできたから大学には進学した。別に誰も祝ってくれなかったし、賞賛も特にない。子供は、勉強嫌いで“考える”ことが不得意。怒りはしなかったけど、せいぜい並になってくれよと勉強の手伝いはした。ついてこれずに途中で寝ちゃったりしたけど、しょうがない。人には向き不向きもあるし、得手不得手もある。それ以上を望んでもムリなこともある。それでもなんとか並以下の大学に潜り込めた。Fラン様々だな。それで本人は卑下もしてないし、こちらも恥ずかしいとは思ってない。そんなもんだ。だから、この映画の主人公、チェンの屈折した自己否定感は、心にちっとも響いてこなかったんだよね。
・結局チェンも、10で神童15で才子、20過ぎればただの人だったんだな。いいじゃん、それで。結婚もできたんだし。兄の死に責任をもつ必要なんてないと思うけどな。物語を見た限りでは。
おばあちゃんと僕の約束6/20ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3監督/パット・ブンニティパット脚本/パット・ブンニティパット、トッサポン・ティップティンナコーン
原題は“Lahn Mah”。「孫とおばあちゃん」という意味らしい。公式HPのあらすじは「大学を中退してゲーム実況者を目指す青年エム。従妹のムイが、祖父を介護したことで豪邸を相続したと聞き、自分も楽をして暮らしたいと画策。エムには一人暮らしの祖母・メンジュがおり、ステージ4のガンに侵されていることが判明。不謹慎にもエムはメンジュに近づき、彼女から信頼され相続を得ようとする。しかし、メンジュの慎ましくも懸命に生きる姿に触れる中で彼の考えは変わっていく。」
Twitterへは「中華系タイ人一家の話。老いた親の世話をどうするかはバンコク共通らしい。しみじみ、は若干。むしろいろいろドライでびっくり。とくに遺贈や遺産分割について、彼我の考え方の大きな違いが印象的だった。」
まあ、話は↑のあらすじの通り。エムは打算的に、ひとり暮らしの祖母の家に住み込み、世話をし始める。最初はうっとうしがっていた祖母も、放っておくようになった感じ。
この一家のことが、まず、分かりにくい。祖母メンジュには3人の子供がいて。長男キアンは株をしたりビジネスに忙しい? 祖母の財産については、長男本人と妻が狙ってて、メンジュが存命中に、長女シウに「家の権利書はどこにある?」なんて聞いている。シウは、非難もせずに、どこどこにあるわよ、なんて応えていた。そのシウがエムの母親で、亭主は最後まで出てこなかった。離婚なのか死別なのかは分からず。仕事はパートらしい。でも、わりといい家に住んでいて、持ち家なのか借家なのかは分からない。次男のスイがダメ男で、あちこち借金をつくっていて、いまだにメンジュに無心してきたりする。無職なのかな。
ムイは従妹? なのか。長男のキアンには小学生みたいな女の子がいるけど、ムイはその姉なのか? 一緒にいる場面はなかったと思うんだが。では、ムイが世話していた爺さんって、祖母の連れ合いなのか? そんな感じには見えなかったけどなあ。
他に、メンジュの兄が登場する。メンジュが、墓をつくりたいからと相談に行く。メンジュの父親の遺産はほぼこの兄が継承したらしく、メンジュはほとんどもらっていない。だから100万バーツだしてくれ、というんだけど、冷たく断られ、もう顔を見せるな、と言われる。
いや、遺産をめぐるあれこれは、日本もタイも同じだな、とは思うのだけれど、違和感もたくさんあって、素直に話に入れなかった。
・ムイは、祖父の世話をした。祖父の遺言で、家を相続。同じ孫にあたるエムは、銀のアクセサリーをもらっていた。遺言が優先なのか。実子や孫の法定相続分はないのか? 実子とムイが、家の相続を狙って「私が面倒をみる」てな争いはなかったのか? そういえばムイは、のちのち老人介護の仕事をビジネスにしていた。これにはエムもまきこまれてる感じで、ある老人が死んだら家が手に入るから、エムに半分やるよ、てなことも言っていた。介護先の老人は血縁ではないように見えた。看取り介護で遺産相続? というのもアリなのか?
・いっぽうで、エムは祖母メンジュの世話をした。けれど、祖母は自宅を次男のスイに与えた。生活能力がないから、という理由で、これに長男のキアンは怒り、「母さんの葬式には出ない」とまでいっている。キアンも妻もメンジュの世話はしていないにもかかわらず、ね。エムも、メンジュの車椅子を押しながら死期の近い祖母に「いろいろ世話したのに、なんで何もくれないの」と涙声で言う。まだそんなことを言っているのか。露骨に祖母相手に、自分は金目当て、と言ってるようなもんだろ。ひどいな。ところで、ラストで、祖母メンジュの死後、エムに残したものが明らかになるんだけど、だったら生前に「お前には約束してたのがあるだろ」とでもいってやればよかったのに、なんでいわなかったの? と思ってしまう。
・長女でエムの母親シウは、いくら仕事が忙しいからと言って、女なんだから(というと差別だ、とかツッコミを入れられそうだけど)母親の面倒を見ればいいのに。自分の息子が見てるのに、実子である自分は見ないのか? と思っちゃうよな。
・次男スイは、メンジュから生前に委譲された家を売った金で借金を返し、母親を施設にいれる。が、相部屋。そのメンジュの見舞に行ったエムに、「借金を返済した残りだ。お前にやる」と差し出す。なんだ。いいところがあるじゃないか。でもエムは受け取らない。生活能力のないスイのことを考えてのことのようだけど、欲はなくなったのか? でも、受け取って、メンジュが望んでいた墓を買う資金に当てりゃよかったのに、とも思う。で、エムはメンジュに「うちに来なよ」と呼び寄せ、母親と面倒をみるんだけど。そんなの当たり前だろ、と思ってしまう。次男スイが施設に入れる、と言った時点で長男か長女が、否、と言うのがフツーだろ。まあ、長男キアンは何ももらえなかったから世話したくないだろうけどね。だから、ハナから長女シウが率先して「私が引き取る」というのが筋だろう。そうならずに施設に入れてしまった経緯が疑問過ぎ。それに、家には家族の思い出もあったはず。それをさっさと捨てきれるというのも、なんだかなあ。
…てな感じで、タイ人、あるいは中華系タイ人の遺産の移譲先のルールというか常識が不思議すぎるのだった。日本じゃ、こういう展開はないよな。日本だったら、メンジュの死後に家を処分し、そのお金を兄弟で3等分するのがフツーだろ。遺言があったとしても法定相続分は確保できるんじゃないのかね。
メンジュの死後、エムのところに銀行から電話で、通帳の残高を知らせてくる。あれは、祖母が、自分が死んだらそうするように、と信託していたということなのか? 祖母の死を銀行はどうやって知ったのだ? それが気になってしまった。それはさておき、通帳にたまっていた預金がエムに、というのは、祖母が毎日商売の終わりに銀行で入金しているシーンから想像はついた。で、エムは預金を全額解約して100万バーツあったのかどうかしらないけど、墓を買う。のはいいんだが、祖母が死んで葬儀の後に墓を買って埋葬するなんてことができるのか? 時間的にムリだろ。
実をいうと、映画のタイトルの「約束」については、ザクロの木を切らない、ということなのかな、とも思っていたんだけど。家を売ってしまったんだから、それはムリってことか。
なわけで、メンジュは孫のエムの名義で昔預金通帳をつくり、そこにおかゆ屋で稼いだ毎日の売上を入金していた。それは、エムが大きくなるまでずっと、という約束だった。それを守っていた、ということだ。期間としたら15、6年分か。おかゆ屋の売上なんかたかが知れてるし、生活費もあるだろうから大した額ではないと思うけど。でも、それを孫の1人であるエムに残した、というのも変だよな。他にも孫はいるんだろうから。ますますタイの遺産贈与の考え方が分からなくなるよ。
というわけで、あわてて買った墓に納棺するため、トラックにお棺を積んででかける。乗っているのは長男、次男、長女と孫のエムの4人。これも、よく分からない。どういう選定なんだ? 中華系タイ人のルールなのか?
まあ、最初は遺産目当てで祖母メンジュの面倒を見始めたけど、それが叶わずがっくりきたけど、最後に大金が転がり込んできた。けど、自分のためではなく、祖母が望んでいた墓を買った。だから、エムは成長した、といいたいのかも知れないけど、なんか安易すぎる展開だな。
・冒頭で、一家は墓参りしてるんだが。ここで祖母のメンジュは、こんな墓に入りたいもんだ、とか言ってるんだよね。しかも、その墓の持ち主がやってきたりする。それで別の墓に移動していた。あれは、いったい誰の墓なのか? メンジュの両親かなんか? よく分からん。他人の墓参りでもないだろうし。で、墓はとても立派で、なんと漢字で名前らしいのが書かれていた。え? タイって漢字文化だっけ? 戸惑いつつ見ていたけど、後にムイが中国語を喋ったり、エムが「タイ語を話す中国人」と自分のことをいったりしていて。そういう人たちが一定数いるのか。タイには。と思ったのだった。なかなか複雑。
・それにしてもエムは、メンジュの家が手に入るものと打算し、こういう物件に興味ありますか? なサイトに情報をアップしてるんだが、いくらなんでもやりすぎだろ。祖母は死んでもいないのに。
・従妹のムイの告白も、ギョッとしたよ。祖父のことなんだが、祖父は喉に物を詰まらせた。緊急対応方法は知っていた。けれど、そのときになったら逝かせてくれ、と言われたのでしなかった、と、エムにさらっというのだ。ギョエッ! 淡々とし過ぎだよ。
悪い夏6/26キネカ大森3監督/城定秀夫脚本/向井康介
公式HPのあらすじは「市役所の生活福祉課に務める佐々木は、ある日「同僚が生活保護受給者のシングルマザーに肉体関係を迫っているらしい」という相談を受け、真相を確かめようと彼女のもとを尋ねる。その出会いが“地獄”の始まりだとも知らず……」
Twitterへは「不正受給や必要に人に認められない、など問題のある生活保護を背景にした、悪い連中の群像劇。切り口は面白いけど、なんでこいつが受給してるの? 勤め人なのになぜ金欠なオバサンとか、リアリティなさすぎ。ラストは舞台コメディみたいに大騒ぎ!」
生活保護を切り口に、受給したい人、受給してる人、不正受給を企む人、許認可する役人が登場。しかし、どれも小悪党ばっかりで、凄みやサスペンスは皆無。ゴミ捨て場に咲く一輪の花もズタズタにされ、清廉だったはずの役人もドツボにはまってさあ大変、な話なんだが。最初のうちは「面白そう」だったのが次第にいろいろツメが甘いのが目立ってきて、世界に入り込めず、かな。ラストも、まるでお笑い要素多めの新劇みたいな感じで登場人物の大半が林野のアパートに、都合よく集まって来て大混乱という乱痴気ぶり、なんだけど、それほど盛り上がらずだった。そもそも生活保護を受けている2人の人物設定がいい加減すぎるので、リアリティがまったく感じられない。。まず、林野愛美(河合優実)で22歳。5歳の子持ち。生活保護受給中におっパブで働くのはマズい、とそっちは辞めている。が、とくに働くつもりはない? どうやって受給可能になったか、不思議。次に、山田吉男、40代後半。おっパブ経営者の金本の腰巾着。調査員の佐々木(北村匠海)が訪問するときはコルセットを着けて「腰が…」とか言うけど、ウソだとバレている。ともに働けるのに働かない連中で、こういうのを受給者にしているのは、役所も節穴、としか思えないリアリティのなさだ。
いっぽう、申請を拒否された古川佳澄は40凸凹。夫とは死別。10歳ぐらいの男の子がいて、食品工場みたいなところで働いている、のに、家では電気を止められ、スーパーでの買い物にも困って万引きする。これは変すぎだろ。勤め先があるなら月に20万ぐらいの収入はあるだろ。なのに、なんで? 不思議。
話の発端は、役所の調査員・高野が、女房子持ちながら担当する被生活保護受給者の林野の弱みにつけ込み、セックス&3万円/月を受給額から要求していたことに始まる。これに気づいた同僚の女性調査員・宮田は、後輩の調査員である佐々木に内々で相談。「上司に話しても高野が辞めるだけ。証拠をみつけ、ことを公にしよう」というのだ。
林野はかつておっパブで働いていて、高野のことをおっパブの同僚だった莉華に相談。莉華がおっパブ経営者の金本に話すと、金本は「金もうけのアイディアがある」と、莉華と、子分格で生活保護受給者の50男の山田に話す。高野と林野のセックスシーンを隠し撮りし、それで高野を弱みを握る。そして、ホームレスに生活保護受給申請をさせ、通させる。これでホームレスへの受給額の大半を巻き上げ、大儲けするぞ、と。そんななか、宮田と佐々木が林野のアパートを訪れ、高野からの被害を聞き出そうとする。なんなら、高野を告発して公にしてもらいたい、と。林野が2人の来訪を金本の話すと、「それじゃもう高野は使えない」と計画をさっさと中止する。
佐々木は、林野のアパートを訪問した際に、林野の娘が「ピンクのクレヨンがなくなっちゃった」と困っていたのに同情し、その夜、わざわざ買い求めて届ける。ここから佐々木と林野とに関係が次第に深まっていき…。なんだが、おそらく大卒でフツーの家庭に育ち安定した職業についている佐々木が、たぶん中卒か高校中退で5歳の子持ちでおっパブとか風俗の経験もあり、同僚の性欲に応えていた林野に、同情はしても恋はしないだろうと思うんだよな。こういう無理くりな設定をするなら、それなりのきっかけをもってこないと観客としては素直に納得できないよ。以後も、休日に一緒にファミレスに行ったり佐々木が材料を買ってきて料理を作ったり食べたり。あり得ないだろ。あったとしても、生活保護家庭に仕事でもないのに出入りして対象であめ22歳の女性と仲良くしていたらヤバいだろ。そもそも高野の例があるのに、他人の目も気にせずそんなことをするなんて、バカだろ。
このあたりかな、佐々木は高野の家を訪れて、自分から役所を辞めてくれ、と要求に行く。高野は役所を辞めたあと離婚し、退職金は奥さんにとられ、金本のおっパブで警備員で拾ってもらった。いっぽうで、宮田はなぜか、いま高野はなにをしているのか調べてくれ、と佐々木に頼み込む。
さて、林野と佐々木が接近しているのを知った山田は、高野の代わりに佐々木を使ってホームレスの生活保護申請をして儲けよう、と企むんだけど、これまたバカすぎだろ。そんなことをしてもすぐ金本にバレるはず。なので、この計画自体があり得ない展開なんだけど、映画はそのまま突っ走る。そして、林野に、佐々木とのセックスを録画しろ、というんだけど、林野は別に山田に弱みを握られていないんだから拒否すりゃいい話。なのに、素直に録画してしまうんだから、林野もアホすぎ。
というわけで、ムリやり話のつじつまを合わせ、悪事が転がって行く様子を描こうとしたんだろうけど、リアリティがないからさっぱり迫ってこないんだよ。
というわけで、山田の脅しにあって、ホームレスの申請を次々に許可していく佐々木の不満顔。だんだん顔が歪んでいく。この影響は真っ当な申請者にむけられるようになって、万引きで仕事を失い、公園の水で生活する古川佳澄と息子にも罵詈雑言でつらく当たってしまう。が、役所に突然の警察官の訪問。山田との悪事がバレたか、と思わせておいて、実は練炭自殺を企てた親子が…と。古川佳澄と息子が意識不明らしいが、最後に訪れたのが役所だった、と。愕然。
ここから乱痴気のラストに突入。山田のいる林野のアパートにやってきたのは佐々木で。古川と子供が自殺未遂で意識不明を聞かされたばかりで、精気がない。そのまま台所の包丁を手に林野に「死のうと思ったけど、どうせなら一緒に死んでくれ」という。「いいよ」と林野。そこに金本と莉華がやってきて。金本が佐々木を蹴飛ばすんだっけか。林野が包丁を手に金本or莉華にゆったり向かっていき、莉華と揉み合ってるうち、包丁が莉華にブスリ。何やってんだよ、と慌てる金本が山田に「クルマを出せ!」とかいってると、ドアがどんどん叩かれて、開けると警察官姿の高野で、「おまえらみんな殺してやる」と大騒ぎ。と思ったらつづいてドアがノックされ、入ってきたのは宮田で、彼女は高野に「奥さんと離婚するって言いながらこんな女(林野のこと)とやってて、私はどうなるのよ」と非難するが、「俺は子供と一緒に生活したいんだ」と高野。と騒いでるスキに林野が娘を連れて裏の窓から逃げ出すんだけど、あれ? 2階だったはずなのに裏は1階みたいになってるけど、なんで? 雨中、追ってくる金本と山田。高野に抱きつく宮田。金本が高野を包丁でブスリ、だったかな。よく憶えてない。のあと、林野が大きな石で金本の後頭部をガツン。
で、後日。週刊誌に、高野、山田、金本が不正受給問題で逮捕、の記事。足を引きずって歩く佐々木。役所から、拘置所にいる高野に「スキです」の手紙を書いている宮田。佐々木は、林野のアパートに入っていく、で映画は終わるんだが。あの騒ぎで誰も死ななかったのか。佐々木は、足をどうしてたんだっけ? 刺されてたか? 憶えてない。古川佳澄と息子はどうしたのかな。もしかして、佐々木が街ですれ違った親子はあの2人だった? わからんけど。
というわけで、話はつまらなくはないけど、いろいろスキがありすぎで、スッキリしないのは城定秀夫らしいところかな。
・宮田が高野と関係してるだろうってのは、うすうす感づいていた。だって、しつこく高野のことを追求しているんだもん。とはいえ、林野に「高野を告発してくれ」とかいってるのは、どうなんだ? いくらスキでも、相手が無職になってもいいのか? ただのマゾか?
嗤う蟲6/26キネカ大森3監督/城定秀夫脚本/内藤瑛亮、城定秀夫
公式HPのあらすじは「田舎暮らしに憧れるイラストレーターの杏奈(深川麻衣)は、脱サラした夫・輝道(若葉竜也)と共に都会を離れ、麻宮村に移住する。麻宮村の村民たちは、自治会長の田久保(田口トモロヲ)のことを過剰なまでに信奉していた。 二人は、村民たちの度を越えたおせっかいに辟易しながらも新天地でのスローライフを満喫する。そんな生活のなかで杏奈は、麻宮村の村民のなかには田久保を畏怖する者たちがいる、と不信感を抱くようになっていく。 一方、輝道は田久保の仕事を手伝うことになり、麻宮村の隠された<掟>を知ってしまう。それでも村八分にされないように、家族のため<掟>に身を捧げることに……。」
Twitterへは「数分見て、これ見たわ、と気づいた。半年前か。だいたいストーリーも憶えてた。こんな村ないだろ、な設定なので、ぜんぜん迫ってこない。むしろお笑い要素が多め。これじゃ逃げられないだろ、な巻き込まれ型な緊迫感が欲しかったな。」
2本立ての1本。タイトルと監督で、見よう、と思ったんだが、最初の場面はクルマの中。移住か。到着した家屋を見て、あれ? 見てるかこれ。直後の、葉についている虫の場面で、見てるわこれ、と確信した。で、話のあらましも大体憶えていた。まあ、1月に見たんだし。
というわけで、記憶をたどりながら、再確認しつつな鑑賞になった。すごく面白かった、という記憶はなかったんで、それなりに、だけど。とはいえ、中盤まではテンポがよくて、飽きなかった。とはいえ、よく分からんままに放置されている件に関しては、もやもやが残るのだった。
・隣家の三橋と妻は、やっぱりよく分からずだった。三橋は地元出身ではなく、移住組。けれど大麻栽培には参加しているから、一定の信頼はあった。けれど、トンマなことをしてばかりで、村長?の田久保からバカにされ、いじめられている。のだけれど、それだけであんな卑屈になる必要があるのか? 三橋本人はまだしも、妻が毎日ふらふら状態でいる。その原因はなんなんだ? さっぱり分からない。
後に分かるが、村が大麻製造に手を出している理由は、かつても土砂崩れからの復興のため、らしい。しかし、何年も前のことなのに、いまだに影響があるというのも解せない。土砂崩れは村にどんな被害をもたらしたのか? そして、大麻の売上げは、どのように分配されているのか? その分配金がなくなりそうだから、三橋は田久保に頭が上がらない? いやいやいや。三橋は村の暗部の情報を握っているのだから、たとえ村を追い出されても問題ないだろ。逆に田久保らを脅せるわけだし。三橋はなぜか錯乱し、警察官と乱闘になり、でも振り切って田久保宅を襲う。が、田久保の逆襲にあって命を落とす。これは別に、三橋の口封じ、ではないよな。さらに、三橋の妻が後追い自殺をする。これはさらっと描かれるだけなんだけど、素っ気なさ過ぎないか。要は、村の圧力、田久保の専制の具合がまったく見えないんだよな。田久保はまったく怪しいそぶりもないし。何か得体の知れない宗教も感じられない。せいぜい、「ありがとさま〜」だけだ。この言葉にしても、大麻を祀る傾向にしても、根拠がまるで示されないので、まったくおどろおどろしくないし、サスペンス性もない。むしろ、コメディタッチ過ぎて笑えてしまうぐらいだ。
ほかに田久保に絡め取られているのは、警官か。しかし、交番勤務じゃないよな。パトカー乗ってたし。ということは、近い町の警察署勤務か。なのに村の因習=大麻生産に目をつむっているというのは、なにか弱みを握られているのか。女房子供と別居中というけれど、関係ないよな。それが、なんと三橋殺害に加担し、さらに、上杉の酔っぱらい運転で三橋をひき殺したという工作までするけど、あんなの意味ないよな。警官も、何に突き動かされて田久保の仲間でいつづけるのか。それが曖昧すぎて説得力がない。
それと、「ありがとさま〜」の背景には、なにかあるのか? 思わせぶりだけで、なんの説明もない。『TRICK』なんかのほうがひょうきんな怪しい感じ、おどろおどろしさが、笑いのなかにもあったけどな。
そして、一番の問題は、輝道がなぜ田久保に取り込まれていくのか? がよく分からんことだ。むしろ、輝道の方から田久保のところに出入りし、仲間になっていく。あのあたり、わからんのだよな。
というわけで、この映画もまたスキがありすぎて、面白くなる手前でグズグズになっちゃってる。城定秀夫らしいところだな。

 
 

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