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「腹違い」という言葉について考えた。何をいきなり、と訝しく思う向きもあるかもしれないが、そんな事言うやつは読んでくれねえでも結構だから帰ってくれ(ウソですすみませんもうしませんので最後まで読んでネ)。

「腹違い」が凄いのは、この言葉を付けさえすればどんな人間とも関係者になった気分になれることだ。チャールズ皇太子の腹違いの他人であるオレ。織田信長と腹違いの他人という関係にあるオレ。森下と同級生であり、なおかつ腹違いの他人でもあるオレ。どれもこれも、決してウソは言っていない。しかし、ただ単に「他人」である、と言うよりも、「腹違い」をつけたときの方が、より親密な感じがするのである。

相手がどう思うかではない。重要なのは自分がどう感じるかだ。他人であるチャールズの離婚は私にとっては文字どおりの他人事なので、事態がどうなろうと知ったことではないのだが、腹違いの他人であるチャールズが離婚するとなれば話は別である。慰謝料をむしられてはいないか。養育権を奪われてはいないか。王位継承権は大丈夫なのか。色んなことが心配で居ても立ってもいられない。電話して勇気づけてやりたいくらいである。腹違いの他人である信長に対しても気持ちは同じである。明智は危ないぞと忠告してやれない自分がもどかしい。

最初に「腹違い」の言葉の凄みについて考えたとき、私は世界を平和に導く手段を手に入れてしまったのではないかという感動で震えた。つまり、世界中の人が互いに互いを「腹違いの他人」であると認識すれば、自ずと両者の間には(オレとチャールズの間のそれのような)親近感が生まれるはずである。そうなれば、殴り合っていた者は手を取り合い、銃口を向けあっていた者は白旗を掲げて歩み寄り、最終的には全ての紛争は抜本的な解決を見るのではないかと考えたのである。

すばらしい考えだと思った。笹川氏の「人類みな兄弟」よりも、こちらの方が全然素晴らしいとおもった。これはぜひ世界に広めねばと「腹違い宣言」日本語版序文を考えつつ録画しておいた「毛利元就」を見ていた私はしかし、重大な事実に気が付いてしまった。つまり、ダメなのである。腹違いで、世界は平和にならないのだ。

腹違い同士は、どうも仲が悪いらしいのである。毛利さんちの元就君と元綱君を始め、君島さんちも、堤さんちも、世間に名高い腹違い連中は、みんなケンカばっかりしているのだ。殺しあったり、告訴しあったり、無視しあったり、形は種々のようだけれど、何しろ連中はみなちっとも仲よくない。これではせっかくの世界平和思想も台無しだ。

悲しい。なんて悲しいんだ。せっかく腹違いになれたのに、それがまた新たな火種を産むなんて。絶望した私は思わず家族制否定論者に転向しそうになったが、ソ連の家族制否定実験が失敗したのを思い出してかろうじて踏みとどまり、せめて我が家だけでもと、同腹の(この言葉もなかなか凄いが)兄弟たちとは仲よくしていくことを心に誓ったのである。







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