| 修羅 | 6/3 | シネマ ブルースタジオ | 監督/松本俊夫 | 脚本/松本俊夫 |
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| 劇場案内板のあらすじは「赤穂浪人・源五兵衛は、仇討に加わろうと、敵の目を欺くため酒と女にうつつを抜かす。だが、美しい芸者・小万への執心にはそれ以上のものがあり、小万も源五兵衛を慕い腕に愛の誓いの彫りものが。気が気ではない源五兵衛の忠僕・八右衛門は、なけなしの仇討闘争資金百両を主人の前に差し出すも、小万の使い三五郎が現れ、愛しい小万が他人に百両で身請けされるという。仇討のため一度は小万との縁を切ろうとした源五兵衛だが、愛を選ぶか、武士の道を選ぶか、心は千々に乱れる。結局百両を投げ出して小万を選んだが……。さあ、ここからが地獄絵図。凄絶な復讐劇が幕を開ける。」 Twitterへは「1971年監督松本俊夫、原作鶴屋南北。因果は巡る、クズ男の奈落の底。最後のオチは落語を知っていればすぐ分かる。しかし、あの実験映画の松本俊夫がこんなケレン味を抑えた様式的かつ、どストレートな劇を撮っていたとは。ツッコミどころもあるけどね。」 実験映画しか見ていなかったので、先だっては『薔薇の葬列』をがわりとフツーの映画に見えたんだけど。この『修羅』は、実験的な手法は『薔薇の葬列』よりも抑えられていて、日本の他の監督が撮影した、といわれても気付きもしないだろう。せいぜい、見せ場を細かく何度もリフレインするとか、対話がドンデン切り返しでなく、横に並んでいる相手がスライドして登場するとか、天井のない室内を俯瞰でセットのように見せるとか、そのぐらい。こんなことは並の監督でもするレベルだ。鶴屋南北の狂言「盟三五大切」と、その改作である石沢秀二の台本をもとにしたらしいが、気を衒わず真っ正面から時代劇に対している。怪談ではないけれど、『東海道四谷怪談』(これねも鶴屋南北の作だ)とか、圓朝作の人情話的な雰囲気が充満している。 あとは、映画づくりに慣れていない監督がおずおずと、という感じがまったくないこと。セリフ廻し、カメラアングル、ライティングなど、すべてに完成度が高い。なかでも役者の演技力が素晴らしい。源五兵衛の中村賀津雄、小万の三条泰子、なかでも三五郎の唐十郎は天才的な演技を見せていて大注目だ。 話の背景には、赤穂浪士の討ち入りがある。源五兵衛も賛同組だけど、御用金をなくしたとかとかで、その穴埋めをしないと決起組に再加入できない、らしい。どういう御用金なのか、使い込んだのか、なんてことは説明がない。それはともかく、穴埋めの百両が調達できないのに芸者小万に入れ上げて、まいにちのらりくらり。そこに、赤穂の支援者から資金調達してきた下僕の八右衛門が戻ってくる。ちょうど百両ある。これで義士仲間に戻れる! と思った直後、小万の使いの若衆三五郎がやってきて、小万が身請けされてしまうがどうする、と言ってくる。こころ揺れる源五右衛門。女よりも忠義、と思ったけれど、やっぱり小万が…。で深川の茶屋に行くと、小万と身請けしようという武家、取り巻きの町人が5人ばかり。源五兵衛は百両を投げ出し「身請けする」という。…が、場面は茶屋に来たところにもどる。つまりまあ、そうしたいけどやっぱり、という心の迷いをうまく表現している。でも、やっぱり部屋に入って、結局は百両出して身請けする、と大見得を切るのだが…。 なんと、ここで三五郎。「身請けは成立したが、小万には亭主がいる。そっちを片づけてもらわないと…」という。驚愕の源五兵衛。しかも、その亭主が三五郎だというのだから、またまたビックリ。まあ、要するに、三五郎が女房の小万をつかって源五兵衛をめろめろにした。身請けというのもでまかせで、百両は三五郎のもとに。用済みの源五兵衛はお払い箱、という筋立てだ。取り巻きの町人や武家も芝居をしていた、ということだね。 よく分からないのは、身請けした小万に亭主がいたら、どう困るのか、が分からないことかな。当時のしきたりに不案内なので、そこがはっきりしない。 してやったりの三五郎と小万。取り巻き連中。深夜、怒り心頭の源五兵衛が深川の茶屋(を模した宿か何かか?)に潜入し、三五郎と小万を刺し殺し、取り巻き連中も殺害してしまう(この場面は、映画の冒頭で源五兵衛が小万の膝枕で耳かきしてもらってる間のうたた寝で夢に出てきた、という設定。正夢が現実に、だな)。がしかし、三五郎と小万、と思ったのは取り巻き仲間で、2人は別室にいて難を逃れる。まあ、常套。コケにされた源五兵衛が逆上し、鬼気迫る勢いで取り巻き連中を殺していく無残さは、なかなか。恨み骨髄というところだな。 人相書きが出まわり、殺人の罪で追われる身になった源五兵衛。いっぽう三五郎と小万は、いずこかに預けておいた幼い息子も引き取って、家に隠れている。源五兵衛は父親に勘当されていて、それを解くために百両必要だった、と吐露する。しかし、勘当を解くのに百両もいるのか? という疑問はあるけどね。 源五兵衛は、隠れて逃げ回っているというより堂々と市中を徘徊。酒屋で角樽を買い、毒を仕込む。それを下げて三五郎と小万宅を訪れるのだけど、なんかちょっと異様だよな。2人の仲間を惨殺して追われている身で、もともとの仇は三五郎と小万。だから感情的になるかと思いきや、静かに訪れ、角樽を差し出す。いくら毒殺が狙いと言っても、なんじゃこれは、な感じなのだ。三五郎は、申し訳ない、とひたすら低姿勢で、これには理由があって・・・、というんだけど、そんなの源五兵衛には関係ないものな。で、角樽の酒を飲め、と勧めるが、すでにお燗のついた酒があるので、そっちを差しつ差されつ。ますます異様。対立している者同士が、なんじゃこれ。で、埒があかないからなのか源五兵衛は、角樽の酒を飲んでくれよ、と言い置いて宅を辞する。ほんらいならおどろおどろしくテンションが高まってもいいだろうに、そんな感じでもない。 あれ? このとき三五郎はどこに行ってたんだっけかな。例の百両を持って父親に会いに行ってたんだっけかな。父音は得度して坊さんになっていて、百両渡すと喜んで勘当を解く。勘当の理由は分からないけど、父親がいうには、離れに住んでいる浪人・宗右衛門が義士といったかどうだか忘れたけど百両必要で、三五郎の持参した百両はその浪人のために使う、という。あー、この浪人者は源五兵衛なんだろう。映画の仕掛けが分かった。落語の「持参金」と同じで、百両がぐるぐる回るってわけだ。源五兵衛は、本来なら苦労しなくても百両手に入った。けれど、源五兵衛が百両だまし取られないと、この話は成立しない、というやつだ。「持参金」と、この鶴屋南北の原作と、どっちが早いんだろう? てなことを思ってしまった。 さて、三五郎宅に小万の兄が酒目当てでやってくる。ところで、この兄は深川で死んでないのか? 別の兄貴? はさておき、角樽の酒を飲んで頓死してしまう。で、あの野郎、毒を盛りやがった、ってなるわけだ。小万は兄貴の死骸を井戸に放り込む。もどったところに源五兵衛が確認のためにもどってきて、なんだ、角樽の酒は飲んでないのか! 小万の方は「毒を盛りやがって!」となって、源五兵衛は小万と幼子を惨殺。小万の首を切り離し、たらりたらりと寺に向かう。三五浪の父は、「宗右衛門殿が帰ってきた」というけれど、三五郎はたまったもんじゃない。で、桶樽に隠れるのだが、源五兵衛/宗右衛門がぶら下げてきた小万の首をみて仰天。桶から飛び出るんだけど、この飛び出る場面が何度もリフレインされるのが面白い。 御用提灯が迫ってきて。源五兵衛/宗右衛門は捕縛されるのかと思ったら…。なんと下僕の八右衛門が身代わりに捕まるという展開。おいおい。で、三五郎はどうなるんだっけ? すっかり忘れてる。そして最後は、打入の浪士の名前の中に源五兵衛/宗右衛門の名前はなかった、という字幕で終わる。 なかなか真っ当な映画で、松本俊夫のアヴァンギャルドさはほとんどない。せいぜいが、決めカットのリフレインとか程度で、だれでも違和感なく見られるデキになっている。とはいえ、頭をひねる展開はいくつかある。 ・下僕の八右衛門が百両調達してくるとは分からない段階で、三五郎と小万が借金苦の源五兵衛を罠にかけよう、というのは無理筋ではないのか。源五兵衛は金を持っている、と分かっていないと、これはムリだろう。 ・源五兵衛と宗右衛門が同一人物というのは、なるほどだけど。宗右衛門は寺に部屋を借りて住んでいる。源五兵衛も長屋に住んでいるんだよな? 2つ家をもっているのか? 冒頭で源五兵衛と小万が乳繰り合っていた部屋は、源五兵衛の借りていた部屋ではないのか? どっかの茶屋なのか? 小万に入れ込んでいる源五兵衛の住所を、小万や三五郎が調べていないというのは変じゃないのか? ・三五郎が勘当されていたのは父親から? 何をして? 勘当を許されるのに百両も要るのか? 三五郎の父親は、源五兵衛/宗右衛門から御用金使い込み百両のことを聞いていたんだろう。とはいえ、それを工面してやる義理はどこにあるのか? など、基本的な部分に納得できないところがあるのは事実で。それがなけれは、よくできた狂言話だと思うんだけどなあ。 ・要所で字幕がでて説明しながら進むのは、無声映画を思わせる。画面もモノクロで、映像も活劇時代の雰囲気があるので、なかなかいい。 ・三五郎の唐十郎の名演技がすばらしい。見得を切る場面なんかは歌舞伎のよう。唐十郎は凄い役者だなと再確認。 ・客は私一人で、スクリーン独占だった。 | ||||
| KEEPER/キーパー | 6/4 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/オズグッド・パーキンス | 脚本/ニック・レパード |
| 原題は“Keeper”。公式HPのあらすじは「とある週末、都会暮らしのアーティスト、リズが、恋人の医師・マルコムから交際1周年の記念旅行に誘われる。ところが鬱蒼とした森に囲まれた山荘に到着後まもなく、リズは奇妙な幻覚に苛まれることに。翌日、マルコムが病院に呼び出され、ひとり取り残されたリズは、現実と悪夢の境目を見失い、山荘内にうごめく何かの気配に脅かされていく。果たして、この山荘に隠された秘密とは……。」 Twitterへは「いちおうホラー分類のようだけど、霊魂やオカルト、宗教、ゾンビでもなさそうで。コレクターなサイコ? でも、いろいろもやもや。なんじゃこれ? な展開とラストで、得体が知れず。もちろんつまらなかった。」 思わせぶりばっかりで全然怖くないし、サスペンスもない。山荘にはなんかいそうで、とくに悪さもしない。あの従兄弟はなんなんだ? なんじゃこれ、と思っていたら最後はヴァンパイアか? でも違うな。女の精気を吸い続けて行きながらえてきた悪霊? が、最後は逆襲されて一般人の女性にいたぶられる話なのか? それにしても退屈だった。 どうやらマルコムは、200年前から女性たちをターゲットに捕獲し、その精気を吸って自分の命を長らえてきた、らしい。で、リズはそんなターゲットのひとり、のようだ。にして40凸凹のオバさんでとくに美人でもない。そんな女性の精気でもマルコムにとってはパワーになるのかね。 マルコムの山荘のとなりには、従兄弟の山荘がある。リズとマルコムが山荘に着くと、さっそく従兄弟が彼女を連れてやってくるんだけど、この図々しさはうっとうしい。彼女は東欧の美形で、英語は話せない、と従兄弟はいっていたけど、リズには英語で答えていた。なんだよ。で、重要な役割を果たすのかと思ったらそんなこともなくて。中盤で、森の中で何かに吊り下げられていたから、後から思うに従兄弟に精気を吸われてしまったのかな。 マルコムは医者らしく、人工蘇生する予定の婆さんが蘇生しないから、と、とつぜん病院に行ってしまう。その間に従兄弟がウィスキーを持って訪ねてくるんだけど、何かあるのかと思ったらなにもなくて。ディスポーザーに時計を放り込んだまま、消えていた。帰ったのか? 以後、画面には登場しなくなっちゃったけど。なんだこのテキトーさは。 不思議現象は、いろいろと画面に登場する。窓にハートのいたずら書き。見知らぬ東洋人が風呂に入っていたり。ろくろ首的亡霊?が中空にいたり。けど、リズはそれらを目撃してはいない。イメージとして登場したり、背景に見えたりする程度。リズを脅す、ことはない。 そうそう。管理人のケーキの件があった。管理はテキトーだけどもってくるケーキは旨いとかで。リズは「チョコレートは苦手」といいつつ一切れ食べて。で、夜中、なぜか起き上がってケーキにむしゃぶりついてホールひとつ食べ尽くしてしまう。この時点では、大麻ケーキか? と思ったんだけど、結局、意味不明。 リズが川でひろった懐中時計もあったけど、あれも意味不明だ。最後の方で、例の川で拾った懐中時計を開くと写真があったけど、あれは過去の犠牲者のもの? では、最初の方では写真は見せず。しかも、なぜ川に沈んでいたのか意味不明。 リズには同年配の友人がいて、電話で話している。友人は心配して「迎えに行こうか」なーんて言ってくれているんだけど、無視。まあ、マルコムを信頼していたんだろうけど。ところがマルコムが突然豹変して、って、そのあたりよく覚えてないんだけど、リズが地下だか別室に行ったら女性の干からびたのがいくつもあって。ガラス瓶にはどろどろの首が浸かってたんだっけかな。それを見られてマルコムが、自分たちは200年前から…。って吐露したんだっけ。なんか曖昧。 どうやって逆襲モードに入ったんだっけ。すっかり忘れてて記憶にないんだけど、リズはマルコムを捕獲して逆さ吊りにし、管理人のケーキをむりやり食べさせる。いやだと言いつつ食べたマルコムに「やはりウエストブリッジの子ね」とリズは言うんだけど、どういう意味? それにしても管理人のケーキはどっからもってきたんだ? もともと管理人がつくったんだなくてマルコムがつくったのか? しらんけど。で、マルコムの身体はしだいに下がっていって、ガラス瓶の中に浸ける…。だったかな。このときリズの目は白内障みたいに白かったように思うけど、どういう状況なんだ? まだ人間なのか? マルコムに少し吸われたのか? とまあ、なんだかよくわからんヘンな話。200年前から女性の精気を吸って生き存えてきた、はヴァンパイヤ的だけど、そうではない感じだし。そうやって生け贄にさせられた女性たちの怨念が不思議現象として山荘に現れるのか? なんかいろいろ中途半端にとっ散らかって、切れ味は悪いのだったが、さて。 いたずら書きだの浴槽の東洋人だのろくろ首とかは、これまでの犠牲者の霊魂で、なにかを訴えていると解釈するのがいいのかね。そして、あの従兄弟もマルコムと同類なんだろうけど、その末路はどうなるのか心配・・・。そうそう。大家のケーキは、あれはマルコムが女性たちをハイにするためのトラップなのかな、やっぱり。大麻ケーキで正しいのかなあ。よく分からん。 | ||||
| シラート | 6/8 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/オリベル・ラシェ | 脚本/オリベル・ラシェ、サンティアゴ・フィジョル |
| 原題は“Airat”。公式HPのあらすじは「砂漠で行われるレイブパーティに参加したまま失踪した娘を探すため、父ルイスと息子エステバンは、モロッコの山岳地帯から砂漠の奥深くへと車を走らせる。行き着いたのは、現実と幻覚が混濁するような野外レイブのカオス。耳をつんざく重低音、赤い照明の海、沈黙を貫く父親の背中。だがそこにはすでに娘の姿はなく、父と息子は、レイブの参加者グループを追って、娘が向かったと思われる次のレイブ会場を目指すことになるが…」 Twitterへは「予告編は『マッドマックス』の下位互換みたいだったけど、本編に互換性はほとんどなかった。砂漠とPAぐらい? いろいろ救いようがない話で、暴走オヤジがバカすぎ。もっと人間を描けよ。でも、いきなりドッキリ! があったからまあ許す。」 『マッドマックス』みたいに狂気で突っ走ってバトルがあって破壊があって悪が血祭りに…。と思ったら、まったくそんなことはなくて。ワクワクもしないし、スリルもない。むしろ、だらだら、のらくら。音楽、というか、低音のリズムのドンガドンガだけでもって行ってる感じかな。 冒頭は巨大なPAシステムを砂漠に組み立てるところ。で、低音リズムに合わせてダークなパンクどもが踊りまくる、なんだけど。どーもいまいち編集のキレが悪い。もっと短いカットつなぎでぶん回すように仕上げりゃいいのに、間延びした映像がつづく。中央で踊ってる奴はちょっと激しそうだけど、周囲の連中にだらけてるのがいたりして、いまいちなんだよな。このあたり、眠くなった。あとから思うに、この冒頭でフィーチャーされてたキャラって、ルイスたちと旅をするパンクどもだったのかな。いまいち記憶ないんだけど。このパンク連中って、トラックとバスに計5人なんだけど、一人の女だけキャラ立ちしてて、あとは影が薄いんだよな。最後までそう。ま、それはおいおい話すとして。 レイブって言葉が出て来たけど、意味わからず。音楽にあわせて踊るイベント? あとから調べたら「大規模な音楽イベントや野外パーティー」のことらしい。知らんよ、そんな言葉。で、砂漠の真ん中で、どんがどんが踊ってるところに、少年を連れたオッサンのルイスが紛れて。写真を片手に「知らないか、この娘を」とやっている。どーも自分の娘が家出をしたので、探しに来ているらしい。娘が音楽好きだから、ここに来たようだ。 レイブといっても、ヒキの映像がないので、スケール感はほとんどない。客もせいぜい100人ぐらい? しか、見えない。もっと大規模に見せるには、撮り方が下手すぎなんじゃないかな。 なところに軍隊がやってきて、イベントの解散を命じる。ちらっといってたけど、世界の政情が不安定らしい。けど、時代設定もわからんし、イベントしてる場所も分からない。やってきたのがどこの軍隊かも分からない。そんなまま、多くはクルマの行列で帰っていくんだけど、トラックとバスが制止を無視して別方向へ。それに倣うクルマも続出。それを見て、ルイスも、フツーのバンだけど、ついていく。 列を離れた連中にも娘の写真を見せていて、知らないけど、別のレイブに行ってる可能性も、といわれたのでついていったようだ。 で、いつのまにか、トラックとバスと、ルイスのバンの3台になってしまう。ほかのクルマはどこへ行ったんだ? テキトーだな。トラックとバスに乗っているのはパンクな黒い服の女、刺青で手首のない男、義足の男、赤い服の女、あともうひとりなんだけど、彼らの中で登場頻度が多くてちゃんと描かれているのは黒い服の女だけなんだよな。軍隊が来たとき兵隊の見てるところでしゃがんで小便したりするし。ほかは、身体的特徴はあっても、ほとんど目立たない。だれがだれやら。 以降、3台でどっかを目指すんだけど、別のレイブを目指しているにしては大旅行。邪魔者扱いされるルイスのバンだけど、川を越せないときは牽引してもらったり。逆に、ガソリン代がないときはルイスが出したり。いつのまにか連帯感で結ばれていく。けど、家出娘の行方を捜すにしてはあれこれリスクが多すぎるだろ。なんでそこまで? って思ってしまうと、ルイスの気が知れなく思えてくる。 場所について唯一の情報は、誰かが言ってた「次はモーリタニア」って言葉だけ。どこだっけ、モーリタニアって? ↑のあらすじには、最初の舞台はモロッコってなってるけど…。あとから調べると、モーリタニアって、ひとつ国を挟んでモロッコの南なのか。そんなところまで、レイブを追って疾走するかね。 砂漠だけじゃなくて、山越えもするんだけど、その山越えのとき、息子の乗っているバンのサイドブレーキが利かなくなったのかずり下がり、奈落に落下。これまで出番の多かった息子と飼い犬がここで出番終了になってしまう。なんと呆気ない。涙涙のルイス父ちゃん。それにしても、バカすぎだろ。家出娘のためにあんなリスクを追う方がどうかしてる、としか思えないよ。 落下したクルマと息子も助けられず、砂漠にもどってきた一同。ルイスはひとり砂漠を泣きながらうろつき、ちからつきて倒れる。それをトラックとバスで探して追ってきたパンクたち。水をもらって回復するルイス。PAをセットしてルイスを元気づけようとするパンクたち。黒い服の女がふらふらと歩き出し、踊り始めた途端、ドカン! には見ていてビックリした。目が覚めたよ。地雷らしい。仲間の一人の、義足だったか手のない奴だったかが、ふらふらと近づくと…。彼もドカン! おやおや。 動きが取れなくなったパンク3人とルイス。地雷原というのは、政情不安の一面なのかね。どことどこが対立しているのか知らんけど。それにしてもルイスがひとりで砂漠をうろつくからこんなことになったわけだ。なのでここでパンクたちがルイスを非難するかと思いきや、そうはしないのはなぜなんだろう。 近くの岩場まで100mあまり。まずは空のバスを走らせるが、途中でドカン。さらにトラックを走らせるが、地雷のせいで曲がって走って止まってしまう。パンクの一人が轍を歩いて行くが、ドカン! 岩場まで80メートルぐらい? ルイスはひとり、すたすたと歩いて岩場までたどり着いてしまう。ラッキー。ののち、赤い服の女と、もうひとり男は爆死せずに岩場に到着。これは運なのかね。 で、ルイスとパンクの生き残りの2人は、砂漠のなかを走る列車の屋根にいる。ほかにも現住民がぎっしりの列車の屋根。呆然の3人。映画はそこで終わる。おいおい。家出娘はどうなったんだ。息子も失ったルイスは気の毒だけど、バカじゃね? としか思えないし。なんか、山越え川越え砂漠を越えて、音楽をめざしてたのに死人ばかりだして、なんのためなの? アホじゃん、としか思えない話だった。不条理劇にもなってないし。身も蓋もない話だ。 ルイスも、あんな危険極まりない旅をする理由が分からない。たかが家出娘だろ? もちろん政情不安だから危険に直面している可能性もあるのかも知れないけど、敵が見えないんだよな、この映画。終末感もとくにないし。せいぜいが国と国の対立、あるいは内戦? といいつつ、そういう気配はほとんどない。この映画に登場する火器は、軍隊の銃と地雷ぐらい。それに、地雷原があるぐらいなら、パンクたちにもその情報はある程度わかってなきゃおかしいよな。国を超えて移動しているんだし。そういう背景の描写がほとんどないから、緊張感もいまいち。まあ、だからこそ、黒い服の女が地雷で爆死の場面でビックリしたんだけど。 そもそも映画の基本って、必要に迫られてA地点から目的地まで追ったり追われたり逃げたりしつつ移動するのがフツー。たとえばジョン・フォードの『駅馬車』なんかがその典型例だよな。で、移動の過程で邪魔が入ったりトラブルが発生したりしつつ困難を乗り越えてたどり着く、っていうのが構造のはずなんだけど、この映画はその基本を外しているよね。ルイスは行方不明の娘を追ってはいるけど、ほとんど手がかりのないまま彷徨ってるだけ。わずかな手がかりは、パンクたちのいう、別のレイブにいるかも、というアテにならない情報だけ。で、していることはパンクたちについていっているだけ。ハタから見ると、命がけのムダ、にしか見えない。パンクたちも、国境を越えて別のレイブに参加したい、のか? にしてはすることが大げさすぎ。次のレイブに参加する目的も希薄で、必要に迫られているようには見えない。なので、いつのまにか、ルイスやパンクたちの行動は、何も追っていない、追われてもいない、敵もいない、目的もない、という単なる危険な移動だけ、に見えてくる。たどり着くべき目的地もアバウトで、迷い込んだのは地雷原。わずかな目的だった別のレイブには結局辿り着けず、失う物ばかりがふえていく。見ていて爽快感のひとつもない。 政情不安についても、体制がほとんど見えない。ちょっとだけ軍隊が登場するだけ。『マッドマックス』では、暴走族らの対立や支配、対立構造があったけど、この映画にはそういうものはない。レイブの参加者のパンクな連中は政治的にはノンポリで、なーんも考えてない。自由に行動し、勝手し放題になっている。地元民に加害はしないし、されもしない。そういうのも不思議というか、ちょっと物足りないかもね。 ・ところで、ルイスは黒い服の女ともう一人の遺体を集め、土まんじゅうにしているんだけど、地雷が怖くはなかったのか? それとも、ルイスは地雷を避ける能力があるのか? ・他に登場するのはガソリン売りの現住民とか、山羊飼いの少年ぐらい。 | ||||
| アダムの原罪 | 6/10 | 新宿武蔵野館1 | 監督/ローラ・ワンデル | 脚本/ローラ・ワンデル |
| ベルギー/フランス映画。原題は“L'interet d' Adam”。deeplでは「アダムの関心」とでるんだけど…。ChatGPTに訊いたら「アダムのためとは何か」「アダムの最善の利益」な感じらしい。原罪は意訳過ぎのようだ。本作の主人公の4歳児に原罪などはないと思うので。さて、公式HPのあらすじは「ある病院の小児科センターに、左腕を骨折したアダムという4歳の男の子が入院した。栄養失調で痩せこけたアダムは発育が遅れ、骨が脆くなっている。裁判所は移民のシングルマザー、レベッカに問題があるとし、彼女の面会を制限する命令を下した。自らもシングルマザーである看護師長のルシーは、息子と引き離され、親権を失うことを恐れるレベッカに寄り添おうとする。しかしレベッカの思いもよらない行動と病院システムの歪みによって、ルシーは次第に追いつめられていく…。」 Twitterへは「病棟ものなので『ナースコール』的緊張感とサスペンスを期待したら大外れ。宗教か陰謀論かに毒されたバカ母が4歳児を栄養失調にし、接見禁止に。なのにその母親と、母を恋しがる4歳児に感情移入して事態を悪化させる無能な看護士の話だった。」 『ナースコール』は、スタッフが少ない中、ある病院のERの看護師が複数の患者を相手にし、テキパキとこなしながらもミスもしたり、患者らのキャラも立たせてドラマチックで、緊張感のある群像劇に仕立てていた。いっぽうこちらは、女性看護師長と、問題ありすぎなひと組の親子との経緯を追っていく、という筋立て。もちろん、何組かの他の患者も登場して、現在の病院の有り様を見せていて、いくらかは興味深い。けど、そういうのはわずか。むしろ、問題ありすぎな親子の母親の方がひどすぎて、みていてじれったい。 登場人物や患者たちの情報も、足りない。↑のあらすじでは、母親レベッカを移民、としている。でも、西洋人と見分けがつかなかった。元旦那がでてきて、かれは中東っぽかったけど、レベッカもそうだとは思わなかった。ああいうのは、見てるだけじゃわからんよ。 で、レベッカに接見の制約を設けているようだけど、なぜそうなったのか? などの背景は具体的に説明されず、想像しろ、な感じなんだよな。4歳児が骨折して入院、とか、レベッカは普通の食事を身体に悪い物として息子に与えず、そのせいで骨が悪くなっているようだ、は想像がつくけどね。しかし、それまでの経緯が分からない。シングルマザーのレベッカの育児法について、だれが問題視し、裁判沙汰になり、接見制限になったのか。さらに、今回の入院はどういう状況下で骨折に至ったのか? 接見制限されているということは、息子とは同居してないのか? であれば、なぜ病院に一緒にいるのか? など疑問だらけなんだよね。 看護師長のルシーは、レベッカが息子にロクな物を食べさせていないと言うことは分かっている様子。なので、ちゃんとした食事をだすんだけど、レベッカはそれを棄ててしまい、自前のものを与えるのだけれど、ここで疑問は、食事を与えることをレベッカにまかせちゃってることだ。いずれレベッカは土俗的宗教魔術か陰謀論的民間療法かなんかに毒されているんだろう。なことはすぐ分かる。ルシーの使命は、食べさせることにある。けど、監視しない。それじゃダメだろ。 もちろん看護師長だから他にも仕事はあるだろうけど、あれじゃレベッカに、勝手にやっていいよ、と言ってるようなものだ。アホだろ。 同僚の医師や上司(事務長? 医局長?)は、レベッカが息子にべったりすぎなのを問題視し、「もう1時間も長くいる」などと病院から出て行かせるようルシーに忠告する。けれどルシーは「子供には親が必要」という考えらしくて、レベッカの「今晩は病院に泊まれるよう裁判所の調停役に頼んでくれ」に素直にしたがったりする。これでまた同僚医師や上司に、「母親はまだいるのか。どうにかしろ。警備を呼ぶか?」などといわれ「警備はやりすぎ」などとレベッカを庇う。みていてイライラするし、じれったい。 こうしたルシーの態度と行動は、↑のあらすじにあるけど、自らもシングルマザー、というだけで理由づけしている。そりゃ根拠が弱いだろ。 まだ裁判所から泊まっていいという連絡もないのに息子にシャワーを浴びさせたり、息子にべったり。それをルシーに指摘されても「息子には私が必要。息子に選ばせてみてよ」的なことをいう。アホか。4歳児の判断が正しいとでも言うのか。医療的な立場からレベッカの異常性を問題視できず、だらだら毒親の好き放題にさせておルシーは、ほんとうに看護婦長なのか? 能力なさ過ぎだろ。 レベッカの反抗はひどくて、息子と一緒にトイレかなんかに閉じこもったり。さらには、ルシーが「ここにいろ」と言っているのに息子を抱き連れて病院から脱出を試みたりする。ここまで事態を悪化させても、ルシーはまだレベッカに同情的な態度を見せつづけている。あほだろ。じれったさも限度だよ。 レベッカは息子と一緒にルシーから逃げようとして、階段から転落。またまた病院に戻って検査だよ。さいわい大事に至らなかったけれど、ね。 たび重なるルシーの行動に、上司は「今日は帰れ」と命じるけど、結局は、無視。さらに上司の部屋に行くと、裁判所から調停役が来ていて話している。それをみて、引き離されてしまう、と思ったのか、レベッカをつれて上司の部屋に行くも、もういない。(だったかな…) 最後は、接見禁止状態にされられたんだっけか。肩を落として自宅に戻ろうとするレベッカ。ルシーが近づいて、クルマで送る、と乗せるのだけれど、レベッカは「道が違う」とクルマから逃げようとする。ルシーはレベッカを矯正施設かなんかに連れて行こうとしたようだ。そういえばルシーはどこかの施設に電話して入居できるか、みたいなことを訊いてたなあ。で、いったんはクルマから逃げ出すんだけど、結局、ふたたびおとなしくクルマに戻る…。というところで映画は終わるんだけど。もやもやするね。レベッカが自分の行動に反省している気振りはまったくなかった。なのに、強制施設に入ることを納得できたのか。話が強引すぎるだろ。いろいろ中途半端に終わっちゃったなあ。 というわけで、90分間ずっと看護婦長ルシーの無能ぶりを見せつけられてイライラし通し。責務を果たせ、お前。病院なんて情よりもまずはルールだろう。それも個人的な感情で事態を悪化させてしまってる。映画づくりが下手すぎな気がする。『ナースコール』に比べてテンポもだらだらのろい。ルシーの行動も緊張感なく、杜撰すぎ。あんなんでよく看護師長が勤まってるものだ。 ・他の患者では、アフリカ移民っぽい男が女医を拒否したとかで、ルシーが行くと「また女かよ」 と不平をいう。これにルシーは、「ここは公立の病院。文句があるなら高額な私立の病院にいきなさい」というんだけど、男尊女卑が移民にはあるんだなと。これも宗教的・土俗的な背景があるにちがいない。 ・ムスリムの娘が妊娠して。バレると親に家に入れてもらえないからとルシーに言う。ルシーは「虫垂炎ってことにしとく」というんだけど、それで問題は解決するのか? 事実を言っても事件になるけど、嘘をついても問題だよなあ。 ・レベッカがダメすぎるから、元亭主で4歳児の父親が病院に呼ばれる。そういう決まりらしい。いやいややってきた父親は、再婚して子供もいる様子。で、フツーの理性を持っている感じ。まあ、レベッカみたいなヘンな女と別れたのも分かるよなあ。 | ||||
| 君と僕の5分 | 6/15 | 新宿武蔵野館3 | 監督/オム・ハヌル | 脚本/オム・ハヌル |
| 韓国映画。英題は“404 Still Remain”。ネットによると「インターネット上でページが存在しないことを示す「404 Not Found(見つかりません)」というエラーコード」らしい。公式HPのあらすじは「2001年、韓国で最も保守的な街といわれた大邱(テグ)に転校してきた高校生のギョンファンは、当時まだタブーだった日本の音楽やアニメの大ファン。昼休みには一人で日本の楽曲をMP3プレイヤーで聴いていた。皆には「オタク」とからかわれるが、隣の席の学級委員ジェミンも実は日本のカルチャーが好きだと知る。学校帰りのバスの中でイヤフォンを分け合いながらJ-POPを聴き、次第に距離を近づける二人。放課後のゲームセンター、CDショップ、映画館..…。ギョンファンはジェミンにある秘密を告白するが、彼の態度はその日を境に一変する。」 Twitterへは「J-POPをはじめ日本文化がでまくり、らしいので陽気な話かと思ったら、暗くてしんみりなゲイの話だった。globeがかかりまくり。いつもは楽曲の歌詞はほとんど追わないんだけど、耳に入ってくるので聴いていたら、なーるほど、だった。」 細かなところでは「?」も多いし、説明もロクにされないまま話が進んでいく。なので、イラッとするところは多い。そのうえ、ちょっとたどたどしく、くどい演出と展開の前半は、一体この話の核心は何なんだ? と思ってしまうほどだ。もちろん、ちょい控え目で気の小さなギョンファンがちとカマっぽい感じだとか(とくにバスケのスローインとか)、ジェミンも男っぽいなりにカマっぽいなとは感じていた。それが回転し始めるのは中盤以降。エンドロールのバス車中の2人(ジェミンがギョンファンの肩に頭をのせて寝てしまう場面)に、globeの“DEPARTURES”がかぶって、普段なら歌詞は聞かないんだけどなんとか聞き取っていたら、おお。「限りなく降りつもる雪とあなたへの想い。少しでも伝えたくて届けたくて、そばにいて欲しくて…」あたりは2人の思いと関係がそのままじゃないか。で、ちょっと感動した。 要は、ギョンファンはLGBTQのゲイで、前の学校でいじめられ、好きだった男の子がいたけど、転校してきた。新しい学校では、隣席のジェミンがなよなよしたギョンファンにバスケを教えてくれたりして、面倒をみてくれた。仲のいい友だちになれた。と思って、ギョンファンは前の学校での出来事と、好きな男の子がいた、ということを話す。直後から校内でギョンファンはホモだ、という噂がひろまり、級友にもいじめられる。「なぜはなした」と詰め寄ってもジェミンは冷たく対応し、屋上でタバコを吸うとかぐれた感じになる。ギョンファンはまたしても転校することになるが、雪の夜、校庭に来るようメールが来て…。たいした話もなかったけど、帰りのバスの車中で、ジェミンが欲しいと言っていたglobeの“FACES PLACES”のCDを渡す。けれど、ジェミンはそのCDを返してくる。時が経って現在。パートナーと帰省したギョンファンは、そのCDをみつけるが、よく見たらケースに傷がついていない。ギョンファンが渡したものは割れていたはず。中を開けると、ジェミンが開設したサイトのURLが…。アクセスするが、一瞬、文字が見えたけど、結局、いまは存在しないサイトになっていた。な展開かな。よくは分からないんだけど、おそらくジェミンもゲイで、ギョンファンに惹かれた。けれど、前の学校で好きな男子がいた、と聞かされて嫉妬した、のかも。 この映画ではglobeの楽曲が重要な役割を果たしているけど、他にも「名探偵コナン」「風の谷のナウシカ」なんていう漫画も登場する。Webによると「日本の大衆文化は、かつては法律や行政指導によって厳しく規制・禁止されていましたが、1998年から2004年にかけて段階的に開放されました。」とある。映画の時代は2001年なので、ちょうどその転換期に当たるということだ。とはいえ漫画や楽曲もまだ正規のものが流通していなくて、海賊版が怪しい場所で取引されていた、という時代のようだ。ギョンファンもその一翼を担っていて、自らダウンロードサイトを運営しているといっていた。アクセス数も多かったようだ。それを聞いてジェミンも「僕もサイトを開設したいな」と言っていた。 ギョンファンが好きなのは、globeの“DEPARTURES”で、ジェミンは“FACES PLACES”の方が好きだ、と言っていた。歌詞の意味をどれだけ理解していたのかは分からないけどね。で、ジェミンはギョンファンのイヤフォンを片耳ずつはめて、いつも“DEPARTURES”を聞かされる。その歌詞は、恋人に宛てたメッセージ。ギョンファンにとって、この恋人は前の学校の男子? これを聞かされ続けていたから、ジェミンは嫉妬したのかな? 1つのイヤフォンで2人で音楽を聞く。というのは、男女ならよくある設定だけど、男同士では珍しい。これだけでも、2人はゲイではないか、のアイコンになるよな。しかも2人はバスケの練習もしてるし、ジェミンがギョンファンの手を引く場面もあった。反対に、寝入ったジェミンの手に自分の手を重ねるギョンファンもいた。それをジェミンは感づいていなかった、という設定らしいけど、もしかして分かっていた? と、考えるとジェミンの心は乱れるかもね。「俺のこと好きなのか?」「でも、前の学校の男子を忘れられないのか?」とか。それでジェミンの態度が硬化したのか? あるいは、ギョンファンのゲイ疑惑が学校中に広がったから、これ以上つき合うと、自分も芸と思われる(分かってしまう)ことへの防衛か。分そういえば、ジェミンももとは転校生で、以前の学校でいじめられていた。いじめたのは親友だった、と告白していた。この親友は、もしかしたらジェミンの、ゲイとは言わないけど愛情でつながっていたのかもしれない。でも、それをゲイだと思われるのが怖くて、ジェミンと距離をとったのかもしれない。または、ジェミンが告白したら驚かれ、嫌悪されたのかもしれない。いろいろ読める。 2人の前の席にいる2人の男子が、漫才みたいなコンビで楽しいんだが。片方がギョンファンに、「こないだ見たAVにお前に似た女優が出てた…」とか、ギョンファンが気になるようなことを言ったことがあった。それ以上、話は広がらなかったけれど、のちにギョンファンがホモだという噂が広まったのち、2人が件のAV女優の話を他の友人に話した云々という場面があって。どーも、謝ってるような感じだったんだよね。2人は、このAV女優に似てた話のせいで、ギョンファンがホモだ、という噂が広まった、と考えていたのかな。となると、ジェミンはギョンファンの前の学校をやめた理由や、好きな男子がいたことは広めていないのか? このあたりは、映画は曖昧にしたままだ。 ギョンファンがこの学校をやめることになったのは、暴力教師に反抗したから、だっけ。それが母親の知るところとなって、また転校か、となった感じ。しかし、暴力教師、ホモ呼ばわり、などなど2000年前後の韓国はまだ偏見に満ちていたのか。そういえば、とんねるずの「保毛尾田保毛男」は1990年前後の番組ネタで、炎上したのは、一瞬だけ番組復活した2017年らしい。てことは、日本でもこの当時まだホモ呼ばわりはフツーにあった、ということだな。日本も韓国も同じようなものか。 “DEPARTURES”と“FACES PLACES”のCDだけど。2人で買いに行ったら金が足りない。ジェミンは「自分が好きな方を買え」といってくれて、ギョンファンは“DEPARTURES”を買った。その店の入っている地下商店街が閉鎖されることになり、店が半額セール。すでにジェミンに嫌われていたギョンファンだけど、ここで“FACES PLACES”を買う。約束通り、ジェミンにあげるためだ。けれど、帰路、同級生等にボコられ、ケースが割れてしまう。というところに割って入り、イジメ同級生を返り討ちにしたのがジェミン。おお。やるときはやるんだな。でまあ、このときCDケースが割れた、と。 すでに登校せず、転居しようとしていたギョンファンにジェミンから「校庭に来い」とメールが入ったのは、この頃。雪の中、行くが、結局ジェミンは話らしいことは言わない。でも、帰りのバスで、ギョンファンはかねて約束の“FACES PLACES”のCDをジェミンに渡す。でも、ジェミンは、しばらくしてそれをギョンファンに返した、んだよな。なんだこれ。と、思ったんだが。25年後にギョンファンは、ジェミンが渡してくれたのはギョンファンが渡したCDではなく、べつの“FACES PLACES”のCDだったと気づく。で↑にも書いたけれど、そのCDにはジェミンが開設したサイトの名前が書いてあった、と。で、アクセスしたけどもう遅い。いまはもう、見られなくなっている、というすれ違い。 というわけで、思うに。出会いの頃からジェミンはギョンファンに惹かれた。ギョンファンもまた、ジェミンに惹かれていく。けれど、互いに表だっては明かさない。そんな中で、理由は分からないけどジェミンがギョンファンを嫌いになったかのような態度を取るようになり…。でも、ギョンファンはジェミンをずっと思っていた。けれど、思いはつたわらず。なすれ違いの話だな、こりゃ。 もうひとつ、なぜ日本の文化がこれほど前面に登場するのか。まあこれは、社会の趨勢から理解されないことの象徴なんだろうな。ギョンファンがJ-POPを聞いていることに、同級生が「そんなことだから反日思想が身につかないんだ!」と捨て台詞をいう場面があった(この場面も、みんなのいるところで着替えず、トイレの個室で着替えているのを見られ、それで言いがかりをつけられるんだけど、モロにゲイだよな、ギョンファンは)。のように、ゲイも日本文化も、韓国社会の中で蔑まれている対象だったというアナロジーなんだろう。で、“DEPARTURES”の歌詞はギョンファンの思いでもあり、ジェミンの思いでもあったんだろう。で、その歌詞が、エンドロールに流れる。映像は、まだ仲がよかった頃の、ギョンファンの肩に頭をもたれてうとうとするジェミン。ああ、切ないね。 ギョンファンはジェミンに、自宅へ向かうバスの路線番号を正直に言わない。あれは、なぜなのだ? また、2人で地下商店街のCD屋に行ったときも、店で働く母親の姿を、チラと見るだけ。ジェミンに紹介しない。まあ、のちのち、地下商店街が閉鎖になるというとき店の整理を手伝っていたら、ジェミンとあと2人の友人が通りかかり、紹介はするけど。なんか、ギョンファンの態度に割り切れなさが感じられる。 あとから分かるけど、冒頭の転居のためのトラックの場面は、両親ではなく母親と伯父だったんだな。で、母親がその兄に、地下商店街の閉鎖のことで文句をいう場面があるんだけど、あれもよく分からず。どうも、兄の紹介で店の権利を買った? けど、すぐに閉鎖の話がでて…なのか? でも、前に住んでいた街から大邱にやってきて、直後に地下の店を開いたのか? だとすると、数ヶ月しか営業してないんじゃないのか? なんか展開にテキトーさがあるな。 | ||||
| DIE MY LOVE/ダイ・マイ・ラブ | 6/17 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/リン・ラムジー | 脚本/エンダ・ウォルシュ、リン・ラムジー、アリス・バーチ |
| 原題は“Die My Love”。「私の愛よ、死ね」とかいう意味か。公式HPのあらすじは「情熱的に愛し合うグレースとジャクソン。ニューヨークを離れて田舎町へと移り住んだ二人は、結婚してまもなく子供を授かる。しかし、幸せの絶頂にあるはずの日常は、それを境に静かに軋み始める。作家であるグレースは執筆が滞り、言葉は思うように出てこない。ジャクソンとの関係もすれ違い、セックスレスに。満たされない欲望。言いようのない不安と苛立ち。閉ざされた日々のなかで、行き場を失った感情が積み重なっていく。そんな彼女を気遣う周囲の声は空しく、孤独はさらに深まるばかり。やがて現実に滲むように浮かび上がる幻覚が、静かに彼女の心を蝕んでいく。正気と狂気の狭間で揺れるグレース。激しさを増していく夫との衝突。そして、極限まで張り詰めていた心の糸が切れたとき、その先に待ち受けるものとは」 Twitterへは「メンタル病みの女性が見る妄想と現実が混じり合い(主観と客観の混同)、さらに時制がいじられているので、何が本当なのかよく分からないままだらだらと。ジェニファー・ローレンスのフルヌードは拝めるけど、とくに有りがたくもない。」 はっきりした筋道のある物語はなくて、設定、といってもアバウトなものだけ、にそって人物がうろうろバタバタ動き回り、エンディングにたどり着く、な感じの映画になっていて、がっかり。人物の掘り下げも特になくて、ぶち切れの散文的な流れでしかない。 しかも、現時点から始まったかと思ったら、あれ? 2人目の妊娠? と思ったら最初の息子の妊娠の時代の映像だったり、後半ではいきなり結婚式の場面が登場したりと、時制もゴチャゴチャ。しかも、過去に戻る的な説明もないので、おいおい。かと思うと、夫の両親の家? で親戚に囲まれている場面に登場していた義父は、いつのまにか亡くなっていたりする。フツーなら、出会い、結婚、出産、転居…となるのに、そうはなっていない。そうしていない理由も良く分からない。 でまあ、現在の時制でみると、ジャクソンは週に3日ぐらい働いていて。でも、どんな仕事なのかは分からない。グレースは、↑のあらすじによると作家らしいけど、画面上ではそんな風には見えない。PCの前に座ってキーを打とうとする場面もないし、編集から連絡もない。自著の画像も出ない。どんな本を出していたのかも分からんのだ。ただのチャラチャラした女性にしか見えない。6ヵ月児の面倒もテキトーで、ジャクソンがドライブに行こうというと、息子を家に置いたまま出かけてしまう。セックスも数ヶ月していないとかいうけど、だからなに? だよな。越してきたときは淫乱に乳繰りまくってたように見えたけど…。そう。時間の経緯も分からんのだよなあ。 でまあ、いつのまにかグレースは壊れていき、ジャクソンが病院に連れて行く。精神科の閉鎖病棟? どのぐらい入っていたのか知らんけど、退院してきて息子と対面し、でも完全には治っていなくて。森の中で書籍(あれは自著? よく分からん)に火をつけ、山火事にして火の中に入っていく…。みたいなところで終わってしまう。ってことは、要約すると精神疾患の作家が田舎に越して、でも壊れていき、自死する話ですかね。なんだよ。精神病者への差別と偏見にみちた映画ではないか。やれやれ。 2人が越してきたのは田舎の一軒家。越した理由は、定かではない。ただし、転居した家はジャクソンの伯父が亡くなって、空き家になっていたところ。 で、こっからは想像だけど。グレースは若いころに精神病を患い、入院経験あり。同時に作家活動も始めていて、少し売れていた。そういうところでジャクソンと出会い、結婚、出産。けれどスランプに陥っていた。というところに伯父の家が空き家になった。いい転機、とニューヨークから田舎に越した。転居したてはセックスもあったけど、しだいに妄想を見るようになったりして、精神病がぶり返し。なこともあってセックスレスになって…ってな流れかな? でも、スランプったって、原因はよく分かんない。育児ノイローゼとも見えないし。 グレースの妄想は、最初は、転居先にやってくるヘルメット姿のバイク男。かれは黒人で、濃厚なセックスをしていると思い込む? でも一度、街でその黒人が妻子と一緒のところに遭遇するという場面があった。男は戸惑った風だったけれど、あれは現実なのか? あれも妄想か。分からない。 もうひとつの妄想は、馬。最初は家の近くにやってきた馬。2度目は、ジャクソンが運転するクルマに同乗していて、馬を撥ねてしまう。馬は走り去ってしまう。この事故は事実なのか? 3度目は、息子を抱いて馬の近くにいる場面。馬は何かの象徴か? 日本では馬なみ、などというけど男根とか? セックス願望と、その打ち消し? ジャクソンの両親は田舎の人たちで。父親は、見た感じの役者だな、と思って調べたらニック・ノルティだった。けどいつのまにかいなくなっていたと思ったら、尻を撃って自死したんだと。で、義母はひとり暮らししてる。という流れ。それ以上でも以下でもない。 てなわけで、後半。突然、結婚式の場面が挟まって。その後にジャクソンはグレースを慌ただしく病院に連れて行く。で、ああそうか。グレースは精神病みだったのか、と気がついて。でも、グレースは退院しても完治していなくて、山火事に? 山火事自体も本当なのかどうか分からんけどね。たんにグレースの心が山火事になってるだけかも知れんし。 あと、病院での聞き取りだったかで。グレースが10歳のとき両親が飛行機事故で亡くなった、てな話がでてきたけど、だからなに? だよな。 というような、脈絡のない場面の断片がつづくので、寝ちゃうかな、と思ったけど、寝なかった。よく寝たからかな。 | ||||
| FUJIKO | 6/19 | テアトル新宿 | 監督/木村太一 | 脚本/我人祥太、國吉咲貴 |
| 公式HPのあらすじは「舞台は、1977年の静岡。嵐がひどく停電した病院で娘・麻理を出産した富士子。母親になった喜びも束の間、夫の実家から理不尽な仕打ちを受け続けたあげく、姑と義姉に麻理を奪われてしまう。愛する幼な子と引き離された絶望の中、実母・千代の力を借りなんとか麻理を取り返した富士子は、周囲の反対を押し切りシングルマザーとして麻理を育てることを決める。しかし、その先に待ち構えていたのは、図らずも自身が憧れていたロックンロールのような波乱万丈の人生だった」 Twitterへは「若妻・富士子の数年間の波瀾万丈を描く話で、『嫌われ松子の一生』と似て、だからどうした? な感じ。話とは別に不愉快なのは題名、役者名など大半がローマ字表記なこと。さすがにエンドロールは日本語併記だったけど。格好つけかよ。音声も聞き取りにくい。」 ・保険の外交員の富士子が、飯屋の裏口でコック(?)のオヤジに身の上話…。 ・まずは結婚したのか。 ・出産は嵐の日に停電で雷が届いた中で。 ・娘をカフェに連れて行ってまどろむ富士子。 ・義母と小姑が、嫁に働かせろ、と亭主に要求。亭主が富士子に、子供とカフェに行く余裕があるなら、クリーニングの仕事場に娘を連れて行っても働け、と迫る。拒否すると、小姑が「私が育てる」と赤ん坊を奪う。 ・事情を話すと、実母が義母宅に乗り込んで激論。 ・富士子は「離婚する!」宣言。すると義母に赤ん坊を奪われ、養育費をよこせ、と迫る。が、なぜか親権は結局、富士子に。 ・母子家庭に援助を、と役所に行くもけんもほろろ。保育園探しで苦労するが、知り合いの男性の親戚がやってる保育園にたまたま入れることに。住居は、カフェのママの伝手で、ボロいところに。 ・知り合いのカフェで働くも前借り生活。お客の紹介で、鉄火場の女給になって、飯が評判に。チップももらってウハウハ生活。転居して電化製品も…。でも手入れが入って職を失う。家に戻れば泥棒に入られていて、へそくりも失う…。 ・困った。で、頼ったのが元の亭主。が、店がつぶれたと頼りにならず。亡き父の友人の蕎麦屋のオヤジが飯を食わせてくれて。それに頼ってるうちに蕎麦屋の店員に。 ・なぜか富士子はそばやオヤジをお父さんと呼び、娘(3歳児ぐらいになったのか?)はジイジと呼んでいる。住み込みしたのか? でも、拝んでいた仏壇は誰の物? 実父? なら実家に蕎麦屋のオヤジがいるのか? 意味不明。 蕎麦屋の客のひとりに保険屋の男がいて、勤務方法や収入に魅力で転職。で、身の上話をしたら契約してくれる人が多くて、成績が抜群に。でも、成績が良すぎて転勤を促されるって、どういうこと? ・保険屋男に求婚されて、結婚するのかと思ったら砂浜で婚約指輪を無くしてしまい…。見つかったのかな? ・このあたりで、亡き父が吹き込んだレコードを聞いて、涙。 ・結局、保険屋男とは結婚せず、トラックに荷物をつんで、いずこかへ。画面には大きく富士山。で、終。 とまあ、記憶を整理する意味であらすじ、流れをメモってみた。それはさておき、この映画は女の映画だよな。主人公の富士子はとくに意志が強いわけでもなく、状況に流されていくタイプだけど、最後になって自ら男を棄て、自立していく。娘は直情型というか、そこらの植木鉢から勝手にきれいだからと言う理由で花を摘んで、母親富士子にプレゼントするようなマイペース。富士子の母親も、気が強く粋な感じ。富士子の元旦那の母親と小姑は、嫁富士子を人間扱いせず、労働力としか思ってない守銭奴。市役所の窓口女も淡々と処理するだけの無感情女。カフェのママは自立して店を経営し、中ピ連にも共感するタイプ。 一方の男たちは、いまいちパッとしない。富士子の父親はロックに憧れ病に倒れ、最後まで曲作りをして死んでいった。存在感ほとんどない。蕎麦屋のオヤジは富士子に親切で、人情家タイプ。でも、するのは調理だから世間で言ったら奥さん型だよな。マザコンの元亭主は母親や姉のいいなりで自分がない。富士子に求婚する保険屋も、リードするタイプじゃなくて、最後は富士子に棄てられてしまう。富士子が勧誘しようとしていたコックも、これまた調理人。せいぜい、カフェにやってくるヤクザと、鉄火場の男たちぐらいが男臭いけど、存在としては記号的でとくに映画の中で機能していない。 てなわけで、女上位の環境の中、そうした女にもないがしろにされる富士子が右往左往し、最後は親切でよさげな保険屋を棄てて自立するということなんだけど、だからなに? な話だ。まあ、克服すべきは上に存在する女達ではなく、自分自身だった、とでもいうのかな。 とはいえ、紆余曲折波瀾万丈も、もともとは富士子の身から出た錆な感じもする。元亭主とのなれそめは知らないけど、そんな男と結婚する方が問題だろ。義母・小姑にももっと強く出ろよ。親権争いでもしたらいいだろうに。なぜしない。役所の女担当も、いい加減なことしか言ってないんだから、「上司を呼べ」といってやれ。などなど、ツッコミどころは多い。 元亭主の義母・小姑も、ずっと敵かと思ってたらさっさと娘を返してくれたし。さらに、いろいろあって店もつぶれてしまったと言うけれど、途中から登場しなくなったので、どうなったのやら分からずじまい。っていうのも、もやもやするね。 富士子も、ムダに自立しようとする意図が分からない。離婚して、母子で廃墟みたいなところに住む必要がどこにある? なぜ実家に戻らないのか? 戻れない利用もないだろうに。それで貧苦に喘いで鉄火場で働き出したり、アホじゃん。なんか、波瀾万丈な人生にするための、ムリやりな脚本に見える。だから感情移入も共感もできないのだよな。 ところで、謎なのが蕎麦屋のオヤジ。富士子の父親の飲み友達なのでやさしい、はあるだろう。困ってる富士子に飯を食わせ、店で働かせている。この間、富士子の母親はなにもしないのか? このあたり、ザックリ映画は無視してる気がする。さらに、いつのまにか富士子は蕎麦屋をお父ちゃん(だったかな)と呼び、娘もジイジ(だったかな)と呼ぶようになっている。どゆこと? 後半で、蕎麦屋、富士子、娘の登場する場面は仏壇のある和室で、富士子は仏壇に拝んでるんだけど、あれは誰の位牌なのだ? 富士子の父親であれば、場所は富士子の実家と言うことになる。そこに蕎麦屋がステテコ姿でいるのはおかしい。蕎麦屋の家の仏壇? 蕎麦屋にもかみさんはいたと思うが、いつのまにか登場しなくなってる。亡くなったという描写もない。ありゃどういう関係になってるのだ? ・他の映画でもみたことあったけど、タイトルとメインキャスト、スタッフ名が横文字なのだ。なんのため? 横文字だと格好がいいとでも思ってるのか。だとしたらただのアホだろ。読みづらくてかなわん。富士子もFUJIKOで、場所を知らせる字幕もShizuokaになってて、バカもたいがいにしろ、な感じ。まあ、さすがにエンドロールは日本語に横文字併記だったのは、名前以外の項目を横文字にできなかった結果かな。 ・しかし、声が聞き取りにくい映画だったな。 | ||||
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