| ザ・ザ・コルダのフェニキア計画 | 11/4 | 新宿武蔵野館3 | 監督/ウェス・アンダーソン | 脚本/ウェス・アンダーソン |
|---|---|---|---|---|
| 原題は“The Phoenician Scheme”。公式HPのあらすじは「舞台は1950年代、“現代の大独立国フェニキア”。6度の暗殺未遂から生き延びた大富豪ザ・ザ・コルダは、フェニキア全域に及ぶ陸海三つのインフラを整備する大規模プロジェクト「フェニキア計画」の実現を目指していた。そんな中、とある妨害によって赤字が拡大、財政難に陥り、計画が脅かされることに。ザ・ザは離れて暮らす修道女見習いの一人娘リーズルを後継者に指名し、彼女を連れて旅に出る。目的は資金調達と計画推進、そしてリーズルの母の死の真相を追うこと。果たして、プロジェクトは成功するのか? リーズルの母を殺したのは誰か? そして、父と娘は「本当の家族」になれるのか」 Twitterへは「ウェス・アンダーソンなのでしっかり予習…じゃなくて昼寝してからいったんだけど、あやうく寝落ちしそうだった。役者は超豪華だけど、話は超ちんぷんかんぷん。あとからHPのあらすじ見て、へー、そういう話だったのか、と。」 毎度、紙芝居みたいなウェス・アンダーソンなので、寝ちゃうかもしれないなと思ったんだが。昼寝してから見に行ったので、なんとか寝ないで見終わった。あくびはずっとつづいていたけど。冒頭の旅客機の場面。爆発して1人吹っ飛ばされていく場面と、続いて、ザ・ザ・コルダが操縦席に移動して、でも、機長があれこれいうので「首だ!」といったら宙に飛んで行ってしまい。でも、トウモロコシ畑に不時着といっても結構、機体はバラバラで。でもなんとかザ・ザ・コルダが生きている、ところまでは笑えたし面白かった。でも、以降が、ちっとも面白くないのだった。 あとは、理解した範囲でいうと…。コルダは実業家らしくて、いくつかの開発プランを抱えている。でも、なぜか命を狙われている。息子が9人だか10人いて、娘も1人いる。コルダはその21歳だったか、の娘を後継者にすると決めて、修道院から連れ戻す。開発プランの内容は、なぜか靴下とか帽子とかシャツ? だとかの箱に入っていて、そのプランのためにあちこち飛び回る。そのプランがどういうものか、よく分からんけどね。最初は、トム・ハンクスが登場した。なにかの交渉で、バスケットボールをするけど、負けてしまう。次は、スカーレット・ヨハンセンがオバチャン風に登場したけど、ほとんど内容は分からなかった。それから、マチュー・アマルリックがトルコ帽みたいのをかぶってでてきた。このくだりも、よく分からなかった。何ヵ所か、そうやって娘と回っていく。で、そのたびに、収支決算みたいなの(RPGのパワーみたいな感じで)がでてくるんだけど、これまたよく分からない。あと、ヌバルおじさんというのが言葉ででてくる。どうやらコルダの兄弟らしいけど、よく分からん。ほかに、コルダの秘書みたいな男。かれは昆虫好き? で、どーも、いろいろ開発プランは進まず、なのか? で、最後にヌバルおじさんが現れて。どたばたした揚げ句にみんなの前で爆死してしまう、だっけか。最後は、娘の場面で終わるんだっけか。記憶が朦。っていうか、見てるときもおぼろだったけど。 てな感じで、なんだか良く分からないままに始まって、分からないままに過ぎていき、分からないままに終わった。ただ、へー、役者は豪華だなあ。こんなわけの分からん映画に、なんで出演したんだろう? と思って見てただけ。もうちょい物語として分かりやすさがあると話に入り込めたと思うんだけど、ダメだったね。 公式HPをみると、開発プランの内容とか、登場人物の背景とか、あらすじらしきモノも載ってるんだけど、映画だけでは分かりにくいからなのかね。へー、そういうことだったのね、とか思うけど、ぜんぜん見てるだけじゃ分からなかったよ、と。 | ||||
| ソーゾク | 11/7 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/藤村磨実也 | 脚本/藤村磨実也 |
| 公式HPのあらすじは「高齢の母親が亡くなって鈴木家の子供たちは悲しみに暮れています。本当に仲の良い家族だったのです。 ところが、母親の遺産分割を巡って雲行きが怪しくなります。 長女と次女は実家を処分して売却したお金を分けるつもりなのに、弟夫婦が「跡継ぎ」だからと土地家屋は自分たちのものだと主張したのです。これに、亡き長男の未亡人も加わって、親族関係はギクシャク。話はこじれにこじれて相続トラブル勃発! 後から見つかった母親の遺言書にまで文句を言いはじめれば、ついには裁判沙汰に!? それぞれに言い分はありますが、家族の絆って何なのでしょう? 数百万円のお金でこじれてしまう人間関係って……」 Twitterへは「親が死んで実家を売る? 娘2人と次男、長男(早逝)の嫁が相続で揉めだして…。面白く見たし、教養としてなるほど感も多い。でも女たちが強欲(一部違うけど)で、男たちは戸惑う、は古くさい定石か。役者陣も、あの人は今、的な感じで演出も地味すぎ。」 亡くなった長男の嫁と2人暮らしだった母親が亡くなった。長女、次女、次男とその連れ合い、孫達が集まって葬儀。長女と次女は、母親の指輪を勝手に2人でじゃんけんしてもらっていく。長女が母親の預金を解約しようとしたら、相続後でないといわれ、49日に話し合いを始めると…。 長女は、家を売ってそのお金を長男寡婦もふくめて分けよう、という。長男寡婦には相続権がないけど、母親の世話をしてもらっていたのだから、それなりのお金を渡し、出ていってもらおう、と。次女も、概ねそれに従う。でも、子だくさんでアパート住まいの次男と嫁は、実家に住みたい。長女は、それなりのお金を出せば住んでもいい、というが、次男には金がない。次男嫁は、鈴木家を継ぐのはうちで、仏壇も預かることになるのだから、家は自分たちがもらうのが流れ、と主張。収まらない長女と次女。長女と次女は相続相談士に相談することに。 なことしてるうち、次男は母の生前に200万円融資してもらったことが発覚。次男は弱い立場に。ない、と思っていた母親の遺言書を介護センターの老人仲間がもっていることが発覚し、それをみると、遺産の半分は世話してもらった長男寡婦に。残りを子ども3人で分けるように、と書かれていた。収まらないのが長女と次女。遺言書はデイケアで書いたものだから、とか、母親に認知症が入っていたのではないか、などと疑い、長男寡婦に、遠慮するよう説得するが…。長男寡婦は、遺言書は尊重すべき、と主張。主張はするが、自分は一切要らない。家もでる、と去って行く。 ほっとする長女。しかし、家を売る売らないは決まらず一周忌に…。 っていうのが流れ。映画としては誇張が少なく淡々としていて、設定通りに進む感じで意外性とか面白さは少ない。相続のPR映像をドラマ化したような感じ。しかもキャスティングが、過去の売れてない役者を配した感じ。『老後の資金がありません!』みたいな派手さもなくて、そういう安上がりなところは物足りないところはある。とはいえ、事実ベースで、相続や遺言の知識を教えられるところは興味深く、ついつい見てしまう。それぞれのキャラに応じて、自分だったらどういう判断をするか、と考えながら見られるから、それも面白かった。 でね。母親には骨董や流動資産はとくになくて、住居が、売れば25〜2600万円ぐらいになる、というだけなんだよね。で、長男寡婦をふくめて4分割したとしても、600万円余ではないか。まあ、長男寡婦に200万ぐらい与え、残りを3分割しても800万程度。この程度の額で長女がムキになってまで、実家を売ってまで手に入れたいか? と思っちゃうんだよね。 長女の嫁ぎ先は自転車屋。亭主はのんびりしてて、とくに遺産目当てな感じではない。生活に困窮してる風もない。次女は、亭主がしっかり働いてる感じで、自分もパートに出ている様子。住まいはマンションか一戸建てか。ローンがあるのかな。次男が、なぜかアパート暮らしで子どもが多い。この次男は運輸関係の会社らしいけど、共働きすれば、横浜あたりなら家を買えるんじゃないのか? と思っちゃう。べつにギャンブル狂いでもなさそうだし。で、押しの強い長女に何も言えず、嫁が代わりに主張する。なんだかな。長女、次女、次男嫁と、女が強欲みたいな図式で、男たちはそんなでもない。という図式は、古い価値観が反映しすぎてないかね。女は強欲、っていう。 それはさておき。解決策としては そもそも次男が家をでている理由がよく分からない。4年前に長男が亡くなったとき、次男が実家に戻って家を継ぐでよかったんじゃないのかな。長男寡婦はそのまま同居もできたろうし。ということを考えると、次男が家をもらい、長女と次女に数100万渡す、てなところが穏当なところのような気がするね。まあ、こんなことをいうと、いまどき男子が家を継ぐは古い、といわれそうだけど。 話としては、ゲスな長女、次女に比べ、長男寡婦がいいところを持って行ってる感じかな。旦那が早く亡くなって子どももおらず、義母の世話もした。義母が亡くなって、でも、相続権はなく、いつかは家をでなくてはならない、という気の毒さを背負いつつ、最後は義母の遺書にある「半分あげる」も、要らないと断り、家をでていく。カッコイイし、潔い。わずかな金にこだわって諍い合い、調停から、裁判も? という流れから逸脱し、潔い。この対比、物語の定石すぎて古くさくてつまらない、とも思えるけど。まあ、観客となる高齢者には分かりやすいかも。とはいえ、長女は「長男寡婦は貯め込んでる」だの「つきあってる人がいるらしい」とか否定的に見ている。ちょっと長女が悪者に仕立てられすぎてる感じはあるけどね。それと、次女の旦那はなんとなく長男寡婦に気があるような描き方をしているのが気になる。街で、長男寡婦が着飾って男と一緒のところを目撃したりもしている。まあ、これが事実かどうかは分からんけどね。他人のそら似かもしれないし。このあたりは、含みを持たせるつくりになってる。 とはいえ、もっと設定は面白くできたんじゃないのかな。長女旦那がギャンブルで借金で息子の結婚資金も欲しいとか、次女はブランド好きで旦那がクルマに目がないとかにすると、家を売って分けるということの根拠にもなるんじゃなかろうか。次男嫁も、子どもの学習塾の資金が欲しいとか、お金が必要な理由があるとよかったような気がする。 で、一周忌。なんだけど、斎場で1周期をするか? というのが疑問。お寺が一般的じゃないのかな。しかも、ロビーで待っていて、これから火葬する人たちとすれ違うとか、異様な感じ。 で、同じ時間に、長男寡婦は家族の一周忌には出席せず、白い服に赤いパラソルで墓参している。これまた長男寡婦の清々しさを見せたいんだけど、ちょいやりすぎ? にしても、家族と出くわしたりしないかね。 | ||||
| アカルイミライ | 11/9 | シネマ ブルースタジオ | 監督/黒沢清 | 脚本/黒沢清 |
| Wikipediaのあらすじは「仁村雄二は、漠然とした苛立ちを抱えながら、東京のおしぼり工場で働いている。雄二が心を許せる存在は、同僚の有田守だけである。守は雄二に「待て」と「行け」の合図を指の動きで伝えるようにした。ある日、社長の藤原耕太が守のアパートを訪ねてくる。雄二は、アカクラゲの水槽に手を入れようとした藤原を制止しようとするが、守の「待て」の合図によって思いとどまる。その一件が原因で、後日、藤原は守を解雇する。怒りに駆られた雄二が鉄パイプを持って藤原の自宅へ向かうと、藤原夫妻はすでに殺されていた。やがて、しばらく姿を消していた守が殺人容疑で逮捕され、刑務所に収監される。雄二が面会に訪れて守を励まそうとしても、守は淡々とクラゲの飼育方法を雄二に教えるばかりである。守の言動が理解できない雄二は、水槽を倒し、守から託されていたクラゲを床下に放つ。その後、守が刑務所内で自殺する。その指先は、「行け」の合図を伝えるかたちに針金で固定されていた。守の葬式で呆然としている雄二の前に、有田真一郎が現れる。守の父親である彼は、離婚して以降、刑務所の面会室で再会するまでは守と疎遠だったという。雄二は、家電リサイクル業を営む真一郎と共同生活を始める。雄二がようやく新しい仕事に慣れてきた頃、二人はクラゲの飼育をめぐって対立する。街を徘徊するようになった雄二は、ゲーム・センターで知り合った男子高校生たちに慕われ、一緒に深夜の会社へ不法侵入する。警察に補導される高校生たちを尻目に、雄二だけは警察に捕まることなく逃げる術をいつのまにか体得していた。そんな折、床下に放たれたクラゲは成長し、河川で増殖を続けていた。その姿を見て興奮した真一郎は、彼を追いかける雄二の制止も聞かず、水中のクラゲに触れて昏倒する。真一郎を岸辺に引き上げた雄二は、彼を胸に抱いた姿勢のまま、その場に座り込み、海を目指して泳ぐクラゲの大群を無言で見守る。学生服の下にチェ・ゲバラのTシャツを着た男子高校生たちが、雄二の存在を懐かしく思い出しながら、大通りを歩いてゆく。」 Twitterへは「監督 黒沢清。主人公を取り巻く人間は次々に入れ替わり、クラゲを含むもろもろも、重要度が変化していく。話はどんどん変容し、一貫していない。ヘンな映画。オダギリジョーは、ほぼ別人の面持ち。海外用の92分版。」 2003年公開。なんでもカンヌ映画祭用の国際版91分と、ディレクターズカット国内版115分の2種類があって、これは91分の方らしい。国際版も監督が編集したらしいけど。で、画質がとても悪かった。フィルム上映といっているけど、ビデオで撮影編集したのを35mmにしてる感じのところもある。なので、役者の区別もつきにくい。音声も悪いけど、笹野高史なんかは滑舌いいし声も明瞭。ぼそぼそ聞こえにくいのは浅野忠信だ。 で、オダギリジョーが主演なのは分かっていたけど、しばらくどれが彼か分からなかった。顔が全然違うんだよ。調べたら出演作は古くから見てるようだけど、存在を認識し始めたのはテレビの時効警察ぐらいか。なんか脱力系でヌーボーとした感じ。でも、この映画は全然違って頬は痩けて存在が鋭角的なのだ。もう別人な感じ。当時は26、7歳か。変わるもんだな。笹野高史は同じ。浅野忠信も分かる。りょう、もすぐ分かった。でも、加瀬亮、はなわ、松山ケンイチなんて、どこにいた? な感じ。松山ケンイチは、ラスト近くにでてきたチンピラの1人かな。ほとんどヒキだったし、これはしょうがないか。加瀬亮は、浅野忠信の兄弟役と、あとから分かった。見ていて全然分からなかった。 ストーリーは↑のあらすじにある通り。ただし、背景がよく分からない。おしぼり会社での淡々とした仕事。仁村は24、5で、有田は27ぐらいの設定だったかな。あらすじには「漠然とした苛立ち」とあるけど、具体的にはまったく分からない。2人はバイトだけど、社長にはよくされていて、特別ボーナスを支給するといわれたり、社員にしてやるといわれている。社長の娘の机の搬入を手伝わされて仁村はイライラしてる、でも、作業の後は食事を御馳走になったりして、社長からは目をかけられてる感じ。あるときは社長が蟻田の部屋に鮨を持って訪れたりする。なんだ、いい感じじゃないか、としか思えない。仁村の趣味が音楽、というので社長が「貸してくれ」というので、でも仁村はあんまり貸したくない感じ。ちったあ我慢しろや、と思ってしまう。社長は学生運動世代らしく昔話をするけど、2人はうざいな、な反応。社員にしてもらえて給料が上がって、我慢して話につき合ってやれよ、と思ってしまう。でも有田は「社員になると何が変わるんだ? 変わらんだろ」なことをいっている。変わるだろ、と思うけれど、そういうことには関心がおよばないのか。2000頃はゆとり世代なはずで。プレッシャーは少ないように思うんだが。 同世代のリッチな連中とか、鼻持ちならない層は登場しない。だからコンプレックスがあるようにも描かれない。もちろん上昇志向もない。将来の夢もとくに感じられない。ところで仁村は、寝ていると未来の夢を見ることができるらしく、その未来では幸せになれるらしい。でも、最近は見られなくなった? と、冒頭にでてくる。では、この未来の夢が一貫してテーマになっているかというと、まるっきりなっていない。未来の夢については、具体的には1mmも語られない。なんなんだよ、な感じだ。 仁村の趣味は音楽とゲーセン。でも、妹の彼氏と食事の後、自ら誘ってゲーセン行って。彼氏とゲームしたら負けてしまって鼻をくじかれた感じ。なんか、世間が狭いやつだな。ところで、妹はその後1度登場するけど、彼氏はでてこない。 有田の趣味は、クラゲを飼っていること。猛毒を持つアカクラゲで、触れようとした仁村に注意する。社長が鮨を持ってやってきたとき、社長が触れようとして、仁村が注意しようとしたらされを制止し、社長は刺される。ちょっとした痛みだけだったらしいけど、あとから社長に猛毒のことをいわれ、有田はさっさとバイトをやめてしまう。いっぽうの仁村は社長に呼ばれ、臨時ボーナスをもらう。このとき、仁村はCDを渡すんだっけか。でも、雑な扱いをされて、ちょっとムッとしてる感じ。 この頃だったか、有田から仁村に電話があって。クラゲを飼うのはもういい。お前が引きついでくれ、なことを言われ、仁村は自宅でクラゲを飼うことになる。有田は、クラゲが真水でも生きられるよう訓練中で、水槽に真水を少しずつ足していたんだけど、それも指示する。 クラゲの猛毒のことを社長にいわなかったことで有田はバイトをやめるのだけれど、それだけでは収まらず、社長宅を訪れ、たぶん夫妻を謀殺する。あとから娘が1人歩いている場面があるから、多分そうだろう。殺害直後に、仁村も社長宅を訪れる。途中で鉄パイプを拾って、殺る気まんまんで。理由は、CDを取り返すため。でも、部屋を覗いたら死骸が転がっている…。 この世代って、こんなささいなことでリミッターが吹っ切れてしまい、人を殺そうと思うのか? そういう世代だ、と描いている気がするんだけど、でも、2025年現在の若者に比べたら経済的にも労働環境的にも、そんな悪くないだろ、と思っちゃうんだよな。なにが不満でプッツンしちゃうのか。理解できないし、ひとつも共感するところはない。まあ、監督が考える、2000年前後の若者像ということなんだろう。何を考えているか分からない、とかいう感じかね。 次の場面で有田は呆気なく逮捕されている。なぜ逮捕されたかとか、有田の行為とかはまるでない。面会に来た仁村と淡々と話していて。5年か10年我慢すればでられる。とか言ってる。2人殺してそれはない。けど、社会常識も認識もないアホだ、ということが分かる。それに対して仁村は、10年でも20年でも待つ。と有田に哀願する感じ。 と思っていたら、突然、弁護士事務所。女弁護士が、有田の父親に話している。5年や10年ではない。無期か、ひょっとすると死刑もありうる、と。そりゃそうだろう。父親は興奮を抑えきれない様子で珈琲をこぼしてしまうんだけど、この父親の反応は何なんだ。5年ぐらい会ってない、と言っていたけど。父親はこのあと(有田が自死したあとだったかな? あやふや)、どっかの喫茶店で青年と話をしている。青年は、関係ない、な感じ。どうも有田の兄だか弟らしい。父親がなにを求めて話しているのかは分からない。青年も、なにがいいたいの? な感じで対応している。父親が「なんでも言ってくれ。できることはする」といったら、1000万円貸してくれ。マンションの頭金にする、という。「そ、それは…」「なんでも話せって言ったじゃないか」なやりとりが、不毛。別れるときも、青年は「俺はもう有田じゃないんだから」と、意味不明なことをいう。婿入りして姓が変わったのか? 説明はなし。というか、青年の登場場面はここだけ。とくに話の中で機能していない。 てな感じで。仁村と有田の話に、おしぼり会社の社長がからむ話は終わってしまい、有田の父親が変わって話の中心になってくる。女弁護士も、先の場面だけで、その後はとくに機能していない。もともとの話がズレ始める。 それだけではない。このあたりまでは若者の不満vs大人や社会、という図式のある、古典的な流れの話だったんだけど、いろいろオカルト的になってくるのだ。だから、フツーの見方では映画が読めなくなってくる。なので、実は退屈が始まった。寝落ちはしなかったけど、かなり、ぼうっ、としつつ見ていた。 その後、突然、有田は房内で首をつって死んでしまう。あっけなさすぎ。ここで有田は左手に針金を巻いて、死んでも指差ししてるようにして縊死するんだけど、これまた意味不明。この指差しは、社長が有田の家に来たとき、有田が仁村に「指を指したら行け」「手のひらを胸に当てたら引け」とかいうサインのことなんだろうけど、この話自体がなんだかよく分からない。なぜ仁村は有田の指示に従う必要があるのか? また、自死のときの指の恰好は、仁村に「行け」といってるということなんだろうけど、何に対して「行け」なのか。わけわからん。それにしても、刑務所の中でどうやって針金を入手したんだよ。そっちの方が気になっちまう。 仁村がクラゲの水槽をひっくり返したのは、有田の自死の後だったかな。クラゲは床の下にするりと消えていくんだけど…。 でまあ、なぜか知らんが仁村は有田の父親のリサイクル屋の手伝いを始め、なかよく嬉々として仕事をするようになる。どういうつながりだっけ? なんか、よく覚えてないんだよな。で、あととき床下を開けてみたら、そこは井戸みたいになっていて、例のクラゲがふわふわ浮かんでる。なのでエサをやるんだといって、エサをつくるようになる。クラゲは、なんだかよく分からんが床下の井戸からどういう経路をたどったのか、屋外の水路にも登場する。しかも、複数匹になっている。なので、仁村はどっかの水路にもエサを投入したりする。けど、あんなの意味ないだろ。この映画の場所設定は横浜あたりのようだけど、海に近い水路なのかね。知らんけど。 このあたりだっけ。有田の父親が役所に養子縁組の書類を取りに行くのは。でも、藤竜也がボソボソっといったので、養子でではないかも知れない。でも、有田の父親は仁村を養子にしようと考えたのか? よく分からん。 このあたりの音楽がほのぼの陽気なのが、妙に違和感なんだよな。 そういえば、有田の亡霊がでてきたのは、このあたりだっけか。ただ事務所にいるだけ、だけどね。ストーリーには何の影響も及ぼさない。意味不明。 と思ったら、有田の父親が蘊蓄を語るようなばめんがあったりして。2人の関係がなぜか悪化して。仁村は、だらだらと生きるようになる、のはなぜなんだろう。妹の彼氏の会社でコピー取りのバイトみたいのを始めるけど、なにそれ。妹の彼氏は、仁村を雇えるほど会社で力があるのか? 他の社員もうさんくさそうに仁村を見てるんだけど…。不自然すぎて、うんざり。話の芯がズレ始めると、いまいち面白くなくなってくるのだよな。 どんどん堕落していく仁村。たまたま知り合いになったインカムしてるチンピラ連中と、妹の会社に夜中潜入し、泥棒しようとして。チンピラ連中は逮捕されるけど、仁村はどうにか逃げたんだっけ? 部屋でだらけてるところに妹がやってくるのは、このあたり? ほんと。後半は話がぐだぐだすぎて、よく覚えてないんだよ。 海に向かう水路に、オレンジ色のクラゲがたくさん。しかし、1匹のアカクラゲが、どうやって増えるのだ? 生殖はどうしてるのだ? 猛毒持ってるんだから、警察とか保健所が駆除するだろ。でも、そうはならない。海に近い河口で、有田の父親と仁村。父親が川に入って刺されるんだっけ? それを仁村が助けるんだっけ? その逆だっけ。記憶があやふや。このあたりは、映画に集中できてなかった。つまんないし。 で、インカムのチンピラ連中がどっかで「あの時は大変だった」とか言ってるけど、強盗に入って事務所を荒らして、すぐ釈放されるわけないだろ。執行猶予? のあと、連中は路上の段ボール箱を蹴りながら、だらだら歩いていく。そこに、アカルイミライの題字。で、映画は終わる。 有田の父親と仁村はどうなったんだよ。仁村の妹と、その彼氏はどうなったんだよ。クラゲはどうなったんだよ。なにがアカルイミライなんだよ。次々に話が変容していき、一貫性がない。あれこれ思わせぶりだけど、何科のメタファーになってるとか、そんなたいそうなことでもなさそう。中味がない感じ。おそらく、確たるメッセージはなくて、すべて思いつきだろう。115分版を見たからって、分かるようになるとも思えんぞ。 世代論でもないよな。有田、その兄弟、仁村、その妹、その彼氏、チンピラたちとたくさんでるけど、みんな違う。正社員とバイトという対立項もない。だって正社員になろうとしてるんだから。だいたい仁村が見ている未来の夢って、どんなだよ。夢の話なんてこれっぽっちもでてこないけど。クラゲはなにを表してるんだ? 意味不明。 ・観客13人。 | ||||
| ファイナル・デッドブラッド | 11/10 | シネ・リーブル池袋シアター1 | 監督/アダム・スタイン、ザック・リポフスキー | 脚本/ガイ・ビューシック、ロリ・エヴァンズ・テイラー |
| 原題は“Final Destination Bloodlines”。公式HPのあらすじは「大学生ステファニーは、自分と家族が悲惨な死を遂げるという悪夢に苛まれていた。“ただの夢”ではないと感じた彼女はある手がかりにたどり着く。それは50年以上語られなかった“死の連鎖”のはじまりだった…。過去と現在が交錯する中、次々と迫りくる死亡フラグの数々。死の運命から脱出し、生き残ることが出来るのか!?」 Twitterへは「どんどん死んでくシリーズの最新作。ツッコミどころはあるけど冒頭からノンストップでピタゴラスイッチみたいに、来るぞ来るぞ! 思わず笑っちゃう場面もたくさんあって楽しい。刺青屋の兄ちゃんが、いいとこ?を持ってった感じ。」 冒頭の、スカイビュー倒壊の経緯は面白い。祖母アイリスが登場し、アイリスと婚約者も死んでしまう。あれはステファニーの悪夢だった。はいいんだけど、なぜ彼女はあの夢を見たのか? については説得力がない。 不思議なのは、祖母アイリスが存命であること。アイリスは、なぜか倒壊することを察知し、スカイビューの観客の命を救った、らしい。では、アイリスは、いつそれを察知したのか? Wikipediaには「大事故の予知夢を見た若きアイリスは、会場の来客に避難を呼びかけて事故死を回避させ、死神の計画を狂わせた。」とある。アイリスはいつ予知夢を見たの? 事前に予知夢を見て、恋人(将来の夫)とスカイビューに登り、観客を助けた、のか? のあたりの経過がよく分からん。それに、アイリスと同じ予知夢をステファニーが見ることになった経緯も、分からない。これが大きなツッコミどころだな。 アイリスは、予知夢によって死神の計画を狂わせた。それで死神は、本来死ぬはずだった客を時間差で殺していった。その、次々に死んでいくニュースを耳にし、では自分もいつかは死神に殺される、と山の中の要塞に引きこもった、んだよな。でも、死に神の計画を狂わせた張本人なのだから、本来なら最初に死神の逆襲に遭ってもいいはずなのに、そうなってはいない。これも、ヘンだよな。 で、その要塞ハウスだけど、柵やトゲがうじゃうじゃの家は、スカイビューの歌手の子どもで、アイリスが助けた元黒人少年がつくるのをてつだった、と話していた。死神に狙われていても、一度死んで蘇生した場合は死神の手から逃れられる、という話だったけど、あの黒人がその実例なのか? よく覚えていないのだが。 ステファニーが悪夢=予知夢を見るのは、祖母アイリスの身に、そして、自分たちの家系に死が迫っていることを知らせるため? であれば、夢を見るのは弟でもいいはずだし、伯父の家族でもいいはず。あるいは、出奔したままの母親でもいい。なぜステファニーなのか、という合理性がないんだよな。 アイリスは夫を早くなくしてしまった。それもあって、子供たちにも死神のことをしつこく話して、うっとしー存在と思われていたらしい。とくに娘=ステファニーの母親は、アイリスに影響されたらしく、家族を棄てて突然出奔してしまった。なこともあってか、ステファニーの父親や伯父(母の兄?)夫婦はアイリスのことになると口を噤みがち。でも伯母がヒントをくれて、ステファニーはアイリスに会いに行く。そこでステファニーは、アイリスが死に神の計画を狂わせたせいで、本来、一度に死ぬはずだった人々、つまりスカイビューにいた人々が、徐々に死んで行っていることに気づいた、と知らされる。しかも、長年かけて殺していく過程で、人々は結婚し、子どもや孫も誕生していっている。死に神の魔の手は、そうした子孫にもおよぶらしいことをアイリスは感づいた。というようなことをメモったノートがあり、アイリスはそのノートをステファニーに渡そうと、家から一歩出た。その直後、屋根に金具が落下して、その後はピタゴラ的にあれこれなって、アイリスの後頭部から鉄骨が突き刺さる! アイリスの葬儀には、なぜか出奔していた母親がやってきた。これがあっけらかんとしてるのがヘンなんだけどね。で、死神のことをアイリスからひたすら聞かされたステファニーの母親は、ステファニーが10歳の時突然家族をすて、出奔したままだったらしい。でも、アイリスが死なない限り、系図で下にぶら下がる息子や娘は死なない。ので、アイリスは山にこもって家から出ない生活をすることになった、ようだ。とはいえ、アイリスの家の中がなぜ結界になっているのかは分からんけど。 で、母親も交えてのホームパーティ。伯父はホームパーティでトランポリンで、ネットが剥がれそう、でも下にトゲのついた熊手が…。でもその熊手は母親が気づいて回収。ののち、ピタゴラ的になにかがホースに。あれは水か? の果てに伯父が倒れ、顔面を芝刈り機が砕く! ところで、このとき割れたガラスがドリンクの氷にまじって、さてどうなるかとハラハラさせたけど、あれは結局、事故にはつながらなかったんだったよな。 ここまで、家族はステファニーの話に聞く耳持たずだったけれど、伯父の死をきっかけに、どうしよう、と動揺が始まる。 まずは伯父の長男の刺青屋が、鼻ピアスを天井ファンに引っかけてしまい、痛たたたたた(大笑い)、からの火傷で死んだかと思ったら生きていて。その代わりに、今度は伯父の長女がゴミ回収者に偶然投げ込まれ、圧死。 なぜ長男ではなく長女なのか? 家族の前で疑問を投げると、伯母が「あの子の父親は別人なの」と、不倫の結果生まれたから一族ではないと告白する。大笑いだな。 では、次は伯父の次男という順番。アイリスのノートにあったJBとは何か? JBが病院にいる、と気づいたのは伯母だっけ? で、一同(伯父の長男次男と、ステファニーと弟)は病院に向かうと、JBは、スカイビューでアイリスが助けた、歌手の息子だと言うことが分かる。一度死んで再生した場合は死神に襲われない、とかいう話はJBから聞いたんだっけ? で、長男は次男がピーナツアレルギーなので、これを利用していったん死んでもらい、蘇生したら死神に襲われないだろう、との浅知恵で病院へいき、でも、MRI室に閉じ込められてしまう。そこでまたまた、ピタゴラ的にスイッチが入り、磁場が強くなってしまい、長男のピアスがすっ飛んでく。鼻から口から乳首からチンボコから、ピアスがぴゅんぴゅん! 大笑い。はては車椅子もろともMRIのガントリに引っぱられ、海老反りスタイルで死亡。それでも、長男が手に握りしめていたアレルギー時に打つ薬をもとめ、次男がずりずり。なんとか手にして打つが…。あまりの磁力のつよさに部屋の外の金属まで吹っ飛んでる始末。これに気づいた看護婦がMRI室のドアを開けると、身につけていた金属類がビュンビュン! のなかの何かが、次男の頭に刺さったんだっけか? で、兄弟ともに死亡。一族でない長男が死んだのは、次男を死から蘇生させようと、死に神をジャマしたせいで、恨みを買ったから、だろうとステファニーが説明してた。 にしても、一瞬で夫と娘、息子2人を失った伯母さんは…。その嘆きの様子は描かれず。 これはたまらん。次はステファニー? いや、順番からいったら母親。さてどうする。そうだ。アイリスの家なら死神が入れないはず。(とはいっても、なぜアイリスの家は大丈夫なのか理由は分からんが)自分(母親)が家の中にいれば死なないし、ステファニーも弟も大丈夫なはず。というわけで、母親、ステファニー、弟は一路、母親のワゴンでアイリスの家へ。なれど、家の前の水溜まりにクルマがぼっちゃんと落ちて。母親は車外で壮絶死。ステファニーは車内に閉じ込められ、溺れ死に!? でも、弟が救いだして蘇生させる。家は炎上し、安全な場所はなくなってしまう。でも2人は、ステファニーは死んで蘇生したからもう死神に狙われない、と安心している。 場面は変わって、弟のプロム。正装して彼女のところに向かおうとしていると、列車が脱線してどどどどど…と向かってくる。この脱線をさせたのが、冒頭でいたずら小僧が池から拾って、タワーの上から放り投げようとして注意して、でも、タワー倒壊に一役買った1セント銅貨なんだよね。たしか、どっかのオバサンが病院で拾ったんだっけか(どっから出現したんだっけかな)、を駅(?)の近くで落として、それが線路のポイント変更に挟まって、列車が脱線。ステファニーと弟の背後に迫り、2人は必死に逃げるけど、列車から落ちてきた鉄骨みたいのに2人ともつぶされて死亡。で、映画は終わる。気持ちいいほどみんな情け容赦なく死んでいく。 いや。きもちいい感じでみんな死んでいくね。スプラッター要素は控え目で、でも、死に方はMRIもふくめていろいろ考えられている。 しかし、のこされたのはステファニーの父親(なぜか東洋風な顔立ちなんだけど、実父ではないという設定なのかな? ステファニー自身もヒスパニック風な感じなんだけど)と、伯父の妻だけ。死神はやり遂げました、ということか。 ・ところで、あの、最初にコインを投げた悪ガキは、死んだんだっけ? どうなったんだっけ? | ||||
| 旅と日々 | 11/17 | テアトル新宿 | 監督/三宅唱 | 脚本/三宅唱 |
| 公式HPのあらすじは「強い日差しが照りつける夏の海。海岸でぼんやりと過ごしていた夏男はどこか陰のある女・渚に出会う。何を語るでもなく、なんとなく島を散策する二人。翌日、浜辺で顔を合わせた二人は、台風が近づくなか雨に打たれながら、波打つ海で泳ぐのだった...。海で出会った二人の姿が、大学の講義室のスクリーンに映し出されている。つげ義春の漫画「海辺の叙景」を原作に脚本家の李が脚本を書いた映画を、授業の一環で上映していたのだった。上映後、李は学生から映画の感想を問われ、「私には才能がないな、と思いました」と答える。講義を終えた廊下で、李は魚沼教授と立ち話をする。浮かない顔の李に「気晴らしに旅行にでも行くといいですよ」と飄々とした口調で声をかける教授。ほどなく、魚沼教授が急逝したという知らせが届く。李は弔問のため、教授の弟の家を訪れる。あっけない最期に戸惑う李に、弟は教授の形見のフィルムカメラを半ば押しつけるように手渡す。長いトンネルを抜けると、そこには一面の銀世界が広がっていた。無計画のまま降り立った町で、宿も見つけられずにさまよううち、李はひとつの古びた宿にたどり着く。屋根には雪が積もり、今にも崩れそうなその宿を営むのは、ものぐさな主人・べん造。暖房もなく、まともな食事も出ず、布団すら自分で敷かなければならない。ある夜、べん造は「錦鯉のいる池を見に行くか」と李を夜の雪の原へと連れ出すのだった...。」 Twitterへは「なんとなく『リアリズムの宿』を連想するのは原作がつげ義春のせいか。どうということない話が暗くだらだらと。2作品が原作で、それを入れ子構造にしてるのには意味あるの? 流暢に日本語を話す韓国人脚本家が韓国語で日本映画の脚本を書くのが違和感。」 原作はつげ義春 『海辺の叙景』『ほんやら洞のべんさん』。どっちも、読んでるか読んでないか、記憶がおぼろ。スタンダードサイズ。カラー。 テイストや雰囲気は、つげ義春と言われると、そうかな、とは思うけれど。でも、毛色の違う話をムリやりくっつけて1本の映画に仕立てた感は否めない。2つの話をつなぐのは、韓国人の女性脚本家、李。演じるのはシム・ウンギョン。『ブルーアワーにぶっ飛ばす』『新聞記者』で見てるけど、言葉は変なのに日本人役だったよな、たしか。でも、今回は素の韓国人を演じているのに、かつてより日本語が上手くなっている。その彼女が、冒頭、脚本を書いている。なんとハングルで。日本映画なのに。というところの違和感が、なんか奇妙。では、撮るときには日本語に翻訳したのか? 誰が? 本人が? だったらハナから日本語で書きゃいいのに、と思ってしまう。話せるけど書けないという設定? 作家なら、書くことぐらい覚えるだろ、と思っちゃうよな。 それで始まる、海辺での娘と青年の出会いの話。中味はほとんどない。たまたま浜辺で出会い、会話して、話が通じたのか海岸をうろつき、再会を約する。けれど、翌日は暴風雨。青年は律儀にやってきて、バス停みたいな小屋で待つ。来ないかなと思ったら、しばらくして娘がやってきた、というだけの話。この脚本を、冒頭の李が書いていて、できあがった映画がどこかの大学で上映され、学生に質問されている、ところで、1つ目の話が終わって次の話につながってく。 この娘と青年の話で面白かったのは、娘を演じる河合優実の、「え」「あ」、とかいうセリフの間に入る嘆息みたいな発声で。あらかじめ書かれたセリフを読んでいると言うより、自然に話しているみたい、と思えるところかな。そんぐらい。 で、上映会が終わって、監督と脚本家の李は関係者と挨拶をしている。なかに教授っぽい人がいて、でも、別れた途端その教授が路上で咳き込んでしまう。と思ったら、遺影が映り、李と監督もいたかな、が線香をあげに来た場面になる。ところが、出迎えた男性が、その死んだ教授その人なので、ちょっと戸惑う。けれど、教授は双子で、出迎えたのはその弟だったというオチ。で、亡くなった教授はカメラコレクターで、弟はテキトーな1台をもってきて、「どうぞ」と押しつけるようにくれるという、ヘンな展開。 で、列車がトンネルを抜ける映像。まるで川端康成の『雪国』だ。予約していなかったのか、カメラを片手の李はどのホテルも満室と断られ、あるホテルで山の方の宿を紹介されていくんだけど、それがなんと令和から大正時代に遡ったような雪深いところの藁葺き屋根(?)みたいな、電気はあるけど水道は? な感じのあばら屋で、いるのはジジイの店主一人。ヨタヨタつくってくれた食事を囲炉裏の横で食べ、眠るのも囲炉裏の横という、なんだそれは、あり得ないだろ、なところなのだ。トイレはどうした、風呂はあるのか? 着替えなんかこんなところでできんだろ、とツッコミ始めたら止まるところがない。まあ、ファンタジーなんだろう。 李がなぜこんな雪国にやってきたのかは分からんけど、次の脚本でも書こうと思ったのか。そういえば、なにがまた書いていたな。相変わらずハングルで。 桶に魚がいるので主人に聞くと近くの川で獲った、という。しかも、もっと凄い錦鯉が近くにいるから、行くか? という。それで夜中にカンジキ履いて網を持って雪の中を行くと、たどり着いたのはどこかの屋敷の池。しかも突然話しかける少年がいるので誰かと思ったら「父ちゃん」という。宿の主人の前の女房の子どもらしい。よく分からんけど、嫁は息子を連れてでていき、この家の男と一緒になった、らしい。土着的な田舎の話だな。で、宿の主人はこの家の池から錦鯉を盗み(もちろん李は「やめろ」と言ったけれど)、またエッチらと宿まで戻ってくる。もどってきて、李はカメラをなくしたことに気づいて、取りに行こうとするが、主人は「見つかるのは来年の春だ」と取り合わない。いっぽう、かの家の元妻はカメラを発見し、泥棒が入ったことに気づく。だれがやってきたのか、息子に聞きゃあ,すぐ分かるよな。 宿に戻って錦鯉をみると桶の中で凍っていて、がっくり。おい。そのぐらいのこと、この地に住むジジイならわかるだろ。で、夜中だか翌朝には警察が宿にやってきて。サイレンの音が聞こえるので、こんな山の中にどうやって、と思っていたら、どうやら車の通れる道が近くにあるようだ。なーんだ。そのあとはどうしたんだっけ。警官は、宿の主人となあなあだったな。捕まったんだっけ? なんか、警官がいるのに、鯉を焼いてたような絵があったよな。で、翌日なって、なのかな。李は、雪に足を獲られながら帰っていく。で、オシマイ。 だからどうした、な話がトンネルを抜けてファンタジーに変わり、よく分からん盗人話で終わるという、すっとぼけた話だった。つまらなくはないけど、とくに面白くもない、というか。 | ||||
| UNloved | 11/19 | シネマ ブルースタジオ | 監督/万田邦敏 | 脚本/万田珠実、万田邦敏 |
| Wikipediaのあらすじは「公務員の影山光子(森口瑤子)は起業家の勝野(仲村トオル)と恋に落ちるが、それまでとは違う裕福な暮らしには戸惑いを感じている。やがて彼女はアパートの階下に引っ越してきた下川(松岡俊介)に惹かれ始める。」 Twitterへは「欲のない足るを知った人生。といったテーマが、無機質な禅問風に語られるので、ドラマとしてはくどい。大島渚あたりの会話劇を見てるよう。しかし、欲望や向上心は人間に備わった本性だから、そう否定するべきでもないと思うし…。な、ヘンな恋愛モノ。」 「UNloved」は、愛されぬもの、のことらしい。仙人みたいに欲がなく、向上心もなく、現状維持で満足、という30オーバーな公務員女性光子と、成り上がって金にものを言わせる38歳の若手起業家勝野、同じアパートに住む高卒で単純作業に就いていて、でも欲はちゃんとある28歳男下川との妙な三角関係の話。 光子は、昇進試験も受けず、単純事務労働とお茶汲みで満足、通勤も自転車、質素な衣服で過ごしてもの足りている女性。でも、性的欲望は人並み以上にあるんだよな、これが。仕事で知り合った勝野にお茶や食事を誘われるとホイホイついていくし、なんなら「家に寄っていかない?」と自ら誘うようにして肉体関係をもつ。もしかしたら光子にその気はなかったのかも知れないけど、かたちとしては光子が誘ったようなもんだよな。 で、勝野が光子にドレスを新調してやり、高級レストランで食事しようとすると、そんなものは要らない、と突っぱねる。で、対論になるんだけど、これがもう堂々めぐり。光子は、今の暮らしで十分。ドレスも食事も求めていない。広い家に一緒住まなくても、私はこのアパートで満足。といってものに、勝野は金目当てで近寄ったんだろ。意固地になってるだけ。素直になれよ、的なことを言う。 この対話のときなんだけど、向き合って淡々と無感情にメッセージを読み上げるみたいに話すんだよね、両者とも。これが紙芝居みたいでやな感じ。ちょっと調べたら、感情を込めずにしゃべれ、と監督が演出したらしいんだけど、むかしの大島渚の会話劇みたいで、共感できず。ドラマになってなくて、ただの読み上げになっちゃってるから。しかも、同じような内容の対論を何度も繰り替えす。勝野だってバカじゃないんだから、こういう(生来欲がなく向上心もない)女なんだ、って察しろよ、と思う。けど、しない。まあ、映画的な都合なんだろうけど。 それで光子は勝野と距離をおく。その後、コンビニで買い物中にお金が足りなくて、たまたま店で出会った下川(最近、光子の下の部屋に越してきた)に300円借りる。光子は後に、この人となら自分の生活を変えずに関係が維持できる、と思った、と述懐している。で、お金を返し、光子がリンゴを差し入れたり、下川の知人が出演するコンサートな行ったりしているうちに関係をもち、勝野とでは味わえない幸せを交接時に感じる。で、始まった光子と下川の関係。でも諦められない勝野が光子の部屋にやってきて、またまた対論が始まったりする。「あなたは人を見下してる。プライドの人」とか言われ、考え込んだり。そしていつのまにか勝野との関係は薄れていく。そういえば、この後で別れた妻に電話して、「僕は人を見下していたかな?」などと聞いて「いまごろ気がついたの。もう電話してこないでね」と言われたりしていた。まあ、傲慢な男の記号的な表現だな。 いっぽうの下川は女性と関係で来て有頂天な感じで。今の仕事をやめて出版関係にいきたいとかいいだし、光子に「ムリ。いまのままでいいじゃない」といわれたり、「一緒に持って広いところに引っ越そう」といって「いまのままでいいわよ」と言われたりして不満な様子。いい生活がしたい、もっとモノが欲しい、という欲が出てくるのだよね。でも、それって自然だと思うけどね。向上心と欲望。それがあって人類は成長してきた。それを否定する考え方も、ある。禅とかキリスト教的な無欲の考え方。でも、光子は宗教にはかぶれていない。でまあ、初めてお金を借りたときは、あなたとならいい関係が保てると思ったのに、とか言われ、距離をおかれるようになる。 それでなのか、下川は勝野のマンションを訪問する。雇って欲しい、と頼みに行ったつもりだろうけど、そうは口にはしていない。なのに、マーケやITの書籍を渡し、読み終わったら面接してやるよ、といったのは、下川の気持ちを読んだから? まあ、あとから、あれは嘘、と勝野はいうんだけど。ところで、勝野が帰宅したとき彼に従っていた女子社員は、なんなんだ? 彼女に渡したのは、札束? よく分からん。 この下川との関係も、どっちかといったら年上のお姉さんが誘ったかたちなんだけど、男に対する性的欲望は、光子にはあるようで。でも、自分の規範に則した関係下で、らしいけど。しかし、光子って変な女感すご過ぎだよな。男を食いものにして捨てていく欲のない女とも言えるし。 それで光子と下川と対話し、光子が下川を非難し、下川も退散しようとするんだけど、なぜか急に心変わり。「最初は君が僕を選んだけど、今度は僕が君を選ぶよ」と光子のところに戻って抱擁。映画は終わるんだけど、下川の向上心も欲望もなくなったわけじゃない。しばらくすれば、また同じだよ。これですべてが解決するとは思えないけどね。 不思議なのは、下川のセリフは割と感情が入っていて、勝野の無機質なのとは違うこと。なんなんだ でね。光子は足るを知り、欲望や向上心に無関心で、身の丈で生きる、を続けている。けれど、それはいつまでも続くわけではない。下川とつき合っていて、結婚したいとか子どもが欲しいとか、でてくる可能性もある。そういうことにも、光子は無関心なのか? でも、10年経ったら光子も下川もアラフォーで、あとは老いていくだけ。男女の関係だって、3年もすれば飽きてくる。下川も、オバサンの身体を求めなくなる。そうしたら、どうしようと思っているのかね。それでもいい、のかな。 欲のない人間は、ある意味でつまらない。坊さんにでもなって一人で暮らせばいい。つき合う相手に自分と同じ価値観を求めるのは、勝野や下川が光子に自分の価値観を求めたのと同じことではないか。 無欲で生きることがいいことであるとは思わないので、この映画は違和感しかない。ほどほどの、身の丈に合った欲は、幸せにつながると思うけどね。他人を蹴落とさず、マイペースで生きる、はいいんじゃないの? そもそも光子が公務員になったってことは、試験を受けて選ばれているんだろうから。その時点で競争に勝っている、とも言えるわけだし。 ・ところで、光子が手のひらを開いたり閉じたりする映像が何度か挟まるんだけど、あれは、なにを意味しているの? | ||||
| 見はらし世代 | 11/20 | ル・シネマ 渋谷宮下9F | 監督/団塚唯我 | 脚本/団塚唯我 |
| 公式HPのあらすじは「再開発が進む東京・渋谷で胡蝶蘭の配送運転手として働く青年、蓮。ある日、蓮は配達中に父と数年ぶりに再会する。姉・恵美にそのことを話すが、恵美は一見すると我関せずといった様子で黙々と自分の結婚の準備を進めている。母を失って以来、姉弟と父は疎遠になっていたのだ。悶々と日々を過ごしていた蓮だったが、彼はもう一度家族の距離を測り直そうとする。変わりゆく街並みを見つめながら、家族にとって、最後の一夜が始まる」 Twitterへは「家族より仕事優先な建築科の父親のせいで、バラバラになった家族の話なんだけど、いろいろツメが甘すぎて、話もいささかバラバラ。父親に見捨てられた姉と弟は、どうやって成長したんだ? それが気になりすぎて、どこも共感できず。」 最初は一家四人でサービスエリアで食事して、別荘(なのか?)に向かう。が、父親の初に電話で、コンペの最終選考に残ったので相手先と合う必要もあるし、帰りたい、と妻の由美子に言う。「一家そろって3日間過ごすって言ったのに・・・」「これが建築科人生の分かれ道になる仕事なんだ…」と軽く言い争うけど、翌日までは居ることにしたのかな。由美子は気怠そうにソファで横になっている。で、たまげたのは、海に近い広い庭付きの別荘だってこと。大金持ちじゃん。この時点で同情の視点はなくなったね。 10年と半年後。20歳過ぎなのか、息子の蓮は花家で働いている。4歳上の娘の恵美は、もうすぐ結婚で同棲(なのか?)のために転居するから荷物を運んでくれ、と蓮に話している。この時点で、蓮はアパート住まい。恵美は分からず。 あとから分かるんだけど、母の由美子の四周忌だかそのあたりに父親の初は海外に仕事を得て、子どもをおいて移住した、らしい。由美子が死んだのはいつなのか。よく分からんが、10年前の直後みたいに思える。仮に10年前に蓮が11歳で姉の恵美が15歳だとすると、その歳で母を失い、父に捨てられた、ということになる。では、子ども2人を養育したのは誰なんだ? 初は養育費を出したのか? 子ども2人の教育水準はどうなったんだ? 高校は出たとして、大学はどうしたんだ? とか、疑問が湧くけど、答が最後までない。このもやもやのせいで、この映画の説得力はほぼゼロになった。 ま、大きな流れとしては、10年余りののち、父親の初は海外で成功。国内でもMIYASHITA PARKを設計して名声を確立(って設定だけど、嘘だろ? いいのか、そういうの)。自分の事務所ももつようになった。一方の娘と息子は母に死なれ、父親には見捨てられ、父親とはごくたまにしか会っていない。生活はちゃんとしてるけど、息子の蓮は父親を憎んでいる。娘の恵美は、関係ない人、と思っている。で、たまたま蓮が花を配達したら、そこが父親初の個展会場で、目が合って棒立ち(になる必要性がどこにある?)。さらに、関係者に肩を叩かれ花を落として壊してしまう(どこまでトンマなんだか)。で、姉に父親が帰国していると話すと、どうでもいい、と返されてしまう。でもさあ、珍しく帰国している、というわりに初は事務所に詰めて仕事してるし、海外感はないんだよな。 蓮は、初の会場で怒鳴ったことが発覚し、会社を首。このとき、女性の同僚も「私もやめます」と同調したのはなんでなの? 違和感しかない。 蓮が父親を憎んでいる理由がよく分からない。捨てられたから? 縁を切られたわけではないだろう? 金ぐらい送ってきたんじゃないのか? 誰に養育されたか知らんけど、5年ぐらい会ってない、ってことは18ぐらいで会ってるわけで。経緯が不明すぎ。母親の死についても言及なんて。10年前の様子から見ると欝で、自死? と、想像。そういう状態の妻を見放した、という説明は特にない。嫌い、といってる癖にすでに閉まっている個展会場に潜入し、スタッフに父親へのメッセージを残す。たぶん、10年前のサービスエリアでいついつ待ってる、ということなんだろう。 で、姉の引っ越しを、元の会社の同僚に頼み込んで、クルマの鍵を借りる。犯罪ではないか。で、引っ越すふりをして10年前のサービスエリアに行き、父親と3人で昔と同じテーブルを囲む。はたして蓮は父親に何をつたえたかったのか、不明。恵美の方は、あっけらかんと父親を他人扱い。と、とつぜん天井から電球が落下するんだけど、これまたオカルトで。テレビのニュースで、どこかのオバサンが、なんど電球を変えても落ちる、きっと霊が…。とこじつけ的なエピソードをくっつけてるだけ。 というところに、母親由美子が現れ、テーブルに着く。「え?」とは反応するけど、違和感なく母親を受け入れる3人。変なの。オカルトかよ。姉弟は席を離れ、両親が話しているのを外から見守る。なんなんだ? で、父親初は妻由美子をバイクの後部座席に乗せて走っている。だよな。スタッフ女性じゃなかったよな。 このあたり、話がもうムチャクチャ。そもそも初は会社のスタッフでつき合っている女性を乗せてやってきていて、子供たちに紹介しようとしていたのに。では、彼女はどうやってサービスエリアから都内にもどったんだ? スタッフ女性に由美子が乗りうつった? 何がどうなったのか分からんまま、映画は終わる。蓮の怒りは収まったのか? 恵美は、周囲には結婚すると言いつつ、同棲相手には結婚を切り出せていないし。父親は、相変わらず子供たちとは縁切り状態がつづくのか? で、蓮は失職のまま? なにも解決してないじゃないか。ああ、じれったい。 ・MIYASHITA PARK(見てる映画館のすぐ近くなのがおかしい)の開発で、浮浪者が追い出されたこと。蓮の会社の近くの公園も再開発で浮浪者が追い出されつつあること。初の会社が、浮浪者を追い出すようなプランの仕事を受注したこと。などなど、再開発と浮浪者の問題をチラチラだしてるけど、取って付けたような正義感でうっとうしい。そもそも世界的な建築科が、社員を食わしていくために必要だから、って、そんな企画に食いつくのかね。かつかつなの? ・最後。LUUPに乗った青年男女が登場するけど、ありゃなんなの? 突然。意味不明だな。 | ||||
| クリスマス・イブ・イン・ミラーズ・ポイント | 11/25 | ル・シネマ 渋谷宮下 7F | 監督/タイラー・タオルミーナ | 脚本/タイラー・タオルミーナ、エリック・バーガー |
| 原題は“Christmas Eve in Miller's Point”。公式HPのあらすじは「ロングアイランドにある小さな町のとある家。クリスマス・イブの夜に、4世代のバルサーノ家が集まった。しかし、毎年恒例のこの集まりは、もしかしたら最後になるかもしれない。陽気に飲み語らうおばやおじ、いとこたち、そして家族の中心である祖母。皆が賑やかな祝宴に夢中になる中、若いエミリーとミシェルはこっそり抜け出し、郊外の雪景色を自分たちの反抗の舞台に変えていく。」 Twitterへは「ある大家族の、祖母、息子・娘世代、孫世代が集まるイヴの晩。うじゃうじゃ30人ぐらい出てきて、誰が何やら。説明もなく、ドラマもなく、散文的に描かれるだけなので、飽きるし、なにも印象に残らない。」 冒頭は、帰省するある一家のクルマの中。父親と娘=エミリーなのかな、は認識できたけど、あとはよく分からん。が、某家に到着して、歓迎される。家の中には2〜30人の人々。なんなんだ? あとはもう、有象無象が断片的かつ散文的に写され、つながれるだけ。息子世代なのか? が数人で母親を介護施設に入れる入れないを話してるが、どういう関係なのかよく分からん。兄弟なのか、従姉妹もいるのか? とか。で、その母親=祖母に当たる人物が誰なのかよくわからんまま。ってのも、椅子に座ってる元気のなさそうな黒い服の婆さんと、ほかに赤い服を着た婆さんがいるから。この2人の関係は? まあ、だんだん、黒婆さんが祖母、と分かりはするんだけど。ほかに、20凸凹の青春グループ。メインテーブルに着いていない学童・幼児グループもいる。けど、誰が誰の子どもで従妹なのか兄弟なのか、はさっぱり分からない。そのうちなにかドラマでも発生し、話が転がるのかと思ったらそんなこともなく。ただもう、断片的に、何かよくわからんその場の会話を続けている。悪人はいない。弾かれる人物もいない。和気あいあいなまま。テンポは早いけど、内容的にはだらだら…。なので、飽きる。親世代が何か話しているとき、少しウトウトしてきて…。はっと気づいたら青年グループが外に繰り出していた。何を見るのかと言ったら、デコトラ見たいのが街を走って行く。後から分かるけど、街の消防車がライトをつけて走っていく、だけだった。その消防車に乗っていたっていうオッサンもあとから家族の団らんに加わって。わけ分からんまま、映画は終わる。ただそれだけの話。こういうのを見てアメリカ人はクリスマス気分に浸れるってのか? よく分からん。 でも、こういう、意味不明のだらだら映画がお好みなひともいるから、世の中分からない。 ・顔を知ってるスターが皆無。なので、人物の誰にも惹かれない。印象に残る役者は、おデブ娘ぐらいかな。とくにどういう役割をはたしてたのかは分からんけど。冒頭に出てきたエミリーも、かわいいけど、特に機能していない。 ・アクセントで登場するバカ警官2人組。スピード違反を捕まえないのはなんでなの? ってか、この2人、ろくにボケも発揮してなくて、つまらない。でもゴミ泥棒には反応? ・その、ゴミ箱漁りに怒る女は、なんなんだ? 最後、娘の1人がゴミ箱からドーナツの入った袋を持ち逃げする場面で映画は終わるけど。なんかこのドーナツに意味あるの? ・墓場で突っ立ってる3バカ青年は何なんだ? バカ警官に職質されてたけど、これまた意味不明。 | ||||
| アニキ・ボボ | 11/25 | ル・シネマ 渋谷宮下 7F | 監督/マノエル・ド・オリヴェイラ | 脚本/マノエル・ド・オリヴェイラ |
| 1942年ポルトガル映画。原題は“Aniki Bobo”。公式HPのあらすじは「ドウロ河近郊に暮らす少年たち。カルリートスは内気な夢想家で、エドゥアルドは恐れを知らぬリーダー。二人はともに、グループで唯一の少女テレジーニャに恋をしている。ある日、カルリートスはテレジーニャが欲しがっていた人形を盗み、彼女にプレゼント。そのことをきっかけに少年たちの間に緊張が高まり、カルリートスはグループから仲間はずれにされる……。」 Twitterへは「マノエル・ド・オリヴェイラ監督1942年製作のデビュー作。子どもの世界の遊びとイジメと淡い恋心。女の子は昔もいまも喧嘩の強い男の子が好きなんだな。けっ。話はとくに面白くもない。まあ、時代だな。」 ポルトガルは大戦中に中立を保ってたはず。そういう最中の映画。白黒、スタンダード。マノエル・ド・オリヴェイラがどういう監督かはよく知らない。映画のほうは子どもたちが主人公で、悪さをするけど反省して改心する、というような単純な内容。意地悪に見えていた店の主人が実は正直で優しい人物だった、というところが、よくある感じではあるけれど、話のミソかな。子どもよりも、店主の方が印象に残る。71分と短いのは、当時の感覚なのかね。 ストーリーは↑のあらすじの通り。ガキ大将のエドゥアルドがいて、配下の子供らがいる。なかにカルリートスもいる。けど、ともにテレジーニャのことが好き。で、テレジーニャはエドゥアルドに傾いている。ふだんは仲よく水遊びをしたりしたりしてる。でも、エドゥアルドはカルリートスに悪人役をさせたり、意地悪。それでカルリートスはエドゥアルドに対抗心がある。あるときそれが表に出て殴り合いのケンカに…。 しかし思うのは、女の子ってのはいつの時代も知的なやさ男より、野蛮なガキ大将に惚れるんだな、ってこと。これはどこの国でも同じなのか? てな意中の娘が、店頭に飾ってあった人形を欲しがってる、というのを察知したカルリートスは店主のスキを盗んでかっぱらい、「貯金で買った」と嘘をついてテレジーニャに与える。しかし、モノで転ぶ女ってのも、むかしからなのか。 いずこの国の子供たちも、列車が通ると手を振ったりする。あるとき、エドゥアルドがカルリートスが取っ組み合ってると、崖下を列車が通過する。エドゥアルドは走って崖の端へ。カルリートスも追随する。でもエドゥアルドはバランスを崩して転落。ひかれるのは免れたけれど、たまたま見ていた店主らが助け、救急車で病院へ。このとき、ガキ仲間は、カルリートスがエドゥアルドを突き落としたと思い込み、彼を仲間はずれにする。そこを救ったのが店主で。エドゥアルドは1人で落ちた、カルリートスは押してない、とガキどもに話して、一件落着。 結局人形は、カルリートスがテレジーニャから受け取り(この経緯はどうだったんだっけ。忘れた)、店主に正面から「ごめんなさい」と返却。すると店主は「この人形は私からカルリートスにあげよう。君が渡してくれるかい?」ってことになって、人形の件も万事丸く収まるという、なんとも都合のいいエンディング。店主だけが損してる。 たぶん、ガキ大将エドゥアルドは怪我が治ってもいじめっ子のままだろう。カルリートスは、生まれつきの盗癖は直らないと思う。テレジーニャは、人よりモノの女性だから、長じてモノくるる男によろめくはず。という現実をうまく糊塗し、みんないい人で結着をつけてしまってる。映画だからなあ。とはいえ、楽観的なことには変わらない。 ・ガキ仲間の、カルリートスと仲のいいチビが、走ると必ずコケるって演出が笑える。 ・店の丁稚みたいなバカ青年。いつもドジばかりで店主にひっぱたかれっぱなし、ってのも、お気の毒。 ・それにしてもむかしは、スタントなしに子どもが高所から水に飛び込んだり、屋根の上を歩いたり、屋根の上でコケたり。危険な撮影やってたんだなあ。というのが面白い発見。 ・題名の“アニキ・ボボ”ってのは、なんなのだ? 会話中では、何かをするときの前に威勢を込めて「アニキ・べべ! アニキ・ボボ!」って、掛け声のように歌ってたけど。意味不明。 | ||||
| 落下の王国 | 11/28 | ル・シネマ 渋谷宮下 7F | 監督/ターセム | 脚本/ダン・ギルロイ、ニコ・ソウルタナキス、ターセム |
| インド /イギリス/アメリカ映画。原題は“The Fall”。公式HPのあらすじは「時は1915年。映画の撮影中、橋から落ちて大怪我を負い、病室のベッドに横たわるスタントマンのロイは、自暴自棄になっていた。そこに現れたのは、木から落ちて腕を骨折し、入院中の5才の少女・アレクサンドリア。ロイは動けない自分に代わって、自殺するための薬を薬剤室から盗んで来させようと、思いつきの冒険物語を聞かせ始める。それは、愛する者や誇りを失い、深い闇に落ちていた6人の勇者たちが、力を合わせて悪に立ち向かう【愛と復讐の叙事詩】」 Twitterへは「公開時に見て少し寝てしまった記憶が…。よーし。今度はちゃんと見てやるぞ! と思いつつ、早々に沈没。世界観は嫌いじゃないんだけど、いくら奇景や戦隊ものみたいなカラフル盗賊がでてきても、ドラマとして面白くないとダメだ。」 4Kリマスターだそーだが、よく分からず。でまあ、また寝ちゃうのかな、と思っていたら、始まって10分ぐらいで睡魔に襲われ、たぶん20分ぐらいは寝てたかも。気がついたら、ケチャの場面のちょっと前だった。以降はちゃんと見たんだけど、ロイが語る物語が、やっぱりよく分からない。ちゃんと論理的なドラマになってるのか? その場その場の断片的なシーンが登場するだけ、みたいに思えたんだよね。あと、登場する面々が、またよく分からず。っていうか、物語の主人公と、話を語るロイが同一人物というのも、しばらく気がつかなかった。そもそも特長的な顔じゃないから、だったんだけど。で、ほかの仲間たちも、どういう役割で、どういう結びつきで、何をしようとしているのか、も、ピンとこない。後半になって、入れ歯をカタカタさせる男がでてきて、あ、あれは病院にいた、でも死んじゃったやつなのか。ってことは、病院の入院患者とかをモデルにロイは物語を即興的につくっていたのか? と気づいたんだけど、あとの祭。結局、最後まで見ても、何のことやら分からないままだったな。 世界の奇景は、以前に感じたほどの驚きはなかった。かつて印象的だった階段だらけの建物も、知ってしまってから見ると、ああ、あれか、な感じだし。タージ・マハールも、特別感がない。わりとフツーな感じ。予告編にあった像が泳ぐところは、どうやら寝てたようだ。砂漠で、どっかの王女みたいのを追跡するところも、なんなんだかよく分からず。 いっぽうで、病院の中でのロイと少女のやりとりの部分が結構長いのに驚いた。なんとなく覚えている場面も少なからず。とはいえ、看護婦とか、訪問してきていた美女が誰何だか、てなことは分からず。寝ていなければちゃんとつじつまが合って腑に落ちるのかな。 ・CG使ってないらしいけど、身体の表面が凸凹ができていくところなんかは、どうやったんだろう。建物が爆破されるところは、ありゃセットか? ・見終わってからWebを見ての感想だけど、物語に登場する盗賊は色分けされていて、ゴレンジャーみたいな戦隊もの感があるな。 | ||||
| 君の顔では泣けない | 11/28 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3 | 監督/坂下雄一郎 | 脚本/坂下雄一郎 |
| 公式HPのあらすじは「高校1年生の夏、坂平陸と水村まなみは、プールに一緒に落ちた翌朝、体が入れ替わってしまう。必ず元に戻ると信じ、家族にも秘密にすると決めた二人。だが、“坂平陸”としてそつなく生きるまなみとは異なり、陸はうまく“水村まなみ”になりきれず戸惑ううちに時が流れていく。もう元には戻れないのだろうか。“自分”として生きることを諦め、新たな人生を歩み出すべきか…。迷いを抱えながらも二人は、さまざまな人生の転機を経験していく。しかし、入れ替わったまま15年が過ぎた30歳の夏、まなみは「元に戻る方法がわかったかも」と陸に告げる…。」 Twitterへは「高校生の男女が、身体はそのままに心が入れ替わる話。『転校生』『君の名は。』がすぐ浮かぶ。何番煎じだ? どうせやるなら、それ以上にしてくれ。いろいろ不自然だし、ツッコミどころ満載過ぎて、ムダに長く退屈だった。」 なぜ2人の体と心が入れ替わったのか? その理由が描かれていない。冒頭で、プールに落ちた水中の2人の様子はスローであるけど、なぜ一緒に、服のまま、ほぼ並んでプールに入った(落ちた?)のかが説明されていない。当然ながら、それ以前の坂平と水村の関係も、一切説明されていない。そういう2人が、なぜ、学校のプールに昼間、入ったのか? で、次の場面は30歳になった2人が喫茶店で「15年間もとに戻らなかったね」と話している。口ぶりも途中から、坂平は女口調に、水村は男口調になって、「いまだにでるな」とか言っている。まんがいち、入れ替わった生活を15年していて、そうなるものなのか? っていうか、そもそものところから疑問だらけ。 ・プールから出て、入れ替わってる、と気づいたときの反応は? ・濡れたまま家に帰ったのか? ・校内の、男子と女子の移動空間とかお互いに知らないはずなので、どう判断、行動したのか? ・互いの家を知っていたのか? とくに幼なじみ、とも紹介されてなかったけど。 ・初めて入る互いの家、互いの部屋。ほぼ初めて話す互いの両親や兄弟。どう対応したのだ? ・女子になった坂平は、生理の対処法など知らんだろうに。 ・互いに、初めての異性の身体をもって、どう感じ、対応したのか? この手の話では、互いに恥ずかしがる場面があるのがフツーなのに。 という、定番の違和感、慌てぶりがすべて省略されている。そういうシナリオ、演出にするということだったんだろうけど、不自然すぎて首をひねってしまう。 で、映画は、17歳とか27歳とか21歳とか、よく覚えてないけど、節目節目に喫茶店で会って互いの近況を報告することにしたらしい。けど、この喫茶店、いつも客がいない。店主のオバサンはなにも喋らず。これなども不自然すぎてもぞもぞする。 互いの家を訪問する場面もあって、外見は男子の水村が、実の両親と食事する。両親は歓迎ムードで、こんな友だちが、なんて喜んでいる。母親は、外見男子の水村に「三角食べするのね。うちのまなみは、むひとつひとつ平らげるようになっちゃって。変わっちゃったのよね」なんて言っている。いやいや、そんなささいなことより、普段の態度や行動が違うだろ。たとえば外見男子の水村は、どうみてもホモだろ。あのなよなよした口調や態度(そういう演出なんだろうけど)。家族も友人も、最初に気づくなら、そこのはず。でも、そうはならない。とてもヘンな感じ。 逆に、外見は女子の坂平が、自分のアパートを訪問するところ。これ、とても不自然。なぜか母親は不機嫌で訪問を歓迎しない。あの母親はいったいなんなんだ? しかも外見男子の水村も、フォローしない。父親は歓迎気味だけど立場が弱いのか、なよなよしてる。なんなんだ、坂平の家庭は? さらに後年、外見は女子の坂平が自分のアパートを訪問というか、覗き見するところなど、アパートの専用庭をふらついているのに、坂平の両親は気づきもしない。ヘンすぎだろ。 にしても、頭の中でつねに、この娘は実は男、この青年は実は女、と変換しなきゃならんので、混乱するし疲れるんだよな。まあいい。 17歳の、外見は男子の水村が、学校の屋上で、外見女子の坂平に、初体験した、と告白する場面がある。しかも、さらっと。ええっ? だよな。いくら機会があったからって、心が女の坂平が、同性の娘に勃起するのか? しかも、性交できるのか? 心はレズ的感覚ではないのか? 外見は女子の坂平は、もとからの男性友人に告白されてつきあい、身体を許し、ついには結婚して子どもをつくる。げげっ。これって、ゲイな気分にならないのか。いくら身体が女性でも、心は男なんだから。 フツーなら、外見女子で中味は男なら、男とはつき合わないだろ。むしろレズになるような気がする。そして、外見男子で中味が女性なら、男性に惹かれるのではないのか? その方が自然だと思うんだが。 よく考えると、ホラーだよな。この関係。 坂平の両親、とくに母親の存在は設定がぞんざいすぎ。父親も弟も機能していない。水村の両親も、いつも食卓でバカ話してるだけで、機能していない。いろんなところが、ぎくしゃくしたまま、なので、すんなりと腹に落ちないのだった。 ところで、2人が落ち合う喫茶店。一度、店主が女性ではなく、男だったのは、なんで? 意味があるのか? にしても、狭い町で2人がしょっちゅう一緒にいたり、後々も喫茶店で密会したり、学校では屋上にいたり。どうみたって傍から見たらつき合ってる状態。なのに話題にもならないのはヘンすぎ。 水村の母親も言ってたけど、2人が結婚するのが、すんなりとした落とし所だと思うんだけど。だって、それならレズにもゲイにもならない。入れ替わったままで、異性との性交渉ができるわけだし。だから、外見女性の坂平が、友人男性と結婚するのは、異様としか思えないな。 | ||||