| プライベート・ケース | 8/3 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/レベッカ・ズロトヴスキ | 脚本/アンヌ・ベレスト、レベッカ・ズロトヴスキ |
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| フランス映画。原題は“Vie privee”。公式HPのあらすじは「その死は、事故か。それとも…。事件の鍵は患者の“プライベート”にある。パリで活躍するアメリカ人精神分析医・リリアンは、長年診てきた患者ポーラの突然の死を知らされる。診察の中でその兆候は見られず、ポーラの死は殺人ではないかと疑い始める。一方、突然涙が溢れ出る異変に悩まされるようになったリリアンは、やむをえず眼科医の元夫ガブリエルを訪ねる。元夫を巻き込みながら探偵まがいの捜査に乗り出したリリアンは、やがて危うい真相へと踏み込んでいく」 Twitterへは「ロクに患者の話も聞かず録音してるだけで金には細かい精神科医がオカルトにかぶれ、ついでに殺人事件の妄想に取り憑かれ、元夫とよりを戻しつつ素人探偵。のらくら半分コメディぶりは典型的なフランス映画か。63歳のジョディ・フォスター…。」 全体に歯切れが悪い。ムダな小芝居とかエピソードも多い。本筋とは関係なくだらだら話が引っぱられるのは、フランス映画の伝統だよな、という気がする。さいきん、フランス映画もこの傾向が薄れ、テキパキと輪郭はっきりしつつ話が進む、と思ってたんだけど、この映画は違ったな。 主人公のリリアンについても、その医者ぶりが非難めいて描かれている。たとえば冒頭に出てくる男性患者だけど、予約なくて来院していた。ので、予約がないし、次の患者がすぐにくるから、と冷たく突き放そうとする。けれど、男性患者はわずかな時間だけど時間をとってもらい、話をする。曰く、禁煙したくて5年だかとにかく長期間ここに通っていたのに効果がまるでない。知人に紹介され、睡眠療法を受けたんだが、これが凄い。診療所をでたらタバコもライターも棄ててしまった。これまでの、ここの通院の費用はなんだったんだ! と。リリアンは、ああ、そうですか、でも今回の費用はいただきますよ、と聞いているのだけど、リリアンも近ごろ悩まされている症状があって、それが意味不明の涙。元夫のクリニックを受診したけど、分からない。というわけで、自分もおそるおそる睡眠療法を訪ねてみたら、その場で診てくれて、料金も不要。症状も改善してしまった。…というエピソードは、本筋とはほとんど関係がない。というより、リリアンの医療技術の拙劣さ、彼女の金に厳しい様子ばかりが強調されてしまう。それでいいんかいな。リリアンのダメ医者ぶりは、この映画のテーマのひとつになっているのか? リリアンには元夫とのあいだに息子がいて、東洋人らしい妻がいる(けれど、まともに写らないのは差別的な感じ)。生まれたばかりの子供がいるのだが、ほとんど会いに行かないし、抱くことも拒否したりしている。まあ、涙が出るのを「風邪だ」といって赤ん坊に近寄りもしない。この異様さは何なんだ。で、息子や孫の話も、本筋には関係ない。なんなんだ。 元夫も、久しぶりに会ったのにもかかわらず仲好しな感じで話をしている。元夫も、後添いとは別れたとかなんとかで、リリアンに愛想がいい。これも、なんか取って付けたような感じなんだよな。 で、事件だけど。ずっと受診していたポーラという女性が突然亡くなった。ポーラの娘ヴァレリーが訪ねてきて話したんだっけかな。じつをいうと、このあたりから話がいろいろとアバウトすぎて集中できず、ちょい半睡のときもあったんだよね。 で、ついでに、伯母も亡くなったとか、伯母の遺産がどうの、てな話がでてきて。伯母の遺産はポーラとヴァレリーが受け取るから、リリアンはポーラを殺したのは娘のヴァレリー? と疑ったり。あるいは、ポーラの亭主のシモンを疑ったりする。でも、シモンは妻ポーラが死んだのはリリアンの診察のせいと頑なに思っている・・・。この経緯がいまいちはっきりしないまま、なんだよなあ。ちゃんとセリフを聞いていれば分かった、のか? で、伯母はずいぶん以前に亡くなってたのかと思ったら、ポーラが亡くなる直近だった、らしい。えええ? てなとき、リリアンの診察室に泥棒が入り、MDが盗まれる。リリアンはカウンセリングの様子を、いまどきMDに録音していて、どーもロクに聞いてないような感じもあったりする。リリアンと患者との会話のはずだから知らないはずはないと思うんだけど…。でも、ポーラの最後の診察の音声は、まだ聞いていない、とかいう話がでてきて。そのときポーラは真実を話した、のかもしれなくて、だから盗まれた、と疑う。盗んだのはシモン? と疑って、リリアンは元亭主とシモンの家だか別荘に潜入したりする。コメディかよ。正直言って、このあたりは話についていけず。 でまあ、最後の方で、伯母を殺害したのはポーラだった、みたいな事実が出てくるんだったかな。その後にポーラが自殺した、とか。もう、なんか話がぐちゃぐちゃ。話がぐちゃぐちゃなのか、半睡状態の私が悪いのか。集中させない映画が悪いのか。 そうそう。オーケストラの場面が何度か登場する。ポーラが楽器を弾き、シモンが指揮をしている。それをリリアンが近くで見ている、だったっけか。で、シモンがリリアンを銃で撃つとか言う悪夢みたいなやつ。ありゃなんだったんだ? てなわけで、どういう解決になったのか、よく分からないままなのだ。リリアンと元夫はよりが戻ったような、よく分からない。リリアンは孫をやさしく抱くような人間になったし。この事件で成長した、のか? 60歳過ぎてそれはないよなあ。 へんな映画だった。人を寝かせる、いろんな意味でよく分からん映画。 | ||||
| 開戦前夜 | 8/5 | テアトル新宿 | 監督/石井裕也 | 脚本/石井裕也 |
| 公式HPのあらすじは「1941(昭和16)年4月。日本中のエリートたちが集められた「総力戦研究所」という組織が存在していた。官僚・軍・民間から選りすぐられた、次世代を担う“ベスト&ブライテスト” 。彼らに課せられた任務は、アメリカを中心とした諸外国との戦争の行方を「予測」すること。膨大なデータを積み上げ、苦しみと情熱の中でシミュレーションを繰り返した末、彼らが見たのは…。原爆投下以外のほぼすべてを的中させた、日本の「圧倒的な敗北」という衝撃のシナリオだった。」 Twitterへは「対米戦を想定した模擬内閣の話。猪瀬直樹の原作はむかし読んだかな。ドラマチックに演出されてる感じで、緻密な情報収集に陸軍が反論・暴走するパターン。話に新鮮味はないけど、決まった路線は変えられない、精神論の日本の本質が描かれている。」「にしても、佐藤浩市、別所哲也、中野英雄とか、どこにでてた? だった。」 映画では、総力戦研究所という組織が軍部や学術分野、民間からエリートを選び、招集。1つの内閣と、閣僚的な人間を配置し、戦争できるか否か、を討議していくような流れになっている。で、総力戦研究所をWikipediaで調べたら、集められたのは何期かに分かれていて、それぞれが研究していたみたいな書かれ方をしていた。映画のような立体的な芝居かがったことは、してないような感じだな。映画的な演出かな。知らんけど。 でまあ、話は比較的単純で、模擬内閣で民間出身の宇治田が総理大臣に指名される。指名したのは総力戦研究所の板倉少将で、どーも板倉は宇治田のことを知っている模様。なんだけど、その関係は最後まではっきりとは明かされない。これがちょっと不満だな。 模擬内閣は、マスコミ出身の樺島が内閣書記官として宇治田をサポートするのと、どういう役回りか分からんけど三浦貴大が演じる峯岸(Webの相関表には企画院総裁なっているけど、どういう役職なのか分からない・・・)と、あと軍人3人が目立っていた(白い軍服は海軍? あと陸軍らしいのが2人)。あとは有象無象な感じ。もうちょい個人が立つようなシナリオにしてくれたら良かったのに、と思わないこともない。けれど、話を分かりやすくするには、この程度がいいのかも。 で、当時日本は原油の大半をアメリカに依存していた。開戦すればそれは絶える。なのでインドネシアに進軍し、日本に輸送すればいい、と軍部は主張する。しかし、日本が仏領インドシナからインドネシアに向かえば、ABCDラインの包囲網。とくにアメリカが経済統制になってエネルギーは枯渇する。インドネシアからの海上輸送も、英米に狙われ、輸送船は激減。2年ももたず、日本はたち行かなくなる。という分析に軍部は「長期戦がムリなら局地戦だ」「日本が三等国になってもいいのか! 貴様ら日本人か、樺島や峯岸をなじる。んだけど、でました、軍部の精神論、大和魂。いや、分かりやすぎて笑っちゃう。 万事この調子で、選ばれたエリートにしては軍部はバカすぎだろう。まあ、分かっていながら、傍聴している総戦力研究所の板倉や、この 模擬内閣を企画した瀬古中佐を意識しての発言だろうとは思うんだが。 模擬内閣での討議は概ねこの調子。冒頭で総理役の宇治田が「戦争は、可能だ」といってしまったことで軍人たちは勢いづいてしまったんだけどね。むしろ、あのとき宇治田はどういう根拠で「戦争はできる」といったんだろう。いろいろ計算していたけど、あれがよく分からない。というのも、しばらくすると宇治田はあまり発言しなくなり、でも、峯岸らとの雑談のとき「この戦争は負けます」と明言する。そして、継続すれば日本は焼け野原になる。「それが目に浮かぶ」ともいっていた。まあ、ドラマチックな演出だね。 でまあ、宇治田の家族と過去だけれど。父親は反戦主義活動をしていたのかな。両親は満州に行き、軍部に目をつけられ、抹殺された? 宇治田自身も訊問を受け、腕を折られた過去がある。はたして、そういう人物を総戦力研究所に呼び、あまつさえ総理に指名したというのはどういうことなのか。板倉少将は、宇治田とどういう関係があるのか。繰り返すけど、これが分からないのはもやもやするばかりだ。 宇治田が戦争反対の立場を明言後は、総戦力研究所の瀬古に「家族が招集されるぞ」と脅されるのだったか。実際、弟は招集され、南方の前線に行かされて戦死する。さらに、映画のラストでは空襲の犠牲になったのか、妹と姪も亡くなっている。妹の亭主もすでに戦死していたんだっけか。そういえば、模擬内閣で戦争反対派だった宮本(ほとんど記憶にないんだけど…)もまた、戦地に飛ばされている。総戦力研究所の模擬内閣といいつつ、集められた人間の思想調査が行われ、都合がわるい見解を述べれば圧力をかけられる。結局は、軍部に都合のいい結論を導き出せ、というような感じだったのか。板倉少将も、最初は「自由闊達に意見を」といいつつ、後には模擬内閣が戦争反対に傾くとイライラしてたから。陸軍大臣東條英機におもねってるだけ、なんだよな。 つまりは出来レース? 瀬古は、どういう思惑で総戦力研究所を企画し、日本のエリート達に仮定の戦いを研究させたのか? そのあたりも、ちと弱いな。 他に、江口洋介が演じていたスパイの元締めみたいな中佐、は、宇治田の両親の死の真相を調査するといいつつ、なにも答は出てきていなかった。彼の位置づけもよく分からなかった。ドラマとしての厚みは出てる感じはするけど、結局は得体の知れない感じで、なんかなあ、と思ってしまう。 あとは、ときどき陸軍大臣の東條英機が傍聴に来るんだけど、そういうときは軍人達は緊張しまくりで、軍に都合のわるいことはオブラートに包むような感じになってしまう。なんだよ。これじゃ模擬内閣の意味はないじゃないか。 とはいえ、最後の報告会で、宇治田は周囲の反対を押し切って、研究の成果を正直に言う。あれほど精神論を主張していた陸軍の連中も、最後は数値の示す事実にやり込められていた。でまあ、その報告を東條は冷静に聞いている。 この後の、東條英機、内閣、皇室のパートがけっこう面白かった。なんと、東條も、戦争は負ける、と分かっていたんだな。分かっていながら突っ走らざるを得なかった。その背景には軍部だけではなく、大衆を煽るマスコミ新聞、煽られ怒りを露わにする愚民がいたわけだ。これを落ち着かせるには、開戦しかなかったのか? ちょっと東條に同情してしまったかも。 ところで、報告会の後も模擬内閣の連中が同じ場所に集まってあれこれ話していたけど、ああいうのはあったんだろうか。報告が終われば、散り散りではなかったのか。むしろ気になったのは、模擬内閣に招集され、開戦すれば日本は負ける、と理解していたエリート達のその後、だな。軍人たちはどうなったのか。気になってWikipediaなどで総戦力研究所関連を調べて見たんだけど、どういう人物が招集されたのかの具体的なことは分からなかった。 ラスト。廃墟に佇む宇治田。弟は南方で戦死、妹と姪も死んだのだろう。欲をいうと、模擬内閣に招集された面々のその後、がどうなったのかも映像として見せて欲しかったな。あと、宇治田の上司で米国で反戦の立場で動いていた人物についてとか、総戦力研究所の板倉少将、瀬古中佐、江口洋介が演じた軍人とか、それぞれのたどった末路を知りたかった。もちろん多くは実在の人物ではなく、フィクションなんだろうとは思うけどね。 ・宇治田は戦争に行ったのか? ・東條英機を演じていたのが佐藤浩市とは、最後まで分からなかった。クレジットを見てびっくり。別所哲也もクレジットされてたけど、まったく分からず。あとで調べて宇治田の上司と知って、へー、別人、と思った。 | ||||
| ハワの手習い | 8/6 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/ナジーバ・ヌーリ | 脚本/ナジーバ・ヌーリ、ラスール・ヌーリ |
| フランス/オランダ/カタール/アフガニスタン映画。原題は“Writing Hawa”。公式HPのあらすじは「アフガニスタンの首都・カーブルで認知症の夫を世話しながら暮らすハワ。30歳年上の夫との結婚を強いられたとき、彼女はまだ13歳の少女だった。父は幼かったハワを教育から遠ざけ、母は出産について何も助言してくれなかった。6人の子を産んだ彼女は、同じ道に進まぬよう全力を尽くして娘に教育の機会を与え、次女のナジーバはジャーナリストとして自立した生活を送っている。そして、彼女は決意する…。「母の味方になろう」。母にカメラを向け話し相手を務める。今年こそ、と民族手芸の商売と読み書きの学習を始めたハワ。家族の洗濯物を絞っていたハワの手は刺繍が施された美しい布を撫で、夫の老いた肌を洗っていたその手はまっさらなボードの上で言葉を紡ぎ始めた。ハワのささやかな夢が動き出した矢先、長女の元夫と暮らす孫娘のザハラーが支配的な父親から逃れてきた。母親に代わって彼女を引き取り、共に読み書きを学ぶハワ。しかし、タリバンによる襲撃と占領は日に日に進み、ザハラーと彼女を匿う家族にも命の危険が迫る。2021年8月、カーブル陥落。報道の自由を封殺する動きも強まり、ナジーバは兄のアリーにカメラを託し母国を離れることに」 Twitterへは「アフガンのドキュメンタリー。タリバン情勢はすべてテレビのニュース画面。母親の手習いや布売りの様子はわずかしか描かれず。13歳少女の親権がどーのはよく分からん。うじゃうじゃいる家族その他は誰が誰やら。あとはのらくら母親の話を。」「アメリカがアフガンを去り、タリバン政権下になってジャーナリストは危険だから、と監督はさっさとフランスに逃げてしまい、残りの映像は現地の弟に撮らせてる。その弟はタリバンにボコボコにされるという・・・。なんだよ。腰抜けかよ。と、思っちゃうな。」 冒頭は、飛行機の窓からの地上の景色。アフガンかと思ったらフランスで、なんで? と思ったら時間を巻き戻してなのか、アフガンの様子が映る。アメリカ軍が引き上げてタリバン勢力が巻き返している、困った困ったな感じ。でも、アメリカさん行かないで、というような気配はない。かといって、国内で反タリバン勢力が抵抗しているような感じもない。町は平穏で、のんびりしている。タリバンを支持する国民も多いのだろうか。気になるところだ。 映画は主に母親を映す。13歳で30歳上の男と結婚したけど、亭主はいま痴呆症であれこれ文句を言ったりする。母親は、もっと勉強がしたかった、女も教育が必要だよ、的なことを言うんだけど、いったい13歳で嫁に来た女性がこういう考えに至ったのは、なぜなのか? そうした、本来なら自立した女性が考えるようなことをなぜするようになったのか。は、知りたいよね。娘のひとりを、この映画の監督に育て上げているのだから。で、監督本人らしい女性も、鏡に映る。けど、主体的に母親に問いかけたりなんだりはしてなかったような…。母親は、字を習いたいらしく、小学生向けの学習帳のようなのを何冊か買う。ではそれで必死に練習・学習するかというと、そんな感じではない。同時に母親が考えているのは、布のビジネスだったりする。布を仕入れ、知り合いに刺繍させて売る仕事をしようと考えている、らしい。この2つの母親の行動は、途中で映像として描かれなくなって、なんか拍子抜け。 といった内容の映像が、素人のホームビデオみたいな感じでだらだらのらくら映るだけなので、睡魔がやってきた。完全に寝なかったけど、半睡状態で目を開けたりつむったりしてた。 いつのまにか、母親と同じ丸顔の女性がその娘らしいのをつれてきていて、他の男たちもいて、なにか話している。娘の親権がどーの、とかいってるけど、半睡のときに経緯が説明されたのか、よく分からない。↑のあらすじの「長女の元夫と暮らす孫娘のザハラーが支配的な父親から逃れてきた。母親に代わって彼女を引き取り、共に読み書きを学ぶハワ。」のくだりだろう。この孫娘も13歳で、結婚させられそうになっているようだ。しかし、アフガンの娘は13歳で結婚するのが習わしなのか? その支配的な父親というのは、タリバン支持派なのか? てなことは皆目分からない。 母親には子供が監督を含め6人いるようだけど、登場していても誰が誰やらちっとも分からない。もしかしたら叔父や叔母もいたりするのか? でも。説明はないので分からない。ほんと、イラつく。孫娘と字を学ぶ場面は少し出てくるけど、母親が懸命に練習している感じではない。なんか、だらだらやってる感じ。 という流れの中で、テレビのニュースがときどき映る。タリバンがどこどこの町を落としたとかいう話で、そのうち大統領が国外に逃げた、てな話も出てくる。自由を求めてデモをする女性たちのニュース映像もあった。けれど、監督自身がその現場に行っている様子はない。カメラは街中のタリバンを映すわけではない。町の風景なんかは、大して映らない。あいかわらずホームビデオみたいな映像だ。 と、思ったら、監督のナレーションで、ジャーナリストはタリバンに狙われるので、国外に逃げることにした。飛行機も確保できた。なことをいい、監督はフランスに逃げ、後の撮影は弟に任せた、てなことをいう。ところが、その弟が街頭で撮影していたらタリバン(?)に囲まれボコボコにされ、危険を感じた、とかいっている。その弟や母親と、監督はスマホでFaceTimeみたいので話している。なんだよ、自分はさっさと逃げて、危険なことは弟に任せてるのかよ。どこがジャーナリストだ、と思ってしまった。 てな感じで、切れ味はひどく鈍くて、母親が手習いをする話が主かと思ったらそんなことはなくて、拍子抜け。布のビジネスの方も、布をカバンかなんかに詰めている場面が映っていたけど、あれはどういうことなんだろう。計画倒れ? なんかもやもやするドキュメンタリーだったな。監督は、反タリバンなんだろうけど、アメリカが去ってしまったことについては、どう考えているのだろう。ずっと駐留してタリバンを牽制して欲しかったのだろうか? それとも、アフガン人は自立すべき、と思っているのだろうか。でも、タリバンが政権を奪還したら、それは自立ではないと考えているのだろうか。でも、タリバン支持の国民が多いからそうなったんじゃないの? では、どうしたいの? と、監督さんの立場を知りたくなる。けれど、逃げちゃってるかになあ。自由主義の世界を願っているのか。原理主義ではないイスラム社会、ということか。 アフガンは、他の中東諸国とどういう関係にあるのか、もよく分からなかった。観客は、自分で勉強しろってか? いやいや、ここまでメッセージ性が弱いと、映画のインパクトもいまいちな気がしちゃうよな。 | ||||
| 白パンと独裁者 | 8/10 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ファティ・アキン | 脚本/ハーク・ボーム、ファティ・アキン |
| 最初にワーナー・ブラザースのロゴが出て驚いた。ドイツ映画。原題は“Amrum”で、舞台となる島の名前。公式HPのあらすじは「第二次世界大戦末期、本土へ向かう爆撃機が上空を飛行する中、ドイツ北部に位置するアムルム島はどこか美しく、楽園のような静寂を保っていた。戦地から疎開してきた12歳の少年ナニングは、父に代わり農作業で得たわずかな食糧で身重の母と幼い弟、叔母ら家族を支えている。 島民たちが終戦を待ち望むなか、ナチス国家、ひいてはヒトラーへの忠誠を信じて疑わない母・ヒレ。しかし、ラジオがその死を告げた瞬間、彼女は取り乱し、家族の日常も一変していく。生気を失い、食事を拒むヒレが唯一欲したのは、たっぷりのバターとはちみつが塗られた白パンだった…。母の願いを叶えるための冒険の中で、ナチスへの忠誠が当たり前だった少年が目にする、戦争の終わりと家族の秘密。彼が守りたかった世界を揺るがす、静かなる衝撃が明かされる。」 Twitterへは「疎開先の小島で暮らすユーゲントな少年。もちろん両親はヒトラー万歳。なんだけど大戦末期で…な話で設定は興味深い。でも、いろいろ散漫なところもあって、あとは想像しろ、な感じも。まあ、ツメが甘いのかな。ちなみに独裁者は登場しない。」 まず、いろいろ設定が分かりにくい。初めのうちは分からないけど、次第に分かってくる、がうまい見せ方だと思うんだけど、この映画は次第に分かってこないつくりになっている。だから、なんとなく分かりはするけど、細かなところで「?」のままのところが多いので、イラつく。そのあたりがカチッとしていると、もうちょっと心にハマったかも知れない。 冒頭で環礁みたいのが映るけど、あれが題名にもなっているアムルム島なんだな。 そこに住む少年ナニング。友だちヘルマンがやってきて、父の書斎のようなところに迎え入れ、これが父の著作だ、とかいって紹介する。で、『白鯨』を貸す。ではこの家はナニングの家なのかと思うと、どーも様子が違う。学校の友だちなどからは、「島民じゃない!」「本土人!」などと揶揄されたりする。たしかに、ハンブルグからやってきた、らしい。でもナニングは、自分の島民だ! とやり返したりしている。とういうことなんだ? ナニングは、母と弟、叔母と暮らしている、ように当初は見えた。母はガチガチのヒトラー信者。叔母はわりと冷静な感じ。後の方で叔母が「この家の半分は私のもの」といっているから、姉妹なのだろう。で、ナニングと母親、子供たちはハンブルグに家があるのか? 母もこの家で生まれたけど親衛隊の男と結婚し、本土に移住。で、戦争末期でソ連軍が迫ってきたから疎開なのか。では、なぜ生家に親衛隊の父親の書籍がたくさんあるのだ? 両親はすでに他界、なのか? 叔母は行かず後家なのか? なところがはっきりしない。 地元の子の大半がナニングを揶揄するのに、なぜヘルマンだけは親しく接してくれるのだろう? 近所だから? このあたり説得力がないな。 とかね、いろいろもやもやなままなのだ。 でまあ、この話のキモの部分は、わりとありきたり。戦況は劣勢でソ連軍がベルリンの50キロ付近に迫り、ヒトラーは自決。その報を聞いて母親は産気づき、出産はしたが落ち込んで寝てばかり。「白パンにバターと蜂蜜をたべたい」とナニングに言う。パン屋に行っても小麦粉はないと言われ、養蜂場でも蜂蜜はない、といわれる。バターも入手困難。母に元気になって欲しくて、ナニングは右往左往。ヨタヨタと素材集めをする ・小麦は医師からクスリがわりに分けてもらってもの。でも、できあがったパンは、どうみたってあの粉の量は少なすぎる。ところで、粉を持ったまま海に入っていき、途中でもどってきて、でも自転車(叔母のもの)は流されてしまう、というくだりは、ありゃなんなんだ? 潮の満ち引きで時間によって通れるところ、通れなくなるところがあるのか? 説明がないので分からない。 ・叔母のところ(だよな。別の家だっけ? あの百姓のところか? )では大家から預かってる(とか言ってたっけ?)鶏がいて、その卵を調達しようとしたら叔母に咎められてしまう。そんなの、さっさと失敬すればいいじゃないか。それで鵞鳥の卵をせしめてくる。けど、パンを焼くころには卵は傷んでるんじゃないのか? と気になった。 ・敗戦直後、ナニングは小麦をくれた医師のところに寄るんだが、すでに医師は軍服を着て自決していた。さっさと逃げるかと思いきや、ナニングは冷蔵庫からバターを拝借し、トンズラする。結構、度胸があるじゃん。 ・蜂蜜は、少ないところを分けてもらってた。あれはお金を払ったのかな。 なんとか集めた素材でパン屋で白パンを焼いてもらうが、小さなパンでしかない。それでも、バターを塗り、蜂蜜を塗って母親の部屋に持っていくと、母親はそんなことはもう忘れていて、「台所に置いといて」といわれ、そうすると、そのパンは弟に食べられてしまう。という、コメディかよ、な結末なのだ。母親に元気になって欲しいという気持ちなんだろうけど、そんな話を真に受けてあれこれする様子が、アホに見える。なので、主軸になっているこの白パン話は、正直いってつまらない。その理由のひとつに、ナニングの母親に対する感情がよく見えないところがあるからだ。母に大切にされてる感じもない。母に優しくしてもらいたい、という気持ちも感じられない。なんか素っ気ないのだよな。それと、ナニングは両親の影響なのかユーゲントな恰好をすることがある。島では、他にそんな奴はすくない。はたしてナニングは、両親は尊敬していたとして、ヒトラーについてはどう思っていたのか。そのあたりがもやもやする。ナニングもヒトラー主義で、ヒトラーの自決や敗戦で前途に絶望、なら分かるけど、そんな感じではないのだよな。 おもしろいエピソードがある。ナニングは農場で手伝いをしているんだけど、ここのオバさんテッサはがらっぱちで。「もうじき戦争は終わる」てなことを子供や他の働き手の前で口にしたりする。それを聞いているナニングだけど、母親に直接は告げ口しない。食事のとき「もうすぐ戦争は終わるの?」と問うたぐらいだ。けれど母親は、「誰がそんなことを言った」としつこく責める。叔母が、いいじゃないの、そんなこと、といっても「誰が行った? テッサね」と判断し、警察? に通告する。のちに警察がテッサのところにやってきて、重大な犯罪だ、召喚するからな、と言い置いて去って行く。まあ、終戦間近なので召喚はないのだけど。もしナニングがヒトラー主義者なら、テッサが反国家的なことを言っていた、というだろうに、そうはしていない。このあたりに、ナニングの、ユーゲントになりきれてないところが見える。まあ、両親に好かれようとしてやってたのかもね。でも、それなら両親から少し疎外されていたという設定にすれば分かりやすかったのにね。 あと、謎のテオ、の存在がある。母親の従兄弟、だっけ。家の過去の宝箱みたいなところにおさめられていたナイフ、そして、テオと女性の写真。わからないままだったんだけど、ナニングとヘルマンが母の滋養のためとウサギを捕まえ、ヘルマンの祖父に解体の仕方を教わるとき、祖父がテオの話をしていたようだけど、字幕なのと集中が足りなかったせいで、理解できずだった。ウェブで調べたら、「彼はかつてユダヤ人女性のルートと結婚することを望んでいましたが、彼女はナチスの強制収容所で命を落としてしまいました。テオ自身はその後アメリカへと渡っています。」と書かれているのを見つけた。そんな大事なことを、あんな場所でいうかね、と。また、その話を聞いて、ヘルマンはどう思ったのか? ナチがユダヤ人を虐殺しているとか収容所があるとか、については、両親はべつとして、ヘルマンは知る立場にあったのか? 気になるね。まあ、聞き逃したこちらも悪いんだが。で、そのテオが残したというナイフには、どういう意味があるんだ? とくにないよな。 あとは、同胞の疎開者の話しか。島に、結構な数の、ボロボロの少年少女がぞろぞろやってくるんだが、島外者として学校の連中は疎外したりする。まあ、島の人にとっては迷惑な存在なんだろう。で、彼らについてちゃんと描写しないのも、じれったい。 ナニングがあるときヘルマンの祖父だったか、がヒラメみたいのの燻製づくりをしていて、それを手伝ったら何枚か分けてもらってた。それをもって帰ろうとしたら、何人かの少年たちに襲われ、魚を奪われてしまう。あの襲った少年たちは、汚い疎開者の一部、なのか? もともとの島民なのか? よく分からなかった。その後、ナニングがこっそりいただいてきたバターをもって海岸を歩いていると、年長の少年と少女に襲われる、ということがあった。なんとか逃げたんだけど、少年は泳げず、溺れかける。それをナニングが助けるんだけど、あれは、食いものに飢えた疎開少年が地元の子供を襲ってるのか。そんなことがあれば、地元の大人がタダじゃおかないと思うんだけど…。でね、このときの少年と少女が、ラストでまた登場するんだよ。唐突に。 さて。戦争が終わって、打ちひしがれる母親。叔母は、ヒトラーの御真影をかまどにくべてしまう。村のあちこちで、鍵十字の赤い旗が降ろされていく。なんだ。もとからの住民たちも、心の中じゃ反ヒトラーだったのか。けど国家警察もいたし、大きな声では言えなかった、というわけか。で、母親はヘルマンと幼い赤ん坊を乳母車に乗せて肉屋に行き、配給券で肉を買おうとするが、配給券は使えず、ドルかポンドなら売れる、と言われてしまう。しかし、敗戦から何日目か知らないけど、ドラスティックな変化だね。それで母親は、店先のソーセージを1本こっそりもって来るんだけど、肉屋に追われ、衆人環視の中で「返せ」と責められる。これまた、生粋のヒトラー信者と、心の底では反ヒトラーだった住人の立場の変化があって興味深い。で、母親と叔母、ナニングと弟、それと、ほとんど映ってなかったけど2歳ぐらいの妹もいたんだな、と赤ん坊とは、家を離れることに。どうやら家を売って本土に移住するらしい。昔からの住民なのに、生家も売り払って去って行く、のか。ヘルマンがやってきて、『白鯨』を返そうとするけど、ナニングは、もっててくれ、という。しかし、家は売っても、あの蔵書や家具はどうするんだろうと気になるね。 で、荷車がヨタヨタしてると、声がかかる。いつか溺れた少年を助けたときに一緒にいた娘が、ナニングにミサンガみたいのを手渡すのだ。ああ、そういえばこの娘、最初にやってきたとき集団の中にいたな。しかし、接点としては少年が溺れたときしかないのに、ラストシーンで印象的に登場させるのは、どういうこと? というわけで、本筋の白パンの話は、だからどうしただったけど、いろいろ散りばめられていたエピソードは興味深いものがある。といっても説明不足が多いので、消化不足だけど。 ・冒頭近く、爆撃機が何機も農場の上空を飛んでいは、海上に爆弾を落としていく。これにオバさんは「バラストだ」というんだけど、あれはどういう意味? 爆撃機は、西側のもの? ・ナニングが海岸で発見した戦死者は、ありゃドイツ側? 英米側? どういう意味があるんだろ。 ・農場の威勢のいい女・テッサはダイアン・クルーガーだったのか…! 気がつかず。 | ||||
| 撃たれた自由の声を撮れ | 8/17 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2 | 監督/ザイナブ・エンテザール | 撮影/ザイナブ・エンテザール |
| アフガニスタン映画。原題は“Shot the Voice of Freedom”。公式HPのあらすじは「米軍が撤退し、タリバンが首都カーブルを含むほぼ全土を掌握。20年にわたる民主政権が崩壊した。タリバン復権によってふたたび女性たちは外で働く場を失い、教育の機会を奪われ、少女たちは親よりも年の離れた男たちと結婚させられ、家に閉じ込められる…。ラシュミンとナスタランの姉妹は、ほかの女性たちと共に街に出ては声を上げる。「私たちはひるまない」。銃を構えた男たちに言い放ち、この国の現状を発信すべくスカーフにスマートフォンを隠し撮影する。親族宅などを転々としながら抵抗を続けるが、家父長制が支配する社会。デモに参加する女性たちを父親は軽蔑し、隣人からの密告にも怯える日々だ。殺されるかもしれない、血の凍る思いをしてもなお街に飛び出していくラシュミン。次世代に同じ苦しみを経験させたくない、その想いが彼女を突き動かす。「未来の子どもたちだけは私たちアフガン女性を誇りに思うはず」。」 Twitterへは「タリバン制圧後のアフガンで、女性の人権を訴え「仕事、パン、教育!」をスローガンにデモ活動をするオバサンたち。タリバンがうろうろしてるなか、スマホで隠し撮り。空砲で脅されたりしてなかなかの緊張感だった。」 予告編を見たら、先日見た『ハワの手習い』とおなじくアフガンのドキュメンタリーで、さては同じ監督がハードな視点とソフトな視点から撮った2部作か? と思ったら別の監督の作品らしい。相互に関係はないのか。よくわからんが。 アメリカが2021年に撤退するとタリバンが復活。すぐさま全土を制圧し、国民とくに女性への抑圧を強めたころの話らしい。ラシュミンとナスタランという2姉妹がいて、2人がリードして女性だけのデモを積極的に行っているらしい。監督は彼女らに同行し、スカーフで隠したスマホで撮影していたのかな。姉妹が撮ったのか。そのあたりはよく分からない。 『ハワの手習い』では街中の様子は撮られていなかった。一方のこちらは、街中で集まってプラカード代わりの紙に書いたメッセージを掲げたり、「仕事、パン、教育!」とコールしながら行進する姿も映っている。そのうちタリバンもやってきて罵声を浴びせたり、彼女たちを撮ったりし始める。 姉妹は、「自分たちの行動がUN(国連)で取り上げられているか気にするけれど、されていないと分かるとがっかり、な感じ。 こうした抗議行為をある女子校の前でやっていたら、中から関係者が出て来て「ここでやらないでくれ」と言いはじめる。女子校自体が閉鎖され、女性に学習の権利は失われている。それを姉妹たちは訴えるのだが、当事者である学校の関係者は、怖がってるだけ。自分たちが主導していると思われたくないので、あっちへいけ、と言っているようだ。 しかし、最初の敵は父親と兄弟、というのもひどい話だ。一般社会でもタリバンの原理主義は定着しているのか? とくに、男性による女性蔑視は。デモ後に逃げるときタクシーで姉妹らが話していると、運転手が「500人ぐらいいるなら分かるけど、1人で向かうのは無茶だ」という。そんなことは分かっているけど、タリバンを怖がって女性も男性もデモには参加しないのだろう。 姉妹の片方がこんなことを言っていた。「男はタリバンに捕まっても、釈放されると、抵抗した奴だ、と英雄になれる。女は、たとえレイプされなくても、釈放後は一家の恥になってしまう」と。ますます女性は声を上げにくくなる。そして、タリバンの女性蔑視は、ひどいものだ。 デモの最中に銃声。カメラが揺れてわけが分からなくなる。どうもタリバンによる空砲での脅し、らしい。それでも転倒し、怪我をする参加者が。どっかの店のトイレに逃げ込み、怪我の様子を確認したり対策を練ったり。背後に映る店員が「出ていけ」と言うわけでもないので、嫌われてはいないのだろう。でも、「店員が、出てってもらいたそうだから」なんていう参加者の声も聞こえる。まあ、そうだろう。自分だってタリバンに狙われたくない。 そのうち、姉妹やデモ参加者たちは自宅にいられなくなったのか。写真撮られて特定されたのかな。で、どっかのシェルターのようなところにみなして隠れていたようだけど、捕まってしまい…。タリバン側のニュース画像で、姉妹などデモ参加者が映され、仲間の名前を言ったりしている。おや、どうしたんだ。姉妹はしばらく後に釈放され、いまはフランスに脱出し、そこで反タリバンの抗議活動をしている様子が映る。どーも拷問じみたことが行われ、むりやり自白・反省の様子がタリバンに撮られ、ニュースで流されたようだ。意に反して…。 こうしたアフガンでの様子に諸外国が関心を持たず、あいかわらずタリバンが女性から教育や就業の権利を奪っているようだ。若年婚も多く、13歳ぐらいの少女がタリバンの妻になっている例もあるらしい。これは『ハワの手習い』にも描かれていたけれど、アフガン男性の多くもタリバンと同じ考えなのか。 『ハワの手習い』では感じられない緊張感、リアルな現場が映されていて、なかなかハードな内容だ。けど、背景に関する考察やメッセージが少なすぎる気がした。とくにこの映画は70分と短い。なら、これまでの歴史=経緯や現状、関係者や支援者へのインタビューも交えて、アフガンに理解の薄い観客への関心を掘り起こすようなことをしたほうがいいんじゃないの? とも思ったね。 しかし、拷問や死の恐怖にもめげず、声を上げ続けている女性がいるんだな。 | ||||
| ヒトラーの毒見役 | 8/19 | 新宿武蔵野館2 | 監督/シルヴィオ・ソルディーニ | 脚本/ドリアーナ・レオンデフ、シルヴィオ・ソルディーニ、ルチオ・リッカ、クリスチナ・コメンチーニ、ジュリア・カレンダ、イラリア・マッキア |
| イタリア/ベルギー/スイス映画。原題は“Le assaggiatrici”。DeepLで聞いたら「試食係」ですと。公式HPのあらすじは「1943年、第二次世界大戦末期。ベルリンの爆撃を逃れ、義両親のいる田舎町で戦地にいる夫の帰りを待つローザ。その場所は“狼の巣”と呼ばれる、ヒトラーの総統大本営「ヴォルフスシャンツェ」がある森の近くだった。ある日、彼女はヒトラーの毒見役に命じられ、他の若い女性たちとともに、親衛隊から銃を突き付けられながら食事をすることに。ヒトラーが食す最高の料理を、死と隣合わせの最悪な状況で口にする苦悩の日々。そして1944年7月、総統大本営でヒトラー暗殺を狙うクーデター(7月20日事件)が勃発。戦局が混迷を極める中、彼女たちの運命は」 Twitterへは「毒見の話だけで2時間持つのか? な通りムダなエピソードが多い。調理や盛り付けの様子はまったくなく、毒見女の尻軽な様子ばかり目立つ。それも唐突すぎて驚くレベル。毒見をしたという女性は1人実際にいたようだけど、ほぼフィクションだな。」 相変わらず色んな視点からの反ナチ映画がつくられつづけてる。予告編でも『真実と反逆 ナチスと闘った若きレジスタンス』ってのをやってた。見たい人がいるからなのか、ユダヤの陰謀か。まあ、どうでもいいけど、手を替え品を替えドイツ兵はいつも嫌な奴に描かれる。ところで、ドイツ資本は入ってないのだな。へー、な感じがした。 毒味役だけじゃ2時間もたないだろう、と思ったので、どいうい入れ事を仕掛けてくるのかなと思ったら、大したことがないのでちょっとがっかり。 せいぜいあるのは… ・ある女性の妊娠話 ・亭主が死んだ、ゆくえ不明、での女同士での喧嘩 ・蜂蜜による中毒 ・ローザのドイツ中尉との浮気 ・ヒトラー暗殺の爆破事件 ぐらいなもので、決定的にドラマの流れを変えるものではない。その意味で、この映画にドラマチックは、ないといっていいかも。 女性の妊娠話は、亭主は出征中だか戦死だか覚えてないけど子供が数人いて、その世話をしてくれている少年がいる。この少年は、親戚? 近所の子? か忘れたけど、そんな関係から親しくなって少年とまぐわって妊娠してしまう、という話だ。この時期は神聖なるドイツ人の子を堕胎するのは罪悪だったようだ。産めよ増やせよ、だっかのか。そういうことは、あらかじめちゃんと言っておいて欲しいね。伏線で。そうすれば、妊娠も、なるほど、と思えるわけだし。でまあ、毒見役メンバーのひとりが看護婦でうまく処理する、という話だった。なんか、銃後の女も節操がないな、という印象しか受けなかった。しかし、のちにこの元看護婦がドイツ中尉に「お前が処理したんだろ」といわれるんだけど、どっからの情報だったんだ? 気になるよな。 女の喧嘩は、さらっと終わってしまった。遺恨も残らず? ってか、喧嘩の相手は誰だったのか、よく分からなかったし。そう、この映画、毒見役の女性個々がキャラ立ちしてないんだよ。ローザを含め7人いて、最初に陽気に食べてた小太りは、その後はほとんど機能せず。そして、妊娠する女も、ほぼそこだけ。あとは元看護婦にして実はユダヤ人という、ローザが気を許す女性。それ以外は、ほとんど区別できないし、機能していない。2時間余の尺なんだから、個人の掘り下げだってできるだろうに。それがあれば、もうすこしマシな映画になったような気がする。 ある日、3人が嘔吐。でテーブルは緊張に包まれる。が、その理由はずっと明かされず。あとから毒見仲間が「あれは毒のある花の蜜をもとにつくったデザートが原因」とローザに話していたけど、正式にドイツ兵や料理長からいわれてはいなかった。あれじゃ毒見役は不安になるだけだろ。 ローザの存在も、なんか曖昧。冒頭は、ローザが夫の生家にやってくる場面で。あちこちに兵隊がいたけど・・・というと、義父が「ヒトラーの総統大本営がある」と教える。なーんだ、みんな知ってるのか。はいいんだが、ここにやってきたのは戦地の夫からの手紙の指示だったっけ? でも、結婚してすぐ夫は出征し、子供をつくるヒマもなかった的なことを毒見役仲間に話していた。で、義両親も「ここには秘書の仕事はないわよ」といっていたということは、ベルリンでは事務仕事をしていて、でも危険なってきたから疎開、ということか? てなところが説明不十分なんだよな。で、速攻でドイツ兵から毒見役に招集されるんだけど、ドイツ兵は国民の移動・住所の変更を把握してるってことなのか? でなきゃ、どうやってローザが夫の家にいることを知ったんだ? それに、毒見役に耐えうる健康な心身も考慮したんだろ? てな経緯も、気になる。 でそのローザは、ちょい毒見で反抗的な態度を示しはするんだけど、夜な夜な家の窓をライトで照らされて。気になってでていくとドイツ兵がいて、いきなり抱きあってキスなので、これは、戦地からの報告で夫は行方不明、となっていたけど実は敵前逃亡で逃げてきたとの再会か? と思ったら義両親も呼ばず、納屋で一発。あまりにもドイツ兵が早く終わっちゃったし、これは久しぶりの夫婦の性交で興奮した夫がさっさと行っちゃったのか? と思ったんだけど、どーも違う。さて、この相手は誰なんだ? 毒見役担当の兵隊と、後から赴任してきた中尉ぐらいしか思い浮かばないんだが…。と思ったら、その中尉殿だった。げげ。この中尉との接点は、ローザがレコードかラジオの鳴っている部屋に近づいたとき話しかけられ、おいおい何してる? ベルリンで合唱団にいたので…、だったら歌って見ろ。という会話があったきり。それが、中尉殿は夜這いで、誘われたローザは嫌がりもせず大股開きなのかい! なんだこの節操のなさは。がっかりだな。夫の帰りを待ちつつ、行方不明の連絡で落ち込んでいる貞節な妻かと思ったら。以後、たびたび納屋でむつみ合う中尉とローザ。義父母もこれに気づかないのか! とイライラしたね。 ある日、毒見中に爆発音。暗殺計画が実行されたらしい。しかし、単にそれだけ。あいかわらず総統大本営の様子は映らないし、もちろんヒトラーの食事も映らない。 そういえば、毒見の最初に料理長が料理の説明をするんだけど。あっさり、なんだよね。厨房の様子は映らないし、ヒトラーの食事の場面もない。延々と、総統が食べる前の料理が器に盛られ、彼女たちが食べるだけ。料理もろくに映らず、とてもうまそうには見えない。このあたりもっと工夫できたろうに。 えーと。ヒトラーの自死はニュースとか情報でだてきてたっけ? 覚えてないよ。で、突然なぜか知らんが、ローザはベルリンに行くという。毒見役の面々はドイツ敗北を願っていたようね。でも戦況は分かってないみたいで、「攻め込んでいる」という言葉に、「ドイツがロシアに?」なんていってる仲間もいた。真実は隠されていたのか、実はダダ漏れだったのか。よく分からん。で、総統大本営は閉鎖されると言うことになったらしく、列車が稼働するという。ローザは列車に乗ろうとして、中尉殿に頼み込む。中尉殿は、もう一発やらせろ的に迫ってきたけど振り切ってしまう。でも、武士の情けか中尉殿から許可が下りて。で、元看護婦も一緒に当日、ボランティアということで病室列車に乗り込むんだけど、元看護婦と一緒だというところを中尉殿に見られてしまう。中尉殿は、こんどは見逃さず、発車間近の車両から逃亡した2人を追って、元看護婦を背後から射殺する。中尉殿は、彼女がユダヤ人ということを知っていた、という。しかし、いつどうやって知ったのか? 知っていながら毒見役を続けさせていたのか? には言及なし。なんだよ。 中尉殿は、射殺された元看護婦にすがりついているローザを引き剥がし、肩にかついで、発車したばかりの列車の貨物車両みたいなところに放り込む。気づいたローザは、半身を起こしたまま列車に揺られている。というところで、映画は終わる。のだけれど、ローザってやってきたときは列車だったのか? 歩いて来たのか? ベルリンに戻るにも、軍の列車に乗らなければならなかったのか? ムリしてそんなことせず、徒歩とかヒッチハイクでベルリンに向かうはできなかったのか? という疑問も湧いてきてしまう。 しかし、同胞のドイツ人に毒見役を強制するドイツ兵も根性がないな、という感じの映画だった。毒見役にユダヤ人ばかりを選んでいた、というなら、なるほど、なんだけど。あるいは、ヒトラーへの忠誠心があるなら兵隊が代わりばんこに毒見すりゃいいじゃないか。肝っ玉の小さい奴らだ。と思ったけど、まあ観客にそう思わせるのが主眼なのかもな。 | ||||
| 左利きの少女 | 8/24 | ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1 | 監督/ツォウ・シーチン | 脚本/ツォウ・シーチン、ショーン・ベイカー |
| 英題は“Left-Handed Girl”。公式HPのあらすじは「台北、夜市・麺屋台。5歳のイージンは、借金を背負ったシングル・マザーのシューフェンとハイティーンの姉イーアンとともに生活を立て直すべく田舎町から舞い戻る。ある日、昔気質の祖父に利き手である左手を“悪魔の手”とそしられ、罪悪感を抱きはじめたイージン。その悪魔の手は図らずも、家族それぞれがひた隠しにする〈罪〉をあぶり出していく…。」 Twitterへは「台北。バイク、アメ横みたいな夜市、駆け抜ける少女…。日銭稼ぎ。舞い込むトラブル。三世代にわたって無茶苦茶でダメな女たち。でも不屈。テンポよくエネルギッシュに。めげずに疾走していく。5歳の女の子(左利き)が逞しくて可愛い。」 はっきり言ってムチャクチャな一家(一族)だ。田舎から台北に戻ってきた経緯はよく分からないのだけれど、仕切り直し、なのか母親のシューフェンは、東京で言ったらアメ横みたいなところで半屋台みたいな麺屋を始める。経験がないとできないだろうから、これまでもやってきたのか。娘のイーアンは、ハイティーン(なのか? ラストのネタばらしから思うに、もっと上かと思うけど。仮に19歳とするか)は、肌を見せるような店で、でも性産業ではなく、タバコとかその類のもの(嗜好品?)を売っている。妹のイージンは、逞しく母親の仕事を手伝ったり、となりの何でも屋のオヤジと仲よくしたりしてる。 シューフェンの両親は同じ台北のマンションに住んでいて、母親(祖母)の方は、ずっと後の方まで明らかにならないのだけれど、闇の商売に手を染めているらしい。父親(祖阿)は、何もしないでゴロゴロしている。シューフェンら3人が祖父母に挨拶に行くと、イージンは左利きを祖父に見とがめられ、悪魔の手だから直せ、と強く言われる。いまどき因習にとらわれてるジジイだな。 シューフェンには2人の姉妹と長男がいて、彼らも得体が知れなくて、本音ではマンションを誰が相続するかとか、対立があるらしい。 なところに、かつて家を出ていったシューフェンの亭主が危篤状態で、声も出ない状態という連絡が入る。いまだに連絡があるというのが信じられないが、シューフェンは病院に面会に行き、世話をする。イーアンは「あんな人はほっとけ。あの人の借金も返したりしたし、私たちを棄てていった人だ」とシューフェンにいうのだけれど、シューフェンは元亭主を見捨てられない。シューフェンは「そんなことを言ったって、父親なんだから会いに行け」というが、イーアンは「会いに行かない」といいつつ、イージンを連れて病院に行く。けちょんけちょんに言い、別の男もできた、と父親に言ったのは、イージンの父親のことを示唆しているのだろう。…実は、そんな男はいないというのが、最後に分かるんだけど。 そのうち元亭主は亡くなり、シューフェンは自腹を切って葬儀までだしてやる。イーアンは「そんな義理はない!」というが、いるんだよな、世の中には、ダメな男に惚れちゃう女ってのが。きっとシューフェンはその類で、暴力を振るわれ、借金を背負わされ、棄てられても、忘れられない相手、なんだろう。 そんなシューフェンにいいよってくるのが、隣の何でも屋のオヤジ。とくに気があるわけでも亡いのに自室に呼び込んで二人で飲んで。酔いに任せてオヤジにいいようにさせようとする、のだけれど、肝心なときに自分から酔い潰れてしまう。やれやれ、とオヤジが身繕いしているところにイーアンがもどってきて、うさん臭く見たりする。まったく、シューフェンも尻が軽い。まあ、つねに誰か男にいて欲しいと思うタイプなのか。 な、母親の性癖はイーアンにも遺伝しているのか。店の店長といい関係で。仕事中にバックでバコバコやったり、フェラしてやったり。どーしようもねえな。と思ってたら、たまたま出会った高校時代の友人がいて、パーティに誘われる。その友人はいま、大学生。彼女が言うには、高校の時には勉強ができてトップ3のレベルだったのに。学校やめちゃって・・・。ってことは、まんざらのバカではないらしい。と思っていたら、パーティに来ていた男子がイーアンに、店で声をかけるような感じで寄ってきた。イーアンの仕事内容を知っていて、からかってきたのだろう。ムッとしたイーアンは、パーティ会場を抜け出す。 なんてことしてたら、仕事場でイーアンは、突然嘔吐。妊娠チェックしてるから、そうなんだろう。でも、どうにか自力で堕ろしてしまったようだ。そんなことできるのか知らんけど。 イージンは、祖父から悪魔の手、と呼ばれた左手をタオルでくるんでしまい、近所の店を徘徊しては万引きの連続。このくだりの合理的説明は良く分からないんだけど、まあ、悪魔の手だから悪いことをする、を正当化して盗みまくっていたと言うことか。でも、欲しいものを盗るのではなく、盗ること自体が目的みたいな感じに見える。そのイージンの左手は、あるとき祖父母の家に行ったときも盗みを働いて、机の上にあった封筒をかっさらってきてしまう。 イージンは、その封筒を室屋に持ち込む。かつてシューフェンが時計だか貴金属だかを質入れしたときついてきていて。金に換える場所、ということを知っていたのだ。実はこの間、シューフェンは大家に家賃の滞納で責められていたのだ。たださえうり上げが少ないのに、元亭主の葬式代まで出したので、すかんぴん。何でも屋のオヤジが「貸してやるよ」というのを拒否して、なんとかしようとしていた時期だった。ということは、この頃は、何でも屋のオヤジに頼ろうという気はなかったというわけで。元亭主に操を立てていたということか。気丈だね。 で、直後、分かるのは、祖母が不正な移民に関わっていたらしいこと。アメリカに移住したい女性たちのパスポートを手配し、ともに渡米してとかなんとかなんとかしていたらしい。同じような手口が発覚して逮捕されたとかいうニュースがテレビに流れている。ところが、移民局だか警察が祖母宅を家宅捜査したけれど、なんの証拠も見つからず。つまり、イージンの悪魔の手が証拠となるパスポートを盗んだおかげで、祖母は逮捕を免れた、というわけだ。悪魔の手どころか、神の手だ! と祖母は大感謝。 さて、ビジネスマンの長男が、祖父母(両親とも?)の還暦祝いのパーティを企画して。一家、親戚も集まって店で沿海の真っ最中。なんと、シューフェンは、何でも屋の店長を「彼氏」といって連れてきて、着席させる。そこにやってきたのは、イーアンの働いていた(確かやめていた。店長の興味が店の新人の女の子に向いていたこともあって)店の店長と、その女房が闖入してくる。曰く。「生まれてくる子が男なら、費用すべて持って引き取る。亭主の浮気はめをつむる」と。へー。台北でも、男子誕生礼賛の考えがいまでもあるのか。そして、男子なら、婚外子でも(浮気相手の子)でも構わない、というのか。へー。ちょっと驚き。というバトルを大きな声で会場で話し始めて、出席者はドン引き。と思ったら、イーアンが天誅夫婦に言い返す。「そんな子供はもういないよ。始末した。お前の亭主はいつも避妊もせず中出しだった」と。あわてて引き返す店長夫婦。 そしてさらに、白けている会場で、息子は両親を持ち上げる司会進行。そこでイーアンはイージンに耳打ち。で、イージンが祖父母に放った言葉は、「ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、おめでとう」だった。イーアン曰く「イージンは私が産んだ子。それを妹として育ててきたんだよ」と。なるほど。歳の離れた姉妹の真実は、これか! おお。ドカン! な展開だ。声の出ない祖父母。そしてシューフェン! そして、日常が戻り、店ではシューフェンが指揮を執り、イーアンも働いている。イージンもね。あと、女の使用人がひとりいるけど、彼女はほとんど紹介されないのがちょっと残念かな。 というわけで、ムチャクチャひどい一家だけど、ムチャクチャパワフルな女系家族の勢いに圧倒された。 仮にいまイーアンが19歳として、イージンが5歳とすると、14歳の時の子? イーアンが、勉強できたのに高校中退というのと、時期が合わないと思うんだが。もしかして、中学中退だったか? 若いときの過ちがあるのに、店長の生出しをほっといてるイーアンもどうかと思うけど。そういうのは、どうでもいいのかな。 そういえば、イージンがイーアンに「悪魔の手が盗んだ」と万引きの成果を見せたら、イーアンはイージンを連れて店に商品を返させていた。これは、親らしい躾の一環だな。悪行もしつつ、いいことにひっくり返してしまうイージンの存在は、まさにトリックスター。ラッキーガールだ。市場の喧噪の中を疾駆するイージンを追うカメラワークが、なかなかよかった。 | ||||
| 5時から7時までのクレオ | 8/27 | シネマブルースタジオ | 監督/アニエス・ヴァルダ | 脚本/アニエス・ヴァルダ |
| フランス映画。原題は“Cleo de 5 a 7”。公式Wikipediaのあらすじは「ポップ歌手のクレオは自分がガンではないかと疑い、病院で精密検査を受ける。その結果が判明する7時までの間、クレオはパリの街中をさまよいながら幾人かの友人や見知らぬ人々と出会い、心の平静を取り戻していく。」 Twitterへは「1961年、監督アニエス・ヴァルダ。健診結果を聞くまでの2時間の、悪い方へ悪い方へと考えてしまう若い娘の心のソワソワを、ほぼノンストップでスケッチ風に描写。街中の様子は面白い。でも淡々とし過ぎて、ちょっと退屈なところも。」 病気の検査をして、結果が出るまでの不安感を描いている。だれでも似たような経験があるだろうから、共感するだろう。けれど、たんにされだけの話で、それ以上の何もない。あ、そ、な感じかな。 冒頭はタロット占いで、占い師のババアは終わった後、仲間に「死の予兆が出てる」という。どうもクレオは癌の検査をしたらしく、落ち込む。で、マネージャーみたいなオバさんとカフェに行くんだが、落ち込んで泣いちゃったりして、店の人に心配される。コーヒーは、店の奢り。のあとは、オバさんと帽子屋へ。陽気な感じで、かぶって帰ろうとすると、オバさんから火曜だから被るな、と言われるのは縁起担ぎ? 部屋に戻ったのかな。話が単調なので、少しうとうとしてしまう。目が覚めたら男2人がピアノ弾いていて、クレオも歌う。ウイックを外し、帽子をかぶって外出する。街頭の人々はスナップ的に撮ったのか、自然な感じ。クレオの病気に関係なく、世の中は進んでいく。なのに自分は今夜宣告される検査の結果にビクビクしている。おいてきぼりにされている感じがでてる。 カフェかな。ジュークボックスで曲をかける(後から自分の曲とわかるけど、その時は気が付かず)が店の誰も反応しない。ちょっと酒を飲む。私の存在価値はこの程度? な感じかな。いちおう有名な歌手らしい。 (このあたりで殺人事件?) のあと、塑像教室に行く。ヌードモデルは友人で、やあやあ、な感じで教室を出て、モデルの彼女が運転して街をうろうろ。ウィンカーの代わりに手を挙げるのが面白い、どこかで大きな荷物を積んで。到着して荷物を玄関に置いたまま上にあがると映写室。試写室なのか、映画館なのか。モデルと映写技師は恋人同士? 映写窓から短いスラップスティックなコメディ映画を見る。ホースの水を当てられ死んで運ばれていく女と男? 運んできたのは次に上映するフィルムらしい。1階に降りていくと、何かを落としてガラスが割れる。不吉な予感だわ、とクレオは心配する。クルマは置いたまま(クルマは映写技師のものなのか?)、クレオはタクシーでモデルを送る。モデルは家に帰るからと途中で降りて、クレオはそのま乗って公園の中へ。降りてフラフラ、してると男に声をかけられて。アルジェリアからの休暇中の、なかなかの博識な兵士が声をかけてきて、面倒くさがりつつもあれこれ話してしまう。検査のこととか、夜に電話して結果を聞くとか。結構、人生訓的なことも。まあ、兵士はまた戦地に戻って死と向き合う宿命だから、かもしれんが。兵士は、じゃあ病院にいけばいい、ということで兵士の提案でバスで病院へ。このバスが、ドアもなくて駈け上がるスタイルでなかなか洒落ている。 このあたりで分かるのは、検査は2日前にしたらしいこと。癌の検査というのは、いつ言ってたかな・・・。病院で医師に面会を求めるが、受付で、すでに帰ったと言われる。兵士と歩いていると、その医師がクルマで通りがかる。「いたのに。帰ったのは弟だ」とかなんとか。医師曰く「明日から放射線治療をしよう。大変だけど、頑張ろう」と。それを聞いて、クレオと兵士は無言で見つめ合う。FIN。 というわけで、特段の事件も起きない。わずかな出来事も、死にまつわるものがチラチラする。けど、決定的なものはない。クレオの不安感をちらちらと見せていく程度。 ところで、解釈なんだけど。あるあらすじでは、ラストでクレオと兵士は愛し合う、と書いてあった。別のあらすじには、病気は大したことがなくて2週間ぐらいで治る、と書いてあった。そんな風には、映画からだけでは読めなかったけどなあ。公開当時のパンフレットにそんなことが書いてあるのか? 知らんよ、そんなこと。 洒落た感じで、検査結果待ちの娘の精神状態をスケッチしていく感じ、な映画だった。たくさんカットつなぎはあるけど、全体にワンシーンで、リアルタイムでクレオを追っているような感じ。 ・化学療法をするなら、癌なんじゃないの? とフツー思うけどなあ。 ・短編映画の登場人物は、ジャンリュック・ゴダールとアンナカリーナなんだと。まったく気がつかず。 ・部屋でピアノを弾いていたのはミシェル・ルグランだと。半分寝てたから、よく分からず。 ・客は3人。 | ||||
| 迷子の警察音楽隊 | 8/30 | シネマ堀切 | 監督/エラン・コリリン | 脚本/エラン・コリリン |
| イスラエル/フランス映画。英文タイトルはは“The Band's Visit”。原題のBikur Ha-Tizmoret』は、ヘブライ語で「楽団の訪問」。WOWOW HPのあらすじは「イスラエルに新しくできたアラブ文化センターでの演奏を依頼され、異国の地を訪れたエジプトの警察音楽隊。ところがふとした間違いから、彼らは本来の目的地からは遠く離れた、周囲に何もない田舎町にたどり着いてしまう。食堂の女主人ディナのはからいで、誇り高き団長のトゥフィークと若くてハンサムなトランペッターのカーレドは彼女の家に、また他の楽隊メンバーたちも分かれてよその家に泊めてもらうことになるが……。」 Twitterへは「エジプトの音楽隊が平和交流でイスラエルに招かれるも目的地にたどり着けず、郊外で一般人と交流する話。エジプト製かと思ったらイスラエル映画なのか…。とくに事件も起きず、超スローテンポで淡々となので退屈。食堂の女主人がなかなかエロい。」 シネマ堀切といっても名前だけで、映画館ではなく個人宅でのDVD鑑賞。 なんだ。エジプト映画じゃないのか。では、エジプト側の見解は、十分に反映されてないのか? という疑問が湧いてきてしまうね。製作は2007年。調べたら、数回にわたる中東戦争ののち、1979年にエジプトはイスラエルと平和条約を締結しているらしい。2007年にはイスラエルのハマスがガザ地区を完全制圧。緊張関係は当然あったはずだ。というような背景は、まったく感じられない。たんに、「エジプトの音楽隊が平和交流でイスラエルに招かれ」たというだけ。なので、ちょっと政情が反映されていない感じもあって、いまひとつ刺さらない。 それ以前に、超スローーーーテンポなところが、見ていて、つんのめる感じ。もっとテキパキと話を進めろや、と。 まあ、話は簡単で。イスラエルに到着したけど目的地を間違えてバスに乗り、とんでもない郊外に降りたって、途方に暮れる8人。近くの食堂の色っぽい女主人に聞いたらまったく別の街。歩いて移動しようとしたけど「腹が減った」という隊員がいて、食堂まで戻って食事。で、もうバスはないと言われて呆然。でも、女主人が、自分の家で5人、店の客の家で3人泊められる、と申し出て、それを受ける。そして、夜は更けていく…。という流れ。 郊外の、大きな団地が見えるので人もいるかと思ったら、まわりは砂漠な感じ。でも、女主人曰く、出ていきたかったけど、いつのまにか歳を取ってしまった、な感じ。厳格風に見えた隊長は、女主人に連れられてクルマで街のレストランみたいなところへ。女主人の浮気相手らしい男が女房子供を連れてゆってきている。女主人は、悪びれず、たまにあの男と、なんて話す。なんなんだ。女主人に問われ、「女房は死んだ。息子がひとり」と話すが、実は「女房が死んだのは自分のせい。自分が息子につらく当たり、そのせいで息子が自殺。それで女房が…」とか吐露するんだが、女房に対する自責の念の前に、息子を死なせた悔恨はないのかよ、とツッコみたいね。 若いのは、別の客(童貞男)の誘いで、客の友人と女の子2人の5人連れで遊びに行って。アイススケートするんだけど若いのは滑れなくて。可愛い子にアタックしかけるけど無視されて。童貞男の相談に乗って、女の子の口説き方を指南するところがすこし面白かった。でももその女の子は不細工で、相手にされてないのが泣いちゃったりしてるんだが…。不細工な時点で、エピソードもさほど盛り上がらず。 隊長と女主人がもどってきて。女主人は、ワインがあるから飲もう、というのに隊長は「寝る」という。若いのも戻ってきていて加わって。ここでだったか、とつぜんチェット・ベイカーの“My Funny Valentine”を吹いて。それにたいして、「まあいいけど、ちょっと…」なコメントを述べたりする隊長。なんなんだ、いきなりのチェット・ベイカー。意味不明。にしても、エジプト人がジャズかよ、な感じの方が大きいかな。で、隊長が寝ようとすると、若いのと女主人が抱きあってキスしてたりして…。やれやれ。尻軽な女主人だこと。 他に目立つ隊員は、客のところに泊まった3人のうちの1人かな。組曲を作曲してる、とかいって披露するんだけど、ショボイのなんの。で、その家では客と女房と、老いた両親がいて夕飯のテーブルを囲んでいるけど、ギクシャクしたりして…。たしか女房の誕生日だかなんかで、だったら陽気な曲を3人で演奏したらいいじゃないか。 で、翌朝。またもや整列して女主人や店の常連客に挨拶。のあと、たどりついた会場で、平和のための音楽を奏でましたとさ。で、終わる。盛り上がんねえ映画だなあ。 ユーモアもゆるすぎて、ピリッとこないし。そもそも、得体の知れないエジプト人を、いいよ泊めてやる、というイスラエル人がいるのかよ、と思うと、なおさら。 女主人は、結婚するにも子供を産むにも歳を取りすぎた、といってたけど、そんなことはないだろ、な美貌。エロさ十分。だって若い隊員がとろけさせられちゃうぐらいなんだもの。もしかして、最初は隊長を誘ったのか? ・隊員が8人で、ちゃんとフィーチャーされてエピソードがあるのは、4人。隊長、若いの、作曲してるやつ、電話の男。でも、電話男は顔の大写しはない。作曲隊員も、たまにクラリネットだかを吹くだけ。主に謹厳な隊長と、なにかってーと女の子に声をかける若いのだけが映る構成。せいぜい8人なんだから、みんなにエピソードをつくっれやってもいいだろ、と思ってしまう。その方が話に厚みも出るし…。 ・電話をめぐるエピソードがひとつ。彼女からの公衆電話への電話を待つ兄ちゃんと、隊員のひとりがイスラエルのアラブ大使館への電話をするところ。隊員は、さっさと連絡をとりたい。でも、隊員にでんわをかけられると、彼女からの電話が受けられなくなる可能性がある。というジワジワ感は、確かにある。でも思うに、当時はまだ携帯電話はなかったのかな。ネットで調べると、すでにかなり普及していた様なんだけどなあ…。もやもや。そういえば、大使館からは、迎えに行く、という返事をもらっていたけど、あれはあの隊員の個人的な行動なのか? 隊長の命令じゃないよな。なんか、隊長は気が利かない男だな。 ・冒頭の、どっかで白いバンの前で8人が並んでいる映像を見て、陸路、やってきたのか? と思ったら、飛行機でやってきて迎えもなく迷った、と書いてあるサイトもあった。エジプトとイスラエルは国境を接しているはずなので、どういう経路でどこにやってきたのかな? も、疑問。 ・田舎のバス停に降りた8人が横に並ぶ。遠くの背後を黒犬が横切る。翌朝、女主人に挨拶のため8人が横に並ぶ。またまた遠くの背後を黒犬が横切る。それが面白かったかな。 | ||||