| サンキュー、チャック | 5/7 | ヒューマントラストシネマ渋谷シアター1 | 監督/マイク・フラナガン | 脚本/マイク・フラナガン |
|---|---|---|---|---|
| 原題は“The Life of Chuck”。公式HPのあらすじは「カリフォルニアで大地震が発生、フランスは津波に襲われ、メキシコでは森林火災が都市まで広がり、トスカーナでは街が水没…。次々と起こる災害にすべてを破壊され、ついに世界は終わろうとしていた。ネットやSNSが繋がらなくなる中、街頭看板やラジオ放送に突如現れたのは、「チャールズ・クランツに感謝します。素晴らしい39年間に、ありがとう、チャック」という不可思議な広告。だが、カメラに向かって微笑む中年男性のチャック(トム・ヒドルストン)が何者なのか誰も知らない。ハイスクールの教師を務めるマーティー・アンダーソン(キウェテル・イジョフォー)は、別れた妻フェリシア・ゴードン(カレン・ギラン)からの電話に応える。看護師を務めるフェリシアは、絶望のあまり自殺を選ぶ人々への対処に疲れ切っていた。互いを思いやる会話を交わし、電話を切ったマーティーがテレビをつけると、まもなく全局がダウン、そこに突然、またしても“チャック”の広告が流れるのだった。翌朝、マーティーは隣人から近くの道路が陥没したと聞き、学校へ行くのを諦める。フェリシアに連絡しようとするが、“接続できません”と表示される電話を捨て、彼女の住む街へと歩き出すマーティー。乗り捨てられた車で埋め尽くされた、まさに終末の風景の道路にも、チャックの街頭広告だけは並んでいた。マーティーが道中で出会った、ある紳士はチャックのことを、「20人以上に尋ねたが、誰も知らなかった。世界の終わりの象徴かもしれんな」と語る。すっかり日が暮れて、ようやく目的地にたどり着くマーティー。すると、街灯が一斉に消えて、街が闇に包まれた直後、建ち並ぶ家々の窓に、チャックの広告が浮かび上がる。恐怖に駆られたマーティーはフェリシアの家へと駆け付ける。マーティーとの再会を喜びながらも、フェリシアは彼に「そろそろよ。その時が来たの」と厳かに告げるのだった。果たして、世界は本当に終わるのか?チャールズ・クランツ、通称チャックとは何者なのか?なぜ、感謝されているのか?39年間の意味とは? 一つ、また一つ、謎が解き明かされた時、すべての悩める魂に語りかける、もう一つの物語が始まる」 Twitterへは「原作がS.キングらしく、思わせぶりなネタを散りばめつつ、いつもながらの思いつきテキトーだらだら話。結局のところも、いろいろ放り出したまま。で? な感じで終わってしまう。もうちょっとで寝落ちするところだった。」 キングの小説はいくつも映画化されていて、それなりに成功してるのも多いと思う。で、活字の方を読んだことがあるんだけど、なんか設定ありきでどんどん話を振りまわして進んでく、みたいな強引さというか、テキトーさを感じたことがあるんだよね。なんていうか、ハナから構成を考えて書き進めるというより、行き当たりばったり、な感じか。だから伏線とか木目細かに埋め込まれていなくて、むりやりこじつけ、なところもある感じかな。とはいえ、少ないキングの活字体験だけなのではあるんだが。 でまあ、この映画なんだけど。1章から3章まであって、でも、順番は3章→2章→1章という流れになっている。原作もそうなのかは知らない。 3章は、黒人教師マーティーと、別れた妻フェリシアの話。授業中に、カリフォルニアで大地震、の報道で教室が大騒ぎ。その後、世界各地で異変が起きて、日本でも原発がまた水浸し、なんてのもあった。自殺する人が増え、看護婦のフェリシアはその対応に追われる。マーティーは、父兄面談で子供の成績について話すが、父兄は、この時代にそれがどうなる、な反応ばかり。で、どういう理由か分からんけどマーティーは別れた妻に会いに行く。途中、ローラースケートしてる少女と出くわすんだが、突然の停電(やっとかよ、な感じ)。妻と再開し、夜空を眺めていると、まず北極星、つぎに火星が爆発していく。この世の終わり、な感じなんだけど、近ごろふえて来た“Thanks Chuck”の電飾看板の明かりは煌々と照らし出されている、という流れ。チャックとは何なんだ? あまりに単調でドラマがないので、あくびを連発。寝落ちするかと思った。 2章は、まずチャックの紹介。余命半年ぐらいだけど、それは知らず、なのか。彼は会計士でどっかの街にやってきている。大道芸の娘ドラマーがいて、路上で鳴らしている。そのリズムに、ついつい踊ってしまうチャック。囲んでいた中から1人の女性を招き入れ、2人で楽しく踊って…。その女性は、とくに好きでもない相手から振られた直後で、むかついていたけど、これで帳消し、な感じ。ドラマー娘は大量の投げ銭を3人で分け合い、それぞれに分かれて散っていく。というだけの話。ちょっとドラマがあるので、目が覚めた? 3章は、チャックの生い立ち。彼の両親は、交通事故死。母親の胎内にいた女の子も一緒に亡くなった。幼いチャックは祖父母に育てられた。料理好きな祖母から色んなダンスのステップを覚えたチャックは、学校でダンス部に入る。群を抜くダンス上手で、見よう見まねのムーンウォークもしたりして。でも下級生なのでまだちび助。上級生で上手い東洋系の女の子がいて、その子と踊るときは生き生きしてる。なんかの大会に出なさい、と先生に言われ、当日も正装で行くんだけど、いまいち踏ん切れない。けど、先生の後押しや、東洋系の女の子への思いもあってなのか、重い腰を上げて踊り出したら、やんやの大喝采。そのうち祖母が死に、会計士だった祖父も亡くなって。家を相続。祖父から、かねがね「入るな」と言われていた丸い塔の部屋に入ると、空っぽ。けど、一瞬見えたのは、自分が死の床についている姿。ああ、かつてこっそり入ろうとして祖父に止められ、でも、祖阿が覗いたのも、自分の死の場面だったのか…。でまあ、妻に看取られてチャックは39歳で旅立つ。妻は東洋人だったので、あの上級生の東洋系の女性なのかな。 とまあ、こんな感じで。結局、だれがチャックに「ありがとう」といっているのか? なぜあの広告が街に氾濫しているのか、“Thanks Chuck”の意味は? なんてことは分からんのよね。期待外れ、というか、物足りなすぎてがっかりだね。なのに、フィルマークスなんかでは、高評価。いったいどこの何がいいんだ? さっぱり分からない。 まあ、要はファンタジー映画で、ツッコミはヤボだろと思いつつ、いろいろ考える。 最初の3章で、世界で天変地異があるのに、電気はつきっぱなし。食料に困ってる様子もない。トイレは? 下水は? 自殺者が多けりゃ葬儀屋は大繁盛? 死骸がそこらに放置されている? 様子はない。最後に街の明かりが突然消えるけど、“Thanks Chuck”の電飾看板は煌々と光っている。どゆこと? などとツッコミながら見ていた。 ・3章の教師マーティーは、ホイットマンの詩をテキストに授業をしていた。1章でも、教師がホイットマンの詩で授業をしていた。どういう意味があるんだ? ・3章の教師マーティーは、1章でも、隣の教室に座っていた。時代が違うんだから同じ次元にいるはずはないのに。どういう意味があるのだ? ・マーティーとフェリシアは離婚していている。離婚の原因は分からない。互いに現在のパートナーはおらんのか。なぜ分かれた相手に会いに行くのか。フェリシアも、元旦那と話して落ち着くのか。意味不明。 ・気象予報士になりたかった、てなことが2回ぐらいいわれてたよな。あれはなにか意味があるのか? ・祖父が会計士で、チャックも会計士。ダンサーにはなれなかったのね。 ・1章で祖父が入るのを禁じていた閉め切りの部屋。あの部屋は、1章でも登場してたよな。どういう場面で出てたんだっけ。チャックの家は壊されちゃったはずだから、残っているはずはない。ありゃなんだったんだろ。もう一度確認したいところだ。 ・1章の、チャックの踊りはそんなすごくないよな。ムーンウォークも中途半端だし。そんな、周囲が魅了されるほどではないような…。 ・唐突にカール・セーガンがでてきたり、世界の誕生から現在までを1年に喩えると、人間の誕生は大晦日の11時50分ぐらい(だっけ?)だとかいう、誰でも知ってる蘊蓄を話されるのもうっとーしー感じ。 ちょい疲労で眠かったのと、最初の第3章が単調すぎてつまらなかったので、退屈した。なのでぼーっと見てたので、いろいろ見逃しがあるとは思うんだけどね。ホイットマンの詩なんて、そもそも関心がないし。祖父の死の場面なんかも、意味ありげだったけど、頭に入ってこなかったなあ。 なんか、祖母だったかダンスの先生だったか、チャックの頭を両手で触りながら、なにか話している場面があったけど。すべてはチャックの頭の中の世界の話、だったりするのかね。と、書いてからつらつら思うに。アナロジーによる譬え話=寓話的な解釈もありそうな気がしてきた。 たとえば第3章。よく人間の身体を地球ひとつに喩えたりするけれど、第3章の世界をチャックの身体あるいは脳内と考えて見よう。チャックはすでに虫の息。身体の組織があちこち痛んで死に始める。それが、地球の各地で発生する災害や崩壊で喩えられている。自殺する人々は、チャックの身体の組織の一部がダメになっていくことの象徴。そして、チャックを生かしてきたエネルギーもあらかた絶えて、大規模な停電が発生する。最後は、星=脳神経細胞の崩壊/消滅。ついにチャックは死を迎える、とも読める。では“Thanks Chuck”の広告は何か。あれは、妻の言葉/思い、と考えてよいだろう。妻以外の、チャックを知る人たちの感謝の言葉かもしれない。もしかしたら、すでに亡くなっている両親や祖父母の声かもしれない。という寓話として読み解くことはできそうだ。とはいえ、チャックの人生の中になぜマーティーとフェリシアが存在しているのかは分からないけど。まあ、好意的に考えると、人間のDNAに記憶されている太古からのメッセージの一つ、という解釈もできそうだ。あるいは、我々が現在生きているこの地球社会も、実は、誰かの頭の中の世界なのかもしれない、という糊塗なのかもしれない。 第1章で、チャックは自分の運命を見てしまっている。若くして死ぬことを。だから、覚悟ができていた、とも言える。なので、死ぬ前に、普段ならしないようなことをしよう、と思って大道芸のドラムに合わせて踊り、見知らぬ女性を引きずり込んで一緒にダンスをした、のかも知れない。 まあ、第1章は、チャックの生い立ちとあらすじみたいなものかな。 そういえばキングの原作の邦題は『チャックの数奇な人生』らしい。しかし、映画を見た限りではとても「数奇」とは言えないよな。これは大げさ。むしろ、人間としては平凡すぎるし、しかも、若死にするのだから、哀しく気の毒な人生、の方が正しいかもしれない。なんてことを、あとからつらつら考えたりしたのだった。でも、そう解釈したからって、面白い映画に見えてきたかと言うと、そんなことはちっともないんだけどね。 | ||||
| シンプル・アクシデント/偶然 | 5/11 | ル・シネマ 渋谷宮下 | 監督/ジャファル・パナヒ | 脚本/ジャファル・パナヒ |
| フランス/イラン/ルクセンブルク映画。原題は“Yek tasadof-e sadeh”。アラビア語で“ある偶然”の意味らしい。Bunkamura HPのあらすじは「かつて不当に投獄されたワヒドは、ある偶然の事故によって、人生を奪った残忍な義足の看守と出会う。ワヒドは咄嗟に男を拘束、荒野に穴を掘って埋めようとするが、男は「人違いだ」と言う。実はワヒドは、看守の顔を見たことがなかった。男は、本当に復讐相手なのか?一旦復讐を中断し、看守を知る友人を訪ねるが・・・。」 Twitterへは「イラン映画だけど、リアルというより、どの国にもあてはまるような寓話的な設定。ほんのり軽いドタバタコメディで、最後はちょいブラック。で、不条理。あなたなら、どうする? な問いかけなのかな。」 パナヒ監督の映画は以前にも見たことはあって、たしかイランに入国できない状態だとかいってたかな。それと、今回は「監督自身が、二度にわたって投獄された経験と同房で出会った人々のリアルな声から着想を得て」つくられたらしい。舞台はイランなんだろう。けれど、イランのどの時代で為政者は誰で、てな感じの告発的な話ではないと思う。なぜなら、描かれているのは独裁政権寄りの為政者vs市民活動家にみえるので、イランも当然そうだろうけど、アフリカ諸国やロシア、中国、いやいや、日本やアメリカなんかでも政権は国民を監視しているので、どの国にでもあてはまるような話ではある。 要は、給料未払いだったかなんかで会社に抗議し、国家警察(?)かなんかに逮捕され、拘束。逆さ吊り3日、独房3ヵ月ぐらいの憂き目に遭った40凸凹の連中の1人が、当時の尋問官エグバルらしいのを街中で発見し捕捉。けど、訊問されてたとき目隠しされていたので確証がない。ので、当時の仲間に見せる。のだけれど、仲間も同様に目隠しされていたので、絶対そうだ、と断定できず。右往左往するという話だ。ほぼコメディタッチで、シリアスな緊張感はほとんどないのよね。 冒頭は、男が妻と幼い娘とクルマの中。犬を撥ねて、さらにエンストして困っているところを、近くの男に助けてもらう。その男と一緒に働いている男=ワヒドが、助けた男の歩き方と音に反応する。義足らしい、と。ワヒドはバイクで男の家まで追跡し、翌朝(なぜかバイクからバンになってるのはなんなんだ?)、男を追い、スコップでなく殴っり、砂漠に穴を掘って埋めちまおう、とする。これに男は、自分の足は最近事故で切断した、と見せる。切断面はぷにょぷにょしてて、固くなっていない。ワヒドは、ほんとうにあの尋問官か? と少し心配になってきて、年長の活動家(?)らしいサラルに相談。サラルは当該男を知っている(らしい)カメラマンのシヴァを紹介する。シヴァは知り合いのゴリ(花嫁)とアリ(花婿)の撮影中で、シヴァとゴリは顔見知り。シヴァも、目隠しされていたから、顔では判断できない、という。一方ゴリは男の体臭から「あいつだ」と特定し、復讐心が高まる。アリは、事件とは関係ないようだ。 シヴァは、同じく拘束されていた元彼のハミドの元に行き、男を見せる。ハミドも目隠しされていたのに「こいつだ!」と逆上。いまにも殴り殺しそうな勢いになる。 尋問官には恨みがある。拘束され、拷問された。人生をだいなしにされた、という記憶は消せない。ゴリは、もしかしたらレイプされている? でも、ワヒド、シヴァ、ゴリ、ハミドらでは、男をどうしてくれよう、という対策になるとまとまらない。 というのが流れで、以後、男はクスリで眠らされたまま、一行はあちこち移動し、あーでもないこーでもないと言い争う。シヴァは、復讐の連鎖はやめよう、という立場。ゴリは、ほぼ間違いないだろう、な感じ。ハミドは、かつて足をマッサージさせられた感触から、「こいつに決まってる」と興奮し、さっさと殺しちまおう、な感じ。ワヒドは、迷ってる風かな。 これがシリアスなサスペンスなら、まずは本人確認をするんじゃないのかね。男の所持する身分証明は、当時とちがう名前になっている。当時の名前が偽名なのかどうなのか知らんが、現在も国家の尋問官な感じもしないし。なら、伝手を頼って調べるのが最初だろう。なのにワヒドは、義足のズレる音。ゴリは体臭。ハミドは足の感触。え? ワヒドが見た男の足の切断面も、古いものか新しいものか、確認できるだろうに。現在の身分証明からだって、いろいろ特定できるはず。なんで対面して質問しないのだ。とくに、声については省いているのは、なんなんだ? みなが聞いているはずの声について、確証の一つに挙げないのは不自然すぎてイラつく。 なとき、男の携帯が鳴って。でたら娘で、母親が倒れたからどうにかしてくれ、という連絡。母親は妊娠中だったのだ。で、5人は男の家に行き、母親と娘を連れて病院へ行く。殺そうとしている男の家族を助けるという妙な状況が笑える。とくに娘は5人に不審感も持たず頼り切っている。そんなのあるか? で、息子が誕生。という、お笑い的な展開になる。ハミドが演劇「ゴドーを待ちながら」を引き合いに出す場面があったけれど、コメディタッチの不条理劇にも見えるね。 最後は、なぜかハミド、ゴリ、アリはどっかに行ってしまって。ワヒドとシヴァが男を砂漠、のようなところに連れて行って気に縛りつけ話を聞いていると、なんと突然、男は「俺はエグバルだあ」と白状してしまう。これはどういうことなんだろう。本当に尋問官エグバルなのか? これ以上、拷問されるのはいやだから嘘を言っているのか? よく分からない。で、それを聞いたワヒドは、男の近くにナイフを置いて、逃げられるようにして去って行く。え? 結局それなの? ハミドやゴリは、了解してないだろ? いいのか? で、しばらくしてのち。ワヒドが働いていると、背後から、ギュッギュッという、義足と肉がこすれる音がして…。ということは、エグバルがやってきたのか? それは分からないままの状態で映画は終わる。やっぱ、殺し溶くべきだった、ってか。ラストだけ、ブラックにシリアスな感じ。 正直いうと、前半はスリルもサスペンスもないので、ちょっと退屈。ドタバタ喜劇っぽい展開で、ちゃんと本人確認をしない5人にも、にも、イライラした。 殺す、といきまいているハミド見たいのもいるけど、被害者たる5人は、それほど日常生活に苦労しているようにも見えない。せいぜいワヒドが、当時殴られた後遺症で腎臓が悪く腹痛が襲ってくる、ぐらい。拘束・拷問がトラウマになっているような感じに見えないのも、同情心がわかないところか。 当時と現在で、国家の状況がどう変化しているのか、も見えない。尋問官だったエグバルは、いまだに尋問官をしているのか? それとも引退しているのか? 国家が人権派優位になっているなら、かつて体制派だった連中は復讐を懼れてひっそり暮らしているはず。エグバルとみられる男が別名の身分証明書をもっていたのも、そういうことなのか? と思ったけど、でも、ラストなどを見ると、いまだに尋問官な感じもしなくはない。 結局、どこかの国のかつての暗い記憶を寓話化して、5人の性格も記号的に見せていき、不条理コメディにしているように見えるんだよな。 ・冒頭の、男が犬を轢く、車が壊れる…に、母親は「すべては神の思し召し」っていうんだけど、5人に捕まって引きずり回されるのも神の思し召しってことになるよな。これまた不条理。 ・カメラマンのシヴァは、ふだんはヒジャブをしない。薬局に行ったときと、あとどこかでヒジャブをざっくりかぶってたかな。本人の、自由主義的な思想もあるだろうけど、当時のイランが開放的だったということもあるのか。となると、かつての国家警察の尋問官は肩身が狭く、隠れて生きているのかね。 ・イランの賄賂社会の描写も面白かった。どっかの駐車場みたいなところで、警備員2人に迫られ、立ち去るときに賄賂を要求されていた。現金がなくてもオーケー? クレカを渡すと警備員が金額を勝手に入力し、「こんなに?」と文句を言っていたけど、警備員の存在は大きいのか? ・ガソリンスタンドかなんかでも、子どもが生まれたんだから祝儀をくれとか店員に言われてた。子どもったって人質にしてる疑惑の男の子どもなのに、5人が払うのか? これまた不条理だな。 ・病院の受付もぶっきらぼうで不親切。父親がいないと受付できない、と妊婦がいるのに歩ったらかし。たまたま医者がちかくにいて緊急手術(帝王切開?)で子どもが生まれたから良かったけど。なんか、日常的に暮らしにくそうな国だなあ。 | ||||
| ● | ● | ● | 監督/● | 脚本/● |
| 原題は“●”。公式HPのあらすじは「●」 Twitterへは「★」 ● | ||||
| ● | ● | ● | 監督/● | 脚本/● |
| 原題は“●”。公式HPのあらすじは「●」 Twitterへは「★」 ● | ||||
| ● | ● | ● | 監督/● | 脚本/● |
| 原題は“●”。公式HPのあらすじは「●」 Twitterへは「★」 ● | ||||
| ● | ● | ● | 監督/● | 脚本/● |
| 原題は“●”。公式HPのあらすじは「●」 Twitterへは「★」 ● | ||||
| ● | ● | ● | 監督/● | 脚本/● |
| 原題は“●”。公式HPのあらすじは「●」 Twitterへは「★」 ● | ||||
| ● | ● | ● | 監督/● | 脚本/● |
| 原題は“●”。公式HPのあらすじは「●」 Twitterへは「★」 ● | ||||