2025年12月

おーい、応為12/1シネ・リーブル池袋シアター1監督/大森立嗣脚本/大森立嗣
公式HPのあらすじは「北斎の娘、お栄はある絵師のもとに嫁ぐが、かっこうばかりの夫の絵を見下したことで離縁となり、父のもとへ出戻る。父娘にして師弟。描きかけの絵が散乱したボロボロの長屋で始まった二人暮らしだが、やがて父親譲りの才能を発揮していくお栄は、北斎から「葛飾応為という名を授かり、一人の浮世絵師として時代を駆け抜けていく。美人画で名を馳せる絵師であり、お栄のよき理解者でもある善次郎との友情や、兄弟子の初五郎への淡い恋心、そして愛犬のさくらとの日常…。嫁ぎ先を飛び出してから二十余年。北斎と応為の父娘は、長屋の火事と押し寄せる飢饉をきっかけに、北斎が描き続ける境地“富士”へと向かうが…。」
Twitterへは「北斎の娘を描く話。脇役の説明もとくにないままだらだら山なし谷なしで時代が過ぎていくだけなので、つまらない。稼ぎはあるだろうに、貧乏暮らしの理由は? 描いている絵は、依頼なのか? 暖簾や看板の文字が万葉がなでないテキトーさ。」
全体的にいろいろ説明不足なままだらだらと始まり、だらだらと時代が過ぎていき、だらだらと終わる、という感じかな。ドラマがほとんどなくて、人物の絡みも曖昧で深みがない。なので、退屈極まりない。
1820年にお栄は夫の家から出て行き、北斎のもとに転がり込む。このとき、何歳なのだ? Wikipediaで見ると生没年不詳で、1855、6頃に67歳で欲したという説が載っていた。ということは、1820年には30前ぐらい? 演じる長澤まさみは御年38歳らしいが。で、↑のあらすじでは夫の絵を見下して離縁、とあるけど、映画では離縁と説明されていない。ちょっと別居、なのかなと思ってた。それと、このあたりで当時の絵師の番付が映るんだが、北斎が審判役みたいな位置にいるのは分かる。で、そのあとにも、前頭あたりの絵師の名が映るんだけど、ありゃなんなんだ?
で、以後、北斎のもとでゴロゴロ煙草吸って飲んだくれてばかり、なんだけど。彼女が絵を描く場面がない。そもそもお栄は幼少期〜嫁いだ頃に、絵をたしなんでいたのか? ということが分からない。出戻って北斎に手ほどきをされた気配もないし、自分で修練している様子もない。なのに、いつのまにか、北斎と一緒に自分の絵を描くようになっている。あの辺りの経緯が分からんのだよ。
友人知人も、よく分からん。土手みたいなところで男と話す場面があったけど、ありゃ誰なんだ? 以降、登場しなくなったと思うが。それと、オカマみたいな善次郎も、いったいどういう人物かよく分からない。話の輪郭、人物の輪郭がぼんやりしたままなので、共感するところもないのだよ。
あとは、長澤まさみが、でかい。北斎の部屋から外に出てうろうろするところなど、他の役者と比べて背筋が伸びすぎ姿勢が良すぎで、大柄でがさつに歩く。そういう女が絵を描く、という感じがしないんだよな。キャラ設定はあんなでよかったのか?
話は1820年から始まって1821年、1832年、1833年、1848年、そして1849年に北斎が死ぬところまで。その間に、とくに大きな出来事もない。津軽藩の侍が来て北斎に、屏風に絵を描いてくれ、と頼むって話はあったけど、だからなに? な感じだ。結局何年か後に描きに行くんだけど、その後も狭い部屋で極貧生活。画料はたんまりもらっただろうに、なんで広いところに住まないの? 金はどうしたの? と疑問が湧くばかり。北斎が這いつくばうように描いている様子も映るけれど、あれは当時の版元からの依頼なのか? 紙本に直筆のようだけど、個人的に依頼されてのものなの? 印刷用の原画? とき、疑問だらけ。そもそも版元の人間は誰一人出てこなくて、印刷業界の仕組みに組み込まれていたという様子がまったく描かれていない。
あとは、度々の引っ越し。事実のようだけど、もうちょい意味づけするような演出があってもよかったんじゃないのかね。
北斎の富士山への執着が後半終わり頃に突然でてくる。あれも、よく分からん。前半生には興味がなかったの? なぜ突然、後半から? いや、ほかにも神奈川沖とか北斎漫画とかいろいろあるだろうに、北斎という人柄もよく見えない。ただ、だらだらと生きてだらだら描いて、引っ越す、が描かれているだけ。お榮との関係も、なんだかよく分からない。妻が田舎にいて、盲目の娘だか息子もいるようだけど、死んでしまう。あのエピソードもとってつけたようで、なんかね。あの盲目の子とお栄は歳の離れた兄弟なということか? 妻は地味に、そこにいるだけ、みたいな描き方をされている。どういう経緯で別居してるのか? など、もやもやがとまらない。
かと思うと、賽の河原のような砂漠のようなところを北斎とお栄が旅してる? ところが映る。どういう目的の旅なのだ? そして、あの様式的な映像表現の意味は何なんだ?
善次郎は枕絵を得意とした絵師だったらしいけど、絵を描いている場面は映らない。いつのまにか廃業し、料理屋をやっている。北斎とお栄は火事で焼け出され、善次郎の店にやっかいになるが…。の場面は描かれない。1848年、北斎は頭髪がなくなり、善次郎の火葬の場面になる。と思ったら、次の場面の北斎は白髪が伸びた状態で富士の麓にいて、「富士はでかい」とかお栄に話している。と思ったら、1849年、髪の毛なしの北斎、は描きながら絶命。90歳だという。映画は底そこで終わり、以後のお栄の行方は分からないとか字幕が出る。なんだよこの映画。ちっとも盛り上がらんじゃないか。人物も描かれてない。がっかりだな。
・文字が楷書過ぎて萎える。万葉仮名にしたら現代人には読めなくなるのは分かるけど、読めなくたっていいじゃないか。リアリティを求めたら、万葉仮名だろ。
・井戸さらいの場面があったけど、上水道でも町人同士でもあんなことをする必要があったのか? 
KILL 超覚醒12/1シネ・リーブル池袋シアター1監督/ニキル・ナゲシュ・バート脚本/ニキル・ナゲシュ・バート
インド映画。原題は“Kill”。公式HPのあらすじは「ラーンチー発ニューデリー行きの特急寝台列車が、40人の武装強盗一族に襲撃された。刀を振りかざし、乗客から根こそぎ金品を奪う一味の強欲なリーダー、ファニは、大富豪タークルとその娘トゥリカに目をつけ、身代金目的の誘拐をもくろむ。しかしこの列車には、トゥリカと永遠の愛を誓い合った対テロ特殊部隊の隊員アムリトも乗り合わせていた。軍隊仕込みの格闘術でトゥリカとその家族を救出したアムリトは、圧倒的に数で勝る敵との全面戦争になだれ込んでいく。やがてノンストップで走り続ける列車内は阿鼻叫喚の地獄と化し、誰にも想像しえない事態へと突き進んでいくのだった……。」
Twitterへは「列車に乗り合わせた特殊部隊の精鋭2人と、刃物片手の強盗集団がやりあうだけ、の話。ジョン・ウィックやランボーも驚く素手で戦う色男。既視感もあちこちに。しかし、インド映画のつねだけど、人物がみな鼻鬚顎髭なので区別がつかん!」
オープニングの、ヘリだったかな、から精鋭部隊が戻ってくるあたりは、アメリカ映画とほぼ同じレベル。で、アムリトが帰還して。休暇なのか? 恋人のトゥリカに連絡すると、父親の命令で婚約の儀が執り行われてしまう! と訴えてくる。こっから先は、経緯がよく分からんのだが、トゥリカは婚約式を執り行って、父親のタークルや母親、妹らと同じ列車に乗る。婚約相手は乗っていない。どっからどこへ行くのか、はよく分からない。インド映画って、こういうのよくあるよね。地元と儀式の場所が違ってて、家族一緒に地元に戻る、とか。
この列車に、アムリトと同僚のウィレシュも乗り込む。もう婚約の儀は済んでしまったのに、2人が乗り込んだ意図は、トゥリカを奪還し駆け落ちするため、かな。でも、それは危険だとかなんとかトゥリカがいってる間に、すでに乗り込んでいた強盗団が乗客から金目の物を奪い始める。
こっからは強盗団vs特殊部隊の2人なんだけど、ウィレシュは早々にナイフで襲われて、死にはしないけど戦力外に。強盗団は一族らしく、ボスとか叔父貴とか、近親者とのつながりが濃い、らしい。いかにもインドだな。強盗団ボスはタークルの存在を確認し、いっそ身代金を要求しよう、てな戦略に変更。トゥリカはアムリトと接触したものの、アムリトが一般客を救いつつ強盗団部下たちと争ってるうちに、強盗団ボスの息子で跳ねっ返りのファニに捕獲され、抵抗するも、なんと、あっさりと殺やれてしまう! おいおい。この手のヒロインがこんなに早くいなくなっちゃっていいのかよ!?
後は、ボコられつつ、でも無敵なアムリトは一進一退で手下どもを素手でなぎ倒していく。どの車両に誰がいて、どう移動しているのか、とかは良く分からない。車両と車両の間にシャッターがあったりして、それをしめると行き来ができなくなるのも、インド仕様? 列車の上をつたって車両を行き来したり、もあって、なにがどうなってるのかよく分からんけど、まあ、大筋ではアムリトがなぎ倒していく展開。
この手のアクションではヒーローが捕獲されリンチを受けるけどうまく逃げて反転攻勢、という展開がデフォルトだけど、そういうことはなく。ボコられ、へろへろになりつつ、でも甦ってやり返す、って流れ。
途中、列車が減速して泥棒仲間がぞろぞろ乗ってくる場面がある。そういう計画だったのか? 減速した運転手も仲間なのか? と思ったんだけど、違うのかな。もともと停止する予定の場所に泥棒たちが待ってて乗ったのか? よく分からん。公式HP見たら強盗団はは40人らしい。でも、何人倒して何人残っているのかは、分からない。数字でカウント表示してくれると良かったような気もする。
タークルにはもうひとり娘がいて、トイレを目指して席を外し、その間に強盗連中がやってきたので、もどれなくて大人しくしてる、という設定もある。でも、あんまりスリリングじゃないんだよな。
で、中盤になって、アムリトの我慢が限界になり、素手で対抗からナイフで殺す、になったところで「KILL」とタイトルが出る。そうなるのは遅いんじゃないのか? さっさとKILLモードで対抗すれば死なないで済む乗客も多かったと思うぞ。
でまあ、なんど倒しても復活してくる、いかつい青ジャージの男がいたけど、最後は一般客が杖とかつかってボコボコにして殺すんだけど、これは笑えた。終盤になってようやっと列車内の様子が運転席に伝えられ、警備兵がやってきたり、次の駅に連絡が行って兵士が乗り込んできたりがあるんだけど、そういうの、さっさとやれよ、と。それに、車内検札がないからこんなことになるんじゃないのか。インドの列車は、車掌がいないのか? 強盗団やり放題じゃないか? チャラいボス息子のファニも、定番通りアムリトにやられていく。んだけど、どんな死に方したのか、忘れちゃったな。まあいいや。にしても、40人いた仲間が次々と死んでいくのに抵抗を続ける強盗団も、バカじゃないの? 乗客の金品なんてたかが知れてるだろうし。富豪のタークルと娘を人質にしたって、金の受け渡しがやっかいだろうと思うんだけど、インドではそうでもないのかな? 
しっかし、1人で相当数の連中を相手に戦うアムリトが、鉄人過ぎ。
・強盗団のボスと、富豪のタークルの見た目が似てるんだけど…。髪の毛がちょいと違うのと、衣服がちょい違うぐらいだろ。
・ヒーローのアムリトと、強盗団息子のファニが、口ひげ顎髭なので、ぱっと見が、これまた似てる。インド映画って、これがやっかいなんだよな。
ぐるりのこと。12/10シネマ ブルースタジオ監督/橋口亮輔脚本/橋口亮輔
Wikipediaのあらすじは「1993年、小さな出版社に勤める妻・翔子と生活力に乏しい夫・カナオは第一子の誕生を控え幸せな日々を送っていた。カナオは日本画家を目指す傍ら法廷画家の職を得る。その後第一子の死去という悲劇に見舞われた夫婦のうち、翔子は次第にうつに陥っていく。そんな翔子を静かに見守るカナオは、法廷画家という職について法廷に通ううちに東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件、地下鉄サリン事件といったさまざまな事件の公判を傍聴する。時代の変化の中で二人の夫婦は夫婦の絆を深めていく。」
Twitterへは「妊娠し成り行きで結婚した美大出の二人。亭主は靴修理屋からなりゆきで法廷画家に。妻は出版社勤務…。会話も面白いし、周囲のキャラも機能してる。はかない木村多江がはかなく、優しいリリー・フランキーは最後までやさしい。下ネタも楽しい。」
女性が妊娠したので成り行きで籍を入れ、でも、生まれてきた子はすぐに亡くなってしまって。その責任感で妻は鬱状態になって会社を辞めてしまう。いっぽうの亭主はなりゆきで法廷画家になって、同業者ともうまくやっていけるようになって。そのうち妻も元気になって、なかよくやっていく、というだけの話。ドラマチックはないけど妻の両親のあれこれや兄の家庭のドタバタ、なんてのが色取りを添えて、ときどきコミカルに、じわっとしんみりしつつ、ときにほのぼのな映画。長すぎる、という意見もあるようだけど、そんなことはまったく思わなかった。
下ネタもたくんあって。下品ではなくて、ありそうだな、というのが面白い。帰りが遅いカナオに翔子が「カレンダーに×のある日はする約束でしょ?」「だって妊娠してるし」「安定期に入ってるから大丈夫」とかいいつつ、翔子主導でセックスし、でも、「うしろの穴はだめって言っているじゃない」って、翔子がプリプリ言いながら部屋から出てくるとか。笑っちゃう。ほかにも、「わたし、手が小っちゃいから」「その手で握ってもらえると、俺のが大きく見える」とか。おおらかで明るい。後半でも、ずっとセックスしてない状態で、欝から治りかけでも一緒に風呂に入って、翔子がカナオのチンポに軽く攻撃して笑いながらいちゃつくとか。いやらしくなくて、ほんわかしそうな下ネタなんだよね。ほかにもカナオと記者の安田との会話で、股ぐらさすりつつ「使ってるか?」「いや、最近は…」とか、も、いい。
そうそう。翔子は嫉妬深くて、浮気していないかどうか、手首を舐めるとか言うエピソードも。女と関係して風呂に入ってきたら石鹸の臭いがするけど、そうでなければ汗がしょっぱいからだとか。カナオは束縛されつつ愛されてるんだな。
どうやら、ふたりとも美大出な感じ。カナオは日本画? だけど、駅なんかによくある靴修理屋で仕事をしている身。翔子は小さな出版社。美大出にはよくある現実だよな。それが、カナオは先輩から法廷画家のバイトを紹介され、1枚7万だったか、割がいいので行ってみて、記者室にいる癖のある記者や同業のスケッチさん(法廷画家)たちと知り合って、しだいに慣れていく。このあたり、とても面白かった。自分も何度か傍聴したことがあるので、裁判所の様子や傍聴席の感じとか、そうそう、と思って見てた。いっぽうで、裁判所にはああいう記者のたまり場あるのは知らなかったので、へえ、な感じ。判決の直前に記者が浮き足立ち、判決とともに駆けだして行くところとか、その後に被告を描いていく感じとか、なるほど、と。っていうのも、映画で取り上げられている、抽選が必要な重大事件ならまだしも、一般的な事件では記者はいないし、まして法廷画家はいない。法廷画家の活躍って、そんなに多くないと思うけどなあ、というのが本音かな。
白木の位牌。カナオが描いた赤子の、生前のスケッチ。それをみて、「喜んでたんだ」とつぶやく翔子。子供ができたから仕方なく結婚した、わけでもないのかな、という気持ち。カナオの真面目さがつたわってくる。けど、死んでしまった子供への責任感が襲いかかり、心療内科にかかり始める翔子。結局、会社はつづかなくてやめてしまう。まあ、欝は個人的な体質にもよるから、負荷に弱かったってことか。
この後、ちょっとよく分からない場面があって。翔子が病院で中絶しているようなんだよね。カナオの同意書を偽造して。ってことは、妊娠したけど、育てる自信がなくなっていた、ということなのか。また新しい命、と喜ばなかったのか。また死んだらどうしよう、という不安の方が多かったということかな。
カナオの人生は、あまり語られない。最後の方に、父親が縊死したことをつぶやく程度。いっぽうの翔子の家族は、賑やか。とくに兄家族がわちゃわちゃしてる。不動産関連なのか、その手の話が多いんだけど、分からんところも。たとえば馴染みのトンカツ屋の話しもそう。息子の代になって味が落ちたとか、聞こえるように言う。それを聞いた息子がみそ汁にツバを足らす。そのみそ汁を、飲みそうで飲まない、けっど飲んでしまう演出とか、憎い。しかもそのトンカツ屋は、ある日夜逃げしてしまう。兄は2千万だかの借金を背負うことになったのか? よく分からんけど、世話してやったトンカツ屋の一家の挙げ句の果ても、しみじみと。ラスト近く、母親の家を売る売らないのところ、よく分からなかった。あれはどういう話だったんだろう? 
兄の妻も、ズケズケものを言う。翔子に、「心療内科に通ってるんだって? うちの子、中学受験するんだけど面接で家族のこと聞かれるらしいのよ。気をつけてね」なんてことを平気で言う。まあ、世間一般の反応を象徴したセリフだよな。
母親は、新興宗教にはまってるらしく、怪しい水を買ったりしてる。どうも、かつて亭主が家族を棄てて出て行ってしまったので、それですがっている、というような展開なんだろう。と、思っていたら、最後に、原因は私なの、と告白する。なんだ。浮気したのは母親で、それで嫌気をさして亭主に出て行かれたのか。という落ちもおもしろい。で、その父親だけどかつてはプロ野球選手だった、らしい。その話は度々話されるんだけど、本人は出てこない。終わり間際にこの父親が末期ガンだから会いに来て欲しいとか言う話が舞い込んで。母親は、行かず。翔子にお鉢が回ってきて、カナオと見舞に行くけど、そのくだりは映像化せず。戻ってきた二人がほかの家族に話しをする場面になってしまう大胆な編集もいい。回想で父親が出てくることもなく、ただ、カナオが描いた父親の顔が出てくるのみ。その絵を見て、母親は、「お父さんだ…」とつぶやくのもいい。
そのうち翔子の心も落ち着いて。泣きじゃくってだだをこねるのをカナオがあやす場面は、なかなかよかった。ほかにも↑で書いたけど、一緒に風呂に入ってイチャイチャしたりできるようになる。カレンダーの「×」も登場して、セックスしてる関係になったんだ。というところまで、冒頭の妊娠の場面から10年の月日がかかっている。カナオもよく耐えたというか、支えてきたよね。りっぱ。妊娠できない身体ではないのだから、次の子をがんばればいいのに。と、思ってしまう。まあ、あの分なら、次の妊娠も間近かな? 示唆するようなシーンはとくになかったけど。なかよく手をつないで散歩するところなど、ほのぼのだよね。
という流れの中で、カナオの裁判所での日常がインサートされる。扱う事件は、交通事故の過失致死、園児殺害の保母、売春宿の女と外国人売春婦、池田小学校を思わせる学童殺害の犯人が、被害家族に投げかける悪態、食人の話もあったな。それから会社の横領? 3人並んでた。地下鉄サリンみたいな毒ガス事件では、傍聴席で信者が何かを唱えていたり。というようなタイムリーでシビアな事件の裁判があって、カナオは淡々と、ときに面白おかしく仕事をしている。記者や仲間の法廷画家との交流も、歳を重ねる毎に親密になって行く様子がなかなかいい。
とくにドラマチックな出来事が起きない話ではあるけれど、世間では大変なことがたくさん起きているし、妻の翔子は欝で会社を辞めちゃうし、母親の信仰もあったり、兄家族のドタバタも活写される。そうしたすべてが、物語になっている、って感じかな。
クレジットにでてきた加瀬亮、片岡礼子に気がつかず。学童殺害犯の新井浩文がリア。「うるさい」と言いに来る階下の女の江口のりこが一瞬だけど印象的。
観客は3人だった。
手に魂を込め、歩いてみれば12/11ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/セピデ・ファルシ脚本/---
原題は“Put Your Soul on Your Hand and Walk”。映画.comのあらすじは「イスラエルによるガザ攻撃が続いていた2024年、セピデ・ファルシ監督は現地の人々の声を世界に届ける必要性を感じていた。ガザは封鎖され行くことができないため、監督はガザ北部に暮らす24歳のフォトジャーナリスト、ファトマ・ハッスーナとのビデオ通話を中心とした映画の制作を決意する。イランからフランスに亡命したため祖国に戻ることができないファルシ監督と、監督の娘と同じ年齢で、ガザから出ることができないファトマとのビデオ通話は毎日のように続けられる。ファトマは監督にとってガザを知る目となり、監督はファトマが外の世界とつながる架け橋となって絆を築いていく。空爆や飢餓にさらされながらも力強く生きる市民の姿や街のわずかな輝きを写真に収め、スマホを通してガザの様子を伝え続けるファトマだったが、度重なる爆撃で家族や友人の命が失われていくにつれ、いつも明るかった彼女の表情に陰りが見えはじめる。そして2人が交流を始めてから約1年が過ぎた25年4月、悲劇はファトマ自身をも襲う。」
Twitterへは「イラン人監督がガザ取材を目論むが入国できず。で、現地の女性を紹介され、彼女をテレビ電話で取材することに。そのスマ本画面と、あと少し彼女の撮った現地の写真で構成されるお手軽ドキュメンタリー。最後の字幕だけはドラマチック。」「しかし、ガザの24歳の娘の歯並びがきれいで、真っ白。鼻毛がない。いつもニコニコ笑顔で応じる。が、印象的だった。」「しかし、もっとも驚いたのは、イラン人監督が『ショーシャンクの空に』を知らなかったことだな。24歳娘が「記憶に残るセリフがある」と話しかけるんだけど、イラン入国禁止でフランス在住のドキュメンタリー作家があの映画を知らんとは。素人か。」
監督は、自分がガザに入れないからと、ガザに住む(だったかな?)知り合いにファトマを紹介してもらい、約1年間、ネットを介してビデオ会話をする。見てて、取材ってレベルではなく、ガザはどうなの? 的な会話が主体で、戦況とかはほとんど分からない。だって画面には監督のスマホが映り、そこにファトマの顔が映るだけだから。
で、ファトマトはどういう人物なのか? ほとんど分からない。HPとか解説にはフォトジャーナリスト、とあるけど、はてな? な感じなのだ。だってガザから出たことがなくて、ガザの様子は写真に撮ってるんだろうけど、どういう手段でそれを公開しているのか? とか、さっぱり分からんから。撮った写真をSNSとかHPで公開してジャーナリストなら、俺もジャーナリストだろ、と思ってしまう。
で、内容はというと、ファトマがガザにおける日常などを話す、が大半。もちろん合間に爆撃音も轟くし、窓から近隣の破壊された町も写される。「近い」というけど、黒煙が上がっているのは数キロ先な感じで、ファトマも動揺してないし、緊張感というのはほとんど感じられない。
弟2人や父親も、ちらっと画面に映ったりする。家族も13人が犠牲になってる、らしい。まあ、叔父叔母その関連らしいが。ほかにも、仲のよかった友人も亡くなった、と。そして、ときどき転居したり、また戻ってきたり。どういう環境で生活しているんだろう。
これが淡々と、笑顔を絶やさず話すんだよね。それが、違和感少し。まあ、哀しいから悲しい顔、よりも逆に生々しさは感じるんだけど。で、Twitterにも書いたけど、見事にきれいな歯並びで、真っ白。丁寧に磨いてるんだなあ。そして、下からの絵が多いから鼻の穴も映るんだけど、鼻毛がちょっと奥まで1本も見えない。これは、生えないのか、処理しているのか、それが気になってしまってしょうがなかった。
弟2人は薪を拾いに行ってる、てなことを話していた。そう。インフラはどうなっているのか、はとても気になった。そもそもネットは、回線が途切れ途切れだけど、映像も送れるような状態だ。どういう環境なんだろう? 電気はあるのか、ガス水道はどうなっているのか。仕事は、収入は、街の中の社会生活はどうなっているのか? そっちが知りたいのに、ほとんど話されないし、絵も出てこない。後半で、食事は缶詰が主体、とか、煙草1本が数100ドル(?)するとかも話していたけど断片的。それにファトマの家の中がほとんど映らないので気になってしまうわけよ。写しているからヤバい、ってこともないと思うんだが…。
といった案配で、聞いたり読んだりした以上の情報がとくにでてくるわけでもない。ので、中盤で20分ぐらいうとうとしてしまった。
2024年4月ぐらいから、9月ぐらいまで、1ヵ月おきぐらいにわたって、こんなビデオ会話がつづいて。9月の映像ではちょっと落ち込んだ表情のファトマだったけど、すぐ明るさを取り戻したし。いったいこの24歳の娘の精神的、肉体的状態はどうなってるんだ? とも思ったよ。
で、その次に、ファトマとの最後の通話、ってのが写される。このなかだったかで、「この映画がカンヌ映画祭で上映されることになった」と監督がファトマにいう場面がある。え? 完成してない製作途中の映画が、なんでカンヌ上映が決まるんだ? それが引っかかったね。それはともかく、ファトマはカンヌに出席するのは素晴らしい、とはいうものの、自分はガザにとどまる、という。なぜならここは自分の故郷であり、家族がいるから、という。そして、すべてはアラーの思し召し、と考えている。このあたりは、共感するのは難しい。ほぼ自殺行為ではないか。イスラム教というのは、こういう思想なのかと改めて思った。
さて、その後だったか、前だったかに、クルマで移動しつつガザの街を写す動画が流れる。これが街を写したほぼ唯一の動画かな。もちろん、ファトマが写したスチルは適宜インサートされるんだけど。ほぼ廃墟の街を、多くの人がうろうろしている。ときどきパラソルが開いているのは何かの店か。にしても、何を売っていて、どっから仕入れているのか。興味はあるけど、答はない。
で、このあとで、2025年の4月にファトマと家族が爆撃にあって亡くなった、と字幕が知らせる。あとは、亡くなった家族の名前が列挙され(写真はない)エンドロールになっていく。実は、HPの内容紹介でファトマが亡くなるらしいと言うのはチラと見てしまっていたので、衝撃はなかった。
というドキュメンタリー。監督は自宅や出張先からガザにネット経由でアクセスし、ファトマの映っているスマホを撮ってるだけ。なんとお手軽な企画なのだ。うがった見方をすれば、監督はファトマのリスクを承知で、もしかしたら悲劇的な結末もあるかもと思いつつ撮っていたのではないかと思う。別にそれを期待していたとは言わないけど、ファトマの笑顔と、必然的に見える死が、この映画の評価を高めているのかなと思ってしまう。あのまま、元気なファトマと会話を続け、今年になっての停戦が映り、街中に出て撮影している彼女が登場したら、どうだったんだろう? などと。
にしても、ファトマが、好きな映画が『ショーシャンクの空に』で、いいセリフがある、と言ったら、監督がこの映画を知らない、といったのが衝撃。IMDbでトップのこの映画をプロの映像作家が知らんとは。それはともかく、ガザを牢獄に喩えてのこのエピソードは、計算したような感じで、なかなか。
ところで、タイトルの『手に魂を込め、歩いてみれば』は、ファトマがカメラを手にガザの街を歩くときの心構え、だったかな。
エディントンへようこそ12/15ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/アリ・アスター脚本/アリ・アスター
原題は“Eddington”。公式HPのあらすじは「物語の舞台は2020年、ニューメキシコ州の小さな町、エディントン。コロナ禍で町はロックダウンされ、息苦しい隔離生活の中、住民たちの不満と不安は爆発寸前。保安官ジョーは、IT企業誘致で町を“救おう”とする野心家の市長テッドと“マスクをするしない”の小競り合いから対立し「俺が市長になる!」と突如、市長選に立候補する。ジョーとテッドの諍いの火は周囲に広がっていき、SNSはフェイクニュースと憎悪で大炎上。同じ頃、ジョーの妻ルイーズは、カルト集団の教祖ヴァーノンの扇動動画に心を奪われ、陰謀論にハマっていく。エディントンの選挙戦は、疑いと論争と憤怒が渦を巻き、暴力が暴力を呼び、批判と陰謀が真実を覆い尽くす。この先はあるのか? エディントンの町と住人は誰も予想できない破滅の淵へと突き進んでいく。暴力、陰謀論、SNSの暴走がすべてを焼き尽くす“炎上スリラー”エディントンへようこそ。」
Twitterへは「コロナ、SNS、陰謀論、カルト、テロ、Black Lives Matter、企業誘致、ホームレス…。前半の、風呂敷の広げ具合はそこそこ面白かったんだけど、途中からだらだらしてきて。主人公が暴走してから何が何だか分からなくなっちまった。」
後から知ったんだけど監督のアリ・アスターって、む『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』の人だったのね。にしてはおどろおどろしたところはないし話の論旨はムチャクチャだしで、テイストはかなり違う。
前情報なしで見始めると、冒頭からマスクがどーのと、コロナ期の出来事がつづいて。州でマスクが義務化された世界のようだ。マスクしない派の保安官ジョーは、警官(と保安官の位置関係が分からない)や街のみんなからうさん臭く見られていて、マスクしろ攻撃されている。でも、マスクしない派の老人をスーパーで擁護したり、ある意味変人。とはいいつつ、私個人はコロナはインフルレベルの風邪だと思っているので、ジョーに肩入れしたい感じ。やたらウィルスを怖がってるのは、彼の地でも主流だったんだなあ。アホだったんだなあ、と思う。この監督もマスクしない派だったのかな。てな感じのマスク論争の部分はとても面白く見た。マスクなしでいるジョーを周囲が動画撮影し、SNSにがんがんアップされたりするし。世相批判、人間心理の面でも興味深い。
いっぽう町では市長選が行われようとしていて、再選を目指す現市長テッドはデータセンターを誘致して町の活気を盛り上げようとしてる。テッドはマスク派で、やたらジョーに絡んでくる。ぐらいの対立だったんだけど、なぜかジョーはいきなり「俺は市長選に出る!」と宣言し、地味に選挙戦がスタートする。のだけれど、このあたりの描写はテキトーで、いつ交付だとかいつから選挙戦開始とか、そういうのはアバウト。なところが、もわっとするんだけどね。ジョーには部下が2人いて、ひとりは黒人、もうひとりは白人。どちらもジョーを信頼している感じ。
時代はBlack Lives Matter。殺害されたフロイド側に立つ青年たちは町で抗議活動を行なっている。なかに過激な娘サラがいて、この娘にテッドの息子が接近するんだったかな。いや、もうひとり接近してる青年がいて、こっちは誰なんだ? とか、思いつつ見てた。ところで、この娘の元彼が保安官の部下の黒人で…。となかなか複雑。だけど、きっちり交通整理できていないので、なんかよく分からん感じ。
さらに面倒くさいのがジョーの妻ルーイーズで、彼女はかつて、なのか現在も、なのか、テッドとつき合っていてどうたら、という話がある(後に、実は未成年のルイーズとテッドが関係してルイーズが堕胎したとか、ジョー曰く「あれはレイプだ」てなことをいったり、ルイーズ本人は「そういうのとは違う!」といってたり、もう藪の中)のだが、わけ分からん。
ルイーズの母親はややカルトっぽい感じで陰謀論に取り憑かれてる感じ。ルイーズは陰謀論男のヴァーノンに影響されてるとか、あらすじは言ってるけど、あんまり記憶がないんだよな。ちょっと寝たりしたから、それもあるのかな?
でまあ、ジョーとテッドは反目してるんだけど、ある日、テッドの家がうるさいからと報告を受け行ってみると、選挙盛り上げのパーティで大盛り上がり。音響もボリュームいっぱいあげている。ジョーが下げるとテッドが上げる。さいごはテッドがジョーにビンタするがケンカにならず、大人しく引き下がっていくのはなんでなの? なんだけど。これが契機になったのか、まずは居酒屋に入り浸りのホームレス爺さんを呆気なく射殺し、河に流してしまう。始末があまりにもお粗末だよな。とおもったらジョーは高台にあるテッドの家の近く、といっても、インディア居留地で管轄外、にライフルを構えてテッドを射殺してしまう。ついでに、息子も。そして、壁に落書きをする。そこまでするか? な急展開に、なんじゃこれ?
ジョーは素知らぬ顔で操作を始める。ライフルは居留地から発射されてるからと、インディアンの警官みたいのが関与しようとするが、ジョーは邪険に扱う。いっぽうで、テッドの息子と親しかった過激娘が容疑者扱いされたり。その過激娘の元彼の黒人保安官が質問されたり。話は混迷に陥っていく…。っていうか、そもそもジョーが居留地から撃ったのは計算ずく? ライフル射撃の腕は達者だったの? 的なツッコミはあるんだけどね。
このあたりから、わけが分からなくなってくる。ジョーは、誰か知らぬ男or連中から狙われ、狙撃される。テロ組織? カルト集団? ヴァーノンの名前がやたら登場するけど、見てるときは「誰?」と思ってた。ヴァーノン自身はそんなに登場してなかったような…。ざっくり端折ると、ジョーは狙撃されて逃げる途中に間違って(?)インディアン警官(壁に書いた文字の書体から、犯人はジョーだとピンときていた様子)の足を吹っ飛ばし、さらに、爆弾が仕掛けられているところに追い詰められ(だっけ?)、大爆発で部下の黒人保安官は吹っ飛ぶ。さらに、ジョーは得体の知れない男に襲われ、頭部を鉈かなんかで打ち割られる。と思ったら、過激娘サラの知り合い(?)だった青年が登場し、謎男を倒す。撃ったんだっけ? 忘れた。で、なんかよく分からないけど後日。ジョーは生きていて、風呂かなんかに入れられようとしていて、ホアキン・フェニックスの巨根が丸見え、なのに字幕が巨根の上にかかっていてよく見えないという、残念。のあとは、何科の式典(データセンター?)にジョーも障害者として出席、してたのか? っていうか、市長は誰になったんだよ。で、この式典だか別の集会だかに妻のルイーズが出席していて、腹がでかい。妊娠なのか。父親は誰? ヴァーノンってこと? なんか、よく分からないハチャメチャな後半で、ぜんぜんスッキリしないのだった。
・現市長のテッドはヒスパニック。ほかに黒人、白人、インディアンが登場するけど、東洋人がおらんな。
ピアス 刺心12/18新宿武蔵野館2監督/ネリシア・ロウ脚本/ネリシア・ロウ
原題は“刺心切骨(Pierce)”。Pierceは“刺す”の意味の方だな。公式HPのあらすじは「フェンシングの試合中に対戦相手を刺殺し、少年刑務所から7年ぶりに出所した兄ジーハンと、疎遠になっていた弟ジージエが再会する。「事故だ」という兄の言葉を信じて、ジーハンを警戒する母の目を盗み、兄からフェンシングの指導を受ける。ジージエ自身も気づかなかった友人への甘酸っぱい想いを後押ししてもらい、ふたりは兄弟の時間を取り戻していく。しかし、幼き日の溺れた記憶がよぎる。あの時、なぜ兄はすぐに手を差し伸べなかったのか。「僕が死ねばいいと思ってた?」疑念が深まるなか、悪夢のような事件が起こる。」
Twitterへは「舞台は台北。フェンシング上手な兄はサイコなのか? てな話だけど、いろいろ歯切れが悪く、中盤はだらだら間延びするし、ツッコミどころも多い。サスペンス性はほとんどなくて、剣ってあんな簡単にポキポキ折れて練習中に傷だらけかよ、な印象。」
どうなるんだ? な展開で始まったんだけど、兄貴が出所してからテンポが悪く、だらだらな流れになって。兄貴が弟に、クラブでフェンシングの極意を教え始まるんだけど。全国チャンピオンに3回の実績があって、7年前に試合中に相手を死に至らしめた兄が、ふらふらとクラブの練習場に潜り込んでたりするので、そんなことはあり得ないだろう、と思うと、この兄と称するやつはきっとこの世の者ではなく亡霊だった、てなオチにでもなるのかな、とずっと思って見ていた。のだけれど、話がなかなか伸展せず、弟の技量はそこそこしか伸びない。っていうか、とくにドラマもサスペンスもない間延び状態になってきたので瞼が次第に…、で、気がついたら、兄貴が母親の彼氏一家と会食しているという場面に。どーも10分かそこら寝てしまったのか。
そもそも、なバックグラウンドが弱い。弟は兄に恐怖感を抱いているようだけど、その根拠が曖昧だ。ラストまで、弟が溺れているときにすぐ助けなかった、という怨念と恐怖があるかのように描いてるけど、ならば日常的に嫌っていても不思議ではない。なのに、弟は兄と同じフェンシングを習っていて、兄の教えも聞いたりしている。ほんとうに嫌悪しているのか?
兄が少年院にいくきっかけになった事件も、これまた茫洋としている。剣が折れて相手に刺さり死亡したので逮捕された、という話だけど、その場面はでてこない。そもそも兄がサイコなら、全国チャンピオンになるような無敵な選手になる以前に、日常的に、たとえば動物を殺していたとか、練習相手に傷を負わせていたとか、そういう事例が散見されたはず。なのに、事件については、死んだ相手と兄が確執していたような話もない。剣が折れたのは偶然だろうし(折れるように仕組んでいた、あるいは、こうすれば折れるを分かっていて、折れるようにしていた?)、相手を恨みで殺したわけでもないだろう。これで有罪になり少年院に7年(しかも、6年早く出所してきたという話だ)も入るというのは、ヘンすぎだろう。
そういえば、母親の彼氏の家族との会食で、幼い子どもが兄の顔を見て「あの人怖い」と怯えて泣く場面があるけど、子どもは何を感じたって言うんだろう? ぜんぜん説得力がない描写だ。そう。兄は極めて普通であり、サイコでもなんでも亡く見える、ってことだ。それを、サイコだよ、ってムリやり下手な演出で見せようとしている。まあ、シナリオや演出が下手だ、ってことだよな。
そうそう。兄は頻繁にクラブに入り込んでフェンシングの練習に顔を出すんだけど、その目的は何なんだろう? 弟につよくなってほしいから? なぜそうするのか? また、弟も素直に従うのは、なんで? という基本的な疑問がある。さらに。兄はクラブで練習中、またまた剣を折って相手を傷つけている。あれは、偶然なのか? 意図的な剣を折るテクニックを身につけているのか? さらに、相手は血を流しているのにマスクのまま呆然としている。ありゃなんなんだ? クラブのコーチとか「お前は誰だ? 誤れ」って、マスクを取るよう要求しないのか? 意味不明。
で、弟はなんとか大会の選手に選ばれる。当日、兄もこっそりやってくるんだけど、顔バレしてるはずなのに誰にも咎められない。ヘンだよな。弟は勝ち進んだ様子だけど、決勝の前に兄と話して動揺したのか、負けてしまう。ののち、会場で騒動。兄が無差別殺戮を始めた様子。逃げ惑う人々。けれど弟は兄に近寄り、兄のマスクをかぶる。兄はそのままいずこかへ。弟は犯人として警察に捕まり、パトカーに。という流れなんだけど、そううまく行くはずがないだろ。それに、警察は弟を捕縛後、パトカーに押し込むまでマスクを取らない。あり得ないだろ。
で、はるかむかしの記憶。溺れている弟が、最後の最後に兄に助けられた、という場面。はたして兄は弟を見殺しにしようとしていたのか? は、謎のまま。では、弟はなぜ兄の代わりに逮捕されたのか? これまた謎。もやもやすぎて、つまらない、を通り越してしまう。何が言いたいんだ。弟の屈折した心理は、意味不明。
・実をいうと最初、あの兄は亡霊かと思ってた。だって自由にクラブの練習に顔を出せるなんて不自然すぎるから。兄は死んでいて、弟を指導するためにやってきていた、と。すでに死んでいる、あるいは、遠隔地から神霊だけがやってきている、てな感じ。つまりまあ、会食で子どもが怖がっているのも、兄が亡霊だから、とか。ほんとうは兄は弟思いで、見守っている、てな感じの話かな、と。でも、なんかそれだとつじつまが合わないので、やっぱ、違うか、と。
・兄は出所して、台北から離れた田舎に住んで働く、といっていた。なんだけど、弟はクラブの帰りに途中下車し、兄の働くコンビニによる。え? 台北と、クラブと、兄の働く場所の位置関係が、おかしくないか?
・弟君はゲイらしい。でも、この映画大筋にはほとんど関係ないだろ。っていうか、関係のないつくりになっている。LGBTを交えておけば注目されるかな的な安易な考えなんじゃないのか?
・大会の試合。選手のすぐ横で、控えの選手や応援の人々が騒いでる。あんな近くでやらんだろ。危険がアブなすぎる。
・母の彼氏の時計を弟が盗んだという一件は、知らなかった。弟が告白したのを見て、そんなことがあったのか、と。こちらが寝ている間の出来事だったのか。
・母親もいい加減な女だよな。少年院にいる兄のことを、彼氏に、アメリカのジョン・ホプキンス大学で医学を学んでいる、とかいうかよ。そんなのすぐにバレるだろ。っていうか、新聞ネタになった事件の犯人が、つき合ってる女の息子だって知らない方がどーかとてる。
・母親の再婚話をまぜてるのは、弟が母親の恋愛に対して嫌悪感を抱いているから? そんな風には見えなかったけどな。まあ、このエピソードも、たいして機能してないよな。
監督/●脚本/●
原題は“●”。公式HPのあらすじは「●」
Twitterへは「★」
監督/●脚本/●
原題は“●”。公式HPのあらすじは「●」
Twitterへは「★」
監督/●脚本/●
原題は“●”。公式HPのあらすじは「●」
Twitterへは「★」
監督/●脚本/●
原題は“●”。公式HPのあらすじは「●」
Twitterへは「★」

 
 

|back|

|ホームページへ戻る|