2026年1月

星と月は天の穴1/6テアトル新宿監督/荒井晴彦脚本/荒井晴彦
AIによるあらすじは「妻に逃げられ結婚に失敗した40代の小説家・矢添が、心の穴を娼婦・千枝子との関係で埋めつつも、誰にも言えない「秘密」とコンプレックスから恋愛に臆病になっていたところ、大学生の瀬川紀子と出会い、彼女との奇妙な関係を通じて自身の心と向き合っていく」
Twitterへは「原作は吉行淳之介で舞台は1969年だけど町の情景はそう見えないテキトーさ。にしても監督の荒井晴彦は女優脱がせてエロい性交場面撮るのが性癖なので、ほぼポルノ。脱がない田中麗奈と宮下順子を拝んでおった。原一男は月面中継見てた親父か?」「ちがうか。最初のバーのエロジジイか? 原一男。」
最近では『火口のふたり』で瀧内公美を脱がせ、『花腐し』でもピンクまがいのエロシーンを撮ってる荒井晴彦。そんなシーンが必要か? 不必要に濃厚すぎる性交場面は、ただのピンク映画だろ。つまりは監督がそういう場面を撮りたいだけ、ではないかと思っている。なので、どーせこの映画もまた綾野剛があられもない姿で美女とやりまくるだけの映画なんかだろう、と、あまり気乗りはしなかったんだが、思った通りの展開。たいして中味はなくて、女がアヘアヘいったり陰毛を見せたり、乳を揉まれたり吸われるだけの映画だった。
舞台は1969年の東京。なんだけど、建物とか歩道とか路面とか、どーみても現代にしか見えない。昔風の交通標識や古い赤いポストで時代を付けようとしてるけど、浮いてるだけ。当時の騒然とした空気も漂ってこない。ラストで「1969年の思い出に」とクレジットがでるけど、誰の何に対する思い出なのかも分からない。
原作は吉行淳之介で、この作品は読んでいないけれど、他の作品からの想像で、男と女のどうでもいい話をうだうだするのは、吉行淳之介が書きそうな話だなとは思う。けれど、それが現在の観客に刺さるのかというと、そんな風には思えない。社会性はゼロだし、物語としても大してドラマはない。小説家(綾野剛)は吉行淳之介自信がモデルなのか? にしては長髪で、吉行のような繊細さは感じられない。
話は二重構造になっていて、1つは矢添が書く小説世界で、ここに登場する小説家も綾野剛が演じているのでよく見ていないと切れ目が分かりづらい。登場するのはB子という女子大生で、実は彼女が16歳の時、娼館で処女を買っていた、という過去がある。もう1つは現実の矢添が知り合う女子大生紀子と、馴染みの娼婦・千枝子との関係だ。こうしてみると、吉行淳之介は女子大生コンプレックスなのか? と思ってしまう。
矢添はとくに行き詰まっているわけでもなく小説を書き進めている。現実の出来事を小説世界に反映しているようなこともない。なので、話としての綾は、ほとんどない。矢添は生まれつき歯が悪く、36歳で総入れ歯に。で、現在は43歳。B子と紀子は21歳。千枝子は実年齢45歳の田中麗奈が演じているけど、設定は30歳ちょいぐらいなのかな。
その小説パートでは、原作のテキストが画面にずらずらでてくるんだけど、読むのが面倒くさいし、頭に入らない。製作側は、映像表現を放棄しているのか? 文字でつたえたいなら映画にする必要はないだろうに。
で、この映画には別れろ切れろとか、嫉妬、憎悪がないのだよな。あっけらかんと乾いている。映画がそれでいいのか? という気はするんだけど、しょうがない。せいぜい紀子がマゾで、攻めて欲しいとか乳房を噛めとかいう程度かな。まあ、それ以上の機微は文字列から読み取れってか? なんかなあ。
現実の矢添は43歳で離婚歴ありで、でも、結婚生活は1年ほど。性欲は馴染みの娼館で馴染みの娼婦の千枝子とたまに会っている。金で女を買う関係ではあるけれど日常会話をしたりしていて、どっちかっていうとセフレみたいな感じか。千枝子を演じるのは田中麗奈で、黒い下着姿はミドルショットで写されるぐらい。もっと寄りの絵が見たいと思うけど、残念。実年齢45にしては贅肉もなく尻もたれていなくて、スレンダー。っていうのが、この映画の一番の見どころかな。
矢添と絡むもう一人は、いいとこのお嬢様らしい紀子21歳。画廊で出会って、矢添が芳名帳に書く名前で「小説家の…」で話が始まり、家までクルマで送っていく。その後にどっかで飲んで、帰りの車の中で紀子が尿意を堪えきれず漏らして、あれは連れ込みみたいなところに入ったのか? 紀子は下着を洗っていて、でまあ、その後は紀子がベッドに…。さらに、紀子が矢添に電話をかけてきたり、ついには部屋の近くまでやってきたり、積極的。男に都合のいい関係が始まっていく。まあ、たいして面白い展開ではない。紀子にはつき合っている大学生はいるけど…。なのも、なんかよく分からん感じ。紀子という女性がどんな具合に男を見ているのか? セックスに関心があるのかどうかも、なんかいまひとつつたわってこない。矢添が有名な小説家だから寝ただけ? 紀子を演じる咲耶はスタイルも対して良くないし寸詰まりで、容貌も淡白すぎていまいち魅力がない。でも、同級生の女子と旅行に行った後、矢添のまえで裸になると乳房にかみ跡があって、それは友人に噛まれたのだと言うから同性愛の傾向もあるのか。そういえば、バックでもやってたな、この女。幼顔にしてすることは大胆? たんに得体の知れない女だな、な感じ。
小説に登場するB子の方がエロスを感じる大人の女な感じだな。こちらも都合よく主人公/矢添と寝るのだけれど、紀子と同じく存在感は薄い。
そうそう。矢添の総入れ歯だけど。思うに、キスすれば分かっちゃうんじゃないか? 冒頭近くで千枝子に「入れ歯でしょ」といわれていたけど、口に舌をいれられたら終わりな気がするんだが。で、その千枝子は普通のサラリーマンとの結婚話があって、考えている、らしい。結婚してから身体を売っていたことを知られたら…。が心配らしい。ってことは普段は事務員かなんかしていて、お呼びがあれば娼婦になるのか。メインが娼婦なのか、は良く分からない。
で、矢添は紀子とクルマに乗っていて事故を起こし、念のためと頭部レントゲンを撮るのだが、医師から「入れ歯ですね」と紀子の前で指摘されてしまう…。でも、紀子は特に笑うわけでもなく、ヒキもしない。なんなんだ。この感情をどっかに落としてきてしまったような態度は。
矢添は、紀子を決して部屋に入れない。これは、入れ歯であることを知られることを懼れていたのかな?
この映画、基本はモノクロなんだけど、ときどき部分的に赤が入る。矢添が食べる鮭、赤信号、紀子の唇の紅、盲腸の傷、乳房のかみ跡、、B子の唇の紅、矢添の入れ歯、ポストに投函する少年の唇…。これまた思わせぶりなだけど、深い意味はないと思う。そう、この映画は深い意味はない。監督が女優の裸と性交場面を凝りたかっただけ、だと思うぞ。
リトアニアへの旅の追憶1/7シネマ ブルースタジオ監督/ジョナス・メカス撮影・ナレーション/ジョナス・メカス
1972年製作で1996年公開、だったのか。原題は“Reminiscences of a Journey to Lithuania”。イメージフォーラムの解説は「1949年、故郷からナチスに追われアメリカに亡命したジョナス・メカス。言葉も通じないブルックリンで一台の16ミリ・カメラを手にしたメカスは日々の生活を日記のように撮り始めます。27年ぶりに訪れた故郷リトアニアでの母、友人たちとの再会、そして風景。メカスは自在なカメラワークとたおやかな感受性でそれらの全てをみずみずしい映像と言葉で一つの作品にまとめ上げました。この感動的な映像叙事詩はメカス自身の代表作であるばかりでなく、アメリカ・インディペンデント映画の不朽の名作として広く愛され続けています。なお、この映画に描かれている彼の出身の村セミニシュケイは、いわば彼自身の追憶の中の存在というべきものであり、メカスのカメラは、彼の少年時代の痕跡や思い出に向けられているが、現在、セミニシュケイは、廃村あつかいとなり、地図上にはなく、文字通り追憶の中の存在となってしまったといいます。」
Twitterへは「初見。少し寝た。評価される理由が分からん。説明ほとんどなし。手ぶれ、ピンボケ、カメラぶんまわし、コマ落とし、ハレーション、極端に短いカットつなぎetc…。目がチカチカし、酔う。監督の解説読んでも分からん。」
リトアニアはWikipediaによると「第一次世界大戦後の1918年、リトアニア共和国としてロシア帝国より独立。1940年にソビエト連邦から、翌1941年の独ソ戦勃発でナチス・ドイツからも侵略された。その後、ソ連に再占領されてソ連の構成共和国の一つとなったが、ソ連崩壊に伴い1990年に独立を回復し、以後、親欧米路線を歩んでいる。」だそーである。そうか。バルト三国の1つか。てなぐらいしか知識がないので、冒頭で語られていた“戦争”がなにを指してるのかもよく分からず。ナチの侵略なのか、ソ連の侵略なのか?
で。冒頭からしばらくは色黒で、難民がどーの、ブルックリンがどーの、戦争を忘れてハイキングに行ったとかいってる。と思ったらカラーになって、母親とか近所の親戚みたいのがでてくるパートがあって。でも、画面はゆれゆれ、いきなりのパン、短いカットつなぎ、などなど、人に見せるレベルではない。ナレーションもあるけど、あとからみるとどうも本人らしいが、5W1Hが無茶苦茶な内容で、なんにがなんだか分からない。
見る前に↑の解説に近いのは読んだけれど、そんなんじゃ何が何だか分からない。分からない上に画面はガチャガチャ動きまわって、見よう、あるいは理解してあげようという気持ちを砕く。あれ、この映画って有名だし、評価が高かったよなあ。こんな映画のどこがどういいんだ? 何をどう評価するのだ? なんて思ってるうちに睡魔がやってきて、目は開いたまま気絶しているかと思うと、しっかり目をつむって寝ていた時間もあったようだ。で、気づいてからも画面のゆらゆら、断片的な見せ方は相変わらずで、ただもう、ぼーっと眺めてた。退屈と言うより苦痛。はやく終わらないかな、と。そしたら結婚式の場面になって。と思ったらどっかの市場が火事だ、てな場面になって、いきなりドキュメンタリーは終わってしまった。
それにしても、映画素人でもこんなひどいカメラのブレとか、チマチマしたつなぎはしないだろうから、みんな意図的なんだろう。意図的に見づらく、分かりにくく、つまらなくしている。こんな映画はゴミだろ。
評価している人は、どこがどう衝撃的で心に刺さって残ったのか、を教えてほしいものだ。でも、思うにきっと、だれか有名な評論家とか知名人が褒めてるから、だから自分も褒めとこうかな、と思ってのことではないかと思うけどな。だって、あの映像とナレーションだけで、背景や状況を理解できる人はいないと思うから。いやいや、あれで十分分かる。という御仁がいたなら、ぜひ御教授願いたいものだ。
というだけで、ゲージツを気どったハッタリ以外の何物でもないと思う。こんな山師に騙されてる映画界も美術界も、アホだろ。
マッド・フェイト 狂運1/13ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1監督/ソイ・チェン脚本/ヤウ・ナイホイ、メルヴィン・リー
原題は“命案”。公式HPのあらすじは「娼婦ばかりが狙われる猟奇殺人が、また今夜も…。見えない殺人鬼が彷徨うこの町は、異様な空気に包まれていた。激しい雨の夜、ある娼婦に奇妙な儀式を施す、熱血占い師マスターホイ。誰でもいいから人を殺したくてたまらないクズな衝動に今日も悩まされる、サイコパス青年シウ。過去に動物虐待容疑で、シウを刑務所にぶち込んだ、刑事ベテランは、疑いの目を常に彼に向けているのだった…。ある日、嫌な予感に導かれ、娼婦の住むアパートに駆け付けたホイ。そこには、配達員として訪れていたシウの姿が…。その恍惚の眼差しの先には、異常な形状で吊るされた血まみれの女が…。その瞬間、ホイの“運命”とシウの“運命”が、激しく交錯する。それは、最低最悪の“運命”に逆らう、熱くて奇妙な戦いのはじまりだった…。」
Twitterへは「やっつけ臭が満載の香港版・切り裂きジャック。風水×サイコパス×娼婦×オカルト…。いかにも香港映画な感じでテキトーにどんどん撮ってつないでる感じ。設定や背景をちゃんと見せてから話を始めりゃいいのに。わけ分からんとこ多すぎ。」
冒頭は、雷鳴轟く中、墓場で女の悪魔払いみたいなことをしている場面。風水占い師(ホイ)が、女を埋め、その間にまじないの紙を燃やそうとしているが、燃える前に女が「息苦しい!」と土を払ってしまう。女には死ぬ運命が宿っているけど、それを払おう、というものらしい。でも、完全に払いきる前に儀式は終わってしまう。バカバカしくもコメディタッチ。
次からよく分からなくなる。雑居ビルのアパートの部屋に、新聞広告を見た男がやってきて…。さらに、自転車に乗った長髪男シウが、なんだか分からんけど行列に並んでいて。何をするのかなと思っていたら、雨が降りはじめ、濡れながら行列を外れ、アパートに向かう。手には、滲んだ文字の紙。監視カメラが撮ったみたいな男の姿のプリントされた紙…。
この、シウが住所を間違えて届け物をした、というのは彼を話に巻き込ませるための設定で、べつに間違わなくても構わないはず。ムダに話を混乱させるだけだと思うんだけどな。あと、いまさら気づいたけど、新聞記事はエロ広告で、これをみて男がやってきてたのか、と。いろいろ説明が端折られすぎなので、分かりにくいったらありゃしない。
アパートの女は、隣人かなんかとやりとりしてる。そのあとで、部屋の前にシウがやってきて「お届け物です」と。でてこない。そこに、もうひとり男がやってきて…。どうも風水占い師のホイが心配になって見にきたらしい。女が出てこないのでドアに体当たりして入ると、入れ替わりに男が飛び出てくる。ホイが見たのは、宙に吊られ、血を流している女。もしかして、冒頭のやかましかった女か? シウもなかに入るが、血を見て狂喜して震えてる感じ…。警察がやってきて…。シウには猫いじめの過去があって、要注意人物らしい。両親も心配して警察にやってきていた。
てなあたりまでは、まあまあだったんだよ。これ以降は、シウに死相を見たホイが、あれやこれや意見して行動を制限したり縁起をかついだり、の連続でかなり退屈。警察官も登場するんだけど、ただうようよしてるだけで、合理的に追求したりはしない。あくびが出てきて…。ちょっと寝てしまった。
なわけで、もう一人の娼婦のジョウがどうやって登場してきていたのかについては、ほとんど記憶にない…。監視カメラの写真をプリントした紙を見る、というところで機能してたんだっけか。あれもムリやりな感じで、あの写真は誰がどうやって撒いたんだ? そういうばこのジョウ。競馬場で馬券を売ってるみたいな場面があったんだけど、そうなのか? たまたま競馬場にいただけなのか? なんか、競馬場で男を見た、とか警察に連絡してたんだっけかな。
実をいうと、後半も終わりの方で「娼婦連続殺人」という言葉が出て、初めて、あーそうだったのか、と合点がいったんだよね。そうか。冒頭の男と、中盤過ぎにメガネ姿で女の部屋に行った男は、同一人物なのか。で、男は娼婦殺しだったのか、と。女達がいくらピカピカの部屋にいても、彼女らが娼婦だとはっきり言えてないから、分かんないよな。それと、この娼婦殺しの男の視点が全くないから、そういうドラマが背景にある、ってのが分からない。分からないまま、ホイとシウのコントみたいなやりとりがつづくから、飽きるんだよ。
本来なら冒頭で娼婦殺人が描かれ、犯人の特長や癖が軽く描かれるべきなのだ。そして、次に、ある娼婦がこの事件で不安になり、ホイに占ってもらう。すると死相がでて、墓場でお祓いを…。ののち、娼婦の部屋にやってくる男。その癖とともに描かれて…。そこに配達夫。そして、ホイがやってきて・・・。な感じでキチンと輪郭をはっきり描けば分かりやすかったのだ。なのに、占い師ホイとサイコなシウの笑えない漫才みたいなやりとりが延々続くから、飽きるのだ。
で、2人目の娼婦ジョウのところに娼婦殺人鬼が訪れ、殺そうとするんだけど逆にジョウに首を刺されてしまう。この場面にもホイかいたんだっけか? 忘れたけど…。で、救急車で2人が連れて行かれて、でも、娼婦殺人鬼は死んじゃったみたい。いっぽう、シウの殺人・虐待願望を消し去ろうとするホイは、死体置き場の娼婦殺人鬼をあれこれしてたけど、何をしてたのかは、忘れた。まあ、その結果、なんと連続殺人鬼の魂(?)がホイに乗り移って。殺人鬼がホイに憑依したり、占い師に戻ったり。もう、アホか、な展開。ここに刑事もからんであれやこれや。ホイは頭部に怪我を負って、どーやら精神病院に入ってしまったらしい。その代わりなのか、シウは殺人への意欲がなくなって、ノラ猫にも優しく接するようになる、なエンディングだっけかな。刑事に怪我を負わせたシウが何のお咎めもないのはヘンだけどなあ。
・途中で、ホイとシウが墓地にいく場面があったよな。後日、墓地が崩れ、ホイの恋人の墓石も転がってて、それにすがりつく、という場面。あのホイの恋人って、それまでにどっかで登場してたっけ? っていうか、あれはどういう話だったんだ? よく分からず。
ぼくの名前はラワン1/16新宿武蔵野館2監督/エドワード・ラヴレイス脚本/エドワード・ラヴレイス
イギリス映画。原題は“Name Me Lawand”。UPLINKのあらすじは「イラクで暮らすクルド人の少年ラワンは、生まれつき耳が聞こえない。ラワンが5歳の時、両親は国外への移住を決断。家族は数カ月を難民キャンプで過ごした後、支援者の協力を得て、ようやくイギリスの都市ダービーに安住する。その後、ラワンはダービー王立ろう学校に通えることになり、少しずつイギリス手話と口話を学び始める。みるみる上達するラワンは、やがて周囲と同じように手話だけで生きていく道を選ぶ。兄もラワンと意思疎通するため手話を学び始めるが、イラクでは手話だけでは人として対等に扱われないため、両親は息子の選択に不安を抱いていた。手話を嫌がる両親にラワンがいら立ちを募らせる中、一家が申請していた難民認定について内務省の審査が始まる。」
Twitterへは「イラク難民の子がイギリス=西欧で手話を身につけ明るくなる話。ドキュメンタリーと言いつつ演出もしてるな。西欧=文化的、難民=気の毒な類型も…。主人公が聾なのか唖なのかも、最初は分からず。障害者向け字幕もあって気が散った。」
イラク人の難民がイギリスでいじめられ、でも、生き抜いていく、みたいな話かと思ったらまったく違った。聾の少年の話だった。なので声で発するセリフは少なくて、ほとんど静寂のまま進む。しかも、聾唖者向けの字幕つきなので、「風の音」とかSEの説明や、誰のセリフなのかも字幕にでてくる。これが目障りで集中できなかった。聾唖者への配慮ではあるんだろうけど…。とはいえ、映画は手話中心で話が進むので、2〜3人での会話だと話者が誰か分からないことも多い。そういうときは判別材料になるとは思うけど。
最初は「あー」とか「うー」とか声が発せられて「?」だった。けど、発話の練習だったんだな、あとから分かるけど。けど、映画自体は単調でロクに説明もなく、父や母の話がはさまるぐらい。なので、次第に飽きてきてうつらうつらしてしまった。あらすじにあるクルド人云々というのは記憶になかったので、寝てるときに説明があったのかな。
さて、ラワンは最初にイラク人だかなんだか、どこでだか分からんけど同じ聾の大男と知り合いになって。その彼の世話もあって(?)、王立なんとか学校というイギリスの聾唖者のための学校に入学できたらしい。そこで、同じ障害を持つ白人の少年と黒人の少年と知り合いになり、仲好し3人組な感じでイジメに遭うこともなく、楽しく毎日を過ごし、成長していったらしい。ただし、時間の経過がまったく表示されないので、何歳、何年、がまったく分からない。ちょっとイラついた。
どんどん手話に慣れていくラワン。使っているのはイギリス手話らしい。父親曰く「イラクにはラワンのような子にいい環境ではない。だからボートで海を渡った」なことを言っていた。聾の息子のために難民の道を選んだ? ホントかね。子どものため、だけに難民になったみたいなことをいってたけど。自分たちがイラクから逃れる目的もあったんじゃないのかな。
でイギリス手話に慣れるに従って、ラワンは家庭内での会話で置いてきぼりになっていることに疎外感を覚えるようになったという。両親と兄、あと、弟もいるのか? は障害がないのでフツーに会話している。「両親は手話を覚えようとしない」と不満を言っていた。いっぽう両親の方は、ラワンは耳は聞こえなくても唖者ではないので発話ができるように育てようとした。それが冒頭の発話レッスンだったんだろう。
まあ、両親が手話に消極的なのは、わからんでもない。面倒くさいし。家庭内での会話が手話メインになってしまう可能性もある。はたしてそれは、耳の聞こえる他の家族にとっていいことなのか? よく分からない。
な感じで、小さな不満や気持ちのズレはあるけれど、ラワンは友だち2人と屈託なく暮らしている。で、突然ここで、国外退去の危機、が話に登場する。(寝てるときにもあったのかも知らんけど) さらに、手話をイギリスの第一言語にする運動みたいなのが映ったりする。突然の社会性だよ。いや、そういう話になるなら、そうした環境下にあることを説明しておいてくれよ。ほんわかダラダラだけじゃなくてさ。
と思っていたら、さらっと、手話が第一言語に採択された話があって。と思ったら、ラワンの難民再申請が受理され、国外退去を回避できた、という展開。外から帰ってきたラワンがこれを聞いて「パスポート!」と明瞭な声で何度も言うのだけれど、なんだ、発話はちゃんとできるようになっていたのか。ただし、口唇術がどの程度なのかは分からないけど。という案配で、めでたしめでたし、で映画は終わる。
でも、いろいろスッキリしないところが残る。ドキュメンタリーと言いつつフィクションみたいな感じで撮ってるところも合って、なんか現実味がないんだよな。あと、イラクの何が嫌で難民になったのか、とか。ホントに息子の教育のためだけ? 王立の学校に入学できるなんて、資産がないとムリだろ。金持ちか? それと、ラワンがイギリスかぶれなとこも気になった。イラクにだって聾唖学校はあるだろうし、手話もあるはず。なのになぜ難民になってまでイギリスに? しかも、難民申請が通らないのはなぜ? ラワンだけが、通らなかったのか。他の家族はどうだったのか。それと、家族に手話を求めるのも、一方的かなあ、とか。まあ、発話ができるようになっているから、両親の意見も聞いてはいるんだろうけど。とか、イランの聾の少年ががんばってまーす、なだけの内容に見えてきてしまって、リアリティがないんだよなあ。もやもや。
グッドワン1/19ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1監督/インディア・ドナルドソン脚本/インディア・ドナルドソン
原題は“Good One”。公式HPのあらすじは「17歳の少女サムは、父クリスと彼の旧友マットとともに、ニューヨーク州キャッツキル山地へ2泊3日のキャンプに出かける。二人の男たちは、旅路の間、長年のわだかまりをぶつけ合いながらも、ゆるやかにじゃれ合う。年齢以上に聡明なサムは、彼らの小競り合いに半ば呆れつつも、聞き役、世話役を全面的に引き受ける。しかし、男たちの行動によってサムの“大人への信頼”が裏切られたとき、サムと父は“親子の絆が揺らぐ瞬間”を迎えることになる。」
Twitterへは「思春期の娘が父親と、父の友人との3人で2泊3日のトレイルにでかけるだけ、の話。17歳の娘が親父とキャンプしてくれるなんて、いい子だよな。HPには「“大人への信頼”が裏切られた」とか書いてあるけど、深読みしすぎのナイーブすぎるだろ。」
話は単純。サムと言う娘が父ちゃんのクリスと、その友だちマットと2泊3日の山歩きをするだけ、だ。マットはサムと同年代? の息子も連れて行くつもりだったけど、拒否られて3人で行くことに。
行きの車の中で父親クリスとマットが話す仕事とか知人のあれこれとか、は、ほとんどなんだか分からない。とくに人名が、だれなのそれ? だし、話にも絡んでこない。あんなの要らないだろ。むしろ、両家の家庭環境について分からせてほしい。離婚とか別居とか、そういうこと。
サムは15、6歳かと思ったら、もうすぐ大学らしい。てことは18歳かと思ったら17歳だと。父親が、大学生活に期待してるか? と問うと、こたえたくない様子。これはどういう意味なんだろう。にしても、年頃の娘が父親とキャンプに一緒に行ってくれるなんて、素直でいい子じゃないか。父娘の関係も良好というところだろう。
で、前日はどっかのモーテルに宿泊? サムはベッドでなく床に寝てたけど、あれに意味はあるのか? というわけで、翌朝出発。マットはお調子者な感じで、リュックに大量の荷物を詰め込んでて、クリスにチェックされて大半、出されていた。のに、肝心の寝袋を置き忘れる。まあ、キャンプ初心者なんだろう。
1日目は男3人グループと遭遇して同じ場所でキャンプ。クリスとマットは同じテントで寝る。で、2日目はだらだら山歩き。景観がいいとか、そんなぐらいで、とくに事件もドラマもない。と思っていたら、夜。クリスが先にテントに入り、サムとマットだけで焚火を囲んでいて。マットは「君はいい子に育った」とかいうとき、“good one”という言葉が出て来たな。で、ついでになのか、寝袋がなくて寒いからなのか、「一緒にテントに寝ようか」とサムに軽口を叩いた。こっからサムの態度が暗くなるんだけど、その場ではとくにショックを受けている感じではなかった。翌日、サムは父親に「マットにヘンなことを言われた、気持ち悪い」なことを漏らす。
「一緒に寝ようか」というのが、どういうニュアンスなのか、は英語ネイティブではないので分からない。性的意味がどれほどあるのか。マットは、たんに無邪気でいい子なサムに冗談をいっただけ、な気もする。たとえ性的な意味があるとしても、17歳のいい娘なんだから「バカ言っちゃって! 寝袋の代わりなんて嫌よ」とか、「私は冷酷だからテントの中は温まらないわよ」とか、いくらでも返せると思うんだけど。だいたいアメリカじゃ高校生のときに初体験ぐらい済ませてるんだろ? と思うと、サムってナイーブすぎじゃね? と思っちゃうんだよね。
翌日、クリスとサムが並んで先導し、マットは離れてついてくる。反省したのか。陽気さは消えている。父親が川に入り、サムを呼ぶ。父親とは言え、ショーツとブラジャーで水に入る娘が、ウブすぎるなあ、とも思ったり。父親に「なによ変態!」ぐらいいってもいいと思うんだけど。でも、ここは、あれかね。マットに汚された自分を清める意味でも込めているのか、サムは水に入る。
でも、そこそこに上がってTシャツ短パンに着替えると、リュックを背負って、男2人に黙って出発点に戻ってしまう。でも、クルマの鍵がない。しばらくしてやってくるクリスとマット。クリスは、どうした? とはいうけど、叱りはしない。サムはムッとしたままクルマに閉じこもり、ロックしてしばらくドアを開けない。まあ、抵抗の意思表示なのか。結局ドアを開けて、精気のない顔になって、映画はプッツリそこで終わる。
17歳でこんなウブでナイーブで大丈夫なのか? と思っちゃうな。マットも、むかしから知っているからなのか、サムにちょっと言い過ぎた、のかも知れない。昨今の性的コンプライアンスは面倒くせえよな。冗談も言えない。
冒頭は、サムが家で黒人娘とちゃらちゃらしていて。母親のようなオバチャンがでてきて。父親のクリスは、リュックにあれこれ詰めていて、「さあ、行くぞ!」となる。黒人娘は誰? オバチャンは誰? と、思うよなあ。サムの両親は離婚してるらしいのだから。あと、マットの両親も離婚していて、息子は母親になついているようなことをいっていた。このあたりの関係性をちゃんと説明してほしいよなあ。
サムのチャット相手は誰なんだ? 黒人の娘?
サムは生理中らしく、タンポンを取り替える場面がときどきある。あんなの、どんな意味があるんだ?
監督/●脚本/●
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