2025年12月

おーい、応為12/1シネ・リーブル池袋シアター1監督/大森立嗣脚本/大森立嗣
公式HPのあらすじは「北斎の娘、お栄はある絵師のもとに嫁ぐが、かっこうばかりの夫の絵を見下したことで離縁となり、父のもとへ出戻る。父娘にして師弟。描きかけの絵が散乱したボロボロの長屋で始まった二人暮らしだが、やがて父親譲りの才能を発揮していくお栄は、北斎から「葛飾応為という名を授かり、一人の浮世絵師として時代を駆け抜けていく。美人画で名を馳せる絵師であり、お栄のよき理解者でもある善次郎との友情や、兄弟子の初五郎への淡い恋心、そして愛犬のさくらとの日常…。嫁ぎ先を飛び出してから二十余年。北斎と応為の父娘は、長屋の火事と押し寄せる飢饉をきっかけに、北斎が描き続ける境地“富士”へと向かうが…。」
Twitterへは「北斎の娘を描く話。脇役の説明もとくにないままだらだら山なし谷なしで時代が過ぎていくだけなので、つまらない。稼ぎはあるだろうに、貧乏暮らしの理由は? 描いている絵は、依頼なのか? 暖簾や看板の文字が万葉がなでないテキトーさ。」
全体的にいろいろ説明不足なままだらだらと始まり、だらだらと時代が過ぎていき、だらだらと終わる、という感じかな。ドラマがほとんどなくて、人物の絡みも曖昧で深みがない。なので、退屈極まりない。
1820年にお栄は夫の家から出て行き、北斎のもとに転がり込む。このとき、何歳なのだ? Wikipediaで見ると生没年不詳で、1855、6頃に67歳で欲したという説が載っていた。ということは、1820年には30前ぐらい? 演じる長澤まさみは御年38歳らしいが。で、↑のあらすじでは夫の絵を見下して離縁、とあるけど、映画では離縁と説明されていない。ちょっと別居、なのかなと思ってた。それと、このあたりで当時の絵師の番付が映るんだが、北斎が審判役みたいな位置にいるのは分かる。で、そのあとにも、前頭あたりの絵師の名が映るんだけど、ありゃなんなんだ?
で、以後、北斎のもとでゴロゴロ煙草吸って飲んだくれてばかり、なんだけど。彼女が絵を描く場面がない。そもそもお栄は幼少期〜嫁いだ頃に、絵をたしなんでいたのか? ということが分からない。出戻って北斎に手ほどきをされた気配もないし、自分で修練している様子もない。なのに、いつのまにか、北斎と一緒に自分の絵を描くようになっている。あの辺りの経緯が分からんのだよ。
友人知人も、よく分からん。土手みたいなところで男と話す場面があったけど、ありゃ誰なんだ? 以降、登場しなくなったと思うが。それと、オカマみたいな善次郎も、いったいどういう人物かよく分からない。話の輪郭、人物の輪郭がぼんやりしたままなので、共感するところもないのだよ。
あとは、長澤まさみが、でかい。北斎の部屋から外に出てうろうろするところなど、他の役者と比べて背筋が伸びすぎ姿勢が良すぎで、大柄でがさつに歩く。そういう女が絵を描く、という感じがしないんだよな。キャラ設定はあんなでよかったのか?
話は1820年から始まって1821年、1832年、1833年、1848年、そして1849年に北斎が死ぬところまで。その間に、とくに大きな出来事もない。津軽藩の侍が来て北斎に、屏風に絵を描いてくれ、と頼むって話はあったけど、だからなに? な感じだ。結局何年か後に描きに行くんだけど、その後も狭い部屋で極貧生活。画料はたんまりもらっただろうに、なんで広いところに住まないの? 金はどうしたの? と疑問が湧くばかり。北斎が這いつくばうように描いている様子も映るけれど、あれは当時の版元からの依頼なのか? 紙本に直筆のようだけど、個人的に依頼されてのものなの? 印刷用の原画? とき、疑問だらけ。そもそも版元の人間は誰一人出てこなくて、印刷業界の仕組みに組み込まれていたという様子がまったく描かれていない。
あとは、度々の引っ越し。事実のようだけど、もうちょい意味づけするような演出があってもよかったんじゃないのかね。
北斎の富士山への執着が後半終わり頃に突然でてくる。あれも、よく分からん。前半生には興味がなかったの? なぜ突然、後半から? いや、ほかにも神奈川沖とか北斎漫画とかいろいろあるだろうに、北斎という人柄もよく見えない。ただ、だらだらと生きてだらだら描いて、引っ越す、が描かれているだけ。お榮との関係も、なんだかよく分からない。妻が田舎にいて、盲目の娘だか息子もいるようだけど、死んでしまう。あのエピソードもとってつけたようで、なんかね。あの盲目の子とお栄は歳の離れた兄弟なということか? 妻は地味に、そこにいるだけ、みたいな描き方をされている。どういう経緯で別居してるのか? など、もやもやがとまらない。
かと思うと、賽の河原のような砂漠のようなところを北斎とお栄が旅してる? ところが映る。どういう目的の旅なのだ? そして、あの様式的な映像表現の意味は何なんだ?
善次郎は枕絵を得意とした絵師だったらしいけど、絵を描いている場面は映らない。いつのまにか廃業し、料理屋をやっている。北斎とお栄は火事で焼け出され、善次郎の店にやっかいになるが…。の場面は描かれない。1848年、北斎は頭髪がなくなり、善次郎の火葬の場面になる。と思ったら、次の場面の北斎は白髪が伸びた状態で富士の麓にいて、「富士はでかい」とかお栄に話している。と思ったら、1849年、髪の毛なしの北斎、は描きながら絶命。90歳だという。映画は底そこで終わり、以後のお栄の行方は分からないとか字幕が出る。なんだよこの映画。ちっとも盛り上がらんじゃないか。人物も描かれてない。がっかりだな。
・文字が楷書過ぎて萎える。万葉仮名にしたら現代人には読めなくなるのは分かるけど、読めなくたっていいじゃないか。リアリティを求めたら、万葉仮名だろ。
・井戸さらいの場面があったけど、上水道でも町人同士でもあんなことをする必要があったのか? 
KILL 超覚醒12/1シネ・リーブル池袋シアター1監督/ニキル・ナゲシュ・バート脚本/ニキル・ナゲシュ・バート
インド映画。原題は“Kill”。公式HPのあらすじは「ラーンチー発ニューデリー行きの特急寝台列車が、40人の武装強盗一族に襲撃された。刀を振りかざし、乗客から根こそぎ金品を奪う一味の強欲なリーダー、ファニは、大富豪タークルとその娘トゥリカに目をつけ、身代金目的の誘拐をもくろむ。しかしこの列車には、トゥリカと永遠の愛を誓い合った対テロ特殊部隊の隊員アムリトも乗り合わせていた。軍隊仕込みの格闘術でトゥリカとその家族を救出したアムリトは、圧倒的に数で勝る敵との全面戦争になだれ込んでいく。やがてノンストップで走り続ける列車内は阿鼻叫喚の地獄と化し、誰にも想像しえない事態へと突き進んでいくのだった……。」
Twitterへは「列車に乗り合わせた特殊部隊の精鋭2人と、刃物片手の強盗集団がやりあうだけ、の話。ジョン・ウィックやランボーも驚く素手で戦う色男。既視感もあちこちに。しかし、インド映画のつねだけど、人物がみな鼻鬚顎髭なので区別がつかん!」
オープニングの、ヘリだったかな、から精鋭部隊が戻ってくるあたりは、アメリカ映画とほぼ同じレベル。で、アムリトが帰還して。休暇なのか? 恋人のトゥリカに連絡すると、父親の命令で婚約の儀が執り行われてしまう! と訴えてくる。こっから先は、経緯がよく分からんのだが、トゥリカは婚約式を執り行って、父親のタークルや母親、妹らと同じ列車に乗る。婚約相手は乗っていない。どっからどこへ行くのか、はよく分からない。インド映画って、こういうのよくあるよね。地元と儀式の場所が違ってて、家族一緒に地元に戻る、とか。
この列車に、アムリトと同僚のウィレシュも乗り込む。もう婚約の儀は済んでしまったのに、2人が乗り込んだ意図は、トゥリカを奪還し駆け落ちするため、かな。でも、それは危険だとかなんとかトゥリカがいってる間に、すでに乗り込んでいた強盗団が乗客から金目の物を奪い始める。
こっからは強盗団vs特殊部隊の2人なんだけど、ウィレシュは早々にナイフで襲われて、死にはしないけど戦力外に。強盗団は一族らしく、ボスとか叔父貴とか、近親者とのつながりが濃い、らしい。いかにもインドだな。強盗団ボスはタークルの存在を確認し、いっそ身代金を要求しよう、てな戦略に変更。トゥリカはアムリトと接触したものの、アムリトが一般客を救いつつ強盗団部下たちと争ってるうちに、強盗団ボスの息子で跳ねっ返りのファニに捕獲され、抵抗するも、なんと、あっさりと殺やれてしまう! おいおい。この手のヒロインがこんなに早くいなくなっちゃっていいのかよ!?
後は、ボコられつつ、でも無敵なアムリトは一進一退で手下どもを素手でなぎ倒していく。どの車両に誰がいて、どう移動しているのか、とかは良く分からない。車両と車両の間にシャッターがあったりして、それをしめると行き来ができなくなるのも、インド仕様? 列車の上をつたって車両を行き来したり、もあって、なにがどうなってるのかよく分からんけど、まあ、大筋ではアムリトがなぎ倒していく展開。
この手のアクションではヒーローが捕獲されリンチを受けるけどうまく逃げて反転攻勢、という展開がデフォルトだけど、そういうことはなく。ボコられ、へろへろになりつつ、でも甦ってやり返す、って流れ。
途中、列車が減速して泥棒仲間がぞろぞろ乗ってくる場面がある。そういう計画だったのか? 減速した運転手も仲間なのか? と思ったんだけど、違うのかな。もともと停止する予定の場所に泥棒たちが待ってて乗ったのか? よく分からん。公式HP見たら強盗団はは40人らしい。でも、何人倒して何人残っているのかは、分からない。数字でカウント表示してくれると良かったような気もする。
タークルにはもうひとり娘がいて、トイレを目指して席を外し、その間に強盗連中がやってきたので、もどれなくて大人しくしてる、という設定もある。でも、あんまりスリリングじゃないんだよな。
で、中盤になって、アムリトの我慢が限界になり、素手で対抗からナイフで殺す、になったところで「KILL」とタイトルが出る。そうなるのは遅いんじゃないのか? さっさとKILLモードで対抗すれば死なないで済む乗客も多かったと思うぞ。
でまあ、なんど倒しても復活してくる、いかつい青ジャージの男がいたけど、最後は一般客が杖とかつかってボコボコにして殺すんだけど、これは笑えた。終盤になってようやっと列車内の様子が運転席に伝えられ、警備兵がやってきたり、次の駅に連絡が行って兵士が乗り込んできたりがあるんだけど、そういうの、さっさとやれよ、と。それに、車内検札がないからこんなことになるんじゃないのか。インドの列車は、車掌がいないのか? 強盗団やり放題じゃないか? チャラいボス息子のファニも、定番通りアムリトにやられていく。んだけど、どんな死に方したのか、忘れちゃったな。まあいいや。にしても、40人いた仲間が次々と死んでいくのに抵抗を続ける強盗団も、バカじゃないの? 乗客の金品なんてたかが知れてるだろうし。富豪のタークルと娘を人質にしたって、金の受け渡しがやっかいだろうと思うんだけど、インドではそうでもないのかな? 
しっかし、1人で相当数の連中を相手に戦うアムリトが、鉄人過ぎ。
・強盗団のボスと、富豪のタークルの見た目が似てるんだけど…。髪の毛がちょいと違うのと、衣服がちょい違うぐらいだろ。
・ヒーローのアムリトと、強盗団息子のファニが、口ひげ顎髭なので、ぱっと見が、これまた似てる。インド映画って、これがやっかいなんだよな。
監督/●脚本/●
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