なんとなくになる話... 

その23 イマジン (2004.8.12)
 この時期になると、TVではいろんな戦争モノの番組が流れていて、来年は戦後60年だと知りました。来年は神戸に住む者にとっては震災後10年の年で、ということは、地震が起きたのは戦後50年の年やったのだなぁと妙に関連づけて考えてしまいました。私の知っている方で、関東大震災・空襲・神戸の震災の3つを経験した人がいて、もうええわ、と言ってました。(ちなみに長生きの秘訣は、くよくよせんこと、だそうです)
 オキナワでの戦争の話、広島・長崎の原爆の話。知り合いが今年の夏は子供をつれて東京はお台場で遊んで、帰りにジョン・レノン美術館へ行ってくる、と言っていました。ジョン・レノンが歌っていた「イマジン」という曲。私は特にジョンの信奉者というわけではないけれども、ジョンさんが言いたかったのは、やっぱり想像できるってことは大切なことなんじゃないかなぁっていうことかなぁ、と最近思っています。
 暑い夏を涼しいクーラーの中で過ごしている私の所の、地球の裏側で、食べるご飯もなくしょんぽりしている子供がいるかもしれない。逆に、暑い中働いている工事のお兄さんがいる地球の裏側で、優雅にクルージングを楽しんでいるマダムがいるかもしれない。
 元気で明るい先生も家では一人でTV相手にぼそっとご飯を食べているかもしれないし、この世で一番不幸な女を演じていたあの人は、実はそれ程にも思ってなかったかもしれないし。
 かもしれない運動ではないけども、やっぱり想像できるって大切なんでないかなぁ、そんな風に思える今年の夏です。

その22 とんぼとつばめ (2004.1.5)

 今日TVでカワセミのエサ取りの様子を見ていて思い出しました。昨年の話ですが、仕事の帰り道、車1台が通れる位の道路を歩いていると、10メートル程先に低い位置に電線が道を横切っていて、その真ん中にツバメが1羽とまっておりました。何となく気になって見てみると、どうもむこうも見ている。それもじ〜っとみている。5メートル位に近づいた辺りでこちらに向かって飛んできた。普通、鳥とかは人間を避けるようにして飛ぶじゃないですか。それが、真っ向切ってこちらへやってくる。「え、マジ?!やばい、ぶつかる!」と思った瞬間、急上昇して飛んで行った・・・。完全にやられました〜ツバメに。あいつぜったいヤンキーや!間違いない。

 別の日、車を運転しておりましたところ、とんぼが沢山飛んでおりました。ゆっくりしたスピードで信号待ちに入る時、一匹のトンボが車にぶつかる〜と思ったのか、急に空中でとまりました。それが、トンボなりに急ブレーキだったのか、しっぽを(胴体?)Uの字にまげて・・・というか⊂の形になって、とまりました。ん〜〜?トンボって急ブレーキかけられるのか?あれは見間違いか?未だにわかりません。とりあえずあんなトンボのポーズを見たのは初めてだったのだった。まさに、「おーっっっとっとっっと!ふ〜危なかったぜ〜」でした(笑)

その21 かものはし教授 (2003.11.30)
 最近、開始されたJRのICOCA。CMで「イコカで行こか〜」と宣伝しておりますが、まず90%以上の確立で子供達は駅で「イコカで行こか〜」と言いますな。ポスター見たら確実に言います。ちなみに私の甥っ子も本日家で時刻表を見ながら言うておりました。(ヤツは電車オタクですので当然ですが)とりあえず恐ろしい程の浸透力です。キャラクターになっている水色のペンギンもどきのようなやつは、かものはし教授という名前がついています。つまりは、かものはし、ですね。さて、なんでかものはしがキャラクターになったのだろう?しかも水色なのは何故だろう?チラシの中に大学帽をかぶっているタイプとかぶっていないバージョンが両方載っているのは何故だろう?あれがかものはし教授という名前であることを知っている人はどのくらいいるのだろう?気になっております。とりあえずJRのHPでも見てみるか。JR東海で発売されたスイカの方はどんなCMだったのかなぁ〜。これも気になるなぁ〜。

その20 バンザイ (2003.10.14)
 どうも最近、「バンザイ」って言葉が好きになれません。運動会で勝って「バンザ〜イ」とか。
どうしてもなんか戦争のイメージを浮かべてしまっていけません。「天皇陛下バンザーイ」ってのを。
TV見ていたら韓国でも「マンセイ!」とか言うてはりました。おんなじなんだなぁ〜と思いました。
こないだの衆議院の解散の報道の時も、議長が「衆議院を解散する」と宣言したら、みんなが「バンザ〜イ」と言っていた。思わず「何がめでたいねん」とツッコミを入れてしまった。習慣なんだ、と言われてもどうにも違和感があるんだもんね。喜びを表す、何か別の言葉ってないのかなぁ。ちなみに年寄りは「バンザイ」がどうも好きなようです。そういう世代なのかなぁ。

その19 たなばた (2003.8.11)

 もうすっかり過ぎてしまいましたが、七夕。神戸あたりでは、ずっと旧暦の8月7日にお祝いしていたそうです。仙台の七夕祭も確か旧暦だったような。七夕といえば「たなばたさま」という歌がありました。子供の頃、学校で歌わされたような記憶がありますが、いまひとつ歌詞の意味がわからないまま「うのみ」にして覚えていたようです。
 改めて「たなばたさま」の歌詞をみてみると↓

笹の葉さらさら 軒端に揺れる お星さまきらきら 金銀すなご
五色の短冊 私が書いた お星さまきらきら 空からみてる

 歌詞の思い違いっておそろしいです〜。かつて「巨人の星」というアニメの主題歌の歌詞をこう思いこんでいた、という話をTVでやっていました。「おもいこんだらしれんのみちを〜」という歌詞を「重いコンダラ」と思っていた、という人の話。本当は「思い込んだら」です。

これ程笑えるものでもないですが、私は「たなばたさま」の歌詞、こう思いこんでいました。「笹の葉さらさら のきわに揺れる〜」です。「のきわ」って何やねん!わからないまま歌っていました。ほぼ最近まで。「軒」の端っこ、の意味で「軒端」なのでした。ふ〜ん、知らんかったわ。

で。もうひとつ疑問がありました。「金銀すなご」の「すなご」です。今日、ふと母に聞いてみたところ、明快なお答えを頂きました。「すなご」は「砂子」つまり、金や銀にたとえられた星が、砂のようにたくさんあるさま、を「金銀砂子」と表現してあるのと違うか、というのです。ほ〜〜なるほどなるほど。たまには親に聞いてみるのもええもんです。

さて、まだ他にもあるんです。「赤とんぼ」の歌詞。

夕焼けこやけの赤とんぼ おわれてみたのはいつの日か

「おわれて」を「追いかけられて」の「追われて」だと思っていたけど「おんぶされて」の「おわれて」だったんですよね。おほほほほ。

まだあります。「ふるさと」の歌詞

兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

「かの山」を「かの山」っていう山があるんだと思っていた。更に「忘れがたき」を「忘れが滝」と「滝」やと思っていた。困ったことです。「兎追いし」は当然「うさぎ美味しい」やと思っていた。だって父が兎の肉は鶏肉みたいにあっさりしていておいしいのだ〜と話していたから。はぁ〜。大人になるといろいろわかっておもしろいです。たぶんまだ他にもあるやろなあ〜(笑)

その18 英語〜 (2003.8.4)

 もうすいぶん前から英語が話せたらなぁって思い、英会話の本や通信教育を買っては途中で投げ出し、また買っては途中でやめ・・・の連続です。いろんなHow toものも立ち読みしたし、自分なりにはその都度「やっぱこれやで〜」という学習法を思いつくのですが、結局は道なかば。先月もCDのついた本を買ったけど、まだ4回くらいしかCD聞いてないなぁ。

 久しぶりにTVで英会話関係の番組をみていたら、ウケてしまいました。
 英語はすべてカタカナで表示できる、という先生がいてて、LとRの発音もカタカナでできるっていわはるんです。でLは「ヌル」小さいヌ(短く発音)にルをつけたらLになるらしい。なので「濡れた〜」という日本語は「Letter」という意味で通じると。ふむふむなぁるほど、確かにいけそう。
 でも最高に笑ってしまったのは「揚げ豆腐」。わかります?これ完璧ですよ。「I get off」完璧。絶対通じるもん。他にもいろいろありましたけど「家内、屁ぷ〜」っていうのもありました。「Can I help you?」
だいぶ前にタモリの番組でも、こんな風なのやってたけど、ほんまおかしいです。語呂合わせで英単語覚えるっていうの、受験英語でもあったけど、私それでもナカナカ覚えられなかったなぁ。「エイホ〜と努力する」ていうのだけ、今でも覚えてるか。

その17 間違い電話1 (2003.7.24)

 昨日、夜中の12時頃に携帯が鳴りました。私にとっては、まず無い事なので「誰や?」と思って画面を見ると、知らない電話番号です。いわゆるワンギリでは無かったので、一応出てみました。

私:「もしもし?」
男:「もしもし〜」
私:「もしもし?」
男:「もしもし、マモルやけど」
私:「は?」(マモルという名の知り合いはいない・・・)
私:「あの〜電話、間違えてるんとちがうかなぁ」
男:「え!!!マジで!!! え〜っっ」
私:「ごめんやけど、間違いやから切るよ〜」

と、いうわけですぐに電話を切りました。声からして20歳代前半の男性の感じ。
でも、どうもその「マジで!!」のフレーズが頭から消えない・・・。(だって叫んでたもん)
ほんまに間違えただけやったらええけど、もしだまされてたんやったら・・・と思ったら。
昨日、確実に焦っていた男が一人居ました。不幸な男になってなきゃいいけどなぁ・・・。

その16 コトバ (2003.6.5)

 子供って時々とんでもないことを言いだします。私には甥っ子がおりますが、ヤツもたいがい変なコトバを使ったりして笑える事が多いですねぇ。一番参ったのはバスの中で、「降ります」のチャイムボタンの音の事を「チンポーン」と言って(普通はピンポーンやろう・・・)思わず「やめなさい!」と言いました。

幼い頃は舌がまわらないためか聞き間違えているためか、下記のような間違いをしておりました。

コンピュータ → ポンキュータ
リモコン   → モリコン

そして最近、3年生にもなっているにもかかわらず、まだありました。宿題の本読みの途中で

「いつのまにか〜云々」の箇所を「いつまのにか〜」・・・と。

思わず「は!? もっかい読んでみ!」 「いつまのにか・・」 「いつのま・に・か やろ!」

「いつまの・に・か〜」  難儀なことです。

 そんな話を仕事先の人に話していたところ、「あるある、うちにもあったで〜」とのこと。

その人の友達の子供と一緒にプールへ行った時の話。子供が「お父さ〜ん! うわき取って〜」

「あほ!! 浮き輪や言うたやろ!!」「あ〜そ〜か」 お父さん、真っ赤になってたそうです。わはは。

その15 ひなまつり (2003.2.26)
 今年ももうじきひなまつりです。我が家にはお雛様がないのですが、雛人形は雛祭りが終わったらすくにしまわないと嫁に行き遅れる、というもっぱらの話です。すでに行き遅れたヤツはどうすりゃええだ(笑)
 そんなことよりも、幼い頃ずっとずっと不思議に思っていたことがあります。それは、ひなまつりの歌なんです。「灯りをつけましょぼんぼりに、お花をあげましょ桃の花。五人囃子の笛太鼓、今日は楽しいひなまつり」この歌詞なんです。子供のころから歌好きだった私は、童謡をかたっぱしから歌っておりました。でもな〜この歌詞を歌う度に疑問がわいてくるんです。何回歌っても楽しくなれない。「楽しいひなまつり〜」って歌うのにちっとも楽しくなれない。おかしすぎる!!とある日思い立って、シングル版で持っていた雛祭りの歌が入ったレコードを連続で何回も何回もかけて真剣にスピーカーに耳を傾けたのです。楽しくなるかな〜〜って思って。結果、何回聴いても楽しくなれませんでした。結論、「この歌は楽しくない!ぜったい!」でした(笑)。
 今から思えばね。そりゃぁそうでしょう。だってこの曲マイナー調やもん。メロディ暗いもん。日本の昔の歌の典型みたいなもんやもん。この歌で楽しくなれる人はすごいと思うなぁ〜。

その14 紅白歌合戦 (2003.1.1)
 昨夜は紅白歌合戦を見てみました。用事をしながらつけっぱなしで、全部を見たわけではないけれども、ちょっとおもしろい所がありました。或る意味偏った人選ではあるかもしれない出演者の中で、やっぱり一番私が「じ〜ん」としたのはBEGINの3人だったな。「夢を実現できるようになりました。オキナワのおじぃ、おばぁ、ありがとう」とコメントをしてから歌が始まって、ほんとに、その時間の流れの大きさを感じた1曲でした。う〜ん、今年はBEGINのCDを買おうかなぁやっぱり。
 あと、気になったのは華原朋美ちゃんかなぁ。すごい歌うたってましたよ。「あきらめましょう〜ぱっぱっぱらっぱ〜」やって。トモちゃん痩せてましたねぇ。でも笑顔でがんばってた。一度も笑顔を見せなかったのは安室さんやったねぇ。肌も荒れてる〜みたいな感じで、何か見ているのが辛かったなぁ。森進一さんが自分で作ったっていう歌の歌詞も、あなたとのことは「短い夢でした」っていう内容で、何か感じるものがありました。
 なかなかすごい、と思ったのは鳥羽一郎さんがエレギを弾きながら歌っていたこと。宇崎竜童さんの曲でバックも宇崎さんのバンドやったのだけど、何故かくわまんこと桑野さんがトランペット吹いてて、これもなかなかいいフレーズで、思ったより上手かったな。
 平井堅さんは、ほんまもんの古時計の前で歌ってました。あの時計、ええかんじやった、やっぱり。ちょっと月の顔がこわかったけど。
 そんなわけで、案外おもしろく見させて頂きました。最後に、何故紅白で競わねばならないのか、それだけが疑問として残っています。別に競う必要ないんとちゃうんかなぁ。応援合戦とか応援司会とかいらんと思うねんけどなぁ。ああいうのがじゃまくさい感じです。

その13 忘れられないアノ言葉-その1 (2002.11.1)

今日、巨人の松井選手がFA宣言をしてアメリカ大リーグへ行く、と記者会見をしていた。バッターではイチロー選手、新庄選手に続いて3人目になるのかな。先の2人があれだけ活躍しているのを見ていたら自分も腕試ししたくなるやろなぁ〜というのは当然の話。来年も大リーグに注目が集まってスポーツニュースが楽しくなるだろう、と思う。

そこで、どうしても忘れられないのが、新庄選手の一言。ニューヨークメッツに移籍が決まって、アメリカに渡って、たぶん最初のインタビューだったと思う。日本人記者の問いに答えて彼はこう言った。

「うん。僕がんばる!」

なぬ〜!?今までもしかして頑張ってなかったんとちゃうの?もしかして阪神ではテキトーに頑張ってて、それでもそれなりに成績残してたってことかいな。ふ〜む。恐るべし新庄。

でも大の大人が、「僕」といい、「頑張る!」と子供のように素直に言った、その新庄選手が私は好き。新庄君はアメリカ人気質の中の方がのびのび働けるような気がした。がんばれ〜〜〜!

その12 キオクノキロク (2002.8.6)

朝、いつも通りにTVを見ていて某TV局の朝の連ドラをみよ〜と思っていたら、暑い風景が映っていた。声のトーンを落としたナレーションで、「あ、そ〜か。」と気がついた。原爆の日だったのね。

夜の番組では、被爆体験を絵にした人達のドキュメンタリーをやっていた。

何年か前に広島へ旅行に出かけた時に、やっぱり行っとこ〜と思って原爆資料館へ行ってみた。

そんなに長い時間いたわけではないけど、一通りぐるっと廻ってみた。

遺品等が展示されているコーナーで親子連れがいて、小学4,5年生位の男の子が展示品を見ながら「これって作りモンやろ〜?」と親に問いかけていた。う〜む。思わずツッコミを入れそうになったなぁ〜。

リアルな3Dデジタル映像に慣れている今の子供ちゃんたちには難しかったかなぁ〜。

来館者の誰よりも一生懸命見て廻っていた外国人の姿が印象的でした。そらそうやんな。お国には決してナイ施設やもんね。

今日見たTVのナレーションで気になった言葉は「記憶の記録」でした。

「記録」が効力を発揮するのは、長い年月が経った時。

戦後50年経った時に「もはや戦後ではない」という言葉を言った人がいたけど、次の戦争が始まらない限りは相変わらず戦後やと思うんやけどなぁ。戦争のキオクを捨てたい人もいればキロクしたいと思う人もいる。

その11 方言2 (2002.7.22)

私の母親は、今まで住んでいた場所の影響で大阪・京都・神戸・姫路の方言がごっちゃになっています。また祖母は富山出身であったので、富山の方言もたまに入るようです。そんな環境の中で育った私は、基本的には神戸弁です。自分が神戸弁であることも分からない程、染まっています。

大阪出身の人などと話をしていると、時々「?」と思われることもあるようです。

最近顕著だったのは「おじゃみ」。私の家では「お手玉」のことをさします。

「おじゃみ」の「お」は丁寧語(?)の「お」やと思います。とすると残りの「じゃみ」は何じゃ?一応辞書で調べてみましたが載っておりませんでした。最近、本当に「方言辞典」とか「語源辞典」が欲しくてたまりません。きっと買うと高いんだろなぁ〜。

また、先日電話で話をしていて、「海のそば(際)」のことを「海のはた(端)」といいましたら通じませんでした。これは何弁でしょうねぇ。

関西弁3段活用の例としては、他人が「〜している」ということを大阪弁では「〜してやる」といい、京都弁では「〜してはる」、神戸弁では「〜しとう」と言います。近い地域でも、これだけ語尾が異なってきます。

姫路の叔母は、何かを沢山取ったりするときの表現を、「ごい〜っと取る」と言います。ようワカランでも雰囲気は通じるなぁと、いつも思います。

それにしても、言葉ってほんとにおもしろいな〜と思います。古本屋で辞書探そかなぁ〜。

その10 モルダウ (2002.5.23)

以前一緒に働いていた人から、メールが届きました。なんだかとっても私の好きないい話だったので、紹介したいと思います。

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先日、所用で東京の下町、江戸川区南小岩という町へ行ってきました。ちょうどお昼に着いたので先様に悪いと思い、昼飯とお茶で1時に訪問しょうと考え、近くの喫茶店に飛び込みました。表の飾りメニューだけしか見ていず、店の名前は目に入っていませんでした。ドアを開けたとたん、店内にいたたった1人の客がお勘定をすまして出て行くところでした。で、店を見回したとたん、ありゃさびれたところだなと感じ、失敗したなと思いました。関西でいうと「ミーコーのホワイト」みたいな喫茶店のように感じたのです。まあ、あきらめて、トーストとレモンティを頼んで、週刊誌を読んでいたら、なんとデートリッヒらしき曲がかかっているではありませんか。そして、つぎつぎにシャンソンがかかり、これは有線でなく、店のレコードだとわかりました。カウンターのなかのマスターは白髪頭のおじいさん、ウエイトレスのママさんは品のいい銀髪。思わず「これは趣味ですか」と聞くとママさんが嬉しそうに「そうなんですよ」と答えてくれました。で、メニューに書かれている店の名前をみると「モルダウ」とありました。でもモルダウはプラハでパリではないのにと思ったのですが、他にコンチネンタルもかけるそうで、お二人の思い出か思い入れがあるのだなと勝手に推測して、とってもいい気分で食事ができました。お勘定を払う時「いい音楽をありがとう」と言うとママさんの顔は晴れ晴れとしたとってもいい顔になったように見えました。震災後の神戸にはもうこんな店はないですねえ。さすが、東京の下町、感心してしまいました。

*****

というわけで、かなりモルダウに行ってみたい私です(笑)

このメールには私あてのメッセージも添えられていて、それは「あんた絶対写真撮りたくなるで」ということでした。う〜ん、読まれてるなぁ。

2年程前に鎌倉に行った折、商店街のはずれにとってもさびれた雑貨屋をみつけました。そこも老夫婦がやっている店で、壁や天井一面に近所の子供達の色あせたカラー写真が貼ってあったのです。ブリキのおもちゃなど子供が買うおもちゃを売っている店だったのですが、貼ってあったそれらの写真は恐らく昭和30〜40年代のもの。おもわずお店と貼ってある写真とを撮らせて頂きました。関東にはそんな店がまだちょこちょこと残っているのかな。神戸ではもうつぶれて無くなってしまったかもしれないなぁ。

その9 沖縄本土復帰記念 (2002.5.15)

今日はオキナワ本土復帰の記念日で今年で30年経ったそうだ。なんか意外な感じがしていた。認識が足りないというか社会を勉強してきてないというか。時事問題に弱いというかなんというか。オキナワが日本の統治下になったのはもっともっと前のことのような気がしていた。でもまだたった30年やったんや。

子供の頃の印象は、沖縄海洋博に行きたくて興味があったけど沖縄に行く旅費はとても高い、という話で、とてもじゃないけど行けない所なんだなぁと思っていた。海洋博ではイルカのショウがあるというTVの宣伝は覚えているのに本土復帰の事はたぶんニュースとかで見ていたはずなのに、ちっとも記憶にのこっていない。

最近になって海洋博が復帰後の経済発展を促す為のイベントやったんや、と知って驚いたようなわけで、まぁ間が抜けてるというか世間知らずというかなんというか。

大人になって沖縄に興味を持って旅行に出かけたくてしょうがなかったけれども、その時も未だ沖縄がいろんな問題を抱えている場所やという認識はなかったし。ここ数年のことやなぁ。たぶんTVで沖縄の通信施設、通称「象のオリ」の報道を見てから気がついたような気がする。

沖縄の失業率は8%やそうで、全国平均がいまたぶん5%くらいで、関西は全国平均よりも悪い悪いといわれていて、私の住んでいる神戸は関西の中でもとりわけ悪いといわれていて、それでも7%位やったと思う。

沖縄の方が失業率高いのに、その話題はあんまり出ないというのも変な話やなぁ。それとも私が知らないだけで巷ではいろいろ報道などされてるんやろうか。

私の知っている沖縄はほんの一部分で所詮旅行者の目でしかないし、本で読んでも実感できてないことが多いし。難しいことは出来るだけ避けて通りたいような気もするけど、沖縄に行くと、居心地のいい空間と人達の後ろにはいつも、当たり前の事だけど様々な過去が横たわっている、のが見え隠れする。

私が一人だけ知っているオキナワのおばぁは、とてもとても辛い過去があるのに微塵も見せない明るくていつも笑っている人。通りすがりの私を自分の身内のように心配してくれた人。いろんな話をしていて笑っていると思っていたら、いつの間にか笑い顔のまま涙を何度も何度も拭いていた人(笑い泣きとは違うよ。)

黒沢明監督が生前に書いたメモにこんなことが書いてあったらしい。「不幸は笑い飛ばすのが粋な生き方」

そんな風に思ったら少し肩の力が抜けてきた。

その8 テンション (2002.3.31)

テンションが高い、低いとか言いますよね。日本の場合テンションって、ある意味興奮度みたいな表現じゃないですか。英語のテンションってどういう意味か調べてみたら緊張って書いてあったんですよ。緊張度。なんかちょっと違うような気もします。

実は私、とてもテンション低い系です。だからといって感動してなかったり興奮してなかったりするわけではないです。内面では「をおお〜っっっっ」って思ってても顔や表情には余り出なかったりとかするわけです。おかげで「落ち着いてる」とか「しらっとしてる」とかいう評価を頂いたりします。

テンションが低いけれども、人並みのテンションの高さまで上げる事ができないわけではありません。でも上げるのにすっごい力がいりますなぁ。お陰であとはへとへとに疲れてしまいます。宴会とか付き合いでテンション上げた帰りは空しい〜気分でヤになります。も〜なんでみんなあんなにカラオケが好きなんだろぅぅぅっっとかね。

イベントの司会とかやってるおね〜さんとか見たら頭が下がります。テンション高くて、更にみんなを盛り上げる力もあって。すごいよねぇって。一瞬退いてしまうことすらあります。

テンション低いから無理に盛り上げられたりするの、嫌ですねぇ。「会場のみなさ〜ん」とか言うノリ超苦手です。お願いやからそっとしといて・・・そんな気分です。

散歩とかが好きなのは、もしかしたらテンション低い系やからかなぁ。ぼ〜んやり花をみたり、空や雲が流れていくのをみてるのがいいですねぇ。喫茶店のガラス越しに行き交う人々を眺めるのも楽しいしねぇ。

血圧もすごい低いんだけど、血圧とテンションの関係ってあるのかな。

テンション低いからって言うても決して楽しんでないわけではないです。ただ楽しみ方がすこ〜しずれてる場合もあるかもしれんけど。あ〜でもお酒のんだらテンション上がるかなぁ。血圧も上がってるのかな?今度計ってみよかしら。 

 その7 「What's going on」 (21/SEP)

ニューヨークでのテロの話。正直言って、衝突の映像を見ながら私は「これは真珠湾攻撃に匹敵するなぁ」と思っていました。これは、ほとんど戦争だと。

翌日になったら、ブッシュさんがやっぱり「これは戦争だ!」と息巻いていた。そうだよね、そう思うよね、と心の中で思っていた。

でも同時に思い浮かんだのは、もうこれ以上誰かが死ぬのはごめんだ、ということ。

血で血を洗うようなことが起きなければいいな・・・と。

なんで、こんなことになっちゃったのか、よくよくよ〜く考えて欲しかったのに。

今、アメリカは戦争をする、と言ってる。国民の80%以上が賛成してるって。

ほんとかな。自分が同じ目にあったら同じようにやっぱり思うかな。アメリカという国はそれ程愛国心が強いのかな。などと漠然と考えていた。

昨日、ニューヨークに友人を持っている友人から、メールがきました。メールの内容は、一部の人達ではあるけれどもニューヨーカーの生の声のレポートが届いたので読んで下さい、ということでした。

第二次世界大戦が終わって、朝鮮戦争・ベトナム戦争・各地の民族紛争・湾岸戦争などがあって、今また大変な戦争が起きようとしている。

戦争は、或る意味喜びをもたらすかもしれないけど、その影には膨大な悲しみが渦巻いていて、いつだって小さなものたちが、その一生をかけて戦争の代償を払っているような気がする。

どうかもうこれ以上、悲しみが増えませんように。

マーヴィン・ゲイも「What's going on」という歌でこう歌っているよ。「War is not the answer」

どうか、以下のニューヨーカーの話を読んで下さい。 

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NYの友人からのレポートです。読んでいただければ幸いです。
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またまたレポートです。

テレビの仕事をやめて街の中に入っていきました。日曜日にユニオンスクエアに300人くらい人が集まって激論になっていました。
そこで聞いたことをいくつか書いておきます。
こういうことを喋っている人がいる、とうことをお伝えしたかったので。
テレビや新聞だけじゃ、分からないことを。

「戦争は反対だ」
「でもこのままだったらまたテロがおきるぞ。」
「自分達を守らなければいけないから戦争なんだ」
「報復して報復しかえされて報復して、の繰り返しじゃないか。」
「なんでテロが起こったか、を考えるんだ。アメリカは外で人を殺してきたんだ」
「ではどうやって自分達を守るんだ」
「戦争してもしなくても危険は同じなのよ。テロなんだから」
「だから敵を全部殺さないと」
「殺したらまた次が来るぞ」
「彼らはアメリカの戦闘機を見て育ったんだ。」
「誰かが許さないと続くだけだ」
「ではどうやって守るんだ」
「自分で何が起きているのかを分かって、生きていくだけよ」

「テロが間違ってるって、示さないと」
「でも戦争で示さなくてもいいでしょう。」
「また人が死ぬんだぞ。」
「とにかく人間を相手にした戦いを、もうみんな嫌だと思っているんだ」

「戦争したら、もっとひどくなるだけだぞ。」
「War is not the answer」
「そんなこと言っても、もう戦争が起きるんだ」
「大切なのは、個人個人がコンシャスでいることだと思う。何が起きているのか。自分の意見で世の中を変えることが可能かではなく。自分が見ているものがなんなのか、分かっていること。変えられないならしかたない、と諦めて観察するのを辞めたらいけない」
「そう、自分が何を見てどう感じてどう考えるのか」
「許すなんて無理だよ。ここにも家族を失った人がいるんだぞ」
「敵は個人個人の中の許せない心なの。自分の中の敵なの」
「怖がる心。許せない心。」
「その通り!自分が反対しても変わらないと諦める心も敵」
「じゃあ、それでどうやって変わるの?」
「白か黒かじゃないんだ。PEACE一色にならないなら同じだと諦めるんじゃないんだ。」

「Our grief is not for the war.」
「アメリカ人として僕は反対だ」
「人間としてでしょ。戦争が嫌なのは人間みんなの気持ちよ。世界中の人間がアメリカにコレを辞めて欲しいと思っているのよ」
「分かった。アメリカ人として、とは言わない。人間として。アメリカ人だってことはそのあとに言うよ。」
「アメリカ人として、というのも分かるよ。今アメリカが許すことは凄く大事なんだ」

「だってテロが起こったんだぞ。たくさんのINOCENT PEOPLEが死んだんだ」
「では、どうしてそれが起こったのか考えたことあるか?」

「とにかく戦争したら石油がなくなるんだ」

「PEACEなんて無理だよ。ありえない。PEACEが続くなんてことはない」
「でもGIVE PEACE A CHANCE!」
「そうだよ。ありえないなら戦争ってこともないだろう。」
「GIVE PEACE A CHANCE! 世界に。」
「いや、もっと、私はひとりひとりの中に、だと思う。」
「大変なのは分かってる。いろいろな気持ちがあるのも分かってる。でも GIVEPEACE A CHANCE!」

「私はドイツから来たけれど、こんなのをドイツのみんなに見せたいと思う。向こうではニュースしか見ていないからアメリカ人はみんな戦争したいと思っているの」

「そうでしょう。だから私たちはなるべく多くの人に反対してる人間はちゃんといることを伝えないと」
「テレビは何も伝えていないよ。戦争を支持するのが82%なんて嘘だ」
「ここにこんなに反対している人がいるじゃないか」
「1週間テレビを見続けていてつらかった。」
「ここで今日やっとみんなが何考えているのか分かった。」
「それはいけない。だからSpeak upが大事なんだ」
「テレビよりもこれが一番現実の討論だ」
「テレビをうのみにしちゃいけない。」
「いろんなニュースをみなければ。アメリカの新聞だけでなくて。フランスのもドイツのも。」

「戦争をするってことは、こっちも5歳の子を殺すことになるんだぞ」
「それをよく分かっていないと。起こっていることを分かっっているって、そういうことだよ」

「私はとにかく母親として反対。」
「戦争して、テロがさらに増える中で子供が育つなんて」

 

 その6  それってどう(11/SEP)

昨日、妙な人が家にやってきました。玄関のピンポーンが鳴ったので、急いで出てみたら白いポロシャツにズボン姿の一人のおじさん(45歳くらい)が立っていました。 

おじさん:

「あの〜○○(名字)と申しますが、今北朝鮮の子供達への支援を

 お願いしているんですがお願いできますでしょうか。」

わたし :

「??・・・・・(これは寄付しろっていうことかいな)・・・・

 ・・あの〜私いま失業中なんでぇ・・・」

おじさん: 「あ、・・・そうですか・・。実は私もなんですよ。 どうも」

おじさんは深々と頭を下げて、そそと帰られたのですが。それってどうよ。

失業中の人が、個人名で寄付のお願いにくるって信じられる?確かに時間は余ってるやろうし、失業保険貰ってボランティア活動するっていうのもアリかもしれんけど、なんか変やろ。ボランティア活動なら、団体名とかどういうルートで北朝鮮にお金を送るとか書いた紙とか持って廻らんといかんでしょ、やっぱり。

あれってマジやったんかなぁ。ウソの寄付集めやったんかなぁ。マジやとは思うけど、あんなやり方はマズいと思うなぁ・・・おじさん、わかるけどさ。職安に行かな。やっぱりさ。

 

 その5  (18/JUL)

あの・・・「耳」っていう器官なんですけどね。私、ずっと変なもんやなぁと思っているんですよ。「目」っていうのは、脳の一部で体外に露出している唯一の器官とかいう話を聞いたことがあるんですけど、耳もそれに近い器官なんやろな、と思ってるんです。

それでね。たいがい動物には「耳」がありますよね。ある時、ふと思ったんですけど、たいがいの動物の「耳」は頭の上らへんに付いてるんですよ。猫・犬・虎・きりん・馬・うさぎ・象・鹿・熊・・・とか考えてみたら、たいがいそうでしょ。猿でも手長猿とか上部に付いてるんですよね。チンパンジーは人間と似ているけど。

よく宇宙人の想像図とか、子供の頃のマンガとかに載ってたりしてたんですけど、宇宙人はテレパシーでコミニュケートするという事で、「耳」はなかったんですよね。

それを見て、変なの〜と思っていたんですけど、最近は、人間の方が「変」なように思えてきたんです。

動物は、「耳」が上に付いてるのが当たり前、と思っているとしたら、彼らは人間を見て、「耳」が真横についているのを見て、「変なの〜」って思っているのでは?とか。仲良くしてる猫とか、内心は私の顔をみて「耳が横についてる〜変なの〜人間って・・」って思ってたりしたら、かっこわるいなぁ〜とか。

私は、動物とか見て「耳」が上に付いているのを見て、その「耳」が大変機能的に動いていて、生きる上で非常に重要な役割を果たしているなぁ、と思ったり、「耳」が頭の上についているのを見て、なんか顔のまわりがすっきりしていて、以外といいなぁ・・などと思ったりするのですが、人間の「耳」が顔の横に付いているのを考えると、どうしても、レレレのおじさんの耳を思い出してしまって、なんかすごくかっこ悪いっていうか「変なの〜」って思えてきて、なんで人間の「耳」は横になってしまったのか、「誰か教えて〜〜っっっ」って思うのです。

発掘とかで、いろんな原人や猿人の骨とか出てきて発表されたりしますけど、耳の位置はどうなってるんやろぅ・・・・。かなり気になるところです。

人間の進化における耳の位置の変化は、いつ頃から起きたのだろうなぁ。なんのために横に付くようになったんやろう。人間の未来の予想図っていうのを以前に見たことがありますが、頭は大きくなって、手足が退化して小さく細くなってて、「耳」も小さくなってました。人間の「耳」が横になったのは退化の一過程なんだろうか・・・。

そんなことを思いながら、電車とかで他人の耳を間近に見る機会を得ると、おもわずしげしけと眺めてしまって、その形の複雑さに新たな疑問を持ってしまうのです。

耳博士、いませんかね。

 その4  幸せってヤツは。(26/Mar)

理由あって特養(特別養護老人ホーム)という所に行ってきました。

様々な理由から、自宅ではなく「特養」という公共の施設で生活している高齢者の方々の居る所です。生活している、というか毎日が合宿状態というか。ひどく病気にでもならない限り、そこが終の棲家となるのです。

何人かとお話をしました。

91歳のおばあちゃん。96歳のおじいちゃん。84歳のおばあちゃん。

それぞれ、いろんな思い出がある。いろんな過去がある。家族もある。事情もある。

人によっては、それらが時に忘却のかなたに行く事もあるにせよ。

お寺に、もう長いことお参りしてない・・と涙ぐんだおばあちゃんもいた。

この合宿生活にピリオドが打たれるのはいつだろうな。

幸せってなんだろなぁ。

「さだまさし」の昔の歌の歌詞でこんなのがあった。

「幸せというものは 丁度 雨上がりの空に 立ち上る虹のふもとの たよりなさによく似ているわ」

本当にそうだなぁ、という実感は今の私にはないのだけど、何故かこのワンフレーズだけ、よく覚えている。

 その3  耳寄りな話。(11/Mar)

この間TVを見ていたら、職人という字は「耳へんに音」という字が付いているように、職人は耳が良い事が重要であり、音を聞き分けてその微妙な仕事を仕上げる、いわゆる職人技を行う為には耳が重要なのだ、という話をしていました。

こういう文字に関する話は、時々嘘っぽい話もあるのだけど、この耳の話は「ふ〜ん、たしかに・・・」と思えました。

たとえば鉄を削ったり曲げたりする鉄工の仕事の人達も、目から入る情報や、手の感触の他に、やっぱり「音」も聞いていると思う。

機械が正常に動いているかどうか、も音でわかる。車だってそうだし。

では、耳の聞こえない人に職人がいないのか、と言えば、それはやっぱりNoなんじゃないかな、と思うのです。

世界的に有名なマリンバ奏者の女性で、耳が聞こえない人がいます。一度これまたTVで彼女の演奏を聴いたけど、とても耳が聞こえないとは思えない、テクニックも音も素晴らしいものでした。彼女は、何でそんな風に演奏できるのかというと、床に振動する音を足から感じているのだそうです。耳は聞こえなくても音は振動するのだね。何と素晴らしい事だろう・・と思いました。

耳が良いのに越したことはない。たとえ要らない話が聞こえてくることがあったとしても。でも耳だけじゃなくって、出来るだけ五感を磨いていたいなぁと思います。ついでに第六感も。

 その2  方言。(間違いがあったので少し訂正しました・・28/Jan)

 北海道の方言で唯一知っているのが、「〜ました。」という言葉。「丁寧語」にあたるのだと思うのですが、例えば「おはようございます」の丁寧語として、「おはようございました」と語尾に「ました」を付けることで更に丁寧になる、というもの。

 初めてこれを現実に電話の応対で目の当たりにした時には、ちょっと笑ってしまいました。(ごめんなさい・・)いや〜言い訳になりますが、朝一番の電話で「おはようございました〜」って言われたら、関西人としてはツッコミたくなるってなもんで。

「〜ました」は物事が終わった時に使う感覚があるので、「おいおい、いきなり終わっとるやんか!」と言いたくなるわけです。

 随分前になりますが、某TV局の「探偵ナイトスクープ」という番組で、「あほ」と「ばか」の言葉のどちらを普段よく使っているのか、その地域の境目を探す、というものがありました。この調査は、「あほばか分布図」という地図状の表にまとめられ、これが言語学の学会(だったと思う)で発表され、言葉の広がり方の説が立証された形となったのだった、と記憶しています。

「言葉は、同心円状に広がっていく」という説で、同心円状ってのは、池に石を落とした時に、その石が落ちた箇所から、まあるい円となって波がどんどん広がっていく、というものです。

 で、その言葉の広がっていく中心となる「石が落ちた箇所」は、かつての首都である上方、つまり京都なんですね。

 記憶を遡れば、知り合いの山口県出身だった大学生が、「久しぶりに実家に電話したら、親父が出てきて、いきなり「おはようございましたぁ」って言うから、さすがに一瞬とまどいましたよ〜4年も大阪に居たら私も関西人になりました〜」と話していたのを思いだしました。

 ね、すごいと思いませんか。北海道と山口県。距離は一緒か!?ちょっとわかんないですけど、京都を中心として、確かに広がっているではありませんか。(その親父さんは北海道出身ではないです、念のため)そういえば、姫路方面の方言と大阪泉南地域の方言も似ているし。

 方言の中には、もともと京都で流行っていた言葉が地方へ広がっていって定着して方言となった、という話があったように思います。

 もう一度「〜ました」を、東京で流行らせたら、同じように広がるのかな。

余談:「くだらない」という言葉は、「都から地方へ下って(広がって)いかない程度の、つまらないこと」という意味だったのだそうです。と、いうことは「〜ました」は「くだる」言葉だったのかな?

 

 
その1 車って。 

  最近の車ってわかりません。何がって?今まで古い車しか乗ったことがないので、オートマにも乗るのが恐いのです。だって自分の意志に反してアクセル踏まなくても、ずる〜って進むでしょ。

 更に新車となると、知らんがな〜ということが最近ありました。            マニュアル車でエンジンかけるのにエンジンキー回してもかからんのです。!?なんで?新車やろ?って思って早速JAFに電話をかけて来て貰いました。               

 そしたらね。クラッチ踏まないとエンジンかからんようになっとるんですと。そんなん〜って感じでした・・・。めちゃめちゃかっこわるいやん、JAFの人笑ってたやん・・・言い訳いっぱいしてしもうたやん・・・。まだ誰にも言うてないねんけど、こんな公共の場で言うたら更に笑われるんかな?

 知ってました?車種にもよるらしいんですけどね・・・。    (8/Jan)