2025年7月

フォーチュンクッキー7/7ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/ババク・ジャラリ脚本/カロリーナ・カヴァッリ、ババク・ジャラリ
原題は“Fremont”。公式HPのあらすじは「カリフォルニア州フリーモントにあるフォーチュンクッキー工場で働くドニヤは、アパートと工場を往復する単調な生活を送っている。母国アフガニスタンの米軍基地で通訳として働いていた彼女は、基地での経験から、慢性的な不眠症に悩まされている。ある日、クッキーのメッセージを書く仕事を任されたドニヤは、新たな出会いを求めて、その中の一つに自分の電話番号を書いたものをこっそり紛れ込ませる。すると間もなく1人の男性から、会いたいとメッセージが届き…。」
Twitterへは「アフガンからの移民女性がカリフォルニアでフォーチュンクックーの製造会社で働いていて…。あまりにも単調でドラマもないので寝た。途中からちゃんとみたけど、だからなに? な話だった。原題は「FREMONT」で確か彼女が住んでる地名。」
公式サイトには「ジム・ジャームッシュ やアキ・カウリスマキの作品を彷彿とさせる」と書いてあるけど、そうかなあ。淡々とし過ぎてて、それほど味があるとも思えないけどなあ。
実をいうとつまらなかったのと、少し寝てしまったこともあって、あんまり憶えてないんだけどね。冒頭にあったフォーチュンクッキーをの製造過程がいちばん面白かったかな、な感じだ。
ドニヤが米国にやってきた経緯は分からない。米軍基地で通訳、はなんとなく憶えてるけど、本筋にも背景にもどれだけ影響してるのか歩分からない。精神科を受診したいけど予約がないので、断られるんだけど、たまたまその時間にキャンセルがあって、その代わりに、とかいったら、それはその人の時間であって、あなたの時間ではない、と断られるんだけど粘って受診する。あーいえばこういうな屁理屈女だな。で、ときどき受診場面があるんだけど、内容は、だからどうした、な感じで。カウンセリングにもなってない感じ。あとの方では、医師はジャック・ロンドンの『白い牙』の朗読をしたりするけど、意味不明だった。
工場には中国人のバアサンがいて、黙々と仕事をしてる。オーナーは中国人夫婦? フォーチュンクッキーだから? 同僚にダブルデートかなんかの誘いを受けてたな。でも、行かなかったのかな。「クッキーのメッセージを書く仕事を任されたドニヤは、新たな出会いを求めて、その中の一つに自分の電話番号を書いたものをこっそり紛れ込ませる。すると間もなく1人の男性から、会いたいとメッセージが届き…」というくだりは記憶にないので寝てたのかも知れない。オーナーにだったか、モノを取りに行ってくれ、とか頼まれて。出かけていって、ガソリンスタンドの男と話して。この男から鹿の置物を受け取ったんだっけか。コーヒーは飲むか? と聞かれて、飲まない、と応えつつ、でもあとからもらってたのはなんなんだ? 工場ではいつも休憩時間に飲んでるのに。ガソリンスタンドへは、オーナーが買ったモノを引き取りに行ったのか? でも、メッセージの電話番号に反応した男だったのか? 分からんけど。で、一緒のカフェに入って、別々のテーブルだったけど話をして、別れたんだっけか。ガソリンスタンドの男と、鹿を受け取ったときの男は、別人だっけ? 同じ男だっけ? もう記憶がないや。
まあ、この程度の映画で、印象にも残らなかった、ということでいいか、もう。
・工場で、コーヒーマシンが壊れてて、コーヒーが飲めない。というところに奥さんが自分で入れたコーヒーを持って来て、売ってあげるわよ、っていうのは、がめつい奥さんだな、と思ったよ。くれりゃいいのに。
夏の砂の上7/9テアトル新宿監督/玉田真也脚本/玉田真也
公式HPのあらすじは「雨が一滴も降らない、からからに乾いた夏の長崎。幼い息子を亡くした喪失感から、幽霊のように坂の多い街を漂う小浦治。妻の恵子とは、別居中だ。この狭い町では、元同僚の陣野と恵子の関係に気づかないふりをするのも難しい。働いていた造船所が潰れてから、新しい職に就く気にもならずふらふらしている治の前に、妹・阿佐子が、17歳の娘・優子を連れて訪ねてくる。おいしい儲け話にのせられた阿佐子は、1人で博多の男の元へ行くためしばらく優子を預かってくれという。こうして突然、治と姪の優子との同居生活がはじまることに…。高校へ行かずアルバイトをはじめた優子は、そこで働く先輩の立山と親しくなる。懸命に父親代わりをつとめようとする治との二人の生活に馴染んできたある日、優子は、家を訪れた恵子が治と言い争いをする現場に鉢合わせてしまう…」
Twitterへは「不器用なオヤジたち。じれったすぎてイライラ。その閉塞感は自分でつくってるだけだろ。女たちは好き勝手に浮き草のよう。刺さるものがひとつもない。高石あかりが満島ひかりの娘という設定にも違和感。コメディじゃないのに笑えるところ多し。」
水路を見ながら煙草を吸う治(オダギリジョー実年齢49歳)の様子から始まる。同時並行で少女連れの女が路面電車に乗り、コンビニに寄ってる様子が映る。買い物だと思ったけど、店員の青年が少女を見ているのが変。まあ、あとから、これは少女のコンビニでの面接だったらしい、と分かるんだけど。治が家に戻ると妻・恵子(松たか子実年齢48歳)がいて、そこにさっきの女=妹・阿佐子が娘・優子を連れてやってきている。ここでビックリなのが、阿佐子役は満島ひかり(実年齢39歳)で、娘の優子役が高石あかり(実年齢22歳)ってことだな。どう見ても親子じゃないだろ。まあ、優子は17歳の設定だから22歳で生んだ子、ならあり得なくはないが。それと、阿佐子と優子の姓は川上、となっている。阿佐子に亭主がいるのか。死別したのか。離婚したのか。よく分からない。もやもや。
でまあ、阿佐子は知り合いがどっかで店を出すのを手伝うから、その間、娘を預かってくれ、と治に頼みに来た、というより連れてきたらしい。どーも阿佐子は身持ちが悪くむかしから水商売で男関係もだらしないらしい。で、ムリやりのように優子を治に押しつけてさっさと帰っていってしまう。
ここには恵子もいて、子供の位牌をもっていくとか言っていた。どうも2人の間には男の子がいたらしいけど、亡くなったようだ。理由はこのときは分からない。結局、このとき、恵子は位牌をもっていかなかった。しかし、それにしても、松たか子がむくんだオバサンにしか見えないようなメイクで登場するのがなんだかなあ、な感じだった。凜としてないんだよな。意図的なのかな。とまあ、これが発端。
というわけで伯父・治と姪・優子の生活が始まる。優子はコンビニでバイトする、らしい。ここで初めて、来るときに寄ったコンビニは面接だったのか、と分かるけど。阿佐子がいつそんな段取りを決めたのか、よく分からんぞ。
翌日だったか、食事のときに「水が出ない」と優子がいう。治が働いてないから水道を止められたのか、と思ったなんだけど、そうではないと後に分かる。どうも給水制限らしいのだが、画面からはジリジリした暑さ、日照り感が感じられないのでピンとこなかったのだ。季節が夏、というのは分かる。けど、7月なのか8月なのかは分からないし。
そして、優子が治に、子供がいたの? と聞いて、治がそれに応えていて。かつて増水かなんかで流されて、冒頭で治が煙草を吸っていた水路に落ちて流され、下流の方で発見された、てなことが分かる。のだけれど、それがいつのことなのかは分からない。子供が亡くなったのは5歳とかいってたかな。治と恵子の関係はこれしか語られない。いつ結婚し、いつ子供を亡くしたのか。いつから冷えた関係になったのかは分からない。まあ、後から恵子の不倫は分かってくるんだけど。
治は、何かの祝賀会なのか、居酒屋にふらふらと入っていく。オッサンたちが20人ぐらい騒いでいて、胴上げをしてる。治もなぜか胴上げされる。その後、治とオッサン、もう一人陣野というのが治の家に酔って上がり込み、飲もうとするが酒が大してない…。オッサンは酔い潰れ、陣野は治に、仕事を見つけろみたいなことを言っている。なんのことやらよく分からないのだが、翌日だったか治がタクシー会社を覗くとオッサンがいて。居酒屋の騒ぎはどうやら再就職の祝いだったらしいことが分かる。オッサンはタクシー運転手は初めてらしく、うれしいような心配なような。
このあたりで、どうやら居酒屋の面々は造船会社をリストラされた職工たちだった、ということがなんとなく分かってくる。造船だから長崎で、治の家も坂にあるからね。冒頭の路面電車だけじゃ分からんよ。
ほんと、この映画、はっきり示さない。搦め手から「何となく雰囲気で分かれ」とでもいってるようなところがある。うまく歯車が噛みあって霞が撮れピントが合うような演出ならいいんだけど、そうでもないんだよな。ぼう洋とし過ぎてるんだよ。なので、イライラもある。
運転手になったオッサンは事故死した聞かされて、普段着のまま寺へ行く治。たしか事故の経緯を陣野に聞かされたあと、どっかのオバサンに問い詰められる。どうやら陣野の妻らしく、でも、顔中包帯だらけ。妻曰く、あんたの奥さんとうちの亭主のこと知ったんでしょ」に治は「なんとなく」と応えると「なんとなく知ってたって何よ! 「ちゃんとしてくれなきゃ私が困る。私はぼーっと自転車乗っててコケてこの始末よ」と傷だらけの顔。大笑いだな。
だいたい恵子と陣野の不倫を、治が制止するなんてできないだろ。恵子に怒りをぶつけるならまだしも、治に文句を言ってもしょうがないだろ。はさておいて、葬儀の場では治、恵子、陣野と妻がいて顔を合わせるわけで、修羅場になんないのかよ、と心配したけどそうはならないつまらない展開。というより驚いたのは、治の妻の恵子と不倫中しかも堂々と、なのにオッサンの祝賀会のあと、そのまま治の家に行って「あんたも就職しろよ」とか先輩の治に説教したりしてるって、なんなんだ、とか思っちゃうよな。道徳観念が崩壊しとるのか。
治が家に戻ると恵子が家に喪服を取りに来ていて、コンビニのバイト君の大学生・立山と乳繰り合いそうになってた優子は、ともにあわてて2階へ。恵子にネクタイを締めてもらって玄関を出るけど、戻って恵子に襲いかかる。もしかして、最後だからと性交しようとしたのか? それともたんに殴りつけようとしたのか。よく分からん。
その後は、嫌々のように職安に行くけど、中華屋の洗い場を勧められ、でも、熔接をやってきたからその手の仕事はないか、と突っ込むも、ない、と。当たり前だよなあ。妻・恵子は転居先の于パートで陣野といるし、優子は立山とどうやらやっちゃったみたいだし、なんか荒んでるなあ。結局、治は中華屋の厨房で働くことに。陣野が「転居する」と報告がてら店に来て、土下座。この関係ももやもやするね。治に挨拶し、去って行く伯母にむかって優子は「伯母さん。伯父さんの面倒は私がみるから」というけど、なにが、という気がしてしまう。去って行く恵子。家の外に陣野が来ている。図太いね、陣野って。陣野の妻はどうなったの?
給水制限の長崎に、突然の雨。鍋釜を外に出して雨水を集め、飲む治と優子。バカか。
調理場で豚骨割ってる治。そのうちやるかな、と思ったら案の定、指をザクッ。あとから分かったけど、左手の親指と小指を除く3本を叩き切ったんだという。嫌々やってるからだろ。
夏が終わりかけ、阿佐子が優子を迎えに来る。見せの話はダメになった、けど、海外で出店の話が持ち上がっている云々。どうせまたおおぼらだろうと思うけど、そういう人生なんだろうな、阿佐子は。
というわけで、全編にわたって治という50歳凸凹のオヤジのうじうじした様子が描かれる映画だった。造船会社の大量リストラは、時代の流れだろう。他の多くは再就職しているのに、いつまでも前職に未練で新しい職場を見つけられない。子供はとうに失って、妻を同僚というか後輩に寝取られる。おまけに長崎は日照りつづきで給水制限。妹はふしだらな娘=姪を押しつけてくる。なんとか再就職したけど指を失う。弱り目に祟り目で冴えない、うだつの上がらないオッサンのひと夏は、やれやれな感じでしかない。こういう人もいるんだろう。不器用すぎて動きが遅いんだよ。これでも住む家があるからまだましなのか。
でも、そういう冴えない50男をオダギリジョーが演じるところにリアリティがないし、妻が松たか子、ってのもアンバランスすぎ。不細工メイクしていても、松たか子だからな。竹原ピストルor佐藤二朗に安藤サクラあたりの夫婦で、姪が不細工女優ってんなら納得できるかもだけど。
この映画、いろいろ背景がぼかされていてよく分からないのも、難点。これで「分かれ」といわれても、じれったすぎるんだよな。
プラットホーム7/11シネマ ブルースタジオ監督/ジャ・ジャンクー脚本/ジャ・ジャンクー
公式HPのあらすじは「中国山西省の小さな町・汾陽(フェンヤン)。文化劇団(文工団)のメンバーの明亮(ミンリャン)瑞娟 (ルイジュエン)、張軍 (チャンジュン)、鐘萍 (チョンピン)は幼なじみ。劇団の練習、地方巡業の旅と、いつも一緒の時間を過ごしていた。1980年代半ば、自由化の波がこの小さな町にも押し寄せてくる。政府の方針の変化で劇団への補助金が打ち切られ、劇団そのもののあり方も変わってしまう。そして、彼ら4人の関係も不安定になっていく。明亮、張軍、鐘萍の3人は、劇団に残り仲間たちと一緒に旅を続けるが、瑞娟だけは町に留まる。それぞれが自分の生き方を探し始める。」
Twitterへは「こないだの、よくわからん『新世紀ロマンティクス』のジャ・ジャンクー監督。2000年。断片的なエピソード。ミドルショットとロングショットで人物の顔もよく分からん。説明はほとんどなく、だらだらと。少し寝た。ほとんど意味不明。苦行だった。」
しばらく前に見た『新世紀ロマンティクス』がなんのことやら分からなかったジャ・ジャンクーの2000年製作、日本公開は2001年の旧作だ。いちおうストーリーらしきモノはあるけれど、とても分かりにくい。allcinemaの解説を読むと、「改革開放路線を敷く80年代中国を背景に、自由化の影響を強く受けた地方の劇団に所属する少年少女4人の10年間の変遷を綴る。かつて人民服を着、革命歌を歌った若者がやがて西側のファッションに身を包みポップスやロックンロールに夢中になっていく姿を等身大で描く。」となっていて、へー、そうだったのか、と思ったぐらいだ。↑のあらすじには「明亮(ミンリャン)瑞娟 (ルイジュエン)、張軍 (チャンジュン)、鐘萍 (チョンピン)は幼なじみ。」とあるけど、これまた、へー、な感じ。だってそんに風には見えなかったから。印象に残ってるのは眼鏡男のミンリャンと、もう一人の男性のチャンジュンだったかな、が少し目に残ったぐらい。そもそも多くはミドルショットでロングも多い。バストショットや寄りが皆無。フツーの映画のように誰がどれで何をしてどうなった、という撮り方、説明がないから、何のことやら分からない。4人は幼なじみとも思っていなかったしね。とくに女性は顔がほとんど分からない。誰が誰やら、何がどうしたのか、さっぱり分からない。
・ミンリャンが女性に、自分たちの関係はつき合ってるわけじゃないのかとかなんとか話してる。
・1人の女性が妊娠し、堕ろしに行くけど、嫌だと言いはじめる。果たして堕ろしたのかどうか、よく分からない。誰の子かも分からない。というより、妊娠・堕胎をみんなに話したりするのか? とか思ってしまった。
・あるときは警察に、夫婦じゃないと同室は禁止、とかいわれたり。それで結局どうしたんだっけ?
とか、何だかよく分からない尻切れトンボなエピソードはいくつかあるけど、人間に迫ってなくて遠くから見てるようなドキュメンタリーみたいな雰囲気なので、全然迫ってこない。なので、前半で少しウトウトしてしまった。まあ、気がついてからもよく分からなかったけどね。
で、びっくりしたのが10年間を描いてたんだ! ってことかな。最初は毛首席万歳的な踊りで、みんなで一緒にバスに乗り移動? 県の芸工団員? のままかと思ってたら、時は過ぎていってたのか。そういやときどき、トウ小平とかサッチャーとか名前がでてたり、ジンギスカンという曲が流行ってる感じだったけど、あれで何年代なのか判断しろってか? できないよ。ちゃんと字幕で時代を示せよ。と思う。
行き来するバスのフロントガラスに、どこどこからどこどこへ、と書いてあるのを字幕で見せていたけど、あれも地理的な意味があるのか? でも、そんなのこっちにゃあ分からんよ。
カーラジオからロックが聞こえてくると思ったら、深センロックと名乗るグループが歌ってる。なんだあ? と思ったけど、あらすじを読んでから判断するに、あれは芸工団が時代に合わせて出し物を変えていたということなのか。
しかし、それ以前に団長らしいのが「支援がなくなった」とか深刻な顔をして団員に話していたことがあったけど、どうやって経営していたのかね。というか、そもそも芸工団ってどういう組織でどういうことをどう運営していたのか? を教えてくれないとなあ。なんでどっかの村の幼なじみ4人がメンバーになれてんの? とかね。いろいろ分からなすぎ。
と思ったら、途中からというかロックあたりから参加してたメンバーが長髪を切る場面があったけど、あれは誰だ? と思ったんだけど、どっかのサイトを見たらあの長髪男はチャンジュンだって書いてあって。あらー。じゃ、時代に合わせて髪を伸ばしていたってことだったのか。ひぇー。ぜんぜん分かんねえよ。そんなの。顔も満足に映らないんだから。
とか思ってたら、どっかの家のベンチでミンリャンなのか? が気怠く横たわっている横で、女が赤ん坊をあやしている。ん? あれはミンリャンの嫁さんなのか。で、あの女性はだれなの? 幼なじみのどっちか? 別の人? 分かんねえよ。
というわけで、分からんしつまらんのだった。
・白い背景に打ち抜かれた白い文字の字幕で、読めないよ。なんとかしろ。
・観客7人だった。
秘顔-ひがん- 7/15ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2監督/キム・デウ脚本/ノ・ドク、ホン・ウンミ
原題は“Hidden Face”。公式HPのあらすじは「婚約者が消えた。残された手がかりは、「あなたと過ごせて幸せだった」というビデオメッセージだけ…。指揮者ソンジンは、オーケストラのチェリストでもあるスヨンの失踪に動揺していた。結婚と大切な公演を控えた今、なぜスヨンは姿を消したのか。喪失感に苦しむなか、ソンジンは公演のためにチェリスト代理のミジュと対面する。スヨンの代わりはいないと考えていたソンジンだったが、言葉にしがたいミジュの魅力にたちまち惹かれていった。大雨の夜、2人は、スヨンのいない寝室で許されない過ちを犯す。しかし、欲望のままに求め合う2人を失踪したはずのスヨンがすぐ<そこ>で覗いていた…」
Twitterへは「★」
前知識なく見始めたんだけど、だらだらいつまで経ってもドラマが始まらない。と思ったらソンジンがミジュに手を出してのエロシーン。未熟の女優は、顔はおばさんだけどいいカタチのオッパイを惜しげもなくさらけ出してて。果たして有名女優なのか、裸女優なのか。しらんけど。で、ちょい目が覚めたんだけど、その後は、3か月前とか7か月前とかちまちま時間を遡って、実は…を明かしていく構成。なんかじれったい。ので、少しうとうとしながら見ていた。
で、分かってきたのは、ソンジンの妻のスヨンとミジュはもともとレズ関係。なのにスヨンがソンジンと同棲から結婚に…という事実を知ってミジュが怨念の炎を燃やし(とまでは見えないので、いまいち緊迫感はない)、ミジュはスヨンを屋敷の広い押し入れに閉じ込めてしまった。そこはマジックミラーが仕込まれていて、押し入れから部屋の中が丸見え。という状況で、ミジュがソンジンをその気にさせ、まぐわり放題。を、押し入れの中のスヨンに見せつけて復讐した、ということだというのは分かった。のだけれど、すこしうとうとしたせいで、経緯がよく分からんところがあるのよね。
・ミジュがスヨンを閉じ込めた経緯。スヨンがドイツに行くとかソンジンへのビデオメッセージを残したのは、どういう経緯だったんだろうか、と。
・あの家は、ちょっとだけ出てきた婆さんからスヨンの母親が買ったのか? で、改修は、誰が主導で行ったんだ? あの婆さんがミジュに説明してる場面があったけど…。
※ネットで見つけた解説では「もともとは、スヨンとミジュのチェロの先生の邸宅。その先生の父親がかつて「731部隊」にいたので、追っ手を恐れて隠し部屋を作っていた…という設定」らしい。そういえばそんなことを言っていたような…。
・スヨンが飛行場にミジュを呼び寄せてた場面があったけど、近くをソンジンも通っていた。あんなん、ソンジンがスヨンに「知り合い?」って聞いたら遭遇してただろうに。
とかね。
それ以外にも「?」はいろいろあって。
・マジックガラス一枚の室内と押し入れで、押し入れにいる人間の声は室内に聞こえないけれど、逆は聞こえるというのは変だろ。それでなくても、押し入れないで叫んだりモノを叩けば室内に聞こえるだろ。
・あんな押し入れは誰がなぜつくったんだ? 内装のやり直しのときにも、あのままにしたのは、業者同士で情報が流れるんじゃないのか?
・押し入れにはトイレはないよな。では、なかに閉じ込められたスヨンは、ウンコ小便どうしてたんだ?
・スヨンが何日閉じ込められたのか知らんだ、水や食料はどうしてたんだ? 食料はさておき、水がないとすぐ死んじゃうだろ。
とか、疑問はいろいろでてくる。そこらへんは、映画だからテキトーに端折ってるということか? なんだかなあ。
というわけで、大雑把には分かったけど、ディテールに突っ込みどころは多い。
さらに、ソンジンがマジックミラーの向こうにスヨンがいる、と思うに至る経緯も、なんかなあ。ちょっと話したら水が出るとかお湯が止まるとか、そんなことだよな。聞こえること自体が変だけど、さらに、水栓が押し入れの中にある、という設計も、そんなのあるのか? だ。水栓の場所が推定できれば、ソンジンは押し入れに入るんだろうし。でも、押し入れは書棚の裏に隠されている。って、フツーに入れない押し入れに水栓があるとかいう設計は何なんだよ。
で、ソンジンはマジックミラーの向こうにスヨンがいるのを確信する。さらに、ミジュが部屋の合鍵の番号を変えるのが面倒、ということを頼りにミジュのスマホを見て、そこにスヨンとミジュのラブラブの写真を発見し、追求。すると、ミジュは呆気なく従って書棚を動かし、押し入れの中に入っていく。ここにきてミジュの弱気はなんなんだ? しかも、最後はソンジンとスヨンは同じベッドに寝ていて、ミジュは押し入れに軟禁されている…って、どういう展開なんだ? なぜミジュは抵抗しないのかね。スヨンも、ソンジンとミジュのエロ場面=浮気場面を目撃してるのに、たいして責めない。なんかなあ。このラストも、もやもやするなあ。
思わせぶりで伏線にもなってない情報が散見されるのも、なんだよー、な感じで。ソンジンは、「コーヒーがどーのとかワインの蘊蓄を語る奴が嫌い」といっている。で、スヨンの母親で楽団のオーナーみたいなオバサンが、コーヒーの蘊蓄を語るわけよ。「これ、ゲイシャコーヒー」とか「ジャコウネコのウンコから出た豆」とかね。じゃあソンジンはオバサンを嫌ってるかっていうと、そうでもなくて。で、一方の娘のスヨンは「あたし、アメリカンがいいな」とかいっていて、蘊蓄を語らない。なんだよ。たんなる性格分類にしかコーヒーは使ってないのかよ。
かと思うと自らミジュを自宅に招いてワインで酔わせるんだけど、蘊蓄はさておき飲むのはワインかよ。焼酎じゃねーのかよ。と思ってしまったりするのだ。
てなわけで、自分を裏切ったからといってスヨンを監禁して飲まず食わずにし、エロ場面を見せつけるミジュの行動が、まず、理解不能。さらに、レズなのになぜか心変わりしてソンジンとの結婚生活を選択するスヨンの考えが分からない。そして、登場場面は多いけど、淡々として大して機能しないスヨンの母親は、なんなんだ? でまあ、女同士の桎梏に巻き込まれたソンジンさんはお気の毒に、としか思えない話だったかな。
顔を捨てた男7/17ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/アーロン・シンバーグ脚本/アーロン・シンバーグ
原題は“A Different Man”。公式HPのあらすじは「顔に極端な変形を持つ、俳優志望のエドワード。隣人で劇作家を目指すイングリッドに惹かれながらも、自分の気持ちを閉じ込めて生きる彼はある日、外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の“新しい顔”を手に入れる。過去を捨て、別人として順風満帆な人生を歩み出した矢先、目の前に現れたのは、かつての自分の「顔」に似たカリスマ性のある男オズワルドだった。その出会いによって、エドワードの運命は想像もつかない方向へと猛烈に逆転していく」
Twitterへは「エレファントマンのように醜い顔の男が治療の結果ハンサムに…。という話だけど、小ネタをのらくら重ねてるだけで、退屈。とくに風刺も効いてないし、何を言いたいのかよく分からず。何かのメタファーになってるのか? よく分からん。」
予告編では、見にくい顔から解放された男がある日、元の顔をした男に遭遇して…な感じだったけど、本編では特に大きな事件も起こらず、だらだら展開する。こちらは夏風邪が治らずだるい状況なので、しばらくしてうとうと。10分ぐらい半睡で、目覚めたけれど、相変わらず同じようなだらだら展開。ちょっと期待外れかな。
そもそも設定と展開にムリがある。エドワードはエレファントマンのような見た目なのに、周囲の目は基本的にやさしい。誰も騒いだりはやし立てたりしない。怖がられもしない。フツーなら大騒ぎ、あるいは周囲から人が消える、だろう。そうならないのはなぜなのか。世の中の人は、人に配慮してやさしく対応する、ってのか? なんか偽善だな。なエドワードの隣室に劇作家志望の美女が越してくる。イングリッドは、初めての時は、わっ、と下がる仕草をしたけど、以後はそんなこともなく。ずかずかとエドワードの部屋に入り、手を切って血だらけのエドワードを治療したり、タイプライターを褒めたり(そのせいか知らんけどタイプライターをもらっちゃったりする)、親しく話したりする。こういう態度を取れる人は世の中にどれぐらいいるのだろう、と思ってしまったよ。
エドワードは病院通いしていて、医師から「顔の腫瘍をとろう」なんて言われている。ということは、陽性の腫瘍がたくさんできているってことなのか? 前後して、最適な治療があるのでどうか、と勧められたりする。この後、少し寝落ちしたのでうろ覚えなんだけど、どうやらその新治療を受けたようだ。で、イングリッドとの交流は続くし、同じアパートの住人とも挨拶するし、バーに行って歌ったり、ほぼフツーの生活をしている。仕事は、芸能事務所に属しているのか、PRビデオに1度出たことがある程度。なにをして暮らしているのかはよく分からない。
あるとき何かで吐き気に襲われ、どっかのバーのトイレで吐いて。でも店主に、うちのトイレは客専用だ。なにか飲んでけ、とウィスキーを押しつけられて飲むも、また吐いてしまう。
そのうちエドワードの頭皮や顔の皮が剥けてきて、あるとき、脱皮するように顔の皮膚や肉が向け、新しい顔が出てくる。理屈は分からない。そういうクスリによる治療なんだろう。バーで吐いたのは、このあと、だったかな? うろ憶え。
で、フェードアウトして。どうやら時が過ぎ、エドワードの環境が変わったようだ。スマートなアパートで女性と寝ている。「あとでオフィスで」とかいってるから、同僚なのか。どうやって成り上がったのかは知らないが、ハンサムな顔を手に入れたエドワードは不動産会社で成り上がり、優良社員になったらしい。ハンサムになって、あのアパートでは、エドワードの友人、とかいってたけど、どうやって就職し、稼いで、部屋を移ったのか。のあたりはテキトーに端折りすぎだろ。そうそう、なまえをガイなんとか、って変えていたな。
で、あるとき町を歩いていたら、「エドワード」という芝居のオーディションが行われていて、まぎれ込むといまはやり手の劇作家になったらしいイングリッドがいる。その場で手渡されたダイアログを喋って、なぜか合格してしまうというテキトーな脚本の流れに、ちょい白けるな。
これでイングリッドの劇団の役者になったエドワード。醜男の役を演じる練習に励む。イングリッドは芝居のラストを明るくしようとする、とかなんとか、このあたり、話の意図がよく分からなくなってくる。おまけにイングリッドはハンサムなエドワードにモーションかけて性的関係を結ぶし。でも、醜男とはセックスしたくないよな。医者が作ったらしいエドワードの元の顔のマスクがあるんだけど、イングリッドは「あれをかぶって」と行為中に言うんだけど、いざマスク姿のエドワードと行為を続行しようとすると笑っちゃってできなくなる。まあ、分かるけど。
でも、イングリッドの「エドワード」と題する芝居の稽古中に得体の知れないオズワルド=エドワードのむかしの顔と同じ、が闖入し、なぜかイングリッドのいる場面に接触するようになると、彼女は主役をエドワード/ガイから、エドワルドにチェンジしようとする。居所がなくなるエドワード/ガイ。さらに、ラストもオズワルドが出演するようにイングリッドが演出を替えたせいで、エドワードの出番がなくなってしまう。さらに、エドワード/ガイはイングリッドからは、あなたはもう元彼、と面と言われてしまう。その結果なのか、本番公演中、エドワード/ガイが乱入し、舞台はしっちゃかめっちゃか。揚げ句、釣り天井が落ちてエドワード/ガイは大けが。この乱入はエドワード/ガイのオズワルドに役を奪われたことに対する嫉妬なのか? そうも見えるけど、そもそもエドワード/ガイが芝居に出たいと思わなければそんなことにはならなかったはずなので、明確には嫉妬とは言えないんじゃないのかね。映画は、なぜエドワード/ガイが過去の自分を演じたいと思ったのか、については描かれてないし。それに、エドワード/ガイはイングリッドに振られたけど、イングリッドがオズワルドとどういう関係なのかも描かれていない。ふたりがラブラブでその後も過ごしたかのような映像がラストにあるけど、なーんか説得力がないんだよな。
さて、話を戻して、次の場面では、誰の部屋なのか知らないけど、オズワルド、イングリッド、包帯巻かれてるエドワード/ガイがただらだら生活していて。イングリッドとオズワルドが親密になるのに怒って(なのか?)、エドワード/ガイは掃除夫みたいな男を刺してしまう…。刺された相手が誰なのか。よく分かんないな。それはさておき、このあたりの話の展開は、なんだかよく分からない。
さて。10年後ぐらい? 再会する3人。イングリッドとオズワルドは親密のまま。エドワード/ガイは、怒りはしないけど何か言いたそうな感じ、で映画は終わる。んだが、話がよくわからなんなあ。
話に一貫性がないんだよな。ハンサムになりたい、という願望があったわけでもない。治療を受けてハンサムになっても、とくに喜んではいない、ように見える。これで人生変わる! てな喜びが見えない。映画では、一瞬で日陰者から売れっ子セールスマンになり、社内の女とやってたりする。この飛躍はなんなんだ? どうやってそうなったんだ? の説得力がない。さらに、イングリッドのオーディションを受けた理由が分からない。むかしの顔が懐かしいのか? 邦題は『顔を捨てた男』でけど、原題は“A Different Man”だから別人ということか。捨てた顔が懐かしいわけでもなさそうだ。イングリッドに対する恋愛感情? それがあるなら、顔がハンサムになった時点でアプローチしてるはず。とか考えていくと、エドワード/ガイがあの芝居にのめり込む理由が分からない。さらに、突如現れるオズワルドはなんなんだ? エドワード/ガイの裏面的な存在? でも、エドワード/ガイがオズワルドに嫉妬する理由もよく分からない。それ以前に、イングリッドがオズワルドに関心を示す理由が分からない。だったらエドワード/ガイに対して恋をしていいはずだ。でも、そうはしていない。イングリッドは、ハンサムになったエドワード/ガイと性的関係を結んでいる。なのに、まるでイングリッドはオズワルドに懐かしさを感じたように入れ込んでいく。もちろん、芝居を成功させたい気持ちが優先しているのかもしれない。でも、それは公私混同ではないか。
たとえば、顔の美醜は関係ない。表面的な醜さは無意味。問題は心。な教訓があるようには見えない。ハンサムになって、エドワード/ガイは不幸になったのか? 基本はなってない。たとえば見にくい顔から脱却できて(邦題は『捨てた…』としてるけど、積極的に捨てたとは思えない展開だよな。ハンサムになってとくに喜んでもないし)、でも、その結果、醜男のときにもっていた他の大切なものを失った、というような教訓にもなってないし。ただ、エドワード/ガイがかつての自分に懐かしさを感じたような行動をし、オズワルドが登場したことで、現在の幸せが揺らいでいる、かのような話の展開になっているだけだ。なんか、強引な気がするんだけどね。
・天井のシミと水漏れは、何かのメタファー?
・イングリッドの部屋の階下のうるといババアは、何かのメタファー?
・オズワルド役のアダム・ピアソンは、ああいう顔面破壊の醜男本人で、役者もやっている人らしい。へー。顔が知られていれば怖がられはしないだろうけど、初めて会う人は衝撃だろうよ。ふだんからあの素顔で日常生活を過ごしているのかね。
49日の真実7/22ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2監督/中前勇児脚本/中前勇児
公式HPのあらすじは「親友優子を自殺で亡くした高橋まどかが取った行動は、生前の優子と関係の深い人と優子の住んでいたシェアハウスで49日にしのぶ会を開くということだった。でも、 まどかにはある一つの思いがあった。集められたメンバーは癖のある人たちばかり。仕事仲間の、松井あきこ、二岡かおり、ルームメイトのサニーとゆり、元カレの横山やすし。まどかは思っていた。優子がなぜ自殺しなければならなかったのか。その原因は何なのか。徐々にシェアハウスには呼ばれたメンバーがやってくる。優子が仲が良かった人達でと、しのぶ会はしめやかに進行していく。そしてまどかは、思い出話とともになぜ優子は自殺をしたのかと、誘導するように話を進めていく。そこに、ピザを配達に来たパンチョが強引にしのぶ会に参加させられる事に、それには呼ばれた理由が・・・。さらにあきこの元カレ博人が現れる。この中に優子を自殺に追い込んだ人がいるのか・・・。なかなか心を開かないメンバー達、どうやって真実を聞き出すか! メンバーの中での心理戦! 開かれていく事実・・・。そこには驚愕の関係が・・・。そして衝撃の事実が…」
Twitterへは「ある女性の死因をめぐり同居人や知人が故人の部屋で探り合う。もう少し脚本が整理され、怒鳴り合う演出を控え目にするとマトモになったかも。伏線もテキトーで、いきなりな展開も多いし、ノートの落ちもありきたり。で、やっぱ表記は「四十九日」だろ。」
allcinemaではサスペンスとなってるけど、サスペンスになりきれてないクライムコメディだろ、これ。
冒頭から京都の東本願寺とか八坂の塔? とかを背景に歩く喪服の若い女(まどか)。と思ったら、京都観光の若い娘たち? こっちは似たような顔なので区別がつかんけど、リーダーっぽい娘(後から思うに死んだ優子)は分かった。
まどかがある家を訪問。出迎えるのが、ゆり(シェアハウスのルームメイトでデリヘル嬢)で、なんだかエラそうに値踏みする。そのうち、優子とまどかの同僚2人(あきこ、かおり)、もうひとりのルームメイトのサニー(髪がピンクなので区別がつく)、優子の幼なじみの青年がやってくる。他に、ピザ配達男。同僚(どういう機能を果たしたのかよく分からない・・・。ノートをもってきたんだっけ? あきこの元カレ博人か? なんか役割がよく分からなかった)。あと優子の義父(ほとんど機能していない)と、警官2人が最後にやってくる。
でまあ、最初の30分過ぎぐらいまでは人物が勢ぞろい、に費やされて。でも、たいした動きも怪しい感じもない。優子が亡くなったらしい、自殺らしい、というのは分かったけど、どういう状態で、なぜ? は深掘りしないので飽きてくる。展開が強引(合理性がない)だなあ。役者の区別がつきにくいなあ。なんかどーでもいいことで怒鳴り合ってるなあ。もっと落ち着いて間のあるセリフにすりゃあいいのに、すぐ大声になる。とか思ってたら少しウトッとしてしまったよ。
女優も男優も区別がつきにくいのは、いわゆる有名俳優がでてないから。ぽっちゃりとかヤセとか眼鏡とか出っ歯とか短髪とか茶髪とかホクロとか出っ歯とか、区別しやすい仕掛けをすりゃあいいのに。いちいち、これは誰だっけ? って考えながらは面倒くさくてたまらんよ。
この時点で「?」は、ピザ屋の配達員が帰れなくなったこと。帰ろうとしたのを止めたのは、まどか だっけ? 優子の死の3日前だか当日だかにもピザの配達を頼んだ形跡があって、当該配達員がもってきたから、とかいう理由だけど、帰るのを制止するには根拠が希薄すぎだろ。展開が強引すぎ。
お、と思ったのは、ピザ屋店員がサニーのセックスフレンドで、優子の死の3日前にきてた、というのが明らかになったときかな。おお、そうか。さのちょっと前に、優子がいるところにサニーが起きてきて「寝てる間に男が帰ったみたい」と言っていた「男」はピザ屋だったのか、と。まあ、これがいちばんこの映画で意外な展開だったかな。
あとはもうダラダラ。その優子とサニーが話をするちょっと前に、「優子が帰宅したところに帰ろうとしたピザ屋がでくわし、ピザ屋が優子を犯す」というのと「犯された直後にデリヘルゆりがやってきて借金のことで優子と話す」というのがあって、一連の流れが3つに分けて見せられるのでよく分からなかったのが、つながっていく、という時制の仕掛けがひとつのキモのようだけど、なるほど、と思う反面で、なんで分割して見せる必要があるんだ? と思ってしまうので、とくに意外な効果はないように思う。
それより気になったのは、初めて出会ったピザ屋にムリやり犯され、衣服も乱れているのにそのままデリヘルゆりとフツーに話をし、そのあとにはサニーともフツーに話していることだな。この描写は異常すぎる。優子って、男に暴行されてもなにも感じない女なのか?
でまあ、なぜかこのピザ屋の行動が明らかになり(まどか、が威力を発揮したんだっけかな?)、誰だったかが(同僚男?)がピザ屋を警察に連れて行く。これで一件落着にはならないだろうと思っていたら、言葉のあやで、知らないはずのことを知っていたように話していたから、と、次に疑惑を向けられたのが同僚の かおり で。さらに、優子の幼なじみの横山が、優子がピザ屋に犯された直後に優子から電話を受け、別れ話を切り出されたとかいうことも分かってくるんだけど、これが本筋にどう関係するのかはよく分からん。ピザ屋に暴行されたから横山に別れ話を告げたの? 
よく分からんけど、優子が宝くじに当たって300万円手に入れた、という話も出てきて。借金のあるデリヘルゆりも疑われたし、サニーも怪しい、みたいな描写もあったけど、結局、金に困った かおり が300万円を盗み、その後、盗んだことを優子に追求されて逆上し、電気コードで絞め殺してから自殺に見せかけた、ということがわかるという、いかにもチープな真相だった。
だいたいバッグに300万円むき出してで持ち帰り、その状態でピザ屋に犯され、バックから札束がはみ出て、それをデリヘルゆりに見られ、それからサニーにも見られたんだっけ。そこに、約束があった かおり がやってきて、他に誰もいない(だっけ?)からって300万円ネコババして帰ってしまう、って、どゆこと? これが優子の死の3日前で、なぜか かおり は優子の死の当日にも訪問し、「盗んだ300万円返して」と問い詰められて逆上して優子を殺害、という流れはなんなんだ? しかも、自殺に見せる工作まで、かなりチャチいやり方だったけど。あんな首つりあるのかよ、な感じだった。それにしても当日、優子は何しに来たんだ?
しかし、いくら金に困ってるからってミエミエの窃盗をして、追求されたからって、いまどきたかだか300万で人を殺すか? 桁が違うだろ。ところで、優子は300万円を結婚資金と言ってたけど、横山との結婚なのか? 3日前、ピザ屋に犯されたあと別れ話を電話したのはなぜ? 犯されたから? よくわかんねえな。
横山もへんな男だよ。最後には相思相愛の関係と分かるのに、最初の頃は、ただの幼なじみ、友達、としか言わない。なぜ恋人、と言わなかったのか。意味不明。
あとは、まどか? が他の連中のブラフに使った優子のノートだけど。実は白紙だったってオチはなんなんだ。葬儀の時にノートを燃やしたと聞いたなら、他の同僚も知ってて不思議ではない。あるいは、誰かがなかを見ようとしたかも知れない。白紙で効果を発揮したのは、ただの偶然だろ。
というわけで、謎解きサスペンスとしては話に緻密さがなく、杜撰すぎて話にまったく引き込まれず。シナリオの検証がされてないからだろう。
・いまどきの若い連中は、横山やすしなんて知らんだろ。ピザ店員の名前がパンチョってのも。パンチョ伊東からなのか? 
・参加メンバーが黒い招待状をもらっていて、その差出人は? なミステリーがあったけど、まどか  の仕業らしい。けど、これも意味不明だな。ほとんど機能していない小道具というか仕掛けだ。
・背後にあの3枚の下手な絵がかかってるんだけど、誰が描いた設定なんだ? 気になるよなあ。額が曲がったままなのも。イライラする。
・まどか、は、来るときビールとおつまみセットを買って持って来ていた。ビールは飲まれていく。けど、だれもおつまみセットに手をつけない。注文したピザもそのままで、最後まで誰も食べない。終盤にあきこ、がコンビニへ買い出しって唐突過ぎ。おつまみセットもピザもあるのに。たんに、あきこ をその場からハケさせたかったから?
・優子の義父の登場は意味不明。・途中の、シナリオ27ページ分の長回しがあったようだけど、ほとんど意味ない。別に盛り上がってるところでもないし。
TATAMI7/23キネカ大森3監督/ガイ・ナティーヴ、ザール・アミール脚本/ガイ・ナティーヴ、エルハム・エルファニ
アメリカ/ジョージア映画。原題は“Tatami”。公式HPのあらすじは「ジョージアの首都トビリシで開催中の女子世界柔道選手権。イラン代表のレイラ・ホセイニと監督のマルヤム・ガンバリは、順調に勝ち進んでいくが、金メダルを目前に、政府から敵対国であるイスラエルとの対戦を避けるため、棄権を命じられる。自分自身と人質に取られた家族にも危険が及ぶ中、怪我を装って政府に服従するか、自由と尊厳のために戦い続けるか、レイラは人生最大の決断を迫られる……。」
Twitterへは「女子世界柔道選手権。勝ち進んでいたイラン代表選手が、次の試合を棄権するよう上層部から指示される。無視して出場をつづけるか、それとも…。板挟みの葛藤と緊張感がものすごい。事実をヒントにしたフィクションらしいけど、こんなことがあるのね。」
モノクロスタンダード。公式HPによると「2019年、日本武道館での世界柔道選手権で実際に起こった事件をベースに映画化」されたそうな。監督のガイ・ナティーヴはイスラエル人。ザール・アミールの方はイラン人で、映画の中でチームの監督役だった女性だと。この2人の共同監督。
日常生活は少しだけ。それも、レイラと亭主の様子ぐらい。あとは、当日の選手権の試合と、代表に決まった面々が壇上で挨拶する場面ぐらい。余分な部分をざっくりなくし、試合と試合の間に起きる、レイラと監督のガンバリのやりとり、ガンバリとイラン上層部との電話でのやりとり、大使館職員の2人への脅しの搾りながら、なかなかの緊張感がつづく。とくにガンバリが板挟み状態で、この決断次第で両親の安否もしれず、自身の将来もどうなるか分からないというせっぱ詰まった状態がつづくので、どうすりゃいいんだ! と見ているこちらまでハラハラしてしまう。もちろん、イランの柔道の上層部、大統領、最高指導者には怒りを感じるけど、もう、それを言っている場合ではない。この状況でどう判断し、決断するか。同時に、緊張のつづく試合がつづいている。このことを、誰も知らない。もちろん途中からWJAの担当者と責任者も感づいて助けようとするけれど、そんな助けはなんの足しにもならないことは自明。さあ、どうするか。家族の命、自分の未来がかかっている。なかなかの緊迫感で引っぱられた。
試合はノックダウン方式で、敗者復活戦はなし、という設定。このことを実況アナが何度もいうのは、ちょっと耳ざわりかな。初戦は、内股で一本勝ち。2回線は支え釣り込み足で勝利。いずれも強敵で優勝候補みたいなのに勝っていく。このあたりかな、ガンバリにイラン柔道協会の上層部から電話が入り、レイラを棄権させろ、と言ってくる。のだけれど、ガンバリは無視してた。のだけど、ガンバリの両親への圧力や、ガンバリ自身も帰国しても未来はないなどいわれてレイラに棄権を要求し始める。レイラは、優勝の可能性もあるのにやめられるか、な態度。3回戦は相手を腕ひしぎ逆十字でギブアップさせる。ガンバリが監督放棄したのは3回戦だったか4回戦だったか。心が揺れながら、レイラは巻き込みだったかで勝利する。このあたりか、レイラは怒りで洗面所のガラスに頭をぶつけ、血を流す。これはドクターが止血してた。
次々と強敵をクリアしていくのはスリリング。ではあるけど、ほとんどが1本勝ちで、現実にはこんな展開はないだろうなあ、とも想ってしまった。
それと、このあたりまで、上層部がなぜレイラに棄権を求めるのか、が分からなかったけど、いつだったか、このまま行ったらイスラエル代表との対戦になる、ということらしいと分かる。イランとイスラエルは仲が悪い。でも、なぜ対戦するのはマズいのか? は、ちょっと分からない。戦ってイランが負けるとメンツに関わる? のかね。にしても、最初に組合せが発表されたとき、それは分かってたことなんじゃないのかな。なので、突然、2回戦ぐらいで上層部がやめさせようとしたのが、よく分からないね。
このあたりか、レイラはガンバリに、監督がむかし韓国での試合で棄権したのも、上から言われてのことなんだろう! と非難する。そういう噂が流れていたのかな。けれどガンバリは否定する。
この頃だったか、大使館職員が大会会場に潜入してくる。他のイラン選手が職員にパスを手渡してたけど、この選手も大使館職員に脅されれば、そうせざるを得ないよなあ。おそるべし、国家的な威圧。で、直接、ガンバリに、棄権させるよう迫るんだったか。
この間、イランではレイラの家に警察だか政府職員だが張り込み、応援している家族に中に突入。でも、一足早く夫と息子は逃げ出して国境を目指していた。これは、レイラとスマホで逐一連絡を取り合っていた。このあたりのサスペンス度もなかなか。しかし、夫と息子が逃げていて、両親は政府関係者に脅されていながら、よくもまあ試合をつづけられるものだ。フィクションだとはいえ、スリリング。
この頃になると、大会主催のWJAの職員も異変を感じ取り、ガンバリに接触するけど、真実は言えない。でも、レイラには個室を用意し、セキュリティがつくんだったかな。で、潜入した大使館職員が、レイラにスマホの映像を見せて、両親が「もう棄権してくれ」と哀願する様子も見せられる。それでも屈しないレイラ。
ガンバリは、5回戦が始まると観客席だか、なんか上の方の階から「やめろ!」と叫び出すんだけど、これはもう、いろいろ脅されてパニクったんだろうな。そんな中レイラは過呼吸になってドクターストップ。その後、額から血が流れて畳が汚れたのを拭き取ったりで時間を稼ぎ、なんとか巴投げで勝ったんだっけか。
で、準々決勝の相手は、大会開催国のジョージアの選手。ガンバリは、一転して試合場近くにやってきて、がんばれ、とか、監督としてのアドバイスを投げかけ始める。レイラは棄権しない。となれば自分も同罪。ならは、レイラの監督でいつづけよう、という諦め半分の決心か。でも、レイラはガンパリを無視する。というなか、レイラは巴投げで負け、だったかな。この試合も、どういう展開にするのかなとハラハラしてみていたけど、まあ、勝ち進んでいくよりは、いいところ終わらせた感じかな。
で、落胆して、他の試合を見ていたら、イスラエルの選手が負けた、という情報が。ならば棄権してもしなくても当たらなかったわけで、いったいこの騒ぎは何だったんだ、という気持ちだろうな。
試合会場を後にしようとするレイラ。追ってくる影。逃げるレイラ。一般向けのゲートから会場に入り、関係者の入口へ。でもガードが阻止する。どうなる。と想ったら、WJAの職員が中に入れてくれて、ひと安心。そうだよな。大使館職員に拘束されイランに連れ帰られたら何されるか分からん。
なかで、こちらも保護してもらうことになったのか、ガンバリと合う。ガンバリは、「韓国での棄権は、指示されたから」と認め、謝るけど、レイラは頑な。だろうなあ。自分のせいでガンバリも国に帰れない立場になってしまった。夫と息子は国境を越えた、という連絡があったけど、両親の様子は分からない。ガンバリの両親もどうなるか分からない。イランの最高指導者の命令を無視し、試合をつづけた結果、色んな人を危険にさらすことになったわけで、その思いは複雑だろうな。
これで終わりかと思ったら、1年後のパリの場面に。レイラはWJA難民チームの一員としてどこかの大会に参加していた。よかったよかった。でも、ガンバリやその両親、レイラの両親はどんなことになったのか。気になるね。
・映画の元ネタになった日本での大会の時、当事者となって脅された選手のそのときの試合結果とか、脅された家族のこととか、いまなにをしているのかとか、めっちゃ気になるね。
・オープニングはバスの車内。選手が乗っている。この場面、ラストも同じなんだけど、つまり、亡命後の様子ってことなのかな。
・冒頭でレイラが練習場で讃え合っていた選手は、イスラエルの選手? ガンバリが嫌な顔で見てたけど。
逆火7/28テアトル新宿監督/内田英治脚本/まなべゆきこ(原案:内田英治)
公式HPのあらすじは「映画監督を夢見る助監督の野島の次の仕事は、貧困のヤングケアラーでありながらも成功したARISAの自伝小説の映画化であった。ところが、周辺で話を聞くうちに彼女に “ある疑惑”が浮かび上がる。この女は、悲劇のヒロインか、それとも犯罪者なのかー?名声を気にする監督、大ごとにしたくないプロデューサーといった撮影を中断したくない面々が、真実を追求する野島に圧力をかけてくる。やがて疑惑の火は、家族をも巻き込み野島の日常が崩れ始める…。」
Twitterへは「ヤングケアラー娘の自伝の映画化が進んでいて、撮影開始まであと1ヵ月。なところで助監が余計な取材を続け(んなことするか?)、疑惑が…。映画は原作や事実とは違うだろ。真実を映画化しようとする、そんな映画屋はおらんだろ。などツッコミどころ満載。」
↑のあらすじは、ちょい内容が違うな。映画もそうだったけど、このあたりも大雑把だな。
思いつきを映画にしちゃってる感じで、いろいろツメが甘すぎる。野島の娘とアリサがアナロジーとして登場させるのも、よくある手法。貧乏とかケアとかDVとか若いホストとかコンカフェとかパパ活とか、タイムリーな要素を詰め込みすぎだし。野島の、紺屋の白袴的な設定も、ありがち。のまま突っ走り、最後はなんだかよく分からん展開になって。映画として収拾つかないまま、なんとなく思わせぶりなラストにしてるだけ、な感じ。
ヤングケアラー女子高生の自伝を映画化する、って、『ビリギャル』を連想しちゃうな。それはさておき、映画化する時点で裏取りしたり調べるのがフツーじゃないの? それが、撮影1か月前になって、もうちょっと調べたいとか、助監の野島って頭おかしいんじゃないか? ヤングケアラーであるアリサの同級生から、いまはコンカフェで働く友人につながり、父親の墓がないとか、実はパパ活してたとか、父親に保険をかけたのは父親本人ではなく母親だった、父親からDV受けてて父親が嫌いで殺したいと思っていた、などが分かってくる。アリサが住んでいたアパートの大家からは、アリサが父親の死を発見した場面の様子が違う、という証言。出版社に行くも担当編集社には会わせてもらえず。どういう伝手かゴーストライターを捜し当てて聞くと、都合よく美談にした、といわれる。
病気の父親の面倒をみていたアリサが、階段から転落したらしい父の死を発見。その後に、娘のためと父親がかけていた保険が2000万円入り、保険会社の作文コンテストで優勝。無事高校を卒業し、起業して、なんか会社を経営している、という筋書きはほとんどウソだと分かって、野島は衝撃を受ける。という設定なんだけど、そんなんで衝撃を受けるかね。映画なんて原作は無視するのが当たり前。そもそも原作の信憑性なんかを気にする輩は、映画人にはいないんじゃねえか? 
野島は、事実と違う。だったら事実に合わせてシナリオを変更するべきだ、とプロデューサーや監督に進言する。もちろん、それはない、と言われるんだけど、考えを曲げることはしない。むしろ疑惑を深め、アリサが父親を階段から蹴落として殺したのではないか、と思い込む。たとえそれが真実だとしても、一介の助監がひとりで何を暴走してるんだよ、だよな。
プロデューサーには、中止もしくは延期すべき、という。監督に向かっても似たようなことをいう。監督が「ヤングケアラーは大きな問題になっている。だから、映画にすることが大事。当事者たちの応援にもなる」というと、「映画を見るのはお金のある層。貧乏人はこんな映画観ない。見たとしたってアニメか娯楽映画。意味があるんですか? こんな映画」という。この場面で、おいおい、野島は最初の方で、ヤングケアラーを描く映画にノリノリで燃えていた、な感じのことを言ってなかったか? それに、プロデューサーには自分の、老老介護をテーマにした企画書を出していて、言い感触を得てよろこんでたじゃん。矛盾してるだろ。
野島が嗅ぎ回っていることにスタッフも気がついて、「この映画、中止になるのか?」と心配顔で言ってくる。そこには映画製作への情熱は少なくて、むしろ医療費や生活費がかかっているんだ、というリアルな現実がにじみ出ている。そういうことを野島は無何も感じないのかね。事実を描かないウソの映画はつくれない、一本槍って、こいつ相当なバカじゃね? いくら元通信社記者からの転進だったとしたって…。
野島はアリサと直接話す機会を増やすんだけど、アリサは素直で。「介護するのにお金が要るからパパ活もした。保険金で高校も行けた。作文コンテストで注目されて、起業もできた」と正直に話す。「野島さんは娘さんのことを心配しているようだけど、私にも野島さんみたいなお父さんがいたらよかったのに…」と、なかなか殊勝なのだ。いい娘じゃないか。と、思えてくるほど。
その野島の娘だけど、こいつがバカ娘としかいいようがないんだな。家に寄りつかずトー横に入り浸り。かと思ったら、コンカフェだかなんかで若い男に貢いでて、なにかといえば野島に「映画だかなんだか夢ばっかり追ってて、こっちにはちっとも金がまわってこない。などと言っていたかと思うと、妻からメールで、娘がAVみたいなのにでてる動画が送られてくる。あの動画、妻はどこから入手したんだろう? 疑問。しかも、それを夫である野島に「見て」って送ってくるか? で、野島と妻はトー横で娘を見つけると、娘のスマホをたたき割り蹴り潰す。
野島の娘が両親を無視し、トー横に入り浸りな理由は、男。男に貢ぐ金が欲しいから、父親の野島に罵声を浴びせる。これもう、ただのバカじゃん。もうずいぶん前からのはずなのに、野島は遅く帰った娘を心配する妻に、「まだ12時をまわってないから…」といったりする。妻も、娘のSNSの裏アカみて、「娘の笑顔はここにしかない」とか言ってる。娘もバカなら、そういうふうに育てたの妻も妻もバカだろ。
とはいえ、いよいよ撮影当日がやってきて。監督やスタッフは新宿三丁目らしい場所からロケバスで撮影に出かける。いっぽうの野島は、以前から接触してきていたネットニュース配信の記者を訪ねる。野島が調べ上げたアスカの真実をつたえるため、なんだろう。ここでFOしたので、終わり、かと思ったら違ってて。1年後、というテロップ。
なんと野島は例の老老介護の企画の衣装合わせをしているところ。ヤングケアラーの時のプロデューサーもやってくる。監督昇進か。でも、野島はヤングケアラーの映画の助監は、やったのか? 降りたのか? 野島がネット記者に流したアスカの真実で、映画はポシャったのか? など疑問ばかりが湧いてくる。と思ったら、テレビでは、ヤングケアラーの映画が外国の映画祭でグランプリかなんか受賞した場面が映り出す。え? どうなってるんだ? プロデューサーも受賞式に出席してないということは、彼女も降りたのか? どっちなんだよ。困惑するだけじゃん。
と思ってたら、冒頭と同じ都会のビルの屋上が映り、女の子がやってくる。そして、飛び降りる。え? アスカか? だって、アスカが父の死を思い出す場面があって、階段の上から転落した父親を無言で見つめている場面があったので、これは突き落とした、という意味か? と思っていたから。でも、投身したのはアスカではなく、髪をピンクに染めた野島の娘だった。は? なんで? 意味わからん。
監督に昇進した野島は、クランクインの前に娘の死を知るのかよ。いや、もしかして、すでに死んだあと、なのか? もやもやするな。いろいろ。アスカはどうなったんだよ。というような、いろんな意味でムチャクチャな話だった。
・アスカが中学生の頃、父親にDV受けてて、さらに父親の介護もしていたとき、母親は何をしていたのだ? ぼーっとしてたのか? 野島が、「本ではお父さんが娘のことを思い、自身に保険をかけていた、となっているが、お母さんがかけたんですよね?」とアスカの母親に問うと、「そうよ。あの人、身体が弱かったから」といわれれば、そりゃあそうだろう。妻が亭主に保険金をかけても、悪いことはない、と思えてくる。で、亭主が死んだ途端、保険金が入る前から金遣いが荒くなった、とアスカは言っていた。まあ、少ない収入から保険金払ってたんだから、少しぐらいいいんじゃね? と思えてくるよな。それに、アスカも母親も、父親(亭主)殺して保険金詐欺、な感じには見えないんだよなあ。そうそう。母親はいま、アスカのマネージャーかなんかしてたんだっけ。なかのいい母娘だな。
ところで「逆火」って、「燃焼現象において、火炎が本来の燃焼方向とは逆に、燃料ガスや酸素ガスの供給源に向かって進む現象です。特に、ガス溶接や溶断作業中に発生しやすく、火口から炎が逆流して吹管内部に入り込むことを指」すらしい。なるほど。世のため人のためになることをしているつもりで、自分の娘の問題も解決できない野島のことか。
私たちが光と想うすべて7/29ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/パヤル・カパーリヤー脚本/パヤル・カパーリヤー
フランス/インド/オランダ/ルクセンブルク映画。原題は“All We Imagine as Light”。公式HPのあらすじは「インドのムンバイで看護師をしているプラバと、年下の同僚のアヌ。二人はルームメイトとして一緒に暮らしているが、職場と自宅を往復するだけの真面目なプラバと、何事も楽しみたい陽気なアヌの間には少し心の距離があった。プラバは親が決めた相手と結婚したが、ドイツで仕事を見つけた夫から、もうずっと音沙汰がない。アヌには密かに付き合うイスラム教徒の恋人がいるが、お見合い結婚させようとする親に知られたら大反対されることはわかっていた。そんな中、病院の食堂に勤めるパルヴァティが、高層ビル建築のために立ち退きを迫られ、故郷の海辺の村へ帰ることになる。揺れる想いを抱えたプラバとアヌは、一人で生きていくというパルヴァティを村まで見送る旅に出る。神秘的な森や洞窟のある別世界のような村で、二人はそれぞれの人生を変えようと決意させる、ある出来事に遭遇する…」
Twitterへは「カンヌのグランプリらしい。インドの女性監督が女性たちを主人公にフランス、インド、オランダ、ルクセンブルクからの資本でフランス映画によくある、だからどうした映画を社会問題からめてジャズピアノ伴奏に撮ると評価されるのかね。」
第77回カンヌ国際映画祭グランプリらしいが゛、どこがどう評価されたのかよく分からん。女性監督がフツーの女性たちを主人公にして、歌も踊りもない映画をつくったから? ヒンドゥー女性とムスリム男の恋をとりあげたから? なんとなく、ワケありな感じの映画だから? 資本を見るとフランス/インド/オランダ/ルクセンブルクで、こりゃもうフランス映画だろ。話もフランス映画っぽいや。
冒頭からしばらく、誰が何やらよく分からない。女性が何人か出てくるけど、区別もつかんし。医者の処方したクスリを飲まない患者、飲ませようとするのは女性医師か? 受付のチャラい女…。そのチャラい女がシスターあるいはお姉さんと呼ぶ女性。なんなんだ?
女性はプラバといい、看護師らしい。チャラい女はアヌで、同居する姉妹だと思っていたんだけど、途中でどうも違うらしいと思えてくる。想像で整理すると、プラバは熟練看護師で、アヌは看護師初心者? あるいは受付担当、なのか。2人はシェアハウスしているのか同居していて、アヌは年上のプラバをお義姉さん、と呼んでいる、でいいのかな。ほかに、病院の同僚だけど何をしているのかよく分からない(↑のあらすじによると食堂勤務?)オバサンのパルヴァティがいて、いま住んでいる部屋を追い出されるとかで、プラバに相談したりしている。パルヴァティがプラバに言うには、アヌはムスリムの男とつき合っているらしい、というのが基本設定なのかな。しかし、ここまで分かるのに結構、時間がかかったぞ。
アヌは金欠だから部屋代を待ってくれ、とプラバに言う。ムスリム男と遊んでばかりで、給料だけではやっていけない、らしい。だらしねえな。パルヴァティはビル建築反対の集いに顔を出したりするけど、結局、部屋をでて田舎にある家に引っ越すことにする。引っ越す(といっても荷物もほとんどなかったけど)とき、なぜかプラバとアヌも、なぜかついていくのは興味本位か閑なのか。
パルヴァティの田舎は海岸沿いのリゾート地で、家も古くなんて、そのまま住めるというのが変な感じ。パルヴァティに、家族がいるようにも見えないんだけど。で、その日のうちにプラバとアヌは「帰る」というんだけど、パルヴァティに「列車はもう明日しかないよ」といわれ、宿泊することに。なんだけど途中でアヌが抜けだし、いなくなる。プラバが家の近所の山林を歩いていると、アヌはムスリムの男をここに呼んでいて、なんと乳くり出す。インド映画には珍しいセックスシーンだけど、そこそこに絡んでるので興味深かった。
これが当日の夜なのか翌日のことなのか、このあたりから分からなくなるんだよね。パルヴァティはもう登場しなくなっちゃうし。で、海岸で騒ぎが。溺れたのか、男が倒れていて息がない。プラバは男に人工呼吸をして、なんとか蘇生させ、村医のところにつれていく。村医は登場しなくて、なぜか分からんけど世話焼きババアみたいのがいて、プラバを男の家族と思い込み、そばにいてやれ、なんて言いはじめる。それに従うプラバだけど、気がついた男は記憶喪失状態なのか、プラバを見て「お前は私の妻なのか?」なんて言いはじめる。このあたり、ちょっと幻想的なんだけど、人間をオフして空だか海だかをうつした画面に、「もうやめて。2度と会いたくない」という声は、プラバのものなのか。意味不明。と思ったら夜の海岸にたっているプラバ。その横にアヌがやってきて、肩に砂がついているよ、というんだけど、記憶喪失男を助けたときのもの? でも、肩に砂がつきそうな感じはなかったよなあ。もしかして「もうやめて。2度と会いたくない」のとき、プラバは記憶喪失の男をドイツで働いている夫と重ね合わせ、まぐわったりしたのか? と、想像してしまったよ。
その後、夜でもライトがついている海辺のカフェでプラバ、アヌ、ムスリムの男、あとパルヴァティとだっけ? (記憶喪失の男ではないよな) ひとつのテーブルを囲んで談笑する場面で終わる。この場面とエンディングにかけては、陽気な、未来を夢見るようなロック調の音楽がかかる。まるで、アヌとムスリムの男とのあいだに、宗教の壁を超えて豊かな未来が開けているよ、とでもいうように。
・予告編でもあったけれど、ドイツの工場で働く夫からプラバのところに、炊飯器が送り届けられる。アヌが寝た後、プラバはその炊飯器をいとおしいく抱きしめるのだけれど、それほど旦那が恋しいのか? 結婚も、家から呼ばれて帰省すると相手がいて、そのまま一緒になった、というようなことらしいし、結婚後すぐに亭主はドイツに働きにでたらしいんだが。このあたりの結婚事情、出稼ぎ事情については、よく分からない。プラバは亭主を想っているのだろうか? それと、この炊飯器がもっと活躍して、何かの鍵になるのかなとおもったらそんなことはなく、2度目に登場したときは、忘れ去られていた感じで棚の下の方に押し込まれているのだ。なんだよ。
・そんなプラバにモーションをかけてくる医師がいる。ヒンドゥー語が不得手で患者とよく話せないと悩みつつ、結局、今の病院をやめて移るつもりらしいんだけど。その彼が、「僕が書いた詩だ」といってノートを渡すんだよ。それも、ズボンの下に履いているステテコみたいなののポケットから取り出すんだけど、うげ、だよなあ。しかし、亭主持ちって分かっていながらプラバに接近するって、キモくないか?
・プラバは同居しているアヌからお姉さん、と呼ばれている。それは、年上だから、なんだろう。それはいい。他の、病院の同僚からシスターと呼ばれているのは、どゆこと? キリスト教でいうところのシスターではないはずだから、首をひねっちゃうよ。親しみを込めてそう呼ばれてるのか?
・この映画、やたら雨振りの場面が多い。ムンバイは雨が多いのか? 夜の場面も多い。ノワールか? そして、とくに前半には、ジャズピアノが背景で鳴ることが多かった。インド映画特有の集団的踊って歌っての場面はないけど。まあ、ヨーロッパ資本が入っていて、ヨーロッパに憧れてる(?)みたいな女性監督が、独自の感覚で撮ると、そうなるのかね。

 
 

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