思い出の音楽シーン      Page3

西麻布のピアノ・バー「サイド・バイ・サイド」シリーズで、お客様です。
1982年〜1987年頃です。

写真はあまり無かったり、差し支えがあったりですが、いろいろな方が応援して下さいました。
「カナユニ」のママ故横田京子さんも、「ボデイ・アンド・ソウル」のママ関京子さんも(何故かお二人共同じお名前)、
何かの折にはお客様をお連れくださいましたし、
時代が良かった事は大きいけれど、とにかく信じられないほど、一流のお客様に来て頂きました。

(2012.Feb. 18 up)
故河野敏雄様とジャズ・シンガーの亜樹山ロミさん。
河野さんはたくさんのミュージシャンをせっせとお連れ下さいました。
あるときは美女達とご機嫌な河野さん!
ご自身も時々「♪You Belong To My Heart〜♪」
なんて歌ったりなさいましたが、
数年前に残念ながら亡くなられました。
来日中だった
D.エリントン・バンドのメンバーをお連れくださったマヤさん。
これは、はっきりしませんが某銀行関係のお客様のようです。
初アルバム「The Nearness Of You」制作のスポンサーになって下さった、
不動産会社「SDC」の社長、野村さん。
仲良し二人組犬飼さんと月岡さん。
この日はお客様をお連れになったようですね。
夜な夜な艶やかな和服姿で現れた謎の美女めいこちゃん
どこぞのクラブのママさんではありません!
店長の私より出席率が高かった深田さん。
5年間皆勤賞でした!
西麻布のピアノ・バー「サイド・バイ・サイド」で一緒に働いて下さった仲間達です。
六本木の「ボデイ・アンド・ソウル」を辞めていた高橋チーフを、
京子ママに話をして、来て頂きました。
お料理を作る事はもちろん、
「ボデイ・アンド・ソウル」と同様に帳簿の管理などもお願いし、
お店が地上げで閉店する半年位前までお願いしました。
2階のピアノ・バーのお客様の注文のお料理などは、
3階で作って運ばなくてはならないために、
彼らバイトの学生さんが必要でしたので人件費が・・・・。
とても良い子達でした。
今でも一流企業に就職して家庭を持ち、
外国に赴任してクリスマス・カードを送ってくれる方も居ます!
私は週に1,2日「カナユニ」とかの他の演奏に出かけ、
「サイド・バイ・サイド」には他のミュージシャンに演奏をお願いしていました。
私が窒息しないためにも、お客様に飽きられないためにもと・・・・・。

最初の頃は、左の写真、榎本敬子さん(現在はケイコ・ボージェンソンさんでヨーロッパに在住)、
その後、鈴木ミヨさん、加藤アオイさん、
そして右の写真、ユミ・マーシーさんなどにお願いしていました。



こちらは当時の生徒さん、
あつこちゃんとひろこちゃんでして、
私達プロの演奏が始まる前の時間に
実習として演奏をお願いしていました。

他にも数名参加していましたが、
写真が残っていません。

このお二人とも今ではご家庭を持ち
立派なお母さまで、
あつこちゃんからは
毎年年賀状を頂いています。



(2012 Feb.8th up)







サイド・バイ・サイドの紹介

六本木交差点から西麻布交差点に向かって右側を下ったところにポツンとありました。

ここは1階な「誰か袖」という呉服屋さんでKさんという大家さんが母の友人でした。
(5年後にこのKさんは私達が借りているのに、ビルを売り払い「地上げ騒動」になります)

この赤いネオンが綺麗でしたよ!

さあ、この細い階段を上りましょう!
2階はグランド・ピアノを取り囲んでカウンターで、
12,3人が座るといっぱいでした。


これは2階のピアノ・バーのスペースで、真中にグランド・ピアノ、
木のカウンターは四角にピアノを囲んでいました。
ピアノの上の部分にピアノを型とった黒いパイプの飾りがあって、
それがアクセントでちょとお洒落でした。
3階はオープン・カウンターの軽いお食事とお飲み物のスペースでした。

これは3階のクイジーニ(スナック)のスペースです。
いつもこんなに混んでいたのでは決してありませんよ!!!
ここの写真は最後のファイナル・パーテイのものしかありませんでしたので、
有終の混雑!





左の絵は、ベーシストの友人朝倉正展さんが、
開店祝いに書いて下さったもので、
とてもお店に合っていましたね!




そしてロゴの入ったコースターです。
お店の摺りガラスのドアにも、

マッチとか灰皿にもこのロゴがありました。


デザインは友人でデザイナーの末松康生さんでした。

(2012 February 3th up)


ピアノ・バー「サイド・バイ・サイド」の思い出

元主人が始めたピアノ・バー「バラード」は文京区方面に移転し、
その後の店舗を改築して1982年に、2階部分はピアノ・バー、3階部分はオープン・カウンターでバー&フードにしました。
2階と3階がくっついているので「Side By Side」という名前にしました。

ワン・フロアーが正味7坪くらいの狭い場所ですから、デザイナーの方のアレンジは(設計は西麻布の「人設計事務所」)
背中のボトル棚には扉が有ったのですが、扉の開閉が出来ないので取ってしまいました。
この写真の1982年11月の時点ではボトル棚に隙間がありますが、だんだん隙間が無くなります!

(2012 January29th up)
上の写真は1987年12月
下の写真は同じく11月のものです。

   さて、1981年に西麻布のピアノ・バー「バラード」から開放されて、やっと本来のミュージシャンにちょっとの間戻りましたが、
  母の名義でお借りしていた西麻布交差点脇の「誰か袖ビル」の2階、3階、4階が空室になり、母の友人だったビルの持ち主が困っていると。

        私は元々水商売には興味がなかったけれど、母に「家主さんが、折角あなたに後を引き継いでやればって言って下さるのに、
  あなたは断るとは、なんと度量が狭いの!」とけし掛けられて、同じ場所で新たにピアノ・バー「サイド・バイ・サイド」をやるハメになりました。

           しかし混乱していた結婚生活からは開放されて、新しい「サイド・バイ・サイド」がオープンするまでの半年位の間、
            そしてオープンしてからも外での仕事を週2日程度はする事にしていました。
 
            赤坂のレストラン「カナユニ」に戻り、あっちこっちの「Gセブン」、「スコッチ・ハウス25」など
・・・・・・。

                           そして昔からのお客様で私を「カナユニ」に推薦して下さった、
                 五反田の豪邸の主T様が自社ビルの中にオープンされた「トワ・エ・モア」にも出演しました。
                 数年でクローズしましたが、弾き語りの先輩、乾宣夫さんも出演していらっしゃいました。
                                   (2012 January 21th up)
五反田戸室ビル「トワ・エ・モア」1981年4月オープン・パーテイー        同じく「トワ・エ・モア」1982年 bassは阿部国男


西麻布交差点脇にあったピアノ・バー「バラード」での写真です。
元主人はもちろん一緒にお手伝いをしてくれていた主人の姉も、
全員がシロウトで始めたので、パニックの連続でした。
 
それまで演奏の行っていたホテル・ニューオータニ「カプリ・バー」、「カナユニ」、「ボデイ・アンド・ソウル」などを、
やむを得ず辞めなくてはならなくなり、「ボデイ・アンド・ソウル」のママの教えに従って昼間はランチ営業をして、
(私と主人の姉は交代でランチのお運びをしたので、毎日ではなかったけれど。)
深夜まで演奏、そして子育てという信じられない状況になりました。
 
結局すべての無理に無理が重なり、12年の結婚生活は破綻し、このお店も3年程で閉店しました。

(2012 January 12th up)

                               1979年頃の写真です
1980年の写真です。 1980年2月です。

1979年の写真

私の元夫だった大矢隆敏氏が経営し始めた、西麻布の小さなピアノ・バー「バラード」での写真です。

彼はジャズのテナーサックス奏者として、ジョージ川口氏のビッグ4などに在籍し、
越路吹雪さんの日生劇場の公演などに出演しましたが、顎関節症があり、引退しました。

そしてこのお店があったビルは4階まであり、4階では、私の母が貸しスタジオを始めたりしましたが、
とにかくトラブル続出!そして私達夫婦も離婚に追い込まれました。

大矢氏はその後再婚し、別の家庭を持っていらっしゃいますので、今回のみ公開します。
(2012 1.6 up)



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