入国審査 | 8/4 | シネ・リーブル池袋シアター2 | 監督/アレハンドロ・ロハス、フアン・セバスティアン・バスケス | 脚本/アレハンドロ・ロハス、フアン・セバスティアン・バスケス |
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原題は“Upon Entry”。公式HPのあらすじは「移住のために、バルセロナからNYへと降り立った、ディエゴとエレナ。エレナがグリーンカードの抽選で移民ビザに当選、事実婚のパートナーであるディエゴと共に、憧れの新天地で幸せな暮らしを夢見ていた。ところが入国審査で状況は一転。パスポートを確認した職員になぜか別室へと連れて行かれる。「入国の目的は?」密室ではじまる問答無用の尋問。やがて、ある質問をきっかけにエレナはディエゴに疑念を抱き始める…」 Twitterへは「別室に連れて行かれたカップルの行く末は…。なるほどそういう展開か。憤りを感じる話かと思ったら、そうでもなくて、むしろ笑っちゃうところもちらほら。私は入国審査の経験はないので用語や設定で「?」もあったけど…。ラストも面白い。」 見る前から面白そう、と期待して見た映画なんだけど、話の展開は予想したのとは違っていた。思っていたのは、主人公たちが理不尽なことをされ、見ているこちらも「そうだそうだ!」と憤るような感じなのかな、だった。ところが、話はずっこける。「監督の実体験から生まれた〈予測不能〉な深層心理サスペンス」というキャッチがついてるけど、ちがうだろ。たんにずる賢い男が女を騙して移民を企んでいた、ということがバレる話だった。憤るどころか、何だこいつ、な感じで男の方を見てしまう。そして、実際的に男に騙されていた女の方が気の毒になるし、最後には、この2人、これからどうなるんだ? という思いにさせられるからだ。この、ラストのキレの良さは、途中の、いささかダラダラな雰囲気を一刀両断するようなキレの良さで、ウィットが効いている。 空港の入国審査で、カップルが別室に連れて行かれる。男はベネズエラ人で、スペインで暮らしている。女はスペイン人。理由は分からない。しつこく聞かれるのは、どうやら大使館で(?)聞かれたことと同じようなことらしく、入国目的だとか日常的なこととか、さらには週に何回セックスをしているか、なんてことまで聞かれる。尋問するのはヒスパニックの女性で、あとからもう一人男性が加わる。根掘り葉掘り、重箱の隅をつつくような話を聞いてくる。女性の方は最初、憤るけれど、反論してもムダ、が分かってくると、大人しく従うようになる。そして、次第に質問は男性に集中するようになり、過去につき合った女性がどうの、てな話になってきて…。 分かってくるのは、どうやら男の方にはしばらく前に婚約した女性がいて、しかも10歳ぐらい年上らしいことが分かる。その女性は、米国のどこに住んでるんだったか、ネットで知り合って。それで、一度も会わずに婚約した、ということが分かってくる。しかも、この年上女性とネット上でつき合っていた頃に、現在のパートナーとスペインで出会って、同棲。男が女にグリーンカードの抽選に応募することを勧め(事実婚のカップル、として応募したのか? そこらへん、よく分からず)、二股をかけることになった。それで運よく当選したので2人で米国に移民し、マイアミで暮らそう、ということになった、らしい。このどこかの時点で、婚約していた相手とは別れた、らしい。 つまり、男はなんとか米国に移住したがった。そのために、米国人と結婚して永住権を取得する必要があった。けれど、たまたま、なのか意図的になのか、スペイン女性と気があって同棲し、グリーンカードに応募させたら当選してしまった。会ったこともない年上の女性と結婚する必要はなくなった。だから、現在のパートナーと移住することにした。ということが、じりじりと暴かれていき、男はしどろもどろ。否定もできず、その通り、と事実を認めていく様はコメディにも見える。女の方はいい面の皮で、自分のことを好きでつき合ったわけではなく、グリーンカード目当てだったのか、と疑いの目になる。もし、彼女がグリーンカードに当選しなかったら、年上のアメリカ人女性と結婚して移住していた可能性が高いわけで、自分は捨てられていたかもしれない…。 そういうことが、薄皮を剥ぐように審査官によって暴かれていく映画だ。 2人は乗り継ぎでマイアミに行く予定だったけど、審査が伸びて飛行機には乗り損ね、審査後も待合室で待たされる。このときの様子が面白い。もう、女は男の横には座らない。罵ることはしないけど、明らかに嫌悪の目で見ている。男は何も言えず、のまま。そりゃそうだろう。 で、長々と待たされた揚げ句、2人はカウンターに呼ばれる。係員は2人のパスポートに入国OKのスタンプを押し「アメリカへようこそ」と、歓迎の言葉をかける。うひゃー。どうなるかと思ったら、こういうけつまつかよ。いままでの、因縁付けるみたいな質問攻めはなんだったんだよ! 不良移民を阻止するためではなかったのか。たんなる意地悪だったのか。それにしても呆気なふたり。その顔で映画は終わる。2人の行く末はどうなるのかね。というか、こんなんじゃ、女はもう男と一緒に生活するなんて、できないよな。あたりまえだ。 ・2人は事実婚らしいけど、その証明は文書でできるんだろうか? ・並んでいた別の客に借りたペンは、返せなかったんだよな。気になってるんだけど。 | ||||
カーテンコールの灯 | 8/5 | ル・シネマ 渋谷宮下9F | 監督/ケリー・オサリヴァン、アレックス・トンプソン | 脚本/ケリー・オサリヴァン、アレックス・トンプソン |
原題は“Ghostlight”。Grokに聞いたら「舞台が使用されていないときに安全や伝統のために点灯される単一の電灯」あるいは「幽霊や神秘的な存在に関連する光を象徴的に表現することもあります」で「映画『Ghostlight』(2024年)は、家族の喪失や癒しをテーマにした作品で、タイトルは感情的な「光」や希望を暗示しています。」ですと。公式HPのあらすじは「アメリカの郊外。建設作業員のダンは家族に起きた悲劇から立ち直れずに、仲が良かった妻や思春期の娘とすれ違いの日々を送っていた。ある日、見知らぬ女性に声をかけられ、強引にアマチュア劇団の「ロミオとジュリエット」に参加することに。経験もなく、最初は乗り気でなかったダンも、個性豊かな団員と過ごすうちに居場所を見出していく。やがて突然の変更でロミオ役に大抜擢されるが、自身のつらい経験が重なって次第に演じることができなくなり・・・本番当日、家族や仲間の想いが詰まった舞台の幕がついに開く。」 Twitterへは「痛みを体験した家族の再生の話なんだけど、50過ぎのおっさんが突然、素人芝居にハマって。それで癒されるとは思えないけどな。寛容になるのは父ちゃんだけで、母ちゃんはまだもやもやしてるはず。気になるのは、相手の女の子のことだよなあ。」 なんかいまいち記憶に刻まれない話だったな。見終えて6日目だけど、オッサンが素人芝居に参加する話で、娘が跳ねっ返り、ぐらいしか憶えてなかった。息子が自殺していたことはすっかり忘れてた。ネタバレサイトを見て、ああ、そうだった、と思い出したよ。そうだそうだ。そうだった。 っていうのも、息子のことは最初のうちはほとんど触れず、なんか変な家族だなあ、と思わせつつ、すこしずつ小出しで知らせるような感じだったからだ。後半になって分かったのは、息子が恋人(黒人みたいな感じだった)と睡眠薬を飲んで自殺を図り、彼女は助かったけれど息子は死んでしまった、という過去があったことが分かるのだった。そういう過去があるのに、父親ダンは「ロミオとジュリエット」のロミオを演じるハメになるという皮肉。最初は、こんな状況でロミオが自殺するなんてあり得ない、と芝居自体に受け入れることができなかったけれど、最後は見事に演じきる。さらに、蘇生した彼女の家族との簡易的な裁判のようなこともあり、どうやら薬物の出所である彼女の母親を訴えていた、という話もあったりして、重層的にはなっている。のだけれど、いろいろ隔靴掻痒な描き方が多くて、スパッとしてないんだよな。 調べたら「証言採録」だそーで、Grokに聞いたら「アメリカの民事訴訟手続きにおける一環で、裁判の前に原告や被告、関係者の証言をビデオや書面で記録するプロセス」だそーな。 この映画、表面は、よくわからんが落ち込んでるオッサンが素人芝居に参加するという、ほのぼの話に見えて、裏面ではその原因である息子の自殺話の二重構造になっている。表面の話はありきたり。むしろ、裏面の話の方が奥行きがあるのに、あまり具体的に描かれない。それがもったいない。 Grokによると「ダン(主人公)の息子ブライアンが恋人クリスティーンと心中を図り、ブライアンが死亡、クリスティーンが生き残った事件をめぐり、ダンの家族(ミュラー家)はクリスティーンの母親を「処方薬の管理不行き届き」で訴えています。」らしいことは分かったけど、詳しくは分からなかった。経緯は、クリスティーン一家が引っ越すと分かり、ブライアンは自分もついていきたいと思った。けれど父親のダンが携帯やクルマのキーを取り上げた。それで絶望し、心中を決意。クリスティーンが母親の睡眠薬をもってきて、ブライアントともに、ブライアンの家の庭にあるトランポリンの上で決行。朝、ダンが窓からその様子を発見し、救命処置をとったけどブライアンは死んでしまった、ということらしい。 しかし、それで相手方の母親の「処方薬の管理不行き届き」で訴えるってのもなあ。心中だから責任は2人に同等にあると思うし、心中するに至ったのはダンがブライアンの自由を奪ったからだろ。どっちもどっちじゃないのか? そもそも、ハイティーン同士らしいけど、会えなくなったから死のう、という発想があまりにも幼すぎ。死ぬ前に出来ることがいくらでもあるだろ。そんなに離れたくない理由は、情熱の恋、ですか。「ロミオとジュリエット」のように。でも、説得力がないなあ。で、訴えて、相手家族から慰謝料をもらおうというのか? そもそも生き残ったクリスティーンこそ、心の痛みを感じつつ生きているはず。ダンが息子の自由を奪ったからの結末かもしれない。ダンに自責の念はないのか? 他者に責任をおっかぶせる? 心中なんて男がリードしてのことかもしれないじゃないか。クリスティーナだって被害者かもしれないだろ。そういうことに斟酌なしに訴訟にするというのは、アメリカだなあ、と思ってしまう。 とはいえ、「ロミオとジュリエット」のロミオの行為=自殺に拒否感を感じていたダンだったけれど、最後はシェークスピアの意図(?)を汲み取ったのか、証言採録の場でクリスティーンに「君は悪くない」と言い、おそらく訴訟を終わらせてしまう。これに「え?」って驚くのは、妻と娘で、この2人はクリスティーンとその母親の姓で息子(兄)が死んだんだ、ってずっと思いつづけるのだろうなあ。2人はダンの言葉になっとくしてる風ではなかったし。 という、こっちの訴訟話の方が、現代アメリカの訴訟事情を見せていて、興味深かった。 というわけで、ダンが「ロミオとジュリエット」でロミオを演じるのは、自殺した息子の心情を理解し、クリスティーンに理解を示す手段として持ってきたような感じだ。素人演劇を主催してるのは、元プロの俳優らしいアジア系のおばちゃんで、彼女だけはキャラが立っていたけど、他の面々は、ただいるだけ、な感じでもったいない。ダンがロミオに理解を示す、というのも、はっきりと描かれているわけでもないので、もう少し、そこを突っ込んで具体的に描くと、なるほど感がでたのかもな。 にしても、なんにでも反対して学校でも奔放すぎる娘の存在はなんなんだ? ただのヤンキーにしか見えないぞ。とくに、おそらくナイーブだったのだろう死んだ兄が映像としては登場しないので、どういう兄妹だったんだと思ってしまう。 | ||||
MELT メルト | 8/8 | 新宿武蔵野館2 | 監督/フィーラ・バーテンス | 脚本/フィーラ・バーテンス、マールテン・ロイクス |
ベルギー/オランダ映画。原題は“Het smelt”。オランダ語で“溶ける”という意味らしい。公式HPのあらすじは「ブリュッセルでカメラマン助手の仕事をしているエヴァは、恋人も親しい友人もなく、両親とは長らく絶縁している孤独な女性。そんなエヴァのもとに一通のメッセージが届く。幼少期に不慮の死を遂げた少年ヤンの追悼イベントが催されるというのだ。そのメッセージによって13歳の時に負ったトラウマを呼び覚まされたエヴァは、謎めいた大きな氷の塊を車に積み、故郷の田舎の村へと向かう。それは自らを苦しめてきた過去と対峙し、すべてを終わらせるための復讐計画の始まりだった」 Twitterへは「そういうことが起きる話、は知ってたけど、前半から茫洋としてしまりがなく、だらだらな展開。でまあ、やっぱりそうなるんだけど、いろいろ「?」も多い。登場人物も中途半端なキャラづけが多くて、スッキリしない。で、ラストは何でそれが復讐なの?」 現在の時制と、13歳のときの時制が平行して交互に進行する。のはいいんだが、人物関係が分かりづらい。エヴァとヤセ男とデブ男の3人は仲好し三人組。は、分かるのだが、最初のプールの場面で父親らしいのが「兄貴が死んだところでよく遊べるな」とかいう。この場面には、さらに、でていくらしい母親がいたりする。肝心な情報なのに、こういう断片的な描写しかしない。で、エヴァ優しい太ったオバサンがいるんだけど、これがデブ男の母親、と確定できるまで結構かかった。途中まではヤセ男とデブ男は兄弟? と思ってたし。 現在の時制の最初の方は、なんのことやら分からない。エヴァは写真家のアシスタントをしているようで、写真家はエヴァを誘うけど断られるか、食事をしててもさっさと帰ってしまったりする。女友達もいるようだけど、何かでプレゼントしたら要らない、と言われてエヴァは落ち込んだりする。で、その後に写真家も女友達も一切登場しない。いったいどういう意味があるのだ? と思ったんだけど、↑のあらすじによると「恋人も親しい友人もなく、両親とは長らく絶縁している孤独な女性」とあるけど、それを表現してるつもりだったのか? でも、映像からはそんなことは感じられなかったぞ。恋人がいないのも友達がいないのも、自分の責任だろ。両親との絶縁も説明されてなかったし。後半で、妹と電話していたから、姉妹の交流はあるようだけど。 分からないのが、3人が少女相手に頓智問題を出して、回答ごとに解けなかったら服を一枚ずつ脱いでいくというゲーム? ありゃなんなんだ? 少女たちのメリットは、どこにあるのだ? 解いたらお金がもらえる? にしても、あんな少女たちに不利なゲームにホイホイひっかかるのは、アホだろ。ところで、最初の女の子2人の片割れは小太り眼鏡で、回答に関係なく脱ぎたがりだったけど、彼女はダウン症なのか? 相方が、脱がせ役に連れてきてたみたいだな。2番目に登場した2人の片割れ、の着てるTシャツの柄にボカシがあったのは何なんだろう? 中学生がヤバい絵柄か文字のTシャツを着てた? それも、日本では不可なもの? あれは何だったんだろう。で、3組目の女の子(馬が死んでしまった娘)には、エヴァはあらかじめ答を教えてしまう。女の子たちがいつも答が解けず、気の毒に思ってたんだろう。女の子の馬に毒花を食べさせてしまっていたので、申し訳なさもあったのかも知れない。でも、女の子は何回か間違った答を言い、ブラジャーはとってしまう。堂々と。で、次に正解をいい、金をせしめる。と、怒ったのがヤセ男で、「お前、教えたんだろう!」とエヴァを攻める。で、女の子に「お前の馬を殺したのはエヴァだぞ」と話してしまう。すると女の子はヤセ男を焚きつけ、「エヴァとやったら私とやらしてやるよ」という。これに応え、デブ男がエヴァを犯す。 という、まあ、親友だった少年にエヴァが犯されたというトラウマがあった、というのがこの話の核心のようだ。けれど、あのときヤセ男はデブ男のあとにエヴァを犯したのか? は一切描かれていない。また、ヤセ男とデブ男が女の子とやったのかどうかも分からない。ので、もやもやが残るんだよね。 ところで、馬の女の子は別の場所から村に遊びに来ていたらしく、村の中を馬に乗って闊歩する変なやつ。馬に興味をもったエヴァは彼女に接近。13歳のエヴァよりいくつか年上らしいが、自分の着ていたオーバーオールをエヴァにくれたり、態度はでかいけど気前がいい。で、エヴァは興味本位と馬に優しくしようとしたのか、近くの草を食べさせてしまうのだが、馬には毒だったようで呆気なく死んでしまう。のだけれど、そのことは彼女には言わずにいた。罪悪感があるのかと思いきや、仲好し三人組で、今までヤバかったことを告白しよう、というとき、馬を殺したのは自分、と軽々しくしゃべってしまった。それでヤセ男が馬の女の子にそのことを話しちゃうんだけどね。 しかし、このゲームと、2人がエヴァを犯してしまうくだりは強引だなあ、という感じ。 でまあ、そういう過去があっての現在、エヴァのところに「少年ヤンの追悼イベント」の連絡が来るって、どういうこと? 田舎とは縁を切ったわけではないのか? そういえばイベント会場に入ったら黒人の娘が話しかけてきて、いまどこで何してるの? なんて聞いてきた。顔もすぐわっかったようで、ながく会わなかった感じではない。というか、事件があった後、エヴァはいつもでこの村にいて、いつでていったのか? 両親とはどうだったのか? あたりは一切描かれない。ので、誰がエヴァに追悼イベントがあることを連絡したんだ? と疑問符だらけなんだよね。 で、エヴァはクルマに氷をのせて村までやってくる。どこで買ったのか知らないけど、とくに冷凍庫にもいれず、長方形の氷サイズの箱に入れたまま。何時間かかるのか知らんが、溶けない。で、村について肉屋に寄ると、デブ男の母親がいて、でも、エヴァとは気づかない。横にいるのは現在のデブ男。こっちが、もしかしてエヴァ? と、やっと気付き、ハムみたいなのを買うんだけど、これはエヴァのブラフみたいなものなのか。 それにしても、たぶん20年ぐらい前に死んでしまった少年ヤン(ヤセ男の兄なのか?)の追悼会なんて、フツー開くものか? 何かの店のオープンとか、も、言ってたかな。ヤセ男が開店? で、会場は賑わっていて、エヴァも挨拶をするんだけど、そこで、かつて3人組でやっていたゲームのことを話し出す。 あのときの頓智問題は、大人に教わった問題で。男が部屋でをつっていた。足元には台はなく、したに水がたまっていた。なぜだろう? というもの。初歩的なミスとリーのトリックで、だれでも解けるような問題だ。けれど、田舎の少女たちには難しかったからなのかな。 それはさておき、エヴァがその問題にも触れようとしたとき、慌てたヤセ男とデブ男、そして、デブ男の母親(彼女は息子がエヴァを犯したことを察知し、でも、とくにエヴァに黙っているようにもいわず、帰って風呂に入れ、といったぐらい)があわてて。ヤセ男がエヴァを台から引きずり下ろすんだったかな。 のあと、エヴァはクルマから氷の入った箱を引きずり出し、会場の裏の方(?)に行って氷をだし、どうやったのか縄を上から吊り下げ、首をくくろうとする、というところで映画は終わる。は? これがエヴァの復讐? なんかよく分からんな。なぜ自分が死ぬことが復讐になるんだ? そもそもエヴァは2人犯されたことを母親には言ってないのか…。なぜなんだろう。その後も、心に傷を負ったにせよ、成長しブリュッセルに? もしかして、トラウマでコミュ障になって、それで孤独になった? てなことも、とくに描かれてはいない。 いっぽうで、エヴァは知り合いの飼っている馬を意図的ではないにせよ殺してしまっている。この罪悪感については、彼女はどのように思っているのだろう? あえてこのエピソードを入れているからには、意味があると思うんだが、よく分からない。 などなど、いまいちスッキリしないどころか「?」の多い話だった。 ・題名の「メルト」は、氷が溶ける、から来ているんだろうけど、それは、あのゲームのことを指しているという理解でいいのかね。 | ||||
「桐島です」 | 8/12 | 新宿武蔵野館3 | 監督/高橋伴明 | 脚本/梶原阿貴、高橋伴明 |
公式HPのあらすじは「1970年代、高度経済成長の裏で社会不安が渦巻く日本。大学生の桐島聡は反日武装戦線の活動に共鳴し、組織と行動を共にする。しかし、一連の連続企業爆破事件で犠牲者を出したことで、深い葛藤に苛まれる。組織は警察当局の捜査によって、壊滅状態に。指名手配された桐島は偽名を使い逃亡、やがて工務店での住み込みの職を得る。ようやく手にした静かな生活の中で、ライブハウスで知り合った歌手キーナの歌「時代おくれ」に心を動かされ、相思相愛となるが…。」 Twitterへは「歯磨き、銭湯、インスタントコーヒー、階段の上り下り、仕事。淡々とした繰り返しの前半はカメラもほとんど動かない。後半に少しだけ人間的になるけどね。なんか、陰気。9.9に、というところでは、またまたジョイフル三ノ輪商店街がつかわれてた。」 まずは、三菱爆破のニュースフィルム。生々しい。そこからの反日武装戦線の会合だけど、大道寺や宇賀神ら3人が喫茶店で犯行声明の検討をしてる。これがフツーの喫茶店で行われている。あんな話を喫茶店でするのか? で、三菱で死人が出たことの反省と、これからの活動方針が決まっていく。狼とか大地の牙は、内部のグループ名だったのか…。で、新たに、さそりがつくられる。このあたり、意図的なんだろうけど、ドキュメンタリータッチをひきずってて、たどたどしい演出で淡々とした映像なんだよね。退屈だった。むしろむかしの社会派映画みたいに冒頭はナレーションで説明しつつ話が展開するようにしたらいいのにと思った。その方が絶対に分かりやすいはず。東アジア反日武装戦線の組織も分かりにくいし。そもそもあの頃のことを知っている人は多くないのだから。大道寺とか字幕でてたと思うけど、分からんだろ。 桐島も、いつのまにか登場していた感じで、次の標的に向け爆弾をつくったりするんだけど、とくにフィーチャーされるわけでもなく、地味。 ところで、工事現場に潜入し、暴力行為を撮っていたのは、ありゃ目的は何なんだ? 抑圧者をリストアップ? さらに、どっかの労働争議に潜入している場面。あれは煽動する目的だったのか? でも、まぎれてる私服がどうのでトンズラこいてたけど。あのあたり、説明がないと分からんだろ。 ・腹腹時計見ながら爆弾をつくる桐島。 ・鹿島建設の爆破では、花岡事件の加担者だから許せないとかいってたな。 ・そして、間組の爆破 あんなにすごかったのか? を夜な夜な見て、起きる毎日 なんていうのが日常になっていくんだけど、桐島は新グループの さそり の一員だったのか。ってのは、後から知ったことで、見たときはよく分からなかった。で、さそりのリーダーは宇賀神なのか。こういうのも、当時を知らない人にはちんぷんかんぷんだろうな。 相変わらず宇賀神や桐島は地味に淡々としていて、こいつらが爆破犯人なのか? な感じがする。桐島は無表情で、爆破被害者に対する罪悪感は微塵も感じてないように見える。爆破テロを重ねても達成感もなさそうだし、なんか無味乾燥な男だなあと見えてくる。そういや桐島と宇賀神が居酒屋でヤバイことを話してたりするけど、いいのか、あんなところであんな話。 てなところで大道寺等が逮捕されて。自分たちも危ないからと、9.9の再会を約束し、宇賀神は去って行く。別れの場面はジョイフル三ノ輪で撮ってたぞ。この頃の、バイト代が明日出るけど、明日には官憲の手が伸びてるかもしれないからと諦めるところとか、靴を履いたまま部屋で寝ているとか、は、なかなかリアルに面白かった。 このあたりまでのたどたどしい演出、静的な画像。淡々とした描写はいささか退屈。もうちょい躍動感があってもいいんじゃなかろうかとも思ったけどね。後半になって、少し動きとか、桐島の感情が出てはくるんだけど。まあ、意図的なんだろうけど、面白味のないつくりだな、と思って見てた。 で、桐島は逃亡するんだけど、どこをどう逃げたのかはさっぱり分からない。ながれながれて、小林工務店の募集を見ていきなり入って行ったら即刻採用。ほかに応募者はいないから、らしいけど、履歴書も関係なく、住民票や戸籍、身元保証人も関係なく採用し、しかも、住むところも近くのアパートをあてがってくれる。こんのところがあるのか。しかし、逃亡生活を始めてからどれぐらいの時間が経っているのか。その間はどうやって寝食を? と、疑問が湧くよね。結構、汚らしい風体だったんじゃないのかな。それにしても、ラッキーだなあ。 で、工務店で働き出し、いつのまにか基礎的なことは覚えてしまったらしい桐島。トンマなミスとか、叱られてるところは映像化してないのがつまらないな。私生活は、間組の爆破の、あんなにすごかったのか? を夜な夜な見て、起きる毎日。歯磨き、インスタントコーヒー。銭湯。自室へのアパートの階段の上がり降り。…の繰り返し。かと思ったら同僚に変なのがいて仕事もせずにトラック暴走して逮捕されたのがいて。どうやら覚醒剤やってたらしい。 アパートの隣人にも変なのがいて、ドアの鍵が上手く行かないのを調整してやって、いきなり「これ、やるよ」と腕時計をもらったりして。隣人とは風呂屋(番台の婆さんが白川和子だった)でも一緒になり(貼ってあった指名手配犯の写真と桐島を見くらべていたけど、感づいていたかもしれない、というほのめかし?)、口をきくようになって。田舎から送られてきたからとクサヤをもらって焼いてたら警察が来る騒ぎになるという…。これ、実話らしい。さらにしばらくして隣人は警察に連行されてしまう。どうやら本業がコソ泥で、くれた腕時計も盗品だった模様。にしても、覚醒剤男といい隣人といい、警察沙汰が多い環境にいながら、よくも見つけられずに済んだよなあ。 小林工務店で学んだからか、アパートの階段のガタツキを修理したり、律儀なところもある桐島。フツーに溶け込んで暮らしていたのだなあ。 以後、ところどころに仲間の情報が。ハイジャック事件で大道寺ら超法規的に釈放されたとか。9.9に宇賀神神社に行こうとしたら改札に警察がいたのでひと駅戻って、自転車で神社へいくも、すでに宇賀神はいなかったとか。 行きつけのバーもあって、そこで歌手をしている娘と知り合い、出身が岡山だったからか、「桃太郎のそばに住んでました」の冗談をてらいもなく淡々という洒落っ気も。一緒にボーリング大会に参加したり、娘の歌う河島英五の「時代おくれ」の「目立たぬように、はしゃがぬように」の歌詞が心に滲みるような場面があったり。で、娘に告白されるけど、「そういうのはムリ」と断る哀しさ。まあ、戸籍が絡むから結婚は無理だろうけどね。 時は過ぎて、60過ぎてなのか。大道寺が死んだことを知り、彼の歌集を買い求めたらなかに宇賀神のもあって、出所していることを知る。それである日の9.9に神社に行くが会えず。でも、太鼓橋ではすれ違っていた、というのはフィクションだろうな。 小林工務店がどこにあったのか分からなかったけど、桐島が告白したのは鎌倉の病院で、神社は藤沢なんだそうな。あの小林工務店では30年ぐらい勤めたのか。死ぬ前に実家らしいところに電話していたけど、里心がついたということ? 桐島が最後に病院で「桐島です」と看護士だか医師に話したというのも、同じようなことなのか。最後は自分で死にたかった? それで逮捕されるとしても…。まあ、2024年の1月25日に病院で告白し、警察の事情調査もされたらしいけど、29日には亡くなっているらしいから、ほとんど詳しいことは聞けなかっただろう。しかし、住民票や健康保険証もなくて50年近く逃亡生活を送れたのは驚異だな。 映画中、桐島はほとんど感情を表さず、淡々としているのだけれど、何ヵ所か興奮してルる場面はある。 ・恋人と『追憶』を見に行っての帰りの茶店で「まだ学生運動やってるの?」「学生運動っていうよりは…」と現在の活動について語ろうとしたら、「私、バーブラ嫌いなの。上場企業目指すから、つき合うのやめよう」と言われ、おいてきぼりにされる、というのが桐島の政治的な真情吐露の最初かな。 2017年、安倍総理の集団的自衛権の話を聞いていて腹が立ち、テレビに何か投げつける。これはもう65歳のジジイの時だ。 ・小林工務店の若い衆で髪の毛がピンクなのが「免許が取れない。引っかけ問題が多すぎ」というので、「おまえ教習所に行ってないだろ。教習所で、は、そういう引っかけ問題が出ることも教えてくれる」「なんだ、教習所と試験はつるんでるのか!」「そうだよ」と公的機関の癒着を教えてあげたり。 ・小林工務店の女子社員が「メタボ健診のお知らせが来てるんだけど」に対して、「そんなの医者と製薬会社が癒着してやってるんですよ」と指摘する。 ・現場でクルド人労働者を手助けしようという桐島に、ピンク頭が「あんなの手伝うことないですよ。不法移民なんだから」に怒る。桐島はクルド人に缶コーヒーを与え、話を菊。父親が入管から出てこれない、とかなんとか 日本語巧すぎな日本人顔のクルド人の場面。 ・同僚がうそをついて休んだとき、ピンク頭が「あの人在日だからでしょ」というのに耐えがたくなったのか事務所を出て「うわあああああ」と叫ぶとき。 ぐらいが、桐島の政治的、社会的な感情が見えるところかな。とはいえ、ちょっと説明的すぎるけどね。 で、ある日、会社の前で倒れて病院へ。看護婦が「ずっと健康保険証はなかったみたい」なんて話している。そして、「桐島です」と告白。 ラストは、桐島の死のニュースの後、重信房子を想起させるようなアラブ風の衣装の白髪の女が銃を向ける。AYA? だれ? 意味不明だな。 というわけで、見ていて面白かったかというと、躍動感やダイナミズムもなく淡々とし過ぎていて、それ程でもなかった。のだけれど、最後まで見終えると、なんか、じわりとくるところもあって、それほど悪くはないのかもと思ったりする。けっして手練れな感じの完成度の高い映画ではないけれど、残るというか、不思議なテイストだ。 | ||||
アイム・スティル・ヒア | 8/19 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3 | 監督/ウォルター・サレス | 脚本/ウォルター・サレス |
ブラジル映画。原題は“Ainda Estou Aqui”。“I'm Still Here”と同じ意味のポルトガル語。公式HPのあらすじは「1970年代、軍事独裁政権が支配するブラジル。元国会議員ルーベンス・パイヴァとその妻エウニセは、5人の子どもたちと共にリオデジャネイロで穏やかな暮らしを送っていた。しかしスイス大使誘拐事件を機に空気は一変、軍の抑圧は市民へと雪崩のように押し寄せる。ある日、ルーベンスは軍に連行され、そのまま消息を絶つ。突然、夫を奪われたエウニセは、必死にその行方を追い続けるが、やがて彼女自身も軍に拘束され、過酷な尋問を受けることとなる。数日後に釈放されたものの、夫の消息は一切知らされなかった。沈黙と闘志の狭間で、それでも彼女は夫の名を呼び続けた…。自由を奪われ、絶望の淵に立たされながらも、エウニセの声はやがて、時代を揺るがす静かな力へと変わっていく。」 Twitterへは「軍事政権下のブラジル。抵抗運動の支援者が逮捕され行方不明に…。前半の穏やかな日常との対比は鮮烈だけど、基本はよくある話。子供の数が分からんとか友人知人の交通整理が雑とか、誰が誰やら。妻の行動が?だったり、つくりが雑。」 事前に内容は知らずに見た。1970年代のブラジルか。よく知らなかったけど、軍事政権だったらしい。ビーチバレー、迷い犬、大家族…。マリファナしながら8mmまわしつつドライブの青年たち。検問で止められ、顔を確かめられている。ニュースではスイス大使が拉致? なんていっている。 別の日なのか、家族パーティ? 姉妹や息子以外にも同年代の子供がうじゃうじゃでてきて、家族なのか何なのか、誰が誰やら。ルーベンスには仲間が何人かいて、「70人の釈放を訴えよう」とかなんとか言っている。活動家なのか? こちらも、誰が誰やら分からないまま話は進む。ここに、後に登場する女教師とか、エウニセが頼った(?)知人もいたのか? 個人をちゃんと紹介しないのでまったく分からない。 な感じで、その後もえんえん、転居先の新居のプランとか、飼うことになった犬のこと、子供たちとか、メイドもでてくる。その他、家族と子供たちのどーでもいいようなエピソードがだらだら長い。ちょっと飽きる。で、長女はイギリスに行くらしいけど、大学? 遊び? よく分からない。な感じで30分以上はあったか。 で、ある日訪問者がやってきて、ルーベンスとエウニセを連行する。もどってこない夫。家には連行していった連中の仲間が貼り付いている。翌日かその跡か、妻娘も尋問を受けるが、なぜこんな扱いを受けるのか分からない、と行った案配。顔写真の貼り付けられたアルバムを見せられるのだけれど、同じアルバムかと思ったら次に見たら自分や娘の顔も貼られているというのが怖かったな。 でまあ、1週間ぐらいでエウニセが家に戻ると娘はすでに戻っていて、でも、夫のことは皆目分からない。家の前には怪しい車が見張っている…。 という恐怖の尋問の場面はざわつく感じでなかなかリアル。 で、その後に現実的な問題が起こってきた感じで。銀行に行くも、ルーベンスのサインがないと口座からお金が引き出せない。とか言われてしまう。ところで、銀行の壁に貼ってあった肖像写真はなんなんだ? 時の独裁者なのか? 字幕で説明もないので分からんよ。それに、ひとりメイドもいたけど給金が払えないからとやめてもらう。さらに、持ち家なのか借家なのか忘れたけど、もっと狭い家に引っ越すことになる。っても、引っ越したあとに家はレストランになったぐらいだから、ただっ広すぎる家だったわけだ。ブルジョワだね。さらにエウニセは 「大学に戻る」とかいってたけど、あれは復学なの? でも、1996年では授業してるので、大学で教えていたので再び教師になったということか? よく分からない。 こうした環境の変化とともに、エウニセはルーベンスが逮捕されたのかどうか、にこだわって友人や知人を訪問したりする。なかのひとりに女教師がいたけど、彼女も尋問を受けたせいなのか、口が硬い。ほかにもルーベンスの同僚もいたな。彼もルーベンスと同じようなことをしてたのに逮捕されなかったの? そういえば、新居予定の土地を現金化してくれたのはこの同僚だよな? どういう関係なのか、よく分からん。そもそもルーベンスの職業がずっとよく分からなかった。ChatGPTに聞いたら土木技術者らしい。けど、ルーベンスがエウニセと話しているとき、クルマに弁護士のマークがついてたからどうのこうの、とかいってたから弁護士かと思ってたよ。 それと、いつのまにかリノという名前が口にされるようになるんだけど、ありゃ誰だ? と思ってあとから調べたら、弁護士らしい。ちゃんと紹介されてたか? 警察の駐車場まで一緒に行ったおっさんか? しかし、ルーベンスが逮捕されたかどうかの証明がどのように重要なのか、が分からない。逮捕されたという事実があるなに警察に問い合わせられるから? そもそもルーベンスを連行した連中はだれなの? 軍関係? 警察? も、よく分からない。 その後、女教師は後から、ルーベンスがいた、というメモをそっとドアの下から差し挟んで去って行った。これも、そもそも女教師がどこに連行されたのか、ルーベンスはどこにいたのか、てなことがよく分からないままなので、もやもや。でも、これで一歩前進とエウニセは弁護士に話をするけど、結局、何の進展もない様子なんだよね。 でまあ、連行された後、ルーベンスは戻らず。だれかが、彼は戦場で死んだ、とか情報を持ってきてたけどあれは誰なんだ? それと、夫が死んだと言われて、エウニセは動揺しないのも、なんか「?」だったな。 25年後の1996年。プールで泳ぐ娘。あれは何番目の娘なんだ? エウニセはブラジルの公害について? かなんか大学で講義してる。と思ったら事務員がやってきて。死亡証明書を国が発行の報が入って、やったー! な表情をしている。あれはなんでなの? 国が謀殺を認めた、わけじゃないんだろ? それと、息子が車椅子にのってて片手が不自由になっていた。しかも、誰かから本にサインを頼まれていた。ありゃどういうこと? 事故にでも遭ったのか? ChatGPTによると、この映画の原作を書いたのが息子だとか何とか…。ちゃんと説明しろよ! 2014年。認知症気味のエウニセ。子供たち、その子供たちがパーティをしている。ありゃなんなんだ? 2018年に母親は死去。夫を拉致した5人は特定されたけど、何の裁きもされていない、とか字幕。 うーん。隔靴掻痒がすぎる分かりづらさだな。 前半にワイワイ陽気な一家を見せて、急転直下で戦慄の状況にし、恐怖を強調したかったんだろう。それはいいとして、まず当時のブラジル国内の状況を観客に伝えないといかんだろ。しらべたらブラジルはこのとき軍事独裁だったらしい。ナショナルジオグラフィックのウェブの記事をみたら「1964年3月31日、軍部はクーデターを起こす。グラール大統領は失脚し、米国の支援の下、ブラジルには戒厳令が敷かれた。ブラジルの軍事独裁政権による人権侵害を調査した「真実委員会」は2014年、軍事政権時代の5人の大統領の下での死者・行方不明者は434人にのぼり、およそ2000人が拷問を受けたと報告している。それでも南米の他の独裁政権と比べれば、ブラジルの21年間におよぶ軍事政権は穏健なものだったと言えるかもしれない。」なことが書いてあった。そうなんだよな。南米の軍事独裁っていったらチリとアルゼンチンが強烈で犠牲者は桁違いだから。なので、こちらの感想としては、へー、ブラジルにも軍事独裁の時代があったんだ、なんだよ。申し訳ないけど。だからこそ、クーデターとか軍事独裁の様子とか、時代背景をもっと具体的に見せてほしかった気がする。ルーベンスが拉致られ、妻と娘の1人が尋問されたところしか、ぴりぴりくるところがないんだよな、この映画。街はフツーに平穏に見えるし。 頭の方でルーベンスと仲間が「70人の釈放を〜」とかどうのこうの話してるのも緊張感なくて。反政府的な活動をああもスカスカな感じでやってたら目を連れられるだろ、と思ったよ。 ・家族の数が分からなかった。夫婦と娘2人に弟の5人家族か? と思っていたら、3人姉妹? 4姉妹? ある家族写真では男の子が2人いて、じゃあ夫婦に娘4人、男の子2人か? と思ってたら、引っ越しのときのクルマの中にはエウニセと娘3人、男の子1人しか乗ってない。長女は英国に行ってたとして、7人家族なのか? なんだかなあ、なテキトー過ぎるアバウトな人物描写にイライラしたよ。 ・息子が拾ってきた犬が死んだのはただの事故? 監視してた連中が殺したわけじゃないんだよな。 ・軍事独裁もいつか終わるわけで、そのとき、軍の手先として弾圧に加担していた連中はどうしたんだろうか、を考えながら見ていた。隣に住んでいる男がかつての手先だったとしたら、民主化を志向していた人なら指摘し、吊し上げになるだろう。そうならないよう、逃げるのかな。身元を隠して知らない土地に行き、日陰者の生活をするんだろうか。あるいは、平和な日常を送っていたら、たまたま自分を虐待した手先が近くに見えた。そのとき、どうなるのだろう。虐待された側は大声で加担者に怒鳴りつけ、殴りかかるのだろうか。とかね、体制が変わったときに起こるだろう加担者と被害者の逆転について、どんなことが起きるのか、想像してしまった。 | ||||
キムズビデオ | 8/21 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/アシュリー・セイビン、デヴィッド・レッドモン | 撮影/デヴィッド・レッドモン |
アメリカ /フランス/イギリス映画。原題は“Kim's Video”。公式HPのあらすじは「ニューヨークの映画ファンたちが通い詰めたレンタルビデオショップ「キムズビデオ」。そこは、5万5000本もの貴重かつマニアックな映画の宝庫だった。 時代の変遷で閉店になった2008年、経営者のキム・ヨンマンは、価値ある膨大なコレクションをイタリアのシチリア島にあるサレーミ市に、収蔵・管理、ならびに会員が引き続きそのコレクションにアクセスできる事を条件に譲渡することを決意、コレクションは長旅を終えシチリア島へ到着した。 しかし数年後に「キムズビデオ」元会員であるデイヴィッド・レッドモン(本映画監督)が現地を訪れると、活用されずホコリだらけの湿った倉庫でひっそりと息を潜める映画たちを発見。彼は倉庫から助けを求める映画たちの“声”にかき立てられ、彼らを救うべく、警察署長や当時の市長への取材、その陰で暗躍するマフィアへと追跡を続ける。様々な過去の名作映画がデイヴィッドに啓示を与える。そしてついに彼は、映画たちを救うために荒唐無稽な奪還作戦を決意した。その作戦とはカーニバルの夜に映画の撮影だと偽り、アルフレッド・ヒッチコックやチャールズ・チャップリン、ジャン=リュック・ゴダール、イングマール・ベルイマン、ジャッキー・チェンといった映画の“精霊”たちを召喚し、倉庫から映画たちを解放するという前代未聞の計画だった。」 Twitterへは「カルトなビデオ店の逸話とか変な客の思い出とかレアなビデオの話とかがてんこもり、かと思ったら、配信に押されて廃業後のビデオをイタリアに送った後の顛末とか、いまいち刺さらず。なので、少しウトウトしながら見てた。」 カルト的なレンタルビデオショップの話、というから、店の様子や客筋とか、どんなビデオがあったのか、とかがコレクター的に楽しめるようになってるのかと思ったら、そうでもなくて。主たる話は、廃業後に経営者のキムがコレクションをイタリアに譲渡したけど、それがどうなってるのかを監督のデヴィッドが調べに行くという流れだった。彼は許可なく、ビデオが所蔵されている倉庫に侵入し、そこで管理人や警察署長、市長なんかに接触していく。↑のあらすじにはマフィアも登場してるけど、なんか記憶にないのは、こっちがウトウトしてたからかもしれない。 でまあ、最後にデヴィッドは仲間に名監督のお面をつけさせ、ビデオを箱詰めし、コンテナに載せてアメリカまで奪還するという話なんだが、これは純然たるドキュメンタリーじゃないだろ。シナリオのあるドキュメンタリー風な話だろ。 そもそも冒頭で「キムズビデオって知ってる?」って街頭インタビューし、何人目かに「会員だった」という女性が登場したり。そのすぐあとに、元店員が何人も登場してインタビューに応えてたり。ここに偶然はなくて、ヤラセに見える。 画面には過去の映画の名シーンらしいのが引用されてはいるけど、題名も英文字だけでよく分からんし。とくに感動もしなかったな。 | ||||
夜明けのすべて | 8/24 | シネマ堀切 | 監督/三宅唱 | 脚本/和田清人、三宅唱 |
2度目。シネマ堀切といっても名前だけで、映画館ではなく個人宅でのBlu-ray鑑賞。Twitterへは「2度目。PMS(月経前症候群)って、この映画で認知が広まるかと思ったら、そうでもなかったね。にしても症状は誇張しすぎではないのかな。それに時期は分かるんだから対策も可能だと思うんだが。病気とともに生きる、が下手なのかな、主人公は。」 女性が生理前後に不安定になるのは映画を見る前から知っていた。でも、PMSなんていう名前がつけられているのは知らなかった。症候群、だから、人によって発現の症状はいろいろなんだろう。まあ、昨今はなんでも病名を付けたがる風潮があるからなあ。では、この映画の後、PMSという呼称が一般的になったかというと、そうでもないような気がする。それと、この映画の藤原さんのように症状が劇的に重症というのも、あまり聞かない。あるのだろうけど、知られていない。 藤原さんの症状は、生理が始まってからずっと、なんだろうか。ずっと、とすると中高から、そして閉経までつづくと言うことだ。生徒学生の間はどうやっていたのだろう。大学の同級生も登場していたけど、彼女は藤原さんのそれを十分に知ってるようには見えなかった。 藤原さんは、最初の会社のトラブル連発の後、具体的に原因を上司などに話したのだろうか。たしか上司は女性だった。上司の彼女が藤原さんに同情する様子もなかった。で、その会社を辞めて転職したようだけれど、就褥するにあたって自分のPMSについて会社には話したのだろうか? 周囲は、ただの変な娘、と見ていたのだろうか。などと気になってくる。 藤原さんはどこか田舎町の出身らしい。PMSでもひとり暮らしして働きたいという思いはあったようだ。けど、ムリしてそうしなくても(冒頭で保護されたときは田舎から母親が出てきて引き取っていたようだし)、思い切って地元で母親と暮らし、できることをする、という選択肢でもよかったような気がする。まあ、何年か後に母親が介護を受ける立場になって、半強制的に藤原さんも帰郷して地元に就職するのだけれど、ハナからその選択肢はなかったのかな、とも思う。まあ、若い娘だからひとり暮らしの楽しさとか、誰かとどこかで恋をして、なんていう思いとともに都会暮らしをしていたのかも知れないけどね。でも、そのせいで周囲に迷惑を振りまいていたわけだけど。でも、そんな彼女を周囲が受け止められるかというと、これは難しいと思う。病気の一種とは見えにくい症状だからね。それは、山添君のパニック症候群も同じになんだが。でも、パニック症候群のほうは、何年かで寛解するし、過ぎてしまえば何の影響もなくなる。PMSとは違う。ここも、PMSとパニック症候群を並べて語るのがいいのかどうかな話のような気がする。 ・オープニングで、雨中バス停で濡れ鼠でベンチで倒れる娘(藤原さん)がいるのに誰も声もかけない助けない、という設定は不自然すぎだろ。 ・PMSで怒りっぽくなる、のはあるのかよく知らん。けど、自分がしたことを忘れていることはないと思うので、当たり散らしている自分の映像を見せられ、こんなんだったんだぞお前は、って言われてる場面に違和感。イライラ怒りっぽくなるのは分かっているのだろうから、自分でコントロールしなくちゃ。映画では、クスリを強くしてもらって、大事なときに寝落ちしてしまう、ような話になってるけど。クスリの量も自分でコントロールするとかできると思うんだけどね。 ・で、↑のような雨中倒れたり、暴言で当たり散らしたり、頓服で寝落ちしてしまうような出来事が、栗田工業に入ってからはあまり見られない、のが見ていて違和感。自分でクスリの量をコントロール出来るようになったのか。それとも、映画的な演出で、栗田では平穏無事に近い状態にしている、のかもしれない。ののちの藤原さんは田舎のメディアに再再就職していくんだけど、そこでは最初の会社のようなことは起こらない、と自信があるんだろうか。生理の前後は取材となどの人間相手の仕事は外すのか? 山添君のパニック症は数年すれば寛解する可能性がある。山添君は、以前の会社に戻らず栗田で働く決心をしたけど、元気になったらまたバリバリ仕事がしたくなるタイプだと思うんだけどなあ。・藤原さんの投薬はどうなっているんだろう。普段から対策として服薬し、生理前の何日か前から強いクスリを服薬するのかな。そのあたり、描かれていないのがもやもや。 ・パニック症候群の彼は、一度会社で発作を起こす程度しか描かれていない。そのとき、たまたま藤原さんがクスリを見つけてもってきてくれて落ち着くんだけど。あれは頓服なんだろうな。つまりまあ、普段から抗不安薬を一定容量服用していて、万一ときのために頓服も常備していたけれど、落としてしまった、という設定なんだろう。けど、その頓服が炊事場に落ちていたというのが解せないね。頓服は、肌身離さず持っているような安心材料なんだから。 ・山添君の方は、発作が起きたときにあたふたする感じなんだろう。でも本人が「家では起きない」と言っていたとおり、何かの不安に襲われたときにパニックになるんだよ。電車に乗っちゃったり、とっても緊張するような場面になったりしたときにね。でも、そういう場面がこの映画にはないんだよな。会社での発作も、何が原因か描かれていない。一度だけ、つきあってる彼女と電車に乗る挑戦をするけど、できずに腰を落としてしまう、という場面はあったけど。いや、乗ろうとして乗れないならビンチは去ったわけで、パニックにはならないよ。むしろ、えいっ、って乗り込んで1駅2分ぐらいの間に頭がぐらぐら強烈な吐き気と、列車から飛び降りて逃げたい、という状況になるのなら分かるんだけどね。なんか、山添君のパニック症候群がいまいち必死感がないんだよな、描かれ方が。 ・大先輩が書いたプラネタリウムの原稿。あれは、栗田工業の社長の、自死した弟が書いたものだ、という説明が前回見たときはもっとはっきりあったような気がしたんだけど、今回見たなかにはなかった。別編集なのか? それとも、記憶違いなのか。あと、その弟の戒名が3文字だったのはなんで? ・山添君の部屋ではやたらトロフィーが移るんだけど、彼はスポーツマンだったのか? にしては山添君は長髪で、そんな気配もないんだけどな。 ・しかし、それにしても栗田はゆるすぎる会社だよ。 | ||||
近畿地方のある場所について | 8/25 | 109シネマズ木場シアター6 | 監督/白石晃士 | 脚本/大石哲也、白石晃士 |
映画.comのあらすじは「オカルト雑誌の編集者が行方不明になった。彼が消息を絶つ直前まで調べていたのは、幼女失踪事件や中学生の集団ヒステリー事件、都市伝説、心霊スポットでの動画配信騒動など、過去の未解決事件や怪現象の数々だった。同僚の編集部員・小沢悠生はオカルトライターの瀬野千紘とともに彼の行方を捜すうちに、それらの謎がすべて“近畿地方のある場所”につながっていることに気づく。真相を確かめようと、2人は何かに導かれるようにその場所へと向かうが、そこは決して見つけてはならない禁断の場所だった。」 Twitterへは「本がベストセラーで中味も怖いという話だったけど、それはパスして映画で。でもほとんど怖くないしたどり着いた事実もいまいちだし。、話に合理性もなかったような…。ところどころ笑える場面もあったし。」 編集者、佐山が、締切の迫った原稿データをもったまま失踪した。編集部の小沢は、外部ライターの千紘に、原稿を仕上げてくれ、と依頼。で、佐山が集めていた次号特集のための資料を、地下の資料室で2人で漁り始める。 千紘は、SNSで「佐山さんが失踪しました。情報をお持ちの方は…」と映像で語りかける。 佐山が集めた資料には、少女の失踪、団地の子供の遊び、団地の投身、得体の知れないうめき声、首つりロープで満載の廃墟、人形の詰め込まれた社、なんかのビデオやCD、USBを見ていくと、どうやら近畿地方に集中しているらしいと分かってくる。ほかに、眼鏡の青年が見た、首が曲がる男とか、その青年の部屋のベランダにいる赤い服の女のビデオとか話もでてくる。さらに、鳥居の下に首つりに「了」と書かれた落書きも見つかる。あと、除霊の最中におかしくなっちゃう僧侶のビデオもあったな。小沢は千紘を差し置いてひとり取材に走り、どうも霊に取り憑かれてしまった様子。なんとか千紘が覚醒させ、小沢と千紘は現地へと足を運ぶ。そんななか、佐山の居所が分かったという連絡。いってみると、佐山の女房はカニ歩きで(笑った)、佐山の左目の眼球もない。と思っていたら、佐山の女房が二階から身を投げ、柵に串刺しに。佐山自身も、柵の先端に自ら目を串刺しにする。でも、なぜか警察には連絡しないという不思議…。佐山が小沢にくれたUSBを見ると、怪しい新興宗教の様子が映されていて、信者の中に千紘の姿が…。千紘は赤子を失った直後、その新興宗教に入信していたらしい。傍らには、なんかよく分からん岩がある。 近畿地方の団地には、まさるさま とか ましらさまとかいう昔話の伝説があるらしく、子供もそれで遊んでいる。なんだかよく分からんけど、岩がどうの、という話になって。地元のなんとかいう山へ行くんだ、と2人で行くと、トンネルで赤い服の女と男がいて、千紘はかまわずはね飛ばす。そうしてたどりついた、人形の詰め込まれた社。そこに岩はない。千紘曰く、「岩は移動する」とかなんとか。湖畔の向かいに木。そこから白い手足がでてきて触手のように。木から、目玉の大群みたいのがやってきて、小沢を飲み込んでしまう。その目玉は岩の中に…。 千紘は、SNSで「小沢さんが失踪しました。情報をお持ちの方は…」と映像で語りかける。その千紘はタオルにくるまれた赤子を抱いているが、赤子のいるはずのところから触手が伸びている…。で、ラスト。 冒頭からの出版社、そっから調査に行く…な展開は、既視感があっていまいち盛り上がらず。ときどき、画面の端に手が写ったり、チラチラとブキミは登場するけど、ありきたり。佐山の妻のカニ歩きはコメディだし、因果関係も分からない。 っていうか、この話の根幹はなんなんだ? あの山にいた白い触手の生物? あれが、まさるさま/ましらさま? あれと岩はどういう関係? まさるさま/おしらさまを信仰する新興宗教があって。岩がそこに出現。子を失った千紘は、この教団に入信…。それと、団地の樹木で縊死した了という名の少年と、その落書きはどう関係するのか? 千紘はすべてを知っていて、それで佐山と接触? 小沢から依頼がある以前に、知っていたのか? 千紘は佐山を生け贄に。さらに小沢も生け贄に? 赤いコートの女はなんなの? 首が後ろに曲がった少年は? もう、いろいろ断片的すぎて、つながりが分からんよ。白い触手とか目玉の妖怪とか、もう完全にお笑いだし。少しは期待したのに、ずっとあくびばかりだったよ。 ・千紘役の菅野美穂は目の下に隈なのかたるみなのかができてて、歳だなあ、と。調べたら48歳か。こういう映画に出るようになったのだなあ。 | ||||
マルティネス | 8/28 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ロレーナ・パディージャ | 脚本/ロレーナ・パディージャ |
メキシコ/フランス映画。原題は“Martinez”。公式HPのあらすじは「メキシコで暮らすチリ人のマルティネスは偏屈で人間嫌いな60歳の男性。会計事務所での仕事やプールでの水泳といった日々のルーティンを決して崩さない。しかしそんなマルティネスの規律的な日々は、会社から退職をほのめかされ、後任のパブロがやって来たことで終わりを迎える。時を同じくして、アパートの隣人で同年代の女性、アマリアが部屋で孤独死していたことが判明する。アマリアの私物に自分への贈り物が残されていたことを知り、次第に彼女に興味を抱くようになるマルティネス。遺された日記や手紙、写真を通してアマリアへの思いを募らせていく内に、マルティネスは心の奥底で眠っていた人生への好奇心を取り戻していく。」 Twitterへは「階下の老女が孤独死…。とくにつきあいのない彼女の遺品に、マルティネス宛のプレゼントが見つかって…。と、ミステリアスな話なんだけど、以後の展開がちと物足りない。設定はおもしろいのに、なんか不足してるんだよなあ。」 設定とかキャラとかが茫洋としてて、いまひとつピリッとしないんだよな。輪郭も曖昧だし。このあたりが映画としてアイロニー感がないというか、錐のように刺す感じがない。そういうぶぶんがあると、もっと面白くなったような気がするんだけど。 マルティネスがチリ人である、のは周囲からいじられたりするんだけど、それがどういう意味があるのか、よく分からず。アルゼンチン映画? とか思いつつ見てたんだけど、見終えてからメキシコ映画と知る。同じスペイン語だから通じるのか。けど、人の交流というのもあるのか。でも、チリからメキシコに移住して淡々と仕事して1日を終える、おそらく独身のほぼジジイという設定には、どういう意味があるんだろう。そこをまったく掘り下げないのがじれったい。 マルティネスの仕事場が、どういう場所なのか。も、分からなかった。はっきりと明示されてないし。ただ、なんか書類をみたりチェックしたりしてる感じ。いちど外部の取引先みたいなところに書類を受けとりにいく場面があった。認定書を受け取るとかいう件で。マルティネスが言っても、相手は「まだできてない」と素っ気ないんだけど、一緒に行ったのはパブロだったっけか? が受付のおばちゃんにおべっか言ったらすぐ渡してくれて。なんだ、おばちゃんの意地悪か、と思ったんだけど、まあ、マルティネスには愛想がないということをいいたかったのかな。にしても、この国(あとからメキシコと分かる)はいい加減な国だなと。でも、何をしている会社なのか分からなかったんだけど、↑のあらすじを読んで、会計事務所なのか、と初めて分かるという。映画が悪いのか。ほのめかしとかヒントはあるけど、映画の翻訳者がちゃんと仕事をしてないから分からなかったのか知らんけど、イライラするね。 というわけで、マルティネスはチリ出身でメキシコの会計事務所で働く60男、独身。女性関係には縁がなさそうで、趣味もなさそう。が、いきなり退職を要求される。別のところから移動してきた40代のパブロが後を引き継ぐので、よろしく、と人事から言われてしまう。とはいえ、就業延長の申請はできるので、その手続きはすることに。とはいえ、後任のパブロがやってきていて、引き継ぎをするよう申し渡される。 というマンガみたいな設定で、リアリティがないんだよね。カリカチュア的にはおもしろい設定だけど、なぜマルティネスがクビになるのか? の根拠が示されてない。60歳だから定年で、だから後任に、なら分かるんだけどね。そうでもないらしい。しかも、いきなりのクビ。これからの収入や生活はどうなるのか? 年金で生活できるのか? など、気になることが多すぎる。しかも、延長の申請ができる道が残されたりしている。もやもやするんだよな。 マルティネスは傍から見たらつまらない人生なのか。娯楽にも興味がなさそうで、彼女もいない。規則正しく起きて事務所に行き、帰宅がてらなのか休日に、なのか知らんけどプールで泳ぐのがリズムになっている。仕事のほかに楽しみがないジジイから仕事をとったらどうなるのか? という話で話を展開したいのは分かるんだけど、そのあたりが鋭く切り取られてないのがもやもや。 事務所で働く同僚は、変な人ばかり。受付のデブオバチャンは陽気だけど、あたま空っぽな感じで。口だけは達者な感じ。おもしろいのは彼女が他の事務員にお菓子を売ってたりするところ。そういうシステムになっているのか、彼女が個人的にやってるのかは知らんけど、変なの。もう一人のおばちゃんは、ひたすら書類を処理しているだけで話もしない。もう1人オッサンがいたような気がするけど、彼も仕事しかしない感じ。会計事務所にはこの手の無味乾燥な仕事人間しかいない、ってことかね。でも、受付おばちゃんは陽気だし、後任のパブロはマルティネスに煙たがられてもなついてきて、遠距離恋愛中の彼女のことを話したり、これまた脳天気な感じ。 マルティネスの働く環境には、こういう設定があるんだけど。もうひとつの軸は、マルティネスの自宅での事件である。階下から何日もずっとテレビの音声が聞こえつづけていて、悩みつづけていたんだけど、ある日、階下の住人のアマリアが孤独死した、と分かる。相当なババアかと思ってたんだけど、↑のあらすじによるとマルティネスと同年代と言うから60凸凹か。で、隣人だか管理人か知らんけど、なおばちゃんがマルティネスのところへ「アマリアの遺品の中にあなたへのプレゼントがあった」ともってくるのだ。あけてみると、鳩笛みたいな風に見えたけど、よく分からず。いままでマルティネスはアマリアのことなんか気にも留めていなかったけれど、プレゼントがあったなんて…。と思ったのかな。ゴミ置き場に山になって捨てられたアマリアの遺品をこっそり見て、なぜか知らんけど自分の部屋に持って来ちゃうんだよね。変なの。 そもそもアマリアが亡くなったのは6か月前ぐらい、だったかな。なら、相当腐敗していたはずで、遺品にも臭いが染み着いていたとか、もしかしたら体液なんかも付着してる可能性だってあるじゃないか。なのに平気でどんどん持ち込んで、捨てられた人形やらなにやらを自室に飾り始めるんだよ。うげ。気持ち悪っ、って思ったけど、監督はそういうことより、マルティネスがアマリアに関心を持った、ということを強調したかったんだろう。 しかし、アマリアに親戚はいなかったのか。アマリアの部屋はどうなるのか? は気になるよなあ。 は、さておいて、自分がマルティネスだったら、毎日寝ているベッドの下の部屋で6か月も女性がじわじわ腐敗していた様子をイメージして気が滅入っちゃうけどなあ。 でまあ、そんな様子がにじみ出るのか、パブロとも雑談するようになって、彼女ができた、ようなことを話したりするようになる。パブロも遠距離恋愛の相手がいるから話に乗ってきて、少しは話が弾むようになる。とはいえ、マルティネスは退職が近づいているし、パブロはマルティネスの後任としての未来がある。 で、その後、何がきっかけになったのは覚えてないんだけど、ある日突然、マルティネスはアマリアの遺品をゴミ箱に詰め、ゴミ捨て場に出す。アマリアへの思いが幻想だということに気がついたのか? っていうか、アマリアはもう死人じゃないか。そういえばマルティネスは「アマリアのことを考えると自由になったような、まるで泳いでいるような気分になる」とかなんとかいってたけど、これまでの自分から解き放たれるようになったのかね。 この後だったか先だったか。マルティネスは人事から呼び出され、就業延長希望が認められたと告げられる。そして、後任だったはずのパブロが首…。なんか、ドラスティックすぎてマンガな展開過ぎるだろ。落ち込むパブロが気の毒だ。っていうか、なぜマルティネスの希望が認められたんだ? 分からなすぎ。パブロは、なにかあったら、といって住所のメモをマルティネスに渡す。ほんとパブロは人がよすぎるね。 アマリアの遺品をゴミに出して、茫洋とした海を眺め、マルティネスはどこかへ向かう。誰かの家の郵便受けにプレゼントを置く、んだけど、あれは誰の家? のあと、パブロの家にいって。「結局やめたのか」とかいわれてるから、自分から事務所を辞めると言ったのか。なんじゃらほい。なら、パブロの首がつながるようにしてあげても良さそうだけど、そうはしていないらしい。という状態で、パブロも屈託なくマルティネスと談笑。で、オシマイ、という、なんか消化不良になりそうな話だった。前半はそこそこ面白くなりそうだったけど、はっきりと描かない演出が隔靴掻痒を倍加したかもね。 ・パブロは通勤にバスで90分と行っていたけど、ラストでマルティネスが訪問したパブロの家は、その家だったのか? ・いつもバス停に座ってる2人の女性の足の組み方、身体の動きとか、シンクロしてて面白い。んだけど、その手のギミックはこの場面しかなかったな。もっと遊べばよかったのに。・パブロの彼女は実在するのか? 嘘、みたいなこと言ってなヵったか? | ||||
女は女である | 8/29 | シネマ ブルースタジオ | 監督/ジャン=リュック・ゴダール | 脚本/ジャン=リュック・ゴダール |
フランス/イタリア映画。原題は“Une femme est une femme”。Wikipediaのあらすじは「エミール(ジャン=クロード・ブリアリ)は、パリの小さな書店に勤める青年である。彼は、コペンハーゲンから来たばかりでフランス語の「R」がうまく発音できないストリップ・ダンサーのアンジェラ(アンナ・カリーナ)といっしょに暮らしている。ある日アンジェラが、突然、赤ちゃんが欲しいと言いだす。それも24時間以内に。ふたりは意見が合わず、アンジェラは、「それならほかの男に頼む」と啖呵を切る。エミールは動揺するが、勝手にしろと答えてしまう。アンジェラもアンジェラで、彼女の住むアパルトマンの下の階に住む、駐車場のパーキングメーター係のアルフレード(ジャン=ポール・ベルモンド)に頼むと宣言する。アルフレードはなにかとアンジェラにちょっかいを出していた。ある日、アンジェラはついにアルフレードと寝てしまう。深夜、アンジェラがエミールと住むアパルトマンに帰ってくる。ふたりはベッドで黙り込む。エミールは、試しに自分の子をつくってみようとアンジェラを抱く。フレッド・アステアのダンスミュージカルが幕を閉じて終わるように、アンジェラは寝室のカーテンを閉じてみせる。」 Twitterへは「1961年ゴダール映画。女の方は「子供をつくりたい」。でもパートナーは乗り気でない。なだけで、ストーリーはあるようなないような。なので少しウトウト。アンナ・カリーナは可愛いけど寝るときもマスカラかよ。ジャンヌ・モロー気がつかず…。」 ベルリン映画祭の銀熊賞で、 アンナ・カリーナは女優賞らしい。この程度でね。まあ、カットごとにBGMがぶち切れたり、ファッショナブルにコマ落とししたり、カメラに話しかけたり目を向けたり。つくられた当時は斬新な手法だったのかもしれない。けど、いま見て面白いかというとそんなことはなく。ノイジーだったり古くさかったり、よくある感じだったりして、たいしてヒキはない。コメディらしいけど、とくに笑えるわけでもなくて、ちょっと洒落たオトボケな感じっていうのか。お目当て、だったアンナ・カリーナも、チャーミングだけど、もの凄く可愛いいって感じじゃないかな。寝るときぐらいマスカラ外して素顔の可愛さを見せてくれ、と思った。 ↑のあらすじを見て、へー、なことがイロイロ。エミールは書店員なのか。アンジェラはストリップダンサー? オッパイ見せてないからそうは見えなかった。にしても、なぜコペンハーゲンからパリにやってきたという設定なんだ? エミールとアンジェラは同棲中だけど、なぜアンジェラは子どもが欲しいんたぜ? ここが一番分からないところ。アルフレードは同じアパートに住んでいるのか! で、仕事はパーキングメーター係なのか! え!? アンジェラとアルフレードは寝たのか?! そんな描写があったっけか!? こちらがウトウトしてるときかね。とかね、映像だけではよく分からないところばっかり、な気がするんだが。映画のパンレットに書いてあることとか、あとかせゴダールが話したことからストーリーを書き起こしてるんじゃないのかね。 Wikipediaを見ると、キャストに売春婦が何人か登場している。え? もしかしてアンジェラが踊ってる店にいたのがそうなのか? 盲人の2人組は有名どころかと思ったら、そうでもないのね。 ・ゴダール初めてのカラー作品らしく、赤を主体にした原色が使われていて、派手派手。 ・エミールとアンジェラが、眠れないので本をとりに行くのにわざわざ背の高いランプを抱えて移動したりするのは、コメディのつもりなんだろうけど、つまらないというか、古くさい。 ・ベルモンドが路上でどっかの男に「こないだは借りにげしたな」とかいわれて、自分のメモを見て、ああそうそう、そうだった、と正直に言うのはなんなんだ。アホか。 ・映画俳優や題名とかセリフとかがゾロゾロ登場するのはお遊びか。・観客5人。 |