| サンキュー、チャック | 5/7 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1 | 監督/マイク・フラナガン | 脚本/マイク・フラナガン |
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| 原題は“The Life of Chuck”。公式HPのあらすじは「カリフォルニアで大地震が発生、フランスは津波に襲われ、メキシコでは森林火災が都市まで広がり、トスカーナでは街が水没…。次々と起こる災害にすべてを破壊され、ついに世界は終わろうとしていた。ネットやSNSが繋がらなくなる中、街頭看板やラジオ放送に突如現れたのは、「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」という不可思議な広告。だが、カメラに向かって微笑む中年男性のチャック(トム・ヒドルストン)が何者なのか誰も知らない。ハイスクールの教師を務めるマーティー・アンダーソン(キウェテル・イジョフォー)は、別れた妻フェリシア・ゴードン(カレン・ギラン)からの電話に応える。看護師を務めるフェリシアは、絶望のあまり自殺を選ぶ人々への対処に疲れ切っていた。互いを思いやる会話を交わし、電話を切ったマーティーがテレビをつけると、まもなく全局がダウン、そこに突然、またしても“チャック”の広告が流れるのだった。翌朝、マーティーは隣人から近くの道路が陥没したと聞き、学校へ行くのを諦める。フェリシアに連絡しようとするが、“接続できません”と表示される電話を捨て、彼女の住む街へと歩き出すマーティー。乗り捨てられた車で埋め尽くされた、まさに終末の風景の道路にも、チャックの街頭広告だけは並んでいた。マーティーが道中で出会った、ある紳士はチャックのことを、「20人以上に尋ねたが、誰も知らなかった。世界の終わりの象徴かもしれんな」と語る。すっかり日が暮れて、ようやく目的地にたどり着くマーティー。すると、街灯が一斉に消えて、街が闇に包まれた直後、建ち並ぶ家々の窓に、チャックの広告が浮かび上がる。恐怖に駆られたマーティーはフェリシアの家へと駆け付ける。マーティーとの再会を喜びながらも、フェリシアは彼に「そろそろよ。その時が来たの」と厳かに告げるのだった。果たして、世界は本当に終わるのか?チャールズ・クランツ、通称チャックとは何者なのか?なぜ、感謝されているのか?39年間の意味とは? 一つ、また一つ、謎が解き明かされた時、すべての悩める魂に語りかける、もう一つの物語が始まる」 Twitterへは「原作がS.キングらしく、思わせぶりなネタを散りばめつつ、いつもながらの思いつきテキトーだらだら話。結局のところも、いろいろ放り出したまま。で? な感じで終わってしまう。もうちょっとで寝落ちするところだった。」 キングの小説はいくつも映画化されていて、それなりに成功してるのも多いと思う。で、活字の方を読んだことがあるんだけど、なんか設定ありきでどんどん話を振りまわして進んでく、みたいな強引さというか、テキトーさを感じたことがあるんだよね。なんていうか、ハナから構成を考えて書き進めるというより、行き当たりばったり、な感じか。だから伏線とか木目細かに埋め込まれていなくて、むりやりこじつけ、なところもある感じかな。とはいえ、少ないキングの活字体験だけなのではあるんだが。 でまあ、この映画なんだけど。1章から3章まであって、でも、順番は3章→2章→1章という流れになっている。原作もそうなのかは知らない。 3章は、黒人教師マーティーと、別れた妻フェリシアの話。授業中に、カリフォルニアで大地震、の報道で教室が大騒ぎ。その後、世界各地で異変が起きて、日本でも原発がまた水浸し、なんてのもあった。自殺する人が増え、看護婦のフェリシアはその対応に追われる。マーティーは、父兄面談で子供の成績について話すが、父兄は、この時代にそれがどうなる、な反応ばかり。で、どういう理由か分からんけどマーティーは別れた妻に会いに行く。途中、ローラースケートしてる少女と出くわすんだが、突然の停電(やっとかよ、な感じ)。妻と再開し、夜空を眺めていると、まず北極星、つぎに火星が爆発していく。この世の終わり、な感じなんだけど、近ごろふえて来た“Thanks Chuck”の電飾看板の明かりは煌々と照らし出されている、という流れ。チャックとは何なんだ? あまりに単調でドラマがないので、あくびを連発。寝落ちするかと思った。 2章は、まずチャックの紹介。余命半年ぐらいだけど、それは知らず、なのか。彼は会計士でどっかの街にやってきている。大道芸の娘ドラマーがいて、路上で鳴らしている。そのリズムに、ついつい踊ってしまうチャック。囲んでいた中から1人の女性を招き入れ、2人で楽しく踊って…。その女性は、とくに好きでもない相手から振られた直後で、むかついていたけど、これで帳消し、な感じ。ドラマー娘は大量の投げ銭を3人で分け合い、それぞれに分かれて散っていく。というだけの話。ちょっとドラマがあるので、目が覚めた? 3章は、チャックの生い立ち。彼の両親は、交通事故死。母親の胎内にいた女の子も一緒に亡くなった。幼いチャックは祖父母に育てられた。料理好きな祖母から色んなダンスのステップを覚えたチャックは、学校でダンス部に入る。群を抜くダンス上手で、見よう見まねのムーンウォークもしたりして。でも下級生なのでまだちび助。上級生で上手い東洋系の女の子がいて、その子と踊るときは生き生きしてる。なんかの大会に出なさい、と先生に言われ、当日も正装で行くんだけど、いまいち踏ん切れない。けど、先生の後押しや、東洋系の女の子への思いもあってなのか、重い腰を上げて踊り出したら、やんやの大喝采。そのうち祖母が死に、会計士だった祖父も亡くなって。家を相続。祖父から、かねがね「入るな」と言われていた丸い塔の部屋に入ると、空っぽ。けど、一瞬見えたのは、自分が死の床についている姿。ああ、かつてこっそり入ろうとして祖父に止められ、でも、祖阿が覗いたのも、自分の死の場面だったのか…。でまあ、妻に看取られてチャックは39歳で旅立つ。妻は東洋人だったので、あの上級生の東洋系の女性なのかな。 とまあ、こんな感じで。結局、だれがチャックに「ありがとう」といっているのか? なぜあの広告が街に氾濫しているのか、“Thanks Chuck”の意味は? なんてことは分からんのよね。期待外れ、というか、物足りなすぎてがっかりだね。なのに、フィルマークスなんかでは、高評価。いったいどこの何がいいんだ? さっぱり分からない。 まあ、要はファンタジー映画で、ツッコミはヤボだろと思いつつ、いろいろ考える。 最初の3章で、世界で天変地異があるのに、電気はつきっぱなし。食料に困ってる様子もない。トイレは? 下水は? 自殺者が多けりゃ葬儀屋は大繁盛? 死骸がそこらに放置されている? 様子はない。最後に街の明かりが突然消えるけど、“Thanks Chuck”の電飾看板は煌々と光っている。どゆこと? などとツッコミながら見ていた。 ・3章の教師マーティーは、ホイットマンの詩をテキストに授業をしていた。1章でも、教師がホイットマンの詩で授業をしていた。どういう意味があるんだ? ・3章の教師マーティーは、1章でも、隣の教室に座っていた。時代が違うんだから同じ次元にいるはずはないのに。どういう意味があるのだ? ・マーティーとフェリシアは離婚していている。離婚の原因は分からない。互いに現在のパートナーはおらんのか。なぜ分かれた相手に会いに行くのか。フェリシアも、元旦那と話して落ち着くのか。意味不明。 ・気象予報士になりたかった、てなことが2回ぐらいいわれてたよな。あれはなにか意味があるのか? ・祖父が会計士で、チャックも会計士。ダンサーにはなれなかったのね。 ・1章で祖父が入るのを禁じていた閉め切りの部屋。あの部屋は、1章でも登場してたよな。どういう場面で出てたんだっけ。チャックの家は壊されちゃったはずだから、残っているはずはない。ありゃなんだったんだろ。もう一度確認したいところだ。 ・1章の、チャックの踊りはそんなすごくないよな。ムーンウォークも中途半端だし。そんな、周囲が魅了されるほどではないような…。 ・唐突にカール・セーガンがでてきたり、世界の誕生から現在までを1年に喩えると、人間の誕生は大晦日の11時50分ぐらい(だっけ?)だとかいう、誰でも知ってる蘊蓄を話されるのもうっとーしー感じ。 ちょい疲労で眠かったのと、最初の第3章が単調すぎてつまらなかったので、退屈した。なのでぼーっと見てたので、いろいろ見逃しがあるとは思うんだけどね。ホイットマンの詩なんて、そもそも関心がないし。祖父の死の場面なんかも、意味ありげだったけど、頭に入ってこなかったなあ。 なんか、祖母だったかダンスの先生だったか、チャックの頭を両手で触りながら、なにか話している場面があったけど。すべてはチャックの頭の中の世界の話、だったりするのかね。と、書いてからつらつら思うに。アナロジーによる譬え話=寓話的な解釈もありそうな気がしてきた。 たとえば第3章。よく人間の身体を地球ひとつに喩えたりするけれど、第3章の世界をチャックの身体あるいは脳内と考えて見よう。チャックはすでに虫の息。身体の組織があちこち痛んで死に始める。それが、地球の各地で発生する災害や崩壊で喩えられている。自殺する人々は、チャックの身体の組織の一部がダメになっていくことの象徴。そして、チャックを生かしてきたエネルギーもあらかた絶えて、大規模な停電が発生する。最後は、星=脳神経細胞の崩壊/消滅。ついにチャックは死を迎える、とも読める。では“Thanks Chuck”の広告は何か。あれは、妻の言葉/思い、と考えてよいだろう。妻以外の、チャックを知る人たちの感謝の言葉かもしれない。もしかしたら、すでに亡くなっている両親や祖父母の声かもしれない。という寓話として読み解くことはできそうだ。とはいえ、チャックの人生の中になぜマーティーとフェリシアが存在しているのかは分からないけど。まあ、好意的に考えると、人間のDNAに記憶されている太古からのメッセージの一つ、という解釈もできそうだ。あるいは、我々が現在生きているこの地球社会も、実は、誰かの頭の中の世界なのかもしれない、という糊塗なのかもしれない。 第1章で、チャックは自分の運命を見てしまっている。若くして死ぬことを。だから、覚悟ができていた、とも言える。なので、死ぬ前に、普段ならしないようなことをしよう、と思って大道芸のドラムに合わせて踊り、見知らぬ女性を引きずり込んで一緒にダンスをした、のかも知れない。 まあ、第1章は、チャックの生い立ちとあらすじみたいなものかな。 そういえばキングの原作の邦題は『チャックの数奇な人生』らしい。しかし、映画を見た限りではとても「数奇」とは言えないよな。これは大げさ。むしろ、人間としては平凡すぎるし、しかも、若死にするのだから、哀しく気の毒な人生、の方が正しいかもしれない。なんてことを、あとからつらつら考えたりしたのだった。でも、そう解釈したからって、面白い映画に見えてきたかと言うと、そんなことはちっともないんだけどね。 | ||||
| シンプル・アクシデント/偶然 | 5/11 | ル・シネマ 渋谷宮下9F | 監督/ジャファル・パナヒ | 脚本/ジャファル・パナヒ |
| フランス/イラン/ルクセンブルク映画。原題は“Yek tasadof-e sadeh”。アラビア語で“ある偶然”の意味らしい。Bunkamura HPのあらすじは「かつて不当に投獄されたワヒドは、ある偶然の事故によって、人生を奪った残忍な義足の看守と出会う。ワヒドは咄嗟に男を拘束、荒野に穴を掘って埋めようとするが、男は「人違いだ」と言う。実はワヒドは、看守の顔を見たことがなかった。男は、本当に復讐相手なのか?一旦復讐を中断し、看守を知る友人を訪ねるが・・・。」 Twitterへは「イラン映画だけど、リアルというより、どの国にもあてはまるような寓話的な設定。ほんのり軽いドタバタコメディで、最後はちょいブラック。で、不条理。あなたなら、どうする? な問いかけなのかな。」 パナヒ監督の映画は以前にも見たことはあって、たしかイランに入国できない状態だとかいってたかな。それと、今回は「監督自身が、二度にわたって投獄された経験と同房で出会った人々のリアルな声から着想を得て」つくられたらしい。舞台はイランなんだろう。けれど、イランのどの時代で為政者は誰で、てな感じの告発的な話ではないと思う。なぜなら、描かれているのは独裁政権寄りの為政者vs市民活動家にみえるので、イランも当然そうだろうけど、アフリカ諸国やロシア、中国、いやいや、日本やアメリカなんかでも政権は国民を監視しているので、どの国にでもあてはまるような話ではある。 要は、給料未払いだったかなんかで会社に抗議し、国家警察(?)かなんかに逮捕され、拘束。逆さ吊り3日、独房3ヵ月ぐらいの憂き目に遭った40凸凹の連中の1人が、当時の尋問官エグバルらしいのを街中で発見し捕捉。けど、訊問されてたとき目隠しされていたので確証がない。ので、当時の仲間に見せる。のだけれど、仲間も同様に目隠しされていたので、絶対そうだ、と断定できず。右往左往するという話だ。ほぼコメディタッチで、シリアスな緊張感はほとんどないのよね。 冒頭は、男が妻と幼い娘とクルマの中。犬を撥ねて、さらにエンストして困っているところを、近くの男に助けてもらう。その男と一緒に働いている男=ワヒドが、助けた男の歩き方と音に反応する。義足らしい、と。ワヒドはバイクで男の家まで追跡し、翌朝(なぜかバイクからバンになってるのはなんなんだ?)、男を追い、スコップでなく殴っり、砂漠に穴を掘って埋めちまおう、とする。これに男は、自分の足は最近事故で切断した、と見せる。切断面はぷにょぷにょしてて、固くなっていない。ワヒドは、ほんとうにあの尋問官か? と少し心配になってきて、年長の活動家(?)らしいサラルに相談。サラルは当該男を知っている(らしい)カメラマンのシヴァを紹介する。シヴァは知り合いのゴリ(花嫁)とアリ(花婿)の撮影中で、シヴァとゴリは顔見知り。シヴァも、目隠しされていたから、顔では判断できない、という。一方ゴリは男の体臭から「あいつだ」と特定し、復讐心が高まる。アリは、事件とは関係ないようだ。 シヴァは、同じく拘束されていた元彼のハミドの元に行き、男を見せる。ハミドも目隠しされていたのに「こいつだ!」と逆上。いまにも殴り殺しそうな勢いになる。 尋問官には恨みがある。拘束され、拷問された。人生をだいなしにされた、という記憶は消せない。ゴリは、もしかしたらレイプされている? でも、ワヒド、シヴァ、ゴリ、ハミドらでは、男をどうしてくれよう、という対策になるとまとまらない。 というのが流れで、以後、男はクスリで眠らされたまま、一行はあちこち移動し、あーでもないこーでもないと言い争う。シヴァは、復讐の連鎖はやめよう、という立場。ゴリは、ほぼ間違いないだろう、な感じ。ハミドは、かつて足をマッサージさせられた感触から、「こいつに決まってる」と興奮し、さっさと殺しちまおう、な感じ。ワヒドは、迷ってる風かな。 これがシリアスなサスペンスなら、まずは本人確認をするんじゃないのかね。男の所持する身分証明は、当時とちがう名前になっている。当時の名前が偽名なのかどうなのか知らんが、現在も国家の尋問官な感じもしないし。なら、伝手を頼って調べるのが最初だろう。なのにワヒドは、義足のズレる音。ゴリは体臭。ハミドは足の感触。え? ワヒドが見た男の足の切断面も、古いものか新しいものか、確認できるだろうに。現在の身分証明からだって、いろいろ特定できるはず。なんで対面して質問しないのだ。とくに、声については省いているのは、なんなんだ? みなが聞いているはずの声について、確証の一つに挙げないのは不自然すぎてイラつく。 それと。ワヒドが最初に、どうして男を“あいつ”と特定したのかがよく分からない。最初に、義足の音は観客に聞こえなかったように思う。むしろ、男がワヒドに質問し、その返答を、声色を使っていたことが気になる。つまり、ワヒドは自分の声を男に知られている可能性が高い、と踏んだというわけだ。その後もずっと、5人は男に声を聞かれまいとする。であるなら、5人も男の声に記憶があるはず。でも、「この声はあいつだ」とはならない。これが、ヘンだよね。 なとき、男の携帯が鳴って。でたら娘で、母親が倒れたからどうにかしてくれ、という連絡。母親は妊娠中だったのだ。で、5人は男の家に行き、母親と娘を連れて病院へ行く。殺そうとしている男の家族を助けるという妙な状況が笑える。とくに娘は5人に不審感も持たず頼り切っている。そんなのあるか? で、息子が誕生。という、お笑い的な展開になる。ハミドが演劇「ゴドーを待ちながら」を引き合いに出す場面があったけれど、コメディタッチの不条理劇にも見えるね。 最後は、なぜかハミド、ゴリ、アリはどっかに行ってしまって。ワヒドとシヴァが男を砂漠、のようなところに連れて行って気に縛りつけ話を聞いていると、なんと突然、男は「俺はエグバルだあ」と白状してしまう。これはどういうことなんだろう。本当に尋問官エグバルなのか? これ以上、拷問されるのはいやだから嘘を言っているのか? よく分からない。で、それを聞いたワヒドは、男の近くにナイフを置いて、逃げられるようにして去って行く。え? 結局それなの? ハミドやゴリは、了解してないだろ? いいのか? で、しばらくしてのち。ワヒドが働いていると、背後から、ギュッギュッという、義足と肉がこすれる音がして…。ということは、エグバルがやってきたのか? それは分からないままの状態で映画は終わる。やっぱ、殺し溶くべきだった、ってか。ラストだけ、ブラックにシリアスな感じ。 正直いうと、前半はスリルもサスペンスもないので、ちょっと退屈。ドタバタ喜劇っぽい展開で、ちゃんと本人確認をしない5人にも、にも、イライラした。 殺す、といきまいているハミド見たいのもいるけど、被害者たる5人は、それほど日常生活に苦労しているようにも見えない。せいぜいワヒドが、当時殴られた後遺症で腎臓が悪く腹痛が襲ってくる、ぐらい。拘束・拷問がトラウマになっているような感じに見えないのも、同情心がわかないところか。 当時と現在で、国家の状況がどう変化しているのか、も見えない。尋問官だったエグバルは、いまだに尋問官をしているのか? それとも引退しているのか? 国家が人権派優位になっているなら、かつて体制派だった連中は復讐を懼れてひっそり暮らしているはず。エグバルとみられる男が別名の身分証明書をもっていたのも、そういうことなのか? と思ったけど、でも、ラストなどを見ると、いまだに尋問官な感じもしなくはない。 結局、どこかの国のかつての暗い記憶を寓話化して、5人の性格も記号的に見せていき、不条理コメディにしているように見えるんだよな。 ・冒頭の、男が犬を轢く、車が壊れる…に、母親は「すべては神の思し召し」っていうんだけど、5人に捕まって引きずり回されるのも神の思し召しってことになるよな。これまた不条理。 ・カメラマンのシヴァは、ふだんはヒジャブをしない。薬局に行ったときと、あとどこかでヒジャブをざっくりかぶってたかな。本人の、自由主義的な思想もあるだろうけど、当時のイランが開放的だったということもあるのか。となると、かつての国家警察の尋問官は肩身が狭く、隠れて生きているのかね。 ・イランの賄賂社会の描写も面白かった。どっかの駐車場みたいなところで、警備員2人に迫られ、立ち去るときに賄賂を要求されていた。現金がなくてもオーケー? クレカを渡すと警備員が金額を勝手に入力し、「こんなに?」と文句を言っていたけど、警備員の存在は大きいのか? ・ガソリンスタンドかなんかでも、子どもが生まれたんだから祝儀をくれとか店員に言われてた。子どもったって人質にしてる疑惑の男の子どもなのに、5人が払うのか? これまた不条理だな。 ・病院の受付もぶっきらぼうで不親切。父親がいないと受付できない、と妊婦がいるのに歩ったらかし。たまたま医者がちかくにいて緊急手術(帝王切開?)で子どもが生まれたから良かったけど。なんか、日常的に暮らしにくそうな国だなあ。 | ||||
| ラプソディ・ラプソディ | 5/13 | テアトル新宿 | 監督/利重剛 | 脚本/利重剛 |
| 公式HPのあらすじは「“絶対に怒らない男”・夏野幹夫。ある日、役所で受け取った住民票を何気なく見ると、そこには全く身に覚えのない“続柄:妻”の文字が…! どうやら、1年も前に<繁子>という名の女性が自分と勝手に籍を入れていたらしい。でも、一体なぜ?何のために…! 正体不明の妻を探して街中を探し回る幹夫。諦めかけていたその時、偶然前を通りかかった花屋から「夏野さーん」と呼ぶ声が…! 繁子との緊張の初対面…かと思いきや繁子は幹夫を見るなり猛ダッシュで逃走! 「話をさせてください!」という幹夫の声も届かず、街中を走り回り追いかけっこする二人だったが、 幹夫はタイミング悪くトラックと衝突してしまう…。予想外の出会いから始まった二人の関係の行方は…!?」 Twitterへは「棄てられることにトラウマを持つ女と、怒ることを懼れる男の、ズレまくりな顛末。いつのまにか籍を入れられていた、という設定は面白いんだけど、その後の展開がイラつきまくり。なんだよ、こいつら、な、感じ。」 舞台は横浜。叔父と雑談ののに、海外出張のために戸籍を取りにいったら、結婚していないの結婚したことになっている! さてどうするか。妻の名前は、繁子。けれど、結婚届の閲覧はできない、と断られてしまう。これは事実なのか。書いた字体の確認には必要だとは思うんだが。しかし、印鑑も必要なく、書類に書き込んで提出するだけで、こんな簡単に結婚が認められてしまうのかよ。こういうケースがあるのは知ってたけど、怖いね。 前の住所を頼りにボロアパートに繁子を訪ねるも、すでに住んでいない。さて、どうするか。と思ったら、幹夫は花家を訊ね。「夏野繁子」という人はいるか? と問う。店員が「彼女」というので話しかけたら、逃げ出した…。はいいんだけど、幹夫が繁子の居所を特定した経緯がザックリ張られていて、ミステリー要素がなくなってしまった。なんだよ。がっかりだな。 で、幹夫から逃げ回る繁子だけど、いま住んでいるのは花家の店員のゲイ男の部屋で。そこには帰ってくる。ゲイ男は繁子に「ちゃんとしなよ」といい、それがいやだと言って部屋を出て行く繁子がやってきたのが、なんと幹夫の、マンションほどではないけれど、まあまあ広いアパートで。幹夫のベッドを占領し、幹夫はソファーという、なんなんだな展開。 繁子は、偽装結婚の理由として、「結婚すれば頑張れる」と思った、という。では、1年前にダメな状況だったのかどうかは見えてこない。繁子の、どうなりたい、が分からんのだよね。といった状態のまま、幹夫は繁子を食事に誘ったりするけど、繁子は突然、訳分からんヒステリー状態になったりして幹夫を振りまわす。揚げ句、幹夫が怒らないことを理由に、怒らせるようなことをしまくる。と、幹夫は突然ぶち切れて部屋の中を滅茶苦茶にしてしまう。 曰く。幹夫はもともと短気で。母親が自殺しているんだが、自殺前日に母親に対して怒った、という記憶がトラウマになって、絶対に「怒らない」と決めて生きてきたらしい。部屋を滅茶苦茶にした幹夫は病院へ。これ、救急車でも呼んでヒステリー状態の幹夫を拘束して連れてきたのかね。よく分からん。あんなんで病院が受け入れるのか? 一方で分かってくるのが繁子の出自。父親は出奔? 母親は繁子を捨てて別の男と夫婦に。繁子は義父の母親と生活? あるいは孤児院なのか? よく分からず。それで、「好きな人が離れていくのが怖い」という考えをもつに至ったらしい。いまは施設にいる義祖母とはつながりがあり、たまに会いに行って定期的に小遣いを与えていたらようだけど、しばらくあげられなかった。それで繁子は幹夫に借金して、義祖母に小遣いを渡しにやってくる。なんと20万円すべて与えてしまう。そんなことをするほど義祖母に恩義があるのか? この義祖母のモットーは、「いい体験も悪い体験も、いろんな体験ができてハッピーと思え」というもの。なんかなあ、な感じ。 繁子の幹夫からの借金だけど、繁子は突然、幹夫の勤め先を訪ね。周囲に聞こえる声で「お金貸して」と騒いだりする。幹夫はなにに使うのかは軽く訊ねたけど、深くは追求しない。幹夫の叔父は「詐欺だよ」というけれど、信じず素直に貸してしまう幹夫。これまた「怒らない主義」なのか。 な、のらくらな展開がつづくんだが、のらくらすぎて記憶に残っていないのが正直なところ。 この後、繁子は突然、いなくなってしまう。これを探す幹夫。が、簡単に探し出しちゃうのが、これまたテキトー。逃げた先はどこなのか。湘南あたり? の花家に幹夫が訪れ、「夏野繁子という人はいますか?」で大当たり。って、どういう痕跡、足取りをたどってやってきたのか、がまったく説明されないので拍子抜け過ぎ。まあ、あえていうなら、繁子のいう「花は根があるから好き。逃げないから」から、どうせ花家で働いているのだろう、からの探索なのかもしれないけど、あまりにもいい加減すぎだろ。 で、戻ってくるんだっけか? なんか記憶がおぼろだな。繁子はだんだん幹夫が好きになり、幹夫も、無茶苦茶すぎることばかりしている繁子が好きになってきて。ハグし合って・・・。あれは一夜を過ごした、ということなのか。それまでエロい感じの場面はなかったんだけどな。 繁子は、以前の花屋に再就職。根のある植物が好きだから? のあとでだったか、繁子がまたまたズケズケと幹夫の職場に行くと「夏野さんは辞めました」といわれてギクッ。「あんたらが追い出したんだろう!」と大騒ぎ。でも、まだ幹夫は会社にいて、「自分から辞めたんだよ」といわれて落ち着くんだけど、相変わらずのヒステリー女過ぎてうんざりだな。しかし、幹夫が会社を辞めた理由は分からず。 エンドクレジットの写真は幹夫と繁子の結婚式? といっても、どっかの倉庫でカーテンを背景に、叔父とか花屋の店員、義祖母と一緒に撮ってるところ。まあ、なんとなくほのぼのだけれど、うまく行くのかね。不安。 自分の短気が母の死につながったというトラウマを抱えた幹夫。好きな人に棄てられてきた、というトラウマを抱えてきた繁子。この2人が、トラウマを補う感じで、対立しあいながらも相手を認め、真に受け入れていくような話ではある。繁子の名には繁という字が入っていて、植物に関係している。幹夫の名前の幹も植物だ。幹がしっかりしていれば、葉も豊かに繁るということを意味しているんだろうけど。あまりに単純すぎるな。 そもそも同じような体験をした人でも、この映画の主人公達のようなトラウマを抱えるわけじゃない。ので、設定としてはムリやり過ぎて納得まではいかないかな。まあ、ほどほどに怒りは発散するのがいい。棄てられる恐怖を抱えていながら、怒らない幹夫にイラつく繁子も理解不能。だって、他の人たち、つまり、花屋で働く人たちにはひどいことをしないんだろ? 性格が歪みすぎだろ、繁子って。周囲の迷惑関係なく騒ぎ立てたりするし。性格破綻者か。なので、見ていてイラつく話ではあったよな。 それにしても、幹夫は人や社会に迷惑かけないけど、繁子は自分勝手すぎるというか、相手の立場に立って考えることができない人間。生まれ育ちや過去のトラウマは気の毒だけど、それはそれ。さらに、レンタルビデオで知った幹夫の情報をいただいて結婚届を出してしまって、「これで元気になれるから」って、バカか。発覚して後も、「離婚しますから」といいつつ、しない。まったく怒らず、金を貸してくれて、住まわせてくれている幹夫にイラだって、故意に怒らせる。努力しない。目的がない。責任転嫁する。なにを考えとるんだ、この女は。私ならお断りだね。 ・繁子役の呉城久美って30凸凹かと思ったら39歳で、京大卒なのか。へー。髪の毛で顔が少し隠れてるときは、ちょっと篠原涼子似な感じかな? で、魅力ありそうだったけど。エンドクレジットの結婚写真では丸顔のおっとりすぎで、いまいちな感じか。 ・オープニングクレジットに、スタッフ名まで丁寧に。スタッフへの敬意が感じられた。 ・監督の利重剛は幹夫の叔父の歯科医役の人なのね。 ・幹夫の叔父は花屋のゲイ店員と気が合っちゃってたけど、そっちの方面が開拓されたってことなのか? | ||||
| ドランクヌードル | 5/18 | ル・シネマ 渋谷宮下7F | 監督/ルシオ・カストロ | 脚本/ルシオ・カストロ |
| 原題は“Drunken Noodles”。公式HPのあらすじは「美大生の青年アドナンは夏のあいだ、叔父の洒脱な自宅で留守番をするためにブルックリンにやって来る。同時にギャラリーでインターンを始めるが、そこで展示されているのは、去年の夏、彼が出会った奇抜な刺繍アーティストの作品だった。過去と現在が交錯し始めるなか、官能と創造の出会いの連なりが、アドナンの日常の輪郭を曖昧にしていく。」 Twitterへは「街や山の雰囲気とか夢幻的な世界観は嫌いじゃないけど、いかんせんゲイの発展場とかペロペロとかズッコンとかがんがん出てきて、うげ、な感じも。まあこれがレズなら見てられるのかも知れないけど。ヘテロな男の勝手かもしれんが。」 ゲイ話とは知らずに見に行った。 最初のエピソードは、青年がNYに住む叔父の家にやってきた話。デリバリーサービスとかギャラリーとかパラパラ出てくるけど、青年アドナンは大学生で、北部で知り合った刺繍画家の関連で、大学の授業の一環としてギャラリーへ研修体験に来ているらしい。叔父は欧州旅行中で、部屋を借りた、ってことぐらいかな、背景として分かるのは。部屋でまったりNY気分な描写は洒落ててスマート。夕食はデリバリーを頼んで、それを受け取って済ませていた。このあたりまでは、ごくフツー。とくにドラマもない。のだけれど、突然、暗がりでマッチョな男がしゃぶられてる場面がインサートされて。ありゃ。これはどういう流れだ? でも、ここにでてた2人の男は、以後、登場してないよな。それとも、あれは、この後登場するヤリエルだったのか? 関係あるのかどうか分からんけど、ジョボジョボと小便をする場面が2度も出てくるのが記憶に残る。意味あるのかね。 で、夜、アドナンはひとりで近くの公園へ。するとデリバリー終わりの自転車男が近づいてきて。よく分からんのだけれど、その男ヤリエルは隅で立ったままシコシコし始めた感じ。それをみてアドナンは寄っていって、手伝ってるのかな? 2人の背中しか見えなかったけど。その後、ベンチに並んで座って、ヤリエルがもってきていた弁当(デリバリー用ではなく自分用な感じ)を分け合って食べる。これがドランクヌードル? 麺には見えなかったけど。 その後、ヤリエルは1人でギャラリーにやってきて。飾ってあった刺繍画をみて釘付け。絵は乱交の様子が描いたものだった。で、ちょいアドナンが外出してる間に弁当を置いて消えていった。の、あと、ヤリエルは、自国語(アフリカ系かと思ったら、役者はプエルトリコらしい)で、デリバリー仲間数人? に、絵のことを熱心に語る場面があって。その後の夜、ヤリエルは仲間を引き連れアドナンの住んでいるテラスに。で、来訪者(5人ぐらいだったかな)は、並んで一斉にパンツを下ろす。うげ。で、乱交の様子は、裸の男たちがからみ合っている静的な映像。まあ、刺繍アートにからめて、ゲイの乱交はアートだ、と言いたいのかも知れないけど。とくに印象的ではなかった。でも、オシャレな住まいのベッドやソファがウンコや精液、ヨダレまみれになったんだろうなあ、と考えるとおぞましい…。 アドナンは、あの公園が発展場だと嗅ぎつけ、待っていたのかな。 次のエピソードは、アドナンがパンクした自転車を引いている場面。するとジジイが直してやると言ってきて。連れて行かれたジジイの家に行くと、刺繍アートの作家で、でも作品は公開していないらしい。なーんて話してると、いきなりキスされる! げげ。なにがいい? なんて言われて、アドナンがパンツを下ろすとしゃぶってくれる…。うーむ。20代の青年と70代のジジイでもゲイ関係は成立するのか。っていうか、どこでアドナンがゲイだって分かったのかね。でまあ、最初のエピソードの、北部で知り合った刺繍作家がこのジジイで、アドナンがギャラリーに紹介したのかな? とか想像できる。アドナンは、自分がバード大学(実際に美術系に強いらしい)で美術を専攻していて、ってことも話してた。ジジイは、この家はパートナーと買ったけど、彼が死んでからは一人、とか言ってたかな。 その後のエピソードがちょっと面白くて。ジジイにつれられ森に行って、置かれている椅子(2つ並べておいてあるのが意味深。他にも相手がいるのかな、と)に座って結構な時間、待っていると、妖精みたいなオッサンが角笛を吹きながら登場。中空から赤いハイヒールをだしたりする。ジジイはアドナンに、「寄っていって見ろ。ただし、自分からは触れるな」といわれそうすると、オッサン妖精がアドナンに触れてくる。…このとき、やらしいことはしてたかな。してなかったかな。忘れた。 最初に自分がゲイだと感づいたのはいつか、なんてアドナンが話してたな。祖父がいて、サッカー中継を聞きながら寝落ちしてるとき、よく祖父にキスしていた。気づかれなかった。と。祖父の靴にこすりつけて射精してた、とかも。うげ。 3つ目のエピソード。アドナンは、友人イギーの別荘にやってくる。入口には自転車がある。ああ、これがジジイにパンクを直してもらった自転車か。で、おいおい分かるけど、2人の間に半年ぐらい関係がない状態らしい。なのになんで別荘にやってくるのか知らんけど。しかも水遊びをしたり、ふれ合ったりはしてる。同じベッドに並んで寝て、背後から抱きあったりはするけど、まぐわいはいないと言うことか。ある夜、アドナンが目覚めると、イギーがいない。階下に行くと、物置みたいなところで座って寝てる。起こしても起きない。ベッドに戻ると、イギーが寝てる。あれ? 再び階下に行くとイギーがいて、片手はラジオを聞いている様な恰好。ジジイに話した、祖父にキスしたときと同じ? で、このあとイギーを起こしてバックで攻める。6ヵ月ぶりのまぐわい? ののち、ベッドに戻ると、イギーが変わらずに寝ている。…幻想的ではあるけれど、これはたぶんアドナンの夢の世界なのではないか。 4つ目のエピソードは、最初のエピソードのつづき、みたいな感じ。夜のギャラリーに人がたくさん。みな飲んでたりする。個展かな? ジジイのではないようだけど。そこにやってきてたのはヤリエル? 話ののち(内容は分からない)、彼は帰っていく。ところで、この場面でギャラリー前の歩道を中国人らしいおばちゃんがうろうろしているんだが、なんなんだ? で、アドナンはギャラリーを離れて(もう帰るのか?)裏口のようなところに行くと看板があって。酒はいいよ、みたいなことが書いてあり、李白の言葉らしい。あの中国人おばちゃんは、李白関連で出てきているのか? ここで、ジジイの刺繍作成のブリッジがあって。「唐山の入口」とかなんとか言っていた。なんか関係があるのか? で、アドナンは美しい公園にいて。湧き出る水をカップに注いで飲むのだけれど、あれは酒なのか? 公園をウロウロするけど、あの夜の発展場のように暗くはなく明るい。歩きまわって、池に突き出している芝生の上に横たわるアドナン…。突然の錦鯉。またまた李白の詩がテキストで表示される。内容はまったく覚えて亡いけど。なんか桃源郷でまったり、みたいに見える。で、映画は終わる。 つまりは、アドナンのゲイ人生の話で、間あいだに挟まる、ジジイの刺繍アート作品製作家庭がブリッジしてる。時制を逆にたどり、アドナンの欲求不満→夢の中のイギーとのまぐわい→自転車でうろうろでもパンクしてジジイの刺繍作家と出会って心が解放され(?)、そのジジイをNYのギャラリーに紹介しつつそのギャラリーで研修→発展場で相手探し→デリバリー兄ちゃんと出会い、仲間と部屋で乱交→ギャラリーで個展→美酒の世界に入り込んで、なぜか突然李白の詩。よく分からんな。どういう因果関係があるのか。アドナンが幸せそうだというのは分かるけど。てな話。登場するエピソードが散漫で、まとまりなく並んでる感じだな。刺繍アート、も活かされてないし。李白は突然すぎるし。酒の話も、なんでここで? だよ。 ・李白を調べたら、無類の酒好きだったのね。 ・公式HPに、ドランクヌードルとは「タイ料理「パッキーマオ」の英語名で、太麺を唐辛子やニンニク、ホーリーバジルなどで炒めた料理。その強烈な辛さが酔っ払いの目を覚ますことが、名前の由来のひとつとされる。」とあった。デリバリーの兄ちゃんと会った日に公園で食べたやつかな。 ・女性はギャラリーオーナーぐらいした出てこないので、ちょっとつまらない。ゲイには興味がないし。 | ||||
| 薔薇の葬列 | 5/19 | シネマ ブルースタジオ | 監督/松本俊夫 | 脚本/松本俊夫 |
| allcinemaのあらすじは「ゲイバーのジュネで働くエディは、オーナーの権田と関係を持った。エディは権田から「ママのレダを辞めさせる」「お前がママだ」とささやかれ、自分の母親を思い出していた。女手一つで自分を育ててくれた母親の情事を見てしまったエディは、発作的に母親を殺してしまったのだった。エディとレダの関係は悪化、レダの顔を傷つけようとして失敗したレダは、権田に捨てられ自殺してしまう。エディはママの座を得て喜ぶが、権田は自分とエディの本当の関係を知り…。」 Twitterへは「初見。監督は実験映画の巨匠 松本俊夫。主演ピーター。寝るかもと思ったけど、最後まで見られた。実験映画的なところは多くなく、話は下世話で総じて分かりやすい。ピーターやママの顔がアイメイクありなしで全然違う! 奇しくも2日連続でゲイ映画。」 松本俊夫は1975年に西武劇場で『アートマン』や『色即是空』他計10作品を見ていて、ほぼすべてが実験映画。ストーリーがどうのというものではなかった、と古い映画ノートに書いている。でも、翌年には『十六歳の戦争』(1973年製作1976年公開)を文芸座で見ている。でも、ノートに感想は書いてないので、どういう印象を受けたのかは記憶にない。Wikipediaで見るとストーリーのある話だったようだ。とにかく、西武劇場で見た短編の印象が強くて、この人は実験映画の人、と刷り込まれた感じ。 『薔薇の葬列』(1969年)の題名とかピーターの出世作というのは知っていた。けど見る機会もなく、現在に至る…。で、このたび初鑑賞。ドラマが9割で、実験映画の要素は抑えられているのだな。で、インタビューなどのドキュメントの部分が5%ぐらいか。しかし、実験映画を撮りつつこういうドラマも撮っていたっていうのがユニーク。まあ、テイストは純然たる劇映画として見るには稚拙な部分はあるし、セリフも聞き取りにくい。それに役者の多くに言葉に訛りがあって洗練されてないなあ、という感じもうけた。まあ、初めて長編映画に挑んだ作品らしいので、仕方ないのか。 話は単純で。ゲイバー勤めのエディがオーナーと関係をもつ。それまでオーナーの信頼を得ていたママのレダは棄てられる。嫉妬したレダは、なんかよく分からんけど自死。ののち、母親が遺した、親子三人の写真(父親の顔がタバコの火で焼かれて穴になっている)をオーナーがエディの部屋で発見(菊池寛「父帰る」の挟まっていた)。オーナーは、エディが実子であることを知り、ナイフで自死。理由を知った(のか?)エディは、自ら両目を潰して街頭をさまよう…。という、終わってみれば下世話な話だった。 と思ったんだけど、allcinemaの解説を参照したら「オイディプス王の悲劇をモチーフ」と書いてあって。ああ、そうか、と思い至った。近親相姦、目を潰す、は関係してるな。この映画では、エディの父親は出奔(なのか?)。エディは、母親が連れ込んだ男と母親を殺してしまう…。のに、なんでゲイバーで働けているのか、よく分からん。ので、あの母親と男の殺しの場面は、エディの妄想あるいは欲求から来る夢ではないか、と思ったんだが。オイディプスの話と違うところもあるけど。まあ、その違いをあれこれ言っても始まらない。あくまでモチーフなんだから。 前衛的と言われているけど、短編の前衛的なのを何本か見ているので、それほどでもないかな。新宿の街頭を骨箱を抱えてゆっくり行進する男たちとか、新宿西口で大きな風船を蹴って遊ぶ連中とか、同じ場面を数度繰り返して時制をいじるところぐらいか。エディのバーへの出社が遅れたのは怪我した活動家を手当てしていたからだったのか、とか。エディとオーナーがラブホをでる場面に霊柩車が、というのが2〜3回あったりするとか。ラブホから出てくる2人をママのレダが目撃する場面も数回あったな。でも、こうした、バラした時制を再構築する目的が何かは分からず。ああ、あとは、母親殺しの場面のフラッシュバックがしつこく繰り返されるのも、前衛的かもね。でも、控え目というか、意図的に抑えているのかも。一般客を相手にしているというのは分かっているからだろうけど。 ドラマの中に、出演するゲイとか、役者としてのピーターがインタビューされるゲイボーイとして登場するのも、前衛的と言えるのかね。「ゲイの自分について」とか「将来は」とか「結婚する考えは?」とか、現在では、そんなこと聞くなよ的な質問が多かった。まあ、まだLGBTQは市民権を持っていなかったころだからしょうがないと言えばそうなんだが。 ゲスト的な出演者に著名人が多くて。秋山庄太郎、篠田正浩、蜷川幸雄はすぐ分かった。タレントや司会者として登場する淀川長治、八木治郎も分かった。けど藤田繁矢(藤田敏八)は気がつかず。粟津潔と池田龍雄、芝山幹郎は、そもそも顔をよく知らない。母親の男役は、小松方正だったのか! まったく気がつかず。 一方で、経験のある俳優は少なくて、土屋嘉男、東恵美子、小松方正ぐらいしかいない。あとはマイナーな役者か、あるいは素人かもしれない。だから会話が訛っていたり、演技が下手くそなのかも。そして、制作費が限られていたからというのもあるのかも。 よく分からなかったのは、ママが自死したところ。↑のあらすじには「エディとレダの関係は悪化、レダの顔を傷つけようとして失敗したレダは、権田に捨てられ自殺してしまう。」と書いてあるけど、「エディの顔を傷つけようとして失敗したレダ」だろうな。それはさておき、そんな場面はあったっけ? 「お前が○○したせいだ」とかオーナーにぶたれる場面があって。あのあと自死だよな。 面白かったのは、エディが本格的なゲイボーイになる前の、少年時代。母親のルージュを試して母親に殴られてたりしたけど。あれは、ゲイの道に行くのを阻止ししようとしたということ? のはさておき。ピーターの顔とくに目が全然違うのが驚き。素顔に近いピーターは一重のつり目で、目が細い。けど、ゲイボーイのピーターはアイメイクが派手で、つけまつげもでっかい。ああすると細い目も色っぽくなるのか。昨今の、ブスもメイクで可愛くなるのと同じだな。同様に、ママのレダがすっぴんの場面があって。もう、そこらの30男のまんま。ゲイメイクしてるときはそそられても、ノーメイクじゃ萎えちゃうな。 題名の『薔薇の葬列』が何を意味しているのかは、わりと分かりやすい。薔薇=薔薇族で、ゲイ。ママのレダが死んで、墓に葬られる。ママの相手のオーナーもまた、自死。エディも、目をついているので、死にいたる可能性はある。街頭パフォーマンスは、骨箱をもった男たちの行列。そして、たびたび登場する霊柩車。このあたりから、薔薇の葬列、が来ているのだろうな。 ・エディの、どういう友人なのか分からないんだけど、映画製作している話は、脈絡がなくてよくわからん。映画仲間は、イコール麻薬仲間、なのか? 乱痴気パーティとか、ラリってゲームして脱いでいくとか、時代だなあ。 ・麻薬を花瓶とかに隠していたのは、あれはオーナー? コインロッカーに入れたりしてたけど、あの顛末はよく分からなかった。 ・ピーターへのインタビューは興味深かった。初めての映画で興奮しているとか言ってた。けど「テーマが近親相姦」って、最後のオチまで映画は言ってないのに、ネタバレしているのは、おいおいだったけど。 観客は7人。 | ||||
| スマッシング・マシーン | 5/22 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター3 | 監督/ベニー・サフディ | 脚本/ベニー・サフディ |
| 原題は“The Smashing Machine”。公式HPのあらすじは「1997年の総合格闘技デビュー以降、無敗のまま頂点へと駆け上がったマーク・ケアー(ドウェイン・ジョンソン)。UFCでの連覇を経て、日本のPRIDEでも快進撃を見せると「霊長類ヒト科最強の男」の異名で恐れられる存在となる。しかし勝利を重ねるほどに、その重圧は彼の心を静かに浸食。同棲する恋人ドーン(エミリー・ブラント)との関係も次第に悪化していき、鎮痛剤への依存を深めていく。やがて初めての敗北を喫した“最強の男”は、ついに自らの弱さに向き合い、人生の再起をかけもう一度リングに挑むことを決意する…」 Twitterへは「総合格闘技のマーク・ケアーの挫折の物語? 実在の本人の活躍を知らんので、いまいち真に迫らず。名前だけでてきた桜庭なら分かるけど…。日本人俳優もでてるけど、刺身のツマ扱い。ダメ奥さんとのラブラブ&罵倒し合いが見どころかも。」 PRIDEの名前ぐらいは知っていたけど、総合格闘技は詳しくないので、よく分からんのだった。そもそもマーク・ケアーについては、まったく知らない。WikipediaでPRIDEを見たら、もともとは高田延彦 vs.ヒクソン・グレイシーだったんだな。それが総合格闘技世界一の場になった、と。でも、このページにマーク・ケアーの名前はない。参加選手の一人であったんだろうけど、存在感はそれほどでもないのか。 一方でマーク・ケアーをWikipediaで見ると、米国の総合格闘技団体UFCでは強さを披露したようだけど、もの凄く卓越した感じはないんだよな。そういう人物がなぜ映画の主人公になり得るのか、がよく分からないところで。だからなのか、映画でも無敵の王者が、的な描かれ方はとくにしてなかったように思う。まあ、無敗の、とは言われていたけど、そのサクセスストーリーはそれほど紹介されてない。っていうか、こちらの知識不足で理解できなかったのかもしれないけど。が、日本のPRIDEがどうの、と話を始める。つまりは、UFCがあって、PRIDEができて、そこに世界の選手が集まってきて…。集まって来た選手にはどういうのがいて、力関係はどうか、が俯瞰で分かるような描き方をしてないんだよな。↑のあらすじにある「UFCでの連覇を経て、日本のPRIDEでも快進撃を見せると「霊長類ヒト科最強の男」の異名で恐れられる存在となる」については、描かれてないのだよ。分かる人には分かる、な感じで、なかなか話に入り込めなかった。 冒頭からしばらくは、マーク・ケアーが鎮痛剤中毒で、パートナーのドーンに注意を受けている。ケアーは意に介せず。で、PRIDEには関心を持っているけど、金のため、な感じ。PRIDEのスケジュールとかも分からんので、日本で説明会があった次の場面でアメリカにいたり、試合は1日ではなく長期間で行われるのか? のあたりの試合の進め方、なんかもよく分からん感じ。 そういえば、ケアーが訪日してPRIDEの偉いオッサンと話している場面で。ケアーは無払い金がどうのと話して、さらに今回の出場料がと交渉する場面があるんだけど、日本人のオッサンは「こいつ、なにも分かってねーよ」と笑ったりしつつ、交渉は成立(?)するんだけど、オッサンは、おまえ出場できないよ、みたいなニュアンスで話しているように受け取れたんだよな。あれ、よく分からず。 でまあ、1999年のPRIDE。ルール説明会では光浦靖子が英語で説明役を務めてるんだけど、出番はわりと長くて。でも、役者としての技量が分かるような感じではなかったかな。どうやって光浦靖子の出演が決まったんだろ。オーディションあったんだよな。それはさておき、この年の試合ではボブチャンチンと当たって、膝蹴りでKO負け。でも、その膝蹴りは反則だ、と反論(の、相手が大沢たかおなんだけど、彼はPRIDEのなかでどういう役割なのか、ほとんど説明なくて。記号的な存在手して描かれている。役者として扱われてないな、ありゃ)して無効試合になるという屈辱。なんだ。強さは発揮できないのか、な印象。興味深いのは、無効試合が決まってもボブチャンチンとは仲よく写真を撮り合ったりしていて。遺恨はないんだなあ、と不思議な感じがいた。 ところで総合格闘技だけど、試合が決まるのはたいてい馬乗りになったまま殴りつける、なパターンばっかりなんだな。正直言って、つまらない。殴り合い、蹴り合いは前哨戦で、結局のところ倒して、倒れた相手を殴る、なんだもの。なんかなあ。 さて、ボブチャンチンに敗北したケアーは、またまた鎮痛剤(なのか? 麻薬もやってたのか?)のやりすぎで倒れ、入院。長年の親友のコールマンも駆けつける。このコールマンは先輩だけど一緒にトレーニングする仲間で、最近は半ば引退? かに見えて、2000年のPRIDEには選手で出場したりしていて。人間としては面白いんだけど、十分に活かされてる感じはない。もっと家族ぐるみの付き合いを描けばよかったのに。他にも、柔術というトレーニングスクール(?)のコーチがいて、彼なんかもっと人間を描けば面白くなりそうなのに、これまた記号的にしか扱われてなくて、もったいないよな。 で、ケアーはパートナーの元を離れ、リハビリセンターへ。解毒してたんだろう。心機一転で2000年のPRIDEへ。なんだけど、一次リーグ突破とか決勝リーグへ、とか言われているんだけど、どういう面々が参加し、トーナメント(?)はどうやって勝ち進むのか? が曖昧なままなので、いまいちスリリングではないんだよな。とはいえ、エンセン井上という選手に勝って。でも、次の藤田という選手との戦いではあっさりと負けてしまう。なんだよ。でも、負けたあとでシャワーを浴びようとする場面は、無我の境地な感じもして、なかなか。Wikipediaではこれが初黒星と書かれているけど、へー、そうだったんだ。っていうか、ケアーが無敵の強い選手って言う感じが見えなかったから、なおさらなのだ。 2人で決勝か? なんていっていた友人のコールマンは順調に勝ち進み、彼が結局優勝。なんだ、そういう話なのか。 という格闘技の話は、そんなワクワクしないし、面白くもなかった。むしろ、互いに求め合いつつささいなことで罵倒したり喧嘩別れするパートナー、ドーンとのやりとりの方が話としては面白いんだよな。ドーンは「日本までやってきたのにその態度は何よ」とか「今年はなぜ日本に来いっていってくれないのよ」とか。ケアーは「試合に集中したい」「お前はいつも自分のことしか考えてない」とか罵ってる。ケアーは、怒りにまかせて自宅のドアを半分引き千切ったり。ドーンは、ケアーが買った日本の陶器をたたき割ったり。はては自殺するといって銃を頭部にあてて脅し、警察沙汰になったり。派手すぎ。でも、2000年の敗北後、ちゃんと結婚して子供も2人つくったらしい。6年ぐらいで分かれたらしいけど。こっちのドラマをもっと深掘りした方が、面白くなったんじゃないのか? 最後は、2025年の本人がスーパーで買い物してる場面。現在57歳らしいので、25年前は30過ぎなのか。それを50過ぎのドウェイン・ジョンソンが演じてる。うわ。でも、いつもの彼とか顔が違う。のは、メイクなのか…。 | ||||
| いろは | 5/25 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1 | 監督/横尾初喜 | 脚本/藤井香織 |
| 公式HPのあらすじは「将来が見えず、今の自分にどこか納得できないまま長崎・佐世保市の実家で暮らす22歳の伊呂波(いろは)。ある日、5年ぶりに姉・花蓮が帰ってくる。自由奔放で恋愛体質、いつも大胆に人生を選んできた姉。しかし彼女が抱えていたのは、「妊娠した。でも父親が誰かわからない」という現実だった。心当たりは三人の男たち。自意識過剰な御曹司、バツ2のワケアリおじさん、借金を抱えた大学生5年生。どの関係にも“愛”とは言い切れない曖昧さが残っている。半ば強引に父親探しへ同行させられた伊呂波は、姉とともに長崎の各地を巡る旅に出る。なぜ姉は、傷つくと分かっている恋を繰り返してしまうのか。旅の中で伊呂波は、恋愛の裏側にある孤独と承認欲求、そして強く見えていた姉の本当の姿を知っていく。そして、男性に会うにつれ、伊呂波が抱える劣等感も浮き彫りになっていき…」 Twitterへは「陽キャだけどだらしない姉と、陰キャだけど根はマジメな妹がトンチンカンなドライブにでる話で、最後はいろいろほったらかし。エピソードは姉の方が豊富なのに、なぜか妹の名前が題名になっている不思議。旅館の片割れ、遠久美? と思ったらそうだった。」 キャッチフレーズは「自主性ゼロ 自己主張ナシ お姉ちゃんが大嫌い 自分のことが大嫌い」なんだけど、そんな風には見えなかったな、伊呂波ちゃん。伊呂波の不思議は、家庭内(乾物屋か?)では気力ないように見えるけど、母親に「配達行って」と言われれば素直に応じるし、お客さんとも話しはする。陽気じゃないけどね。分からんのが背景で、22歳なら大学卒業の年だけど、行ってた気配は見えない。高卒で、その後何してたのかな? 勤めたけど続かなくて引きこもり風? でも、外出はしてるし。↑のあらすじには「将来が見えず、自分に納得できない」とあるけど、めざそうというモノも無さそうだし、努力もしてなさそう。より所は深夜放送? メールを送って、結構読まれたりしている様子。(この深夜放送、「今夜のお便りは」とか深夜放送の音声なのに昼間だったりする違和感あるけどね)。伊呂波は無気力症候群か。なんか病名がつきそうだな。 なところに姉・花蓮が帰ってくる。こっちは陽キャで、仕事はなんだっけ。人との付き合いの多そうな感じだったな。仲が悪そうには、見えない。あらすじには5年ぶりとあるから、伊呂波17のときから会ってないということか。花蓮のほうは高卒で長崎へ? それとも東京? でも、長崎なら近くなんだからしょっちゅう帰ってきても不思議ではないのに。でも両親がまたこの姉妹に何も小言をいわないんだよな。そういう設定だから? なんか、リアリティないなあ。 で、花蓮は伊呂波に「妊娠してる」と告白。さらに花蓮が長崎でのなんかの集まりに出るからついてこい、と愛車のミニで伊呂波を誘うと、なぜか伊呂波がついてくる。父親に会わせるとか、言ってたっけ? にしてもこれで「お姉ちゃんが大嫌い」はないだろ。しかも花蓮に服まで選んで集まりに乗り込む。何の集まりかよくわからんが、伊呂波を知ってるのも結構いて、あれやこれや。で、花蓮がつき合ってたらしい男と会うんだけど、花蓮は妊娠のことは言わない。男は調子がいいだけで、中味のないような感じで、こんなのとつき合ってたのかい! な感じなのだ。 その集まりは早々に抜けだして、次に向かったのが2番目の男、と言うより、父親より少し年齢は下、というオジサンで。このオジサンも父親の可能性がある、という。うげ、だよね。どういう男選びのセンスをしてるんだ、花蓮は。で、オジサンは公園の調理可能なエリアでシート広げてワインだかシャンパンも持ち出して。でも、いちいちあれこれ細かいことにうるさい。こんなオジサンとよくセックスできたな、と思ってしまう。 この後だっけ。飲んだから運転できない、と花蓮は代行を頼んで2人は近くの旅館へ。この旅館の経営者姉妹が味があってよかった。片割れは遠藤久美子? と思ったら、エンドクレジットでその通りとわかった。もっとちゃんと写してほしかったね。 で、一泊して次に向かったのがチャラ大学生で。どういう借金だか忘れたけど、とにかく彼ともつき合っていた、と。ほとんど記憶がないので、たいしたエピソードもなかったはず。でまあ、父親は3人のうちの誰か、ということらしいけど、花蓮には分からない、らしい。そんなのいまどきDNA鑑定してもらえよという話だよな。 その後、大学生はいつのまにかフェードアウトして。実家からは「いつまで旅行してるんだ、と戸惑いの電話が来る。2人はなぜか、ふたたびあの姉妹が経営する旅館に泊まって、同じような、朝食の前にコーヒー? それはダメよ、なんていうアホなオトボケ聞かされて。でもって、なかよくミニで帰宅なのかどっかへ行くのか、わからんけど走り出す。おいおい。父親探しは口実で、仲直りの旅だったのかい。もしかして、妊娠も嘘なんじゃないのか? なんか、姉妹のツンデレ話じゃないか。とまあ、ヘンな映画だった。 ・というわけで、なんかメリハリのないまま、だらだら根拠なく話は進む。伊呂波はなぜ嫌いなはずの姉・花蓮のいいなりになって引きずり回されるのか。思うに、姉が心配だから、なのではないか? ・伊呂波は、姉・花蓮を羨ましいと思っているのか? いないと思う。羨望があるなら、さっさと家を出て行っているだろう。え? その気力もない? いやいや、伊呂波は常識人だよ。 ・この手の映画にありがちなのが、ミスキャスト、なんだよな。伊呂波役の川島鈴遥は線が細くて美人。とても自分に自信がもてないタイプに見えない。設定の上で、過去に何かやらかして凹んでる、というのもないし。花蓮役の森田想の方が、好みだよ、容姿も含めて。まあ、下半身にだらしがないという設定だけど、そう見えないところがいまいちかな。素朴そうな感じなんだよな。 ・花蓮と伊呂波の姉妹に対比されるのが、旅館の姉妹。こっちはオトボケな感じで、根っから仲がいい感じ。同じ姉妹でも…な比較対象なのかもしれないけど、あまり効果は出てない感じ。なぜって、伊呂波と花蓮も、画面上で仲が悪いとは見えないからね。旅館の姉妹は、どっちも結婚しているように見えないのが、物足りない。というか、背景が見えないシナリオは良くないよね。 ・名前についても注文がある。姉が花蓮で、妹が伊呂波、ってヘンだよな。姉が伊呂波なら分かるけど。いろはの最初だから。次女なら、ほへと、とか、をわか、とか、あるだろうに。名づけにポリシーが感じられない。 ・あと、ラストだけど、ひゃーひゃーいって2人でクルマで騒ぐところは、『テルマ&ルイーズ』を思い出してしまった。あっちは世俗に興味がなくて自死しちゃうふたりで、この映画ではまったくそんなことはないんだけど。なんか、雰囲気がね。 それにしても花蓮のクルマは、ミニ。お金は稼いでるんだな。 | ||||
| Erica ‐エリカ‐ | 5/27 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1 | 監督/宮岡太郎 | 脚本/井上テテ |
| 公式HPのあらすじは「彼女いない歴23年。スーパーでアルバイトをしながら、どこか満たされない日々を送る飯笹辰樹。そんなある日、彼はカフェで働く美しい女性・溝川エリカと出会う。一目で心を奪われた辰樹は、足しげく店に通ううちに、少しずつ彼女と言葉を交わすようになっていく。 やがて距離を縮めていく二人。しかしエリカは、同棲中の恋人・黒石亮からの暴力に苦しんでいた。彼女の抱える孤独と痛みに触れた辰樹は、いつしか「自分が彼女を守りたい」と強く願うようになる。 ある夜、エリカの自宅を訪れた辰樹は、家の中から聞こえる悲鳴に導かれるように扉を開ける。その夜を境に、二人の関係は大きく変わり、辰樹の人生もまた静かに形を変えていく。 やがて恋人となり、同棲生活を始める二人。辰樹にとって、それは生まれて初めて手にした幸福だった。愛する人の ためなら、どんなことでも受け入れられる…そう信じていた。 しかしその頃から、辰樹の周囲で不可解な出来事が起こり始める。少しずつ歪んでいく日常。拭いきれない違和感。 そして、エリカの微笑みの奥に、ふと垣間見える“何か”。 その愛は、救いなのか…愛してしまった瞬間、もう逃げることはできない。」 Twitterへは「サイコホラーかな。話の展開は想定内。むしろどうやって本性を見せていくかがお楽しみ。ヒロインやスーパーのおばさんもかわいい。おどろおどろしさは排除して、たまに笑えたりもする。電子レンジ!とか。」 健康的で明るいサイコホラーだな、こりゃ。おどろおどろしさとか、淫靡なところはほとんどない。意図的なのか、技術的に未熟なのか分からないけど、そこがいい。 スーパーで働く非モテな辰樹が、カフェで働くエリカに一目惚れ? 足繁く通いと関係が狭まっていく。けれど、家に送っていったら同居中の彼氏がいて、脅されてビビる。同時並行的に、エリカの身体のいつも痣ができているのので、これは、同居人にDV受けてるのか…。というミスリードも。てな感じで、エリカの家を見張ってると(というだけでもキモいんだが)、彼氏が台所でエリカに包丁を向けている。ヤバい。助けなきゃ、で、棚にあった電子レンジで彼氏を、ボカッ! いや、笑える。てせもまだ息がある、のをエリカが突き飛ばして? 彼氏の頭が電子レンジにパコ! って当たってご臨終。2人で山に埋めに行き(このあたりはサバサバしてて、まったく悩まぬ辰樹とエリカに違和感はあるんだが・・・)、さっさと身体の関係も結んでしまう。そして、辰樹がエリカの家で同居を始める。 このあたりまでは、前置きと分かる。エリカ役の林芽亜里が明るく爽やかなんで見ちゃうんだよなあ。とはいえ、たぶんエリカが悪で、その本性がどう現れてくるのか、とまあ、思いながら見ていたわけだ。いちばん気になっていたのは、前の彼氏がエリカに包丁を向けていたこと。これで前彼がエリカを脅しているという関係になっているので、それは本当なのか、どうなのかは分からんままだった。 でまあ、想像通り次第にエリカの化けの皮がはがれてきて。突然怒ったり、辰樹がスーパーの先輩女性のことを話題にするのに嫉妬したり、辰樹を支配するようになっていく。そんなとき前彼の兄だったかが弟を探しに来て、住人に写真を見せて聞きまくったり、捜索ポスターを配ったりし始める。この兄貴が前彼の役者に似ているので、近親者というのはミエミエ。さらに、陰気な顔立ちなので、こいつは悪い奴だろう、なミスリードもちゃんと考えてのキャスティングなのが渋い演出。なんて感じでちょい心配になる辰樹に、エリカは素知らぬ顔。 辰樹も、自身で身体を傷つけるエリカを目撃したり、入っては行けないと言われていた2階のエリカの部屋に侵入(なんでさっさと覗きに行かなかったんだ! とは思うけど)。これまで近在で行方不明になった青年たちの捜索人ポスターを発見したり…。こりゃなにかある、と思うようになる。まあ、当然の流れだよな。 でまあ、辰樹の妹もエリカに殺害され、当然の如くエリカは辰樹に刃を向けるんだけど、ここでまた、最初に辰樹がエリカを助けに行ったとき、前彼がエリカに包丁を向けていたことが気になってしまう。のだけれど、こっから先がちゃんとその疑問に応えてくれる演出になっていて、感心した。くわしくは忘れたけど、台所で辰樹に包丁を向けるエリカ。けれどドサクサで包丁が辰樹の手に。という経緯のとき画面が左右に分割されて、最初に辰樹がエリカを助けに行ったときの模様と同じになっていることが示されるのだよ。説明的すぎる、のはあるけど、でも分かりやすくて、見てる方にとっては、ああそうか、と納得できる。 で、辰樹がエリカに包丁を向けるカタチになったとき、前彼の兄がやってきて、例の電子レンジで辰樹の頭を殴り倒す。ああ、そういう繰り返しか。は分かったけど、同じ電子レンジが振りかざされるのには笑った。 辰樹がエリカに邪魔者扱いされている間に、前彼の兄とエリカが仲良くなっていたというわけだ。そう。これまでの行方不明者もこうやってエリカに惹かれて落とされ、嫌われて、次の男に殺されていった、と。なるほど。面白い。 もちろん死体の処理だとか、そうそううまく殺害の繰り返しが起きるわけはないだろう、というツッコミはできるんだけど、そういうのはこの際、言わなくてもいいのだ。 ・エリカが自分で痣をつくるのは、新しい男を罠にかけるためなんだろうけど。ご苦労さんな感じ。 ・エリカは、新しい男をどんどん食い散らかしていかないとダメな女になっちゃってるのかね。 | ||||
| 未来 | 5/30 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1 | 監督/瀬々敬久 | 脚本/加藤良太 |
| 公式HPのあらすじは「複雑な家庭環境で育ちながらも、祖母の期待に応えて教師になるという夢を叶えた真唯子。彼女の教え子・章子のもとにある日、一通の手紙が届く。差出人は…「20年後のわたし」。半信半疑のまま返事を書くことで、父を亡くした悲しみや、心を閉ざした母との孤独な日々に耐えていた章子だが、母の新しい恋人からの暴力、壮絶ないじめ、そして信じがたい事実が彼女を容赦なく追い詰めていく。深い絶望の中、章子は唯一心を通わせる友人・亜里沙と「親を殺す」という禁断の計画を立てるのだった。そんな章子を救おうと真唯子は、残酷な現実と社会の理不尽さに押しつぶされそうになりながら、それでも手を差し伸べようとするが…。誰もが過酷な運命に呑み込まれようとする中で、「未来のわたし」からの手紙が導くのは、希望か。それとも、さらなる絶望か…。」 Twitterへは「時制をいじりすぎ。頭が追いつかん。人物関係も複雑怪奇。人物やその行為も誇張されすぎてて、リアリティがない。最後につじつまは合うんだけど、それで? な思いしか残らない。クズオヤジと学校批判? ムダにざわつかせてるだけな気がしたな。」 人物がテンプレ的というか、記号的な感じで、情感に訴えてこない感じ。で、最後は、子が子なら、親も親。親の因果が子に報いで、共感もなにもない。にしても時制をムダにいじりすぎてる。年号は出るけど、あんなの覚えてられない。最後は、なんとか時系列を頭の中で統一できるけど、時制を前後させて観客をめくらまししてる感じ。フツーに時系列的に追ったら、つまらない話になるのかな。まずは時系列的に整理してみるか。 ・高校生の樋口良太が水族館で人魚のバイトをしている同級生の森本真珠を見て一目惚れ? 真珠の父は議員(候補?)。真珠は良太に「私に近づかない方がいいよ」とダイレクトに言う。 初対面でそんなこというか? でも良太は真珠の豪邸を突然に訪れ、勝手に亡き母の味のマドレーヌ(そんな説明あったっけ?)を作るんだが、異様すぎ。そんなことフツーしないし真珠も迷惑だろ。そしたら父親が帰宅。議員が1人で帰宅なのか? 父親は幼い息子を亡くしたことを良太に話すが、初対面の娘の知人にそんなこと話すか? で、それを聞いて良太は「私も一杯いただきます。献杯です」といいウィスキーがぶ飲み。気づいたら居間でソファーで寝てしまっていて。気がついて階段を上がっていくと(フツー他人の家の中を徘徊せんだろ。さっさと帰るだろ)、真珠が父親と抱擁していて、父親は真珠の背中にハサミで傷つけていた…。しかも、父親は真珠に売春までさせていた? このあたり、議員やってるやつは悪徳変態というステレオタイプ過ぎだろ。でまあ、良太と真珠は父親殺害を思い立ち、タバコのニコチンを抽出。ある夜ウィスキーに混ぜて呑ませ、倒れたところで良太が家に火をつけるという段取り。良太は真珠と落ち合う予定の場所に行くが、おらず…。なぜ真珠は逃げたんだ? 時は過ぎ、長じて良太は市役所勤務。友人から真珠の現在情報を得ていくと、デリヘルやってて。真珠は逃げようとするが、良太は抱きしめる。2人は結婚し、姓を真珠の祖母の姓からもらって佐伯と変え、別の土地(奈良なのか)へ。子供をつくり、現在に至る。娘の名前は、七海。良太の家庭状況はまったく描写がないので、その後どういう成長過程をたどったのかは不明。父親と家を失った真珠が、いかに育ったかも不明。話がいい加減すぎ。 ・時が経ち、良太は難病で、妻の文乃(真珠)と小学生(?)の七海を遺して他界。文乃(真珠)は放心状態。七海は友人に「母はオンオフが激しい」と説明してたけど、そんなことあるかいな。な、なか、七海が見よう見まねでマドレーヌを作ると、文乃(真珠)は反応する。担任教師は篠宮真唯子で、文乃(真珠)に母子家庭支援情報を教えようとする。スマホの番号を交換しようとするが、七海は「ママはもってない」という。え? いまどきスマホなしの生活? 良太と文乃(真珠)はどういう生活をしてたんだ? で、篠宮は公園で文乃(真珠)に会い、スマホを与え(自費で?)るが、なぜか文乃(真珠)のスイッチがオフになり、転倒しかける。それを篠宮は背後から支える。その様子を篠宮の教え子の女の子たちが目撃。後日、教室で篠宮に「佐伯さんのママと抱きあってましたね。好きなんですか? 七海だけ贔屓にするんですか!」と騒ぎ立て、クラス中が大騒ぎ。…になるようなことは常識的に考えてあり得ないだろ。それに、いくらやないじめっ子はいるにしても、あんなステレオタイプな煽りはせんだろうし、クラス全員がいじめっ子に同調するという演出が嫌らしい。そもそも、なぜ七海がいじめの対象になっているのか、まったく分からない。さて、篠宮はいじめっ子娘に近づき、顎を締め付けるが、これが生徒への暴力と問題になり、母親やその同調者が学校に押し寄せる。さらに、篠宮の学生時代のバイト(カラオケイメージのちょっと色っぽいものでAVではない)の写真をもちだし、「こんな教師が」と追求。学校側が篠宮を守れず、退職、なんだろう。このあたり、いじめっ子とモンスターペアレントのベタな描写過ぎて、萎えるね。父兄も、よく篠宮のイメージビデオを探してきたものだ。ご都合主義的過ぎ。 ・篠宮は、幼いときに両親? が出奔し、祖母に育てられた。学生時代カフェでその容姿からバイト中スカウトされて、イメージビデオに出演。祖母は素麺づくりの工場で働いていた? で、大学は祖母が出してくれて、卒業後は教師。同じアパートにすむ映写技師の龍汰と知り合いになるんだが、簡単に家に呼んだり、関係が狭まるのが異常に早すぎるだろ。祖母が亡くなったときは家で『東京物語』のビデオを見せたりもして…。とはいえ恋愛感情はないような雰囲気。(しかし、実母が病院に来て、見舞もせず祖母の顔を見て「もうすぐ死ぬのか」と吐き捨て、実家の鍵を篠宮に要求する。理由は、祖母の預金。死んだら預金が凍結されるから、らしい。断片的な登場とは言え、やさしい祖母からどうしてこんな娘(実母)が生まれたのか、理由も何もないので唐突すぎるだろ。なんか説明しろよ)なとき、学校で例のいじめっ子への暴力問題が起きて退職。「何があっても守る」と明言した龍汰に、ラブホでカラオケイメージを見せたら「金なんか要らないと断ればよかったじゃないか」といわれて関係は断裂してしまう。とはいえ、篠宮も軽々しくイメージビデオに出すぎだよな。苦学生だったかもしれないけど、バイトしてればフツーは何とかなるだろ。祖母が借金をしていてその負担があったとか、苦境が背景にあるならまだしも、あれじゃ遊ぶ金欲しさではないかと疑われても不思議ではないだろ。 ・文乃(真珠)は、なんとか社会復帰してホテルのレストランのホール係。厨房のシェフといい仲になり、再婚したのか? さらに、シェフは、説明がないけど独立して店を持った、らしい。が、来店客と口論になり、客が来なくなってしまう。このあたりの経緯も大雑把すぎなんだよな。客は家族連れで、味つけにケチャップを要求したらシェフは料理に自信があるのか、拒否。「もっと大人になってからご来店を」といってしまったかららしい。来店客は七海の同じクラスの父親らしく、その娘も悪態をついて店を出て行く。このとき七海だけが「申し訳ありませんでした」と頭を下げる。というあたりも話がステレオタイプ。いじめっ子の父親は短気で不躾、みたいな描き方が不愉快だな。それに、この父親らの「フランス仕込みは嘘」などのSNSへの投稿で店は閑古鳥、というのも話がありふれた記号的すぎ。そんなとき、元のホテルレストランの上司が来店。店に戻るか、と言ってくれるんだけど、上司が戻った後でシェフが、防臭剤(学校で教師が渡してくれたもの)の臭いがする、と七海に怒って暴力を振るう。その音を聞きつけて戻ってきた上司が「娘に暴力をふるうなんて、復帰はなしだ」となり、さらに七海に暴力。紙芝居みたいな展開だなあ。 ・クラスでの七海へのイジメ。の原因が何かはよく分からない。小学校の頃の事件が尾を引いているのか? 生理ナプキンが教壇に置かれていて、クラス委員の七海に「なんとかしろ」とクラス全員がはやし立てる。男の子は、匂いで吐く。なんて描写がある。生理の血はそんなに臭うか? その臭いで吐くか? そもそも、あの生理ナプキンは誰の物で、誰がどうやって拾ってきて教壇に置いたんだ? いじめっ子? その仲間? その過程を想像すると、現実味のないイジメ描写としか見えなくなる。で、騒がれたので、以後七海はナプキンを厳重に包んでポケットに。それでも臭って、クラスが騒ぐ。さらに、体臭が、口が臭いと、クラスが騒ぐ。それを見て女教師が「安心して授業がしたいから」と、七海に防臭剤、口臭予防剤などを与える。そんなあるわけないだろ。フツーに話せば、口臭があるかどうか分かるだろ。教師はバカ、と言いたいのか? ステレオタイプ過ぎ。っていうか、フツーならこういうとき正義の男子、キリッとした女子が立ち上がって、「やめろ!」と一喝するのが流れじゃないのか。なのに、なんだこの演出は。クズだな。ステレオタイプばっか。 ・七海に、ここで友人が登場する。突然のように。しおり、というんだけど、なぜ七海の友人なのか、まったく理由が分からない。上学生の頃から、だっけ? 記憶にないんだよな。ところで、シェフの義父は豪邸からアパートに越して。なんと七海に手を出そうとしたりする。七海への暴力はエスカレートし、七海はいつも押し入れに閉じこもっている。シェフには不良っぽい知人がいて、料理人仲間だったのか、よく分からず。で、シェフのアイディアで人材派遣会社を営むのだけれど、実際は文乃(真珠)に売春をさせている状態。しっかし、文乃(真珠)がそれをよく受け入れてるよな。感情のないロボットみたい。父親の議員に躾けられたせいで、そういうのはマヒしているのか? 良太との幸せな日々で、心は豊かになっていないのか? そんなこんなを知った七海は、しおりと2人、シェフの義父の殺害を計画する。ところで、しおりの父親は、シェフの知人の不良っぽい男なんだけど、七海はずっとそれを知らなかった、という設定になっているんだよ。あり得るか、それ。話が逆じゃん。友人しおりの父親が、シェフの知人でもあった、という流れだろ、フツーは。違和感ありすぎ。でまあ、しおりの発案だったか忘れたけども、ニコチンが毒だから、これでシェフとしおりの父親の2人を殺そう、ということになって。おいおい。文乃(真珠)の父親殺しのときと同じ方法って、どういうこと? 笑っちゃうよな。で、シェフはこれにて絶命。その結果を見て、文乃(真珠)は、七海に「逃げろ」という。というのも七海としおりは、夢の国「ドリームランド」へ行くのが希望で、深夜バスで2人、逃避行の予定だったのだ。で、なぜかバスに向かうとき篠宮と出会って、「話があるの」と追われる。このころ篠宮は小学校の教師をしていたようだけど、うまく潜り込めたんだな。暴力教師というレッテルは、発覚しなかったのか。 ・七海としおりは、「ドリームランド」に到着。しおりは、「オヤジを殺せなかった」と独白。それはいいんだが、ここで七海が絶叫するけど、なにをいってるか分からず。ののち、2人で「うわー!」と絶叫。2人の気持ちがまったく伝わってこない。殺せば何とかなる、と思っていたのかね。 ここで、ちょいと芯となっていたエピソードの種明かし。七海には、30年後の七海から手紙が来ていた。七海はそれに応えるように返事を書いていた。こんな日々なのに幸せになれるの? と。この手紙の発案は七海の父親の良太で、頼んだ相手は文乃(真珠)。その手紙を信じて返事を書きつづけた七海も、アホじゃね? 書いた手紙は投函していたのか? と思っていたけど、実はたんに保管していただけ、だったし。そもそも、母親の筆蹟に気がつかない娘もアホだろ。 エンドクレジットで、少年鑑別所にいる七海に、篠宮が面会に来る。ああ、結局、シェフの義父殺しで逮捕されたのか。まあ、そうだよな。けど、文乃(真珠)は登場しない。娘を守ってやれなかった自分をどう思っているのか。そこが描写されていないんだよな。 ところで、良太は自身の過去の告白をパソコンにひそかに記録していた。そこには、文乃(真珠)の父親殺しと、その後の生活、文乃(真珠)との再会、結婚の経緯を書いていたはず。そして、そのデータを記録していたフロッピーは、遺品として七海が手にしていたはず。あの内容は、どこで機能したのだ? それとも、誰にも読まれずなままなのか? というような、話としてはいろいろ杜撰すぎる感じで。時制をいじってさも複雑で奥行きのある話に見せかけているけど、中味はベタすぎ。陰湿でしつこいいじめ、解消できない学校、モンイターペアレント、気の毒な教師、義父の暴力、性暴力、議員は悪人、クズ男、クズ男に引っかかるアホ女、なんてベタベタな設定で、ドラマを構成しているけど、実際は中味は薄っぺらい。どこも真に迫ってこない。ここに児童相談所の熱血スタッフとか、親身に支える女刑事とか、を絡ませたらぜんぜん別の展開になると思うけどな。湊かなえの原作も、映画とほぼ同じなのか? だったら、やだな。 | ||||