昔はゆっくりビールが飲めた



いまじゃクルマで行くんですかい?

昔、練馬に住んでいました。自転車で椎名町まで行って「翁」でもり蕎麦を食べた話や、塩豆を肴にキリンビールを飲んだという話は、イントロで軽くしましたが。こういう店から蕎麦行脚がはじまったのは、ラッキーだったと思います。最初に行ったのは、翁が店を閉める6年くらい前だと思いますが、1時頃行くとがらがらで、先客の若い男性がビールを飲んでいるのに出くわしたものです。それを真似て、僕も塩豆でビールと相成ったのですが、まだ、日本酒の域に達していなかった僕は、しゃもじで供される焼きミソを味わうチャンスを逸してしまったのでもあります。残念。主人はいかにもぶきっちょで実直って感じの方でした(話したことはなかったけどね)。奥方が、とっても可愛くて、いやー、世の中カップルというものは・・・などと、余計なことを考えながら、蕎麦が出来てくるのを待ったものです。
このご夫婦と、老母が一人。これが、翁のフルスタッフで、注文も聞かれないのでいわないといけない。しかし、一心不乱に仕事をしているときは、なかなか口を挟めない。そういう店でした(いまの、神田のいし井という店と、状況は似ているけど、実体はちと違うかな)。やがて、時分時には入れなくなり、時分時を外すと売り切れ仕舞いで暖簾がない! なんていうことになって、並んで入ったりもしましたが、それが面倒で池袋の「ここのつ」へ行ってしまうことが多くなってしまった。たまに行くと、老母はよろよろで、変わりにジーンズ姿のお姉ちゃんがいましたが、とてもシステマチックとはいえない店でした。
だからどうした、といわれそうですが、それだけの話です。
そうそう。山梨の長坂に移って2年目ぐらいのときに1回行ったことがあります。店の人に名前を言って登録し、庭で賢くなさそうな犬を見たりして、呼ばれて中へ。いろりみたいな席について注文して、有り難くいただく。配膳は、若い衆がてきぱきこなしていました。味? わかんなかった。もう、いいや。翁は、椎名町だった、と記憶しておこう、と決めたのだった。(翁の後にできた休屋というみせだけど・・・やめとこう)




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